2019年09月27日

◆「南京大虐殺」はなかった

早川昭三

南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。
このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。
そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。
監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。

<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。

だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>

「試写会」が始まった。

<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。

映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。

このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。

ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。

恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。

この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。

仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。

現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。

虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。

i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。

上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。

このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。

それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。

いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。

中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。
                                   (了  再掲)


2019年03月15日

◆「南京大虐殺」はなかった

早川昭三

南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。
このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。
そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。

監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。

<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。

だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>

「試写会」が始まった。

<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。

映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。

このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。

ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。

恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。

この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。

仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。

現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。

虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。

i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。

上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。

このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。

それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。

いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。

中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。
                                              (了)


2017年07月19日

◆「南京大虐殺」は無かった

早川 昭三



南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。

このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。

そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。

監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。

<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。

だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>

「試写会」の経過だ。。

<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。

映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。

このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。

ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。

恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。

この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。

仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。

現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。

虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。

i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。

上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。

このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。

それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。

いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。

中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。
                                              (了)

2016年04月25日

◆「南京大虐殺」は無かった

早川 昭三



南京大虐殺の情報が、中国から伝わって来る。『南京大虐殺は30万人』だったというのが中国の歴史感で、これに基づいて慰霊祭も行われた。

このことが本当に真実なのかという思いが、日本では広がっていることは否めない。

そんな空気が広がりを見せる中で、『南京30万人大虐殺はなかったという厳然たる事実を未来に伝えたい』という映画を作製した脚本・監督の水島総氏の講演と、制作映画の試写会のことを思い出した。

監督の水島総氏が来阪し講演・試写会をしたのは、2008年2月とかなり以前の事になる。当時の大阪八尾市文化会館プリズムホールに1400人収容の会場がほぼ満席の中で、同監督の映画制作意図の講演と、制作の「南京の真実」第一部『七人の死刑囚』の試写会が行われた。
先ず水島監督の講演からはじまった。

<「東京裁判(極東国際軍事裁判)の原点は、でっち上げ「南京大虐殺」の告発から始まったものだ。いい加減な証拠と証人で、7人が死刑に処せられた。

だから歴史のウソを正し、南京大虐殺の真実を後世に伝えるために、史実と1aも違わないリアルシーンを再現し、撮影した」とのべた。

そして「この映画によって、『南京30万人大虐殺』はなかったという厳然たる事実を、未来のこども達に伝えなければならない」と、映画製作意図を強調した。>

「試写会」が始まった。

<映画ストリーは、巣鴨プリズンに収監されていた「東京裁判」の戦争指導者「7人(A級戦犯6名とBC級戦犯1名)の死刑囚」に死刑執行が告知された瞬間から、執行までの24時間をドキュメンタリータッチで描いたものだった。

ドラマは、執行時刻が刻々と切迫する中、一組の寝具と一脚の座り机しかない3畳ほどの独房で居ずまいを正す7人の実像を、際立った表情のクローズや強烈なノイズを折り混ぜながら、新事実セットの中で展開した。

映画の主人公は、死刑判決を受け処刑された松井 石根中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、陸軍大将(浜畑賢吉役)。

このでっちあげの「南京大虐殺事件」の告発で、「東京裁判」での死刑判決が出されたと見方にもとづき、主役松井大将の証言を主軸に、「東京裁判」そのものの不当性を暗示する手法で進めていった。

ところで、映画の中で目を見張ったのは、南京陥落の翌日の昭和12年12月14日、「東宝映画撮影隊」が南京現場に踏み入り、その翌15日から正月にかけて南京状況を、実際に撮影した「記録シーン」が映画の中に組み込まれていたことだった。

恐らく、多くの日本人が未だ見たことが少ない「貴重な記録フイルム」だろう。

この中で、まず南京城内で「兵を民に分離」する登録風景が映し出されている。

仮に30万人の大虐殺があったのなら、憎しみのある日本軍に、中国人民間人がにこやかな表情で長蛇の列を作り、穏やかに「登録署名」に応じる筈はあるまい。

第一、日本兵が強姦・殺戮を平気でやる奴らだと思っていたら、憎しみと恐怖心から中国人が進んで集うことも、まず考え難い。

現場と名指される南京では、子供たちが爆竹に笑顔で興じているシーンも記録されていた。もしその風景撮影のために、強制、もしくは偽装演技させたてものだったら、あんなに愉快に飛び跳ねる楽しい仕種をさせることは、親も許さないだろう。

極めつけは、正月前の「餅つき」や「門松飾り」の行事だ。正月とは、日本における厳粛な行事だからだ。この正月の東宝映画撮影隊の記録映画も、まさに「大虐殺」があったといわれる同時期のものだが、そんな雰囲気は南京では微塵も感じさせない。

虐殺があった後、累々と横たわる死骸の近くで、日本軍が平気で正月準備ができるはずもない。

水島総監督は、なぜ「南京大虐殺」が捏造されたかについて、下記の様に主張した。

i)中国共産党政権が繰り返してきた自国民に対する「大虐殺」を隠蔽するため。
i)一党独裁体制の内部矛盾への人民の怒りを日本に転嫁するため。
i)日本に対して常に精神的優位に立つための決定的「歴史カード」設定するため。

上記3理由をあげたのだ。(映画「南京の真実」製作委員会・広報誌)

同監督が、「南京大虐殺」は、絶対に存在しなかったとの明言を思い出す。

このことを世界に知らしめ、日本と日本人の名誉と誇りを守るため、これから第二部「検証編」、第三部「米国編(英語版)」を製作したいとしていると主張された。>

確かに、この映画第一部「7人の死刑囚」試写会を見て、検証された歴史事実に感動し、「南京大虐殺捏造」に怒りを覚えたことを今でも思い出す。

それだけに水島監督が日本の誇りの保持のために挑むこれからの第二部「検証編」の製作に期待しているのだが、残念にも筆者はその第二部を見ていない。

いずれにせよ、当時南京現場で撮影された記録フイルムを組み入れて「南京大虐殺捏造」を制作された同映画には心を動かされた。

中国の「南京大虐殺」歴史感には納得出来ない。要はねつ造で、在り得なかったからだと、この実録映画をみてから、今でもそう思う。(再掲)
                                              

2016年02月14日

◆「ワッハ上方」は浪花文化保全館になれ!

