2012年10月31日

◆石原新党は冷めたソース焼きそば

杉浦 正章

 

「新党」の来月発足が決まったが、石原慎太郎の突然の結成表明以来1週間で出てきたものは、「数合わせの野合路線」にすぎない。石原本人は「小異を捨てて大同につけ」と呼びかけ、キャスチングボートを狙った第3極を目指す姿勢を鮮明にさせているが、自民、公明両党連立で過半数の政権獲得の流れにストップをかけることは難しいだろう。食われるのは民主党という流れだ。
 

文科相・田中真紀子が「かっこわるい暴走老人という感じだ」と形容したとおりだ。暴走老人が政界で浮いた感じが濃厚になってきている。驚くべきことは、石原が根回しもろくろくしないまま「新党」に突っ走ったことだ。よほど自信がないと出来ないことだが、4期も都知事をやると自分が「裸の王様」化していることが分からない。自分のカリスマがよほど高いと思い込んでいるに違いない。自信過剰だから大言壮語して「この指に留まれ」といえば皆付いてくると思い込んでいるのだろう。


政界の大勢は田中が「石原氏は約25年間も国会議員をしていた大臣経験者なのになぜその時しなかったのか」と指摘した通りで、さめている。国家戦略相・前原誠司は「全く別々の考えの人が選挙対策で『大同』と言うのは、国民をバカにした野合だ。基本政策は一致しないと、選挙互助会を広げるだけだ」と切り捨てている。政界に見切りをつけて飛び出し、また戻ってきても遅れてきた国粋主義者でしかない。
 

石原は健康診断の結果政界復帰に耐えうると医師が判断したと言うが、政治の世界はそんなに生やさしいものではない。週にたった2回の都庁出勤で済ませて、後はサボっていた都知事時代とは違う。小党とはいえ党首になれば連日の激務が待っている。


それを予感したかのように本人は「『暴走老人』は途中で死ぬかもしれないが、それでもいいと決心した」と述べている。80歳の高齢だ。「大丈夫」のみたては政治家の実態を知らないやぶ医者の判断ということにやがてなるだろう。
 

おまけに新党の母体となるたちあがれ日本も、2005年に自民党を離党した平沼赳夫らが2010年に結成して以来、党勢は伸びず、鳴かず飛ばずの状態。これに石原が加わっても、冷えたソース焼きそばにからしを加えた程度のものでしかない。胃に悪いのだ。


問題は他の小政党への広がりを見せるかだが、これも難題だ。石原は「小異を捨てて大同につくべきだ」と陳腐な発言を繰り返すが、小政党とはいえども政党は政策を基にしてなり立っている。このまま石原の“扇動”に乗ることの利害得失を考える。


みんなの党幹事長の江田憲司が30日「小異を捨てることはやぶさかではないが、消費税や原子力発電所の問題は決して小異ではない」と述べている通りだろう。それなりに真面目なのだ。日本維新の会代表の橋下徹が「完全に一致していると言えないのはエネルギー政策と憲法だ」と危惧の念を漏らすのももっともだ。
 

そもそも石原は反米、反中の核武装論者であり、現行憲法を破棄して徴兵制を導入しようという時代錯誤の国粋主義者だ。この原点をあえて無視して石原の掲げた指にとまれる政党があるのかということだ。さらに総選挙の争点となるであろう個個の重要政策でも主張が異なる。


石原は原発維持であるのに対してみんなと維新は脱原発。みんなは消費税凍結、維新は消費税の地方税化なのに対して石原は消費増税是認。維新の橋下は竹島の共同管理なのに対して、石原は武力奪還も辞さぬ構え。憲法破棄論の小政党はない。
 

これらの重要ポイントを抜きにして、維新やみんなが石原の下に集合するならまさに「大異をなおざりにして野合につく」ことになる。


しかし石原の旗揚げは維新もみんなも“利用価値”があることは確かだ。旗揚げにつられて低落傾向をたどってきた維新の支持率も世論調査によっては持ち直している。小政党はたとえ一過性であっても節操を捨てて石原の“活用”に走るかどうかの分かれ道だろう。しかし亀井静香が「石原さんは可哀想なことになる」と不気味な予言をし、小沢一郎が「大きな広がりになるとは思えない」と述べている通りだろう。


「遅かりし由良之助」は「仮名手本忠臣蔵」だが、石原新党には「遅かりし慎太郎」の言葉を差し上げたい。いずれにしても石原はブームを起こすには力量不足だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月30日

◆“延命演説”では“明日への責務”欠落

杉浦 正章

 

所信表明演説から首相・野田佳彦の心理状態を分析すれば、相当追い詰められている事が分かる。自らの公約「近いうち解散」には一切触れずに、むしろ政権を「投げ出さぬ」と“延命懇願演説”の様相を呈した。「明日への責任」を20回も連発したが、その前提となる公約履行の「明日への責務」への言及がない。これでは野党も妥協点の探りようがない。


新聞論調とはあえて違う意見を述べれば、参院野党が所信表明演説を拒否するのも宜(むべ)なるかなである。スジ論としては「審議拒否はけしからん」だが、野党も問責決議を無視されている。政治論としては「何でもあり国会」の幕開けを印象付け、政権には相当な打撃となる。揚げ句の果てに野田は助けを有権者に求めて「後押しして欲しい」と弁舌豊かに強調したが、野田の口車には国民はもう懲りた。この演説を聴いて支持率が上向くことはあり得ない。
 

通常首相が所信表明演説で仮定の政治状況を作り出して、これを否定する演説はしない。ところが野田はこれに終始した。「道半ばで仕事を投げ出すわけにはいかない」「やみくもに政治空白を作って政策に停滞をもたらすようなことがあってはならない」といった発言は、首相たる者その事態が生じてから言うべき言葉だ。まだ誰もいじめていないのに子供が「○○ちゃんがいじめると言ったぁ」と泣くようなもので、大人が演ずると被害妄想となる。
 

そして焦点となっている「近いうち解散」の約束を履行するかどうかについては言及しないばかりか、内閣改造の大失敗が象徴する法相辞任も素通り。都合の悪い問題はすべて言及ゼロだ。これでは、「冷静にみれば首相は延命なんて考えていない」といくら幹事長代行・安住淳が強調しても誰も信ずるものはいまい。そこには反省はかけらもなく、開き直りと延命懇願演説の性格が浮き彫りになってくる。


何と言ってもこの国会の核心は「近いうち解散」の履行か否かなのだ。既に野田は党首会談で「条件が整えばきちんと判断する」と述べており、ここは当然その“条件闘争”のための対案を提示すべきところだ。「政局より大局」という野田が大局を理解していないのだ。
 

この演説の結果、国会は首相の“売った”けんかを野党が“買う”展開となる。当然ながら全野党が激しく反発している。先頭に立つ自民党は自民党総裁・安倍晋三が「野田政権に明日はない。『近いうちに国民に信を問う』という一番重要な約束を果たしていないなかでは、何を言っても心に届かず、言葉が空虚に空回りして痛々しい」とこきおろした。


公明党幹事長・井上義久も「既にレームダック状態になった死に体の野田内閣に課題をやり遂げる力も資格もないことを自覚すべきで、言葉だけがむなしく響いていた」と全面対決を前面に出している。
 

今後野党は野田が触れなかった“傷口への塩塗り”作戦を展開するだろう。作戦は“多正面作戦”となる。民主党は29日2人が離党して、あと3人の離党で単独過半数割れ、6人の離党で与党の過半数割れとなる。これが意味するものは政権の“風前の灯”だ。離党が進めば不信任案が可決され、憲政の常道として総辞職でなく解散を選択せざるを得なくなるのだ。


