2015年05月28日

◆維新は「分断」するしかないかも

杉浦 正章




松野の「野党化」の動きが急


政治家の力量を見るには国会の質問に立った姿を観察するのが一番よい。本物かどうかがすぐに分かる。27日に始まった安保法制特別委員会の質疑ではさすがに自民党副総裁・高村正彦が落ち着いて急所をとらえ見事であった。


注目されたのが今後法案修正など妥協に動くかどうかで焦点となっている維新の党代表・松野頼久の質問だった。しかし結論から言うと「売り家と唐様で書く三代目」の言葉が浮かばざるを得ない内容であった。愛車はベントレー・コンチネンタル、院内で香水の香をまき散らして闊歩(かっぽ)する姿から、「3代目の若大将」をイメージしていたが、当たらずとも遠からずであった。
 

若大将といっても54歳だが、質問に立って開口一番父親頼三の話から入った。首相・吉田茂が頼三に「今の日本は飯が食えないような状況だから仕方がないが、松野君の時代には自分の国を自分で守れる国を作りなさい。今は仕方がないが」と述べたという逸話を紹介した。


自立自主防衛を勧めたというエピソードだから、さぞや安保法制にも前向きかと受け取れたが、方向は逆だった。松野は安倍の米議会演説で生じた米国の期待感と比べて日本での発言が「小さめで違和感を感ずる」と噛みついた。問題は質問するにつれて、安保法制への理解度が低いことがだんだん分かってしまうことであった。


とりわけ安倍が今国会での成立を期していることについて「今国会でさっと上げるのは急ぎすぎのように見える。何か危機があるのか」と激しく質した点だ。要するに松野は北の核ミサイルなど極東を取り巻く情勢が「理解の外」であった。分かっていて聞いているのではなく、本当に実感として分かっていなくて質問している様子がありありであった。
 

この程度の認識の党代表では先が思いやられるところだ。最近の発言からみると、過去に民主党が落ち目になると後ろ足で砂をかけるように橋下ブームの維新へと逃げ込んだことをさておいて、今度は民主党への大接近だ。


27日も松野は、野党再編を目指す時期について「区切りが一番良いのは年内だ。来年の参院選できちんとした体制が作れる時期が大事だ」と述べた。明らかに新党設立を視野に、野党勢力の結集を図る意向を明確にした。


松野の戦略は野党が100人程度の核を作れば総選挙で多数を占めて政権を取れるという説に基づいている。民主党が09年に政権を取った時も、自民党が12年に奪還した時も100人程度が基礎となっていることを根拠にしている。しかしこれは致命的な誤りがある。
 

09年は自民党長期政権の土台がぼろぼろになった選挙であり、12年は民主党の政権担当能力がゼロに近いと露呈しての選挙であった。風が吹いたのである。今回民主と維新が一緒に新党を作って風が吹くかというと、全く吹かないだろう。


まず、大阪市長・橋下徹のようなカリスマ性のある政治家がいない。松野ではまずブームは起きない。一連の国政選挙の結果を見れば、国民は今後十年以上は民主党に政権を取らせないことを固く決意したようにみえる。その駄目の民主と、駄目の維新が一緒になっても“駄目の二乗の定理”が働くだけだ。
 

このような先が見えていない松野は、今後野党色を強めこそすれ弱めることはないだろう。ここで重視されるのが官房長官・菅義偉の出番である。菅は議運族の頃松野と極めて親しい関係を築いている。


一方で橋下の菅に対する信頼も、大阪都構想を巡る動きで一層強化されている。その橋下の影響下にある大阪系の議員は松野の独断専行に不満を募らせている。維新内部には後方支援や集団的自衛権の行使の条件を限定するなどの方向で法案の修正を図るべきとする動きも芽生えている。党内の流れは安保法制を巡って2分化する様相を呈しているのだ。
 

今後政府・与党は、菅ルートなどを通じて維新との「妥協」の動きを模索してゆくことになろうが、松野がこれに立ちふさがる可能性も否定出来ない。


安倍の「夏までに成立」の決意は固いものとみられ、修正も困難だが、例えば維新の主張を入れて会期を秋まで大幅に延長して徹底審議を計るなどの打開策が出るかどうかだ。


しかし党内には「それほどの妥協の必要は無い」とする主戦論も強く、自民党が舞台裏で「維新分断」に動く可能性も否定出来なくなってきた。6月24日の会期内に衆院を通過させるかどうかを巡って、今後与野党の駆け引きは水銀柱の上昇に正比例して激しくなる一方だろう。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月27日

◆「リスク」と敵基地攻撃が論戦焦点に

杉浦 正章




安保法制は「覚悟」を伴う問題だ
 

キンキン声の宍戸梅軒や、仕込み杖の座頭市、太ったくノ一などのあの手この手の斬り込みに、安倍武蔵が兎の毛でついたほどのすきも見せなかったということだろう。


安全保障関連法案が26日の衆院本会議で論戦の火ぶたを切った。ネットで質疑をつぶさに聞いたが、総じて野党の質問は突っ込み不足で、法案を廃案に追い込むほどのきっかけは掴めなかった。しかし、今後の論争に向けて焦点は絞られてきた。


一部野党に主導的役割を果たす朝日新聞の論調を見ると、野党やリベラル派が大きな論点として浮上させたいのは「自衛隊員のリスク」と「敵基地攻撃」の問題だろう。


まず朝日は今日27日の社説で首相・安倍晋三の自民党の役員会における発言に噛みついている。「首相は『自衛隊員のリスクが高まるという木を見て森を見ない議論が多い』と語ったという。事実なら驚くべき発言だ」と大げさに批判した。しかし、首相発言の全体を見れば驚くに当たらない。


続いて首相は「自衛隊員のリスク以前に安保環境が厳しくなり、国民の安全リスクが高まってきている」と発言している。国民のリスクをあらゆる手段を講じて低くするのは安全保障の根本思想であり、イロハのイだ。自衛隊員のリスク回避も極めて重要だが、自衛隊が国民のリスク回避のために宣誓して入隊した存在であることを社説子は覚えておいた方がよい。


朝日は「国民のリスクが森を見ると言うことなら、9条を改正して必用な法整備を進めたいと説くのが法治国家の首相の取るべき道であった。その順序は逆転している」と主張するが、我田引水的論理の飛躍だ。まず朝日は9条の信奉者と思っていたが、いつから改憲論者になったのだろうか。いつから社論が変わったのか。


この論説の背景には、国際環境の激変という事態を全く掌握していないか、天から平和が降ってくる一国平和主義のぬるま湯に浸かっている姿が浮かぶ。


論説主幹の立野純二も報道ステーションで「国民のリスクは高まっているという言い方は言葉のすり替え」と口を極めて批判したが、自衛隊員のリスクと国民のリスクはそれこそ表裏一体、密着不可分のものである。
 

さらに立野は、安倍がホルムズ海峡などでの機雷掃海を海外派兵の例外としたことについて「重大な変化をあたかも規則のように例外があると説明した」と指摘「ごまかしがある」と批判した。しかし朝日は安倍の言う「国民の生死にかかわる深刻、重大な影響」があり得ないとでも思っているのだろうか。


太平洋戦争の歴史をひもとくまでもなく、石油は日本の生死を左右する「生命線」であることくらいは理解した方がよい。加えて論説主幹は官房長官・菅義偉や防衛相・中谷元が集団的自衛権行使が、敵基地攻撃にまで及ぶ可能性に言及した問題について「外国が日本以外の国にミサイルを撃つかも知れない局面で日本が攻撃を加える事態は、機雷掃海だけが例外ではなく、ほかにも例外があることを物語っている」と言明した。


