2010年12月24日

◆琉球主席公選の裏工作

渡部亮次郎


<沖縄返還前の68(昭和43)年11月に行われた初の琉球政府行政主席公選で、日米両政府が米軍基地存続を容認する保守系候補を当選させるため、沖縄県民の悲願だった国政選挙への参加を同候補の実績として選挙戦に利用しようと画策していたことが22日公開の外交文書で分かった。>

今から42年前、この選挙の取材で筆者はNHK政治部記者ながら「特派員」として那覇に派遣され、日額38ドルを支給され、田辺昌雄先任記者指導の下、沖縄中を駆け巡った。

立会い演説会を見に行くと、突然琉球弁に切り替わり全く取材できなくなった。要は日本政府の悪口を言っていると判断。そんなことを繰り返しているうちに、本土政府寄りの主張を繰り返している
西銘候補の勝ち目は無いと即断できた。

これに対して当時、沖縄を管轄していたアメリカ高等弁務官事務所は執拗に私を尾行。終始、スパイをつけた。私の下宿の電話を盗聴していると高言し、NHKに送る「情報」のすべてを「監視」していた。

<公選は、沖縄自民党総裁の西銘(にしめ)順治氏と、無条件の即時返還などを訴えた革新系の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)氏との接戦が予想されていた。

外務省北米局作成の極秘文書などによると、日本側は68年5月14日の協議で、「選挙前に実現すれば西銘候補が勝てる」として国政参加の実現などを提案。

米国側は6月7日、国政参加の実現について「選挙戦の一つの武器として使用したい」と同意したうえで、「表向きにはいかに困難かを指摘しつつ、実現時にはそれが西銘氏の力によるところが大なるがごとき印象を与えるよう取り運ぶ」

「(選挙直前の)10月ごろ、日本政府より『西銘案』を基礎にした国政参加実現の提案を行い、米側が同意する」などのシナリオを提案した。

佐藤栄作内閣の三木武夫外相は7月25日、ジョンソン駐日大使と「選挙に効果的な時期に発表する」などと打ち合わせを行った。日米両政府は10月9日、沖縄から衆院に5人、参院に2人の計7人が国会審議に参加することで合意した。

また、68年6月18日付の下田武三駐米大使の公電によると、米国務省のスナイダー日本部長らが外務省幹部に「本土自民党の援助が手遅れになることを最も心配し、沖縄への選挙資金送金方法改善について申し入れを行った」と自民党に金銭的支援を促していた。

日米両政府の裏工作にもかかわらず、公選では、屋良氏が約2万8000票差で当選した。>毎日新聞 12月22日(水)11時7分配信

こうした「工作」が成されていた事は、一切知らなかったが、私の取材では両候補の「差」は4万票、と言うのが結論だった。ただし
NHKはこれを放送する事はしなかった。にも拘らず米側は「放送した」と主張した。私の電話を盗聴していたことを告白したようなものだった。

当時の沖縄の「世論」はすべてが「祖国復帰」、「日の丸掲揚」に尽きた。国政参加の実現についてなど無関心だった。だから日本の外務省もアメリカ側も沖縄の「心」を理解できていなかった。

この事はあれから40年以上経った今も変わらない。民主党は更に判っていないだろう。
   2010・12・22

◆本稿は、12月24日(金)刊の「頂門の一針」2133号に
掲載されています。<同号 目次>ご覧の上、他の卓見も、
下記からお手続きの上、拝読下さい。

◆<2133号 目次>
・琉球主席公選の裏工作:渡部亮次郎
・大主筆が拘る理由の仮説:阿比留瑠比
・角さんのメディア感覚、「弱かった」:岩見隆夫
・韓国も中国と経済的には関係を深める:古澤 襄
・出番待つ自民党の選手団(中):平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月23日

◆憚るプラタナス

渡部亮次郎

江東区毛利2丁目に広がる都立猿江恩賜公園は、昭和天皇の婚約記念に下賜された南部と、木場だった北部地域からなり、私は北部だけを散歩コースとしている。

北部は樹木が多いから秋から冬にかけては落ち葉でいっぱいになる。特に欅(けやき)はうず高く積もる。ほぼ毎日のように掃除の業者がビニールの袋に詰めているが、詰めても詰めても翌日には積もっているのが秋だ。

12月にはいると欅は殆どの葉を落としてしまった。そこで20日過ぎには、清掃業者も人海作戦で根こそぎ集めて去った。ところが憚るのがプラタナス(鈴懸=スズカケ)である。いつまでも葉を落としきらず、広場を汚している。

公園では櫻が夏から葉を落とし始めて11月中には殆ど落葉。桂もそう。この公園特有の中国渡来、メタセコイアも針状の葉を12月までに落とし終える。だからプラタナスは憚って目立つのだ。

なるほど9月から落葉を始めはする。グローブのような大きな葉だ。
だが一斉には落葉しない。さすが11月ともなれば盛んに落ちるが、纏まっては落ちない。

落ち葉を片付ける係りの人。「大きな声では言えませんけど、欅の落ち葉はきれいだけど鈴懸は汚いんだよね。だから早く片付けたいんだけど、片付けても片付けても翌日には、また散らばってるんだ」とこぼしている。

プラタナス、別名スズカケノキはバルカン半島からヒマラヤまでの温帯に分布市。紀元前から既にイタリアに入った。16〜17世紀にはフランス、イギリスで街路樹に用いられた。

わが国に入ってきたのは明治の初め。東京の小石川植物園に植えられたのが始まり。秋に実る実が山伏の着る篠懸の衣についている房の形に似ているから「鈴懸」と日本語の名前が付けられた。

灰田勝彦の「鈴懸の径」という歌を若い頃歌った。鈴懸がプラナスとは知らなかった。

この歌は古い歌だが、実にモダンな歌だ。

この歌が発売されたのが、昭和17(1942)年9月というから、まさに戦争の最中。軍歌一色の時代によくもまあこんなモダンな歌が出たものだ。

<灰田勝彦「鈴懸の径」>

「鈴懸の径」
  作詞:佐伯孝夫
  作曲:灰田晴彦

 友と語らん
 鈴懸の径
 通いなれたる
 学校(まなびや)の街
 やさしの小鈴
 葉かげに鳴れば
 夢はかえるよ
 鈴懸の径

この単純とも言える歌詞。そこには戦争の影は無い。学徒出陣は昭和18年という。その前年に「友と語らん・・・」とは・・・。それさえも難しくなってきた時代を先読みしていたのだろうか? 戦争とこの歌詞に、何か違和感を感じる。

歌手灰田勝彦はハワイ・ホノルル生まれの二世だ。作曲は兄の灰田有紀彦(灰田晴彦)。灰田兄弟はハワイで父親が急逝したあと、帰国。勝彦は立教大学に入った。この歌は立教大学の道をモデルに作曲されたそうで、立教大学には歌碑がある。

