杉浦 正章
反対するならもっと理論武装せよ
さすがに日本は民主主義国家だ。安保法制に関しても反対意見が堂々と展開され、隣国のように牢屋に入れられることもない。しかし、多くのマスコミの報道は反対意見に偏しており、公平さを欠くケースがほとんどだ。
とりわけ放送法で中立性を求められているにもかかわらず、テレビ朝日やTBSなど民法が反対派の巣窟(そうくつ)となっている。何百万もの視聴者に対して大きな影響をもたらしている大民放に対して、筆者のブログなどはまさに「蟷螂(とうろう)の斧」だ。はかない抵抗だが、厚顔無恥かつ無知蒙昧(もうまい)な論議には言うべきことを言わなければなるまい。
まず9日夜の報道ステーションである。何と元最高裁判事に反対論をしゃべらせた。政権側が、自衛の措置を「国家固有の権能の行使として当然のこと」とする最高裁の砂川判決を根拠にしていることへの反論だ。現在弁護士の濱田邦夫は「もちろん違憲です」とあっさりと安保法制を否定。
ところが付け加えて「去年の夏の安倍内閣の閣議決定は選挙の主題になっていない」と宣うた。これは最高裁判事としてけっしてやってはいけない重大な事実誤認である。安倍が過去3回の国政選挙で公約にかかげ、テレビ党論などでも決意を表明して実施に移したことを知らない。
まさに無知蒙昧(もうまい)なる「判決」であり、合憲を決めた最高裁15人の裁判官のうちただ一人判決に反対して個別意見を付けたようなものだ。最高裁判事としては「大恥」をかいたのと同様だ。
次に今売り出しの評論家・孫崎享だ。外務省国際情報局長まで経験しながらなぜかバリバリの反米論者で、安倍という名前を聞いただけで反対論を滔滔(とうとう)と述べるので有名。
孫崎は9日早朝の文化放送で「集団的自衛権を行使したら自衛隊の人達が必ず死ぬ。(安倍は)説明出来ないだろう」と述べた。これは自衛隊の本分を知らない。国家存亡の有事の時にリスクを冒すのが自衛隊であり、なぜリスクを冒すかと言えば、孫崎の家の真上で北朝鮮の原爆搭載ミサイルが爆発するからに他ならない。
宣誓して入隊した自衛隊員のリスクの方が大事で、自分や家族のリスクはどうでもいいのか。また「死ぬ」というが、法律に基づいて普段からの訓練をすることにより、法的な根拠がなくろくろく訓練できない現在より死ぬ確率は格段に低い。
孫崎は「なぜ急いでやらなければならないのか」というが、外務省高官まで経験しながら、緊迫した極東情勢を全く理解していない。外交官としては落第だったに違いない。このような「外交官」を“育成”してしまった外務省も外務省だ。
6日の沖縄での地方公聴会で名護市長・稲嶺進は「法案が成立すれば自衛隊と米軍が一体となって軍事行動を展開することになる。結果としてわが国が他国の紛争に巻き込まれるリスクが高まる」と発言した。老獪(かい)なのは、あたかも自衛隊が米国の戦争に全て参戦するというデマゴーグを構成していることだ。
これは安保条約があるから戦争に巻き込まれるとする安保改定以来の古色蒼然たる「巻き込まれ論」だ。しかし改訂後55年間戦争に巻き込まれることはなかった。
戦争に巻き込まれるかどうかは、首相として最も重要な決断だが、戦後の首相でその判断を間違った者はいない。「他国の紛争」のために何処の国の首相が自分の国の若者の命を危険にさらすだろうか。そんなことをするわけがないではないか。“老獪論理”もこれではすぐに破たんする。
同じ公聴会で前琉球新報社長の高嶺朝一は「私は尖閣問題が自衛隊の役割拡大のために利用されたと思っている」と発言した。いかにも地方の知識人がしゃべりそうなもっともらしいこじつけだし、マスコミ人としてあってはならないうがち過ぎの見方だ。
高嶺は尖閣の近くに住みながら、なにも分かっていない。スクランブルの音が聞こえないのか。10年間で7倍ものスクランブルだ。中国公船の侵入は常態化しており、自衛艦に対して「やーい弱虫。攻撃できないだろう」とばかりにレーダー照射するという挑発を行っている。
地方の知識人の悪い癖は思い込むと視野狭窄(きょうさく)に陥ることではないか。沖縄2紙の極端な左傾化は、このようなバランスを欠いたトップの存在が大きな原因となっているのではないかと推測できる。
野中広務はTBSの時事放談で安保法制について「3国会をまたいでやるべきだ」と述べたが、何で3国会なのか。95日間の大幅会期延長は優に3国会分の会期であり、審議日数としては十分すぎるほどだ。
古賀誠は「一度国会を閉じる必要がある」と主張したが、これも理由がわからない。閉じれば次の国会で成立してもいいのか。
藤井裕久も「集団的自衛権はアメリカの要請に応じて世界の果てまで行くことになる」と幼稚な分析をしたが、法文に「世界の果てまで行く」と書いてあるのか。それに安倍は湾岸戦争やイラク戦争には参加しないと明言している。もちろん9条の許容範囲外という解釈だ。
ノーバッジ3人組は、安保法制を読まずに、主に民主、共産両党の主張だけを頼りに、年寄り特有の耳学問で論理構成しているようにみえる。議員を辞めると言うことは、やはり本筋の情報から遠ざかる事を意味して、かつての切れ味もなく、秋風もまだ先なのに、ものの哀れすら感ずる。
それにつけてもテレビで堂々と語るなら、もう少しでいいから勉強して欲しい。法制を熟知している者が見ていることもお忘れなく。
<今朝のニュース解説から抜粋> (政治評論家)