今後敵基地攻撃など海外派兵の例外がどんどん出てくると言わんとしているのだろうが、これも安全保障環境の激変を知らない論理だ。
 

敵基地攻撃論がなぜ出てきたかといえば、紛れもなく北朝鮮の核ミサイル開発である。日本に届くノドンが200発以上配備され、金正恩がかつて日本の大都市を名指しで攻撃対象とすると表明しており、これが日本に向けて発射の事態となれば、個別的自衛権で敵基地攻撃が可能だ。


一方、米国や米艦に向けて撃たれたケースで基地を攻撃するのは集団的自衛権のカテゴリーだ。これも机上の空論論者は「例外になる」と反対するが、考えても見るがよい。米国に向けてミサイルが発射されるような事態とは、その3秒後に日本に向けて発射される事態なのであり、「例外反対」などと言っていられる状況ではない。


そもそも国家間の戦争とは何でもありの上に全てが例外であり、例外を実行しなければ侵略できないし、例外を実行しなければ侵略を阻止できないのだ。ただし現在の日本には敵基地攻撃能力はないが、次期主力戦闘機として逐次42機の導入が決まっているFー35Aには攻撃能力はある。
 

総じて与野党の議論や、リベラル派の議論は、戦後70年の平和がもたらした、安保観欠如に根ざしており、空理空論が幅を利かせている。


こうした中で安保法制を支持する立場から元統合幕僚長・齋藤隆が26日NHKで述べた言葉には重みがある。齋藤は「国際情勢は従来よりはるかにリスクが高くなっているとは思わない。今までもそれなりのリスクはあった。戦死者を出していないのは本当にラッキーだった。そのラッキーだったことに甘えてはいけない。国家、国民に対して戦死者にどう向き合うかそろそろ考えておく必要がある」と述べているのだ。


確かに過去70年戦死者が出ていないのは日本の誇りであり幸運であった。しかしふりかかる火の粉は払わねばならぬ場合もある。安保法制は「覚悟」を伴う問題でもあろう。

              <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月26日

◆朴槿恵は世界一寂しい女性か

杉浦 正章



大国外交のはざまでひしひしと孤立感


文学的表現をすれば、世界一寂しい女が無聊を託っているというところであろうか。オバマは集団的自衛権の安倍と肝胆相照らす。頼みの綱の習近平もだんだん離れて日本に近づいてゆく。国民は日本旅行が大好き。韓国大統領・朴槿恵が周りを見渡せば、反日をけしかけて、自己保全を図る輩(やから)ばかり目立つ。


ついつい口車に乗って、ユネスコの世界遺産申請にまで「言いつけ外交」を展開したが、得意の「歴史認識」で大間違いをした。明治時代から強制労働(徴用)があったと歴史に残る大誤認をしてしまった。


ユネスコ憲章は「人の心の中に平和の砦を気付かなければならない」と高らかに平和の理念をうたっているが、朴は自らの心の中に「平和の砦」どころか、“過剰反応外交”で「反日の砦」を築き上げてしまい、引くに引けない自縛状態だ。


そもそも韓国の大統領府の補佐能力はどうなっているのであろうか。他国の世界文化遺産登録にクレームを付けるという異常な行動をとるなら、その歴史をひもとき、綿密な上にも綿密な検討を加えて、確証を掴んだうえで対応すべきだろう。


ところが肝心のポイントが歴史の大誤認だ。朴は「日本が一部施設で非人道的な強制労働が行われた歴史に目を背け、世界遺産への登録を申請した。世界遺産条約の精神に背き、不必要な対立を招く」と「強制労働」に直結させて攻撃の火ぶたを切った。 


しかし強制労働は日本が申請した遺産の対象時期である1850年代から1910年の間には行われていない。強制労働、いわゆる徴用は1939年に国民徴用令が制定され、第二次世界大戦の終結まで行われた。当初は朝鮮人は国民徴用令の適用を免除されていたが、1944年8月8日に朝鮮人にも適用するとした閣議決定が行われる。


その後、1944年9月から、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施された。しかし日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月までの7ヵ月間であった。外相・岸田文男が「韓国が主張している朝鮮半島出身の民間人徴用工問題とは、対象となる年代、歴史的位置づけ、背景が異なる」と主張するのは当然だ。
 

朴は執拗にユネスコ事務局長のボコバに「歴史を無視したまま、世界遺産に登録申請することは世界遺産条約の精神から外れ、国家間の不必要な分裂を招く」と伝えた。韓国側は、日本が登録を求める23資産のうち、7資産で日本の植民地時代に朝鮮半島出身者計5万7900人が「強制労働させられた」と主張しているが、例えあったとしても時期が違うのだ。


日本は国連分担金と同様にユネスコへの分担金も世界第2位の37億円だ。韓国はその10分の1だが、ユネスコ活動に対する戦後の日本の貢献ぶりを理解することも、隣国として当然のことであるはずだ。
 

もっとも朴を理を持ってじゅんじゅんと説いても、心に「反日の砦」を築いてしまっては無理だ。朴に日韓友好を説くのは、八百屋で「鮟鱇くれ」と言うようなものだろう。


同じ女性でも米国の女性は高級官僚ともなると外交的な視野が格段に広い。一度紹介したが、国務省次官・ウェンディ・シャーマンは去る2月にカーネギー財団で戦後70年をテーマに講演した。そのポイントは「愛国的な感情が政治的に利用されている。政治家たちにとって、かつての敵をあしざまに言うことで、国民の歓心を買うことは簡単だが、そうした挑発は機能停止を招くだけだ」と発言したのだ。


明らかに朴の姿勢を戒める発言だ。うじうじと歴史認識に拘泥している朴と、シャーマンの物事を見切る眼は雲泥の差がある。
 

もう当分、朴の反日言動は「馬耳東風」と聞き流して放置しておくしかないが、世界遺産の問題だけは1歩も譲歩するべきではあるまい。問題は譲歩とか、妥協が行える政治・外交マターではなく、歴史的事実か否かの問題だからだ。


官房長官・菅義偉が「技術的、専門的見地からの審査を期待したい」と述べているのは至極妥当だ。さらに議長国のドイツなどにあるといわれる、強制労働の記念碑設置の仲裁案も、安易な妥協だろう。


世界遺産委員会での登録決定は「全会一致」が通例だが、委員国から反対意見が出た場合、投票で決することも可能だ。その場合3分の2以上の賛成で決定する。このため、多数派工作が必要となる。


安倍は6月7,8日のドイツ・エルマウ・サミットの際にメルケルらに“根回し”をするのもよいかもしれない。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月22日

◆翁長は二重外交の“禁じ手”に走るな

杉浦 正章




反米プロパガンダもいいかげんにせよ
 

国を誤る行為の最たるものは二重外交である。日本では昭和初期から旧陸軍が独自外交を展開して国益を大きく毀損した。それをいま自治体の長が行おうとしている。


沖縄県知事・翁長雄志が27日から訪米して米政府や議会に普天間基地の辺野古への移転反対を訴えようとしている。もとより翁長の狙いは反米色の強い自らの支持団体・組織向けのパフォーマンスにあり、米政府がまともに対応するとは思えない。


しかし、事情を知らない米政府関係者が言質を取られる恐れもなしとは言えない。また隙あらばと対日宣伝工作を展開しようとしている中国などを利する恐れがある。政府は舞台裏で翁長の主張と意図を詳細にわたって米側に伝えて、連携を図っておく必要がある。
 

文化交流など民間外交は積極的に進めるべきだが、翁長がやろうとしている行為は憲法違反の二重外交だ。憲法の第73条の2には、内閣の事務として「外交関係を処理すること」と明記されており、外交権は内閣に付与されている。憲法上、地方自治体には、外交権は認められていない。


地方自治体が、政府の方針とは違う外交を展開すれば、日本は、二重外交のリスクに晒される。しかも、憲法上の規定がありながら、なし崩し的に地方自治体が外交権を行使するとなると、日本は、中国や韓国など周辺諸国によって、内部から切り崩される可能性が生じて来る。
 

