2015年09月25日

◆市民否決の大阪都構想が「公約」か

早川 昭三



大阪では、11月に迫って来た投開票の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙に大阪市民は、迷いと怒りを感じだした。
大阪市長橋下徹氏は、住民投票で「大阪都構想」が否認された今年5月17日以降、自身の任期満了後の次の4年間の後継者の擁立に懸命になっていた。 

そんな中、11月22日投開票の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙で、地域政党「大阪維新の会」(代表=橋下徹大阪市長)として、後継者市長候補には、維新の党衆院議員の吉村洋文氏(41)を擁立することを決めた。

勿論現職で「大阪維新の会幹事長」松井一郎氏(51)は大阪府知事候補に擁立する方針は固めている。

吉村氏は弁護士で、元大阪市議。橋下氏の側近として、「都構想の制度設計や広報戦略の中核」を担ってきた。大阪維新幹部によると、橋下氏が吉村氏に、自らの後継者として立候補を求める考えを伝えたという。

ところが驚いたことに、橋下氏は5月17日に国法「大阪市民住民投票」で否決されたはずの「大阪都構想」へ再挑戦を再度試み、「両候補選挙の公約」に掲げることにしたというのだ。両名もそれを振りかざすという。

なんということだろう。住民投票で否決されたばかりの「都構想」を再度市長選挙「公約」に掲げるなどは、市民に対して「市長候補としての資格性」を疑せることになり、そこをみせるとは、政治家として劣であり、市民を最初から軽視し過ぎた候補者だとしか思えない。市民の間では国法「住民投票」の意義を理解出来ない候補者であるのか、という声が強く湧いている

一方自民党は、11月22日投開票の大阪市長選には、柳本顕・大阪市議(41)を擁立する。5月に同市であった「大阪都構想」の住民投票で反対派の旗頭となった柳本氏を、公明や民主も含めた幅広い反都構想の野党枠組みで戦いを目指す方針。

松井一郎氏は、大阪市民が否決した「住民投票の否決」を、大阪市民以外の府民から是正させる意味を「府知事選挙」結果で獲得したいと思っているかも知れないが、そうであれば「住民投票」制度を知事も否定するという愚かな姿勢を見せることになり、「公約」の在り方を無視ることになる。気づいていないのだろうか。

 自民党候補の柳本氏は関西電力の元社員で現在、市議5期目。自民党市議団の幹事長を務めている。
 
柳本氏は複数の市議団幹部に「党本部が了承し、市議団が一致団結して推してくれるなら立候補する」との意向を示した上、党大阪府連関係者によると今夏、党本部に擁立を打診し、了承を得ていた。

安倍晋三首相と気脈を通じる橋下氏が新党結成を宣言したが、自民党本部は改めて、柳本氏の擁立容認をしているという。

 柳本氏は住民投票の際、テレビ番組などで、橋下氏と直接討論するなどして、反対派の「旗手」として注目を集めた。都構想反対で連携した他党からも、市議会を中心に早々に橋下氏後継者として立候補だろうという見方がでていた。

 市長選の告示日は11月8日で知事選とのダブル選。「都構想否認」を「公約」にする吉村氏と松下氏の動静をみて、「劣化姿勢」だという大阪選挙人の判断が表面化してくることは必至だ。

2015年09月17日

◆橋下氏の政治展望を代弁させる

早川 昭三

大阪市の橋下市長は、市長の任期満了に伴い「政治引退」をすると公言し、本当に「政界」から離脱し、タレントなど?で政治批判をする役割を果たすのではないのか、という見方もあった。

しかし、安部首相が橋下氏と懇談し、首相が懇談後に「橋下氏には政界へ復帰して貰いたい」とこぼしたことなどを推察すると、勧めを受けて橋下氏を中軸とした政党を大阪で立ち上げることで、「政界引退」など絶対するはずはなく、「引退」公言など、お決まりの橋下流言辞にちがいないという噂が飛び交っていた。

そのことを裏付けるように、橋下市長は、15日夜、大阪市内で開いた大阪維新の会の政治資金パーティーで、「新しい国政政党の名称は『おおさか維新の会』にしたい。この『おおさか』は、地名を示すのではなく、大阪でやってきた改革の実績を示すものだ。改革の精神を受け継ぐ政党としての名称だ」と述べた。

維新の党を離党した大阪市の橋下市長は、自らが代表を務める地域政党の大阪維新の会を母体に新しい国政政党の来月結成を目指している事を明らかにしたのだ。

地元政界の動向を揺さぶり、または抱き込む橋下流策略を駆使しながら、「政治復帰」の頃合いを見図っていたのだろう。それが見え出してきたわけだ。

つまり、維新の党を離党した大阪市の橋下市長は、自らが代表を務める地域政党の大阪維新の会を母体に新しい国政政党の来月の結成を目指している事を明らかにしたことで、橋下流の「政治志向」が見え出してきた。

また、橋下市長は、15日、大阪維新の会の幹部と会談し、新しい政党の名称の「おおさか維新の会」の「おおさか」はひらがなで表記する方針を示した。これを幹部が了承したと言うのだから、橋下氏への頼る周辺の維新の会議員の意向が読み取れる。

ところが、事実上橋下氏の代行・代弁者である幹事長の松井一郎大阪府知事が、前述の橋下徹大阪市長が代表を務める政治団体・大阪維新の会の15日政治資金パーティーで、何と度を越した橋下氏の「政治将来像」を、さらりと代弁したのだ。

橋下氏引退表明は「少しの休憩」だと、松井幹事長はいうのだ。

上記の演説には、流石に出席者は驚いた。 松井幹事長は、パーティー挨拶の中で、政界引退を表明している橋下氏のことをこう述べた。

橋下氏は「ちょっとの間、休憩する。」と言われているが、「日本に必要な政治家だ」と指摘した。これは将来的に「復帰する」との見通しを示したことになる。

さらに橋下氏の新党結成の意向を重ねて示し、「政治に関心が薄れたわけではない」と述べ、「橋下氏政界復帰」を橋下氏の最近の動静を背景にして自信を持って説明したのだ。

これを聴いていた人の中には、松井幹事長が独断で、この立ち入った橋下氏の「将来意志」を云えるものではなく、恐らくこの機会を捉えて「政界復帰の意志」を橋下氏が、松井幹事長に代弁させたものだと云う人が多数いたという。

橋下し流の「巧妙な仕掛け」に違いないという人も多い。

松井幹事長は11月の市長・知事の大阪ダブル選で再び「大阪都構想」を公約に掲げる意向も表明し、橋下氏自身は10月新党結成の「第2ステージを頑張りたい」とも発言しており、事実上の「決起集会」となったことになる

やぱり橋下氏の「政界引退」は、傘下の維新の会軍団を集結させるための策略であったのであり、自分の「政界復帰」に狙いを導く攻略だったのであろう。それだけに、今後の「おおさか維新の会」の誘導に関心が集まる。(了)


2015年09月06日

◆大阪政界は激動し出した

早川 昭三



橋下徹維新の党最高顧問(大阪市長)は、維新の会を辞め、市長任期満了で「政界引退」すると公言した。政治家が「引退」を公言すれば、死に体≠ニなって、影響力を失うのが「政界の常識」だ。

本当にそれが本音なのか。その公言が当てはまる筋道が見当たらない。筆者は疑義を感じ、橋下氏に関わりのある議員や、自民・公明等野党の団体からも「不信感」「虚実公言」だとの意見がひろがったので、以前に「政界引退公言」の本音は、一体何か?を本誌に掲載している。

 橋下氏は「早く民間人に戻りたい」と、かわすが、ツイッターやメディアの報道を通じ、国会議員が地方分権などの結党の精神を忘れているとして、地域政党「大阪維新の会」の離脱も、あり得ると揺さぶりをかけていた。

しかし橋下氏が政界引退すれば、地元維新の会の影響力の低下が懸念されるとして、引退公言の後に「引退撤回」を求める大阪系議員が目立った。

ところが橋下氏は、11月の大阪府知事、大阪市長のダブル選の争点に、「大阪都構想」への再挑戦を掲げると、3日の定例会見でと述べ、5月の住民投票で反対多数となった都構想の協定書(設計図)を改訂する考えを示した。

 その上で、橋下氏は、新しい都構想は「大阪維新のメンバーでやり遂げてほしい」と述べて、12月の任期満了後の「政界復帰」は「ない」と言及した。 

だが、「来夏の参院選出馬の可能性」を問われると「将来のことを言うのはやめる。自由にする」とも話し、将来的な政界復帰に含みも持たせた。(.9.4産經新聞)。

何と、ここに橋下氏の本音が滲み出し、「政界復帰」への含みと見られる、「将来のことを言うのはやめる。自由にする」と、あからさまに「復帰」を匂わす橋下流のコメントを吐き出したのだ。

 「政界引退」は翩々的公言で、最初からそのような「政界復帰」を基本的戦略として抱え込んでいたのであろう。巧妙な橋下流方策だと指摘する野党議員、市民の間で多く囁かれている。そんな情勢をみると、筆者が予測した橋下氏の「本音」と、合致したことになる。

となれば、知事選への再選出馬が有力視されている松井大阪府知事(大阪維新の会幹事長)と、国会議員との共同代表制があり得ることに繋がることになり、何とそれも現実となって来たようだ。

 というのも、松井知事が、任期満了に伴う11月22日投開票の知事選に再選を目指して出馬する意向を固めたと伝えられた。松井氏は、後援会関係者に「知事選に出させてもらいます」と再出馬の意向を伝えたという。9月 半ばか10月初めに表明するとみられている。

大阪維新の所属議員からは現職で知名度の高い松井氏の再出馬を望む声が強かった。代表の橋下徹大阪市長も「知事選は松井氏しかいない」と期待を示していたという。(5日 毎日新聞)

 松井氏は、8月27日に橋下氏とともに離党した。大阪維新を母体とする新たな国政政党の結成と、ダブル選で都構想への再挑戦を公約に掲げる方針を表明したのだ。

驚いたことに「都構想への再挑戦を公約に掲げる」としているが、先般住民投票で否決された同構想を知事再選の公約に掲げる意向は、公約を否定した市民を無視するものになり納得できないというのが、市民多数の声だ。

こうした中で、橋下市長が市長の任期満了で辞任したあと、11月22日投開票の大阪市長選の候補者擁立について 橋下氏はいまの処、動きをみせていない。目下、いろいろのタレント候補を模索していると噂もある。

こうした折、自民党が市長選候補者擁立に乗り出した。

自民党では、柳本顕・大阪市議(41)を擁立する方針を固めた。5月に同市であった「大阪都構想」の住民投票で反対派の旗頭となった柳本氏を無所属で立て、公明や民主も含めた幅広い反都構想の枠組みでの戦いを目指す方針。

橋下徹大阪市長が率いる地域政党「大阪維新の会」も、独自候補を擁立することは確かだから、「大阪維新の会」と、自民・公明・民主と全面対決が再現することは必至だ。

このように、橋下氏が「政界辞退」を、暗に否定し、「政界復帰」に動き出すことを見せ出したことから、いよいよ大阪政界は激動を始める。(了)


2015年08月31日

◆「橋下新党結成」の本音!?

