2012年04月13日

◆「石原首相」の“お膳立て”整わず

杉浦 正章


〜「新党」崩壊〜

 都知事・石原慎太郎が「石原新党」を「仕切り直し」と述べ、事実上断念した。背景に何があったのかといえば簡単だ。「首相の座」を射止めるための“お膳立て”が整わないことに、石原がようやく気づいたからだ。


そもそも石原は亀井静香程度の政治家に、キングメーカーの力量があると判断したのが甘い。当選4期、13年も都庁舎から天下を“睥睨(へいげい)”していると、自分が裸の王様であることに気づかず、首相の座などチョロいものだと思い込んだ。そこに挫折の原因がある。
 

政治家としてその資格と適性を1番問われるのは、ミスリードだ。石原は12日新党構想について「私は何も発言していないのだから笑止千万だよ」と述べたが、これはおかしい。朝日が1月に一面トップで「石原新党3月発足 亀井・平沼氏と合意」と報じて以来、煽りにあおっているではないか。


「国会の政治構造をシャッフルする必要がある。いくらでも協力しますよ。合意はした」と新党での合意を認め、「政治家は必然性があれば一人でもやることをやる。東京より国家が大事だ」とまで言い切った。それが12日になっていけしゃあしゃあと「新党のことは本当に迷惑だ。1回仕切り直しをする」とは、恐れ入谷の鬼子母神だ。
 

石原の変節はなぜ起きたかだが、根底には本人が「首相の器」であるという妄想に取りつかれたところにある。政治家の職業のうち知事の椅子ほど心地よいものは無いといわれる。それもそうだろう伴食代議士などより一国一城の主の方が、居心地がいいに決まっている。


石原のように都庁への出勤は週に2度では勤務も楽なのだ。傍若無人の毒舌を吐いていれば周りは囃(はや)すのだからこたえられない。問題はトップの座が長期に続くと物事が見えなくなることだ。石原は鳩山由紀夫、菅直人と続く民主党政権の体たらくを見るにつけ、「おれがおれが」の欲望に目覚めたのだ。
 

決定的なポイントは、自らそれをお膳立てをする能力がなかったことだ。いきおい“賞味期限切れ”の亀井静香や、たちあがれ日本の平沼赳夫の“甘言”に踊らされることになる。


亀井や平沼も飽くなき政治的野望を実現するためには、石原のカリスマを利用できるだけ利用する必要があった。亀井が当初描いた構想は小沢一郎を巻き込んで民主党を分裂に持ち込み、自民党の一部も引き込んだ政界再編による新党だ。


これに大阪の維新の会や名古屋など自治体トップの野望を加えて、“野望連合”で「石原首相」を目指そうとしたのだ。
 

ところが、亀井の働きかけに小沢は鼻もひっかけなかった。そもそも小沢ほど先の見える男が、79歳の“老害”を担ぐわけがないのだ。かつて小沢は側近に「老害新党」と漏らしているという。そうこうするうちに今度は亀井の尻に火が付いた。方向音痴にも消費増税法案反対で国民新党内がまとまると思ったのが甘かった。クーデターが起きて亀井は放逐された。


この「亀の変」をみて、さすがの石原も「こりゃダメだ」と気づいたのだ。石原の最後の頼みの綱が今をときめくではなくて、「今だけ」ときめく大阪維新の会の橋下徹だ。


4日に京都での用事にかこつけて長時間会談したが、出てきたものは「大阪維新の会の講師になってもらう」(橋下)話だけ。話の中身は明らかになっていないが、石原が橋下の協力を取り付けたのなら、12日の「仕切り直し」発言はあり得ない。したがって確定的に不調に終わったのだ。橋下ほどの小利口な男が、東京の老害におめおめと“活用”されるわけがあるまい。
 

こうして「石原新党」は、脆くも挫折することになったのだが、それを表明するタイミングが見つからない。ところが昨年暮れから石原新党に執着している産経が12日付朝刊で「石原新党、5月末結成で最終調整」とやったのがきっかけとなった。記事の中に「国民新党議員の参加が見送られることにより、当初もくろんでいた30人程度から20人を下回る可能性もある。」とあるのをとらえたのだ。


石原は、記者団に「とにかくわたしは当事者ではない。20人足らずの政党を作ったって何になる。本当に」と臆面もなく“終息宣言”をしたのだ。既に息子の石原伸晃が「父は都知事であるから輝く」と看破している通りだ。「首相の座」など「10年早い」どころか、「30年遅い」のだ。
 

民主、自民両党は手を叩いて石原の頓挫を喜んでいるが、こうした魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する状況を作っているのは既成政党であることを忘れてはなるまい。実行力のない既成政党が問われているのだ。


野田は原発再稼働で、もたもたするべきではない。消費増税法案でもまっしぐらにまい進すべきだ。しょせん世の中は半可通が半分だ。両問題でもたつけば推進論の支持層まで敵に回す。

