2007年09月21日

◆麻生を阻んだ一言

渡部亮次郎

自治大臣・国家公安委員会委員長、自民党幹事長代理、内閣官房長官、自民党幹事長などを歴任した野中廣務氏は2003年10月政界を引退した。しかし今回2007年9月のポスト安倍の政局を仕切ったのは野中氏であった。

引退後も各種メディアを利用しての反小泉の活動を行っていたものの、このところマスコミに身を曝す事はなかったのに、今回の麻生攻略で作、演出、総監督を務めた。

一説では今度の政変劇の裏では宏池会(旧池田派)の権力闘争があった。策士・古賀誠氏に麻生氏はしてやられたドラマだったという解説は正鵠を射ている。

そもそもポスト安倍は麻生と喧伝された裏では、麻生殺しのシナリオがひそかに練られていた。多分、古賀氏がシナリオ作りをしたといわれたが、その実、裏にいた軍師野中広務氏が作並びに演出、総監督だったはずだ。

2000年秋、森内閣に対する与党からの不信任案をめぐる「加藤の乱」では、野中幹事長は加藤派の古賀誠(国会対策委員長)らと連携し、加藤派の多くを切り崩した。乱は無事終結したが野中氏は幹事長を辞任した。

その時が野中氏の真骨頂だった。堂々と後任に森総理をして無名に近かった古賀誠氏を充てさせたからである。誰にも有無を言わせぬ凄さが野中氏にはあるのだ。

野中氏は、かねて自身が被差別部落出身者であることを公言しており、その人生は徹底した差別との闘いでもあったと本人は語っている。

1925(大正14)年10月20日、京都府船井郡園部町(現南丹市園部町)生まれの野中氏だが、旧制中学卒業後、当時の国鉄で叩き上げ、地元の町議、府会議員の後が凄い。

共産党の蜷川知事に対抗馬を立てて勝利するや、自らが副知事となって京都府政を牛耳ったのだ。私はその頃、厚生大臣秘書官としてある案件をめぐって役人を介して野中副知事と交渉し、その凄さを知った。

中央政界への進出がそれだけ遅くなったが、世襲議員が要職の多数を占める自民党内で叩き上げの野中氏は特別な存在となり、あっという間に政局を動かし始めたのだった。

その野中氏に派閥を超えて親炙する古賀氏は加藤紘一氏の側近とも見られていたが、「加藤の乱」に際しては、当時幹事長職にあった野中氏の意向に沿って反加藤として動き、加藤氏と訣別して堀内派の結成に奔走した。

その派閥がいまや古賀派となったのだから野中氏の分析能力には舌を巻く。。

その野中氏が強烈な反麻生太郎になる事件があった。「麻生太郎による部落差別発言」事件である。


魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』などによると、麻生太郎氏は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月の麻生も同席する自由民主党総務会において、野中に以下のとおり批判された。引退1ヶ月前である。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会(自民党の派閥)の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。

君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」野中の激しい言葉に麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだったと記されている。

「私は絶対に許さん!」といったら許さないのが野中氏。あれから4年。自身既に政界を引退した事になっているが、古賀氏らを通じて、どっこい野中は生きているのだ。

政界事情通の先輩記者によれば、「野中学校」で悪知恵をたっぷり勉強した古賀氏だが、小泉、安倍両内閣では警戒されて干されてきた。

安倍首相の内閣改造でも森元首相から「古賀を使え」と言われて、あれこれ迷っていた安倍氏に断を下したのは麻生氏だった。

言下に「とんでもない」と拒否。麻生氏にとって古賀氏が煙たい存在。肌合いが合わないし、陰の存在の野中氏も苦手だからつい麻生に従ってしまった。

「麻生が改造人事を仕切っている」と古賀氏は怒った。事実、安倍人事は麻生氏によって、ひっくり返される例が他にもあった。死かも安倍、麻生の仲は冷えていた。情報伝播の仕切りと人心動揺の読みにかけては軍師野中の右に出るものは今の政界にいない。

「安倍が麻生に不快感を持っている」という話が、安倍の古巣の清和会にいち早く伝わった。清和会の指導役森元首相がパリからとんぼ返りして仕切り。あろうことか引退さえ噂されていた福田康夫氏が「今回は立ってもいい」。

悪くても清和会の半分の支持を獲得する腹でいた麻生氏は、ほとんどが”反麻生”に変わった清和会を見て愕然としたが時は既におそかった。今までの非主流派、中間派がそれぞれの思惑が波打ち、自民党内は雪崩を打って福田支持に固まった。一夜のうちだった。

私はやらないから知らないが政局は将棋とか碁に似ているそうだ。敵の腹の内を正確に読んで何手も先を考えて大胆に打つ。人間を駒や石にたとえて悠然と動かす。それのできる軍師として野中氏に優るものは日本政界にはいない。

遅咲きの野中氏に政権への野望が無かったとは言えない。だとすれば、それを阻んだ麻生を許す事は絶対できなかった。老兵は死なず、金バッジが無いだけ。政治記者よ、「野中をマークせよ」。参考資料「ウィキペディア」2007・09・20
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック