2012年11月07日

◆野田政権は断末魔、持っても1月までだ

杉浦 正章

 
夏に約束した「近いうち解散」だがもう立党だ。こともあろうに首相が解散でうそをつき、その後の改造ではまさかの「両田中論功行賞人事」で大失態に次ぐ超大失態の連続発生。すべてが自分が掘った穴に自分が落ちた形だ。この首相・野田佳彦の体たらく、そして民主党政権が3代にわたって“立証”した統治能力の欠如。民主党には恩も恨みもないが、公平に見てもう無理だ。末期症状だ。


恐らく国民大多数の願望は政権交代にある。解散・総選挙の日程にばかり目が行くが、発想を転換して政権が持つかどうかをあえて予測すれば、長期の特別国会になるか通常国会になるかは別として、国会審議を伴う次の国会を野田が招集することは80〜90%の確立でない。早ければ年度末、遅くても1月までが政権の限度だ。戦争や天変地異でも発生しない限り継続はない。
 

自民党総裁・安倍晋三がテレビで「今月22日までに解散がないと年内選挙の準備が整わない」と述べたことをとらえて、新聞が22日が年内解散の限界と書きまくっているが本当か。解散という何物にも優先される最高の政治テーマが机上の空論で左右されるのか。


新聞は「遅くても12月4日公示、同16日の投開票の日程が有力。公示までの準備には10日間程度が必要で、解散の期限は今月22日になる」という。しかし、これは安倍が野田を追い詰めるための“戦略”として期限を区切ったことにすぎない。実現すればめでたいことだが、実現しなくてもいくらでも日程は立てられる。
 

過去の歴史を見れば12月下旬から1月にかけての解散の事例は戦後4回ある。吉田茂が12月23日、鳩山一郎が1月24日、佐藤栄作が12月27日、海部俊樹が1月24日だ。事態の進展によってはいくらでもバリエーションが利くのだ。田中角栄による72年の日中解散は11月13日だったが、その後の特別国会は通常国会に代わるものとして召集され、280日間の長期にわたっている。
 

こうした日程を念頭に置けば、ちまちました“安倍日程”に必ずしもこだわる必要はない。もちろん安倍が解散を急ぐのは野党の戦略として当然のことだが、その先にバリエーションがあるのだ。


安倍は野田が「近いうち解散の確約」を「『うそつき』と言われないように頑張りたい」と発言したことを取り上げ、「何をどう頑張るのか、今週中に明らかにすべきだ」と述べ、野田に対し、年内解散に踏み切ることを今週中に確約するよう求めた。しかし安倍の戦い方の欠点は、これを直接野田に申し入れるのではなく、メディアに向けて発信していることだ。もどかしいのだ。
 

このため野田からは「メディアを通じた文通みたいだ。何か聞きたいことがあるのならば、むしろ国会での党首討論で、国民の見える前でやった方がいいと思う」と言われてしまったのだ。民主党の戦略は党首討論で安倍の赤字国債への対応をあぶり出して、法案成立への一里塚にしようというところにある。


また党首討論を14日に設定したのは少しでも遅らせたいという幹事長・輿石東の姑息(こそく)な思惑がある。時期はともかくとして、安倍は躊躇せずに党首討論に応ずるべきだ。
 

こうして安倍の早期確約要求戦略がまさに佳境に達しようとしている。野田が何らかの形で再約束すれば、それでけりがつく。しかしずるずると引っ張れば一定期間は引っ張れる。安倍は今週の確約に拘泥する必要はない。なぜならここまでくれば早期解散日程の選択肢はいくらでもある。


野田政権の「追い詰められ度」は尋常でないところまで来ているのである。田中真紀子の超大失態でとどめを刺される寸前まで来た。世論は、ごうごうたる政権批判の渦だ。


田中はずるがしこくも、自らの大失態を覆い隠すために「新しい基準のもとでもう一回審査をする」と“糊塗策”にでた。まさに誰もが分かる浅知恵であり、人生設計を狂わされる若者の気持ちなどつゆほども考えていない。先延ばしは事態をさらなる悪化に持ち込むことが分かっていない。
 

官房長官・藤村修はこの期に及んでも文科相の専権事項扱いしているが、野田の任命責任が免れるとでも思っているのとしたら甘い。政権は末期のそのまた末期にまで到達した。野田は当面の解散要求をかわしても、もう絶対に外れることのないトラバサミにかかったタヌキであることを認識すべきだ。国のためを思うなら次期政権による予算編成の余裕を残して潔く直ちに解散するのが憲政の常道だ。


臨時国会解散をたとえしのいでも通常国会冒頭解散は避けられない。もちろん野田が招集することになるが、事実上解散のための招集となる。その後の特別国会は次期政権が招集する。いずれにしても退陣が避けられないのなら、現段階で決断することが国民へのせめてもの“おわび”なのだ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年11月06日

◆「暴走婆」田中が民主政権にとどめの一撃

杉浦 正章
 


「暴走馬」ならぬ「暴走婆(ば)」が予想通りの再登場である。思いつきのごとく文科相・田中真紀子が3大学による来年度の新設申請を不認可と裁断した。「学生も職員も人生が大きく変わる」(自民党総裁・安倍晋三)という愚挙だ。


問題は首相・野田佳彦も官房長官・藤村修も事前に報告を受けながら、問題の所在を掌握せず、これを黙認したことだ。当然野党は最大の追及材料が転がり込んだことになる。政権全体の責任問題として野党は追及することになろう。
 

安倍は5日のテレビで珍しく個人攻撃に出た。田中が秋田公立美術大、札幌保健医療大、岡崎女子大の新設申請を却下したことに関して「彼女と一緒に仕事をして彼女を褒める人を1人も見たことがない。日日言うことが違うし、平気でうそを言う。性格的な問題に根ざしていて、尋常な人ではない」と切り捨てたのだ。


たしかに立ち居振る舞いは尋常ではない。過去に文科相の諮問手続きを経て何年も検討した揚げ句、認可する直前にまでいっていた問題を根底から覆したのだ。答申が覆された例は、少なくとも過去30年間はない。雨後の竹の子のごとき“駅弁大学”制度を変えたいのなら、制度を中央教育審議会などを経て正面から改革すべきであり、既に文科省が積み上げた個個の新設方針をひっくり返しても制度は改正されない。短絡の極みのパフォーマンス政治である。
 

田中の言動の根底を分析すれば、ファザー・コンプレックスにたどり着く。そこには父・角栄の天才的なひらめきの政治があり、娘として常に比較されるから、これを何とか乗り越えたいという願望が深層心理に存在するのだ。


ひらめきの政治と言うが角栄は、常に人一倍努力をする政治家であった。多忙な昼間を避け、深夜に起きて役所の文書にすべて目を通し、頭に入れた上で物事に対応した。人間関係はとりわけ大切にした。ひとたび接した官僚は、手のひらの玉のごとくいつくしんだ。その上での指導力の発揮であり、今の民主党政権のように頭から官僚を批判し遠ざけてしまっては、政治主導など成り立つわけがないのだ。
 

真紀子を「じゃじゃ馬」と呼びつつも愛していた田中は、何とかこの性格を変えられないかと日日悩んでいた。時には喧嘩して家中追いかけ回すこともあった。ある朝筆者が、朝駆けすると手に包帯を巻いて出てきた。真紀子を追いかけて転んでねんざしたのだ。しかしこの田中の努力は徒労に終わった。真紀子は政治家になると、異常なまでの独善主義に陥った。父親とは似ても似つかぬ鬼っ子になってしまったのだ。


田中でも教育し切れなかったじゃじゃ馬が野に放たれたのだ。外相になれば「外務省は伏魔殿」と、よって立つ基盤を批判。「人間には三種類ある。家族と使用人と敵だ」と、人間関係至上主義の父親とはまるで異なる宇宙の怪獣のごとき政治家となったのだ。
 