自民党幹部によると野党は、新党結成を表明した石原慎太郎も含めてあの手この手で民主党議員に離党を働きかけているようだ。これに対して野田は29日夜当選1回生19人を公邸に招いて“頭なでなで”をしたが、政権はこちらを押さえればあちらから離党の水が噴出して、まさに末期症状だ。安倍は「不信任は最大の武器」として、そのタイミングを計ることになる。
 

加えてここに来て内閣の要である国家戦略相・前原誠司が秘書のマンションを事務所扱いして経費を計上していた事が発覚したことは大きい。かつて民主党は安倍内閣で閣僚2人のクビを同問題で取っただけに、安倍の“逆襲”に会うことは避けられない。前原は絶対外せない罠(わな)のトラバサミにかかったようなものだろう。
 

ここにきて幹事長・石破茂が総選挙の時期について、12月9日としてきた次期衆院選の時期を1週間拡大した。「来年度予算案の編成を新政権でやろうとすれば12月9日か16日が投票日になる。11月の半ばには解散だ」と述べたのだ。明らかに都知事選とのダブル選挙を念頭に置き始めた。


暮れの総選挙は過去に例がいくらでもある。田中角栄が12月10日、中曽根康弘が同18日、佐藤栄作が同27日に行っているのだ。こうして野党の解散攻勢は一段と厳しさを増すことになる。新聞も判断が揺れに揺れている。読売は29日の朝刊で「解散先送り論強まる」とやったかとおもうと、30日朝刊では「与野党対決解散含み」とまるで正反対。これでは読者はたまらない。近ごろの政治記者は判断が甘いうえに安易だ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月29日

◆解散をめぐり土壇場の攻防へ

〜臨時国会開幕〜

杉浦 正章



29日からの臨時国会は冒頭から政治史上でも希有な「解散」をめぐっての激突状態に突入する。閉会中は政権サイドの解散先延ばしの“宣伝”が先行してきたが、今後は野党攻勢で政界の雰囲気は解散がいつあってもおかしくない方向へと転ずる。参院では首相・野田佳彦の所信表明演説すら出来ない異常事態だ。


既に野田は、「1票の格差」是正を理由に衆院解散を先送りする考えがないことを示すなど、じりじりと土俵際に後退し始めた。自民党は解散戦術を転換、審議拒否は基本的に回避して審議に応じつつ、政権の弱点を突き、解散に追い込む方向を選択した。鹿児島3区の衆院補選で自民党候補が辛勝ながら勝ったことも解散攻勢に弾みが付くだろう。
 

国会閉会中は野党も解散に追い込む手段が全くないわけだから、自公首脳らの発言も何を言っても犬の“遠吠え”に過ぎない。しかし国会がひとたび開会されれば事態は逆転する。“遠吠え”が“噛みつき”可能な距離まで接近するのだ。焦点は赤字国債発行法案と定数是正法案が軸となるが、当初の自民党戦略の欠陥はこれを人質化しようとしてきたことだった。


確かに最近“狡猾さ”が目立つ野田のことだから、法案が成立すれば“食い逃げ”に出る可能性は否定出来ない。しかし自民党が国民生活と違憲訴訟に直結するような法案の成立を止めるほうが、解散先送りの口実をあたえることになる。全国紙の社説も、法案を成立させれば自民党の責任政党としての立場を支持し、野田に臨時国会での解散を求める論調を一層強めるだろう。
 

法案人質化などより、攻撃の材料は山ほどあるのだ。まず大局的には「近いうち解散」を言いながら公党間の約束を臆面もなく踏みにじっている野田の政治姿勢が最大の追及テーマとなる。次に首相としての“能力”が問われる。


消費増税はたしかに野田の“手柄”だが、自公の助けなしには実現しなかった。自らの能力だけでは成立は不可能であったのであり、野田の“能力”発揮ではない。先の改造劇で滞貨一掃のごとき人事を断行、直ちに法相辞任を招いた事が象徴するような統治能力の欠如が、俎上(そじょう)にあがるのだ。


外交面では前元首相と全く同じの大失態が問われる。尖閣国有化のタイミングだ。中国国家主席・胡錦濤が反対を表明した翌日に閣議決定をすることはなかった。あまりにも稚拙な外交であり、当然責任は問われなければなるまい。


加えてかってない3流閣僚で構成した結果、国会は舌禍国会の様相を浮き彫りにするだろう。全く財務に経験のない財務相・城島光力と駄弁の文科相・田中真紀子など野党が狙いをつける対象には事欠かない。これで解散に追い込めなければ自民党総裁・安倍晋三も幹事長・石破茂も逆に責任を問われる。おそらくかさにかかって責め立てるだろう。
 

こうしてまさに「背水の陣」に追い込まれるのは野田政権だ。民主党内はまだ依然として“解散恐怖症”が根強いが、一部にある衆参同日選挙論などは“噴飯物”であり、とてもそこまで政権は持たない。野田の支持率急落を見て、ようやく党内には解散を先延ばししては当選する議員も落選しかねないという危惧が中堅議員の間で出始めた。

現段階で確実に当選圏内とみられる民主党議員は筆者の見たところ70人は固く、当落線上が30人というところだ。これが野田の支持率が竹下並みに3%まで下落した場合をシュミレーションすると、当確が40〜50人止まりになりかねないのだ。遅ければよいというのは大きな誤算であることが分かって来つつある。また鹿児島補選で接戦だったことで、やり方次第で切り抜けられるという見方も生じている。
 

こうしたなかで野田の心境は大きく揺れている。半世紀近く首相の動揺ぶりを観察してきたが、追い詰められた“死に体”の首相は自分に言い聞かせるように強く出たり、急に弱音を吐いたりする傾向がある。これを繰り返しながら一歩一歩「退陣」への道筋をたっどってゆくケースがほとんどだ。突っぱねて予算編成はおろか来年の通常国会までやる姿勢をみせても、砂上の楼閣である事がやがて分かるだろう。


最近の野田は突っ張りからやや弱音に向かってきた。その証拠の発言が1票の格差が改定完了前でも解散ありうるとする27日の発言だ。野田は「国会で法律を改正し、国民への周知作業などを経てから選挙を行うのが、一般論としての筋だ。ただ、国民に信を問う状況が生まれれば、総理大臣の専権事項として、自分なりの判断をしなければならない」と述べたのだ。


臨時国会で衆議院の選挙制度改革関連法案が成立した場合、区割りと周知期間が終わっていなくても、衆議院を解散することはあり得るという考えを示した。改正した段階で解散権を行使できるという解釈だ。幹事長・輿石東もこれに追随している。いずれにしても解散という政局の核をめぐる興亡は土壇場の状態に移行する。

<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月26日

◆日本に極右国粋主義の第3極は不要

杉浦 正章

 

第3極と言うが、極右国粋主義の第3極が今の日本に必要な時だろうか。まったくの時代錯誤に過ぎないとおもう。


石原慎太郎は新党結成の記者会見で中央官僚制度批判に終始して、あえて憲法破棄論に象徴される外交・安保上の持論に深く触れなかった。これが何を意味するかと言えばさすがに普段の極論を述べては、選挙にならないという思惑が先行したのだ。だから官僚制度の在り方への批判ばかりをとりとめもなく繰り返したのだが、これは民主党の3年前の主張と何ら変わらない。


結果は3年間の失政に次ぐ失政だ。年齢は80歳。母体になるたちあがれ日本も代表・平沼赳夫以下息も絶え絶えの状態であった。看板を書き換えても弾みは生まれない。石原ブームなど幻想に過ぎない。唯一最大の注目点は弾みで民主党から新党参加の離党者が出て、首相・野田佳彦への不信任案が成立する状況が出来るかどうかだ。
 