早川 昭三
    

「橋下新党」が大阪回帰するのは、民主党との連携に傾く維新の党執行部に抱いた「不満」だけだろうか。奥深い将来の「政治狙い」が潜んでいるからだと指摘する大阪府議会、市議会で飛び交っている。

朝日新聞によると、下記のように報道している。

< 「橋下新党」が大阪回帰する背景には、橋下徹大阪市長らが民主党との連携に傾く維新の党執行部に抱いた「不満」と、11月の大阪府知事・大阪市長選に向けた「不安」が同居している。

 「大阪維新の会の政治理念、政治信条を共有し、死にものぐるいで改革をやっていく国会議員のグループを作りたい。最後の挑戦をやっている」。橋下氏は29日、大阪府枚方市内での街頭演説で叫んだ。
 
橋下氏と松井一郎元顧問(大阪府知事)が突然の離党、新党結成を宣言した理由の一つは、民主党との野党再編をめざす維新の現執行部への不満だ。

 「民主党とくっつくために維新を作ったんじゃない」。安倍政権幹部によると、松井氏は最近、こんな不満を繰り返しぶちまけていたという。


維新は通常国会後に分裂。松野頼久代表の勢力は秋にも民主党との再編をめざす。

一方、橋下氏と気脈を通じる首相官邸は、将来の憲法改正で橋下新党との協力も期待する。

 「民主党とくっつくために維新を作ったんじゃない」。安倍政権幹部によると、松井氏は最近、こんな不満を繰り返しぶちまけていたという。

 元自民府議の松井氏は自公政権と連携を深めるのが基本戦略。民主との野党再編に傾く松野代表への不満を蓄積させ、分裂のきっかけを探っていた。

辞任要求した柿沢未途幹事長の続投が決まった27日、自らに近い衆院議員に「このままでは絶対に済ませない」と語った。>(朝日新聞)

確かに、11月の大阪府知事・大阪市長選に向けた「不安」が同居している。>という記事は当っている。

上記は、「政治家を辞める」という橋下氏にはなんとしてでも追随して行かないと、自分の選挙当落に危機感を覚えるという大阪維新議員がいることは、間違いはない。

つまり、橋下氏が従来から公言しているように「政治家を辞める」という言辞を信じた自分たちも、「政界」からすべて身を外すことになることに繋がると理解した橋下傘下の維新議員たちは、「政治家を辞める」という橋下氏の動静に極め付きの動揺をしていた。

これだけでも今回、「橋下新党」が出来て大阪回帰することには、歓喜している維新議員が多く、いま20名に達しているという。

しかし、「橋下新党結成」が、民主党との連携に傾く維新の党執行部に抱いた「不満」と「対立」が激突したから、分裂に直結したことが主因とは思えない。

一方、維新は、通常国会後に分裂。松野頼久代表の勢力は秋にも民主党との再編をめざすとしているが、こうした「野党同士」の再編問題は、政界では常識的な「党内議論」であって、いきなり「辞任」に発展するものではない。

橋下氏と松野頼久代の確執は露呈してはいるが、どう考えても「辞任」「分裂」の真相ではあるまい。

「橋下新党結成」の本音は、「政界を引退」するとした橋下氏を翻意させ、迫ってくる衆議院か参議院の議員に橋下氏を目指させることが、それではないか。

橋下氏傘下議員か大阪府知事、ご本人の策略かは不明だが、共通していえことは、橋下氏の「政界辞退」を取り下げ「政界復帰」のねらいではないだろうか。

2015年07月13日

◆私の「身辺雑記」(239)

平井 修一



■7月10日(金)、朝は室温24度、曇り、フル散歩。バルコニーの黄色とピンクのハイビスカスは満開だ。カミサンは休みで、イヤホンで歌謡曲を聴きながら大きな尻をクネクネさせ、洗濯物を畳んでいる。世は事もなし、か。

クネ(朴槿恵)と言えば散歩コースの真っ白い木槿(ムクゲ)は満開だが、1日で萎んで落ち、茶色になって美しいとは言えない。かの国の国花だが、次から次と咲くものの花の寿命はたったの1日。なんか儚い。サムソンとともに栄耀栄華は終わりつつあるのか。

クネは昨日「投資活性化服」と名付けた赤色のジャケットを着用して会議に出席した(中央日報)そうだが、アカの懐に飛び込んでみたものの中国株ファンドの暴落で痛い目に遭っているそうな。クネは「清く正しく美しく」がモットーらしいが、両親を殺され、「薄幸」のイメージがつきまとう。何をやってもついていない。ムクゲのように儚く散るか。

ところで中共の株式暴落は江沢民派(上海閥)の仕掛けた習近平つぶしだとの説があるが(大紀元7/9)、在香港の弁護士、村尾龍雄氏の論考「中国証券市場の波乱は権力闘争の産物!?」7/10から。

<上海総合指数が6月に記録した5000ポイント超えから3500ポイント未満に1ヶ月未満の短期間で30%以上も急落し、それが2月以来調整局面をほとんど介在することのなかった日経平均に影響する事態が生じたことで、日本でも中国証券市場への注目度が急上昇しています。

特に私が驚愕したのは、中共中央及び中央政府が中国証券市場の急下落を止め、上海総合指数についてその妥当と認識する4500ポイントにまで比較的短期間で回復させる決意表明を事実上して様々な対策を打ち出しながら、その全ての効果が瞬時に打ち消されて、連日ひたすら急下落を繰り返す様を目の当たりにしたからです。

1996年8月に上海に赴任して以来、まもなく満19年になりますが、この間中国で生じた問題についてそれがどのような内容のものであれ、中央がコントロールを図ることを決意表明しながら、有効なコントロールができないという「面子が潰れる」現象を見たことがなかったのですが、今回の事態は満19年間で初めて目にする奇怪な現象であったわけです。

そこで早速、香港の一流銀行の若手アナリストに電話して説明を求めたのですが、

「現在の急下落現象で香港PER8倍、上海PER13倍と随分割安感が出るところまで来たので、理論的にこれ以上下落する合理性がないと思うが、そもそも中央政府があれだけ矢継ぎ早の対策を打っているのに、それが全然奏功しない理由がわからない。

来週月曜日に銀行としての今後の見通しに関する正式見解が内部的にまとまるので、それ以降再度連絡をください」

としどろもどろの回答で、普段冷静な彼の弁舌の切れの鈍さに直面して、やはり今回の事態が尋常なものではないのだな、と痛感しました。

そこへ上海のパートナー律師(弁護士)がやって来たので、「彼女は株なんかやらないだろうな」と思いながらも、今回の急下落をどう見ているのかを尋ねてみました。

村尾:A先生、今回上海総合指数が先月の5000ポイント超から3500ポイント割れまで、短期間で30%以上もの急下落を演じていますが、なぜなのでしょうかね?

日本では中国の場合、機関投資家が少なく個人投資家が8、9割を占めるから、一旦ブルマーケット(牛市=強気)からベアマーケット(熊市=弱気)にトレンド転換すると、パニック売りを誘発するからだとか指摘されています。

それにしても証券監督管理委員会があれだけ熱心に矢継ぎ早の対策を繰り出しているのに、その効果が即時打ち消される異常現象にはどうも合点がいかないのです。

A律師:そうですね。証券監督管理委員会が証券市場の安定を図ろうとしながら、それができないことが明らかになると、同委員会の面子は丸潰れになりますし、ひいては習近平政権の面子が丸潰れになってしまいかねませんからね。

村尾:私の大陸滞在暦は19年になりますが、過去に私は中央がコントロールを図ろうとしながら、それが全く奏功しない場面は見たことがないので、正直今回の事態には驚愕しています。

その理由について、何かご存知のところはないですか?

A律師:私自身は株取引をやりませんが、律師仲間は北京も上海も株取引に手を出す連中で溢れかえっており、微信(WeChat)の朋友圏で乱れ飛ぶ書き込みを見ていると、今回の証券市場の波乱の主たる原因は中央における権力闘争の産物だという見解が多く見られるのですよ。

村尾:えっ!? 証券市場と権力闘争がなぜ結びつくのでしょうか?

A律師:北京の律師などの書き込みを見ていると、反腐敗政策が対象とする次の大物にはXの孫だとか、Yの息子だとか、Zの娘が含まれており、中国共産党規律検査委員会は既に正式な調査を開始したというのです。

実際にそこで書かれている政治家の親族が本当に調査対象になっているかは余りに高度な守秘事項ですから、われわれも知る由がないのですが、ポイントは2つあり、1つはそのような風説に全てではないにせよ真実が含まれ得ること(今までもそうでしたから)。

もう1つは親族がターゲットとされた超大物政治家はこれ以上習近平政権の反腐敗政策が自身周辺に及ぶことを避けるために、徹底的な権力闘争を仕掛ける可能性があり得ることです。

村尾:権力闘争ですか・・・でも、あんなに強い習近平さんを相手にどうやって?

A律師:その1つの手段が証券市場を瓦解させるというものだと噂されているわけです。すなわち、中央が上海総合指数4500ポイント程度を適正な水準であると考えたとすれば、急下落した水準を適正水準に戻すために矢継ぎ早の政策を繰り出しますね?

