2015年05月15日

◆「一国平和ぼけ」の反対論を戒める

杉浦 正章




中国の原爆はいまでもよい原爆か
 

60年安保改訂に匹敵する重要法案の国会提出である。外国軍隊への後方支援のための新たな恒久法「国際平和支援法案」と、自衛隊法など10の法改正を一括して1本の法案にまとめた「平和安全法制整備法案」の合わせて2本が、俎上(そじょう)に上る。


既に国会内外では激しい舌戦が展開されているが、反対派の主張を分析すればするほど何の変化もない一国平和主義に基づく十年一日の如き論議の繰り返しであることが分かる。国連憲章の中核である集団的自衛権の行使をなんで日本だけが行使してはならないかを明快に説いた野党やリベラル派の評論にお目にかかったことがない。
 

かつて共産党や社会党には中国の核実験は正しいと論ずる風潮があった。1964年10月30日の参議院予算委員会で日本共産党所属の岩間正男は、中国による原爆製造について「世界の四分の一の人口を持つ社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。


元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。」と発言、当時ですらひんしゅくを買うどころかあっけにとられた経緯がある。


「中国の原爆はよい原爆」論である。それと同じように周辺諸国においては集団的自衛権の行使などは論議以前の当然の権利であり、いつでも集団的自衛権にかこつけて日本攻撃に活用出来る態勢が整っていることなどはとんと気にも留めない。
 

要するに日本だけが、ちまちました「集団的自衛権の限定的な行使」にようやくたどり着いただけなのに、「戦争法案」としてレッテルを貼ることに余念がない。


テレビはNHKを筆頭にして安倍の記者会見と対峙(たいじ)するかのように、官邸周辺を取り巻く共産党と同じ主張の爺さん婆さんの発言を取り上げて大々的に報道する。NHKが煽るから官邸周辺には、ますます人が集まる。


そして老いた声で「戦争法案反対」の雄叫びだか雌叫びだかを得意げに上げる。そこには一般国民の常識のかけらも反映されず、一部政党の主張の請け売りだけが見られる。


「本当の戦争法案」を中国や北朝鮮が保持して、いつでも日本を核ミサイルで攻撃でき、隙あらば尖閣諸島を領有しようと虎視眈々と狙いを定めていることなどを無視するのは、「中国の原爆はよい原爆」と同じで、「他国の軍備増強はよいこと」なのであろうか。
 

そして専門家なる左翼・リベラル派が論理的でなく、極めて情緒的な発言をNHKなどで繰り返して風潮を煽る。内閣官房の元高官までが「今回の安保法制は地球上のあらゆる紛争に関与する法制である」などと唱える。まるで法律が出来れば戦争が始まるという「戦争法案」の主張だが、本当にそうか。


それなら米国と軍事同盟を結んでいる西欧諸国が集団的自衛権の名の下に東・南シナ海にまで出かけてきて戦争する用意を過去はともかく、いま現在しているのか。戦争の権限はいずれの国も最高指導者が保有しているが日本の場合首相・安倍晋三にそのような“戦争指向”が見られるのか。


安倍自身は記者会見で「湾岸戦争やイラク戦争に自衛隊を派遣することは絶対にない」と断言しているが、首相の発言を覆せる根拠を持って発言しているのか。安倍に質した上で発言をしているのか。安倍がヒットラーに変身でもしない限り、あり得ない事態を“風評”のごとくにまき散らすのはやめた方がよい。


結局は戦争するかしないかは選挙民がヒトラーを選出するかしないかにかかってくるのであり、ヒットラーが実践したようにその風潮があれば法改正などは訳はない。安倍は「安倍ちゃん」と親しげに呼ばれているのであり、「ヒットラー」にちゃんを付ける者はいまい。
 

専門家は「よその戦争にかかわっていないと日本の安全が守れないという理屈がさっぱり分からない」と強調するが、頭の働きをよくして物事を語れ。安保法制は「よその戦争」にかかわる為の攻撃的な性格ではない。


誰がどう見ても「戦争を事前に抑止するための法案」である。そのための世界の常識である集団的自衛権の導入である。中国は民主党政権時代に一時尖閣諸島をグレーゾーン事態で覆えないか漁船を派遣して探ったことがある。集団的自衛権すらもたず、グレーゾーン方式の戦略すら意識下になかった日本にちょっかいをかけたのである。


民主党政権のうろたえぶりを見れば、グレーゾーン化は可能と見てもおかしくはない。それを阻止するのが自民党政権による法整備である。
 

専門家は「自衛隊の海外での活動を歯止めなく拡大させる」とこれまた情緒的に主張するが、とんでもないこじつけである。安保法制には様々な歯止めがかかっており、その最大のものが国会の承認を前提とするものである。


政府が覇権を決めようが国会の承認が必要となれば、これ以上の歯止めはない。これに絡んで「恒久法を作れば米国からの要請を断りにくくなる」というが、戦後七十年の平和は法律でなく外交によって保たれてきたのであり、時の政権がやろうと思えばベトナム戦争だろうが何だろうが特措法を作って後方支援くらいはやることは出来た。


それをしない選択を歴代政権がとってきたからこそ、日本の平和が保たれたのである。国家の安全保障は法匪の如き狭い法律解釈によりかかって行うべきではない。
 

最後に「日本が戦争をする国になる」というが、この地球上に存在する限り、全ての国が戦争に巻き込まれる可能性があることくらいは世界史を見ればすぐに分かる。一国が平和主義だからと言って、好戦的な周辺国家が侵略の手を伸ばさない事などあり得ない。善意の国家ばかりではないのだ。


稚拙なる国際環境の変化無視の安保論議は、厳しい現実の前にすぐに崩れるのだ。朝日新聞は15日「一国平和ぼけ」の社説を掲載「この一線を越えさせるな」と真っ向から安保法制に反対する方針を鮮明にさせたが、「この一線を越えなければ平和は確保出来ない」。読売の「早期成立を図れ」が、まさに正解である。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月14日

◆官邸には橋下政治への思い入れが強い

杉浦 正章




「都構想敗北ー即辞任」に警戒感
 

女性というものはつくづく現実的な物の見方をするものだと思う。17日の大阪都構想をめぐる住民投票でも、自民党筋によると「区役所が遠くなる」という反対論が1番効いているそうだ。確かに市内の24行政区が5特別区に再編されるのだから「遠くなる」わけだ。


産経の調査では男性が賛否拮抗しているのに対して、女性は賛成34.2%、反対50%と大差がついている。どの社の調査も同様の傾向を示しており、どうも大阪都構想は女性が勝負のカギを握っているようだ。


危機感を感じた維新の党は12日、「都構想対策本部」(本部長・松木謙公)を立ち上げ、1000人規模の人員を大阪に派遣することを決めたが、選挙直前になって「対策本部」でもあるまい。おそらく焼け石に水で効果は上がるまい。
 

そこで敗北した場合にどうなるかだが、大阪市長・橋下徹は政治家を辞めると公言している。


テレビで「住民の皆さんの気持ちをくむのが政治家の仕事なわけだから、ここまで5年間精力かけてやってきたことが、大阪市民の皆さんに否定されるということは、政治家としてまったく能力がないということ。早々に政治家辞めないと、危なくてしょうがない。運転能力のない者がハンドル握るようなもんでね、早く辞めなきゃダメですよ」と政治家引退を表明した。


しかし「早々に辞める」がいつなのかはなお不透明だ。1月にも負けた場合の引退を表明しているがその際は「12月の市長の任期満了で引退し、国政転身もしない」という考えであった。橋下は大阪府知事選の際も「絶対出馬しない」と述べておきながら、一転出馬している。
 

ここで注目されるのは中央政界の思惑だ。もともと首相・安倍晋三と橋下の関係は良好だ。橋下は安倍が在野のころに、新党の党首になることを打診したと言われるほどだ。したがって首相官邸は橋下の都構想を応援している。

官房長官・菅義偉は「大阪の二重行政は、効率化を図るために大改革を進める必要がある」ともろ手を挙げて都構想に賛成だ。安倍も1月のテレビ番組では、「大阪都構想の意義はある」と述べたが、橋下は「うれしくてしょうがない」と応じている。

