2010年10月31日

◆既成事実化狙う「会談拒否」

渡部亮次郎

「日中首脳会談は無いだろう」という中国側の観測記事の直後、ハワイからチャター機でハノイに飛んできた前原外相が中国の楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)外相との会談の後、首脳会談は多分ある、と語ったので、私は「あれ?」と思った。

<【ハノイ=坂井広志】ベトナムを訪問中の菅直人首相は29日夕(日本時間同日夜)、ハノイ市内のホテルで、日中韓首脳会談を行った。その後、中国の温家宝首相と会談する方向で最終調整していたが、中国側は会談拒否の考えを示した。

中国外務省の胡正躍次官補は日本側が首脳会談を実施するためのムードを壊したと、会談拒否の理由を説明した。

菅直人首相は温首相と会談することで、9月に沖縄・尖閣諸島沖でおきた中国漁船衝突事件後に悪化した日中関係の改善につなげたい考えだった。

胡次官補は29日午前(日本時間同)に行われた日中外相会談の内容について、「日本側が事実と異なる発表をした」と批判した。

29日午前の前原誠司外相と中国の楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)外相の会談では、尖閣諸島問題について、前原氏が「日本固有の領土だ」と主張したのに対し、楊氏は中国側の立場を強調し、議論は平行線に終わった。

前原氏は中国のレアアース輸出停止問題に懸念を表明。楊氏は「駆け引きの材料にすることはない」と述べた。

前原氏は中国が延期を発表した東シナ海ガス田開発をめぐる条約締結交渉の再開も要請した。ガス田「白(しら)樺(かば)」(中国名・春(しゅん)暁(ぎょう))で中国が単独で掘削している疑いも事実関係をただした。楊氏は「交渉については必要な環境を整えたい」と述べるにとどめた。>産経新聞 2010.10.29 22:24

尖閣問題について中国は戦略上、領有の既成事実化を狙っている。したがって日本に対して「会談」や「話し合い」の必要性を全く持っていない。菅内閣の言う「両国の互恵的云々」にも真実は関心を持っていない。

とにかく、歴史的な証拠があろうと無かろうと、尖閣諸島の領有権を確立しなければ、共産党政権は崩壊し、中華人民共和国は消滅するとまで思い込んでいる。南、東シナ海のみならず太平洋制覇の野望を達成する為である。

昔、その道に達した粋人が言った。女性は未遂を言いふらし、男性は既遂を言いふらす」だから女性に手を出したら既遂にしなければ言いふらされて恥をかくと。

中国の今は上の心境であろう。「尖閣を領有する」と宣告した以上、これを「既遂」にしなければ軍部の反発で胡政権は求心力を喪失してしまう。したがって、仮に温家宝首相が菅首相に「謁見」を許しても「笑顔」を見せたら軍の反発を招くだけ。

笑顔ぬきに菅に何を語るか。語るものなんかあり得ない。<中国側は最初からハノイで日中首脳会談をする気がないのは、中国外務省が繰り返しコメントしている。しかし対中弱腰外交を非難されている菅首相は、ここで日中首脳会談を実現し、戦略的互恵関係を誇示したい思惑があった。日中首脳会談は菅首相にとって必要だったのである。>元共同通信
常務理事 古澤襄氏)。

菅首相にあるのは「その場しのぎ」のやりくりだけ。国家観なく、日本国運営の目的も戦略も所持していない。尖閣問題の戦略もない。

ただ人気取りのため「何か一所懸命、動いている」を国民に「姿」として見せたいだけ。とっくに中国に見透かされている。首脳会談に応じるだろうと思うのは政治感覚がまるで欠如していることを天下に晒しただけ。

日本はこんなのしか首相がいないという恥をハノイでロイターやAFPを通じて世界に晒した。
2010・10・30

◆10月31日(日)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2081号の
拝読は、下記からお手続きを!
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆<2081号 目次>
・既成事実化狙う「会談拒否」:渡部亮次郎
・温家宝首相への突き上げ深刻:宮崎正弘
・政権交代は米国からの真の独立のためだとMr.L:阿比留瑠比
・幣原“軟弱外交”再び:平井修一
・衆愚政治、元凶は小沢・小泉:山堂コラム 342
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
□■■□ ──────────────────────────□■■□



2010年10月27日

◆何時まで「皆さんの」NHKか

渡部亮次郎

東京の街を見回して気の付くことだが「喫茶店」が殆ど姿を消し、新たに登場したのが単身客相手のコーヒー屋だ。友達同士、喫茶店に入って音楽で癒しながら話に興じると言うことが無くなった。

コーヒー屋では自分だけを癒している女性や男性を目にするが、話し込んでいる客は皆無だ。なんとなく「孤独」でパーソナルな時代になった。

企業や団体で、慰安旅行が忌避されてもはや久しい。会社の上役や同僚といること自体が「ストレス」であるから、温泉宿で一緒に酒を呑んでもストレスがたまるだけ。

だからストレスが溜まったら、こっそりコーヒー屋に一人で入り、独りで癒すのだろうか。団体を忌避し、孤独が癒しになる時代が到来したのだろう。

そうかと思うとNHKはいつまでも「皆さんの」を叫んでいる。ラジオ深夜便では午前4時の直前「何時でも何処でも安心をお届けするNHKラジオ。NHKのラジオとテレビの放送は皆さんの受信料で作られています」とコマーシャルを必ず放送している。

あれを聴くと「皆さん」というグループか階層があって、その人たちの出す受信料なる資金で、番組がNHKじゃない場所で制作されているのだ、と聞える。NHKが制作しているのではなく別の会社によって制作「されている」と。

「あなたの払って下さる受信料で私共が番組を作っているのです。ですから受信料は必ず払って下さるよう御願します」とは聞えない。

聞えないコマーシャルは無駄。誰一人これに気が付かないというのだからNHKには人が沢山いるようで、「誰もいない海」なのだ。

日本でも、初め、ラジオの放送が始まった時、それは高価であって、番組は各家庭が家族一緒に茶の間で楽しむものだった。だからNHKも聞いているのが「あなた」ではなく「みなさん」だった。

だが、いまやテレビもラジオも一人ひとりで視聴する時代になっている。パーソナルなものに変化したのである。喫茶店がなくなったと同様、放送は家族団らんの道具ではなくなったのである。

だからNHKの呼びかけは「皆さん」から「あなた」に切り替えなければ時代遅れなのである。NHKは「みなさまの」から「あなたの」NHKにならなければならなくなっているのである。

あるいはNHKの経営陣はNHKを受信していないのかも知れない。少なくともラジオ深夜便の午前4時直前の「コマーシャル」を聞いてないのだろう。

聴かされて高価の全く無い、それよりも逆効果のコマーシャルは明日も流れるだろう。NHKには人はいるが人材はいないからなぁ。
(2010・10・26)

◆本稿は、10月27日(水)刊の「頂門の一針」2077号に
掲載されました。その他の卓見もご覧下さい。購読(無料)は
下記のアドレスから手続き願います。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆<同号 目次>
・何時まで「皆さんの」NHKか:渡部亮次郎
・反政府、反共産党への起爆剤を狙う:宮崎正弘
・悪装も米国の謀略だった:前田正晶
・気になったベタ記事・ミニ記事: 阿比留瑠比
・裏切り者の仙谷由人:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
□■■□ ──────────────────────────□■■□