早川 昭三



「大阪のお笑い文化の魅力」を継承していこうと、平成8年にオープンした府立上方演芸資料館「ワッハ上方」は、落語や漫才、講談など上方演芸に関する資料、およそ6万8000点を集めた。中には、初代桂春団治の羽織など目を引くものがあったが、当初は資料分類の整理が十分にできていなかったため、円滑には進まなかった。

このため、大阪府は、数々の資料の価値を検証したうえで、有効な活用策を打ち出したいとして、創建直後、芸能史の研究者などの委員会を発足させた。

協議の肝腎な事は、府立上方演芸資料館が存続するのは、大阪府が古典芸能人の遺産を、古典芸能人の遺族や固有芸能遺産を所有する民間の人が差し出すことを目標にして、いつ潰れるか分からない「民間博物館」にしてはならないという意見に集中した。

委員の1人が「上方演芸も学術的な研究を深める時代になってきた。それに役立つよう整理を進めたい」と皮相的な話をしている。浅薄は意見だった。

とにかく大阪府が前面に押し上げなければならないと、「伝統浪速文化遺産」をしっかりと保たれるはずはない。完全保存と提供に賛同する人々の意向がなくては、貴重な財産を提供する事態は起きないことになる。
そもそも、浪花伝統文化の価値そのものを、「税金の無駄遣い」の次元で考えること自体がおかしいことに、当時松井知事も分かっていなかった。

つまり、「税金の無駄遣い」という次元ではなく、税金で負債を補ってでも、浪花伝統文化を守ることが大阪府の役割であることに、知事は分かっていなかったのだ。

そこで、焦点の「なんば千日前のワッハ上方」の場所に、どうして当時の大阪府の担当者達が苦労を重ねて創設したのかについて、これから追々。

「ワッハ上方」とは、大阪で生まれて育った上方演芸の興りとその演芸の主導役割を果たしてきた名人たちの軌跡(遺品など)を一同に集めたもので、上方演芸を歴史的に正面から捉えて評価した画期的な「殿堂」と言っていい。

「ワッハ上方」のある「なんば千日前」は、「大阪演芸文化」の発祥地であり、道頓堀界隈の近辺にある。言い換えれば「ワッハ上方」は、大阪演芸文化発祥地の側にあるといっても言い過ぎではない。

発祥地となったのは、道頓堀で芝居小屋が建てられたことから始まる。1626年(寛永3年)安井九兵衛が、初めて道頓堀に芝居小屋を建てたのをきっかけに次々と小屋が出来て、人形浄瑠璃や歌舞伎が興業。「五座」と呼ばれたのは、江戸時代末期からで、明治以降は中座、角座、浪花座、弁天座(戦後文楽座、朝日座と名称変更)、旧朝日座をそう呼んだ。
 
戦前までは、この「道頓堀御座」に人並みがあふれ、芝居茶屋が並べた。ところが楽しみもつかの間、昭和20年3月の大阪大空襲で総てが焼失。

戦後になると、娯楽に飢えていた浪花っ子たちが、どっとこの道頓堀界隈の「五座」あとに押しかけ、復興された「中座」が、大入り満員となった。

しかし、戦後に現れた「映画劇場」に人気を奪われ、昭和59年には芝居小屋の道頓堀から、文楽の朝日座、演芸場の角座が相次いで姿を消した。

芝居小屋の激減で道頓堀界隈は様変わりしたが、それでも「演芸」の原点は、この地でであったことは誰もが認めるところだ。

重要なことは、その発祥地の近くに「ワッハ上方」建てたのは、吉本興業が大阪府の趣旨に賛同し積極的な協力があったことだ。

自社用地の「金毘羅宮分社跡地」に自費で複合ビルを建て、4階に「ワッハ上方」を大阪府が作ることに賛同してくれたのだ。こんな吉本興業の協力が無かったら、今の場所に「ワッハ上方」は存在していない。

しかも「ワッハ上方」は、吉本興業の有名な「なんばグランド花月」の目前に建て、同劇場の観覧客を「ワッハ上方」へ流れ入れるような位置関係に設えてくれたことも、この上もない計らいであった。

予想通り大阪府経営の「ワッハ上方」名は広がり始め、演芸に関する膨大な歴史的資料を蒐集し保存する呼びかけを行うと、名だたる演芸名人の遺族から、「三味線、締太鼓、バチ、衣装など」遺品の永久保存の依頼や持ち込みが殺到し出し、当時の「ワッハ上方」の基盤を創り出したのだ。

加えて演芸愛好者や、演芸品収集家からも寄贈の申し入れが相次いで「資料館」は展示品で満杯となり、これに取り組んでいた当時の大阪府幹部・担当者を感激させた。

永久保存の依頼や寄贈の申し入れは、あくまで大阪府という自治体が「保存」するという「保証」があったからこそ、「演芸の宝」を保持している名人たちの遺族が感銘し、永久保存を次々と依頼してきたものである。

もし、保存者が自治体でなかったら、現状のように膨大な「展示品」は集まってはいない。

「ワッハ上方」の意義はそこにあり、寄贈者が演芸活動家の軌跡を後世の人々に残しておきたいという切なる気持ちの表れもこれに繋がる。

なぜ、大阪府はもっと真剣な集品策になぜ取り組まなかったのか。「赤字」経営の結果のみを前面に打ち出して、「ワッハ上方」自体を「軽視」を決めるという当時の論理は、残念ながら今も変わっていない。

ともかく、地元の伝統文化振興行政の正常化に取り組むことを、「芸能専門家などでつくる委員会」が、これからでも画期的な浪花文化保全維持策を決めて、知事の「論理と伝統維持」を打破し、再経営構築の進め方に乗り出すべきでだろう。
以上

2016年02月04日

◆香港でも不動産価格崩落が始まった

宮崎 正弘 


<平成28年(2016)2月3日(水曜日)通算第4797号 >

〜香港でも、ついに不動産価格崩落が始まった
   1991年以来最悪、そして「もっと下がる」と業界は悲観〜

先週、香港に滞在中、いろいろと驚きがあった。

第一に金宝飾店ががら空き、つまり「爆買い」ブームは去っていたこと。第二にマカオのギャンブル場も往時の三分の一、とりわけ高額を賭ける賭場に客がいない。中国大陸からの博徒がピタリと来なくなって、主として香港からの小金を掛けて愉しむ層しか以内からだ。

バブルは完膚無きまでに終焉していた。

街の不動産屋を数軒からかってみたが、ほぼ全員が仏頂面をしていた。地下鉄駅の出入り口で物件のチラシ、ティッシュペーパーを配っているが誰も見向きもしない。

サラリーマンの住宅需要はあるが、とくに悪いのは億ションである。売れ行きが止まっているのだ。

こうした現象から判断して、「終わったな」という印象をさらに強くした。

とくに繁華街で言えばオースチン路に不動産業者が集中しており、日本と同様にガラス一面にビラが貼られている。新築マンションの売り出しがあれば、競って応募してきた無数の投資家がいた(彼らは手付け金を打って権利を手にするや、転売する目的。それほど香港の不動産は投資対象としても価値が高かった)。

小誌は香港財閥1位の李嘉誠が中国大陸の保有物件をすべて2年前に「高値売り逃げ」したこと、香港でも新規投資を控え、英国へ投資対象を切り替えている事実から、間もなく香港で異様な不動産投機ブームは終わると予測してきた。