安倍は国会対策上も維新の必要を痛感しているようであり、時には公明党にかける比重を維新に移したりしてきた。現在も安保法制閣議決定の直前であり、自公の連立与党だけで突っ走るのでなく、維新の手も借りたいという戦略がある。与党だけで強行突破すれば出来ないこともないが、維新の主張も取り入れて一部修正すれば、世間体もよいのだ。
 

しかし自民党内は、共産党とすら手を組んでいる大阪府連からの突き上げで、一見官邸と党執行部との間で亀裂が走っているように見える。総務会長・二階俊博は「私自身、都構想に賛成や協力する気は毛頭ない」と述べるに至っている。


ただこの政府・与党の姿勢には“役割分担”の側面がありありと感じられる。安定政権の場合は、その芝居が可能となるケースが多いのだ。国対委員長・佐藤勉が記者会見で「いろんな意見があるが、齟齬(そご)をきたしている状況にはない。片方が突出すれば片方がいさめる。非常にいいやり取りだ」と述べているが、その通りだ。
 

そこで橋下が直ちに「政界引退」することになった場合だが、支柱を失って維新には遠心力が働く可能性が強い。分裂すれば、国会運営への首相官邸の思惑が通用しなくなる恐れもあるのだ。


したがって官邸の思惑としては、橋下が直ちに市長辞任に踏み切らずにいてくれることが一番よいのだ。少なくとも年末までの任期を全うし、来年の参院選挙への橋下出馬へとつなげられれば、最良であろう。


その場合は「憲法改正は絶対必要。安倍首相しかできない。できることはなんでもする」と述べている橋下の力を借りて、憲法改正の発議に必用な衆参両院の3分の2以上の賛成が可能となり得るのだ。


短期戦略では安保法制、長期戦略では憲法改正での協力体制を整えるには、橋下が簡単に政界を引退してもらっては困るのだ。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月13日

◆安保法制早期成立は歴史の王道

杉浦 正章




極東における戦争抑止に不可欠
 


賽(さい)は投げられ首相・安倍晋三はルビコンを渡ろうとしている。


1960年に祖父・岸信介が安保条約を改定して以来の与野党激突法案が俎上(そじょう)に上る。55年を経てみれば、岸が政治生命をかけた安保改定は日本の社会主義化を目指す勢力と自由主義を目指す勢力との最後の激突であったが、以後、日本が繁栄を謳歌(おうか)し、極東における戦争抑止に成功していることは、自民党政権の選択が正しかったことの左証となった。


今回も野党は安保関連法案について「戦後最大の法案だ」(民主党幹事長・枝野幸男)と位置づけて、激突も辞さぬ構えだ。しかし、世論は割れ、安保改定と異なり民主党が笛を吹いても踊る労組や学生運動はない。政府・与党が油断せず、慎重審議を重ねることによって今国会成立は十分可能となるだろう。
 

60年安保の時と表面的な構図は似ている。当時社会党は「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張したが、現在の民主党も同様の主張だ。


岸は60年1月にアイゼンハワーとの間で新安保条約に調印、安倍は4月の訪米で今夏の安保法制実現を明言した。


60年安保は5月になってから全学連の動きが急進化、同月19日の自民党による新安保条約の強行採決はこれに火をつけ岸退陣要求デモと変質した。新聞は朝日を先頭に在京全紙が猛反対で、朝日は、安保改定反対、岸内閣退陣の論陣を張って学生運動を煽った。


ところが、6月15日に安保反対デモ隊と警官隊の衝突で東大女子学生・樺美智子が死亡すると、一転した。朝日はそれまでしゃにむに反対の論陣を張っていた論説主幹の笠信太郎らが主導して「暴力を排し議会主義を守れ」という在京新聞7社の共同宣言を発するに至ったのだ。樺の死と、安保条約自然成立、岸退陣、池田政権発足で安保騒動は終焉した。
 

安倍は14日に安保法制を閣議決定して国会に提出、国会は本格論戦に入るが、現在の野党には国会の内外を呼応させて学生や労組を総動員して反対運動を展開する力はない。安保改定以来55年を経て、国際化の波が押し寄せ、安全保障に関しても一国平和主義がなり立つとする浮き世離れした概念が多くの国民の間で薄れた。


野党は苦し紛れのプロパガンダで安保法制を「日本が戦争する国になる」「他国の戦争に巻き込まれる国になる」と主張している。しかし尖閣問題一つをとっても、構図は「日本の戦争にアメリカが巻き込まれる」のがことの本質である。


4月に決まった日米ガイドラインは、対中抑止を最大の狙いにしているが、この流れがなければ中国は漁民に扮装した武装勢力をとっくに尖閣諸島に送り込んでいたかも知れない。グレーゾーン事態を招いて既成事実を定着させるのが、最近の他国侵略の手法であるからだ。
 

そもそも安保法制反対派は中国が米軍事力に追いつけ追い超せとばかりに軍事費を増大させ、東・南シナ海に進出し、北朝鮮が核とミサイルを実用段階にまで発展させ、最近では潜水艦からのミサイル発射まで可能となっていることは、無視していてよいのか。


今そこにある脅威を無視して、日本が国連憲章が認める世界の常識である集団的自衛権の行使、それも「限定的行使」を容認するという極めて控えめな転換をするのが、それほど「危うい」(朝日社説)のだろうか。
 

改めて安保法制の重要ポイントを指摘すれば、日本の存立が脅かされる事態において(1)集団的自衛権を限定的に容認する(2)外国軍隊の後方支援を質的にも地理的にも拡大するの2点に尽きる。


その安保法制を概観しても、何処にも日本が他国に対して攻撃的な軍事行動をとる構図にはなっていない。むしろホルムズ海峡における機雷除去にせよ、同盟国へのミサイル阻止にせよ、グレーゾーン対処にせよ、全て「受け身」の対応が根本にある。
 

それすらも否定する勢力やマスコミは、天から平和が降って湧くという、戦後の一国平和主義の思想にいまだに染まっているとしか思えない。中国や北朝鮮が隣国にいるからと言って引っ越すわけにはいかないのだ。必要最小限の武力行使まで放棄すれば、中国や北朝鮮が尊敬してくれるとでも思っているのだろうか。


野党は、安倍が国会に法案を提出する前に米国で今夏の成立を表明したことを本末転倒として、審議拒否のとっかかりにしようとしているが、自民党は昨年末の総選挙の公約に掲げて、圧勝したのである。また安倍は訪米以前から通常国会での安保法制実現をたびたび公言しており、指摘は成り立たない。


早期に審議入りして、法制の問題点を質すのが野党の在り方であるはずだ。民主党が審議拒否なら、参加する政党だけで、審議を進めればよいことだ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年05月12日

◆中露法秩序無視が歴史認識かすませる

杉浦 正章



  “悪意の枢軸”による「擬似的冷戦」の構図は長期化する


このところ目まぐるしく展開する世界情勢を鳥瞰(ちょうかん)するなら、ナチスや日本軍と戦っていない中国共産党政権が、「戦後70年」をプロパガンダに活用しロシアに急接近し、米欧に対抗し始めたことであろう。


ロシアは北朝鮮にも急接近し、ロシアを軸とする中国、北朝鮮との「悪意の枢軸」を形作っている。


一方極東における日米関係は、首相・安倍晋三訪米によりその歴史上最も強い絆で結ばれ、豪州、インドとともに海洋覇権を目指す中国を抑止する構図が確立した。この「擬似的冷戦構図」ともいえる二つの潮流は、少なくとも10年単位の長期にわたりしのぎを削るものとなり、世界情勢に影響を及ぼし続けるだろう。


日米は70年前の歴史認識より、今そこにある法秩序の破壊を展開している国の動きにくさびを入れる国際世論を盛り上げるべきだろう。まずはモスクワの「対独戦勝70年式典」を米欧日首脳がボイコットしたように、9月の「抗日戦勝記念式典」を“不振”に終わらすのだ。
 