2010年10月26日

◆鳩山由起夫の脳は特殊

渡部亮次郎

前首相鳩山由起夫の発言を聞いているとバカじゃなかろうかと思うが、それでは失礼だから彼の脳は「特殊」と言うことにしておく。

民主党を今のように苦境に陥れたのは自分なのに「だから俺は党内に残る」という。居なくなってくれなければ困る、と言うのが真相なのに、それが全然判っていない。呆れる。

<鳩山前首相が引退方針を事実上撤回 「党の状況が思わしくない」

民主党の鳩山由紀夫前首相は24日夕(日本時間同日夜)、訪問先のベトナム・ハノイで同行記者団と懇談し、首相退任時に次期衆院選には出馬しないとしてきた自らの去就について「議員を続ける方向に気持ちが傾いてきている。今年中に結論を出す」と述べ、政界引退の方針を事実上、撤回した。

撤回の理由について「民主党の状況が思わしくない。自分なりの役割を投げ出していいのかという、いろいろな声をもらっている」と述べた。>(共同)(産経ニュース 2010.10.24 22:24)

ある社の政治部長経験者は語る。「元首相」としての仕事が予想以上に多く、いい気分にさせられているのではないでしょうか。最高の待遇で世界中に行けますし」。それしか考えられない。

在任中、政治家に不適合であることを散々見せ付けて、日本の国際的地位を低下させた。世界観が無いから、国際情勢が読めない。日米関係、日米安保条約の本質を知らないから、沖縄問題で、日米関係を根本的にこじらせてしまった。

こじらせてしまってから「抑止力」に初めて気づいて天下に恥を晒した。東シナ海に「友情」などを持ち込むから。中国に徹底的に舐められた。そこで尖閣紛争を招き寄せた。

東南アジア各国は固唾を呑んで鳩山政権を注視したが、おおかた「だめだこりゃ」と見放した。

謂うまでも無く、引きずり降ろされるように政権を投げ出したのは喝采だった。だが、引き継いだ菅政権の不人気の大半は鳩山政権に原因がある。

自分なりに民主党の状況が思わしくないと判っているのだから、自分の消えることが民主党のためであり、日本のためであることにどうして脳が働かないのだろうか。

「自分なりの役割を投げ出していいのかという、いろいろな声をもらっている」と言うのは、華やかな「前首相役」を演じていたい為の誤魔化しでしかない。とってつけた「屁理屈」でしかない。

若い頃、政治記者を20年ほど務めたが、こんな、ヘンテコリンな脳を見たことが無い。これは絶対政治家では無い。己の楽しみのために公金を無駄遣いする「ゼニクイムシ」だ。自分を政治家だと思っているのなら、まず政界から自分を駆除しろ。(文中敬称略)
2010・10・25

◆本稿は、10月26日(火)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2076号に
掲載されています。他の著名寄稿者の卓見を拝読してください。

◆<2076号 目次>
・鳩山由起夫の脳は特殊:渡部亮次郎
・町村氏当選の意義:花岡信昭
・先島諸島に県警機動隊配備を:泉 幸男
・突如ガイトナーは中国へ飛び密談:宮崎正弘
・新国際線ターミナルに見る予算の立て方:前田正晶
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年10月24日

◆「喧嘩は済みましたか」

渡部 亮次郎

「喧嘩は済みましたか」と開口一番言ったのはかの毛沢東。田中角栄日
本首相に対してである。角栄氏、ノモンハン事件で陸軍に召集された事
はあったが、中国を訪れたのは初めて。それがいきなり国家主席の開口
一番が「喧嘩」だったから驚いたに違いない。

1972(昭和47)年9月27日、未明のことである。釣魚台の迎賓館で寝てい
るところを起こされての「表敬訪問」、しかも事務方の随員や通訳の同
行は不可。外相大平正芳、官房長官二階堂進の3人だけでの「表敬」。

お気づきのように田中首相は、先立つ自民党総裁選挙に当って「日中国
交即時回復」を訴えてライバル福田赳夫を蹴落として、9月25日、北京入
りを果たし、直ちに首相の周恩来と「国交正常化共同声明」の案文を巡っ
て「喧嘩」を続けてきた。

「喧嘩」が済んだので毛沢東の「引見」が許されたわけだった。しかし
随員も通訳も連れてゆけなかったから、関係者の殆どが死亡した現在、
「証人」は中国人通訳だけである。

私はNHKを代表して田中首相に同行していた記者だったが、毛沢東の「引
見」は知らされず、夜が明けてからいきなり、カラー写真を手交されて
初めて知った次第。

それはともかく毛沢東はじめ中国人は「喧嘩」抜きの和平はあり得ないと
考えていることである。ところが日本人は「和をもって貴しとなす」と
ばかり「隣国」との関係は常に平和でなければならないと考え勝ちであ
る。

民主党政権では菅首相も仙谷官房長官も「平和状態」をいつも望む余り、
中国への「刺激」を悉く避け、結局「事なかれ主義」に陥ってしまって
いる。中国に嫌がられながら「尊敬」されているのはただ一人前原外相
のみである。

中国人は利権が好きだ。だが利権を求めて中国訪問をする政治家を最も
軽蔑するのも中国人である。

日中正常化交渉の時、日本側の条約局長はとうとうと原則論を展開して
周恩来首相を怒らせた。しかし周は陰では「わが方にもあれぐらい骨の
ある奴がいたらなあ」と局長を褒めちぎった。

詰まり中国人は、なびいたり媚びたりする相手は軽蔑したり舐めたりす
るが心の底では徹底的にバカにする。船長を即時釈放しろといったらす
ぐ釈放した菅首相、仙谷官房長官は、表面的には歓迎されているが、心
底では「骨の無い奴らだ」と軽蔑されているのである。

<【北京=大木聖馬】中国外務省の胡正躍・外務次官補は21日、記者会
見で、前原外相の日中関係に関する一連の発言について、「なぜこんな
に(ブリュッセルでの首脳会談で合意した関係改善を)刺激するのか。
(前原外相の発言は)深く考慮するに値する」と述べ、今月末のハノイ
での日中首脳会談の調整に影響を及ぼしていることを示唆した。

胡次官補は、ハノイでの首脳会談開催について、「ふさわしい条件と雰
囲気が必要」とした上で、前原外相が 16日に「(首脳会談開催の)ボー
ルは向こう(中国)にある。開催時期は焦らなくてもいい」と発言した
ことについて、

「中日関係の改善には共に努力しなければならない。なぜ焦らなくてよ
いのか。なぜ中国にボールがあるのか」と批判。「こんなにも絶えず、
両国関係を傷つけ、弱め、破壊することに耐えられない」と非難した。
(読売)>

これに驚いて菅や仙谷らが前原を抑えさせようと言うのが中国側の狙い
だが、実際に前原外相を抑えたり、前原自身が萎縮したりすれば心の底
から「くだらない政治家」とバカにされるだろう。

以上は多少の取材経験と、軍隊時代、中国戦線で経験の深かった故園田
直(外相3期)の遺言的警告である。

「尖閣問題棚上げ」を提案してきた中国は、これで日本を油断させ、そ
のうちに実効支配体制を完成し、どうしても尖閣は勿論沖縄も奪取する
ハラである。菅や仙谷は余りにも中国人を知らなすぎる。

特に仙谷は日本的法体系で中国人を考えることを直ちにやめなくてはな
らない。2010・1022

◆本稿は、10月24日(日)刊の「頂門の一針」2074号に
掲載されました。下記アドレスから手続き(無料)して、
他の著名寄稿者の卓見をご覧下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
◆<2074号 目次>
・「喧嘩は済みましたか」:渡部亮次郎
・誰も助けてはくれん:山堂コラム 341
・「ビデオは倉庫に眠るものさ」:阿比留瑠比
・注目せよ、尖閣に隠れるガス田問題:櫻井よしこ
・習近平の背後には利権巣窟特権階級:宮崎正弘
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記