<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

2012年04月12日

◆「言葉尻戦」の底流には依然融和路線

杉浦 正章


党首討論を表面的に掌握すると、今朝の朝日新聞のように「民・自泥仕合」と受け止めることになる。激しい言葉の応酬が討論のすべてのように見えるのだが、政局は“流れ”で判断しなければならない。蹴飛ばしあいの影にある真意を見極めると、首相・野田佳彦は解散・総選挙への姿勢をいよいよ鮮明にしている。


一方で自民党総裁・谷垣禎一は、「消費増税待ったなし」と問題意識の共有を明らかにしている。これは2月25日の極秘会談の融和路線を継承するものであろう。
 

確かにやりとりでは面白いが激しい言葉が行き交った。野田が与野党協議や党首会談に応じない谷垣を「土俵に上がったのに待ったをかける」と非難すれば、谷垣は「待ったをしているとは無礼千万。のしをつけて返したい」とやり返す。また谷垣がマニフェストをとらえて「うその片棒を担いでいる」となじれば、野田は「自民党だって郵政改革が違う方向に進んでいる」と逆ネジをかませた。


このやりとりに幻惑されると激突の泥仕合という判断になる。しかしやりとりは「言葉尻戦」で終わっていることを見逃してはなるまい。シャモの蹴飛ばしあいで致命傷にはならないのだ。
 

重要ポイントの一つは野田が自らの「政治生命をかける」という発言を解説した点だ。「政治家ととしての集大成の思いを込めてこの言葉を使った。そういう覚悟であることは理解してほしい」「政治家としての重い言葉であると強く自覚している」と述べたのだ。


これは首相の立場を考慮しながらも、ぎりぎりの表現を使って消費増税に連動した解散・総選挙への決意を表明したものに他ならない。


一方で谷垣は野田から消費増税が「待ったなしの段階にあることを共有して欲しい」と求められたのに対して、「待ったなしの問題意識は共有する」と表明した。これは両党首の大局観が明らかににじり寄っていることを物語っている。大局観とは消費増税で解散をせざるを得ないという認識と、今国会での消費税処理は不可避という判断である。


野田がみんなの党代表・渡辺喜美を切り捨てたのも、自民党席から拍手が生じたほどだ。渡辺は自民党の谷垣の質問時間を分けてもらったのにもかかわらず、礼も言わずに質疑に入り、民主党を「出来損ないの自民党」と決めつけた。質問内容も、大阪市長・橋下徹の主張にこびを売った消費税の地方移管論だった。


これに対して野田は「自民党の枠で質問しているのにその表現はおかしい。荒唐無稽(むけい)のアジテーションだ」と一蹴した。この結果、渡辺は初陣であえない“最期”を遂げたのだった。
 

一連の質疑で浮かび出たものは、極秘会談で「話し合い解散」などの可能性を話し合った路線が依然壊れておらず、継続されているということであろう。しかし野田にとっても課題は大きいことが露呈していることも確かだ。


谷垣が、小沢側近の民主党幹事長・輿石東が消費税法案の早期審議入りを渋っていることをととらえて「審議が早く進むとうまくない。ゆっくりしようという議論が聞こえてくる。危惧(きぐ)している」と皮肉ったことがポイントだ。これが物語るのは「小沢切り」に踏み切らない野田へのいら立ちであろう。


谷垣は小沢グループの造反の動きをとらえて「覚悟を示すのなら、覚悟が体臭となって殺気となってにじみ出ないとおかしい」と強調した。協力を求めるのなら、「小沢切り」をしてからにして欲しいということだ。けしかけているのだろう。
 

しかし谷垣にしてみても、突っ張ってばかりもいられないお家の事情がある。自民党内の早期解散圧力が強いのに加えて、「谷垣降ろし」も本格化しかねない状況なのだ。解散・総選挙で自民党が第一党になれば首相の座が待っている可能性が強いだけに、この機を逸したらすべてが海の泡と消えてしまいかねないのだ。


したがって消費税審議が始まり、鼎(かなえ)が煮え立ってくれば、妥協に転ぜざるを得まい。野田が討論の中で数度にわたって党首会談の開催を“懇願”したのをむげにするわけにもいくまい。第2次極秘会談や党首会談を経なければ煮詰まるものも煮詰まってこないのだ。


谷垣は、野田のいう「トップ同士の腹合わせが大事であり、やらせてほしい」という立場を認めたいのはやまやまなのだ。むしろ谷垣の方も党首会談を必要としているのだ。


こう見てくると、朝刊の見出しでは朝日の「民・自泥仕合の党首討論」が皮相的であることが分かる。読売の「ゴールは一致 道筋にずれ」が深く読んでいることになる。

<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

2012年04月11日

◆馬脚を現した橋下の原発再稼働反対論

杉浦 正章
 

さすがに温厚な官房長官・藤村修も10日、大阪市長・橋下徹の傍若無人ぶりが腹に据えかねたのか「支離滅裂だ」と批判した。橋下も“船中八策”で政治姿勢を抽象化出来ているうちはよかったが、具体論に踏み込まざるを得なくなってくると馬脚が現れてくる。


