2012年04月18日

◆石原の尖閣購入は無責任政治の極致だ

杉浦 正章

 

「東京が尖閣諸島を守ります」と都知事・石原慎太郎は言うが、東京都に持論の核武装でもさせるつもりか。石原の購入方針の背景には、失速した新党構想を再浮上させて自らが首相を目指すという飽くなき権力志向が垣間見える。


日本が実効支配して領土問題にはなっていない尖閣問題を、あえてかき立てれば中国の思うつぼに陥ることが分かっていない。高齢者特有の短絡思想であり、無責任な老害をさらけ出しただけだ。地権者に売る気があるのなら、尖閣諸島は国が購入すればよいことだ。
 

とにかく人間分をわきまえることが大事だが、この男はそれを知らない。下品にも「政府に吠え面かかせてやる」とワシントンで恥も外聞も無く吠えまくった。石原は1978年に尖閣諸島に灯台を建て、1977年に西村真悟が上陸した際に船上から見守ったが、かねてから尖閣問題に妄執を抱いて、これを引っかき回すことを生きがいにしてきた。


しかし石原が尖閣を購入しようが、政府は所有者と賃貸契約関係にあり、賃貸権を解除しない限り利用権は国にある。上陸不許可などの措置は継続可能なのだ。たとえ東京都が、石原構想に本腰を入れて現地調査をしようとしても、国は上陸を許可しなければよい話でもある。
 


言うまでもないが外交・安保は国の専権事項であり、東京都が尖閣諸島を防衛することは出来ない。ましてや都民の血税を自らの“趣味”のために使うことなど許されるわけがない。


だいたい新銀行東京の破綻の責任を問わないなど、都民は「石原政治」に甘すぎる。さすがに都議会をクリアする必要があることには気づいていたとみえて、石原の言うがままの副知事・猪瀬直樹は「資金は寄付で調達すれば予算上の問題は生じない」とコメントしているが、分かっていない。


ことは金銭上の問題だけではない。外交・安保に密接に絡み、一自治体による憲法違反の外交権侵害となるのだ。
 


尖閣諸島に関しては、既に他国に実効支配されている竹島や北方領土とは異なり、日本の実効支配下にある。「尖閣諸島に領土問題は存在しない」というのが一貫した政府の外交方針であり、中国の侵略がない限り海上パトロールを続け、実効支配を継続すればよいことだ。


石原は自らの行動が、今のところ小康状態にある尖閣問題の火をかき立て、中国を刺激して海洋進出を一段と強める可能性のあることに考えが及ばない。中国は石原発言を逆手にとって、一層「領土問題の存在」を俎上に載せてくる可能性がある。そもそも東京都が買い取り、「都民に役立つ施設」を作り、一触即発の危機に陥ったら、東京都が防衛するのか。
 

尖閣問題は、石原のように大風呂敷を広げて荒唐無稽な構想を打ち出し、あえて平地に波乱をもたらすことでは解決しない。石原は「このまま放置しておくとあの島はどうなるか分からない。ゆゆしき問題だ」と指摘するが、疝気筋が出しゃばる問題ではないのだ。政府は放置してもいない。


都が購入すれば尖閣問題が解決するわけではなく、もともと完結している日本の実効支配は変化しない。事態をこじらす“逆効果”だけが発生する。石原の狙いは、冒頭述べたように新党構想の再浮上だ。石原はなんとしてでも首相の座に座りたいのだ。そのためにあらゆる問題を活用して、石原待望論を沸き立たせたいのだ。


しかし、この政局も石原の出る幕ではない。永田町には待望論などが巻き起こる雰囲気も素地もない。賞味期限切れの老政治家たちが、何とか一花咲かせようとうごめいているだけに過ぎない。大阪市長・橋下徹には事前に相談したとみえて、橋下だけはもろ手を挙げて賛意を示しているが、その他の知事らは総じて総スカンだ。パフォーマンスは一目瞭然なのだ。


石原のもう一つの狙いは、政府に尖閣諸島を買い取らせるところにあるのかもしれない。石原は「本当は国が買い上げた方がいいが、外務省がびくびくしている」と述べているのだ。


これについて官房長官・藤村修は「必要ならそういう発想のもとに進めることも十分ある」と発言しているが、本来政府が買い取るべき話だ。実効支配を担保するには、この方法がよい。