一番悪いのは真紀子が、父親の血と汗の努力の上で打ち出す天才的なひらめきの政治のうわべだけを真似するようになったことだ。それも洞察力も展望もなく単純計算でマスコミに売り込めると考えて見当違いの“ひらめき”をするのだ。安倍が「人の人生が変わるような問題は、普通の人なら考えるが、考えないのが田中さんだ」と形容したとおりだ。これが3大学の新設却下の根源にあるのだ。


それにつけても目につくのは事務次官以下官僚のだらしのなさだ。自分が積み上げた政策をひっくり返されても、卑屈に揉み手のお追従を繰り返しているのだろう。職を賭して大臣をいさめるべきところを、それをする官僚はいない。どうせ政権交代ですぐ辞める大臣に、首を切られても仕方がないというのが文部官僚の自己保身の本音であろう。
 

加えて、藤村がはからずも述べた問題がある。それは藤村が、記者会見で事前に田中から新設不許可の方針について野田や藤村に報告があったことを認めた点だ。おそらく問題の所在を把握せず、軽い気持ちで聞き流したのだろう。これは野党の追及のポイントになる。政権ぐるみでの対応への追及となる。


自民党幹事長・石破茂は「いかなる根拠に基づいて審議会と違う見解を示したのか。法的に瑕疵があったのか。思いつきではないということをきちんと述べてもらわない限り、誤った政治主導だ」と発言、追及の構えだ。


3大学の申請については、田中が誤りを認めて撤回して責任を取るしか方法はあるまい。撤回しなければ安倍が認可を認めているように政権交代で認可されることになる。


いずれにしても内政・外交上の失政を繰り返して国民を苦境に追いやる民主党政権は、国内に“北朝鮮”を抱えているようないら立ちを感ずるようになった。首相・野田佳彦は早期に解散して政権交代をしなければ、国家が危機的状態に陥ることを認識すべきだ。


<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年11月05日

◆野田の総辞職論はまず実現しない

杉浦 正章

 

貧すれば鈍すると言うが見通しのよかった民主党最高顧問・渡部恒三までピントが狂いだした。4日のテレビで内閣不信任案が可決されれば解散でなく総辞職だというのだ。憲法上は可決された首相は解散か総辞職を選択することになるが、憲政史上例のない総辞職などまずあり得ない。


民主党幹部の中には苦し紛れに不信任案とは関係なく首相・野田佳彦を引きづり降ろして総辞職させ、代表に前原誠司や細野豪を据えて総選挙に臨むと主張する向きがいるが、これも溺れる者はわらをもつかむの類いだ。悪あがきであり、まず実現しない。
 

2度にわたって野田は本会議答弁でろれつが回らない失態を演じた。普段なら笑って済ませられるが、ここまで政局が過熱した状態下では問題になる。首相の心理状態が最大の関心事だからだ。官邸詰め記者を13年やったから首相の心理は手に取るように分かるが、首相官邸という場所のストレスは並大抵ではない。どんなに精神が図太い政治家でも1年目が一番参る。


あの田中角栄が首相に就任して1年目を後日振り返って「就任早々は勢いでやれるが、1年目というのは神経が参る時期だ」と述べている。「1年目はキツネがついたように何が何だか分からなくなる。自分の椅子に天地逆になって座っているような気になる」というのだ。これまで入っていた情報は入らないし、行動も護衛付きで制限され、羽が伸ばせない。激務と焦燥感で常人ならおかしくなるような場所なのだ。
 

田中ですらそうなのだから、中の中くらいの政治家が首相になればストレスは並大抵ではない。森喜朗はテレビで「ストレスでろれつが回らなくなることや、前が見えなくなることもある」と述べた。「いじめられて朝が来ない方がいいと思ったこともあった」とも漏らす。あの巨体で悶々として寝返りを打ち、「朝よ来るな」というのだから相当なものだ。安倍のようにノイローゼ状態になるし、福田のように突如政権を投げ出すケースもざらだ。
 

そこで、野田がその政権をを投げ出す可能性があるかどうかだ。


渡部は「不信任案が通っても解散はない。総辞職すればいい。野田首相の今の考えでは不信任案が通っても解散はしない」と断言した。確かに解散をしなければ総辞職しかないことになるがその選択が可能かと言うことだ。


戦後史をひもとけば不信任案可決で総辞職をしたケースはない。吉田茂は2度可決されたがいずれも解散。大平正芳も宮沢喜一も解散を選択している。森と小泉純一郎は不信任案が本会議上程後の趣旨説明前に解散を断行しているから、不信任案は「未決」のままだ。羽田努のように不信任案が上程される前に総辞職したケースはあるが、これも言うまでもなく「未決」だ。


憲政には常道というものがある。一国の首相が国権の最高機関から不信任案を突きつけられて、なを未練がましく政権党にバトンタッチしようとするということは、あり得ないし、あってはならないことだ。


渡部は「総辞職したら民主、自民で大連立を組めばいい」と“大風呂敷”を広げるるが、蟻地獄へ落ちつつある政権に手をさしのべる野党があるわけがない。さすがに野田も総辞職は参院本会議で「内閣総理大臣としての責任を放棄するものだ」と否定した。あと6人が民主党を離党すれば不信任案が可決されうる状況に到るが、その場合は解散だ。
 

それでは不信任案と関係なしに総辞職があり得るかというと、これは全くあり得ない話しではない。総辞職して国家戦略相・前原誠司か政調会長・細野豪に代えるというものだ。たしかに「嘘つき首相」のイメージが定着した野田よりは総選挙向きの顔としてはいいし、民主党幹部の中には代表交代論があるのも確かだ。


しかしこれも悪あがきの最たるものでしかない。そもそも民主党幹部は、今民主党が問われている問題を分かっていない。3年間にわたる稚拙な政権運営と国民を欺く公約違反を繰り返してきた政権の本質を問われているのであって、「顔」の是非が問われているのではない。


賞味期限切れの生牡蠣をポリ容器を変えてまた売るようなことは、通用しないし、これほど国民を馬鹿にした話はない。「うそつき解散」はかつて宮沢がやったことだが「うそつき総辞職」は聞いたことがない。
 

「顔」を代えても野党の解散攻勢は変わらない。通常国会は冒頭から動かない。国民の生活第一代表の小沢一郎も4日のNHKで「野田さんは今政権を投げ出すべきではないと思っているように見える。景気対策もあるから総辞職は考えていない」と分析している。


民主党は地獄で悪あがきをしても、もう蜘蛛の糸は垂れて来ないのだ。さっさと諦めて野田のようにやけ酒でも飲んで解散に踏み切るしか手はないことを悟るべきだ。


<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年11月02日

◆「太陽路線」選択の“賭け”に出た自民党

杉浦 正章

 
筆者の「太陽路線しかない」という1日の予言がもう当たった。自民党がその解散戦略を大きく転換した。審議拒否の「北風路線」から審議入りを容認する柔軟路線に転じた。「近いうち解散」の約束を事実上反故にされかねないにもかかわらず自民党総裁・安倍晋三は、解散へのさらなる環境整備を求める首相・野田佳彦の言葉を信用するという“賭け”に出たことになる。


この“賭け”が完全に解散恐怖症に陥った民主党政権に利くかどうかだが、野田の主張する3条件を満たすのだから、野田が“背水の陣”に追い込まれたことは間違いない。
 

安倍は1日の街頭演説で衆議院の解散・総選挙について、「野田首相が言う解散の前提条件は私たちも積極的にやっていきたいので、約束を果たして年内に投開票を行うべきだ。野田首相がASEM(アジア・ヨーロッパ首脳会議)に出かけている間に各委員会の議論をスタートしても構わないし、赤字国債発行法案も含めて議論してもいい」と発言した。