--

2010年10月22日

◆墜ちる人工衛星

渡部 亮次郎

1977年11月、NHK国際局(当時)副部長から福田赳夫内閣の外務大臣(園田直=そのだ すなお)の秘書官に発令された。NHKとは体質が合わないと思っていたので、喜んで応じた。

翌年1月に初外遊に同行、モスクワに向かった。まだ健在だった「ソ連」との外相定期協議に出席したもの。

そこから帰国。あさってからは中東各国歴訪に出発だと覚悟を決めて羽田空港に着陸した途端、有田外務事務次官が飛び込んできたから驚いた。「ソ連の人工衛星が墜落して来る」との報告。

人工衛星の墜落は現在では珍しいことではなくなったらしいが、その時は初めてのことだったので驚いたわけだ。

「それでどうしますか)と大臣。

有田さんは落ち着いたもの。「まだ墜落予想地点が分かりませんから、地点が確定するまで“極秘"にいたします」で終わり。マスコミといえども○○○桟敷。発表はそれから1週間後ぐらいだった。

結局、カナダ国内の山地に墜落が確定したからだった。その時はイラン、アラブ首長国連邦、サウディアラビアなど石油産油国を回っていたので記憶がはっきりしない。

いずれにしても外務省が握る外交機密は、政府が発表しないかぎり国民は知らない、ということなのだ。官房長官のオフレコ懇談などで洩れる事はあるが、それ以外に洩れることは殆ど無い。

そういう観点からすると毎日新聞政治部記者(当時)西山太吉氏によって引起された、沖縄返還に絡む「外務省機密漏洩事件」は特殊な例だった。女性事務官が絡んだものだったからである。

<佐藤栄作内閣下、米リチャード・ニクソン政権との沖縄返還協定に際し、公式発表では米国が支払うことになっていた地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払うという密約をしているとの情報をつかみ、毎日新聞社政治部の西山が社会党議員に漏洩した。

政府は密約を否定し、逆に、東京地検特捜部が、起訴状において、西山が情報目当てに既婚の事務官に近づき酒を飲ませた上で性交渉を結んだと述べ、情報源の外務省女性事務官を国家公務員法(機密漏洩の罪)、西山を国家公務員法(教唆の罪)で逮捕した。

これにより、報道の自由を盾に取材活動の正当性を主張していた毎日新聞はかえって世論から一斉に倫理的非難を浴びることになった。

西山が逮捕され、社会的に注目されるなか、密約自体の追求は完全に色褪せてしまった。また、取材で得た情報をニュースソースを秘匿しないまま国会議員に流し公開し、情報提供者の逮捕を招いたこともジャーナリズムの上で問題となった。

この事件の後、西山の所属した毎日新聞社は、本事件での西山のセックススキャンダル報道を理由とした不買運動により発行部数が減少し、全国紙の販売競争から脱落。また、オイルショックによる広告収入減等もあり、1977年に一度倒産した。

以後、大手メディアの政治部が国家機密に関わる事項についてスクープするということがなくなった(リクルート事件をスクープしたのは政治部ではなく社会部)。

裁判においては、検察側は国家機関による秘密の決定と保持は行政府の権利及び義務であると前提付けた上で、報道の自由には制約があると主張し、国家公務員法の守秘義務は非公務員にも適用されると主張した。

また、報道の自由がいかなる取材方法であっても無制限に認められるかが争われたが、前掲の理由により最終的に西山に懲役4月執行猶予1年、女性事務官に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。

なお、一審判決後、西山は毎日新聞を退社し、郷里で家業を継いだ。

2005年4月 、西山が「国家による情報隠蔽・操作が容易にできることを裁判を通じて国民の前に明らかにする」として国家賠償請求を東京地裁に提訴。

2010年4月9日 。密約訴訟判決。東京地裁(杉原則彦裁判長)は「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は不誠実と言わざるを得ない」として外務省の非開示処分を取り消し、文書開示(本当に存在しないなら“いつ” “誰の指示で” “どの様に”処分されたのかも)と原告一人当たり10万円の損害賠償を国に命令。

西山は文京区民センターでの講演『知る権利は守られたか』でこの判決を「歴史に残る判決」と評価し、「われわれが裁判を起こして今回の判決を導き出していなければ、外務省の外部有識者委員会による報告書が密約問題に関する唯一の解明文書となり、国民の知る権利は封殺されていただろう」と述べた。

なお、行政訴訟では一審で勝訴したものの事件には関係ないため自身の有罪判決は変わらないが再審請求は「全く考えていません」>
< >内は「ウィキペディア」 2010・10・19

◆本稿は、10月22日(金)刊の全国「頂門の一針」2073号に
掲載されています。著名寄稿者の卓見を下記アドレスから手続き
して拝読下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

◆<2073号 目次>
・墜ちる人工衛星:渡部亮次郎
・尖閣「領有権」の棚上げを中国が打診:宮崎正弘
・中国の「世論戦争」に備えよう:古森義久
・開き直りふんぞり返る仙谷氏に贈る言葉:阿比留瑠比
・入れ墨者の入浴お断り:馬場伯明
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
□■■□ ──────────────────────────□■■□

2010年10月21日

◆取られた金箔ライター

渡部亮次郎(元NHK政治記者 元外相・厚相秘書官)
「中国の人たちはチップとしての金品は絶対受け取りませんからくれぐれも注意してください)と日本外務省報道課の担当官からの注意。

だが、北京に着いたら某社の記者がバスの運転手に金メッキのライターを見せた。運転手、きょろきょろ、辺りを見回した後、すばやくポケットに入れた。冗談だった、あんたを試したんだよ、返してくれ、とはいえない。数万円の損害だった。1972年9月末、田中訪中同行記者団の失敗談である。

あれが「日中友好」の始まりであり、我々が徹底的な内政干渉を受けることになる「屈辱」の始まりであった。

当時、私は36歳。所謂「角福戦争」で福田赳夫陣営の取材を担当した後、総理官邸入りした角栄番として官邸記者クラブに所属替えになった。妙な人事だった。

角福戦争は、今では莫大な金銭の絡んだ自民党総裁選挙として記録されているが、本質的には共産中国との国交の是非を問う争いで、同時に立候補した三木武夫、大平正芳氏と中曽根康弘は国交再開促進で角栄と協定していた。だから田中は勝利した途端、北京行きの準備にとりかかった。

 私は積極派に組みしたくない心境だったが、NHKの官邸サブキャップであってみれば、当然の如く総理同行となった。しかも記者団機ではなく、テレビ代表に資格で総理機への同乗を許可された。

 かくて九月二十五日、北京に着いたところで起きたのがライター事件。「こりゃ建前と本音は違うぞ」との認識は芽生えたものの、彼らを統率する共産党が自ら「友好」を掲げながら、これ程嘘を言い、これ程内政干渉をしてくるとは思わなかった。

上海空港まで見送りにきた周恩来総理が「天皇に宜しく」とまで田中に言ったのだもの、単純な日本人は「日中友好」に酔ってしまったのがいけなかった。

六年後、今度は外務大臣秘書官に発令されて日中平和友好条約の締結交渉に当った。今から考えれば、毛沢東の死後、権力奪回に成功したケ小平は、早くから経済の改革開放を構想し、そのためには日本の資金と技術に依存する以外に途は無いと覚悟していた。