中露二国の接近はいわば「同病相哀れむ」の色彩を濃くしている。なぜなら両国とも国連憲章の定める法と秩序による世界平和の達成に真っ向から挑戦しているからだ。


ロシアはウクライナ侵攻へのごうごうたる世界世論の非難をどこ吹く風とばかりに、隙あらば軍事行動を本格化させる姿勢である。そればかりかプーチンは窮鼠猫をかむがごとくに核使用までほのめかしている。


一方で中国は、東・南シナ海への覇権行動を繰り返している。最近では東シナ海は安倍訪米で日米共同防衛の方向が確立した結果、容易に進出出来ないと見たか、矛先を軍事力の手薄な南シナ海に向け、過去4か月で埋め立てを4倍に拡大して、軍事拠点化を推し進めている。南シナ海は欧州のウクライナと同様にアジアの火薬庫としての色彩を深めている。
 

この中露2国による覇権行動はあの手この手の懐柔策が伴っており、巧みである。プーチンは、北方領土に解決策があるかの如き“そぶり”を安倍に見せて、日本が米ソ冷戦時のような形で米国に付くことを引き留めようとしている。


しかしクリミア半島を濡れ手で粟のごとくかすめ取り、プーチン支持率が天上をを突き抜けそうになっていることを目の辺りにして、今ロシアが北方領土で譲歩することはあり得ない。安倍はプーチンの“たらしこみ”にやすやすと乗ってはならない。


一方中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)でG7にくさびを打ち込んだ。イギリス、フランス、ドイツなどの加盟は日経・風見鶏が「渇して盗泉を飲む欧州」と形容したが、まさにその通りだ。もっとも米国はいくらNATOで軍事的結びつきがあるからと言って、その経済活動にまで口を出すことは難しい。欧州は中国とは日本のように安全保障問題に直面していないから、参加は無理もない。
 

日本は「武士は食わねど高楊枝」でネガティブな立場で静観するしかない。筆者が最初から指摘しているように、AIIBを巡る中国の思惑はその国内対策であるような気がしてならない。バブル崩壊が始まっているというのは既に通説であり、その対応策としての様相が強いからである。


高度経済成長を維持してきたけた外れの過剰生産能力を振り向けるのに絶好の材料となるからだ。振り向けなければバブルはのっぴきならぬ事態へと発展する。習近平は海と陸のシルクロードを一路一帯と称して大風呂敷を広げているが、中国内の過疎はどうして起きたかと言えば、人口の都市集中であり、これは高度経済成長にとって構造的に不可欠なものである。


そのシルクロードに沿った過疎地帯に莫大な投資をして利益がどうして上がるだろうか。極めて疑問である。つぎにシルクロードに面した世界的過疎国家群の存在である。やはりこれらの国々に莫大な投資をして、取得できる利益があるのだろうか。
 

習はアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行ったニューディール政策を意識しているのかもしれない。TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業を起こして恐慌克服に役立ったが、それを先取りしようとする思惑が見られるのだ。


しかし、まかり間違えば中国のバブルをユーラシア全域に及ぼしかねない側面がある。したがって日米が慎重に参加を見送っているのは賢明である。日本国内には元首相・福田康夫や村山富市のようにAIIBが何であるかも分からない内から参加の必用を説く盲目的親中派があるが、元首相たるものもう少し情報を集めて判断をしてもらいたいものである。
 

その習近平が、おそらくりつ然としたのが去る9日にモスクワで行われた「対独戦勝70年式典」だろう。9月3日に予定している「抗日戦勝記念式典」の“予行演習”で気勢を上げようともくろんでいたに違いないが、ウクライナへの軍事介入の余波で米欧日本がボイコットして、国際政治の厳しさをまざまざと見る羽目に陥ったのだ。


これは紛れもなく今そこにある安全保障問題が70年前の歴史認識に優先順位として勝(まさ)ったことを意味する。習にしてみれば抗日式典が、同様の有様になった場合など考えたくもないだろうが、事態の展開は甘くはない。


南沙諸島での埋め立てという領有化政策をどんどん進めて、まるでその竣工祝いのように、抗日戦争式典を催すことに世界がどう反応するかだ。おまけに中国共産党は抗日戦争で一線に立っていない。日本は国民党政権に負けたのであって、対日軍事行動を避けて逃げ回っていた中国共産党軍に負けたのではない。
 

安倍は70年記念行事にたじろぐ必要は無い。6月7,8日のドイツ・エルマウサミットで堂々と戦後日本の平和主義を主張し、過去70年間にウイグル侵攻、チベット侵攻、朝鮮戦争に介入、インドに侵攻して中印戦争、中ソ国境紛争、中越戦争と血塗られた好戦的国家・中国の姿と対比させるべきであろう。


さる15日に開かれた先進7か国(G7)外相会合が「海洋安全保障に関する外相宣言」を初めて取りまとめたことは成果であろう。この流れをサミットへと勢いづけ、極東においても今現実にある安保問題を歴史認識より優位に立たせて、中国のプロパガンダにクギを刺すべきであろう。

      <<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月30日

◆日米新潮流達成で安倍訪米外交の勝利

杉浦 正章

 

歴史認識は「おわび」なしを堅持
 


台頭する中国に対して、安全保障でも経済分野においても日米がトータルで優位を確保し、法を無視した海洋進出を厳しくけん制する方向が定まった。これは首相・安倍晋三の外交戦略が米国によって完全に受け入れられた事を意味し、外交上の勝利を達成したことに他ならない。


日米ガイドライン、首脳会談、上下両院における首相演説は、一貫してこの日米新潮流を確認したことになる。マスコミの視線はとかく「歴史認識」に絞られがちであり、中韓両国も日本の報道ぶりを見て今後も批判を繰り返すだろうが、安倍の歴史認識は議会のスタンディング・オーベーション(総立ちの拍手)によって支持された。とりわけ韓国はもういいかげんに矛を収めた方がよい。不毛の歴史論議からは何も生まれない。



上下両院合同会議における安倍演説で第一に注目されるべきは、やはり安全保障問題であろう。


安倍は日本の首相としては珍しく戦略的方向性を打ち出している。まず安倍はオバマのアジア回帰のリバランス政策を「徹頭徹尾支持する」と言明、米戦略と歩調を合わす方針を明確にするとともに、その原点となる「安保法制」について「夏までに必ず成立させる」と述べた。


これは発言が完全に対米公約となることを意識したものであり、野党の反発は覚悟の上での発言であろう。その上で安倍は「日本は豪州、インドと戦略的な関係を深め、ASEANや韓国と多面にわたる協力関係深める。日米同盟を基軸にこれらの仲間が加わると地域は格段と安定する」と述べた。


これと合わせて「太平洋からインド洋にかけての広い海は、自由と法の支配が貫徹する平和の海にしなければならない」と述べたが、これは明らかに日・米・豪・印を軸とする対中封じ込めの戦略である。
 

米国にとっては東アジアの最大の懸念は中国の台頭であり、これを何とかコントロールしたいというオバマの意図と合致する。イラク、アフガン戦争で疲弊した米国にとって、一国のみで中国に対峙(たいじ)することは、もはや困難な情勢に立ち至っており、そこに現れた安倍の積極的平和主義は“渡りに舟”であったに違いない。


経済問題にしても環太平洋経済連携協定(TPP)について安倍は「単なる経済的な利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義がある」と述べたが、これは国防相・カーターが「空母1隻と同じぐらい重要だ」と発言したのと軌を一にしている。


オバマは記者会見で「強い日米同盟が中国への挑発となるとは考えない」と“対中配慮”ともとれる発言をしているが、これはリップサービスに過ぎない。なぜならガイドラインを対中対峙路線に大きくかじを切りながら、中国の頭をなでるようなものだからだ。もちろん日米両国とも「挑発」などという大人げないことはしまいが、「けん制」と「対中包囲網」であることは火を見るより明らかだ。


NHKの解説委員・島田敏男らが例によって“非安倍”の立場から「尖閣でアメリカが何処までコミットするかがあいまい」などと我田引水型解説をしているが、米国が日米同盟強化に打って出た背景を理解できていない。