さらに翁長の発言から予測すれば、政府の特権である安全保障政策にも踏み込もうとしている。外交・安保の両面から政府を揺さぶろうとしている意図がありありと感じられる。これはどう見ても使ってはならない“禁じ手”である。


記者会見などの発言から総合すると翁長は米政府関係者に辺野古への基地移転について「絶対に建設することができない」と言うのであろう。その理由として基地反対闘争の激化を指摘する。現在は100人規模の動員を、1000人規模にまで拡大させる方針を表明「とても日本政府が止めることは簡単ではない」などと主張するだろう。


さらに翁長は「こういったことを考えると、絶対に辺野古に基地を作らせないということをアメリカに伝える。『あなた方が決めたからできると思ったら間違いですよ』と言う」のだそうだ。加えて辺野古移転が挫折したら日米同盟が崩壊することを強調する。「辺野古がだめになったら、日米同盟が崩れる。私は日米安保体制を理解しているからこそ、理不尽なことをして壊してはいけないと考える」と述べるのだという。


とにかく脅したりすかしたりの立場で臨むのだろう。またハワイで起きたオスプレイの事故を取り上げ、「普天間でハワイのように落ちたら、日米安保体制は砂上の楼閣になる」と強調して配備撤回を求めるだろう。
 

明らかに政府の外交・安保特権に踏み込んだ言動を繰り返すものとみられる。もちろん米政府は、基地移転での交渉相手はあくまで「日本政府」との立場だが、問題は翁長が米政府関係者の不用意な発言の「片言隻句」を金科玉条として取り上げる可能性が高いことだ。


その対策として政府はまず、翁長の主張とその矛盾点を事前に国務省や国防総省に伝え、注意を喚起する必要があろう。間違っても両省幹部が翁長と会うようなことは避けさせるべきだ。
 

翁長は「日本政府を相手にしていたらどうにもならないから米国に行く」のだそうだが、明らかにプロパガンダ合戦で政府を揺さぶる意図が明白だ。基地反対闘争には中国の資金が入っているといったうわさや、中国の工作員が観光客に紛れて入り込んでいるという説もある。


翁長がすごんでいるように普天間で大事故が発生したり、辺野古での衝突で年寄りが死傷したりすれば、マスコミも含めて矛先は一挙に政府・与党に向く危険性がある。とりわけ、沖縄タイムズと琉球新報の現地2紙は、極端なまでに扇動的で偏向した論調を繰り返し掲載しており、県民の動向への影響力も強い。
 

しかし、翁長は「80%の県民が反対」と主張しているが、知事選結果はそうではない。有権者109万人のうち翁長支持は36万票であり、33%に過ぎない。賛成の仲井真弘多と、少なくとも反対ではない下地幹郎の票を合わせれば33万で伯仲している。40万人の棄権票も支持に回りうる層だ。


政府は翁長を説得しても、かつては辺野古移転に賛同していてた“転向”を二度繰り返すことはあるまい。翁長の嫌がる言葉だがここは粛々と埋め立てを進めるしかあるまい。

【筆者より:安倍首相がfacebookで小生のブログを紹介してくれました。光栄です。https://www.facebook.com/abeshinzo

            <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月21日

◆「自衛隊リスク論争」は安倍の勝ち

杉浦 正章

 


野党は「国民のリスク」に目を向けよ
 

党首討論を聞いて野党は戦後一貫してその存在のより所としてきた「一国平和主義」の主張に依然として全面的に寄りかかっているということが改めて鮮明になった。


戦後70年たって国際環境とりわけ日本を取り巻く安全保障情勢が激変している現実をあえて無視して、首相・安倍晋三との論争に挑んでいる。国民の不安をいたずらに煽る戦術である。これでは議論がかみ合わずに平行線をたどるのも無理はない。


安倍は国際環境の変化について「北朝鮮は数百発の弾道ミサイルの配備をしていて、核開発も進んでいる。この10年間で自衛隊のスクランブルは7倍に増えた。こういう現実を踏まえ、立法府の責任とは何かを考え、決めるべきは決めていく。やるべき立法は作っていく姿勢が大切だ」と北の核ミサイルと中国の領空侵犯などを挙げた。
 

民主党代表・岡田克也の質問にはこうした観点が全く欠如しており、基調はもっぱら「アメリカの戦争に巻き込まれる」論を展開した。米国の戦争に巻き込まれるという主張は社会党や共産党が安保条約改定に際して述べてきた主張だが、改定から半世紀を経ても巻き込まれていない現実をどう見るかという視点がない。


それどころか岡田が強調したのは「自衛隊のリスク」論である。


自衛隊のリスクはなぜ発生するかを考えれば、国際環境の変化によって生ずるであろう国民のリスクがあるからである。


北の核ミサイル開発や東・南シナ海で発生している中国の覇権行動によって、集団的自衛権を行使する際の「武力行使の3要件」の核心部分である「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」からこそ自衛隊のリスクが生じるのである。
 

岡田は国民へのリスクはどうでもよくて、自衛隊員のリスクの方が大事なのだろうか。これこそ平和は天から降ってくる社会党の思想をそのまま受け継いだものであろう。


戦後70年の平和が保たれてきた理由について岡田が「日米同盟の抑止力と憲法9条による海外での武力行使の禁止」を挙げたのに対して、安倍は「日米同盟と自衛隊の存在だ」と述べた。


確かに憲法9条は自己抑止力として作用するが、それだけで国の安全が図れるかと言えば世界の常識から全く逸脱する。軍事力があってこそ抑止が効力を発揮するのであって、自衛隊の存在を挙げた安倍の見解の方が説得力がある。
 

言うまでもなく自衛隊員は入隊に当たって国家存亡の有事に戦うことを宣誓しているのである。岡田は「どう見ても自衛隊の活動範囲は飛躍的に広がる。戦闘に巻き込まれるリスクも飛躍的に高まる」と主張するが、他国による侵略や核ミサイル攻撃という極限状態において、自衛隊がリスクを冒さなければ誰が国防の責務をになうのか。


国会はここの本音部分に踏み込んだ議論を避けるべきではない。山本五十六は「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」と述べているが、国家存亡の危機のためであることは、戦前であろうと戦後であろうと違わない。


違うのは日本軍国主義のために軍隊を使うか、安倍のように国防のための「必要最小限の実力行使」のために使うかであり、これは民主主義国家においては国民の選択に委ねられる。


軍国主義者を国民が選ぶか選ばないかの問題でもある。安倍は現場の判断でリスクを回避できることや、なるべく戦闘に巻き込まれない地域を選ぶとしているが、ことは国家の危機であり、安倍の見解の方が正しい。
 

その意味から言えば、岡田の「アメリカの戦争に巻き込まれる」との観点は、レッテル張りと反自民プロパガンダと言うしかない。


安倍は「海外派兵は行わない」と言明、過去にも「湾岸戦争やイラク戦争には自衛隊を派遣しない」と繰り返しているのであり、この言葉を信用するしかあるまい。


噴飯物は岡田が「他国の領土で戦争はしないと法律に書くべきだ」と主張したことである。もとより安保法制は「抑止力」に主眼を置いたものであり、抑止のための後方支援で他国の領土、領空、領海に踏み込まざるを得ないことも否定出来ない。


安倍が例外的にホルムズ海峡での機雷除去への積極姿勢を示したのも、イランの領海での機雷除去が石油確保の生命線であるからに他ならない。安倍が自衛権行使の3要件を厳格に適用すると述べているのだから、世界の常識から見ても極めて限定的な変化である。


主要国ではただ一国遅まきながら慎ましい集団的自衛権の行使に踏み込むのであり、それは他国による攻撃が前提としてあるからだ。安保法制の基本思想は「受け身」であり「攻撃」ではない。総じて野党の論議は机上の空論的であり、これが安保法制論議の幕開けかと思うと、先が思いやられる。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月20日