しかし、それを嘲笑うが如く、上海総合指数が3000ポイントを割って、2500、2000へと急下落を続け、2014年11月以降の金融緩和策の効果を全て打ち消す結果が実現するなら、どうなると思いますか?

習近平政権は上海総合指数を一旦5000ポイント超まで上昇させることを容認しながら、2000ポイントの元々の水準にまで急下落させるならば、中央は証券市場をコントロールする能力がないというレッテルを爆発的な数の「散戸(小口個人投資家)」から貼られてしまいますよ。

そうすると中央が推進する他の経済政策についても説得力がなくなり、現政権は人民の支持を相当程度失ってしまうことになります。そうなると、圧倒的な人民の支持のもとに実施している反腐敗政策の今後の展開は消極的なものにならざるを得ない可能性が出てきます。

ここに反対勢力が権力闘争を仕掛ける基盤を認めることができるのです。

村尾:具体的にはどのような方法によると予測されますか?

A律師:例えばX、Y、Zがなお隠然たる影響力を有する上場国有企業があるとすれば、その保有する自社株をブルマーケットがベアマーケットに転換した直後に大量売却させるとか、

同様に影響力を有する証券会社を使って違法な「裸売空(naked shortselling)」と呼ばれる、空売り時に空売り主体が、売却対象となる株式を保有していない(株保有者から株を借りてこない)空売り手法を駆使して、巨額の売り圧力をマーケット全体や特定上場企業を相手にかけるとか、

様々な手法を同時並行的に繰り出すことで、中央の対策の効果を打ち消すことが可能となります。

この手法は少なくとも一時的には奏功したように見えます。中国人民銀行の6月の利下げや証券監督管理委員会の打ち出す対策の効果が直後に打ち消された背景には、こうした狡猾な手法が存在したはずで、個人投資家の弱気心理だけで全てを説明できるほど中国の事情は簡単なものではないのです。

村尾:なるほど。それで証券監督管理委員会が5%以上を保有する大口株主(これには自社株を保有する上場国有企業が含まれます)に6ヶ月間の売買禁止令を出したり、空売りに対する規制強化だけではなく、中央公安部がわざわざ過去に遡及して違法な空売りの徹底捜査を行う旨を宣言したりしたのだな、と趣旨がよくわかりますね。

A律師:そうですね。上場会社の半数程度の上場市場での取引を一時的に禁止してしまうという日本では考えられない対応などには先進国から批判が集まっていることをよく承知していますが、「そのような対策を実施すると、証券市場の健全性が歪む」など言っている海外の専門家は中国の特殊性を理解せず、もっぱら証券市場という表面的な観点だけからしか中国を見ていないのです。

村尾:今回の証券市場の波乱が権力闘争の産物としての側面を有するという微信での噂が真実だとすれば、今後の証券市場の見通しはどうなるでしょうか?

A律師:中央が望むとおり、上海総合指数が4500ポイント前後となるところまで上昇して落ち着くのではないでしょうか。

過度な下落の実現は習近平政権が証券市場という限定された舞台であるものの、権力闘争に敗北することを意味しますが、そのような結果が出ることを習近平政権は面子の全てを賭けてでも阻止しようとするでしょう。

微信でこうしたチャットが乱れ飛ぶ様子は100%の確率で中央は把握しており、証券市場の安定化に失敗する場合、どのような見方を散戸から受けるかは痛いほど了解しているはずですから>(以上)

X=江沢民、Y=曽慶紅、Z=李鵬だろう。今回の騒動が軟着陸したら江沢民派はほぼ壊滅、習王政権は多少延命するか。お手並み拝見。7月9日のBRICS首脳会合の習の写真を見ると、かなり疲れているようだ。独裁者はストレスが大きい。

■7月11日(土)、朝は室温26度、快晴、2年ぶりにシマヘビ発見、1.2メートルほどで、なかなか立派だが、絶滅危惧種だな。吉兆だと思ったが、杖を引いたメタボ系の怪しいオッサンとの接近遭遇を避けるためにハーフ散歩で切り上げた。

泣く子と統失には勝てない、か。異常な小生をビビらせるほどの危険な雰囲気だった。絶滅待望種。そのうち消えるだろう。

今朝は小1女児を預かるが、髪の毛がうるさったいくらいに長いので、「パーマ屋に連れていったら」とカミサンに言えば、「七五三だから・・・」。

「七五三って、そりゃあ11月だろうに」

「女はね、大変なのよ・・・」

今から髪を伸ばしてまげを結い、振袖を着る準備をしているのだ。想像を絶する思考。男と女は人種が違う。異性ならぬ異星人。同性婚の気持ちが分からないでもないなあ。

昨日、小1女児は学校へ行く前にしくしく泣いていた。Nに理由を聞くと、「この前のプールの日はとても寒くてね、もう厭だって・・・」。梅雨時で雨が降らなくても風があれば23度くらいだから、これでプールとなれば結構寒いわな。

それにしても泣くほどのことではなかろうに。6歳にして涙の効用を覚えたか。女、恐るべし。

昨日の産経正論が「市丸利之助」という英霊に触れていた。初めて聞く名前だった。ブログ「小名木善行 ねずさんのひとりごと」から。

<市丸利之助(いちまるりのすけ)海軍中将のことを書いてみようと思います。市丸中将といえば「ルーズベルトニ与フル書」が有名です。

この「書」は、市丸中将の死後、「死に臨んだ日本の一提督の米国大統領宛の手紙」と題されて、米国の各大手新聞で、その全文が紹介されました。また、戦後ベストセラーになったジョン・トーランドの「昇る太陽 日本帝国滅亡史」でも紹介された。

そして全米で大絶賛されています。「書」はいまも、アナポリスの海軍兵学校の博物館に展示されている。

市丸中将は、硫黄島の戦いで散華された方です。

硫黄島の戦いは、昭和20(1945)年2月19日の米軍上陸から、3月26日の玉砕まで繰り広げられました。日米の島しょにおける戦いでは、唯一、米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った戦いです。

島にいた日本の守備隊は、陸軍が栗林忠道中将率いる1万3586名、海軍が市丸利之助中将率いる7347名、合計2万933名です。米軍は、そこに11万の大軍をもって挑みました。

武力においても、火力においても、兵員の数においても、はるかに勝る米軍との激戦において、市丸中将は、最後の総員突撃を敢行するに際して、「ルーズベルトに与うる書」を遺されています。

その内容は、ひとことで要約すれば、強国が弱国を蹂躙し、支配し、奪うのが当たり前とする19世紀的覇権主義を否定し、世界の人種それぞれがそれぞれの地域で自主独立し、もって恒久的世界平和を実現するという、まさに現代の世界の人々にとって立派に通用する内容のものとなっています。

市丸中将は、なぜ、死に臨んでこの「書」をしたためられたのでしょうか。それは単なる遺書だったのでしょうか。かなわぬ敵と戦うに際しての単なる愚痴だったのでしょうか。

当時米軍は、戦いの後、日本兵の遺体から所持品を確かめていました。市丸中将は、それを知って、この「書」をしたためられています。

市丸中将が、最後の突撃攻撃を行って散華されたのは3月26日です。その9日前の3月17日、中将は、地下20メートルの洞穴に、動けるものを全員集めました。

そして副官である間瀬式次中佐が一歩前に出て、「ルーズベルトニ与フル書」を読み上げた。

朗読が済むと、この書の和文のほうを通信将校の村上大尉が腹に巻きつけました。英文のものは赤田邦夫中佐(二七航戦参謀)が身に付けた。

そして市丸中将は、栗林中将とともに、軍服にある一切の肩章を外し、ひとりの皇国臣民として最後の突撃を行っい、散華されています。

この最後の突撃のときの遺体の数は、わずか196柱でした。陸海合わせて2万933名いた守備隊は、3月26日の吶喊攻撃のとき、動ける者はすでに196名になっていたのです。

「ルーズベルトに与うる書」は、米海兵隊員の手で二人の遺体から発見されました。従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本文を4月4日、本国に向けて打電した。

そして「書」は、米国内の様々なメディアで紹介され、「書」に書かれた理想は、形を変えて米国の理想となり、いまや世界の人類の常識とまでなっている。

軍人にとっての勝敗は、もちろん戦いに勝つことです。それが島の守備隊であれば、島を敵の手に渡さない、島を守りきることが軍人としての使命です。

けれど国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。

大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と、合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。

戦いに「かつ」ということは、単に戦闘に勝つということだけを意味しません。「克つ」は「勝つ」と同じで「かつ」と読みます。「克つ」は、成し難きことをしおおすことを意味し、戦いに「克つ(かつ)」ことは、戦いの究極の目的を遂げることです。

思うに、市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないか。

そう、思うのです。

当時の駐米英国公使であるロナルド・キャンベルは、ルーズベルトについて、英国外務省に宛てた手紙で次のように書いています。

「ルーズベルト米大統領は、優秀な白人種とアジア人との交配によって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をアジアに建設しようと考えている。

ただ大統領は、白人より二千年も遅れた頭がい骨をもつ日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離して次第に衰えさせようと考えている」

残念ながら、ルーズベルト大統領その人は、市丸中将の書簡が米本国に打電された8日後に他界しています。けれど、市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っている。

そこで今日は、市丸中将の遺稿となった、その「ルーズベルトに与うる書」の全文を、口語訳、原文、英文の3つでご紹介しようと思います。

まだこの「ルーズベルトに与うる書」をお読みになったことのない方は、是非、ご一読されてみることをお勧めします。

死してなお戦い続けた中将の心は、ついに世界を動かした。市丸中将のまさに血を吐く思いで書き綴ったこの「書」は、当時の日本の心を描いた普及の名著だと思います。

尚、口語訳は、できるだけ原文に忠実にボクなりに訳させていただきました。訳の不備は、すべてボクにありますことをお許しください。

【口語訳】ルーズベルトに与うる書

日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。

私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。

日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。

あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。

おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。

このことはかつて、

四方の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ

という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。

わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。

わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。

なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。

けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。

あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。

そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。

近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。

それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?

