2013年09月30日

◆安倍は集団自衛権へルビコンを渡った

杉浦 正章



米国は閣僚協議で「強い日本」支持の方針


国連総会で平和主義に「積極的」とつけて首相・安倍晋三が「積極的平和主義」と表明した狙いはどこにあるのか。明らかに集団的自衛権行使への憲法解釈変更を国際公約とすることによって、もう戻ることのないルビコンを渡ったことを意味する。


総会演説では深い言及を控えたが、タカ派シンクタンクでの演説が強くそれを示唆している。米政府は安倍の日米同盟重視姿勢を“本物”ととらえ、すぐに反応した。来月3日の日米外務・防衛の閣僚協議いわゆる「2+2」を「歴史的会議」と位置づけ、「強い日本を支持」する方針を明らかにしたのだ。


まるで中国国家主席・習近平と韓国大統領・朴槿恵の米国における反日宣伝活動に、半沢直樹ではないが「100倍返し」で応じたかのような訪米であった。安倍は国連総会は言うに及ばず、タカ派シンクタンクや、ニューヨーク証券取引所で思いの丈をぶつける演説を展開した。


日本の首相はNYでの国連演説はだいたい当たり障りのない発言をするので有名であり、歴代ほとんど無視されてきた。安倍の狙いはもちろん中韓両国に対するけん制の意味もあるが、NYタイムズやワシントンポストなどリベラル系マスコミへの「10倍返し」でもある。


ことあるごとに安倍を右傾化と批判してきた両紙などに「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのならどうぞお呼びください」と痛烈な一打を加え、中国の軍事支出と日本のそれを比較して見せたのだ。


さすがに自民党幹事長・石破茂は見るところを見ている。テレビで「首相が国際社会に強いメッセージを発するということは久しくなかった。海外での期待も高い」ともろ手を挙げて賛同した。まさに現在の日本にとって必要不可欠の“宣伝戦”参入であった。


一連の講演のなかで注目すべきは「ハドソン研究所」主催の会合での発言だ。国連演説で軽く触れた「積極的平和主義」発言の内容に踏み込んでいる。


まず安倍は「国連平和維持活動(PKO)の現場で、日本の自衛隊がX国の軍隊と活動していたとする。突然、X軍が攻撃にさらされる。しかし、日本の部隊は助けることができない。日本国憲法の現行解釈によると、憲法違反になるからだ」と述べた。


これまでの発言は米国へ向かうミサイル撃墜と並走する米艦防衛問題に絞ってきたが、PKO活動に踏み込んだのは新展開である。その上で安倍は「一層積極的な参加ができるように図ってまいります」と明言したのだ。


これは明らかに歴代政権が維持してきたPKO参加5原則の「武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られる」の規(のり)を越えている発言である。まさに最近政府が強調している「集団的自衛権行使は地域を限定しない」事にもつながる方向に踏み込んだ発言であろう。


米政府内部には日本のこうした安保上の大転換の動きを“眉唾”で見る空気があったが、どうやら信ずるに足る方針転換と見始めた感じが濃厚となってきた。


ホワイトハウス国家安全保障会議のアジア上級部長・メデイロスは27日記者会見し、3日に東京で開かれる日本とアメリカの外務・防衛の閣僚協議について、「強固な同盟関係を確認するため、日本と緊密に協力できることを楽しみにしている」と言明した。


さらに加えて「同盟関係をよりよくするための日本の取り組みはすべて歓迎する」と集団的自衛権への安倍政権の動きに明快に賛同した。加えて「2+2」協議でまとめられる共同宣言の中に「アメリカは強い日本を支持する」という文言が盛り込まれることを明らかにした。


この結果日本で初めて開かれる国務長官・ケリー、国防長官・ヘーゲル、外相・岸田文男、防衛相・小野寺五典の会談は、尖閣問題や北のミサイル、核実験問題など緊迫した極東情勢の中で、かってなく重要性を帯びてくることになった。


またこの米国の方針は訪米して集団的自衛権への要求が強くなかったとしている、公明党代表・山口那津男の“報告”を、根本から否定するものである。


ただ集団的自衛権の解釈変更の閣議決定は既報のように大幅に遅れる見通しとなってきている。最大の理由は、時局が消費増税や経済対策、アベノミクスの腰折れ防止、NSC設置法案とこれに連動する特定秘密保全法案など超重要課題が押せ押せとなってきており、安全保障上の大転換をするゆとりがないのが実情だ。


自民党内は半数を占める新人議員らへの納得のいく説明も必要だ。石破も29日「あまり早く処理しようとするとあれもこれもとなって、かえって仕損じる恐れがある。いっぺんに全部やると過積載トラックがひっくり返る」として「通常国会で一連の法案や予算成立のめどが立ち、4月の消費税引き上げが一段落した後になる」との見通しを述べた。


公明党の説得にも時間がかかりそうなことも背景にある。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月27日

◆企業には減税分給与反映を“強制”せよ

杉浦 正章



法人減税食い逃げは許されない


景気の腰折れを防ぐために政府・自民党がひねり出した復興法人税廃止はアベノミクスを軌道に乗せるためにもやむを得ないだろう。ただし消費増税を大企業の優遇措置に使うという印象はどうしても残る。これを解消するには、対象企業に一部統制経済的な手法を導入しても減税分の賃上げへの反映を強制するしかあるまい。


賃上げへの反映があって初めて効果が生ずる減税措置であるからだ。企業は抵抗する可能性があるが、血税が企業の内部留保に回っては、経済効果は薄まる一方であり、しっかりした歯止めをかける必要がある。


自民党税調に復興法人税の一年前倒し廃止を要請した政府側が、賃金への反映に疑問を呈したり、廃止を批判しているのだから苦肉の策であることは間違いない。


財務相・麻生太郎が「俺のセンスではない」と述べれば、経産相・甘利明は「減税が本当に賃金に回るかどうかという思いは皆持っている」というのだからどうしようもない。


しかし消費税先延ばし論を自民党から一蹴された首相・安倍晋三は、いまや「デフレ脱却の鬼」(官房長官・菅義偉義)と化してをり、法人減税実行でアベノミクスを死守する構えだ。


ニューヨークの証券取引所での演説でも「投資を喚起するためにも大胆な減税を断行する」と言明した。明らかに投資減税の拡充と復興法人税の廃止をまず実施し、これに続く本丸の法人実効税率の引き下げに攻め込む構えである。


この勢いを受けて自民党税制調査会長・野田毅は既に陥落している。22日に安倍から直接電話による説得を受け、ここで白旗を掲げたようだ。無理もない逆らえば次期内閣改造での入閣のチャンスを確実に逸するからだ。


従って自民党税調が26日野田に取り扱いを一任したということは、前倒し実施をするということにつながる。大局的に見れば確かに今の日本はアベノミクスを推進してゆくしかなく、安倍も民主党政権の時代より増額した25兆円の復興予算枠の堅持を表明しているのだからそれを信ずるしかあるまい。


復興法人税を廃止しても、他から資金をひねり出すならば問題はない。福島選出議員が、閣僚まで含めて異論を唱えているのは、選挙区向けで無理もないが、固執しすぎると日本経済の失速という、復興自体への大打撃に発展することを肝に銘ずるべきだ。


甘えた感情論を唱えているときではない。公明党もブレーキ役ばかり演じている。同党代表・山口那津男は口を開けば「国民の理解」と言うが、国民とは創価学会婦人部のことか。与党なら与党らしくすべきだ。


ただこれまで儲けをどんどん内部留保してきた大企業への減税であることは、政府も心してかかる必要がある。減税対象は企業全体の27%に当たる約71万社。すべて法人税を払える優良企業だ。法人減税は1%で4000億円の減収となり、2%あまりを減税すれば1兆円の減税となる。


企業に対する減税の総額は1兆6000億円規模となることが見込まれる。これをまた企業が貯金に回してしまう懸念がある。麻生は「企業に賃上げをやってくれと言う権限は自由主義経済社会ではあり得ない」と述べているが、そんなスジ論を言っているときではあるまい。


