2007年09月16日

◆京大病院米田教授やはり辞任

               石岡 荘十(ジャナーリスト)

脳死肺移植で患者が死亡した手術をきっかけに、心臓手術のメスを事実
上取り上げられていた京都大学病院の米田正始(こめだまさし 52)心
臓血管外科教授が、15日付けで母校京都大学医学部教授を正式に退職した。

事の始まりは、昨年(’06年)3月、京大病院で行なわれた脳死肺移植
手術だった。患者は30歳の女性で、手術が肺手術であるため呼吸器外科
を主担当に、麻酔科と心臓血管外科の3科が協力する体制が取られた。

手術は順調に進んだかに見えた。しかし患者は酸素が脳全体にいきわた
らない障害を起こし、手術後も意識を回復することなく、10月24日死亡
した。

この手術をめぐって、病院当局は昨年12月27日、いわば手術の助っ人だ
った心臓血管外科の米田正始(こめだまさし)教授に対してだけ、突然
「手術停止」を宣告し、事実上、教授のメスを取り上げた。呼吸器外科、
麻酔科に対しては“お咎めなし”だった。

米田教授は‘55年奈良県生まれ、’81年京都大学医学部卒。国内の病院
で研修を終えたあと、’87年、海外へ武者修行に飛び出す。

カナダのトロント大学を振り出しにアメリカのスタンフォード大学を経
て、メルボルン大学ではオーストラリアで70人しかいない心臓血管外科
医に選任されている。

そして’98年、11年に及ぶ海外での実績を携えて42歳で母校京都大学に
心臓血管外科教授として迎えられている。

ここでいう「海外での実績」とは、世界的に有名な心臓外科医の下での
執刀1200例、アシスト(助手)や術後の患者管理を含め8000例を超える
経験と研究業績を指す。

日本では米田元教授に匹敵する手術経験のある心臓外科医はそう多くな
い。マスコミや、彼の“手にかかった”患者たちは、彼に「ゴッドハン
ド(神の手)」という尊称を奉っている。


米田教授に対する手術停止の理由のひとつとして病院の執行部は、「安
全上の問題」を挙げているが、手術実績を検証したところ、取り立てて
米田教授だけを問題とする理由は見当たらない。

このため、米田元教授は「手術できる地位を侵害され、外科医としての
信用が低下する」などとして診療科長の地位確認を求め、京大病院を相
手取り京都地裁に仮処分を申請していたが、9月24日、和解で合意に達
した。

和解の内容は積極的に公表しないことを双方が合意しているが、「一旦、診療科長のポストを回復した上で、翌日京大教授を自ら辞職する」、この2点だった。

これを受けて13日、医学部教授会で辞職を承認、14日付けで米田教授を
一旦、手術の総括責任者である診療科長のポストに復職した上で、15日
付けで正式に辞任した。

米田教授と京大が和解のニュースは読売が11日夕刊で報道、朝日が翌日
朝刊で後追いしているが、手術から1年半、提訴から半年のこの騒ぎは
なんだったのか。

病院側から言うと、「アメリカかぶれで日本式の治療方式になじまない
医師の追放に成功」ということだろう。

一方、米田教授から見ると、仮令1日とはいえ診療科長のポストを回復
し、手術実績を一応評価されたことによって心臓外科医としての面子が
保てた。米田教授は、訴訟はいわば「医師の一分」だという。

これを読売は「痛み分け」といい、医事評論家の水野肇さんは朝日の記
事の中で「米国流の方法がスタッフの反感を買った。海外の方法をその
まま持ち込むのではなく、消化して活用する考え方があってもいい」と
評している。

しかし、実はそんなレベルの話ではなく、米田VS京大の今回のごたごた
は、患者にとって重大な問題を孕んでいることを見逃してはならないの
だ。

米田教授は、年間200件の手術をやり続けてやっと「まあまあの手術」ができるようになると主張する。そうでなければ医師のスキルは維持できないという。それが「世界の常識」なのだ。

ところがこれに比べ、国内の心臓外科専門医の手術実績は平均年間数十
件という貧弱なものだ。これが「日本の常識」である。京大は「世界の
常識」を受け入れなかったことになる。患者はどちらの医者を選ぶか。

13日の教授会では、米田教授だけでなく、ごたごたに嫌気をさしたのか、医学部長までが辞任したそうだ。

今回の揉め事は、病院選択をする上で格好の“症例”、教訓だったとい
えるだろう。 (2007,09.15)



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