これは総裁選後同党執行部が取ってきた「嘘をつく政府・与党を相手に国会審議に応じることにはならない」(幹事長・石破茂)という審議拒否路線を完全に撤回したことになる。これにより国家や自治体財政に危機をもたらす赤字国債発行法案不成立という事態は早期に解消される方向となった。
 

方向転換には1日の衆院本会議における安倍と野田のやりとりが大きく作用した。安倍の解散要求に対して野田は「先の党首会談で、『近いうちに国民に信を問うと申し上げた意味は大きく、環境整備をしたうえで解散を判断したい』という話をしたが、これは特定の時期を明示しないなかでのぎりぎりの言及だ」と発言した。


さらに、環境整備のテーマとして、赤字国債発行法案や衆議院の1票の格差、社会保障制度改革国民会議を挙げ、「条件が整えばきちっと自分の判断をしていきたい」と明言したのだ。


安倍はこの野田発言に全体重を乗せたことになる。本会議の発言であり、8月の密室での「近いうち解散」の約束とは異なって、ただの公約ではない。議事録に残る公約の最たるものである。安倍はこれをあえて信用するという“賭け”にでたのだ。
 

さらに審議拒否路線を進めれば、赤字国債を人質に取った姿の露呈となり、世論の矛先は自民党に向かう。安倍はせっかく世論調査によっては民主党の3倍にも達している支持率が急落することを恐れたのだろう。こうした自民党の柔軟路線に対して政権サイドは、依然解散拒絶反応を続けている。


官房長官・藤村修は、「解散に関して、条件や前提があるということはなく、それははっきりと否定している。関係ないことだ」と発言。幹事長・輿石東にいたっては「俺の言った通りだ。向こうから動いてきた」と漏らしているという。
 

藤村も輿石もひしひしと解散包囲網を感じているのだろう。“強がり”で突っ張っているが、やがてかく“吠え面”が見たいものだ。


だいいいち野田が前提条件を示しているのに「はっきり否定している」とは何事か。スポークスマンが首相の発言を否定してはどうしようもない。藤村は自らの落選を恐れているのかも知れない。


一方で野田の方は1日「解散は寝言でも言わないが、常在戦場だ」と述べた。この切羽詰まった時点での常在戦場発言は、明らかに選挙近しの野田の心情を印象づける。
 

ただその野田が「近ごろ少しヘンよ」なのだ。2日の本会議でもろれつが回らず、原発に関する答弁で「経験のない困難を伴うことから」と言ったまではよかったが、言葉に詰まってあとは「ことことこと」と言うばかりで、先が続かなくなった。頬をたたいて「すみません」と謝ったが、前日の若手慰撫工作で相当呑んだものとみられる。


近ごろはハイビジョンの大画面でアップの表情を見られるから観察がしやすいが、野田の目はこのところ真っ赤になっていることが多い。酒の飲み過ぎか、一夜を悶々として過ごしているのか、重圧感は相当なものだろう。気迫も感じられず、読売からは「燃え尽き症候群」と書かれてしまった。まるで安倍政権の末期のような状況となってきたのだ。
 

無理もない、マスコミの論説はこぞって早期解散。財界も1日は日本商工会議所会頭の岡村正が「来年度予算は、新内閣が編成に当たるべきだ」と、野田内閣を見放す発言をした。これで経済3団体はすべて早期解散要求と野田政権不支持を表明したことになる。加えて自民党が3条件を呑む柔軟路線を打ち出した。四面から楚歌が聞こえ、包囲網が狭まってきていることをひしひしと野田は感ぜざるを得ないだろう。


ただ自民党の柔軟路線は時間がかかる。今月半ばまでの解散で12月9日か16日の投開票を目指す日程は物理的に遅らさざるを得なくなる可能性がある。ただし佐藤栄作がかつて12月27日の土曜を投票日にしたが、土曜を入れれば年末までの日程はバリエーションがいくらでもある。臨時国会の延長もやがて俎上(そじょう)に登る可能性も出てきた。


<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年11月01日

◆野田の新条件は解散先延ばしとは言えぬ

杉浦 正章

 

首相・野田佳彦の国会答弁の焦点を端的に言えば、従来からの解散3条件に経済対策第2弾を付け加えたことが、解散先延ばしかどうかの一点に絞られる。浅薄に見れば先延ばしで衆参同日選挙などという見方に“発展”するが、そうではあるまい。野田は党内の「先延ばし論」と野党の「即解散論」の中間を狙って微妙な球を投げているのだ。


経済対策の決定を前提条件にしてもそれは11月末であり、十分「年内解散・総選挙」に間に合う。最高度の政治判断を賭けた攻防はまだ右も左も断定出来る状況にはなく、継続する。
 

自民党総裁・安倍晋三は今さら自らの病気引退を本会議で陳謝することはなかった。これから大げんかを始めようとするときに謝っていては勢いが削がれる。しかし質問の内容はポイントを突いていた。「潔く国家国民のために一刻も早く信を問うことこそが今や最大の経済対策。一度、解散を約束した政権は、その存在自体が政治空白だということを肝に銘じてもらいたい」と野田の“急所”を突いて早期解散を迫った。


これに対して野田は2度にわたって解散に言及した。まず最初は「解散近し」を思わせた。「先の党首会談で、『近いうちに国民に信を問うと申し上げた意味は大きく、環境整備をしたうえで解散を判断したい』という話をしたが、これは特定の時期を明示しないなかでのぎりぎりの言及だ。


環境整備の中でも急がなければならないテーマとして、赤字国債発行法案や衆議院の1票の格差、定数削減の問題、それに社会保障制度改革国民会議を挙げているが、条件が整えばきちっと自分の判断をしていきたい」と述べたのだ。


本会議場は「おう」という声で反応した。あきらかに解散に踏み込んだととれる答弁だからだ。しかし野田はこの反応を見逃さなかった。このままではまずいと判断したのだろう。答弁の最後の方で「来月中をめどに、日本再生戦略の実現や東日本大震災からの復旧・復興に資する第2弾の経済対策をまとめるよう指示を出している。


このような経済状況への対応も含め、やるべきことをやり抜き、環境整備を行ったうえ、解散を判断していきたい」と前言を修正するように新条件を付け加えたのだ。
 

この発言から野田の“心理状況”の推移を分析すれば、まだいずれにしても「言い切る段階は時期尚早」ということであろう。党内は離党者が続出して、その防止策に懸命だ。恐らく答弁で疲れ切っているのに夜は前日に引き続いて若手議員らを公邸に招いて慰撫工作をしている。


野田は離党防止と法案成立の2正面作戦を強いられているのだ。民主党内は解散先延ばし論が圧倒的だ。重要ポイントは野田がそれをストレートに反映した答弁をしていないことだ。解散をするつもりがないなら、年末の日ロ首脳会談に言及したり、よりストレートに否定出来る状況である。
 

経済対策第2弾を追加したことは、決定が11月末であることを考えれば、解散の大幅先延ばしには結びつきにくい。首相が今ここで解散に言及したらどうなるか。もう政界は野田など見向きもしなくなる。一挙に求心力は失せ、総選挙一色となるのだ。


野田が本当に「きちっと自分の判断を出す」のなら、党内を最後まで引きつけつつ土壇場で解散を決断するしか策はないのだ。自民党が「解散小僧」のように朝から晩まで解散を言い続けても無理なのだ。
 