たとえ統制経済的な色彩を帯びても減税分をきっちり給与に回させる必要はあるのだ。


自民党副総裁・高村正彦が経団連会長の米倉弘昌に「賃上げにつながる道筋が見えないと国民の理解を得るのは難しい。一番大切なのは経済界の決意であり、『デフレから脱却するために賃上げする』という強い決意を示してほしい」と要請した。


しかし米倉は、「雇用環境も良くなっており、今後、経済成長によって企業業績が改善されれば、必然的に賃金に反映されると考えている」と答えるにとどめた。「必然的に反映される」ではまるで他人事のようである。認識が足りない。


このため政府・自民党内は具体的な歯止め策の検討に入った。甘利は企業に減税額の使い道を公表させる方針だ。減税分だけ給料が増えているかの公表を義務づけることを検討している。公表させればいくら何でも税金を内部留保しただけの企業はマスコミのやり玉に挙がるだろう。


一方で自民党税調は賃金を増やした企業の法人税を軽減する措置の対象拡大を決めた。現在、従業員の賃金を5%以上増やした企業の法人税を軽減している措置について、その対象を拡大する。


具体的には、昨年度を基準に、従業員の賃金を、今年度と来年度は2%以上、再来年度は3%以上、そのあとの2年間は5%以上を増やした企業の法人税について、賃金の増加分の10%を軽減する。こうした硬軟両様の構えで減税の効果を上げる方針だ。


既に安倍はボーナスアップを企業に求め、これに応じた企業も多く、よほどずるがしこい企業以外は減税を給与に反映させてゆくものとみられる。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月26日

◆機密保全は安全保障のイロハのイだ

杉浦 正章



早期に法案成立を図れ
 

例えばNSC(国家安全保障会議)を運営する米・英・仏の三国が、その機密漏洩の厳罰があるが故に報道の自由が制約されて、民主主義が危機に瀕しているかということだ。三国とも全く健全なる民主主義国家であり、報道の自由は十分保障されている。


共産党や朝日新聞が反対しているNSC設置法案に伴う特定秘密保全法案は遅きに失したというべきものであろう。罰則強化による情報管理は国家にとって当然の責務であり、中国、北朝鮮、テロリストなどの情報が欠如した結果、何万人、何十万人の犠牲者を出してからでは手遅れなのである。
 

米国を始め主要国でとかく言われているのが「日本に機密情報は教えられない。漏れる」ということだ。その例証を挙げれば日本の取材・報道史上の最大の汚点の一つである西山事件であろう。


同事件は第3次佐藤内閣当時、米ニクソン政権との沖縄返還協定に際しての密約を毎日新聞社政治部の西山太吉が非合法に取得して日本社会党議員に漏洩した事件である。その取材方法は外務省高官の秘書と情を通じ「肉体関係があったため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させた」(最高裁判決)という手口であった。


結局最高裁で有罪が確立した。こうした教唆・そそのかしの罪は刑法61条で罰せられる。今回の秘密保全法案は国家公務員が「特別秘密」を漏らした場合には「10年以下の懲役」とする厳罰化が柱となっているが、取材する側も教唆犯の思想が取り入れられて同様の厳罰があり得る。
 

マスコミなど取材する側はこの点を懸念する論調が多く、読売、産経などは報道の自由を担保した上での実施論だ。朝日は現行法規の厳格な運用で対処すべきという社説を掲載している。政党では共産党が「秘密保全法は軍事体制への流れ」(国対委員長・穀田恵二)と真っ向から反対の構えだ。


連立内部では公明党も慎重姿勢だ。これに対して政府・自民党は、西山型の教唆・そそのかし取材のケースなどは厳罰を適用するものの、法案に「報道の自由を保障する規定を明記する」ことにより通常取材には影響が生じないように配慮する方針だ。


官房長官・菅義偉も報道・取材の自由は「十分に尊重する」としている。幹事長・石破茂も「法案は報道の自由に配慮する。基本的人権を侵害するものにはならない」と述べている。 
 

安倍政権が「特別秘密」にこだわるのは、これがNSC設置法案にとって必要不可欠であるからだ。外交・安保の司令塔となるNSCは米国では1947年に設置され、英国では2010年にキャメロン政権が設置している。いずれも有事に不可欠の存在として機能している。


安倍としては「防衛」「外交」「諜報活動の防止」「テロ活動の防止」の4分野に限ってその機密漏洩に厳罰をかけることにより、米、英、仏などのNSCと連携を取りやすくしたい思惑がある。米国と同じ懲役10年の最高刑を設けるのもそのためだ。


この外国からの機密情報に加えて、省庁の情報もNSCに届きやすくする必要がある。ただでさえ外務省や防衛省は情報管理が厳しく、首相官邸に対してすら情報を出し渋る傾向がある。下部組織が機密漏洩を懸念しているようでは、NSCは全く機能しない屋上屋を重ねるものにならざるを得ない。


従って重大な国家機密の漏洩に対する厳罰化は必要不可欠なのである。これまでのように最高刑が懲役1年では緩みが生じることは避けられまい。国内外の情報をNSCがまず入手できる体制を確立するためには、NSCの情報管理が厳しいという証左を内外に向けて打ち立てる必要があるのだ。


そしてこの機密漏洩の厳罰化は普通の国家が普通のこととして行っているものであり、安倍政権が突出しているケースではない。


共産党は真っ向から反対するが、自らの過去を顧みるがいい。ソ連を初めとする他国の共産主義者と連携を取って情報を流出させ、一時は社会主義革命を起こそうと狙ったではないか。今は猫をかぶっているが、そのような過去のある政党が、「軍事体制への流れ」を指摘する資格はない。


そもそも戦後70年近くなって、日本の民主主義は定着しており、選挙を経て成立した政権が行おうとしていることである。もちろん報道の自由は民主主義の根幹であり、厳しく監視しなければならない。


しかし緊迫する極東情勢や世界中にテロが横行する時代である。情報の掌握度によって国の安全保障の強弱が確定することを肝に銘ずるときだ。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月25日

◆安倍が集団自衛権導入を来春に先送り

杉浦 正章



オリンピックへ「極東デタント」を模索


政府自民党筋の情報を総合すると首相・安倍晋三は今秋にもと想定していた集団的自衛権行使容認への憲法解釈変更を、来年春以降に先送りする方針を固めた。


背景には10月中旬の臨時国会では国家安全保障会議(NSC)設置法案など安保関連の重要法案がひしめいており、解釈変更に反対する公明党とのあつれきを拡大させることはまずいとの判断がある。さらに加えて尖閣問題も膠着状態にあり、オリンピック開催に向けて“極東デタント”を模索することを優先させたものとみられる。


集団的自衛権容認に向けて、安倍の当初の構想は、秋にも安保法制懇の報告を受け取り、年末の防衛大綱で解釈の変更を明示して、通常国会に「国家安全保障基本法案」を提出、「解釈改憲」への道筋を確立しようというものであった。


ところが22日になって政府・与党の空気ががらりと変わり始めた。石破がまず国家安全保障基本法案について、国会提出が来年の通常国会以降になるとの見通しを示した。「公明党の理解もなしに、秋の臨時国会に法案を出せるという話にはならないだろう」と述べたのだ。


さらに集団的自衛権の行使容認に向けた公明党との協議について、協議開始は大綱策定後の来年になるとの見方を示した。これと口裏を合わせるように安倍も22日のテレビで、憲法解釈変更の結論を年内に出すかと問われ、「いつまでにということではなく、議論がまとまるのを見守りたい」と述べ、安保法制懇や与党内での議論を踏まえて判断する姿勢を改めて示した。


この先延ばし方針について官邸筋は「あれもこれもと間口を広げすぎては、あぶはち取らずになりかねないので、首相と幹事長が調整したのだろう」と述べている。


確かに臨時国会だけを見てもNSC設置法案と
これに関連する秘密保全法案。さらにはアベノミクスを仕上げる産業競争力強化法案など超重要法案がひしめいている。


同筋は「これだけで年末までかかってしまう」と述べる。加えて絶対平和主義の公明党代表・山口那津男が両手を広げて立ちふさがっており、早期解釈変更に突っ走れば、直ちに法案成立に影響が出かねない側面がある。


