2015年06月11日

◆憲法学者はGHQの洗脳から離脱不能

杉浦 正章




枝野は政治学入門の講義を受け直せ
 

自民党副総裁・高村正彦が「私が批判しているのは憲法学者の言うことをうのみにしている政治家だ」と民主党幹事長・枝野幸男に切り返したが、見事に急所を突いている。


枝野の「谷垣氏も高村氏も40年前の憲法議論をベースにしているのではないか。40年間、どれほど憲法の勉強をしたのか。もう1回、大学の憲法の授業を聞き直せ」との批判に反論したものだ。高村発言は、憲法学者3人の安保法制違憲論が、いかに時代と安保環境にマッチしていないかだけでなく、これに踊る朝日新聞とその論調に踊らされるポピュリズム政治家・枝野、辻元清美らを諫めたものだ。


憲法の授業は先に指摘したとおり、大先生たちが戦後70年同じ帳面を読み上げているものであり、聴講に全く値しない。枝野は大学の政治学入門から講義を聴き直して物を言った方がよい。


集団的自衛権の限定行使論議は、最高裁の合憲判決に基づく政治マターであり、浮き世離れした学者の違憲論を根拠にする限り民主党に勝ち目はない。既に負けると予想しているから“今をときめく”辻元が憲法解釈変更について「再び民主党政権になったら元に戻した方がいい。」と発言しているではないか。「民主党政権」が未来永劫(えいごう)あり得ないとすれば、元に戻すこともあり得ないのだ。


官房長官・菅義偉が安保法制合憲論の学者の名前を挙げた中で中央大名誉教授・長尾一紘の発言が一番問題の核心を突いている。長尾は毎日に「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と指摘した。


確かに法学者は「洗脳工作」で戦争直後に作った大学講義の帳面が代々引き継がれているとしか思えない。連合国総司令部(GHQ)は戦争直後の7年間の占領期間中、国民の間に植え付けられた軍国主義の思想を徹底的に洗い直す「洗脳工作」(War Guilt Information Program)に専念した。


戦争の罪悪感を日本人の心に植え付け、絶対平和主義が理想であるかのごとき思想を徹底させた。これは軍国主義の復活で日本が再びパワーを持つことを恐れたものだ。平和憲法もその流れをくむものであろう。
 

この日本の牙(きば)抜き洗脳工作はその後の朝鮮戦争の勃発など環境激変で意義を薄れさせたが、極東をめぐる情勢は、天から平和が降ってくると言う思想では対処しきれなくなった。天から降ってくるのは200発のノドンであり、中国は漁船を巡視艇に衝突させて、尖閣領有の可能性を探っている。


この状況変化に対応できないのが憲法学者であり、それを政治的に活用しようとするのが民主党なのだ。世論調査ではまだ反対が多いが、いざ国政選挙で安保問題がテーマとなれば、自民党は勝つのが過去の例だ。1960年11月に行われた総選挙は安保闘争直後にもかかわらず選挙への影響はほとんど無かった。


逆に、社会党と民社党の分裂により、自民党が議席を増やした。沖縄返還後の総選挙も圧勝しており、安保が争点になれば自民党は負けたことがない。したがって自民党は来年夏の参院選か衆参ダブル選挙に、堂々と安保法制問題を提示すればよいことだ。


砂川判決は唯一の最高裁による国の安全保障に対する合憲判決であり、朝日は今日(11日付)の社説で「また砂川判決とは驚きだ」と書いているが、この主張の方が驚きだ。砂川判決に準拠して安保法制を作らずに何に準拠せよというのか。


59年の砂川判決は、「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているのであり、あまりにも明白すぎて議論の余地がないほどだ。判決には個別的自衛権とも集団的自衛権とも書き込まれていないが、全てを包含するというのが常識だ。


さらに重要なのは砂川判決の後半部分である。「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」としている。これが物語るものは国の安全保障に関しては最高裁ではなく政治の判断に委ねるという事であろう。


それはそうだ。裁判官が国防に口を出そうにも出しようがないのだ。国防は三権分立における政治マターの最たるものだ。


ましてや憲法学者ごときが国の命運を左右する安全保障問題で反対ののろしを上げ運動をすることは、八百屋が魚河岸でマグロを選ぶのと同じだ。


政府・与党は今後反転攻勢に出る構えであり、自民党副総裁・高村正彦が11日の衆院憲法審で自ら意見陳述することを決めた。公明党代表・山口那津男までが、「学識経験者にもいろいろな意見があるが、4日の審査会で発言した方々は、法案に批判的な見解を持った人ばかりだった。


政府の考えは一貫しており、その対応は、いささかも揺らぐことはない」と今国会成立を明言している。自民党内はエキセントリックな元行政改革相・村上誠一郎が「憲法学者の意見を一刀両断に切り捨てることが本当に正しい姿勢か。採決に当たっては党議拘束を外してほしい」などと総務会で主張、反逆の構えを見せているが、同調者はゼロ。村上の主張の逆を選べば全ては成功する。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年06月10日

◆安倍、中露分断と北方領土前進を狙う

杉浦 正章



日本外交初のサミット先導
 

仏ランブイエ城で開かれた1975年の第1回先進国首脳会議で三木武夫に同行取材して以来、サミットと日本外交を注視してきたが、今回の独エルマウ・サミットほど日本の首相がイニシアチブをとった例を知らない。


地球儀を俯瞰する安倍外交の成果でもあろう。逆に普段は会議をリードする、オバマの影が薄れた。早くもレイムダック化が始まったのだろうか。とくに「安倍先導」が会議をかつてなく厳しく中国の南沙諸島埋め立て非難へと導いたことは、東・南シナ海における中国の軍事行動に対して紛れもなく強いけん制効果を発揮した。


安倍は、事前にウクライナ訪問を設定したことによりウクライナ問題での存在感まで発揮した。サミットは議長のメルケルと、その言動から事前の綿密な計算がうかがえる安倍ペースで展開した形となった。


必ずしもオバマと関係が良くないメルケルとの3月の会談での事前根回し、4月の日米首脳会談での圧倒的日米関係の誇示と安保関係の強化。そして席の温まる間もない活発な首脳外交。これらを可能にした国内政局の安定とアベノミクスの成功が、総合的な力となってエルマウ・サミットでの「発言力」となった。


自由世界GDP第2位の日本の発言力は、もともともっとあってもよかったのだが、歴代首相のサミット外交はさっぱりさえなかった。安倍の各国首脳との気心の知れた個人的関係も重要な役割を果たした。その意味で毎年首相が代わるという日本の政治の弊害は改めて考え直す必要がある。
 

一連の動きの中で注目すべき外交上の特徴は、安倍がサミットから外されて2回目となるプーチンに対して微妙な球を投げたことである。


安倍はG7の“プーチン外し”について、NHKに「最初から来年のサミットを『ロシアを入れず、G8にはしない』、『プーチン大統領は入れない』という態度ではなく、プーチン大統領が建設的な関与をするようにわれわれがしっかりと促していく。例えばウクライナの停戦合意も、ロシアが国際社会に対して分かりやすく責任を果たしていくという状況を作っていく。プーチン大統領がそういう方向に向かうよう、努力していきたい」と発言している。


この発言はプーチン“カンダタ”めがけて下ろした芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」になり得るものだ。
 

米国は国務次官補・ラッセルが5月21日に安倍がロシアのプーチン訪日の可能性を探っていることなどについて、「現在の状況では、ロシアと通常の関係を持たないとする原則を守ると信じている」と述べ、日本を牽制(けんせい)している。


安倍はこれを無視するかのように、記者会見で「ロシアとは戦後70年たった現在もいまだに平和条約が締結できていないという現実がある。北方領土の問題を前に進めるため、プーチン大統領の訪日を本年の適切な時期に実現したいと考えている。


