2015年09月09日

◆無投票再選が「安保成立」へ弾み効果

杉浦 正章



安倍によるオリンピック開会宣言もあり得る
 

小泉政権以来9年ぶりに首相・安倍晋三の長期政権が視野に入った。日本の政治は首相の1年交代が続いた低迷期から離脱し、今後3年、つまり2018年までの合計6年の安倍長期政権が確定的となった。


任期中に必ず行われる解散・総選挙に圧勝すれば2020年のオリンピック開会宣言を「退陣の花道」にする可能性も否定出来ない。折から平成最大の保革激突法案である安保関連法案が16日に特別委で採決の方向が固まり、与党の態勢も整った。


好事魔多し、着地が極めて重要だがまず成立の方向は揺るがない。成立すれば、「安倍政治」は解き放たれ、そのエネルギーを外交とアベノミクスの完成に集中することになろう。


政治には弾みというものがあり、野田聖子の立候補を一蹴したことにより、自民党内は1週間後の法案採決に向けてかつてない結束ぶりを示す結果となった。


逆に野党は維新の分裂がいよいよ深刻化し、民主党は何をとち狂ったか幹事長・枝野幸男が安倍再選について「本来の保守本流が絶滅した。むしろ、かつての保守本流の政策的理念は我々の方こそが持っている」と誰が聞いても首を傾げる妄言を吐く始末。保守本流なら法案に賛成したらどうかと言うことだ。


野党は、法案への対応が極めてふまじめと言わざるを得ない。いくら政府が理を持って諭(さと)しても、全てを「戦争法案」のレッテル貼りに帰結して、外部勢力の扇動に使う。審議を党利党略に使っているのだが、これでは審議が進めば進むほどデマが拡散して、国論が割れてしまう。
 

もう十分なる熟議を果たした。質疑を終わらせて、可決、成立させるべき潮時に到った。民意は野党のデマゴーグ作戦に惑わされるが、これが一時的であることは衆院での法案可決後の世論調査が如実に物語っている。あらゆる調査が、可決後下落したにもかかわらず、わずか1か月で内閣支持率が上向きに転じているのだ。


一番からい朝日でも37%から38%に。読売は43→45、共同37→43,産経39→43,日経に到っては8ポイント上がって46%になった。支持と不支持の逆転も解消され始めた。歴代内閣でも40%台は高支持率を意味する。


筆者は強行採決で成立させて、いったん30%台に下がっても年末までには取り戻すと予想したが、この傾向を見ると来週成立させていったん下落しても、年末までにはまず支持率は回復するだろう。世論調査では法案には反対が強いが一過性で、内閣支持率の上昇志向には勝てないという珍しい現象が生じているのだ。


根強い「安倍人気」の原因はマジックとも言えるアベノミクス効果と、中国、韓国への毅然(きぜん)たる態度が根底にあるのだろう。


とりわけ今後は「9・3効果」つまり習近平の「戦争パレード」への反発が強く出て、政権支持へと回る可能性が強い。したがって一時的支持率の下落は問題視する必要は無い。今後は安倍の言うとおり経済重視の政策を展開すべきであろう。


アベノミクス以来株価は上昇し、企業利益は拡大し、失業率も劇的に好転した。しかし、国民の実質所得は未(いま)だしだ。今後は富が滴り落ちるトリクルダウンが必用な段階だろう。自民党の党是である憲法改正も来年の参院選の結果では議題になり得るが、肝心の9条改正が、集団的自衛権の行使を認める安保法制により当分の間は重要ではなくなってきており、これにエネルギーを費やすのは疑問であるかもしれない。
 

安倍の無投票再選は自民党にとって過去3回の国政選挙で圧勝した“神業信仰” が大きな要素を締めているのだろう。来年には参院選挙があり、安倍の任期中に衆院議員の任期が切れることから安倍による解散・総選挙は避けて通れない。


安倍はいまのところダブルを否定しているが、党略を考えれば再来年の消費増税の前の解散はまずダブルしかチャンスはあるまい。過去2回のダブルは相乗効果が発揮され自民党は負けたことがない。したがって可能性は否定出来ない。
 

安倍は、地元で明治維新から50年後に山口県出身の寺内正毅、100年後には佐藤栄作が首相を務めていたことに触れ、「私は山口出身の8人目の首相。何とか頑張って30年(2018年)までいけば、(明治維新から150年後も)山口県出身の安倍晋三が首相ということになる」と述べた。


この「何とか頑張って30年まで」の表現ではあと一期で終了ということになるが、8日の立候補に当たっての公約には、面白い表現がある。


毎日だけがここに着目した。同紙は「首相は公約で、東京五輪を『輝かしい未来への大きな起爆剤にしなければならない』として、『今ここから、私はその先頭に立つ覚悟だ』と訴えた。3年の任期中に成功への道筋をつける決意表明とも読めるが、首相周辺には「五輪の開会宣言を安倍首相にやらせたい」(森喜朗元首相)という声が少なくない」と報じたのだ。


政治記者なら当然ここに目を付けるべきだろう。二期までの党則など、どうにでもなる。まだ気の遠くなるような道のりだが、あり得ないことではない。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年09月08日

◆“平成の乱”を目指した「野田正雪」

杉浦 正章



「正義」を唱え「大義」を忘れる


 度し難い女を古典落語で「怒れば泣く。ほめておだてりゃつけあがる。 いっそ殺せば化けて出る」と表現しているが、聖子ちゃんをこんな風に表現してはいけない。女性団体から怒られる。言うなら講談の「平成の女正雪」であろう。


由井正雪は三代将軍家光亡き後徳川幕藩体制を覆そうとクーデターを謀った。さしずめ参謀の丸橋忠弥が古賀誠だ。歌舞伎の名場面で丸橋は江戸城のお堀に石を投げて深さを測ったが、どうも古賀丸橋は老化現象か「ゴボゴボ」という音が長く続いたのに聞こえず、聖子正雪に「浅いから大丈夫」とけしかけた。


これに乗った聖子は、自らの行為が「政局化」そのものであることを知ってか知らずか挙兵しようとした。しかし、結局は安倍の捕り方に囲まれ自刃してあえない最期となったのだ。


大手紙は20人取れるかも知れないからびびって朝刊で断定していないが、例え総裁選推薦人の数が集まっても、あえない最期になる構図なのだが、結局小泉純一郎以来14年ぶりの無投票再選になるだろう。


政権サイドがうまいのは、安保法案を軸に脅しをかけたことだろう。「野党が自民党総裁選で決着が付くまで審議ストップに出る」という情報を流したのだ。これで自民党内は引き締まった。


「安保の印籠」を見せられては、一致団結をせざるを得ない。党内7派は全てが安倍支持を決め、古賀丸橋が最高顧問の岸田派も懸命の締め付けに出た。岸田文雄も禅譲狙いなのか、将来は安倍と戦うであろう石破茂とは対照的に、安倍大明神をあがめることしきりなのだ。


安倍は将来的には佐藤栄作が田中角栄と福田赳夫を競わせたように、石破と岸田を競わせれば安泰となるのだが、今は利口だからそんなことはおくびにも出さない。


一方で、野党は総裁選で審議ストップなどは考えたこともなく、だしに使われたとカチンときたに違いない。民主、維新共に、否定に懸命。見え透いているのは否定すれば、正雪が出やすくなり、揺さぶるのならその上でという魂胆があるのだ。


毎日によれば代表・松野頼久が北海道釧路市での講演で「野田さんが推薦人集めに苦労している。(自民内で)『野党が安保の審議に出て来なくなる』と切り崩しているという話がある。我々はそういうことであれば審議に出る」と野田正雪をけしかけた。


民主の政調会長・細野豪志も「安保法制の議論は、我々はしっかりやっていく」とやはり野田出馬に呼び水を向けた。


野田は論語を引いて、「義を見てせざるは勇なきなり」と発言したが、いかにもちぐはぐで訴求力に欠ける発言だ。正義と知りながらそれをしないのは勇気がないのと同じだというのだが、古くさく女には珍しい表現だから、丸橋に教わったのかもしれない。