石原の“持論隠し”作戦は老獪の一語に尽きる。焦点の尖閣問題についてもせいぜい船だまりの建設に触れただけだ。石原が首相になることは100%あり得ないが、国政を左右するキャスティング・ボートなどを握ったときには日中関係は軍事衝突の危機にまで発展する可能性があることを警告しておく。


国家戦略相・前原誠司が先に暴露した問題を見れば明白だ。前原は「8月に行われた石原氏と野田佳彦首相との会談で石原氏は中国との戦争も辞せずと話した」と発言したのだ。石原は「そんなことは言っていない」と否定しているが、自分の発言を「言わない」と否定するのは石原の常とう手段だ。


筆者が官邸周辺から聞くところによると、「戦争になってもいいじゃないか」と述べたのは事実だ。これを受けて野田は、尖閣を石原の思うがままにしておいたら本当に戦争になりかねないと判断して、国の所有を決断したのだ。それも事を急ぎすぎて、日中関係を破滅状態に陥らせてしまった。すべての発端は石原の都による尖閣購入発言にある。
 

石原の極右国粋主義は73年に中川一郎らと自民党に「青嵐会」を結成したときから変わらないが、近ごろは加齢とともに一層極端になって来ている。「日本は核を持つべきだ。徴兵制をやれば良い」と持論の核武装論を展開。「核保有の模擬実験は可能。3カ月でできる」「プルトニウムは山ほどある」とも述べた。


もっとも許せないのは「大震災は天罰」発言だ。被災者の気持ちをどれほど傷つけたことであろうか。東京の有権者の甘さが長期に知事職を壟(ろう)断させたが、最大の失政は自ら旗を振って設立した新銀行東京だ。


素人丸出しの経営でピラニアのように出資を食われ、あっと言う間に累積赤字は東京都の出資分1000億円を超過。追加出資の400億円と合わせれば、都民の負担は1人あたり約11000円に達する。反省の弁など一言もない。都政担当の記者のレベルではこれら外交・安保、内政上の問題を突く能力に欠けるのだろう。記者会見の質問は低調に終始した。
 

そもそも3極と言っても実現可能だろうか。平沼は「細かいことは言わずに西は維新、東は石原でいい」と述べるが基本政策、理念が一致しなくて、むりやり連合を組んでも選挙目当ての野合に過ぎない。


日本維新の会と石原の主張は重要ポイントで大きく食い違っている。その上石原がもっぱら維新に秋波を送っており、橋下は冷静だ。まず石原は憲法破棄論である。破棄して核武装、徴兵制を実現する新憲法を制定するというのだ。


維新は改憲だ。原発も維新が脱原発なのに対して、石原は原発維持。消費税に関しても維新の地方税化に石原は反対している。維新が提携交渉を進めているみんなの党代表・渡辺喜美は「増税や原発を容認するなら、民主・自民・公明の3党の補完勢力になり、『維新』ではなく、よくて『新選組』だ」と激しい石原批判を展開している。
 

2大政党への影響だが、自民党は躍進傾向を見せており、石原新党が食い込める余地はないだろう。新党はたちあがれ日本とも東京などでは競合する。石原が堂々と選挙区から立候補することを避け、こそこそと比例選東京ブロックから出馬する方針なのも、安易な逃げの姿勢と解釈できる。


結局食われるのは民主党だ。維新と石原の挟撃を食らうことになるだろう。問題は野田では当選できないと感じている若手議員らが離党して新党に合流する動きを見せるかどうかだ。


所詮、「風」で当選してきた連中には、愛党心などはない。「昨日勤王今日また佐幕」で、その日その日の風任せの連中が9人離党すれば政局を直撃する。不信任案が成立する。そうなれば憲政の常道は解散だ。石原の打った球は思わぬ効果を発揮する可能性があるある。


しかし天下の大老害の「最後のご奉公」などはもうしてくれなくていい。時代錯誤の上に悪女の深情けより悪い。 

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月25日

◆斜めから川柳詠めば見えてくる

杉浦 正章

 

<仮病ならみんな安心とりあえず>というわけで、何とかこの場は切り抜けたが国民の目は節穴ではない。あの民放のコメンテーターまでが「うそ」と見破るようでは形無しだ。法相辞任劇はうその上にうそを塗り固めたものだ。


野田がまず大うそをついた。「引き続き加療が必要なためだ」とすべてを病気のせいにした。これが第一のうそ。第二のうそは「非常に残念なことだ」と思ってもいないことを口走ったこと。辞めてくれて有り難いのが本音だ。


そもそも改造は、朝日川柳で<こんなので選挙に臨むいい度胸>と言われた通りの結果なのだ。第三のうそは官房長官。藤村は「体調不良で辞めることは、いかんともしがたい」とやはりぬけぬけと病気のせいにした。


第四の口走ってはいけない大うそは「首相の任命責任にはつながらない」だ。このうそにはコメンテーター様たちも怒った。「私は弁護士だけど」と前置きして怒った。弁護士でなくても怒っていいのだが、やはりここは「弁護士」と言いたかったのだろう。政治ニュースも馬鹿げた大臣のクビばかり追い回していて、<大臣のクビが政治じゃあるまいに>と嘆かれる始末だ。
 

そしてそうだったのかとはたと手を打つ。<近いうち閣僚辞任のことでした>となる。自民党は谷垣以下、野田の誠実そうな人柄にだまされたことになる。「近いうち解散」発言から2か月半がたってもまだ「近いうち」にならない。まさに<ドダヌキが化けたドジョウは手に負えぬ>だ。


おりから民主党内は“解散恐怖症”が蔓延していて<「か」の字聞くだけで震える民主党>の状態。まるで解散ノイローゼだ。野田にも伝染して「か」の字はタブーだ。首相周辺では「かりんとう」と言ってももいけないのだ。「かんてい」と言っても怒られるのだ。



しかし<先延ばししてもお先は真っ暗だ>では、「かんねん」するしかないことが恐怖症の面々には分からない。「おじゃる」「おじゃる」と屋敷を野武士に囲まれた公家集団のように右往左往だ。
 

人心を少しでも官邸に集めようと三流政権はあらゆる事象を利用する。五輪と合わせて世界大会13連覇を達成したレスリング女子の吉田沙保里はもちろん国民栄誉賞を受けて当然だが、野田がやると“臭い”のだ。朝日に<贈るほうにはおおよそ遠い栄誉賞>と言われてしまうのだ。
 

男女の仲で女性が言う「あなたを信じた私が馬鹿だったのね」は常套句だが、これでは有権者も<誠実なドジョウと思い込んだ馬鹿>ということになる。国民は、朝日のように<泥濘(ぬかるみ)や死ぬまで泥鰌(どじょう)飼うことに>となってしまうのだろうか。


たしかにどじょうはのらりくらりとしぶとく生きる。<支持率がマイナスになりやっと辞め>くらいに思っておいた方がよいかも知れない。しかし正義は最後には勝つのだ。人をだます人にはきっと天罰が下るのだ。<落城へうそ塗り固め壁もたぬ>となるに違いない。黒サギ城はうその塗り壁から崩壊するのだ。
 

ところで自民党もだらしがない。<老舗では古看板の塵(ちり)はらう>と、もう政権取ったつもりでいても、野田政権を追い込めるかというとなかなか決め手がない。「うそつきはほとんど病気民主党」などと副総裁・高村正彦が“遠吠え”しているが、手に負えないのだ。審議拒否のラッパを高らかに鳴らしていたかと思えば、これも世論の反発で<振り上げた拳のままで出る審議>となってしまうのだ。


永田町はやはり<恥知らぬ人多く住む町があり>か。

<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)
 