具体的な日程は、今後、準備状況を勘案しつつ、種々の要素を総合的に考慮し、検討していく考えだ」と日本の特殊事情を説明した。安倍はプーチン訪日で北方領土を前進させ、ウクライナ問題での停戦合意の順守などの前進を図り、場合によっては議長国として伊勢志摩サミットをG8に拡大することを目指しているに違いない。


このため安倍はまず外相・岸田文男のロシア訪問に向けた環境整備を図るため、外務審議官・杉山晋輔をロシアに派遣する方向で調整を進める。
 

まさに米国一辺倒でなく独自外交もあり得ることを示したのだ。安倍の狙いは何処にあるかと言えば、精緻(ち)に組み立てられた対露外交推進の構図であろう。


まず第一の狙いは北方領土解決への糸口作りである。孤立したプーチンこそ、領土問題での妥結に結びつけやすいと考えたのであろう。プーチンの80%を越える驚異的支持率はクリミア併合という領土問題にあり、北方領土での譲歩は容易ではあるまいが、安倍は持っていきようによっては前進可能と踏んでいるのであろう。その感触をつかんでいるのかもしれない。
 

次ぎに重要な意味は中露接近分断であろう。今年は戦後70年に当たり、プーチンは5月9日の対ナチス・ドイツ戦勝記念日に中国国家主席・習近平を国賓として迎え大接近をしている。


習は9月3日の「抗日戦争勝利記念日」にプーチンを北京に招くなど、接近姿勢を強めており、これが中国の東・南シナ海への覇権行動を容易にする可能性が大きい。安倍にしてみれば、これを阻止する為には自らのプーチンとの個人的な関係を維持して、日露協調を実現する必要があるのだ。


これはメルケルのオバマとの冷たい関係と親露姿勢に若干は似ていなくもない。サミットの背後にある安倍の思惑を切り取ると以上のような外交の機微が浮かび上がってくる。


安倍に課せられた課題はG7の足並みを乱さずに、来年のサミット前に北方領土を前進させなければならないという極めて難しいかじ取りであろう。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年06月09日

◆国民説得に通年国会で対処せよ

杉浦 正章
 



会期内衆院通過は困難に
 

学生時代憲法の講義に出ると常にガラガラだった。なぜかというと、大教授は古びたコクヨの帳面を毎年読み上げるだけだったからである。コピーが100円で出回っていたから、それがあれば期末試験などわけなくクリアできた。今度の衆院憲法審査会でもきっとその古びた帳面が使われたに違いないと思いたくなる。


とにかく憲法学者らの論議は浮き世離れしている。3人とも東・南シナ海の緊迫や北朝鮮のどう喝などはどこかの宇宙の出来事であり、憲法解釈とは関係ありませんと考えているに相違ない。国の安全保障、国民の今そこにある生命の危機など、とんと考えが及ばない。にもかかわらず権威主義の上から目線で、「法的安定性を揺るがす」「海外に戦争に行くのは憲法違反」などと違憲論を宣う。


しかし、違憲を決めることができるのは、最高裁だけである。ちゃんと憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と書いてある。発言は自由だが、上から目線で国会に“指示”してもらっても困るのだ。


その最高裁は砂川判決で1959年「自国の存立に必要な自衛措置は認められる」とした。だから政府の集団的自衛権の限定行使に当たっての3要件も「日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険」を前提にしているのだ。


簡単に言えば憲法学者は憲法に「戦争が発生したら日本人は死ね」と書いてあると思っているに違いない。こういう浮き世離れした学者が戦後幅を利かせてきた。その最たるものが圧倒的に憲法学者の間で流行していた「自衛隊違憲論」だったが、古い帳面はいつの間にかこっそりと書き換えられてその記述は消されているようだ。


こういう非現実的学者は米国ではほとんど存在しないが、存在すれば「研究室で冷めたピザでも食べていろ」と言われるのがオチだ。


ところがこういう学者をこともあろうに自民党が参考人に選定したことは、大失態であり安保法制におけるプロパガンダ戦の初戦に完敗したことを物語っている。それも最初に頼んでことわられた京大名誉教授・佐藤幸治は、自民党が推薦した早大教授・長谷部恭男に勝るとも劣らない安保法制反対論者だった。


東京都内で、「憲法の、根幹を変えてしまう発想は英米独にはない。日本ではいつまでぐだぐだ言うのか、腹立たしくなる」と講演、憲法の解釈変更での安保法制の整備を違憲と主張している。要するに学者を選んだ審査会の筆頭幹事・船田元は「状況を掌握出来ないことにおいて確信犯的」であったことになる。


自民党挙げて怒りまくっているのはもっともだ。船田も浮き世離れして、今国会で何が起きているかが分かっていないのか。


4日の審査会では民主党の辻元清美が姿を見せ、あれこれささやいていたというから、敵ながらあっぱれな狙いを付けていたことになる。自民党の審査委員は「安保法制のことは全然念頭になかった」と述べるが、憲法学者の多くが安保法制違憲論であることを、知らないわけではあるまい。


「奇襲」を受けたのは「ノーテンキ審査会」(自民党幹部)であった事が最大の原因だ。辻元はしてやったりと意気揚々とテレビに出て、とうとうと「安保法制違憲論」を展開していた。


しかし「朝鮮戦争の時集団的自衛権を認めていたら日本は確実にに戦争に巻き込まれていた」と発言したことは語るに落ちた。朝鮮戦争勃発時に発足したのは警察予備隊であってまさに吉田の言う「戦力なき軍隊」だ。米国もそのような足手まといのものを当初から使う気などなかった。辻元はその場しのぎのレッテル貼り質問が多く、はったりばかりで憲法学者同様に不勉強がすぐにばれる。


それにしても、朝日の報道ぶりはどうだ。まさに鬼の首を取ったような紙面展開だ。「憲法解釈変更再び焦点」「安保法制問われる根幹」と社是にのっとるかのごとく、“反対闘争”紙面作りに余念がない。


しかし考えても見るがよい。たった3人の学者が、安保特別委とは疝気筋の憲法審査会で予定にない発言をしたからと言って、これが全てを決めるのか。法制の根幹が問われるのか。憲法学者の発言などは現状認識のない床屋談義に毛の生えたようなものだ。


その証拠に今後特別委で推進派の憲法学者が見解を述べても、大きく取り上げるマスコミはないのである。朝日を先頭にしたマスコミの偏向的“癖球”は、今後どんどん投げられると用心しておくべきだ。ただ好むと好まざるとにかかわらず、この種のレッテル貼り型安保論争では国民の誤解を解くのは容易ではあるまい。衆院で審議機関のめどとしてきた80時間の確保は不可能となりつつあり、会期内の衆院通過は困難な情勢だ。


そこで一策がある。田中角栄は「国会議員は高い給料をもらっているのだから一年中働け」と通年国会を提唱した。ここは当初予定していた8月上旬までの会期延長を一挙に大幅に伸ばすのだ。まだ強行採決で対応しようとせずに、一部野党の「数国会にまたがる論議」を考慮して、年末までか晩秋までの大幅会期延長で対応するのだ。それほどの大法案であることは間違いない。


長時間徹底的に論議して、国民に突撃ではなく、国会論議を通じて「誠意を持った説得」をするのだ。説明の果てに生じた採決強行は黙認される。審査会の失態は長期戦でカバーした方がよい。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年06月05日

◆翁長の狙いは反基地闘争の盛り上げ

杉浦 正章




訪米が不発に終わるのは想定内
 

馬の後ろに回れば蹴飛ばされることを元々承知でやはり蹴飛ばされたが、沖縄県知事・翁長雄志は一体何を狙ったのだろうか。九分九厘、辺野古移転反対派の同情を買い、闘争を煽動することだ。その意味では翁長が莫大な県予算を使って大デレゲーションで訪米した効果は対沖縄向けにはあるのかもしれない。