大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。

それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。

ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。

大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。日本天皇の神意は、その外にはない。

たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。

ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。

今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過することのできない事実です。

あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。

あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。

けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。
市丸海軍少将>(以上)

『日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス・・・

卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ』

口語文は格調高い。原文と英文は下記へ。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1416.html

64歳になって初めて読んだ。つまり近現代史の教育が日本ではまったくなされていないということ。GHQが日本人のオツムから近現代史、口語文、漢字、思考力、家制度を奪い、その代わりにGHQに都合の良い史観、価値観、物欲主義を刷り込んだのだ。

ほとんどの日本人は洗脳されたままの中2レベル。騙されていることさえ知らない。「日本がアジアを侵略した? それは違うだろう」と異議を唱えれば、ほとんどのマスコミは「とんでもない妄言だ、辞任しろ」などと叩きまくる。そういうレベルであり、死に絶えるのを待つしかない。

70年かかって洗脳されたから、除染、再生には70年はかかるだろう。それとも中共が目覚ましの一発を撃ち、日本が反撃し、撃退すれば、短期間でそれが可能かもしれない。ショック療法だ。副作用でアカのメディアがこければずいぶん風通しがよくなるだろう。

「沖縄の2紙は潰すしかない」。沖縄どころか小生の地元の神奈川新聞をはじめほとんどの県紙は沖縄並。「潰すしかない」。

カミサンはスーパー銭湯へ。風呂嫌いの小生は仕方なくシャワーを浴びているが・・・女は永遠の未知だ。左翼更生派の小生からすればアカは無知だ。愛の鞭が必要だな。ビシバシ、と。

■7月12日(日)、朝は室温26度、快晴、フル散歩。畑ではトマトの収穫最盛期だ。小生が子供の頃のトマトは豪快で、ひび割れなどもあって器量はあまり良くなかったが、何よりも強烈に青臭かった、むせるほどだった。もちろん夏場の露地物しかなかった。

ビニールハウスができてから臭みがなくなり、見た目もきれいにはなったが、味は軟弱になった。季節感もない。

<総務省の2000年家計調査によれば1世帯当たりの年間購入量(重量ベース)では、トマトは生鮮野菜類中5位に位置する。これは一般消費者家庭でダイコン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギに次いでトマトが多く消費されることを示唆するものだが、出荷量、収穫量ベースで見てもトマトはこれらの野菜に次いで5位を占めている(平成13年野菜生産出荷統計)。

また、家計調査によれば、野菜の主要品目が10年前と比べて軒並み減少または横ばい傾向にある中、ネギと並んで目立った増加を見せている数少ない野菜類のひとつである。

日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初とされる。貝原益軒の『大和本草』にはトマトについての記述があり、その頃までには伝播していたものと考えられている。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていた。

日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからである>
(ウィキ)

わが家では主にサラダで食べる。たまにパスタのソースの材料にしたり、ピザに載せたり。極めつけのメニューはないものか。

女性はトマトをとても好むがなぜか。きれいになるのか。全国トマト工業会曰く、

<トマトは低カロリーでさまざまな栄養成分が豊富な健康野菜。美肌効果や風邪予防に役立つビタミンC、老化を抑制するビタミンE、塩分の排出を助けるカリウム、腸内環境を整える食物繊維などをバランス良く含んでいます。

更に注目されているのが、カロテノイドの仲間であるリコピンやβ-カロテン。私たちは酸素がなければ生きていけませんが、酸素には細胞を酸化させ、老化や動脈硬化、がんなどの生活習慣病を引き起こす作用があることがわかってきたので、抗酸化作用を持つリコピンやβ-カロテンに期待が集まっているのです>

美肌効果・・・なるほど、一所懸命に食べるわけだ。カミサンは美容ローラー風のものを3つも持っているが、効果は・・・。「色の白いは七難隠す」、女性にとって美肌は大事なのだ。

夜は鶏モモとチーズたっぷりのトマトソースパスタにしよう。それにしても今日は暑かった。昼には32度にもなり、すっかり真夏日だ。いよいよ夏子の季節到来。(2015/7/12)


2015年06月28日

◆橋下徹とは結局何者だったのか

早川 昭三
     


文芸春秋の平成27年7月号に、「緊急特集・橋下徹とは結局何者だったのか」が、掲載されている。この「緊急特集」には、下記の七氏の論文で満たされている。

@ 独裁の危機は去っていない  中野 剛志 (評論家)
A 手垢のついた大阪都構想   森 功   (ジャーナリスト)
B 小泉劇場の二番煎じ     中西 輝政  (京都大学名誉教授)
C 致命的に国家観がなかった  櫻井よしこ  (ジャーナリスト)
D 改革者が権力者に変わった  古賀 茂明(古賀茂明政策ラボ代表・元経済産業省官僚)
E これで終わりとは思えない  後藤 謙次   (政治コラム二ススト)
F 本気で考えた衆院選出馬   浅田 均    (大阪維新の会政調会長・大阪府議)

「緊急特集」題目には、「類い稀なる改革者か、それともただの破壊者かー、七人の識者がその正体を読み解く」と書き添えられている。

この論文の中で、差し当たり 「独裁の危機は去っていない 中野 剛志氏 (評論家)」考えが、筆者と橋下市長に対する見方と一致するところが多かったので、以下掲載する。

     <大阪市の住民投票の直後、産経新聞のあるコラムが、橋下徹大阪市長が「今の日本の政治に一番必要なものは独裁」と発言していたことに触れつつ、「本物の独裁者は、自ら『独裁者』などと口にしない」などと書いていた。                            

このナイ―ブな発想は、民主政治に対する初歩的な無知から来るものだ。 

有権者の大多 数が「独裁」を望むならば、「独裁」を公約した政治家が選挙を通じて権力の座につき、本物の独裁者となるのである。 実際、橋下市長は、あともう少しでそうなるところだった。

民主政治というものは、必ずしも独裁とは対立しないのである。 独裁と対立するのは、「民主」よりもむしろ、「自由」である。「自由」とは、自らの思想信条が尊重されることを意味する。                                       

従って、「自由」民主政治においては、選挙によって多数派が勝利しても、少数派が主張を撤回する必要はない。いやむしろ、少数派が黙ってしまったら、「自由」が否定されたことになり、民主政治は単なる多数派による「独裁」と化すのである。                                 

「自由」民主政治における意思決定は、単純な多数決ではなく、多数派が少数派を尊重しつつ、両者で熟議を重ねることによってなされる。その熟議の場こそが議会である。議会とは、自由のための制度である。従って、市議会での熟議を否定して、住民投票という手法に訴えるのは、民主的ではあるかもしれないが、「自由」民主的ではない。                           

橋下市長は、住民投票後の記者会見で「民主主義はすばらしい」などと持ち上げていたが、彼は「自由」については否定していた。 会見の冒頭からして、こうだ。                          

「僕が提案した大阪都構想、市民のみなさまに受入れられなかったということで、やっぱり間違ってたということになるのでしょうね。」                         

確かに、住民投票の結果は反対が多数である。しかし、都構想の「正否」は、投票結果には左右されないはずだ。 何故なら、多数派が判断を間違えることはあり得るからである。                                           

もっとも、私個人は都構想は間違いだと思うが、それはともかく、橋下氏が都構想は正しいと本当に信じていたならば、投票で負けて少数派になっても「都構想は間違っていない」と言い続けるべきであろう。だが彼は、投票に負けたから「間違っていた」と言う。 つまり、「勝敗」と「正否」とを同一視しているのである。                                         

「勝敗」だけならば投票数によって決めることもできようが、物事の「正否」は投票では決まらない。「正否」を明らかにするには、議論を尽くす以外にない。「住民投票で勝負はついたのだから、黙れ」といった調子で、少数派との議論を否定するのは、自由なき民主政治、まさに独裁である。                                                    

実際、橋下市長は、こうも述べていた。

「昨日の街頭演説では、完全に戦いをしかけて『叩き潰す』と言って、こちらが叩き潰されたわけですから。 本当にこの民主主義っていうのはすごいなと。」               

要するに彼は、住民投票に勝利することで、反対派を「叩き潰す」、つまり「弾圧」するつもりでいたのだ。 

「弾圧」や「独裁」といった表現が誇張だと感じたとしたら、それは民主政治に対する無知によるものである。 独裁者による弾圧とは、民主政治においては、物理的な強制力の行使ではない。 もっと巧妙に行われるのだ。 そのことは、すでに19世紀の思想家アレクシス・ド・トクヴィルが、アメリカの民主政治の中に見出していた。(中略)                                   

橋下市長は都構想に反対する藤井聡京大教授を、記者会見やツイッタ―で連日罵倒したり、藤井氏を出演させたテレビ局に抗議文書を発出したりと、「あらゆる種類のいやがらせや迫害」を行った。これらはもちろん合法的であり、物理的な強制力を伴うものでもないが、(中略)つまり空気を支配することで言論を弾圧するのだ。・・・ (中略)

さらに恐るべきことは、言論、マスメディアあるいは国政の場においても、さして問題視されずに放置されていた。 

それどころか、この期に及んでもなお橋下氏を評価する声が後を絶たない。 
例えば、田原宗一郎氏は政界引退を残念がっている。よほど独裁が好きで、自由が嫌いとみえる。 茂木健一郎氏に至っては、住民投票後の記者会見での橋下氏の言動について「さわやか」だなどコメントしている。この人は、自由の否定をさわやかと感じるセンスの持ち主らしい。(中略)

ある報道によれば、安倍政権は改憲の為に橋下氏の強力を得ようとしていたという。真偽のほどは定かではないが、これがもし真実だとしたら笑えない話である。>(以上)
     
長文の論文掲載になった。筆者がこれに同感したと冒頭記したことは、下記の論旨等である。

・<橋下市長は、住民投票後の記者会見で「民主主義はすばらしい」などと持ち上げていたが、彼は「自由」については否定していた。会見の冒頭からして、こうだ。「僕が提案した大阪都構想、市民のみなさまに受入れられなかったということで、やっぱり間違ってたということになるのでしょうね。」
                       
・<私(中野氏)個人は都構想は間違いだと思うが、それはともかく、橋下氏が都構想は正しいと本当に信じていたならば、投票で負けて少数派になっても「都構想は間違っていない」と言い続けるべきであろう。だが彼は、投票に負けたから「間違っていた」と言う。つまり、「勝敗」と「正否」とを同一視しているのである。

・<要するに彼は、住民投票に勝利することで、反対派を「叩き潰す」、つまり「弾圧」するつもりでいたのだ。> 

この辺りの見解が一致する。どうか、中野氏のお考えを読み取って下さい。(了)


2015年06月12日

◆安倍晴明の実母とは?