業界2位のヘンダーソンランドもエネルギーなど異分野への参入を本格化させており、ホテルの新規投資も殆ど目立たなくなっていた。

ついに香港でも不動産バブルがはじけた。

年初来、株安、人民元安とともに価格崩落が開始され、「91年以来、最大の下げ幅だが、これからもっと悪くなる」(サウスチャイナモーニングポスト、2月3日)。

      

2015年12月20日

◆退任した橋下氏への「警戒感」

早川 昭三

橋下氏は18日、大阪市長の任期満了で退任した。府知事時代と合わせ約8年間、思い込みの行財政改革や教育改革を推し進めるとともに、地域政党「大阪維新の会」や国政政党「おおさか維新の会」を創設した。

大阪市役所での退任会見で、「僕が考えている大阪の将来像に向かって、大阪府民、大阪市民の多くが支えて下さったことに感謝している」とにこやかな表情で語った。

しかし、維新が先の大阪府知事・市長のダブル選挙で圧勝したものの、表題に掲げた「大阪都構想」の在り方に、一旦住民投票で否認された「大阪都構想」の方策を改めて取り上げ、恰も高齢者や無党派層に有利になるように呼び掛け、集票に結びつけた。

だが、橋下氏は後任の2人の委ねるとしているだけで、「都構想」の住民利益がどのように有益なのかは、まだ見えてこない。高齢者の不満は高まりつつある。

しかも タレント弁護士だった橋下氏は、知事選に初当選以来、職員給与のカットや欠かせない補助金の削減などを着々と実行しており、これに敵対する反対勢力への過激な発言や強引な進め方も進めていることから、市民の批判や反発を再興させている。

こうした中で、市長を退任した橋下氏は、おおさか維新の会の法律政策顧問に就任するほか、地方自治体や国政政党のトップを務めた経験を生かした活動をしたいとしていくことを公言した。

「政界を引退する」と明言した政治家が、政界に関わる役職や繋がりに、どうして結びついて行くのだろうか。

各党の間では、今後も大阪の政治・行政に実質的に影響力を持ち続けたいという意向が、橋下氏自身の意中に確実にあるからだという見方が強まっている。

それを明かすように橋下氏は18日、政界を退くにあたっての記者会見で、「今後は弁護士として活動するが、知事・市長・それに国政政党の代表を務めた経験は生かしたい」と述べている。

上記の通り、「政界を引退する」とダブる選挙なで広言したことは、正に有権者の気を引くための「でまかせ言葉」といっても云い過ぎではあるまい。

その上で、行政や政党に政策提言などを行う新しいタイプの弁護士として活動したいという考えを記者会見で示したのは、橋下氏をどのように考えればいいのか。

橋下氏は、後任として19日付けで大阪市長に就任する吉村洋文氏にも同様の考えを既に伝えている。

そこに驚くべき事態が起こった。橋下氏が19日、東京都内で安倍晋三首相と会談したのだ。国政政党「おおさか維新の会」の前代表でもあるとして、橋下氏は憲法改正に意欲を示しているため、今後政権と連携する話題にしたものと想像できる。

会談は6月以来で、おおさか維新の新代表の松井一郎大阪府知事と、管官房長官も同席したという。

橋下氏は「統治機構を一から設計し直すのは政治家の役割」と改憲に意欲を示し、松井氏も「(改正の発議に必要な衆参の)3分の2のグループに我々も入る」と自民党との連携を視野に入れることも、述べただろう。

一体、野党一翼の「おおさか維新の会」が、橋下氏の退任直後にどうして安部首相に面願し、他の野党との連合も進めないうちに、こうした動静に打ち出たのか。

それは「橋下政界復帰」を図るために自身念願を暗に訴えたのにまちがいないだろう。しかももっと大きな願望は、他の野党より優先して政権との“蜜月”を狙ったことだ。

だが、安倍首相とのこの会談は、「政界引退」を宣言した橋下氏に対する、政界の復帰待望論や警戒感に拍車をかけそうだ。

それだけではない。地元大阪では、「おおさか維新の会」では「待望論」が優先するが、議会「多数野党」や「都構想を否認した市民」は、まさに橋下氏に振り回されたとして、「警戒感」を強めるのは必至だ。(了)


2015年11月23日

◆大阪ダブル選挙「維新」が圧勝

早川 昭三



22日投開票の大阪府知事と大阪市長のダブル選で、知事選では、地域政党「大阪維新の会」公認で現職の松井一郎氏(51)が、自民が推薦する前府議の栗原貴子氏(53)に勝利し、再選を果たした。

また市長選では、大阪維新公認で前衆院議員の吉村洋文氏(40)が、自民推薦で前市議の柳本顕氏(41)を破り、初当選を決めた。

これにより「維新」が、連選だった自民党候補者との大阪ダブル選挙を制したことになった。

<開票結果>

知事選
・松井一郎氏     2025387票  当選
・栗原貴子氏     1051174票
市長選
・吉村洋文氏     596045票  当選
・柳本顕氏      406595票


だが気になるダブル選挙だ。今度のダブル選挙は、5月の住民投票で否認された大阪都構想の実現を「維新」は再び持ち出し、更に他都市より劣悪になっている大阪経済向上政策を如何に進めるか、高齢者養護政策どのように具体化するかの重要論争等をとりあげて、対決自民党への「批判」を集中したことだった。

「批判」に集中し、近未来大阪をどうよくするのかの論戦を繰り返すのが中心だったので、有権者の期待と理解を与えることは、殆ど脆弱に終わっていた。

「維新」と「反維新」がそれぞれ行った街頭演説や夜間集会での講演でも、上記のように政策実現の違いに基づく批判を活発に行うだけで、正直なところ聞き耳を傾ける参加者には、達成したいとする政策の詳細内容は、希薄的で、理解の求めは中々応じていない。

筆者もそうだが、「維新」が対決自民党陣に対して、下記のような「批判」の内容では、「維新」の政策実行がいかなものか理解出来なかったのが真実だ。

◎自民・共産・民主の相乗り候補では、マニフェストを実行できません
◎知事と市長が別の政党になれば二重行政は出来ません
◎再び始まったデマ攻撃!選挙で勝つために嘘にご注意ください

結局、府と市の二重行政を、一体化するのが本音だと思う以外になかった。つまり「都市構想の実現」を主張の中に暗に捩じ込んでいたのだ。

そして「知事と市長が、別の政党になれば、二重行政は解決しない」としめ括っている。これは、ダブル選に勝てば、住民投票で否認された大阪都構想の実現を、「維新」が再び正論として進めていくことが出来るとしているとしか思えないものだった。

では、知事と市長が別々の政党であった場合、何に支障があるというのだ。別々の政党の二重行政のほうが、相互に正当議論を行い、前向きで、財政・行政運営を実効性;合理性の政策が出来る筈だ。