しかし明らかになったのは基地反対闘争のアジテーターという究極のポピュリズム政治家の実像であろう。まるで労組トップが「社長に言ってやった」と闘争を盛り上げるように、訪米は基地闘争激化への弾みをつけることを目的としている。米政府ははっきり言って利用されたこと自体にむかついているのだろう。


奇妙なことに米側は会談が終了すると間髪をおかずに会談内容を「声明」として文書で発表した。国務省、国防総省はもちろん上院軍事委員長・マッケインまでそうした。これは片言隻句が反米指導者などに活用されるのを避けるための手段であり、翁長の“意図”は完全に見抜かれていたと言うことだろう。


米政府は「普天間基地の辺野古への移転は日米不動の約束で、唯一の解決策」で一貫し、マケインはこれに「在日米軍の今後については全て安倍政権と取り組む」と付け加えた。言うなれば「外交権のない自治体の長など相手にしたくない」ということだろう。


米政府のいら立ちは新アメリカ安全保障センター上級顧問・パトリック・クローニンの「アメリカ政府はパンドラの箱を開ける余裕はない。知事は一体何を期待しているのか。我々だけで話をしてあの政策を変えようなどということになるわけがない」という言葉に込められている。
 

それでは何しに行ったかといえば、翁長の言葉を分析すれば明白だ。「米側の理解が深まった。間違いなく前進している」とイケシャーシャーと述べるかと思えば、「暗中模索の中から一筋の光が見えてきた。それは私たちが望んだものに近づいているとしっかり感じた」と極めて文学的抽象的に成功を印象づける表現をした。


この言葉にいくら人が良いといっても沖縄県民がだまされるだろうか。普通の県民なら「嘘をつくな。予算を湯水のように使ったからその言い訳か」と言うであろう。官房長官・菅義偉の「米国まで行ったのだから辺野古移設が唯一の解決策であることを認識しただろう」が正鵠(こく)を射た物の見方だ。


しかし、そう言わない勢力もいる。辺野古移転闘争にしゃかりきとなっている反対派運動家たちだ。翁長雄志はそこに向かって狡猾なる球を投げているのだ。秋口に向かって本格化する基地反対闘争に向けて、移設反対の闘争を「鼓舞激励」することを狙っているのだ。


今後の翁長の戦術はおそらく次のようなものを描いているのだろう。


まず16日開催の県議会で埋め立て資材の搬入規制条例を成立させる。同条例に基づき埋め立て阻止に動く。次に、前知事の仲井真弘多の埋め立て許可承認手続きを検証している第3者委員会と称するお手盛り委員会に、許可取り消しを提言させる。その上で翁長が7月下旬までに承認取り消しを決定する。


それでも政府が埋め立てに踏み切る場合には、地裁に工事差し止め仮処分を求める訴訟を超す。そして県民投票を実施して埋め立ての是非を問う。こうした闘争方針が固まっているからこそ、ここで反対闘争を扇動する必要があるのだ。


これに対して政府は、不退転の決意で埋め立てを実施することになろう。その時期は今のところ秋口と見られている。翁長の訪米は、はからずも自身が偏狭で国の安全保障など露ほども考えておらず、ただただ反基地闘争を盛り上げる事だけを狙っていることを露呈したものであり、このペースに惑わされるべきではない。


沖縄100年の計のためにも、人身事故を起こさない事に配慮しつつ、埋め立てを実施に移すべきだろう。死傷者が出れば移設は大きくとん挫しかねないのであり、ここは自衛隊の大型運搬用ヘリをフル活用した空輸作戦を導入すべきであろう。


「史上最大のヘリコプター作戦」を展開することだ。知られていないが自衛隊のヘリの輸送能力は世界最大規模であり、大震災でも大変な活躍ぶりを見せた。


自衛隊は輸送用中型ヘリ「UH―60ブラックホーク」を28機、大型の「CH-47チヌーク」を70機保有している。ブラックホークは積載量1.2トンであり、チヌークは9トンも運べる。機体下面の吊り下げ装置で吊り下げて、移動することが可能だ。空飛ぶ10トントラックだ。ヘリで「奇襲」するのが一番よい。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年06月04日

◆平成の三大生臭爺さんが踏ん張り過ぎ

杉浦 正章
 



ろれつ回らず方向性も欠如


かつて尊敬していた卒寿の後藤田正晴を「反戦で張りのある声生身魂(いきみたま)」と俳句に詠んだ。朝日俳壇に投稿すると、金子兜太が1席をくれた。生身魂は敬うべき年長者を意味し、旧盆には故人の霊ばかりではなく、生身魂にも食物を供えてもてなした。


後藤田の「反戦」は実体験に基づいた反戦であり、そこいらの全学連崩れの「反戦」とは根本的に異なる。敬う気にはならないが、いま政界で生身魂を挙げるならさしずめ野中広務(89)だろう。


TBSの時事放談でお目にかかるが、最近では手が震え、言葉が15秒も出ないことがしょっちゅうだ。それでも司会が「安倍」の名前を出しただけで、自動的に元気が出て口を極めて批判を展開する。どうやらこの生身魂「安倍憎しの反射神経」だけで生きているようだ。


言葉に詰まるのも、聞いている方は何を言うかと思って10秒待つのが楽しみだ。最近ではいささか支離滅裂気味なのも面白い。「72年の国交正常化の時の条件を確認しなかったら南シナ海の緊張は治まらない」とはどんな意味かと思ったら、東シナ海の間違いだった。安倍批判だけが先鋭化してかつての切れ味はない。


後藤田と決定的に違うのは反戦ならば共産党とも手を組むという姿だ。「しんぶん赤旗」に登場するのだ。過去に野中広務、加藤紘一、古賀誠、山崎拓が登場しており、安倍自民党批判を展開している。


今度は民主党顧問・藤井が、5月17日付のしんぶん赤旗に登場、「安倍内閣の暴走」に食いついている。いくらまともなマスコミが登場させないからといって、赤旗までに媚びを売るのはあきれ果てて物が言えない。


時事放談はいまや野中、古賀(74)、藤井(82)らノーバッジの三大反安倍爺さんの巣窟(そうくつ)と化している。平成の3馬鹿大将とは言わないが、全然敬う気にはなれない三大生身魂だ。御馳走など供えたくもない。


藤井に至ってはその主張が共産党そっくりで、理路整然と間違うのが問題だ。これが自民党出身者かと思うと、あいた口がふさがらない。「なぜ集団的自衛権の行使を容認するかというと、世界の警察官アメリカの肩代わりだ」と宣うた。


さすがに温厚な対談相手の自民党副総裁・高村正彦が「それは全く違う。我が国の防衛をまるまるやる警察官だ」と諫めたが、要するに爺さんたちは全然安保法制など知らないし、勉強などしていないのだ。勉強していないから視聴者の耳に通り易いレッテル張りで済まそうとして、かつての社会党と同じ発言でごまかしている。


TBSはそれを知りながら「反安倍路線」を維持するために使うのだろう。「年寄りの強情と昼過ぎの雨はたやすくはやまぬ」というから、当分やみそうもない。


政局絡みの動きを見せる「生臭生身魂」もいる。古賀だ。古賀は政局だと血が騒ぐと見えて、何が何でも無投票再選などさせないとばかりに安倍が憲法解釈をめぐり「最高責任者は私だ」と発言したことについて「愚かな坊ちゃん的な考え方だ」と反安倍ののろしを上げた。


この「愚かな坊ちゃん」論は、1月から言い始めており岸田派関係者に「愚かな坊ちゃんを調子に乗せてはいけない。」と漏らしている。なんとか対立候補を擁立したい一心で、かねてから眼をかけている前自民党総務会長・野田聖子をけしかけた。20人の推薦人を確保することを条件に立候補を勧めたのだ。