政府は、石原に言われて動くのではなく、主体的に購入へと動くべきだ。核武装論を堂々と述べたり、中国に無用の敵がい心を燃やしたり、どうも石原は、弱肉強食の帝国主義時代の妄想にとらわれているとしか思えない。御年79歳。そろそろ老害の幕を下ろしたらどうか。 

<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)


2012年04月17日

◆原発再稼働は消費税制局に翻弄される

杉浦 正章
 

「一瞬原発ゼロ」の経産相・枝野幸男発言を再稼働への布石ととらえて油断すると、首相・野田佳彦は痛い目に遭う可能性がある。むしろ枝野の狙いは「当分ゼロ」または「永久にゼロ」のとっかかりにしたい意図があるのではないかと永田町でささやかれているのだ。


いずれにせよ全原発が止まる5月5日には再稼働は間に合いそうもなく、確実に発生する消費税政局の激動に、再稼働問題は翻弄される危険性を帯びてきた。
 

まるで再稼働反対派も、推進しようとする政府も「支離滅裂」のオンパレードだ。大阪市長・橋下徹は野田の再稼働方針について「絶対に許してはいけない。次の選挙で民主党政権は代わってもらう」と威勢のよいたんかを切ったまではいいが、幹事長・輿石東からドスの利いた声で「きちんと受けて立つ」と切り返されてぐらついた。


16日には「何が何でも絶対反対というわけではない。原子力安全委員会が安全といわなくても政治的に判断したというならそういう政治のやり方も是とする」と前言を翻した。橋下は自ら関電に突きつけた「100キロ圏内の知事に原発稼働拒否権を与える」という超ドラスティックな8条件についても、反対の声が起きると「私が出しても国民も関電も無視すればいいだけの話」とやはり軟化している。


官房長官・藤村修が「支離滅裂」と批判するゆえんである。橋下の“手口”は明白だ。最初は強く出てマスコミの関心を買い、後で修正する。選挙向けに地歩を一歩築けばいいという姿勢で、無責任にも政治問題をおもちゃにしている。
 

しかし政府の方も橋下に勝るとも劣らぬ支離滅裂ぶりだ。枝野発言の内容は“ぶれ”を通り越して、“異常”な段階に入っている。


国会では「原発への依存度を最大限、ゼロを目標に引き下げるのは政府の明確な方針だ」と答弁したが、福井県庁では「今後とも引き続き重要な電源として活用することが必要だ」と180度変わった。早期再開に向けて旗を振っていたかと思うと、今度は「国内で稼働する原発は5月6日から一瞬ゼロになる」と述べたのだ。一基でも稼働させて脱原発への“歯止め”とする方針を、自ら放棄したのだ。


枝野のぐらつきは、元首相・菅直人と同様にイデオロギーに根ざしたまぎれもない反原発意識が根底にある。しかし野田と政調会長代行・仙谷由人の再稼働への意気込みに押されて、普段は本音を引っ込めているのだが、時々意図的に反原発の原点に戻るのだ。藤村も揺れている。


なぜかといえば維新の会の躍進で、地元の大阪7区での落選がささやかれるようになったからだ。16日も「一瞬ゼロ発言」に関連した大飯再稼働について「後ろを切って決めることではない」と、さらなる先延ばしを示唆した。


加えて橋本発言について「選挙のイシューとして信を問う案件ではない。現実的な問題で、政治的マターにしない方がいい」と述べた。本来なら官房長官は首相の意を受けて推進論に固まらなければならないところだが、自らの選挙を意識して“びびり”始めたのだ。関係閣僚が“自己中”にも腰が引けているのだ。
 

とりわけ枝野の「一瞬ゼロ」発言は、本人の脱原発志向からみれば、必ずしも再稼働を前提にした既成事実を積み上げるところにあるかどうか疑わしい。今後の日程を見れば福井県の専門家による安全性の検証作業の結論が出るまでには1〜2週間はかかる見通しだ。政府の事前手続きも2,3週間はかかると見込まれる。


したがってまず5月5日には大飯原発再稼働は間に合わず、稼働ゼロになる方向だろう。枝野はその期間が「一瞬」と言うが、この発言は担当閣僚としての職責上のアリバイ作りである可能性がある。


なぜなら枝野は政局を計算に入れているに違いないのだ。遅れても消費税増税法案の審議入りは連休明けには実現して、野田政権はいよいよ正念場を迎える。野田にしてみれば消費税と原発再稼働の政局化で2正面作戦を強いられることになり、いきおい消費税の方にウエートが移行せざるを得まい。
 