幼少の頃育った秋田市に植わっていたかどうか記憶が無いが、東京の街路樹は公孫樹(いちょう)鈴懸、唐楓だから、鈴懸は馴染の木ではある。

しかし各地の街路樹は12月末になっても裸にはなっていない。猿江公園の鈴懸は年を越しても裸にはならないのじゃないか。

2010・12・21

2010年12月21日

◆笑顔で人を殺す国

渡部 亮次郎

「中国首脳の来日には、相手を懐柔するトウ小平型と、激しく威嚇する江沢民型がある。しかし、来日した温家宝首相のニコニコ顔に惑わされてはいけない。来日に水をさすようだが、微笑外交は腹に一物ありなのだ」と12日の産経抄は過去の経験を踏まえて戒めている。

そうなのだ、!)(とう)小平は私の前に、にこやかに現れた。北京の人民大会堂。1978年8月10日、の本時間午後4時。6年越しの懸案だった日中平和友好条約にやっと目途をつけた我々交渉団は同行記者団と北京ダックの昼食をして一息入れたあとだった。

人民大会堂の玄関からテレビのライトに照らされながら1人の小男がゆったりと歩いてきた。それが「あの」!)(とう小平)だった。合計3度の失脚から甦り、いまや最高実力者になろうとする副主席。小平は小男だからついた元は綽名。150Cmに満たない。

丸顔。既に74歳だが老人シミはひとつも無い。失脚と復活を繰り返した自信からか余裕綽々の雰囲気が出ていた。これが貫禄と言うものなのだ。

会談の冒頭、カーツ、ペッと痰壷にツバを吐き、下から園田直日本外相を見上げた。園田は睨(ね)めつけられた、気おされちゃいかんからオレもやろうとしたんだけどタンが出てこない。やったのは大分経ってからだった。

その2日後に会談する華国鋒国家主席や前日まで会談した黄華外相はメモを読みながら言葉を発するが、トウ氏はメモ一切なし。園田外相が「監獄に入っているときはどうでした?」と失礼なことを聞いても「俺は毛沢東にかばわれて軟禁だった、1日2時間の重労働はしたがね」と平然たるものだった。

老練。外相が思わず突っ込んでゆくと「ときにあんたは歳はいくつかね」ときて「あ、それならオレより十何歳も下だ、下だ」なんて言ってはぐらかしたりした。

尖閣列島をテーマにした時もにこやかに「今までどおり、20年でも30年でも放っておけ」と言ったから、日本側は実効支配が認められたと解釈してしまった。尤もあそこで更に詰めようと言う雰囲気が双方に無かった。

日中平和友好条約とは!)(トウ)小平による中国4つの近代化と経済の改革、解放化を実質的に梃入れする担保であった。あの年から中国経済が飛躍的に伸びた事は誰も否定できない事実である。

にも拘らず、トウは日本から受けた莫大な経済援助について人民に一言も言っていない、ひた隠しして死んだ。死ぬ前に1989年6月4日、北京の天安門広場に集まっていた市民、学生に対して、人民解放軍に一斉射撃させ、何百人も殺したのも!)(トウ)小平だったのだ。

尤も、あの時に市民、学生の自由化要求を認めていたならば、中国共産党は滅亡に追い込まれた事は確実である。つまり中国共産党は自己を守り貫くためには、時に応じて笑いもするし殺しもする、断乎として。にこやかに殺すのである。騙されてはいけない。

<中国首脳の来日には、相手を懐柔するトウ小平型と、激しく威嚇する江沢民型がある。30年ほど前に来日したトウさんは、新幹線に乗って科学技術の水準の高さを褒めあげ、トウブームを起こした。コワモテの江さんは歴史認識で説教をたれ、尖閣諸島はおれたちのものだと欲張った。

 ▼きのう来日した温家宝首相は、表面的にはトウさんタイプかもしれない。国会で演説し、西京極球場では立命館大野球部員とキャッチボールに興じる予定だ。テレビは「これは絵になる」と大挙して押しかけ、彼に翻弄(ほんろう)されることだろう。

 ▼しかし、ニコニコ顔に惑わされてはいけない。日本のコメ輸入で合意したところで、恭しく調印したのはわずか25トンだ。大型トラック2台分で大きな顔はされたくない。東シナ海の資源開発で譲歩したわけでも、巨大軍事力を減らすといったわけでもない。

 ▼なぜか、温さんは記者会見を予定していない。大国の指導者らしからぬ。その理由は明かさないから、こちらで勝手に推測する。日中の「氷をとかす旅」なので、余計なボロは出したくないのがホンネだ。自虐的な日本人記者から、慰安婦問題や首相の靖国参拝の質問が出れば批判をせざるをえない。

 ▼すると中国内に跳ね返って、大衆の反日気分に火を付ける。中国経済のひずみを是正するのに、日本経済が役立つと考えているから、いまは困るのだ。

 ▼自著が発禁処分をうけた何清漣さんによると、小紙連載の「トウ小平秘録」を抄訳掲載したブログがネット上から削除されている。天安門事件はいまも「教えたくない歴史」なのだろう。

歴史を鑑(かがみ)とするとは彼の国の主張だが、自国には適用されないようだ。来日に水をさすようだが、微笑外交は腹に一物ありなのだ。>(産経抄 Sankei Web 2007/04/12 05:01)
2007・04・12(再掲)




2010年12月19日

◆藤 純子がいいと三島由紀夫

渡部亮次郎
三島さんが1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取り籠城。

バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした後、割腹自殺した(三島事件)、45歳没。

現在、忌日は、三島由紀夫研究会による憂国忌(主に九段会館)をはじめ、全国各地で民族派諸団体が追悼の慰霊祭を行っている。

事件のおよそ10か月前、正月頃だった。東京・赤坂にあった「岡田」という料亭で、初めて三島さんを見た。2階の座敷で、その後官房長官や外務大臣に出世する園田直氏と三島さんを対談させたら面白かろうと新潮社出版部長の新田敞(ひろし)さんが言い出して、簡単に実現したのだ。

「対談」は園田氏の後援会報「インテルサット」(月刊)に掲載されることになっており、当時NHK政治部記者で園田氏と親しい関係で、私が園田氏の付き添い役の私。

三島さんにはかねて親しかったやはりNHK社会部記者で宇和島藩主伊達一族の末裔伊達宗克さんが付き添い。新田さんが司会役で対談が始まった。

共通の話題は剣道から始まったが、話は皇室から頽廃する世相まで広範にわたり2時間にも及んだ。成功だった。初対面とは思えぬ盛り上がりだった。

終わって酒の席になったが、二人とも余りアルコールは呑まなかった。ただ三島さんが、当時映画で『緋牡丹博徒』で初主演し、大ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集め、シリーズ化され当代一の人気女優になった藤 純子を「あれはいいねぇ」と褒めちぎった。

その頃、六本木の和食の店で藤 純子が納豆ご飯を食べているのを見たことがあったので「先日、納豆を食べている藤 純子」を見ましたよと混ぜ返したら、三島さん真顔になり「渡部さん、美人が納豆を食っちゃいけませんか」といった。

