2009年11月27日

◆日々成長する日中戦争の犠牲者

渡部 亮次郎

日本軍の犠牲者は45万5700人(1937-1945)。これに対して中国勢力の犠牲者数は共産党政権維持のための反日プロパガンダも加わり、中国側の「日中戦争の犠牲者数」は「日々成長している」。こんなバカな話があるか。

特に1950年以降国内で中国共産党政府が起こした大躍進政策での大量餓死(死者は推計2000万-5000万人)、文化大革命での大虐殺(推計3000万-7000万人)、天安門事件などへの国内批判の払拭と中国の対日政策のため、反日教育の一環として大幅に犠牲者数が増えていった。

そのうち、当時の中国人口よりも犠牲者数が増えるのではないかと揶揄する歴史家もいる。

変遷した日中戦争の中国側犠牲者。

終戦時 GHQ調査・発表は 国民革命軍のみで132万人であった。

ところが、1948年 国民党政府報告書では確認数438万人となった。但しこの時加算された犠牲者数の中には日中戦争終戦後に勃発した国共内戦などでの犠牲者数が含まれていることに注意する必要がある。蒋介石と毛澤東の内戦での死者も日本軍が殺した事に摩り替えている。

さらに共産党が政権を握るや、日本軍による中国の犠牲者は飛躍的に増大する。

共産党が独自に日本軍と闘った事は無いくせに、政権の主体性をでっちあげるべく、犠牲者の多いことを必要としているのである。

1950年代には共産党政権が「1000」万と発表 。つづいて 1970年に入ると1800万と発表 1985年 (抗日勝利40周年)には2100万と発表これ以後 博物館や教科書で公式数字とした。

ところが1998年、江沢民が3500万発表。この江沢民氏の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる 2005年(抗日勝利60周年)になると卞修躍博士が驚くなかれ5000万発表したのである。

中国政府が提示した数字を達成するのに必要な日数 を計算してみてさらに驚いた。まず、3500万人を殺害するには毎月、36・5万人を殺さなければならない。

原子爆弾に優る武器があれば別だが、不可能な話である。

日中戦争が行われたのは1937年7月から1945年8月。約8年(96ヶ月間)に、日本軍は3500万人の中国人を殺すことになると月平均、約36・5万人。

中国政府が30万人を殺したと主張している南京大虐殺では戦闘活動に時間を費やされることもなかったにも拘わらず、2ヶ月を要した。つまり計算では南京大虐殺の2倍以上の殺戮を毎月欠かさず96ヶ月行わないといけない計算となり、事件では通常の半分しか殺せなかった計算となる。

5000万人を殺害するには、どうか。先の計算方式だと月平均、約52・1万人を殺さなければならなかったはず。

中国政府が30万人を殺したと主張する南京事件では戦闘活動に時間を費やされることもなかったにも拘わらず、2ヶ月を要した。つまり計算では南京大虐殺の3倍以上の殺戮を毎月欠かさず96ヶ月行わないといけない計算となり、事件では通常の3分の1以下しか殺されなかった計算となる。

当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蒋介石国民革命軍・共産党軍(現:中国人民解放軍の前身)・その他馬賊や抗日武装勢力など複数の勢力が、割拠する地域で、日中戦争中には主に2つの勢力(蒋介石軍と共産党軍)に分かれて戦争をしていた。

その中で各地で暮らしていた中国人達は翻弄され、農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘やゲリラ戦に巻き込まれ命を落としたり、戦闘継続の中で各勢力に食糧を徴発され、飢餓に陥る人も大勢いた。

また日本人をはじめ在留外国人も戦闘に巻き込まれた。但し中華民国政府の発表と異なり、現在中華人民共和国政府が公表している統計は学術的検証がなされておらず根拠とならない。出典:「ウィキペディア」
                            2009.11.23

2009年11月24日

◆中共は日本に勝ってない

渡部亮次郎

WEB 熱線『アジアの街角から』2009/11/23_Monによると、抗日戦争の被害を中国共産党は明けても暮れても大宣伝しているが、良く聞いてみると「日本軍に勝った」とは1度も言っていない。「案外、正直な国だ」と言えなくもないそうだ。

筆者は「hideおじさん」という日本人。

<ーーーご多聞にもれず我が社も中国に出店がある。

若い連中が「中国」という大国で頑張っている姿には、いつも感心させられるし、心強く思う気持にもなる。

そんな彼が久しぶりに帰国し、話す機会があった。

なんでも、休みの日には名所旧跡を訪ねまわっているそうなのだが、相手の国の歴史や文化を理解しようとするのは非常に大切なことだと思う。

南京の、あの有名な施設にも行ったそうだし、「抗日」と名の付くところもどんどん見学したそうである。

そんな彼が「そこで気が付いたことがあるんです」と嬉々として言う。

「ご存知の通り中国には、ありとあらゆるところに抗日関連施設があるんですが、日本との戦闘に勝ったという施設は見たことがない
んですよ」

何の違いがあるのか?チョッと理解できず聞き返してしまったのだが、「抗日なんとかという施設は、簡単にいうと、日本軍にこんなことをされたとか、こんな酷いものだったという趣旨の施設だと思うんです。

だけど良く考えたら、日本との戦いでこんだけ負けたと言っているに等しいと思うんですよ」

なるほど、そんな見方もあるのかと思ったが、中国側からすれば「俺たちはこんな酷い状況に置かれても決して屈せずに戦った」ということを言っているのだと思う。

しかし、確かに戦勝記念なんちゃらというような、戦闘に勝ったことを自負する施設はまず聞いたことがない。

「抗日戦勝記念日」はあるけど、あれだけ○○記念施設が好きなお国柄なのに戦いに勝ったという直接的な表現の施設を見かけないというのは、まことに不思議である。

抗日が国是みたいなお国としては、とても戦勝記念日だけで満足するとは思えないのだが...。

でも、考えてみると「無いんだから無い」のかもしれないな‥‥

そう思うと、中国って案外正直な国じゃないかと思えてきた‥‥
是非、他の面でも正直であっていただければと願う次第である。>

≪ WEB 熱線 ≫≡アジアの街角から≡より転載
http://chinachips.fc2web.com/common/mailmag.html

毛沢東は「日本軍がいたから蒋介石軍に勝てた。それで共産主義革命が成就できた。日本軍のお蔭だ」としばしば、述べていた。彼らは蒋介石を倒す為に、蒋介石と戦っていた日本軍と多少の小競り合いはあったが、当面の敵ではなかった。

土台、江沢民がでっちあげたように、日本軍が中国人を3500万人も殺せたならば、日本は中国に負けるはずが無い。負けたのは、アメリカに原子爆弾でとどめをさされ、連合国に無条件降伏をしたのである。

連合国の中に、「中華民国」は含まれていたが、中華人民共和国は含まれていない。だから、日本は中華人民共和国とは戦っておらず負けてもいない。だから、中華人民共和国は日本に1度も勝ったことは無い。

また「抗日」をやったのは中華民国であって、中華人民共和国ではない。どうしても「抗日」を中華人民共和国がやったといいたいなら、中華人民共和国は中華民国に生まれ替わるしかない。

「案外、正直な国」なんかでは無い。ありもしないことを、あったと嘯いて、世界をだまし、自国民を騙し、やがて自らを騙さないと辻褄の合わないことになるだろう。2009・11・23