「維新」は、知事と市長が同じ政党であったら、大阪都構想の実現が「維新」の目に見えてくると思い込んでいる。大阪都構想の実現を「維新」が実現させたら、何と「政令都市の堺市」までも抱きこもうという腹積もりが組み込こまれているのは確かだ。間もなく「維新」と「堺市」との混乱が起きて来るのは必至。府政の動乱が迫るのは確かだ。

とは云うものの、こんな視点に対して今回、有権者の理解が出来ず、全く判らなかったことがあげられる。即ち大阪ダブル選挙で「維新」が連勝した理由の一つに繋がっている。これが連勝の目的の鍵だろう。

大阪ダブル選挙で「維新」が連勝した理由には、もうひとつある。

それは知事選では、政界を引退する橋下市長の知事代理役を務めた現職の松井一郎氏が、対立候補の自民が推薦する前府議の栗原貴子氏より、4年間の実績を背景に、遥かに「知名度」が高かめたことに再選が繋がったことは否定できない。

また市長選では、大阪維新公認で前衆院議員の吉村洋文氏が、現橋下市長の「後任」の烙印を貰い、終始橋下市長から支援を受けてきたことが、初当選を決めたことだと云えよう。

ところで問題は、自民・共産・民主・(公明)が議会で相乗りすれば、「これこそバラマキ行政の大阪・公務員天国に逆戻りする」という「維新」の大方針を、大阪市長初当選の吉村洋文氏が、市政運営の中でどう進めていくかが問題となる。どうもダブル選の連勝には気になることが多い。

松井知事は、22日夜の当選後の記者会見で、「これから都市構想政策」の言葉を、闇にはせず「公言」して、実現を目指していくと、遂に本音を述べた。これもダブル選結果後の府市議会の追及の的になり、揉めていくことになるだろう。

しかも、「引退表明した橋下市長」が市長任期終了後から、この「都市構想具体化」に国政と絡めてどのように組み込んでくるかだ。大阪府市政は、これから大きな動静を見せて来るだろう。
                                   (了)

◎ 本日本誌掲載の「大阪ダブル選 維新が連勝」の記事に、下記の全国版「頂門の一針3845号欄」の「話の福袋」に、藤井聡氏からご感想が掲載されました。拝読して下さい。

転載 <わたなべりやうじら う のメイル・マガジン「頂門の一針」 3845号
http://rd.melma.com/ad?d=P0U0bRsrg0F1MGjnF0VyU0jHK115D11j878d8008 >

◆大阪人はなぜ「維新」に惹かれるか〜橋下徹の東京コンプレックス戦 略
=藤井聡

大阪府知事・大阪市長のダブル選挙は11月22日投開票され、維新公認の松 井一郎氏(51)と吉村洋文氏(40)がそれぞれ当選を果たしました。いっ ぽうで国政政党「おおさか維新の会」への期待感には、大阪とそれ以外の 地域で大きな開きがあるようです。なぜ橋下徹氏の「維新」は大阪で“だ け”支持されるのか?藤井聡・京都大学大学院教授が仮説的論考を試みます。

大阪人の潜在的願望に訴えかける、橋下徹の強烈なファンタジー

橋下さんの維新って、大阪ではそんなに強いんですか?

先日、東京である会合があったのですが、その席で、大阪の世論調査の報 道が流れてきました。

橋下徹大阪市長に近い大阪選出の議員らが発足させる「おおさか維新の 会」に「期待する」は28%で「期待しない」が56%に上った。
橋下新党に「期待」28% 関西圏では50% ? 日本経済新聞(2015/10/25)

どうやら、大阪市長選では、維新の吉村候補が、(元)自民党の柳本候補 に10ポイント以上の差をつけてリードしており、大阪府知事選では、維新 の松井候補が、(元)自民党の栗原候補にさらにより抜本的な差をつけて 優勢にたっている、という報道でした(新聞では数字は出さないのです が、専門家が見れば、「リード」「優勢」という表現から、おおよそどの 程度の差がついているかが分かるようになっているのです)。

新聞記者たちの感覚では、これだけ差がつく結果が出れば、府知事選につ いてはもう松井さんの勝利が確定、市長選についても吉村さんがおそらく は勝利するのでは、という憶測が十分に成立する…というような種類の報 道でした。

この報道が会食の席上で話題に上ったとき、多くの方が、

「えっ!?橋下さんの維新って、大阪ではまだそんなに強いんです か!?」という驚きの反応でした。

大阪では2人に1人が「おおさか維新」に期待している

つまり「橋下維新」は、もう東京では(大阪以外では)、完全に「賞味期 限切れ」なのでは…という雰囲気が、濃密に流れているのです。特に、昨 今では維新の「分裂騒動」が何度も報道されていましたから、多くの方々 が維新に対して「うんざり」する感覚をお持ちになっているようです。

最近の世論調査(全国)において、橋下氏が立ち上げた「おおさか維新の 会」に「期待しない」という声が、「期待する」という声を圧倒している 事実は、大阪以外でいかに橋下維新が賞味期限切れの状況にあるかを指し 示しています(「期待する」は28%で「期待しない」が56%)。

ただし…大阪・関西では、2人に1人が「おおさか維新の会」に期待してお り、期待しない声(42%)を大きく上回っているのです。

そして、そうした「期待」を反映するかのように、いま維新候補が、先に 紹介したように大阪府知事選、市長選の双方で、非維新候補をリードして いる、という次第です。

こうした状況に、東京、全国の方々が「驚き」を見せるのですが、その 「驚き」の根底には、よくよく聞くと次のような印象があるようでした。

「なぜ大阪の人って『振り込み詐欺』みたいなものに、何度も引っかかっ ちゃうの?」

実際、こういうセリフで当方に質問してこられた方は、一人や二人ではあ りません(!)。

つまり、多くの関西外の方は、都構想の住民投票で「これがラスト!」っ て言ってたのにいきなり「再挑戦」って言っているし、「負ければ引 退!」って言ってたのにやっぱり政界復帰する様子だし――そんなことを考 えれば、橋下氏が「うそつき」であることなぞ誰の目から見ても明らかな のに、なんでまだそんな「うそつきの橋下さん」を大阪の人たちの多くが いまだに支持しているのか、「ワケ分かんなーい」というご様子なのです。

橋下徹氏は計算づくの「大阪限定」プロパガンダを仕掛けている

しかし、これには簡単な理由があります。

「ブラック・デモクラシー」論、すなわち「全体主義」論を踏まえれば、 多くの大阪の人たちが橋下さんたちを支持する一方で、東京の方々が支持 しないことの、大変にシンプルな理由が見えてきます。

