2013年11月15日

◆秘密保護法で左傾民主抱き込みは無理

杉浦 正章



維新、みんなは「半落ち」競争?


昔はこのような場面では、政権側から政治資金が野党とりわけ中間政党に回るのが常であった。当時の中間政党・民主社会党が強硬な反対を唱えたうえに、賛成に回ると「ドカーンがあった」とささやかれた。「ドカーン」とは「巨額な資金が回った」という永田町の隠語だ。


今そんなことが行われたら、大問題になって政権維持も困難になる。しかし「ドカーン」はなくても「頭なぜなぜ」はある。首相動静を見ていたらなんと14日夜は2時間も首相・安倍晋三とみんなの党代表・渡辺喜美が料理屋で会食しているではないか。

渡辺はこれに先立って「情報漏えいの防止策を強化することなどを基本政策に掲げ、選挙戦を戦ってきており、秘密保護法の整備に『総論賛成』が基本スタンスだ」と述べている。いま与党は維新と修正協議の最中であり、渡辺発言は維新を追い越して早くも「半落ちか」ということになる。


一方でその維新は、やはり「半落ち」の様相を深めているかのように見える。修正協議で、与党側が維新の主張に配慮して秘密指定の期間を「原則30年以内」とする見直し案を示した。


維新は持ち帰り、15日改めて3党で協議するが、国会議員団政調会長・片山虎之助は14日「すべて聞き入れてもらわなければ、賛否に大きな影響がある」とすごんでいる。しかしこの正直者は“演技”をしているに違いない。重要ポイントは別ルートで進んでいることを知っているのだ。


官房長官・菅義偉と維新幹事長・松井一郎のルートがこれまでもぎりぎりのポイントで“利き”をみせたし、今度も最大の着目点だ。極右の共同代表・石原慎太郎をはじめ旧太陽系議員らは秘密保護法には大賛成だ。修正に全部応じなければ反対などと言うスタンスにはない。


こうして維新とみんなは与党がうまく誘導すれば「半落ち」が「完落ち」になりうる状況だ。メンツを立ててやり、世間体が成り立つようにすればいいだけのことだ。


生活、社民、共産の左翼3党は「絶対反対」だから最初から修正協議などするまでもない。問題は民主党だ。自民党幹部筋はその対応ぶりに「一番たちが悪い」と漏らしている。なぜかというと、「旗幟を鮮明にせずに引き延ばし、時間切れの廃案か継続審議を狙っている」というのだ。


確かに同党の対応ぶりを見ているとすべてが“引き延ばし作戦”に基本を置いている。問題点を50項目も挙げた上で、その内容を自民党には「全然説明しない」のだそうだ。修正とは名ばかりで別の法案を対案として用意している。その内容を決めるのも来週19日の次の内閣で決めるのだという。


自民党は21日に衆院通過を図る方針であり、それを対案提示を理由に遅らせようとしているのだ。民主党執行部は政権離脱後左傾化が著しく、秘密保護法制そのものに反対する姿勢を強めている。共産や社民寄りといってよい。


自民党の戦略としては、与党だけの強行突破は世間体を考えて避けたいのであり、維新でもみんなでも賛成に回らせるようあらゆる手を尽くす方針だ。民主党については修正協議をしても引き延ばしになるだけで無駄だと判断しているようだ。


こうした中で焦点として台頭しているのが民主、維新、みんなの3党が主張する「第三者機関」と国会議員への情報提供問題だ。第三者機関は閣僚の決めた特別秘密事項が妥当かどうかを検討するためのものだが、これは民主党の主張では明らかに法案の骨抜きを狙っているとしか思えない。


そもそも内閣とは憲法の議院内閣制に基づくものであって、その決定をどこの馬の骨か分からない有識者なるものにチェックされては内閣制度そのものが根幹から覆るのだ。


また国会議員に知らされないのはおかしいという主張と修正構想があるが、国会議員の院内での発言は責任を問われないのが憲法の規定であり、いくら秘密会を設置しても発言されたら秘密保護のすべてが成り立たない。


石破が国会法を改正して秘密会を作り、漏洩には一般公務員と同じ罰則を設けると主張しているのは、百家争鳴となって絶対に実現しないと思っているからに他ならない。


ただ第三者機関については方策が検討されている。担当相・森雅子が「さらなる改善を法案成立後に考えてゆく」と述べているのはなぜかと言えば「付帯決議方式」が念頭にあるからだ。先にNSC法案が衆院を通過した際には、民主党の主張する議事録の作成を付帯決議とすることで同党を納得させて通過を図った経緯がある。


秘密保護法の場合は恐らく民主党はこれに乗らないだろうが、維新とみんなは乗る可能性がある。

朝日の論説委員が報道ステーションで「野党の皆さんに指摘しておきたい。付帯決議だけでお茶を濁して修正に協力して欲しくない。歴史の検証を意識してそれに恥じない協議を」と“大演説”をぶっていたが、朝日の一番恐れている事が流れとなりそうな気配だ。


いずれにせよ衆院における審議は尽くされつつある。首相・安倍晋三はちゅうちょなく来週中の衆院通過にまい進すべきである。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家) 

2013年11月14日

◆「国家安全委」で習の抑圧体制強化

杉浦 正章



改革の“リコノミクス”は敗れた



習近平体制の動向に決定的な方向付けを行う第18期中央委員会第3回総会(3中総会)が閉幕した。その共同コミュニケを分析すれば、焦点の経済改革で「国有経済の増強」を最優先する習派と、民営経済の振興を目指す首相・李克強の“リコノミクス”派との激突の様相がありありと分かる。


結果は日本の政治に似た「両論併記」の形となったが、総じて習派の優勢に終わった。その重要ポイントが中国版NSC「国家安全委員会」の設置である。同委員会を司ることにより習が、その抑圧的な共産党1党独裁体制を強化する流れが顕著となった。


力で国民の不満を抑えつける習路線と、民衆の暴発の構図は解消されないままとなった。「ケ小平の改革解放路線選択以来の大改革」という鳴り物入りの宣伝は不発に終わった。


とにかく日本の新聞・テレビの分析は、秘密会議だけあってまさに「群盲象を評する」感が濃厚で、一つとして会議を的確に切り取った報道がない。このようなケースは1点に絞ってそれが成し遂げられたかどうかを見極めることが重要だ。


その1点とは、民衆の不満に融和を打ち出すか、強権的姿勢を維持するかである。その不満の焦点である貧富の格差、民族間格差の是正に動いたかというと、逆であった。その第1の象徴が国家安全委員会の設置だ。


同委員会は中国の軍、警察、外交部門などの情報・安全保障・宣伝部署などを統合する組織であり、共産党1党独裁体制維持の中核になるものとも言える。各地で起こる暴動が共産党の存立にとって取り返しのつかない様相になるのを懸命に抑えようとする焦りの現れとも言える。


1997年に江沢民が設置しようとして党内の反対にあって断念した経緯があるが、今回実現したのはなぜかと言えば、統一的な体制を作らなければ頻発する治安問題に対処しきれないからに他ならない。もちろん「国家安全」であるから尖閣問題など海洋進出路線の中核ともなるものだろう。


次の焦点は経済改革である。爆発寸前の様相を呈している民衆の不満をどうそらすかだ。そこで問題提起したのがアベノミクスを真似してマスコミが名付けた「リコノミクス」を掲げる李克強だ。国有経済主導型経済からの脱却を目指して市場経済重視の方針を打ち出そうとした。


中国政治のの3大派閥は胡錦濤・李克強の共産主義青年団、習近平の太子党、江沢民の上海閥に大別できるが、その李が主張するのは従来の国営企業と共産党だけが儲かる体制を一変させ、市場経済をより一層導入して社会的な矛盾の是正に動こうとするものである。


胡錦濤の行った国民や民族の間でバランスのとれた社会である、「和諧社会」への回帰を促すものでもある。ところが発表された共同コミュニケでは「市場原理が資源配分の中で決定的な役割を果たす」と述べる一方で、「公有制を主体とし、国有経済に主導的な役割を発揮させる」と、まさに矛盾露呈の両論併記型となっている。


これは3中総会で李克強路線に対して既得権擁護に固執する保守派から強い反発が出された事を意味する。今や国有企業と共産党地方政府は35年間の改革開放政策で「巨大な企業体」へと変身し、利益をむさぼり、貧富の差は拡大して民族間格差とともに中国社会最大の矛盾の根源となっている。


汚職の泥沼はとめどもなく深く、共産党の支配下にある司法は機能しない。ここにメスを入れない限り民衆の不満は募りこそすれ、治まる流れにはならない。コミュニケは司法改革にも言及しているが、弥縫(びほう)策であり根本的な解決に至るものではない。党の介入を禁ずるというポイントが成文化されていない。


こうして中国社会は格差是正どころか既得権重視の指導層の下に、内部矛盾は拡大の一途をたどらざるを得ない流れとなった。国有企業の独占と共産党員だけが儲かり、汚職の裁判は圧力で抑える流れである。


この習近平体制再構築が今後の中国の外交・安保姿勢にどのように反映されるだろうか。恐らく習近平は尖閣問題で対日圧力をかけ続ける方向を担保しながらも、基本的には「友好」にかじを切りたい誘惑に駆られているに違いない。


