2013年05月03日

◆堺市長が「都構想」に「住民投票」

早川 昭三


大阪堺市の竹山修身市長が、10月7日に任期満了を迎えるのを控え、橋下大阪維新の会の「都構想」について「住民投票」を行う意向を固めた。秋の市長選挙を控え、これが絡むことにより大きな動きとなりそうだ。

竹山市長は、もともと橋下大阪市長が進めている「都構想」に対して「不参加」を表明している。「政令市に昇格したばかりの堺市が分割され、財源や権限が奪われるのは、住民のメリットにならない」と主張して来ている。

竹山市長は2日、同大阪都構想に堺市が加わるべきかどうかについて、秋の堺市長選挙とあわせて、「大阪都構想のメリットデメリットを示して、市民に議論してもらうことが大事だ」と、その実施意向の主旨を示した。

表向きは単なる「住民投票」のようにしている。しかし本音は選挙の最大の争点となる「都構想不参加」の竹山公約と連動させて市民の支援を仰ぎ、一気に勝負を付けたいのが本音だろう。

市長選挙では、「都構想不参加」主張の竹山市長に対抗して維新の会は、「都構想」を推進する候補者を擁立することにしている。しかし「住民投票」の市長意向が急に浮上したことにより、維新の会には動揺が走りだした。

ところで、大阪府と大阪市を再編する大阪都構想への不参加を表明している堺市は、全世帯に配布する市の広報誌とホームページ(HP)で、都構想と堺市をテーマにした連載をしている。<読売新聞>

広報さかい4月号(約40万部発行)記事では、「もしも、大阪都構想に加わったら、堺市はなくなるの?」との見出しを掲げ、「堺市は廃止され、複数(2〜3)の特別区に分割されます」「政令指定都市特有の権限や財源が、(都構想で誕生する)大阪府に移管されます」と、図解付きで掲載している。

5月号では、東京都の制度を参考にして、2011年度決算で1326億円の市税収入のうち、463億円が大阪府に移ってしまうと記述している。

つまり、「都構想」で堺が「特区」となったとしても、堺市民へのメリットは無く、むしろ政令指定都市となったばかりの堺市特有の権限や財源など、市の利益はことごとく失われることになると市民に訴えているのだ。

連載はHPでも掲載され、今後、数回続くという。 

連載に対し、維新の会堺市議団は、
・市民の不安をあおっている
・住民サービスが低下するような誤ったイメージを与えると指摘。「都構想参加に反対する政治的なメッセージが感じられ不適切だ」と抗議した。

そこで、橋下市長と大阪維新の会が実現を目指す「都構想」を、下記に掲げる。

◆この構想の目的は、政令指定都市の大阪市・堺市、周辺市を廃止して「特別区」を設置し、旧市の行政機能・財源を「大阪都」に移譲・統合する。

◆従来から議論となっていた「大阪府と大阪市の二重行政の解消」という点から、「大阪府・大阪市合併」または「府市統合」ということもある。

◆大阪府と大阪市の統合が実現した後には、兵庫県南東部(伊丹市・尼崎市・芦屋市・西宮市・宝塚市・神戸市など)までも大阪都に合併してその「特別区」とし、「東京に対決する強烈な自治体」としての「グレーター大阪」をつくるべきだ。<参考:ウィキぺディア>

ところで堺市の数人の友人に、堺市民には「都構想」にどのような想いがあるのか聴いてみた。全員から返って来た答えの主題は、橋下「都構想」の意図と内容説明が全く正確に伝わって来ない。マスコミが面白く書くだけだ。

まして、府市統合によって、堺市への上水道・交通網の連携にはいくらか利便性がありそうだが、政令都市堺の権限と財源を思いのままに吸い上げられて仕舞うのには納得できない。

