2011年07月20日

◆秋田弁「どぶできゃし」菅首相

渡部 亮次郎

菅首相の国会答弁を19日午後。TVで初めて見た。北朝鮮と極めて近い政治団体に民主党が2億円以上もの献金をしていた問題。ここ1週間、産経新聞だけが執拗に報道してきた。

それをこの日の衆院予算委員会で自民党の古屋圭司氏がパネルなど様々な小道具を使いながら、それこそ執拗に追究した。

しかし、菅首相は、その資金を使って三鷹市会銀選挙に立候補(落選)した男が日航機ハイジャック事件の主犯を父とし、日本人拉致事件の犯人を母とする人物であった事は、全く知らなかった、と逃げた。

しかも政府の拉致問題の最高責任者として、この事実を謝罪せよ、という古屋氏の度重なる要求に対しても謝罪せず、古屋氏の質問時間切れを待って逃げ切った。

TVを良くご覧になる読者の方々は菅について、予ねて「質問に正面から応えない」「言い訳ばかりする」といった非難が寄せられていたが、初めて、そのことを自ら確認した次第。

またなでしこジャパンについて訊かれたのに、趣旨を摩り替えて、「退任拒否」を表明するとは、恐れいった神経。こういうのをわが郷里秋田では「どぶできゃし」というのを思い出した。東京弁では「ずるしゃもん」か。

目的の為には、言い分をコロコロ変え、前言を翻し、嘘を吐(つ)き、言い訳をくりかえし平然と逃げ回る卑怯でずるい奴のことを言う言葉だ。

わが田舎で、このレッテルを貼られたら少なくとも村会議員には当選しない。

本当にずるい人間を首相に戴く不幸を味わう。「宰相不幸時代」だね。


<菅首相 「私も諦めないで頑張る」なでしこ優勝で答弁

菅直人首相は19日午前の衆院予算委員会で、サッカー女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会での日本代表の優勝に関連し「私もやるべきことがある限りは、諦めないで頑張らなければならないと感じた」と述べ、政権運営への意欲を重ねて示した。自民党の小池百合子氏への答弁。

また、民主党の近藤洋介氏が同党内でも退陣を求める動きがあることに触れて心境を尋ねたところ、首相は「(東京電力福島第1)原発事故に対しても、今日(収束に向けた)ステップ1の段階がほぼ予定通り終了し、一定の収束の方向が見えてきた」と実績を強調。

退陣時期については「6月2日の(民主党)代議士会で申し上げた考え方は一切変わっていない」と述べ、震災復興に一定のめどが付いた段階の若い世代に責任を引き継ぐ考えに変わりないことを示すにとどめた。>毎日新聞 7月19日(火)11時20分配信


2011年07月18日

◆北国に復興の息吹なし

渡部 亮次郎

機会を得て、7月16日、岩手県の陸前高田市と大船渡市の被災地を視察した。言葉を失い、茫然自失が真相だった。特に陸前高田は、巨人一撫でされたように街がすべて消滅したいた。

歌手千昌夫のホテルのように鉄筋コンクリートの建物は、外側は残っていても中がすべて荒れて、もはや使い物にならない。

大船渡も大同小異。街の海岸沿いは死の街。道路は開通しているが、街の在った道の両側は瓦礫と壊れた車の山である。復旧は全く不可能、復興を口に出しては見るが、完成したイメージが全く涌いてこない。

両市に共通なのは復興への動きが全く見えてこないことである。行政の詳しい事は知らないが、菅首相がいくら口で色々言っても、「政府が何か手をくだした」という証拠は何処にも発見できなかった。

仮設住宅を建てようにも、陸前高田市には小高い丘は存在しない。次の津波がやってきても両市は復興してないかもしれない。


2011年07月17日

◆脚気根絶の恩人高木兼寛

渡部 亮次郎

夏が本格的になると、野球部の合宿中、心臓脚気のため、グラウンドで卒倒した中学3年の夏を思い出す。脚気はビタミンB1の不足から起こり、やがて心臓にも及び、手当てが遅れれば、失明することが判ってい
る。

しかし、明治年代、ドイツ留学も果たし、日本陸軍医総監として医学界トップにあった森林太郎(文豪:森鴎外)が「栄養説」そのものに反対し主唱者で、後に医学博士第1号となる、高木兼寛(慈恵会医大創設者)をいじめぬいたことを知る人は少ない。

実は明治天皇と皇后陛下は脚気を高木による栄養指導で全快させた。そのため両陛下は高木を4回も宮中に招かれ、高木は陪食を賜った。しかし森は一度も召されなかった。

だから森は死の床で述べた遺言で「死後、宮中から如何なる沙汰があっても拝辞せよ」と述べた。勲章の追贈などがあっても断れ、というわけである。後の文学研究者たちは、これを「謎」と考えた。

しかし「脚気」に関する高木いじめを知れば、森の遺言は「恨み、つらみ」だったことは明確である。森は文学では「文豪」となったが、ライバルをいじめ、医学上も「試論」を許さなかった心の狭さを知れば、どうかと思わせる人物だったように思う。

今度の東日本大震災で名が知られた岩手県田野畑村。ここに通い詰めた作家吉村昭は「白い航跡 上・下 講談社文庫」で事実を喝破下が森非難はしていない。「鴎外の歴史小説に深い畏敬の念を抱く私は、医学者としての思わぬ森林太郎の動きを知り、誠に興味深かった」と述べている。
さすがだ。

蛇足だが、私の脚気は砂糖の摂り過ぎが原因だった。野球による疲労回復には生の砂糖が特効薬。しかし、砂糖の消化には大量のビタミンB1が不可欠。遂に脚気になったわけ。担任の先生の素人注射で快癒した。

高木兼寛を「ウィキペディア」から紹介するにとどめる。叙爵の無いのを恨んで死んだ森とは対照的な人物だったようだ。

<高木 兼寛(たかぎ かねひろ、嘉永2年9月15日(1849年10月30日) - 大正9年(1920年)4月13日)は日本の海軍軍人、医学者。男爵。東京慈恵会医科大学の創設者。脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれる。「けんかん」とも呼称される(有職読み)。当時なじみの薄かったカレーをかっけの予防として海軍の食事に取り入れた(海軍カレー)。

薩摩藩士として日向国諸県郡穆佐郷(現・宮崎県宮崎市、昭和の大合併前の東諸県郡穆佐村、昭和の大合併後から平成の大合併前までは東諸県郡高岡町)に生まれる。通称は藤四郎。