◆「松野維新」分裂含みでスタート

杉浦 正章




安保法制への対応が難関


いやはや、江田憲司が代表辞めると言い出したら、慰留もせずにすぐ後任選びの手続きに入ってしまうのは祖父・松野鶴平並みかと思ったものだ。


江田に近い議員は「一度は慰留するかと思った」とぼやいている。鶴平は権謀術数に長けていたから「ズル平」といわれたものだ。党首討論が20日に控えているからと言うのが後任人事を急いだ理由だが、政治環境をフルに活用する手法も似ている。


父親の松野頼三も実に切れて、政治センスもよかった。佐藤派担当の頃芝白金の松野邸に夜回りすると、暖炉を前にいつも談論風発であった。ある夜、超高級ウイスキー瓶を持ち出して、記者たちにふるまったが、うまいかと聞かれて小生は「分かりません」と正直に答えたが、これが正解だった。


他社の記者は「うまいうまい」と飲んでいたが、後から秘書が「あの瓶には国産ウイスキーが入っていた」と教えてくれた。親父も相当な権謀術数家であった。その息子が一党の党首だから、松野家は日本的な政治に長けた血が流れているのだろう。


松野頼久は民主党を離党して日本維新の会結党に参画したが、民主党時代はあの鳩山由紀夫の側近中の側近であった。鶴平が鳩山一郎と行動を共にした戦後の歴史も作用しているのだろう。鳩山内閣では官房副長官を務めたが、数々の「殿ご乱心」があったにもかかわらず、松野が諫めたという話は聞かない。


官房副長官という立場は、記者らとの交友を深め、情報を収集して、時には首相を諫めるためにあるようなポジションである。それが出来なかったのは政治的に未熟であったからだろうか。


ただ民主党に所属していたからと言って、その政治信条が左傾化しているかと言えばそうでもない。昨年の衆院選での毎日新聞のアンケートでは「村山談話」や「河野談話」を「見直すべきだ」と回答している。イデオロギー的に先祖伝来の保守的信条をもっているようでもある。
 

発言からは野党再編指向のように見える。しかし19日夜のNHKのインタビューでは「少なくとも国民の多くは安倍政権はよくやっているとの評価を下している。安倍政権が倒れた後に取って代われる野党の結集に動いてゆく」と述べている。


さらに「安倍内閣が憲法改正を掲げるのなら首相公選制など機構改革にしっかり胸を開いて議論をする」とも述べた。この発言から見ると首相・安倍晋三と親しい橋下徹への配慮が見られなくもない。持論の野党再編を長期的な課題としているからだ。
 

しかし、党を取り巻く政治環境は悠長な対応では乗り切れない側面が強い。今そこに安保法制という課題が待ち構えているからだ。党内の大阪系議員は、政界再編に慎重であることに加えて、安保法制でも拒絶反応と言うより妥協論が強いからだ。


松野は安保法制について「PKOの平和活動でさえ3国会もかかった。夏までに通すというのではなく、十分な審議と時間をとって国会を跨ぐくらいの充実した審議を求める」と発言している。反対を前面に押し出している民主党の主張と変わらない。


この姿勢から判断すると、今国会での成立反対に動く可能性が強いのだ。その場合、自民党は維新の構造的な弱点を突く動きに出る可能性が高い。構造的弱点とは3分の1は存在する大阪系議員や中間派への働きかけである。ここを突かれたら維新は政界再編を待たずに分裂する可能性だって否定出来ない。
 

折から、大阪系の国対委員長・馬場伸幸らを中心に、橋下の政治家引退を止める動きが生じている。小さいなりに複雑な党内情勢を抱えており、松野で党が持つかどうかも試されることになりそうだ。


衆院40人参院11人の結束維持は容易ではない。大義もなしに再編を先行させれば、議員らの議席確保策と受け取られかねない側面もある。

        <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月19日

◆維新が“草刈り場”の危機

杉浦 正章




民主が再編狙い、自民が安保で取り込み
 


まず第一の不確定要素は「市長任期満了で政界を引退する」と言明した大阪市長・橋下徹の「辞め方」であろう。全く政治家を辞めてしまうのか、それとも来年の参院選に出馬するのか。衆院選に出るのか。など様々な選択肢があるからだ。


本人も「2万%ない」と明言した府知事選立候補を、あっさり撤回するタイプであり、「政治家を辞めるのやめた」になる可能性も否定出来ない。


さらなる不確定要素は、年末までは政治家を辞めないのであり、これが維新の党の路線に陰に陽に影響を与える可能性があることだ。


党内は橋下に近い大阪系議員と、松野頼久ら民主党出身の議員の間で相克が始まっており、安保法制への対応が絡んで亀裂は拡大せざるを得ないだろう。これにストップをかけられるのは橋下が求心力を維持出来るかどうかだろう。
 

維新の党内では早くも総務会長・片山虎之助が18日、BS日テレの「深層NEWS」で橋下について「今までにない政治家だ。国政はやった方がいい」と述べ、国政への転身に期待感を示している。


今後こうした声は党内だけでなく中央政界にも出てくる可能性がある。と言うのも住民投票がたったの1万票の僅差であったことは、橋下の力量を改めて示す結果となったからだ。
 

マスコミの間では橋下の敗北により、安保法制で維新を使っての野党分断が困難になったとの見方があるが、これは大法案を巡っては与野党が食うか食われるかの状況になることを知らない見方だ。


維新を使った野党分断が不可能なら、維新自体を分断する動きが生じ、これが民主党の分断にも連動する可能性があるからだ。民主党幹事長・枝野幸男は「維新の党の事情を配慮しながらしっかりと調整したい」と、維新との野党再編に意欲的だが、ことはそう簡単ではあるまい。
 

もともと維新の橋下に近い大阪系議員は、橋下が官公労批判の急先鋒であることも影響して、民主党出身議員らと一線を画す傾向が強い。とりわけ最近の民主党は、代表・岡田克也が、党内バランスをとって左傾化して連合の影響も強く受けていることから、橋下はもっぱら保守系の・前原誠司らと接近している。


かつての維新の戦略は民主党右派を切り取っての政界再編であったが、さすがに、住民投票敗北はその勢いを衰えさせた。しかし、橋下というたがが外れれば、維新は“草刈り場”となる可能性も否定出来ない。大阪系議員らは「松野氏が民主党に近づけば近づくほど、東西分裂の可能性は高まる」とけん制している。
 

民主党も触手を伸ばすだろうが、自民党も黙ってはいまい。そのきっかけは、橋下の“12月引退”に先だって、今国会での安保法制を巡る動きとなって展開する可能性が強い。


安倍官邸は一貫して二重行政を改革しようとした橋下を支持しており、橋下と首相・安倍晋三や官房長官・菅義偉との関係は住民投票を巡ってより強固なものとなったとみるべきであろう。したがって橋下になお求心力がある内に安保法制での協力を要請する可能性が強い。
 

一方で民主党は安保法制を巡って「安倍政権が進める集団的自衛権行使は容認しない」との方針を決めたが、行使自体の賛否を示すには至らなかった。その内実は、旧社会党系の「行使容認しないことを明確にすべきだ」と言う意見と「政権復帰後のことを考えて行使の余地を残せ」とする保守系の意見が激突、収拾がつかなかったからだ。


このように安保法制を巡っては民主党と維新それぞれに内部事情を抱えるかたちとなっている。したがって橋下が12月の引退を表明したからといって、直ちに自民党からの野党分断の動きが挫折するとは思えない。


むしろ松野が代表に選ばれた場合には、草刈り場となることを回避するために、民主党と同一の行動をとらず、妥協に動く可能性も否定出来ない。とりあえず党の団結を維持するには、自民党に原案のままの強行突破を行わせないことも重要であるからだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月15日