日本は急ぐことは無かったのだ。それなのに条約の締結がソ連(当時)の妨害工作で遷延していたものだから、福田総理が助平心を起こして早期締結に走る外相園田を敢えて止めなかった。すべては後の祭りだが、園田こそは「黒衣」を早くに放ってケ周辺の動きを掌握していたのだから、情報を独占せず、格別慎重に対処すべきだった。

但し、日中平和友好条約の締結は、日中国交回復のための日中共同宣言で田中首相が確約したもので、福田内閣は、それを引き継いだもの。田中内閣が倒れた後を引き継いだ三木内閣では、外務大臣宮澤喜一の努力空しく締結できなかった。

なんとなく政界では「日中平和友好条約の締結」が至上命題の雰囲気だった。例によって新聞、テレビがそれを煽っていたことも手伝った。

そこへ登場した園田外務大臣は、内閣改造に当って福田首相により官房長官を更迭されての横滑りだった。福田の親分筋たる岸元首相が自らの女婿である安倍晋太郎を官房長官に据えろ途の強引な要求をもだし難かった。

しかし、園田こそは福田政権成立の功労者。怒らせてはいけない。福田としては窮余の一策で、外交では素人であるはずの園田に外相という「破格」のポストを与えて「慰留」した心算だった。

ところが園田は外交については「素人」ではなかった。鳩山一郎内閣で重光外相の下で政務次官を勤めたことがあった。外務省の新庁舎建設の推進を殆ど大臣を煩わせずに完成した。人脈も残っていた。それなりに自負は持っていた。

その最大のものは復活したトウ小平に関する個人情報だった。外務省の出先たる在北京大使館はこの情報を全く得ていなかった。それを園田は旧知のリョウ・ショウシ周辺から得ていた。

中国側に大変化あり。条約締結を中国側が急いでいる。それを知っていたのはあの時点では園田だけだった。だから東京のマスメディアは的外れに「外相突出」と揶揄したのである。こうした事はいずれ詳しく書き残したい。

(文中敬称略)2010・10・20

2010年10月19日

◆日本にもあった徴兵制

渡部 亮次郎

夜のプラットホーム 作詩 奥野椰子夫 作曲 服部良一
昭和22年 
1 星はままたき 夜ふかく
  なりわたる なりわたる
  プラットホームの 別れのベルよ
  さよなら さようなら
  君いつ帰る

2 ひとはちりはて ただひとり
  いつまでも いつまでも
  柱に寄りそい たたずむわたし
  さよなら さようなら
  君いつ帰る

3 窓に残した あのことば
  泣かないで 泣かないで
  瞼にやきつく さみしい笑顔
  さよなら さようなら
  君いつ帰る

これが徴兵制度の実態である。歌は戦時中に作られた。新婚の夫は帰還しないかも知れない。東京・新橋駅の柱の陰で泣き崩れる新妻を見て新聞記者奥野椰子夫が詩を綴った。当然発売禁止になった。

仕方なし、戦後の昭和22年に二葉あき子の歌でヒットした。戦後になってみると、出かける夫は「旅」に行く風情。だが本当の意味は「死出の旅」だったのだ。それを考えると私はこの歌を歌えない。

日本では1873(明治6年)年に国民皆兵を目指す徴兵令が出され、のち兵役法となった。大日本帝国憲法では兵役の義務が盛り込まれた。当初は、免役率が80%と高く、肉体的に頑強な男性の中から、籤引きでごく僅かのみ徴兵されていた。

しかし、不公平感から全国で徴兵反対運動が起こり、そのため徴兵制度は大改正され1889(明治22)年には法制度上、男性に対して国民皆兵が義務付けられた。

実際に徴兵される男性が増加して行き、大東亞戦争末期には、700万人以上も根こそぎ徴兵された。敗れた1945(昭和20)年に廃止された。

日本の徴兵制度は戸籍制度を前提にしており、明治6年1月10日法では「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていた。

だから渡部家では日露戦争(明治37ー38)に次男の慶蔵が応召した。

戸籍法の適用を受ける日本国民の男性は、満20歳(1943年からは19歳)の時に受ける徴兵検査によって身体能力別に甲-乙-丙-丁-戊の5種類に分けられた。

甲が最も健康に優れ体格が標準である甲種合格とされ、ついで乙種合格、丙種合格の順である。丁は徴兵に不適格な身体である場合、戊は病気療養中に付き翌年に再検査という意味である。

大東亜戦争(1941―45年)では、甲から順次徴兵されて行った。当初、一番体格が標準的である甲種の国民が抽選で選ばれた場合に「現役兵」として徴兵されるにとどまっていた。

具体的にはおおよそ10人に1人から4人に1人程度であり、これらの兵士が正規の訓練を受け、終えた兵であった。

しかし、戦局が激化するにつれ、現役兵としての期間を終えた後の予備役・後備役にあった(元の生活に戻っていた)元兵士の国民も召集令状によって召集された(徴兵は増え、大戦末期の昭和20年には徴集率は9割を超えた)。

この召集令状(召集時に来る命令書)は用紙の色が赤いので(実際はピンク)、「赤紙」と広く国民に呼ばれた。

通常、現役での徴兵を「徴集」、予備役・後備役での徴兵を「召集」と呼んで区別していた(混乱期には区別せずに「徴集」を用いることもあった)。

この召集制度が悪用された例として竹槍事件がある。真珠湾攻撃による日米開戦時の首相であった東条英機は、戦争遂行の為に「東条幕府」と揶揄される程の独裁的政治を行った事で様々な問題や軋轢を生んでいた。

また、軍務や政務に私情を持ち込む傾向があり、反対意見に耳を塞いだのみならず、個人的に嫌いな人物や敵対者を懲罰召集して激戦地に送る仕打ちをした。

東条が出した『非常時宣言』の中の「本土決戦」によると、「一億玉砕」の覚悟を国民に訴え、銃後の婦女子に対しても死を決する精神的土壌を育む意味で竹槍訓練を実施した。

そうした中、1944年2月23日の毎日新聞朝刊に『竹槍では勝てない、飛行機だ』と新名丈夫記者(当時37歳)が執筆した記事が掲載された。

新名の記事は「海空軍力を速やかに増強し洋上で戦え」という意味の記事で、陸軍の本土決戦構想に反対する海軍の指導によって書かれた。

この記事に対し、東条は自分に批判的な記事を書いた新名を二等兵として召集し、激戦地となることが予想される硫黄島へ送ろうとした。

これに対し、新名が黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であったことから、海軍が召集に抗議した。そのため、新名は海軍の庇護により連隊内で特別待遇を受けて3ヵ月で召集解除になった。

その後、東条の意志で陸軍が新名を再召集しようとしたが、海軍が先に徴用令を出し新名を救った。

召集令状が届けられた人は「出征兵士を送る歌」などが流れる中、家族・地区(隣組など)を挙げて送り出された。

さらに、大東亜戦争末期になると、兵力不足が顕著になり、文科系学生への徴兵(学徒出陣)や熟練工、植民地人の徴兵が行われた。

戦後は陸海軍省の解体にともない軍そのものは消滅し、徴兵制度の根拠となる兵役法は昭和20年11月17日に廃止された。

その後警察予備隊(後の自衛隊)が発足したものの、憲法9条などに見られる国民の軍隊アレルギーから徴兵制は見送られ、志願制が採用された。

現在の自衛隊は完全志願兵制を採用している。 一部の保守系の政治家の中に徴兵制復活の意見も存在しないわけではない。

だが、仮にそれを政策として実行しようとした場合、世論の批判や選挙への影響が懸念されるという政治的なリスクもあり、政治家の個人的見解として述べられることはあっても、実際の政策課題として国会などで議論されることはない。

なお、戦時中でも徴兵拒否者はいたとされ、俳優の伴淳三郎は召集令状は受け取っていたのだが、徴兵検査にはきれいに化粧、女装をして出かけていき、その格好を見た検査官が激怒、検査場から追い出され、検査直前に醤油を大量に(一升瓶1本分)飲み、「肝臓病」を装って徴兵を逃れている(一時的に同一症状が出せる)。

他にも灯台社の明石順三による徴兵拒否が有名。
出典:「ウィキペディア」2008・05・05

◆本稿は、10月19日(火)刊の「頂門の一針」2070号に
掲載されました。著名寄稿者の卓見も拝読下さい!