それでは野田の正義とは何か。もともと野田は昨年7月1日の集団的自衛権の行使閣議決定にも反対論を雑誌で表明しており、古賀も共産党機関誌・しんぶん赤旗が絶賛しているほどの安保法制反対論者だ。いまや反安倍老人の巣窟(そうくつ)であるTBSの時事放談でも、安倍という名前が出れば条件反射的に批判を繰り返している。
 

野田は正義を言うなら、総裁選挙に立候補する理由を述べなければならない。理由を述べずに、ひたすら選挙そのものの実施の必用を唱えても説得力はない。まるで小泉純一郎が3回も総裁選に挑戦して、数をこなして成功したから、それを猿まねしようとしているとしか思えない。


野田は9月3日の北京の軍事パレードを見たのだろうか。「平和降臨」とばかりに何もしないで平和が実現した時代は去った。民主、共産とこれにだまされているデモ隊が「戦争法案」を言うのなら、習近平の露骨なる「戦争パレード」は今そこにある危機ではないのか。


野田は安保反対の立場でいながら、衆院での採決に賛成票を投じたのは「正義」を貫いたからなのか。「義を見てせざる」を言うなら「大義」はどうでもよいのか。答えられまい。だから平成の由井正雪なのだ。


いずれにせよ、野田正雪は老獪(かい)なる隠者の甘言に乗って、政治の道を誤った。安保法制という大義を見落とし、私利私欲に走った候補として、自ら首相候補としての道を閉ざしたのである。


      <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年09月04日

◆習は威嚇の前に自分の頭のハエを追え

杉浦 正章



パレードは日米同盟と台湾けん制だ
 

バブルの崩壊途上で経済が「火の車」だというのに、「偉い偉い。強い強い」と褒めてあげたいような軍事パレードだった。


パレードは経済的に追い詰められた中国国家主席・習近平が自らの存在感を誇示し、共産党政権の正統性をを強調。口で「覇権は唱えない」と言いながら、ボディランゲージで臆面もなく覇権を唱えるものであった。まるで閲兵の車に乗った習の姿は昔ニュース映画で見た、ヒットラーの軍事パレードを想起するものでもあった。


1党独裁国家というのはこういうものかと改めて思った。そしてパレードは日米同盟をけん制し、台湾総統選挙で反中の民進党の躍進を許さない姿勢を露呈させた。まるで時代錯誤の武力の誇示であった。毛沢東は「米帝国主義は張り子の虎」と発言したが、パレードのけばけばしさはかえって「ペーパー・ドラゴン」そのものを感じさせるものであった。
 

パレードにおける習の演説は抗日戦の勝利には言及したが、現在の日本批判をしなかった。また兵力を「30万人削減する」と一見平和志向であるかのように見せた。しかし、30万人といっても総兵力230万のうちの30万であるうえに、削減した人件費を装備の近代化に回すのだから、中国軍は強化される。「平和」は見せかけに過ぎない。


加えて記念レセプションでの演説だ。時事電によると、日本を名指しこそしなかったが「歴史は人民の心の中に書かれており、歴史の抹殺は許されないし、抹殺もできない」「歴史を忘れることは裏切りを意味する」など、明らかに首相・安倍晋三を意識した言葉を繰り返している。本音が出た感じである。
 

この言葉は習にそのままお返ししたい。「抗日戦勝利70周年」と銘打ったパレードの「歴史的正統性」に疑問が残るからだ。「抗日戦勝利」と聞いて以来筆者はおかしいと主張してきた。習こそが歴史をねじ曲げているからだ。


日本と戦ったのは蒋介石の国民党軍であり、共産軍は大戦中日本軍との戦闘を避けて逃げまくっていたのが実態だ。戦後の各種終戦協定には中国共産党の名前は出てこない。敗北したのは国民党政権に対してであり、史実と異なり歴史を歪曲するものに他ならない。
 

要するに習は、日本が尖閣諸島を国有化したのを見て「しめた」と思ったに違いない。これで中国国民を統一できると膝を打ったのだ。そして就任以来尖閣に公船を覇権したり、防空識別圏を設定したり、レーダーを日本艦船に照射させたりして、国民の関心を「反日」に向けた。就任以来反日カードを切り続け、そしてその集大成として「反日パレード」を挙行したのである。


70年も過ぎた今思い出したかのように、誰が見てもあまりにも過剰すぎる「反日宣伝」の場を作ったのである。中国国民の目を日本に向けて、共産党政権の失政を覆い隠し、自らの地位を確保しようとしたのである。


また9月の訪米に向けて対米けん制の意味もある。大陸間弾道弾や、空母キラーのミサイルを誇示し、「どうだ」とどう喝する姿だ。日本に対しては水陸両用車を見せ、尖閣の占拠など訳はないと威嚇する。


しかし軍事専門家の多くが兵器はコピーが多く、実際に機能するか疑問を持つと指摘する。素人でも真似だと分かったのは無人機のパレードだ。中に米国ジェネラル・アトミックス社製の無人航空機「プレデターRQ-1」そっくりのものまで登場した。偽のルイビトンと言い、臆面もなく真似するのは国民性なのであろうか。
 

しかし国際社会においても邪道というものがある。人間関係においても邪道をゆく者は必ず天罰が下る。その天罰が下りつつあるのがバブルの崩壊である。


株価は日本のバブルの時と同様に乱高下を繰り返しながら、次第に奈落の底に落ち込んで行くのだ。先週だけでも中国人民銀行は日本円にしてなんと9兆5千億円というとてつもない資金を市場に投入して株価を維持しようとしているが、まるで業病末期の患者に輸血に次ぐ輸血を繰り返しているような状況だ。


軍事力で米国をけん制するどころか、オバマに資金流出に直結する利上げを思いとどまるように懇願しなければならない場面だ。 
 

さらに加えればパレードは来年1月16日に投開票が行なわれる台湾総統選挙へのけん制だ。台湾の政情は反中路線を取る最大野党「民進党」が躍進し、政権奪取の勢いだ。パレードの戦闘機やミサイルはいつでも台湾海峡を越えられるぞという意味を持つ。


こうして軍事力での示威行動を取りながら、習近平と朴槿恵の会談では日中韓首脳会談を「10月か11月上旬を含む時期に行う」方向を打ち出した。まさに武力で威圧し、猫なで声で「会談しよう」というわけだ。しかし軍事パレードくらいで、安倍が気おされると思うのなら甘い。


アメリカの軍事費は中国の3倍の6100億ドル。これに自衛隊が加わる日米同盟では世界有数の抑止力が構成されることを習は肝に銘ずるべきだ。時代錯誤の軍事パレードは軍事のプロから見れば噴飯物でもあるという。茶番と心得るべきだ。


それより習は今そこに近づいた経済危機への対処、これに伴う暴動頻発の国内情勢の流動化に専念することが指導者としての役割と心得るべきだ。威嚇している暇があったら自分の頭のハエを追えと言いたい。それにつけても安保法制の早期実現はますます重要になってきた。


反対政党やデモ隊は中国軍事パレードの「意味」を悟るべきだ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2015年09月03日

◆野田は隔世遺伝の血が騒ぐのか

杉浦 正章
 


「辞める」は「やる」の橋下徹


鼎(かなえ)の湧くが如き状況になってきた。平成最大の保革激突法案である安全保障関連法案は14日の週の成立へと胎動から陣痛の段階へと入る。


政府・与党は参院の議決がなくても衆院の再議決で成立させる60日ルールはできる限り使わず、参院での可決・成立を目指す。民主、共産など野党は院内外の勢力を糾合して「絶対阻止」(民主党代表・岡田克也)へと動くが、ナイヤガラ瀑布が滝壺に向かうように成立への動きは止められない。


その激流の中で様々な悲喜劇が派生している。自民党では野田聖子の総裁選立候補問題。野党では維新の党分裂をめぐる確執だ。いずれも本流の流れを変える要素はないが、政権にとっては無視できない問題を抱える。


それにつけても隔世遺伝とはよく言ったものだ。野田聖子の祖父は野田卯一だが、やみくもに時の政権を批判し、猪突猛進する傾向を間違いなく受け継いでいる。


筆者は1966年の自民党総裁選をカバーしたが半世紀たって隔世遺伝が表れたとつくづく思う。66年は佐藤栄作が池田勇人を引き継いで2年目の、向かうところ敵なしの状況であり、首相・安倍晋三の現在と酷似していた。総裁選も池田派・宏池会から会長・前尾繁三郎が出るなど多彩な顔ぶれであったが、突然その池田派に所属しながら野田卯一が立候補したのだ。