2009年11月21日

◆「川向う」を変えるか「スカイツリー」

渡部亮次郎

東京の「川向う」が、東京一になる。世界で2番目に高い建造物が、「川向う」たる墨田区押上(おしあげ)に完成するからである。東京スカイツリー、高さ634mの電波塔。東京タワーの約2倍である。

大学が1つも無く、「学術」「文化」に無縁の「川向う」だったが、一挙に「電波」の発信と「観光」の街に変身することになった。
東京湾の波が押し寄せていた「押上」の浴びる脚光の陰で、旧来の観光地浅草は寂れるんじゃないかと心配しているそうだ。

だが、タワーの建つ押上、向島近辺は余りにも開発から取り残されており、果たして関係者が目論む皮算用に、地元商店街や町内会がどれほど呼応できるのか、新参者は心配しながら見ている。

いずれにしろ、タワーは私のパソコンから目を上げると真正面に聳え始めており、やがて北の空を東と西に分割する「線」になりそうだ。

元々押上あたりは1902(明治35)年に東武伊勢崎線吾妻橋駅(のち浅草駅、現・業平橋駅)が開業。 続いて1912年11月3日には、京成本線(現・京成押上線)の始発駅として、押上駅が開業した。 東京の下町で最も繁華な街の一つを形成していた。

しかし、1960(昭和35)年12月4日に都営浅草線が開通し、京成押上線 - 京成本線との相互直通運転が始まると、押上駅は単なる中間駅となり、ターミナル駅の座を失い、商業が衰退。

2003年3月19日、押上駅に半蔵門線と東武伊勢崎線(両線も相互直通運転)が開通。

2006年3月25日、新東京タワーの建設地に決定。同時に周辺区域の大規模な再開発も予定されている。

スカイツリーは2008年7月14日 安全祈願祭と起工式典をして着工。タワー部分の総事業費は約650億円を見込む。2009年11月10日 高さ200m到達(公式HP)。 12月末 高さ230mに到達予定。

東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー、Tokyo Sky Tree)は自立式鉄塔で計画・着工当初の高さを610.58mとする予定だったが2009年10月16日に高さ634mに修正、自立式電波塔の高さ世界一を目指すことを発表した。

事業主体は、東武鉄道が出資する東武タワースカイツリー株式会社。2011年12月(遅くても2012年早春)に竣工の予定。

2003年12月にNHKと在京民放キー局5社が600m級の新しい電波塔を求めて、「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足し。2006年3月に現在の建設予定地に決定した。

東京スカイツリーの建設目的は東京都心部に建てられている超高層ビルの増加に伴う、東京タワーの電波障害を低減することにある。建設計画の中で地上デジタル放送やワンセグ放送が普及してきており、2011年7月24日には地上アナログテレビ放送が終了となるため地上デジタル放送用の電波塔となる。

東京都墨田区に所在する東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線・京成押上線・都営浅草線の押上駅と東武伊勢崎線の業平橋駅の間に挟まれた、東武鉄道の本社隣接地で所有の貨物駅(のちの業平橋駅3、4、5番線ホーム)跡地に建設されている。

事業費約500億円を東武鉄道が出資。建設費は約400億円。総事業費は約650億円。テレビ局からの賃貸料および観光客からの入場料などで収益を得る見込みである。

2006年5月に第一生命経済研究所が出した予測によると、開業から1年で300万人が訪れると仮定、経済効果を473億円と試算している。

また2008年1月公表の墨田区「新タワーによる地域活性化等調査報告書」では東京スカイツリーへの来場者を年間552・4万人、併設される商業施設等を含めた開発街区全体での来場者数を年間2,907.9万人と試算している。こちらの試算は「捕らぬ狸」の感。

施工:大林組
階数:地上31階、地下3階(オフィス棟)
高さ:634m(電波塔)及び約160mのオフィス棟
敷地面積:36,844.41m2(施設全体)

構造:鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造

電波塔内の施設:放送施設・展望施設(450mに特別展望ロビー・350mにも展望ロビー)・商業施設ほか。」

350mの展望台にはレストランやカフェ、ショップなども併設される。また4階には出発ロビー、5階には到着ロビーがそれぞれ設置される。

エレベーター:地上から350mの高さにある第1展望台まで約50秒間の分速600m40人乗り4台、第1展望台と450mの高さにある第2展望台を結ぶ約40秒間の分速240m40人乗り2台。

地下駐車場から第2展望台まで昇降距離464.4m27人乗り業務用2台、その他にも第1展望台内の移動用に1台、タワーの足元の施設に4台がある。

地上31階建てのオフィス棟の他、中層の商業棟、広場、約1,100台分の駐車場なども建設される予定。
完成時の高さ [編集]
2011年完成時点で、自立式鉄塔としてはキエフテレビタワーの385mを上回る世界第1位。自立式建築物としては広州テレビ・観光塔(建設中)の610mを上回り、ブルジュ・ドバイの818mに次ぐ世界第2位となる予定。

建設計画を策定する中で当時世界一の高さであったカナダオンタリオ州・トロントにあるCNタワーを上回る高さとしてアメリカイリノイ州・シカゴに建設予定であった「シカゴ・スパイア」(現在は凍結中)のアンテナを含めた高さが約2,000フィート(約609.6m)であったため、「610m」という数字になった。

構想段階では世界一高い建造物を目指していたが、完成時の高さを非公開にして建設していたブルジュ・ドバイが高さ818mで完成した。この高さを超えるように計画は修正されていないため、世界一高い建造物にはならない。

2009年10月16日に計画を修正し、高さ634mを目指すことを発表した。数字には「むさし」武蔵地区などの語呂合わせも考慮したとしている。

デザインは五重の塔を参考にして、心柱(鉄筋コンクリート造の高さ375m直径約8mの円筒で内部は階段)により地震などによる揺れを抑える心柱制震構造となっている。

タワーの水平方向の断面は地面真上では正三角形であるが、高くなるほど丸みをおびた三角形となり地上約320mで円となる。概観は「起り」(むくり)や日本刀の緩やかな「反り」(そり)の曲線を生かした日本の伝統建築の発想を駆使し、反りの美的要素も盛り込まれている。

2009年2月26日にカラーデザインが「スカイツリーホワイト」と決定された。これは日本伝統の「藍白」(あいじろ)をベースにした独自の命名のオリジナルカラーで、青みがかった白である。なおエレベーターシャフトはグレー、展望台はメタリック色、頂部は鮮やかな白である。

総務省は情報通信審議会情報通信政策部会「第42回地上デジタル放送推進に関する検討委員会」(2009年1月16日)において、「関東広域圏の地上デジタル放送の親局が東京タワーから東京スカイツリーに移行することによる視聴者への影響はほとんど無いであろう」との見解を示した。

東京23区内は電波の強度が強く、アンテナが東京スカイツリーに向いていなくても地上デジタル放送の番組を視聴できる可能性が高く、また東京タワーや東京スカイツリーから離れている地域については位置関係が相対的に変わらないため、視聴者に与える影響はほぼ無いであろうとの見方が示された。

NHKは2009年度から3か年の経営計画において、完全デジタル化後に北関東を総合テレビの広域圏エリアから切り離す構想を明らかにしている。このため、送信アンテナの設計にあたっては他局とのエリア調整をどのように行うかが課題として浮上した。