野田はこれに一時は乗った。1月の講演で「20人の国会議員に出て欲しいと言われるような議員になりたい」と、前向き姿勢を見せた。3月8日の党大会の際にも出馬について「危機的な状況にある日本を支えようとする人であれば、誰でも思う」と前向きな姿勢を示した。


しかし周りを見渡せば、とうとうとした流れは「安倍長期政権」へと動いている。どう見ても勝ち目はないし、推薦人は古賀が集めても、反安倍のうねりができるかと言えばとても無理だ。


最近では野田は急速にトーンダウンだ。「私が決意をした時は相当の覚悟の時だ。思い付きで言うことはない」と述べ、慎重に転じた。安倍との不仲説についても「みんなが言うほど仲が悪いわけではない。むしろ真に首相を支えているのは私ではないかとの声も上がるほどだ」と否定。


どこからそんな声があがっているのかは別として、逃げ足は速いが、まだ未練げではある。こうして古賀の“仕掛け”はあえなく挫折したのである。古賀は性懲りもなく何も知らない1,2年生のチーチーパッパをけしかけているようだが、しょせんは犬の遠吠え。ノーバッジで、政局への干渉が度を超してはいけない。


古代ギリシャの哲学者ピクロスは「干渉好きの老人ほど見苦しいものは無い」との格言を残している。もっとざっくばらんに戒めると「年寄りと釘頭は引っ込むがよし」だ。


      <<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2015年06月03日

◆砂の長城死守の“巨獣”に打つ手なし

杉浦 正章




当分南沙では“威嚇”の泥仕合が続く
 

マンガで表現するとしたら、得体の知れない巨獣がうなり声を上げながら、南沙諸島に食らいついている図が適当だろう。


軍のトップが周辺諸国に対して「小国は挑発的な行為をとるな」とは、旧日本軍の幹部でも口にしない暴言だ。グレーゾーンが「中国領土」に次々と変わってきているのを見て、米軍関係者は「もはや言葉では埋め立てを止めさせることは出来ない」と漏らすに至っているという。


太平洋軍司令官ハリスが述べた「砂の長城」は、いまやコンクリートで固められた要塞となりつつある。


国家主席・習近平は自分が現実に行っている国際法秩序の破壊を前にして、70年前の歴史認識など口に出来るのだろうか。いやできる。“ラストエンペラー”かどうかは分からないが、勃興期の中国の歴代皇帝はそういう唯我独尊の態度でふるまうのが仕事であるからだ。
 


いま意気盛んなのは共産党機関紙人民日報の国際版・環球時報だ。米国に紙面で“宣戦布告”をしまじき勢いだ。中国首脳の考えを代弁するかのように「双方が容認できるぎりぎりの線は岩礁埋め立て工事の完遂」とした上で「米国があくまで工事停止を求めるならば、南シナ海での中米戦争は避けられない」とすごんでいる。


この“意気込み”は5月26日発表の国防白書に「海上の戦闘準備を強化する」戦略を明記したことからもうかがえる。要するに巨獣は本能のままに行動し始めたのだ。確かに「言葉では止められない」段階であるかのように見える。人工島には既に兵器が運び込まれているのだ。
 

しかし、米国で言われている「弱虫オバマ」がまなじりを決して本格的軍事行動に出るかと言えば、出ないだろう。東シナ海に防空識別圏(ADIZ)を敷いた際にもB52爆撃機2機を示威行動で飛ばしたが、その後は、なしくづしのまま放置されている。今回もメディアを同乗させた偵察機を飛ばして見せたが、まだ本気で“やる気”になっているようには見えない。


まあオバマは「苦汁の選択」をするかどうか、お得意のハムレットのように悩んでいるのだろう。国防総省では、人工島の12カイリ以内に偵察機と第7艦隊を送ることを考えているが、これも示威行動にとどまるだろう。


ただ米軍機や艦隊の進入が常態化すれば、それなりに中国の面目を潰し、一定のけん制効果は出るだろう。一方で米国は日本とともにベトナム、フィリピンなど沿岸国の査察、警戒能力の向上に支援を進めている。ベトナムには米国からの巡視船購入のため1800万ドルを供与する。
 

しかしこのままではADIZが南シナ海にも敷かれる可能性が現実味を帯びてきた。一部には9月3日の抗日戦勝利70周年記念日に合わせて敷くのではないかという観測が出ているが、これは眉唾ものだ。


なぜなら習近平は記念日を歴史認識で反日プロパガンダをする絶好の機会と捉えているのであり、これにADIZを合わせて実施すれば歴史認識問題など吹っ飛び、世界世論の袋叩きに遭うのは火を見るより明らかだからだ。


時期はともかくとして、南シナ海にADIZを敷けるかどうかは、習近平がオバマのリバランス(アジア回帰の再均衡)政策に対抗できるかどうかの試金石であり、そのチャンスを狙い続けるであろうことは間違いあるまい。
 

いずれにしても米中直接対決となれば、日本、豪州を始めアジア各国を巻き込んだ第3次世界大戦の色彩を帯びることになるが、米中ともこれを選択することはあるまい。当分雄シカがその角の大きさを競うように、どっちが強いかの示威行動を互いに続けるだろう。


だから一触即発状態は続く可能性が大きい。もっともバブルが弾けない中国は、各国とも商売相手であり、経済関係は“政経分離”というか“軍経分離”の状態で維持されるだろう。
 

ただ本能のままの“巨獣”を、国際世論が放置してはなるまい。ことは焦眉の急を要するのであり、7、8両日、ドイツ南部のエルマウで開かれる先進7カ国(G7)首脳会議は時期といいタイミングといい絶好の機会となる。


先に開かれたG7の外相会談では、東シナ海や南シナ海での大規模な埋め立てなど一方的な現状変更に懸念を表明した上で、「威嚇、強制、力による領土または海洋の権利を主張する、いかなる試みにも強く反対する」と宣言した。サミットではさらに強めた宣言が採択されることになる見通しであり、ウクライナのロシアと南沙の中国はいよいよ孤立化の局面となりつつある。

        <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年06月02日

◆安保論議は「高村節」が分かりやすい

杉浦 正章




平易な言葉で核心を突く
 

昔から自民党副総裁には優秀なキャッチコピー・メーカーが多いが、その代表格は川島正次郎と椎名悦三郎だろう。

川島は「政界一寸先は闇」と今でも政局記事には欠かせない発言をした。自派の荒舩清十郎が急行を選挙区に止めて運輸相辞任となったときは「やはり野に置けレンゲ草」と述べたものだ。


椎名は外相時代の国会答弁で「アメリカは番犬様」と述べて爆笑を買った。副総裁になって椎名裁定で三木武夫を首相に指名したが、その後「産みの親だが、育てるとは言ったことはない」と述べて「三木降ろし」に回ったことは有名。


長い間キャッチコピーの名人は現れていなかったが、安保法制をめぐる発言では副総裁・高村正彦の発言が一番分かりやすい。


とかく難解な言葉が飛び交いがちだが「アメリカは世界の警察官疲れをしている」「台風は止められないが侵略は抑止できる」などの言葉はすっとふに落ちるキャッチコピーだ。1年にわたり与党協議の調整役であっただけに、安保法制を十分理解した上でポイントを平易な言葉で突いているのだ。


首相・安倍晋三の総裁任期についてもTBSで「どんなに短くても後3年」だそうだ。ひょっとしたら2期6年までとなっている自民党総裁の任期を「3期9年」まで延長することを考えているのかも知れない。
 

総裁選はともかくとして、今国会で展開している論議はよほど安全保障問題に精通した人でないと難解で分かりにくい。ところが高村解説だとすぐに分かる。まず「まるまる論」だ。


高村は「集団的自衛権の行使と言っても国連が世界に認めているまるまるの集団的自衛権の行使をやろうというのではない。野党はまるまるだと攻めたてているが、日本防衛の目的があり新3要件に合致する場合にのみ発動する限られた限られた集団的自衛権の行使だ」と説明する。