三島さんにはかねて「ホモ」の噂があり、ボデービルや武道にこるのはそのせいだとも言われていたので、藤に拘る三島さんを不思議に思った。

そのうちに三島さんが居ずまいをただし、園田氏に切腹の作法を尋ねた。園田さんは切腹の仕方に三通りの作法があるなどと知識を開陳。三島さんは神妙に聞いていた。この10ヶ月後に冒頭の事件は起こった。

<総監室に戻った三島は、森田必勝らと共に「天皇陛下万歳」を三唱したのち、恩賜煙草を吸い、上半身裸となり「ヤアッー!」と叫び自身の腹に短刀を突き立てた。この時、介錯人の森田は自身の切腹を控えていた為か、手の震えで二度も失敗してしまい(刀も曲がってしまったともいう)、剣道有段者の古賀浩靖が代わって一刃の元に刎ねた。

続いて切腹した森田必勝の介錯も行なった。警視庁牛込署の検視報告によると、三島は臍下4センチほどの場所に刀を突き立て、左から右に向かって真一文字に約13センチ、深さ約5センチにわたって切り裂いたため、腸が傷口から外に飛び出していた。さらに、舌を噛み切っていたことも報告されている。

ノーベル文学賞候補として報道され、多方面で活躍した著名作家のクーデター呼びかけと割腹自殺は、日本だけでなく世界中で注目を集め論議を起こした。>「ウィキペディア

事件について当時の佐藤栄作首相は「気違い沙汰だ」と吐き捨てた。園田氏は「まさか切腹する為に訊かれたとは思わなかった、小説の材料になるのだとおもったから丁寧に教えた」と嘆き、葬儀には国会議員でただ一人参列した。

伊達さん。<1970年11月25日に交流のあった作家三島由紀夫から間接的に、サンデー毎日の記者だった徳岡孝夫と共に、遺書と檄文を受け取り三島事件の目撃者となった。

関連の編著書に『裁判記録「三島由紀夫事件」』(講談社、1972年)がある。また徳岡と共に1984年、瑤子夫人にインタビューを行い、月刊誌『諸君!』(1985年1月号)に掲載した。

皇室担当記者として『天皇の外交』(現代企画室、1975年)を出し、1980年4月、ェ仁親王の婚約、1983年4月には容子内親王の婚約をスクープ。1984年に放映された「NHK特集 皇居」の、中心スタッフとして取材折衝に当たった。

1985年8月、NHKを定年退職、解説委員となったが、在職中に亡くなった。>(同)

新田さんも故人だ。だから岡田で出合った5人のうち、行き起こっているのは私だけになった。

藤 純子は富司純子(ふじ すみこ)となり女優、司会者として活躍中。夫は歌舞伎俳優の尾上菊五郎、長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優・五代目尾上菊之助。(同)
2010・12・18

◆本稿は、12月19日(日)刊の「頂門の一針」2128号に
掲載されました。他の卓見も拝読下さい。
        
◆<2128号 目次>
・藤 純子がいいと三島由紀夫:渡部亮次郎
・東條内閣の総理番:山堂コラム 349
・頑固幹事長の「踏ん張り」:岩見隆夫
・ウィキリーク日本関係は五千件以上?:宮崎正弘
・“衣の下に鎧”の中国:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月18日

◆「発禁処分」を知らぬ団塊世代

渡部 亮次郎

「夜のプラットホーム」は戦時中「厭戦歌」と見なされて内務省から「発売禁止」処分。敗戦後も「検閲」は占領軍(マッカーサー司令官)も続けたが、「厭戦歌」は占領目的に合致したから大歓迎。

そこで敗戦2年後に再発売されて大ヒット。私のような戦中派は悲しい思い出で回顧するが、NHK「ラジオ深夜便」のアナウンサーは戦後生まれ団塊の世代。この歌の歴史を勉強してこないから、コメントに重厚さがなくなる。(9月21日 榊 寿之アンカー)

<『夜のプラットホーム』(よるのプラットホーム)は、奥野椰子夫作詞、服部良一作曲の歌謡曲。1947年(昭和22年)に二葉あき子が歌って大ヒットし、彼女の代表的なヒット曲の1つに挙げられる歌であるが、もともとは戦時中、淡谷のり子が吹き込んだものであった。>

榊アンカーも上記< >内は言ったが発売禁止処分の事は一言も触れなかった。日本という国が体制維持のためには、言論統制もあえてしたこと、共産主義体制、中国を笑えない歴史のあることなど無関係だった。

「都」新聞(現「東京」)の記者だった奥野椰子夫(おくの やしお)は昭和13(1938)年の暮、東京・新橋駅で、支那戦線出征兵士を送る「歓呼の声」に背を向け、柱の陰でひっそりと別れを惜しむ若妻の姿に心を打たれた。もしかして「再び逢えぬ死出の旅」と言えぬこともない。

それなのに「無責任な」「歓呼の声」はそんな若妻の悲痛も知らぬげにただただ勇ましい。奥野はその悲しみを胸に刻んだ。

翌昭和14年、作詞家としてコロムビアに入社した奥野は、ためらわず「夜のプラットホーム」を筆下ろしとした。当初は1939(昭和14)年公開の映画『東京の女性』(主演:原節子)の挿入歌として淡谷のり子が吹き込んだ。

だが、やはり出征する人物を悲しげに見送る場面は「厭戦」を連想させるとして、「戦時下の時代情勢にそぐわない」と内務省検閲に引っかかり、同年に発売禁止処分を受けた。

大日本帝国憲法26条では、通信・信書の自由・秘密が保障されていたが、日露戦争の後、内務省は逓信省に通牒し、極秘の内に検閲を始めた。

検閲は手数料を要し、内務大臣が許可したものは3年間、地方長官の許可したものは3ヶ月間有効であった。検閲官庁が公安、風俗または保健上障害があると認めた部分は切除され、検閲済の検印を押捺し検閲の有無が明らかにされた(大正14年3月内務省令10号、大正11年7月警視庁令15号)。

レコードについてはは、製品は解説書2部を添え、規定された様式に従って内務大臣に差し出して許可を要し、検閲上の取締方針は出版物と同様であった(明治26年4月法律15号、昭和9年7月内務省令17号)。

だが作曲の服部は諦めなかった。2年後の1941(昭和16)年、「I'll BeWaiting」というタイトルのが発売された。「洋盤」の検閲が緩かったところを突いた作戦である。

作曲と編曲はR.Hatter(R.ハッター)という人物が手がけ、作詞を手がけたVic Maxwell(ヴィック・マックスウェル)が歌ったのだが、この曲は『夜のプラットホーム』の英訳版であった。また、R.ハッターとは服部が名前をもじって作った変名。

ヴィック・マックスウェルとは当時の日本コロムビアの社長秘書をしていたドイツ系のハーフの男性の変名であった。この曲は洋楽ファンの間でヒットして、当時を代表するアルゼンチン・タンゴの楽団ミゲル・カロ楽団によってレコーディングされた。

余談だが、このときB面に、発禁済みの「鈴蘭物語」を「夢去りぬ」(Love‘s Gone)という題名で吹き込みなおしていたため、このタンゴを外国曲と誤解したままの人も多かった。