さらに加えて中国や北朝鮮、韓国など周辺諸国の動向も、変化の兆しを見せてきている。北の核とミサイルのどう喝は米韓合同演習の終了と共に沈静化した。尖閣問題も一時のレーダー照射ほどの事態はその後発生せず、緊迫は高止まりのまま膠着状態で推移している。韓国との関係も徐々に解きほぐさざるを得ない情勢にある。


安倍政権は内政外交に渡って多方面作戦を強いられてきているのだ。おまけに東京オリンピックの開催が七年後に設定されたことは、政権にとって必然的に「極東デタント」の必要を認識せざるを得ない情勢となった。


周辺諸国と緊張状態を維持したままでオリンピックは開催できない。モスクワオリンピックがソ連のアフガン侵攻でボイコットされたように、オリンピックの成功は周辺諸国との協調が最重要であるからだ。


こうした情勢の変化をもとに安倍は、日本側から周辺諸国を刺激することは当面避けようという判断に傾いたものとみられる。ただ石破は「年末までに防衛計画の大綱は決めなければならない。これが1番急ぐ」と述べている。防衛計画の大綱の中核は集団的自衛権の導入にあり、それがなければ大綱を改正する意味がなくなる。


しかし閣議決定には公明党の賛同が不可欠であり、その説得をどうするかが焦点にならざるを得まい。従って勢い公明党との調整は、公式な協議とは別に水面下に潜らざるを得ないことになるものとみられる。


こうして安倍は内閣最大の看板の一つを、先延ばしせざるを得ない事態となったが、法制局長官を更迭して、安保法制懇をスタートさせ解釈変更への環境は着々と整えており、あとは公明党が納得する“歯止め”をどう調整するかが焦点だ。


政府部内では国家安全保障基本法で「集団的自衛権行使の国会承認」をより一層強調することや、NATOの集団的自衛権のように地域を限定する構想などが妥協案として考えられているようである。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月24日

◆先延ばし論で「安倍消費増税」化した

杉浦 正章



責任は一手に安倍にふりかかる


中国のことわざに「よく泳ぐ者は溺れ、よく乗る者は落馬する」があるが、首相・安倍晋三による消費税のハンドリングはまさにそれだ。結果的に憎まれ役の増税役を一手に引きうけてしまった。


政治的に見れば安倍は「三党合意責任」を「自らの責任」に転嫁してしまうという、わざわざしなくてもいい「決断」をせざるを得なくしてしまったのだ。アベノミクスの成功に舞い上がった政治を知らないブレーンの「先延ばし論」に傾斜してしまったのが失敗だった。この結果いわば政治全体の責任であった「3党合意消費増税」は「安倍消費増税」となり、その結果責任もすべて安倍に降りかかる姿に変ぼうしたのだ。



安倍は来月1日に消費税率を来年4月から現在の5%から8%に引き上げることを「決断」する。別に「決断」する必要のなかったことを自ら「決断」する事態に追い込んでしまったのだ。そもそも消費税は昨年8月の3党合意で決着を見ているのであって、首相の最終判断は付けたりであった。


消費増税の附則第18条は「経済状況等を総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる」とあり、あくまで首相の総合判断のうえでの最終決断を求めるものであったのだ。その総合判断はリーマンショックなど経済動向を左右する重大事態が発生した場合を想定したのだ。万が一の事態発生を懸念した上での「景気条項」であったのだ。


なぜ安倍が極端なまでにこれにこだわったかといえば、アベノミクスの大当たりが紛れもなく背景にあった。無理もない。民主党政権で断末魔のあえぎを見せていた、日本経済がアベノミクスで上昇機運が生じてきたからだ。これをはやす声は国内に満ちあふれ、首相官邸はごますり詣でがひっきりなしとなった。


安倍は天下御免の水戸黄門の印籠を手にしたと思ったのだ。それを掲げる助さん、角さんがブレーンの官房参与・浜田宏一と本田悦朗であった。両者は代わる代わるに印籠を掲げて「これが目に入らぬか」とやったものだ。


ところが政治素人の学者には政治の限界が目に見えなかった。過去政治が消費増税に使うエネルギーは、並大抵のものではなかった。大平正芳が一般消費税導入を口にしただけで選挙に大敗、竹下内閣が吹き飛び、橋本内閣も退陣に追い込まれ、最後に野田内閣も総選挙を経て政権交代になった。


その野田にしてみれば、自分のクビと差し替えの消費増税達成であり、「バッジを外す覚悟があったからこそ、達成できた」と述べているとおりだ。その消費税をいくら「アベノミクス様」であれ、印籠かざしてひざまずかせる事は不可能であったのだ。


安倍は実施すべき消費税を受け継いだのであり、最初から「決断」は宿命的に避けられないものであったのだ。それをブレーンはともかく安倍自身が先延ばしにできるとの判断に傾いたことは、政治家として甘いとしか言いようがないものであった。


普通政治家は既に決着済みの重大事項にあえて固執して、事を荒立てるようなことはしない。そのエネルギーを他に回すのが常だ。野田が「3党合意で法律を作ったのに、そもそも論から始めてはいけない」と述べている通りだ。


ここで重要なポイントは、何も消費増税で経済対策をするのなら、わざわざ消費増税の可否を盾にとって実現させる必要も無かったということだ。首相なのだから実施の判断を10月にしてから、必要な経済対策を財務省に指示すればよいのである。それをしないであわよくばの先延ばしを狙うところに冒頭の「よく乗る者の落馬」があったのだ。


こうして安倍は起こす必要のない事態をわざわざ巻き起こした。安倍自身は消費増税のリスクについて「10月上旬に判断する私の責任だ。結果にも責任を持たないといけない」と述べたが、その責任はいったん先延ばしにぶれたが故に、一身にかかってくることになってしまったのだ。


3党合意のせいにすればよいものを、自分のせいにしてしまったからである。順風満帆の安倍政権が見せた“弱点”はアリの一穴にならないとも限らない。


生活の党代表・小沢一郎のブレーンで元参院議員の平野貞夫はテレビで「4月に消費税を上げた2〜3か月後に政治が動く」と予言をし始めた。これを聞いた元代表・小沢一郎は「いや10月に決定するのだから、その時点で影響する」とより早い「政局」への連動を予言する。


こうして消費増税問題は、臨時国会を皮切りにぶり返しが避けられない見通しだ。とりわけ福祉目的税であった消費税を法人税引き下げで食いつぶすような方針を安倍が掲げていることは最大の弱点となろう。野党の批判は国民に通じやすいのだ。


法律は成立しているから野党の追及にも自ずと限度があるが、消費税法は2段構えであり、15年10月にはさらに2%引き上げて最終的に10%とする。これを安倍が成し遂げる余裕が残っているかは予断を許さない。


安倍自身「経済は生き物だ。(8%に)上げた場合、その後の推移を見ながら判断しないといけない。世界経済のさまざまなリスクが顕在化するかどうかも重要なポイントだ。そういうものもよく見て判断していかないといけない」と、今度は今から及び腰だ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月20日

◆小沢、統一会派で「護憲の核」目指す

杉浦 正章



しかし展望は濃霧の中


「盛者必衰」の表現がぴったりの生活の党代表・小沢一郎が、「孤城落日」の社民党と参院で院内統一会派を作る動きに出た。統一会派と言ってもせいぜい7人程度のスタートとなりそうで、目的は予算委員会での質問権確保にある。


小沢はこれを核にしてあわよくば護憲勢力の結集に動こうとしているようだが、肝心の民主党は小沢アレルギーが強く、乗りそうもない。野党全体が総選挙と参院選で2度の脳しんとうを起こしてまだ立ち直れない状況であるのだ。


中国四川省のことわざに「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫だ」があり、ケ小平もかってこれを使った。これを翻案してかつての民社党初代委員長・西尾末広が「政権を取らない政党は鼠を捕らない猫と同じだ」と述べた話は有名だ。しかし政界はいまその鼠を捕らない猫ばかりがうようよしている。それも怠惰で寝てばかりいる。