だから自民党は、たとえ“食い逃げ”の可能性がわずかでもあっても、それを承知で“賭け”に出るしか手はない。審議拒否や法案人質化の北風作戦出なく、太陽作戦で解散への最後の内堀を埋めるのだ。3条件を早期に実現させてまず条件を整えるのだ。赤字国債発行法案は自治体が苦境に陥り、処理は急を要する。自治体の借金の利子は結局国民の血税から払わされる。これ以上成立を先延ばしにすれば矛先は確実に自民党に向かう。


定数是正も「0増5減」の自民党案を可決させればよい。もとより国民会議の設置は3党合意事項だ。本来なら公明党が赤字国債早期成立を唱えるべきところを、人質に取った主戦論を唱えて足並みに乱れを生じさせている。公明党は自らの選挙に跳ね返ることを考えるべきだ。いずれにしてもここは早晩、自公は環境整備を整える流れに向かうだろう。
 

そうなれば野田は、退路を断たれる。退路を断たれれば自らの発言通り「環境整備をしたうえで解散を判断したい」というところに落ち着かざるを得まい。野田が幹事長・輿石東をチヤホヤしている背景には、日本の政治の原点「味方もだまして事をなす」というところが垣間見えるのだ。味方をだますくらいだからマスコミは軽くだまされる。


しかし社説などでマスコミが共通しているのは、条件が整えば解散すべしだ。条件が整ってもさらに野田が公党間の約束を破り、国民を裏切れば、支持率は限りなくゼロに近づく。野垂れ死にの道をたどるだけだ。


<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月31日

◆石原新党は冷めたソース焼きそば

杉浦 正章

 

「新党」の来月発足が決まったが、石原慎太郎の突然の結成表明以来1週間で出てきたものは、「数合わせの野合路線」にすぎない。石原本人は「小異を捨てて大同につけ」と呼びかけ、キャスチングボートを狙った第3極を目指す姿勢を鮮明にさせているが、自民、公明両党連立で過半数の政権獲得の流れにストップをかけることは難しいだろう。食われるのは民主党という流れだ。
 

文科相・田中真紀子が「かっこわるい暴走老人という感じだ」と形容したとおりだ。暴走老人が政界で浮いた感じが濃厚になってきている。驚くべきことは、石原が根回しもろくろくしないまま「新党」に突っ走ったことだ。よほど自信がないと出来ないことだが、4期も都知事をやると自分が「裸の王様」化していることが分からない。自分のカリスマがよほど高いと思い込んでいるに違いない。自信過剰だから大言壮語して「この指に留まれ」といえば皆付いてくると思い込んでいるのだろう。


政界の大勢は田中が「石原氏は約25年間も国会議員をしていた大臣経験者なのになぜその時しなかったのか」と指摘した通りで、さめている。国家戦略相・前原誠司は「全く別々の考えの人が選挙対策で『大同』と言うのは、国民をバカにした野合だ。基本政策は一致しないと、選挙互助会を広げるだけだ」と切り捨てている。政界に見切りをつけて飛び出し、また戻ってきても遅れてきた国粋主義者でしかない。
 

石原は健康診断の結果政界復帰に耐えうると医師が判断したと言うが、政治の世界はそんなに生やさしいものではない。週にたった2回の都庁出勤で済ませて、後はサボっていた都知事時代とは違う。小党とはいえ党首になれば連日の激務が待っている。


それを予感したかのように本人は「『暴走老人』は途中で死ぬかもしれないが、それでもいいと決心した」と述べている。80歳の高齢だ。「大丈夫」のみたては政治家の実態を知らないやぶ医者の判断ということにやがてなるだろう。
 

おまけに新党の母体となるたちあがれ日本も、2005年に自民党を離党した平沼赳夫らが2010年に結成して以来、党勢は伸びず、鳴かず飛ばずの状態。これに石原が加わっても、冷えたソース焼きそばにからしを加えた程度のものでしかない。胃に悪いのだ。


問題は他の小政党への広がりを見せるかだが、これも難題だ。石原は「小異を捨てて大同につくべきだ」と陳腐な発言を繰り返すが、小政党とはいえども政党は政策を基にしてなり立っている。このまま石原の“扇動”に乗ることの利害得失を考える。


みんなの党幹事長の江田憲司が30日「小異を捨てることはやぶさかではないが、消費税や原子力発電所の問題は決して小異ではない」と述べている通りだろう。それなりに真面目なのだ。日本維新の会代表の橋下徹が「完全に一致していると言えないのはエネルギー政策と憲法だ」と危惧の念を漏らすのももっともだ。
 

そもそも石原は反米、反中の核武装論者であり、現行憲法を破棄して徴兵制を導入しようという時代錯誤の国粋主義者だ。この原点をあえて無視して石原の掲げた指にとまれる政党があるのかということだ。さらに総選挙の争点となるであろう個個の重要政策でも主張が異なる。


石原は原発維持であるのに対してみんなと維新は脱原発。みんなは消費税凍結、維新は消費税の地方税化なのに対して石原は消費増税是認。維新の橋下は竹島の共同管理なのに対して、石原は武力奪還も辞さぬ構え。憲法破棄論の小政党はない。
 

これらの重要ポイントを抜きにして、維新やみんなが石原の下に集合するならまさに「大異をなおざりにして野合につく」ことになる。


しかし石原の旗揚げは維新もみんなも“利用価値”があることは確かだ。旗揚げにつられて低落傾向をたどってきた維新の支持率も世論調査によっては持ち直している。小政党はたとえ一過性であっても節操を捨てて石原の“活用”に走るかどうかの分かれ道だろう。しかし亀井静香が「石原さんは可哀想なことになる」と不気味な予言をし、小沢一郎が「大きな広がりになるとは思えない」と述べている通りだろう。


「遅かりし由良之助」は「仮名手本忠臣蔵」だが、石原新党には「遅かりし慎太郎」の言葉を差し上げたい。いずれにしても石原はブームを起こすには力量不足だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月30日

◆“延命演説”では“明日への責務”欠落

杉浦 正章

 

所信表明演説から首相・野田佳彦の心理状態を分析すれば、相当追い詰められている事が分かる。自らの公約「近いうち解散」には一切触れずに、むしろ政権を「投げ出さぬ」と“延命懇願演説”の様相を呈した。「明日への責任」を20回も連発したが、その前提となる公約履行の「明日への責務」への言及がない。これでは野党も妥協点の探りようがない。


新聞論調とはあえて違う意見を述べれば、参院野党が所信表明演説を拒否するのも宜(むべ)なるかなである。スジ論としては「審議拒否はけしからん」だが、野党も問責決議を無視されている。政治論としては「何でもあり国会」の幕開けを印象付け、政権には相当な打撃となる。揚げ句の果てに野田は助けを有権者に求めて「後押しして欲しい」と弁舌豊かに強調したが、野田の口車には国民はもう懲りた。この演説を聴いて支持率が上向くことはあり得ない。
 

通常首相が所信表明演説で仮定の政治状況を作り出して、これを否定する演説はしない。ところが野田はこれに終始した。「道半ばで仕事を投げ出すわけにはいかない」「やみくもに政治空白を作って政策に停滞をもたらすようなことがあってはならない」といった発言は、首相たる者その事態が生じてから言うべき言葉だ。まだ誰もいじめていないのに子供が「○○ちゃんがいじめると言ったぁ」と泣くようなもので、大人が演ずると被害妄想となる。
 

そして焦点となっている「近いうち解散」の約束を履行するかどうかについては言及しないばかりか、内閣改造の大失敗が象徴する法相辞任も素通り。都合の悪い問題はすべて言及ゼロだ。これでは、「冷静にみれば首相は延命なんて考えていない」といくら幹事長代行・安住淳が強調しても誰も信ずるものはいまい。そこには反省はかけらもなく、開き直りと延命懇願演説の性格が浮き彫りになってくる。