今の聖子の状況と似て、支持者はほとんどいなかったが、当時の総裁選はそれが可能であった。しかし二けたくらいは取るだろうというのが大方の見方であったが、結果はたったの9票にとどまった。


勝敗を度外視してやみくもに立候補しようとする姿勢は聖子がしっかりと受け継ぎ、2日も安倍独走の総裁選を「安倍首相の無投票再選は国民への欺瞞(ぎまん)だ。傲慢で不誠実だ」とこき下ろした。1日の会合でも出馬に意欲を示しているが、一体何が野田を動かしているかといえば、「遺伝」に加えて「老獪」が存在するような気がする。


老獪とはノーバッジでなお生臭い古賀誠のことだ。安保法案反対の古賀は、野田を使って法案を廃案に持ち込み、安倍を窮地に落とし入れようと究極の勝負をしようとしているのだ。まさに政局への深い読みがなければ出来ない寝技だが、これにまんまとのせられているのが野田なのだ。


野田が立候補できれば安倍は再選が確定的であるものの、国会と総裁選の両面作戦を強いられる。民主、共産両党がここにつけ込んで、「首相が決まらない限り審議に応じられない」というなりふり構わぬ作戦に出る可能性が強い。政界は並んで腕を組みながら足をかける事例など日常茶飯事だが、野田の安倍に対する「傲慢」批判は人間として度を超えている。


小泉純一郎政権で郵政法案に反対して離党を余儀なくされ、その後安倍が支持率を落としてまで野田を自民党に復帰させ「お帰りなさい」と迎えた「恩義」などはとんと忘却の彼方か。いずれにしても祖父の泡沫ぶりを受け継ぐようでは、次の首相への踏み台になることなどは不可能と心得るべきだ。


翻って維新だが、大阪の「辞める」はどうも東京の「やる」と言うことを意味するらしい。また大阪の「党を割る」ということは東京の「割って作る」を意味するようだ。大阪市長・橋下徹も首相を目指すなら男らしく宣言すべきであろうが、永田町が怖いのか、迂回作戦なのか「辞める」「辞める」と、かしましい。結局「おおさか維新」とかの新党を作って、政界転出への足がかりを目指しているのだ。


ならば、手っ取り早く新党を率いて自民党に入党したらどうか。


それよりもっと舞上がっているのが維新の党代表・松野頼久だ。民主党をつい先だって離党したばかりなのに、素直に復党するというならまだよいが、現在はまるで出戻り女が亭主に向かって「財布をよこせ」と言っているような場面だ。


民主党を解党させて、名前も変えて新党にすると言うが、少ない方が「戻ってやる」とばかりに多い方を牛耳ろうとするのは置かれた状況が分かっていないということだ。民主党代表・岡田克也が反対しているのももっともだ。


大阪府知事・松井一郎が「民主党とその仲間たち」と政界で一番馬鹿にされている某政党をもじって揶揄(やゆ)したのは近年にない傑作語録だ。
 

維新の分裂は早いと予見したとおり、早くも安保法案と不信任案をめぐって分裂への流れが著しくなってきている。安保法案の採決に当たって大阪側は「出席して修正案に賛成、政府案に反対」の立場を取る方向だが、東京系は民主・共産両党と同調した強行阻止路線を選択するだろう。


また松野らは民主党の国対委員長代理・安住淳が2日表明した会期末の内閣不信任案提出について、賛成する方向だが、大阪系の国対委員長・馬場伸幸は「永田町の悪しき習慣」として同調しない方針を明確にした。


こうしてとうとうたる流れは、コイや雑魚も一緒くたに取り込んで、世紀の安保法案成立へと流れて行くのである。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年09月02日

◆デモの若者民主、共産デマを見極めよ

杉浦 正章



佳境に到った妄言虚言の扇動
 

60年安保闘争の時に樺美智子が死んだ6月15日のデモが警視庁発表で13万人だったが、今回8月30日のデモは警視庁発表が3万人。主催者発表が12万人。「だいぶん開きがあると思う」と官房長官・菅義偉が皮肉るのももっともだ。


しかし安保闘争の13万人は55年たった今も左翼も使って、数字として定着しており、警視庁の数字が正しかったことを物語る。だいたい近ごろの官邸は、正確な判断材料としての数字を求めており、サバを読んだ昔と異なる。したがって今回の3万人のデモの特徴は、問答無用の全学連による暴徒化したデモを目撃した経験から比較すると、極めて平和的、民主的であり、憲法の保障する集会と表現の自由に即したものであった。


しかしデモの主張は全学連以上に歪(ゆが)んでいる。と言うか、明らかに民主党、共産党のプロパガンダに踊らされている。


「戦争法案反対」「違憲法案」「徴兵制反対」の3大プラカードは、皆同じであり、一定の組織からコンビニでダウンロードして印刷したものに他ならない。参院での安保法制成立が14日の週の秒読み段階に入って、民主・共産両党はなりふり構わぬ教唆扇動を繰り返して、廃案を実現しようとしている。


いくら民主的デモでも、虚構の扇動に乗るようではまさに烏合(うごう)の衆であろう。政府・与党は、残る審議で忍耐強く野党のばらまく誤解の解消に努めたうえで、法案の成立をはかり、激変する極東環境に即応する抑止体制を躊躇(ちゅうちょ)なく整えるべきであろう。また成立後も国政選挙に向けて国民説得活動の手を緩めない事も大切だ。


この野党による無責任な扇動の例を最近テレビで目の辺りにした。30日のTBS「時事放談」では民主党のノーバッジで元官房副長官の藤井裕久が想像を絶する虚言を吐いた。安保法制が成立した場合について「この法案により日本の若者はIS(イスラム国)と戦うため中東に行かなければならない。不安はISと直結している。絶対に阻止しなければならない」と発言したのだ。


おそらくこの発言は、安保法制史上に残る妄言であろう。野党の質問者ですら「ISと戦うのか」などと言う馬鹿げた質問をする議員は最近いなくなった。しかし、デモ当日の朝の番組で参加しようかどうか迷っていた若者が、けしかけられたに違いない。民主党は代表・岡田克也が「徴兵制」のパンフレット作成を指示しており、これも若者を不安に陥れ扇動する卑怯で悪質極まりないプロパガンダであろう。


同じく、NHKの日曜討論でもとんでもない事態が発生した。共産党の政策委員長・小池晃がデモへの参加を呼びかけたのだ。小池は「国会の中は多数派が支配しており、民主主義の力で止めなければならない時がきた」と議会制度無視の革命政党へと先祖返り発言をしたうえに、「2時から国会前で大集会がある。是非この集会にきて頂きたい」と発言、社民党の吉田忠智もこれに呼応した。


NHKという公共の電波を利用して一政党の広報に活用するというなりふり構わずの言動だが、一見中立を粧う司会の解説委員・島田敏男は制止するどころか延々と語らせたのだ。


また、小池は「今度の法案は日本を守ると口実にしながら、アメリカと一体になって世界の中東やアフリカに出かけて肩を並べて戦争をするものだ」と反米教条主義丸出しの「戦争法案」の虚言を吐きまくった。
 

こうして集結したデモでは、ミュージシャン坂本龍一がデモの人数を見て興奮したのか「フランス人にとってフランス革命に近いことがここで起こっているのではないかと強く思っている」と宣うた。しかし政党や労組がうそのプロパガンダで集めた人数が3万人。フランス革命に近いと間違うならむしろ、60年安保だろうが、その後の全共闘は成田闘争、日大紛争、東大紛争、東大安田講堂事件と騒動を繰り返し、1972年のあさま山荘事件で壊滅した。