TOKYO MXは親局を東京スカイツリーに移すことで都内全域に放送を届けられるようになるが、その一方で大幅なスピルオーバーが発生するとして近隣県の独立放送局から反発を受けている。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009・11・19

2009年11月19日

◆摂食拒否の幼稚な容疑者

渡部 亮次郎

<市橋容疑者、医師が診察=異常なし、依然食事せず−千葉県警

英国人女性死体遺棄事件で、千葉県警は14日までに、市橋達也容疑者(30)に医師の診察を受けさせた。診断の結果、健康状態は良好で、脱水症状もないとされた。

行徳署によると、13日夕に診察。市橋容疑者は逮捕後一度も食事をしていないが、「お茶を飲むか」と聞くと、うなずいて飲んでいるという。>11月14日13時2分配信 時事通信

私は記者を20年ほどしたが、初年兵が必ずやらされるという「警察(サツ)まわり」は、事情あって、専門的にやった事は無い。大学は政治学科だったので、刑法は勿論、刑事訴訟法の解釈も知らない。

今度の事件の展開もネットと週刊誌で知るだけだが、事件を所轄した千葉県警行徳署の努力は大変なものだったらしい。それだけに留置した途端、提供する食事を何日にも亘って拒否する容疑者への当惑には同情する。

2年7ヶ月も行方をくらますことの出来た容疑者。ひょっとすると時効まで逃げおおせるかも知れないと、自信らしきものを持ち始めていたのではないか。1000万円の懸賞金も気にしなくなっていたのかも知れない。

しかし、30男にしては幼稚だったのは整形手術だ。容貌が変われば逃げ延びるにプラスになることだけを考え、医師から警察に通報されるマイナスを全く考えていない。この程度の頭脳では、親と同じ医者になれるわけが無い。

特に、頬の黒子除去手術跡が、致命傷になるとは皮肉だった。男性で黒子を除去する人間は少ない。それを敢えて除去したということは「特徴」とされている人間、つまり「指名手配」の男と疑われる事になる。

それに大阪南港で4時間も動かずに顔を隠し、サングラスをして坐っていれば、却って疑われる事になるとは考えなかったのだろうか、不思議である。

いずれにしろ「万事終了」もはや逃げる事はできない。死刑にはならないだろうが、刑期を終えた頃は50を越しているだろう。とうとう、異常な一生が始まった。喉をメシが通らないだろうが、何時までだろうか。

まさか餓死する度胸があるとも思えない。09・11・14

2009年11月18日

◆世論通りは政治じゃない

渡部亮次郎

<普天間問題「鳩山発言ぶれはなぜ?」、日米合意も「無視せず」→「前提としない」→「重い」

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、鳩山由紀夫首相の発言の「ブレ」が続いている。日米首脳会談で合意した閣僚級作業グループの開催を前にした16日朝に「日米合意のもとにすべてを決めるなら議論する必要はない」と言ったかと思うと、同日夕には「日米合意は重い」。なぜブレは続くのか。

背景に「世論重視」の首相の政治スタイルがある。「沖縄の皆さんの思い」というフレーズを好み、沖縄県読谷村(よみたんそん)のひき逃げ事件では「基地があるからこういう事故が起こる」。県民を代弁したいとの姿勢が強く、発言の力点を左右する。マニフェスト(政権公約)の目玉「高速道路無料化」も、世論調査で不人気と分かると、方針転換に言及するなど世論重視は徹底している。

首相にも日米関係への配慮はみえるが、日によってまちまちだ。「日米合意を無視して結論を出すつもりはない」(11月2日)の後で「合意のもとにすべてを決めるなら議論する必要はない」(同16日)と言う。あれもこれも語る手法が問題を複雑にしている。>
産経新聞 2009.11.17

政治は世論を重視しなければならないが、世論そのものは多面的であり、日々、変化するものであるから、鳩山首相が、発言を世論に合わせようとすれば、それこそ「ブレ」が日常化せざるを得ない。

<世論は多くの人々が共有する意見であり、社会の統合化の促進、支配者の統治の正当化のために世論は重要であると考えられている。

特に現代の議会制民主主義に基づいた社会においては選挙を通じて世論が政治的支配の正当性を左右することになる。すなわち世論は政治的リーダーに対する国民の意思表示としての機能があると言える。

しかし世論がどのような内容となっているのか、またそもそも世論といえるような共通意見が世間一般に存在するのか、を知るのは相当程度に困難なことであり、単なるマスメディアの意見、ないし願望が「世論」として紹介されることも多い。またアナウンス効果による世論操作と言われることもある。

世論と対外政策形成過程の関係についてはカナダの国際政治学者ホルスティがいる。ホルスティは先進国における世論の形成者である国民を、国際問題に強い関心や知識・意見を持つ関心層、

関心はあるが知識がないために政党やマスコミの意見を受け入れることで自らの意見を持つ中間層、

知識がないため意見が持てない無関心層に分類し、政策形成の過程において関心層の影響力が大きいとした。

一般的な国際関係理論ではこのように無知な大衆を軽視し、少数エリート集団が対外政策過程に影響しているように考える傾向が強い。現実主義的な世界観が国家を統一的な政治共同体として認識していることが関係しているため、内部的な意見対立を研究対象としない場合もある。>「ウィキペディア」

<民主党関係者が指摘するのは「首相には日米合意の基本である抑止と地元負担のバランスという感覚が少ない」点だ。日米合意の閣議決定にも明記された概念で、米軍の抑止力への理解が根底にないと日米安保は発展しないという考えだ。これが欠けると発言がブレるという解説だ。

実は民主党内にも、抑止と地元負担のバランスを取る「民主党らしい解決シナリオ」(党関係者)があった。衆院選期間中に党幹部が語った沖縄県外への移設論議を撤回し、キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画にできるだけ近い内容で着地する考えだ。

岡田克也外相、北沢俊美防衛相ら関係閣僚は、来年半ばまで時間をかけ「県外移設路線」を軌道修正する案をまとめたが、首相は10月16日、沖縄県名護市長選(来年1月)と県知事選(同11月)を挙げて「その間の来年半ばに決着」と発言し、結論を先取りしてしまった。
これに米側が態度を硬化させると、岡田、北沢両氏は「年内」「早期に結論」を言わざるを得なくなり、「調整した結果の軌道修正にしたかった」(政府関係者)と悔やむ。

岡田氏らと首相のズレも、当初のシナリオに戻ろうとする岡田氏との齟齬(そご)のようだ。岡田、北沢両氏は16日、首相官邸で平野博文官房長官と協議したが、首相のブレを調整する妙案は見つかっていないようだ。>産経新聞 2009.11.17

民主党が総選挙に勝てば、鳩山が首相になる事は自明の理だったが、
大方の人は、鳩山に、これほど思想、哲学、信念が無く、決断力が皆無である事を知らなかったのだろう。

落第したことも無く、挫折を知らずに大人になり、落選も知らずにいきなり首相になってしまった男は、むしろ不幸である。しかも不幸の対策を知らないのだから、救い様がない。大学を出ただけの暗愚である。