今後の日本の論議は、煎じ詰めれば今そこに存在する中国の脅威が見えている人と見えていない人の論議であり、中国の防空識別圏設定や領海侵犯が何を意味するか分かる人と分からない人との論議でもある。首脳会談でアジアインフラ銀行(AIIB)への慎重なる対処 を確認したのも当然である。


安倍が「公正なガバナンス」の必用を強調、オバマが、「多国間の融資機関を持つなら運用の基準が必要だ」と述べた事は、両首脳が一致して行動する方向の確認であり、一部にある米国の「抜け駆け」などはあり得ないことを意味する。筆者の見通し通りに当分参加見送りの線は動かない流れとなった。安保で対峙し、金融で同調することは現段階では矛盾の極みだ。
 

歴史認識について安倍は演説で、最近の発言である「深い反省」を1歩踏み込んで「痛切な反省」と言った。
「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省(feelings of deep remorse over the war)を胸に歩みを刻んだ」と発言した。


これは村山談話の一部を取り入れ、米国内に根強い「安倍リビジョニスト(歴史修正主義者)論」を強く意識したものであろう。しかし村山富市が出し小泉純一郎がそれをコピーした「植民地支配と侵略」「心からのおわび」には言及しなかった。


安倍は「自らの行いがアジア諸国の国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの思いは歴代首相と全く変わらない」と十把ひと絡げにするにとどまった。戦後70年、もうおわびを繰り返す時でもあるまい。この路線はちゅうちょなく8月の「首相談話」に反映すべきであろう。
 

今後野党が首脳会談を突くのはこの「おわびなし発言」と、「安保法制に先行するガイドライン改定」だろうが、いずれも重箱の隅をつつく論議にとどまり、8月には法制は実現するだろう。

【筆者より:連休休みに入ります。再開は5月12日より】

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月28日

◆対中抑止で世界規模軍事協力体制確立

   〜日米ガイドライン〜

杉浦 正章




地理的制約をなくし「双務性安保」に傾斜
 


平たく言えば中国はやぶをつついて蛇を出した。GDP1位と3位の日米が安全保障上の協力体制を画期的に強化拡大し、2位中国に対する抑止体制を確立した結果を招いたからだ。これは中国国家主席・習近平の海洋膨張政策の一大誤算である。


27日まとまった日米防衛協力の指針(ガイドライン)による1位と3位の圧倒的な軍事力は、その先進性と豪州との協力も相まって、欧州の軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)のレベルに近似するものへと変化した。


2国間の軍事協力体制としては、世界有数のレベルとなるだろう。国家の危機に瀕して対応すべきガイドラインはいうまでもなく対中抑止力として作用し、予見しうる将来、中国の東シナ海・尖閣諸島に対する野心は挫折得ざるを得ないだろう。中国による日米分断も不可能となった。
 

冷戦下の1978年に、旧ソ連による日本侵攻への対応を念頭に置いてつくられたガイドラインは、97年の改定では、北朝鮮の核開発疑惑などを受け、朝鮮半島有事など周辺事態での協力を盛り込んだ。そして今回の中国の膨張を強く意識したガイドラインは、日米安保条約の実効性を、日本の憲法の許容するぎりぎりの範囲にまで拡大した。


同条約は戦後片務条約として締結され、首相・安倍晋三の祖父・岸信介が60年に集団的自衛権の行使を前提とした双務性の強いものに変化させたが、当時は社会党などイデオロギー政党の力が強く、政府自民党は双務性を打ち出すのをためらってきた。


しかし中国公船や航空機による領海侵犯や、防空識別圏の設定、軍事的な威嚇行為という現実を前にして、もはや明確なる抑止力がない限り、領土領海の保全はなり立たない段階に立ち至った。朝日などが「安保条約の枠を越える」と批判を展開し始めており、一部野党もこれに追随するだろうが、本質は双務性の原点に戻っただけの話だ。
 

日米外務・防衛担当閣僚(2プラス2)がニューヨークでまとめた新ガイドラインの核は、自衛隊の活動に地理的な制約をなくし、世界的な規模で米軍支援を可能にするところにある。存立危機事態では自衛隊はホルムズ海峡など海上交通路での機雷掃海を行うと明記された。当然中国が南シナ海で機雷を敷設した場合にも準用される。


自衛隊の活動も大幅に拡大され、集団的自衛権を行使する場合の協力項目として弾道ミサイルが米国に向けた発射された場合の即応体制も可能となった。日本を防衛する米軍を自衛隊が守る「アセット(装備品)防護」も新設した。


漁民を使った尖閣諸島占拠などグレーゾーン事態に対しても日米協力体制が整った。また集団的自衛権の行使は米国に対してのみ適用されるのではなく、豪州など密接な国への対処も盛り込まれた。
 

総じてガイドラインは日米安保体制に基づき、アジア・太平洋における紛争の抑止と対応の機能を、平時、有事の切れ目なく果たしうるものへと拡大強化された。これは岸が改訂した時の趣旨に沿ったものであり、半世紀以上かかって日米軍事同盟は普通の国が行っている同盟関係に近づいたことになる。


国内では左翼を中心に「アメリカの戦争に巻き込まれる」とする議論が盛んだが、これは全く逆だ。中国が尖閣諸島に触手を伸ばした場合は、アメリカを必ず相手にせざるを得なくなることが、文書で確立したのであり、戦争に巻き込まれる確率は一段と下げられることになるからだ。


相手の戦意をなくすことが抑止力の基本であり、ガイドラインはその基本に忠実に沿ったものである。ガイドラインの基調に他国への“攻撃性”強化の色彩は見られず、主として「対中抑止」にとどまっていることも重要ポイントだろう。
 

ホルムズ海峡での掃海活動の明記は、湾岸戦争以来の「対日安保ただ乗り論」を強く意識したものだろう。130億ドルという巨額な資金を提供しながら、国際社会から日本の貢献を無視されたトラウマが、今回の新ガイドラインに強く反映されているのである。


その意味では4半世紀を経てようやく日本も、普通の国としての体裁を整えてきたことになる。日本の存立が脅かされるような事態において、自衛隊の後方支援活動に地理的な制約をなくすことは、画期的なルールの変更である。
 

ガイドラインの作成が、安保法制に先だって行われたことは、筆者も順序が逆ではないかと思えるが、東・南シナ海における中国の進出は切迫しており、日米に気運が高まった時点で一刻も早くまとめたいという方針も無理からぬものがある。


ガイドラインは法律でも条約でもない安保政策上の「指針」であり、法律が定まらない内の合意はぎりぎりの許容範囲であろう。


例えば安保法制が真逆の方向に定まれば、政策の意図表明であるガイドラインは失効するが、圧倒的な自公勢力は予定通り延長国会の会期内に成立を図るだろうし、そうするべきだ。通常国会は会期の再延長はできないから、余裕を持った延長期間の設定が必用だ。


日米首脳は28日ガイドラインに沿って安保協力の強化を確認する。このうち中心となる「日米共同ビジョン声明」は、ガイドラインについて「力による一方的な現状変更によって主権や領土の一体性を損なう行動は国際的な秩序に対する挑戦となっている」と対中けん制色の強いものとなる方向だ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)  

2015年04月24日

◆強面二階の豹変で安倍再選不動の流れ

◆強面二階の豹変で安倍再選不動の流れ
杉浦 正章




“両刃の剣”でも使いよう
 


メディアで自民党総務会長・二階俊博の「存在感」の論議が盛んだ。安倍一強の中で、富士山のまわりの山が存在感を示すと言っても余り説得力はないが、若い記者には高く見えるのだろう。


確かに昔のように自民党内は実力者が群雄割拠する時代ではない。小選挙区制がなせる業で、政治家が小粒になった。そうした中では二階が大きく見えてもおかしくないが、その二階が最近“好好爺”化しているかのようだ。


御年76歳で好好爺になってもいい歳だが、雑誌やテレビ番組で安倍再選の支持を表明しているのだ。それにしても昔の政治記者は担当の政治家が、総裁選で誰を支持するかは血眼になって報道戦を展開したものだが、今は「雑誌が報じた」と書いて、まるで他人事のようである。こちらの方も迫力を欠くこと著しい。
 