そうこうするうちに解散・総選挙に突入することにでもなれば、再稼働をした上での選挙戦は、さすがの野田もちゅうちょするだろう。橋下の思うつぼにはまることにもなる。そうなれば当分再稼働は先送りになるが、いずれにせよ民主党政権の継続は困難であろう。


政権交代となれば、再稼働も遅れる。めどは立たなくなる。したがって枝野の「再稼働うやむや化」の底意はめでたく実現することになる。この流れを断ち切ることが出来るのはは野田と仙谷しかない。政権内推進派も枝野を通り越して、野田に直接訴えるしかない。


野田は信念に従って、再稼働への姿勢を確固として維持し、リーダーシップを発揮して正式な再稼働を早期に閣議決定してしまうことだ。そうでなければ仙谷の見事な表現通り「日本の集団自殺」は目に見えている。 

<今朝のニュースより抜粋>   (政治評論家)

2012年04月16日

◆野田は原発再稼働で安保の岸を見習え

杉浦 正章

 

「橋下潰すにゃ刃物はいらぬ。停電3日もすればいい」と民主党幹部が漏らしている。たしかに原発再稼働で電力の享受をフルに受ける立場にありながら、大阪市長・橋下徹がテレポリティクスの真骨頂を発揮している。テレビの批判的風潮に呼応して、「絶対に許してはいけない。次の選挙で民主党政権は代わってもらう」などと吠えまくっているのだ。


橋下は市長なら、また関西電力の大株主ならこの夏の20%の電力不足を解消する具体案をいますぐに提示すべきではないのか。無責任に茶の間うけする発言を繰り返し、選挙のためならなりふり構わぬこの政治家の原点を見た思いがする。ここは首相・野田佳彦が反対闘争に囲まれた「60年安保」の首相・岸信介のように、先見の明を持ってまい進するしかない。
 

マスコミでも新聞は読売、日経、産経が原発再稼働推進論だから、まだ将来を洞察する能力が半分は残っている。問題はNHKをはじめとするテレビの報道ぶりだ。総じて感情的になって、国民の恐怖感をあおる報道を続けている。


その先頭を走っているのが、みのもんたを司会とするTBSの朝ズバ報道だ。影響力が大きいだけにWeb論壇としては徹底的に反論しておく必要がある。「サタデーずばッと」なる番組で14日、もんたは「メルトダウンしたら取り出す技術も無い。そっちの方をコントロールできないなら原発は止めておいた方がいい」と発言した。全く無知があさってを向いているとしか言いようがない。


メルトダウンを取り出す技術などは米国のスリーマイル島事故でとっくに可能となっている。福島原発に適した方法を研究すればよいだけだ。もんたはメルトダウンに到らせないことが安全基準の中心であることを知らない。
 

同じ番組で評論家の岩見隆夫は「決断が早すぎる。専門家による安全判断でなく政治判断だ」と述べたが、これも事態を全くフォローしていない。野田は突然思いつきで決断したわけではない。1年がかりで安全基準の策定など対策は、専門家によって積み上げられている。政治家の判断の背景には現段階で出来うる限りの科学知識を動員した、紛れもない専門家の下準備があるのだ。これを全く無視して拙速をいうのは無知をさらけ出している。


要するにみのもんたの番組は「知らぬ同士のチャンチキおけさ」と思っていれば腹も立たない。電力が無ければくだらない民放番組も止まることが分かっていない。
 

一方で、NHKは「政府はもし明日大地震が起きて、大津波が来たらどうするか科学的根拠を示せ」と記者に解説させているが、これこそ噴飯物だ。地震予測のための科学的根拠など、現段階ではないに等しい。福島の事故は1200年のに1度の天災だ。しかし政治は国民の明日の生活を保障しなければならない。1200年のスパンで物事を判断することは不可能だ。


明治維新にせよ戦後の復興にせよ日本人は、現在の偏差値教育の新人類よりも格段に「勇気」があった。科学技術も信頼していた。これがなぜかいつのまにか喪失してしまって、列島が恐怖感で覆われ、うろたえている。


世俗的用語を使えばもっと「度胸」があってもよい。日本の科学技術は世界最先端を行くものである。大きく遅れる中国が200基の原発建造計画にまい進しているにもかかわらず、神経質な反対論は生じない。近代を生き抜くための手段と原点を中国国民が知っているからだ。
 

