約1年に及んだ「トウ小平秘録」シリーズは2008年2月22日付、「153」回でついに終了、産経新聞を読む意欲が半減した。
伊藤 正 (イトウ タダシ)。産経新聞中国総局長兼論説委員。
1940年埼玉県生まれ、東京外国語大学中国語科卒。65年共同通信社に入り、72〜74年香港支局長、74〜77年北京支局員、83〜86年ワシントン支局員を経て、87〜91年北京支局長。編集局次長、論説委員長など歴任。
2000年7月産経新聞社に移り、同年12月から現職。76年と89年の2度の天安門事件を現場取材した唯一の西側記者として知られる。
香港、北京で既に足掛け20年の中国駐在経験である。これだけ長く駐在して中国をウオッチした外国人は少ないし日本人記者としては初めてでは無いか。
他の異国と違って、共産中国には報道の自由は無い。日本との国交がまだ回復する以前に結ばれた日中記者交換協定が回復後もそのまま延長されているためである。
中国を政治的に批判する事は許されないし、中国側の機嫌を損ねれば、直ちに国外退去を命じられる。実際に過去何回もあったし、逮捕監禁された例もある。
その言動は二六時中監視され、牽制され、記事が真実と当局のご機嫌の間で当惑、逡巡を禁じえないのが実態だ。それでもインターネットと携帯電話の普及で、事情は大分変わってきた。
<それでも中国国内の中国語サイトで、検索できない項目が多数ある。「天安門事件」はその一つだが、本連載「トウ小平(しょうへい)秘録」も検索できなくなった。>と伊藤さんは暴露している。
共産国から資本主義経済へ劇的に変化させたトウ小平。3度の失脚と3度の復活。その生涯はまた謎に満ちたものであるが、丹念な資料の分析と多彩な人脈を駆使した取材で、未知の事実を多々明らかにした。歴史的な著作となった。
【トウ小平秘録】(153 最終回)第6部「先富論」の遺産(2008.2.22)を抜粋・紹介して、連載の完結を惜しみつつ大いなる祝意を表する次第である。
<■命の恩人だが神ではない
「海 その愛」の楽譜が欲しいと、複数の知人から頼まれた。まだテレビを持つ家庭は少なかったが、少なくとも数百万の中国人がその演奏を聴き、何がしかのショックを受けたに違いない。
音楽ほど同時に、かつ大勢の人の感性に訴える表現形態はない。それは電波に乗って国境を越えていく。新制作座の演奏は、青年層ら中国人の心に響き、外国文化への欲求をかき立てた最初のシーンだったと思う。
その欲望を満たす物質的条件が大半の中国人にはなかった。本連載では、文革で失脚したトウ小平(しょうへい)氏が69年に下放した江西省の工場で、80人の従業員家庭のどこにもラジオがないと知ったときの失意を書いた。それが改革・開放への執念を生んだ、とも。
今年の春節中、友人Aの家庭に招かれた。200平方メートルほどの部屋には、大型プラズマテレビなど電子製品が並ぶ。ほかにマンションを3戸所有、車もある。離婚して女手一つで育てた息子は米国に留学させた。
50歳代のAは、文革中に農村に下放、辛酸をなめ尽くした。それでも希望を失わず、大学に推薦入学するチャンスをつかみ、改革・開放の波に乗って商売に成功、今日の豊かさを手にした。
Aはトウ小平氏について「命の恩人」と呼びながら、「毛沢東と違って神ではない」と言った。現在の生活は自分で勝ち取ったものとの自負心がかいま見えた。
北京でたまに行くスナックがある。興に乗ると革命歌を歌う。毛沢東賛歌の「大海を行くには舵(かじ)取りがいる」などだ。20歳前後のホステスはけげんな表情をする。なぜ毛沢東が「紅い太陽」なのか理解できないらしい。
革命歌をもっぱら流す店もあるが、政治的背景はなく、毛沢東を商売のタネにしているだけだ。
ホステスのほとんどは地方の農村出身者だ。夜7時に出勤、宿舎に帰るのは午前3時ごろという。長時間労働の報酬は、月1500元(1元は約15円=22,500円)前後。生活費を切りつめ実家に送金している女性が多い。出稼ぎ農民工と同じだ。
それでも地方に比べれば格段の高収入だ。安徽省出身の19歳の女性は、地元の食堂で朝8時から翌午前1時まで皿洗いなどの下働きで月200元)3000円)余だった。
黒竜江省出身の21歳の女性は、地元病院で看護師をしていた時代の賃金は350元(4500円)だったが、3カ月以上未払いだった、という。
彼女たちの出身地の状況を聞く。ほとんどの共通点は党幹部の腐敗と金持ち階層の横暴への怒りだ。彼女たちの情報量は多い。その中には決して報道されない指導者のスキャンダルや暴動事件などの情報もある。
情報入手の主な手段は携帯電話だ。最近はパソコンを持つホステスも増えた。
中国の携帯電話は既に6億台に近づき、ネットユーザーも2億人を突破した。貧しい農民の間でも携帯電話の普及が著しい。それもまた経済発展の成果である。
本連載では何度か、専制政治の支柱はペンと鉄砲だと書いたが、こうした情報伝達手段の発達の結果、ペンの規制は無力化しつつある。
それでも中国国内の中国語サイトで、検索できない項目が多数ある。「天安門事件」はその一つだが、本連載「トウ小平(しょうへい)秘録」も検索できなくなった。
トウ小平氏は20年前、実事求是(事実に基づき真理を追究する)に立ち、世界と中国の現実を直視、毛沢東信仰を破り、改革・開放を断行した。現実主義の徹底がトウ氏の改革路線の神髄だ。
いま、トウ小平氏の時代には想像もできなかった変化が進む。トウ氏の定めた改革・開放と社会主義原則堅持の路線は、現実から乖離(かいり)し、多くの矛盾が噴出している。
トウ小平路線は不可侵というタブーを打破し、現実に即した改革の実行こそ、トウ氏の遺産を生かす道と思われるのだが。>(伊藤正)
2008・02・22