昔から言うよ。「バカにつける薬は無い」最高権力者をバカ呼ばわりする失礼は承知しているが、バカな首相を頭に戴く国民の不幸を首相自身が理解して退陣しないうちは叫ぶしかない。(文中敬称略)
2009・11・17

2009年11月17日

◆東大出の暗愚の帝王

渡部亮次郎

昔、鈴木善幸首相はマスコミから「暗愚の帝王」と陰で呼ばれた。
外交がまるで分からず、発言がブレ続けたからである。そこへ行くと普天間でブレ続け、日米同盟の本質を分かっていない点で鈴木に似ており、「暗愚の帝王再来」「東大出の暗愚」である。

日米首脳会談(11月13日、日本首相官邸)は「日米同盟の深化、発展」「日米同盟はアジア太平洋地域の安定の為の機軸との認識」「米普天間飛行場の移設問題は、早期に結論を出す」などで「合意」した。

ところが、オバマを置き去りにしてシンガポールへ夫人と共に先に飛んだ鳩山首相は記者団に鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、「13日の日米首脳会談で合意した日米閣僚級作業グループでの検討は、名護市への移設を決めた平成18年の日米合意を前提としない」と述べたのである。

「オバマ大統領とすれば日米合意を前提と思っていたいだろうが、それが前提なら作業グループを作る必要がない」というのが鳩山首相の理屈。

一方、大統領は同日の演説で「(作業グループは)すでに達した合意を履行するためのものだ」と述べており、認識の違いは明確だ。
これだけの認識の差があるなら、「日米同盟の深化、発展」「日米同盟はアジア太平洋地域の安定の為の機軸との認識」と合意するだろうか。

民主党の中ですら長島昭久防衛政務官は、NHKの番組で「オバマ大統領が『今の日米合意を迅速に実行する』と言ったにも拘わらず、首相が(打ち消すような)話をして正直びっくりした」と述べた。

自民党の石破茂政調会長は15日、「背信行為とも言うべきだ」と批判し記者団に「こんなことなら首脳会談をしない方がよかった」と強調。さらに「大統領の言ったことが合意の中身だと思う。首相は自分の言ってきたことと整合性を取るために合意をなかったと言ったとしか思えない」と指摘。

<普天間飛行場の移設問題をめぐっては、首相は衆院選の最中、国外・県外移設を目指す考えを表明していた。9月の就任後、「移設先は名護市しかない」とする米側の姿勢が硬いことから対応に苦慮。

13日の首脳会談では、主要議題を「個人的信頼関係の構築」に置き、ひとまず結論を先送りすることでどうにか米側の配慮を取り付けた。

オバマ政権は普天間移設に伴う米海兵隊のグアム移転費も含む
2010年度予算編成を年末に固める必要がある。タイムリミットは迫っており、大統領も首脳会談で「迅速な決着」を促している。

そうした中で大統領の発言を否定するかのような首相発言は、「不確実な状況が続くことは望ましくない」(クリントン国務長官)とクギを刺してきた米側の態度を一気に硬化させる可能性もある。>
産経新聞 2009.11.15 17:13

鈴木善幸は岩手の網元の息子。水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)を出た政治家とはいえ、自民党の総務会長を長く務めた「まとめ屋」。それが大平の死後、田中角栄の後押しで急に首相になってしまった。

大平の初盆の日に、自民党両院議員総会で総裁に選出されたとき、「もとより私は総裁としての力量に欠けることを十分自覚している。しかし、その選考の本旨に思いを致し、総裁の大役を引き受ける決意をした」と、異例の挨拶をしたぐらいである。

経歴としては、郵政大臣、官房長官、厚生大臣、農林大臣と「幅広く」活動してきたようには見えるが、帝王学に欠かせない大蔵、外務大臣の経験は無い。日米共同声明は、首脳会談の議事録と勘違いして発言がブレたので、気のきいた屋山太郎あたりが「暗愚の帝王」と言って揶揄した。

そこへ行くと鳩山は東大で足りず、アメリカの一流大学まで行って、他人(人)のかかあまで盗んできて、暗愚の帝王である。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員の古森義久氏は「鳩山首相に欠けるのは防衛意識と価値観」と言っていますが、わたしは別だと思う。

大学を2つも出たのだから、学問は十分だ。だが世界観が定まっていない。哲学がない。信念に欠ける。「友愛政治」とか「不戦共同体などは、厳しい国際情勢のなかでは趣味に過ぎない。

国際情勢に定見が無い。無いのに発言してしまうから、訂正を余儀なくされる。世間はこれを「ブレる」と言って許してしまう。

そんな粗末な人間がまず、国会議員になれたのはなぜか。有権者に定見の無いのを見込んで手練手管を用いて騙した「手先」だけの浅ましさである。

政界入りして後は、「名家」「経歴」をゼニにまぶして神輿に乗っただけ。所詮「戦略なき戦術家」の域を出ない三流政治家に過ぎない。
元祖善幸には、元社会党代議士の思想の残滓があったが、鳩山には何も無い。あるのはポーズだけ。鈴木に劣る暗愚の帝王である。2009・11・16



2009年11月16日

◆旦夕に迫った鳩山の命脈

渡部亮次郎

鳩山首相の政策のうち、外交政策の振り付け役は商社員だった寺島実郎しだという。産経新聞ワシントン駐在特別編集委員の古森義久氏も、数々の論文をトレースした結果、外交に関しては鳩山=寺島と断定している。

だから、寺島とは、如何なる人物か、紹介しようと思ったが止めた。なぜなら鳩山はすでに幹事長小澤一郎に見捨てられ、後任は菅直人、何時でもクビを挿げ替える態勢が出来ているらしいからだ。

私の後任の「赤坂太郎」(文藝春秋)2009年12月号によると、「小澤さんは、鳩山の故人献金問題は深刻。追究する自民党次第だが、鳩山内閣は来春まで保(も)つかどうか」と洩らしている。

「その場合は菅直人にスイッチすればいい。どんなことがあっても4年間は解散しない」と明言している、そうだ。完全に党首はオレだといっている。

尊敬するマスコミ界の「長老」は13日、オバマ大統領来日を前に「鳩山首相の命旦夕に迫った」と断じた。

「鳩山内閣が短命政権で終わるという予測を早くから立てていたが、それでも来年の春までは保(も)つと思っていた。外交・安全保障政策は内閣の命取りにはならないというのが、半世紀にわたって政治の世界を見てきた私の判断だからだ。

命取りは首相の汚職などの不祥事である。

しかし鳩山首相の命旦夕に迫った。下手をすると年内にも政権を投げ出すことになりかねない。そう思わないのは朝日、NHKぐらいではないか。虚偽献金問題は致命傷にならないと朝日、NHKは見ている。

だが首相の不祥事は虚偽献金問題だけでない。新聞、テレビはあまり大きく取り上げないが、オバマ大統領の訪日で、皇居で行われる歓迎の宴に鳩山首相が欠席するという。前代未聞だ。

天皇陛下に対する非礼に当たるが、他国の元首に対する非礼は国際的な常識から逸する。

いくら常識に欠ける”お坊ちゃん首相”であっても許されることではない。鳩山側近は諫めて、オバマ大統領が離日するまでシンガポールに出立する時間を変更すべきである。

政府専用機だから時間をずらすことは難しいことではない。それが出来ないようであれば、本当に鳩山政権は年内に倒れる」。

しかし、鳩山はまたまた幸夫人を連れて、13日夜のうちに飛び立ってシマッタ。シンガポールへ。東南アジア重視の姿勢を見せる為に天皇も大統領も無視した。とはいえ、東南アジア各国はシンガポールで軽蔑しただろう。「礼儀を弁えぬボンボン」。逆効果。