早川 昭三



山登りや名所旧跡巡りの仲間のサークル「歩こう会」が、予期もしなかった驚きと感動を与えて呉れた。

大阪城を散策中に知り合った仲間同士の会「大阪城歩こう会」に参加して、日曜ごとに10数人が連れ立ち近畿の著名な山々に登ったり、歴史に包まれた名所に出掛けるようになって久しい。

季節の移ろい、新鮮な空気と絶景、出会った人達との交流、その土地の産物の味などに接する楽しみは、実際に汗を掻き、五体の筋肉を酷使して歩き回る者だけしか味合えない産物だと信じている。

最年長のリーダー格の80余歳の仲間は、お年を感じさせない軽妙な足取りと訪ねる先への道筋は勿論、そこに纏わる地縁の知識に長けておられるのには、頭が下がる。

さて、今回の驚きの出来事のキッカケは、たまには気楽に行ける平地の名所に行こうとの女性の提案で、大阪和泉市の「信太の森」に出掛けたことだった。

その「信太の森」は、平安時代の清少納言の「枕草子」の中で「もりは信太の森」と称えられていることで知られているということで、麓を熊野古道がはしる古代から参詣の道の側ということでも広く知られているという。

朝鮮半島から5世紀ごろ伝えられた須恵器釜跡があり、わが国最古の釜跡も見付かっているという。なかなか深みのある歴史の里である。

現地に実際足を踏み入れると、流石に周囲は信太山丘陵に囲まれ、裾野まで広がる多種多彩な樹木景観は、素晴らしさの一言だった。

早速、現地博物館「信太の森ふるさと館」を訪ねた。ここの歴史や成り立ちを知る上では、それが最適だからだ。

建物1階の右手にある80坪ほどの「信太の森ふるさと館」に入り、次々と見回っている内、浮世絵風の数枚の異様な「版画絵」が目に入って仰天した。

子供を膝の前に座らせた母親らしき女性が、手に持つ筈の筆を口に咥えて、和歌の文字を障子に向かって書いている姿の絵だ。

文字は「恋しくばたずねきて」と書いてある。ところが女性のギョロッとした目線は、横向きに何かを見据えている。表情も厳しく尋常ではない。この絵は、一体何を語ろうとしているものなのか。隣には、大木の下に2匹の白狐が闇の上にある白き物体を見上げている、思わしげな別の「絵」が並べられている。

背中に言い知れぬ寒気を感じたので、館員から説明を受けることにした。館員は、懇切丁寧にこの「絵」について語ってくれた。この「絵」は、古浄瑠璃などでも伝えられる「葛の葉物語」の一場面だそうだ。

<その昔、大阪の摂津の国に安倍保名(あべのやすな)という若者が、信太大明神を参詣に来た時、狩人に追われた深手の傷を負った白狐を匿い逃がした。これに腹を立てた狩人が保名を責め、大怪我をさせ立ち去った。

すると傷で苦しむ保名の所に「葛の葉」と名乗る女性が現れ介抱した。この女性は助けた白狐の化身だったのだが、保名はそれとは知らず、二人はやがて一緒に暮らす仲となり、男子を儲けた。子の名は「童子丸」。

6年後のある日、葛の葉は庭に咲いた菊の花に見とれてわが身を忘れ、うっかり現わした尻尾を「童子丸」に見付けられてしまった。葛の葉は、もはやこれまでと一首を障子に書き残して森へ消え去った>。(版画絵がこの模様を伝える)。

その一首とは、「恋しくばたずねきてみよ和泉なら 信太の森のうらみ葛の葉」だったのだ。

<保名と童子丸は恋しい母を求めて探し回り、やっと森の奥で涙を流しながら二人を見つめている一匹の白狐と出合う。

ハッと気づいた保名が「母の元の姿になっておくれ」と哀願すると、白狐は傍らの池に己の姿を映し出し、たちまち葛の葉の姿となった。

しかし、葛の葉は泣き叫ぶわが子を諭しながら、形見に白い玉を与えて最後の別れを惜しみつつ、再び白狐になって森の奥に消えていった>。

これが「葛の葉物語です」と職員は説明を締めくくった。悲しい言伝えに心を痛めて聞き入っていた筆者に、この館員は追い討ちを掛けるようなショッキングなことを告げた。

「この童子丸が、実はかの有名な“陰陽道の祖の安倍晴明”(あべのせいめい)だといわれているのですよ」。

私の出生地は大阪阿倍野区で、安倍晴明を祀る「安倍神社」は目と鼻の先のところにある。子供の頃から親に連れられ足繁くお参りした神社だ。「安倍晴明の出所」などに思いを馳せた事も無かったが、まさかこの「版画絵」に描かれた「葛の葉物語」の童子だったのかと考えると、頭が真っ白になった。

今は、「安倍神社」とは離れたところに住んでいるため縁が薄れたが、この伝説を知った以上、お参りに行ってみたくなった。

それにしても仲間と共に方々を「歩く」ことは、時空を超えた様々な楽しみと感動の舞台に接遇させてくれるものだとつくづく思い知らされ、改めて有り難さを痛感する。(了)

2015年06月10日

◆「ワッハ上方」は変わるか?

早川 昭三



大阪の「伝統文化の維持と振興」に対して、政治家として極めて希薄だった橋下市長の姿勢に、都構想の敗北が影響した所為か、少しづつ変化が滲み出してきたようだ。

ただ振り返ると、大阪府知事から大阪市長へと移籍しても、大阪伝統文化を毀疲させていく橋下市長の「文化高揚の認識不足と文化振興の貢献心不足」には、速花文化を愛する市民からは、大きな批判が出ていた。
ところが、大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」にある、資料の価値を検証したうえで、活用策を打ち出したいとして、大阪府が、「芸能の専門家などでつくる委員会」を発足させたのだ。これは、運営をだめにしてきた「ワッハ上方」を再建させる一つ良策だろう。
大阪のお笑い文化の魅力を継承していこうと、平成8年にオープンした府立上方演芸資料館「ワッハ上方」は、落語や漫才、講談など上方演芸に関する資料、およそ6万8000点を集めた。中には、初代桂春団治の羽織など目を引くものがあったが、劣化施策によって学芸員が少なくなり、資料分類や整理が十分にできていなかた。
このため、大阪府は、数々の資料の価値を検証したうえで、有効な活用策を打ち出したいとして、芸能史の研究者など、6人でつくる委員会を発足させたのだ。

委員会では、今後3年以内に体系だった分類基準を定めるとともに、資料を貸し出すシステムの整備などを進める方針。
肝腎な事は、府立上方演芸資料館が存続するのは、大阪府が古典芸能人の遺産を差し出すのであって、いつ潰れるか分からない民間博物館に貴重な財産を寄贈することは在り得ない。
委員の1人は「上方演芸も学術的な研究を深める時代になってきた。それに役立つよう整理を進めたい」と話しているが、大阪府が前面に立たなければ、「文化遺産」が保たれるはずはない。完全保存経営に期待をしたい。

そもそも、浪花伝統文化の価値そのものを、「税金の無駄遣い」と同次元で考えること自体がおかしいことに、松井知事も分かっていなかった。
「税金の無駄遣い」という次元ではなく、税金で負債を補っても浪花伝統文化を守ることが大阪府の役割であることに、知事は分かっていなかったのだ
そこで、焦点の「なんば千日前のワッハ上方」の場所に、どうして当時の大阪府が苦労を重ねて創設したのかに、これから追々。

「ワッハ上方」とは、大阪で生まれて育った上方演芸の興りとその演芸の主導役割を果たしてきた名人たちの軌跡(遺品など)を一同に集めたもので、上方演芸を歴史的に正面から捉えて評価した画期的な「殿堂」と言っていい。

「ワッハ上方」のある「なんば千日前」は、「大阪演芸文化」の発祥地である、道頓堀界隈の近辺にある。言い換えれば「ワッハ上方」は、大阪演芸文化発祥地の側にあるといっても言い過ぎではない。

発祥地となったのは、道頓堀で芝居小屋が建てられたことから始まる。1626年(寛永3年)安井九兵衛が初めて道頓堀に芝居小屋を建てたのをきっかけに次々と小屋が出来て、人形浄瑠璃や歌舞伎が興業。「五座」と呼ばれたのは、江戸時代末期からで、明治以降は中座、角座、浪花座、弁天座(戦後文楽座、朝日座と名称変更)、旧朝日座をそう呼んだ。
 
戦前までは、この「道頓堀御座」に人並みがあふれ、芝居茶屋が並べた。ところが楽しみもつかの間、昭和20年3月の大阪大空襲で総てが焼失。戦後になると、娯楽に飢えていた浪花っ子たちが、どっとこの道頓堀界隈の「五座」あとに押しかけ、復興された中座は、大入り満員となった。

しかし、戦後に現れた「映画劇場」に人気を奪われ、昭和59年には芝居小屋の道頓堀から、文楽の朝日座、演芸場の角座が相次いで姿を消した。芝居小屋の激減で道頓堀界隈は様変わりしたが、それでも「演芸」の原点は、この地でであったことは誰もが認めるところだ。

重要なことは、その発祥地の近くに「ワッハ上方」建てたのは、吉本興業が大阪府の趣旨に賛同し積極的な協力があったことが大きい。

自社用地の「金毘羅宮分社跡地」に自費で複合ビルを建て、4階に「ワッハ上方」を大阪府が作ることに賛同してくれたのだ。こんな吉本興業の協力が無かったら、今の場所に「ワッハ上方」は存在していない。

しかも「ワッハ上方」は、吉本興業の有名な「なんばグランド花月」の目前に建て、同劇場の観覧客を「ワッハ上方」へ流れ入れるような位置関係に設えてくれたことも、この上もない計らいであった。

予想通り大阪府経営の「ワッハ上方」名は広がり始め、演芸に関する膨大な歴史的資料を蒐集し保存する呼びかけを行うと、名だたる演芸名人の遺族から、「三味線、締太鼓、バチ、衣装など」の遺品の永久保存の依頼や持ち込みが殺到し出し、今日の「ワッハ上方」の基盤を創り出した。

加えて演芸愛好者や、演芸品収集家からも寄贈の申し入れが相次いで「資料館」は展示品で満杯となり、これに取り組んでいた当時の大阪府幹部・担当者を感激させた。

永久保存の依頼や寄贈の申し入れは、あくまで大阪府という自治体が「保存」するという「保証」があったからこそ、「演芸の宝」を保持している名人たちの遺族が感銘し、永久保存を次々と依頼してきたものである。もし、保存者が自治体でなかったら、現状のように膨大な「展示品」は集まってはいない。

「ワッハ上方」の意義はそこにあり、寄贈者が演芸活動家の軌跡を後世の人々に残しておきたいという切なる気持ちの表れもこれに繋がる。

なぜ、大阪府はもっと集客策に必死に取り組まなかったのか。「赤字」経営の結果のみを前面に打ち出して「軽視」を決めるという当時の論理は、大阪のほかでも露呈した浪花伝統文化現象と極似している。

ともかく、地元の伝統文化振興行政の正常化に取り組むことを、発足した「芸能専門家などでつくる委員会」が、画期的な浪花文化保全維持策を決めて、市長・知事の「論理と伝統維持」政治姿勢をかえて、再経営に乗り出してほしい。 (了)

2015年06月03日

◆水族館「海遊館」が民営化!?