◆<2070号目次>
・日本にもあった徴兵制:渡部亮次郎
・脱仙谷カードを切る必要が:古澤 襄
・畏友、「柳腰さん」との対話:阿比留瑠比
・「反日」に名を借りた反政府暴動:宮崎正弘
・対中国抗議デモ報道規制のあきれた末路:泉 幸男
・還暦ヂイヂの憂鬱:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
◆拝読の方は、下記のホームページで手続きして下さい。(購読無料)
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2010年10月18日

◆収監される鈴木宗男氏

渡部 亮次郎

<鈴木議員の実刑確定へ=無罪主張の上告棄却―受託収賄など4事件・最高裁>時事通信 9月8日(水)13時47分配信

鈴木氏と私は鈴木善幸内閣で大臣秘書官仲間だった。私は外務大臣秘書官を3年もやった中で政治家がつくづく嫌いになって政界から逃れたが、鈴木氏は中川一郎農林大臣秘書官から政界入りを目指し、様々な波風を立てた末に衆院議員になった。

田中角栄氏の下に草鞋を脱ぎ、政治資金の収集ではいつも強引な手法が噂されたものだ。私より12歳も年下だが、その度胸たるや大したものと感心する場面が多かった。

私は政治家になる為の秘書官ではなかったが、鈴木氏ははじめから決意していたらしく。中川氏の制止を振り切って政界入りした。しかし、肩書きをもがれ、なおかつ収監される将来までは見通せなかっただろう。

<受託収賄、あっせん収賄など4つの罪に問われた衆院議員鈴木宗男被告(62)の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は7日付で、被告側上告を棄却する決定をした。懲役2年、追徴金1100万円の実刑とした一、二審判決が確定する。

鈴木被告は確定後、収監される。公選法などの規定により、確定すれば失職し、懲役刑の執行後5年間は立候補できなくなる。

鈴木被告は、政治資金規正法違反罪と議院証言法違反罪を含め、一貫して全面無罪を主張していた。

2004年の一審東京地裁判決は、すべての事件を有罪と認定した上で、「高度の廉潔性を求められる要職にありながら国民の信頼を裏切った」と非難。「反省は皆無で、虚偽の陳述をしてはばからない被告に刑を猶予するのは相当ではない」として、実刑を言い渡した。

二審東京高裁も08年、「行政に不当な影響を及ぼし、社会の信頼を害した」として、一審を支持していた。鈴木被告をめぐる一連の事件では、佐藤優外務省元主任分析官(50)ら12人が起訴され、鈴木被告を除く11人の有罪が確定している。

判決によると、鈴木被告は北海道開発庁長官、官房副長官だった1997〜98年、林野庁への口利きの見返りなどとして、2社から1100万円のわいろを受領するなどした。>(時事)

<1997年9月に北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官として初入閣。1998年6月には現職閣僚として初めて国後、択捉両島を訪問した。

2002年2月4日、NGO出席問題を巡って田中真紀子外務大臣と対立する形で衆議院議院運営委員長を辞任。2月13日、国後島の「日本人とロシア人の友好の家」(いわゆるムネオハウス)の建設をめぐる疑惑を発端として数々の疑惑が浮上。

2月20日に参考人招致、3月11日に証人喚問を受けたが明白な答弁は避けた。一切の疑惑に対して曖昧な釈明に終始したことより、社民党の辻元清美議員から「もう、ど忘れ禁止法を適用したい」「あなたはねぇ、疑惑のデパート言われてますけど疑惑の総合商社なんですよ!」と批判を受けた。

3月15日、自民党を離党。6月19日、やまりん事件であっせん収賄容疑で衆議院本会議で逮捕許諾決議が可決されて逮捕される。6月21日、衆議院本会議で議員辞職勧告決議が可決された。

7月20日に斡旋収賄罪で起訴。証人喚問において島田建設事件とモザンビーク事件に絡んだ証言が偽証として9月13日に議院証言法違反で起訴。政治資金規正法違反の罪でも起訴された。

2003年9月、衆議院選挙の直前に保釈。その後衆議院本会議に出席。議員辞職勧告決議がされた国会議員が決議を無視して登院したのは初めてのことであった。

2003年10月、胃癌を手術。 2004年の参議院選挙に北海道選挙区で無所属で出馬するも落選(得票数48万5382票)。2004年11月5日東京地方裁判所での第1審で懲役2年、追徴金1,100万円の実刑判決が下された。

2008年2月26日に東京高等裁判所においても、控訴棄却となり、即日最高裁判所に対し上告した。

2005年8月18日、松山千春とともに新党大地を結成し代表に就任。9月の第44回衆議院議員総選挙に北海道ブロックでの比例1位候補として立候補して当選、衆議院議員復帰を果たした。>
(「ウィキペディア」)2010・9・8

◆本稿は、10月18日(月)刊全国版メルマガ「頂門の一針」2069号に掲載されています。

◆<目次>
・収監される鈴木宗男氏:渡部亮次郎
・資料が語る「尖閣は固有の領土」:平松茂雄
・中国国家ファンドの脅威:古森義久
・中国依存というリスク:平井修一
・海外勤務が敬遠される:前田正晶
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆「頂門の一針」の購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

2010年10月16日

◆規制されている中国報道

渡部 亮次郎

(再掲)中国に関する報道、特に中国特派員の報道について私のメメールマガジンにも苦情が寄せられる。政治問題を取り上げないとか、情報が遅いなどと言ったことである。

しかし、結論を言えば、中国とは共産党政権であって、基本的には報道の自由の無い国であることを忘れての「苦情」が多い。しかも1974(昭和49)年1月5日に交わされた「日中常駐記者交換に関する覚書」(日中常駐記者交換覚書)に「拘束」されていることを一般の人は知らない。

この覚書をたてにこれまで何人もの特派員が強制退去を命じられている。1968(昭和43)年6月には日本経済新聞の鮫島敬治記者がスパイ容疑で逮捕され、1年半に亘って拘留された(鮫島事件)。

1980年代には共同通信社の北京特派員であった辺見秀逸記者が、中国共産党の機密文書をスクープし、その後処分を受けた。

1990年代には読売新聞社の北京特派員記者が、「1996年以降、中国の国家秘密を違法に報道した」などとして、当局から国外退去処分を通告された例がある。

このように、「中国共産党に都合の悪い記事」を書くことは、事実上不可能となっている。読売新聞社は、「記者の行動は通常の取材活動の範囲内だったと確信している」としている。