今回のデモにそれだけのエネルギーが内包されているかと言えば、まず一過性であろう。なぜなら野党の作った虚構の上で踊らされているだけだからだ。
 

こうして国会での論戦で追及に行き詰まって敗北しつつある民主、共産両党などは、無責任な虚言、妄言によってデモを活用する戦術だけに頼ろうとしている。


こうした動きを大局から見れば、野党は相変わらずの一国平和主義でいわば「平和降臨」論に終始しており、今すぐそこにある危機を全く度外視している。その活路はレッテル貼りと虚言・妄言プロパガンダそのものであり、一定期間を置いて選挙をすれば国の安全保障をテーマにした総選挙でかつて負けたことがない自民党がまたまた勝利を占めるに違いない。


岸信介による60年安保改定が55年間にわたる平和の礎を築いたように、今回の安保法制も確実に抑止力として働き、長期にわたる極東の平和を維持出来るものとなろう。若者もデモで政治に参加することは自由であるが、追い詰められた野党にだまされない判断力だけは養わなければならない時だ。


徴兵制はあり得ない。戦争法案ではなく平和法案なのだ。違憲論は曲学阿世の輩の自己主張に過ぎない。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家) 

2015年09月01日

◆潘基文「反日」の狙いは次期大統領選

杉浦 正章



私的野望に事務総長職を濫用
 

特派員として取材した経験から国連を長年ウオッチしてきたが、当たり障りのない小国から選出される国連事務総長は、50年代に事務総長を務めたハマーショルドを除いておおむね無能なお飾りであった。


ハマーショルドはスエズ戦争などで決定的な役割を果たし、しばしば危険な使命を担うことで、国連の役割を高めようとした。自ら危険な紛争地域にも出かけて体を張って職務を果たした名事務総長である。翻って並み居る無能な事務総長のなかでも飛び抜けているのが潘基文であろう。


ニューズウイーク誌はかつて、「グローバルな力量が必用とされるこの時期において、潘基文氏の指揮の下、国連は単に役立たない組織になっただけでなく、あってもなくてもほとんど関係ない存在になった」とまでこき下ろしているが、まずその通りだ。さらに悪いことには最近韓国の大統領選出馬を意識して、事務総長の職をフル活用しだしたことだ。まさに私的野望のために事務総長職を利用しているのである。


その潘基文がこともあろうに9月3日に北京で行われる「抗日戦争勝利70年」の式典に出席することになった。官房長官・菅義偉が「国連には190か国以上が加盟しており国連はあくまでも中立であるべきであり、加盟国に対して、いたずらに特定の過去に焦点を当てるものではなく、未来志向の姿勢を取るよう促すべきだ。」と批判したのはしごくもっともである。


こうした日本政府の懸念表明に対して藩は報道官室を通じて「今年は人類の歴史の中で最も悲劇的な出来事である第2次大戦から70年となる」とした上で、「ポーランドやウクライナ、ロシアでの終戦を記念する式典にも出席してきた」などと説明。「広島市で行われた平和記念式典にも国連幹部を派遣した」ことにも触れ、中立性を強調した。この見解は事の本質を意図的に外している。

例えば広島に国連幹部などを派遣せず何で自分が参列しなかったかと言えば、アメリカを意識してである。北京の式典に出席するのも常任理事国中国を意識してのことである。


藩は2010年に中国国家主席・胡錦濤と会談をしたことがあるが、折から世界の世論はノーベル賞を受賞した民主活動家・劉暁波を拘束から解くべきだとの声が高まっていた。当然世界の目は藩がどう発言するかに注がれたが、一切言及なし。世界世論が呆れ返って「弱腰」の批判が生じたのは言うまでもない。


香港民主化闘争についても「内政事項」とはねつける。そこには強い大国にはへつらい、弱者には味方せずという構図が自ずと浮かび上がる。


加えて世界で最も公平中立が求められる職であるにもかかわらず、国連職員に韓国人をどんどん採用、韓国の元国連大使を重要ポジションに抜擢するなど、立場上避けなければならない人事を平然と断行する。たまりかねた国連職員組合が「親類縁者や友人を頼った求職」を批判する文書を採択する事態もあった。


事務総長室にはもちろんサムスン社製の大型テレビだ。ニューズウイークが「レベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能」と批判するのも当然である。


その潘が事務総長として可能なぎりぎりの外交的な言辞を使って対日批判を繰り返す。13年には慰安婦問題で「日本政府や政治指導者は極めて深く自らを省みて、国際的で未来志向のビジョンを持つことが必用だ」と発言した。これこそ過去に拘泥する韓国の朴槿恵に向けられるべき発言ではないだろうか。


発言や北京の反日パレードに参列する姿勢は明らかに事務総長として公平さを欠く行為である。北京のパレードが意味するものはモスクワでのそれとは異なり、対日示威行為に他ならない。それを察した欧米諸国は首脳の参加を控えているが、藩が無視するかのように参列するには訳がある。それは大統領選挙への「事前運動」である。「反日カード」を切っているのである。
 


潘基文の国連事務総長としての任期は、途中退任がなければ2016年末だ。韓国の次期大統領選挙は2017年である。藩はかねてから側近を通じて最大野党の新政治民主連合などに「出馬したい」と打診している。次期大統領候補が枯渇している韓国において、藩の出馬への期待は大きい。


狡猾にも反日であればあるほど人気は上向く事だけは分かっていると見える。国民の次期候補の人気度について韓国の新聞の調査で藩は40%に達しており、断トツだ。潘の「反日」姿勢は、韓国の国民感情を煽り、大統領選にはプラスに作用する。


こうして歴代総長でも例のない総長職をフルに活用しての、「選挙運動」を展開しているとしか思えない事態となっているのだ。


「反日」朴槿恵の次に「無能の人」が大統領となれば、韓国の地盤沈下はさらに継続する。日韓関係も悪化の泥沼にはまる可能性がある。日本としては本来なら事務総長辞職を要求してもおかしくない事態である。


かつてソ連はハマーショルドのスエズ対応をめぐって辞職を要求したことがあるが、いま藩の辞任を要求をしても、世界的な訴求力には欠ける。今後は「批判的な是是非非」で対応するしかあるまい。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年08月28日

◆維新の分裂で安保修正極めて困難に

杉浦 正章



自民、「元気」などとの修正にシフト


これまもう割れているのではないか。大阪市長・橋下徹も府知事・松井一郎も「辞任」で目くらましをするのが得意だから、分かりにくくなっている。


しかしことは単純だ。もともと維新はヤ党とヨ党の間の「ゆ党」と呼ばれてをり内部に矛盾を抱えている。いずれは来る分裂を先延ばしにしただけのことだ。しょせん首相・安倍晋三と親しい橋下・松井と、民主党との再編を目指す代表・松野頼久らとは水と油。端的に言えば右か左かの路線上の衝突だから早晩分裂だ。


来月14日の週になると予想される安保法案成立を軸に党内部の亀裂は決定的になるものと予想される。このため自民党は法案修正協議の軸足を維新から日本を元気にする会など3小政党へとシフトしつつある。


戦後まれに見る大法案は、超大型台風のごとく政治の全てを呑みこみ、政党に激動をもたらしてゆく。自民党だけは不思議と一致団結を維持している。しかし野党は次世代の党幹事長の松沢成文が、安保法制反対で離党を余儀なくされ、同党は安保支持で固まった。


一方維新には党内に亀裂が走った。そもそも幹事長・柿沢未途が、山形市長選で地元の反対する民主党の候補の応援をしたこと自体が、大阪側へのチャレンジに他ならない。死ぬほど民主党が嫌いな橋下の神経を逆なでする行為であった。盟友松井も激怒して、あわや分裂寸前にまでいったが、橋下にしては珍しい大人の対応で当面の分裂を食い止めた。


なぜかと言えば、長ったらしい橋下の会見で重要発言が一つだけある。それは「安保法制は日本にとって重大な局面であり、こういう状況の時に内紛をやっている場合ではない」だ。珍しく国政への配慮を見せたのだ。
 

これが意味するものは橋下以下大阪グループは基本的に安保法案是認の流れであり、民主党出身の松野や柿沢とは激突のコースをたどらざるを得ないのである。


こうした方向は安倍や官房長官・菅義偉との関係が極めて良好な事から生まれている。関係を決定的に良好なものにしたのは、安倍と菅が大阪都構想での住民投票を支持し続け、橋下にエールを送ってきたことだ。