消費増税法案反対、原発再稼働反対と焦点の重要課題で立場を鮮明にし始めた。右翼と思っていたが、政治の傍流で息も絶え絶えの最左翼・社民党と全く同じ政策とは恐れ入る。要するに、「橋下政治」の原点は選挙目当てのなりふり構わぬポピュリズムにすぎない。
 

しかし、マスコミがはやし立てるうちはこれが通用するからどうしようもない。関西電力筆頭株主とはいえ保有株9%しかない大阪市の脱原発8条件を、朝日新聞は11日付1面トップで報じただけでは足りないのか、2面にまで展開して礼賛した。明らかに恣意的な紙面作りだ。


橋下の姿勢と朝日の原発再稼働反対キャンペーンがマッチすればこうなる。NHKも原発再稼働の報道の度に反対論しか報道せず、大手マスコミがこれほどバランスを欠く報道をする例を知らない。それも不偏不党を標榜する新聞と、公共放送であるはずのNHKが、臆面もなく偏っては、国民のバランス感覚も崩れる。
 

橋下は、大阪府と共に「100キロ圏内の知事に原発稼働拒否権を与える」という超ドラスティックな8条件を関電に突きつけた。全国に波及すれば事実上日本から原発を一掃する「亡国」の条件だ。しかし法的根拠はゼロに等しく、弁護士であるはずの橋下が実現可能と思っているとすれば、ノーテンキと言わざるを得まい。


事実、橋下は8条件について「私が出しても国民も関電も無視すればいいだけの話」と述べているのである。方針決定と発言が180度異なるわけであり、藤村が「橋下市長は、自分たちの条件が生かされる、生かされないは関係ないとも言っており、支離滅裂なところもある。きちんと条件を検討しているなら、それをちゃんと聞いてくれと言う方が正論だ。聞いても聞かなくてもいいと言われると、一体何をしているのかと思う」と反論するのも無理はない。


 橋下の支離滅裂さは、具体論に踏み込めば踏み込むほど顕著になってくる。夏の電力不足をどうするかについても「ピーク時の電気料金を何倍かにすることでピークをカットすればよい」と宣うた。大阪市民はそれほど裕福か。「武士は食わねど高楊枝」とはほど遠い市民性をもっているはずではないか。


だいいち、中小企業がばたばたと倒産する。大阪市民は、このような指導者をいつまで認め続けるのだろうか。いい加減に“橋下催眠術”から目を覚ませと言いたい。
 

こうした橋下の政治姿勢を分析すれば、選挙における「維新の会の得票」だけを意識する卑しげな思惑が見えてくる。その証拠に橋下は「なんで8条件を出すかと言えば政治的な効力があるからだ。有権者の皆さんがしっかりと判断する。国民が選挙でどっちをとるかを判断してもらう」と発言した。語るに落ちたと言わざるを得ない。


橋下にとっては、政策などはどうでもいいのだ。政策は選挙に勝つための手段にすぎず、そこには国を司る責任感などかけらもなく、政治屋のテレビ意識の浅薄な選挙戦術しか見えてこない。
 

消費税についても同様だ。「僕は大反対」と言い切っている。国の年金福祉政策が崩壊の瀬戸際であることなどには思いが及ばない。しかも橋下の導入しようとしている「掛け捨て年金」制度は荒唐無稽(むけい)だ。裕福な層には年金が支払われず、掛けた年金が無駄になる。もらえないのがわかっているのに誰が払うのかということになる。


このように具体論になるにつれて、現実離れした主張を繰り返すようになってきており、橋下ブームは必ず下降する。社民党と同じ論理では支持層が増えるわけがない。
 

原発再稼働も首相・野田佳彦は近く大飯原発3、4号機の安全を宣言、電力の需給見通しなどを踏まえて再稼働の妥当性も判断したうえで、経済産業相・枝野幸男が地元を訪れて説得する方針だ。


橋下にせよ、「見切り発車」批判を繰り返す滋賀県知事の嘉田由紀子にせよ、ポピュリズムの自治体首長と国政とは一線を画して、野田は毅然(きぜん)として再稼働の判断を下せばよい。自治体の長の理解は求めるにしても、同意などを期待してはならない。


自治体トップは、責任をすべて政府に押しつけたいだけなのだ。法的根拠のない再稼働同意を条件とすることなどには耳を貸す必要はない。重要なのは5月5日の全原発停止を控えて、1基を再稼働させるかゼロになるかは、日本再起か亡国かの戦いなのだ。

<今朝のニュースより抜粋>   (政治評論家)