天皇陛下のお招きを断るとは、どういうことか分かっていない。まして、自分で招いた賓客が、まだ滞在中だと言うのに、自分がさっさと出かけてしまうとは、どれだけ失礼なことか、まるで分かっていない。

新聞報道に依れば、予算委員会での答弁も5億円以上とされる自身の巨額な資産報告漏れ問題について「恵まれた家庭に育ったものですから、自分自身の資産管理が極めてずさんだったことを申し訳なく思います。心を入れ替えて、しっかりとやりたい。しっかりと国民の皆さんの目線にあった政治を行っていきたい」と語った。

まるで悪戯坊主の言い訳みたいで、呆れるばかり。産経新聞の敏腕政治記者の阿比留 瑠比さんも呆れて、ブログに書いている。「私は当初から、鳩山首相はそう長くもたないだろうという観測を書いてきましたが、政府関係者と話していてもそういう見方が増えています」。裏付けるように内閣支持率がまた下がった。

<内閣支持率、54.4%に低下=半数「政治主導と思わず」−時事世論調査

時事通信社が6〜9日にかけて実施した11月の世論調査によると、鳩山内閣の支持率は54.4%で、発足直後の前月調査から6.2ポイント減少した。不支持は前月比7.2ポイント増の22.8%だった。

斎藤次郎元大蔵事務次官の日本郵政社長への起用など一連の「天下り人事」や、米軍普天間飛行場移設問題をめぐる閣内の混乱、鳩山由紀夫首相の献金虚偽記載問題などが影響したとみられる。調査は、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は66.2%だった。

支持する理由(複数回答)では、「政策が良い」18.1%、「首相を信頼」15.8%、「他に適当な人がいない」14.6%などの順。「リーダーシップがある」は5.4%と、前月からほぼ半減した。

鳩山内閣が「脱官僚」「政治主導」を実践できているか聞いたところ、46.9%が「そうは思わない」と回答、「そう思う」の28.6%を大きく上回った。

望ましい政権の形としては、「民主中心の連立」24.9%、「民主単独」18.6%、「自民中心の連立」12.0%、「自民単独」4.5%、「民主、自民の大連立」16.5%などだった>。
11月13日15時14分配信 時事通信

国民もようやく分かってきたようで、鳩山の命脈は尽きようとしている。2009・11・14

2009年11月13日

◆風雲児フルシチョフ

渡部 亮次郎

フルシチョフは1956年の第20回党大会の秘密報告でいわゆる「スターリン批判」を行い世界中に衝撃をもたらした。

国内政治の民主化の推進や軍縮を進めるとともに、軍事目的やソ連の宣伝も念頭に宇宙開発を推し進め、スプートニクやボストークの打ち上げに成功し、宇宙開発競争においてアメリカを引き離したのも、フルシチョフ在任中のことである。

一方で、集団指導体制を無視した主意主義、主観主義による重要政策の決定、農業政策の失敗によりアメリカやカナダから穀物を輸入するようになったこと、海外訪問の際に家族を同行させたこと、娘婿アレクセイ・アジュベイを特使として西ドイツに派遣したことなどが、一部から顰蹙を買った。

また、激情家で知られ、同志に対する叱責や暴言を繰り返し、党内に多くの敵を作ったとされ、これがのちに失脚につながる大きな原因となった。

フルシチョフは無神論者で、「宗教はアヘンなり」とする共産主義の思想に忠実であった。

第2次世界大戦中に士気高揚のためにごく部分的に緩和された宗教弾圧が再び厳しさを増し、1960―1962年の間に教会(特にロシア正教会の聖堂)の約3割を取り壊した。聖堂の数はその後ペレストロイカ時代に至るまで復興する事はなかった。

無学な労働者階級出身の出自からか、特に科学技術や芸術に関する政策決定ついては周囲の人間の考えを鵜呑みにしやすく、その結果フルシチョフに取り入った人間の主張がそのまま国家の政策となることがままあった。

トロフィム・ルイセンコによる反遺伝学キャンペーン(ルイセンコ論争)はスターリン批判に伴って下火となったものの、ルイセンコ一派は巻き返しを図ってフルシチョフを取り込むことに成功する。

フルシチョフは死ぬまでルイセンコの学説を信じ続け、遺伝子の存在を信じず、カピッツァ(ノーベル物理学賞受賞者)、クルチャトフ(ソ連核開発の父)、息子セルゲイ(ミサイル開発技術者)、娘ラーダ(『ナウカ・イ・ジーズニ(科学と生活)』誌の副編集長)の説得にも耳を貸さなかった。

芸術家たちとの関係も、政治的にうまく立ち回る芸術家たちに振り回され、有名なマネージ展覧会ホールの事件では、エルンスト・ネイズヴェスヌイら前衛芸術家を「西側イデオロギーに侵された逸脱者」として罵倒した上、その作品を「ロバの尻尾で描いたようだ」としてこき下ろした。

ただし、「反体制作家」の烙印を押されて当局からにらまれていた作家のソルジェニーツィン(後にノーベル文学賞受賞)を擁護したり、「ソ連水爆の父」と呼ばれたサハロフ(後にノーベル平和賞受賞)の進言を聞き入れて核軍縮を行うなど、後世評価されるような業績も残した。

フィデル・カストロとともにアメリカ合衆国やフランスなどの資本主義諸国との平和共存外交をすすめ、1959年にはアメリカをソ連の指導者として初めて公式訪問し、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領との友好的な関係を築くことで、冷戦下の世界に一時的な「雪どけ」をもたらした。

その一方で、1959年のキューバ革命後に同国の政権を握ったフィデル・カストロとの関係を深め、翌年に起きたキューバ危機ではアメリカとの戦争の瀬戸際まで進むことになる。

さらに同年に起きた「U-2撃墜事件」ではアメリカと激しく対立、翌1961年に行われたウィーン会談では、アイゼンハワー大統領の後を継いだジョン・F・ケネディ大統領と会談を行ったものの、ベルリンの処遇について対立し、その後の「ベルリンの壁」の構築につながった。

また、同じ社会主義国との関係では、ハンガリー動乱に軍事介入するなど東欧諸国の自由化要求に対しては厳しい態度で臨み、毛沢東率いる中華人民共和国とは社会主義の路線をめぐって論争となり(中ソ対立)、アルバニアとも1961年に断交し軍事衝突寸前まで行くこととなる。

として知られるフルシチョフは、国際的な舞台で話題を呼ぶ事件をいくつも引き起こした。

有名なもののひとつは、1956年11月18日にモスクワのポーランド大使館でのレセプションで、西側諸国の大使に向って「あんたらを葬ってやる」との暴言を吐いたことである。

1960年10月12日の国連総会では、ソ連代表の提出した「植民地主義非難決議」に対し、フィリピン代表ロレンソ・スムロンが「ソ連の東欧諸国への関与こそ当に植民地主義であり非難されるべき」と逆襲したことに怒ったフルシチョフは、自分の靴を脱いでこれで机をバンバンと繰り返し叩いてスムロンの演説を妨害した事件がある。