次ぎに「伝家の宝刀論」。「集団的自衛権の行使は伝家の宝刀だ。抜くぞと見せかけて抜かないところに抑止力が生じる」。たしかに安保法制は攻撃的な性格のものではなく、受動的な性格が濃厚であり、野党の言う「世界中で戦争をする国になる」こととはほど遠い。第一そんな国力は今米国しかない。それも弱ってきている。
 

その辺を高村は「アメリカはかつては基地を提供してくれれば後は全部任せてくれという態度であった。今でも圧倒的に強いが、世界の警察官疲れをしている」と説明する。


野党は「アメリカの肩代わりをすることになる」と追及するが、高村は「外形的には米国がやられているのを日本が守れば集団的自衛権の行使と言われざるを得ないが、あくまで自国防衛の目的を伴った限定的な行使だ」と述べる。野党の「世界の何処までもアメリカに付いていって戦争をする」との主張を全面的に否定しているのだ。
 

次ぎに安倍が海外派兵の例外として、ホルムズ海峡の機雷除去を挙げていることについて「ペルシャ湾での機雷掃海ぐらいが後方支援の限界だ。その他に国民の生命を根底から覆される明白な危険が想定できない」と述べている。


機雷掃海が限界なら、イランも近ごろは軟化しており、予見しうる将来において機雷が撒かれる事態は想定できまい。その意味では机上の議論に過ぎない。また野党に「アメリカの戦争に巻き込まれる」論があることについて高村は「まず安保改定反対という人が巻き込まれると言った。次ぎに周辺事態立法の時も巻き込まれると言い、PKOを派遣する際も巻き込まれると主張した。


しかしかえって抑止が利いて日本は70年間平和だ。巻き込まれる危険と抑止力で未然に防止する効果とどっちが大きいかは火を見るより明らか。台風は止められないが侵略は抑止できる」と反論。


確かに国会論議を見ると野党は勉強不足で古くてさび付いた安保論争を展開している。社会党が社民党へと「極小化」してしまったことを見ても、自民党政権の判断は正しかったことを物語る。
 

焦点の自衛隊員のリスクについて高村は「まさに国民のリスクを減らすために安保法制を作った。有事の際に自衛官が一番のリスクを負うのが当然だが、そのリスクを減らすためにいろいろな工夫をしている。木を見て森も見れば紛争を未然に防げればその自衛官のリスクですら減る。」とのべた。極めて妥当な発言だ。


こうして高村の平易な言葉で核心を突く発言が、国会論戦の側面から重要な役割をはたしており、今後もTVなどに積極的に出て「高村節」で国民に説明するのが野党や一部の「専門家」がばらまいている、虚飾のレッテル張りを打ち消す為に最良の方策だ。

         <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月29日

◆南沙緊迫を尻目に 空想的安保論争か

◆南沙緊迫を尻目に 空想的安保論争か
杉浦 正章



野党は現実事態に目を向けよ
 

一国平和主義の神学論争を仕掛けている野党に、紳士的である筆者ですら「本当に早くしろよ」とヤジりたい。


口から生まれたような民主党の辻元清美が「機雷掃海を実施すれば日本はテロに巻き込まれる」などという浅薄な“空想的安保論争”を繰り返している内に、中国は南沙諸島をどんどん埋め立てている。もう滑走路が完成しそうだ。そしてこれを批判する米国との間に緊張関係がかってなく高まっている。


一方で北朝鮮は潜水艦発射ミサイル実験に“成功”している。今そこにある現実が見えない民主党は、現在中国が南シナ海でやっていることが、いわばグレーゾーン事態化による領土拡張の典型であることを知るべきだ。尖閣での漁船衝突事件で無様な対応をした民主党政権が今も続いていたら、東シナ海がグレーゾーン化されていた可能性の方が大きいのだ。安保特別委はがん首揃えて南シナ海を見学したらどうか。


国際情勢を見れば首相・安倍晋三が「早くしろよ」とヤジる気持ちも分かる。29日からシンガポールでアジア安全保障会議(シャングリラ会議)が始まるが、昨年の会議は安倍が出席して強烈な対中非難の基調演説をして、喝采を浴び、中国軍人の顔色を失わせた。


本来なら今年も安倍が出席して、中国の南沙諸島埋め立てを制止する演説を展開すべきところだ。それを国会が足止めして、低級安保論争でくぎ付けにする。安倍がみじんもすきを見せないから、答弁が下手な防衛相・中谷元に質問を集中させ、なんとか「失言」に導いて首を取ろうと懸命になる。


安倍には辻元にその邪心が見えるから「早くしろ」と言いたくなるのも無理はない。安倍が謝ると民主党幹事長・枝野幸男が「首相としてあるまじきことが堂々と全国民注視の下で起きた」と鬼の首でもとったような発言をするが、これが民主党の限界だ。


ヤジも人による。政権担当能力に決定的な欠陥があった鳩山由紀夫や菅直人がこんなヤジを飛ばせば「国家の一大事」だが、普段は紳士的な首相が、勢い余って不規則発言するくらいは笑ってすませることだ。とりわけ相手が辻元だから、茶の間では笑って手を叩いている。面白くもない委員会審議が面白くなって喜んでいるのだ。
 

とにかくこんな事はどうでもよい。注目すべきはシャングリラ会議だ。中国による南沙諸島の埋め立て問題が焦点となる。


その前に、もう一つ注目すべきは米国が米軍のアジア太平洋地域のトップの司令官に、横須賀市生まれで日系アメリカ人のハリスを任命したことだ。明らかに緊密化した日米安保体制を象徴させる政治的な意図が感じられる。


27日には、ハワイで国防長官カーターや日本の駐米大使・佐々江賢一郎らが出席し、交代式が開かれている。この席で カーターは、スプラトリー(南沙)諸島で岩礁埋め立てや施設建設を進める中国の動きについて「中国は、国際規範や、力によらない紛争解決を求める地域の総意を乱している」と強く非難した。さらに「国際法が許す限り、米国はあらゆる場所で、飛行、航行、作戦行動を続ける」とも言明した。
 


当面の米国の基本的対処方針は、空と海から監視を強化して中国をけん制、フィリピンやベトナムなどを支援して監視活動を強化。国際世論を喚起して、中国を孤立化させるという総じて迂回作戦をとることになろう。


国際世論の喚起では、中国が不利な立場に立つことは言うまでもない。明確な領土主権の主張は出来ないし、行為自体が国際法の秩序を大きく逸脱したものだからだ。シャングリラ会議は中国が孤立する可能性が高い。


米国は、軍事衝突は避けたいというのが基本であり、早期問題解決は困難だ。中国の巧みなグレーゾーン化とはそういう事なのだ。しかし、戦闘機同士が何と10メーターの距離まで大接近する事例が頻発しており、一触即発的な事態が続くと見るべきだろう。
 

米国は自衛隊にも監視活動に参加してもらいたいようだが、将来は何らかの支援は出来ても、辻元が金切り声を上げるから今は無理だ。しかし、日本が政府開発援助(ODA)を活用してフィリピンに巡視船10隻を供与し、その建造が日本企業によって始まることは、地域のパワーバランスに大きく貢献するだろう。


ベトナムの共産党書記長・グエン・フー・チョンは、書記局長として初めて米国を7月に訪問する予定であり、南沙諸島問題で連携を強化する。シャングリラ会議では30日に日韓防衛相会談が予定され北朝鮮の核・ミサイル問題についても話し合われる見込み。カーターを交えた日米韓3カ国防衛相会談も予定されている。


3か国会談での日米の基調は、対中けん制にあるが、中国になびく大統領を頂く韓国をこれに巻き込むのも重要ポイントだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月28日