◆「一国平和ぼけ」の反対論を戒める

杉浦 正章




中国の原爆はいまでもよい原爆か
 

60年安保改訂に匹敵する重要法案の国会提出である。外国軍隊への後方支援のための新たな恒久法「国際平和支援法案」と、自衛隊法など10の法改正を一括して1本の法案にまとめた「平和安全法制整備法案」の合わせて2本が、俎上(そじょう)に上る。


既に国会内外では激しい舌戦が展開されているが、反対派の主張を分析すればするほど何の変化もない一国平和主義に基づく十年一日の如き論議の繰り返しであることが分かる。国連憲章の中核である集団的自衛権の行使をなんで日本だけが行使してはならないかを明快に説いた野党やリベラル派の評論にお目にかかったことがない。
 

かつて共産党や社会党には中国の核実験は正しいと論ずる風潮があった。1964年10月30日の参議院予算委員会で日本共産党所属の岩間正男は、中国による原爆製造について「世界の四分の一の人口を持つ社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。


元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。」と発言、当時ですらひんしゅくを買うどころかあっけにとられた経緯がある。


「中国の原爆はよい原爆」論である。それと同じように周辺諸国においては集団的自衛権の行使などは論議以前の当然の権利であり、いつでも集団的自衛権にかこつけて日本攻撃に活用出来る態勢が整っていることなどはとんと気にも留めない。
 

要するに日本だけが、ちまちました「集団的自衛権の限定的な行使」にようやくたどり着いただけなのに、「戦争法案」としてレッテルを貼ることに余念がない。


テレビはNHKを筆頭にして安倍の記者会見と対峙(たいじ)するかのように、官邸周辺を取り巻く共産党と同じ主張の爺さん婆さんの発言を取り上げて大々的に報道する。NHKが煽るから官邸周辺には、ますます人が集まる。


そして老いた声で「戦争法案反対」の雄叫びだか雌叫びだかを得意げに上げる。そこには一般国民の常識のかけらも反映されず、一部政党の主張の請け売りだけが見られる。


「本当の戦争法案」を中国や北朝鮮が保持して、いつでも日本を核ミサイルで攻撃でき、隙あらば尖閣諸島を領有しようと虎視眈々と狙いを定めていることなどを無視するのは、「中国の原爆はよい原爆」と同じで、「他国の軍備増強はよいこと」なのであろうか。
 

そして専門家なる左翼・リベラル派が論理的でなく、極めて情緒的な発言をNHKなどで繰り返して風潮を煽る。内閣官房の元高官までが「今回の安保法制は地球上のあらゆる紛争に関与する法制である」などと唱える。まるで法律が出来れば戦争が始まるという「戦争法案」の主張だが、本当にそうか。


それなら米国と軍事同盟を結んでいる西欧諸国が集団的自衛権の名の下に東・南シナ海にまで出かけてきて戦争する用意を過去はともかく、いま現在しているのか。戦争の権限はいずれの国も最高指導者が保有しているが日本の場合首相・安倍晋三にそのような“戦争指向”が見られるのか。


安倍自身は記者会見で「湾岸戦争やイラク戦争に自衛隊を派遣することは絶対にない」と断言しているが、首相の発言を覆せる根拠を持って発言しているのか。安倍に質した上で発言をしているのか。安倍がヒットラーに変身でもしない限り、あり得ない事態を“風評”のごとくにまき散らすのはやめた方がよい。


結局は戦争するかしないかは選挙民がヒトラーを選出するかしないかにかかってくるのであり、ヒットラーが実践したようにその風潮があれば法改正などは訳はない。安倍は「安倍ちゃん」と親しげに呼ばれているのであり、「ヒットラー」にちゃんを付ける者はいまい。
 

専門家は「よその戦争にかかわっていないと日本の安全が守れないという理屈がさっぱり分からない」と強調するが、頭の働きをよくして物事を語れ。安保法制は「よその戦争」にかかわる為の攻撃的な性格ではない。


誰がどう見ても「戦争を事前に抑止するための法案」である。そのための世界の常識である集団的自衛権の導入である。中国は民主党政権時代に一時尖閣諸島をグレーゾーン事態で覆えないか漁船を派遣して探ったことがある。集団的自衛権すらもたず、グレーゾーン方式の戦略すら意識下になかった日本にちょっかいをかけたのである。


民主党政権のうろたえぶりを見れば、グレーゾーン化は可能と見てもおかしくはない。それを阻止するのが自民党政権による法整備である。
 

専門家は「自衛隊の海外での活動を歯止めなく拡大させる」とこれまた情緒的に主張するが、とんでもないこじつけである。安保法制には様々な歯止めがかかっており、その最大のものが国会の承認を前提とするものである。


政府が覇権を決めようが国会の承認が必要となれば、これ以上の歯止めはない。これに絡んで「恒久法を作れば米国からの要請を断りにくくなる」というが、戦後七十年の平和は法律でなく外交によって保たれてきたのであり、時の政権がやろうと思えばベトナム戦争だろうが何だろうが特措法を作って後方支援くらいはやることは出来た。


それをしない選択を歴代政権がとってきたからこそ、日本の平和が保たれたのである。国家の安全保障は法匪の如き狭い法律解釈によりかかって行うべきではない。
 

最後に「日本が戦争をする国になる」というが、この地球上に存在する限り、全ての国が戦争に巻き込まれる可能性があることくらいは世界史を見ればすぐに分かる。一国が平和主義だからと言って、好戦的な周辺国家が侵略の手を伸ばさない事などあり得ない。善意の国家ばかりではないのだ。


稚拙なる国際環境の変化無視の安保論議は、厳しい現実の前にすぐに崩れるのだ。朝日新聞は15日「一国平和ぼけ」の社説を掲載「この一線を越えさせるな」と真っ向から安保法制に反対する方針を鮮明にさせたが、「この一線を越えなければ平和は確保出来ない」。読売の「早期成立を図れ」が、まさに正解である。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月14日

◆官邸には橋下政治への思い入れが強い

杉浦 正章




「都構想敗北ー即辞任」に警戒感
 

女性というものはつくづく現実的な物の見方をするものだと思う。17日の大阪都構想をめぐる住民投票でも、自民党筋によると「区役所が遠くなる」という反対論が1番効いているそうだ。確かに市内の24行政区が5特別区に再編されるのだから「遠くなる」わけだ。


産経の調査では男性が賛否拮抗しているのに対して、女性は賛成34.2%、反対50%と大差がついている。どの社の調査も同様の傾向を示しており、どうも大阪都構想は女性が勝負のカギを握っているようだ。


危機感を感じた維新の党は12日、「都構想対策本部」(本部長・松木謙公)を立ち上げ、1000人規模の人員を大阪に派遣することを決めたが、選挙直前になって「対策本部」でもあるまい。おそらく焼け石に水で効果は上がるまい。
 

そこで敗北した場合にどうなるかだが、大阪市長・橋下徹は政治家を辞めると公言している。


テレビで「住民の皆さんの気持ちをくむのが政治家の仕事なわけだから、ここまで5年間精力かけてやってきたことが、大阪市民の皆さんに否定されるということは、政治家としてまったく能力がないということ。早々に政治家辞めないと、危なくてしょうがない。運転能力のない者がハンドル握るようなもんでね、早く辞めなきゃダメですよ」と政治家引退を表明した。


しかし「早々に辞める」がいつなのかはなお不透明だ。1月にも負けた場合の引退を表明しているがその際は「12月の市長の任期満了で引退し、国政転身もしない」という考えであった。橋下は大阪府知事選の際も「絶対出馬しない」と述べておきながら、一転出馬している。
 

ここで注目されるのは中央政界の思惑だ。もともと首相・安倍晋三と橋下の関係は良好だ。橋下は安倍が在野のころに、新党の党首になることを打診したと言われるほどだ。したがって首相官邸は橋下の都構想を応援している。

