2008年05月21日

◆巴里だより 「鈴らん」

  岩本宏紀(在仏)

二歳違いの姉は5月生まれだ。今はどうか知らないが、鈴らんが好きだった。中学生のころ、勉強机のうえに鈴らんの写真が入った小さな額縁があったのをおぼえている。

フランスでは毎年5月1日、至るところに鈴らんの屋台が並ぶ。売り子は子供、学生、大人とさまざまだ。しあわせを運ぶ花としてフランス人はこれを買い求める。

ぼくも買った。場所はモンマルトル。キャバレー 「ムーラン・ルージュ」とその裏手、「アメリー」に登場するカフェ「オ・ドゥー・ムーラン」から歩いて3分の角っこだ。一束2ユーロ(230円)で、春の匂いとしあわせを味わった。

テレビのニュースによると、意外にも、鈴らんの原産は日本だそうだ。数百年前にフランスにもたらされたという。それを聞いてコペンハーゲンにある日本料理屋「すずらん」を思い出した。

大柄な大将は、純朴という言葉をそのまま男にしたようないい人だった。家族と一緒によく行った。注文後の待ち時間は長かったが、飾り気のない山盛りの料理が、彼の性格を表していた。

今から40年ほど前、日本の若者はリュックサックを背負いシベリア鉄道でヨーロッパを目指した。ソ連を過ぎて初めての西側の国がフィンランド、そしてデンマーク。風になびく金髪、吸い込まれそうな青い眼、血管がみえそうな白い肌にさぞかし驚嘆したことだろう。「すずらん」の大将は、ここでデンマーク女性に一目惚れ、そして住み着いたという訳だ。

残念ながら恋人ができなかったひとは、さらに南西に下り、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスへと旅を続けた。

しかしアムステルダムや巴里では、「すずらん」の大将のような経緯で現地に住み着いたひとには、まだ会ったことがない。日本人と相性が悪いのか、それともここまで来るとヨーロッパ人に新鮮味を感じなくなったためだろうか。

ぼくのかつての上司によると、巴里まで辿りついたひとは、ここでアルバイトをしてお金を貯め、物価の安いスペインまで足を伸ばしたという。

日本から観光でやって来たひとが、巴里でアルバイトをするのは今では不可能だ。外国人の労働規制が緩かった、遠いむかしのはなしである。


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