つまり、竹山市長の「不参加」に賛同する市民の声が多いという意見ばかりだった。

秋の堺市長選挙では、新たに「住民投票」まで合わせて行う意向を決意した竹山市長と大阪維新の会の対決は、この「住民投票」が選挙の趨勢を左右し、これが母体となって「都構想不参加」の是非に決定的な結果をもたらすことが必至の情勢となってきた。

大型連休明けから、これを軸に市長選の前哨戦が激化する様相だ。選挙結果次第では、維新の会自体の今後の中央政界に向けた動向にも、影響を及ぼすことも予想される。
                         (行政評論家)


2013年02月20日

◆大阪「赤バス路線」は、16区で継続

早川 昭三


大阪交通局交通局は、市営「赤バス」について「経済性が著しく低く、公共性も著しく低い」として、平成22年3月から「廃止対象路線」の検討を進めていた。

ところが、現在の「赤バス」の24路線の内、8路線を「廃止」、16路線が民間への「運行委託等で継続」することが決まり、平成25年4月1日から実施される。その経過などは追々。

ところで、当初「赤バス」の「廃止対象路線」の検討を進めていた大阪市交通局の「赤バスに対する評価と現状認識」は、下記の通りだった。

まず、「赤バスに対する評価」は、
<@ 経済性が著しく低い理由としては、気軽にご利用できるよう、100円料金としたものの、ご利用が低迷していること(平均乗車密度4.0人:平成21年度予算)。赤バス28系統中、1系統を除き、全ての系統が「経済性も公共性も著しく低い領域」(廃止対象エリア)に位置している。

 A 公共性も著しく低い理由としては、やすくバツ1 一般バス路線と同じ道路を走るなど、赤バスと一般バスービスが、重複していること>。

さらに「現状認識」は、
<・赤バスは、地域の声を反映し、地域とともに利用促進に取り組んでいるにもかかわらず、平成14年1月の本格導入以来、全系統の平均乗車密度は、運営基準の6.0人を下回る状況で推移するなど、全体としてご利用が低迷し、既に廃止した系統もある。

・平成19年度決算では、運輸収益5億円(特別乗車料繰入金3.6億円を含む)に対して、税金を財源とする「コミュニティ系バス運営費補助」13億円を受けているが、「このような利用状況では、補助が果たしている事業効果に課題がある」と指摘されている。( 一般会計の厳しい財政状況の中、今後とも所要の補助金を確保することが困難な恐れがあり、バス事業の経営を圧迫する要因となっている>だった。

つまり、事業としての効果が十分に発揮できておらず、またその持続可能性にも支障をきたしているという見解だったのだ。

従って、「赤バスの廃止対象路線」の検討は、このような認識の下で行われていた。

しかし、「赤バスに対する評価と現状認識」は、経営圧迫の要因に重点が置かれ過ぎていたため、市民の利便性継続を訴える廃棄反対論の「市民意向」も、念頭において検討され出した。

その結果、「廃止路線」とするものと、「運行委託等で継続して行く」ものとの2種に分けて決定し、下記のように「新規運行路線」は、平成25年4月1日から実施することとした。即ち、

◆「赤バス廃止路線」は、
・北区、福島区、中央区、西区、浪速区、東成区、生野区、住吉区の計8路線。

◆民間へ「運行委託等で継続」する路線は、
・都島区、此花区、港区、大正区、天王寺区、西淀川区、淀川区、東淀川区、旭区、城東区、鶴見区、阿倍野区、住之江区、東住吉区、平野区、西成区の併せて16路線。「赤バス」に代わって「小型バス」を運行することになった。

ところで、この検討の途中、「経済性も公共性も著しく低い領域」を走行する「小型バスの合理性と利便性の是非」を巡って、大阪市議会や住民から強い継続要望が出されため、検討自体は慎重に行われた。

特に「都島区」は、最初は「廃棄」が決定的な方針であった。しかし同区は、南北に広く跨り、市内でも有数の交通網過疎の広域地域であるため、赤バスと一般バスービスが重複している地域とは、とても云い難いものだった。