戦後の昭和22(1947)年、今度は検閲をしていた占領軍は、この「厭戦歌」を占領の趣旨に合うとして大歓迎。二葉あき子が新たに吹き込んだレコードが発売され、大ヒットになった。

二葉は広島原爆をたまたま列車がトンネルに入ったときだったため生き残った東京音楽学校出の歌手。それまでの歌手活動の中、ヒットはあったものの大ヒット曲のなかった二葉にとっては待ち望んでいた朗報であった。(歌は引退したが、郷里で存命)。

たかが歌謡曲というなかれ。「日本流行歌史」を読めば、これだけの歴史があり、ドラマを紹介できるのである。

団塊の世代は一面、幸せである。気がついた時から日本は平和であり、言論は自由であった。政府が流行歌まで統制した「検閲」や「発売禁止」を知らないできた。だが、そこに至る歴史をないがしろにしてはならない事、全世代、共通の願いではなかろうか。(再掲)
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


2010年12月17日

◆発見されていた絶滅種クニマス

渡部亮次郎

秋田県の神秘の湖「田沢湖(たざわこ)」を訪れるたびに、ここにしか生息していなかった「クニマス」を見つけたら賞金を上げる、と言われてきた。絶滅したのから、今までに発見した人は皆無だ。

ところが2010年12月15日、毎日新聞のWebを見て飛び上がった。「70年ぶりに生息を確認した」、と言うのである。田沢湖での絶滅を予見したどなたかが1935(昭和10)年ごろ、生息条件の似た富士五湖の一つ、山梨県の西湖に卵10万個を近くの本栖湖ともにに移していた。

その時、生まれたクニマスが生き残っていたのだ。

現在の田沢湖町は最近、角館などと合併した「仙北(せんぼく)市。当時、西湖などに10万個の卵が移されていたことを知る人は既に無いから、このニュースには驚いていることだろう。

<環境省のレッドリストで「絶滅」とされているサケ科の淡水魚「クニマス」が富士五湖の一つ、山梨県の西湖で生息していることを京都大総合博物館の中坊徹次教授らが確認した。西湖ではクニマスのことを、地元の漁師は黒いヒメマスという意味で、クロマスとして呼称しているとされている。

クニマスは1940(昭和15)年ごろ、秋田県の田沢湖で最後に確認されて以降、姿を消しており、約70年ぶりの発見となった。「絶滅」とされた種の魚の発見は初めて。

中坊教授によると、同教授からクニマスの絵を描くよう依頼された知人でタレントのさかなクン(東京海洋大客員准教授)が、西湖で捕獲された黒っぽいマスを持ち込んだのがきっかけ。

改めて捕獲したマスを3〜4月に解剖したところ、体の色だけでなく、胃にある指状の器官の数やえらの形の特徴などが、記録に残っていたクニマスと一致した。

西湖のマスは形などが似ているヒメマスの亜種とされていたが、遺伝子分析を行うと遺伝子型が違っていた。

クニマスは田沢湖だけに生息していた固有種で、成魚は全長約30センチ。1935年ごろ、田沢湖から卵10万個が西湖と、近くの本栖湖に移されたという記録があり、中坊教授は「その時、生まれたクニマスが生き残っていたのではないか」と話している。>
(毎日新聞 2010年12月15日(最終更新 12月15日 14時19分)とはなっているが、3,4月には確定していたニュースである。

1940年、第2次世界大戦の折に軍需増産をはかり鉱山への電力供給の為の発電所を通して玉川の強酸性水が、田沢湖に大量に流入したため湖水が酸性化しクニマスは絶滅した。

現在ならば環境問題として大きく取り上げられるところであるが、当時は国家を挙げての戦時体制の真っ只中であり、この固有種の存在などが顧みられる事は全く無かった。

しかしそれ以前に人工孵化の実験をするため1930年に本栖湖、西湖に、他にも琵琶湖や詳しい場所は不明だが長野県、山梨県、富山県に受精卵を送ったという記録があった。

このため、田沢湖町観光協会は1995年11月に100万円、1997年4月から翌1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜したものの発見されることはなかった。

田沢湖での絶滅の原因は強酸性水の流入であるが、サケ科魚類の中でも浮上稚魚期のヒメマスが酸性の水に極めて弱い特性を持っていたことも要因となっている。

田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある湖。日本で最も深い湖である。田沢湖抱返り県立自然公園に指定。日本百景。大きく深い湖であるが、その成因は判明していない。

秋田県の中東部に位置する。最大深度は423.4mで日本第1位(第2位は支笏湖、第3位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。

湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。

深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。

かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、1931年の調査では摩周湖に迫る31mの透明度を誇っていた。

しかし、1940年に発電所の建設と農業振興(玉川河水統制計画)のために、別の水系である玉川温泉からpH1.1に達する強酸性の水(玉川毒水・玉川悪水と呼ばれる)を導入した結果、田沢湖は急速に酸性化し固有種であったクニマスは絶滅。水質も悪化し魚類はほぼ死滅してしまった。

それに対し、1972年から石灰石を使った酸性水の中和対策が始まり、1991年には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。

湖水表層部は徐々に中性に近づいてきており放流されたウグイが見られるまでになった。しかし、2000年の調査では深度200メートルでpH5.14?5.58、400メートルでpH4.91と未だ湖全体の回復には至っていない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆本稿は、12月17日(金)刊の「頂門の一針」2126号に
掲載されました。下記<同号目次>をご覧下さい。
◆<2126号 目次>
・発見されていた絶滅種クニマス:渡部亮次郎
・日本一の無責任男の「思いつき」と「楽観」:阿比留瑠比
・”陰の総理”が「解散はない」:古澤 襄
・中国の奥の院の揉め事:宮崎正弘
・日米韓結束が北の自壊を促す:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月16日

◆恐怖が貫禄を作る

渡部 亮次郎

私が秘書官として仕えた外務大臣園田直(そのだ すなお)氏は特攻隊長として出撃寸前、敗戦になった為生き残った人だった。昭和20(1945)年8月13日、北海道千歳基地を飛び立つべきところ、悪天候の為、17日に延期。ところが15日に敗戦。

助かったのですね、と言ったら「違う、一旦死を決意していたから、死ななくても良いと言われた途端、腰が抜けたよ」と言っていた。とにかく日中事変の頃を含めて計11年、戦争の現場にいた。

進軍(徒歩)の途中、途が2手に分かれている。右に進むべきか左にすべきか。必ず悪路のほうに進んだ。良い道の先では敵が待ち構えている危険があった。そういう体験があったのである。

帰還して国会議員になって間もなく野党の独身婦人議員と恋仲になって妊娠がばれた。直ちに4人の子供を抱えた夫人と離婚、野党議員と結婚した。堕胎と言う道もあったのにといったら「困難な途を敢えてえらんだのだよ」。

なるほど選挙区の女性たちには評判が良く、選挙地盤が固まっていない時期だったにも拘らず落選はしなかった。死ぬまで14回連続当選の実績を残した。

1980年代前半までの日本の国会議員たちの大半は従軍体験を持っていた。中曽根康弘氏だって海軍主計中尉だった。田中角栄氏も陸軍2等兵でノモンハン事件に狩り出されている。