こうして追放されたり、睨まれた記者には中国は2度と入国ビザを発給しない。つまり「中国語」を売り物に入社したこの記者は、中国に睨まれたことが致命傷となって社内でも失業状態に追い込まれる。こんな危険を冒す者は変わり者以外に無い。

しかしこの覚書は日本側のいわばフライングが招いた「身から出た錆」なのである。国交正常化以前に中国特派員送り込み競争を演じる日本マスコミ界の足元を見た中国が、取材制限のハードルを高くした。それなのにマスコミ各社はそれを唯々諾々と呑んだのだ。

<紆余曲折を経て、1962(昭和37)年には、日本と中華人民共和国との間で「日中総合貿易に関する覚書」が交わされ、経済交流(いわゆるLT貿易)が行われるようになった。

1964(昭和39)年9月には、このLT貿易の枠組みの中で記者交換協定が結ばれ、読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞・日本経済新聞・西日本新聞・共同通信・日本放送協会(NHK)・TBS(現:TBSテレビ、当時の東京放送)の9つの日本の報道機関が、北京に記者を常駐できることとなった>。「ウィキペディア」)

ところが、この協定には重大な「毒」が入っていた。

 (1)日本政府は中国を敵視してはならないこと。

 (2)米国追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しないこと。

 (3)中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げないこと。

中華人民共和国政府の外務省報道局は、各社の報道内容をチェックして、「政治三原則」に牴触すると判断した場合には抗議を行い、さらには記者追放の処置もとった。

記者交換協定の改定に先立つ1967(昭和42)年には、毎日新聞・産経新聞・西日本新聞の3社の記者が追放され、読売新聞と東京放送の記者は常駐資格を取り消されている。

この「協定」から現行の「覚書」まで約束の細かいところ、たとえば滞在記者の人数などはこれまで何回も改訂されているが、三項目は絶対条件になっている。

その後、外務大臣秘書官となった私は、それ以前は政治記者だったこともあって協定に格別な関心を持って中国側に対応したが、中国は基本的にマスコミを「敵」とみなしており、外国人記者は反革命分子としか認めておらず、取材の自由を与える事は国家的な危険を冒すことだと考えている。

余談だが、1972(昭和47)年9月、日中国交正常化交渉の為、日本の総理大臣として始めた北京を訪問した田中角栄首相。私も記者として同行したが、中国は日本人記者団を近距離記者と遠距離記者に分断。カメラマンは望遠レンズの使用を禁止された。中に銃を隠せるからが理由だった。

こうした中国の態度に日本のマスコミ各社は手を焼いているが、だからと言って妙手があるわけじゃなく、泣き寝入りが現状だ。中国報道が中途半端だったり、隔靴掻痒の感がする理由の一端を紹介した。マスコミはいちいち、こんな説明をしないだけ。

中国の裏情報に接する方法としては「大紀元」があるが、例えばこれを新聞社が転載しても何らかの報復措置を覚悟しなければならない。宮崎正弘さんのように、観光客として訪問した見聞とか、英字紙から中国情報を拾い出すのが安全といえるだろう。2010・6・30

◆本稿は10月16日(土)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2067号に
掲載されています。他の特筆卓見もご拝読下さい!

◆<目次>
・規制されている中国報道:渡部亮次郎
・尖閣事件は日本国への重大なテストだった:古森義久
・仙谷氏が産経新聞に果たし状:古澤 襄
・レアアース問題 困るのは中国だ:宮崎正弘
・中国は恐くない、日本は資源大国だ:櫻井よしこ
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆「頂門の一針」購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
 


2010年10月12日

◆民族力の低下

渡部亮次郎

<いまどきの政治家の資質が気になっていたところに、驚きいったことが起きていた。蓮舫行政刷新担当相が、国会内で「議員活動のため」という偽りの許可条件で、8月中旬にファッション雑誌のために撮影に応じていたというのだ。

西岡武夫参院議長から不適切のお小言をいただいたのは当然だが、その後の記者会見での言訳がすこぶる振るっている。「撮影場所が不適切であるとか懸念を抱かせてしまったとしたら率直におわび申し上げる」、

「国会議員はさまざまな手段で情報を発信しているが、その一つの手段として雑誌の取材に応えることは大切だ」、「(参院議長から7日に口頭で注意されたことは)個人的な立場で、心配をされているという先輩議員としてのアドバイスをいただいた」というものだ。

何処がどうだと言うまでもなく、まさに女々しくタチのよくない言い訳である。政治家になって6年、はやくもメディアのちやほやと選挙の大量得票の所為か性根の腐りぶりはなかなか堂に入っている。

そこにもう一人同類がいた。自民党の片山さつき参議院議員である。片山議員は8日の代表質問で蓮舫行政刷新担当相の国会内のファッション雑誌撮影問題を取り上げて非難したが、なんと自分自身も3年前に同じ過誤を犯していたというのだ。まさに眼くそ鼻くその話である。

そして記者団に追及されて「自分は大臣じゃなかった。」「あんな高い服じゃなかった。」と言訳にならない言訳で逃げを打とうとしたという。遣ることも言訳もともにお粗末そのものの同類である。

両名に、それぞれ所属党派の党首、幹事長からの注意措置が執られた話はない。蓮舫行政刷新担当相の場合は閣僚でもある。議会内での職務に無関係な雑誌写真の撮影は些事に見えるかもしれないが、物事のケジメに反する。

政治は物事のケジメから始まる。物事のケジメがまるで判らない議員には物事のケジメが付けられない党首脳が似合いかもしれないが、このような手合いが日本を迷走させ破綻させようとしているというのは大袈裟な話でない。>(品川 阿生居士)


<蓮舫さんのヴォーグの雑誌はごらんになりましたか。
http://www.vogue.co.jp/fashion/news/2010-09/24/renhou

そこにリンクのあるブログもごらんになるといいと思います。
蓮舫さんが写っている背景にあるのは、国会議員さえも使わない中央階段、その先には天皇や皇族の御休所ですよね。ちょっとこれはまずいんじゃないかと、ロケハンの段階、当日の撮影で本人を含めどなたか思わなかったんでしょうか。

日本には批判されるほどたくさんの国会議員がいて、国会内で撮られたと思われる写真が日々ブログにアップされていたりしますが、こんな構図をアップする人を見たことがないです。みんな遠慮するものなのかなと理解しています。

蓮舫さんといえば、北京留学時に、教授と「台湾は国だ」という議論をして、そのことを教授にわからせたなどという自慢話をネットに紹介していたと思うんですが、ネットからは今は姿が消されていますね。>(T・M)

菅直人は一度として秩序ある組織を経験しておらず、組織の長になることは言うに及ばず、総理大臣とは如何なる責務を負うかも解っていない。

先ずは彼は如何に責められようと詰問されようと、小澤一郎の処分は「ご自身でお考えになること」であり、「国会で審議されるべきこと」しか、仏頂面で言うことしかできない国家と与党のリーダーである。岡田を幹事長にしたのはその仕事を担当させるためだという評論家の解説には迫力がある。

<菅は会社に喩えれば社長でありCEOである。それが元は上司であった部下(小沢)の不始末、それも起訴までされる性質である、をどう処分するかも判断出来ず、差詰め人事部にお任せしようという程度の器である。無責任以下の対応ではないか。>(前田正晶)

<時津風親方、NHK記者からのメール受信認める
NHKの記者が警視庁の捜査情報を漏らしていた問題で、この記者から捜査情報に関するメールを受け取ったとされる時津風親方(36)=元幕内時津海=は9日午前、東京都墨田区内で報道関係者の取材に応じ、メールを受け取ったことを認めた。