つまり、大阪市北区や中央区等の市内北部地域とは、「交通利便性」に於いて格段の落差があり、区民らは敢て「交通離島・都島区」と指摘しながら、「赤バスの継続」か、或いは「運行委託等による継続」を訴えていたのだ。

これを受けて、都島区選出大阪市議会の八尾進議員が、強力に大阪市都島区役所に働き掛けを行った結果、区役所が区民の交通利便性を受け入れ、「運航委託」方式で、「赤バスに代わる小型バス」の運行が出来るようにしたのである。

下記のアドレスの都島区役所のホームページから、「バス事業について」覧を開いて「運行ルート等」をご高覧下さい。
www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/

このような事例は、東淀川区、住之江区、旭区などでも、「運行委託」を巡り、同様な事態が生じている。

これにより、「交通過疎地域」と言われている市内16区の住民は、「交通難」の環境から解放され、「赤バス」は無くなるものの、「民間運行委託」による「小型バス」の利用で、従来通りの「交通利便」を享受できることになった。

「交通過疎地域」の市民にとっては、これほどの朗報はない。     (了)

2012年11月18日

◆浪花演芸拠点の「ワッハ上方」移転?

早川 昭三


大阪府がまた大阪文化振興に“待った”を掛けるニュースが飛び込んできた。橋下知事(現大阪市長)から松井知事に代わっても「大阪伝統文化」軽視に等しい施策は、依然として継続している。

今度は上方演芸を顕彰するため大阪府が吉本興業と協力して平成8年に創立した「ワッハ上方」(上方演芸資料館)を、“儲からない”からという理由で「どこかに移転」するというのだ

NHK大坂ニュースによるとー

<大阪・中央区にある、府立上方演芸資料館、「ワッハ上方」について、府は、入館者が目標を下回るなど現状のままの存続は難しいとして施設の移転も含めて、本格的な検討に入ることにしています。

ことし夏からは、府が有識者会議を設けて、施設のあり方などについて検討を続け、近く、「いまの形態のままで現地に存続することは困難だ」などとする提言を、府に提出する見通しとなっています。

こうした中で、松井知事は、11月14日の記者会見で、「年間40万人という入館者の目標を大きく下回っており、このまま税金を投入して、現状のまま存続することは厳しい状況だ」と述べました。

大坂府では、来年度以降、「ワッハ上方」を現在の場所から移転させることを、本格的な検討に入ることにしています。> と伝えていた。

そもそも、浪花伝統文化の価値を、「税金の無駄遣い」と同次元で考えること自体がおかしいことに、松井知事は分かっていない。むしろ、「お金」は幾らかかっても今の場所で、貴重な上方演芸資料館を維持保存することが大阪府の使命であることに、論を俟たない。

むしろ、「税金の無駄遣い」という次元ではなく、税金で負債を補っても浪花伝統文化を守ることが大阪府の役割であることに、大阪府民が賛意を示すことは当たり前だ。

松井知事は、「税金の無駄遣い」と称して「財政論」を振りかざし、「移転」案を有識者会議に諮問するだろうが、諮問委員会が知事の隠れ蓑にはならず、浪花伝統文化の弱体化に繋がることを救済するためには「移転に絶対反対」であるとの答申を出す熱意と意欲を見せてほしい。
 
そこで、焦点の「なんば千日前のワッハ上方」の場所に、どうして当時の大阪府が苦労を重ねて創設したのかに触れておきたい。

「ワッハ上方」とは、大阪で生まれて育った上方演芸の興りとその演芸の主導役割を果たしてきた名人たちの軌跡(遺品など)を一同に集めたもので、上方演芸を歴史的に正面から捉えて評価した画期的な「殿堂」と言っていい。

「ワッハ上方」のある「なんば千日前」は、「大阪演芸文化」の発祥地である、道頓堀界隈の近辺にある。言い換えれば「ワッハ上方」は、大阪演芸文化発祥地の側にあるといっても言い過ぎではない。