官房長官・菅義偉は「大阪の二重行政は、効率化を図るために大改革を進める必要がある」ともろ手を挙げて都構想に賛成だ。安倍も1月のテレビ番組では、「大阪都構想の意義はある」と述べたが、橋下は「うれしくてしょうがない」と応じている。

安倍は国会対策上も維新の必要を痛感しているようであり、時には公明党にかける比重を維新に移したりしてきた。現在も安保法制閣議決定の直前であり、自公の連立与党だけで突っ走るのでなく、維新の手も借りたいという戦略がある。与党だけで強行突破すれば出来ないこともないが、維新の主張も取り入れて一部修正すれば、世間体もよいのだ。
 

しかし自民党内は、共産党とすら手を組んでいる大阪府連からの突き上げで、一見官邸と党執行部との間で亀裂が走っているように見える。総務会長・二階俊博は「私自身、都構想に賛成や協力する気は毛頭ない」と述べるに至っている。


ただこの政府・与党の姿勢には“役割分担”の側面がありありと感じられる。安定政権の場合は、その芝居が可能となるケースが多いのだ。国対委員長・佐藤勉が記者会見で「いろんな意見があるが、齟齬(そご)をきたしている状況にはない。片方が突出すれば片方がいさめる。非常にいいやり取りだ」と述べているが、その通りだ。
 

そこで橋下が直ちに「政界引退」することになった場合だが、支柱を失って維新には遠心力が働く可能性が強い。分裂すれば、国会運営への首相官邸の思惑が通用しなくなる恐れもあるのだ。


したがって官邸の思惑としては、橋下が直ちに市長辞任に踏み切らずにいてくれることが一番よいのだ。少なくとも年末までの任期を全うし、来年の参院選挙への橋下出馬へとつなげられれば、最良であろう。


その場合は「憲法改正は絶対必要。安倍首相しかできない。できることはなんでもする」と述べている橋下の力を借りて、憲法改正の発議に必用な衆参両院の3分の2以上の賛成が可能となり得るのだ。


短期戦略では安保法制、長期戦略では憲法改正での協力体制を整えるには、橋下が簡単に政界を引退してもらっては困るのだ。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月13日

◆安保法制早期成立は歴史の王道

杉浦 正章




極東における戦争抑止に不可欠
 


賽(さい)は投げられ首相・安倍晋三はルビコンを渡ろうとしている。


1960年に祖父・岸信介が安保条約を改定して以来の与野党激突法案が俎上(そじょう)に上る。55年を経てみれば、岸が政治生命をかけた安保改定は日本の社会主義化を目指す勢力と自由主義を目指す勢力との最後の激突であったが、以後、日本が繁栄を謳歌(おうか)し、極東における戦争抑止に成功していることは、自民党政権の選択が正しかったことの左証となった。


今回も野党は安保関連法案について「戦後最大の法案だ」(民主党幹事長・枝野幸男)と位置づけて、激突も辞さぬ構えだ。しかし、世論は割れ、安保改定と異なり民主党が笛を吹いても踊る労組や学生運動はない。政府・与党が油断せず、慎重審議を重ねることによって今国会成立は十分可能となるだろう。
 

60年安保の時と表面的な構図は似ている。当時社会党は「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張したが、現在の民主党も同様の主張だ。


岸は60年1月にアイゼンハワーとの間で新安保条約に調印、安倍は4月の訪米で今夏の安保法制実現を明言した。


60年安保は5月になってから全学連の動きが急進化、同月19日の自民党による新安保条約の強行採決はこれに火をつけ岸退陣要求デモと変質した。新聞は朝日を先頭に在京全紙が猛反対で、朝日は、安保改定反対、岸内閣退陣の論陣を張って学生運動を煽った。


ところが、6月15日に安保反対デモ隊と警官隊の衝突で東大女子学生・樺美智子が死亡すると、一転した。朝日はそれまでしゃにむに反対の論陣を張っていた論説主幹の笠信太郎らが主導して「暴力を排し議会主義を守れ」という在京新聞7社の共同宣言を発するに至ったのだ。樺の死と、安保条約自然成立、岸退陣、池田政権発足で安保騒動は終焉した。
 

安倍は14日に安保法制を閣議決定して国会に提出、国会は本格論戦に入るが、現在の野党には国会の内外を呼応させて学生や労組を総動員して反対運動を展開する力はない。安保改定以来55年を経て、国際化の波が押し寄せ、安全保障に関しても一国平和主義がなり立つとする浮き世離れした概念が多くの国民の間で薄れた。


野党は苦し紛れのプロパガンダで安保法制を「日本が戦争する国になる」「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張している。しかし尖閣問題一つをとっても、構図は「日本の戦争にアメリカが巻き込まれる」のがことの本質である。


4月に決まった日米ガイドラインは、対中抑止を最大の狙いにしているが、この流れがなければ中国は漁民に扮装した武装勢力をとっくに尖閣諸島に送り込んでいたかも知れない。グレーゾーン事態を招いて既成事実を定着させるのが、最近の他国侵略の手法であるからだ。
 

そもそも安保法制反対派は中国が米軍事力に追いつけ追い超せとばかりに軍事費を増大させ、東・南シナ海に進出し、北朝鮮が核とミサイルを実用段階にまで発展させ、最近では潜水艦からのミサイル発射まで可能となっていることは、無視していてよいのか。


今そこにある脅威を無視して、日本が国連憲章が認める世界の常識である集団的自衛権の行使、それも「限定的行使」を容認するという極めて控えめな転換をするのが、それほど「危うい」(朝日社説)のだろうか。
 

改めて安保法制の重要ポイントを指摘すれば、日本の存立が脅かされる事態において(1)集団的自衛権を限定的に容認する(2)外国軍隊の後方支援を質的にも地理的にも拡大するの2点に尽きる。


その安保法制を概観しても、何処にも日本が他国に対して攻撃的な軍事行動をとる構図にはなっていない。むしろホルムズ海峡における機雷除去にせよ、同盟国へのミサイル阻止にせよ、グレーゾーン対処にせよ、全て「受け身」の対応が根本にある。
 

それすらも否定する勢力やマスコミは、天から平和が降って湧くという、戦後の一国平和主義の思想にいまだに染まっているとしか思えない。中国や北朝鮮が隣国にいるからと言って引っ越すわけにはいかないのだ。必要最小限の武力行使まで放棄すれば、中国や北朝鮮が尊敬してくれるとでも思っているのだろうか。


野党は、安倍が国会に法案を提出する前に米国で今夏の成立を表明したことを本末転倒として、審議拒否のとっかかりにしようとしているが、自民党は昨年末の総選挙の公約に掲げて、圧勝したのである。また安倍は訪米以前から通常国会での安保法制実現をたびたび公言しており、指摘は成り立たない。


早期に審議入りして、法制の問題点を質すのが野党の在り方であるはずだ。民主党が審議拒否なら、参加する政党だけで、審議を進めればよいことだ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年05月12日

◆中露法秩序無視が歴史認識かすませる

杉浦 正章



  “悪意の枢軸”による「擬似的冷戦」の構図は長期化する


このところ目まぐるしく展開する世界情勢を鳥瞰(ちょうかん)するなら、ナチスや日本軍と戦っていない中国共産党政権が、「戦後70年」をプロパガンダに活用しロシアに急接近し、米欧に対抗し始めたことであろう。


ロシアは北朝鮮にも急接近し、ロシアを軸とする中国、北朝鮮との「悪意の枢軸」を形作っている。


一方極東における日米関係は、首相・安倍晋三訪米によりその歴史上最も強い絆で結ばれ、豪州、インドとともに海洋覇権を目指す中国を抑止する構図が確立した。この「擬似的冷戦構図」ともいえる二つの潮流は、少なくとも10年単位の長期にわたりしのぎを削るものとなり、世界情勢に影響を及ぼし続けるだろう。