ただ、「返信はしていないし、何もしていない」と、メールでの情報をもとに警視庁の家宅捜索に備え、証拠になりそうな物を隠すなどの行為はしなかったと述べた。

親方によると、NHK記者からのメール受信に気づいたのは、警視庁が賭博問題で関係先を捜索した当日の7月7日朝。ただし、返信などはせず、弟子たちの指導にあたるため、そのまま部屋のけいこ場に入ったという。

親方は、メール受信に気づいた時のことについて「特に何も考えなかった」と説明。「(日本相撲協会からは)まだ何も言われていないが、聞かれたらきちんと説明する」と話した。>
(Asahi Com 2010年10月9日11時56分)

<証拠改ざん>「皆に認められたかった」前田検事が動機供述

郵便不正事件に絡む証拠隠滅容疑で逮捕された大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦容疑者(43)が、動機について「皆に認めてもらいたかった」という趣旨の供述をしていることが分かった。

最高検は、検察内部で証拠の矛盾を指摘されて自身の評価が下がることを恐れた前田検事が事件の構図に合わない証拠品のデータを改ざんしたとみている模様だ。

前田検事は、証拠品のフロッピーディスク(FD)内に記録された偽証明書のデータの最終更新日時を「04年6月1日」から検察側の構図に合う「04年6月8日」に改ざんした疑いで逮捕された。

関係者によると、前田検事が官僚絡みの事件で主任を務めたのは初めてだったといい、調べに対し「主任検事として事件をまとめなければならないプレッシャーを感じていた」という趣旨の説明もしているという。

事件の動機についてはこれまで「不利な証拠を消したかった」と供述していたことが判明。改ざんしたFDを「手元に置いておきたくなかった」として、所有者の厚生労働省元係長、上村勉被告(41)側に返却し「検察に有利な証拠を被告側が申請するとは思わなかった」と述べていることが分かっていた。

最高検は前田検事が改ざんしたFDを公判で証拠として利用しようとした可能性は低いと判断している模様だ。>
毎日新聞 10月9日(土)2時33分配信

いずれも私のメルマガ「頂門の一針」2010年10月10日号に掲載した記事である。たった1日でこれほどの「お粗末」が朝野で繰り広げられているのである。

蓮舫の言動が一番悲惨である。国会議事堂を訪問された天皇陛下のお休みの間近くでファッション雑誌に載せる自分の写真を撮らせるなどと言う事は、国民の一人の行為としても許されることではないぐらい分からないのだろうか。帰化を許可すべきではなかった。
本当の大和民族ではないから、似たようなことをまたやるだろう。

主任検事、前田恒彦容疑者(43)が、動機について「皆に認めてもらいたかった」という趣旨の供述をしていることが分かったというのも情けない話だ。これじゃ並みのサラリーマンと変わるところがない。

出世のために証拠物件を改竄することが如何に重大な罪かを判っていない。大学や司法試験でもカンニングを盛んにやっていたのではないか。検事以前に、人間として落第だ。せめて今のうちにバレて良かった。それにしても他にもおかしなのが法律の世界には居るんじゃないかと思わせたのは功績?。

国民を守ることをせず、中国に阿る総理大臣。ネタを犯人?のもらす記者。いずれも昭和生まれ、それも敗戦後、日教組教育に染められた年代の男女である。

飛躍するように感じるかもしれないが、これは1945年8月15日の敗戦とともにやってきたアメリカからの占領軍が目指した大和民族腰抜け政策の完了を意味するのだ。大和民族の「民族力」が低下したのだ。元へ戻すには何百年も掛かるだろう。2010・10・9


2010年10月09日

◆「尖閣」から遁走の売国政権

渡部亮次郎

<尖閣ビデオは非公開、「日中」再悪化を懸念

政府・与党は7日、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の様子を海上保安庁が撮影したビデオについて、公開に応じない方針を固めた。

公開すれば日中両国で相互批判が再燃し、4日の日中首脳会談を機に改善の兆しが出てきた日中関係が再び悪化しかねないとの判断からだ。

国会がビデオ提出を求める議決をした場合などは、予算委員会など関連委員会の「秘密会」への提出とし、限定的な開示にとどめたい考えだ。

衆院予算委員会は7日開いた理事懇談会に法務省の小川敏夫法務副大臣らを呼び、ビデオの扱いについて協議した。法務省側は「中国人船長を起訴するか否かの結論が出ていない段階で、捜査資料を出したケースは今までない」と説明し、現時点での国会提出に難色を示した。与党側も慎重な姿勢を示した。>
読売新聞 10月8日(金)5時14分配信

この答弁からして反日だ。あわてて釈放した船長を起訴する自信もハラも無いくせに「起訴するか否かの結論が出ていない段階で、捜査資料を出したケースは今までない」とは誤魔化しもいい加減にしろ、だ。

今度の尖閣問題について菅首相には国家的見地にたった戦略がまるでない。背負っているのが日本という国家の運命であり、その誇りであるという責任感がまるでない。

7日、偶然、取材できたところによると、最初、菅首相の訪米中、仙谷官房長官は、困り抜いた挙句、民間人の手づるで元中国政府高官に接触。

そのルートで、ASEM会場での「偶然」の温首相との会談設営に成功した。これが「改善の兆し」なんだそうだ。

その結果、菅首相と仙谷官房長官は「これ以上もめさせない」で一致。問題のヴィデオの非公開の方針を決めたしまった。言うなれば「尖閣」を手放す結果を招くかも知れないが、菅政権維持のためには、日中関係を穏便に保つこと、止む無しと決めたのである。

これは明らかな「売国行為」である。或いは「偶然」会談をセットした「根回し」の際、ここまで約束させられた疑いも濃厚だ。「今は書かないで欲しい」というのが、7日取材の中国側の態度だったことからの推測だ。

尖閣諸島が日本固有の領土、東シナ海に領土問題が存在しない事は様々な資料からも歴然たる事実である。たとえばジャーナリストの水間政憲氏が「週刊ポスト」(10月15日号)で明らかにした1960年4月に北京市地図出版社発行の「世界地図集」では尖閣諸島は日本の領土として日本名の「魚釣島」「尖閣群島」と表記されている。

水間氏によれば、その12年後の1972年発行の同じ北京市地図出版社の地図ではいきなり自国領として「釣魚島」「赤尾嶼)とか書き変えてある。

更に驚くべき事に中国は「清」時代の地図の改竄まで行なっているのだ。「目的のためには、どんな手段も正当化してしまうのだ」(水間氏)。

1960年4月に北京市地図出版社発行の「世界地図集」は日本外務省中国課が現在も所蔵しているはず。それなのに、中国と対等に向き合うのが厭だとばかり、遁走した菅首相。さっさと総辞職すべきだ。

私は中国人にされたくない。2010・10・8

◆本稿は、10月9日(土)刊・全国版メルマガ「頂門の一針」2060号に
掲載されました。他の寄稿卓見をご高覧ください。
◆<同号目次>
・「尖閣」から遁走の売国政権:渡部亮次郎
・尖閣衝突は江沢民派・軍閥の謀略の可能性:宮崎正弘
・百年ぶりに入れ代わった日本と中国 韓国紙評:古澤 襄
・オバマ外交の欠陥が指摘された:古森義久
・調理人の過酷な世界:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆「頂門の一針」購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年10月07日