◆維新は「分断」するしかないかも

杉浦 正章




松野の「野党化」の動きが急


政治家の力量を見るには国会の質問に立った姿を観察するのが一番よい。本物かどうかがすぐに分かる。27日に始まった安保法制特別委員会の質疑ではさすがに自民党副総裁・高村正彦が落ち着いて急所をとらえ見事であった。


注目されたのが今後法案修正など妥協に動くかどうかで焦点となっている維新の党代表・松野頼久の質問だった。しかし結論から言うと「売り家と唐様で書く三代目」の言葉が浮かばざるを得ない内容であった。愛車はベントレー・コンチネンタル、院内で香水の香をまき散らして闊歩(かっぽ)する姿から、「3代目の若大将」をイメージしていたが、当たらずとも遠からずであった。
 

若大将といっても54歳だが、質問に立って開口一番父親頼三の話から入った。首相・吉田茂が頼三に「今の日本は飯が食えないような状況だから仕方がないが、松野君の時代には自分の国を自分で守れる国を作りなさい。今は仕方がないが」と述べたという逸話を紹介した。


自立自主防衛を勧めたというエピソードだから、さぞや安保法制にも前向きかと受け取れたが、方向は逆だった。松野は安倍の米議会演説で生じた米国の期待感と比べて日本での発言が「小さめで違和感を感ずる」と噛みついた。問題は質問するにつれて、安保法制への理解度が低いことがだんだん分かってしまうことであった。


とりわけ安倍が今国会での成立を期していることについて「今国会でさっと上げるのは急ぎすぎのように見える。何か危機があるのか」と激しく質した点だ。要するに松野は北の核ミサイルなど極東を取り巻く情勢が「理解の外」であった。分かっていて聞いているのではなく、本当に実感として分かっていなくて質問している様子がありありであった。
 

この程度の認識の党代表では先が思いやられるところだ。最近の発言からみると、過去に民主党が落ち目になると後ろ足で砂をかけるように橋下ブームの維新へと逃げ込んだことをさておいて、今度は民主党への大接近だ。


27日も松野は、野党再編を目指す時期について「区切りが一番良いのは年内だ。来年の参院選できちんとした体制が作れる時期が大事だ」と述べた。明らかに新党設立を視野に、野党勢力の結集を図る意向を明確にした。


松野の戦略は野党が100人程度の核を作れば総選挙で多数を占めて政権を取れるという説に基づいている。民主党が09年に政権を取った時も、自民党が12年に奪還した時も100人程度が基礎となっていることを根拠にしている。しかしこれは致命的な誤りがある。
 

09年は自民党長期政権の土台がぼろぼろになった選挙であり、12年は民主党の政権担当能力がゼロに近いと露呈しての選挙であった。風が吹いたのである。今回民主と維新が一緒に新党を作って風が吹くかというと、全く吹かないだろう。


まず、大阪市長・橋下徹のようなカリスマ性のある政治家がいない。松野ではまずブームは起きない。一連の国政選挙の結果を見れば、国民は今後十年以上は民主党に政権を取らせないことを固く決意したようにみえる。その駄目の民主と、駄目の維新が一緒になっても“駄目の二乗の定理”が働くだけだ。
 

このような先が見えていない松野は、今後野党色を強めこそすれ弱めることはないだろう。ここで重視されるのが官房長官・菅義偉の出番である。菅は議運族の頃松野と極めて親しい関係を築いている。


一方で橋下の菅に対する信頼も、大阪都構想を巡る動きで一層強化されている。その橋下の影響下にある大阪系の議員は松野の独断専行に不満を募らせている。維新内部には後方支援や集団的自衛権の行使の条件を限定するなどの方向で法案の修正を図るべきとする動きも芽生えている。党内の流れは安保法制を巡って2分化する様相を呈しているのだ。
 

今後政府・与党は、菅ルートなどを通じて維新との「妥協」の動きを模索してゆくことになろうが、松野がこれに立ちふさがる可能性も否定出来ない。


安倍の「夏までに成立」の決意は固いものとみられ、修正も困難だが、例えば維新の主張を入れて会期を秋まで大幅に延長して徹底審議を計るなどの打開策が出るかどうかだ。


しかし党内には「それほどの妥協の必要は無い」とする主戦論も強く、自民党が舞台裏で「維新分断」に動く可能性も否定出来なくなってきた。6月24日の会期内に衆院を通過させるかどうかを巡って、今後与野党の駆け引きは水銀柱の上昇に正比例して激しくなる一方だろう。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月27日

◆「リスク」と敵基地攻撃が論戦焦点に

杉浦 正章




安保法制は「覚悟」を伴う問題だ
 

キンキン声の宍戸梅軒や、仕込み杖の座頭市、太ったくノ一などのあの手この手の斬り込みに、安倍武蔵が兎の毛でついたほどのすきも見せなかったということだろう。


安全保障関連法案が26日の衆院本会議で論戦の火ぶたを切った。ネットで質疑をつぶさに聞いたが、総じて野党の質問は突っ込み不足で、法案を廃案に追い込むほどのきっかけは掴めなかった。しかし、今後の論争に向けて焦点は絞られてきた。


一部野党に主導的役割を果たす朝日新聞の論調を見ると、野党やリベラル派が大きな論点として浮上させたいのは「自衛隊員のリスク」と「敵基地攻撃」の問題だろう。


まず朝日は今日27日の社説で首相・安倍晋三の自民党の役員会における発言に噛みついている。「首相は『自衛隊員のリスクが高まるという木を見て森を見ない議論が多い』と語ったという。事実なら驚くべき発言だ」と大げさに批判した。しかし、首相発言の全体を見れば驚くに当たらない。


続いて首相は「自衛隊員のリスク以前に安保環境が厳しくなり、国民の安全リスクが高まってきている」と発言している。国民のリスクをあらゆる手段を講じて低くするのは安全保障の根本思想であり、イロハのイだ。自衛隊員のリスク回避も極めて重要だが、自衛隊が国民のリスク回避のために宣誓して入隊した存在であることを社説子は覚えておいた方がよい。


朝日は「国民のリスクが森を見ると言うことなら、9条を改正して必用な法整備を進めたいと説くのが法治国家の首相の取るべき道であった。その順序は逆転している」と主張するが、我田引水的論理の飛躍だ。まず朝日は9条の信奉者と思っていたが、いつから改憲論者になったのだろうか。いつから社論が変わったのか。


この論説の背景には、国際環境の激変という事態を全く掌握していないか、天から平和が降ってくる一国平和主義のぬるま湯に浸かっている姿が浮かぶ。


論説主幹の立野純二も報道ステーションで「国民のリスクは高まっているという言い方は言葉のすり替え」と口を極めて批判したが、自衛隊員のリスクと国民のリスクはそれこそ表裏一体、密着不可分のものである。
 

さらに立野は、安倍がホルムズ海峡などでの機雷掃海を海外派兵の例外としたことについて「重大な変化をあたかも規則のように例外があると説明した」と指摘「ごまかしがある」と批判した。しかし朝日は安倍の言う「国民の生死にかかわる深刻、重大な影響」があり得ないとでも思っているのだろうか。


太平洋戦争の歴史をひもとくまでもなく、石油は日本の生死を左右する「生命線」であることくらいは理解した方がよい。加えて論説主幹は官房長官・菅義偉や防衛相・中谷元が集団的自衛権行使が、敵基地攻撃にまで及ぶ可能性に言及した問題について「外国が日本以外の国にミサイルを撃つかも知れない局面で日本が攻撃を加える事態は、機雷掃海だけが例外ではなく、ほかにも例外があることを物語っている」と言明した。


今後敵基地攻撃など海外派兵の例外がどんどん出てくると言わんとしているのだろうが、これも安全保障環境の激変を知らない論理だ。
 

敵基地攻撃論がなぜ出てきたかといえば、紛れもなく北朝鮮の核ミサイル開発である。日本に届くノドンが200発以上配備され、金正恩がかつて日本の大都市を名指しで攻撃対象とすると表明しており、これが日本に向けて発射の事態となれば、個別的自衛権で敵基地攻撃が可能だ。


