2014年06月30日

◆世界の報道は日本の普通の国化と好感

杉浦 正章
 


集自権で日本のマスコミの極論は浮いている
 

明日1日の閣議で集団的自衛権行使を限定的に容認する新たな憲法解釈が閣議決定される方向だ。日本にとって安全保障政策上の歴史的大転換となる。


極東の安保環境の劇的変化を無視して一国平和主義的な主張を繰り返し続けている朝日、毎日、東京、TBSなどの言論機関は完全にその洞察力と判断力において読売や産経に敗北したことになる。


リベラル系の主張は「日本が戦争する国になる」に始まって、秘密保護法案成立の過程と全く同じ“風評化”を意図した極論の展開であった。これらのマスコミは土着的近視眼体質をいみじくも露呈したのであって、世界の世論とは著しく性格を異にする。


世界の言論機関の集団的自衛権の行使限定容認に対する評価は高く、日本がようやく「普通の国」になったという判断である。


紛れもなく日本の安保政策の大転換は、自律的でなく多分に他律的である。北朝鮮による核ミサイル開発が完成段階に到達しつつあり、日本の都市を名指しで攻撃対象にあげるといった事態。


中国による防空識別圏の設定、領海進入など海洋覇権主義の臆面もない展開など、冷戦期を通じてもなかった直接的な脅威が極東に存在するに到ったからである。中国のケ小平は日本の経済支援を必要とするうちは、 韜光養晦(とうこうようかい)路線を取った。韜光養晦とは、光を韜(つつ)み養(やしな)い晦(かく)すことだ。


「中国は国力の無いうちは、国際社会で 目立った行動をせずに、じっくり力を蓄えておこう」というものであったが、GDPが急上昇を続ける2009年ごろから修正されはじめ、2011年の統計でGDPが世界第2位の座を日本から奪ったころから事実上韜光養晦はかなぐり捨てられた。


南シナ海や東シナ海での覇権行為はドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙に「協調性に欠ける中国が同地域で『陶器店に迷い込んだ象』のように振る舞っていることは否定しようがない」と形容された。「近隣諸国に対し,かつての帝国主義国のように行動している」と断定している。


朝日や毎日はこのような冷徹な物の見方をするドイツ紙の爪の垢(あか)でも煎じて飲んではどうか。
 

世界の論調は総じて中国の軍事費が10年間で4倍に達するという異常事態の中で、日本が抑止力を強化することは無理からぬことであり、そのための集団的自衛権の行使限定容認は当然のことと受け止めている。


とりわけ首相・安倍晋三が提示した邦人護送のための米艦防御など15事例について「こんなことまで日本は規制されているのか」という論調が濃厚である。世界のマスコミから見れば日本で行われている集団的自衛権行使の是非をめぐる論議は、まさに神学論争そのものと映っているようだ。


例えば公明党との調整で「国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合もある」を公明党が「場合があるに変えよ」と主張して、そうなった例などは意味不明の神学論争の極みであり、政党間の言葉遊びといってもよい。
 

世界のマスコミが直接的、間接的に一致して強調するのは「日本が普通の国になる」ということである。


ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「集団的自衛権で日本は「普通の国」へ、東アジア安保に寄与」と題する社説で「集団的自衛権の行使を容認すれば、日米安全保障同盟をバランスのとれたものにできるだろう。


憲法解釈の変更を踏まえて日米防衛協力の指針(ガイドライン)が改定される。そうなれば自衛隊は、北朝鮮や好戦的になった中国から米国向けに発射されたミサイルを迎撃したり、包囲されている同盟国の艦艇を支援したりできる」と歓迎。


加えて「日本の集団的自衛権は国際法の下で主権国家の権利として認められている。日本が「普通の国」になるための重要な要素だ」と強調している。


要するに世界の常識が通用する国になるということだ。さらに今後の展開の可能性として「日本、ベトナム、フィリピンの枢軸が強化されれば、東アジアのリバランス(再均衡)につながり、中国の侵略行為に対して互いに積極的に支援する非公式同盟が生まれるだろう」とまで予測している。


一方で米紙ワシントン・ポスト紙は解釈変更について「オバマ政権にも支持されているこの変更は、道理にかなっている」と評価した。


オーストラリアのオーストラリアン紙は「安倍総理が集団的自衛権容認のために現行の憲法解釈の変更を望んでいるのは,日本が安全保障戦略で孤立することを防ぐためだ。」と分析するとともに「たとえ日本が直接的な脅威にさらされなくても,日本は米軍や豪州軍などを援護できるようになる」と期待感を表明している。


このように世界各国のマスコミは、日本が国連憲章の核である集団的自衛権の行使を限定容認することへの理解を見せている。日本の一部マスコミのように「日本が戦争する国になる」「徴兵制が導入される」「アメリカの戦争に巻き込まれる」などという常識外れの極論はさすがに見られない。


国務省元日本部長のケビン・メアが 「集団的自衛権を日本が行使することは日本自身が決めること」と述べている通りである。安倍政権が“独走”することはまずないし、他の政権が独走しようとすれば、国会の事前承認という最大の「歯止め」がかかっていることなのである。

  <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月27日

◆“バブル危機”で迫られる習近平

〜対日姿勢変更〜


杉浦 正章



APECに向け柔軟路線か
 

アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれる11月に、不動産バブルが崩壊して金融危機に陥ったらどうなるか。


これを考えたら恐らく中国国家主席・習近平は、夜も眠れないのではなかろうか。APEC首脳会議は習近平が主宰する初めての大国際会議である。中国政府はオリンピック基準で北京市を整備するよう指示するなど、大変な力の入れ方である。


会議の成功は習のメンツとリーダーシップがかかっており、そこにバブル崩壊がぶつかっては目も当てられない。経済協力会議どころか中国支援国会議になりかねない。そこに気付けば会議までの5か月間で、対日関係の改善を図ろうと普通の政治家なら考える。
 

そうともとれる情報を26日共同通信が配信した。その内容は中国共産党の中央対外連絡部長・王家瑞が、APEC首脳会議の際の日中首脳会談について「中国としても歩み寄りの雰囲気をつくりたい。双方が努力して会談を行うぞという雰囲気が大事だ」と意欲を示したというのだ。


日中関係筋の情報と言うから、恐らく情報源は日本の北京大使館筋か、中国の外交当局であろう。共同電は「社民党の吉田忠智党首と23日に行った会談で語った。北京APECまで5カ月を切り、強硬一辺倒だった中国が日本との対立の緩和を模索し始めた可能性がある」と報じている。


「王部長は各国との政党間外交を仕切る立場にあり、発言は最高指導部の意向を反映しているとみられる」とも伝えている。


この発言から見る限り突っ張っていた中国が軟化の兆しを見せ始めたとも受け取れる。だとすれば、その理由はなぜか。やはり不動産バブルが崩壊の過程に入ったことがまず第一に挙げられるのだろう。


野村證券の中国経済に関するリポートでは「中国の不動産バブルの調整は起こるかどうかではなく、どれほど深刻になるかのレベルに達している」のだという。中国の不動産業界からは悲鳴に近い声が聞こえてくる。


不動産最大手の万科企業総裁・郁亮は、国内不動産業界について「黄金時代はすでに終わった」と発言している。また不動産開発大手SOHO総帥の潘石屹はなんと「中国の不動産市場は今、沈没寸前のタイタニック号だ。もうすぐ氷山にぶつかる」と発言したという。
 