さすがに政党を作っては壊してきた小沢も今度ばかりは参ったようだ。辛うじて維持している生活は衆院7人、参院2人でこれまでに作った政党では最小。参院選は当選者ゼロ、岩手の小沢王国は完膚なきまで食いちぎられた。8人いた小沢系国会議員は今や3人まで減少してしまった。


凋落すると水商売がしたくなるのか、焼き肉屋に転向した小沢チルドレンがいるかと思えば、社民党前党首の福島瑞穂はバーのマダムだ。終戦の日の15日の夜、東京都杉並区内の居酒屋で一日マダムとなって「平和憲法を語る会」を開いた。


小沢は既に71歳。72歳で首相になった福田赳夫の例はあるが、周りの状況はまさに「出口なし」である。漏れうかがうその心境は強さと弱さが交叉している。「このままでは死にきれない」と意気込むかと思えば「沖縄で釣り三昧もいい」と新築の別荘に引退するかのような口ぶりもみせる。総じて勢いがないのだ。


その勢いのない中で打った布石が社民党との院内会派だ。水面下で小沢は社民党党首代行・又市征治に働きかけるとともに、民主党では腹心の副議長・輿石東を通じた再編を狙った。護憲勢力を中心とするリベラル派の糾合である。


社民党は参院選大敗で福島が党首を辞任、このままでは解党となりかねない危機にさらされている。大先輩である元首相・村山富市までが解党論を唱えるに至っている。


村山の構想は解党を視野に入れた政界の再編だ。「社民党はこのままいっても先がない。党派にこだわらず、憲法を守らないといかんという者は結集すべきだ。社民党が火付け役になって新しい党を作り上げていくことも大事だ」というのである。

この護憲勢力結集構想は「死にきれない」小沢の思いとも合致して、院内会派結成に至ったものだ。


しかし護憲勢力の結集はミニ政党が集まっても“ごまめの歯ぎしり”にしかならない。せいぜい民主党の一部でも参加しなくては意味がない。


そこで小沢は輿石を動かそうとしているのだ。輿石は護憲での結集には前向きだが、副議長に祭り上げられては動きもままならない。民主党内の情勢は元首相・野田佳彦が「蟄居(ちっきょ)」の状態から抜け出しそうな気配がある。元外相・前原誠司も維新共同代表・橋下徹と気脈を通じている。


輿石が下手に左派を動かそうとすれば、右派も維新やみんなの党と再編へと動きかねない情勢がある。とりわけ首相・安倍晋三が憲法改正や集団的自衛権で投げている直球が、民主党内に今後遠心力を働かせる可能性も強い。さらなる分裂を招きかねないのだ。


「御輿は軽くてパーがいい」とばかりに、小沢の入れ知恵で輿石が担いだ海江田万里では、荷が重すぎてとてもまとめきれない状況になり得る。こうした状況を察知してか民主党幹事長・大畠章宏も、小沢の仕掛けによる院内統一会派には極めて慎重である。


ただ小沢と村山が掲げる「護憲新党」は、安倍政権の出方や、マスコミの論調によっては、大きな動きに発展する可能性も否定出来ない。そのアリの一穴になるかどうかが生活と社民の院内会派だとすれば、あながち馬鹿にしたものでもない事は確かだ。


小沢が定期的に開いている「小沢一郎政治塾」が19日スタートした。小沢は22日に講演する予定だが、おそらく護憲勢力の結集を主張するのだろう。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月19日

◆法人税をめぐる“閣内対立”は田舎芝居

杉浦 正章



いずれは妥協点に落ち着く



食言もここまで来ると盗っ人猛々しいというのが、消費増税と抱き合わせの法人税減税案だ。いくら首相・安倍晋三自身が約束した覚えがないにしても、国民は完全にだまされたとしか受け取れまい。


昨年8月の消費増税成立はまぎれもなく社会福祉の財源確保のためという線で3党合意にこぎ着けたのであって、法人税減税を実現するためなどではさらさらない。おまけに減税の恩恵に預かる大企業は利益の蓄積である内部留保がジャブジャブあるではないか。


一見、法人減税を主張する安倍と反対する財務相・麻生太郎の“対立”にまで発展しているように見えるが、昔の自民党政権はもっと演技がうまかった。ぎりぎりまで対立して見せた。しょせんは先延ばしでの妥協点をめぐる役割分担でしかない事が分かる。まるで大根役者の田舎芝居だ。


確かに発言からだけ見ると法人税をめぐるやりとりは安倍政権を2分してけたたましい。安倍が18日麻生に「経済対策は、景気の腰折れを防ぐためだけでなく、成長軌道を確かなものにする必要があり、一時的なカンフル剤のようなものでは不十分だ」と述べ、法人税減税を含めた具体策の検討を指示。


これに対して麻生は「消費税率の引き上げによる増収分は、原則として、社会保障に充てることになっており、消費税率の引き上げに伴う経済対策として、法人税の実効税率を引き下げることは理解が得られない」と跳ね返した。真っ向からの対立である。


これに安部側近や党幹部らも加わって、対立は鮮明化。経済財政担当相・甘利明が来年度からの引き下げを主張すれば、自民党副総裁・高村正彦が参戦して「この際、一気に法人税を下げようというのは強欲ではないか。いきなり数兆円もの実効税率下げというのは、国民の理解は得にくい」とエスカレートするばかりだ。


安倍にしてみれば後生大事のアベノミクスへの影響を何としてでも最小限に食い止めたい。景気の腰折れは避けたい。本来なら消費税3%アップも先送りしたいところだが、とても無理と分かって5兆円規模の経済対策をやることで妥協した。


消費税3%の税収が8兆円だから、2%相当分を“分捕った”わけだ。しかしそれが大型の補正予算案の編成や公共投資、低所得者層への現金給付、企業に設備投資を促すための投資減税など“一過性”の財政出動にとどまっているうちは問題ない。ところが安倍の言う本格的法人税減税となるとがらりと性格が変ぼうする。


つまり冒頭述べた政府の食言へと変わるのだ。政府は国会対策でも国民への説明でも「社会福祉の充実のため」と消費増税の社会福祉目的税化を明言してきたのだ。それを法人税に回すのでは、まさに御政道が成り立たない。法人税1%引き下げれば4000億円の減収になる。


もし5%引き下げるとすれば、2兆円を消費税8兆円から食うことになる。経済財政諮問会議の民間委員のなかには「法人税率の引き下げは、消費税率を上げることによって広がったスペースを利用してできるのではないか」と愚の骨頂の意見を述べた者がいるというが、スペースなどどこにあるのか。言った委員の顔が見たい。


要するに、アベノミクスももちろん大事だが、あまりに“嘘”の露呈が早すぎるのだ。さすがの財務省も福祉目的税で拝み倒して成立を図った以上、手のひらを返すわけには行くまい。基本的には反対だが、安倍があまりに強硬なので恐ろしくなって妥協策をにじませるようになった。


それを反映して麻生も17日の記者会見で「引き下げは来年度以降にどれくらい税収が上振れするのか見極めてからだ」と発言、中長期的な課題とするところまでおりた。少なくとも来年度は見送らなければならないという線に持ち込もうと言うわけだ。


その妥協策としては、現在38%となっている法人税のうち、14年まで上乗せすることになっている復興特別法人税の3%を一年前倒しで廃止する案がある。加えて今年実施した年間給与を5%上げた企業に対する減税を2〜3%にまで上げた企業に引き下げる構想もある。


いずれにしても本格的な法人税減税と言うより弥縫策(びほうさく)だ。自民党税調会長・野田毅は「この秋の税制改正では検討しない」とまで言い切っており、安倍が当面は本格的法人税減税に踏み込むのは容易ではあるまい。


そこで安倍と麻生の“対立”がどこへ向かうかだが、対立から妥協案をはじき出す形を取ることによって、財務省内を納得させ、企業の了解も取り付けるという両面作戦が浮かび出るのだ。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月18日

◆思考停止の朝日の集団的自衛権論

杉浦 正章



野党の理論支柱にはとてもなり得ない
 

朝日新聞が「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の開催に合わせて17日、集団的自衛権の行使容認に真っ向から反対する社説を打ち出した。一方、首相・安倍晋三は行使容認に事実上踏み切っている。左傾化する民主党代表・海江田万里は右派を無視するかのように反対に傾斜し始めている。