発祥地となったのは、道頓堀で芝居小屋が建てられたことから始まる。1626年(寛永3年)安井九兵衛が初めて道頓堀に芝居小屋を建てたのをきっかけに次々と小屋が出来て、人形浄瑠璃や歌舞伎が興業。「五座」と呼ばれたのは、江戸時代末期からで、明治以降は中座、角座、浪花座、弁天座(戦後文楽座、朝日座と名称変更)、旧朝日座をそう呼んだ。
 
戦前までは、この「道頓堀御座」に人並みがあふれ、芝居茶屋が並べた。ところが楽しみもつかの間、昭和20年3月の大阪大空襲で総てが焼失。戦後になると、娯楽に飢えていた浪花っ子たちが、どっとこの道頓堀界隈の「五座」あとに押しかけ、復興された中座は、大入り満員となった。

しかし、戦後に現れた「映画劇場」に人気を奪われ、昭和59年には芝居小屋の道頓堀から、文楽の朝日座、演芸場の角座が相次いで姿を消した。芝居小屋の激減で道頓堀界隈は様変わりしたが、それでも「演芸」の原点は、この地でであったことは誰もが認めるところだ。

余談ながら、その発祥地の近くに「ワッハ上方」建てたことには、吉本興業が大阪府の趣旨に賛同し積極的な協力があったことが大きい。自社用地の「金毘羅宮分社跡地」に複合ビルを建て、4階に「ワッハ上方」を大阪府が作ることに賛同してくれた。こんな吉本興業の協力が無かったら、今の場所に「ワッハ上方」は存在していない。

しかも「ワッハ上方」は、吉本興業の有名な「なんばグランド花月」の目前に建て、同劇場の観覧客を「ワッハ上方」へ流れ入れるような位置関係に設えてくれたことも、この上もない計らいであった。

予想通り「ワッハ上方」の名は広がり始め、演芸に関する膨大な歴史的資料を蒐集し保存する呼びかけを行うと、名だたる演芸名人の遺族から、「三味線、締太鼓、バチ、衣装など」の遺品の永久保存の依頼や持ち込みが殺到し出し、今日の「ワッハ上方」の基盤を創り出した。

加えて演芸愛好者や、演芸品収集家からも寄贈の申し入れが相次いで「資料館」は展示品で満杯となり、これに取り組んでいた当時の大阪府幹部・担当者を感激させた。

永久保存の依頼や寄贈の申し入れは、あくまで大阪府という自治体が「保存」するという「保証」があったからこそ、「演芸の宝」を保持している名人たちの遺族が感銘し、永久保存を次々と依頼してきたものである。もし、保存者が自治体でなかったら、現状のように膨大な「展示品」は集まってはいない。

「ワッハ上方」の意義はそこにあり、寄贈者が演芸活動家の軌跡を後世の人々に残しておきたいという切なる気持ちの表れもこれに繋がる。

年間40万人の入館者が来ないため「赤字」だから「移転」するという考え方は、余りにも皮相的だ。むしろ、「演芸資料館」を、「演芸博物館」に格上げして、浪速演芸文化の維持を大阪府の責任で貫いていくという考え方が、松井知事の脳裏に去来しないのだろうか。

演芸発祥地から離れ、上方演芸と関わりのない辺鄙な場所に移転すれば、時を置かず「ワッハ上方」へ足を運ぶ人たちは途絶え、伝統演芸に貢献した名人たちの足跡と尊厳を寂れさせて仕舞うことになるのは、目に見えている。

なぜ、大阪府はもっと集客策に必死に取り組まないのか。野放し経営の打破を全く論ぜず、「赤字」経営の結果のみを前面に打ち出して「移転」を決めるという理屈は、大阪のほかで露呈した浪花伝統文化の軽視騒動と極似している。