死ぬか生きるか。人間は死を覚悟した時、貫禄が出来る。園田氏を観察していると、政治のどんな場面でも恐怖を感じる風はなかった。戦争で死ななかった人間が政治で死ぬわけが無いと楽観していた。

そうした目で平成の政界を見ると、政治家に戦争体験の無いのは勿論、「失敗」の経験も少ない。受験だって「塾」で防備していて「貫禄」をつける暇も無い。

失敗で挫折を多く味わったのは小沢一郎氏ぐらいだ。だから菅も仙谷も面と向かって小沢には対決できない。仙谷は俺の合格した司法試験を小澤葉落ちた、だから俺のほうが上と威張るが、落ちた小沢の貫禄にはたじたじでは無いか。

貫禄を得るためと言って戦争をする事は不可能だが、失敗を重ねた方に貫禄が出来る事は間違いないと勝手に考えている。ただし宇宙人にこれは適用できない。鳩山由紀夫氏は総辞職を失敗とすら考えていないようだから。2010・12・14


2010年12月15日

◆小沢駄目だが菅はもっと駄目

渡部亮次郎

先輩政治記者の古澤 襄(のぼる)さんが指摘している。

<得票率でみると61%支持だった民主党は守谷市が14%、59%支持だった取手市が17%に転落している。総選挙で民主党を支持した層が、みんなの党に流れた。

菅内閣に愛想をつかした支持者が民主党から離反したことが明らかである。

おそらく全国的にみても、民主党が強いといわれた地域でも同じ傾向が生じているのではないか。

菅内閣の支持率は20%台スレスレで踏みとどまっているが、実態は10%台に突入している。このまま党内抗争を続けていれば、ヒトケタ転落も時間の問題ではないか。

それにしては民主党幹部の危機感は希薄である。風の乗った選挙頼みの民主党は、向かい風に曝されると予想以上に脆さを露呈している。>http://blog.kajika.net/

古澤さんとは、その昔、いわゆる「角福戦争」と言われた田中角栄と福田赳夫両氏によるポスト佐藤の自民党総裁争いの取材で、福田番を彼は共同通信、私はNHKとして肩を並べた仲。今は茨城県守谷市に引っ込んだというものの中央政界に隠然たる影響力を所持している。

http://blog.kajika.net/ 杜父魚文庫ブログでの古澤氏の発言は政界のみならずマスコミ界にも重い信用を得ている。その古澤氏が14日に行った発言がこれである。

「菅内閣の支持率は20%台スレスレで踏みとどまっているが、実態は10%台に突入している。このまま党内抗争を続けていれば、ヒトケタ転落も時間の問題ではないか。

それにしては民主党幹部の危機感は希薄である。風の乗った選挙頼みの民主党は、向かい風に曝されると予想以上に脆さを露呈している」。

これに対して岡田幹事長ら民主党主流派は「カネに汚れた小沢氏を追放しさえすれば菅内閣の支持率はV上昇する」と信じ込んで小沢氏に対処しようとしている。

< 民主党の岡田克也幹事長は14日午前、小沢一郎元代表の国会招致に党内から反発が出ていることについて「常識にかなうことをしている。国会での説明を求める国民の声をどう受け止めているのかが問われる」と反論し、小沢氏に衆院政治倫理審査会への出席を重ねて求めた。

その上で、小沢氏が招致に応じない場合は政倫審での招致議決を行うよう党内手続きを進める考えも示した。

13日の党役員会で決まった「幹事長一任」の意味について「小沢氏本人が政倫審に出て説明することが基本だが、それがかなわないときには、党として決定しなければならなくなる、ということまでは役員会で確認した」と強調した。>産経新聞 2010.12.14 11:57

ここでは書かれていないが、この決定をした「役員会」に党首たる菅首相は欠席しているのである。党を統率すべき党首が、決定的な決定をするかもしれない肝腎な役員会を欠席するとは解せない行為である。またも逃げたのだ。

産経新聞とフジニュースネットワークによる12月11・12両日実施の世論調査では、「早期に小沢元代表の国会招致を実現すべきだ」は70・5%が賛成しているから、小沢切り論も一理はあろう。

しかい、59・6%から「不支持」を突きつけられた菅政権に就いて聞くと
首相の人柄―評価しない 44・2%
指導力―評価しない   84・4%
景気対策―評価しない  80・6%
社会保障政策―評価しない67・8%
外交安保政策―評価しない82・6%
国民へのメッセージ発信―評価しない
            76・9%
政治とカネ問題対処ー評価しない
            74・2%

普天間基地を沖縄県内に移設する日米合意の遵守―評価しない
            54・5%

となっている。「指導力に欠け」「安保政策は判っていない」「景気対策は不十分」ときて小沢問題への対処も不十分と決め付けられている。国民は問題の処理を岡田幹事長に押し付け、肝腎の役員会を欠席して「逃げる」菅首相を嫌っているのである。

だから小沢氏が政倫審に出るようなことがあっても、支持率のV回復はあり得ない。

「民主党幹部の危機感は希薄」と古澤さんの指摘だが、私から見ると彼らは単なる「素人」に過ぎない。通常国会で潰れるだろう。         2010・12・14

◆本稿は、12月15日(水)刊の「頂門の一針」2124号に
掲載されました

◆<同号 目次>
・小沢駄目だが菅はもっと駄目:渡部亮次郎
・仙谷由人と小沢一郎の共通点:古森義久
・民主党の牙城だった茨城県南で地殻変動:古澤 襄
・中国は北朝鮮を抑えられない:平井修一
・ウィキリーク、またまた超弩級の暴露:宮崎正弘
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月14日

◆小沢新党期待わずか13・5%

渡部亮次郎

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が11、12両日に実施した合同世論調査で、焦点になっている民主党の小沢一郎元代表の国会招致問題について聞いたところ「早期に小沢氏の国会招致を実現すべきだ」としたのは70・5%と7割を超えた。

小沢氏と中心とする政界再編に期待感を表明したのは13・5%で、「期待しない」が80・8%と8割を超えた。

これでは小沢氏は「微温湯」。出るに出られない。政倫審出席を拒否して「いじめ」状態に耐えながら生き恥を晒しながら検察審査会の強制起訴を待つしかないところに追い込まれた。

しかも民主党と自民党との比較では、「政策がいい」「政治姿勢に好感が持てる」でいずれも民主党が2〜7ポイント上回ったが、外交安全保障で信頼できるのが自民党と答えた人は60・8%で民主党より48・2ポイントも上回った。

次の衆院選で勝たせたいのは自民党の39・2%に対し民主党は28・9%で、47・4%が次の衆院選を「できるだけ早い時期に行うべきだ」と回答した。

もともと小沢氏の自民党離党(93・6・23)は信念や政策による離反ではなかった。単に自民党竹下派内の内紛で、追い込まれた離党だった。

あれから17年。昨年ようやく政権交代で政界の主流派に復帰下が、その途端に今度もまた内紛から、良く言っても離党勧告されそうである。何とも「お騒がせ」な政治家である。