二階はかつて韓国の中央日報までが「安倍首相の最も恐れる政治家」と報じ、事実国内でも一時は「二階こわもて論」が盛んだった。一年前までは「誰かのご機嫌を取っても仕方がない、政治は真剣勝負だ」と漏らして“すごんで”いたが、今年に入って徐々に姿勢が軟化。


ついに9月の総裁選挙まで半年となる昨今は、幹事長・谷垣禎一や政調会長・稲田朋美に負けじとばかりに安倍再選支持だ。


だが谷垣や稲田と異なりこわもてが豹変した意義は大きい。党内に「二階さんまで支持した」と流れが出来てしまっているからだ。テレビの時事放談で「今のところ安倍総理は総裁の条件を十分兼ね備えている立派な総裁として認識されている。慌ててここでピッチャーを代える必用はないと思う」と再選支持を表明。


おまけに「総裁選を戦った方がいいという人もいるが、そういう人は総裁選がなければ仕事がなくなってしまう人。おもしろがってやるものではなく、命がけの仕事だ」と党内をけん制までしてみせた。「出馬する人は1月には手を挙げていないと駄目」なのだそうだ。
 

そういえばただ一人対立候補になり得ると目される地方創生相・石破茂は1月に「全力で安倍さんを支える。俺が俺がと言う気持ちはない」といち早く不出馬を表明している。二階は石破が立つような状況なら、安倍支持には動かなかったかもしれないが、立たないのでは動きようがないと思った可能性が高い。


しかし、安倍は驚いたことに、「石破立つべし」論である。安倍は石破の側近で自らの座禅の仲間である元金融相・山本祐二に「最初から出ないと決めつけないで欲しい。自民党に活力があるのは切磋琢磨があるからだ」と漏らしている。対立候補に立てというのは大変な自信と言うしかない。
 

こうして自民党内の空気は安倍の再選は間違いない情勢となったが、総裁選というのはただ目立ちたい一心で手を挙げる人物が出てくることもある。しかし今の情勢で20人の推薦人が集まるかどうかが問題だ。あえて冷や飯覚悟で反旗を翻す決断がいるからだ。


無投票再選もあり得るが、過去にも無投票再選の例は結構ある。鈴木善幸、中曽根康弘、海部俊樹、橋本龍太郎、小泉純一郎が無投票で再選されている。安倍がそうなれば、2001年の小泉再選以来となる。政局は安保法制、普天間移設など波乱要素があり、まだ即断は出来ないが、おおむね流れは定まったと言える。
 

安倍にしてみれば、端倪(たんげい)すべからざる二階だが、ひとたび味方につければ、自らの苦手な部分をかなり補える。二階は旧田中派出身の道路族であり、育ちの良い安倍と異なり「族議員」の代表格だ。荒っぽい仕事での党内の押さえにはもってこいだ。


公明党の中央幹事会会長・漆原良夫とは太いパイプでつながっている。「週に一回は必ず会っている」という。かつて大島理森と漆原良夫は「悪代官と越後屋」に例えられたが、いまは二階が和歌山県出身であることから「紀伊國屋と越後屋」の仲だそうだ。

安倍と異なり主義主張はリベラル系だ。中韓両国とも太いパイプがあり、去る2月には財界人や地方自治体の関係者ら約1400人を同行させて訪韓。5月には3500人規模の財界人らとともに訪中する。


安倍にしてみれば二階は「両刃の剣」ではあるが、問題は使いようであろう。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月23日

◆安倍は歴史認識で「地歩」を築いた

杉浦 正章




お詫び三点セットからの離脱が鮮明に
 


祖父・岸信介の発言「先の大戦への深い反省」が 、首相・安倍晋三の歴史認識でもキーワードとなる方向となった。バンドン会議での演説でも、習近平との会談でも安倍はこの言葉を使った。


しかし村山談話やこれをコピーした小泉談話の三点セット「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」には言及しなかった。安倍の「過去の談話に書かれていることについては、引き継いでいく。引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」という政治信条は貫かれる流れが強まった。


中国側からは強い反発は出ていない。これが意味するものは、ことあるごとに「お詫び三昧」を繰り返して国民を意気消沈させた歴代首相の歴史認識から、安倍が離脱する外交的な新たな地歩を固めつつあることを意味する。
 

日中首脳会談の冒頭は、昨年11月の会談では嫌々ながらも会ってやると言う姿勢がボディーランゲージに現れていた習近平が、笑うとこんなに可愛いキューピーちゃんみたいな顔になるのかと思えるほどの様変わりだった。


会談時間は前回が25分で今回は30分だから大きな変化はないが、内容は踏み込んだ。歴史認識を習近平が持ち出し、安倍が答えるありさまにはとげとげしさは消えていた。逆に習は「歴史を直視してこそ相互理解が進む」としながらも、「9月の抗日戦争勝利記念日でも、今の日本を批判する気はない」と述べ、安倍を記念行事に招待した。


この「今の日本を批判しない」は、極めて大きな中国側の転換である。安倍は「村山談話、小泉談話を含む歴代内閣の立場を全体として引き継いでおり、今後も引き継いでいく」と述べた上で「先の大戦の深い反省の上に、平和国家として歩んできた姿勢は今後も不変だ」とも語り、理解を求めた。
 

習の様変わりの原因は何処にあるかだが、まず第一に2012年の就任以来舞台裏で繰り返された権力闘争もほぼけりが付き、主席としての地位が確立したことが挙げられる。あの微笑は自信の表れでもある。


加えて満を持して打ち出したアジアインフラ銀行も57か国が参加、軌道に乗りそうな雰囲気も出てきた。日米は不参加を表明しているが、習には日本だけでも参加させ、日米を分断したいとの思惑があるのだろう。日本だけでも参加すればガバナンスに難があるとされる加盟国からの信頼も得られるからだ。


さらに加えて、昨年11月の首脳会談以来、せきを切ったように議員交流や経済界の交流が進展してまさに“政経分離”の雰囲気も生じつつある。この流れを受けて激減した日本からの対中投資を呼び戻したいのであろう。自民党総務会長・二階俊博が5月には3500人の財界人を引き連れて訪中することも、対中投資の拡大を図る上で重要だ。落ち込んだGDPはせめて7%台を確保したいのだ。
 

こうして習は歴史認識を軸に対日けん制を繰り返してきた路線を転換し始めたのだ。


一方安倍も日中間ののどに刺さったとげを抜き戦略的互恵関係を確立することは、至上命題でもあるが、歴代首相が繰り返してきた“3点セット”に立ち戻ることは政治信条が許さない。


しかし国内では安倍シンパと思っていた読売新聞までが、渡辺恒雄の威令が届かなくなったのか22日に「戦後70年談話、首相は『侵略』を避けたいのか」と題する社説で「談話が『侵略』に言及しないことは、その事実を消したがっているとの誤解を招かないか」と初めて安倍政権に噛みつく始末。


23日の社説でも「物足りなかったのは首相の歴史認識への言及である」と批判。朝日や毎日と同じ事を言うなら読売など購読する理由がなくなるが、本当に我が敬愛するナベツネはどうしてしまったのだろうか。
 

侵略について安倍はバンドン演説では「侵略や武力行使などによって他国の領土を侵さない」、「国際紛争は平和的手段によって解決する」といったバンドン10原則を引用し、「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と言明した。


この10原則引用による「侵略」への言及は、日本から見れば、日本の侵略を意味すると受け取れるが、複雑な歴史認識問題を知らない圧倒的多数の会議出席国からみれば、中国の南シナ海進出をけん制していると受け取れる巧妙な発言だ。戦後50年の村山首相談話、戦後60年の小泉首相談話に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「おわび」といった表現には、今回の演説では全く触れなかった。
 

この安倍の姿勢は冒頭述べたように歴史認識で「新たな地歩」を築き始めた事を物語っている。


事務当局による事前の根回しを基に行われた首脳会談では、習から歴史認識で強い主張はなく、冷戦状態が微笑外交へと変化する兆しすら感じさせた。習が9月の戦後70年記念式典で「今の日本を批判しない」と約束したことの意味は極めて大きい。