何と言ってもこの国会の核心は「近いうち解散」の履行か否かなのだ。既に野田は党首会談で「条件が整えばきちんと判断する」と述べており、ここは当然その“条件闘争”のための対案を提示すべきところだ。「政局より大局」という野田が大局を理解していないのだ。
 

この演説の結果、国会は首相の“売った”けんかを野党が“買う”展開となる。当然ながら全野党が激しく反発している。先頭に立つ自民党は自民党総裁・安倍晋三が「野田政権に明日はない。『近いうちに国民に信を問う』という一番重要な約束を果たしていないなかでは、何を言っても心に届かず、言葉が空虚に空回りして痛々しい」とこきおろした。


公明党幹事長・井上義久も「既にレームダック状態になった死に体の野田内閣に課題をやり遂げる力も資格もないことを自覚すべきで、言葉だけがむなしく響いていた」と全面対決を前面に出している。
 

今後野党は野田が触れなかった“傷口への塩塗り”作戦を展開するだろう。作戦は“多正面作戦”となる。民主党は29日2人が離党して、あと3人の離党で単独過半数割れ、6人の離党で与党の過半数割れとなる。これが意味するものは政権の“風前の灯”だ。離党が進めば不信任案が可決され、憲政の常道として総辞職でなく解散を選択せざるを得なくなるのだ。


自民党幹部によると野党は、新党結成を表明した石原慎太郎も含めてあの手この手で民主党議員に離党を働きかけているようだ。これに対して野田は29日夜当選1回生19人を公邸に招いて“頭なでなで”をしたが、政権はこちらを押さえればあちらから離党の水が噴出して、まさに末期症状だ。安倍は「不信任は最大の武器」として、そのタイミングを計ることになる。
 

加えてここに来て内閣の要である国家戦略相・前原誠司が秘書のマンションを事務所扱いして経費を計上していた事が発覚したことは大きい。かつて民主党は安倍内閣で閣僚2人のクビを同問題で取っただけに、安倍の“逆襲”に会うことは避けられない。前原は絶対外せない罠(わな)のトラバサミにかかったようなものだろう。
 

ここにきて幹事長・石破茂が総選挙の時期について、12月9日としてきた次期衆院選の時期を1週間拡大した。「来年度予算案の編成を新政権でやろうとすれば12月9日か16日が投票日になる。11月の半ばには解散だ」と述べたのだ。明らかに都知事選とのダブル選挙を念頭に置き始めた。


暮れの総選挙は過去に例がいくらでもある。田中角栄が12月10日、中曽根康弘が同18日、佐藤栄作が同27日に行っているのだ。こうして野党の解散攻勢は一段と厳しさを増すことになる。新聞も判断が揺れに揺れている。読売は29日の朝刊で「解散先送り論強まる」とやったかとおもうと、30日朝刊では「与野党対決解散含み」とまるで正反対。これでは読者はたまらない。近ごろの政治記者は判断が甘いうえに安易だ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月29日

◆解散をめぐり土壇場の攻防へ

〜臨時国会開幕〜

杉浦 正章



29日からの臨時国会は冒頭から政治史上でも希有な「解散」をめぐっての激突状態に突入する。閉会中は政権サイドの解散先延ばしの“宣伝”が先行してきたが、今後は野党攻勢で政界の雰囲気は解散がいつあってもおかしくない方向へと転ずる。参院では首相・野田佳彦の所信表明演説すら出来ない異常事態だ。


既に野田は、「1票の格差」是正を理由に衆院解散を先送りする考えがないことを示すなど、じりじりと土俵際に後退し始めた。自民党は解散戦術を転換、審議拒否は基本的に回避して審議に応じつつ、政権の弱点を突き、解散に追い込む方向を選択した。鹿児島3区の衆院補選で自民党候補が辛勝ながら勝ったことも解散攻勢に弾みが付くだろう。
 

国会閉会中は野党も解散に追い込む手段が全くないわけだから、自公首脳らの発言も何を言っても犬の“遠吠え”に過ぎない。しかし国会がひとたび開会されれば事態は逆転する。“遠吠え”が“噛みつき”可能な距離まで接近するのだ。焦点は赤字国債発行法案と定数是正法案が軸となるが、当初の自民党戦略の欠陥はこれを人質化しようとしてきたことだった。


確かに最近“狡猾さ”が目立つ野田のことだから、法案が成立すれば“食い逃げ”に出る可能性は否定出来ない。しかし自民党が国民生活と違憲訴訟に直結するような法案の成立を止めるほうが、解散先送りの口実をあたえることになる。全国紙の社説も、法案を成立させれば自民党の責任政党としての立場を支持し、野田に臨時国会での解散を求める論調を一層強めるだろう。
 

法案人質化などより、攻撃の材料は山ほどあるのだ。まず大局的には「近いうち解散」を言いながら公党間の約束を臆面もなく踏みにじっている野田の政治姿勢が最大の追及テーマとなる。次に首相としての“能力”が問われる。


消費増税はたしかに野田の“手柄”だが、自公の助けなしには実現しなかった。自らの能力だけでは成立は不可能であったのであり、野田の“能力”発揮ではない。先の改造劇で滞貨一掃のごとき人事を断行、直ちに法相辞任を招いた事が象徴するような統治能力の欠如が、俎上(そじょう)にあがるのだ。


外交面では前元首相と全く同じの大失態が問われる。尖閣国有化のタイミングだ。中国国家主席・胡錦濤が反対を表明した翌日に閣議決定をすることはなかった。あまりにも稚拙な外交であり、当然責任は問われなければなるまい。


加えてかってない3流閣僚で構成した結果、国会は舌禍国会の様相を浮き彫りにするだろう。全く財務に経験のない財務相・城島光力と駄弁の文科相・田中真紀子など野党が狙いをつける対象には事欠かない。これで解散に追い込めなければ自民党総裁・安倍晋三も幹事長・石破茂も逆に責任を問われる。おそらくかさにかかって責め立てるだろう。
 

こうしてまさに「背水の陣」に追い込まれるのは野田政権だ。民主党内はまだ依然として“解散恐怖症”が根強いが、一部にある衆参同日選挙論などは“噴飯物”であり、とてもそこまで政権は持たない。野田の支持率急落を見て、ようやく党内には解散を先延ばししては当選する議員も落選しかねないという危惧が中堅議員の間で出始めた。

現段階で確実に当選圏内とみられる民主党議員は筆者の見たところ70人は固く、当落線上が30人というところだ。これが野田の支持率が竹下並みに3%まで下落した場合をシュミレーションすると、当確が40〜50人止まりになりかねないのだ。遅ければよいというのは大きな誤算であることが分かって来つつある。また鹿児島補選で接戦だったことで、やり方次第で切り抜けられるという見方も生じている。
 

こうしたなかで野田の心境は大きく揺れている。半世紀近く首相の動揺ぶりを観察してきたが、追い詰められた“死に体”の首相は自分に言い聞かせるように強く出たり、急に弱音を吐いたりする傾向がある。これを繰り返しながら一歩一歩「退陣」への道筋をたっどってゆくケースがほとんどだ。突っぱねて予算編成はおろか来年の通常国会までやる姿勢をみせても、砂上の楼閣である事がやがて分かるだろう。


最近の野田は突っ張りからやや弱音に向かってきた。その証拠の発言が1票の格差が改定完了前でも解散ありうるとする27日の発言だ。野田は「国会で法律を改正し、国民への周知作業などを経てから選挙を行うのが、一般論としての筋だ。ただ、国民に信を問う状況が生まれれば、総理大臣の専権事項として、自分なりの判断をしなければならない」と述べたのだ。


臨時国会で衆議院の選挙制度改革関連法案が成立した場合、区割りと周知期間が終わっていなくても、衆議院を解散することはあり得るという考えを示した。改正した段階で解散権を行使できるという解釈だ。幹事長・輿石東もこれに追随している。いずれにしても解散という政局の核をめぐる興亡は土壇場の状態に移行する。