その最たる原因は小沢氏自身にある。本人は「政治とカネ」問題について「一点の曇も無い」としているが、今回の世論調査でも国民は小沢氏のこの言葉を全く信用していないことがわかる。

小沢氏のカネの話のすべてが角栄や金丸のくびきから逃れた後、つまり自民党を離党したあとに発生したものである。何を目的にゼネコンから多額の献金を得たり、政党助成資金を「操作」したりするのか。

政治資金で土地を買い、自分名義で登記しながら自分は所有して無いと、分かったような分からないことをするのか。

嘗ての田中角栄の手口は阿漕と言われたが、角栄はその一方では周囲にカネを播いた。それが「徳」となって総理の椅子を確保し、野望を達したわけだが、小沢氏には播いた実績もないし「徳」もない。

だから、「早期に小沢氏の国会招致を実現すべきだ」としたのが70・5%と7割を超えた。本人が一点の曇は無いと豪語しても国民は信用していないのである。小沢の後に道はあっても前途には何も無い。          2010・12・13

◆本稿は、12月14日(火)刊の「頂門の一針」2123号に
掲載されました。同誌掲載の著名寄稿者の評論も拝読下さい。
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◆<2123号 目次>
・民主惨敗の茨城県議選と党分裂の危機:古澤 襄
・またぞろ「小沢政局」か:岩見隆夫
・小沢新党期待わずか13・5%:渡部亮次郎
・手持ち無沙汰の「第2の人生」:平井修一
・ドイツ人と銀杏の木:永冶ベックマン啓子
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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2010年12月13日

◆小沢氏、新党断念か

渡部亮次郎

窮地に立つ小沢氏に迷い 「同志に迷惑をかけた」と謝罪 離党後の展望開けずと産経新聞が報じ、「自らの置かれた窮地を悟った小沢氏が、離党説を打ち消そうとしているようにも見えた」と推測した。

<側近の平野貞夫元参院議員も日、「新党を作ったりすることはない。菅さんに挙党態勢を作る気があれば、知恵、力を貸す気持ちがある」と、小沢氏の胸中を推し量りつつ歩調を合わせた。>(産経)

筆者が後に外務大臣になった園田直の秘書官を務めたが、園田氏が若い頃つとめた衆議院副議長当時、その秘書官を務めていたのが平野氏。全く「旧知の仲」である。

平野氏は他方、その当時から田中角栄氏をつうじて小沢氏に接近。国会運営に抜群の知恵を持つ平野氏は、小沢氏に高く評価されていた。

小沢氏の周辺からは多くの「側近」が離反して行ったが、平野氏だけは引退後の現在も「知恵袋」であり続ける。愛娘が小沢側近の樋高参院議員に嫁している通り、小沢氏の信頼は硬い。

その平野氏が小沢氏の離党や新党結成を否定し、党執行部への協力姿勢を示した事は相当な確度を持ってみるべきだろう。

場面は福井県越前市のホテル。11日の同党所属衆院議員のパーティーで、あいさつの終盤にさしかかると、急に神妙な面持ちになって頭を下げた。「私事で多くの同志のみなさんに大変、ご心配、ご迷惑をおかけしていることを、この機会におわびをいたす次第です」何だろうか。

<国会招致問題で渦中の小沢一郎元民主党代表は11日、同党衆院議員のパーティーで「同志に迷惑をかけた」と珍しく謝罪した。岡田克也幹事長らとの亀裂が決定的となりつつある中、離党−新党結成も視野に入れているという小沢氏。

だが、多くの野党は小沢氏との連携に冷ややかで、離党後の展望は開けない。逆に党に残っても政治資金規正法違反事件で強制起訴されば求心力の維持は厳しく、進むも退くも苦難が待ち受ける。そんな小沢氏の迷いが謝罪の言葉となってにじみ出たのかもしれない。

これまで小沢氏は「司法の場で説明する」と国会招致に応じない考えを繰り返してきた。国会招致問題が本格化してからは公の場で謝罪したこともなく、強気だった。

一方、岡田氏らには、小沢氏の招致によりクリーンな姿勢をアピールし、政権浮揚を図る思惑がある。岡田氏は11日、一歩も引かない姿勢を強調しており、小沢氏との溝は埋まらない。

斎藤勁(つよし)国対委員長代理が同日、首相公邸で菅直人首相に役員会での「激突回避」を要請したが、首相から明確な返答はなかった。

「こういう状況で連立するのは、小沢さんの延命策になる」

自民党の森喜朗元首相は11日のテレビ東京番組で、民主、自民両党の大連立に小沢氏が関与するのなら反対する考えを示した。

小沢氏は8日の会合で新党結成を視野に入れた発言をしたが、多くの野党は小沢氏との連携に否定的だ。自民、公明両党幹部は11日、政倫審よりも強制力のある証人喚問への小沢氏出席を求めた。

「民主党の政権を何としても成功させたい」「国民の生活を大事にする政治を民主党政権で実現したい」

小沢氏はパーティーで「民主党政権」の維持を強調した。自らの置かれた窮地を悟った小沢氏が、離党説を打ち消そうとしているようにも見えた。>(産経新聞 2010.12.12 00:35)

◆本稿は、12月13日(月)刊の「頂門の一針」2122号に
掲載されました。
◆<2122号 目次>
・小沢氏、新党断念か:渡部亮次郎
・「侏儒の言葉」と民主党の政局と: 阿比留瑠比
・これなら日本で出産するわけだ:前田正晶
・注目される中国のインフレ率:宮崎正弘
・定住自立圏構想とは:須藤尚人
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月11日

◆小沢氏、新党結成に言及

渡部 亮次郎

「党内抗争」の引き金になるとみられている12日投開票の茨城県議選(定数65)を目前にして小沢氏が新党結成に言及「次のことも考えないと」8日夜 舛添氏らとの会合で延べていたことがわかった。

一方、菅直人首相(民主党代表)は9日、小沢一郎元代表に衆院政治倫理審査会(政倫審)への出席を求める国会の議決を年内に行うことを目指し、13日の党役員会に提起する方針を固めた。

いわば「風雲、急を告げている」感じになっているが、菅氏は「逃げのカン」であるし、小沢氏も新党と口では言うが、前途は楽観できない。両者、しばらく「神経戦」を展開するのではないか。

<民主党の小沢一郎元代表が8日夜の鳩山由紀夫前首相らとの会合で「次のことも考えないといけない」と新党結成を視野に入れた発言をしたことが9日、分かった。

党執行部が「政治とカネ」の問題をめぐり小沢氏の国会招致実現に動き出す中、小沢氏としては局面打開のために現在の民主党にとどまらないことも選択肢に入れたようだ。

一方、党執行部は、小沢氏が国会招致に応じない場合、離党勧告を突きつけることを検討し始めた。

会合には無所属の鳩山邦夫元総務相と新党改革の舛添要一代表も参加した。小沢、由紀夫両氏は菅直人首相について「おれたちを切って、政権を浮揚させようとしている」と批判した。