2012年10月24日

◆自民党は審議拒否戦術を転換か

杉浦 正章


自民党執行部が早くも解散戦略の修正を迫られている。発足早々から審議拒否の強硬路線で突っぱねてみたが、野田の解散先送りの壁にあい、振り上げた拳を降ろさざるを得なくなったのだ。かねてから筆者が指摘してきたように審議拒否では事態打開は出来る見通しが立つわけがないのだ。


折から法相・田中慶秋の“仮病辞任”など首相・野田佳彦の責任を追及する材料は山ほどある。ここはごね得を狙っても始まらない。さっさと方針転換して審議に応じたうえで早期解散に追い込むべきだ。
 

それにつけても野田政権というのはここに来て本当に悪くなってきた。潔くない。解散に加えて田中辞任にまでうそをつき始めたのだ。野田がまず23日辞任の理由について「引き続き加療が必要なためだ。非常に残念なことだ」とすべてを病気のせいにした。官房長官・藤村修に到っては「首相の任命責任にはつながらない。体調不良で辞めることは、いかんともしがたい」と見え透いた逃げの手を打った。田中は決算委員会などに呼ばれても憲法違反の欠席を繰り返したが、なんと欠席をそそのかしたのは民主党執行部であったのだ。


おまけに入院を勧めたのも執行部だ。組織ぐるみのカバーアップをしておいて、逃げられないとみるや病気のせいにする。まさに見下げ果てた政権だ。24日付読売の編集手帳が野田について「就任した頃の純朴で誠実な印象はメッキが剥げた」と看破しているとおりだ。たしかに最近の野田は「どずるい」本性丸出しだ。
 

昔首相・橋下龍太郎は、ロッキード灰色高官の佐藤孝行を総務庁長官に任命して12日間で更迭せざるを得なくなったとき「自らの不明を恥じる」と述べたものだ。これが首相たる者の対応だ。「任命責任は認めるが職務にまい進する」では全く責任を認めたことにならない。


大阪の疝気筋・橋下徹が「人事の失敗は組織ではあり得る」と、相変わらずとんちんかんにも擁護に回ったが、弁護士のくせに「確信犯」を知らないのか。確信犯の用語は思想犯・政治犯・国事犯などに見られる道徳的・宗教的または政治的確信に基づいて行われる犯罪と、知りながらあえて行う悪い行為に分けられるが、野田の対応ぶりは明らかに後者だ。
 

法相辞任一つ取っても首相の任命責任追及の材料には事欠かない。ましてや首相の「近いうち解散のうそ」に始まって、復興予算の流用など追求すべき材料は山積している。宝の山を前にして審議拒否などしても国民の求める政権の欠陥解明義務は果たせない。


そもそも自民党は新執行部が出来たときの勢いもあってか、最初から審議拒否を打ち出している。幹事長・石破茂は5日、都内で記者団に「嘘をつく政府・与党を相手に国会審議に応じることにはならない」と審議拒否を明言している。


それが党首会談で解散問題が行き詰まり、野党間も共産、社民両党や日本維新の会が審議に応じる構えで、足並みが乱れる事態となった。おりから赤字国債発行法案が成立しなければ、11月末で国家財政は底を突く。民主党は自民党に責任を転嫁しようとしている。
 

このため執行部の方針もぐらつき始めた。自民党総裁・安倍晋三は22日、臨時国会について「審議拒否をするとか、私は一言も言っていない」と軌道を修正。石破も「審議拒否すると決めているわけでもなく、発言もしていない」とこれまた臆面もなくうそをついた。どうも石破は「その場限りの理路整然」の傾向があるが、気をつけた方がいい。竹下登の口癖「理路整然と間違う」の常習犯にならによう忠告しておく。
 

自民党執行部が煮え切らないのは通常国会で問責決議を可決させた経緯があり、この効果を持続させたいという思いがあるのだ。しかし事態はめまぐるしく展開しており、過去の問責を軸に野田を解散に追い込むことは極めて難しくなっている。


逆に赤字国債発行法案を前に審議拒否をすれば世論の矛先は確実に自民党に向かう。自民党は新戦術、つまり「寝る」のではなくて「起きて暴く」しか方策は無くなってきているといってよい。
 

それには常に急進的な「関東軍」となる参院自民党を押さえ込まなくてはなるまい。安倍も参院との調整の必要を漏らしている。しかし毎日によれば自民党参院国対委員長・脇雅史は23日開かれた参院野党国対委員長会談で「政府提出法案に協力することはあり得ない」と前置きしながら、特例公債法案について「自民党が(反対ではなく)欠席すれば参院で法案は成立する」と述べたという。


苦肉の策だがこのような手段を講じてでも、国会審議は拒否すべきではあるまい。むしろ蛮刀を振りかざさずに、赤字国債や定数是正にけりをつけつつ、野田を解散へと追い込む高等戦術に転換すべき時だろう。それが出来るかどうか。執行部の能力を問われている場面だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2012年10月23日

◆「年内解散論」の前原は掃きだめのツルだ

杉浦 正章

 

貧すれば鈍するというが民主党政権の「前原批判」は、あるべき政治の原点を逸脱して、自らを腐った党利党略の泥沼に沈めるものになるだろう。国家戦略相・前原誠の発言の本旨は“うそつきドジョウ”の印象を払拭しようとしたものに他ならない。それに不快感を述べる首相・野田佳彦と官房長官・藤村修は天に唾するものであろう。批判すればするほど前原が民主党政権という掃きだめのツルに見えることが分からない。
 

前原発言は21日の発言が大きく報じられたが、既に筆者がいち早く19日の記事で指摘している。前原は18日の時点で「民主党政権がどうなるか分からないが、国家のために早期解散がいい。先送りしていると見られることは、決して良くない」と述べているのだ。


それが21日には「年明けに解散しては『近いうち』とは言えない」となった。22日も「私の考えは、きのうの発言と変わっていない。野田首相が、民主・自民・公明の3党の党首会談で思いを話し、解散に向けた条件を示したので、あとは信頼関係をもって3党で話をすることに尽きる」と“年内解散の見方”を重ねて示した。
 

この前原発言に対して永田町では様々な憶測が生じている。あまりの自公寄りの発言に「選挙後の自公政権へ秋波だ」と政権交代後の連立に向けてポストを狙ったという見方まで出ている。まさに“邪推”とはこのことを言うのだろう。外国人献金疑惑が出るやいなや世話になった韓国人女性をかばって、外相を直ちに辞任するほどの政治美学を持った男がそんなことを考えるわけがないではないか。むしろ野田への援護射撃と受け取るべきことだろう。


英語でうそつきの「ライアー」は最大の侮辱となるが、その“ライアー野田”が定着してしまわないように政治の常識を述べたものであろう。現に「総理は自分の言葉に責任をもち、審議を重んずる方だ」と付け加えているではないか。
 

もちろん前原にも持論がある。持論とは早期解散論だ。幹事長・輿石東がかつて主張したように衆参同日選挙をしては、衆参で自民党が圧勝することになるから、これを避けるべきだというものだ。さらに野田の支持率がまだあるうちの解散の方が“野垂れ死に解散”よりはましという判断もある。いずれも民主党を思っての発言であろう。


これに対して野田は、狭量なる判断をした。日本維新の会の国会議員団代表・松野頼久との会談で、松野が「閣僚が解散について言及するのはいかがか」とおべんちゃらを言ったのに対して、「私もそう思う」と不快感を示したのだ。藤村も「解散を決めるのは首相だけだ」とこれまた不快感。自分の内閣の閣僚の発言を首相やスポークスマンが批判して不快感を示す場面だろうか。それでは一日でも長く政権の座に居座りたいという邪心が丸見えではないか。不快感を示すくらいなら、直接会って戒めるべきだが、それが出来ないのは後ろめたさがあるからだ。
 