ブラック・デモクラシー=全体主義では、ポピュリスト(人気を得るため なら何でもする者)のデマゴギスト(ウソツキ)は、彼自身の党利党略を 実現するために、人々の潜在意識に働きかける「政策」を、政策的合理性 を度外視しつつ「開発」して、世論的支持を得ることを目指します(同時 に、その政策を批判する人々に、徹底的な封殺圧力、弾圧をしかけます)。

もしも、橋下氏がそうしたブラック・デモクラシーを展開するポピュリス トのデマゴギストであるとするなら、彼がいま目指しているのは「大阪で の支持」であって、「大阪外の支持」ではない、ということになります。

なぜなら、現時点で必要なのは、大阪ダブル選挙での勝利であり、それ以 上でも以下でもないからです。橋下氏がポピュリストであるのなら、いま は東京での人気など度外視して、大阪での人気だけを得るようなプロパガ ンダを仕掛けるのが最善の策となります。

それはちょうど、詐欺師は狙い定めた相手だけに「信用」してもらえれば それで事足りるのであって、それ以外のすべての人から「胡散臭い」と思 われようが、知ったことではない、ということと同じなのです。

仮説的論考〜大阪人の劣等感を巧妙に刺激する「橋下維新」のファンタジー

そもそも、「大阪都構想」も「おおさか維新の会」も、大阪の人々の潜在 的願望に訴えかける、強烈なイメージを持つものです。

「大阪都構想」という言葉の響きは何やら、大阪を豊かにするというイ メージを持ちます。何よりそれは「東京に匹敵するようなもの」というイ メージを持ち、大阪の人々が潜在意識の内に抱えている「東京コンプレッ クス」を強烈に刺激します。

しかも、「おおさか維新の会」という政党の言葉も、そんな大阪を豊かに する政策を中央の政治の力で実現する、というイメージを強烈に換気します。

そしてそれは、「どうしても大阪は中央に進出できない」というコンプ レックスに対して再び、強烈に働きかけるものです。

(なお、個人的な印象を申し述べるなら、これらのコンプレックスは、 「大阪の舎弟」ともしばしば言われる奈良県民の当方には、痛いほど分か るものなのです)

したがって、「大阪都構想」や「おおさか維新の会」というものは、専門 的知識に基づいて考案されたものではなく、大阪の人々の潜在意識を読 み、その潜在意識が求めるものとは何かを考えながら作り出されたファン タジーなのです。

人気TV番組を作る手法と同じ

それはちょうど、人気TV番組を作るときの手法と同一です。それは、視聴 者が求めるものを、優秀なスタッフたちが企画会議で一生懸命考え、視聴 者が求める番組を作りあげる、というプロセスです。

そしてこの現象は、ナチスドイツで「ドイツ人はアーリア人の末裔で、 もっとも優れた民族である」というデマが全体主義の中で繰り返し宣伝さ れ、人気を博していった現象と同じです。そんな「理屈」は、公正な論理 に基づいて提案されているのではなく、「どうすれば人気が出るか?」と いう意志の下で作りあげられたファンタジーに過ぎないわけです。

一方で、「大阪都構想」や「おおさか維新の会」というファンタジーは、 あくまでも大阪人の潜在意識、とりわけその東京コンプレックス、中央コ ンプレックスに働きかけることを前提として作りあげられたものでありま すから、それが人気を博すのは、「大阪だけ」ということになります。

とりわけ、東京コンプレックス、中央コンプレックスを持たない当の東京 のひとびと、中央の人々には、「大阪都構想」や「おおさか維新の会」の 魅力なんて、皆目見当がつかない、ということになるわけです。

これこそが、いま橋下維新勢力が大阪で「だけ」人気があり、全国的な人 気には至っていない、根源的理由なのです。

次のファンタジーは、東京を含む全国をターゲットに「開発」される

以上はあくまでも、「橋下氏がブラック・デモクラシー=全体主義におけ るポピュリストのデマゴギストである」という仮説に基づいて申し述べた 仮説的論説に過ぎませんが、こう考えれば、現在の世論状況、特に東京と 大阪の世論状況の大きな格差が論理整合的に説明できることは、十分にご 理解いただけるものと思います。

では、もしもこの仮説が正しいとしたら…これは、東京を含む全国の人々 にとっても、今回の大阪維新現象は、極めて重大な意味を持つことにな る、という結論が導き出されます。

今、(仮説的)「ポピュリストのデマゴギストである橋下氏」は大阪の世 論をターゲットにして「大阪都構想」「おおさか維新の会」というファン タジーを「開発」し、提示しているわけですが、一旦、ダブル選挙が終わ れば、(仮説的)「ポピュリストのデマゴギストである橋下氏」は今度 は、全国の人々、とりわけ最も大量に存在する東京の人々をターゲットに した「ファンタジー」を開発し、それに基づいたプロパガンダを徹底的に 展開することになるはずです。

そうなったとき、東京を含む全国の人々はコロリと「騙される」ことにな る見込みは濃厚にあるのです。

瞬く間に全国的人気を奪う可能性も

そもそも、2012年の12月の世論調査では、「維新」勢力は当時の政権与党 であった民主党を抜き去って、自民党に次ぐ第2の支持率を獲得していた ではないですか!

しかも、今年の5月の住民投票で都構想が否決された日の夜の記者会見で は、(仮説的)「ポピュリストのデマゴギストである橋下氏」は、「さわ やかさ」を超絶に演出して見せ、その演出に沿って多くの論者が彼を「さ わやか」と言い「潔い」と称し、極めて高い評価を得ていたのではないで すか!

つまりもしも橋下氏が、TVで人気タレントを演じていた時の才能を遺憾な く発揮しつつ(政策の合理性を度外視しつつ)、「ポピュリストのデマゴ ギスト」として、東京世論狙い、全国世論狙いの政策イメージを様々に開 発し、世論に提示し続ければ、瞬く間に全国的人気を奪っていく可能性は 十二分に考えられるのです。

繰り返しますが、「ポピュリストのデマゴギスト」(=人気を得るためな ら何でもするウソツキ)は、政策の合理性を全て度外視し、ウソでも詭弁 でもデマでも何でもいいので、とにかく「お茶の間で人気」がでるファン タジーを開発し、世論に提示し、人気を獲得していこうとするのです。

そうであるのなら、いま、大阪で起こっている維新現象は、近い将来、必 ず、東京で生ずることとなるであろう――ということは火を見るよりも明ら かなのです。
http://www.mag2.com/p/money/6401
[MONEY VOICE/Mag2] 2015年11月22日 〔情報収録 − 坂元 誠〕




 

 