18歳のときから薩摩藩蘭方医の石神良策に師事、戊辰戦争の際には薩摩藩兵の軍医として従軍した。明治2年(1869年)、開成所洋学局に入学し英語と西洋医学を学ぶ。明治3(1870)年、薩摩藩によって創設された鹿児島医学校に入学するが、校長の英人ウィリアム・ウィリスに認められて教授に抜擢された。


軍医少監(少佐相当官)であった明治8(1875)年、当時の海軍病院学舎(後に海軍医務局学舎を経て海軍軍医学校となる)教官の英国海軍軍医アンダーソンに認められ、彼の母校英国聖トーマス病院医学校に留学。

在学中に最優秀学生の表彰を受けると共に、英国外科医・内科医・産科医の資格と英国医学校の外科学教授資格を取得し明治13(1880)年帰国。 明治18(1885)年には海軍軍医総監(少将相当官。海軍軍医の最高階級)の役職を歴任した。

明治21(1888)年日本最初の博士号授与者(文学・法学・工学・医学各4名)の列に加えられ、医学博士号を授与された。さらに日露戦争で麦飯の有効性が注目されていた明治38(1905)年には、華族に列せられて男爵位を授けられた。

この時、人々は親愛と揶揄の両方の意味をこめて彼のことを「麦飯男爵」と呼んだと伝えられる(死去の直後に従二位の位と勲一等旭日大綬章が追贈された)。

明治25(1892)年予備役となったが、その後も「東京慈恵医院」「東京病院」等で臨床に立ちつつ、貴族院議員、大日本医師会会長、東京市教育会会長などの要職に就いた。長男は医学者の高木喜寛、次男は医学者の高木兼二。

彼は日本の医学界が東京帝国大学医学部・陸軍軍医団を筆頭にドイツ医学一色で学理第一・研究優先になっているのを憂い、英国から帰国後の明治14(1881)年、前年に廃止された慶應義塾医学所に関わっていた松山棟庵らと共に、臨床第一の英国医学と患者本位の医療を広めるため医学団体成医会と医学校である成医会講習所を設立する。

当時講習所は夜間医学塾の形式で、講師の多くは高木をはじめとする海軍軍医団が務めた。成医会講習所は明治18(1885)年には第1回の卒業生(7名)を送り出し、明治22(1889)年には正式に医学校としての認可を受け成医学校と改称した。

さらに明治15(1882)年には芝の天光院に、貧しい患者のための施療病院として有志共立東京病院を設立、院長には当時の上官である戸塚文海海軍医務局長を迎え自らは副院長となった。

そして徳川家の財産管理をしていた元海軍卿勝海舟の資金融資などを受け、払い下げられた愛宕山下の東京府立病院を改修し有栖川宮威仁親王を総長に迎えて明治17(1884)年移転、明治20(1887)年には総裁に迎えた昭憲皇太后から「慈恵」の名を賜り、東京慈恵医院と改称して高木が院長に就任した。

一方、ナイチンゲール看護学校を擁する聖トーマス病院で学んだ経験から、医療における看護の重要性を認識し、その担い手となる看護婦の育成教育にも力を尽くした。

陸軍卿大山巌夫人捨松ら「婦人慈善会」(鹿鳴館のバザーで知られる)の後援もあって、明治18(1885)年日本初の看護学校である有志共立東京病院看護婦教育所を設立し米国宣教師リードらによる看護教育を開始。明治2(1888)年には昭憲皇太后臨席のもと第1回卒業生5名を送り出した。

この3つはそれぞれ後に東京慈恵会医科大学、東京慈恵会医科大学附属病院、慈恵看護専門学校となり現在に至っている。

当時軍隊内部で流行していた脚気について海軍医務局副長就任以来、本格的にこの解決にとりくみ、海軍では兵食改革(洋食+麦飯)の結果、脚気発生率が1883(明治16)年23.1%、1884年12.7%、1885年以降1%未満と激減した(詳細は「日本の脚気史」を参照のこと)。

1885(明治18)年3月28日、高木は『大日本私立衛生会雑誌』に自説を発表した。しかし、高木の脚気原因説(たんぱく質の不足説)と麦飯優秀説(麦が含むたんぱく質は米より多いため、麦の方がよい)は、「原因不明の死病」の原因を確定するには、根拠が少なく医学論理が粗雑だった。

このため、東京大学医学部から次々に批判された。とくに同年7月の大沢謙二(東京大学生理学教授)による反論の一部、消化吸収試験の結果により、食品分析表に依拠した高木の説は、机上の空論であることが実証された。

その大沢からの反論に対し、高木は反論できず、海軍での兵食改革の結果をいくつか公表して沈黙した。のちに高木は「当時斯学会に一人としてこの自説に賛する人は無かった、たまたま批評を加へる人があればそれはことごとく反駁(はんばく)の声であった」と述懐している。

当時の医学界の常識としては、「食物が不良なら身体が弱くなって万病にかかりやすいのに、なぜ食物の不良が脚気だけの原因になるのか?」との疑問をもたれ、高木が優秀とした麦飯の不消化性も、その疑問を強めさせた。このように高木の説は、海軍軍医部を除き、国内で賛同を得ることができなかった。

一説には、海軍軍医部は、日露戦争の戦訓もふまえ、海軍の兵食(洋食+麦飯)で脚気を「根絶」したと過信してしまったのではないかとの見解もある。

しかし現実には、高木とその後任者たちのような薩摩閥ではなく、東京大学医学部卒の医学博士本多忠夫が海軍省医務局長になった1915(大正4)年12月以後、海軍の脚気発生率が急に上昇した。

脚気患者が増えたためであり、1928(昭和3)年1,153人、日中戦争が勃発した1937(昭和12)年から1941(昭和16)年まで1,000人を下まわることがなく、12月に太平洋戦争が勃発した1941年は3,079人(うち入院605人)であった)。

一説には、その理由として、兵食そのものの問題(実は航海食がビタミン欠乏状態)、艦船の行動範囲拡大、高木の脚気原因説(たんぱく質の不足説)が医学界で否定されていたにもかかわらず、高木説の影響が残り、たんぱく質を考慮した航海食になっていたこと、「海軍の脚気は根絶した」という信仰がくずれたこと、脚気診断の進歩もあって見過ごされていた患者を把握できるようになったこと(それ以前、神経疾患に混入していた可能性がある)、などが原因とする見解もある。