早川 昭三


大阪市の橋下徹市長は、市第3セクター水族館「海遊館」を、民営化する方針で進めてきたが、遂に最大株主の「近鉄」に売却することにした。

売却検討が始まった2010年度には。年間約5億4千万円の黒字を出していた。以後も黒字経営を遂行してきた「海遊館」を、何故民間に売却するのか。

しかも公的施設だから、各地の魚界が「海の文化」を保護してくれる自治体を信頼して、特に珍しい魚類を差し出してくれるものなのだ。

こうした「海の文化」施設を放り出すのにも納得がいかないし、財政改善を進めていきたいという市長の考えとは、まるきり逆行すると、市民の批判の声は多い。だが、その民間売却は強行されたのだ。

「海遊館」の歴史等に以下追々。

「海遊館」は、平成2年に市政100周年記念事業として開催した「花と緑博覧会」と合わせて、同年7月20日に開館した、見学者は平成4年に1千万人を超え、平成9年には2500万人を突破、いまでは6千万人に達することは確実で、黒字経営は間違いない。人気は抜群だ。

この集客能力は、大阪市が主体となって立ち上げたことが、外国を含めた諸団体の協力を得られて「魚や海獣」を集められたことであり、大阪市が撤退すれば、見学者が期待する世界の水産生物を収集や、水産情報交換も疎かになり、水族館の魅力は半減することは必至だと云われている。

そこで、「海遊館」創設の時、幾多の困難を乗り越えて如何にして開館にこぎ着けられたかを、記録を見ながら「夢実現のドラマ」を紹介しよう。

絶対に大阪市が主導して「開館」していなかったら、今のように絶対成功していない。

「海遊館」創設に当たって大阪市港湾局幹部が決断したのは、見学者が胸をワクワクさせながら足を運ぶ「生き物」とは、「南極産ペンギン」と、世界の水族館にあまりない「ジンベーザメ」を収集することだった。

そこで、まず「南極ペンギン」の取集交渉を、開館1年前の9月15日、世界でも有名な米国のフロリダ州の州立オーランド・シーワールド」と行った。しかし貴重な「南極産ペンギン」をよこせの話だから、うまくいくはずがない。

だが、断念すれば「南極生物」のいない「水族館」など世間から見向きもされなくなる。大阪が世界一の水族館を目指す以上、館長を口説き落とすしか方法はない。大阪市港湾局幹部は、ひたすら懇願した。

米館長は、大阪市の立場と幹部の熱意に打たれ、25匹の「南極ペンギン」を「海遊館」に貸すことを承諾した。3日間の交渉の結果だったが、夢の一つは実現した。

もう一つの「夢」は「ジンベーザメ」の入手だった。海の沖合の定置網を設けて誘い込むしかないだけに、こればかりは天に託す以外しか方法はない。

そこで。平成元年10月、黒潮に乗って舞い込む「ジンベーザメ」を確保するため、五島列島の福江島沖合、高知県の離島の沖合、それに沖縄与那城村の伊計島沖合の3か所に「定置網」を設けた。

現場にはそれぞれ2人の飼育職員が常駐し、動向を探った。しかし「ジンベーザメ」が定置網に寄り付く気配は一向になく、飼育職員は生きた心地はしなかったという。

時ばかり過ぎ去って行くだけだ。「無理じゃないのかなぁ」。皆がそう思うようになっていた。

ところがそんな折、歓喜が走った。平成2年6月22日の夕方、沖縄与那城村の伊計島沖合の定置網の中に、1頭の「ジンベーザメ」が潜って来たのだ。

体長4メートル、体重はゆうに600キロはありそうだった。ただちに大阪の幹部に連絡した。「海遊館の開館日までに合うな」。これにも皆が歓喜で泣き崩れた。

しかし大きな課題があった。伊計島沖合の定置網から1300キロ離れた大阪まで、どのように効率的な手順で運ぶかだ。もう一つ難題は、運ぶ「ジンベーザメ」を慣らし、餌を食べさせる訓練を熟達することだった。

有難いことは、大阪市が取り組んでいるということに配慮して、世界で唯一「ジンベーザメ」を飼育している現地の「国営沖縄記念公園水族館」の館長らが、現場まで出向いて飼育員の指導に手を貸してくれたことだった。

「ジンベーザメ」の餌付けもうまくいくようになった。

「海遊館」のオープンが7月20日に迫ってくるので、「国営沖縄記念公園水族館」の館長らの協力も得て、7月9日に輸送を強行することを決定した。さあ!これからが本番だと、大阪からも幹部が来て対応に当たった。

当日、伊計島沖合の定置網から陸揚げし、「国営沖縄記念公園水族館」から借りた輸送コンテナーに積み込んで、60キロさきにある那覇新港まで輸送した。午後6時に那覇新港に着き、岸壁に横付けした大型フェリーに「ジンベーザメ」のコンテナーを積み込んだ。

ところが、とんでもない事が起きた。こんな試練を天は与えるのだろうか。

丁度前日から「台風7号」が接近しだして、8日の夜から風が強くなりだしたのだ。9日に朝になると台風の影響を受ける可能性ありという情報が気象台から聞かされた。

そこで、9日の午後10時に何とか出航することが出来た。後から聞いた話だと、台風は10日の午前3時に石垣島と宮古島の間を抜けて通過したということで、本当に危機一発から逃れた状況だった。

もし台風の影響をもろに受けていたら輸送どころか、「ジンベーザメ」の生存にも影響があったであろうことは確かだった。

本当に助かったとしか言いようがない。翌11日午前8時15分、大阪南港フェリー桟橋に、「ジンベーザメ」搭載のフェリーは無事着いた。午前9時に「海遊館」の搬入口の大型トラックを横付けし、そのまま「海遊館」8階の大水槽「太平洋水槽」に「ジンベーザメ」を搬入するが出来た。

水槽に身を投じた「ジンベーザメ」は、一旦底に身を沈めたがすぐに身を反転させ、大きな孤を描きながら勢いよく泳ぎだした。「海遊館」の幹部や、飼育係は、お互いの肩を叩き合いながら中には号泣する者もいた。

ところでこの記録は、「海遊館」の目玉生物の搬入に携わった人々の苦労話を書いたものではない。ドラマを再現したものでもない。

言いたかったのは、大阪市が主体となって活動を展開したため、今日の事業成果が上げられたことであり、今でも大阪市の「海の文化事業」だからこそ、実績を上げており、全国からの子供を中心とした見学者が跡を絶たないのだ。

恐らく、民間に移行すれば、本来の「海遊館」の実像は失せるだろう。

今年の暮、市長を辞める橋下市長は、大阪市運営で評価される「海の文化事業」と、「ジンベーザメ」の搬入に苦難の職員努力を、聊かも知らない。きっと、市の金儲け事業に役立つ「海遊館」だとしかの認識しかない市長なのだろう。





2015年05月30日

◆橋下氏、政治姿勢を一変

早川 昭三


橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)の政治運営が、一変した。

もともと橋下市長は、「大阪都構想」が住民投で否決された後、行政区長権限を強化する「総合区」制度導入に、積極的に進める発言を重ねていた。

「総合区」をめぐって、橋下氏自身は、住民投票敗退翌日の18日に開かれた市の幹部会議で、大阪府と大阪市の間で「総合区」制度導入をなんとか前に進めてもらいたい」と発言している。

これを受けて「大阪都構想反対党」だった自民、公明両党の市議団と設置に向けた協議を進めることで、合意していた。

ところが橋下市長は、5月28日の記者会見で、行政区長権限を強化する「総合区」制度の意義については、「意義はない」と、導入否定見解を示したのだ。

この一変の理由は、一体何だろうか。驚かさされる。

市長自身が、自分から公職提案した筈のものを「意義なし」と、即否認できるものだろうか。

最初は、都構想反対の憂き目にあった政治失速を、この案で「回復実現しよう」と、一旦思いついたのではないだろうか。

しかし会見では、「総合区」制度は、他の政令指定都市はどこも検討していないと指摘して、撤回の合理性の主張している。

しかも、「総合区」を対案に掲げるなど都構想に反対した自民、公明両党に対し、「(総合区などの)案に賛意を出してもらうと、重いプレッシャーで市政運営をやっていくことになる」と導入への合意にも否定しているのだ。

処がこうした折、橋下市長は、同じ記者会見の席上で、12月までの任期中に、最優先で取り組む施策として、市営地下鉄・バスなどの民営化を挙げ、「進められるところまで進めたい」と、前記の否定とは逆の実行意思を強調したのだ。