6月14日には安倍、菅、橋下、松井の4者会談が行われており、維新側からは松野らへの不満が述べられたという。その後最近松井と菅が会談している。安保法制をにらんで政権側のくさびはとっくに打ち込まれていたのであり、それが路線上の対立となって浮上したのだ。山形の市長選挙などは単なるきっかけに過ぎず、路線対立の根は深いのだ。
 

しかし維新が参院に提出した「対案」はとても与党側がのめるものではない。東京系ペースで作られ核心部分で法制の基本原理を覆すからだ。維新案は政府案が集団的自衛権行使の要件としている「存立危機事態」を認めず、個別的自衛権を事実上拡大する「武力攻撃危機事態」を新設するのが柱。これでは法案が骨抜きになり、作る意味がなくなるのである。


また維新は民主党とさらなる対案の作成に動いているが、民主党の息がかかればかかるほど自民党がのめないものとなる。歩み寄りなどほぼ不可能であろう。


これに対して元気や次世代の党、新党改革の3党は国会の歯止めを重視した(1)自衛隊の活動継続中は90日ごとに国会の再承認を義務付ける(2)海外活動を常時監視・事後検証する組織を国会に設置する−−など極めて分かりやすい修正案を提示している。


おそらく自民党はこの程度ならのめるだろう。ただ本法案の修正と言うより、衆院の再可決を回避するため付帯決議にとどめる方向で調整が進み始めた。自民党にしてみれば参院の維新は11人であり、3党は合計すれば15人だ。おまけに賛同する政党の数が増えるのは国民に与える印象が全く異なってくる。枯れ木も山の賑わいだ。自民党は渡りに舟とばかりにシフトしつつある。
 


今後維新の分裂指向がどの段階でより鮮明になるかだが、おそらく早い可能性がある。政府・与党は来月14日の週に安保法案を成立させる方向であろう。維新内部は修正問題や、採決への出欠などに関して極限の対立状態になるものとみられる。国会議員団の分裂がまず先行するかも知れない。


ここで分裂しなければ11月1日の代表選挙に向けて動きが続くだろう。路線論争は過熱する一方だろう。代表選挙は国会議員も、地方議員も一般党員も等しく1人1票制であり、これは大阪系が圧倒的に有利であることを物語る。

したがって代表は大阪系になる方向であり、東京系は窮地に追い込まれる可能性もある。もともと松野は年末をめどに民主党との再編を実現する方針を明らかにしており、これに大阪系がついて行けるわけがなく、分裂の可能性は強まる一方であろう。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年08月27日

◆中国バブル崩壊の内政・外政の激変

杉浦 正章



「格差」置き去りで暴動発生の危機
 
中国の株価大暴落に端を発した世界同時株安が意味するものは、誰もが予測していた中国のバブル崩壊が早くも実証されるに到ったことだ。もう中国はかつての高度成長期に戻ることはなく、米国や日本が歩んできた低成長時代に移行する。


しかし米国や日本の高度成長は極端な貧富の差をもたらさなかったが、中国のバブル終焉は則ち「格差の置き去り」そのものである。1億の富裕層と12億の極貧層の格差だけが残ったのだ。政治面でこれが意味するものは、内政・外政共に波乱の推移であろう。国内では暴動が頻発し、少数民族は先鋭化しよう。


外政では、国民の目を海外に向けるために中国国家主席・習近平は何をするか分からない。東南シナ海は警戒態勢に入るべきであり、抑止のための安保法制の早期成立などイロハのイとなった。


まずどうしてバブルが崩壊し、リーマンショックに勝るとも劣らない「上海ショック」が生じているかである。言うまでもなく端緒は8月11日の人民元の切り下げである。世界中が「そこまでやるか」と改めて中国経済の実態を認識し、株価の下落傾向を導いた。これに追い打ちをかけたのが中国で唯一信頼すべき経済指標である英国調査社による「購買担当者景気指標」である。


中国政府は1〜3月のGDPを7%台と発表しているが、これを経済界では「李克強指数」と呼び誰も信用していない。日本精工の社長・内山俊弘は26日の記者会見で「7%というのは実際は4%前後かも知れないと言うのが実感だ」と、筆者のかねてからの予言を裏付ける発言をした。


これを裏付けているのが21日発表の英国調査社の指標で6年5か月ぶりに分岐点の50%を割り込み、47.1%となった。この数字は2008年のリーマンショック直後の数字と酷似している。これが世界の投資家を市場から逃避させる最大の要因となった。以後とどまるところを知らない世界同時株安となっているのである。
 

バブルが弾けるということは何を意味するかだが、紛れもなく中国経済が怖い物知らずの高度成長期からの離脱を余儀なくされることを意味する。それも米国や日本のように長期繁栄を謳歌できず、短期の繁栄にとどまったのだ。


そして日本がバブル後の空白の20年に直面したように、長期停滞と空白の時代に突入することを物語る。米国を追い抜き、軍事力でも米国を凌駕する勢いと日本の経済評論家が予想してきた流れにはとても復帰できまい。習近平が9月の訪米を前にしてその立場を弱める元切り下げに踏み切ったのは、そうせざるを得ないほど事態は深刻であったからだ。
 

中国が今後どう出るかだが、内政・外政二通りの見方が成り立つ。一つは外政で、習近平が七重の膝を八重に折って国際社会の協力を求める方法だ。


その最たるものが9月の訪米でオバマに「どうか利上げに踏み切らないで欲しい」と懇願すること。アメリカが利上げに踏み切れば、中国から一気に資金が流出して、それこそ本当の通貨危機に突入する。また西欧諸国や日本に対して金融緩和を求めることであろう。


こうした流れを大きく作用するのがトルコのアンカラで9月4〜5日に開かれる、 G20財務大臣・中央銀行総裁会議であろう。ここで先進国が協調して対応を打ち出せれば、上海株は安定基調を取り戻す可能性がある。


こうした協調をリードすることができるのは見渡したところオバマと安倍しかいまい。26日の電話会談は、どうも怪しい。中国問題が主議題であったのではないかと思える。


もう一つは、内政だ。これは深刻だろう。中国は今や完全に中国共産党員という“エリート集団”が富裕層となり、バブルの崩壊で地方からの出稼ぎ労働者やチベット、ウイグルなど辺境民族は切り捨てられる宿命となった。


なぜなら、高度成長が続けばやがては恩恵が13億の民全般に行き渡るはずであったのが、「共産党貴族」が誕生しただけで高度成長は終わり、格差だけが残ったからだ。これはロシア革命の例を挙げるまでもなく、習近平路線にとって決定的とも言える格差の矛盾を抱えることになるからだ。つまり十分に体制破壊の「革命要因」となりうるのである。
 

失業率が高まることは必定であり、暴動の頻発も避けられまい。そうなってくると、1党独裁の軍国主義国家を維持するためには、国民の怒りを海外に向ける誘惑に駆られる可能性は十分にある。やり方は簡単だ。海洋膨張路線を強めるのだ。


場合によっては東南シナ海であえて軍事衝突を演出する可能性も十分考えられる。米軍機や自衛隊機を領空侵犯と称して一機撃墜しさえすれば、国民の反米・反日を煽ることができる。事態は一国のバブルの崩壊では済まされない政治・外交・安全保障上の問題を惹起(じゃっき)しているのである。


集団的自衛権の行使が今ほど対中抑止力として重要な時はない。野党も方向音痴のデモ隊も目を覚まして、早期成立を図るべきだ。

        <今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2015年08月26日

◆戦略的転換迫られる安倍の対露外交

杉浦 正章
 


「北方領土」は当面“棚上げ”でよい
 

「男なら腹切れ」と言うなら、さしずめロシアに対しては「男なら首吊れ」だろう。ドストエフスキーの小説の時代からロシアの自殺は首吊りと相場が決まっている。冗談はともかくとして対露外交が面白い。


まだ誰も指摘していないが大局を俯瞰すれば、首相・安倍晋三の最大の武器は来年の伊勢志摩サミットの議長国として、プーチンの締め出しを定着化させられることだ。さらに今までやるふりだけをしていた対露制裁を、米国やカナダ並みのレベルにまで上げることも検討すべきだ。