麦飯を推奨していた高木が再評価されるのは日露戦争後であり、また脚気と食事の関係に着目した取り組みの延長線上にビタミンの発見があった。

南極大陸の南緯65度33分・西経64度14分に"Takaki Promontory"すなわち「高木岬」という岬があるが、これは彼の名にちなんで付けられた地名である。日本人で南極大陸の岬の名前になった人物は高木兼?だけである。


2011年07月14日

◆菅はやはり革命家

渡部 亮次郎

菅首相の新左翼への出鱈目な献金が産経出報じられ、遂に13日には、そのカネが民主党に交付された国税からなされたようだと報じた。酷くないかい、菅クン。舐めたらあかんぜよ。

革命家菅 直人。「任期中は一定期間内の独裁者」というのは本音だった。独裁者は反革命で殺されるまで辞めないものだ。菅のしがみつきは単なる未練で派内のだ。革命が成就した以上、辞めるなんてあり得ないのだ。

<菅直人首相の資金管理団体「草志会」が日本人拉致事件容疑者親族の周辺団体に献金していた問題で、献金の“原資”は民主党本部から供給された格好になっていたことが12日、明らかになった。

草志会から献金を受けた政治団体「政権交代をめざす市民の会」や、拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」はどのような組織なのか。後者の代表者の発言からは、学生運動以来消えることのない「革命への情熱」が浮かび上がる。

「僕は、革命のために選挙をやっている」「目的は革命なんだから、最終的には中央権力を変えなければならない。だけど革命派が強い拠点地域を作っていくことは重要です」

平成16年の季刊誌「理戦」の対談記事で、市民の党の酒井剛代表はこう語っている。

記事や関係者によると、酒井氏は上智大学在籍時代に学生運動に参加し、「日本学生戦線」を組織した。昭和57年、田英夫・元社民連代表(故人)や宇都宮徳馬・元衆院議員(同)らと政治団体「MPD・平和と民主運動」を立ち上げ、平成8年に市民の党を結成。「斎藤まさし」の名で各地の選挙運動を手掛け、「無党派選挙のプロ」などと呼ばれている。か
つては田氏の娘婿だったという。

市民の党について公安関係者は「セクトに所属していないさまざまな左派、元活動家が集まった団体」との認識を示した。

酒井氏は産経新聞の取材に菅首相との関係について、「彼が国会議員になる前から知っている。田英夫さんからの紹介。30年ぐらい前、彼が4度目でやっと初当選した選挙も応援していた。ずっとケンカしながら一緒にやってきている」と述べている。

一方、めざす会は酒井代表の呼びかけで、民主党衆院議員候補を選挙支援するため平成18年に結成。代表の奈良握(にぎる)氏は市民の党出身で、同党に毎年約150万円を個人献金するなど関係は密接だ。奈良氏は今月10日投開票の神奈川県厚木市議選で7選を果たしている。>
産経ニュース 2011.7.13 11:11


2011年07月12日

◆後任いない菅、三木似の強み

渡部 亮次郎

「君ら、僕にやめろというが、僕がやめたと君らのうち、どっちがやるか決っているンかい」と三木に言われたギャフンとなった福田赳夫と大平正芳。後任の決まっていないことをいいことに居座りの長期化をねらう菅首相を見ていると、つい「三木降し」が昨日のことのように甦る。

但し、当時はまだ大阪でデスク稼業中。「ウィキ」のお世話になります。

1975年から1976年にかけ起こった、三木武夫内閣総理大臣の退陣を狙って自由民主党内の倒閣運動を「三木降ろし」という。1976年前半の動きを「第一次三木おろし」、1976年後半以降の動きを「第二次三木おろし」ということもある。

アメリカの航空機会社「ロッキード」社が、日本への旅客機売り込みのために田中角栄前首相ら日本の政界に多額の工作資金をばら撒いた「ロッキード事件」。

発事件覚後、三木は「日本の政治の名誉にかけて真相を明らかにする必要がある」との態度を表明し、予算委員長の荒舩清十郎を後押しして1976年2月16日、事件関係者として小佐野賢治、全日空社長の若狭得治、丸紅社長の檜山広等の証人喚問と、病床にあった児玉誉士夫を病院で尋問を実現、その全容を明らかにした。

しかし、この三木の姿勢に対し、自民党内部の反発と怨念をかもし出し、こうした中、三木政権生みの親である椎名悦三郎は、「はしゃぎすぎ」と発言し、三木退陣工作を勧める。これが、いわゆる「第一次三木おろし」である。

この動きに対してマスコミ、世論が「ロッキード隠し」と批判を強め、これを受け一旦は「第一次三木おろし」が収まった。

しかし、同年7月27日の田中角栄の逮捕で再び、三木おろしの動きが活発化していく。田中角栄が8月17日に保釈されると、8月19日には反主流6派(田中派・大平派・福田派・船田派・水田派・椎名派)が中心となって自民党議員277人で挙党体制確立協議会(挙党協)を結成し、代表世話人に船田中元衆議院議長が就任、「第二次三木おろし」が始まる。

挙党協は三木首相に対して退陣要求を突きつけた。この時、三木政権に協力する派閥は三木派と中曽根派だけという状況であった。挙党協は反三木では一致していたが、三木退陣後の次期首相擁立について福田赳夫か大平正芳の二人のどちらかに絞りきれていない脆さが存在していた。

三木は「ロッキード事件解明」という世論の支持を背景に衆議院解散とこれに反対するであろう閣僚の罷免をちらつかせて対抗を図る。臨時国会召集を決める1976年9月10日の閣議で三木は会期冒頭での衆議院解散を諮ったが、挙党協に参加している15閣僚は解散署名に拒否する姿勢を示す。

三木は閣僚を罷免してまで解散権を行使することはなく、9月15日に内閣改造と自民党役員人事の刷新を行い、派閥の領袖である福田・大平以外の13閣僚を交代させた。

最終的に三木は挙党協の攻勢をしのぎきったが、臨時国会の閉幕と共に挙党協から次期総理・総裁候補に推挙された福田が閣内から去る。

12月に行われた日本国憲法下では初の任期満了による総選挙では、挙党協議員は自民党公認を受けながら、党本部とは別に選対本部を設置し、自民党分裂選挙の様相を見せた。

総選挙で自民党は結党以来初めて過半数割れする敗北を喫し(無所属候補の追加公認後に過半数を維持することが出来たが、定員が20増えていたにも拘わらず改選前8議席減と惨敗といってよい結果だった)、三木内閣は責任を取って退陣した。

その後、福田赳夫と大平正芳はポスト三木を福田とする大福密約を締結、大角両派と福田派がポスト三木の総理総裁に福田赳夫で一致し、挙党協の総裁推薦候補を福田とする。福田は総理総裁に就任し、福田内閣が発足した。