というのも3中総会で提起された深刻な経済問題解決には、日本の投資や企業進出は垂ぜんの的であるからだ。既に政治の強硬姿勢とは裏腹に経済交流の側面は拡大しつつある。発表された自動車販売は日本製が躍進しつつある様相であり、大型経済使節団も受け入れる流れだ。


安倍は、るる述べてきた中国の「弱い脇腹」を意識しつつ、どの時点で妥協するかに留意しなければなるまい。中国の主張する「尖閣棚上げ」は不可能にしても、筆者がかねてから主張しているように「尖閣は『先送り』で“日中長期研究体制”を作る」しか道はあるまい。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月13日

◆奇人小泉が「即時ゼロ」の奇論

杉浦 正章



踊り出した “婆さん芸者”



鳩山由紀夫、菅直人に小泉純一郎が加われば、まさに“日本3大馬脚”の出現だ。いったん首相官邸という組織を離れると政治家というのはかくも、愚かな政治判断しかできなくなって馬脚を現すのであろうか。


小泉は12日の記者会見で、原発の即時ゼロという奇論をまくしたてたが全くの「根拠レス」であった。その様子をつぶさに観察すれば、婆さん芸者が若い芸妓の踊りを見て、血が騒いで踊り出すという醜態でしかない。


そういった指摘をされるのをを知っているから普通の政治家は首相を辞めた後は言動を慎むのだが、この3人は恥も外聞もなく、あられもない姿を露呈している。


ところが原発ゼロなら何でも大歓迎の朝日新聞の論悦委員・惠村純一郎は報道ステーションで、今や朝日のお家芸となった“風評”をまたまたまき散らして小泉発言を翼賛した。


何とポスト安倍を意図したものだというのだ。惠村は「小泉さんは安倍さんに対して君が決断しないと誰かをポスト安倍に担いでもいいですよという感じだ。ポスト安倍を占うキーワードに原発が浮上してくる」と述べたのだ。


仮にも政治記者を経験したであろう大新聞の論説が、首相をやめて8年もたち、しかもノーバッジのおっさんにそんな力があると思っているとしたら、朝日の政治記者の力量を推して知るべしであろう。


朝日は小泉発言をトップで扱うなど相変わらず恣意的な紙面を作っており、「世論の支持が広がれば無視できなくなる」と褒めたたえているが、この判断も“虚偽表示”の類いだ。


小泉の発言は、理路整然と間違う傾向のある自民党幹事長・石破茂の判断力欠如も如実に露呈させた。「小泉発言を詳細に分析する」と述べていた石破はその結果について「ゼロを目指すと言っているわけで、今すぐゼロにせよと言っているわけではない」と弁護した。


ところが記者会見で小泉は「即ゼロがいい。その方が企業も国民も様々な専門家も準備が出来る」と石破の判断と真逆の発言をしたのだ。幹事長たるもの、これほどの大問題なら本人に確かめて発言するのが常識だが、小泉が怖いのか会わないまま“分析”するからみっともない結果を招く。


小泉はゼロへの道筋について「政治で一番大切なことはまず方針を示すことだ。原発ゼロという方針を政治が示せば必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」と発言、得意の首相先導型政治論を展開した。


しかし「知恵のある人」は世界中探してもいない。いないからこそ世界のエネルギー事情の潮流は大小の事故を経た上での「入原発」であり、紛れもなく「脱原発」にはない。だから首相・安倍晋三の原発売り込みが成功しているのだ。


郵政民営化のまぐれ当たりの政治手法が原発に通用すると思っているから、婆さん芸者だというのだ。国家の存立にかかわるエネルギー問題で、床屋談義に毛の生えたような大言壮語を展開しても駄目だ。しかし側近を失った今床屋談義のレベルを出られないのが、小泉発言の本質なのだ。


そもそも小泉発言は一連の発言の発火点となったフィンランドの原発最終処分場オンカロ視察をねじ曲げることから発想している。オンカロはフィンランドがさらに原発二基を新設するために先手を打って作ったのであって、原発破棄が目的ではない。


小泉の秘書であった飯島勲が「ドイツやスペインは太陽光発電の負担を(電気料金に)上乗せして困っている。日本がそのような状態に陥ることが国民にとって幸せか」と真っ向から小泉発言を批判しているが、その通りだ。ドイツもスペインも太陽光発電の買い入れで大失敗をしている。ドイツの原発ゼロは破たん寸前だ。


再生可能エネルギーの技術の壁とコスト高に直面している。加えて送電網の整備にかかるコストに悲鳴を上げている。


2000年に始まった固定価格買い取り制度によって太陽光発電が急速に普及したが、買い取りで財政が成り立たなくなったのだ。スペインの場合は「太陽光バブル」が弾けて、同発電は壊滅状態だ。リーマンショックで補助金が出せなくなった結果だ。


こうした実情も無視してか、小泉は自民党の現状についても「賛否は半々だ」と述べたが、これも見当違いだ。総選挙は原発ゼロ新党が出来るなど原発の存否をめぐる戦いであったのであり、参院選も公約に再稼働を掲げての選挙戦であった。


それをかいくぐってきた議員らはほとんどが原発推進論であり、ゼロを唱えるのは隅に追いやられて膝小僧を抱えている河野太郎と何も知らない若手の一年生議員くらいのものだ。


政府・自民党は石破のように小泉発言や亡国の朝日の論調などに臆してはならない。また依然1.6%そこそこの再生可能エネルギーなどに幻想を抱いてはならない。先人が成し遂げたエネルギー革命の中核である原発を予定通り再稼働させ、世界でもっとも安全な原発を海外に普及させるべきである。


現在規制委員会で7原発14基の安全審査が進んでおり、結論が出次第躊躇せず早期に再稼働に踏み切るべきである。そして舞い上がった反原発のホコリがおさまったころ、世界最強の原発の新設に踏み切り、国のエネルギー政策の根幹を揺るぎないものにしなければならない。


一方で小泉が怠慢にもその政権時代に手をつけなかった、廃棄物処分場の候補地の決定を急ぎ、同時に核燃料サイクルとその定着に全力を傾注すべきだ。幹事長代行・細田博之が「石炭や火力に依存すると人類に遙かに大きな負担をもたらす。発言は結論としては正しくない」と小泉に反論しているが、まさにこれが正しい。

  <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月12日

◆マスコミ・野党の「虚報の連鎖」拡大

杉浦 正章



秘密法は警職法の二の舞になりかねない
 

首相・安倍晋三の祖父である岸信介が国会に提出した警察官職務遂行法案(警職法)が、梶山季之のまき散らした“虚報”で廃案に追い込まれたのは知る人ぞ知る史実だ。いま一部マスコミによるその“虚報”合戦が佳境に達している。デパートやホテルどころではない“虚偽表示”のオンパレードだ。


共産党はしめたとばかりにこれを活用、民主党など野党も踊らされ、与党側がたじたじになっている。問題の本質をつかんでいない担当相・森雅子はうろたえた答弁ばかり繰り返し、暗愚の見本小池百合子が首相動静にまで難癖をつけて“敵”を多くしてしまっている。態勢を立て直さないと法案の成立がおぼつかなくなる。


そうなればせっかく成立へと動いている国家安全保障会議設置法案(NSC法案)が片肺状態となり、集団的自衛権容認に向けての安倍の国際公約も崩れかねない。


半世紀マスコミに籍を置いてその動向をウオッチしてきたが、そのマスコミがこれほど悪質な風評源化するとは思ってもいなかった。


10月28日に「米国の情報を守るために日本国民を罪に問う」などと書いた朝日の風評源化に警鐘を鳴らしたが、これがきっかけとなって新聞やテレビに“虚報とねつ造”の連鎖が生じている。冒頭述べた警職法のケースとそっくりだ。


警職法は58年に岸内閣が提出したものだが、梶山が匿名で週刊誌「明星」に書いた記事がきっかけでつぶれた。


梶山が書いた「また怖くなる警察官ーデートも出来なくなる」が一人歩きして、当時の社会党委員長鈴木茂三郎が国会で「これが成立したらデートも出来なくなる」などと発言して感情的な反対論を煽り、廃案に追い込んだのは有名だ。当時自民党幹事長だった田中角栄が明星編集部に抗議に行ったほどであったが、完敗した。


今回も、もっともひどい例として挙げると、一番道民に信頼されている北海道新聞のコラムだ。


防衛省が沖縄県名護市の辺野古の海岸にウミガメが上陸した形跡やジュゴン生息の形跡を調査で確認していながら、公表を控えていたことと無理矢理関連づけて「特定秘密保護法案なるものが、もしも成立すれば、ジュゴンの“お食事”もウミガメの“お産”も、国家機密として闇に葬られかねない」とやったのだ。


読者は法案の詳細までは知らないから、「国家機密ではたいへんだ」とばかりに反対に回る。朝日が「サラリーマンが飲み屋での話で逮捕される」とねつ造話を報じたのと同じ“手法”による風評伝達だ。


さすがにネットでは「こんな落書きを金とって売ってるんか、北海道新聞は」とか「北海道新聞の読者層は、その程度の知能レベルということ?」といった批判が続出している。いまやネットがマスコミを戒めてバランスを取るという状況となった。


北海道の「常識的」な一般紙ですらこの調子だから民放に至ってははちゃめちゃの風評源化している。その筆頭が田原総一郎だ。「国会議員が法案がおかしいと反対すると懲役5年」「オフレコで聞いた話を『総務省筋によると』と書くと共謀罪」と言いたい放題。