もうすぐ氷山にぶつかるということはどういうことか。バブル崩壊とは1990年代初めの日本や、2008年のリーマン・ショック後の米国の例を見れば、土地価格が急落する中で金融機関が巨額の不良債権を抱え込み、信用不安に発展することを意味する。


従って筆者は中国の現状はバブル崩壊の過程にあるのであっても崩壊にはまだ到っていないと思う。そこに立ち至るようなら共産党中央は、恐らく人民銀行などを使って国有企業や地方政府に不動産買い上げ資金をぶち込むという強行手段を取る可能性がある。


取り付け騒ぎは何としてでも防ぐ必要があるからだ。さらに中国が保有する400兆円近い外貨準備も銀行に回す可能性がある。習近平はおそらくASEANまでにバブルがはじけることは何が何でも食い止めようとするに違いない。
 

加えて習近平はAPECに向けて国内の治安維持にもに忙殺されるだろう。4月の自らのウルムチ視察の際のテロや5月のアジア信頼醸成会議に合わせたテロは、明らかにウイグル族によるテロが場当たり的ではなく、組織化されたものであることを物語っている。


当然テロリストはAPEC開催に合わせたテロを狙うだろう。北京で発生すればやはり習近平のメンツは丸つぶれとなる。


こうした経済、治安両面における事態に直面して中国は、これまで通りに海洋覇権主義を前面に出して孤立するような路線を維持し続けるのだろうか。


APECの主要加盟国である米国、日本、フィリピン、ベトナムと対峙したままでは会議の円滑な運営も不可能だろう。APECで失敗するとはどういうことかと言えば、5月のシャングリラ会議を“踏襲”してしまうことだ。


中国軍首脳が完全に孤立して、首相・安倍晋三演説が喝采を受けたこととおなじような状況に陥ることである。紛れもなく南・東シナ海での中国の覇権が東南アジア諸国の拒絶にあったのであり、これをAPECまで引きずることは避けたいに違いない。


共同の記事はこうした中で報じられたのであり、少なくとも政府中枢では対日柔軟路線が語られ始めている事を物語るものであろう。


今後習近平が本気で安倍との首脳会談に向けて柔軟姿勢を示すかどうかを見極めるのは、7月3日の訪韓が焦点となる。朴槿恵と一緒になって歴史認識などで対日強硬路線を打ち出すかどうかである。


安倍は現在のところ習近平との首脳会談を急ぐ必要はない。しかし習近平は、るる述べてきたように急がなければならない事情が山積してきているのだ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月26日

◆海江田は左翼片肺で五里霧中を飛ぶ

杉浦 正章



「降ろし」は長期化の様相
 

ふがいないのは民主党で政権を担った6人衆だ。両院議員総会では「うん」とも「すん」とも言わなかった。


とりわけ元代表・前原誠司と前外相・玄葉光一郎は、最近威勢よく「海江田降ろし」を打ち上げていたにもかかわらず、一言も発しなかった。まるで国政選挙大敗北の脳しんとうが続いているかのようであった。


7月下旬に総括の場が設けられるが、民主党代表・海江田万里に続投を押し切られるのが落ちだろう。民主党は、党首としての限界が明白となったにもかかわらず左派・リベラルが担ぐ海江田の左翼片肺飛行で五里霧中を行くが如しである。支持率4〜5%とと低迷する党勢回復など当分夢のまた夢のようである。


そもそも「海江田降ろし」の口火を切ったのは玄葉だった。海江田が昨年夏の参院選直後に党の体制建て直しについて「結果が目に見える形で出てこなければ、皆様に民主党を代表する立場を恥を忍んでお願いすることはない」と発言したことをとらえたのだ。


玄葉は「民主党が政権に再挑戦するにふさわしい体制をそろそろ築かなければいけない。そのためには代表選が行われることが望ましい」と代表選1年前倒し論を唱えたのだ。


玄葉と歩調を合わせるかのように右寄りグループを率いる前原誠司も「代表は成果がなければ辞めると公言した。総括はきちんと行ってもらいたい」と述べるとともに、橋下維新と将来合流する可能性について、「100%だ」とまで言い切った。


両者の発言が注目された24日の両院議員総会では、中堅若手ばかりが発言。発言者20人の内代表選前倒し論と海江田責任論はわずか5人。海江田への明確な支持もたったの1人だった。6人衆は欠席の枝野幸男を除いて、野田佳彦、岡田克也、安住淳ら5人もがん首を揃えていながら発言ゼロ。


この結果両院議員総会での「海江田降ろし」は事実上不発に終わったのだ。海江田は続投に自信をつける結果となった。


海江田は党運営を総括するための場を「7月下旬に設ける」と約束、それまでに同月15日から訪中するなど、続投の既成事実を固める構えである。党内では「夏休み中に人が集まるか」といぶかる声もあるが、そこが海江田の狙いかも知れない。


こうして当面は海江田体制が継続する可能性が強まっているが、党内右派の不満はうっ積した。ほっとしているのは海江田を支える左派だろう。


民主党内の勢力は衆院56人、参院59人と参院の方が多く、参院には連合など労組出身の議員が多数を占める。その元締めが日教組出身の副議長・輿石東であり、輿石は海江田支持だ。衆院にもリベラル系は20人弱いる。執行部はこうした左派で固められており、海江田は御輿として担がれているだけだ。


かつて小沢一郎が中曽根康弘を田中派が担ぐに当たって「御輿は軽くてパーがいい」と述べたが、似たような状況ではある。左派の強みは党規約にリコールの規定がないことだ。代表選前倒しをしようにも両院議員総会では左派が優勢であり、よほどの事態がない限り難しい。


一方右派は7月下旬の総括に向けて態勢を固めるのだろうが、6人衆が動かなければ巻き返しも難しい。右派にとっての強みは党内が「海江田では総選挙は戦えない」という空気が濃厚なことであり、それには長期戦もやむなしとせざるを得ないのだろう。


「結局来春の統一地方選の結果を見るしかあるまい」という声が出ている。ということは統一地方選を海江田でやって、惨敗した上でないと、「海江田降ろし」のエネルギーが出てこないというわけだ。


その上で来年9月の代表選を数か月繰り上げて新代表を選出、総選挙または衆参ダブル選挙に臨む体制を築き上げるというわけだ。


これに維新などの政界再編の動きがどう絡むかだ。前原と橋下徹の接触は陰に陽に重ねられてゆくものとみられる。今のところ前原は維新を民主党に吸収合併するポジションを変えていないが、党内対立が激化すれば弾みで分裂する可能性もなしとはいえない。


いずれにせよ海江田の党運営は厳しいものがある。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月25日

◆米はイランと共闘してISISを排除

杉浦 正章




手をこまねいているときではない
 

打つ手がないからといって「次はニューヨークだ」と息巻くテロリスト集団を野放しに出来るのか。


シリア内戦で力をつけたアルカイダ系テロリスト集団「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」のイラク侵攻に米国が手をこまねいていれば、史上初のテロリスト国家がシリアとイラクの国境に樹立されかねない情勢にある。


スンニ派を基盤としているISISとの戦闘は、シーア派との宗教対立に巻き込まれてベトナム戦争並みの泥沼となり得る。大統領オバマの選択肢にはありえないことであろう。


しかし米国が動かなければ事態は好転しない。米国は中東でかつてないほどのジレンマに陥っているが、ここはたとえイランと“共闘”を組んででもテロリスト排除に動くべきであろう。