なお、この抗争中である9月6日にベレンコ中尉亡命事件が勃発したが、政府が三木おろしで忙しくてそれどころではなかったので対処に不都合が生じたという。

ロッキード解明を掲げて閣僚罷免してでも衆議院解散を断行していれば、三木内閣は存続できたとする意見もあった。しかし、三木自身は後年において閣僚罷免してまで衆議院を解散することは、「議会の子」と呼ばれていたこともあり憲政に反するとして、行わなくてよかったと述懐している。

椎名(副総裁)裁定で三木を推挙した椎名が三木おろしに回ったことについて、椎名は「産みの親だが、育てるとは言ったことはない」と答えて
いる。

逮捕された田中角栄であるが、「第一次三木おろし」にはそこまで積極的ではなく、積極的であった派内の二階堂進などに表立った行動を控えるように指示した。

田中は三木を退陣させると、宿敵であった福田を首相にしてしまう恐れがあると考えていたからであったと思われる。

幹事長だった中曽根は、挙党体制確立協議会のアキレス腱であるポスト三木(三木退陣後、福田、大平のいずれが後継首相になるかを、挙党協は直前まで決められなかった)について、「大福も 夏を過ぎれば 饐えるなり」と川柳で皮肉った。

三木武夫の秘蔵っ子だった海部俊樹は官房副長官として党内反対勢力に対する解散構想と解散断念を目の当たりにした。15年後の1991年に海部は首相として、三木と同じく党内反対勢力に対して解散構想をする政局になるも、結局解散権を行使できず、またこれを乗り切ることが出来ないまま退陣となった(海部おろし)。

三木おろし時は一年生議員であった小泉純一郎は、29年後の2005年に首相として党内の反対勢力を一掃するため、解散権の行使を決断。解散詔書の閣議決定に署名しない閣僚1人を罷免してまで解散を断行した(郵政解散)。小泉はこの時の三木について、大勝負で解散できなかったとしている。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
                          2011・7・10


2011年07月11日

◆事故処理に数十年=居座りそれまで!?

渡部 亮次郎

<菅直人首相は9日午後、民主党本部で開かれた党全国幹事長会議であいさつし、東京電力福島第1原発事故に関し「3年、5年、10年、最終的には数十年単位の処理の時間がかかる見通しだ」と述べた。>(時事)

だからまさか、それまで居座るとは言わない。だが、事態を長い目で見る必要があると諭し「俺の辞任を性急に求めるな」といなしているように聞える。要するに「オレは辞めない」と宣言したようなものだ。

こうなると、しょうがない、これまで民主党代表を務めた経験者つまり小沢、鳩山、岡田、前原の4人がガン首を揃えて総理官邸に押しかけ菅が辞めるというまで雪隠詰めにするという案を京セラ創業者が出し、前原がそれを持って当事者田に迫っているそうだが、纏まるはずが無い。

そんなことをやって「辞める」というようなヤワな菅でないことお互い腐るほど知っているからだ。

何しろ「辞める」といった事は一度もない。「何時」とも一度も言っていない。拡大解釈すれば、そう受け取られかねない言葉は発したかもしれないが、確かな言質は全く与えていないのだ。異例な策略家とやっと分かったのだ。


衆議院の先例を破り、不信任案をもう一度提出し、与党の賛成同調で首にする以外に方法はのこされていないのだ。それでも菅は衆院解散に打って出るだろう。その結果、民主党は敗戦し、やっと菅内閣は倒れる。菅は倒れるが民主党も政権の座を失うわけだ。

<東電は事故の収束に向けた工程表を4月に作成し、その後順次改定。それによると、今月中旬には放射線量が減少傾向になる「ステップ1」が終了。

今後、3〜6カ月で原子炉を安定化させて冷温停止する「ステップ2」に移行する。首相の発言は、原子炉の廃炉などを念頭に、その後の中長期的な事故処理の見通しを示したものだ。> 
時事通信 7月9日(土)13時28分配信


2011年07月09日

◆アフリカを蚕食する中国

渡部 亮次郎

蚕食とは蚕(かいこ)が桑の葉を食うように片端から次第に他国または他人の領域を侵略すること(広辞苑)。

中国人労働者9人とエチオピア人65人がエチオピア東部で殺害されたのは2007年4月24日早朝。中国人が何しに東アフリカまで? その認識の甘いところが日本人。中国資本がここでも石油開発を行っており、これに反発する武装グループ200人が開発中の油田を襲ったものだった。

トウ小平が決めていった経済の改革・開放政策。特に開放とは外国資本に中国を開放すること。1989年6月4日の天安門広場虐殺事件で下火になった時期はあったが、既に中国経済は外国資本無しではやっていけなくなっている。

その外国資本も大量に食うのが石油、天然ガスからなる電気等のエネルギーである。これに不足をきたせば4つの現代化はストップする。共産党幹部の懐に転がり込むワイロもまたストップする。とあっては中国が石油、天然ガス等の資源獲得に狂奔するのは当然である。

尖閣列島はじめアジアにツバをつける事は終了。近隣諸国とくにモンゴルは継続中。旧ソ連も目途が付きつつある、となれば残るはアフリカ大陸の各国しかないでは無いか。

わが日本は大使館も置いてないところがあるアフリカだが中国は早くから資源獲得のために外交的な手立ては十分してきたのである。経済は資本主義だが政治は独裁の専制政治だから計画政治とでも言おうか、早くて着実だ。

中国政府が石油、天然ガスと市場を求めてアフリカに雪崩を打つように進出していることにアフリカ各国民が強く反発している。

アフリカでの中国の主な進出状況(2007年4月26日付産経新聞紙面から)
○ナイジェリア 石油、天然ガス。武器売却。技術提供などと引き換えに石油採掘権を獲得。
○ギニア アルミニューム
○ガーナ 金

○コンゴ共和国 銅、金、ダイヤ、石油。体育館、議事堂などを建設。石油利権を獲得。

○アンゴラ 石油利権を獲得。政府高官に住宅など寄贈。
○南アフリカ 金、コバルト、ダイヤ。中国製衣料品などの大量流入で、地元経済界などが反発。

○ボツワナ 銀、ダイヤ。
○ジンバブエ プラチナ、金、銅。戦闘機売却、大統領宮殿の建設協力など。経済援助の代わりにプラチナ利権を独占。

○ザンビア 金、ダイヤ。
○タンザニア 金、ダイヤ。
○エチオピア 金、石油、天然ガス。2004年5月から石油採掘開始。

○スーダン 石油、天然ガス。中国政府系企業が約40億ドルを投資し、石油開発輸入。
○リビア 石油、天然ガス。
○アルジェリア 石油、天然ガス。

2006年2月、英国のストロー外相(当時)がナイジェリアを訪れた際、「中国が今日アフリカで行っていることの大半は、英国が150年前に行ってきたことだ」と中国のやり方がいわば新植民地主義だと批判した。