一方、米国や米艦に向けて撃たれたケースで基地を攻撃するのは集団的自衛権のカテゴリーだ。これも机上の空論論者は「例外になる」と反対するが、考えても見るがよい。米国に向けてミサイルが発射されるような事態とは、その3秒後に日本に向けて発射される事態なのであり、「例外反対」などと言っていられる状況ではない。


そもそも国家間の戦争とは何でもありの上に全てが例外であり、例外を実行しなければ侵略できないし、例外を実行しなければ侵略を阻止できないのだ。ただし現在の日本には敵基地攻撃能力はないが、次期主力戦闘機として逐次42機の導入が決まっているFー35Aには攻撃能力はある。
 

総じて与野党の議論や、リベラル派の議論は、戦後70年の平和がもたらした、安保観欠如に根ざしており、空理空論が幅を利かせている。


こうした中で安保法制を支持する立場から元統合幕僚長・齋藤隆が26日NHKで述べた言葉には重みがある。齋藤は「国際情勢は従来よりはるかにリスクが高くなっているとは思わない。今までもそれなりのリスクはあった。戦死者を出していないのは本当にラッキーだった。そのラッキーだったことに甘えてはいけない。国家、国民に対して戦死者にどう向き合うかそろそろ考えておく必要がある」と述べているのだ。


確かに過去70年戦死者が出ていないのは日本の誇りであり幸運であった。しかしふりかかる火の粉は払わねばならぬ場合もある。安保法制は「覚悟」を伴う問題でもあろう。

              <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月26日

◆朴槿恵は世界一寂しい女性か

杉浦 正章



大国外交のはざまでひしひしと孤立感


文学的表現をすれば、世界一寂しい女が無聊を託っているというところであろうか。オバマは集団的自衛権の安倍と肝胆相照らす。頼みの綱の習近平もだんだん離れて日本に近づいてゆく。国民は日本旅行が大好き。韓国大統領・朴槿恵が周りを見渡せば、反日をけしかけて、自己保全を図る輩(やから)ばかり目立つ。


ついつい口車に乗って、ユネスコの世界遺産申請にまで「言いつけ外交」を展開したが、得意の「歴史認識」で大間違いをした。明治時代から強制労働(徴用)があったと歴史に残る大誤認をしてしまった。


ユネスコ憲章は「人の心の中に平和の砦を気付かなければならない」と高らかに平和の理念をうたっているが、朴は自らの心の中に「平和の砦」どころか、“過剰反応外交”で「反日の砦」を築き上げてしまい、引くに引けない自縛状態だ。


そもそも韓国の大統領府の補佐能力はどうなっているのであろうか。他国の世界文化遺産登録にクレームを付けるという異常な行動をとるなら、その歴史をひもとき、綿密な上にも綿密な検討を加えて、確証を掴んだうえで対応すべきだろう。


ところが肝心のポイントが歴史の大誤認だ。朴は「日本が一部施設で非人道的な強制労働が行われた歴史に目を背け、世界遺産への登録を申請した。世界遺産条約の精神に背き、不必要な対立を招く」と「強制労働」に直結させて攻撃の火ぶたを切った。 


しかし強制労働は日本が申請した遺産の対象時期である1850年代から1910年の間には行われていない。強制労働、いわゆる徴用は1939年に国民徴用令が制定され、第二次世界大戦の終結まで行われた。当初は朝鮮人は国民徴用令の適用を免除されていたが、1944年8月8日に朝鮮人にも適用するとした閣議決定が行われる。


その後、1944年9月から、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施された。しかし日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月までの7ヵ月間であった。外相・岸田文男が「韓国が主張している朝鮮半島出身の民間人徴用工問題とは、対象となる年代、歴史的位置づけ、背景が異なる」と主張するのは当然だ。
 

朴は執拗にユネスコ事務局長のボコバに「歴史を無視したまま、世界遺産に登録申請することは世界遺産条約の精神から外れ、国家間の不必要な分裂を招く」と伝えた。韓国側は、日本が登録を求める23資産のうち、7資産で日本の植民地時代に朝鮮半島出身者計5万7900人が「強制労働させられた」と主張しているが、例えあったとしても時期が違うのだ。


日本は国連分担金と同様にユネスコへの分担金も世界第2位の37億円だ。韓国はその10分の1だが、ユネスコ活動に対する戦後の日本の貢献ぶりを理解することも、隣国として当然のことであるはずだ。
 

もっとも朴を理を持ってじゅんじゅんと説いても、心に「反日の砦」を築いてしまっては無理だ。朴に日韓友好を説くのは、八百屋で「鮟鱇くれ」と言うようなものだろう。


同じ女性でも米国の女性は高級官僚ともなると外交的な視野が格段に広い。一度紹介したが、国務省次官・ウェンディ・シャーマンは去る2月にカーネギー財団で戦後70年をテーマに講演した。そのポイントは「愛国的な感情が政治的に利用されている。政治家たちにとって、かつての敵をあしざまに言うことで、国民の歓心を買うことは簡単だが、そうした挑発は機能停止を招くだけだ」と発言したのだ。


明らかに朴の姿勢を戒める発言だ。うじうじと歴史認識に拘泥している朴と、シャーマンの物事を見切る眼は雲泥の差がある。
 

もう当分、朴の反日言動は「馬耳東風」と聞き流して放置しておくしかないが、世界遺産の問題だけは1歩も譲歩するべきではあるまい。問題は譲歩とか、妥協が行える政治・外交マターではなく、歴史的事実か否かの問題だからだ。


官房長官・菅義偉が「技術的、専門的見地からの審査を期待したい」と述べているのは至極妥当だ。さらに議長国のドイツなどにあるといわれる、強制労働の記念碑設置の仲裁案も、安易な妥協だろう。


世界遺産委員会での登録決定は「全会一致」が通例だが、委員国から反対意見が出た場合、投票で決することも可能だ。その場合3分の2以上の賛成で決定する。このため、多数派工作が必要となる。


安倍は6月7,8日のドイツ・エルマウ・サミットの際にメルケルらに“根回し”をするのもよいかもしれない。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月22日

◆翁長は二重外交の“禁じ手”に走るな

杉浦 正章




反米プロパガンダもいいかげんにせよ
 

国を誤る行為の最たるものは二重外交である。日本では昭和初期から旧陸軍が独自外交を展開して国益を大きく毀損した。それをいま自治体の長が行おうとしている。


沖縄県知事・翁長雄志が27日から訪米して米政府や議会に普天間基地の辺野古への移転反対を訴えようとしている。もとより翁長の狙いは反米色の強い自らの支持団体・組織向けのパフォーマンスにあり、米政府がまともに対応するとは思えない。


しかし、事情を知らない米政府関係者が言質を取られる恐れもなしとは言えない。また隙あらばと対日宣伝工作を展開しようとしている中国などを利する恐れがある。政府は舞台裏で翁長の主張と意図を詳細にわたって米側に伝えて、連携を図っておく必要がある。
 

文化交流など民間外交は積極的に進めるべきだが、翁長がやろうとしている行為は憲法違反の二重外交だ。憲法の第73条の2には、内閣の事務として「外交関係を処理すること」と明記されており、外交権は内閣に付与されている。憲法上、地方自治体には、外交権は認められていない。


地方自治体が、政府の方針とは違う外交を展開すれば、日本は、二重外交のリスクに晒される。しかも、憲法上の規定がありながら、なし崩し的に地方自治体が外交権を行使するとなると、日本は、中国や韓国など周辺諸国によって、内部から切り崩される可能性が生じて来る。
 