ISISが強力なのか、イラク軍が弱いのか、イラク第2の都市モスルはたった1日で制圧されてしまった。1万数千人の集団でその10倍のイラク軍を潰走させたことになる。テロリスト集団は捕虜のイラク兵に対して血も凍るような惨殺を繰り返したといわれる。


ISISはシリア内戦が生んだ化け物といえる。アサド政権を倒すためにサウジアラビアなどが資金援助した反政府勢力だ。3年にわたり実戦に従事して力を付け、武器も弾薬も豊富だ。
 

ISISにからんで米国は2つの大矛盾に直面している。1つはシリアのアサド政権打倒に向けてスンニ派のISISなど反政府組織を支援してきたが、これがアルカイダも「過激すぎる」と驚く超過激派に成長して、イラクで内戦を仕掛けるまでに到ったこと。


もう1つは長年対立してきたイランと米国が反ISISでは一致することである。ISISの狙いは明らかにシリアとイラクの国境地帯にスンニ派のイスラム国家を樹立するところにあり、イラクはスンニ派、クルド自治区、シーア派に3分裂する様相を強めている。


シーア派のマリキ政権はあらゆる政府の重要ポストからスンニ派を遠ざけ、シーア派に片寄った政権運営をしてきたが、その8年間のツケがいま回ってきたというところだ。これはアメリカがイラクで目指した挙国一致体制の国家樹立とは逆の方向であるが、オバマが余りにも性急な「完全撤退」をしてしまったことにも原因がある。


少なくとも5千人程度を残しておけば、マリキの独走を防げたという見方が強い。オバマもテロとの戦いの旗を降ろすわけにはいくまいが、地上軍の投入は、はやばやと否定している。
 

残る対応は空爆だが、ISISはいまや市民の中に紛れ込んでおり、空爆は誤爆の可能性の高いものとなっている。空爆と言っても地上情報がなければ実施できるものではなく、米軍事顧問団はその地上情報を得るために送り込んだもののようだ。


しかし、最大300人が限度では出来ることは限られている。米国務長官・ケリーは16日、ISISのさらなる進撃を阻止するために、 イランとの協力を模索する可能性を示唆した。シーア派国家のイランはマリキ政権とも親密な関係にあり、大統領・ロウハニも「テロとの戦いでは米国と協力する」と述べている。


しかし米国内では「イランを信用すべきではない」との警戒心が根強く存在しており、オバマも判断を迫られているところであろう。
 

米国は総じて厭戦(えんせん)気分が横溢しており、世論調査でも中東で3度目の戦争をすることには反対する声が圧倒的だ。


しかしISISの台頭は、ウクライナ問題を抱えるヨーロッパと、南・東シナ海で中国の覇権に遭遇しているアジアに加えて、中東でも導火線に火が点いた事を意味する。米国は2正面作戦どころが3正面作戦を強いられているのが現状だ。


だが、ここで米国はひるんではなるまい。シリアに加えてイラクが本格的な内戦状態に発展すれば、中東情勢は抜き差しならぬ状態に突入する。ここは対立してきたイランと“共闘”を組んでもテロリスト集団を排除すべきであろう。


同時に国連安保理も事態を真剣にとらえて、行動を起こすべき時だ。日本は首相・安倍晋三が明言しているとおり中東の戦争に自衛隊を派遣することはあり得ないが、イランで50万人、シリアで800万人の難民支援を国連を通じて早期に行うべきであろう。


難民支援は戦闘地域の縮小と若者のテロ集団入り防止につながり、間接的ながら問題解決の重要なポイントであるからだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月24日

◆集団安保で公明を揺さぶって前進

杉浦 正章



“高村家康”の巧妙なる駆け引き
 

まるで猫が捕まえた鼠にじゃれついているように見えるのが、集団的自衛権の行使容認をめぐる自公調整だ。


全くの自民党ペースで推移している。その象徴が集団安保措置への対応である。もともとやる気のないドラスチックな提案を行って公明党を揺さぶり、頃やよしと見ると撤回して、全体としての調整を前進させる。


公明党幹部もこの揺さぶりに“真剣”に対応する振りをして、党内的には「自民党の“譲歩”を勝ち取った」とばかりに説得の手段として活用する。まさにキツネが化かせば、化かされた振りをして狸が仲間を説得する。これが政権与党内での調整の実態だ。


20日に自民党副総裁・高村正彦が突然、武力行使を伴う集団安全保障措置への参加を持ち出したが、最初からこれはブラフだなと感じた。集団的自衛権の限定行使ですら戦後の安保政策の大転換となるのに、それに匹敵する新提案を本気でするわけがないと思ったからだ。


高村は、集団的自衛権の行使でホルムズ海峡の機雷除去活動をしているときに、国連が集団安保による制裁を決めたら撤退せざるを得なくなるという“スジ論”を展開した。確かに防衛、外務両省など政府部内にはそうした事態を危惧(きぐ)する声があるが、状況はあれもこれもというわけにはいかないのが現実だ。


公明党はただでさえ党内説得が難航しているときに、さらなる難題を持ち出されたのだから憤った。または憤ったふりをした。


これをみた自民党はわずか3日で撤回、閣議決定せずの方針を打ち出した。自民党は関ヶ原の戦で洞ヶ峠を決め込んでいる小早川秀秋の陣に、しびれを切らした徳川家康が発砲を命じて参戦を促したのと同じ揺さぶりをかけたのだ。


こうして「公明小早川」は慌てて徳川方につく方向に踏み切ったのだ。高村も相当なものである。もともと国連が集団安保を決議しても、日本だけが集団的自衛権の行使で対処して機雷を除去することにクレームを付ける国はあるまい。非常事態への対処というものはそういうものであり、机上の空論より現実が先行する。


さらに政府・自民党は高村が示した自衛権発動の3要件でも、公明党の反発を承知の文言をちりばめた。「他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆されるおそれ」がある場合の「他国」と「おそれ」である。


案の定公明党は「他国」が日本以外の全ての国とも読めるし、「おそれ」は際限なく行使を広げると反発。結局「他国」は「密接な関係がある他国」、「おそれ」は「切迫した危険」などへ修正する方向だ。


こうして「揺さぶっては前進させる」戦略が功を奏して、政府の集団的自衛権の行使限定容認の閣議決定は来月1日か遅れても4日の閣議で行われる方向が強まった。


一部世論の中にはこの集団的自衛権の行使について「戦争に参加する道を開く」などと極端な反対論が横行している。しかし、安倍が明言しているように「自衛隊が湾岸戦争やイラク戦争に参加するようなことはこれからも決してない」のである。


集団的自衛権の行使は日本を除く全世界の国々が容認しているが、だからといって戦争に巻き込まれるという事はないのだ。イラク戦争の際も北大西洋条約機構(NATO)に加盟しているフランスとドイツは米国の要請に応じず、参加を拒否している。


機雷の除去が参戦につながることは国際法上当然だが、日本の船舶が撃沈されてから世論の高まりを待って除去しても遅いのだ。爆撃や他国への攻撃と違って受動的な対応は当然認められるべき範疇に入るべきだろう。