愚昧にも自分が多くの首相を退陣に追い込んだと思い込んでいる田原は「総理を辞めさせると教唆扇動でつかまる」とも言いふらす。


この程度のキャスターたちが集まって11日には反対声明を発表したが、衆愚を作る衆愚の情報源が何をやっても問題はない。無視すればいい。しかし共産党など政党がこれを活用しようとしているから事態は深刻だ。


共産党機関誌・赤旗はこうした風潮を嬉々としてコラムで取り上げた。「懲りないというべきか、岸首相の孫の安倍首相が持ち出してきた秘密保護法案にも反対世論が高まっています。週刊『女性自身』は『放射線量をママ友と調べただけで懲役!?』と書いた」と“虚偽表示”を奨励。


「『政府保護法案』であり『国民監視法案』(琉球新報)など、的を射た新聞の批判も」と、風評報道をおだて上げる始末。


「秘密保護法をめぐり緊迫した国会。阻止するためには、危険極まりない内容を急速に知らせ広げることがカギです」と扇動して、「本紙の特集記事をもとにしたパンフレット『国民の目・耳・口ふさぐ これが秘密保護法』も発行されました」とプロパガンダに余念がない。


まさにキャッチフレーズで「虚偽表示を急速に広げる」作戦に出て、風評紙、風評テレビと「虚報の連鎖」を生じさせようとしているのだ。


朝日の世論調査で42%が反対と報じているが、散々煽ったうえに誘導的設問で行った調査なら当然この程度の数字は出る。むしろ賛成が30%も出たことが不思議なぐらいだ。NHKの調査は逆に法案が「必要だ」が25%、「必要でない」が16%である。安倍内閣の支持率は60%で2ポイント上がっている。


これに対してはなはだ頼りないのが政府・与党だ。森は問題の核心をつかんでいない答弁を繰り返し、報道機関への家宅捜査を否定したが、法相・谷垣禎一は家宅捜査に含みを持たせるなどちぐはぐさを浮き彫りにしている。


幹事長・石破茂は早くも修正論の妥協で野党を引き込もうと懸命だが、野党はそっぽを向いている。自民党特命副幹事長の中谷元がもっぱらテレビに露出している。その発言は聞く人が聞けばもっともな内容であるが、説得力が足りない。紳士的すぎるのだ。


相手は風評源であり、デタラメな主張で国民をだまそうとしている言いっ放しの確信犯だ。これを切り崩すには機知と知略に富んだ「ワンフレーズ」が肝心なのだが、それに全く欠けている。それが出来るのは石破か、副総裁・高村正彦だが、なぜかおとなしい。


高村は全く秘密法案で目立つ発言をしていない。なぜか官邸の意気込みばかりが目立ち、党はクールで、ここでも“官高党低”が目立つ。


今まさに「目には目を歯には歯を」の態勢を作らなければ、野党と一部マスコミに蹂躙(じゅうりん)されたままとなる。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月08日

◆「炎上釣り師」山本太郎の狡猾さ

杉浦 正章



選んだ都民の民度を疑う


ウエブのサイトで不祥事などをきっかけに爆発的に賛否の議論を巻き起こすことを「炎上」と言うが、そのきっかけを作ることを「釣り」と言う。あちこちでサイトを炎上させる者は「釣り師」だ。参院議員・山本太郎はその「釣り師のポリティック」に出たのだ。従って論議が燃え上がれば燃え上がるほどありがたいのだ。


一見神妙な顔をしながらも本人は、しめしめと思っているに違いない。なぜならタレントであるからだ。タレントはテレビに出てなんぼの世界に生きている。もともと賛否両論が出るのは百も承知だ。賛否両論で燃え上がれば燃え上がるほど、非難が増えるが、一方で相対的に支持者も増える。そこが狙いだ。
 

案の定ウエブではノーテンキな都民の婆さんたちが「可哀想」などと、馬鹿な感情論を展開している。物事の真偽を見分けられなくなった婆さんたちは、天皇に直訴することが大それた事などとは理解できず「原発反対の山本さんがいじめられている」としか映らないようだ。


昔社会党系都知事の美濃部亮吉が失政をして、自民党などから叩かれる度に「美濃部さんお可哀想に」と同情した婆さんたちを思い出す。理屈ではなく感情で物事を判断するのだ。問題の根源はこうした政治家を選出する選挙民の側にある。


都民ほどガバナビリティ(被統治能力)に欠ける選挙民は日本広しといえどもいない。尖閣買い取りを主張するような石原慎太郎を選んで、国を危うくしたり、猪瀬直樹を選んで危うくオリンピックを逃しそうにしたり。今度は原発反対を唱えるだけのタレントを選んでこの始末だ。民度が低すぎるのだ。


読売川柳に「山本見て猪木見て参院見る」という傑作が載っていたが物事の本質を突いている。作者は山本と国会に無断で北朝鮮を訪問したアントニオ猪木を暗愚の見本として眺めている。そして参院を見て、この体たらくで参院が必要だろうかとあきれているのだ。実にうまい川柳だ。


逆に朝日は「不敬だと騒げば疼(うず)く脛(すね)の傷」という川柳を選んで、選者が「例えば主権回復式典」とコメントしている。なぜ主権回復式典かと言えば、同紙の論調が「山本が天皇の政治利用なら、主権回復式典で安倍政権が天皇の臨席を仰いだのも政治利用」という流れになっているからだ。


これを見てつくづく思うのが朝日の編集方針の全体主義的傾向だ。原発反対であれば、タレント議員が天皇に直訴しようと何をしようと非難しない。支持したがる。そして川柳に至るまでその方針を徹底する。

選者は上の方針を察知して、そのお眼鏡にかなうような川柳を選んで、吾が身の保全を図るのだ。その徹底ぶりは「ご立派」というしかない。


山本の卑怯未練な人格を浮かび上がらせたのが、事件拡大をマスコミのせいにしようとしていることだ。「マスコミが騒いだから、政治利用にされた」と発言しているが、テレビカメラが写してることを確認して手紙を渡しておきながら、よく言えたものだ。


この山本事件で、もたもたしているのが安倍政権だ。当初は幹事長・石破茂が 「テレビや新聞で大きく取り上げられることによって、存在感を大きくしようと思ったのではないか。天皇の政治利用と言われても仕方がない」と息巻けば、文科相・下村博文が「議員辞職ものだ。政治利用そのものだ」と批判。


しかしその後はなにやらぱっとしない。下村に至っては山本を、明治天皇に直訴した田中正造に例え「田中正造が直訴して大問題になったことに匹敵する」と批判してしまった。


足尾鉱毒事件で自ら議員辞職した上で天皇に直訴した田中正造はむしろその動機といい、心情といい英雄的行為であった。もとより売名タレントなどと比較すべきものでもない。党内などから批判が出ると「立派な田中正造に申し訳ない」と記者会見で謝った。


参院自民党も7日山本を参院議長による厳重注意と、皇室行事への出席を自粛させる方針をいったん固めたが、事前に方針が漏れたことを理由に、決着を8日に延期した。とにかく騒がれれば騒がれるだけその本能が快感を感ずるタレント議員を、都民が選んでしまった“祟り”は続く。「炎上釣り師」は今度は何をやって目立とうとするのだろうか。


◎読売は今頃後追いか


読売が「集団的自衛権の見直しを先送り」とまるで特ダネでもあるかのようにトップで報じているが、まだ書いてなかったのか。既に9月の段階で政府・与党の方針は先送りで一致しており、新聞報道もこの方向であった。


筆者も9月25日の解説で「安倍が集団自衛権導入を来春に先送り」と書いている。読売も解説や特集では書いているではないか。いまさら記事を大展開させる話だろうか。


9月の時点では、まず幹事長・石破茂が集団的自衛権の前提となる国家安全保障基本法案について、国会提出が来年の通常国会以降になるとの見通しを示した。「公明党の理解もなしに、秋の臨時国会に法案を出せるという話にはならないだろう」と述べたのだ。


さらに集団的自衛権の行使容認に向けた公明党との協議について、協議開始は大綱策定後の来年になるとの見方を示した。これと口裏を合わせるように安倍も9月22日のテレビで、憲法解釈変更の結論を年内に出すかと問われ、「いつまでにということではなく、議論がまとまるのを見守りたい」と述べている。


先延ばしは既定路線であり、物事はそれを前提に動いている。いずれにしても、いまさらびっくりさせるような話ではない。
【筆者より】小旅行のため月曜は休載します。12日に再開します。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月07日

◆テロ続発が習近平体制を揺さぶる

杉浦 正章



「経済限界」背景に9日から正念場の3中総会


10.28天安門テロに次ぐ山西省の共産党ビル前の爆破テロが意味するものは何か。首謀者が意図するかしないかは別として、紛れもなく9日からの中国共産党中央委員会第3回総会(3中総会)に向けて、同党1党独裁体制の脇腹にドスを突きつけたものとなった。


中国の高度成長路線維持の限界が民衆の不満暴発制御への限界をもたらし、今月15日には総書記就任1年となる習近平体制を揺るがしかねない構図を露呈しているのだ。


トウ小平以来の改革路線が「危険な領域に到達した」と習自らが認めるように、3中総会は社会不安の原因である政治・経済の歪み是正に展望を開けるかどうかの正念場となる。


共産党の苦情受け付け窓口である「信訪局」の前で発生したテロ事件は、皮肉にもおりから汚職摘発で共産党規律検査委員会が山西省入りしている最中のことであった。石炭の産地である山西省の経済は、大きな壁に突き当たった高度成長経済路線をそのまま象徴している。