日本の科学技術の水準の高さの証明は、阪神淡路大震災で壊滅的打撃を受けた新幹線にある。線路が崩れ落ちたからといって新幹線の運転が中止になったか。全く逆で、強化されて再生した。全国の新幹線網の徹底的な補強が図らて、東北新幹線は東日本大震災ではわずか数秒で全線が地震を感知してストップ。走行中であるにもかかわらず1人の死傷者も出なかった。世界が驚愕した事実である。おまけにたった49日間で全線が復旧している。


原発の技術力も世界のトップをいくものだ。「地震の経験を生かして設計・製造して欲しい」と世界各国から引き合いが来ているのはその左証である。余り知られていないが世界の原子炉圧力容器の8割が日本製鋼所で製造されている。それほど日本製原子炉への信頼度は高いのだ。


中国の原発も野放しの建設を進めさせるよりも、日本の原発を売り込んで安全性を確保すべきだ。中国で新幹線の事故の二の舞が原発事故で発生すれば、偏西風に乗って放射能が黄砂のごとく降り注ぐのだ。
 

野田は、発言が毎日“異常に”ぶれる経産相・枝野幸男というアキレス腱を抱えながら、仙谷由人に支えられてよくここまで事を運んだ。枝野は15日も「全国で運転する原発が、恐らく一瞬、来月6日からゼロになる」と発言した。責任当事者というよりまるで評論家だ。本音は菅直人と同様に確信犯的に脱原発とみられる。


防衛相人事を上回るミスキャストだ。方向性としては野田は間違っていない。橋下の遠吠えなどは歯牙にも掛ける必要は無い。橋下は20%の電力不足が何を意味するかを知らない。貧困層、病人、老人など弱者を電力不足が襲うのだ。


電力料金の値上げ、停電などを繰り返せば社会は疲弊する。産業の空洞化は進む一方であり、失業者も増大する。選挙で民主党政権を潰すというが自分の足元に火が付くことが分かっていない。


枝野発言の「瞬間」が夏以降まで続けば、大阪は「停電」が総選挙の争点になり得る。野田の置かれた立場は60年安保の岸を思い出させる。岸の信条であった日米安保条約改定が紛れもなくその後の日本繁栄の礎となった。原発再稼働はそれに勝るとも劣らぬ影響を将来に向かって及ぼすのだ。ここは、信念に欠ける自治体のトップを説得し、なお反対が続けば、見切り発車で早期に再稼働すべきである。

ウクライナが原発停止政策をとった結果、国家が破たん寸前にまで陥り、再稼働でしのいだことを教訓にしなければなるまい。それにしても自民党は助け船を出さないのか。傍観を決め込むのでは、党利党略の無責任政党もいいところだ。


<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)
 

2012年04月13日

◆「石原首相」の“お膳立て”整わず

杉浦 正章


〜「新党」崩壊〜

 都知事・石原慎太郎が「石原新党」を「仕切り直し」と述べ、事実上断念した。背景に何があったのかといえば簡単だ。「首相の座」を射止めるための“お膳立て”が整わないことに、石原がようやく気づいたからだ。


そもそも石原は亀井静香程度の政治家に、キングメーカーの力量があると判断したのが甘い。当選4期、13年も都庁舎から天下を“睥睨(へいげい)”していると、自分が裸の王様であることに気づかず、首相の座などチョロいものだと思い込んだ。そこに挫折の原因がある。
 

政治家としてその資格と適性を1番問われるのは、ミスリードだ。石原は12日新党構想について「私は何も発言していないのだから笑止千万だよ」と述べたが、これはおかしい。朝日が1月に一面トップで「石原新党3月発足 亀井・平沼氏と合意」と報じて以来、煽りにあおっているではないか。


「国会の政治構造をシャッフルする必要がある。いくらでも協力しますよ。合意はした」と新党での合意を認め、「政治家は必然性があれば一人でもやることをやる。東京より国家が大事だ」とまで言い切った。それが12日になっていけしゃあしゃあと「新党のことは本当に迷惑だ。1回仕切り直しをする」とは、恐れ入谷の鬼子母神だ。
 