そのうえで、小沢氏は「民主党への愛着はある。自民党に政治を戻してはいけないし、民主党が今の形で政権を維持させなければいけないと思う。しかし、それがどうしようもなければ次のことも考えないといけない」と発言した。

民主党内は、小沢氏を支持するグループから両院議員総会の開催や、参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官の更迭を求める動きが顕在化し、執行部との対立が激しさを増している。

小沢氏としては「脱小沢」路線を取る現執行部が居座り続けることも想定し、民主党分裂の覚悟を示したとみられる。

これに対し、小沢氏と距離を置く議員からは「小沢氏を離党勧告するしかない」(中堅)という強硬論が上がっている。>
産経新聞2010.12.10 02:24

<菅直人首相(民主党代表)は9日、小沢一郎元代表に衆院政治倫理審査会(政倫審)への出席を求める国会の議決を年内に行うことを目指し、13日の党役員会に提起する方針を固めた。

年明けの通常国会で新年度予算案の審議を円滑に進めるには、野党が求める小沢氏招致が不可欠と判断した。役員会には強い反対論もあるが、首相は多数決による決定も含め強気の構えだ。

小沢氏は首相の強硬姿勢に対抗し、12日投開票の茨城県議選での民主党苦戦を見越して、13日以降に菅政権を質す両院議員総会の開催を求めるよう側近議員に指示。

小沢氏周辺には、参院で問責決議が可決された仙谷由人官房長官を更迭するための内閣改造論が強まっている。年末の来年度予算編成を前に首相と小沢氏の対立が先鋭化しており、菅政権は緊迫してきた。

民主党執行部は今月に入り小沢氏招致に向けて協議を続けてきた。仙谷氏や岡田克也幹事長は、小沢氏招致を避け続ければ野党が結束して反発し、通常国会の予算案審議が冒頭から紛糾すると判断。

法的強制力はないものの、政倫審出席議員の過半数の議決で小沢氏の出席を求め、菅政権として「政治とカネ」の問題に前向きに取り組む姿勢を示すべきだと強く進言した。

首相は8日の岡田氏との会談でこの方針を了承し、同夜の民主議員との会合で「小沢氏の説明がないと国会が回らない。小沢氏は9月の代表選で自分が説明すると言っており、今がその時だ」と強調。

岡田氏も9日の記者会見で「予算案や関連法案を通していくうえで野党の協力を得るためにも重要だ。小沢氏は国会が決めたことには従うと言っている」と、強い決意を示した。小沢氏が議決に応じない場合は、離党勧告も視野に強い態度で出席を迫る構えだ。

13日の役員会では岡田氏が議決を提案して首相か岡田氏への一任を取り付け、年内に政倫審を開いて議決したい考えだ。

ただ、役員会では小沢氏に近い輿石東参院議員会長らから反対論が噴き出す可能性がある。首相と岡田氏は役員会としては異例の多数決による決定も視野に入れるが、役員会が紛糾すれば決断を先送りする可能性もある。

首相らの強硬姿勢の背景には、「政治とカネ」を重視する公明党に国会運営上の軟化を促す狙いがある。

9日には、民主党の鉢呂吉雄国会対策委員長が公明党の漆原良夫国対委員長と会談し、議決が行われれば賛成するよう要請。公明党幹部は「議決の要請があれば反対できない。小沢氏の問題にけじめがつけば、民主党への協力を考える余地はある」と語った。>
(Asahi Com 2010年12月10日5時0分)

2010年12月10日

◆マスコミへの諦観

渡部亮次郎

私は、マスコミの世界にいたこととは関係なく、マスコミというものを信用しない。「あれはあれで仕方のないものだ」と言う一種、諦めの目で見ている。だから嘘を言われても怒らない。嘘をつかないと立場が無かったろうとの想像が容易だからだ。

事件、事象に客観的に立ち向かうとしても、それを記者として表現するのに客観的という事は殆ど不可能だ。どうしても、どこかに記者自身の感情が入る。

大阪放送局(NHK)でニュース・デスクをしていた時、若い警察担当記者が「枚方市の郊外で野犬数匹が登校途中の小学生たちに噛み付いて怪我をさせた」と言う原稿を送ってきた。一応、ローカルニュースの時間に放送した後、この原稿、私が書けば東京で全国放送するよ、と次のように書き換えて,東京へ送った。

「日本で最も古い大阪・枚方市の団地で、転勤族の捨てて行った犬たちが野犬の群れとなって登校中の小学生の集団を襲い、数人に怪我をさせるという出来事がありました」。果たして全国ニュースになった。

「日本最古の団地」「転勤族」「野犬の群」「小学生の集団」これに食いつかないのは記者じゃない。しかし通り一遍のベタ記事をここまで膨らませるのは「腕」と知恵というより「犬」に対する憎しみの「感情」が先立っている。しかも犬にニュースに対する抗議は不可能だ。

事ほど左様にニュースにはどうしても記者の感情を全く排除する事は不可能だ、と思っている。

世論調査にしたところで設問の仕方で結果は大違い。内閣の支持率調査でも、その内閣に対して好意的に質問は可能だし、その逆も可能。だとすれば設問の内容を検討しないで、出てきた数字だけで判断したら間違うことになる。

まして数字の解説記事も、よほど注意しないと間違う。だから私ははじめから世論調査そのものを眉唾ものと決め付けている。もともと新聞は産経しか読まないし、テレビは殆ど見ない。

産経新聞のテレビ欄を見ると歌舞伎役者の喧嘩沙汰に五月蝿いくらい多くの時間が費やされて顰蹙を買っているようだが、テレビ会社は、視聴率さえとれれば、あとは野となれ山となれなのだから、視聴者のレベルにあわせた番組編成をしているだけだ。

それを「公共の電波を浪費して、くだらない番組を放送するな」とパソコンで叫んでみたところで、テレビは馬耳東風。馬の耳に念仏。わしゃ聞えません。テレビは視聴率が高ければ高いほど儲かる方式になっているから、大衆を教育はしない。精々楽しくさせるだけである。

我々大衆とは賢いものではない。テレビと言っても何処のテレビの何時に誰が言っていたかでは無しに「テレビがそう言っていた」と言いふらす。番組のくだらない部分だけが一人歩きして「世論」となったりする。ましてテレビがわが一定の憶測を秘めて大衆を誘導したら、大衆はひとたまりもなく騙されてしまうはずだ。

だから民放テレビが盛んに開局を始めたころ、辛口の社会評論家大宅壮一が、今日を予想して言った「テレビで一億総白痴化する」と。

実はテレビのレベルを大衆が超えれば、テレビは誰にも見られなくなる。皆に見てもらうためにはテレビはそのレベルを大衆に合わせて居なければならない、逆にいえばテレビは大衆そのものである。

民放は只だというが、スポンサーはその分を商品の原価に被せているのだから、大衆は受け取る商品をつうじて視聴料を払わされているに過ぎない。視聴者はテレビを見ている心算が、スポンサーにテレビを見させられているに過ぎない。