そうしたら中国は「われわれは(英国と違って)奴隷の売買はしていない」と猛反撃した。

いずれ南アフリカでは3年間に中国人40人が殺害された。

アフガニスタンでは04年6月、出稼ぎに来ていた中国人11人が殺された。ナイジェリアでは今年に入って中国人技術者の誘拐が3回も起きている。

それでも中国は対アフリカ資源外交を活発化させなければならない。産経新聞北京の野口東秀記者によれば、昨年は胡錦濤国家主席が4月、温家宝首相が5月にアフリカ各国を歴訪したのに加えて、今年も胡錦濤主席が今年2月に再び歴訪した。

事情に詳しい私の友人が近隣友好国からのエネルギー輸入の話を持ち込もうとしたところ、日本のお役人様は聞く耳持たずだった。話は中国に流れたようだ。資源エネルギー庁は機能していない。


2011年07月08日

◆江沢民死去は政局にも影響

渡部 亮次郎

中国の江沢民前国家主席は矢張り死亡していた、と7日、産経が報じた。

しかし国営通信「新華社」は「噂」と否定した。それでも産経は取り消さなかった。

今、死なれては困る事情があるから否定したのだという論評もある。

「この時期に江沢民が死亡したとなれば、彼の率いる上海派は分裂が必至であり、次期主席確実といわれる習近平の立場は一段と弱いものとなり、政治局面は微妙である」とする宮崎正弘さんの見通しである。

NHKがどのような報道をするか、注目していたが、6日正午のニュースでは一言も触れなかった。読売や毎日も確実な情報は正午現在、とっていない。産経の特種となったのだろうか。

<中国の江沢民前国家主席が6日夕、北京で死去したことが7日分かった。日中関係筋が明らかにした。84歳だった。遺体は北京市内の人民解放軍総医院(301病院)に安置されていると見られる。関係者は「脳死」と話している。

江氏は1989年から2002年まで中国の最高指導者である共産党総書記を務め、改革開放路線を推進して高度経済成長を実現する一方、貧富の格差拡大を生み出した。

次期最高指導者と目される習近平国家副主席の有力な支持者でもあり、江氏の死去は今後の政局や日中関係にも影響を与えそうだ。

中国のメディア関係者によると、江氏は長期間にわたり膀胱(ぼうこう)がんで療養していた。4月ごろから体調を崩して入院、6月下旬から危篤の状態が続いていた。7月1日の中国共産党創建90周年の祝賀大会を欠席したため、重病説や死去説が流れていた。

江沢民氏は江蘇省出身。1947年に上海交通大を卒業。55年、当時のソ連の自動車修理工場で研修した経歴をもつ。電子工業相を経て85年に上海市長、87年に上海トップの上海党委書記に就任。

89年6月、民主化運動を弾圧した天安門事件直後にトウ小平氏ら長老たちに抜擢(ばってき)され、総書記の座に上りつめた。国家元首である国家主席は93年3月から03年3月まで務めた。

97年のトウ氏死去後、名実ともに中国の最高指導者となった。在任中、企業家の共産党入党を積極的に認めるなど党改革を手掛けたが、言論の自由や民主化に向けた改革には消極的だった。

引退後も、上海閥のリーダーとして政界に影響力を持ち続け、上海閥と良好な関係にある習副主席を支援してきた。産経新聞 7月7日(木)9時44分配信


以下は「毎日」の7日正午現在の報道ぶり。

<中国:江沢民前主席が危篤 一部に「死亡」情報も

江沢民・前中国国家主席 【北京・成沢健一】複数の中国消息筋は7日、中国の江沢民前国家主席(84)が危篤状態であることを明らかにした。一部には「すでに死去した」との情報も流れているが、中国の国営メディアは今のところ関連する情報を伝えていない。

江氏は今月1日の中国共産党創建90周年の祝賀大会に出席せず、重病説が流れていた。消息筋によると、江氏は北京市内の人民解放軍系の病院に入院しており、5日夜から容体が悪化した模様だ。

7日未明には「6日夕に死去した」との情報も飛び交うようになったが、最終的な確認はできていない。中国メディア関係者は「重大放送の準備をしておくようにとの指示が当局からあったようだ」と明らかにした。

 ◇04年9月に引退

江氏は1989年の天安門事件後に上海市党委書記から党トップの総書記に抜てきされ、93年3月に国家主席に就任した。在任中は、一党独裁体制下で市場経済化を推し進め、高度経済成長の土台を築いたが、汚職の深刻化や格差拡大などの問題点も指摘されている。

02年11月の党大会で総書記を退き、04年9月には党中央軍事委員会主席も引退したが、その後も政界への影響力を示していた。>


「時事」はまだ死亡していない説を採っている。
<新華社、江沢民氏の死亡情報を否定=「容体は深刻」と消息筋―中国

【北京時事】中国国営新華社通信は7日、江沢民前国家主席(84)の死亡説について、権威筋が「全くのうわさである」と否定したと報じた。中国の国営メディアが江氏死亡説について報じたのは初めて。

ただ、中国の消息筋は同日、「江氏の容体は深刻な状態にある」と明らかにした。関係者の間でも江氏の容体をめぐる情報が飛び交っている。

中国メディア関係者に対し、当局が追悼準備の指示を出したとの情報もある。>
時事通信 7月7日(木)13時22分配信


▼唸声の気になるニュース/江沢民の死亡を単なる噂と新華社が言い放つ
[cid:409252408@07072011-3021]

写真は英語版チャイナディリー、Jiang Zemin's death 'pure rumor':Xinhua=江沢民の死は単なる噂;新華社
http://www.chinadaily.com.cn/china/2011-07/07/content_12855415.htm

新華社が英文で明確に否定している。まぁ、今死んでもらっては困るのであろう。死んでいても、死んでいないのが、中共である。毛沢東は未だに墓にも入れない???