2015年11月22日

◆激戦の大阪ダブル選 22日投開票

早川 昭三



任期満了に伴う大阪府知事と大阪市長のダブル選は、22日に投票、即日開票される。

大阪維新に対して、自民党推薦候補を民主党や共産党などが支援する「非維新」との対決が選挙戦の軸。注目の自主投票を表明している公明党は、陰で反維新として対決する。 

市長選に立候補しているのはいずれも新人で、橋下氏から後継指名された元衆院議員の吉村洋文氏(40)=大阪維新公認▽元大阪北区長の中川暢三(ちょうぞう)氏(59)=無所属▽元市議の柳本顕(あきら)氏(41)=無所属、自民党推薦−ら4人。

市長選は、5月の住民投票で否決された「大阪都構想実現」再度争点になって来たと共に、市政改革、徒市を強くする経済政策、高齢者処遇などが、新たに持ち出されて、主な争点となっている。

一方、知事選には、元府議の新人、栗原貴子氏(53)=無所属、自民党推薦=と、現職の松井一郎氏(51)=大阪維新公認=ら3人が立候補。市長選同様「都構想実現」や観光戦略による経済政策、出産・子育ての幼児期教育、くらしとまちの再生よる町づくりなどが争点になっている。

さて、選挙戦は大阪維新公認の候補と自民推薦の候補が、それぞれタッグを組んで舌戦を繰り広げている。
市長選では 吉村、松井両氏の街頭演説や個人演説会で、政界引退したとしている橋下徹氏が、なお人気と発信力のある論舌を打ち出して、両名の支援に精力を尽くしてきた。

知事選挙でも 市長選の柳本、栗原両氏新人が政権与党の自民の一員であることを街頭演説で高らかに声をあげ、自民党本部の谷垣禎一幹事長、稲田朋美政調会長ら党本部役員、政府からは石破茂地方創生担当相も大阪入りして、自民党の優勢が大阪の都市を強くするものだと支援演説し盛り上がった。

ところで今度の大阪ダブル選で、待ったなしの課題とされるのは急速な高齢化社会への対応を忘れてはならない。大阪市によると、去年10月の時点で、65歳以上の高齢者は66万人余り。人口に占める割合はおよそ25%となっている。

ところが5年後には、大阪の人口が4万人以上減る一方、逆に高齢者は3万人近く増えると予想されている。だから急がなければならないのは、前記の高齢者福祉施設の整備だ。

大阪市は、特別養護老人ホームに補助金を出してベッド数を増やし、入所を待つ高齢者を減らす対策を進めてきた。4年後には原則的に、要介護3以上の高齢者は、1年以内に入所できるようにするとしているが、うまく行きそうにない。

なぜなら、▼将来的に財源をどう確保するのか、▼介護の必要性が低いとされ、施設に入れない高齢者の受け皿はどうするのか、などが難題となり切迫課題だからだ。

このように、大阪ダブル選は、この高齢者福祉対策が高齢有権者の争点の軸の一つになっている。

22日の大阪ダブル選は、これが大阪近将来の課題だとした争いになるのも確実だ。

2015年11月12日

◆浪速伝統文化保存を選挙論戦に

早川 昭三



大阪の「伝統文化の維持と振興」に対して、政治家として認識に極めて希薄だった橋下市長によって、大阪の伝統文化振興と保全施策は、大きく変わった。

振り返ると、大阪府知事から大阪市長へと移籍しても、大阪伝統文化を毀疲させていく橋下市長の「文化高揚の認識不足と文化振興の貢献への不足」には、速花文化を愛する市民からは、大きな批判が今も出ている。
大阪のお笑い文化の魅力を継承していこうと、平成8年にオープンした「大阪府立上方演芸資料館 ワッハ上方」は、落語や漫才、講談など上方演芸に関する資料、およそ6万8000点を集まった。
中には、初代桂春団治の羽織など目を引くものがあった。しかし劣化施策によって学芸員が少なくなり、資料分類や整理が十分にできる事態も起きた。
肝腎な事は、「府立上方演芸資料館」が存続するのは、行政機関の大阪府だからこそ信頼して、古典芸能人の遺族が、進んで遺産を差し出すのであり、いつ潰れるか分からない民間博物館に貴重な財産を寄贈する筈はない。
そもそも、浪花伝統文化の価値そのものを「税金の無駄遣い」と、同次元で考えること自体がおかしいことに、松井知事も分かっていなかった。
「税金の無駄遣い」という次元ではなく、税金で補っても浪花伝統文化を保持保全することが大阪府の役割であることに、知事は分かっているとは思えない。
そこで、「なんば千日前のワッハ上方」の場所に、どうして当時の大阪府が苦労を重ねて創設したのか、これらに焦点を集中して追々。

「ワッハ上方」とは、大阪で生まれて育った上方演芸の興りとその演芸の主導役割を果たしてきた名人たちの軌跡(遺品など)を一同に集めたもので、上方演芸を歴史的に正面から捉えて評価した画期的な「殿堂」と言っていい。

「ワッハ上方」のある「なんば千日前」は、「大阪演芸文化」の発祥地である、道頓堀界隈の近辺にある。言い換えれば「ワッハ上方」は、大阪演芸文化発祥地の側にあるといっても言い過ぎではない。

発祥地となったのは、道頓堀で芝居小屋が建てられたことから始まる。1626年(寛永3年)安井九兵衛が初めて道頓堀に芝居小屋を建てたのをきっかけに次々と小屋が出来て、人形浄瑠璃や歌舞伎が興業。

「五座」と呼ばれたのは、江戸時代末期からで、明治以降は中座、角座、浪花座、弁天座(戦後文楽座、朝日座と名称変更)、旧朝日座をそう呼んだ。
 
戦前までは、この「道頓堀御座」に人並みがあふれ、芝居茶屋が並べた。ところが楽しみもつかの間、昭和20年3月の大阪大空襲で総てが焼失。戦後になると、娯楽に飢えていた浪花っ子たちが、どっとこの道頓堀界隈の「五座」あとに押しかけ、復興された中座は、大入り満員となった。

しかし、戦後に現れた「映画劇場」に人気を奪われ、昭和59年には芝居小屋の道頓堀から、文楽の朝日座、演芸場の角座が相次いで姿を消した。芝居小屋の激減で道頓堀界隈は様変わりしたが、それでも「演芸」の原点は、この地であったことは誰もが認めるところだ。

重要なことは、その発祥地の近くに「ワッハ上方」建てたのは、吉本興業が大阪府の浪速伝統文化の保存する意思に感動したからであり、それから積極的な協力が吉本興業からあったことが大きい。

自社用地の「金毘羅宮分社跡地」に自費で複合ビルを建て、4階に「ワッハ上方」を大阪府が作ることに賛同してくれたのだ。こんな吉本興業の協力が無かったら、今の場所に「ワッハ上方」は存在していない。

しかも「ワッハ上方」は、吉本興業の有名な「なんばグランド花月」の目前に建て、同劇場の観覧客を「ワッハ上方」へ流れ入れるような位置関係に設えてくれたことも、この上もない計らいであった。