大阪府知事時代から政策の柱とする「民営化に道筋」をつけるとしてきたことを、最後の「大仕事」にしたい考えを述べたかったようだ

地下鉄・バスの民営化や府立大と市立大の事業統合などはこれまで、維新以外の他会派との対立で頓挫してきている。

28日の会見では 「民営化が都構想に絡められて政争の具にされていた」とし、「議会の意見に従った形で(民営化議案を)出す」と述べた。(朝日新聞)

つまり、12月までの任期中までに重いプレッシャーで市政運営に絡む「行政」は避け、政治家として就任直後から公約してきた「市営地下鉄・バスなどの民営化」は、実行したいと意思表現だ。

しかし事実、黒字経営の市営地下鉄は、市民が長年に亘って税金で支えながら創造運営してきたものであり、「市財政改善」の柱である。なのに、橋下市長にはその市民功績を無視しているのに等しい。

市バスを民営化したら、大阪市政の誇り・高齢者優遇「敬老パス」が放棄されるのは確実だと云われている。

<高齢者は、何十年後の果実より、足元が不安になる。ムードによる脚光と期待はやがて現実主義に引き戻され、懐疑を呼び込む。>と、今の大阪市政運営の仕方に助言している。(竹内洋関西大学東京センター長):産經新聞掲載>

都構想に敗れたのは、新しい女子層の動きと、上記市政貢献の高齢者層の橋下批判が固まったであった。これをまだ橋下市長は、分析理解していない。

こう見て来ると、12月の在任期間までは、市民の意思と考えを各界に接して思い巡らし、身に背負う重荷を誇りにして、市政運営に取り組むべきであろう。

政治家を辞める宣言も、今回のように中央政治の勧誘に応じて「一変」するのではないかという橋下氏への視感が、大阪では目立ってきている。橋下氏の行動に点三転は、得意技だからだろう。

2015年05月18日

◆「都構想」反対多数 橋下氏引退へ

早川 昭三



「大阪都構想」の賛否を問う住民投票は、大阪市の有権者、約211万人を対象に、5月17日午前7時から午後8時までおこなわれ、即日開票された。

投票率は、平成21年の衆院選挙65.00%を上回る、66.83%だった。

その結果、「賛成」が694,844票に対し、「反対」が705,585票で、「反対」が上回ったって、「大阪都構想」実現させなくした。

この住民投票で「都構想」が敗退した背景は、何処にあったのか。それは市民・諸団体の66%以上の「反対」体制が固まったためだ。特に高齢者と女性層の「反対」が表立った。

まず諸団体が「反対」に投票したのは、幾つも上げられる。

大阪地域振興会、大阪市商店会総連盟の反対結束がまとまった。特に日本商工連盟大阪地区は、「大阪経済の長期低迷は中小企業を元気にする政策の欠如であり、市を分割した特別区では能力的に更に不可能になる」とアピールして「反対」に回った。

なんと、医師会・歯科医師会・薬剤師会も揃って「反対」を表明。中でも、府医師会は、独自ポスターを作って自営診療所に張り、患者に「反対」の意思を広げる異例の活動に出た。

また、本誌に一部既載したが、「(大阪都は)防災・被災は全く考慮されていない」(河田恵昭京都大学名誉教授)、「大阪の都市格は遥かに低いものに」(宮本憲一・元滋賀大学学長)、「『大阪市』という一つの有機体の『死』を意味する」【藤井聡・京都大学教授】など、128人もの学者が、「都構想」の危険性を訴えたのも注目された。

こんな中、府下唯一の政令都市の堺市市長の「反対」の立場に立った他、4月に行われた府下衛星都市統一選挙で吹田・八尾・寝屋川の市長選挙でも、いずれも都構想実現を訴える維新の会に勝利する実績を見せた。

特に注目されるのは、「女性層の反対アピールと集い」が、大きな影響を与えた。「私たちは、大阪市をなくすのではなく、もっとよくして、住み続けたいのです」。大阪各界の女性112名が連盟アピールを根強く展開したことだ。

この「女性層の反対の意思表示の強さ」は、新聞世論調査でも明らかになり、市民は驚いた。この過去にはあまり例のない「女性層の反対」の動向と動きは、市民の「反対意思決定」に大きな支援を与えた。

当然これに大阪維新の会代表橋下徹大阪市長は狼狽した。急遽街頭演説の対象を、大衆から「女性層」に切り変えた。「反対派が優勢です。都構想はお母さん方に不評なんですよ。意味が分からないそうですね」と自嘲気味に、言って同情を求めたのだ。

「大阪市がなくなって生活が悪くなることはない。少子高齢化時代を迎え、子育て世代の応援や高齢者のサポートのために都構想を提案したんです」と、「女性層の対応」の変化要望を訴えた。

 また維新では全体会議でも「女性の反対が多いとの分析を元に「優しい大阪」をアピールすることを確認、活動対象を女性に絞った。しかしこれには効果を上げることは出来てなかったことになる。

こうした中、維新が最終的な頼みは橋下氏の演説能力だった。特にテレビでの能弁出演だった。しかし出演のテレビでは、同席反対派議員の発言を幾度も制して都構想効果説明を繰り返し主張したのが、反って饒舌となり、「都構想」の実像が益々」分からなくなり、視聴者嫌気を誘ったという声が多い。 

「都構想」が消滅したことで最も良かったことは、筆者が何度も主張している、大阪政治体制に「三重行政」の政治構造を誕生させなかったことだ。

つまり、大阪府と新設の五特別区の間に、「一部事務組合」を設立させる案は、国民健康保険、介護保険、水道事業、ゴミ収集事業など100以上の特別区事業事務事業調整を橋下氏ら維新が主導して操作させず、大阪市民のサービスを見殺しすることを阻止出来たことだ。

これは、「都構想の裏」に潜む、秘密政体構造だったのだ。

更に追記すると、「特別区」は「住宅地・窯業地」等を決める権限を失しなう。しかも「特別区」は、府財政の4分の1程度に抑え込まれる。従って、街づくりも、市民個人サービス維持も到底望めない「特別区」が宙に浮いたのは、「反対」陣に実際によかったのだ。

まだ良かったのは、地下鉄、バスの優待乗車券・(70才以上の「敬老パス」)が、取り消される懸念が消えたことだ。市のまち作りに長年貢献してきたお年寄りが、「反対」の主軸を占めたのは、これが主因がった。

また府立大学と私立大学の統合問題も無くなった。両大学キャンパスは、堺市と大阪府に分かれて在り、医学部・獣医学部も含め、両大学の歴史的実績は維持保全され、将来を支える優秀な学生を養成出来る見通となった。

「大阪市つぶし」を阻止したことにより、橋下氏が大阪港「夢洲」に「大阪都の試金石」という「カジノ(賭博場)」建設案にストップかけられたことも、子供たちへの賭博煽動を危惧していた、母親女性層を安心させた。

「反対」投票して「大阪都構想」を実現させなかった市民の喜びの声は、開票後の深夜に、筆者に届けられた。「本当によかった」というのが真の言葉だ。

ところで今後橋下氏は「大阪都構想」実現出来なくなったため、今秋市長任期を終えたら政界から身を引くことを、深夜の会見で述べた。しかし中央政界とも縁を築いており、これからどう対応するだろうか。今後の焦点は、そちらに急転していくだろう。(了)

2015年05月15日

◆どうなる「都構想の住民投票」

早川 昭三



大阪市を廃止して、5つの特別区に分割する「大阪都構想」の住民投票が、いよいよ17日に迫った。賛成が1票でも上回れば、大阪市の廃止が確定する前例のない投票だけに、賛成、反対派の攻防は、今日も激しく行われている。

だが、「大阪都構想」の実行効果を、維新の会からどのように聴いても、二重行政を廃止して、大阪府に統合・五特別区の設置の図式は、大阪市民の利益を守ることには結び付かない。大阪市と同じ府下唯一の政令都市の堺市市長でさえ、「大阪都構想」にしてはいけないと、大阪市民の前で主張している。

なのに、維新の会は、「大阪都構想」実現を、投票日のその当日まで「市民利益に繋がる将来への途」だと訴えていくという。

大阪維新の会代表の橋下徹市長は、「市が特別区になっても住民サービスは低下しません」と住民投票について主張し、街頭演説やテレビ番組などで「衰退する大阪を変える最初で最後のチャンス」と繰り返し述べている。

その上、「二重行政や税金の無駄遣いをやめ、改革を進めて生み出した財源を医療などに回すのが『大阪都構想』で、大阪に横たわる問題を抜本的に、根本的に解決する唯一の切り札だ。これからが大戦争になるが、住民投票で力を貸してほしい」とも訴えつづけている。

しかし議会、市民などの反対派は、「都構想」は市の住民サービスや幅広い事務権限を「政令市の強み」から奪い、特別区になれば法律的に後戻りできないだけに、受け入れられないと強調する。

 「母の日」の10日には、市内の公園に都構想反対派の政党、団体が集まった。その時、自民党市議は大阪市を「大阪の母都市(ぼとし)、関西の母都市」と表現し、「住民サービスが下がるのは嫌だ。大阪政令市を守りたい。そう思うなら、“反対”と書きましょう!」絶叫した。

しかも反対派は、「大阪政令市は児童相談所の設置、教職員人事など、他の基礎自治体が持たない権限を有する。しかし都構想はこのうち、広域的な事務権限を大阪市から府に移し、特別区が身近な住民サービスに専念するとしているが、特別区の財源は乏しくなって、結局住民サービスが低下する」と主張。特別区移行を「後戻りできない選択だ」と強烈にアピールしていた。

そこで、よく考えてみなければならないことが在る。

都構想が実現すると、元の政令都市だった大阪市の財源が大阪府に委託され、当初、松井知事は「市再編の効果額は、4000億円」と言っていたが、実は「1億円しかない」ことが明らかになった。驚かされた。

もっと注目すべきことは、筆者が何度も主張しているように、「二重行政解消」どころか、逆に「三重行政」に政変することだ。

つまり、大阪府と新設の五特別区の間に、「一部事務組合」が設立され、事業調整に介入する。即ち「事業組合」が、上記2者のトップ指導役を務めることになるのだ。「二重行政解消」の裏に潜む政体が、表に説明されていない。

国民健康保険、介護保険。水道事業、ゴミ収集事業など100以上の特別区事業事務を、この「一部事務組合」がこまめに牛耳ることになる。この「一部事務組合」を、維新の会が中軸となって、「うまくやります」と、維新議員が街頭演説していた。野望が伺える。