対露外交は甘い顔をした瞬間に付け入れられることを肝に銘ずるべきだ。ロシア人は鈍いから相当のパンチを効かせないと痛痒を感じない。プーチンがメドベージェフを使って対日強硬路線を強調するなら、安倍は外相・岸田文男と官房長官・菅義偉を使ってどんどん強硬発言をさせればよい。


北方領土などはロシアがつぶれそうになって、日本に「買ってくれ」と言い出すまで、「欲しがりません」くらいのポーズが必用だ。当分は「戦略的棚上げ」でよい。


プーチンがなぜこの時期を選んでメドベージェフに北方領土へと足を踏み入れさせたかだが、明らかに安倍に対する揺さぶりだ。


安倍もサミット前にウクライナを訪問してプーチンの神経を逆なでしているから、その“返礼”でもある。揺さぶりというのはプーチには安倍が北方領土返還実現を渇望していると映っており、それを利用してここで揺さぶりをかけて、G7を分断しようという邪心がありありと見える。


プーチンはやはり対露制裁で倒産企業続出のイタリアを訪問して分断を図っており、第一の狙いは「G7分断」だ。もともとプーチンに領土問題を本気で解決しようなどという気持ちはないのだろう。


クリミア併合で国民の愛国心を刺激して支持率が90%に上がっているのに、返還などしたら支持率ゼロ%になると本心では思っているに違いない。だから安倍に対しては時々おいしい話があるようなそぶりをして、引きつけようとしているだけなのだ。プーチンは狡猾さにおいては世界の指導者の中で卓越した能力があるが、見破られてはどうしようもない。


加えて世界的な孤立の中で中国国家主席・習近平の対露接近は渡りに舟の願ったりかなったりだ。折から9月3日には抗日戦勝記念式典が北京である。おそらくプーチンは安倍が出席すれば会談する方向であったと思われるが、KGBから「安倍訪中せず」の連絡をいち早く受け取ったのだろう。「それならやったれ」とばかりに、メドベージェフを訪問させたのだ。


こともあろうにメドベージェフは「国後、択捉を“優先発展地域”とする」と宣言、日本の投資を呼びかけた。日本が応ずるわけがないから同時に韓国、中国にも呼びかけた。この際安倍は両国、とりわけ韓国に対して「日本の領土であり応ずるべきでない」とクギを刺すべきだ。


副首相の切腹発言といい、人の神経を逆なでする術には長けているが、しょせんは権謀術数ばかりのロシア外交は王道を行くものではない。今ロシア経済の実態はG7による経済制裁、国際原油価格の下落、ルーブル安という「三重苦」に直面している。やがては共産党政権がそうであったように「切腹」ならぬ「首吊り」の憂き目を見かねない状況だ。
 

一方で、一連のロシアの姿勢は安倍の極東外交戦略に大きな壁となって立ち塞がるものとなった。安倍は中露による反日共闘を回避するためもあって、ウクライナ問題でもロシアには比較的融和重視の路線を取ってきた。中露分断であり、これは基本的には正しい。


しかし世界的に孤立している中露両国は「同病相憐れむ」路線を取り始めて、安倍による分断が現段階では難しい状況になってきたのだ。極東外交、とりわけ対露外交は中国とのバランスが常に重要な要素として作用する。


日本がどちらかに接近すれば一方とは疎遠となる構図である。したたかな安倍がそのバランスを考慮しないわけがないが、当面は対中接近に傾斜してもよいのだろう。そして叩かなければ動かない「駑馬」ロシアをけん制するのだ。
 

G7では、独首相メルケルが対露融和路線だが、米加両国はむしろ「対露制裁戦争」の様相を強めており、プーチンは相当追い詰められているのであろう。何を血迷ったか核兵器使用まで口にするに到っている。紛れもない新冷戦構造である。


来年の伊勢志摩サミットまでこの関係が好転することは予想できない。一時は安倍周辺に同サミットでプーチンの復帰を模索すべきであるとの声もあったが、とても無理になったのではないか。


安倍はプーチンの揺さぶりを逆手にとって、対ソ離反姿勢を強め、米国と同調するしかあるまい。北方領土は実効支配を定着させないために常に領有権の主張は続けるにしても、早期返還などは夢のまた夢だ。


ロシアを政治的、経済的に追い詰め、1867年にアラスカを米国に売却したのと同様に、「売り食い」になるのを待つのも一興であろう。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年08月25日

◆なぜ安倍再選の流れか・自民党総裁選

杉浦 正章



決断できぬ野田は“首相失格”
 

政界予測係からみれば何で今頃マスコミは「安倍無投票再選」なのかと首を傾げる。


筆者は4月に「再選確実」、6月には「無投票再選」を書いており、悪いけど圧倒的にリードしている。昔は競争が激しかったが今の政治記者は「赤信号みんなで渡れば怖くない」というぬるま湯型報道なのであろうか。


その首相・安倍晋三の前途に“暗雲?”を垂れ込ませているのが週刊誌の「安倍健康不安説」だ。19日発売の週刊文春が「6月30日夜ホテルで血を吐いた」と報ずれば、日刊ゲンダイやら週刊ポストがやれ嘔吐だ血へどだと書きまくっている。週刊誌報道が「与太」かどうかは、その後に全国紙やNHKが追随するかどうかがポイントだが、全くその気配はない。


そもそも週刊誌の報道などというものは、政治記者が自分で書けないか書かない情報を幾ばくかの謝礼欲しさにリークするケースが多い。本筋情報なら自分で書くが、与太で書けないと思ったら「こんな情報があるよ」と売り込むのだ。
 

新聞記者は与太を書けば左遷されるが、週刊誌は与太を書けば書くほど昇進するのであり、この構図は昔から変わらない。安倍事務所が文芸春秋社長の松井清人らに対し、「全く事実無根の内容が含まれている」として、記事の撤回と訂正を求める抗議文を送ったが、こればかりはカエルの面に小便だろう。


そこで筆者は百聞は一見にしかずとばかりに24日の参院予算委における安倍の質疑応答ぶりをつぶさに観察した。安倍は風邪を引いたのか鼻声で時々咳をしてをり、若干疲れている感じを受けたが、きびきびと席を立つ姿からは重病の症状など感じられない。


答弁も質量共に十分であった。福島みずほが70年談話で「女スズメバチ」のごとく金切り声を上げて安倍に迫ったが、安倍は殺虫剤「アース」を吹き付けて寄せ付けなかった。
 

永田町では古来首相の病気ほど面白いものは無い。筆者は超特ダネを田中角栄からもらったが、「厳重オフレコだ」と言われたから書かなかった。


それはある晩池田勇人が盟友である田中と痛飲した際に、池田は自分の手のひらに「カッ!」と血痰を吐き、「角さんもう駄目だ」と、のどの癌にかかっていることを打ち明けたのだ。まもなく池田は「前癌症状」で東大病院に入院して、政権を去った。それでは安倍の盟友は何と言っているかだが「杉さん、馬鹿馬鹿しくてコメントもできないよ」だそうだ。
 

それでは総裁選に戻るが、なぜ安倍が独走状態にあるかだが、まず最初に指摘するのは公平に見て安倍が長年政治の劣化に苦しんだ日本という国が得た卓越した首相であることだ。そしてこの認識は自民党の大多数に存在しているのだ。


とりわけ1年で交代した民主党政権の鳩山由紀夫や菅直人の体たらくを見せつけられて、それこそ「反吐」が出る思いがまだ自民党内に残っているのだ。鳩山に到っては韓国で“抗日”の象徴の記念碑の前でぬかずいたが、これは1970年にドイツ首相・ブラントがワルシャワでひざまずいたのを「猿まね」したに過ぎない。


こういうみっともない元首相を見ていれば、安倍がよく見えるのは当然だ。また国政選挙で連続3度圧勝した首相は過去にいない。
 

加えて外交安全保障と経済の両面において安倍が誰が見ても手腕を発揮していることは否定出来ない。外交・安保ではアメリカ議会でのスタンディングオーベーションの数が全てを物語っている。アベノミクスについて蓮舫が国会で安倍に面と向かって「アベノミクスは失敗」と 「宮本武蔵」に出でくるお杉婆のごとく毒針を吹いたが、全く失敗していない。