日本との関係については、日ソ交渉をしたときの最高指導者である。晩年に記した回想記の中で、日本の戦後の発展を羨み、「ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印しなかったことは大きな失策だった」「たとえ北方領土問題で譲歩してでも日本との関係改善に努めるべきであった」と述べていた。

フルシチョフは、日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリンのプライドとモロトフの頑迷さにあったと指摘している。このくだりは結局フルシチョフ本人の政治的配慮によって回想記からは削除されたが、ゴルバチョフ政権下のグラスノスチによって1989年になってはじめてその内容が公開された。

フルシチョフとアメリカのケネディ大統領フルシチョフによる集団指導体制を無視した自らへの権力の集中(第一書記と首相の兼任)、さらには同志に対する叱責や暴言や外国での粗野な振る舞いに反発が高まる。

ひそかにニコライ・イグナトフ、シェレーピン、セミチャストヌイ、ブレジネフらが中心となった反フルシチョフ・グループがフルシチョフの追い落としを着実に準備していった。ブレジネフはフルシチョフの暗殺をもたくらんだとも言われている。

宮廷クーデターの噂はひそかに広がっていて、一部のフルシチョフ信奉者はその情報をフルシチョフ本人に届けようとして、息子セルゲイや娘ラーダに接触した。セルゲイは父と相談するものの、フルシチョフ本人は馬鹿げた話だとして取り合わなかった。

1964年10月、黒海沿岸のピツンダで休暇中のフルシチョフとミコヤンは、スースロフ(一説ではブレジネフ)からの突然の電話で「火急の農業問題を話し合うための臨時の中央委員会総会」のためにモスクワに呼び戻された。

10月13日および14日に開かれた臨時の中央委員会総会で、ミコヤンを除く幹部会員全員がフルシチョフの更迭を要求した。ミコヤンはフルシチョフの第一書記からの解任と閣僚会議議長への留任を提案したが、この提案は否決された。

孤立無援となったフルシチョフは、年金生活に入るために「自発的に」党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)の両方を辞任することに同意した。後任にはブレジネフとコスイギンがそれぞれ選ばれた。

ところで、フルシチョフ失脚後、親しかったミコヤンも指導部から排除された。その結果、ブレジネフ、コスイギン、ポドゴルヌイのトロイカ体制による長い停滞の時代が始まることになる。

1978年1月、園田直外務大臣に秘書官として随行した私は、クレムリンでコスイギン首相と握手したが、その手は、かつて記者時代に握手した、当時の上海市長、張春橋(のちの4人組の1人)と同じく、軟らかく、真綿のような感触だったのは、どうしたことだろう。

あの時、園田はしきりにブレジネフへの表敬(実質的な会談)を望んだが「風邪で療養中」を理由に拒否された。同行記者団にそれを伝えに行ったのは私だった。朝刊の締め切り寸前に伝えてベタ記事に小さくした。ちょっと遅ければ夕刊トップ。「園田初外遊は失敗」となるところだった。

引退後のフルシチョフは、公式には1966年まで党中央委員会のメンバーとしての地位はあったものの、恩給と運転手つき自動車を与えられ、モスクワ郊外の国有ダーチャ(別荘)に住まわされた。

移動の制限は受けなかったが、ダーチャのいたるところに盗聴器が仕掛けられており、生活は当局の監視下にあり、事実上軟禁状態にあった。

年金生活中、フルシチョフは回想をテープに録音し、息子のセルゲイ・フルシチョフらがテープをタイプライターで書き起こした。

キリレンコらソ連指導部はフルシチョフを呼び出して回想録の執筆の中止を要求するが、フルシチョフはこの要求を拒絶した。

党中央委員会に呼びつけられ、回想録の執筆中止を求められたフルシチョフは、その命令に従うどころか逆に激怒して、ブレジネフ指導部の政治をこき下ろした。

さらに、ダーチャのいたるところに盗聴器が仕掛けられていることを憲法違反だと指摘した上で「バスルームにまで盗聴器を仕掛けるとはな!君らは国民の税金を使ってワシが屁をするのを盗み聞きしておるんだぞ!」と怒鳴りつけた。

フルシチョフは回想録の中でこう語っている。「今や世界は2つの陣営(西側諸国、東側諸国)に分断され、互いが相手を絶滅させるための手段の開発にエネルギーを消費している。しかし、戦争は避けることができる。核の時代においては、平和共存こそが唯一の合理的選択なのだ」

息子のセルゲイ・フルシチョフや娘婿のアレクセイ・アジュベイは、当局から様々な嫌がらせを受けることになった。セルゲイはミサイルの専門家であったが、転職を余儀なくされた。

1970年7月には、フルシチョフの入院中に国家保安委員会 (KGB) が息子セルゲイを騙して回想原稿とテープを押収することに成功するが、原稿のコピーはすでにアメリカのタイム社にひそかに送られており、セルゲイは西側での出版という形でKGBに報復した。

なお、セルゲイが西側に原稿を送るのを仲介したのは実はKGB自身であり、その代償としてフルシチョフ自身が回想録の内容の一部削除に応じたという噂がある。

この噂が真実かと問われたセルゲイは「その質問の重要性は理解するが、いかんともしがたい事情から、それに答えることはできない」と述べている。

回想録が西側で出版されると、激怒したソ連指導部はフルシチョフに新聞プラウダ紙上で「回想録はニセモノである」との声明を発表させた。

回想録を出版したアメリカのタイム社は、軟禁状態にあったフルシチョフと接触するのに、仲介者を通さなければならなかった。回想録がフルシチョフ本人が書いたものであることの確かな証拠が欲しいタイム社は、真っ赤な帽子を仲介者に預け、フルシチョフ本人がその帽子をかぶっている写真を撮影して送るようにと依頼した。

帽子を届けられたフルシチョフは、その帽子が贈られた意図を知ると発案者のウイットに敬服し、事情を知らない家族が反対する中、進んでその派手な帽子をかぶって写真撮影にのぞみ、家族の反対を煽ってむしろ面白がっていたという。

実際のところ、回想録がニセモノでないかどうか、すなわち仲介相手からニセモノを掴まされていないかをタイム社は非常に気を揉んだ。

そこで同社はフルシチョフの回想を録音したテープの声紋分析を徹底して行っており、少しでもテープが途切れた部分はその都度、鑑定しなおす必要があったことから、声紋分析の数は数千にも及んだ。

フルシチョフは7年間の年金生活の後に、1971年9月11日にモスクワの病院で死去した。だが、歴代の要人が埋葬されている赤の広場脇には埋葬されず、モスクワにあるノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。

当局との数年にわたる戦いの末に、家族らは墓地に記念碑を建てることを許されたが、その設計を請け負ったのはフルシチョフがマネージ展覧会ホールで罵倒した彫刻家エルンスト・ネイズヴェスヌイだった。

記念碑の黒と白のデザインは様々な憶測を呼んだが、ネイズヴェスヌイはセルゲイ・フルシチョフに「白と黒の組み合わせは、統一と、死に抗する生の戦いとを象徴する」と述べている。