<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月26日

◆日本に極右国粋主義の第3極は不要

杉浦 正章

 

第3極と言うが、極右国粋主義の第3極が今の日本に必要な時だろうか。まったくの時代錯誤に過ぎないとおもう。


石原慎太郎は新党結成の記者会見で中央官僚制度批判に終始して、あえて憲法破棄論に象徴される外交・安保上の持論に深く触れなかった。これが何を意味するかと言えばさすがに普段の極論を述べては、選挙にならないという思惑が先行したのだ。だから官僚制度の在り方への批判ばかりをとりとめもなく繰り返したのだが、これは民主党の3年前の主張と何ら変わらない。


結果は3年間の失政に次ぐ失政だ。年齢は80歳。母体になるたちあがれ日本も代表・平沼赳夫以下息も絶え絶えの状態であった。看板を書き換えても弾みは生まれない。石原ブームなど幻想に過ぎない。唯一最大の注目点は弾みで民主党から新党参加の離党者が出て、首相・野田佳彦への不信任案が成立する状況が出来るかどうかだ。
 

石原の“持論隠し”作戦は老獪の一語に尽きる。焦点の尖閣問題についてもせいぜい船だまりの建設に触れただけだ。石原が首相になることは100%あり得ないが、国政を左右するキャスティング・ボートなどを握ったときには日中関係は軍事衝突の危機にまで発展する可能性があることを警告しておく。


国家戦略相・前原誠司が先に暴露した問題を見れば明白だ。前原は「8月に行われた石原氏と野田佳彦首相との会談で石原氏は中国との戦争も辞せずと話した」と発言したのだ。石原は「そんなことは言っていない」と否定しているが、自分の発言を「言わない」と否定するのは石原の常とう手段だ。


筆者が官邸周辺から聞くところによると、「戦争になってもいいじゃないか」と述べたのは事実だ。これを受けて野田は、尖閣を石原の思うがままにしておいたら本当に戦争になりかねないと判断して、国の所有を決断したのだ。それも事を急ぎすぎて、日中関係を破滅状態に陥らせてしまった。すべての発端は石原の都による尖閣購入発言にある。
 

石原の極右国粋主義は73年に中川一郎らと自民党に「青嵐会」を結成したときから変わらないが、近ごろは加齢とともに一層極端になって来ている。「日本は核を持つべきだ。徴兵制をやれば良い」と持論の核武装論を展開。「核保有の模擬実験は可能。3カ月でできる」「プルトニウムは山ほどある」とも述べた。


もっとも許せないのは「大震災は天罰」発言だ。被災者の気持ちをどれほど傷つけたことであろうか。東京の有権者の甘さが長期に知事職を壟(ろう)断させたが、最大の失政は自ら旗を振って設立した新銀行東京だ。


素人丸出しの経営でピラニアのように出資を食われ、あっと言う間に累積赤字は東京都の出資分1000億円を超過。追加出資の400億円と合わせれば、都民の負担は1人あたり約11000円に達する。反省の弁など一言もない。都政担当の記者のレベルではこれら外交・安保、内政上の問題を突く能力に欠けるのだろう。記者会見の質問は低調に終始した。
 

そもそも3極と言っても実現可能だろうか。平沼は「細かいことは言わずに西は維新、東は石原でいい」と述べるが基本政策、理念が一致しなくて、むりやり連合を組んでも選挙目当ての野合に過ぎない。


日本維新の会と石原の主張は重要ポイントで大きく食い違っている。その上石原がもっぱら維新に秋波を送っており、橋下は冷静だ。まず石原は憲法破棄論である。破棄して核武装、徴兵制を実現する新憲法を制定するというのだ。


維新は改憲だ。原発も維新が脱原発なのに対して、石原は原発維持。消費税に関しても維新の地方税化に石原は反対している。維新が提携交渉を進めているみんなの党代表・渡辺喜美は「増税や原発を容認するなら、民主・自民・公明の3党の補完勢力になり、『維新』ではなく、よくて『新選組』だ」と激しい石原批判を展開している。
 

2大政党への影響だが、自民党は躍進傾向を見せており、石原新党が食い込める余地はないだろう。新党はたちあがれ日本とも東京などでは競合する。石原が堂々と選挙区から立候補することを避け、こそこそと比例選東京ブロックから出馬する方針なのも、安易な逃げの姿勢と解釈できる。


結局食われるのは民主党だ。維新と石原の挟撃を食らうことになるだろう。問題は野田では当選できないと感じている若手議員らが離党して新党に合流する動きを見せるかどうかだ。


所詮、「風」で当選してきた連中には、愛党心などはない。「昨日勤王今日また佐幕」で、その日その日の風任せの連中が9人離党すれば政局を直撃する。不信任案が成立する。そうなれば憲政の常道は解散だ。石原の打った球は思わぬ効果を発揮する可能性があるある。


しかし天下の大老害の「最後のご奉公」などはもうしてくれなくていい。時代錯誤の上に悪女の深情けより悪い。 

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月25日

◆斜めから川柳詠めば見えてくる

杉浦 正章

 

<仮病ならみんな安心とりあえず>というわけで、何とかこの場は切り抜けたが国民の目は節穴ではない。あの民放のコメンテーターまでが「うそ」と見破るようでは形無しだ。法相辞任劇はうその上にうそを塗り固めたものだ。


野田がまず大うそをついた。「引き続き加療が必要なためだ」とすべてを病気のせいにした。これが第一のうそ。第二のうそは「非常に残念なことだ」と思ってもいないことを口走ったこと。辞めてくれて有り難いのが本音だ。


そもそも改造は、朝日川柳で<こんなので選挙に臨むいい度胸>と言われた通りの結果なのだ。第三のうそは官房長官。藤村は「体調不良で辞めることは、いかんともしがたい」とやはりぬけぬけと病気のせいにした。


第四の口走ってはいけない大うそは「首相の任命責任にはつながらない」だ。このうそにはコメンテーター様たちも怒った。「私は弁護士だけど」と前置きして怒った。弁護士でなくても怒っていいのだが、やはりここは「弁護士」と言いたかったのだろう。政治ニュースも馬鹿げた大臣のクビばかり追い回していて、<大臣のクビが政治じゃあるまいに>と嘆かれる始末だ。
 

そしてそうだったのかとはたと手を打つ。<近いうち閣僚辞任のことでした>となる。自民党は谷垣以下、野田の誠実そうな人柄にだまされたことになる。「近いうち解散」発言から2か月半がたってもまだ「近いうち」にならない。まさに<ドダヌキが化けたドジョウは手に負えぬ>だ。


おりから民主党内は“解散恐怖症”が蔓延していて<「か」の字聞くだけで震える民主党>の状態。まるで解散ノイローゼだ。野田にも伝染して「か」の字はタブーだ。首相周辺では「かりんとう」と言ってももいけないのだ。「かんてい」と言っても怒られるのだ。



しかし<先延ばししてもお先は真っ暗だ>では、「かんねん」するしかないことが恐怖症の面々には分からない。「おじゃる」「おじゃる」と屋敷を野武士に囲まれた公家集団のように右往左往だ。
 

人心を少しでも官邸に集めようと三流政権はあらゆる事象を利用する。五輪と合わせて世界大会13連覇を達成したレスリング女子の吉田沙保里はもちろん国民栄誉賞を受けて当然だが、野田がやると“臭い”のだ。朝日に<贈るほうにはおおよそ遠い栄誉賞>と言われてしまうのだ。
 

