2008年03月29日

◆復活!水都「八軒家浜船着場」

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毛馬 一三

大阪の桜の開花は例年よりやや早く3月29日だそうだが、水都大阪を東西に流れる大川(旧淀川)河畔沿いの歩道や各公園の桜は、既に五分咲き。天気に恵まれれば、29日の土曜からこの季節を待ち詫びていた花見客がドッと押しかけ、公園の広場では随所で花見の宴が開かれるに違いない。

この大川の桜の名所の河畔を少し下り、大阪三大大橋の「天神橋」の先の左手に水都が誇る「「八軒家浜船着場」に辿り着く。

この「八軒家浜」は、古代から京都と結ぶ水上交通の拠点で、江戸時代になるとこの浜の船着場は、八軒の船宿があったことから「八軒家浜」と呼ばれた。

またここは、世界遺産となった「熊野街道」への起点として知られており、京都などから船でやって来た人々が、この船着場を経由して「熊野詣」に赴いた。

余談ながらこの熊野街道だが、<この「八軒家浜」を起点に、四天王寺(大阪市天王寺区)、住吉大社(大阪市住吉区)、堺、和歌山などを通り、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう道筋。

この熊野街道を経て参台する「熊野詣」は、平安時代中期ごろ、熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになったのに伴い、法皇・上皇などの皇族、女院らや貴族の参詣が相次ぐようになったのが始まりだった。

室町時代以降は、武士や庶民の参詣が盛んになった。その様子は、蟻の行列する様に例えて、「蟻の熊野詣」と言われるほどの賑わいだったらしい。江戸時代になると伊勢詣と並び、庶民も数多く詣でたといわれる。ただ明治以降は、鉄道や道路の整備により参拝者は少なくなる>。

このように霊場熊野三山まで橋渡しする歴史的街道の起点だった由緒ある「八軒家浜船着場」だが、これを再興して賑わいのある水都大阪再生の起爆剤にしようと、民官協働の水都再生プロジェクトによってこのほど完成、桜開花宣言日にあたる29日午前11時から開港式が行われる。

京阪電車天満橋駅といえば、本欄主宰の渡部亮次郎氏も大阪在任中、毎日乗降された駅だが、その建物の北側の大川沿いに幅約10メートル、長さ約50メートルの3層からなる鋼鉄製の巨大な「船着場」がお目見えした。

新設された同船着場を見学すると、水上バス(アクアライナー)や大型遊覧船が常時2〜3艙停泊可能な、ゆったりとしたスペースがあり、ここから発進する各船で水都の川辺に広がる眺望とクルージングを楽しんでもらおうという意気込みが感じられた。

28日には八軒家浜港で前夜祭があり、午後6時に桜をモチーフにしたイルミネーションの点灯式が行われ、川面に浮かび上がったピンクと白の見事なコントラストに、見学者から歓声が上がった。

29日の開港からは、午前10時10分から水上バスが、淀屋橋、大阪城などをくるりと一周、約60分のコースを1日7便発着させる。華やかな水都大阪が、ここから芽生えるような気がする。

大阪大手企業本社の東京一局集中や、大手企業工場の他府県や外国への移籍が目立つなど、大阪の経済基盤の沈下に歯止めが掛からない中で、こうした歴史を甦らせながら集客を立て直す事業が、少しでも大阪再生に役立つよう願うしかない。(了)08.03.28
参考―フリー百科事典『ウィキペディア

◆本稿は全国版メイル・マガジン「頂門の一針」 1139号
平成20(2008)年3月29日(土)に掲載されました(編集部)

<1139号の目次>
・交渉ごとの極意:古澤 襄
・大阪地裁の不当判決:阿比留瑠比
・中共はうそをついている:大紀元日本
・北朝鮮の核保有を受け入れる?:古澤 襄
・復活!?水都「八軒家浜船着場」:毛馬一三
・横溢する「商品ではない言論」:平井修一
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