ともかく衆院選挙に傾倒するよりも、足元の伝統文化振興行政の正常化に取り組むことが、知事としての本当の役割の筈だが、首を傾げたくなる。

<お知らせ>                               以上
◆11月18日(日)の全国版メルマガ「頂門の一針」2789号に
本稿が掲載されました。
★<目次>
・素人政治はもう見飽きた:五嶋 清
・太陽党って前にもあった:山堂コラム 445
・嘘つきを褒め称えることへの違和感:阿比留瑠比
★浪花演芸拠点の「ワッハ上方」移転?:早川昭三
・納豆OK「プラザキサ」なのに:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2012年04月30日

◆水族館「海遊館」を民営化?!

早川 昭三


大阪市の橋下徹市長は、大阪市の財政改善を理由に市外郭団体を全廃する方針で検討に入っている。ところがこの中に、何と市第3セクター水族館「海遊館」が含まれ、2014年をメドに完全民営化する方針が浮上してきた。

2010年度にも純利益を約5億4千万円も上げた「海遊館」を、何故民間に売却されるのか。「海の文化」施設を放り出すのにも納得がいかないし、財政改善の市長の考えとは、まるきり逆行するのではないかという市民の声は多い。

「海遊館」は、平成2年に市政100周年記念事業として開催した「花と緑博覧会」と合わせて、同年7月20日に開館したもので、見学者は平成4年に1千万人を超え、平成9年には2500万人を突破、今年の7月には6千万人に達する見込みだ。人気は抜群。

この集客能力は、大阪市が主体となって立ち上げたことが、外国を含めた諸団体の協力を得られて「魚や海獣」を集められたことであり、今後大阪市が撤退すれば、見学者が期待する世界の水産生物を収集や、水産情報交換も疎かになり、水族館の魅力は半減することは必至だ。

そこで、「海遊館」創設の時、幾多の困難を乗り越えて如何にして開館にこぎ着けられたかを、記録を見ながら「夢実現のドラマ」を紹介しよう。恐らく大阪市が主導していなかったら、成功していなかっただろう。

「海遊館」創設に当たって大阪市港湾局幹部が決断したのは、見学者が胸をワクワクさせながら足を運ぶ「生き物」とは、「南極産ペンギン」と、世界の水族館にあまりない「ジンベーザメ」を収集することだった。

そこで、まず「南極ペンギン」の取集交渉を、開館1年前の9月15日、世界でも有名な米国のフロリダ州の州立オーランド・シーワールド」に行った。しかし貴重な「南極産ペンギンをよこせの話だから、うまくいくはずがない。

だが、断念すれば「南極生物」のいない「水族館」など世間から見向きもされなくなる。大阪が世界一の水族館を目指す以上、館長を口説き落とすしか方法はない。市港湾局幹部は、ひたすら懇願した。

米館長は、大阪市の立場と幹部の熱意に打たれ、25匹の「南極ペンギン」を「海遊館」に貸すことを承諾した。3日間の交渉の結果だったが、夢は、一つ実現した。

もう一つの「夢」は「ジンベーザメ」の入手だった。海の沖合の定置網を設けて誘い込むしかないだけに、こればかりは天に託す以外しか方法はない。そこで。平成元年10月、黒潮に乗って舞い込む「ジンベーザメ」を確保するため、五島列島の福江島沖合、高知県の離島の沖合、それに沖縄与那城村の伊計島沖合の3か所の定置網を設けた。

現場にはそれぞれ2人の飼育職員が張り付き、動向を探った。しかし「ジンベーザメ」が定置網に寄り付く気配は一向になく、飼育職員は生きた心地はしなかった。時ばかり過ぎ去って行くだけだ。「無理じゃないのかなぁ」。皆がそう思うようになっていた。

ところがそんな折、歓喜が走った。平成2年6月22日の夕方、沖縄与那城村の伊計島沖合の定置網の中に、1頭の「ジンベーザメ」が潜って来たのだ。体長4メートル、体重はゆうに600キロはありそうだった。ただちに大阪の幹部に連絡した。「海遊館の開館日に間に合うな」。これに皆が歓喜で泣き崩れた。五島、高知派遣の仲間も急遽沖縄現場に集結した。