だいいち参戦ともなれば国家の非常事態であり、国会の承認が前提になることは間違いない。これまで通り歯止めはあるのだ。総じて集団的自衛権の行使は、抑止力を高め戦争の可能性を少なくするのが世界の常識だ。


閣議決定に伴う法整備が焦点となるが、世界各国の軍事関連法案はしてはならないことを定めたネガティブ・リストであり、比較的簡単だ。しかし日本の場合はこれが警察権行使の際に、してよいことを定めたようなポジティブ・リストであることが問題を複雑化している。


これは自衛隊が戦後警察予備隊として発足した経緯を引きずっているのだ。したがって例えば邦人輸送の米艦警護などひとつひとつの事例を法制化しなければならないことになる。政府は秋の臨時国会前までに自衛隊法の改正を軸とする法制化を進める方針だ。

  <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月23日

◆検証で河野談話は事実上空文化

杉浦 正章



政府は世界の「性奴隷説」を払しょくせよ
 

一人の政治家がこれほど国益を損ねた例を知らない。


政府が20日公表した「河野談話」の検証報告書の結果明らかになったものは、記者会見で「強制連行」を認めた当時の官房長官・河野洋平の世界的なミスリードの現実であった。そして、そこまで導いたのは首相や大統領まで加担した談話作成の過程における「日韓合作」の“すりあわせ”であり、隠ぺい工作である。


これが結果的に韓国政府のプロパガンダに利用され、実態に反して、世界中に日本軍は哀れな韓国女性を「性奴隷」としてレイプしながら転戦を続けたというデマゴーグをまき散らしたのだ。河野談話は事実上空文化した。政府はこれを奇貨として真実を世界中に知らしめる宣伝活動を展開すべきであろう。


産経新聞が「無能な政治家によって汚された国の名誉を回復するときは、今しかない」と憤っているとおりである。河野の検証後の発言を見ればそれが分かる。検証報告書について河野は「正しく書かれている。足すべきことも引くべき事もない」と礼賛しているのだ。


冗談ではない新たに足された事ばかりではないかと言いたい。その認識すらもてないでよく枢機に参画する政治に携われたものだ。


まず挙げられるのが談話の核心部分における「足すべきこと」である。歴史認識であるから、一点の疑問もあってはならないことであるが、政治的な駆け引きの対象とされた。


まず韓国側が強制連行を鮮明化するため「募集は軍が行い、業者にも軍の指示があった」という表現を要求した。これに対して日本側は、要求を拒否して、「軍の要請を受けた業者がこれに当たった」との表現で決着した。


こうした「日韓合作」の調整は発表前日の1993年8月3日にまで及び、最終的に首相・宮沢喜一、大統領・金泳三が案文をチェックし承認したうえでの発表となった。その際に重要なポイントは調整の事実を公表しないように日本側が申し入れ、韓国側も了承したことである。


明らかな隠ぺい工作であり、宮沢政権は河野主導で“すりあわせ”の上に“隠ぺい”もするという、国民を欺く対応をしてしまったことになる。さらに国民を欺いたのは慰安婦からの事情聴取が儀式であったことだ。河野談話の内容が事情聴取の先に決められたことが如実に物語っている。


こうした誤判断のうえにより大きな誤判断を重ねるという事態が、発表に伴う記者会見で発生した。談話の曖昧さを記者会見で突かれた河野は、政府高官として口が裂けても言ってはならない発言をしてしまったのだ。強制連行の事実があったかと問われ、「そういう事実があった」と述べてしまったのだ。


外務省や官房副長官・石原信雄が苦労して作り上げた「河野談話」の基調である「強制連行は確認できない」とする一線を、政治家の側が自らが破ってしまったのである。この発言が以後21年にわたって韓国の反日プロパガンダの核になった。


さすがに談話発表後は金泳三も協調姿勢を維持したが、結果的に日本側は韓国側にだまされる事態となった。「日本側の善意が生かされなかった」と石原が述べるとおりだ。


アジア女性基金を通じた元慰安婦への償い金支給を始めると、韓国国内には、「日本政府による直接補償ではない」などと、まるで“言いがかり”のような声があがった。


65年の日韓請求権協定で、個人も含む賠償請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」と明記しているにもかかわらず、その後も「慰安婦問題は協定の対象外」として、日本に公式の謝罪や賠償を求め、これが朴槿恵の反日姿勢と「言いつけ外交」の骨格をなして、今日に到るのだ。


国連も、河野の記者会見に引っ張られて、こともあろうに従軍慰安婦を「性的奴隷」と呼称するに到った。


無能な2級国際官僚で形成されている国連人権委員会のクマラスワミ特別報告者(スリランカ)は、96年の報告書で、慰安婦制度が国際人道法に違反する「性的奴隷制」だと断定し、日本政府に「法的責任と道義的責任」があると主張したのだ。


この見解は韓国の米国内でのプロパガンダに使われ、日本軍が慰安婦を強制連行しレイプし続けたかのような誤解が世界中に広がっている。米国で昨年、グレンデール市に慰安婦像が設置されたのも一例である。


韓国は「共作」の実態に対して外務省の見解で「日本から再三の要請に応えて非公式に意見を提示しただけ」と述べているが、大統領まで承認した経緯を棚上げにすることは出来まい。明らかに韓国という国家が絡んだ「談話」であったのだ。


加えて検証発表当日は日本の領海内で射撃訓練をするという暴挙にまで発展させている。今後「国際社会とともに適切な措置を取る」としているが、日本は「共作」を暴露しただけでよしとしてはならない。検証であらわになった事実は、日本が強制連行を認めておらず、韓国側がでっち上げたことに他ならない。


当時日本軍には世界一厳しい軍律があり、他国の女性を性奴隷としてレイプしながら戦争を継続したなどという事実なと存在し得ないのだ。軍の関与は伝染病防止の医療行為などに限られているのだ。


政府自民党が今後取るべき措置はまず国会に河野を証人喚問して、事実関係を究明することであろう。さらに米国や国連に対するロビー活動やマスコミへのPRを展開して、世界をおおう「性奴隷説」の屈辱を払しょくしなければなるまい。


韓国の朴槿恵は今後「国論統一の好餌」とばかりに取り上げて支持率を回復しようとするだろう。7月3日に訪韓する中国国家主席・習近平もこの朴の思惑を活用して「歴史認識」を突破口に日米韓にくさびを打ち込もうとすることは間違いない。


日本政府もここは腹を据えて取り組む必要がある。青少年が、「河野発言」を真に受けて、誤解に基づく“引け目”を感じるようではいけない。青少年の自信回復がなければ国力の回復もない。他国のプロパガンダに蹂躙されてはならない。

     <今朝のニュース解説から抜粋> (政治評論家)

2014年06月20日

◆歴史認識で対日共闘再構築の公算

杉浦 正章



習近平の7月訪韓
 

よほど「河野談話」の検証結果が気になるらしい。発表される20日に合わせて竹島沖の日本領海内で韓国軍が海上射撃訓練である。日本政府の抗議など「無視した」(韓国政府関係者)上での異例の訓練だ。


折から中国国家主席・習近平の訪韓が7月3日と決まった。アジアにおいて孤立化をひしひしと感じている習と韓国大統領・朴槿恵の会談は、地球俯瞰外交で成果を上げている首相・安倍晋三への、強いけん制を意味する。当然歴史認識での対日共闘路線を復活させるものになるに違いない。