いまや野田政権の存在は日本にとって最大の“公害”となりつつある。消費税増税だけは虚仮(こけ)の一念で成立させたが、以後何が起きようが手つかずだ。


復興予算の流用という内閣不信任に該当する問題、法相の外国人献金、赤字国債対策などに際して、野田の存在感は全く見られない。近く辞任する法相・田中慶秋の人事は、大局を忘れた論功行賞人事で自らが招いた結果だ。任命責任に直結する。


そして、しでかしたことは中国国家主席・胡錦濤が、尖閣諸島の国有化に懸念を表明した翌日に国有化を閣議決定するという外交史上まれに見るほどタイミングを逸した誤判断だ。各国大使館は野田の断末魔の悪あがきを克明に本国に打電している。


この野田にロシアのプーチンが年末の野田との会談で実りある提案をするとは思えない。アメリカは日米同盟再構築を自民党政権に託すだろう。中国も関係改善はむしろ自民党総裁・安倍晋三に期待している兆候が見られる。
 

要するに民主党政権は3代にわたる“駄目首相”を国民の前にさらけだしたのだ。野田は新橋や銀座の飲み会で何と言われているか知っているのか。


「もう2度とだまされない」「絶対に民主党以外に投票する」が圧倒的だ。国民の信を失い、内政外交に渡って失政を繰り返した政権が、前原のまっとうな発言を批判する資格はない。薄汚い政権の座への執着は捨てて、野田は前原発言を忠臣の諫言と聞く度量を示すべきであろう。


<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月22日

◆野田は党首会談再開で解散へ踏み込め

杉浦 正章
 

いずれにしても早期解散に追い込まれるのだから、言ってみれば往生際が悪いと言うことだろう。3党党首会談で自民、公明両党を激怒させて、首相・野田佳彦が得たものは“野垂れ死に”路線に他ならない。このま政権にしがみつけば「嘘つき首相」の評価が定着する。


既に内閣支持率の急低下を招き、危険水域の10%台に突入した。竹下内閣並みの支持率3%もあり得る。解散しなければ政権を投げ出す総辞職しかなくなるのだ。進退は窮まった。ここは少しでも支持率があるうちに早期解散・総選挙に踏み切るしか選択肢はないのだ。


国家戦略相・前原誠司の野田が年内の解散に踏み切るという“読み”は1番まっとうだ。早期に党首会談を再び開催して、追い込まれ解散でなく話し合い解散を選択をすべき時だ。
 

自民党もマスコミも野田から解散で新提案が全くなかったかのように反応しているが、野田は本人にしてみればぎりぎりの解散新提案をしている。「政権の延命を図るつもりはない。条件が整えば自分の判断をしたい」と述べている。これは首相として発言の限界であろう。しかし前宣伝が悪かった。


野田が「一蓮托生」とする幹事長・輿石東が大ミスリードをしたのだ。輿石の「新しい具体的な提案」発言が、自民党総裁・安倍晋三をして年内解散と判断させる結果を招いた。安倍はすくなくとも「近いうち」の抽象表現から「年内」の表現くらいは入るだろうと思ったが、当てが外れたのだ。安倍と公明党代表・山口那津男が激怒するのも無理はあるまい。
 

かつて田中角栄は首相たるものの心得として「首相は衆院解散と公定歩合の変更については本当のことを言わなくてもいい。ただしウソをついてはいかん」と述べていた。この意味は解散判断の間違いは代議士ばかりではなくマスコミ関係者の「クビ」にも直結するものであり、人情味のある田中としては「うそによる解散ミスリード」を戒めたのだ。


今度の場合、野田は輿石発言の結果大うそをついたことになる。安倍にしてみれば、ぬか喜びをさせられたわけで、党内的にも信頼度の低下を招く結果となった。
 

この状況を見てか、副総理・岡田克也が「安倍さんが野党の党首として振る舞うか、次期首相になる人として振る舞うのかを見ていたが、野党の党首としての振る舞いであった。残念なことであった」と安倍をさげすむ発言をした。これには驚いた。政治家のレトリックは多種多様であってしかるべきだが、野田を見ていた国民がびっくりする。


なぜなら一国の首相が大うそをついたことを棚に上げているからである。筆者が岡田流に言えば「首相として振る舞うかどうかを見ていたが、野党もしない振る舞いであった」ということになる。
 

これに比較して前回も褒めたが、前原の「読み」はここに来て冴えている。21日前原は「年明けに解散をするのなら『近いうちに』とは言えない。野田首相は自分のことばに責任を持つ信義を守る人だ。年内に解散しないことはないと思う。赤字国債発行法案などをどうするのかという話をすれば、おのずと自民・公明両党の主張と同じようなところに落ち着くのではないか」と年内解散を明確に述べたのだ。


これを民主党幹事長代行・安住淳が否定しているが、自分の発言と矛盾する。安住は20日にテレビで「総理が近いうちに国民の信を問うことをしっかりと実行することは、いろいろな言葉を交えて言っている」と指摘しているではないか。自分の発言はよくて他人の発言は悪いことになり支離滅裂だ。野田が「発言の重みは自覚している」「延命を図らない」「条件が整えば判断する」と述べたことは、早期解散の意思表示と受け止めるべきだろう。
 


これに対して自民党は「喧嘩のための喧嘩」を展開しようとしているかに見える。石破は「これほど腹を立てたのは初めてだ」と強調する。まるでテレビで国民の同調を求めているような姿勢であり、鼻につく。野党が解散に追い込もうとする姿勢は理解できなくもないが、流れをうまく追求すれば「話し合い解散」へと結びつけられる事態を、あえてぶちこわすこともなかろう。もう少し大人になるべきだ。追及材料には事欠かないのだ。


今後どうなるかだが、まず野党の自民党は、おもちゃ売り場で駄々をこねている子供のように「解散を言わなければ審議拒否だ」と叫ぶ必要はない。もう民意は野田政権を離れた。


朝日の世論調査も最低の18%に落ち込んだ。まだまだ急降下するだろう。10%台では政権の延命は図ろうにも図れないのだ。これを死に体内閣という。まずこの急所を押さえた対応が必要であろう。そして責任政党らしさを発揮するのだ。


つまり29日の臨時国会から赤字国債発行法案と定数是正の審議に直ちに入り、その成立を条件に野田を臨時国会解散と年内選挙に踏み切らすのだ。野田は「他律的な解散」の状況作りを待っている側面もあるのだ。


そのために石破が国会までの間の再党首会談を提案し、安倍も「前原の発言を受けて、野田首相からも何らかの働きかけがあると思うのが常識だ」と再会談に期待を表明している。まさに再会談を行うべき時だ。


<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

2012年10月19日

◆大包囲網の中で野田が「解散新提案」へ

杉浦 正章

 
国家戦略相・前原誠司は独特の政治美学を持っていると思う。自らの外国人献金が発覚するや、「世話になったオモニに迷惑をかけられない」と直ちに外相を辞任した。法相やどこかの党の幹事長とは大違いだ。

その前原が、今度は焦点の臨時国会の解散について18日「民主党政権がどうなるか分からないが、国家のために早期解散がいい。先送りしていると見られることは、決して良くない」と発言したのだ。


まさに政局の核心を突く正論であり、野党に転落させるのが惜しい民主党の人材の一人である。いまだに首相周辺には「解散はない」のラッパを吹き続け、往生際の悪い党利党略人間がいるが、爪の垢でも煎じて飲めと言いたい。野田は観艦式で「言行に恥づるなかりしか」と訓示したが、まさに自らに言い聞かせたものと受け止めたい。
 

