2008年02月21日

◆中国を社会民主党に?(21日夕刊)

                 渡部亮次郎

産経新聞中国総局長伊藤正氏による長期連載「トウ小平秘録」は一頭地を抜く傑作である。

2008年2月21日の第152回では「社会民主党」ではどうかと言う副題がついていて、トウ氏の敷いた改革開放路線を経済だけでは矛盾が進行するから、これを政治にも広げて議会主義にしたらどうかという論争まで起きている事を指摘している。

これについては、
<新左派系のサイトは、論文を罵倒(ばとう)する文章や書き込みであふれ、毛沢東を修正主義者と侮辱した謝氏を党規約と憲法に違反しているとして逮捕、「炎黄春秋」は廃刊すべしとの意見も出た>(伊藤氏)。

しかし、事態は決してそうはならず、論争は続いている。中でも驚かされたのは「大躍進運動(58年)での餓死者数が3755万人」とあからさまに表現して毛沢東批判が展開されていることである。

この文章を書いたのは、国防大学の元研究員、辛子陵(しんしりょう)氏で「千秋功罪毛沢東」上下巻(書作坊出版)。昨年7月に出版された。

毛沢東により強行された大躍進。辛子陵氏は飢え死にする人が3755万人も出る中、子供や死体を食した例などを暴露し、毛沢東時代の抑圧と貧困を詳述。空想主義に陥った毛沢東の極左主義を徹底的に批判した。

この論文に刺激されて、昨年2月、北京の月刊誌「炎黄春秋」に発表された論文が大きな話題を呼んだ。

筆者は名門、中国人民大学元副学長の謝韜(しゃとう)氏。「民主社会主義モデルと中国の前途」と題し、民主社会主義へ移行、民主政治を実現してこそ「中国を救える」と主張した。

謝氏は、中国共産党は「中国社会民主党」と改称し、欧州共産主義と同じく民主社会主義に転換、スウェーデン型の政治体制(議院内閣制)に移行すべきだと主張している。毛沢東思想の全面否定を論じても殺されないのだ。

伊藤氏によればトウ小平による改革・開放をめぐる論争は、4年前から始まった。2004年に香港中文大学の郎咸平(ろうかんへい)教授が大手国有企業の国有資産の外資への売却などを批判、新左派が郎氏を支援し、市場経済派の主流派学者を攻撃してからだった。

謝韜(しゃとう)、辛子陵(しんしりょう)両氏は議会制民主主義を提唱、事実上一党独裁を否定していたから衝撃は大きかった。この年秋に第17回党大会を控え、政権側がどう反応するかが注目された。

謝氏らへの反論は2006年4月24日付「光明日報」が開始。党機関紙「人民日報」は5月10日、読者の質問に答える形で、「中国の特色のある社会主義」こそ唯一の道として民主社会主義論を批判したが、論争に区切りをつけたのは、胡錦濤総書記だった。

一党独裁を堅持し、経済建設を重点にしながら党内民主の促進などの改革を進めるという趣旨で、党大会の活動報告の基調にもなった。

謝韜氏らはこの後、胡氏に「(社会主義の)旗を降ろし、民主社会主義の道を行ってはどうか」と伝えたのに対し、胡氏は06年6月25日、中央党学校での演説で、初めて「私は古い旗を掲げ、古い道を行く」と答えたという(黄達公(こうたつこう)編「大論戦」香港・天地図書)。

国内矛盾に飽き足らず毛沢東路線に回帰使用とする左派。「国民経済が発展し人民の生活水準が向上して人民が満足するなら、どんな主義でも構わない」トウ小平氏が87年にこう語ったことに縋る改革派、なんとしてでも『中間点』を探そうとする現実派。3派入り乱れての論争。

広東省の汪洋(おうよう)書記は昨年末以来、思想解放を強調、深センを「政治特区」にして政治改革の実験をする構想を進めている。実験の正体は不明だが、こうした構想が出ること自体、政治改革が不可欠との認識が政権内部に強まっている表れだ、と伊藤氏は見る。

<問題はあるにせよ、中国は資本主義化によって経済発展を遂げ、国民の生活水準も確実に向上した。しかし国民は、党権力と富裕階級が手を結び利益を共有する「権貴政治」への疑問、不満を募らせ、社会は不安定化している。

国民の意思が反映する政治体制の確立を胡錦濤政権は迫られている。謝韜氏らは民主社会主義の要は「民主」にありとし、「党主」の放棄を求めるが、それにはトウ小平氏の「四つの基本原則」の呪縛(じゅばく)を解かねばならない。トウ氏の「遺産」は、なお大きく重い。>(伊藤正)2008・02・21

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