中国の国家主席が北朝鮮を訪問する前に韓国を訪問することは極めて異例である。江沢民は党総書記就任後、胡錦濤氏は国家主席就任後に韓国より先に北朝鮮を訪れている。北朝鮮と中国の関係が冷え切っていることをうかがわせる。


逆に北朝鮮は拉致被害者問題で日本への“すり寄り姿勢”を強めており、場合によっては安倍訪朝が実現する可能性も出てきている。


習訪韓に次ぐ安倍訪中となれば、朝鮮半島をめぐって真逆の外交が展開されることになる。習は国内での一極集中体制をほぼ確立したと見られており、訪韓を皮切りに外交攻勢を強めるものとみられる。


すでに習は朴の要請に応じて、今年1月、黒竜江省ハルビン駅に伊藤博文元首相を暗殺した朝鮮独立運動家、安重根の記念館を設置。さらに、旧日本軍による従軍慰安婦に関する資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録申請するなど、歴史問題での韓国との「対日共闘」を進めようとしている。


習にしてみれば5月のシャングリラ会議が圧倒的に安倍と米国防長官・ヘーゲルのペースで進み、南シナ海と東シナ海における覇権確保の動きが東南アジア諸国連合(ASEAN)各国の批判の的となったことから、何とか巻き返しを図りたいのだろう。その突破口を朴との会談と位置づけているに違いない。
 

一方で朴槿恵は米国の仲介による日米韓首脳会談を渋々行ったが、その後は海難事故で忙殺され、得意の対日けん制外交は封じ込められていた。しかし対日カードは国内的に支持率確保の最良の手法であり、これを使うチャンスをうかがっているというのが実情だろう。


そこに出てきたのが20日に日本政府が衆院予算委に提出する河野談話検証結果である。旧日本軍の関与を認めた談話については、韓国側とのすりあわせたうえで作成したとの噂が絶えなかった。そうであれば河野談話は日韓共作の色彩を帯びることになり、同談話を盾に対日批判を繰り返すことは自己矛盾となる。


事実、核心部分の「軍の意向を受けた業者が慰安婦の募集をした」という表現を、韓国側の主張で「軍の要請を受けた」に強めたとされるのだ。


韓国では与野党を問わず固唾をのんでその内容を注視しているが、韓国最大野党・新政治民主連合共同代表らは19日「検証発表は韓日関係の破局を招きかねない、極めて危険な政治的発想だ。河野談話を検証という名の下に韓国を傷つけようとしているのではないか」と強いけん制球を日本側に投げつけている。


韓国政府が同日、20日9時からの射撃訓練を発表したのも、検証発表をその内容も含めてけん制していると言うことなのだろう。


こうして朴槿恵は、暫く封印していた対日歴史認識を再度持ち出そうとしているかのように見える。しかしその外交路線は極めて危ういものがある。つまり習近平の仕掛けた日米韓分断のわなに陥る危険があるのだ。


習は5月の「アジア信頼醸成措置会議」で「アジアの安全は結局、アジアの人々が守らなければならない」と発言、米国の関与を排除する方針を鮮明にさせた。昨年6月の訪米でも「太平洋2分割論」をとなえて米国の同調を求めたが、オバマは逆にアジアでのリバランスを打ち出し、関与を一層強めようとしている。


日米の主張は中国の海洋進出を食い止めることで完全に一致している。米国は中国による防空識別権の敷設やベトナム沖での石油掘削強行、東シナ海における戦闘機の異常接近など一連の覇権主義に強い嫌悪感を抱いている。当然韓国に対しても圧力をかけているに違いない。
 

アジア諸国も米国の軍事支援や、日本によるフィリピンやベトナムへの巡視艇供与を歓迎しており、中国の孤立化は歴然としている。これに対して習は朴との会談を突破口と位置づけているに違いない。


習はまず歴史認識で対日共闘関係を再構築する。そして出来れば安全保障分野での協力関係に持ち込みたいのであろう。これは朝鮮戦争での敵国同志が手を結ぶことを意味しており、米国の極東戦略がほころびることを物語る。


朴は経済関係では中国との関係を良好に保ちたいのであろうが、いくら何でも米国を無視して安保関係にまで踏み込む度胸はあるまい。


習との会談は米国と中国という超大国のはざまで苦汁の対応を迫られる恐れがある。結局対日歴史認識で一致して共同歩調を維持するのが精一杯であろう。


しかしシャングリラ会議で国際世論の動向は安倍の積極外交で「歴史認識」問題はかすみ、中国の海洋覇権だけが批判の対象となった。これが物語るのは、中国の孤立化であり、これに同調すれば韓国の孤立化をもたらすことになろう。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月19日

◆政治駆け引きは自民が上手

杉浦 正章



山口“理路整然”と撤収の構図
 

新聞の見出しは「集団的自衛権巡る協議 会期中の合意困難」というよりは「集団的自衛権、来月初旬にも閣議決定」と“前向き”にするべきだろう。たった2週間遅れるだけのことで本質は、閣議決定が確定的になったところにあるからだ。


自民党幹事長・石破茂と公明党幹事長・井上義久の18日の会談はそう言う性格のものであったはずだ。表向きは井上が党内論議が未成熟であることを盾に難色を示し、石破がこれをやむなしとした形だが、物事にはあうんの呼吸というものがある。ここまで追い詰めておきながら石破が独断で方針を断念することはあり得ない。


むしろ井上の本音は「今国会だけは勘弁してくれ」であったに違いない。首相・安倍晋三にしてみれば名を捨てて実(じつ)を取ればよいことなのである。19日に急きょ開かれる方向となった自公党首会談も、前向きなものとなり調整を加速させることになろう。


与党内の論議を観察していると、公明党代表・山口那津男の「誤算」に起因しているところが大きい。


選挙に弱く衆院で2度落選している山口にとっては創価学会婦人部が何よりの頼りである。その婦人部は安全保障は天から降り注ぐ「絶対平和主義」に凝り固まっており、勢い山口もそれを後生大事に守ってきた。山口は弁護士出身で防衛政務次官も経験があり、党内では安全保障の論客の第一人者として通ってきている。


したがって公明党は山口の論理構成に頼らざるを得なかったのだ。


ところが安倍の“決意”は並大抵のものではなかった。官邸サイドからは学会と公明党の癒着を憲法の「政教分離」の原則に反するとする声が出始め、首相側近からは「連立離脱するならご自由にだ」というけん制球も投げられるに到った。


公明党内からは「国民に理解してもらえるのであれば、私は認めてもいいのではないかと思っている」(衆院議員・伊佐進一)という声も出始めた。


一時は「『連立離脱はない』とは言っていない」とすごんでいた山口も、ついに「党が違えば政策も違う。その違いがあるから、いちいち連立離脱が問題になるのでは連立は組めない。合意を目指すのが大切だ」と折れるに到ったのだ。


要するに安倍の決意が“不退転”であることを読み間違ったのだ。


この山口の軟化を察知した自民党は副総裁・高村正彦が私案を出して「山口さんがずっと言ってきたことをたたき台をまとめた」とヨイショをした。


石破も今国会にこだわらないと言い始めた。政治的な調整に関しては自民党の方が一枚上手であることが明らかになったのだ。山口も“理路整然”と撤退できればそれに越したことはないのだろう。