政局の鼎(かなえ)がいよいよ沸き立った。19日午後4時からの党首会談で野田が2か月前に「近いうちに国民の信を問う」と述べた“つけ”を支払わされる場面に到ったのだ。政治状況はとみるとこれ以上ないほど完璧な“解散包囲網”が出来上がった。


まず国会では自民、公明両党に加えて、他の野党7幹事長らが18日野田に対して早期の国会召集と衆院解散を求める声明文をまとめ、民主党に突きつけた。声明文は「国民の声に背く政治姿勢をとり続ける野田内閣は不信任に値する。衆院を速やかに解散し、国民に信を問うべきだ」と一刀両断に解散を求めている。
 

加えて世論の動向も早期解散要求一色に流れている。毎日の世論調査では自民党総裁・谷垣禎一に野田が示した「近いうちの衆院解散」の約束について、「首相は約束を守るべきだ」が71%に達し、「守る必要はない」の18%を大きく上回った。民主支持層でも69%、自民支持層では78%が「守れ」の回答だ。

新聞の社説も早期解散要求一色だ。朝日が「早期解散へ、環境整えよ」と書けば、読売は「解散を遅らせることを目標とするような政権は、存在意義が問われる」と断じている。
 

こうした中でまず幹事長・輿石東が従来の主張を転換して、柔軟姿勢に変わった。選挙制度改革では「0増5減」の優先を認めた。判断力のない政治家や政治記者を惑わし続けた衆参同日選挙論も打ち消した。幹事長代理・安住淳は「野田佳彦首相は誠実な人柄。約束は守る」と確信ありげに述べるに到った。


3党幹事長会談の影にはこの安住と自民党幹事長代行・菅義偉の事前の根回しがあるが、菅は「だんだんと解散・総選挙に向けて流れ出した」と漏らしている。


注目すべきは自民党総裁・安倍晋三の党首会談へのコメントだ。菅の報告を受けたのだろう「年内の解散・総選挙が行われるという認識に至る、具体的な提案があると思う」と発言した。この発言は期待感と言うより、自民党総裁としてのメンツをかけた「判断」を打ち出したとみるべきだろう。
 

事実、輿石も「具体的なことは言えないが、首相から何らかの新しい具体的な提案があるのではないか」と18日の幹事長会談で自公側に伝えた。問題はその「具体的な提案」とは何かだ。少なくとも抽象的であった「近いうち解散」より踏み込まなければ具体的とは言えない。時期の明言はしないにしても、野田は早期解散に1歩も2歩も踏み込まざるを得ないだろう。


ここで自公と民主党との対立軸をみると、既に一点に絞られてきていることが分かる。焦点は自公が「解散なしに赤字国債発行法案も選挙制度改革もない」なのに対して、輿石が真逆の「法案成立なしに解散なし」の条件闘争に煮詰まってきていることだ。加えて赤字国債人質化を避けるために本予算と一体で成立させる方向での法改正も検討課題となっている。
 

これらの課題は赤字国債法案も定数是正も自公が認めればけりが付く話であり、定数是正などは「0増5減」が先行なら時間はかからない。既にある自民党案に民主党が乗るだけの話しだ。総選挙に間に合わなくても、最高裁には国会の姿勢を示しておけばこと足りる。


党首会談では「法案成立の確約」と「解散の確約」のはざまで、野田が自公も納得できる早期解散の表現をどうひねり出すかにかかっていると言えるだろう。野田は14日の自衛隊観艦式で異例の「海軍5省」を訓示に使った。旧日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校において、生徒がその日の行いを反省するために自らへ発していた5つの問いかけが「海軍5省」だ。


「至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか」「言行に恥づる勿かりしか」と訓示したのだ。これは野田の政治哲学にもつながる発言であると重く受け止めるべきであろう。うそをつく気がないが「至誠」であろう。とりわけ「言行に恥づる勿かりしか」と述べたのは「近いうち」のツケをしっかり払わざるを得ないという決意表明と受け止められる。


もう筆者がかねてから主張してきたように「話し合い解散」に踏み切るべき時なのだ。
 
<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月18日

◆政権に就けば“君子豹変”で参拝しまい

杉浦 正章



秋季例大祭とはいえなぜこの時期に自民党総裁・安倍晋三が靖国神社を参拝したかである。恐らく本人は綿密に状況と利害得失を分析して、総選挙にプラスと判断したに違いない。折から尖閣、竹島両島をめぐり世論は対中対韓強硬論が強く、保守回帰の潮流が生じている。近く行われるであろう総選挙では領土問題が大きなテーマとなることが確実だ。


しかし問題は政権復帰を果たしてから首相として参拝を続けるかどうかだが、おそらく“君子豹変”に出るだろう。対中、対韓関係改善に動くことが「安倍政権」の最大のテーマとなるからだ。
 

さっそく中国は洪磊副報道局長が17日夜、「日本は歴史問題について従来の厳粛な態度を守り、責任を持って処理すべきだ」と非難した。国営新華社通信も「惨敗は悪魔の影を呼び起こした。人気取りの意図は明らか。(参拝は)近隣外交の苦境をさらに深めるものだ」と論評した。

しかし一連の尖閣問題に対する激高の態度よりトーンが弱まっているように見える。中国も次期政権まで敵に回してしまってはまずいとの判断が働いている可能性がある。現に日経によると中国大使館関係者からから自民党の外交関係議員のもとに、電話で「安倍氏の参拝を止められないか」と要請があったという。「安倍政権」での関係改善を意識している証拠だ。一方、安倍自身も水面下で日中改善へと動いている。
 

中国側は第1次安倍内閣の際の安倍の態度急変が頭にあるものとみられる。安倍は2006年9月26日に首相に指名されるやいなや10月8日から中韓両国を電撃訪問した。中国では主席・胡錦濤と、韓国では大統領・盧武鉉と会談して、両国との関係を一挙に改善している。とりわけ中国とは「戦略的互恵関係」を樹立している。


日中両国がアジア及び世界に対して厳粛な責任を負うとの認識の下で、お互いが利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させることに大きくかじを切ったのだ。それまでは首相・小泉純一郎の6回にわたる靖国参拝で冷え切った日中関係打開への道筋を開いた。
 

今回首相になった場合そのような急変が可能だろうか。安倍は参拝後、記者団に「日中、日韓関係がこういう状況でいま、首相になったら参拝するかしないかは申し上げない方がいい」と述べている。これはかつて首相就任当初から、「 参拝するか、しないかは言わない」という“あいまい戦術”を取ってきたのと全く同じ路線である。


しかし今回の場合、安倍は総裁選挙の最中から靖国参拝を明言しており、先月下旬に総裁就任後も、「国の指導者が参拝するのは当然で、首相在任中に参拝できなかったのは痛恨の極みだ」とまで言い切っている。


これに先立って極右・櫻井よしことの対談でも、より踏み切った発言をしている。首相に再選された場合の参拝について安倍は「靖国神社には当然、参拝する。実は総理の任期中には絶対参拝しようと思っていたが体調不調で辞めざるをえなくなってしまった」と弁明。「菅氏も鳩山氏も、閣僚に靖国神社への参拝自粛を求めたが、日中関係は悪化している」と靖国参拝と日中関係を切り離す発言までしている。
ここまで踏み切った発言をすれば、当然首相就任後も参拝を繰り返すという判断が成り立つが、果たしてそうだろうか。安倍の対中外交の“成功体験”がそれを抑制するのではないか。首相で参拝したとすれば、ただでさえ尖閣問題で緊迫の度を加えている日中関係に取り返しの付かない打撃を与えることは必定である。