安倍が機会あるごとに習との首脳会談を目指す路線は、まさに妥当であり、この流れを推進すべきであろう。日中両国は雨降って地固まるという局面に持ち込むべきだろう。


日中関係が進展する中において、韓国の朴槿恵はどうするのだろうか。孤立感を強めているに違いないが、日本側から手を差し伸べる話ではさらさらない。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月22日

◆NYT上から目線と誤報体質目に余る

杉浦 正章




社説は事実誤認・曲解の山
 


昔のニューヨークタイムズは世界で最も信頼すべき新聞と信じていたが、近年の同紙はニューヨークのタブロイド版よりひどい事実わい曲に満ちている。主張がリベラルで、同紙お得意の用語「右翼」呼ばわりの反対の「左翼的偏向」しようが、編集方針は自由である。


販売部数が激減して、もっぱら電子版に頼らざるを得ない経営状況なのも勝手だ。しかし、その経営状況の悪化が反映でもしたのか最近の質の低下と記事の“粗雑さ”は目に余るものがある。その象徴が20日付の「安倍首相と日本の歴史」と題する社説で、まさに「誤報の山」だ。
 

まず第一にあきれるほどの「上から目線」であることだ。社説は「安倍首相の訪米が成功するかどうかは戦時の歴史に安倍氏が誠実に向き合うかどうかにかかっている」と指摘し、慰安婦問題を含め中国と朝鮮半島に与えた被害を直視すべきだと要求した。


どうも東京駐在の欧米特派員は自分の国の有様を棚に上げて、普段から日本を低開発国並みに「教育的指導」する傾向が強く、社説もこれに影響される。しかしもう明治維新ではない。安倍が誠実に向き合おうがどうしようが他国の3流記者に事実誤認だらけの指摘をされるいわれはない。


どうしても「歴史認識」に引っ張り込もうとしているようだが、まず今回の日米首脳会談の位置づけを大きく誤っている。
 

首脳会談の本質は、日本が集団的自衛権の行使へと安全保障上の大転換を行い、日米関係は新たな同盟関係へと入る幕開けと位置づけられるものだ。日米防衛協力の指針(ガイドライン)も塗り替えられる。国力の衰えが著しい米国にとって、願ってもない新たな時代へと突入するのであって、オバマはこれを歓迎こそすれ、70年前の歴史認識をあげつらう意図などさらさらない。
 


社説は「訪米が成功するかどうかは、日本の開戦の決定、中国や韓国に対する残酷な侵略、戦時中に多数の女性を性奴隷として働かせた戦時の歴史に、安倍首相がどれだけ誠実に向き合えるかどうかにかかっている」と指摘している。


この中で決定的な間違いは「韓国に対する残酷な侵略」の部分だ。社説子は中学生でも知っている世界史のイロハを知らない。1910年に日本は韓国を国際法上も問題のない「合邦」したのであって、侵略した事実はない。


日本の朝鮮統治によって、奴隷制度は廃止され、識字率が向上し、人口は倍増し、衛生状態も改善したのである。米・英・仏・露も併合を支持し、米国は「日本の韓国併合はよき意図をもって行われ、韓国民の幸福のためになる」という声明まで出している。自分の国が出した重要声明くらい覚えておけと言いたい。
 

さらに社説は「韓国、中国それぞれとの間で領有権問題を抱えている島に関して、中学校の教科書に日本の領土であると記載したことについて、韓国と中国が批判している」と述べている。これも的外れな主張だ。


中学の教科書検定で社会科の全教科書に竹島と尖閣諸島に関する記述が載ったことを受けたものだが、一国がその領土を正確に教育するのは中韓両国を含めて世界中の国々が行っていることだ。日本がこれまで教えていなかった方が異例なのであって、これを行ったからと言って、「右傾化」の根拠にされる理由はない。
 

加えて社説は、安倍政権が戦時の「歴史の歪曲(わいきょく)」を試みた事例として、日本政府が昨年、慰安婦を性奴隷と位置付けた1996年の国連人権委員会報告の内容の一部撤回を要請したことを挙げた。


国連の委員会報告の中でも最も虚構に満ちた「クマラスワミ報告」を指しているのだが、この報告の核心となった朝日の大誤報「強制連行」や「女子挺身隊」が同紙の撤回で根拠がなくなった事実を知らないまま書いているとしか思えない。10年前の新聞の切り抜きを見ながら社説を書いているのではないかと思いたくなる。 

この社説ばかりではない。NYTの誤報は目に余るものがある。


去る2月には安倍が「南京大虐殺は起きなかったなどと主張している」と報じ官房長官・菅義偉が「著しい事実誤認」と抗議した。昨年暮れには 「慰安婦問題に関して安倍政権を含む右派勢力の朝日新聞への攻撃が強まっている」と報じ、官房副長官・世耕弘成が「安倍政権が朝日新聞やその記者を攻撃している事実は全くない」と反論した。


このようにNYTの悪意に満ちた曲解と誤報と安倍政権に対するレッテル貼りはもうとどまるところを知らない状況となっている。


対処の重要なポイントは誤報の度に同社社長宛に政府なり大使館なりが文書で抗議し、“誤報犯”の反省を求めることだ。これしか打つ手はない。

           <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月21日

◆安倍が過去の文言からの離脱を宣言

杉浦 正章



「談話を引き継ぐ以上もう一度書かない」
 


首相・安倍晋三が歴代内閣の「首相談話の軛(くびき)」からの離脱を宣言した。村山富市が出し小泉純一郎がそれをコピー・アンド・ペーストした「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」の“キーワード三点セット”を自らの「70年談話」には使わない方向を鮮明にさせたのだ。


たしかに村山談話は、結果的に出した効果は薄く、関係改善に役立ったとは言えない。中韓両国によってことあるごとに逆手を取って“活用”されるのみならず、国内リベラル派の存在誇示のより所でもあった。


問題は米国との根回しは大丈夫かというところにあるが、訪米を直前にして米国説得が完了していないはずはあるまい。米上下両院で歴史認識にどう触れるかが焦点となる。
 

安倍はフジテレビの番組で「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と次のように語った。重要発言であるからそのまま書く。


「談話については村山首相は村山首相として語られた。小泉首相は小泉首相として出した。しかし、小泉首相のときは村山談話を下敷きにしているという感じはある。私の場合はそうではなく、安倍政権として、首相である私としてどう考えているのか。先の大戦に対する反省、戦後の平和国家としての歩み、これから地域や世界のためにさらに平和に貢献していく決意。


70年、80年、90年、100年に向けて、日本はどういう国になっていくか、どういう世界にしていこうと思っているのかを発信したい。そういう文脈で考える。私の考え方がどのように伝わっていくかが大切だ。


同じものを出すなら名前だけ書き換えればいいだけの話になり、談話を出す必要がない。歴史認識においては、この基本的な考え方は継いでいくと申し上げている。過去の談話に書かれていることについては、引き継いでいく。引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」。
 

要するに安倍は、社会党政権が出した談話を小泉のように安易に踏襲することなく、未来に向けて近隣諸国との関係の礎となる談話を出したいのだ。


既に首相のブレーンからは談話を踏襲をすべきでないとする意見が出されている。


戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」で座長代理を務める国際大学長・北岡伸一も去る2月、自民党本部で講演し、70年談話に過去の「植民地支配と侵略」へのおわびの文言を入れるよう求める意見があることに対し「片言隻句を取り上げて、ある言葉があるとかないとかで考えるのは非生産的だ。あまりに行きすぎた謝罪の追求は日本国内の反韓、反中意識を高め、和解を難しくする」と批判している。確かに、国内の反韓、反中派を勢いづけては元も子もなくなる。


問題は「片言隻句」と日本が主張しても、米、韓、中に説得力のある談話を出し得るかどうかであろう。とりわけ米国の説得が国際世論の形成上重要ポイントだ。


米国は、中韓のロビー工作を受けて、かなり単純に三点セットに固執する傾向を見せている。国務省は報道官・サキが新年早々「これまでに村山元首相と河野元官房長官が示した謝罪が、近隣諸国との関係を改善するための重要な区切りだったというのが我々の見解だ」と強いけん制球を投げてきている。