予想通り大阪府経営の「ワッハ上方」名は広がり始め、演芸に関する膨大な歴史的資料を蒐集し保存する呼びかけを行うと、名だたる演芸名人の遺族から、「三味線、締太鼓、バチ、衣装など」の遺品の永久保存の依頼や持ち込みが殺到し出し、今日の「ワッハ上方」の基盤を創り出した。

しかも、演芸愛好者や、演芸品収集家から寄贈の申し入れが相次いで「資料館」は展示品で満杯となり、これに取り組んでいた当時の大阪府幹部・担当者を感激させた。

前述のように、永久保存の依頼や寄贈の申し入れは、あくまで大阪府という自治体が「保存」するという「保証」があったからこそ、「演芸の宝」を保持している名人たちの遺族が感銘し、永久保存を次々と依頼してきたものである。

もし、保存責任者が自治体でなかったら、現状のように膨大・貴重な「展示品」は集まってはいない。

「ワッハ上方」の意義はそこにあり、寄贈者が演芸活動家の軌跡を後世の人々に残しておきたいという切なる気持ちの表れもこれに繋がる。

ところが、大阪府は、「ワッハ上方」の意義をもっと浪速文化の振興と集客策と結びつけ、伝統浪速芸人の「展示品」の保存に必死に取り組まなかったのか。「赤字」経営の結果のみを前面に打ち出して「経営軽視」に傾くという松井知事らの論理は、納得できない。

「上方浄瑠璃文楽」、「上方舞」も同様だ。とくに「上方浄瑠璃文楽」の長期転変は、有権者の呆れた批判の声は大きい

とにかく、いま激戦中のダブル選挙で各候補者は「ワッハ上方」の意義を含め、もっと浪速文化振興を公約に掲げるべきだ。選挙戦を争う各候補者は、「大阪伝統文化の論理と伝統の保存」を良く考えて、大阪伝統文化振興と「ワッハ上方」の再経営を含めた施策を訴えて実行を約束してほしい。
以上

2015年11月08日

◆大阪ダブル選 いよいよ本格化

早川 昭三



11月22日に投票が行われる大阪ダブル選挙は、府知事選挙に続いて、8日に大阪市長選挙が告示され、選挙戦はいよいよ本格化する。

既に5日に告示された大阪知事選挙に立候補したのは、▼自民党が推薦する新人で大阪府議会議員の栗原貴子氏(53歳)▼大阪維新の会の現職の松井一郎氏(51歳)、▼無所属の新人で、元高校教諭の 美馬幸則氏(65歳)、以上の3人。

告示当日から3候補者は、街頭に出て「立候補の意思と公約」をいたる所で演説している。告示日に本誌に筆者が記述したように、住民投票で否決された「大阪都構想」が演説の中で意外にも表面化しているが、これにむすび付ける大阪市と大阪府のあり方が最大の争点になっている。

早い話だが知事選は、「大阪都構想」の論陣展開で知名度を上げた現職の松井一郎氏と、反維新の会に反対する諸党多数を代表する大阪府議会議員の栗原貴子氏の一騎打ちの様相を滲み出している。

ところで、こうしたあと大阪ダブル選後陣となる大阪市長選には、いずれも新人で▼地域政党、大阪維新の会の元衆議院議員、吉村洋文氏(40)▼無所属で自民党が推薦する元大阪市議会議員、柳本顕氏(41)▼無所属で大阪・北区の元区長、中川暢三氏(59)▼無所属でテーマパークのアルバイト、高尾英尚氏(33)の4人が出馬する見込み。

しかし市長選挙では、知事選とは完璧に違う情勢が伴っなっている。

それは、地域政党、大阪維新の会の元衆議院議員、吉村洋文候補者を、政界を引退すると公言し、橋下市政の後見人とするという橋下徹市長が、「後ろ盾」となることだ。

橋下氏の人気はまだ高い。大阪市の有権者が、橋下市長が主張する▼大きな災害が起きた時に国家機能がストップするリスクを解消するため中央官庁を大阪に移転させ大阪を首都機能の一部を担う副首都とする▼府と市が一体となった成長戦略を展開するため、公立大学や研究所を統合し新たな産業を育成するなどを打ち出すなどを単に聞き、「否決した大阪都構想」の想いを忘れたら、人気にひきずられ、情勢は急変する。

ところが反維新諸党にも、「後ろ盾」がいる。無所属で自民党が推薦する元大阪市議会議員、柳本顕氏には、強力な「貢献者」が居るのだ。

その一人は第17代市長だった関淳一氏(80)で、関氏の強いアピールに注目が集まっている。自民党陣営が、同党推薦で出馬予定の元市議、柳本顕氏こそ「関改革の継承者」と強くアピールしているからだ。

関氏は、市営地下鉄(現・御堂筋線)の建設などを進め「大阪の父」と呼ばれる第7代、関一市長の孫。医師や助役を経て、平成15年に大阪市長に当選した。就任後に、多額の公費を流用したスーツ支給やヤミ年金・退職金支給などの職員厚遇問題の労使関係の正常化をめざし、福利厚生費の削減や、職員の新規採用凍結による経費節減に取り組んだ。つまり「市政改革」の柱だった。

また、第18代の平松邦夫大阪市長も、一旦知事選の立候補する意向を示したものの断念し、その後平松氏は知事候補の栗原貴子府議と、市長候補の柳本顕大阪市議の2人への支援を求めた。つまり反維新の市長候補「後ろ盾」になることを宣言したしたのだ。

上記2人「後ろ盾」は、人気のあり方とは違って、「支援団体」が多いのが目立つ。

いずれにしても、知事選と市長選の選挙情勢は、このような異なる点があるが、これから有権者の関心の薄い大阪ダブル選が、何をきっかけにどう盛り上がっていくかが焦点となる。


2015年11月05日

◆関心が薄い大阪ダブル選

早川 昭三



大阪の知事・市長のダブル選挙は、11月22日(日)に投開票が行われる。先ず5日に大阪府知事選挙が告示され、次いで8日に大阪市長選挙が告示される。いよいよ5日から大阪ダブル選挙が火ぶたを切る。

大阪府知事選挙に立候補するのは、
▼大阪維新の会の現職の
 松井一郎氏(51歳)、
▼自民党が推薦する新人で
 大阪府議会議員の
 栗原貴子氏(53歳)、
▼無所属の新人で、元高校教諭の 美馬幸則氏(65歳)、
以上の3人。

大阪市長選挙に立候補するのは、
▼大阪維新公認の吉村洋文元衆院議員(40歳)、
▼無所属の柳本顕(あきら)市議(41歳)=自民党推薦
▼中川暢(ちょう)三(ぞう)元北区長(59歳)
以上の3人。