中共も一枚岩かと思いきや、上海派と北京派で勢力が大きく分かれている。次期国家主席と目されている習近平氏が江沢民の上海派であり、江沢民色を脱せずに死なれたら、ちょっと厄介。

これから、死んでいる江沢民を使って、都合のよいシナリオが展開する筈である。この辺りは、場当たり的な対応しか出来ない民主党とは違い、深く考えている。死んでいても死んでいない状態が長く続く。それが、習近平氏の力であろう。

ひょっとするとベッドで寝たきりの江沢民を演ずる影武者が病院に既にいるかもしれない。普通の国ではないので、こんなこと朝飯前だ。
                           (唸声)

◆本稿は、7月8日(金)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2313号に
掲載されました。

◆<2313号 目次>
・江沢民死去は政局にも影響:渡部亮次郎
・中国銀行株を大量に放出:宮崎正弘
・総理には自分が悪いという認識がない:前田正晶
・能面クラツーラ:須藤文弘
・眼病を患って治療に苦労している:古澤 襄

・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年07月06日

◆松本復興相の後任、平野副大臣に

渡部 亮次郎

<後任は平野副大臣に

菅直人首相は5日午後、一連の失言などの責任を取って辞任した松本龍復興担当相の後任に、平野達男復興副大臣(内閣府副大臣)の起用を決めた。>(産経ニュース 2011.7.5 16:20 )

郷里の秋田県に「部落問題」はない。それがNHK大阪報道部でいきなりこの問題の担当副部長に指名されたから、随分にわか勉強を余儀なくされた。今から34年前の話。

復興担当相の「暴言」で部落開放同盟の名を34年ぶりに目にした。多分5日にも辞任するだろうと予想していたら、その通りになった。

その後任に菅首相は憎き仙谷由人官房副長官を考えて要請したというから驚きだ。よほど人材が無いのだ。何しろ仙谷は今や「菅降ろし」の先頭に立っている人物。首相は顔を見るのも厭なはず。

それでも要請したというのは、周囲に人材が枯渇したということなのだろう。以下は読売の報道である。

<松本龍復興相(60)の辞任を受け、首相は5日午前、仙谷由人官房副長官と首相官邸で会談し、後任への就任を打診したが、仙谷氏は固辞した。

首相はこの後、斎藤勁民主党国会対策委員長代理と会い、5日中にも後任を決める意向を伝えた。

枝野官房長官は同日午前の記者会見で、「復興への影響ができるだけ小さくなるよう最大限の努力をしたい」と語った。

政府・与党内では、震災対応の継続性を維持する必要があることや、退陣表明した首相のもとで大幅な人事を行うことが困難なことを踏まえ、復興担当の平野達男内閣府副大臣を昇格させる案や他の閣僚に当面兼務させる案が浮上している。

松本氏は昨年9月に発足した菅改造内閣で環境相兼防災相として初入閣。今年6月27日には、東日本大震災の復興に取り組む復興相に防災相と兼務する形で就任した。政府の「復興対策本部」(本部長・菅首相)の副本部長にも就任した。> 読売新聞 7月5日(火)15時7分配信

<菅総理の復興大臣選考基準=YAHOOみんなの政治>

とにかく無能で復興が進まない者を復興大臣に任命すれば首相として延命できる。

前任の松本は防災担当として4ヶ月間も無能を発揮して菅としては無能のお墨付きで復興担当にしたのだが、無能すぎて被災地の反感かって辞任してしまったため、しかたなく次の無能として平野氏が白羽の矢が立ったらしい。

ほんと民主党は無能者の人材は掃いてすてるほどいるから菅直人は首相やめなくてすむから喜んでる。国民は不幸だわ

◆本稿は、7月6日(水)刊の全国版メルマガ「頂門の一針」2311号に
掲載されました。本誌寄稿の他の卓見もご拝読ください。
◆<2311号 目次>
・お騒がせ復興担当相は結局辞任:古澤 襄
・松本復興相の後任、平野副大臣に:渡部亮次郎
・今こそ読み返したい「『空気』の研究」 :阿比留瑠比
・白昼堂々としらを切る強気も:宮崎正弘
・台湾は国ではなく自由民主もない:Andy Chang
・わが家もようやく文明開化:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2011年07月02日

◆菅首相、山岡氏「入閣」実現せず 人事下手?

渡部 亮次郎

先の小幅内閣改造に際して、菅首相が小沢勢力との妥協を図り、側近の
山岡賢次福代表に入閣を打診下が、失敗していたことが分かったと、毎
日新聞が4日も経ってから報じた。

元々菅首相にその気はなかったのに、「軍師」面をする亀井静香が「進
言」してきたので、一応、打診した。しかし、親分小沢を通した話でな
かった為、結局断られて、コトは失敗に終わったというもの。

それを評して党内には「菅は人事が下手だ」という批判が流れていると
報じているが、あの時点で菅に小沢勢力との妥協を図る気があった、とは
思えない。

亀井の顔を立てるための演技だったと見る出来だろう。菅だって既に衆
院議員当選10回の古狸。山岡入閣を真剣に考えたなら、まず小沢に相談
しなくては実現しないことぐらい心得ていて、それをそうしなかったと
いうのは、はじめっからその気がなかったということ。亀井は策士面し
ながら既に菅に舐められているということだ。

別の報道によれば、小沢を巡る裁判は、どうも小沢有利に進みそうな気
がする。小沢復権となれば、民主党は今度こそ徹底的に揉める。


<菅直人首相が27日に閣僚人事を断行した際に、民主党の小沢一郎元代
表に近い山岡賢次副代表に閣僚入りを打診していたことがわかった。

小沢グループを含めた「挙党一致」を主張していた国民新党の亀井静香
代表の助言を受け入れた形だが、人事は小幅にとどまり実現しなかった。
首相の唐突な打診には執行部、反執行部の双方の側から「首相は人事が
下手」との声があがっている。

首相に近い党幹部や小沢グループ幹部によると、首相側は亀井氏を通じ、
入閣を前提に「人事の話で会いたい」と打診したが、山岡氏は「小沢元
代表に相談する」として回答を保留し、最終的に断ったという。

「小沢グループとの融和を図るなら、人事は小沢さんに推薦してもらう
べきだ」(グループ幹部)と、首相側の手法に疑問を投げかける。首相
が亀井氏の顔を立てるため、形だけ打診した可能性もある。

首相は最終的には原発事故担当相に小沢元代表とも近い細野豪志氏を起
用した。首相と距離がある民主党執行部内では次期党代表選に野田佳彦
財務相を推す声も強く、首相の抜てき人事は対抗手段の意味もあるとみ
られる。