だから安倍も談話を踏襲すべきだというのだ。同じ文言を使わない以上、談話がどのような表現になるかが焦点だ。このような重要課題を26日からの訪米で首相自らが米国と調整することはまずあり得ないだろう。


サキ発言に代表される、「3点セットへの固執」を覆すための事前調整が行われていなければ、20日の安倍発言はあり得ないだろう。
 

安倍は「過去の談話を引き継いでいくと言っている以上、これをもう一度書く必要はない」というのだから、「引き継ぐ」をキーワードとして3点セットを処理する方向かも知れない。安倍発言は国内的には河野洋平が踏襲を主張し、小泉純一郎が「10年おきに出す必要は無い」と発言したりするなどの“不協和音”を意識したとも言える。


安倍の真意は過去の2人の首相談話が、ほとんど関係改善に作用せず、むしろ対日攻勢の“拠点”となってしまっている現状を、未来志向の談話によって区切りを付けたいのであろう。
 

日本ではよくドイツの元大統領ワイツゼッカーが「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」と述べた発言が立派だという主張がなされているが、粘着性の極めて強い中韓の民族性から言ってこの程度の抽象的な表現で済めば世話はない。


ナチスのホロコーストによって、730万のユダヤ人のうち570万(人口の78%)が犠牲になっており、ナチスドイツが犯した日本とはスケールの全く異なる残虐行為が、この程度のレトリックで感銘を呼ぶのはヨーロッパであるからだ。


隣人にも良き隣人と悪しき隣人があるのだ。ドイツ首相メルケルが「隣人に恵まれた」と漏らしているとおりだ。日本では何度首相談話を出しても中韓両国はこれを政治的な日本叩きに使用するのであって、お経のように3点セットに言及しても意味がない。ここらで離脱するのは正解であろう。

       <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年04月17日

◆安倍は中国にすり寄る翁長を戒めよ

杉浦 正章




沖縄への中国資金も要注意
 


首相・安倍晋三は今日の沖縄県知事・翁長雄志との会談で中国国家主席・習近平に教えてもらったあの方法を真似すれば良い。冒頭の写真撮影で向き合った際に靴下の臭いを嗅いだような表情をするのだ。日本中が笑い転げる。翁長の言動を見るとまさに「沖国(ちゅうごく)国家主席」だ。


中国で首相・李克強と会談した興奮もさめやらぬのか、那覇空港で「アジアのダイナミズムを取り入れる。自立の道を歩む重要な局面だ」と「沖縄自立論」まで展開した。李克強は明らかに翁長の立場を理解した上で対日分断の絶好の機会ととらえて一知事と会談したのだ。


翁長はこれに応ずるかのように「沖縄はかつて琉球王国として、中国をはじめ、アジアとの交流の中で栄えてきた歴史がある。福建省に新たな自由貿易試験区が設けられると聞いているが、ぜひ、沖縄との交流も促進させていきたい」と発言している。沖縄が独立国であったことに言及して、巧みに中国に媚びを売ったのだ。
 

この会談を見て、前防衛相・小野寺五典の名言を思い出した。北京で中国要人と会談した鳩山由紀夫が「沖縄県・尖閣諸島は日中間の係争地だ」との認識を示したことについて、「久しぶりに頭の中に『国賊』という言葉がよぎった」と漏らした、あの発言だ。


その論法を踏襲すれば、「久しぶりに『売国』という言葉が脳裏をよぎった」となる。その鳩山が最近何をしているかと言えば、翁長への大接近だ。「尖閣列島は日本が盗んだと言われても仕方がない」との迷言も吐いた鳩山は、今度は「知事を支える」と明言している。
 

その鳩山に加えて翁長の基地反対闘争は、共産、社民両党など左翼政党は言うに及ばず、革マル派までが実力阻止に参加している。翁長が共産党とツーカーであることは言うまでもない。


さらに注目すべき点は、石原慎太郎がテレビで「反対派に中国の資金が入っている」と警鐘を鳴らした点だ。これを裏付けるように今週の週刊文春によると、中国のシンクタンク「中国社会科学院」最高顧問・載汝為が「翁長が知事在任中に琉球独立の流れを作ることが必用だ。共産党幹部の中には翁長知事を『沖縄の馬英九』と呼ぶものもおり、期待は大きい」と述べているのだ。

台湾総統・馬英九は就任後に「統一という選択肢を排除するものではない」と中台統一論を述べている。「翁長馬英九論」が中国に存在することは、翁長が“味方”だと思っている証拠で実に興味深い。
 

いくら時代錯誤でも、中国が本気で米軍の最重要基地がある沖縄が「独立」できるなどとは考えていまいが、安倍政権揺さぶりにはもってこいの“人材”として、翁長の“すり寄り”を逆用しているのだ。


中国は国柄を背景にして極めて長いスパンで国家戦略を考える。今あり得ないと言っても将来の国際情勢が変化すればありうることになることまで視野に入れる。今まいた種が、将来芽吹けば良いのだ。その対象が紛れもなく翁長になっている。


石原の危惧(きぐ)する中国資金は様々な形で反基地闘争に投入されていると見るべきであろう。また今後は特殊工作員が潜入して、基地闘争で過激な動きを仕掛ける可能性も否定出来ない。公安当局は見張りを一層厳重にするべきだろう。
 

こうしてまるで沖縄の「沖国化」を目指すだけあって翁長は、こともあろうに自分の県への領海侵犯を繰り返す中国にこびを売り、反対闘争を有利に運ぼうという、“禁じ手”で対応しているのである。


先に官房長官・菅義偉と翁長の会談を政治家と政治屋の会談と書いたが、安倍・翁長の今日の会談も政治家と政治屋の差が際立つものとなろう。翁長のスタンスは目に見えるようである。後で「安倍にこう言ってやった」と反対闘争を盛り上げる口実作りに専念するのだろう。


菅に対して「上から目線」「政治の堕落」と口を極めて政府を批判したのは、反対闘争扇動につなげる政治屋の思惑があるからに他ならない。
 

政治家としての安倍は、こうした挑発に乗らず、国の安全保障上なぜ普天間の移転が必用なのかをじゅんじゅんと説けば良い。翁長の好きな中国への抑止力が今ほど必用なときはないと、その理由を説明するのだ。


「馬の耳に念仏」だけでなく「犬に論語」「兎に祭文」「牛に経文」と思って、辺野古基地の必用をイロハのイから教えるのだ。翁長が反基地闘争目線なら、安倍は極東の安全保障目線で十分だ。そして上から目線の意味などはさらさらない「粛々」と移転を推進すれば良い。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年04月16日

◆自民は「準検閲」と受け取られるな

杉浦 正章




「放送事情聴取」は細心の注意で
 


言論の自由との関連で「危うい」が、この際ひどすぎるテレ朝とNHKの「偏向報道」にはクギを刺しておくべきであろう。


とりわけ保革激突の「安保法制」を前に、政府・与党が公平なる報道を求めるのは妥当だ。ただし、17日に自民党が行う「事情聴取」はこれまでと異なり「特定の報道」を取り上げており、これはリベラル派から憲法21条2項の検閲禁止に抵触しかねないと誤解される側面がある。

政権政党というのは、政治権力の行使に禁欲的でなければならない。すぐに多数党の横暴と受け取られるからだ。したがって「にっくきNHKとテレ朝」をけん制するのは良いが、「番組打ち切り」などにまで追い込んではいけない。「寸止め」が適切だ。
 

自民党が取り上げるのはNHKの調査報道「クローズアップ現代」とテレ朝の3月27日の「報道ステーション」の「自爆電波ジャック」問題だ。


クローズアップ現代は昨年5月放送の「追跡"出家詐欺"、狙われる宗教法人」である。筆者も見てわざとらしく、すぐにやらせではないかと気付いた。隣のビルから窓越しにブローカーと多重債務者の相談した一室を、さもドキュメント風であるかのごとく撮影しており、いかにも出来すぎだったからだ。