この結果集団的自衛権の問題は、規模は小さいが1960年の安保改定論議に類似した左右の対決軸が構成されつつある。安保闘争との決定的な違いは、朝日の構築した反対の理論武装が、最初から破たんしていることだ。


旧態依然の安保観を墨守し、緊迫した極東情勢の変化に思考停止状態を続けているのである。何と集団的自衛権の行使は「日米同盟に亀裂を生む」と主張する“破天荒”さだ。海江田や公明党代表・山口那津男がいくら朝日の社説を勉強して理論武装しようとしても無理があることをこれから証明する。
 

まず質はともかく量だけは多い社説を大きく俯瞰すれば、現在日本が直面する国の安全保障環境に対する認識が根本から欠けていることだ。そこには北朝鮮が日本の都市を名指しして核ミサイル発射のどう喝をし、自衛隊艦船や航空機に射撃管制用レーダーを照射した中国が、今度は攻撃型無人機まで尖閣諸島近辺に向かわせている緊迫感など全くない。


ただただ安倍政権を「戦後日本の基本方針の大転換であり平和主義からの逸脱である」と批判する事だけが目標の論調だ。極東情勢の変化に目をつぶらなければ論理構築が不可能であることが、これに続く論理展開で分かる。
 

社説は「自衛隊は今日まで海外で一人の戦死者も出さず、他国民を殺すこともなかった。9条による制約があったからだ」と主張するが、それを許した環境があったことを無視している。東西冷戦の谷間で日本は出る幕はなく、近年の戦争は遠くベトナムや中東で行われた。


ところが今回の場合は極東のしかも好戦的な隣国が、どう喝を繰り返すという事態である。自衛隊員の戦死者どころか国民の戦災死が出かねない状況下である。首相・安倍晋三が法制墾冒頭で「いかなる憲法解釈も、国民の生存や存立を犠牲にするような帰結となってはならない」と言わざるを得ない情勢なのである。朝日のお得意の一国平和主義が通用しない状況なのだ。


さらに社説は「安倍政権は内閣法制局長官を交代させ、一部の有識者が議論を主導し、一片の政府見解で解釈改憲に踏み切ろうとしている」と切りつけている。これも、大きな論理の飛躍がある。自民党は2度にわたる国政選挙で党の公約に集団的自衛権行使を掲げている。その結果は衆院294議席、参院65議席の圧勝なのである。


原発再稼働とともに集団的自衛権問題は朝日が完敗して、自民党が勝ったのだ。その国民の審判を棚上げにした論理の展開はまさに唯我独尊としか言いようがない。
 

社説は具体論に入って「一緒に活動中の米艦の防護は、自国を守る個別的自衛権の範囲で対応できるとの見方がある。ミサイル防衛の例にいたっては、いまの技術力では現実離れした想定だ」と指摘している。反対論者の多くが「個別的自衛権で十分対応できる」ことを反対論の寄りどころとしている。


個別的自衛権とは自国に対する他国からの武力攻撃に対して、自国を防衛するために必要な武力を行使する、国際法上の権利を言う。しかし戦争というのは何でもありである。在日米軍基地が攻撃されない事態や日本の領土が攻撃されていない状態での戦争突入は十分あり得る。机上の空論では「ないとしている」のであって、世界の戦史を見れば十分すぎるほど事例はある。

ミサイル防衛が現実離れしていると言うが、命中の確率は日進月歩で上がっており、実用の範囲内だ。北から米本土に行くミサイルを迎撃できないというが、これも空論だ。将来艦船に搭載するようになったら北はどこからでも撃てる。中国も弾道ミサイル潜水艦である094型原子力潜水艦を運用しており、とっくに太平洋上のどこからでも発射できる態勢を整えている。
 

社説はこともあろうに「性急に解釈変更を進めれば、近隣国との一層の関係悪化を招きかねない。そんなことは米国も望んでいまい。米国が何より重視するのは、中国を含む東アジアの安定だ。日本が中国との緊張をいたずらにあおるようなことをすれば、逆に日米同盟に亀裂を生む恐れすらある」と、はちゃめちゃな論理を展開して1人“佳境”に入っている。


「一層の関係悪化路線」を進めるのは中国と北朝鮮なのであって、日本から軍事圧力を仕掛けたことなどただの一度もない。「米国は望んでいない」と言うが、社説子は一部学者の主張をうのみにして日日のニュースすら読んでいないのか。


5日のオバマとの会談で安倍が集団的自衛権行使の方針に言及し、オバマが歓迎の意を伝えているではないか。山口が「同自衛権つぶしができないか」と米国に行ったものの国防長官首席補佐官・リッパートは「日本が集団的自衛権の行使を解禁し、国際社会でより積極的な役割を果たすことを米政府は歓迎する方向だ」と明言しているではないか。
 

「日米同盟に亀裂が入る」に至ってはまさに噴飯物だ。国防予算の削減は米国の極東戦略に日本の軍事力を組み入れざるを得ない状況となってきており、安倍の方針はまさに渡りに船なのである。中国と米国の関係を経済関係だけで見るのは甘い。中国の著しい台頭とその海洋進出は米国にとって最重要な安保戦略の対象にならざるを得ないのだ。


このように野党や左翼の理論的な支柱である朝日の論調が、容易に論破できる矛盾と撞着に満ちあふれているのである。野党は臨時国会に向けて同社説を根拠に追及することはあきらめた方がいい。レベルが低すぎるのだ。別の資料で勉強し直せ。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家) 

2013年09月17日

◆亡国の1_・シーベルト神話から離脱

杉浦 正章


政府は被害者に“本音を”語るときだ
 

見る影もなく首相官邸を追われた民主党政権が、玄関と首相執務室に二つの“不可能神話”を置き土産にした。玄関前には「賽の河原の石積み」である尖閣問題。執務室には「シジフォスの石運び」である「除染1_・シーベルト神話」である。その「苦役」に政治があえいでいる。


尖閣はさておき、除染神話はマスコミとりわけ朝日やNHKの過剰報道で作った“風評”に乗った民主党のポピュリズムがなせる業である。自然から浴びる放射能値より低い除染をどう達成するのだろうか。


できないことを永遠にやり続けるのが「シジフォスの石運び」だ。シジフォスはゼウスに巨石をコーカサスの山上に運び上げるよう命じられ、散々なる苦労の結果やっと頂上に運び上げた。


そのとたん、ゼウスによってその石は麓へと転げ落ちるのだ。まさに亡国の「1_シーベルト」であり、首相・安倍晋三はマスコミに踊らされた二重苦三重苦の避難者たちに1_・シーベルトの無意味さから説き、問題を解きほぐさなければならない。


NHKが勝ち誇ったように15日「原発ゼロ」を報じた。大飯原発が定期検査で可動をストップしたことをとらえて「再稼働は国に厳しく問われて不透明」と報じたのだ。果たして不透明か。完全なる誤報だと思う。


規制委は地下に活断層がないと分かって、定期検査後の再稼働の方向を表明しているではないか。事ほど左様にNHKと朝日は、原発に関して恣意的な報道を繰り返す。これにもっとも“洗脳”されてしまったのが福島の16万人の避難者たちだ。無理もない。


今にも白血病になるような報道を朝から晩まで続けられれば、筆者でも住んでいれば不気味になって逃げ出したくなる。ところがその報道を逆手にとってポピュリズムの極致を演じたのが民主党政権であった。


原発事故終息・再発防止担当相であった細野豪志は国会でマスコミにこびを売る答弁を繰り返した。当初は首相・野田佳彦以下「年間の追加被曝線量20_シーベルト以上」としていたが、その後、「年間5_シーベルト以上」になり、ついに細野の「年間1_・シーベルト以下」答弁に至るのだ。


1_・シーベルト以下がどういうことかと言えば、まさに達成不能の神話なのである。そもそも日本人が浴びている放射能は太陽など自然に降り注ぐものが1.5シーベルトあり、これにレントゲン検査を平均すると4_シーベルト、食物から0.5_シーベルトで合計が6_シーベルトを浴びているのだ。