石原の変節はなぜ起きたかだが、根底には本人が「首相の器」であるという妄想に取りつかれたところにある。政治家の職業のうち知事の椅子ほど心地よいものは無いといわれる。それもそうだろう伴食代議士などより一国一城の主の方が、居心地がいいに決まっている。


石原のように都庁への出勤は週に2度では勤務も楽なのだ。傍若無人の毒舌を吐いていれば周りは囃(はや)すのだからこたえられない。問題はトップの座が長期に続くと物事が見えなくなることだ。石原は鳩山由紀夫、菅直人と続く民主党政権の体たらくを見るにつけ、「おれがおれが」の欲望に目覚めたのだ。
 

決定的なポイントは、自らそれをお膳立てをする能力がなかったことだ。いきおい“賞味期限切れ”の亀井静香や、たちあがれ日本の平沼赳夫の“甘言”に踊らされることになる。


亀井や平沼も飽くなき政治的野望を実現するためには、石原のカリスマを利用できるだけ利用する必要があった。亀井が当初描いた構想は小沢一郎を巻き込んで民主党を分裂に持ち込み、自民党の一部も引き込んだ政界再編による新党だ。


これに大阪の維新の会や名古屋など自治体トップの野望を加えて、“野望連合”で「石原首相」を目指そうとしたのだ。
 

ところが、亀井の働きかけに小沢は鼻もひっかけなかった。そもそも小沢ほど先の見える男が、79歳の“老害”を担ぐわけがないのだ。かつて小沢は側近に「老害新党」と漏らしているという。そうこうするうちに今度は亀井の尻に火が付いた。方向音痴にも消費増税法案反対で国民新党内がまとまると思ったのが甘かった。クーデターが起きて亀井は放逐された。


この「亀の変」をみて、さすがの石原も「こりゃダメだ」と気づいたのだ。石原の最後の頼みの綱が今をときめくではなくて、「今だけ」ときめく大阪維新の会の橋下徹だ。


4日に京都での用事にかこつけて長時間会談したが、出てきたものは「大阪維新の会の講師になってもらう」(橋下)話だけ。話の中身は明らかになっていないが、石原が橋下の協力を取り付けたのなら、12日の「仕切り直し」発言はあり得ない。したがって確定的に不調に終わったのだ。橋下ほどの小利口な男が、東京の老害におめおめと“活用”されるわけがあるまい。
 

こうして「石原新党」は、脆くも挫折することになったのだが、それを表明するタイミングが見つからない。ところが昨年暮れから石原新党に執着している産経が12日付朝刊で「石原新党、5月末結成で最終調整」とやったのがきっかけとなった。記事の中に「国民新党議員の参加が見送られることにより、当初もくろんでいた30人程度から20人を下回る可能性もある。」とあるのをとらえたのだ。


石原は、記者団に「とにかくわたしは当事者ではない。20人足らずの政党を作ったって何になる。本当に」と臆面もなく“終息宣言”をしたのだ。既に息子の石原伸晃が「父は都知事であるから輝く」と看破している通りだ。「首相の座」など「10年早い」どころか、「30年遅い」のだ。
 

民主、自民両党は手を叩いて石原の頓挫を喜んでいるが、こうした魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する状況を作っているのは既成政党であることを忘れてはなるまい。実行力のない既成政党が問われているのだ。


野田は原発再稼働で、もたもたするべきではない。消費増税法案でもまっしぐらにまい進すべきだ。しょせん世の中は半可通が半分だ。両問題でもたつけば推進論の支持層まで敵に回す。

<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

2012年04月12日

◆「言葉尻戦」の底流には依然融和路線

杉浦 正章


党首討論を表面的に掌握すると、今朝の朝日新聞のように「民・自泥仕合」と受け止めることになる。激しい言葉の応酬が討論のすべてのように見えるのだが、政局は“流れ”で判断しなければならない。蹴飛ばしあいの影にある真意を見極めると、首相・野田佳彦は解散・総選挙への姿勢をいよいよ鮮明にしている。


一方で自民党総裁・谷垣禎一は、「消費増税待ったなし」と問題意識の共有を明らかにしている。これは2月25日の極秘会談の融和路線を継承するものであろう。
 

確かにやりとりでは面白いが激しい言葉が行き交った。野田が与野党協議や党首会談に応じない谷垣を「土俵に上がったのに待ったをかける」と非難すれば、谷垣は「待ったをしているとは無礼千万。のしをつけて返したい」とやり返す。また谷垣がマニフェストをとらえて「うその片棒を担いでいる」となじれば、野田は「自民党だって郵政改革が違う方向に進んでいる」と逆ネジをかませた。