こうして自公の調整は決着の方向が見えてきた。公明党が懸念している高村たたき台の「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある場合」の「おそれ」については「切迫した危険」
に変える方向だ。


一方で「他国に対する武力攻撃の発生」との文言の「他国」に関しても、公明党の主張を入れて米国などに限定するため「密接な関係にある国」への修正の方向だ。いずれも集団的自衛権の行使限定容認の方向を変えるものではない。


ただしホルムズ海峡などでの機雷除去作業については安倍が極めて重視しており、公明党の反対論が強硬ならば「見切り発車もやむを得ない」(官邸筋)という声も出ている。


山口は18日テレビの収録で「従来の政府の立法解釈を大きく損なうことがないような結果を導き出すことが必要」としながらも「協議する以上、エンドレスということはない」と語っており、もう無駄な抵抗はしない方向のようだ。


こうして閣議決定のめどは立ちつつある。今のところ来月第一週の4日頃の閣議決定を目指すことになろう。


この結果昨年10月の日米外務・防衛閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)で確認した日米防衛協力の指針(ガイドライン)の年末改訂には間に合う見通しとなった。


また関連法案が秋の臨時国会に提出される見通しだ。民主党の左派など野党の一部は臨時国会でも反対する構えだが、みんなや維新の両党は賛成に回るものとみられる。この結果戦後史に残る安保政策上の大転換は実現する方向となった。


      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月18日

◆弱者への目線のない石原発言

杉浦 正章



ポスト安倍レースからは脱落か


「言は心の声なり」というが、環境相・石原伸晃の発言はまさに思っている事がそのまま出てしまったということだろう。本人は「誤解」と弁明しているが、いきさつから見ても本音だ。


石原は官房長官・菅義偉と会談した後、記者団に除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設をめぐる福島県側との交渉について「官房長官が今後の日程を『どうなんだ』と気にしていたから、こんな感じですよ。最後は金目でしょ」と述べている。


本人は「正式な記者会見ではない」と弁明しているが、この発言はICレコーダーに録音されているから間違いない。おそらく菅にも「最後は金目でしょ」と報告したばかりであったに違いあるまい。直後だからつい同じ言葉を使ってしまったということだろう。


それにしても石原の失言癖はほとんどビョーキの部類に入るのだろう。福島関係だけでも、自民党幹事長時代に「市民に線量を計らせないようにしないといけない」に始まって、汚染土の保管先についても「福島の第一原発のサティアンのあるところしか持って行けませんよ」などと発言している。


こともあろうにオウムの教団施設のサティアンの呼称を使ってしまった。胃ろう患者の施設を視察して「意識が全くない人を管(くだ)を入れて生かしている。まるでエイリアンだ」と述べたのも有名だ。


一連の発言の特徴は弱者への目線がないことであろう。総務会長・野田聖子が「残念だ。相手の立場に立つことを国会議員は一番分からなければならない」と述べている通りだ。しかも石原は一般の国会議員ではない、環境相だ。立場からいえばまず国民の側に立った対応が閣僚の中でも一番求められるポジションだ。


しかも大熊町と双葉町に予定されている中間貯蔵施設をめぐる地元との交渉は、反対派も多くまさに綱渡りの状況であるのだ。政府は2町の住民らを対象とした説明会を5月末から計16回開いたが、石原は説明会に一度も出席していない。


政府側は国有化する際の補償額などについて明白にしないままであり、地元の理解を得られたとは言い難い。


双葉町の町長・伊澤史朗が「少しずつ解決してゆかねばならない時に、後退してしまう」と慨嘆しているとおりであり、来年1月の中間貯蔵施設の稼働は、石原発言の余波で地元の同意が遠のく可能性も出てきた。
 

国会では野党が不信任案や問責決議案を提出すると息巻いている。安倍政権は発足以来1年半閣僚の舌禍事件がなく、従って閣僚の辞任もないというまれな例であったが、通常国会末という土壇場になって進退に絡みかねない事態の発生である。


菅は辞任の可能性について「そこはあたらないと思う」と述べて否定している。石原本人も「被災者に寄り添って、引き続き頑張らせていただきたい」と辞任の意向はない。おそらく安倍としては辞任という事態は避けつつ、22日の国会閉幕までこぎ着ける姿勢を取るのだろう。


しかし内閣改造人事では閣僚にとどまらせることはあるまい。石原もその“お坊ちゃま体質”からくる致命的な失言が多く、ポスト安倍を狙うことはまず資質的にも無理となってきている。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月17日

◆やはり公明にとって政権は“蜜の味”

杉浦 正章



集自権調整は掃討作戦の段階に入る
 

一見自公が真っ正面からぶつかっていたように見える関ヶ原の戦いは、集団的自衛権の行使容認の政府・自民党サイドの完勝が見えてきたようだ。限定容認の是非での大勝負はついて、あとは文言調整の“掃討作戦”が展開されているのが実態だ。


それにしてもあれだけ神経質に吠えまくっていた公明党代表・山口那津男がここに来て「合意を目指す」と言い出したのはなぜだろうか。


やはり極東情勢の激変は、現実を見ない「平和の党」の看板だけでは対処しきれないところまで来ていることがやっと分かったのだろう。政権与党の“蜜の味”を、他党に持っていかれそうな危機感も作用したに違いない。
 

「蜜の味論」を如実に物語るものが、最近になって公明党幹部が「政権を離脱したら損するのはこっちの方だ」と述べたと言われることだ。まさに正直に“本音”を語っている。


自民党は衆院では293議席の圧倒的多数を占めているが、過半数割れの参院でもみんなと維新両党を加えれば141議席に達する事が可能であり121の過半数をクリヤできる。この図式が公明党の立場を弱いものとしているのだ。


加えて選挙母体である創価学会も、一時は集団的自衛権の行使容認に反対する方針を打ち出したが、結局政教分離を指摘されて身動きできなくなった。これ以上国政に宗教団体が関与すれば、事態は思わぬ方向に飛び火する可能性があったのだ。


さらに政権与党であればあるほど、国際環境激変の情報は生で伝わってくる。北朝鮮の原爆・ミサイル開発の現況が抜き差しならぬ段階にあることが分かる。中国の海洋覇権主義が一触即発の危機を伴うものであることも理解できるはずだ。「なぜ急ぐか」という主張をしにくい情報が眼前に展開されては反論もしにくいのだ。


公明党が邦人を載せた米艦への攻撃や機雷除去への対応を個別的自衛権や、警察権の行使で対処すべきと主張すること自体が、「危機感共有」の証左であろう。


さらに、論戦に持ち込まれた場合政府機関による解釈の方が、一政党の反論能力を越えるのは間違いない。自民党側はこの強みを背景に公明党を袋小路に追い込んでいった。公明党は論戦において負けを意識せざるを得なくなってきたのだ。


公明党からは自衛隊員の犠牲は覚悟してのことかという声が出されたというが、放置すればやがては国民の犠牲が発生する場面において、自衛隊だけ拱手傍観できるのかという反論には二の句が継げないことも当然であろう。


歴史的に公明党は創価学会の絶対平和主義の風潮をバックにして「平和の党」としての印象付けを大切にしてきた。その理論的支柱には政府・自民党が一貫して維持してきた専守防衛の基本方針が崩されることはあるまいという読みの甘さがあったのだ。


