早川 昭三
大阪市の橋下徹市長は、大阪市の財政改善を理由に市外郭団体を全廃する方針で検討に入っている。ところがこの中に、何と市第3セクター水族館「海遊館」が含まれ、2014年をメドに完全民営化する方針が浮上してきた。
2010年度にも純利益を約5億4千万円も上げた「海遊館」を、何故民間に売却されるのか。「海の文化」施設を放り出すのにも納得がいかないし、財政改善の市長の考えとは、まるきり逆行するのではないかという市民の声は多い。
「海遊館」は、平成2年に市政100周年記念事業として開催した「花と緑博覧会」と合わせて、同年7月20日に開館したもので、見学者は平成4年に1千万人を超え、平成9年には2500万人を突破、今年の7月には6千万人に達する見込みだ。人気は抜群。
この集客能力は、大阪市が主体となって立ち上げたことが、外国を含めた諸団体の協力を得られて「魚や海獣」を集められたことであり、今後大阪市が撤退すれば、見学者が期待する世界の水産生物を収集や、水産情報交換も疎かになり、水族館の魅力は半減することは必至だ。
そこで、「海遊館」創設の時、幾多の困難を乗り越えて如何にして開館にこぎ着けられたかを、記録を見ながら「夢実現のドラマ」を紹介しよう。恐らく大阪市が主導していなかったら、成功していなかっただろう。
「海遊館」創設に当たって大阪市港湾局幹部が決断したのは、見学者が胸をワクワクさせながら足を運ぶ「生き物」とは、「南極産ペンギン」と、世界の水族館にあまりない「ジンベーザメ」を収集することだった。
そこで、まず「南極ペンギン」の取集交渉を、開館1年前の9月15日、世界でも有名な米国のフロリダ州の州立オーランド・シーワールド」に行った。しかし貴重な「南極産ペンギンをよこせの話だから、うまくいくはずがない。
だが、断念すれば「南極生物」のいない「水族館」など世間から見向きもされなくなる。大阪が世界一の水族館を目指す以上、館長を口説き落とすしか方法はない。市港湾局幹部は、ひたすら懇願した。
米館長は、大阪市の立場と幹部の熱意に打たれ、25匹の「南極ペンギン」を「海遊館」に貸すことを承諾した。3日間の交渉の結果だったが、夢は、一つ実現した。
もう一つの「夢」は「ジンベーザメ」の入手だった。海の沖合の定置網を設けて誘い込むしかないだけに、こればかりは天に託す以外しか方法はない。そこで。平成元年10月、黒潮に乗って舞い込む「ジンベーザメ」を確保するため、五島列島の福江島沖合、高知県の離島の沖合、それに沖縄与那城村の伊計島沖合の3か所の定置網を設けた。
現場にはそれぞれ2人の飼育職員が張り付き、動向を探った。しかし「ジンベーザメ」が定置網に寄り付く気配は一向になく、飼育職員は生きた心地はしなかった。時ばかり過ぎ去って行くだけだ。「無理じゃないのかなぁ」。皆がそう思うようになっていた。
ところがそんな折、歓喜が走った。平成2年6月22日の夕方、沖縄与那城村の伊計島沖合の定置網の中に、1頭の「ジンベーザメ」が潜って来たのだ。体長4メートル、体重はゆうに600キロはありそうだった。ただちに大阪の幹部に連絡した。「海遊館の開館日に間に合うな」。これに皆が歓喜で泣き崩れた。五島、高知派遣の仲間も急遽沖縄現場に集結した。
しかし、これから大変だった。1300キロ離れた大阪にどのような効率的手順で運ぶかが課題だった。もう一つ難題は、「ジンベーザメ」を飼育員に慣らさせ、餌を食べさせる訓練をすることだった。
有難いことは、大阪市が取り組んでいるということに配慮して、世界で唯一「ジンベーザメ」を飼育している現地の「国営沖縄記念公園水族館」の館長らが、現場まで出向いて飼育員の指導に手を貸してくれたことだった。
「ジンベーザメ」の餌付けは、うまくいった。あとは「海遊館」までの輸送だ。頭を悩ませて知恵を絞った。
その結果、「海遊館」のオープンが7月20日に迫っていので、「国営沖縄記念公園水族館」の館長らの協力も得て、「7月9日に輸送強行」を決定した。さあ!これからが本番だと、大阪からも幹部が来て対応に当たりだした。
7月9日、伊計島沖合の定置網から陸揚げし、「国営沖縄記念公園水族館」から借りた輸送コンテナーに積み込み、60キロも離れている那覇新港まで陸送した。無事に午後6時に那覇新港に到着、岸壁に横付けした大型フェリーに「ジンベーザメ」のコンテナーを積み込んだ。気持ちが一段落した。
ところが、とんでもない事態が待っていた。こんな試練を天は与えるのだろうか。丁度前日から「台風7号」が接近しだして、8日の夜から風が強くなりだしたのだ。9日に朝になると台風の影響を受ける可能性ありという情報が気象台から聞かされた。
運が味方してくれて、9日の午後10時に幸いにも出航することが出来た。
後から聞いた話だと、台風は10日の午前3時に近くの石垣島と宮古島の間を抜けて通過したということで、本当に危機一発から逃れた状況だった。もし台風の影響をもろに受けて輸送が遅延していたら、フェリー内のコンテナー水槽にいる「ジンベーザメ」の生存に影響があったことは確かだったのだ。
本当に超ラッキーとしか言いようがない。
翌11日午前8時15分、大阪南港フェリー桟橋に、「ジンベーザメ」搭載のフェリーは無事着いた。午前9時に「海遊館」の搬入口の大型トラックを横付けし、そのまま「海遊館」8階の大水槽「太平洋水槽」に「ジンベーザメ」を投入することが出来た。
水槽に身を投じた「ジンベーザメ」は、一旦底に身を沈めたがすぐに身を反転させ、大きな孤を描きながら勢いよく泳ぎだした。「海遊館」の幹部や、飼育係は、お互いの肩を叩き合いながら中には号泣する者もいた。
ところでこの記録は、「海遊館」の目玉生物の搬入に携わった人々の苦労話を書いたものではない。ドラマを再現したものでもない。
言いたかったのは、大阪市が主体となって活動を展開したため、今日の事業成果が上げられたことであり、今でも大阪市の「海の文化事業」だからこそ、実績を上げており、全国からの子供を中心とした見学者が跡を絶たないのだ。
恐らく、民間に移行すれば営利優先となり、自治体だからしかやれない「海の文化・海遊館」の新興・活性化は希薄となるだろう。となれば、「海遊館」の民間移行を再考すべきことはお分かりではないだろうか。
(了)2012.04.29
◆本稿は、4月30日(月)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2596号に掲載されました。
◆<2596号の目次>は下記の通りです。他の寄稿も拝読下さい。
・泉鏡花とアニミズムの世界:古澤 襄
・ジンベイ鮫が大阪に来た日:早川昭三
・尖閣守る国家意思示せ:佐々木 類
・「把瑠都」に故郷を思う心:舞の海秀平
・アイ・ジョージが不明16年:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反 響
・身 辺 雑 記
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