実はその場にNHKの記者がいて、やらせ発言を演出していたのだ。NHKもほぼこれを認め、キャスター国谷裕子が謝罪している。

自民党の狙いはこの国谷の反自民の「偏向」をけん制するところにある。筆者も気付いていたが国谷は常に「反自民」の姿勢を維持しており、とりわけ安倍政権になってからその傾向を強めている。昨年7月1日に集団的自衛権の行使容認をめぐる閣議決定が行なわれた直後のインタビューでは、明らかに反対の立場から官房長官・菅義偉をつるし上げるような質問を繰り返していた。
 

もっとも「クローズアップ現代」は、調査報道に関しては他の民放の追随を許さない鋭い切れ味があり、社会問題への切り込みも深い。繁栄する日本社会の影の部分への浮き彫りが、母子家庭の問題など一つをとっても見事である。


いけないのは、その評価を背景に政治への浅薄なる「介入」を見せるケースがままあることだ。これは放送法4条4項の「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に抵触する恐れがある。


NHKでは早くも自民党に恐れをなして、幹部の間で「番組打ち切り」が取りざたされていると言うが、自民党はそこまで追い込んではなるまい。「国谷更迭」までで十分だろう。


先にも指摘したがNHKは放送法を意識してか、異なった意見を並列するケースが多くなったが、問題は原発にせよ、集団的自衛権にせよ巧みにカムフラージュしながらも、本質は反対と受け取れるニュース構成や解説をすることだ。視聴者をこうかつに反対へと誘い込む頭脳的な報道だ。
 

一方で「報道ステーション」は、昔から自民党とは犬猿の仲だ。コメンテーターは朝日の論説委員だから当然その社説を反映したものとなる。翌日の社説をそのままなぞって発言しているケースもままある。


自民党の取り上げる古賀茂明の「電波ジャック」の内容は、録画してあるが、緊迫するイエメン情勢の冒頭で古賀が突然「私事」を語り始めたのだ。番組から干される恨み節を、電波を使って視聴者の同情を明らかに狙って、うじうじと打ち明け話をし始めた。


古賀は「テレビ朝日の会長のご意向でこの番組で最後と言うことになった。これまで非常に多くの方々から激励を受ける一方で菅官房長官など官邸からものすごいバッシングを受けてきた」などと恨み節を述べた。古賀は、キャスター古館伊知郎が「私は何も出来なかった申し訳ない」と陳謝した内幕まで暴露、しまいには「発言は録音してある。全部出す」とまで述べた。


これに古館も「こちらも出す」と応じて、視聴者そっちのけのバトルを演じた。電波の私的な使用に他ならない。このバトルは言ってみれば、「反安倍陣営」の急先鋒二人による、「内紛」であり、驚異的な高支持率を維持し続ける安倍政権を前に、反対勢力の自滅を象徴するものである。
 

自民党の狙いは、テレ朝の場合も番組けん制にあることは言うまでもない。しかし、自民党が気付かねばならないのは、こうした反自民キャンペーンがあっても、3どの国政選挙と都知事選、統一地方選で圧勝し続けていることである。


要するにNHKも報道ステーションも、反安倍キャンペーンは「ぬかに釘」であることだ。これは言うまでもなく、アベノミクスの成功と、緊迫する極東情勢下で安倍の姿勢が国民の支持を受けていることを物語る。


したがって、ゆめゆめ「準検閲」などと受け取られかねない対応はとるべきではない。朝日などリベラル派マスコミが手ぐすねを引いて、反撃のチャンスをうかがっていることを知るべきだ。事情聴取は「危うい」が故に細心の注意を以て臨むべきであろう。

      <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年04月15日

◆始めに結論ありきの司法の暴走

杉浦 正章




樋口の「不合理判断」こそが不合理の極みだ
 


困ったときに非常手段に訴えることを「鼬(いたち)の最後っ屁(ぺ)」と言うが、高浜原発の再稼働を認めない仮処分を出した地裁裁判長・樋口英明はまさにそのものであった。


樋口は大飯原発訴訟でも昨年の5月に「運転再開差し止め」を命じており、ネットではこれが原因で4月1日付で「名古屋家庭裁判所」に左遷されたとの見方がもっぱらだ。引き継ぎの関係から職務代行が認められたことをこれ幸いと「にっくき原発の再稼働など認めぬ」決定を下したのだ。


筆者は大飯訴訟判決の際にも、最高裁の判決との食い違いを指摘したが、今回も大きな食い違いを見せている。まるで最高裁の判例に楯突くような決定である。
 

最高裁判決は1992年に伊方原発の安全審査を巡る訴訟の判決で、「原発問題は高度で最新の科学的、技術的な知見や、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との判決を下している。司法が政府の政策にかかわりすぎるべきではないという「司法の謙抑性」の判断を下しているのだ。


樋口は左遷の悔し紛れとは言わないが、最高裁の「合理性」という言葉をあえて使って「新規制基準についてはゆるやかすぎてこれに適合しても安全性は確保されず、合理性を欠いている」と決めつけている。
 

下級裁判所の裁判官についての人事権は憲法81条によって最高裁判所が握っており、最高裁判所の意向や判例に反する判決を出すとその裁判官は最高裁判所から差別的処遇(昇進拒否・左遷など)を受けるケースが多いといわれている。


そのため、最高裁判所判例重視の傾向が下級審では強い。司法の秩序維持のための当然の対応である。しかし樋口はあえて盾をついているとしか思えない。いわば裁判官にあってはならない「私闘」の側面を強く感ずるのだ。
 

その決定内容についてのマスコミの反応は、原発再稼働反対の社会部に引っ張られているNHKが午後7時のニュースで、出だしから「司法が待ったをかけました」「集まった人たちから歓声が起きました」とまるで鬼の首でも取ったかのような「偏向」ぶりを示した。ニュースでも解説でも巧妙に再稼働反対を匂わせ続けた。


とりわけ「住民側」という言葉を再三使ったが、仮処分の申し立て者9人は福井だけでなく、京都、大阪、兵庫などにまたがっており、“原発反対運動の専門家”の臭いが濃厚で、果たして「住民側」と言えるのだろうか。


なぜなら、統一地方選挙で4選を果たした福井県知事・西川一誠は対立候補が訴えた原発ゼロ政策を「原発は安全管理しながら活用することが大事だ。『原発ゼロ』は日本では成り立たない」と明確に否定、80%を超える得票率で、対立候補を大差で退けている。本当の「住民側」の意志は選挙で定まっているのであり、放送で大々的に「住民側」と報ずれば福井県民の全てが訴訟を起こしたように聞こえる。


NHK独特の巧妙なやり口だ。少なくとも用語としては「一部住民側」と表現すべきだ。自民党は17日の情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚生労働相)の会合にテレビ朝日とNHKの幹部を呼び、最近問題となったそれぞれの報道番組の内容や経緯などについて事情を聴くが、NHKの「原発偏向」も俎上(そじょう)に挙げるべきだ。
 

新聞は朝日が樋口の決定が特異判断だろうが何だろうがあえて無視して「利用しなければ損だ」とばかりに「司法の警告に耳を傾けよ」と社説で政府・与党に対応を求めている。


しかし自民党は国政選挙でも統一地方選挙でも公約や演説で「規制委の基準に適合すると認められた場合には再稼働を進める」と明記、明言して選挙に圧勝し続けているのであって、エキセントリックな「司法の警告」などに耳を傾ける必要は無い。


これに対して読売は「規制基準否定した不合理判断」、産経が「高浜原発差し止め『負の影響』計り知れない」と至極もっともな論陣を展開している。
 

要するに樋口の決定は、「原発はゼロリスクでなければならない」と言っているのであり、これは世界的に見ても噴飯物の「オオカミ少年」判断であろう。科学的な知見ゼロの裁判官が、原発に関する日本の最高権威の規制委員会の知見に基づく再稼働判断に真っ向から「ノー」を突き付けても、一部のマスコミは喜ぶが、国民のためにはならない。


最高裁の「総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」とする冷徹な判例は、大震災後の現在でも十分通用することが全く分かっていない。始めに結論ありきの一部司法の暴走だけが目立った決定であった。


政府も関電もこのような決定にとらわれる必用は全くない。政府は官房長官・菅義偉の言うように「粛々と」原発政策を進めれば良い。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)