また民主党幹部は自民党参院議員を総務政務官に引き抜いた人事につい
て、亀井氏と北沢俊美防衛相が24日前後に東京都内のホテルで協議して
いたことを明らかにした。>毎日新聞 7月1日(金)0時41分配信



2011年06月30日

◆「狡猾」菅首相に解散の恐怖見透かされ

渡部 亮次郎

産経新聞は坂井広志記者をして以下の記事を書かせ「政治ニュース」として提供したが、わたしには「落語」にしか見えなかった。小澤派のヒヨッコたちが、いくら騒いでも「解散風」にまるで弱いところを見すかされて、菅首相にいたぶられている。それに気づかずに騒ぐから落語としか読めないのだ。

自民党は公明党と歩調を合わせて国会審議にブレーキをかけ続けるるだろう。参院から議院を牛蒡抜きされた以上、怒った振りをみせなければ嗤われるからである。だから民主党に「抵抗」するだろうが、世論との兼ね合いを考慮すれば、抵抗にも限度がある。国会のこれからはもっと可笑しい落語のタネだらけだろう。

何しろ、親分が党員資格停止とやらで表面に出てこれない小沢派。1年生だけに、反小沢を叫びながらの無知ゆえの右往左往が面白い。

<ここぞとばかりに「脱原発解散」をにおわし、民主党内の不満分子の動きを封じた菅直人首相。27日に記者会見で再生エネルギー特別措置法案の成立など「退陣3条件」を掲げたのも、28日の両院議員総会での「菅降ろし」を封じる狙いがあったに違いない。

しかも言いたいことだけを言い放ち、そそくさと退散したため、首相のつるし上げは不発に終わった。その狡猾(こうかつ)さは誰の追随も許さない−。

28日夕、衆院講堂で開かれた両院議員総会。冒頭に首相が脱原発解散をにおわせたことにより、首相をつるし上げようと手ぐすね引いていた出席議員は一気に腰砕けとなった。

「原発事故対応の決意を聞きたい」「自らの私心を捨てて退陣表明したことを評価する」…。

エールにも似た発言が続出。小沢一郎元代表に近い階猛衆院議員は「『私の顔を見たくなければ法案を通せ』という発言は国会を冒涜(ぼうとく)している! 首相は法案を通す前に辞めなければならない」と退陣を迫ったが、同調者はわずか。

安住淳国対委員長は「自公両党は私の顔も見たくないという。仕事はしづらい」と自虐的な冗談で受け流した。

両院議員総会に先立ち、小沢系グループ「一新会」「北辰会」の約60人は国会の会議室に集まり、「完無視」ならぬ「菅無視」作戦を練っていた。

「辞めることが決まっている首相をあえて追及しないという作戦はどうか…」

一人がこう提案すると一新会副会長の福田昭夫衆院議員が「無視して窮地に陥らせる…。いいアイデアだ」と称賛。追及の矛先は岡田克也幹事長ら執行部にだけ向け、首相を孤立させることになった。

ところが、作戦は完全に裏目に出た。首相は冒頭にあいさつした後、複数の議員の質問に1回だけ答え、「逃げるな」との罵声に振り向きもせず途中退席してしまったからだ。しかも「要注意」とされる小沢系議員はいくら挙手しても逆に無視された。

そもそも「菅無視」戦術という奇策に出たのは、両院議員総会で代表解任などの緊急動議を出しても可決される可能性が皆無だったからだ。選挙基盤が脆弱(ぜいじゃく)な民主党の中堅・若手にとって、それほど「解散風」は効果絶大なのだ。

岡田氏は失笑を覚悟でこう懇願した。

「われわれの選んだ首相だ。一定の敬意を持って3条件が満たされるまでは全員で後押ししてほしい」

ここに反菅勢力のジレンマがある。首相が固執する再生エネルギー特別措置法案などを早急に成立させても退陣する保証はないが、抵抗すればするほど首相の延命に手を貸すことになる。徹底抗戦し、否決に追い込めば、それこそ脱原発を旗印に解散しかねない。

過去に何度も落選を経験した首相はそんな議員心理を見透かしている。首相官邸に戻った首相は記者団に両院議員総会の感想を聞かれ、涼しい顔で語った。

「まあ、みなさん、いろいろと考えてもらっているんだなあと思いまし
た…」>(産経ニュース 2011.6.29 08:48 )

◆本稿は、6月30日刊(木)メルマガ全国版「頂門の一針」2307号に
掲載されました。下記の目次から他の原稿も拝読ください。
                        (本誌編集部)

◆<2307号 目次>
・「狡猾」菅首相に解散の恐怖見透かされ:渡部亮次郎
・菅さん、正常さを失いかけている:岩見隆夫
・原発事故とジャンボ機墜落事故:須藤文弘
・価値が100分の1になった塩漬け義捐金:泉 幸男
・ペルリ来寇と曲ろく:加瀬英明
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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◆引き抜き 野党怒れば菅延命の矛盾

渡部 亮次郎

この期(ご)に及んで菅首相が自民党の参院議員1人を牛蒡抜きした。自民党ばかりか、公明党も怒っている。しかし怒って参議院で両党が菅首相の提示した「三条件」を満たさなければ、菅は9月以降も居座れることになる。

亀井はこう言って菅をたきつけたに違いない。自民党に恨みをもっている嘗ての参議院のドン村上正邦氏と亀井がくめばこんな仕事は「朝飯前」のことだ。菅にはできない。

よく考えなくとも分かる事は、今回、引っこ抜かれて被害者のはずの自民党が結局は加害者になって国民の批判を浴びることになるという珍事である。

そうだろう、国会で民主党に非協力的に出れば出るほど菅の「三条件」の成就は遠くなり、菅の居座りを手助けする結果となる。村上、亀らはこういう図式を見せて菅を煽ったに違いない。谷垣総裁、石原幹事長はこれを考えれば怒ってばかりも居られないのだ。

菅が9月に入っても居座れるとなれば必ずや「原発脱出」を掲げた「解散」を仕掛けてくる可能性も否定できなくなってくる。弁護士総裁ドノ、頭を捻って考えなさい。

とにかく「引き抜き」の経緯を「時事通信」が詳しく報じた。

<浜田氏起用で亀井氏暗躍=大連立警戒、くすぶる「新党」

自民党の浜田和幸参院議員(鳥取選挙区)の総務政務官起用に当たっては、国民新党の亀井静香代表が暗躍した。亀井氏は、菅直人首相が早期に退陣すれば民主党と自民党の大連立構想が再燃し、国民新党が埋没することを警戒。