中国では石炭資源は国家の財産であり、開発は民間業者に委ねる。そこに賄賂の構図が成り立つ。日本でも高度成長期の初期は1948年の炭鉱国管疑獄などエネルギー源の石炭をめぐる汚職事件が絶えなかったが、山西省も酷似している。汚職で採掘権を確保するしか手段がないのだ。


しかし高度成長経済は12年にGDP8%を割り込み、危険水域の7%で推移し始めた。石炭は余り、閉山が相次ぎ失業者は街にあふれた。不満の目は共産党政権に向けられるようになった。そしてテロとなって暴発したのだ。


それにつけても中国における最近の暴動、テロは異常である。目立つものだけを挙げても、6月には福建省で高速バスが炎上して80人が死傷。7月には北京国際空港で手製爆弾の爆発。10月の天安門テロ。そして今回のテロである。


全国各地のテロや暴動は、03年の6万件から11年で18万件と3倍増。民衆の抗議行動は一年間で9万件を超える状況が続いている。国家の治安維持予算は11兆2000億円で、国防費の11兆1100億円を突破している。要するに疑似内乱状態と言っても過言でない状況となっているのだ。


これを前国家主席・胡錦濤の時代は、国民や民族の間でバランスのとれた社会、「和諧社会」をスローガンに掲げ、国内融和政策を進めてきたが、習近平政権が誕生すると、事態は一転した。


思想の引き締めが行われ、力による抑圧の時代に移った。外交安保では尖閣問題に象徴される軍事攻勢、内政では抑圧政治へと移行したのだ。視点を逆にすればそれだけ共産党政権が追い詰められてきていることを物語っている。


最近習近平政権が全国に通達した禁止令は(1)共産党政権の社会的基礎を瓦解させること(2)共産党のメディア管理体制に挑戦すること、など露骨に共産党1党独裁への挑戦を抑圧している。加えて「西側の普遍的な価値観を宣伝することの禁止」まで含めている。


共産党の1党支配体制に対する批判は一切許容しない姿勢である。天安門テロでウイグル自治区への力での抑圧の動きに出ていることもその実践であろう。


しかし、テロの頻発はこの習近平強硬路線の限界を示すものに他ならない。まるで20年に渡る高度成長一点張りの不摂生がたたるかのように、体のあちこちから病気が噴出し始めたのだ。高度成長によるテレビ、ネットの普及で一般大衆は、その高度成長路線の歪みをすぐに分かるようになった。


まず貧富の格差が目につく。中国は金持ちが日本人のようにその露出を嫌うのでなく、まるで成金趣味の如く大衆に見せびらかす傾向がある。ますます一般大衆は格差を実感する。役人の腐敗は清朝末期のごとく底知れぬものを見せており、これに加えて環境問題、少数民族問題など社会の矛盾は枚挙にいとまがない。


まさに3中総会はこうした課題を習近平体制に突きつけるものとなった。中央委員会は、党員約8500万人を代表する高級幹部ら約370人で構成される。


トウ小平の指導下、1978年末の第11期3中総会では歴史的な改革・開放政策への転換が打ち出された。それから35年、習近平は1回目と2回目の総会では、人事を固め体制を築いた。


今回の3回目は、中長期的な政策を示すことになり、トウ小平路線をいかに時代にマッチした経済路線に修正、軟着陸させるかが問われる。習近平にとってはまさに正念場の会議である。


習にとって力による封じ込めは一番安易な選択肢であるが、力で一時的にごまかしても結局は中国経済の限界を打破するわけには行かない。


改革案は独占業界改革、土地制度改革、行政管理制度改革、金融システム改革など複雑多岐にわたるが、焦点は簡単だ。国民の不満をいかに吸収できる政策を打ち出せるかどうかにかかっているのであり、3中総会で“対症療法”を打ち出しても、すぐに馬脚は現れる。


不満を外に向けるため尖閣などで強硬路線を選択すれば、日米中心の国際包囲網は、強化されこそすれ弱まることはない。就任1年目の習近平は抜き差しならぬ立場に置かれているのが実態であろう。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月06日

◆度し難い朴槿恵の“言いつけ”外交

杉浦 正章



なぜ首脳会談で直接言わない
 

じわじわと韓国大統領・朴槿恵の方が追い詰められ始めたのが、日韓関係の現状と言えそうだ。そのきっかけは10月初めの日米外務・防衛担当閣僚による「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)だ。


韓国の予想に反して、共同声明で集団的自衛権の行使を歓迎する方針を打ち出したことに「韓国政府ががくぜんとした」(官邸筋)のだという。韓国内はまるで自衛隊が朝鮮半島に上陸するとばかりに大騒ぎ。


朴は日本に真意を質さず米国に人を派遣して、「韓国政府の意見が反映されるべきだ」と申し入れたが、共同声明は重い。安倍の来春の憲法解釈変更決定を受けて夏にもまとまる日米防衛協力の指針(ガイドライン)には盛り込まれる方向だ。


集団的自衛権の行使に反対するのは朝日新聞と共産党だけかと思っていたら、韓国で火の手が上がっている。反日メディアを中心に「朝鮮半島有事に米軍を助けるために自衛隊が上陸してくる」とか「集団的自衛権の行使を理由に日本が独党(竹島)を奪いに来る」など相変わらずの曲解と被虐思考の報道で湧いている。


自分の国が米韓相互防衛条約を結んで、集団的自衛権そのものを享受していることなどとんと忘れてしまったか、知識がない様相だ。少しまともな論調は「公海上で北から米艦を目がけて飛来したミサイルに、日本が撃ち返すと、韓国が全然考えていないところで戦争に突入してしまう」というものだが、これも被害者意識に満ちあふれている。


米艦が攻撃されれば日本が防御しようがしまいが、戦争突入であり、日本のせいにしてはいけない。そもそも朝鮮半島有事は過去に日本が予期しないところで勃発したし、今後も予期せずに起こり得る。


迷惑なのは日本の方だからだ。「極東の秩序の変更になる」というもっともらしい反対論もあるが、尖閣への公船の侵入を繰り返し、秩序を破壊しているのは中国である。こうした見当外れのマスコミの論議に踊らされ、常に右往左往するのが韓国政府だ。


「2+2」に対抗するかのように朴槿恵は大統領府国家安保室長・金章洙(キムジャンス)・を米国に派遣、国務長官・ケリーや国防長官・ヘーゲルらと会談させた。


金は、日本の集団的自衛権の行使に関し、「日本の国民が選択する問題」としながらも「拡大解釈され、半島や韓国の主権に関する問題まで及んではならない。その行使では韓国政府の意見が反映されるべきだ」と指摘、ガイドラインでの言及に慎重な対応を求めている。


この韓国政府の対応の基本的な間違いは、問題が日本政府の憲法解釈変更なのであり、その理由は日本に人を派遣して、内政干渉にならないように丁重に聞くべきものであろう。


日本の主権の核心である集団的自衛権の行使を、いちいち韓国に相談していたら同自衛権そのものが成り立たないのだ。それを米国に人を派遣して、日本の悪口を言うかのような態度を取るのはどうみてもおかしい。


いくら何でも歴代大統領はこのような対応は取らなかった。ところが朴槿恵は、まるで女学生が他の生徒の悪口を先生に言いつけるかのようである。きっとそうして育ったに違いない。5月の訪米では大統領・オバマに「地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持たなければならない」と直訴。


9月30日には国防長官ヘーゲルに「歴史に逆行する発言をする日本の指導者のせいで信頼を築けない」。最近ではヨーロッパ向けにも“言いつけ”が佳境に達している。


今月に入って仏フィガロ紙にとのインタビューで「我々は未来志向的な関係を発展させたいが、一部の日本の政治家らが過去の歴史問題に関し、不適切な言行を続けている」と安倍を“刺し”た。続けて英BBCとのインタビューでは、「元慰安婦などの問題が解決しない状態では、首脳会談はしない方がましだ」と陰口をたたいた。


さすがに日本政府も執拗なばかりの“言いつけ”外交にかちんときたか、外相・岸田文男が「慰安婦問題でのわが国の立場、努力はこれまでも丁寧に説明してきた。現時点で懸念が表明されたのは大変残念だ」と不快感を示すに至った。


集団的自衛権の問題も宣伝戦の様相を呈しており、安倍がASEAN首脳会議などの機会を捉えて、中国や韓国からの批判の封じ込めを展開している。官房長官・菅義偉も集団的自衛権の問題について「フィリピン、ベトナムをはじめとするASEAN諸国や米国、英国、オーストラリア、カナダなど欧米各国から歓迎、支持が表明されている。


引き続き近隣国を含む関係国に丁寧に説明していきたい」と国際社会の理解を得られつつあるとの認識を強調するに至っている。国連憲章に明記されている権利を行使するだけのことであり、韓国の批判は“上滑り”するものに他ならない。


このところ安倍は靖国参拝を控え、歴史認識での発言を控え、首脳会談にはいつでも応ずるとの発言を繰り返しており、朴槿恵の“言いつけ”外交の異様さだけが目立っている。度し難いのは外交の場では相手国に直接言うべきことを他国に向けて言いふらすことほど、軽蔑されることはないことが分かっていないことだ。