日米は70年前の歴史認識より、今そこにある法秩序の破壊を展開している国の動きにくさびを入れる国際世論を盛り上げるべきだろう。まずはモスクワの「対独戦勝70年式典」を米欧日首脳がボイコットしたように、9月の「抗日戦勝記念式典」を“不振”に終わらすのだ。
 

中露二国の接近はいわば「同病相哀れむ」の色彩を濃くしている。なぜなら両国とも国連憲章の定める法と秩序による世界平和の達成に真っ向から挑戦しているからだ。


ロシアはウクライナ侵攻へのごうごうたる世界世論の非難をどこ吹く風とばかりに、隙あらば軍事行動を本格化させる姿勢である。そればかりかプーチンは窮鼠猫をかむがごとくに核使用までほのめかしている。


一方で中国は、東・南シナ海への覇権行動を繰り返している。最近では東シナ海は安倍訪米で日米共同防衛の方向が確立した結果、容易に進出出来ないと見たか、矛先を軍事力の手薄な南シナ海に向け、過去4か月で埋め立てを4倍に拡大して、軍事拠点化を推し進めている。南シナ海は欧州のウクライナと同様にアジアの火薬庫としての色彩を深めている。
 

この中露2国による覇権行動はあの手この手の懐柔策が伴っており、巧みである。プーチンは、北方領土に解決策があるかの如き“そぶり”を安倍に見せて、日本が米ソ冷戦時のような形で米国に付くことを引き留めようとしている。


しかしクリミア半島を濡れ手で粟のごとくかすめ取り、プーチン支持率が天上をを突き抜けそうになっていることを目の辺りにして、今ロシアが北方領土で譲歩することはあり得ない。安倍はプーチンの“たらしこみ”にやすやすと乗ってはならない。


一方中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)でG7にくさびを打ち込んだ。イギリス、フランス、ドイツなどの加盟は日経・風見鶏が「渇して盗泉を飲む欧州」と形容したが、まさにその通りだ。もっとも米国はいくらNATOで軍事的結びつきがあるからと言って、その経済活動にまで口を出すことは難しい。欧州は中国とは日本のように安全保障問題に直面していないから、参加は無理もない。
 

日本は「武士は食わねど高楊枝」でネガティブな立場で静観するしかない。筆者が最初から指摘しているように、AIIBを巡る中国の思惑はその国内対策であるような気がしてならない。バブル崩壊が始まっているというのは既に通説であり、その対応策としての様相が強いからである。


高度経済成長を維持してきたけた外れの過剰生産能力を振り向けるのに絶好の材料となるからだ。振り向けなければバブルはのっぴきならぬ事態へと発展する。習近平は海と陸のシルクロードを一路一帯と称して大風呂敷を広げているが、中国内の過疎はどうして起きたかと言えば、人口の都市集中であり、これは高度経済成長にとって構造的に不可欠なものである。


そのシルクロードに沿った過疎地帯に莫大な投資をして利益がどうして上がるだろうか。極めて疑問である。つぎにシルクロードに面した世界的過疎国家群の存在である。やはりこれらの国々に莫大な投資をして、取得できる利益があるのだろうか。
 

習はアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行ったニューディール政策を意識しているのかもしれない。TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業を起こして恐慌克服に役立ったが、それを先取りしようとする思惑が見られるのだ。


しかし、まかり間違えば中国のバブルをユーラシア全域に及ぼしかねない側面がある。したがって日米が慎重に参加を見送っているのは賢明である。日本国内には元首相・福田康夫や村山富市のようにAIIBが何であるかも分からない内から参加の必用を説く盲目的親中派があるが、元首相たるものもう少し情報を集めて判断をしてもらいたいものである。
 

その習近平が、おそらくりつ然としたのが去る9日にモスクワで行われた「対独戦勝70年式典」だろう。9月3日に予定している「抗日戦勝記念式典」の“予行演習”で気勢を上げようともくろんでいたに違いないが、ウクライナへの軍事介入の余波で米欧日本がボイコットして、国際政治の厳しさをまざまざと見る羽目に陥ったのだ。


これは紛れもなく今そこにある安全保障問題が70年前の歴史認識に優先順位として勝(まさ)ったことを意味する。習にしてみれば抗日式典が、同様の有様になった場合など考えたくもないだろうが、事態の展開は甘くはない。


南沙諸島での埋め立てという領有化政策をどんどん進めて、まるでその竣工祝いのように、抗日戦争式典を催すことに世界がどう反応するかだ。おまけに中国共産党は抗日戦争で一線に立っていない。日本は国民党政権に負けたのであって、対日軍事行動を避けて逃げ回っていた中国共産党軍に負けたのではない。
 

安倍は70年記念行事にたじろぐ必要は無い。6月7,8日のドイツ・エルマウサミットで堂々と戦後日本の平和主義を主張し、過去70年間にウイグル侵攻、チベット侵攻、朝鮮戦争に介入、インドに侵攻して中印戦争、中ソ国境紛争、中越戦争と血塗られた好戦的国家・中国の姿と対比させるべきであろう。


さる15日に開かれた先進7か国(G7)外相会合が「海洋安全保障に関する外相宣言」を初めて取りまとめたことは成果であろう。この流れをサミットへと勢いづけ、極東においても今現実にある安保問題を歴史認識より優位に立たせて、中国のプロパガンダにクギを刺すべきであろう。

      <<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月30日

◆日米新潮流達成で安倍訪米外交の勝利

杉浦 正章

 

歴史認識は「おわび」なしを堅持
 


台頭する中国に対して、安全保障でも経済分野においても日米がトータルで優位を確保し、法を無視した海洋進出を厳しくけん制する方向が定まった。これは首相・安倍晋三の外交戦略が米国によって完全に受け入れられた事を意味し、外交上の勝利を達成したことに他ならない。


日米ガイドライン、首脳会談、上下両院における首相演説は、一貫してこの日米新潮流を確認したことになる。マスコミの視線はとかく「歴史認識」に絞られがちであり、中韓両国も日本の報道ぶりを見て今後も批判を繰り返すだろうが、安倍の歴史認識は議会のスタンディング・オーベーション(総立ちの拍手)によって支持された。とりわけ韓国はもういいかげんに矛を収めた方がよい。不毛の歴史論議からは何も生まれない。



上下両院合同会議における安倍演説で第一に注目されるべきは、やはり安全保障問題であろう。


安倍は日本の首相としては珍しく戦略的方向性を打ち出している。まず安倍はオバマのアジア回帰のリバランス政策を「徹頭徹尾支持する」と言明、米戦略と歩調を合わす方針を明確にするとともに、その原点となる「安保法制」について「夏までに必ず成立させる」と述べた。


これは発言が完全に対米公約となることを意識したものであり、野党の反発は覚悟の上での発言であろう。その上で安倍は「日本は豪州、インドと戦略的な関係を深め、ASEANや韓国と多面にわたる協力関係深める。日米同盟を基軸にこれらの仲間が加わると地域は格段と安定する」と述べた。


これと合わせて「太平洋からインド洋にかけての広い海は、自由と法の支配が貫徹する平和の海にしなければならない」と述べたが、これは明らかに日・米・豪・印を軸とする対中封じ込めの戦略である。
 

米国にとっては東アジアの最大の懸念は中国の台頭であり、これを何とかコントロールしたいというオバマの意図と合致する。イラク、アフガン戦争で疲弊した米国にとって、一国のみで中国に対峙(たいじ)することは、もはや困難な情勢に立ち至っており、そこに現れた安倍の積極的平和主義は“渡りに舟”であったに違いない。


経済問題にしても環太平洋経済連携協定(TPP)について安倍は「単なる経済的な利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義がある」と述べたが、これは国防相・カーターが「空母1隻と同じぐらい重要だ」と発言したのと軌を一にしている。