あまりにも科学に無知な細野答弁がその後一人歩きすることになる。1_が基準になってしまったのだ。


原子核物理学者の元文相・有馬朗人は「日本人が太陽など自然に受けているのが1.5_シーベルト。1年間に浴びる量が20_シーベルトでも低すぎると思う。過剰に防護しています。50_シーベルトで十分」と断言している。有馬のような学者は勇気がある方で、ほとんどの学者がそう思っているにもかかわらず、口を開かない。


マスコミから干されるのがそれほど恐ろしいかと言いたい。しかしマスコミもようやく読売が「1%」に異を唱えた。12日付の社説で「1_シーベルト」への拘(こだわ)りを捨てたい」と題して「住民の中には、直ちに1_シーベルト以下にするよう拘る声が依然、少なくない。


人間は宇宙や大地から放射線を浴びて生活している。病院のCT検査では、1回の被曝線量が約8_シーベルトになることがある。専門家は、広島と長崎の被爆者に対する追跡調査の結果、積算線量が100_シーベルト以下の被曝では、がんとの因果関係は認められていないと指摘する」と主張し始めたのだ。


反対者は読売の購読を拒否しかねない主張であり、新聞としては相当勇気が要る。逆に朝日は13日付けの社説で「どこまで除染を進めるか、詰めた議論も必要になろう」と読売のように数字を掲げずに逃げている。狡猾さ丸出しの社説だ。朝日は居住可能な放射線量を明示すべきだ。
 

さらに加えて、日本人の島国根性の偏狭さを露呈しているのが、首相・安倍晋三の国際オリンピック委員会(IOC)におけるスピーチへの批判だ。共産党や脱原発政党のスピッツが何を言っても捨てておけばいいが、民主党の元厚労相・長妻昭のNHKでの発言は問題だ。


長妻は首相・安倍晋三が「コントロールできている」と発言したことを「世界に間違ったメッセージを発信してしまった。禍根を残すことになりかねない」とこき下ろしたのだ。自らの政権で事故を拡大させたことを忘れて、韓国などが風評を巻き起こす中でオリンピックを勝ち取った時の首相を批判するとは何事か。


相変わらず長妻の葦の髄から天井を覗く性格は変わらない。コントロールはできているのであって、できていなければチェルノブイリのように今頃屍累々(しかばねるいるい)ではないか。東京での開催に支障が出る可能性があるというなら証拠を示せ。示せるはずがないではないか。


一方で、馬鹿丸出し発言が自民党からまで出た。二階俊博の「あれだけスピーチを練習していくんだったら、韓国、中国に対するスピーチをちょっと練習したらどうなのか」発言だ。見当違いも甚だしい、いちゃもん発言とはこのことだ。二階も総裁候補から脱落して、方向音痴になったかのようである。


こうした馬鹿と阿呆の絡み合いもあって、右往左往の除染問題だが、これまで政府が行ってこなかったことがある。それは責任ある科学者を動員した福島の地元への勇気ある説得作業である。


シジフォスの神話を繰り返す時ではない。除染基準を大幅に緩和しても帰宅可能なことを被害者に説得するキャンペーンを展開するときだ。一部マスコミの反発は織り込み済みとして、政府は責任を果たすべき時だ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月13日

◆だらしのないマスコミの消費税判断

杉浦 正章



政治記者は“動物勘”を養え


消費増税に対する新聞の判断力の悪さは全くどうしようもない。同じ新聞でも川柳の判断の方が勝っていた。


朝日川柳では<消費税寝た子を起こす長談義> と官邸主催のヒヤリングなど頭から馬鹿にしていた。読売川柳でも<消費税自由研究まだ続き> と冷やかし、しまいには<千兆円背負う子どもに孫ひ孫>と、主筆ナベツネの指示で消費税反対に廻ったとみられる社説をぶった切っていたほどだ。


首相官邸詰め記者たちの判断は川柳にも負けたのだ。その背景には首相・安倍晋三の「政治主導」を際立たせようとする官房長官・菅義偉らの過剰なまでのミスリードがあった。“純真”なる官邸記者団はそれが見抜けなかったのだ。


筆者は純真とはほど遠いから、最初から判断は当たっていた。安倍がぶつぶつと先送り臭い発言をし出した当初から、「無理」と書いていた。特に2日朝送信の記事では「安倍は来月早々に消費税実施判断へ、官房参与大敗北で論議終息」と職を賭して踏み切った。


おっとっと職はもともとないから職を賭す意気込みで踏み切った。おまけに記事では「近ごろの新聞記者は右往左往した去年の解散判断と同じで、全く政治の展望が読めなくなったようだ。判断する度胸もないのだろう」と警鐘を鳴らしてやったものだ。


鋭い官邸記者がいたなら60人のヒヤリングを終えた段階の紙面で「首相、消費増税決断へ」と踏み切ったのであろうが、それができた社は1社もない。


その最大の原因は官邸にある。菅が最後の最後までミスリードした上に、政治音痴の官房参与の浜田宏一と本田悦朗が水戸黄門の印籠のように“デフレ対策”を掲げて「下におろう」とやっていたからだ。菅にいたっては8日の段階でもNHKの討論で「総理のデフレ脱却への思いは鬼気迫るものがある。


私は総理がデフレ脱却の鬼だと思っている。どうしたら脱却できるかが最優先だ」と“脅し”に出ていた。純真でない筆者は「たとえ鬼だって増税先送りなどできるわけがない」と高をくくったものだが、純真一途な記者たちは怖かったに違いない。


これに新聞首脳の軽減税率への思惑が絡んだ。朝日の社長が新聞への軽減税率導入を唱えれば、読売の会長で主筆の渡辺恒雄が社内でその影響力をフルに行使し始めた。


なんと読売は去年あれほど社説で「財政再建のための消費税不可欠論」を繰り返して、首相・野田佳彦の尻をひっぱたいていいたにもかかわらず、軽減税率の適用が少なくとも8%の段階では見送られるとなると、手のひらを返してしまった。


8月31日には正月に書くような大社説を掲げて「消費税率、来春の8%は見送るべきだ」と大転換。9月11日の社説に至っても「デフレ脱却を最優先し、来春の消費増税は見送るべきである」と、まるで日露戦争の木口小平のように死んでもラッパを離さない構えだった。


ところがさすがに政治部は論説に引っ張られてばかりはいない。各社に遅れをとったが12日の朝刊で「消費税来年4月8%、首相、意向固める」と踏み切った。


「安倍首相は11日、消費税率を来年4月に現行の5%から8%に予定通り引き上げる意向を固めた。増税が上向いてきた景気の腰折れにつながることを防ぐため、3%の増税分のうち約2%分に相当する5兆円規模の経済対策を合わせて実施する考えだ」と報じたのだ。

恐らくナベツネは社内的にも体裁が悪いに違いないが、読者の方は困ってしまうのだ。社説を読めば反対だし、一面トップでは実施だし、また裂きの刑に遭ってしまうのだ。


一方で朝日は読売より1日早く10日付朝刊で「安倍晋三首相は9日、来年4月に消費税率を8%に引き上げるための経済指標面での環境は整った、と判断した」と踏み切った。恐れ恐れの記事だが、格好としては読売に先んじたことになる。


11日付の社説では読売とは真逆に「消費増税―法律通り実施すべきだ」との見出しで「 反対論も強かったが、最新の経済指標は環境が整ったことを示している。安倍首相は、ぶれずに予定通りの実施を決断すべきだ」と主張した。


さすがに記事と社説は一致しており、読売のまた裂き紙面より整合性がとれている。朝日は「反対」と唱えれば「軽減税率を欲しがっている」と受け取られるとみて、ここは“矜持”を発揮せざるを得なかったのだろう。


このように消費増税という超重要政策課題で報道の判断は右往左往した。官邸が意図的にミスリードすると報道もこれほどうろたえるかということだ。昔の官邸記者団だったら間違いなく官房長官はつるし上げられていた。