民主党政権下での雇用倍率、失業率と比べてみるがよい。毒針は蓮舫の経済知識の無さを露呈しただけだ。中国のバブルが弾けて、その影響が株価に出ているが、世界同時株安であり、日本だけが影響を受けているわけではない。アベノミクスの真価が問われるのはむしろこれからだ。
 

過去に無投票再選のケースは多いが、自らの「実力」で無投票再選を勝ち得たのは、中曽根康弘と小泉純一郎だけである。ほかは実力型再選と言うよりも前任者の任期が満了したことに伴う例が多い。安倍は3人目となる。


唯一の問題が前総務会長・野田聖子がどう出るかだ。、今のところ立候補に必用な20人の推薦人は集まっていない。野田は21日、「毎回毎回、立候補を考えてはやめたり、やめさせられたり、いろいろある。今も同じような状況でその延長線上だ」と述べているが、優柔不断を絵に描いたような発言だ。


昔の日本の女に多いケースであり、自分で決断できない。まさに最初から首相失格を露呈してしまっている。発言からは、いまやノーバッジの仕掛け人と化した古賀誠の入れ知恵が垣間見える。つまり「まだ安倍が失敗して票が流れるかもしれんから断念するな」であろう。だから決断できないのだ。
 

こうして紛れもなく安倍長期政権が見える状態だが、安倍は張り切りすぎるから不安が残る。歴代首相で外交内政に渡りこれだけ活動的な首相は見たことがない。牛若丸ではないが、ここと思えばまたあちらだ。問題はこのペースを長期に維持出来るかどうかだ。


佐藤栄作の名秘書官・楠田實に筆者は可愛がってもらったが、あるとき「秘書の仕事はいかに来客をさばくかが最も重要だ。俺は悪者になるのを承知で佐藤との面会者を絞っている」と述べていた。


安倍の首相動静を見るとこんなのとまで会うかと言う例が多い。来客は官邸にうじゃうじゃいる「政府高官」に委ねて、安倍にものを考える時間を作ることが国のためにも本人のためにも不可欠だ。

         <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年08月15日

◆翁長説得は八百屋で鯛求めるに等しい

杉浦 正章



主張が県民扇動の感情論に終始
 

「嘉手納沖合に墜落しました。基地のそばに住んでいる人は大変なことだ」と沖縄県知事・翁長雄志は官房長官・菅義偉との会談で切り出したが、米軍ヘリの墜落はまるで反対側のうるま市東側の海上。嘉手納基地近辺住民には何の影響もない。


墜落の事実関係まで鬼の首を取ったかのように誤って利用しようとする。翁長の姿勢はいかんともし難い。事程左様に会談は公式の会談では成り立ち得ない「翁長の感情論」が目立った。これでは先が見えている。


米軍ヘリの墜落はむしろ普天間基地移転での危険性除去の必用を改めて確認するものに他ならない。住宅密集地の基地は、いつ墜落事故が起きるか知れない危険性と常時隣り合わせしている。その普天間移転に翁長が反対するのは、「普天間周辺の墜落事故での住民の犠牲を背景に、基地反対闘争を盛り上げようとしている」という“うがった見方”を裏付けてしまうことになるのではないか。

菅が普天間移転について「基地の世界一危険な状況除去が原点である」と述べたのは、しごくもっともであろう。


これに対して翁長は「それが原点ではない。普天間の住民がいない間に強制収容された基地が原点だ」と根拠のない感情論を展開した。さらに続けて「自分が奪った基地が世界一危険だから、老朽化したからもっとお前たち出せと。こんな理不尽なことはない」と述べた。


一連の発言は真面目に論理的に話をしようとしている菅に、翁長が反対闘争を意識、扇動するための感情論で対応していることが明白だ。「もっとお前たち出せ」という言葉は、県民の間に被害者意識を拡大することを狙ったものであり、事の本質をねじ曲げるものに他ならない。


移転と同時に普天間基地と嘉手納以南の米軍基地の7割が返還され、海兵隊員の約半分9000人がグアムなどに移転するのである。沖縄の基地負担はまぎれもなく軽減されるのであり、これが「もっと出せ」となる発想自体がおかしい。


翁長は私的諮問委員会に前知事・仲井真弘多の埋め立て承認を「法的な瑕疵(かし)がある」と決めつけさせ、これを根拠に発言しているのだろうが、中央政界でも最近はやらない「お手盛り審議会」の結論には説得力がない。自分の都合で集めた第三者委員会に公正中立性があるとは言えまい。


前沖縄県知事・仲井眞弘多時代に、埋め立て承認を理論づけた県庁職員をないがしろにするものでもある。19年前の日米移転合意、16年前の知事の同意に基づく閣議決定、1913年の仲井真の移転承認に至るまで忍耐強く地元の説得を続けてきた自民党政権の、移設工事本格化には何の瑕疵(かし)も見られない。現に翁長自身がかつては移転に賛成をしていたではないか。


会談の結果について菅は「出発点が違うから距離はあるなという感じであった」と述べているが、菅ほどの人物が結果を読めずに会談に臨むわけがない。政府の普天間移設とこれを阻止する翁長の構図は変わりようがないのであって、会談はいわば政府が国民を意識し、翁長が県民の反対勢力だけを意識する「儀式」のようなものであろう。


しょせんは物別れが目に見えているのである。また審議会の答申を盾にとって翁長は8月中に埋め立て承認を取り消す方針であったようだが、政府は安保法制の参院審議が佳境に入る時期に取り消しをされては、国会審議に及ぼす影響が甚大とみて、「集中協議」の場を設定したに過ぎまい。


翁長は「沖縄の『飢餓感』を理解できなければ、個別の問題解決は難しい」と、今度は自己陶酔型の感情論を展開したが、中国が尖閣列島はおろか沖縄本島まで狙いを付けている現状をどう見るのか。中国支配下においては「100倍1000倍の飢餓感」が県民を襲うことに考えが及ばないのか。


指導者なら、自己保全のために県民を扇動することはやめて、激動する極東情勢の中で沖縄の地政学的な立ち位置を熟慮するべきであろう。しかしこればかりは八百屋で「鯛くれ」と言うようなものだ。

      <今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2015年08月13日

◆翁長説得は八百屋で鯛の求めに等しい

杉浦 正章



主張が県民扇動の感情論に終始
 

「嘉手納沖合に墜落しました。基地のそばに住んでいる人は大変なことだ」と沖縄県知事・翁長雄志は官房長官・菅義偉との会談で切り出したが、米軍ヘリの墜落はまるで反対側のうるま市東側の海上。嘉手納基地近辺住民には何の影響もない。


墜落の事実関係まで鬼の首を取ったかのように誤って利用しようとする。翁長の姿勢はいかんともし難い。事程左様に会談は公式の会談では成り立ち得ない「翁長の感情論」が目立った。これでは先が見えている。


米軍ヘリの墜落はむしろ普天間基地移転での危険性除去の必用を改めて確認するものに他ならない。住宅密集地の基地は、いつ墜落事故が起きるか知れない危険性と常時隣り合わせしている。


その普天間移転に翁長が反対するのは、「普天間周辺の墜落事故での住民の犠牲を背景に、基地反対闘争を盛り上げようとしている」という“うがった見方”を裏付けてしまうことになるのではないか。菅が普天間移転について「基地の世界一危険な状況除去が原点である」と述べたのは、しごくもっともであろう。


これに対して翁長は「それが原点ではない。普天間の住民がいない間に強制収容された基地が原点だ」と根拠のない感情論を展開した。さらに続けて「自分が奪った基地が世界一危険だから、老朽化したからもっとお前たち出せと。こんな理不尽なことはない」と述べた。


一連の発言は真面目に論理的に話をしようとしている菅に、翁長が反対闘争を意識、扇動するための感情論で対応していることが明白だ。「もっとお前たち出せ」という言葉は、県民の間に被害者意識を拡大することを狙ったものであり、事の本質をねじ曲げるものに他ならない。


移転と同時に普天間基地と嘉手納以南の米軍基地の7割が返還され、海兵隊員の約半分9000人がグアムなどに移転するのである。沖縄の基地負担はまぎれもなく軽減されるのであり、これが「もっと出せ」となる発想自体がおかしい。


