2008年02月28日

◆福田・野中・小泉・麻生

                 渡部亮次郎

唐突に思われるだろうが、福田康夫政権誕生のカギは麻生太郎氏による「部落差別発言」にあり、麻生政権がすんなりとは実現しない原因でもある。

魚住昭『野中広務 差別と権力』によると、麻生太郎は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月11日の麻生も同席する自由民主党総務会において、野中に以下のとおり批判された。

(魚住昭 『野中広務 差別と権力』講談社 2004年06月29日 ISBN 4062753901)

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会(所属派閥)の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。

君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」

野中の激しい言葉に対して麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだったと同書には記されている。

1998年、第18回参議院議員通常選挙大敗で橋本首相が退陣すると、後継の小渕恵三内閣で野中氏が官房長官を務めた。小渕内閣では一転して自自公連立を推進した予て創価学会、公明党には好意的であった。

2000年に小渕首相が倒れると前官房長官(自民党幹事長代理)として小渕側近だった有利な立場から、森喜朗自民党幹事長、青木幹雄官房長官、村上正邦参院議員会長、亀井静香政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。これで森氏は野中氏に頭が上がらなくなった。

この協議は、首相を「5人組」によって密室で選出させたものとして、野党からも国民からも大きく批判された。だが野中氏は、森氏の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した。

同年秋の加藤の乱では、加藤派の古賀誠国会対策委員長らと連携、同派議員の多くを切り崩した。その直後、野中氏は幹事長を辞任、後任に古賀氏が就任した。古賀氏は早くから「野中の子分」だったのだ。

このように小渕・森政権時代には官房長官・幹事長代理・幹事長として仕切ったことから「影の総理」と呼ばれたることもあった。

森首相退任に伴う2001年自民党総裁選挙では、当初、側近の古賀、鈴木宗男氏やら公明党から野中政権待望論が挙がるも、橋本龍太郎、村岡兼造氏ら派幹部からその突出振りを疎まれていたため支持が集まらなかった。この時期、先の麻生発言が飛び出したものである。

結局、野中氏は橋本氏を担ぐことになるが、小泉純一郎氏に一般党員の支持が集まり、田中派結成以来、総裁選で初の敗北を喫した。

2003年自民党総裁選では、主戦論を唱え、青木幹雄参院幹事長、片山虎之助総務大臣、石破茂防衛庁長官、新藤義孝外務政務官、村岡兼造元官房長官、大村秀章内閣政務官らと激しく対立。

派内一部議員をポスト目当てで小泉支持に回っていると批判し、「毒まんじゅう」という言葉を残した。野中氏は自らの引退を賭けて藤井孝男元運輸相を擁立して総裁選に望んだが、首相・自民党総裁の小泉純一郎に大敗、自らは政界を引退を余儀なくされた(2003年10月)。

2007年9月12日に安倍晋三が内閣総理大臣、自由民主党総裁の辞任を表明し、その翌13日、密かに引退の噂を立てられていた福田康夫氏がにわかに総裁選挙への出馬意思があると報道され、自身も出馬の方針を示した。

実はこのとき、安倍引退を逸早く聞きつけた野中氏が麻生政権誕生を危惧して、急遽、京都から上京。子分古賀誠氏の要請で麻生太郎包囲網に参加したとも、福田康夫内閣成立の立役者(新5人組)の
最強の1人なのだ。

古賀氏が自民党選対委員長に就任したこともあり、低下していた野中氏の影響力に変化が生じている。福田不人気にも責任が生じている。

先立ってまず最大派閥を操る森氏から「福田支持」を取り付ける一方、嘗て売った「恩義」(手形)決裁を一気に実行、あっという間に「福田圧勝」のムード醸成に成功した。

15日、自由民主党総裁選挙に対立候補として麻生太郎氏が立候補した。

しかし町村派含めたほぼすべての派閥(事実上、麻生派以外の全派閥)が野中氏によって福田支持を決定しており、圧倒的優位が伝えられていた(ただし、実際は各派閥の所属議員に対する拘束力が弱まっており圧倒的ではなかった)。また、小泉純一郎氏も事実上福田支持となった。

こうして野中氏は今や福田政権を手に入れた。古賀氏を通じての選挙対策の実権も手中にしている。

「拉致疑惑があるから食糧は送るなとの意見は強いが、(北朝鮮とは)従軍慰安婦や植民地、強制連行があった。近くて近い国にしたい。日本はコメが余っているのに隣人を助けることができないのは恥ずかしい。壁を破ってでも食糧援助をすべきだと思って環境整備をしている」(産経新聞、1998年4月7日)

「隣国が困っているのに援助せず、心を通わせないで、拉致疑惑をはじめとする問題が解決するか」(NHK日曜討論、1999年12月5日)

2000年3月、島根県での講演において、北朝鮮へのコメ支援に反対して拉致被害者家族が自民党前に座り込みをした事に対して「日本人の拉致問題を解決しないでコメ支援はけしからんと言うが、日本国内で一生懸命吠えていても横田めぐみさんは返ってこない」

これらのすべてが福田政権に反映していると見るべきだ。福田政権がこのままジリ貧となり、いわば立ち枯れ病で倒れるか、麻生氏が息を吹き返せるか、それらの動きが政界再編製の動きと連動しないか。

私は野中、小泉両氏の動きを賢明に探るのが政治記者だと思っている。2008・02・27

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