プロテニス界の星錦織君の英語については前田正晶さんが、先に『頂門
の一針』1101号(2008・02・24)で慨嘆したとおりだが、私も「前田様 こ
れは下品。言葉じゃない。しかし、もはや治らないでしょう。日本人と
して恥かしい。誰が教えたのだろう」と同調した。
<彼は質問に答えて「当初は英語が解らず多いに苦労したが今は大丈夫」
と言いたくて
「Now is OK.」と言ったと聞こえた。
さらに2回戦の相手が世界ランキング6位のアンディ・ロデイック(Andy
Roddick)であるが、その抱負を聞かれて
「I want to play Roddick. That’s why I win today.」
と答えていた>。
<Now is OK.では厳密に言えばここでは”now”が主語で「今が良い」と
なり、「今」と「良い」が同じものになってしまうのであるから。より
詳しく言えば「(私は)今は英語で会話をすることはOKなのだ」と言い
たいのだから、上の話し方のように”now”は主語ではないのである。
正しくは最低でも「It is OK now.」くらいは言わねばならず、主語とい
うか「自分にとっては問題ない」のだから「I have no problem with
English now.」等と言う方が、自分が言いたいことが言えて良いのであ
る。
次の文章だが「I want to play Roddick.」では「ロデイックを演じたい」
になってしまう。少なくとも「I wanted to play against Roddick.」で
なければならず、wantを過去形にしないと「ロデイックと対戦したかっ
た」ことにはならない。さらに「対戦する」のであればagainstを入れな
ければならない>。
<文法を誤ることは無教養の証であることを忘れてはならない。それで
も通じる、いや通じたという実績で当人は安堵して、この文法無視の世
界に安住してしまうのだ。私はそういう例を何人も見てきた。
しかもこの手の人の多くは非常に滑らかに英語を話されるのである。そ
の話し方の中に文法的誤りがあっても「貴方間違えていますよ」などと
お節介なことを言う人などいない。故に一度この道に入った人は先ず文
法遵守の道に戻ってくることはないのである>。
英語を喋る事は簡単でも、英語を母国語とする人たちとビジネスをする
事と同じではない。そのためには英語の文法を若いうちに身につけてお
かなければ、大恥をかくことになる、という大変親切な注意なのである。
そういう私もいきなり外務大臣秘書官にされて英語では苦労したが、高
校時代に厭々やった英文法で助けられた。会話は退官後改めて少しだが
修得した。だから前田さんの仰る事はいちいち尤もなのだ。
以下は前田さんの「追記」であるが、大変示唆に富んだ体験なので敢え
て紹介したい。
<私がアメリカの会社に転身したのが1972年、39歳でした。英語で話す
ことに関しては、高校在学中にはすでにアメリカ人の中で暮らしても不
自由ないくらいになっていましたが、本当の意味で「英語を使う、使え
る」ようになったのはそれ以降でした。
換言すれば、そこから英語を仕事に使うという真の勉強が始まりました。
ここから課題となったのが「思考体系の違い」で何度も何度も繰り返し
て問題が発生しました。それは言葉が話せるだけでは解決しないことば
かりでした。
2001年頃だったか某有名私立大学の先生に研究留学に先立って烏滸がま
しくも個人教授をしたことがありました。その先生が言われたことは
「何で始めから(前田さんが言うように)そう教えてくれなかったのか」
でした。
ある意味でそれは無い物ねだりですが、先生を悩ましたことは「有無相
通じない、腹芸がない、言わなくとも相手が解ってくれるだろう等が通
じないことを何故教えてくれなかったのか」なのです。思考体系の違い
です。私は彼らのそれを「二進法的思考」と呼んでいます。
すなわち、錦織君の「トップ100(後で50に言い直していましたが)が目
標」と言ったように、日本語では誰でもが「入ることだな」と解釈して
くれますが、彼らは「それがどうした」と言いかねません。こういう点
を学校教育で教えるわけがないのです。
先生はそう言いたかったのです。錦織君の頭の中は現時点では日本語の
思考体系なのでしょう。早くその違いに気が付かねば、何れは「そんな
つもりで言っていない」か「何故解ってくれない」という問題に撞着す
るでしょう。英語はそういうギスギスした厭らしい言語なのです。
私が数多く犯した「言わなかったために発生した」ミスの中で初期にこ
ういう例がありました。日本で品質の大問題が起きて、得意先と綿密に
打ち合わせた上で他にも緊急な問題があり急遽本社に出張しました。
本社では副社長、各担当マネージャー、中央研究所主任研究員、工場か
らは工場長と技術サービス部長も参加の大品質会議となりました。
私は全員に得意先の要望である「改造品が生産され次第そのテスト用の
見本紙をX枚航空便で送るとこと」を伝えて会議を終わって次の目的地に。
そして約1週間後に工場に出張した際に確認してみました。
技術サービス部長に「見本は予定通りに送ってくれたか」を確認すると、
その答えが何と「それは君が製造計画担当に本社で指示しておくべきこ
とで、我々の問題ではない。何の手配もされていない。直ちにここから
本社に連絡してその後に工場の事務部門に依頼に走れ」でした。
一言もありませんでした。見本の手配は私の仕事ですが、副社長以下全
員が出ていた会議で言えば、誰かが必ず(日本の組織で経験したように)
手配してくれただろうと思い込み、何ら確認もしないで終わっていたの
でした。
一言「担当に連絡する時間がないので宜しくお願いします」と言ってか
ら次の目的地に行くべきでした。このように彼らは「言わなかったこと
を相手の胸中を察して動く人種ではない」のです。
敢えて自分の失敗を例に挙げましたが、ここには言葉だけの問題ではな
い思考体系の違いまで読んでいないと「通じない」ことがあると知らね
ばならないということを言いたくて、長々と書いた次第です。
だが、失敗しないと解らないのも苦しいものです。誰かに教えて上げた
くても、実感を伴わないでしょう。しかし、あの場合は間に合いました
が、間に合わないか、取り返しがつかないことは多いのです。
であればこそ、私は「英語の勉強は余程必要がない限り、それほど必要
ではない。目的を良く考えて取り組め。問題は思考体系の違いまで認識
するかしないかにもある」と言うのです。
さらに、リタイヤー以後は「日米企業社会における文化の違い」と「思
考体系の違い」を語り、且つ書いてきました。この難しい点は「経験し、
また失敗がないと実感がないこと」です。
この上記の先生には「事前に良く聞いてからアメリカに行きましたから、
さして違和感を覚えませんでした」と言って頂けました。
先生がこうして初めて渡米されたのが42歳で、思考体系の違いなどを十
分即座に解って頂ける学者でした。であればこそ理解されたのかも知れ
ませんが、良かったなと思いました。>2008・02・23