昨年の解散判断でも全紙の判断がぶれたが、これは与野党を含めた情報を複合的に判断して打ち出す能力が欠けていた事に起因する。


いずれにしても政治記者の判断が弱体化していることを物語っている。企業経営と同じで、最後は必死の取材経験に基づいた“動物勘”が左右する問題である。刑事の嗅覚が衰えたといわれて久しいが、理詰めの社会で偏差値の高いだけの記者では激動期の報道はつとまらない。もっと動物勘を鍛えるべきだ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月12日

◆公明代表が集団的自衛権で軟化の兆し

杉浦 正章



ワシントンで党首会談を提唱


集団的自衛権の憲法解釈変更に真っ向から反対だったはずの、公明党代表・山口那津男が、ワシントンで「帰国後党首会談」と言い出した。集団的自衛権歓迎の米国の空気を知った上で、連立決裂のための党首会談を提唱することはあり得ない。恐らく集団的自衛権に“歯止め”をかけるなど条件闘争に転ずる兆候ではないか。


山口は本当に米政府が集団的自衛権を求めているのかを確認して、求めていなかったら、これをてこに首相・安倍晋三を思いとどまらせようという“魂胆”であったが、どうもこれが外れたようだ。ミイラ取りがミイラの様相なのである。


シリア問題で目がつり上がっていた米政府高官も、ロシアの斡旋で一段落の流れが見えたようで11日は国務省でバーンズ副長官が山口と1時間会った。これに先立つ10日には国防長官首席補佐官・リッパートと会談した。


リッパートは「日本が集団的自衛権の行使を解禁し、国際社会でより積極的な役割を果たすことを米政府は歓迎する方向だ」と米政府の立場を鮮明にしている。


山口は「この問題は慌てずに議論することが大事だ」と、改めて慎重な姿勢を示したが、リッパートは面食らったはずだ。決めるのは安倍であってリッパートではないからだ。山口は言われっぱなしでは国内向けに格好が付かないため、創価学会向けに発言したのだろう。しかし、米政府の明確な方針を改めて直接聞いたことは、胸に響いたようだ。
 

その後同行記者団との懇談で従来の集団的自衛権問題への“極左も真っ青”な反応を転じて、安倍との党首会談に踏み込んだ。「連立与党だから、合意形成に努めるという姿勢があるべきだ。それがないと国民も同盟国も不安に思うだろう」と述べたのだ。


参院選の最中に「断固反対」と述べ、党幹部らには「皆さんは集団的自衛権のことで連立を離脱したくないでしょうねぇ」と連立離脱の可能性までほのめかしていた態度は急変である。


自公党首会談については幹事長・石破茂も近く党首会談が実現するとの見通しを示し、「協議をいつスタートさせるかは党首会談にかかるところが大きい」と指摘している。要するに党首会談を集団的自衛権に関する自公協議をスタートさせる入り口にしようというものだ。


安倍は基本的には年内にもこれまでの政権が維持してきた「集団的自衛権については国際法上は保有するが、憲法上は行使不可」との憲法解釈の変更を閣議決定する方向だ。集団的自衛権の行使は、自衛のための必要最小限度の実力行使に含まれる方向を打ち出すものとみられる。


既にそのための環境整備は整いつつある。辞任で抵抗しそうな内閣法制局長官を更迭、解釈変更論の小松一郎に差し替えた。そのための理論武装を整える安保法制墾も近く再スタートさせ、結論を受けた上で年内に閣議決定する防衛計画の大綱に反映させる。


同時並行的に国家安全保障戦略を策定するための「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・国際大学学長・北岡伸一)の初会合を12日に開催する。同懇談会は包括的な安保政策をうち出す方針である。


北岡はNHKとのインタビューで集団的自衛権の行使について、「結束していれば個々の国が襲われる可能性が低く、個別的自衛権はよいが集団的自衛権はだめだというのは、最初から間違った考え方だ」と述べている。安倍がとりまとめを求めている「国家安全保障戦略」に集団的自衛権の行使容認を盛り込む提言にしたい考えであろう。


このように安倍は既成事実をどんどん固めており、通常国会には関連法案を提出する流れである。まるで公明党の存在を無視するかのような展開である。安倍には中国と北朝鮮の軍事圧力に対抗するには、憲法改正を待っている余裕はないという判断がある。


第1次安保法制墾が提出した報告書が強調した「先例墨守や思考停止の弊害に陥ることなく、憲法規定を虚心坦懐(たんかい)に見つめ直す必要がある」という路線を推進しようというわけだ。極東の環境変化に対応できていない憲法解釈を後生大事に守っていられる時ではないというのが安倍の腹だろう。


野党も維新共同代表・橋下徹が10日、「時代や状況とともに憲法解釈が変わるのは当たり前だ。今の国際情勢からみれば、認めないといけない」と述べ、憲法解釈の見直しを容認する考えを示したことは大きい。これに民主党内右派の同調を得て、場合によっては公明党抜きでも不自由しない状況を作り得るからだ。


山口はこの時期の訪米を、自らの「断固反対」発言で振り上げた拳の降ろしどころを模索するための方便として設定したのだろう。山口は米国で「両党間で接点を見い出せるかは分からないが、一番足りないのは、これまでの考え方を変えようとする側の主張や論証だ。最終的に、国民が理解できるかどうかが必要条件だ」と述べている。


本当は「国民が理解できるかどうか」ではなく「創価学会婦人部が理解できるかどうか」の説得材料が欲しいに違いない。


したがって安倍は山口の「条件闘争」を実現可能にすることも考慮に入れる必要がある。地球の裏側まで米軍に付いていって、戦争に参加するような誤解を解かなければなるまい。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月11日

◆「尖閣打開策」が浮き沈みの内幕

杉浦 正章



石原慎太郎の姑息(こそく)さが露呈


尖閣国有化から一年を振り返ると、日中双方の失ったものの大きさを今さらながらに想起せざるを得ない。すべての問題は、都知事であった石原慎太郎による「東京都の尖閣購入」発言という“仕掛け”に端を発するが、本人は卑劣にも民主党政権のせいにして“頬被り”を決め込んでいる。


水面下では元外務省首脳などが打開策の動きを見せたが、首相・安倍晋三はこれを却下して、事態は一触即発の状態のまま推移している。


しかしG20 での日中首脳立ち話会談など一歩前進の動きも生じている。これを一歩前進二歩後退でなく、せめて一歩前進半歩後退にとどめる動きにつなげなければならない。裏話を披露しながら、1年間を検証する。


色々政治家を見てきたが、石原ほどいけしゃあしゃあと姑息(こそく)なうそをつく政治家は見たことがない。11日付の朝日新聞のインタビューでは自らの発言を覆して「地方自治体が買った方がよかった」と東京都が買うべきだったと述べている。


「都が購入すればどんな因縁の付け方がある?」なのだそうだ。加えて「野田政権がこれは人気取りになると思っただけの話。民主党政権は読みも浅くて目先のことしか考えない」と首相・野田佳彦をこき下ろしている。


しかしこれは全く“史実”と異なる上に詭弁(きべん)だ。石原は昨年4月に尖閣購入を米国で表明した後、「国が買うならそれでもよい」と発言、集めた寄付金を国の購入資金に回すことまで提案しているではないか。昨年8月19日野田と首相官邸で極秘裏に会談して、国が購入する方向で一致している。


そもそも石原が東京都が購入などという荒唐無稽な構想を打ち出した意図は、野田に国の購入を促すための策略であったのだ。詭弁と言う理由は、都が購入して、石原が職員を常駐させたり、船だまりを作ったりすれば、それこそ日中激突に発展していただろうからだ。都購入による日中戦争だ。


それを「野田の人気取り」というのは、卑怯未練なる責任転嫁に他ならない。


しかし野田の対応にも大きな失策がある。野田は石原との極秘会談を経て、当時の外務副大臣・山口壮を8月末に中国に派遣、国務委員・戴秉国に「国が購入する方針だが、これは石原の動きを押さえ混乱を回避するための措置でもある」「建造物など建てないという従来の方針は変えない」ーなどの方針を伝えた。