米ソ対決の冷戦時代には、通用した安保観も、冷戦後にモグラ叩きのように発生する地域戦争激化時代には通用しなくなってきていることに気付かぬままの対応であったのだ。


ただ公明党は体質的にリベラル系新聞の論調を非常に気にする傾向がある。


その傾向が今後現れそうなのが自民党副総裁・高村正彦が示したたたき台にある「国民の権利が根底から覆されるおそれがある場合」という文言について、「おそれ」という表現はあいまいで拡大解釈される余地があるとして、修正を求める意見が出てきそうである。


しかし「おそれ」の表現があろうとなかろうと、政府が集団的自衛権に関係するとしている8つの事例すべてで行使が可能になる方向は変わるまい。たたき台はそれほどアバウトなものであり、時の政権の意向・判断によって対応にかなり差が出る性質のものであるからだ。


また、公明党内部には8つの事例のうち、シーレーンで武力攻撃が発生した際の国際的な機雷の掃海活動についても、「世界中で集団的自衛権の行使が可能になりかねない」として、慎重な意見が根強くある。


しかし安倍は「機雷掃海もしっかり視野に入れる」と発言しており、譲らないだろう。だいたいホルムズ海峡が機雷で封鎖されるようなことになれば我が国にとっては死活的な事態であり、たたき台にある「国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される」情勢であることは間違いない。


政府は22日に会期末を迎える今国会中の閣議決定をまだ断念しておらず、譲歩するにしても早期の閣議決定を目指すものとみられ、17日からの調整は正念場を迎える。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月09日

◆「大きな家」論の前原戦略を分析する

杉浦 正章



海江田降ろしが正念場に
 

橋下維新と将来合流する可能性について、元代表・前原誠司が「100%だ」と発言した事が野党に衝撃となって走っている。すわ民主党分裂かと受け取れかねないだけに、その突出性の政界へのインパクトは大きい。


ただし政治家の発言は総合してとらえ分析するべきである。前原は再建民主党中心に再編する「大きな家」論を唱えており、当面不満分子を引き連れて離党再編への動きはしまい。この点民主党分裂糾合を目指す維新共同代表・橋下徹と結いの党代表・江田憲司の思惑とは異なる。


7日の読売テレビにおける前原発言を録画して分析したが「野党再編が動き出すことに期待感を持っている。小選挙区制で野党がバラバラでは自民党を利するだけだ」と前置きして「大きな家を造るくらいの気持ちでないと政権政党にはならない。民主党を含めた野党再編をしなければならない」と何度も強調していた。


そして橋下維新と将来合流する可能性について聞かれると「100%だ」と答えたのだ。


この「大きな家」論は前原が最近となえだしたものであり、民主党がまず全体で体制を刷新して整え、その民主党を中心に野党の大連合を達成しようというものだ。「大きな家」論はまず体制内改革を達成するところに主眼が置かれている。その線上に「海江田降ろし」が重要ポイントとして存在するのだ。


来年9月の代表選を1年間前倒しして、海江田を岡田克也か前原に交代させ、新体制を造った上での野党再編なのだ。だいいち代表選を実施して海江田の首をすげ変えてから離党などという戦略は荒唐無稽(むけい)でしかない。
 

ただ問題は山積している。前原が党内右派系をまとめきれるかどうかである。前原系は約20人であり、これに細野豪志グループ、野田佳彦グループや、集団的自衛権容認の長島昭久らの政策グループを引き込めるかどうかである。


野田は別のテレビで「再登板は考えていない」と述べて、現段階で意欲は見せておらず、動きも慎重だ。細野は再編路線であり同調する可能性は高い。


長島と前原は集団的自衛権への対応で完全に一致する。問題は岡田が党分裂論ではなく党再建論であることだ。ただ若手を中心に進んでいる代表選前倒しの署名活動は党内右派の多くの共感を呼びつつある。


一方維新の橋下は読売テレビで「民主党の一部とタッグを組みたい」と言明、あくまで左派を除外した右派との合流を強調した。結いの江田も「民主党の考え方が一致した方々とやれるに越したことはない。民主党の改革派は行動してほしい」とやはり右派との合流論だ。


前原はさる5月24日の橋下、江田との3者会談で「自主憲法制定を外せば広がる」と述べ、石原を切るように持ちかけている。これによって維新分裂となっただけに、橋下としては前原をなんとしても取り込んで野党第1党を達成して展望を開きたいところだろう。


数だけを確保するための民主党全体との合流となれば旧社会党系など左派を抱えて、新党を作ってもすぐ路線対立が発生して分裂しかねないということだ。


この「大きな家」の前原戦略と、民主党「食いちぎり」戦略の橋下路線とはなかなか交わりにくいと見なければなるまい。これは「海江田降ろし」の成否とも密接につながることである。


民主党代表・海江田万里は維新の分裂で野党第1党を維持できたことでほっとしていると言われる。野党第2党に転落したら海江田降ろしが本格化すると踏んでいたのだ。


しかし、この見方は甘い。自らのリーダーシップの無さは衆目の一致するところであり、党の一致団悦を思うならここは潔く身を引いて、後進に道を譲るべき場面だからだ。それさえ実現すれば民主党の細分化は避けられるのだ。


こうして民主党内のチキンゲームは週明けから抜き差しならぬ段階に入りそうだ。最大の山は20日の両院議員総会に絞られつつある。弾みで何があってもおかしくない事態ではある。

★筆者より★
兄の死去のため1週間休載します。再開は17日(火)よりです。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2014年06月06日

◆安倍、快進撃の対中国際世論喚起

杉浦 正章



地球儀俯瞰外交でサミットでも得点
 

国際会議で一国がその主張を認められるのはつくづく不断の外交努力の結果であると思う。間断なく各国首脳と対話を続けて来た首相・安倍晋三の地球儀俯瞰(ふかん)外交が奏功して、極東情勢に関するサミットの「対中宣言」は完全に安倍ペースとなった。


シャングリラ会議に引き続く大きな外交上の得点である。安倍は海洋覇権主義を臆面もなく押し出す中国の戦略に、国際世論の盛り上げで対抗する戦略で待ったをかける流れを作ったのだ。問題はこの不断の努力をいかに継続し続けるかであろう。


サミットの宣言でアジアの問題がこれほど深く言及された例を知らない。安倍の各国首脳との会談、とりわけ大型連休中の欧州歴訪、G7開幕に先立つ欧州連合(EU)大統領のファンロンパイとの会談もプラスの効果をもたらしたようだ。


極東に関する部分は「法の支配」を前面に打ち出し、「東シナ海及び南シナ海での緊張を深く懸念。国際法に従った平和的解決を支持。北朝鮮の核・ミサイル開発を強く非難」などで構成。


宣言には、安倍がシャングリラ会合の基調講演で表明した(1)力による現状変更を許さない(2)法の支配(3)紛争の平和的解決−−の3原則と同様の内容が盛り込まれた。米欧主導のG7首脳の会合で、「中国問題」にここまで深く言及するのは異例の事といえる。
 

シャングリラからサミットに到る国際世論喚起は「安倍攻勢」とでも名付けてよいほどの勢いがみられた。戦後の歴代政権を振り返っても首相が自らリードする形でこれほど頻繁に首脳外交を繰り返し、意思疎通を図っている例は過去にない。


