2008年05月24日

◆チリ地震津波の取材

                     渡部亮次郎

チリ地震(チリじしん)は、1960年(昭和35年)5月22日午前4時11分20
秒(日本時間)、チリのバルディビア近海を震源として発生した地震。

日本を含め、環太平洋全域に津波が襲来した。 表面波マグニチュード
(Ms)8.5、モーメントマグニチュード(Mw)9.5と、有史以来観測さ
れた中で最大規模の地震である。四川も及ばない。

日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から22時間後に
最大で6メートルの津波が24日の未明、三陸海岸沿岸を中心に襲来し、
142人が死亡した。私はそれを取材した。

当時、NHK記者初年兵で仙台中央放送局(当時はこういった)放送部報道
課所属3級放送記者1年生。近所の下宿へいきなりタクシーが迎えに来て局
へ駆けつけた。当直の先輩記者高野悠(ひさし)が「地球の裏側から津
波が来て、三陸沿岸一帯、相当の死者、行方不明者が出た」。

宮城県北部の女川(女川)町(港)への出張を命じられ、確か局車で出発
した。途中、国鉄塩釜駅の跨線橋の上に小型漁船が載っているのを目撃、
被害の酷さを実感した。

後で聞いた話では、当日、NHKのカメラマンが塩釜に泊っていたが、津波
と聞いて高台に避難、津波来襲の瞬間を映せなかった。彼はこれが一生、
祟った(既に故人)。東京勤務が大幅に遅れた。

しかし、私の女川行きも褒められたものではなかった。町が一面の泥濘。
歩けたものじゃないのはともかく、津波の余波?が来襲、と当惑して走
る人々の様をデンスケで録音した心算が、失敗。私も走ったものだから、
リールが空周りしていたのだ。

被害が大きかった岩手県大船渡市では津波により53人が死亡。一方で度
重なる津波被害を受けた田老町(現在の宮古市)では高さ10メートルの
巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。

まず前震がM7.5で始まり、M7クラスの地震が5〜6回続いた後、本震がM8
クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために、首都サンティ
アゴ始め、全土が壊滅状態になった

地震による直接的な犠牲者は世界規模で1743人。負傷者は667人。また、
アタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2・7メートル沈み込むとい
う大規模な地殻変動も確認された。

また有感地震が約1000キロメートルにわたって観測された。史上初の地
球自由振動の観測に成功し、地震波は米国で地球を3周した事が確認され
た。

地球の裏側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かっ
た事が指摘され、以後、気象庁は海外で発生した海洋型巨大地震に対し
ても、たとえばハワイの太平洋津波警報センターと連携を取るなどして
津波警報・注意報を出すようになった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスによれば

<今世紀最大の地震。震央はバルディビア市沖であるが,地殻変動は
1000kmにわたって生じ,グアムブリン島(ソコロ島)では5・7mの隆起,海
岸沿いの内陸部では3mに近い沈下がみられた。

チリでは地震動と津波により約2000人の死者が出たが,津波は全太平洋
に波及し,各地に被害をもたらした。

日本では日本時間24日午前2時ごろから5時ごろにかけて太平洋岸の各地
にチリ地震津波の第1波が到着し,三陸沿岸で5〜6mに達したほか,志摩
半島などでも高く,死者119人,行方不明20人,家屋全壊流失2830,半壊
2183の被害がでた。

南アメリカ沖の巨大地震による津波が日本を襲った例は過去に数回ある。
この場合にはハワイも被害を受けているので,日本はハワイと連絡を密
にとることにより,津波の到着の6時間前にその大きさを知ることができ
る。

1960年チリ地震は以前から理論的に予測されていた地球の自由振動が初
めて観測された点でも画期的であった>。

津波取材を終えて1ヵ月後、盛岡放送局(岩手県)に転勤を命ぜられた。こ
こに4年いた。しかし、着任1年後、今度は北上山地で大山火事が起きて3
日3晩、寝なかった。2008・05・23


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