男女の仲で女性が言う「あなたを信じた私が馬鹿だったのね」は常套句だが、これでは有権者も<誠実なドジョウと思い込んだ馬鹿>ということになる。国民は、朝日のように<泥濘(ぬかるみ)や死ぬまで泥鰌(どじょう)飼うことに>となってしまうのだろうか。


たしかにどじょうはのらりくらりとしぶとく生きる。<支持率がマイナスになりやっと辞め>くらいに思っておいた方がよいかも知れない。しかし正義は最後には勝つのだ。人をだます人にはきっと天罰が下るのだ。<落城へうそ塗り固め壁もたぬ>となるに違いない。黒サギ城はうその塗り壁から崩壊するのだ。
 

ところで自民党もだらしがない。<老舗では古看板の塵(ちり)はらう>と、もう政権取ったつもりでいても、野田政権を追い込めるかというとなかなか決め手がない。「うそつきはほとんど病気民主党」などと副総裁・高村正彦が“遠吠え”しているが、手に負えないのだ。審議拒否のラッパを高らかに鳴らしていたかと思えば、これも世論の反発で<振り上げた拳のままで出る審議>となってしまうのだ。


永田町はやはり<恥知らぬ人多く住む町があり>か。

<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)
 

2012年10月24日

◆自民党は審議拒否戦術を転換か

杉浦 正章


自民党執行部が早くも解散戦略の修正を迫られている。発足早々から審議拒否の強硬路線で突っぱねてみたが、野田の解散先送りの壁にあい、振り上げた拳を降ろさざるを得なくなったのだ。かねてから筆者が指摘してきたように審議拒否では事態打開は出来る見通しが立つわけがないのだ。


折から法相・田中慶秋の“仮病辞任”など首相・野田佳彦の責任を追及する材料は山ほどある。ここはごね得を狙っても始まらない。さっさと方針転換して審議に応じたうえで早期解散に追い込むべきだ。
 

それにつけても野田政権というのはここに来て本当に悪くなってきた。潔くない。解散に加えて田中辞任にまでうそをつき始めたのだ。野田がまず23日辞任の理由について「引き続き加療が必要なためだ。非常に残念なことだ」とすべてを病気のせいにした。官房長官・藤村修に到っては「首相の任命責任にはつながらない。体調不良で辞めることは、いかんともしがたい」と見え透いた逃げの手を打った。田中は決算委員会などに呼ばれても憲法違反の欠席を繰り返したが、なんと欠席をそそのかしたのは民主党執行部であったのだ。


おまけに入院を勧めたのも執行部だ。組織ぐるみのカバーアップをしておいて、逃げられないとみるや病気のせいにする。まさに見下げ果てた政権だ。24日付読売の編集手帳が野田について「就任した頃の純朴で誠実な印象はメッキが剥げた」と看破しているとおりだ。たしかに最近の野田は「どずるい」本性丸出しだ。
 

昔首相・橋下龍太郎は、ロッキード灰色高官の佐藤孝行を総務庁長官に任命して12日間で更迭せざるを得なくなったとき「自らの不明を恥じる」と述べたものだ。これが首相たる者の対応だ。「任命責任は認めるが職務にまい進する」では全く責任を認めたことにならない。


大阪の疝気筋・橋下徹が「人事の失敗は組織ではあり得る」と、相変わらずとんちんかんにも擁護に回ったが、弁護士のくせに「確信犯」を知らないのか。確信犯の用語は思想犯・政治犯・国事犯などに見られる道徳的・宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪と、知りながらあえて行う悪い行為に分けられるが、野田の対応ぶりは明らかに後者だ。
 

法相辞任一つ取っても首相の任命責任追及の材料には事欠かない。ましてや首相の「近いうち解散のうそ」に始まって、復興予算の流用など追求すべき材料は山積している。宝の山を前にして審議拒否などしても国民の求める政権の欠陥解明義務は果たせない。


そもそも自民党は新執行部が出来たときの勢いもあってか、最初から審議拒否を打ち出している。幹事長・石破茂は5日、都内で記者団に「嘘をつく政府・与党を相手に国会審議に応じることにはならない」と審議拒否を明言している。


それが党首会談で解散問題が行き詰まり、野党間も共産、社民両党や日本維新の会が審議に応じる構えで、足並みが乱れる事態となった。おりから赤字国債発行法案が成立しなければ、11月末で国家財政は底を突く。民主党は自民党に責任を転嫁しようとしている。
 

このため執行部の方針もぐらつき始めた。自民党総裁・安倍晋三は22日、臨時国会について「審議拒否をするとか、私は一言も言っていない」と軌道を修正。石破も「審議拒否すると決めているわけでもなく、発言もしていない」とこれまた臆面もなくうそをついた。どうも石破は「その場限りの理路整然」の傾向があるが、気をつけた方がいい。竹下登の口癖「理路整然と間違う」の常習犯にならによう忠告しておく。
 

自民党執行部が煮え切らないのは通常国会で問責決議を可決させた経緯があり、この効果を持続させたいという思いがあるのだ。しかし事態はめまぐるしく展開しており、過去の問責を軸に野田を解散に追い込むことは極めて難しくなっている。


逆に赤字国債発行法案を前に審議拒否をすれば世論の矛先は確実に自民党に向かう。自民党は新戦術、つまり「寝る」のではなくて「起きて暴く」しか方策は無くなってきているといってよい。
 

それには常に急進的な「関東軍」となる参院自民党を押さえ込まなくてはなるまい。安倍も参院との調整の必要を漏らしている。しかし毎日によれば自民党参院国対委員長・脇雅史は23日開かれた参院野党国対委員長会談で「政府提出法案に協力することはあり得ない」と前置きしながら、特例公債法案について「自民党が(反対ではなく)欠席すれば参院で法案は成立する」と述べたという。


苦肉の策だがこのような手段を講じてでも、国会審議は拒否すべきではあるまい。むしろ蛮刀を振りかざさずに、赤字国債や定数是正にけりをつけつつ、野田を解散へと追い込む高等戦術に転換すべき時だろう。それが出来るかどうか。執行部の能力を問われている場面だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2012年10月23日

◆「年内解散論」の前原は掃きだめのツルだ

杉浦 正章

 

貧すれば鈍するというが民主党政権の「前原批判」は、あるべき政治の原点を逸脱して、自らを腐った党利党略の泥沼に沈めるものになるだろう。国家戦略相・前原誠の発言の本旨は“うそつきドジョウ”の印象を払拭しようとしたものに他ならない。それに不快感を述べる首相・野田佳彦と官房長官・藤村修は天に唾するものであろう。批判すればするほど前原が民主党政権という掃きだめのツルに見えることが分からない。
 

前原発言は21日の発言が大きく報じられたが、既に筆者がいち早く19日の記事で指摘している。前原は18日の時点で「民主党政権がどうなるか分からないが、国家のために早期解散がいい。先送りしていると見られることは、決して良くない」と述べているのだ。


それが21日には「年明けに解散しては『近いうち』とは言えない」となった。22日も「私の考えは、きのうの発言と変わっていない。野田首相が、民主・自民・公明の3党の党首会談で思いを話し、解散に向けた条件を示したので、あとは信頼関係をもって3党で話をすることに尽きる」と“年内解散の見方”を重ねて示した。
 

この前原発言に対して永田町では様々な憶測が生じている。あまりの自公寄りの発言に「選挙後の自公政権へ秋波だ」と政権交代後の連立に向けてポストを狙ったという見方まで出ている。まさに“邪推”とはこのことを言うのだろう。外国人献金疑惑が出るやいなや世話になった韓国人女性をかばって、外相を直ちに辞任するほどの政治美学を持った男がそんなことを考えるわけがないではないか。むしろ野田への援護射撃と受け取るべきことだろう。


英語でうそつきの「ライアー」は最大の侮辱となるが、その“ライアー野田”が定着してしまわないように政治の常識を述べたものであろう。現に「総理は自分の言葉に責任をもち、審議を重んずる方だ」と付け加えているではないか。
 