つまり、大阪維新の会の現職と自民党が推薦する新人が争う構図となる見通し。

特に、大阪維新の会は、住民投票で否決された「大阪都構想の実現」を公約の主軸に置きたいのだが、これでは選挙優勢の素材を保てないとして、陰に潜めた「同構想実現を公約」として進めたいとしているという。

朝日新聞社と朝日放送(ABC)によると、
<大阪府民を対象に実施した世論調査では、府知事、大阪市長のダブル選は、やはり「大阪都構想が最大争点」の軸になりそうな状況が明らかになった。>と報じた。

しかも、<ダブル選に「大いに関心がある」と答えたのは43%で、「少しは関心がある」が43%。一方、「関心はない」が14%だった。前回2011年のダブル選の告示直前に実施した府民調査では「大いに」が59%、「少しは」が34%だった。“前回と比べ、関心が低い傾向が見える”。>とも結果を報じた。

このダブル選挙で、決着ついた「大阪都構想」争いを、再び裏面の争いの主軸にすること自体おかしい。維新が本当に「大阪都構想」の争いを、裏面に掲げて行けばいくほど、否決の意思をつたえた選挙民の選挙への関心が、低下して行くのは必至だ。

むしろ、大阪の経済力をどのように高め、府民の生活向上を如何に図って行くかが、争点の主軸になるべきではないか。

これを公約の主軸にしているのが、反維新の自民党だ。

京都大学教授が、自民党集会で「東京都は、東北、北海道、北陸と新幹線と結び、人口の誘導を図るなどの経済効果を果たしているが、大阪は四国、山陰、和歌山等への新幹線造営する事も無く、経済効果の狙いはゼロ」などを掲げ、橋下・松下両氏の行政実績欠落を強烈に批判した。なるほどと思った。

そう云えば、大阪府が統合することで経済効果を極度に上がることはないと、反維新勢力は反発する。統合しても、財政節約どころか、各市、各区で新制度をつくる事業費用出費に追われ、経済効果は下降していくばかりだという考えだ。

反維新の自民、民主、共産各党は、「大阪都構想」争いを再び裏面の争いの主軸にすること自体おかしいと主張して、橋下・松下両氏の維新の会へ反対姿勢を崩さず、同公約は裏面にもだすべきではないと主張している。

公明党は、自由投票に転ずると各紙は報道しているが、事実とは聊か異なる。公明幹部によると、維新の会への投票は避けるとしている。結果的に自民候補の投票する構えだ

やはり、一旦否決した「大阪都構想」争いを再び裏面の争いの主軸にすることに、有権者」の多くは呆れ反っており、残念なことに、11月22日の迫った大阪ダブル選挙に関心が薄れていることは事実だ。


2015年10月12日

◆どうなる大阪ダブル選挙

早川 昭三



11月22日投開票の大阪府知事、大阪市長のダブル決戦が本格化仕出した。

 10日、大阪市長選挙で、地域政党「大阪維新の会」の吉村洋文(ひろふみ)前衆院議員(40)と、自民党の柳本顕(あきら)市議(41)が、市長選に立候補するそれぞれの公約・マニフェストを発表し、ダブル選挙の第1対決陣が公式に動き始めた。

つまり市長選は、大阪維新と、自民党が、真正面から対決することになったのだ。

こうした中で、最大の注目は、大阪府知事選挙の方だ。現職の松井一郎大阪府知事(51)が再選に挑むことを既に明らかにしているが、大阪維新と対決する自民党は対抗候補者を公式には、まだ表明していない。

このため自民党では、12日自民党大阪府連の会合で、ダブル選挙対策を主題に協議するが、最大の課題は大阪維新に勝利するための候補者を、正式に決めることだ。

府連では内々に、栗原貴子大阪府議に絞り、本人から出馬の意向を得ていると云われており、余ほどの事情がない限り、栗原貴子大阪府議が知事候補に決まることになるだろう。

栗原貴子府議(53)は、大阪大学経済学部卒、平成 5年公認会計士3次試験合格して栗原会計事務所を開業。平成19年豊中市議員選挙当選、平成23年大阪府議に当選。自民党大阪府連女性局幹事を務めている。
そんな中、現職で「知名度」が高い松井一郎大阪府知事(大阪維新幹事長)に、果たして勝利するための知事候補者として、どうして栗原府議が選考されるのか。

まず、有権者に目立つ「女性候補」を候補者に立たせるは、維新の会の「都構想」住民投票で反対運動を優先的に推し進めた女性有権者層を纏めることが出来る、との判断が優先していると云われている。

しかも大阪では、2000年に全国で初の知事・太田房江を誕生させて、2期8年任期中に、企業誘致、関西空港の2期工事、行政改革に積極的に取り組み、とりわけ経済向上の実績をあげている前例がある。女性知事への魅力は、特に女性・高齢の有権者に大阪では多い。

しかも、栗原府議は「都構想」の再現を抱く松井知事に議会本会議で、反対論を主張しており、議会内部では「都構想反対女性論」を代弁する議員だと評価されている。特に栗原府議は、「大阪の経済都市創立」の持論を持っていると云われている。

これに対して大阪維新は、大阪市民から今年の5月の住民投票反対の「大阪都構想」を公約の全面に打ち出すのは逆風になるとの意識を強め、「副首都“大阪”の確立」「二重行政の根絶」などのテーマを先に掲げ、「都構想」は手段に過ぎないと体をかわす姿勢でのぞんでいる。

いわば体かわす言い逃れだとの批判が、自民等の間に強まっている。

従って「維新の会」も、「知名度」が高いだけで勝利するのは難しい情勢になってきたとして、上記の通り「都構想」を変説する方針にするという声が聞こえてくる。

恐らく知事選が激戦になることは間違いない。

ところで、大阪維新の吉村洋文候補の戦いぶりの方向に注目が集中している。「知名度」「市政実績」もほとんどないが、強味が在る。強力な後ろ盾に、橋下氏が居るからだ。

宣伝車に上から、吉村洋文候補を「後任市長にする」と述べ、それで橋下市長の、「副首都“大阪”の確立」「二重行政の根絶」に貼り声をあげたら、吉村洋文候補に
強力な追い風になるのは、必至。

反大阪維新は、これを打ち破る方策を真剣に検討している。

このため、自民は、大阪維新の都構想復活について「振り出しに戻すのか」と批判し、住民投票で廃止を免れた大阪市への省庁誘致など、首都機能の分散化を図ると宣言。大阪市を、リニア中央新幹線などの交通網整備で近畿圏を飛躍させる「近畿メガリージョン」の中核に位置づける構想を示して戦う構えだ。

公明党は、自主投票をするが、自民党に支援をし、民主。共産も反大阪維新をくずさない。

いずれにせよ、大阪知事選を軸に、大阪ダブル選の行方はどう動きだすだろうか。
なお、大阪市長選には 元北区長の中川暢三(ちょうぞう)氏(59)が立候補を表明している。                     (了)

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