2007年09月20日

◆古賀幹事長でいいのか

                      渡部亮次郎

福田総裁の下の自民党幹事長は元幹事長古賀誠さんだと夕刊フジが9月20日付で報じた。ことの行きがかり上、妥当な線だとは思うが、中国のために靖国を見限るという靖国神社総代・日本遺族会会長を先頭に自民党はどこへ向かうのだろうか。

2歳の時に父がフィリピン・レイテ島で戦死。女手一つで苦労する母親の姿を見て、政治家を志す。鬼丸勝之参議院議員の秘書を経て、1980年に衆議院議員に初当選。以来、連続9回当選。

私は鬼丸勝行さんは知っているが、当時から秘書だったという古賀さんとは面識がない。

古賀さんは野中広務さんとは派閥は違うが師弟関係にあるそうで、2000年には野中さんの「指名」で自民党幹事長に就任。本来、幹事長は総裁指名だが、当時、野中さんはそれだけの力があったということだ。総裁森喜朗氏は野中さんに頭が挙がらない事情があった。

ところで、野中さんかねてはご自身が被差別部落出身者であることを公言しており、野中さんの人生は徹底した差別との闘いでもあったと本人は語っている。

世襲議員が要職の多数を占める自民党内で野中さんは特殊な存在で、政治的には部落解放同盟との折衝や似非同和行為を取り締まる上で自身の出自を武器として利用した。

古賀さんは加藤紘一氏の側近とも見られていたが、「加藤の乱」に際しては、当時幹事長職にあった野中さんの意向に沿って反加藤として動き、加藤と訣別して堀内派の結成に奔走した。

「加藤の乱」とは2000年11月に第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)打倒を目指して与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした一連の政治行動のこと。別名は加藤政変・YK革命。

党幹事長の野中広務氏による党内引き締めにより、加藤氏の意図は失敗したが、翌年春の自民党総裁選での小泉当選への布石となった。

古賀さんは小泉純一郎政権下では道路公団民営化反対派の中核となるなど、野中、亀井静香氏らと並んで「抵抗勢力」側の代表的な政治家の1人とみなされるようになる。


野中さんの路線に連なる自民党ハト派の中心人物であり、与党人権問題懇話会の座長を勤めるなど人権問題への積極的な取り組みを見せており、人権擁護法を推進している。

これらの政治姿勢に加え、やはり野中さん譲りの強面と宏池会には珍しい武闘派であることから、名実ともにその後継者と目されるが、息子のスキャンダルなど様々な疑惑報道もある。

靖国神社総代・日本遺族会会長として戦没者遺族の救済でも活躍しているが、歴史認識や靖国神社問題が深刻化する中で、戦没者遺族の代表者としての立場。

一方、野中さんから引き継いだ中華人民共和国とのパイプ役としての立場の間で今後苦境に立たされる可能性もあるといわれている。

そのためか遺族会会長でありながら2005年6月11日には「近隣諸国への配慮が必要」などと発言し、後に批判が殺到すると「私見として述べた」など釈明に追い込まれた。

2005年の郵政国会では、綿貫民輔、亀井らと法案反対の動きを見せていたが、土壇場の衆議院本会議採決では、採決直前に退席し、棄権。

その後の第44回衆議院議員総選挙ではなんとか公認候補として党内に残り当選するものの、自民大勝で小泉首相の求心力が高まり、一方の古賀さんはこのようなある意味では二股膏薬的な態度をとったことから影響力は低下した。そのためか族議員としての有力な権力基盤である道路調査会の会長ポストを明け渡した。

2006年2月には、派内の反対派と妥協する形で、丹羽雄哉氏と共に宏池会の共同代表となる。ただし、小泉首相の事実上の後継者である安倍晋三氏が後継総裁に就任した中、派は丹羽氏や柳澤伯夫氏らも主導権を奪い合っているために派を1本化できなかった。

実際、2006年の自由民主党総裁選挙では、かつて側近として仕えた加藤氏の後継者である谷垣禎一氏、「士志の会」を結成するなど親しい関係にある麻生太郎氏ではなく、派の方針にしたがい、安倍氏を支持した。

安倍内閣成立の論功行賞で、丹羽氏が総務会長就任で派閥を離れると、機先を制して丹羽・古賀派の共同代表から、単独会長に就任。マスコミも、これを機に呼称を古賀派へ改称した。

太田誠一氏をはじめ、派内幹部の多くと若手を抑えていると見えるが、丹羽周辺は反発しており、復党した前オーナー・堀内光雄の動向と併せて、今後も波乱が予想される。

近年は、党の福岡県支部連合会の会長として、党勢の維持・拡大に努めてきた。しかし、2006年から相次いで行われた福岡市と北九州市の市長選挙で、政府与党推薦の候補が相次いで敗れたため、2007年2月、県連会長を辞任した。

古賀氏絡みで自民党内の政局でたびたび噂されるものとして、大宏池会構想がある。これは、古賀派と谷垣派と麻生派を結集させ古賀氏が総裁候補である谷垣禎一か麻生太郎のいずれかを担いで、名門派閥宏池会を再結集するという構想である。

また、麻生派を外した形での古賀派と谷垣派の再結集をさせる中宏池会構想もある。実現ができれば、党内影響力が拡大できるが、3派の思惑も絡んで実現の目処は立っていない。

なお、2007年9月の自民党総裁選挙では麻生太郎氏と町村派の福田康夫氏が立候補したが、古賀氏は「福田先生の方が政治信条が近いと思います」と福田支持をいち早く表明。

山崎派や谷垣派などと連携を行って、自民党全派閥による麻生太郎包囲網の尖兵となった。その結果の「幹事長有力」なのである。参考「ウィキペディア」2007・09・20
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