オバマは記者会見で「強い日米同盟が中国への挑発となるとは考えない」と“対中配慮”ともとれる発言をしているが、これはリップサービスに過ぎない。なぜならガイドラインを対中対峙路線に大きくかじを切りながら、中国の頭をなでるようなものだからだ。もちろん日米両国とも「挑発」などという大人げないことはしまいが、「けん制」と「対中包囲網」であることは火を見るより明らかだ。


NHKの解説委員・島田敏男らが例によって“非安倍”の立場から「尖閣でアメリカが何処までコミットするかがあいまい」などと我田引水型解説をしているが、米国が日米同盟強化に打って出た背景を理解できていない。


今後の日本の論議は、煎じ詰めれば今そこに存在する中国の脅威が見えている人と見えていない人の論議であり、中国の防空識別圏設定や領海侵犯が何を意味するか分かる人と分からない人との論議でもある。首脳会談でアジアインフラ銀行(AIIB)への慎重なる対処 を確認したのも当然である。


安倍が「公正なガバナンス」の必用を強調、オバマが、「多国間の融資機関を持つなら運用の基準が必要だ」と述べた事は、両首脳が一致して行動する方向の確認であり、一部にある米国の「抜け駆け」などはあり得ないことを意味する。筆者の見通し通りに当分参加見送りの線は動かない流れとなった。安保で対峙し、金融で同調することは現段階では矛盾の極みだ。
 

歴史認識について安倍は演説で、最近の発言である「深い反省」を1歩踏み込んで「痛切な反省」と言った。
「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省(feelings of deep remorse over the war)を胸に歩みを刻んだ」と発言した。


これは村山談話の一部を取り入れ、米国内に根強い「安倍リビジョニスト(歴史修正主義者)論」を強く意識したものであろう。しかし村山富市が出し小泉純一郎がそれをコピーした「植民地支配と侵略」「心からのおわび」には言及しなかった。


安倍は「自らの行いがアジア諸国の国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの思いは歴代首相と全く変わらない」と十把ひと絡げにするにとどまった。戦後70年、もうおわびを繰り返す時でもあるまい。この路線はちゅうちょなく8月の「首相談話」に反映すべきであろう。
 

今後野党が首脳会談を突くのはこの「おわびなし発言」と、「安保法制に先行するガイドライン改定」だろうが、いずれも重箱の隅をつつく論議にとどまり、8月には法制は実現するだろう。

【筆者より:連休休みに入ります。再開は5月12日より】

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月28日

◆対中抑止で世界規模軍事協力体制確立

   〜日米ガイドライン〜

杉浦 正章




地理的制約をなくし「双務性安保」に傾斜
 


平たく言えば中国はやぶをつついて蛇を出した。GDP1位と3位の日米が安全保障上の協力体制を画期的に強化拡大し、2位中国に対する抑止体制を確立した結果を招いたからだ。これは中国国家主席・習近平の海洋膨張政策の一大誤算である。


27日まとまった日米防衛協力の指針(ガイドライン)による1位と3位の圧倒的な軍事力は、その先進性と豪州との協力も相まって、欧州の軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)のレベルに近似するものへと変化した。


2国間の軍事協力体制としては、世界有数のレベルとなるだろう。国家の危機に瀕して対応すべきガイドラインはいうまでもなく対中抑止力として作用し、予見しうる将来、中国の東シナ海・尖閣諸島に対する野心は挫折得ざるを得ないだろう。中国による日米分断も不可能となった。
 

冷戦下の1978年に、旧ソ連による日本侵攻への対応を念頭に置いてつくられたガイドラインは、97年の改定では、北朝鮮の核開発疑惑などを受け、朝鮮半島有事など周辺事態での協力を盛り込んだ。そして今回の中国の膨張を強く意識したガイドラインは、日米安保条約の実効性を、日本の憲法の許容するぎりぎりの範囲にまで拡大した。


同条約は戦後片務条約として締結され、首相・安倍晋三の祖父・岸信介が60年に集団的自衛権の行使を前提とした双務性の強いものに変化させたが、当時は社会党などイデオロギー政党の力が強く、政府自民党は双務性を打ち出すのをためらってきた。


しかし中国公船や航空機による領海侵犯や、防空識別圏の設定、軍事的な威嚇行為という現実を前にして、もはや明確なる抑止力がない限り、領土領海の保全はなり立たない段階に立ち至った。朝日などが「安保条約の枠を越える」と批判を展開し始めており、一部野党もこれに追随するだろうが、本質は双務性の原点に戻っただけの話だ。
 

日米外務・防衛担当閣僚(2プラス2)がニューヨークでまとめた新ガイドラインの核は、自衛隊の活動に地理的な制約をなくし、世界的な規模で米軍支援を可能にするところにある。存立危機事態では自衛隊はホルムズ海峡など海上交通路での機雷掃海を行うと明記された。当然中国が南シナ海で機雷を敷設した場合にも準用される。


自衛隊の活動も大幅に拡大され、集団的自衛権を行使する場合の協力項目として弾道ミサイルが米国に向けた発射された場合の即応体制も可能となった。日本を防衛する米軍を自衛隊が守る「アセット(装備品)防護」も新設した。


漁民を使った尖閣諸島占拠などグレーゾーン事態に対しても日米協力体制が整った。また集団的自衛権の行使は米国に対してのみ適用されるのではなく、豪州など密接な国への対処も盛り込まれた。
 

総じてガイドラインは日米安保体制に基づき、アジア・太平洋における紛争の抑止と対応の機能を、平時、有事の切れ目なく果たしうるものへと拡大強化された。これは岸が改訂した時の趣旨に沿ったものであり、半世紀以上かかって日米軍事同盟は普通の国が行っている同盟関係に近づいたことになる。


国内では左翼を中心に「アメリカの戦争に巻き込まれる」とする議論が盛んだが、これは全く逆だ。中国が尖閣諸島に触手を伸ばした場合は、アメリカを必ず相手にせざるを得なくなることが、文書で確立したのであり、戦争に巻き込まれる確率は一段と下げられることになるからだ。


相手の戦意をなくすことが抑止力の基本であり、ガイドラインはその基本に忠実に沿ったものである。ガイドラインの基調に他国への“攻撃性”強化の色彩は見られず、主として「対中抑止」にとどまっていることも重要ポイントだろう。
 

ホルムズ海峡での掃海活動の明記は、湾岸戦争以来の「対日安保ただ乗り論」を強く意識したものだろう。130億ドルという巨額な資金を提供しながら、国際社会から日本の貢献を無視されたトラウマが、今回の新ガイドラインに強く反映されているのである。


その意味では4半世紀を経てようやく日本も、普通の国としての体裁を整えてきたことになる。日本の存立が脅かされるような事態において、自衛隊の後方支援活動に地理的な制約をなくすことは、画期的なルールの変更である。
 

ガイドラインの作成が、安保法制に先だって行われたことは、筆者も順序が逆ではないかと思えるが、東・南シナ海における中国の進出は切迫しており、日米に気運が高まった時点で一刻も早くまとめたいという方針も無理からぬものがある。


ガイドラインは法律でも条約でもない安保政策上の「指針」であり、法律が定まらない内の合意はぎりぎりの許容範囲であろう。


例えば安保法制が真逆の方向に定まれば、政策の意図表明であるガイドラインは失効するが、圧倒的な自公勢力は予定通り延長国会の会期内に成立を図るだろうし、そうするべきだ。通常国会は会期の再延長はできないから、余裕を持った延長期間の設定が必用だ。


日米首脳は28日ガイドラインに沿って安保協力の強化を確認する。このうち中心となる「日米共同ビジョン声明」は、ガイドラインについて「力による一方的な現状変更によって主権や領土の一体性を損なう行動は国際的な秩序に対する挑戦となっている」と対中けん制色の強いものとなる方向だ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)