ネイズヴェスヌイはこの記念碑の仕事を引き受けたことが主として災いし、ブレジネフ政権下で様々な迫害をうけることとなり、1976年にスイスへの亡命を余儀なくされた。

1984年に死去した妻ニーナ・ペトロブナも、ノヴォデヴィチ修道院のフルシチョフの脇に眠っている。私たちはその墓参はしなかった。
2009・10・16 出典:「ウィキペディア」


2009年11月09日

◆鳩山を見限った小澤

渡部亮次郎

<2009年11月2日の記者会見で小沢氏は「僕は政策論はやらない。私は党務の方ですから、そういう類のことを発言する立場ではない」と語った。鳩山内閣が失政を行っても、小沢氏が直接責任を問われることはない。

キングメーカーにとってこれらは好都合だ。鳩山首相が失脚したとしても、安全圏にいる小沢氏がポスト鳩山を指名することになる。政権の表の顔は変わっても小沢一頭体制は続いていく。

国会論議の活性化を唱える小沢氏が、政権党の幹事長でありながら衆院本会議で首相の所信表明演説への代表質問を見送っても許されることにもなる。

9月16日に鳩山内閣が発足してから、民主党の国会議員が報道陣の前で公然と、小沢氏を名指しで批判した例は寡聞にして知らない。

政権交代の熱気が冷めやらず、また内閣支持率が高水準を保っているからでもあろうが、最高実力者への批判皆無の政党が「民主党」を名乗っているのは奇妙な感じもする。>産経新聞政治部 榊原智(さかきばら・さとし)記者2009/11/07 10:12更新「SANKEI EXPRESS」

『政府は鳩山、党は小澤』と、いわば棲み分けを取り決めた両者である。だからと言って、党の役員会に党首を呼ばない政党と言う事実は異常としか言えない。

「向こうは政府の代表。政府の代表をこんな場に呼び出すわけにはいかない」というのが、考え抜いた小澤の屁理屈である。一見、正当そうに聞えるかもしれないが間違っている。なぜなら、では党代表は党役員では無いことになってしまう。

要は、党操縦に関して独裁体制を完成させた小澤が、もはや鳩山を見捨てたのではないか。政府に対して口出しもしない代わり、協力もしない、ということだからである。

それでいながら、各界から政府に対する陳情野一切を、政府ではなく、幹事長室が受付、そこから政府に取り次ぐのだという。理屈は、陳情を通じて自民党のような「族議員」の育つ事を阻止するというのだが、これは国民と政府とのパイプを絶つことにも繋がる。

さらに言えば、これは幹事長が総理大臣の上にたつことになり、いわば下克上を地で行くもので、誠に恐ろしい独裁政治の到来を意味する。ヒットラーも真っ青だ。

鳩山がもっとも苦労している来年度の予算編成と基地問題を中心とする日米関係について、小澤の発言が一切、無い。それは『政策』であって党務では無いからだし、幹事長の責任で無いといえば、無いからだ。

僕は政策論はやらない。私は党務の方ですから、そういう類のことを発言する立場ではない、と言っているのは、財源問題で予算編成が悪評さくさくになろうが、オバマ大統領の訪日で、対応に失敗しようが小澤は関知せずと宣言したものである。私は小澤は、既に
鳩山を見限ったと見る。

一時、小澤は鳩山政権について「年内は保(も)たせたい」と気遣った発言が伝わってきたが、「最策に関与しない」と述べた2日の発言は、「どうなっても知らない」との宣言に違いない。

「友愛」を標榜する鳩山は、自分が友愛を感じれば、小澤も感じるはずだと能天気に考え、今夜も幸(みゆき)夫人と幸福に浸っているだろうが、真実を知らないのは、むしろ幸(さいわい)かもしれない。

だが、小澤に友愛はない。政治的理想も無い。有るのは、自分をかつて追い出した旧竹下派を無き者にするべく、自民党を潰すという怨念と野心だけである。己の指名する首相が菅であろうがだれであろうが関心は無いのだ。

案外、参院でも単独過半数を獲得した暁には「わがこと成れり」と政界を引退するかもしれない。彼に論理や正義は無いからだ。
(文中敬称略)2009・11・8

2009年11月07日

◆ブーメラン総辞職

渡部亮次郎

段論法で行けば、鳩山首相は、自分の述べた文句に縛られて、自分の首を絞めなければ、理屈が合わなくなってしまった。場合に依っては辞任が避けられないと、各社の社会部が潜行取材しているようだ。

2009年11月4日に開かれた衆院予算委員会で鳩山首相の献金問題が取り上げられた。テレビを見ていた家人によれば、追及したのは、自民党若手の柴山昌彦議員だった。北関東ブロック比例代表選出ながら、東大卒で弁護士資格をもつ柴山氏は、いいところに目をつけた。

03年7月に鳩山首相が配信したメールマガジンを探し出し、その一節を引用して責めたてた。

「総理は平成15年7月23日のメールマガジンで『秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきなのです』と述べておられます。あなたはどう責任をとられるのですか?」

このメルマガが配信されたのは、社民党の辻元清美議員らが秘書給与流用事件で逮捕された直後。逮捕者の中には土井たか子党首の元秘書も含まれていた。

そのことについて、鳩山首相は「政治家と秘書は同罪」としながら、次のように書いているのだ。

「政治家は金銭に絡む疑惑事件が発生すると、しばしば『あれは秘書のやったこと』と嘯(うそぶ)いて、自らの責任を逃れようとしますが、とんでもないことです。

政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており(そうでない政治家もいるようですが)、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきな
のです」

こう厳しい言葉を投げつけたうえで、「土井党首は身を退かれるべきではないでしょうか」と辞任を促している。この言葉が6年後、ブーメランのように鳩山首相のもとに戻ってくることになったのだ。動かぬ証拠とはこのことだ。

鳩山首相は東京大学工学部応用物理・計数工学科を卒業。その後スタンフォード大学の博士課程でオペレーションズ・リサーチを専攻しPh.D.を取得(1970〜1976年)。東京工業大学助手(1976-1981年)を経て、専修大学経営学部助教授(1981-1986年)。論理には強い。それが裏面に出た。

「秘書が犯したことだから議員は関係ないんだというような弁明をすることは潔く思っていなかった。それは言うまでもありません。このことは私自身に適用できる話だと思っています」

と答えざるを得なくなった。とはいえ、そこは政治家、具体的な事実関係についての質問には、捜査中であることを理由に明言を避けた。秘書の刑事責任が確定した場合の責任の取り方についても「仮定の話に答えるのは控えさせていただきたい」とかわした。

<鳩山首相のイメージダウンを狙い「自分の資金も管理できない金持ちのボンボンが政治をしていることを印象づける」作戦はまんまとあたったのである>。

だから、このような鳩山首相の態度に対して、マスコミの論調は総じて厳しい。

明らかに鳩山政権に肩入れしてきた朝日新聞さえ11月5日付社説で、「資金はどこから提供されたのか。首相本人はどのようにかかわっていたのか。答弁を聞いても、疑惑は晴れない」と断じ、「首相には疑惑に答える責任がある」と迫った。

日経新聞の社説も「首相は『捜査で全容が解明される』と繰り返しているが、説明責任から逃げていては疑惑は深まるばかりだ」と非難している。

産経新聞も坂井広志記者の署名入りで、「肝腎の具体的な事実関係については東京地検特捜部が捜査中であることを理由に説明を避け続け、真相解明にはほど遠いやりとりとなった」と批判的な記事を掲載した。

