2007年10月06日

◆インスリンに思う

                        渡部亮次郎

日本の政界に糖尿病が登場するのは確かに1945年の敗戦後である。「オ
ラが大将」の子息で山口県知事もした田中龍夫元文部大臣は公務の合間
を縫って日に何度も注射のため医者に通っていた。

田中角栄、大平正芳、伊東正義、園田直、田中六助皆糖尿病が元で死ん
だ。脳梗塞、心筋梗塞、腎不全、網膜症、癌を併発するのが 糖尿病患者
の末路だからである。

1921年7月30日にインスリンが発見され、人類に測り知れない恩恵をも
たらした。欧米ではすぐに患者自身の自己注射が始まった。だが日本で
は「危険」を理由に医者の反対で厚生省が許可しなかった。患者の中に
は日に3度も医者通いを余儀なくされた。

仮に自己注射が許可されていれば、医療器具業者は競って注射器の簡略
化や注射針の改良に取り組んだ筈である。だが厚生省(当時)の役人たち
は日本医師会に立ち向かおうとはしなかった。

わたしが秘書官となって厚生大臣として乗り込んだ園田直は1981年、敢
然として自己注射を許可した。その結果、注射器はペン型となり、針も
世界一細い0・2ミリになって殆ど無痛になった。

だがとき既に遅し。園田本人は自分の決断の恩恵に浴することなく腎不
全に陥り、僅か70歳で死んだ。1984年4月2日の朝だった。

糖尿病は多尿が特徴なので、長い間、腎臓が原因と考えられていた。糖
尿病最古の文献はB.C1500年のエジプトのパピルスに見られる記述だ。日
本で記録のある最も古い患者は藤原道長である。

「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と
詠んだ、平安時代中期の公卿である。康保3年(966年)―万寿4年12月4
日(1028年1月3日))62歳薨去した。

当時としては意外な長生きである。糖尿病を放置した場合、実際より10
年は短命になるとされているから、当時としては大変な長命というべき
だろう。それにしても満月のような権勢も病には勝てなかった。

昔から糖尿病の尿は甘く糖分を含んでいる事は良く知られていたが膵臓
がどのような働きをしているか、どれほど重要な臓器か不明の時代が長
く続いた。

突如、1869年にLanngerhans島が発見された。それから20年たった1889年、
ドイツ人のMeringとMinkowskiは史上初めて、犬の膵臓を摘出したあと、
高血糖と尿糖が出現することを発見し、やっと膵臓と糖尿病が切っても
切れない関係があることを証明した。

その後ジョンズホプキンズ大学のOpie博士が、このランゲルハンス島は
内分泌器官であり、糖尿病が関係することを明らかにした。

膵臓のランゲルハンス島から出ているのがインスリン。それが少ないと
か、全くでないのが糖尿病と判りだしたのだ。

そこからインスリン発見の物語は更に後である。

人類に測り知れない恩恵をもたらしたインスリンの発見物語の主人公は
Banting &Bestの2人のカナダ人である。苦しい実験を重ねてインスリン
を発見したのだがこの2人は当時全くの無名だった。

Frederick Bantingは1891年、カナダの農家に生まれ、1916年トロント大
学医学部を卒業し医者になった。

ある日彼は「膵臓結石で膵管が完全に閉ざされた症例」ー膵臓の腺細胞
は萎縮しているのにランゲルハンス島だけは健全であったーという論文
を読んだ。

それなら結石の代わりに手術で膵管を縛ってしまえばよいと彼は考えた。

膵管を縛るという考えは天才的な閃きだった。彼は自分のアイディアを
実行すべく、トロント大学の生理学者 Macleod教授を訪ねた。
このとき、助手として学生のC.H.Bestを推薦された。

早速実験が始められた。膵管結縛の手術は難しく、内分泌を抽出するの
はさらに難しい。

彼らは1921年7月30日に初めて抽出エキスを犬に静脈注射してみた。効
果は覿面だった。そこで彼らはこの物質をインスリンと命名した。

しかしこのBantingとBestの苦心の作も、まだまだ不純物が多く、実用に
は耐えなかった。その後安全に血糖を下げることが可能になったのは生
化学者 Collips博士が、粗雑な抽出物を人間の使用に耐えるように精製
した結果だった。

1923年のノーベル生理、医学賞はBantingと教授Macleodに決定した。

2005年の国際糖尿病連合の発表によると、アメリカ人のなんと20%が糖
尿病の疑いありで、60歳以上の老人に限れば20%強が糖尿病に罹患して
いる。

アメリカに住む白人種に限っても糖尿病患者は確実に8%を越え増加の一
途を辿っている。

21世紀が進行し始めるとヨーロッパとアメリカという、今までは罹患率
が極めて少ないと言われていたコーカソイド人種全体に糖尿病が一気に
蔓延しはじめた。

これはアメリカの高脂肪、高蔗糖、高エネルギー食がグローバル化し、
ヨーロッパもその例外でない事をしめしている。

19世紀末までコーカソイドである白人種たちは国によって糖尿病発症率
が低かった。しかしこれから20年以内にはヨーロッパもアメリカも糖尿
病激増で悲鳴をあげるだろうといわれている。

1000年はおろか数百年前にDNA の中に眠っていた遺伝子が社会環境の激
変で目覚めたのである。さらに遺伝子とは関係なく運動不足も大いに影
響している。

2004年、アメリカでゲノム研究者が2型糖尿病(中年に発症)の遺伝子
を発見したことが報じられた。これは飢餓遺伝子とは関係ないと考えら
れている。

日本人の場合、江戸も中期以降になると、庶民の間でも1日3食の食習
慣が成立したが、明治維新までウシも豚も常食として食べる習慣が全く
なかった。つまり高血糖の原因となる高カロリー、高タンパク、高脂肪
食とは無縁な栄養学的にはかなり貧困な食生活が300年以上続いたのであ
る。

一方、1850年ごろからヨ−ローパ人は大量生産方式の牧畜蚕業勃興と発
展により肉食が一般市民階級に広く普及した。日本人が反射的に頭に思
い描くヨーロッパ風の肉中心の食事スタイルの成立だ。

それでも当時ですら日本人比べるとヨーロッパ人の体格は立派であった
のだから、その後の食生活の100年が生み出した肉体的格差は想像以上の
結果を生んだのだ。

日本では第2次大戦後、それも戦後20年たって、やっと高エネルギーと
高脂肪食をとりいれた結果、糖尿病が急上昇で増加した。わずか30年か
ら40年の食生活の変化だ。

日本人の中に眠っていた飢餓遺伝子が飽和脂肪の刺激を受けて目覚めた
結果である。世界中の人類に共通の現象で別段、驚くべきことではない。
経済の高度成長と糖尿病患者の趨勢は同一だ。

だから中国では物凄い勢いで糖尿病患者が増えている。精々鶏を食べて
いたものが、1切れでその何倍ものカロリーのある牛肉を食えば、報いは
当然、肥満と糖尿病など生活習慣病である。毛沢東語録にはない。

出典:さいたま市大島内科クリニック「インスリン発見物語」
http://members.jcom.home.ne.jp/3220398001/discovary/index.html

文中敬称略 2007・10・03


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック