石岡 荘十(ジャーナリスト)
神奈川県大和市に、どこにでも見かけるの病院がある。最寄の駅(小田
急・南林間)からはタクシーでワンメーターの距離だが、駅前の大通り
からくねくねと曲がった細い路地に入り込んだ、どこにでもある住宅街
の中に。
3階建ての病院、というより地方都市でよく見かける診療所規模のたた
ずまいだ。大和成和病院。ここへ、京大心臓血管外科教授を辞任した米
田正始医師(52)が移籍し、週に2〜3日が心臓手術の執刀すること
になった。京大病院心臓血管外科教授の、一見“華麗”とはいえない転
進である。
米田元教授の辞任をめぐるごたごたの経緯については、これまでも何度
か本欄メルマガ(ネットメディアおおさか)や、いま発売中の月刊誌(『新潮 45』10月号)で詳報しているのでここでは繰り返さないが、要するに、多分、日本では10人ほどしかいない“神の手”を持つといわれる心臓血管外科ドクターが、母校京都大学医学部との間で治療方針をめぐって衝突。
結果、京大での地位確認を求める訴訟が和解という形で決着、この15日、
正式に退任した。
ただ、これまでのリポートでは、辞任後の彼の身の振り方については触
れていないので、21日、ご本人に「これからどうするのか」、今後の医
療活動についての考え訊いた。それによると、米田医師のルーティンは
こうだ。
・月曜(午前) 京都市内の病院(泉谷病院)で、これまで9年間、京
大で執刀した患者千数百人の術後のアフーケアを外来で行なう。
・火、水曜 中京地方でよく知られた民間の心臓病専門病院である豊橋
ハートセンターで手術を行なう
・木〜土曜 民間の心臓病専門病院、大和成和病院で手術を行なう
基本的にはこのローテーションで、心臓病患者の治療を続ける。この中
で、冒頭に紹介した大和成和病院の院長は、日本では数少ない“神の手”
を持つといわれる南淵明宏(48)だ。
南淵院長は米田医師とは共に奈良県出身だからというより、時期や場所
は違っても大学卒業後、大学医局を飛び出して、長い間欧米で修行を重
ね、欧米流の「常識」を身につけているという点で、意気投合した間柄
だ。
欧米流の心臓血管外科医の常識とは、出来るだけ多くの手術を手がける
ことによって、外科医のスキルを維持し、磨き、それによって医療ミス
を少なくし、患者の安全・安心を確保するという考え方だ。
手術実績の数(症例数)が決め手という考え方だ。米田元教授が母校を
“追い出された”のは、この考え方にあった。「そんなことやってたら、手術スタッフの負担が---」という病院サイドの執行部との病院経営方針との対立である。
彼らが修行を積んだ欧米の病院では、年間最低1000例が常識で、3000例というところもざらだ。ドイツでは年間5000例という病院もある。そこ
で、日本ではどうか。米田教授は、「せめて年間300例」と突っ張ったが、これもダメだった。
心臓手術の看板を掲げている病院は、400以上あるが、年間100例を超えるところはその1割にも満たない。欧米の10分の1だ。
大和成和病院では昨年、症例500を越えた。症例の多い病院ほどミスが少ないという「世界の常識」に迫っている。が、まだまだ、だ。「世界の常識」に一番近い病院は榊原記念病院(東京・府中市)だが、それでも900(2006年)にとどかない。
そんな中で、大和成和病院に米田医師が加わる。その大和成和病院で彼
ら何を“企んでいる”のか訊いた。
「年間1000例の日本最高の心臓手術施設を目指します」
昨年暮れ、南淵院長にインタビューしたとき「年間1000例の病院実現を
目指す」と言った。その頃の、彼からのメールを読み返すと、“米田事
件”について「京大はけしからん、どこかで書いてください」と怒って
いる。
そんな経緯を思い返すと、米田教授(当時)と南淵心臓手術センター部
長(当時)の間では、その頃から話が出来ていたのかもしれない。
どちらにしても、南淵+米田。いずれも“ゴッドハンド”といわれる2人が強力タッグを組んだ。何をしでかすか。ともに欧米並みの常識、年間の心臓手術1000例の病院を「日本の常識」の中に突っ込もうと企んでいる、と読んだ。
ベッド数たった99の「こんな辺鄙なところにある病院」(南淵院長)は、うまくいけば日本の心臓手術のメッカとなるかもしれない。
(2007,0924)
2007年09月28日
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