◆気高い「きだかい」

渡部 亮次郎

2007年12月19日NHK正午のニュースでアナウンサーが気高い(けだかい)と読むべきを「きだかい」と読んだと呆れて電話があった。記者の先輩だった人からである。

気高いがなぜ「きだかい」になったのか理由は調べようがない。深夜便に出るようになった男のアナウンサーは股引(ももひき)を「またひき」と読んだことがある。

私がNHK国際局でデスクをしていた時、女子アナウンサーは民社党の春日「はるひ」委員長と読み、内科、外科(がいか)と読んでこっちを仰天させた。

アナウンサーとは難しい商売である。間違って覚えてしまっている言葉もあるかもしれないが、つい咄嗟に口を出てしまう誤りがあっても、聴取者には言い訳が利かない。因果な職業であり、同情する。

しかし政治家の日本語誤用は許されない。額賀福志郎財務大臣(当時)の言語道断を「げんごどうだん」には呆れた。彼は早稲田大学を出て産経新聞の政治部記者だった。角栄番から茨城県議を経るという経歴豊富な教養人であるはずが、様にならない。

論功行賞を「ろんこうぎょうしょう」と連発した大臣がいた。なんとかコンチェルンの一族だったが、どの学校で何を習ったのか、早くに死んだから恥を長く曝さないで済んだと言うべか。

自民党のある国対委員長は「がっぽうてきてだん」をとって野党の議事妨害を排除するという。記者団はみんな首を捻ったが、長老があとで「合法的手段」と助けてくれた。

それ以前には本会議場(全議員が一堂に会する会議)での演説で「ここで水を飲む」とト書(とがき)まで読んでしまった代議士がいたそうだし、追加更正予算を「おいかさらまさよさん」といった代議士もいたそうだ。

以後は学歴も向上したからこうした話題は少なくなったが、額賀氏の「げんごどうだん」は久々の事だったので言語道断の日本語と話題になったわけだった。

しかしわが大臣も旗幟鮮明を「きしょく」鮮明というものだからさぞかし外務省は陰で笑った事だろう。私も注意する勇気はなかった。殺陣(たて)をさつじんとも言った。

こういう話題は探せばいくらでもあるはずだ。しかも今は学歴は高いが勉強は全くせずに社会に出てくる子供が益々多くなっていることだから「きだかい」は序の口かと思う。多分「じょのくち」は分からないだろう。2007・12・21

追記:最近では国連で、菅首相が「疾病(しっぺい)」を「しつびょう」と読んだ。
2010・10・5

◆本稿は10月7日(木)刊の「頂門の一針」2058号に
掲載されています。

◆<同号目次>
・気高い「きだかい」:渡部亮次郎
・国防省創設を:MoMotarou
・中国監視船、尖閣沖を離れる:古澤 襄
・不埒なマスメディアを糾弾する:東郷勇策
・電車内読書と居丈高な女たち:須藤文弘
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

◆「頂門の一針」の「購読(無料)申し込み御希望の方は
 下記のホームページで手続きして下さい。
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2010年10月03日

◆尖閣、海洋権益の確保が狙い

渡部亮次郎

今から30年前、外務省で大臣秘書官だった頃、アメリカ局安保課の事務官だった岡本行夫さんが書いている。(「人界観望楼」10月1日付産経新聞)。

尖閣諸島に攻め込んできた中国の最終的な目的はエネルギーの確保に留まらず、南シナ海、東シナ海、さらには日本の正面の太平洋での海洋権益の確保にある、というのである。

したがって今後、中国は古森義久さん(ワシントン駐在産経記者)が指摘する如く @軍の存在の顕示 A空からの偵察 B潜水艦の巡航 C水上艦艇など中国はまさに多種多様な方法でアジアの海を舞台に日本に対しても領有権紛争、主権紛争を挑んでいるのである。

菅認知症内閣は、当然ながら以上のような「認識」が無い。相手は「布告なき」宣戦を挑んでいるのに未だに「冷静な話し合い」しか考えられない。事態は毛沢東が言った流血なき戦争(外交)を通り過ぎて流血を伴う外交(戦争)の段階に突入しているのに。

産経の世論調査によれば菅よたよた内閣が唯一の拠り所とする支持率は今回の腑抜けを批判し、一挙に15ポイント以上下落したそうだ。

戦略を持たぬ内閣だ。支持率の更なる低下を恐れれば、フジタの人質のことを考えすぎて、巡視船にぶつかってきた中国船の証拠ビデオの公開をもたもたと躊躇うであろう。

躊躇いは「善意」と考えるから、当然中国は「譲歩」し、人質を解放すると考える。しかし逆だ。日本の足許(あしもと)を見て更なる攻撃に出てきて、おたおた内閣は仰天することになる。

壮大な狙いからして中国当局の目は既に尖閣や人質から先のほうに移っているはず。なにしろ尖閣諸島に攻め込んできた中国の最終的な目的はエネルギーの確保に留まらず、南シナ海、東シナ海、さらには日本の正面の太平洋での海洋権益の確保にある、というのだから、作戦は広く綿密に練られている。

共産党内部の権力闘争の中で、担当者はそれこそ命がけで作戦を練っている。だが、菅内閣は世論調査の数字と戯れて向こう受けばかりを狙っている。民放のディレクターが単騎で政権を担当しているみたいだ。笑えぬ喜劇と言うしかない。

<問題の構図は、尖閣だけを見ても分からない。中国の狙いは、南シナ海、東シナ海、さらには日本の正面の太平洋での海洋権益の確保にある。

中国は1992年に「領海法」を制定し、尖閣諸島を中国領土に編入した。深刻なことは、尖閣が台湾や南シナ海諸島とともに、同じ法律の同じ条項で中国領土に編入されたことだ。

当時、日本政府はこれに対してごく形式的に抗議しただけだ。中国は最初から日本の足元を見ている。仮にも中国が(歴史的に中国人が上陸したこともない)尖閣を取れば、単に無人島が中国の手に渡るだけではな
い。

そこを基点に、12カイリの領海と200カイリの排他的経済水域が設定される。日本の安全保障と経済活動に甚大な影響が出る。

今回、中国がここまで強硬だった背景には、日米関係の弱体化をかぎとっていたせいもあろう。

かつてアーミテージ元国務副長官は、こう述べた。「米国が中国とエンゲージしていくためには、まず日本との関係を強化することが必要だ。

そこが強くないと中国は米国と日本の分断に力を注いで、米国とまともに向き合ってこない。

逆に米日関係が強固であれば、中国はあきらめて、初めて正面から米国と向き合ってくる」。日米同盟関係がきしんでいる今、中国はアーミテージの第一シナリオの対応をとってきた可能性がある。

(渡部註:今回鳩山前首相は「私だったらもっと中国と上手く話し合って解決できた」と発言したが、中国に付け込まれるほど日米関係を壊したのは鳩山だ。それなのに何を言うか。一昨日おいで!)

しかし中国にとっては誤算となった。クリントン国務長官とゲイツ国防長官が共に、「尖閣は日米安保条約の適用対象」と言明したからだ。中国にとってはヤブをつついて蛇を出したに等しい。中国が最も困るのは、米国との関係の悪化だ。尖閣を巡る日中の緊張のなかで、米国は明確な形で日米同盟の立場にたった。

いちばん重要なのは、日米関係の立て直しだ。尖閣で中国はそのことを教えてくれ、日本国民の安全保障意識も高めてくれた。この意図せざる中国の貢献には感謝と言うべきか。(岡本)>