安倍は尖閣問題についても総裁選で「船だまりを作る」とか「公務員を常駐させる」と石原慎太郎並みの踏み込んだ発言を繰り返している。従軍慰安婦で日本軍の関与を認めた官房長官・河野洋平談話と植民地支配をわびた首相・村山富市談話の見直し発言もしている。これらの“公約”の延長線上にあるものは、日中国交断絶や武力衝突に他ならない。
 

もちろん国論もそこまでの対中強硬姿勢を求めてはいない。対中関係改善は日米安保体制再構築に次ぐ重要案件であり、それを自らの主義主張のために最初から破壊する行動を取るとすれば、いくら右傾化の自民党政権でも最初から揺らぐ。


かって安倍自身がそうしたように持論・主義主張を抑制しながら国益を追求する姿勢が新首相に求められるのだ。したがって安倍は国益重視の君子豹変に出るしか選択の余地はないのだ。今のうちの靖国参拝は“靖国不参拝”のカードを切るための条件整備の性格をもたせる色彩が強い。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月17日

◆橋下のカリスマは事実上崩壊した

杉浦正章

 

奈良県久米寺の空飛ぶ仙人が女性の白いふくらはぎに見とれて神通力を失って墜落した伝説は有名だが、大阪の久米仙人も若いのに墜落の危機だ。単にコスプレ不倫だけでなく、現実政治に直面するにつれてそのメッキの剥げ方が著しいのだ。支持率の低下を招いている。


日本維新の会代表の橋下徹はカリスマが崩壊したのだ。カリスマとは特定の人物の非日常的な能力に対する“信仰”だが、その非日常的な能力が繰り返せなくなるとすぐに色あせる。マックス・ウェーバーによるとカリスマの崩壊は追随集団の急速な崩壊を招くと言うが、その兆候も見え始めた。
 

歴史的には橋下ブームは「大阪ポピュリズム」の浅薄さの証明となるものだろう。何しろ民放のコメンテーターらは連日「天才だ」「天才だ」と賞賛、新聞もその一挙手一投足を報じた。コメンテーターや大阪の記者の政治意識のレベルがいかに低いかを物語る傾向として興味深いものがあった。


だいたい最近の「天才政治家」は米国ではケネディ、イギリスではチャーチル、中国では毛沢東、日本では田中角栄くらいしかいないと思っているから、ばかばかしくて聞いていられないのだ。政治評論家も礼賛し続けたが、政治を判断する基本が出来ていない。
 

最近では橋下本人もカリスマ崩壊を認めている。「だんだん虚像じゃなくなってきて実像に近づいてきた。まだまだ下がる」と他人事のようなコメントをしている。なぜ崩壊したのかと言えば、もともと“虚像”であったからだろう。カリスマとは一度や二度空を飛んだくらいでは維持できない。ずっと飛び続けないと崩壊するのだ。


まず崩壊のきっかけとなったのはその国政に対する認識の甘さだ。発言も極端に変わる。超重要テーマでも消費税反対が賛成、原発再稼働反対が賛成と言った具合だ。極めつけが国中が怒っている竹島問題で「日韓共同管理」を提唱したのだ。あまりの無知、無節操ぶりに、これでは中学校の模擬国会の方がよほど立派だと思われ始めたに違いない。
 

まだまだ“久米仙人”の露呈はある。政党化するため松野頼久ら国会議員を取り込んだまではよかったが、石原慎太郎から「そうそうたるメンバーが集まったのならともかく、あの顔ぶれでは周りも失望するんじゃないか。橋下君自身が失望してるのじゃないのかね」とあきれられる始末。


たしかにあの顔ぶれはひどい。ほとんど見たこともない連中だが、後ろめたいのか皆お通夜の客みたいに暗い。大々的にPRするはずだった9月の橋下による“面接”も低調そのものに終わり、逆効果となった。かってはホテルの会場に溢れんばかりに集まった「維新の会」の政治塾も人が集まらず、「風」がやみつつあることを如実に物語っている。1番信頼性のある時事の世論調査によると政党支持率は自民党が16.8%なのに対して日本維新の会は1.2%だった
 

この傾向にどう対処するかだが、カニではないが甲羅に合わせた穴を掘り始めた。比例区と合わせて全国に400人も立候補させると豪語してきた路線を急転換させ、既成政党との連携へと動いたのだ。みんなの党との関係も、8月には橋下が渡辺喜美に「解党して合流してほしい」とねじ込み、さすがに渡辺も怒って決裂した。ところが国会議員7人の顔ぶれと能力を見て橋下はようやく、これでは国会に出ても潰されると気付いたに違いない。


このメンバーでは国会対策など出来るわけがない。もう既成の政党と連携して、利用するしかないと思ったのだ。ブレーンの元総務相・竹中平蔵の勧めもあってみんなの党とよりを戻したがっているのが現状だ。橋下は「両党が二つのグループのまま選挙を迎えるのは国のためにならない」と大仰な発言をしたが、まずポピュリズムそのものが国のためにならないことを知るべきだ。
 

恐らく総選挙でも選挙区のすみ分けをすることになるだろう。維新人気など元々ない関東、東北、北海道はみんなの党が力を入れており、同党の候補者の7割を占める。東はみんな、西は維新という流れにしようと言うことだろう。日中関係をめちゃくちゃにした天下の大老害・石原慎太郎も維新を利用しようとしているが、老害と落ち目の三度笠ではいずれにしても大したことにはなるまい。


筆者が繰り返し警告しているように元首相・麻生太郎も警告を発した。「おれおれ詐欺に引っ掛かる人は、大概2回引っ掛かる。前回民主党の『やるやる詐欺』に引っ掛かった人がいると思うが、今回大阪から似たような手口が出てきている。2回引っ掛かったらあほうだ」と発言したのだ。ポピュリズムに2度にわたって政治を蹂躙(じゅうりん)させるようでは、有権者も度し難いあほうだ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

2012年10月16日

◆自民の「世襲復権対策」は“ザル規制”だ

杉浦正章

 
今朝の朝日川柳に「世襲でなくて家業と言って」とあるがもっともだ。自民党の積年の病弊がまたぶり返した。こそこそと衆院選挙向けに世襲候補を決めていたが、ばれると15日、「現職が引退する選挙区の公募手続きに党員投票を加える」と発表した。幹事長・石破茂は「その人が本当にふさわしいかルールを明らかにした」と胸を張る。


しかしこの党員投票が果たして公平かというと、全く逆ではないか。端的に言えばおおむね党員は現職が集めたものだ。その投票となれば結果は知れている。しょせん世襲幹事長が決める世襲制限では“ザル規制”なのだろうか。
 

まさにのど元過ぎれば熱さ忘れるだ。自民党は凋落の原点を忘れている。同党は元幹事長・武部勤と元防衛庁長官・大野功統がそれぞれ北海道12区と香川3区に息子を擁立することを認めた。かねてより武部は「世襲候補は党公認ではなく無所属で立候補すべきだ」と世襲批判の先頭に立っていたはずなのに、自分のせがれの事となると音より早く方針転換だ。元首相・福田康夫と元幹事長・中川秀直も息子への世襲を実現しようとしているところだった。
 

そもそも世襲批判はどこから出てきたかを分析すれば、原因は長期自民党政治の停滞にあった。2009年の泥酔財務相事件が端的に象徴している。中川一郎の息子昭一が泥酔状態で、こともあろうにG7の財務大臣・中央銀行総裁会議に出席した揚げ句、記者会見でも酔態をさらけだした。長期自民党政権の停滞と二世議員の芯の弱さを見せつける事例であった。