これに対する戴秉国の感触を山口は野田に「甘く伝えた」(政府筋)というのだ。これが9月9日の野田と国家主席・胡錦濤との立ち話会談にまで及んだ。英語の通訳しかいない要領を得ない会談で「野田はそれほど強く胡錦濤は反対しなかったと感じ取ってしまった」(政府筋)というのだ。


これが会談後たった二日で購入の閣議決定に踏み切った“誤算”につながる。反対したにもかかわらず、こけにされたと激怒した胡錦濤がかってないほどの反日デモ扇動を指示したのは言うまでもない。野田は明らかに“詰め”が甘かったのだ。


この反日路線は党内基盤が確立していない習近平も受け継いだ。習はいまだに基盤が確立しておらず、国内の情勢も貧富の差の拡大や汚職批判などが原因となる暴動やデモが繰り返されるなど極めて不安定だ。元共産党幹部・薄熙来の裁判などで垣間見せる党内の権力闘争の激しさは習の基盤の脆弱さのみを際立たせる。


習は尖閣なしでは基盤の構築が困難とも言える状況なのだ。しかし、中国政府がこのままでいいと思っていない事情は、主として経済問題から台頭している。


今年1〜6月の日中貿易は前年同期比10・8%減、日本の対中投資は同31%減に落ち込んだ。日本企業が1千万人超の雇用を生みだしている現実も無視できないのだ。


これを反映して尖閣問題でも微妙な変化が生じている。国有化の当初は「購入による国有化取り消し」を要求していたが、今の対応は「日本は領土問題の存在を認めるべきだ」にまで柔軟化している。


こうした事情を背景にさる6月に日中間で一つの打開策が水面下で生じた。元外務省首脳筋が中国の人脈を通じて動いたのだ。政府筋によるとその中から生じた打開策の骨子は「日本側は領土問題の存在は認めない。ただし中国が領有権を主張することは妨げない。その上で問題を棚上げする」というものだ。


同筋によるとこの打開策は安倍にまで上がったが、安倍は棚上げは領土問題の存在を認めることになるとの立場から、これを却下したといわれる。


しかし、安倍にしてみれば東京オリンピックを視野に入れた場合、筆者の主張するように「五輪デタント」は何が何でも達成したいところであろう。


元外務次官・栗山尚一が 「国際的な紛争を解決する方法は三つ。外交交渉、司法的解決、解決しないことでの解決。最後の方法は棚上げとか先送りとか言えるだろうが、尖閣問題を沈静化させるにはこの方法しかない」と述べている通りだ。棚上げが嫌なら先送りでの問題凍結を実現するしかない状況に立ち至っているのだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2013年09月10日

◆北東アジアは「五輪デタント」好機到来

杉浦 正章


安倍はフルに活用して中韓と“共栄”を目指せ


2020年東京オリンピックが北東アジア情勢にいかなる影響をもたらすかだが、日中にせよ日韓にせよ一種の“緩衝材”的な役割を果たす可能性が大きい。北朝鮮に対しても活用できる。これを奇貨として安倍は「五輪デタント(緊張緩和)」を目指して、北東アジアの政治情勢改善へのイニシアチブを発揮すべきである。


スポーツの祭典を前にして中国が尖閣への軍事攻勢を強めれば、アフガニスタン侵攻でモスクワオリンピックがボイコットを受けたのとは“真逆(まぎゃく)”に、世界中から「オリンピック妨害」の総スカンを食らい孤立することは必至である。


ここは少なくとも開催までの7年間のデタントが共通の利益になり得る。五輪を北東アジア“共栄”への礎とすべきであろう。


オリンピック東京開催で中国と韓国の代表紙の社説をつぶさに検証したが、まず東京開催そのものについては両紙とも歓迎している。


中国共産党機関紙で人民日報傘下の国際情報紙・環球時報が「われわれはここに日本人に祝意を表すとともに、彼らが今後7年間で順調に準備を進め、五輪を成功させることを祈りたい」と祝意を表明。「日本での五輪開催は中国人にとって、地理的なメリットもある。テレビ中継を見るにも時差はほとんどないし、現地に観戦に行くにも都合がいい」と歓迎している。


中央日報も「東京の五輪招致を祝い、開催の成功を祈る」と歓迎の意を表明した。中央日報はこれまで、「放射能問題の安全より五輪招致が重要なのか」と題する社説を掲載「期限内に汚染水問題を解決できなければ、五輪招致を自主的に放棄するという覚悟を示せ」と、韓国政府と歩調を合わせて招致妨害工作の一端をになってきたが、手のひらを返した。


しかし、東京招致を受けた安倍政権の今後の路線については正反対の分析を展開している。環球時報は「今後7年間日本はおそらく少し温和になり、それほど居丈高でなくなるだろう」と予想している。


これにたいして中央日報は「国内の一部からは、安倍政権の右傾化が五輪招致を契機に加速するという懸念が提起されている」と分析している。


両紙の主張でもっとも注目すべき点は環球時報が「常識的に考えて、日本は五輪開催まで中国との軍事摩擦を回避し、東中国海(東シナ海)の平和と安定を維持する必要がある」と主張していることである。


加えて歴史認識問題に言及「日本政府が今後数年間に靖国神社問題で再びごたごた動いた場合、中韓は五輪への国際世論の特殊な関心を利用して、第2次大戦の戦犯に政府が頭を下げる国が、平和を発揚する五輪を開催するのに一体適しているのだろうかと世界中の人々に問うことができる」と“どう喝”している。


中韓共同戦線で「反東京五輪プロパガンダ」を展開するという姿勢だ。中央日報も「 日本は歴史認識・領土などの問題で周辺国との葛藤・緊張を高める措置を自制しなければならない。局地的な紛争でもあれば、五輪の雰囲気に冷や水を浴びせる」と類似のけん制を展開している。


両紙とも尖閣諸島と竹島問題を念頭に置いているのであろう。いずれも主張は、唯我独尊的である。尖閣諸島の領海内に公船をたびたび立ち入らせ、大統領がこれ見よがしに竹島に上陸して挑発行為を繰り返すという自らの対日強硬策を棚上げしている。


しかし、両紙とも、共通して言えることは極東でオリンピックが開催されること自体は歓迎なのである。反対すれば国民感情から浮き上がる側面があるのかも知れない。今後の日本外交にとってのポイントはここにある。


尖閣については筆者は「先送り」しかないとたびたび主張している。次世代までの先送りが望ましいが、ここは少なくとも五輪までの7年間の先送りを意識すべきだ。


日中両国とも東京オリンピックへの世界の期待を裏切るわけにはいくまい。ソ連によるアフガニスタン侵攻が1980年のモスクワ・オリンピックボイコットにつながったことを忘れてはならない。戦争や紛争は五輪を台無しにする。極東に刺さったとげである尖閣の取り扱いは、東京開催で国際社会が絡む問題となったのだ。


環球時報も中央日報も、日本が紛争を起こすかのような論調だが、全く逆だ。習近平も朴槿恵も国内の不満のはけ口を日本に向けるという安易な政治姿勢を取り続けると、災いは必ず自らに降りかかることを肝に銘ずるべきだ。


安倍も改憲や集団的自衛権問題、敵基地攻撃能力確保は自らの信念に従って推進して行けばよい。いずれも基本的には国内問題であり、中韓が内政干渉するべき問題でもない。また、自らの姿勢を棚上げにして「右傾化」と批判することは全く当たらない。


しかし、首相による靖国参拝は、誤解を生ずるだけであり、思いとどまるべきだ。東京オリンピックは天の配剤か極東に新たな、そして共通の価値観が必要とする状況をもたらしたのだ。安倍はこのチャンスを見逃すべきではない。


オリンピックの成功は中国、韓国との経済関係好転も重要なポイントとなる側面が大きい。中韓両国にとっても観光事業などでプラスとなることは必至だ。環球時報が「もし日本がオリンピックで“第2の台頭”果たせれば、東アジア地域の経済全体に新たな活性化をもたらし、国家間の協力を刺激することになる。中国への脅威にはならない」と指摘している通りである。


オリンピックは“共存共栄”を果たすチャンスとしてフル活用すべきである。まかり間違っても逆コースをたどってはならない。

   <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

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