復興担当相起用に合わせて、首相に大幅改造を進言する一方、与党で参院過半数を確保しようと自民党の切り崩しを画策した。

「俺が何人か連れてくるから、しっかりしろ」。亀井氏は今月15日に首相と公邸で二人きりで会い、こう激励した。

亀井氏が参院自民党からの引き抜きに動きだしたのは、大連立構想が取り沙汰され始めた約3週間前。民主党の岡田克也幹事長ら執行部と首相の亀裂拡大に不満を強めた亀井氏は、ひそかに首相に近い北沢俊美防衛相や石井一民主党副代表らと連絡を取り、対象議員のリストアップを始めた。

自民党時代に一緒に新派閥を立ち上げた村上正邦元参院議員会長にも協力を要請した。村上氏はすでに引退したものの、参院自民党になお一定の影響力がある。亀井氏は「ポストとカネが要る」と動きを本格化させ、首相も「やれるものならお願いしたい」と容認した。

しかし、首相が大幅改造を見送ったことで、提示できるポストが不足し、誘いに乗ったのは浜田氏1人にとどまった。「大規模に改造していたら、自民党からもっと来て、ねじれを解消できたのに」。亀井氏は27日夜、周囲にぼやいた。

一方、亀井氏は副総理就任を断りつつ首相補佐官に就き、記者団に「男の美学だ」と語った。入閣すれば、国民新党の自見庄三郎金融担当相が辞任しなければならないことに配慮したとみられる。

ただ、亀井氏らが口説いた中には、比例代表選出の議員もいる。公職選挙法は比例議員の政党間移動を禁じているため、民主党議員の間では「新党結成」のうわさが飛び交った。「最終的に自民、民主両党から引き抜き、参院でキャスチングボートを握ることだ」。亀井氏の狙いについて、政府関係者はこう語った。>(JiJicom
2011/06/27-23:19

<自民、徹底対決を確認=首相出席で午後両院総会―民主

自民党は28日午前、国会内で役員会を開き、菅直人首相が復興担当相新設に伴う人事で同党の浜田和幸参院議員を総務政務官に「一本釣り」したことを受け、菅政権と徹底対決していく方針を確認した。

谷垣禎一総裁は「(首相は)切羽詰まって暴走を始めた。自民党の協力は一切要らないということだ」と強調した。

同党の石原伸晃幹事長は役員会後の記者会見で「国会運営をどうするつもりなのか。今回の行為によって信頼関係はずたずたになった」と首相を批判。2011年度第2次補正予算案の審議には協力する考えを示したが、首相が退陣条件に挙げた再生可能エネルギー促進法案などを念頭に、国会対応に関しては「慎重審議になる」と語った。

一方、民主党の安住淳国対委員長は同日午前、自民党の逢沢一郎国対委員長と国会内で会談し、再生可能エネルギー法案と原子力損害賠償支援機構法案の早期審議入りを求めたが、逢沢氏は難色を示した。>
時事通信 6月28日(火)11時13分配信


2011年06月29日

◆浜田氏離党意向で自民「与野党協力は厳しく」

渡部 亮次郎

すぐ沈む泥船に乗る人は余りいない。密かに震災復興相を期待していた国民新党の亀井党首でも、27日菅首相から副総理での入閣を打診され、断った。こともあろうに首相特別補佐官ならと受けた。副総理なら総辞職の際、引責「心中」となってしまうからだ。

ところが、自民党を抜けて、泥舟に飛び込んだ「勇者!?」がいた。すわ参院で自民党雪崩を打って集団離党かと驚いた人もいたようだが、どうも\自作自演のにおいがする。学者だから理屈や政策は論じるだろうが、政局は分からない1年生らしい。

後述の産経世論調査で明らかになったように、参院で自民党は「分かりのよい所」を示さざるを得ないのに、直前に拳骨を食らわされては、怒って見せなければ芝居にならぬ。まるで「たこ踊り」だね。

<自民党の浜田和幸参院議員(鳥取選挙区)が27日、東日本大震災復興担当の政務官就任に向け離党の意向を固めたことに対し、党内からは「自民党公認で議席を得たのに非常識だ」(幹部)と反発する声が相次いだ。

脇雅史参院国対委員長は「自民党から引き抜くことが本当の意味での与野党の枠を超えた震災復興につながるのか」と指摘。「菅直人首相の下では復興は進まない。一刻も早く退陣すべきだ」と強調した。

林芳正政調会長代理は今後の国会運営については「1人を引き抜いても参院で野党が過半数を占める『ねじれ国会』の状況は変わらない。与野党協力は一層厳しくなる」と反発した。>
(産経ニュース 2011.6.27 12:28)

<「8月末までに菅退陣」6割超 内閣支持率23%
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が25、26の両日に実施した合同世論調査で、菅直人首相は今国会が閉会する8月末までに退陣すべきだとの回答が63・8%に上った。

内閣支持率は前回調査(5月28、29日調査)より6・2ポイント減の23・0%、不支持率は6・5ポイント増の64・8%と6割を超え、退陣表明をめぐる混乱で菅首相の求心力が一層低下していることが浮き彫りになった。

菅首相の退陣時期については「8月末までの今国会の会期中」が37・0%と最も多く、次いで「今すぐ」が26・8%。「辞める必要はない」は14・1%にとどまった。

菅首相が具体的な退陣時期を明らかにしないことに対しては69・3%が不適切だと回答。東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応には82・3%が「指導力を発揮していない」、60・6%が「延命の口実としている」と厳しい評価が下った。菅首相が衆院解散・総選挙を行うべきではないとの回答も61・0%に上った。

一方、菅首相の原発依存度を減らす方針は68・4%が「評価する」と答えた。次期衆院選で「脱原発派」かを重視するとの回答も57・8%となり、菅首相の「脱原発」方針が一定の支持を得ていることが明らかになった。震災復興のための増税に対しては「評価する」が49・4%と、「評価しない」の42・4%をやや上回った。

次期衆院選の時期については「任期満了か再来年」(45・4%)が最多だったが、「次期政権の発足直後」(34・4%)、「なるべく早く」(15・3%)を合わせると早期解散を望む声の方が多かった。

現在の国会情勢に対しては89・5%が「政治空白が起きている」と回答。政治空白の一番の責任は「民主党など与党」が28・6%、「菅首相」が23・9%だったが、「自民党など野党」も22・5%だった。

菅首相退陣後の自民党の対応に関して、政策ごとに民主党に協力する「部分連合」が49・5%と最も多く、民主党との「大連立」が17・9%と続いた。>
(産経ニュース 2011.6.27 11:52 )