民主党政権時代に日本外交に与えた打撃は目をおおわんばかりのものがあった。外務省の元高官のOBが私に民主党政権時代と比較して「外務省が打って変わって生き生きと動き始めている。」と述べていたが、安倍外交の成功は民主党政権時代に泥沼に落ちた日本外交が自信を回復して、よみがえりはじめたことを意味する。


民主党政権は、とりわけ首相・鳩山由紀夫と首相・菅直人がひどかった。


ルーピー鳩山と米メディアからやゆされ、臆面もなく普天間移転を「トラストミー」とオバマに約束して実現できない首相。尖閣の漁船衝突事件を外交問題として取り上げず、一地方検事の判断に丸投げした首相。事務次官の存在そのものを否定して、外務省幹部の国際情勢進講も退けた首相。


政権自らの手で日本外交を死に体に持ち込んだのだ。外務省OBの指摘のように外務省が「生き生きと動く」のは、一にかかって安倍の姿勢にある。


普通の首相ならASEAN10か国を全て訪問するようなことはしないし、米欧諸国歴訪も極めて頻繁である。リーダーががやる気を見せれば部下は奮い立つものだ。「過去の首相がめったに訪問したことのないような国でも二つ返事で引きうけてくれる」と関係部署は勢いづくのだ。


こうして安倍の外交は外務省の強い下支えの上に成立しているのだ。シャングリラ会議では米国防長官・ヘーゲルと密接な連携をとったタッグマッチを展開したが、外交、防衛当局の事前根回しが奏功したようだ。


予期しない攻勢を日米両国から仕掛けられた中国は慌てた。中国人民解放軍副参謀長・王冠中は「講演は想像していない内容だった。日米が結託して中国に挑んだ」と述べるほどであった。


昨年と今年の2度にわたって会議に出席している防衛相・小野寺五典は5日夜のテレビで会議の雰囲気を語っている。「昨年はレーダー照射事件の後だったが、私が批判しても様子見の雰囲気だった。今年はがらりと雰囲気が変わっていた。中国にとっては居心地が悪かっただろう」と述べている。


王冠中が南シナ海に中国が引いた領有権主張の九段線への批判を受けて「2000年前から決まっている」と反論したのには「会場から失笑が生じた」と言う。


王は安倍に対しても「歴史認識」で切り返そうとしたが、安倍が「日本は戦後大戦への痛烈な反省に立って自由で民主的な国をつくった。ひたすら平和国家の道を歩み続ける」と発言すると、会場は拍手に包まれた。
 

まさに先の記事で指摘したように中国による「歴史認識」プロパガンダが、帝国主義的ともいえる「覇権の現実」の前に通用しなくなったことを意味する。


産経が安倍の興味深い感想を紹介している。安倍は帰国後周辺に「中国は、マニュアル通りに日本を批判するから場違いになってしまう。日本が『海における法の支配を守ろう』と言っているときに、70年前のことを持ち出しても『何を言っているんだ』となる。私も拍手が起こるとは思わなかったが」と指摘したというのだ。


こうして外交上の巻き返しが進んでいるが、中国がやすやすと態度を変えることはあるまい。中国はさっそくG7の宣言に外務省報道局長・洪磊が「かかわりのない国が干渉しても困難さを増すだけ」と強く反発している。日本としても対中包囲網を維持しながらも硬軟両様の長期戦略が重要になりつつある。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)



2014年06月05日

◆明暗を分けた維新の「分党」

杉浦 正章


石原新党は「痛快」、橋下新党は“負の合流”

橋下新党が36」人にとどまり、石原新党が22人に達したことの意味は、国政未経験の維新共同代表・橋下徹の遠隔操作政治の限界を如実に物語っている。

7月の新党結成を目指す結いの党の江田憲司の人気もぱっとせず、橋下とともに“負の合流”の色彩が濃厚だ。

焦点は「海江田降ろし」が始まっている民主党の動向に絞られる。既に元代表・前原誠司ら保守系が集団的自衛権容認論で執行部を揺さぶっており、波乱含みだ。海江田が党再建路線でまとめられるかどうかの正念場にかかろうとしている。


4日新党に向けて集まった人数が22人と発表した石原は、当初10人程度とみられていただけに得意満面で、「非常に痛快な思いだ。身命を賭して、本当の保守、新しい保守というものを実行していきたい」と高らかに“勝利宣言”をした。

安倍政権との距離については「徹底した是是非非」と表明したが、基本的には一段と政権寄りの姿勢を強めるものとみられる。

石原は5月28日に分党を決めた名古屋会談で橋下と別れ際に「ボクは君が好きだよ」と聞いている方が恥ずかしくなるような発言をした。「別れても好きな人」とやゆされたが、その実態は「別れても嫌な人」であるらしい。

言葉とは裏腹に多数派工作は激化の一途をたどり、石原側が数を伸ばして、橋下側が食われた形となった。当初橋下は維新と結いを核としてみんなや民主を巻き込み100人規模の政党を目指していた。

しかしそれが困難と分かると結いとの合併で55人の民主を抜いて62人の野党第1党達成に方針を転換した。ところが結いの江田が主張する「自主憲法制定路線の排除」に、石原が強く反発して分党となった。

石原は結いとの合流について「支持率1%の政党が1%未満の政党と一緒になっても大きな存在にはなり得ない」と止めにかかったが、橋下は聞く耳を持たなかった。

石原はテレビで「好きな人」であるはずの橋下について「橋下君は『ふわっとした民意を重視する』と言うがこれは危険なポピュリズムだ」とあからさまに批判するに到った。石原は「永田町の政治常を大阪の人が持ち得ないもどかしさ」と形容して、橋下と共同の党運営の難しさを漏らした。

石原にしてみれば、政界で人気のない江田と合流しても、無意味である事が分からない橋下が「もどかしい」のである。

一方で橋下は「夢よもう一度」の思いが消えない。しかし金科玉条とする大阪都構想は政界ではまともに相手にされず、急きょ市民の民意をバックにしようと狙った市長選も投票率の激減というアッパーカットを食らって失敗。

それでも野党再編という「数合わせ」だけで、結集を図ろうとしているのは、ポピュリストの“さが”であろうか。結いの江田は石原が「昔の社会党と同じ」と形容するように、その主張はリベラル傾向が強い。

従って維新とは憲法観、集団的自衛権、原発再稼働などをめぐってずれを見せており、今後石原との対立以上の波乱要因を抱えるかも知れない。総じて言えば極東環境の急変による社会全体の右傾化の流れが、石原新党を増やした。

一方民主党は、当面前原の動きが焦点だ。前原は橋下との接触を繰り返し、再編志向が強いが、その目指すところはあくまで民主党中心の再編であり、数人を引き連れて維新と合流することは厭だろう。

ポスト海江田の候補とされる元代表・岡田克也も党再建論であり、分裂を選択する方針をとらない。当面前原らは集団的自衛権の限定容認で海江田を突き上げる方針だ。

海江田は左派中心の執行部を意識して、「集団的自衛権は憲法改正によるべき」だとして反対の姿勢を強くしている。対立は先鋭化しており、海江田の力量でまとめきることは難しいとの見方が強い。

激突のコースをたどれば、それがきっかけで何が起きてもおかしくない状況に到りつつある。橋下新党ペースでの再編は難しいにしても、統一地方選挙や国政選挙に向けて一強自民党に対する多弱の再編の試行錯誤が続くだろう。 

<今朝のニュース解説から抜粋>(政治評論家)         2014年06月05日


           

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