このやりとりに幻惑されると激突の泥仕合という判断になる。しかしやりとりは「言葉尻戦」で終わっていることを見逃してはなるまい。シャモの蹴飛ばしあいで致命傷にはならないのだ。
 

重要ポイントの一つは野田が自らの「政治生命をかける」という発言を解説した点だ。「政治家ととしての集大成の思いを込めてこの言葉を使った。そういう覚悟であることは理解してほしい」「政治家としての重い言葉であると強く自覚している」と述べたのだ。


これは首相の立場を考慮しながらも、ぎりぎりの表現を使って消費増税に連動した解散・総選挙への決意を表明したものに他ならない。


一方で谷垣は野田から消費増税が「待ったなしの段階にあることを共有して欲しい」と求められたのに対して、「待ったなしの問題意識は共有する」と表明した。これは両党首の大局観が明らかににじり寄っていることを物語っている。大局観とは消費増税で解散をせざるを得ないという認識と、今国会での消費税処理は不可避という判断である。


野田がみんなの党代表・渡辺喜美を切り捨てたのも、自民党席から拍手が生じたほどだ。渡辺は自民党の谷垣の質問時間を分けてもらったのにもかかわらず、礼も言わずに質疑に入り、民主党を「出来損ないの自民党」と決めつけた。質問内容も、大阪市長・橋下徹の主張にこびを売った消費税の地方移管論だった。


これに対して野田は「自民党の枠で質問しているのにその表現はおかしい。荒唐無稽(むけい)のアジテーションだ」と一蹴した。この結果、渡辺は初陣であえない“最期”を遂げたのだった。
 

一連の質疑で浮かび出たものは、極秘会談で「話し合い解散」などの可能性を話し合った路線が依然壊れておらず、継続されているということであろう。しかし野田にとっても課題は大きいことが露呈していることも確かだ。


谷垣が、小沢側近の民主党幹事長・輿石東が消費税法案の早期審議入りを渋っていることをととらえて「審議が早く進むとうまくない。ゆっくりしようという議論が聞こえてくる。危惧(きぐ)している」と皮肉ったことがポイントだ。これが物語るのは「小沢切り」に踏み切らない野田へのいら立ちであろう。


谷垣は小沢グループの造反の動きをとらえて「覚悟を示すのなら、覚悟が体臭となって殺気となってにじみ出ないとおかしい」と強調した。協力を求めるのなら、「小沢切り」をしてからにして欲しいということだ。けしかけているのだろう。
 

しかし谷垣にしてみても、突っ張ってばかりもいられないお家の事情がある。自民党内の早期解散圧力が強いのに加えて、「谷垣降ろし」も本格化しかねない状況なのだ。解散・総選挙で自民党が第一党になれば首相の座が待っている可能性が強いだけに、この機を逸したらすべてが海の泡と消えてしまいかねないのだ。


したがって消費税審議が始まり、鼎(かなえ)が煮え立ってくれば、妥協に転ぜざるを得まい。野田が討論の中で数度にわたって党首会談の開催を“懇願”したのをむげにするわけにもいくまい。第2次極秘会談や党首会談を経なければ煮詰まるものも煮詰まってこないのだ。


谷垣は、野田のいう「トップ同士の腹合わせが大事であり、やらせてほしい」という立場を認めたいのはやまやまなのだ。むしろ谷垣の方も党首会談を必要としているのだ。


こう見てくると、朝刊の見出しでは朝日の「民・自泥仕合の党首討論」が皮相的であることが分かる。読売の「ゴールは一致 道筋にずれ」が深く読んでいることになる。

<今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

2012年04月11日

◆馬脚を現した橋下の原発再稼働反対論

杉浦 正章
 

さすがに温厚な官房長官・藤村修も10日、大阪市長・橋下徹の傍若無人ぶりが腹に据えかねたのか「支離滅裂だ」と批判した。橋下も“船中八策”で政治姿勢を抽象化出来ているうちはよかったが、具体論に踏み込まざるを得なくなってくると馬脚が現れてくる。


消費増税法案反対、原発再稼働反対と焦点の重要課題で立場を鮮明にし始めた。右翼と思っていたが、政治の傍流で息も絶え絶えの最左翼・社民党と全く同じ政策とは恐れ入る。要するに、「橋下政治」の原点は選挙目当てのなりふり構わぬポピュリズムにすぎない。
 