もちろん前原にも持論がある。持論とは早期解散論だ。幹事長・輿石東がかつて主張したように衆参同日選挙をしては、衆参で自民党が圧勝することになるから、これを避けるべきだというものだ。さらに野田の支持率がまだあるうちの解散の方が“野垂れ死に解散”よりはましという判断もある。いずれも民主党を思っての発言であろう。


これに対して野田は、狭量なる判断をした。日本維新の会の国会議員団代表・松野頼久との会談で、松野が「閣僚が解散について言及するのはいかがか」とおべんちゃらを言ったのに対して、「私もそう思う」と不快感を示したのだ。藤村も「解散を決めるのは首相だけだ」とこれまた不快感。自分の内閣の閣僚の発言を首相やスポークスマンが批判して不快感を示す場面だろうか。それでは一日でも長く政権の座に居座りたいという邪心が丸見えではないか。不快感を示すくらいなら、直接会って戒めるべきだが、それが出来ないのは後ろめたさがあるからだ。
 

いまや野田政権の存在は日本にとって最大の“公害”となりつつある。消費税増税だけは虚仮(こけ)の一念で成立させたが、以後何が起きようが手つかずだ。


復興予算の流用という内閣不信任に該当する問題、法相の外国人献金、赤字国債対策などに際して、野田の存在感は全く見られない。近く辞任する法相・田中慶秋の人事は、大局を忘れた論功行賞人事で自らが招いた結果だ。任命責任に直結する。


そして、しでかしたことは中国国家主席・胡錦濤が、尖閣諸島の国有化に懸念を表明した翌日に国有化を閣議決定するという外交史上まれに見るほどタイミングを逸した誤判断だ。各国大使館は野田の断末魔の悪あがきを克明に本国に打電している。


この野田にロシアのプーチンが年末の野田との会談で実りある提案をするとは思えない。アメリカは日米同盟再構築を自民党政権に託すだろう。中国も関係改善はむしろ自民党総裁・安倍晋三に期待している兆候が見られる。
 

要するに民主党政権は3代にわたる“駄目首相”を国民の前にさらけだしたのだ。野田は新橋や銀座の飲み会で何と言われているか知っているのか。


「もう2度とだまされない」「絶対に民主党以外に投票する」が圧倒的だ。国民の信を失い、内政外交に渡って失政を繰り返した政権が、前原のまっとうな発言を批判する資格はない。薄汚い政権の座への執着は捨てて、野田は前原発言を忠臣の諫言と聞く度量を示すべきであろう。


<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月22日

◆野田は党首会談再開で解散へ踏み込め

杉浦 正章
 

いずれにしても早期解散に追い込まれるのだから、言ってみれば往生際が悪いと言うことだろう。3党党首会談で自民、公明両党を激怒させて、首相・野田佳彦が得たものは“野垂れ死に”路線に他ならない。このま政権にしがみつけば「嘘つき首相」の評価が定着する。


既に内閣支持率の急低下を招き、危険水域の10%台に突入した。竹下内閣並みの支持率3%もあり得る。解散しなければ政権を投げ出す総辞職しかなくなるのだ。進退は窮まった。ここは少しでも支持率があるうちに早期解散・総選挙に踏み切るしか選択肢はないのだ。


国家戦略相・前原誠司の野田が年内の解散に踏み切るという“読み”は1番まっとうだ。早期に党首会談を再び開催して、追い込まれ解散でなく話し合い解散を選択をすべき時だ。
 

自民党もマスコミも野田から解散で新提案が全くなかったかのように反応しているが、野田は本人にしてみればぎりぎりの解散新提案をしている。「政権の延命を図るつもりはない。条件が整えば自分の判断をしたい」と述べている。これは首相として発言の限界であろう。しかし前宣伝が悪かった。


野田が「一蓮托生」とする幹事長・輿石東が大ミスリードをしたのだ。輿石の「新しい具体的な提案」発言が、自民党総裁・安倍晋三をして年内解散と判断させる結果を招いた。安倍はすくなくとも「近いうち」の抽象表現から「年内」の表現くらいは入るだろうと思ったが、当てが外れたのだ。安倍と公明党代表・山口那津男が激怒するのも無理はあるまい。
 

かつて田中角栄は首相たるものの心得として「首相は衆院解散と公定歩合の変更については本当のことを言わなくてもいい。ただしウソをついてはいかん」と述べていた。この意味は解散判断の間違いは代議士ばかりではなくマスコミ関係者の「クビ」にも直結するものであり、人情味のある田中としては「うそによる解散ミスリード」を戒めたのだ。


今度の場合、野田は輿石発言の結果大うそをついたことになる。安倍にしてみれば、ぬか喜びをさせられたわけで、党内的にも信頼度の低下を招く結果となった。
 

この状況を見てか、副総理・岡田克也が「安倍さんが野党の党首として振る舞うか、次期首相になる人として振る舞うのかを見ていたが、野党の党首としての振る舞いであった。残念なことであった」と安倍をさげすむ発言をした。これには驚いた。政治家のレトリックは多種多様であってしかるべきだが、野田を見ていた国民がびっくりする。


なぜなら一国の首相が大うそをついたことを棚に上げているからである。筆者が岡田流に言えば「首相として振る舞うかどうかを見ていたが、野党もしない振る舞いであった」ということになる。
 

これに比較して前回も褒めたが、前原の「読み」はここに来て冴えている。21日前原は「年明けに解散をするのなら『近いうちに』とは言えない。野田首相は自分のことばに責任を持つ信義を守る人だ。年内に解散しないことはないと思う。赤字国債発行法案などをどうするのかという話をすれば、おのずと自民・公明両党の主張と同じようなところに落ち着くのではないか」と年内解散を明確に述べたのだ。


これを民主党幹事長代行・安住淳が否定しているが、自分の発言と矛盾する。安住は20日にテレビで「総理が近いうちに国民の信を問うことをしっかりと実行することは、いろいろな言葉を交えて言っている」と指摘しているではないか。自分の発言はよくて他人の発言は悪いことになり支離滅裂だ。野田が「発言の重みは自覚している」「延命を図らない」「条件が整えば判断する」と述べたことは、早期解散の意思表示と受け止めるべきだろう。
 


これに対して自民党は「喧嘩のための喧嘩」を展開しようとしているかに見える。石破は「これほど腹を立てたのは初めてだ」と強調する。まるでテレビで国民の同調を求めているような姿勢であり、鼻につく。野党が解散に追い込もうとする姿勢は理解できなくもないが、流れをうまく追求すれば「話し合い解散」へと結びつけられる事態を、あえてぶちこわすこともなかろう。もう少し大人になるべきだ。追及材料には事欠かないのだ。


今後どうなるかだが、まず野党の自民党は、おもちゃ売り場で駄々をこねている子供のように「解散を言わなければ審議拒否だ」と叫ぶ必要はない。もう民意は野田政権を離れた。


朝日の世論調査も最低の18%に落ち込んだ。まだまだ急降下するだろう。10%台では政権の延命は図ろうにも図れないのだ。これを死に体内閣という。まずこの急所を押さえた対応が必要であろう。そして責任政党らしさを発揮するのだ。


つまり29日の臨時国会から赤字国債発行法案と定数是正の審議に直ちに入り、その成立を条件に野田を臨時国会解散と年内選挙に踏み切らすのだ。野田は「他律的な解散」の状況作りを待っている側面もあるのだ。


そのために石破が国会までの間の再党首会談を提案し、安倍も「前原の発言を受けて、野田首相からも何らかの働きかけがあると思うのが常識だ」と再会談に期待を表明している。まさに再会談を行うべき時だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)