★16日掲載された「巴里だより」への反響です
岩本 宏紀(在仏)
・材木屋に生まれた。。。巴里郊外の男性
材木屋の倅(せがれ)とすれば、常にふんだんに木がある所が我が家で、
遊び場でした。 父親から何時もうるさく言われ続けた事は、火の用心でした。
( 岩本:材木屋の息子さんでしたか。音楽、ボクシング、盆栽、野菜栽培、まさに多彩な
道のりですね。)
・石の文化よりも。。。元巴里、今は東京の男性
確かに 石の文化もいいですが やっぱり日本人は木の文化ですね。ヨーロッパの造形美より 自然の美しい庭園や木造建築に心が打たれる歳頃になりました。
我々も(注:旅行業界) 今は 旬に感じる日本の旅行を企画しております。
(岩本:木造建築といえば桂離宮。 高校のころからの憧れです。一般の人はなかなか見学できないそうですね。いつか見てみたいのですが。 エリザベス女王がここに来られたとき、靴を脱がれたそうですね。
日本人にとっては当然ですが、人前で靴を脱ぐことは下品とされているイギリス人にとっては、かなり抵抗があったと思います。)
・切った木も生きている。。。元巴里、今は東京の女性
我が家には楓の木でできた囲炉裏テーブルがあって、毎日木のぬくもりを感じています。このテーブルは10年前家を建て替える直前に父が購入して、半年ほどは家の完成を待ってビニールをかけられ倉庫で待機していたのですが、何とそのあいだに少し成長していて、しかも小さな葉っぱも出ていたんです。
テーブルになっても、床になっても、木は生きているんですね。だから温かみを感じるのかもしれませんね。
(岩本:小椋佳の歌に「夢のひこばえ」というのがあります。幹を切られた木が、また小さな枝を出すことがありますが、それをひこばえと言うのだそうです。しかし今回の話はまったく根がない状態からの成長ですから、もっとすごいですね。奥が深そうです。)
・60年前の掃除。。。巴里の男性
小学生の頃、放課後に当番と称して交代で床掃除をやらされました。
ブリキのバケツに冷たい水をいっぱい汲んでボロ切れを集めた汚い雑巾を絞って、這いつくばって手で拭きました。
安普請の校舎ですから時々手にトゲを刺して赤チンを塗ったりして。
60年程も昔のことですが、冷たさ、汚さ、匂いなどを、むしろ懐かしく思い出しました。
(岩本:懐かしく思い出せるものがあるというのは幸せなことだなと思える年齢に、ぼくもなりました。
広島では木のとげのことを「すいばり」と呼んでいます。広辞苑にも載っていないので漢字でどう書くのかはわかりませんが。)
・伊賀上野で見た学校 。。。広島の女性
昔の木造校舎には窓を外して出入りできたりする楽しさがありましたね。でも、ささくれ立ってて、スイバリはたつし最低でしたよ〜〜。
歴史的建造物なぞは良い木を使っているのでしょう、お城を歩いても、(土足禁止で素足で歩いたこともあります)
なんともありませんでしたが、木造校舎といえば何年か前に見た、お城のそばの復古調の木造校舎を思い出しました。伊賀上野の素敵な風景でした。
(岩本:そうですか、伊賀上野にはいい木造校舎がありましたか。行ったことがない町ですが、材木の名産地和歌山に近いか。きっとまわりにいい森木があるのでしょうね。材木屋の息子さんでしたか。音楽、ボクシング、盆栽、野菜栽培、まさに多彩な道のりですね。)
・大黒柱を玄関に再利用 。。。元パリ、今は茨城のおじさん
私の小学校、中学校時代は木造の校舎でした。クラスで床の雑巾がけをして磨き上げる競争をしたのを思い出します。昔の木のそれも無垢の木材はなんとも言えない温かみがありました。
15年前に自宅を新築するときに、木造の家を建て廊下やトイレ、洗面所は木材でつくりました。全て無垢材とはいきませんが、集成材でも木の香りは感じられて落ち着きます。
古い家を壊すとき大黒柱に使っていたケヤキを新築の家の玄関に再利用しました。色といい艶といい何とも言えない荘厳さと木材の強さには驚嘆します。
(岩本: 古い家の一部を新しい家の一部に再利用するというのは名案ですね。柱の傷はおととしの5月5日の背比べのように、小学生の頃自分の身長を柱に印したことがあります。借家だったのでそれを再利用する訳にはいきませんが、もしも出来たらいいな、と思いました。)
(完)
2007年12月17日
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