その狙いは50%を超える支持率維持にあるとしか思えない。反日をあおり立てることで支持率を維持するという“邪道”を歩む大統領を相手にしては、安倍が本気で首脳得会談を目指す構えにないのもうなずける。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年11月05日

◆秘密法案が露呈した“革新弱体化”

杉浦 正章



安倍は迷わず中央突破し早期成立を図れ


特定秘密保護法案をめぐって保革が激突の様相を呈し始めた。その対立構図はまるで60年安保の時のような先鋭化の色彩を示している。


しかし安保の時とは決定的な差が見られる。安保は保革それぞれに大局観と理論武装を伴った政治勢力の激突であり、革新勢力は現在より圧倒的に質量共に上回っていた。院外勢力も学生運動を軸に盛りあがった。


しかし現在の革新側の中核は超弱小政党である共産、社民両党と新聞の使命を忘れた朝日新聞であり、その主張は何よりも見当違いであるうえに大局観に欠ける。この程度の“革新”に破れるようでは自公政権もだらしのないことこの上ない。


首相・安倍晋三は最終的には臨時国会で迷わず中央突破して国の安全確保の礎を築くべきである。


まず重要なポイントは何かと言えば、重箱の隅を突っつく論議ばかりが国会でもマスコミでも展開されており、事の本質を見失っていることであろう。なぜ日本版NSC法案と秘密保護法案が一体となって俎上に上がったかの根源を全く忘れている。危機はそこまで来ていたのにもう忘れたかと言いたい。


中国国家主席・習近平が「尖閣は確信的利益」と唱え、軍事圧力を強めれば、北朝鮮は日本の都市を名指しで核ミサイル攻撃するとどう喝する。そんな国々が近隣に存在するにもかかわらず、革新側はキャッチフレーズと“風評”で国民的運動につなげようと必死だ。


共産党が「秘密保護法は国民に隠して日本を戦争が出来る国にする法案であり、絶対反対する」と主張すれば、社民党は「日米軍事一体化が進む中で、我が国を情報統制、軍事機密国家にする法案」と訴える。まるで「安保条約反対闘争の位牌」の裏からはたきをかけて、半世紀前の言葉を取り出したかのような主張を繰り返している。


朝日は先に書いたように事態の“風評化”を目指して、その勢いはとどまることを知らない。ドイツ首相・メルケルへの盗聴事件が生ずれば社説で「盗聴国家の言いなりか」と決めつけ、「日本政府が盗聴事件の最中に米国情報の保護を優先し、日本社会の知る権利を削るならあまりに理不尽」と見当外れの安保度外視の社説を堂々と展開している。


ならば朝日新聞に問いたい。あえて「貴紙」と呼ぼう。「貴紙は盗聴がロシアや、中国や、北朝鮮ならば許容するのか」。言うまでもなく日本はスパイ天国であり、「米国情報を得るなら日本に行け」が諜報員の常識となっている状況をどう見るかだ。


そもそも、長年に渡って首相の携帯が盗聴されるようなドイツは間が抜けているのだ。アメリカですら盗聴しているのだから、ロシアや中国がそれを上回る諜報戦を試みていることは当然予想される。アメリカは「ばれた」だけなのである。


事々さように、食うか食われるかの諜報戦が世界中で展開されているのが現実であり、秘密保護法もない日本は諜報戦の“主戦場”となっているのだ。この諜報戦は国家が存続する限り展開され、これに敗れたものが実戦で敗れるというのが“弱肉強食”の現実なのだ。


朝日は「虚飾の事態」を創出して反対論を唱えるから、筆者はより現実的な事態を想定しよう。


例えば米国から“盗聴情報”の伝達があったとしよう。「中国軍が今夜尖閣諸島を占拠する方向で動き始めた。尖閣占拠の次は沖縄を占領する」という超機密情報だ。また「北朝鮮が3日後に核ミサイルを日本の東京、名古屋、大阪、福岡に向けて発射する準備を整えた。」とする情報も伝わった。


この国家の命運を左右する機密情報を、朝日は「盗聴情報だからけしからん」として、「政府が信用出来ないから公開して、国民的論議の場に付せよ」と主張するのだろうか。またこの機密を漏らした公務員を、国家が存続していればの話だが、懲役1年の刑で罰せよというのか。


それでも「米国の情報を優先しては国民の知る権利を削る」などとノーテンキな社説を唱えていられるのか。社説を書くものは「天から平和は降って来ない」という国の安全保障のイロハから勉強し直した方がよい。
とりわけ重要なポイントは、マスコミの取材、報道の自由に対する革新側の“被害妄想”とも言える主張である。


情報を入手する「正当な手段」とは何かをめぐって、あの西山太吉事件まで朝日は擁護するかのようである。インタビューをして言いたい放題言わせている。朝日は西山事件の最高裁の有罪判決をどう見ているのであろうか。「司法による弾圧」とでも言うのであろうか。沖縄返還密約の一部を暴いた西山は「英雄」なのか。


言うまでもなく最高裁で問われたのは「正当な手段」であったかどうかであり、秘書をたぶらかして情を通じ、その弱みにつけ込んで情報を入手した「手段」を「不当」として有罪としたのである。その暴いた密約を毎日新聞の紙面で報ずるのならまだ職業意識があるが、社会党の議員に渡して予算委員会で追及させるとはどういうことか。野党への情報提供も「英雄」であるのか。


総選挙や参院選挙前の安倍や幹事長・石破茂の発言をもう一度検証してみるべきだ。原発再稼働もテレビで公言しているし、NSC、秘密保持両法案の目標でもある集団的自衛権の行使も公約に掲げている。朝日も共産、社民両党もその主張は完敗したのであり、再び蒸し返すのは見当違いだ。


言うまでもなく日本は議院内閣制である。国民に付託されたからこそ自公政権がなり立っているのである。それもやろうとしていることは、国家の安全保障であり、普通の家の戸締まりである。これが信用出来ないなら、日本にいてもらわなくてもいい。


歴史上安保をないがしろにして、他国の蹂躙(じゅうりん)を受けた国に「報道と言論の自由」があったか。おみおつけで顔を洗って出直してこいと言いたい。


昔、佐藤栄作が戦後の保革対決で漏らした言葉がある。「社共と朝日の反対することを行えば、日本は繁栄する」。その通りだ。これは今も不変の定理として存在し続けている。

   <今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

2013年11月01日

◆外交・経済好循環で安倍長期政権確実

杉浦 正章


歴代首相でも抜きん出た行動力


フォーブスランキングでロシア大統領・プーチンが1位となったが、世界第3位の経済大国の首相を見逃している。中国国家主席の習近平が3位などとは誰も思わない。同誌編集者は極東情勢の勉強が足りない。


掛け値なしで安倍晋三は高ランキングに立つべきである。指導者としての独自のひらめきがある久しぶりの首相だ。


奇想天外のアベノミクスの大当たりに加えて、積極的平和主義の「アベノディプロマシー」が好循環のハーモニーを醸しだし、デフレ脱却へと進んでいる。これが世界経済全体に好影響をもたらすことは言うまでもない。その行動力も歴代首相や世界の指導者と比較して抜きん出ている。


フォーブスはプーチンのシリア・イニシアチブだけにとらわれ、中国もその“領土の広さ”だけに目を奪われすぎて、安易な判断をしている。


まず極東の指導者を見る。安倍と相前後して政権をスタートさせた習近平と韓国大統領・朴槿恵と比較すれば、外交力にせよ、経済判断にせよ安倍が大きくリードしている。


ラストエンペラーという不名誉なニックネームがついた習は、10・28天安門テロでも対応を完全に見誤った。ウイグル自治区を力でねじ伏せようとしているが、事態はモグラ叩きとなるだけであり、必ず倍返しとなって将来政権を直撃するだろう。


その外交ぶりにはASEAN首脳会議でも冷たい空気がただよったと言われている。それはそうだろう。力で他国の領土・領海に進出しておいて、南シナ海を念頭においた友好条約を提唱しても、これを信ずる指導者がいるだろうか。


訪米でも、対日批判を繰り返したが、オバマに「まず中国側は、日本が米国の同盟国であることを認識する必要がある」と警告されて、事実上失敗した。


朴槿恵に至っては、訪米で日本の悪口を言いまくり、まるで長屋のおかみさんが隣近所に悪口を言って回るようなはしたなさを見せている。これ見よがしに中国に大接近しているが自国の安全保障は大丈夫か。一朝有事の際には中国は北朝鮮支持に回る。このままでは日本は邦人救出しかしない。


物心両面の日本の支援なしに、米国と組むだけで北の攻勢に対応できるのか。ニワトリのように目先だけしか読めず、反日だけが売り物の大統領はやがて国民から見放される。要するに習も朴もお坊ちゃまとお嬢ちゃまなのであり、政治・外交への判断力の独自性やひらめきに欠ける。


これに対して安倍はどうか。たしかに第1次安倍内閣はお坊ちゃま的であったが、第2次内閣は様変わりだ。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の時を経て、自らの政治姿勢、内政、外交・安保政策に磨きをかけていたことが分かる。


これを一気に花咲かせようとして打ち出したアベノミクスが功を奏して、デフレ脱却への希望が見える状態となってきた。上場企業の利益はリーマンショック以来最高の状況となった。


休日返上の外交も大きな成果を生み始めた。「アベノディプロマシー」はアベノミクスと車の両輪で展開されている。その基本姿勢も単なる儀礼訪問などではなくて、政治理念に基づき、実利も重視している。