そんなこんなを考えると私はテレビを見ると白痴になるような気がして、見ることをしない。なるほど大宅が言ったようにテレビを見ると思索がいらなくなるから、白痴は大げさとしても利口にはならない。

新聞にしたところで事情は余り変わりが無い。「新聞は社会の木鐸」は既に死語である。自民党が殆ど2世3世議員ばかり。やるべきことを何でも先送りするばかりでくだらないからと、日教組教育で赤く染まった連中が民主党への政権移譲を煽った。

煽っているうちは読者は主導権を失ったかに見えたが、新聞としては読者に逆らっては売れないのだから煽っているようで実は読者に諂っていたに過ぎない。それが証拠に政権交代したら部数が格段に増えたという話を聞いていない。

新聞に煽られた、けしからんと言う人がいるが、新聞もまた読者に合わせた紙面を作っているのであって、新聞は読者に煽られていただけである。2010・12・09
◆本稿は、12月10日(金)刊の「頂門の一針」2119号に
掲載されました。著名寄稿者の寄稿もご拝読下さい。

◆<2119号 目次>
・マスコミへの諦観:渡部亮次郎
・台湾の連戦元副主席に孔子平和賞:宮崎正弘
・北朝鮮暴走、世界制覇を目論む中国:櫻井よしこ
・米民主党の対中姿勢の宥和部分とは:古森義久
・プロも読めない為替と株:平井修一
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記

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2010年12月08日

◆鰰(ハタハタ)の季節

渡部 亮次郎

わが郷里秋田では、11月に入ると霙(みぞれ)の毎日だったが、大人たちは鰰(はたはた)の接近を待った。民謡「秋田音頭」にある如く男鹿半島などに来る。

但し私の生まれ育ったところは男鹿半島の付け根にできた汽水湖八郎潟の沿岸だったから、鰰の接近を目にすることはできなかった。産卵の為秋田県各地の沿岸に来る雌の後を追ってきたオスが受精させるべく行動を起こすので海は真っ白になるという。

今年(2010)もすでに東京・日本橋のデパート地下では鰰が売られているそうだから、秋田ではそのシーズンに入ったということだろう。

ハタハタの卵は「ブリコ」と呼ばれる。ハタハタ漁の時期、雌の多くは直径2〜3mmの卵をたくさん腹に抱えており、この卵の周りはヌルヌルとした感触をもった粘液で覆われている。

生のハタハタを焼いた場合、この卵の固まりをかじると口の中で小気味よくプチプチとはじけてうま味が広がる。

塩漬けや味噌漬けにして保存したハタハタの場合、卵の皮がゴムのように硬くなり噛むと顎が疲れるくらいになる。このくらい皮が硬くなると、噛んだ時の音が「ブリッブリッ」という鈍い音になる。これが「ブリコ」と呼ばれるゆえんである。

秋田音頭の歌詞に出てくる「男鹿で男鹿ブリコ」のブリコとはこれのことである。

残念ながら八郎潟沿岸では鮒や鯰が安くふんだんに手に入るので、鰰には余り縁がなかった。たまに串焼きしたのを食べたのは子供のころ。魚醤の汁に切り身をいれたしょっつる鍋を秋田市川反(かわばた)の料亭で食べたのは50歳ごろだった。

鰰の英名は Sailfin sandfish だそうだ。

体長20cm程になり、水深0〜約550mまでの泥や砂の海底に生息する深海魚。生息域は太平洋北部、特に日本海、オホーツク海、アリューシャン列島
など。

秋田県の県の魚に指定されている。主に食用で、しょっつると呼ばれる魚醤で親しまれる。

秋田県では雷の鳴る11月ごろに獲れるのでカミナリウオの別名で呼ばれる。一般にハタハタは漢字では「鰰」(魚偏に神)と書くが、上記の理由から「魚偏に雷」と書く場合もある。また、冬の日本海の荒波の中で獲りにいくことが多いから「波多波多」と書くこともある。

北日本日本海側では底引き網などで獲れる。一時期漁獲量が極端に減少したことを受けて漁獲制限や卵からの孵化、放流事業が行われ一定の成果を収めている。

近年、北朝鮮、韓国からの輸入も増えているが地域に密着した食材であることから高価であるにもかかわらず国内産の人気は高い(1990年代後半、北朝鮮産ハタハタに重量水増しのため石が詰められていたという事件の影響等も否定できない)。

1970年代までは秋田県において大量に水揚げされ、きわめて安く流通していた。あまりの安さに、一般家庭でも箱単位で買うのが普通であった。

冬の初めに大量に買ったハタハタを、各家庭で塩漬けや味噌漬けにして冬の間のタンパク源として食べていた。1980年代に急激に漁獲量が減り、現在では高級魚として高値で取引されている。

1992年9月から1995年8月まで全面禁漁を行ったことも影響したのかここ数年は産卵のため浜に大量に押し寄せて来る姿が見られ、当時の賑わいを取り戻したが遊漁者の転落死亡事故が多発するなどの問題も発生している。

ハタハタの干物食べ方は塩焼き、田楽、ハタハタ汁など。ハタハタ寿司はなれずしの一種で、保存食となる。

鱗が無いことと小骨が少なく脊椎も身から簡単に離れるため、一匹丸ごとかせいぜい頭を落としただけの状態で煮たり焼いたりすることが多い。鮮度のよいハタハタを焼いた場合、尾びれの付け根で骨を折っておくと頭のほうから脊椎が全部きれいに抜け食べやすい。

塩蔵したものや味噌漬けにしたものを煮たり焼いたりして食べることも多い。これらはタンパク源が少なくなる雪国の冬を乗り切るための重要な食材であった。

ハタハタを塩漬けにして発酵させたものは「しょっつる」(塩魚汁または塩汁)と呼ばれる魚醤となる。これを用いてハタハタ、野菜、豆腐などの「しょっつる鍋」をつくる。

秋田では醤油や魚醤による鍋のことを「かやき」と呼ぶため、しょっつる鍋もしばしば「しょっつるかやき」と呼ばれている。なお、「かやき」は大きな貝を鍋代わりに使う意味の「貝焼き」が訛ったものと思われる。

秋田弁では「ハタハタ」の「タ」の音は鼻濁音で発音される(鼻に息を抜きながら発音される)。このため、しばしば「ハダハダ」という音に聞こえる。

秋田では関ヶ原の戦いで佐竹氏が秋田に移封してきた年以降大漁になった事から「サタケウオ」とも呼ばれ、秋田に移った佐竹氏を慕って水戸からやって来たとの伝説がある。
                            2010・12・7
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◆本稿は、12月8日(水)刊の「頂門の一針」2117号に
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◆<2117号・目次>
・高齢者を虐待する側の論理:平井修一
・国内にいる日本人と海外邦人との落差:古澤 襄
・ウィキリークの意外な「機密」とは:宮崎正弘
・鰰(ハタハタ)の季節:渡部亮次郎
・斉藤祐樹を持ち上げるな:前田正晶
・話 の 福 袋
・反     響
・身 辺 雑 記
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