このため 自民党は、09年衆院選の「次」の衆院選から、引退議員の配偶者と3親等内の親族を同じ選挙区で公認・推薦しないことをマニフェストに明記した。ところが大惨敗となった同年の選挙ではその世襲候補が大健闘したのだ。自民党で当選した119人のうち世襲議員は50人と、選挙に強いことを証明した。


この結果、自民党衆議院議員に占める世襲議員の割合は、解散前の32%から42%とほぼ4割となった。当時の総裁・谷垣禎一は選挙結果を受けて地縁・血縁のある者も考慮するとの方針を決定。マニフェストは事実上の骨抜きとなったのだ。
 

この傾向に対して世襲立候補を禁止している民主党は、副総理・岡田克也が「公約違反の結果になっている」と批判した。マスコミも批判の矛先を自民党に向けようとしている。


まずいと思ったか石破は「出来レースのように一部で決めずに、候補を公正にまた透明性を以て選ぶべきだ」と述べて、地方支部に党員投票で決めるよう指示を出した。しかし冒頭指摘したように、指示はザルに水を入れるのと同じ結果になる公算が大きい。


例えば福田や中川のような大物政治家の地盤がどうなっているかと言えば、自らが集めた党員でがっちり固められており、新人候補が手を挙げてもまず選ばれることはあるまい。息子が圧倒的に有利となるのだ。したがって執行部が決めた党員による投票は“ザル規制”となる可能性が強い。執行部の方針こそ「出来レース」であろう。
 

この世襲問題の根幹はやはり有権者の投票行動に起因する。真面目で好感が持てる自民党の政治家・小野寺五典がいい発言をしている。「世襲だと出世が早い」というのだ。「地元もそれを求めている」のだそうだ。2世3世は「あなたの親に世話になったとか爺さんに世話になったとかで依怙贔屓(えこひいき)される。」と指摘する。


確かに当選1回で党青年局長に抜擢された小泉進次カの例を挙げるまでもなく、親の七光りが出世に作用することは間違いない。ただし小泉の場合は竹下登に匹敵する名青年局長ではある。小野寺によると出世が早ければ地元の陳情も通りやすく、親のルートで処理するノウハウも身についているというのだ。「私のように何処の馬の骨とも分からない者より利用価値がある」わけだ。
 

要するに、有権者と政治家の癒着の構図が厳として存在するわけであり、ここでも「風」で投票する「衆愚」に匹敵する、地盤、看板、カバンにすり寄る「衆愚」が存在するのだ。自民党がせっかく政権を奪還しても4割の世襲議員のもつ“弊害”が、またまた頭をもたげる可能性があるのだ。


アメリカの世襲議員の比率は5%、イギリスは下院で3%である。同一選挙区からの世襲議員の立候補を制限することは、自由競争確保の観点から重要である。特定の政治家の“家業”に政治権力が集中することを避け、有能でやる気があり、多様な思考形態を持つ政治家を育てなければ、日本の未来はないと考えるべきだ。

<今朝のニュース解説から抜粋>   (政治評論家)

2012年10月15日

◆輿石軟化でジワリ解散への流れ

杉浦正章

 

政局を読むには針の落ちる音が聞こえるくらいに「心耳」を研ぎ澄まさなければならない。心耳を澄ませる訓練をすれば針の落ちる音がやがて五寸釘を落とす音くらいに聞こえるようになる。その五寸針が何本も落ちだした。だんだん頻繁になっている。


首相・野田佳彦側近が選挙事務所を開設した。野田がマニフェスト作成を指示した。側近らが野田はうそをつかないと言いだした。そして極めつきが14日の幹事長・輿石東の大転換だ。急に柔軟姿勢に転じたのだ。これらの動きを見て何かあると感じないようでは感性に欠ける。
 

面白いのは経済産業副大臣・近藤洋介が13日、地元の山形県米沢市に選挙事務所を開いたという報道だ。「首相からは『(解散時期は)嫁さんにも言わない』と言われたが、投票日は早くて12月9日だろうと思い、2カ月前に(事務所を)開くことにした」と述べたという。近藤は野田の側近中の側近であり、普段なら野田は何でも相談する。


しかし野田が「嫁さんにも言わない」と述べたのは、近藤が事務所を開設した方がいいかどうかを聞いた証拠だ。その結果側近だから言葉の端でピーンと来るものがあったに違いない。一般論として野田が、「準備は常に怠るな」と言えば、声の抑揚だけで分かる。ましてや近藤はかつて敏腕記者だった。
 

野田は10日午前、民主党の幹事長代行・安住淳や政調会長・細野豪志を官邸に呼び、次期衆院選のマニフェストについて「できる限り国民の声を聴いてまとめてほしい」と作成を指示した。何も解散しないのなら今この時点で指示する必要はない。これを受けたように安住は13日「野田佳彦首相は誠実な人柄。約束は守る」と述べた。「近いうち解散」の約束は守るというのだ。これに先立ち国家戦略相・前原誠司も6日「首相は約束をたがえる人ではない。言ったことは守る人だ」と発言している。


こう見てくると野田に近いほど「解散近かし」と見ていることが分かる。遠くなるほど疑心暗鬼を生じさせているのだ。自民党幹事長・石破茂に到ってはまさに“暗鬼”が背広を着たような顔で毎日「解散」と唱えている。「赤字国債を通した途端に約束を忘れる」と“疑心”を述べるが、いくら野田でもそれはできまい。
 

こうした中で、口を開けば「衆参同日選挙」論を唱え、臨時国会早期開会にブレーキをかけ続けてきた輿石がNHK討論番組で大転換したのだ。持論のダブル選挙について聞かれると「勉強会で話題になったから、『参院は6年、衆院は4年の任期がある。任期を全うするのが本来の姿』と言っただけ」と、一般論に転じたのだ。


加えて固執してきた「0増5減」の定数是正と比例定数40削減、連用制一部導入の同時決着についても「各党が『定数削減は先送りしよう』ということであれば、そこは考慮する余地はある」と転換した。定数是正の先行で決着を図ろうとする姿勢に転じた。臨時国会についても「『民主党が衆議院の解散をおそれて、先送りしようとしているのではないか』と言われるが、できれば、今月からでもいいのではないか」と月内開催を認める妥協に出たのだ。


重要ポイントは「近いうち解散」の約束が、谷垣が辞めた後も継続されるかどうかについて「民主党代表野田首相との約束であり、谷垣さんも自民党の代表。その立場であるからつながっていると見るのが普通だ」と現在も有効であることを確認した点だ。
 

これではまるでジギルからハイドへの変貌だ。まさかジギルのように薬を飲んだわけでもあるまいが、なぜだろうか。筆者は野田の意向が強く作用しているに違いないと思う。この時点でのNHKでの発言ともなれば“公約”と同じ事になる。事前に首相に断りもなく政局の重要事項について発言できるわけがない。


首相日程を見れば発言前日の13日には約35分間会談している。ここで臨時国会月内招集、党首会談の早期実施、定数是正の先行実施の大筋を確認したのであろう。野田に近い議員ほど野田がうそをつかず、柔軟姿勢であることが分かっており、ようやくこれが輿石にまで“波及”してきたのだ。
 

野田が腹をくくったかどうかは別として、ボディーランゲージでは、野田は赤字国債と定数是正と引き替えに「“近いうち”の約束を守る」方向に傾いた事がうかがえる。しかし輿石は小沢との関係についてのみ自分の意見を述べている。「小沢さんとは消費税では一致出来なかったが、その他の面では同志であった。再協力を求める道もある」とも述べている。


筆者が先に報じたように小沢と組めば野田「信任」決議可決や、不振任案の否決など解散阻止の手段はいくらでもある。百鬼夜行はこれからが正念場だ。

<今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

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