その狙いは紛れもなく国際世論を日本の味方につけ、中国包囲網を形成する点にある。同時に、日本のデフレ脱却達成への強い連動意識を感じさせるものである。


トルコとの原発輸出の成約成功と超難工事であった地下鉄建設の成功は、日本の技術力の高さを中韓両国にはからずも見せつけることになった。とりわけ原発受注競争で、中韓両国を退けたことは、重要なポイントだ。


原発事故はかえって日本の技術力への信頼を高めているのであって、神経質な汚染水論議などは「異質」なものだ。経済の振興なくして復興はあり得ないのだ。


朝日はさっそく1日付の社説で「後の責任が取れるのか」と原発輸出に噛みついているが、逆に問いたい。朝日は中国や韓国製の地震など念頭にない粗悪な原発が世界を席巻する責任を取れるのか。同紙は発想がどうも幼稚だ。


安倍は就任後、アラブ首長国連邦(UAE)と原子力協定を結び、サウジアラビアとは締結に向けた協議を開始。インドとの原子力協定に向けた交渉も再開させた。北欧諸国への売り込みにも精を出している。新幹線の売り込みにも前向きだ。


池田勇人はドゴールから「トランジスターのセールスマン」と言われたが、安倍は大型インフラのセールスマンだ。

この結果1〜9月の日本からのインフラ輸出の受注額は5兆400億円で、早くも昨年1年間の1・5倍に膨らんでいる。原発輸出をアベノミクスの推進力と位置づけ計100兆円超の大市場に世界の先頭を切って切り込んでいるのだ。オリンピックの東京招致成功も一連の積極外交のたまものに他ならない。


翻って歴代首相と比較すれば、ようやく一年交替の悪習から日本の政治が抜け出す流れとなってきたことを物語る。


フォーブス調に戦後の日本の首相にランキングをつければ1位が「吉田茂、岸信介、佐藤栄作、田中角栄」だ。2位が「大平正芳、中曽根康弘、竹下登、小泉純一郎」であろう。3位以下はおおむね1年交替のぼんくら首相である。安倍のランキングは紛れもなく1位のグループに入るものであろう。


一方で民主党の鳩山、菅両政権は戦後どころか憲政史上最悪の部類に入る。安倍がこのままデフレ脱却へと結びつければ、戦後の日本中興の祖となりうる。


元米国務省日本部長でジョンズ・ホプキンス大教授のラスト・デミングは既に5月の段階で安倍を「洗練された政治家であり、外交的にも難しい諸懸案にうまく対応している。


歴史認識でつまずかなければ、大宰相になる可能性がある」と絶賛している。その通りだ。馬鹿な歴史認識にこだわって中韓両国のプロパガンダに利用されてはならない。


今後の政局との関連づけで考えれば、安倍政権は12月26日で1年となるが、衆院選で300議席近く獲得、参院選でねじれを解消させた首相が、政権を降ろされることは予見しうる将来ありえない。大汚職が発生したり、過労や病気で倒れない限り、少なくとも2年後となるであろう総選挙までは継続すると見るのがまっとうな政局判断だ。


野党が安倍外交を国会軽視と批判しているが、もっと議席を減らしたいものとみえる。国民の支持がどこにあるかに気付かない。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年10月31日

◆テロは習の「ラストエンペラー」説

杉浦 正章



安倍は尖閣への“民衆扇動”に警戒を怠るな


10.28天安門テロが象徴するものは、紛れもない中国社会のブルネラビリティ(vulnerability=脆弱性)であろう。国家主席・習近平の力によるウイグル自治区押さえ込みが裏目に出て、共産党1党独裁の象徴である毛沢東の肖像画の前での自爆テロとなって現れたのだ。


しかしこの事件が中国の内政・外交に与える影響は甚大である。内政では習体制を揺るがすものであり、習が10年の任期をまっとうできない「ラストエンペラー」説を強めこそすれ弱めることはない。


問題はその習が国内の不満を外に向ける絶好の機会ととらえて、“尖閣カード”を切って軍事行動を起こすという禁じ手を使い得るということだ。内外の論調がこれを指摘するが、筆者はカードを切りきれないと見る。なぜなら日露戦争がロシア革命を誘発したように、尖閣戦争は中国の民主化革命に直結するからだ。


11月15日に総書記就任1周年を迎える習にとって、天安門テロはまさに痛打である。習は就任以来ウイグル族を力で押さえ込む政策を強行してきており、同地区ではかつての北アイルランド紛争以上の血で血を洗う紛争が続いている。


北アイルランド紛争はすぐにメディアが伝えたが、シルクロードの辺境の地で何が起きているかは当局が知らしめないし、知るよしもない。しかしウイグル族が毎月10人以上射殺されているという説が、まぎれもなく紛争状態に陥っていることを意味する。


共産党政権による漢民族との同化政策は、結果として漢民族によるウイグル族“搾取”の状態を形作っている。漢民族の資本が注入されれば漢民族だけが儲かり富を蓄積する構図だ。貧富の格差だけが目立つようになり、暴動の頻発を招いているのだ。


テロの詳細を見れば、夫婦と母親の3人が、6月26日の暴動で射殺された親族の恨みとばかりに、車を暴走させて漢族をはね飛ばし、自爆したという凄まじさだ。中東のように若者を使ったテロではなく、家族ぐるみのテロであることが事の深刻さと悲惨さを際立たせている。


中国の治安対策予算は国防予算を上回っており、いかに共産党政権が国内暴動で苦境に置かれているかを物語る。ブルネラビリティは、共産党の1党独裁がまさに過去の帝政時代並みに貧富の格差をもたらしている事から発生している。


わずか1%の家庭が4割あまりの資産を保有しており、東京の銀座通りで大声を出して闊歩し、ルイ・ヴィトンを買いあさる層を形成している。


この貧富の格差に、地域間の「東西格差」、都市部と農村部の「城郷格差」、国営企業と民間企業の「業種間格差」の4大格差が、高度成長と共にますます広がりを見せ、とどまる気配すらない。共産党幹部の汚職は常態化し、金持ちは海外へ資産を移し逃亡する準備にいとまがない。社会は疲弊の一途をたどっている。


米国のニューズウイーク誌がGDPが7%台で推移した場合、「2020年までに限って言えば、『衰退する大国』になるのはアメリカではなく、中国の方だ」と看破しているとおり、脆弱性は習近平の内外への高圧的な姿勢とは裏腹のものとなっている。


しかし中国には、無形の“資産”がある。それは長年に渡る「反日教育」という“資産”である。ネチズンの反応が、尖閣問題となるとすぐに炎上してとどまることを知らない状況に陥る。


共産党政権は昨年9月の反日暴動をネットを使って発生させ、その効果を試している。これをさらに大がかりに使い、対日戦争の世論を盛りあげるのはわけもないことである。


従って、首相・安倍晋三はこのカードを決して使わせてはならない。靖国参拝などと言うくだらない宗教儀式で国を誤ってはならない。石原慎太郎の主張するように灯台を建てたり、船だまりを造ったりしてはならない。


むしろ内部矛盾が露呈して“熟柿”が落ちるのを待つ時だ。この点安倍の中国包囲外交は大きな効果を上げつつあるのは、欣快(きんかい)の至りである。


安倍のすべきことは児戯に等しかった国の安保体制を、普通の国並みに強化することに尽きる。真の意味での日米安保体制を集団的自衛権の行使容認で確立して、習近平が尖閣カードを切ろうにも切れなくするのだ。


日米両国の軍事力から見れば、中国は「尖閣戦争」で勝利を収めることは出来ない。その抑止力で抑え込み続けるのだ。抑えが利かなくて習近平がカードを切って戦争を選択すれば、日本もそれなりの対応の仕方がある。日米同盟で戦争を勝利に導くと共に、中国に「倍返し」の民主化革命を巻き起こすのだ。


反政府勢力やウイグル、チベットなどに膨大な資金を提供して、北京に向けて蜂起を促す。日露戦争で、陸軍大佐・明石元二郎がレーニンと会談を重ね、資金を提供してロシア革命を成功に導いた史実もある。


レーニンは「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と革命成立後に述べているが、戦時となれば、相手の懐深く忍び込んで工作を行うことなどはイロハのイであろう。10・28テロは床にガソリンがまかれていることを意味する。それに火をつけるだけだ。

この文章を愛読している中国の諜報員はすぐ本国に連絡すべきだ。習近平が「尖閣戦争」などやろうにもやれないことに気付くだろう。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年10月30日

◆なりふり構わぬ「小泉劇場」の再開

杉浦 正章


亡国のセリフを口に主役の登場


「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と勤王の志士から茶化されたのが土佐藩主・山内容堂だ。自己顕示欲の強い殿様で自己顕示のためなら勤王だろうが佐幕だろうがイデオロギーなど眼中にない。


これに似て歌謡曲「侍ニッポン」の歌詞のように「昨日勤王、明日は佐幕」と決め込んでいるのが元首相・小泉純一郎だ。首相時代には原発推進の旗振り役であったにもかかわらず、今度は原発ゼロを主張して「昨日推進、明日はゼロよ」と臆面もない。その小泉が越えてはならない一線を越えた。


今や滅亡寸前の極左政党・社民党党首とまで会談したのだ。昨日の敵は今日の友。なりふり構わぬ自己顕示の「変人」の再登場だ。どうも日本の元首相がおかしい。いまや鳩山由紀夫と菅直人も参加して、「3大変人元首相連盟」を形成しつつあるかのようだ。