しかし、これから大変だった。1300キロ離れた大阪にどのような効率的手順で運ぶかが課題だった。もう一つ難題は、「ジンベーザメ」を飼育員に慣らさせ、餌を食べさせる訓練をすることだった。

有難いことは、大阪市が取り組んでいるということに配慮して、世界で唯一「ジンベーザメ」を飼育している現地の「国営沖縄記念公園水族館」の館長らが、現場まで出向いて飼育員の指導に手を貸してくれたことだった。

「ジンベーザメ」の餌付けは、うまくいった。あとは「海遊館」までの輸送だ。頭を悩ませて知恵を絞った。

その結果、「海遊館」のオープンが7月20日に迫っていので、「国営沖縄記念公園水族館」の館長らの協力も得て、「7月9日に輸送強行」を決定した。さあ!これからが本番だと、大阪からも幹部が来て対応に当たりだした。

7月9日、伊計島沖合の定置網から陸揚げし、「国営沖縄記念公園水族館」から借りた輸送コンテナーに積み込み、60キロも離れている那覇新港まで陸送した。無事に午後6時に那覇新港に到着、岸壁に横付けした大型フェリーに「ジンベーザメ」のコンテナーを積み込んだ。気持ちが一段落した。

ところが、とんでもない事態が待っていた。こんな試練を天は与えるのだろうか。丁度前日から「台風7号」が接近しだして、8日の夜から風が強くなりだしたのだ。9日に朝になると台風の影響を受ける可能性ありという情報が気象台から聞かされた。

運が味方してくれて、9日の午後10時に幸いにも出航することが出来た。

後から聞いた話だと、台風は10日の午前3時に近くの石垣島と宮古島の間を抜けて通過したということで、本当に危機一発から逃れた状況だった。もし台風の影響をもろに受けて輸送が遅延していたら、フェリー内のコンテナー水槽にいる「ジンベーザメ」の生存に影響があったことは確かだったのだ。

本当に超ラッキーとしか言いようがない。

翌11日午前8時15分、大阪南港フェリー桟橋に、「ジンベーザメ」搭載のフェリーは無事着いた。午前9時に「海遊館」の搬入口の大型トラックを横付けし、そのまま「海遊館」8階の大水槽「太平洋水槽」に「ジンベーザメ」を投入することが出来た。

水槽に身を投じた「ジンベーザメ」は、一旦底に身を沈めたがすぐに身を反転させ、大きな孤を描きながら勢いよく泳ぎだした。「海遊館」の幹部や、飼育係は、お互いの肩を叩き合いながら中には号泣する者もいた。

ところでこの記録は、「海遊館」の目玉生物の搬入に携わった人々の苦労話を書いたものではない。ドラマを再現したものでもない。

言いたかったのは、大阪市が主体となって活動を展開したため、今日の事業成果が上げられたことであり、今でも大阪市の「海の文化事業」だからこそ、実績を上げており、全国からの子供を中心とした見学者が跡を絶たないのだ。

恐らく、民間に移行すれば営利優先となり、自治体だからしかやれない「海の文化・海遊館」の新興・活性化は希薄となるだろう。となれば、「海遊館」の民間移行を再考すべきことはお分かりではないだろうか。
                          (了)2012.04.29

◆本稿は、4月30日(月)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2596号に掲載されました。

◆<2596号の目次>は下記の通りです。他の寄稿も拝読下さい。
・泉鏡花とアニミズムの世界:古澤 襄
・ジンベイ鮫が大阪に来た日:早川昭三
・尖閣守る国家意思示せ:佐々木 類
・「把瑠都」に故郷を思う心:舞の海秀平
・アイ・ジョージが不明16年:渡部亮次郎
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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