さらに翁長の発言から予測すれば、政府の特権である安全保障政策にも踏み込もうとしている。外交・安保の両面から政府を揺さぶろうとしている意図がありありと感じられる。これはどう見ても使ってはならない“禁じ手”である。


記者会見などの発言から総合すると翁長は米政府関係者に辺野古への基地移転について「絶対に建設することができない」と言うのであろう。その理由として基地反対闘争の激化を指摘する。現在は100人規模の動員を、1000人規模にまで拡大させる方針を表明「とても日本政府が止めることは簡単ではない」などと主張するだろう。


さらに翁長は「こういったことを考えると、絶対に辺野古に基地を作らせないということをアメリカに伝える。『あなた方が決めたからできると思ったら間違いですよ』と言う」のだそうだ。加えて辺野古移転が挫折したら日米同盟が崩壊することを強調する。「辺野古がだめになったら、日米同盟が崩れる。私は日米安保体制を理解しているからこそ、理不尽なことをして壊してはいけないと考える」と述べるのだという。


とにかく脅したりすかしたりの立場で臨むのだろう。またハワイで起きたオスプレイの事故を取り上げ、「普天間でハワイのように落ちたら、日米安保体制は砂上の楼閣になる」と強調して配備撤回を求めるだろう。
 

明らかに政府の外交・安保特権に踏み込んだ言動を繰り返すものとみられる。もちろん米政府は、基地移転での交渉相手はあくまで「日本政府」との立場だが、問題は翁長が米政府関係者の不用意な発言の「片言隻句」を金科玉条として取り上げる可能性が高いことだ。


その対策として政府はまず、翁長の主張とその矛盾点を事前に国務省や国防総省に伝え、注意を喚起する必要があろう。間違っても両省幹部が翁長と会うようなことは避けさせるべきだ。
 

翁長は「日本政府を相手にしていたらどうにもならないから米国に行く」のだそうだが、明らかにプロパガンダ合戦で政府を揺さぶる意図が明白だ。基地反対闘争には中国の資金が入っているといったうわさや、中国の工作員が観光客に紛れて入り込んでいるという説もある。


翁長がすごんでいるように普天間で大事故が発生したり、辺野古での衝突で年寄りが死傷したりすれば、マスコミも含めて矛先は一挙に政府・与党に向く危険性がある。とりわけ、沖縄タイムズと琉球新報の現地2紙は、極端なまでに扇動的で偏向した論調を繰り返し掲載しており、県民の動向への影響力も強い。
 

しかし、翁長は「80%の県民が反対」と主張しているが、知事選結果はそうではない。有権者109万人のうち翁長支持は36万票であり、33%に過ぎない。賛成の仲井真弘多と、少なくとも反対ではない下地幹郎の票を合わせれば33万で伯仲している。40万人の棄権票も支持に回りうる層だ。


政府は翁長を説得しても、かつては辺野古移転に賛同していてた“転向”を二度繰り返すことはあるまい。翁長の嫌がる言葉だがここは粛々と埋め立てを進めるしかあるまい。

【筆者より:安倍首相がfacebookで小生のブログを紹介してくれました。光栄です。https://www.facebook.com/abeshinzo

            <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2015年05月21日

◆「自衛隊リスク論争」は安倍の勝ち

杉浦 正章

 


野党は「国民のリスク」に目を向けよ
 

党首討論を聞いて野党は戦後一貫してその存在のより所としてきた「一国平和主義」の主張に依然として全面的に寄りかかっているということが改めて鮮明になった。


戦後70年たって国際環境とりわけ日本を取り巻く安全保障情勢が激変している現実をあえて無視して、首相・安倍晋三との論争に挑んでいる。国民の不安をいたずらに煽る戦術である。これでは議論がかみ合わずに平行線をたどるのも無理はない。


安倍は国際環境の変化について「北朝鮮は数百発の弾道ミサイルの配備をしていて、核開発も進んでいる。この10年間で自衛隊のスクランブルは7倍に増えた。こういう現実を踏まえ、立法府の責任とは何かを考え、決めるべきは決めていく。やるべき立法は作っていく姿勢が大切だ」と北の核ミサイルと中国の領空侵犯などを挙げた。
 

民主党代表・岡田克也の質問にはこうした観点が全く欠如しており、基調はもっぱら「アメリカの戦争に巻き込まれる」論を展開した。米国の戦争に巻き込まれるという主張は社会党や共産党が安保条約改定に際して述べてきた主張だが、改定から半世紀を経ても巻き込まれていない現実をどう見るかという視点がない。


それどころか岡田が強調したのは「自衛隊のリスク」論である。


自衛隊のリスクはなぜ発生するかを考えれば、国際環境の変化によって生ずるであろう国民のリスクがあるからである。


北の核ミサイル開発や東・南シナ海で発生している中国の覇権行動によって、集団的自衛権を行使する際の「武力行使の3要件」の核心部分である「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」からこそ自衛隊のリスクが生じるのである。
 

岡田は国民へのリスクはどうでもよくて、自衛隊員のリスクの方が大事なのだろうか。これこそ平和は天から降ってくる社会党の思想をそのまま受け継いだものであろう。


戦後70年の平和が保たれてきた理由について岡田が「日米同盟の抑止力と憲法9条による海外での武力行使の禁止」を挙げたのに対して、安倍は「日米同盟と自衛隊の存在だ」と述べた。


確かに憲法9条は自己抑止力として作用するが、それだけで国の安全が図れるかと言えば世界の常識から全く逸脱する。軍事力があってこそ抑止が効力を発揮するのであって、自衛隊の存在を挙げた安倍の見解の方が説得力がある。
 

言うまでもなく自衛隊員は入隊に当たって国家存亡の有事に戦うことを宣誓しているのである。岡田は「どう見ても自衛隊の活動範囲は飛躍的に広がる。戦闘に巻き込まれるリスクも飛躍的に高まる」と主張するが、他国による侵略や核ミサイル攻撃という極限状態において、自衛隊がリスクを冒さなければ誰が国防の責務をになうのか。


国会はここの本音部分に踏み込んだ議論を避けるべきではない。山本五十六は「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」と述べているが、国家存亡の危機のためであることは、戦前であろうと戦後であろうと違わない。


違うのは日本軍国主義のために軍隊を使うか、安倍のように国防のための「必要最小限の実力行使」のために使うかであり、これは民主主義国家においては国民の選択に委ねられる。


軍国主義者を国民が選ぶか選ばないかの問題でもある。安倍は現場の判断でリスクを回避できることや、なるべく戦闘に巻き込まれない地域を選ぶとしているが、ことは国家の危機であり、安倍の見解の方が正しい。
 

その意味から言えば、岡田の「アメリカの戦争に巻き込まれる」との観点は、レッテル張りと反自民プロパガンダと言うしかない。


安倍は「海外派兵は行わない」と言明、過去にも「湾岸戦争やイラク戦争には自衛隊を派遣しない」と繰り返しているのであり、この言葉を信用するしかあるまい。


噴飯物は岡田が「他国の領土で戦争はしないと法律に書くべきだ」と主張したことである。もとより安保法制は「抑止力」に主眼を置いたものであり、抑止のための後方支援で他国の領土、領空、領海に踏み込まざるを得ないことも否定出来ない。


安倍が例外的にホルムズ海峡での機雷除去への積極姿勢を示したのも、イランの領海での機雷除去が石油確保の生命線であるからに他ならない。安倍が自衛権行使の3要件を厳格に適用すると述べているのだから、世界の常識から見ても極めて限定的な変化である。


主要国ではただ一国遅まきながら慎ましい集団的自衛権の行使に踏み込むのであり、それは他国による攻撃が前提としてあるからだ。安保法制の基本思想は「受け身」であり「攻撃」ではない。総じて野党の論議は机上の空論的であり、これが安保法制論議の幕開けかと思うと、先が思いやられる。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)