29日の会談は、党首就任早々で何か手柄を立てたいと焦った社民党党首・吉田忠智が持ちかけたものだ。小泉はこれに乗った。会談で小泉は「地震大国日本で、使用済み核燃料や高レベル廃棄物の最終処分場を作ることは国民の理解が得られない。原子力発電を続けていくことは無責任であり不可能だ」「政府に脱原発を決断させるには世論しかない。自分も主張を続けていく」とここ数か月の持論を展開。


もっとも、さすがに社民党ペースにはまることを恐れてか小泉は、脱原発に向けた連携を要請されたのに対し「それぞれの立場で各政党が脱原発に向けて努力すべきだ。自分も主張を続けていく。政府に脱原発に向けた政治決断を求めるには、世論に訴えるしかない。新党をつくる気は全くない」と一線を画した。


しかしいくらひまでも、全く党首の器でない事が露呈しつつあるみんなの党代表・渡辺喜美と4時間会談し、今度はろくろく名前も知られていなかった吉田と会談である。おまけに来月12日には日本記者クラブで記者会見まで予定している。何か魂胆があるとしか思えないが、それは何か。「小泉劇場」の再開である。


心理状態を分析するにまず自己顕示の“血が騒ぐ”のであろう。配下であった安倍晋三が華々しく首相を演じて、わが世の春を謳歌(おうか)している。


一方おのれの方は首相時代あれほどチヤホヤされたにもかかわらず、誰も見向きもしなくなった。どうしたらまた脚光を浴びられるか。それにはあの初めに言葉ありきしかないと思いついた。「自民党をぶっ壊す」方式だと思ったのだ。同じキャッチフレーズでまず「原発ゼロ」を唱えることを思いついたのだ。


そうすればマスコミが飛び付くと考えたのだ。日本がつぶれるとか、長年自分を支えてくれた自民党に迷惑が及ぶなどとは毛頭考えが及ばない。老人によくある老化性短絡発言症候群である。しかし、いまさら「昔の名前で出ています」と大年増にすり寄られても、国民は薄気味悪いばかりだ。


加えて政治への思惑がある。現在71歳。恩師である福田赳夫が首相になったのは72歳である。自分もまだまだやれると思っていることは間違いない。わざわざ「新党はない」と言うことは、逆に「新党への呼びかけ」でもある。


つまり社民党やみんなの党レベルでは駄目だが、これに民主党や自民党の一部が加わって「原発ゼロ政党」のお膳立てが出来あがり、「党首になって欲しい」と持ちかけられるのを期待しているに違いない。


さらに思惑は息子の進次カの将来にまで及ぶ。息子が首相候補となる10年先を自分なりに見通して、今からその下地を作っておこうという思惑である。乏しい科学知識の中で再生可能エネルギー万能の時代が到来すると考えたのだ。


進次カはいまは「父は父」としか言わないが、父親の発言直後の7日には、父親に理解を示してしまったのだ。


「日本ってやっぱり変わるときが来たかなと、誰もが思ったと思う。何か釈然としない気持ちが国民の間で、実は今はまだ景気が回復しそうだから黙っているけども、このままなし崩しにいって本当に良いのか、という声が私は脈々とある気がする」と同調した。


だが、この一連の小泉純一郎の判断はことごとく間違っている。なぜなら元首相ともあろう者が主張すべきでない「亡国の論理」であるからだ。


まず原発ゼロには朝日新聞を除いて大手全国紙は飛び付かない。読売は社説で「小泉元首相発言、「原発ゼロ」掲げる見識を疑う」と真っ向からたしなめた。既に原発ゼロの主張は総選挙と参院選挙で全く有権者に通じることなく、琵琶湖の婆さんが小沢にだまされて作った新党も完膚なきまでにぽしゃっている。原発ゼロ新党など成り立たない事が証明されているのだ。


小泉は元首相に配布される経済指標を読んでいないのか。貿易収支の赤字が15か月連続で、第2次石油危機時の14か月を超え、33年ぶりに最長記録を更新したのはなぜか。すべて全国の原子力発電所が停止し、代替する火力発電所向けの燃料輸入が急増したことにある。


原発停止による国富の流出は、2011〜13年度の3年間で総額9兆円にのぼる見通しだ。現在は年間3.8兆円の流出となっている。家庭の電気料金は30%上昇し、企業の生産拠点の海外移転が止まらない。電気料金が最も高い国が安倍の言う「世界で一番企業が活躍しやすい国」になることはない。アベノミクスそのものが原発ゼロでは破たんするのだ。


進次カも愚かな父親に引っ張られて誤判断すべきではない。まだ雑巾がけの段階であり、なるかどうかなどは全く未知数だが、将来首相候補になるころは多くの原発が稼働して、日本のエネルギー・ミックスの中核になっているころだ。原発ゼロどころか新技術の開発が進み、原発が新設される状況となるだろう。


自然エネルギー開発などは百年河清を待つに等しい。それにしても疝気筋とはよく言った。元首相たるもの筋道を違えないことを旨とすべきなのにしゃしゃり出る。アメリカの大統領でしゃしゃり出る者がいただろうか。


引退したら吉田茂のように、現役首相の相談に乗るくらいにとどめるのが首相だった者としての心得と知るべきだ。しょせんキャッチフレーズだけの“三文役者”には無理か。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年10月29日

◆安保政策大転換への幕開け

杉浦 正章



普通の国へNSC法案の審議入り


普通の国と異常な国を端的に分ければ、米、英、仏、独が普通の国。異常な国の筆頭は北朝鮮であり、中国であろう。その異常な国に取り囲まれている日本が普通の国になろうとしているだけなのに、あたかも全体主義への突破口であり、軍事国家への第一歩であるなどという議論が盛りあがっている。


戦後70年になろうとしているが、そろそろ国の安全保障が天から降ってくるような「思考停止の平和ぼけ」を改めるべき時だ。緊張の度を増している極東情勢を前にして、戸締まりをよくして、万一の時は警官を呼ぶ、普通の家庭のやることを国家がやるだけのことだ。


28日国会での審議が始まった外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(NSC)設置法案と、来月から審議入りする情報保全体制強化の特定秘密保護法案は普通の国への一歩を記すものであり、一国平和主義の平和ぼけ国家がやっと警戒心に目覚めたことを意味する。戦後の安保政策の大転換への幕開けとなるものである。

この大転換が可能となった背景には国民の判断がある。総選挙と参院選挙で安倍政権を圧勝させたのは、紛れもなく中国による尖閣諸島への進出と、北の核兵器・ミサイルどう喝にある。


まさに強盗が家の周りを徘徊して、隙あらば侵入しようと狙っているのに、これまで通り、のほほんと戸締まりしないでいられるのか。この極東の緊張感をまず認識するかしないかが、国家の存亡を決めると言っても過言ではない。国民はその戸締まりを選択したのだ。


そこで首相・安倍晋三が主張する「積極平和主義」に基づき、安保体制がどのように変わってゆくかだ。


今後の展開は、まず車の両輪であるNSC法案と秘密保護法案を相前後して今国会で成立を図る。両法案は与野党対決の色彩を濃厚にしている。とりわけ秘密保護法案が対決の焦点となるが、与党は衆参で多数を占めており、多少の修正の可能性はあるにしても成立の方向であろう。


これを受けて年末にNSCが初仕事として国家安全保障戦略を策定、この線に沿って防衛計画の大綱も閣議決定の運びとなる。いずれも集団的自衛権の行使に前向きの方針を示唆するものとなろう。そして来春には集団的自衛権の解釈改憲に踏み切り、夏には日米防衛協力のガイドラインを改訂して、国防体制を整える。


まさに当たらず障らずであった外交安保体制改革の領域に踏み込むものであり、政策上の大転換である。本来なら解釈改憲によらず、改憲そのものを断行して取り組むべき問題であろうが、緊迫した極東情勢をかんがみればその時間的な余裕はない。


したがって問題は、かつての安保論争に匹敵する論点を保守、革新政党に提供することになり、議論の高まりは避けられない。むしろ徹底的な議論を経たうえで、大転換を成し遂げることが民主主義国家としてふさわしいだろう。


そこで両法案の争点を分析して、必要不可欠との見地から反論を加える。まずNSC法案に対する反対意見としてよく出されるものが、米国のイラク戦争の誤判断だ。NSCが2003年にイラクに大量破壊兵器があるとして侵攻の理由の一つとしたが、なかったという前代未聞の大間違いである。


しかしこれは反対のための反対の根拠になるものであって、本質を外している。イラク戦争はテロの温床となる中東のヒトラーのフセイン体制をつぶし、民主主義国家を打ち立てることにあった。その目的は見事に達成されており、毒ガスや原爆があろうがなかろうが大義は成し遂げられたのだ。


「時の政権に耳障りの良い情報しか上がらない」との説があるが、だからこそ法案で情報の提出を義務づけたのである。そもそも最終判断するのは首相であり、政権に都合の良い情報かどうかなどは、首相としての判断力のイロハのイを試されることであり、NSCのせいにしてはいけない。


この国は首相が誤判断すれば、すぐに「首相降ろし」が始まる国でもある。首相降ろしは「またも政局」と批判されるが、まさに日本的民主主義の核でもあるのだ。米NSCはこのイラク戦争の決定を初め、オサマ・ビン・ラディンの殺害など的確な判断を下している。