翁長は私的諮問委員会に前知事・仲井真弘多の埋め立て承認を「法的な瑕疵(かし)がある」と決めつけさせ、これを根拠に発言しているのだろうが、中央政界でも最近はやらない「お手盛り審議会」の結論には説得力がない。自分の都合で集めた第三者委員会に公正中立性があるとは言えまい。


前沖縄県知事・仲井眞弘多時代に、埋め立て承認を理論づけた県庁職員をないがしろにするものでもある。19年前の日米移転合意、16年前の知事の同意に基づく閣議決定、1913年の仲井真の移転承認に至るまで忍耐強く地元の説得を続けてきた自民党政権の、移設工事本格化には何の瑕疵(かし)も見られない。現に翁長自身がかつては移転に賛成をしていたではないか。


会談の結果について菅は「出発点が違うから距離はあるなという感じであった」と述べているが、菅ほどの人物が結果を読めずに会談に臨むわけがない。政府の普天間移設とこれを阻止する翁長の構図は変わりようがないのであって、会談はいわば政府が国民を意識し、翁長が県民の反対勢力だけを意識する「儀式」のようなものであろう。


しょせんは物別れが目に見えているのである。また審議会の答申を盾にとって翁長は8月中に埋め立て承認を取り消す方針であったようだが、政府は安保法制の参院審議が佳境に入る時期に取り消しをされては、国会審議に及ぼす影響が甚大とみて、「集中協議」の場を設定したに過ぎまい。
 

翁長は「沖縄の『飢餓感』を理解できなければ、個別の問題解決は難しい」と、今度は自己陶酔型の感情論を展開したが、中国が尖閣列島はおろか沖縄本島まで狙いを付けている現状をどう見るのか。中国支配下においては「100倍1000倍の飢餓感」が県民を襲うことに考えが及ばないのか。


指導者なら、自己保全のために県民を扇動することはやめて、激動する極東情勢の中で沖縄の地政学的な立ち位置を熟慮するべきであろう。しかしこればかりは八百屋で「鯛くれ」と言うようなものだ。

          <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年08月11日

◆原発は生まれ変わって平成希望の火に

杉浦 正章



朝日も条件付き再稼働に大転換
 

「一部国民」の批判は3度の国政選挙でクリア
 

1957年8月、岸内閣発足間もない頃原発の灯がともった。当時のマスコミは「緑の火がともった」と報じ、国中がエネルギーの明るい未来を予見したものである。そして58年を経た今日(11日)原発の最初の再稼働が秒読みとなった。


1年11カ月ぶりに国内の「原発ゼロ」が終わり、再び原子力が日本のエネルギーミックスのなかで主要な地位を占める第一歩となるのである。「安全神話」を返上し、科学的知見を駆使して「安全対策」を施した上での川内原発再稼働は、日本のエネルギー政策に新たな地平線を描くものになるだろう。


また原発反対論が喧(かまびす)しい中で、突破口を開くものと位置づけられる。3.11以来マスコミや選挙選を通じて蓄積された反原発イデオロギーに対するまぎれもない勝利を意味する。


なぜ勝利かと言えば朝日新聞が最近またも再稼働容認へと大転換したからである。またもというのは同社の歴史が、日米安保反対から事実上の安保支持、慰安婦強制連行から同連行否定、PKO法案反対から支持へと極めて重要な政策で大変換を臆面もなく行ってきたからである。


今回も2011年の東日本大震災をきっかけに「原発ゼロ」を社是としてきた。とりわけ産経が「ハーメルンの笛吹き男」と唾棄してきた元首相・小泉純一郎の「原発ゼロ」の主張に、朝日はもろ手を挙げて賛成。社説でも「原発ゼロ、最後は国民の意思だ」とバックアップした。


ところが朝日は最近になって「ゼロにすべきだ」をちゅうちょするようになり、ついに7月30日の社説「原発再稼働を考える」で「最後の手段としての再稼働という選択肢を完全に否定するのは難しい。それでも、個々の原発に対する判断は、きわめて慎重でなければならない」と文句をたらたら述べながらも再稼働容認に大転換したのだ。


それも極めて密やかに。いつも思うのだが煽られて行動を起こした人はどう思うだろうか。はしごを外されたと思わないだろうか。もっとも社説の変化など気にしている人は少ないだろう。こっそり変えれば分からない。きょうの主見出しも「原発ゼロ2年で停止」とまるで他人事だ。同じ事を安保法制反対でするのはいつになるだろうか。その時は必ず来ると思う。


とにかく朝日は「絶対反対闘争」が成り立たないと判断して、条件闘争に転換したことを意味する。


同社は7月3日の社説で「中国と温暖化―対策の強化と前倒しを」と題して中国が二酸化炭素の量を、2030年には05年に比べて60〜65%減らすことを大歓迎する社説を掲載したが、なぜそれが可能になったかについては誤判断をしている。


可能になったのは現在の22基に加えて27基もの原発を建造中であるためだ。それに全く言及しておらず、重要ポイントを知らずして良く社説が書けるものだと思う。何ときょうの社説では原発再稼働を無視している。おそらく書きようがないのだろう。


これまで過去3回の総選挙、都知事選挙などで原発は最大のテーマとなったが、全て自民党が圧勝しているのは、国民の「声なき声」が安全なる原発の否定にないことをいみじくも物語っている。それに、原発は停止しているから安全なのではない。むしろ動かさないと安全が維持出来ないというのが専門家の常識なのだ。


米国・原子力規制委員会(NRC)を代表して来日した安全・危機管理コンサルタントのチャールズ・カスト博士は「『停止=安全、発電=危険』ではない。規制委は一番安全な原子炉とは、運転を停止している原子炉だと思っているようだが本当に理解しているか疑問だ」と規制委の姿勢を批判。


「長期停止していると、現場職員たちは運転の感覚を失ってしまう。加えて設備や機器も劣化する可能性が高い。稼働しながらでないと、良いパフォーマンスを発揮できない。原子力安全の基礎は、定期的に稼働していることによって成立するものだ」と断定した。


確かに規制委の審査は長引きすぎる。さらに朝日と提携関係にあるニューヨークタイムズ紙は社説で「原子力発電の危険性は現実のもの」と指摘しながらも「再生可能資源が全ての化石燃料や原子力の燃料を代替できるのは遠い先のこと。


それまでは原発が大気中の温室効果ガス濃度を上げずに発電する重要な手段となる」と書いた。同じリベラルで思考的依存度が高い提携紙までが原発必要論では、朝日も慌てざるを得まい。


こうして正しい既成事実が積み上げられようとしている。政府も原発ありきの姿勢でなく、現在の科学的知見を全て上積みした上での再稼働認可である。川内原発は新しく生まれ変わったと言ってもよかろう。地震への備えは620ガルを想定しており、これは福島原発が受けた550ガルの振動を上回る。


「事故が起きない」としてきた安全神話から脱して「事故が起きうる」と想定した規制委の安全基準を十二分に満たすものである。政府は原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、原発比率を2030年度までにに20〜22%とする目標を掲げている


世界のエネルギー事情の潮流を見れば中国を始め新興国を中心にまさに原発ブームが起きつつある。中国や韓国は、安価で危険な原発をどんどん輸出しようとしており、これは危険をばらまくようなものだ。ここは災いを転じてより一層安全度を増した日本の原発が、世界基準とならなければなるまい。


カスト博士も「日本の安全対策は世界最高の水準」と賞賛している。多くの犠牲者を出した地震で得た知見は貴いものがあり、これを日本は惜しみなく世界の原発新増設に役立たせなければなるまい。


それには輸出推進はもちろんのこと政府主導で、原発安全のための世界フォーラム開催など組織だった主導が得策だろう。


もちろんこれで事を終えてはならない。廃炉になる原発は建て替えでより安全性を高めて、地域に貢献する必要がある。新増設も視野に入れるべきである。また核燃料サイクルのための六ヶ所村の再処理工場は操業開始のめどが立ちつつある。操業開始が見えているのだ。


ここは政府の責任で軌道に乗せて、悲願の核燃料サイクルを実現させなければなるまい。

       <今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

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