しかし、マスコミがはやし立てるうちはこれが通用するからどうしようもない。関西電力筆頭株主とはいえ保有株9%しかない大阪市の脱原発8条件を、朝日新聞は11日付1面トップで報じただけでは足りないのか、2面にまで展開して礼賛した。明らかに恣意的な紙面作りだ。


橋下の姿勢と朝日の原発再稼働反対キャンペーンがマッチすればこうなる。NHKも原発再稼働の報道の度に反対論しか報道せず、大手マスコミがこれほどバランスを欠く報道をする例を知らない。それも不偏不党を標榜する新聞と、公共放送であるはずのNHKが、臆面もなく偏っては、国民のバランス感覚も崩れる。
 

橋下は、大阪府と共に「100キロ圏内の知事に原発稼働拒否権を与える」という超ドラスティックな8条件を関電に突きつけた。全国に波及すれば事実上日本から原発を一掃する「亡国」の条件だ。しかし法的根拠はゼロに等しく、弁護士であるはずの橋下が実現可能と思っているとすれば、ノーテンキと言わざるを得まい。


事実、橋下は8条件について「私が出しても国民も関電も無視すればいいだけの話」と述べているのである。方針決定と発言が180度異なるわけであり、藤村が「橋下市長は、自分たちの条件が生かされる、生かされないは関係ないとも言っており、支離滅裂なところもある。きちんと条件を検討しているなら、それをちゃんと聞いてくれと言う方が正論だ。聞いても聞かなくてもいいと言われると、一体何をしているのかと思う」と反論するのも無理はない。


 橋下の支離滅裂さは、具体論に踏み込めば踏み込むほど顕著になってくる。夏の電力不足をどうするかについても「ピーク時の電気料金を何倍かにすることでピークをカットすればよい」と宣うた。大阪市民はそれほど裕福か。「武士は食わねど高楊枝」とはほど遠い市民性をもっているはずではないか。


だいいち、中小企業がばたばたと倒産する。大阪市民は、このような指導者をいつまで認め続けるのだろうか。いい加減に“橋下催眠術”から目を覚ませと言いたい。
 

こうした橋下の政治姿勢を分析すれば、選挙における「維新の会の得票」だけを意識する卑しげな思惑が見えてくる。その証拠に橋下は「なんで8条件を出すかと言えば政治的な効力があるからだ。有権者の皆さんがしっかりと判断する。国民が選挙でどっちをとるかを判断してもらう」と発言した。語るに落ちたと言わざるを得ない。


橋下にとっては、政策などはどうでもいいのだ。政策は選挙に勝つための手段にすぎず、そこには国を司る責任感などかけらもなく、政治屋のテレビ意識の浅薄な選挙戦術しか見えてこない。
 

消費税についても同様だ。「僕は大反対」と言い切っている。国の年金福祉政策が崩壊の瀬戸際であることなどには思いが及ばない。しかも橋下の導入しようとしている「掛け捨て年金」制度は荒唐無稽(むけい)だ。裕福な層には年金が支払われず、掛けた年金が無駄になる。もらえないのがわかっているのに誰が払うのかということになる。


このように具体論になるにつれて、現実離れした主張を繰り返すようになってきており、橋下ブームは必ず下降する。社民党と同じ論理では支持層が増えるわけがない。
 

原発再稼働も首相・野田佳彦は近く大飯原発3、4号機の安全を宣言、電力の需給見通しなどを踏まえて再稼働の妥当性も判断したうえで、経済産業相・枝野幸男が地元を訪れて説得する方針だ。


橋下にせよ、「見切り発車」批判を繰り返す滋賀県知事の嘉田由紀子にせよ、ポピュリズムの自治体首長と国政とは一線を画して、野田は毅然(きぜん)として再稼働の判断を下せばよい。自治体の長の理解は求めるにしても、同意などを期待してはならない。


自治体トップは、責任をすべて政府に押しつけたいだけなのだ。法的根拠のない再稼働同意を条件とすることなどには耳を貸す必要はない。重要なのは5月5日の全原発停止を控えて、1基を再稼働させるかゼロになるかは、日本再起か亡国かの戦いなのだ。

<今朝のニュースより抜粋>   (政治評論家)

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