秘密保護法案は米、英などのNSCと連携をする上では必要不可欠である。これからの国家戦略は情報戦に相当のウエートがかかるのであり、その情報なしには国家戦略は成り立たない。日本のような大国が情報ダダ漏れで良くこれまでやってこられた。まさに奇跡である。


NSC担当官同志は直通電話を通じてすぐに電話で情報を交換する。総じてアメリカのCIA情報が頼りになるが、日本にだって情報がないわけではない。1983年のソ連戦闘機による大韓航空機撃墜の情報は、自衛隊が電波傍受で入手したものであり、米国にも伝えられた。時事通信のスクープであった。


秘密保護法に関しては罰則の強化で報道の自由、国民の知る権利が束縛されるという議論がある。もちろん体制側は情報を隠す本能があり、監視を怠るとすべてを隠しかねない。


しかし報道の自由は法案で認めており、マスコミが力を削がれたわけではない。マスコミは従来通りスクープ合戦を展開すればよいのだ。圧力をかけるような政権はよってたかって引きずり降ろせばよい。「官僚が萎縮して情報を出さない」という議論ももっともだが、それでもあらゆるテクニックを使って暴くのが記者根性というものだ。


情けないのは「記者が萎縮する」という議論だ。こればかりは最近の偏差値重視教育で、点数ばかりが高くて採用された記者たちの弱点をさらけだしている。萎縮するひまがあったら特ダネ取ってこいと言いたい。この程度の秘密保護法などで萎縮する記者は法案があってもなくても萎縮するのだ。取材とはもともと体を張って行うものであると心得よ。


秘密が5年ごとに延長され、30年たっても公開されない恐れがあるなどという議論があるが、これには疑問がある。


なぜなら30年間も平和であり得たのは、その情報が秘密であったからでもある。そもそもこのテンポの速い時代に、30年前の情報を欲しがるのは、学者くらいしかいない。野党が主張しているように、秘密の範囲が不明確ということも確かだが、秘密の本質は時々刻々と変わることにある。


1時間後には秘密にしても意味がないものもあれば、それこそ半世紀も公表しないほうが国家のためになる情報だってある。常時軽重が変わる秘密を定義する事の方がおかしい。国会議員に情報を提供せよという議論があるが、これまた噴飯物だ。国会議員ほど情報を漏らす人種はない。


記者が秘密会のメモを頼むと「よしよし」と引きうけてくれるのが国会議員だ。共産党や社民党のように伝統的に外国の勢力と結びついている政党もある。外国への筒抜けの筒に秘密情報を教えてはならない。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年10月28日

◆朝日は秘密法案で“風評”源と化した

杉浦 正章



「ねつ造」し放題の論調で国民を扇動


朝日の天声人語を見てここまでやるかと“驚がく”した。あらぬ方向から特定秘密保護法案を切り裂いている。その内容は感情的で、唯我独尊。原発再稼働反対で国政選挙でのキャンペーンに敗れ、追い詰められた朝日が最後に牙をむいて、安倍政権に襲いかかる姿を如実に象徴している。


朝日はいまや共産党にも類似して、安倍政権にことごとく反対する姿勢を鮮明にしており、明らかに不偏不党の同紙の綱領をかなぐり捨てての、対決姿勢だ。


方向性はともかく、事実関係の正確さにおいては定評のあった「高級紙・朝日」が体面も何もかなぐり捨てて、タブロイド紙並みの“風評”をまき散らす姿にりつ然とせざるを得ない。政府は今日からの国家安全保障会議(NSC)を創設する法案の実質的な審議入りで、徹底した反論を加えるべきである。


「風評紙」に成り下がった姿は26日付朝刊にすべて現れている。まず伝統ある天声人語の破滅的な論調だ。


なんと秘密法案について「米国からもらった情報を守るために自国民を罪に問う法である。民主主義を揺さぶりかねない法でもある」と断定したのだ。天声人語筆者に問いたい。仮にもジャーナリストなら米国からの情報がいかに貴重であるかを知っているのか。あえて無視しているのか。情報がないとどうなるかだ。


去る1月に日本人7人の死者を出したアルジェリアのテロ事件である。日米外交筋によると米国はかなり詳細なテロリストの情報を事前に掌握していたが、日本に流すと漏れることを理由に伝達を断念したというのだ。朝日とてこの情報がないわけではあるまい。


それを無視して「米国情報を守るために日本国民を罪に問う」などと論理の飛躍をして恥ずかしくないのだろうか。筆者は天声人語を愛読してきたが、これまでこれほど破たんした論理を展開したケースを知らない。あえて大衆が取っつきやすいキャッチフレーズで“風評”を巻き起こそうとしているのだ。


天声人語はさらに続けて、「出来てしまったあとで破滅的な結末を招いた、戦前の幾つかの法を忘れたくはない。『はじめにおわりがある』。抵抗するなら最初に抵抗せよ。朝日新聞の大先輩にして反骨のジャーナリスト、むのたけじ氏の言葉が点滅する」と述べた。これは扇動である。


一般市民や、反戦運動家らを勢いづけるためのプロパガンダ的な色彩を濃厚にしている。天声人語の筆者は朝日内でも一目置かれ、その“方針”は社説と共に現場記者の取材活動に大きな影響を与えている。


まさに安倍政権に対して、社説「特定秘密保護―この法案に反対する」とともに社内的にも宣戦布告のラッパを鳴らしたものに他ならない。ちなみに全国紙の社説は読売、産経が基本的に賛成であり、毎日までが「安全保障上、重要な情報を一定期間、機密として扱うことに反対はしない」と条件付き賛成だ。


朝日だけが天声人語も社説も、もはやなりふり構わぬ法案つぶしの動きに出たのだ。“風評”の傾向は天声人語にとどまらない。


26日付夕刊の素粒子だ。「『お前は秘密を漏らした逮捕する』。『何の秘密を』『それは秘密だ。私は知らぬ』。秘密保護法のオーウェル的世界。」とやっている。マインドコントロールのジョージ・オーウェルにこじつけて、全体主義への危険があるかのような印象を読者に与えている。


同様の傾向が社会面にも如実に反映され、同日付朝刊では「あれもこれも秘密」と題して居酒屋の会話で逮捕される会社員の話を作り上げている。原発に使う世界最高強度の素材製法の一端を友人に話した結果の逮捕だという。その居酒屋には、非番の警察官が近くの席で飲んでいて、ICレコーダーで会話を録音し、捜査していたのだという。


一貫してある事ない事どころか、ない事ない事を書き並べている。その編集方針の狙いはどこにあるのだろうか。あきらかに物事を信じやすい一般大衆レベルまでプロパガンダを下げて、卑近な例を使って扇動しているのだ。


なぜ扇動するのかと言えば、60年の安保闘争並みに国民レベルの大衆運動を巻き起こし、デモで首相官邸や国会を包囲する状況を作り上げようとしているのだ。そして次の国政選挙で安倍政権をひきづり降ろすとっかかりを作るという“深謀遠慮”があるのだろう。


27日付のコラム「政々流転」で共産党の“躍進”を大々的に取り上げ「揺るぎなき反自民」と歯の浮くような礼賛をしているように、まるで何でも反対の共産党と同一歩調の姿勢が鮮明だ。今や朝日にとって他の野党は頼りにならず、共産党だけが頼りの現状を反映しているのだ。


秘密法案の国会審議を担当する森雅子がやってはいけない取材の好例として挙げた西山太吉事件の張本人にインタビューして語らせているのにも驚いた。秘書をたぶらかした取材で最高裁有罪となり、マスコミ人の恥とも言える西山ですら頼りにしたい朝日なのである。


世論をリードする報道機関がこれだから、テレビがもてはやす評論家に至っては、まさにデタラメ論評が頂点を極めている。目立つのは女性評論家の浜矩子である。あちこちのテレビで空想的平和主義を唱えてはばからない。


浜によると「グローバル化時代には国々が秘密をいっぱい持ってはならない。日本が世界各国に声をかけて秘密保護法案を持たないようにすべきだ」なのだそうだ。浜はアベノミクスの破たんを予言し、口を極めて批判したが、一連の発言とは真逆に日本経済はデフレ脱却の兆しを見せ、大間違いとなった。


経済評論家は大多数が口から出任せとみた方がよいが、今度は畑違いの政治の分野で口から出任せをやっているのだ。秘密を持たない国家がかって歴史上存在したのだろうか。馬鹿馬鹿しくて反論もしたくないが、テロリストや北朝鮮、中国、韓国が手を叩いて喜びそうな“愚論”だ。


これで良く「評論家でござい」とメシを食って行ける。何でもはっきり放送局の意向に沿った発言をしてくれる評論家は、TBSやテレビ朝日など民放テレビにとって宝ではあろう。それ故に民放テレビも風評源となっているのだ。


あえて法案の内容の正当性を説明しないが、これだけは強調しておこう。太筆で書けば日本は民主主義国家として基盤が戦後70年の間に出来ている。


マスコミがしっかり監視すればヒトラーが出てくる隙はない。同様の法案をもとにNSCを運営している、米、英、仏に全体主義が台頭したか。ニクソンのウオーターゲート事件を暴いた記者や情報源が逮捕されたか。中国では国家機密漏洩は死刑だ。


そんな国に取り囲まれていて、能天気な論調を唱えているときではない。本質はスパイ天国解消法案なのである。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

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