これは、旧となる大阪市民のサービスが見殺しにされ、大阪市民は衝撃を受けることは確かだ。行政運営では「一部事務組合」に、そんなに指導性を発揮させるものではない。

大阪市を廃止して「特別区」にすると、「特別区」は「住宅地・窯業地」等を決める権限がなくなる。しかも「特別区」は、大阪市財政の4分の1程度しかならない。従って街の発展も、市民個人サービスの維持は、到底望めない。

私立小・中・高、約20校が府立約140校と一本化するとしているが、児童生徒の募集方法、教育程度も5区で変わって仕舞い、現状の学力優劣をどのよう低下しないようにするのかも、暗黙のままだ。

それどころか、問題なのに知られていないのは、地下鉄、バスの優待乗車券・(70才以上の「敬老パス」)。特別区に継承されたら、財政困難な特別区は財政解消のため、真っ先に同敬老パスを取り止める可能性は高い。これが実行されたら老人騒動がおきるのは間違いない。

また府立大学と私立大学の統合問題もある。大学キャンパスも堺市と大阪府に分かれて在り、学部も医学部・獣医学部もある・なしで、歴史を背負っている同じ学部が統合された場合、2大学の貴重実績は無視され、将来を支える学生を養成出来るものではないと、両大学の教授陣は批判している。

そんな折、住民投票に反対する高齢者からと思われる自筆の「反対論記載B4・コピーチラシ」が、郵箱の投函されていた「自筆チラシ」には驚かされたが、「都構想にだまさないで!」の反論には筋が通っていて、魅せられた。個人活動に間違いない、こんなコピーチラシの投函は初めてのことだ。下記に記述―。

<「都構想」って。簡単に言うたら大阪市民の税金、または財産そして権利を大阪府に渡すと、いうことです。大阪府の借金の肩代わりはご免や!かなわん。

〇「橋下さんが市長になってから」市民の足をうばった〇バス代もいるようになり、あがって、路線もへった〇健康・介護などの保険料だ上がった〇子供の学校給食の量がへった〇学校の「イキ:イキ」が有料になった。共働き夫婦が困っている(まだほかにもある)

市民のみなさんダマされないように気をつけましょう。生まれも育ちも大阪の私は、子と孫を守る為にかきました。ダマされないで!>
まさに、大阪市の住民サービス解消に腹を立てている、長期大阪市民の真意だ。

ところで、「反対」を訴える議会政党の声も大きい。

大阪市会公明党は、「大阪市を解体する都構想に反対!!住民投票で決着を!」と街頭演説を強化している。自民民主党市会議員団も「都構想のウソにダマれないで!」とのチラシを捲いて回る活動に熱をいれている。

そんな中、政府の菅義偉官房長官は維新の会との連携を頭に入れて「都構想賛成に回れ」と地元無視の指示を自民党大阪本部に出した。(http://izuminomori.blog.so-net.ne.jp/5月14日号をご参照)

大阪市民の反対者の意思を無視したのには呆れたものだ。しかし自民党大阪本部は、「都構想断固反対」の強力姿勢を崩さず、「反対街頭演説」の先頭に立って市民に訴えている。

新聞各社の世論調査では、各社世論調査ではいずれも「反対」が、「賛成」を約10%ほど超えている。反対の中核は、若い女性層だ。やはり大阪の歴史と市政運営継続を期待し、「反対」によって、市の財産と文化、財政、市民サービスの大阪魅力の確保を願っているのだ。

筆者は、橋下「都構想論」による将来の実践効果性は考え難く、特に主論の「二重行政廃止」は仮説で、実際は「三重行政化」論が確実だと思う。裏に潜めた実践効果性を事実上出さないのも、住民投票の効果を考えているように思えてならない。

住民サービス低下に繋がることには、どうしても納得が行かないという大阪市民の声は大きい。橋下氏が「反対」の勢いが強い女性層を惹きつけて、逆転出来るだろうか。


2015年05月07日

◆新聞折込にまで都構想賛成勧誘広告

早川 昭三



大阪市内の各戸や市長説明会に配布されている「大阪都構想賛成を勧める」パンフレットと説明会運営費用は、広報費用として大阪市予算1億8400万円が使われている。

いくら大都市地域特別区設置法に基づく合理性のある市税使用と言っても、「市長の主張説明」にこれだけ使うとは、市税浪費であろう。「都構想」に反対する市議会過半数野党や反対市民の会等の上記同様の主張は、市税を使えない。

ただ、大阪市選挙管理委員会が、「都構想」賛成・反対の意見チラシを発刊して各戸に配布したが、法律に基づいて発刊しているだけで、配布量は上記の膨大費用と比べものにはならず、また形式的な内容記載チラシの配布に過ぎない。

ところが、驚いたことに、5月6日朝刊に「都構想の住民投票で賛成を」と勧誘記載したカラー折り込み広告を、大阪維新の会が大阪市内の各戸に配布した。維新の会は、財政豊かのようだ。市長が市税でパンフレット配布に上乗せして、今度は維新の会が、新聞折り込み広告まで乗り出したのには、驚かされた。

この広告の中で、また気になることが掲載されている。「都構想実現で、二重行政廃止で府と市で合わせて“4,000億円以上”ムダをなくせる」と記載している。

これには、反対議会野党は「4,000億円/年」と市長が言っているのは、「根拠のない幻」の欺瞞説だと批判している、これは最大の対立点なのだ。

反対野党の説明会では、むしろこの他に「都構想の主軸・5特別区を設置するとコスト600億円もかかりムダが掛かり市民の負担は増える」と訴えている。これには、維新の会の折り込み広告には触れていない。

この中で市民が気になっている象徴課題は、70才以上の大阪市民の地下鉄・バス優待乗車証「敬老パス」が継続するかどうかだ。しかし折り込み広告には一言も触れられていない。「交通インフラの整備」の集中政策が掲載されているだけだ。

「敬老パス」は、大阪府に運営が代わると、府下市町村に実施が広がることは、まずない。しかも特別区が管理するようになれば、税務負担と絡んで、特別区長が、廃止するのは必至の状況。これだけではない。保育所の新設、子ども医療費・学校へのタブレット末端整備等も、特別区長が実施することはまずない。

こうした「都構想」の幻現象に対して、最近学者の「反対論」が急激に高まり出した。

村上弘立命館大教授によると「大阪市廃止で大阪が弱体化」と主張する。 

<大阪都構想で、市は廃止され、その重要権限・財源・施設は府に移り、小さなものだけが特別区に与えられる。

有権者は、ぜひ「大阪市廃止分割構想」という広く使われる別名も、口に出してみてほしい。「大阪都」は公式名ではなく、かつ分かりにくい。「都区制度」を導入するとはいえ、大阪府は府のまま。「大阪都」という言葉は不正確だ。

むしろ大阪都構想がもたらす最大の変化は、大阪市を廃止し、弱い特別区に分割することだ。

大阪市の重要な権限・財源・施設は府に移るので、府は強くなる。代わりに自治と政策力をもつ政令指定都市・大阪が消えてなくなる。市の跡に置かれる特別区は、重要な政策はすべて府にお任せになる。
ここで2点を問いたい。

(1)大阪市を廃止し全権を府が握らないとできない政策とは何か。しばしば言われる「府市合わせ」は誇張で、これまで万博も、街の整備も、府と市が何とか協力して進めてきた。

(2)大阪市はこれまで中之島、キタ、ミナミなどで都市の整備、文化や都市魅力の向上に努めてきた。この強い「エンジン」を捨てて良いのか。大阪都構想で強いエンジンが府庁だけになると、大阪はむしろ衰退する可能性が高い。大阪市がバブル期に無駄な事業を行ったのも事実だが、21世紀には、財政難と政策評価システムの中で、無駄な投資は抑えられている。

一方、「府市合わせ」と言われる無駄な二重行政は、府市の調整機関を設けて減らすべきだが、需要のある、良い二重行政も多い。しかし、「二重行政=ムダ」という単純なイメージが、かなり浸透している。

府と市の中央図書館などが二重行政として批判をうけているが、京都でも兵庫でも愛知でも、府県と政令指定都市がそれぞれ充実した施設を持っている。また府が府下を、大阪市が市内を、というように地域分担している公園、都市計画などは、重複も無駄もないので、そもそも二重行政には該当しない。

防災行政などは、「司令塔」が府と市の2つある方が、万一の場合に相手をカバーできて、安心だ。
大阪都構想は、「何でも1人のリーダーにまとめれば強く良くなる」という単純な哲学に立つ。

しかし、たとえば夫婦の「財布」を1つにすると、一方が勝手にムダ遣いをするかもしれない。財布は別々にする方が、相談して賢い大きな買い物もできるし、工夫しやすいだろう。>以上 (2015.5.5 産經新聞)

更に、都構想反対の京都大大学院の藤井聡教授ら19人の大学教授らが、5日会見して、下記のように防災や行政などの観点から「問題点」を指摘する動きが在った。

<京都大の河田恵昭名誉教授(防災学)は、都構想を優先した結果、市の防災対策が後回しになっていると主張し、特別区「湾岸区」での被害集中を懸念。

立命館大の平岡和久教授(地方財政学)は、都構想賛成派が「大阪府市の二重行政解消」を掲げている点について「関係部局で調整すれば何でもできる」と訴えた。

藤井教授らは医者が治療の効果やリスクを伝える「インフォームドコンセント(告知と同意)」も都構想に必要と強調。約120人の研究者から支持を得ているといい、9、10日に住民向け説明会を行う。>以上(2015.5.5 産經新聞)

このほか、「都区制度」や「都市制度」の専門家である立命館大学の森裕之教授、奈良大学の澤井勝名誉教授、甲南大学の高寄昇三名誉教授が「都構想の著書」を書いている。内容は「否定」の主張に絞られている。

住民投票日5月17日は迫ってきている。テレビに橋下市長は出演し、野党代表と激論論するが、これを見た市民は、橋下市長の都構想の説明は「一向に分からず、批判の応酬ばかりはガッカリ」という声が多く聞こえる。

これから、「都構想賛否論争」は、一段と激化する。






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