野党やマスコミの責任追及に鳩山首相は耐えられるのか。テレビ朝日コメンテイターの三反園訓さんは5日放送の情報番組「スーパーモーニング」のなかで、「秘書が逮捕されるかどうかがカギ」との見方を示した。

「このあと秘書が仮に逮捕されるようなことがあったら、鳩山さんのこれまでの政治活動を見てきましたけど、たぶん責任を取られるんじゃないかなと、私は思っているんですけどね」とも述べた。

こうしたことから、鳩山首相の資金管理担当の元秘書が逮捕さたり多額の資金を援助していたとされる母親に対する東京地検の事情聴取が行われれば、辞任が避けられないと気の早いマスコミ各社の社会部が潜行取材している、というわけだ。

就任して、まだ50日あまり。「まさか」とは思うが、マスコミ界の長老は<1993年に自民党政権を倒して連立政権のトップの座についた「殿」こと細川護煕首相は佐川急便からの献金問題が引き金となって、退陣に追い込まれた。細川氏と同じく名家の出で「お坊ちゃん宰相」とも揶揄される鳩山首相も、「献金」にまつわる問題で同じような末路をたどるのだろうか>と案じている。

ブーメラン総辞職となるになるかどうか、断定はできないが、当に「天に唾した」罪といえるだろう。

肝腎、ねて「せめて年内は保(も)たせたい、ともらしているとされる小澤一郎幹事長の、これに対する論評は聞えてこない。しかし、検察からすれば、カネへのまみれ方は小澤氏のほうが汚いのだから、おののいて沈黙するしかあるまい。2009・11・6

2009年11月03日

◆両刀遣いの記者はいない

渡部亮次郎

産経新聞のワシントン、北京、ソウルの責任ある記者はいずれも
他社から引き抜いてきた一騎とうせんの大記者である。定年を既に過ぎながら、そのまま頑張っている。

英語、北京語、韓国語に堪能なだけでなく、駐在期間が長いだけ、各界への人脈が豊富。他社の追随を許さない。

特に政治分野の取材。日本とは違って、役人のテーブルに勝手に近付くことは不可能。政治家へのインタービューなど容易なことではない。

役人は誘い出しても、夜の会食には殆ど応じない。よほど仲良くなったら、昼食を共にしながら情報提供に応ずる事はありうるが、そういう役人を複数作った頃には本社から帰任命令がくるから、元の木阿弥だ。

本社が、何ゆえに、馬鹿なことをするかというと、海外に出たいという希望者が待ちきれないからである。

外信、外報記者予備軍は、人事部が毎年、採用し、一般的な取材や執筆などの訓練を施すために地方支局や放送局に配属する。数年経ったところで東京本社に帰し、まず外務省を担当させる。

1年か、2年で、海外支局に派遣する。そうしない事には一人前の海外取材記者に育たないからである。逆に前任者は、現地で折角創り上げた人脈をごっそり捨てて、本社に帰任する。

本社で何をするか。デスクに坐って「翻訳」をするしかない。そんなつまらない事をしながら、再度、外国に出るのを待つだのである。
痺れが切れた頃、再度既任地へ。

日本の外信、外報記者の不合理ともいえる、配置換えにはこうした裏事情があるのだ。

「外国語が達者」だから入社したとはいえ、次に外国へ出るまでは
政治、経済、事件記者でもやったほうが良さそうなものだが、遣らせないし、やろうともしない。

意地悪い観察をすると、外国語の達者な記者ほど、取材力もそれほどかというと、残念ながら、そうでもない人が多い。勿論、両方とも優れた人はいて、産経新聞にスカウトされた人がそうだったのだろう。

日本外務省でいわれていたことは、外国語に極めて優れた能力を持っている奴は事務次官にはなれないということだった。現在ではどうか知らないが、要するに語学は暗記能力。事務次官は判断能力。
左脳と右脳のことを言うのだとか。

複数の外国語を操るキザな元キャスター。外報部長をさせたところ、
部下をえこひいきばかり。人事管理能力の無さは「脳足りん」といわれたが、有ろうことか局長になって周りをびっくりさせたもの。

会長の死後、遺品を整理したら「私に管理能力はあります。どうか局長にして下さい」という自薦の手紙が何通も出てきて謎が解けた。
鬼といわれた会長もゴマスリに弱かった。彼は中途で外に飛び出し、
巷に埋没した。

余談だが、中国のような建前が共産主義体制の国での取材となれば、行きたいところにも行けない。制限ばかりで自由が全く無い。加えて仮に当局の機嫌を損ねれば、国外追放となり、二度と中国に入国する事は永遠に不可能になる。メシの食い上げだ。

若い頃、命を削るようにして覚えた言葉が、無用の長物にはてて仕舞う。わが国の中国駐在記者たちが、どんなに日本の読者に批判されても、「面白い」記事を送ってこれるわけがないのである。
2009・11・02

2009年11月01日

◆用便と歩行飲食は同じ

渡部亮次郎

知らぬ者同士が食事を共にして仲良しになる。とはいっても宮中晩餐で賓客たちが料理を食べ始める場面は絶対、テレビ中継されない。とすると、食事はプライバシーなのだ。同様に排泄も恥だから他人には見せない。

だが、いまどきの若い人たちは歩行中や電車で、衆人環視のもとでの飲食が平気。しかし、飲食がプライバシーだとすると、電車の中での飲食は性器を見せていることに等しいことにならないか。

外交で、会食は不可欠だ。複雑な交渉ごとを抱えていても、夕食を共にすることは、欠かせない定番である。同じ物を食し、口の中を見せ合うから、いわばプライバシーを見せ合うから、仲良しになるのである。

先に、オバマ大統領訪日の先遣隊として来日したゲーツ国防長官が、防衛省首脳との会食や、自衛隊栄誉礼の申し出を悉く辞退したということは、日本民主党に対するアメリカ民主党の拒否反応だった。

「君たちと妥協することは元よりないぞ」と言うサインでもあったといえる。それなのに、外交に慣れていない鳩山政権は、その意味を感じ取れず、アメリカ側をいらいらさせている。初の来日をするオバマ大統領との日米首脳会談は失敗が予測できる。

そのため岡田外務大臣は、あわてて再訪米を打診したが、アメリカ側に足元を見られており、結局無視されるだろう。

重ねて言うが、対外交渉の過程で、会食が重要だということは、口を開けて食をするという行為は、一種のプライバシーの公開だからだ。

トウ小平に直接教わったことだが、中国の招宴で、主人の箸の長いのは、主人の食べる物と客人の食する物が同じであることを証明する為だという。

主人は料理を両隣の賓客に取り分ける。貴方と私は同じ料理を食べるのです、あなたを毒殺する意図はありません、と表明する為に、使う箸は長いのだ、と。

逆に言えば、中国の歴史は、敵を宴会に招待して毒殺するものだったのだ。

互いの国の当事者同士が食事を共にするということが外交の定番になったのは、平和の証拠だが、その意味が忘れられたぐらい平和が続いているということなのだろうか。

いずれにしろ、食事を共にするという事は、プライバシーをともにして、友好を誓い合うということだとすると、それは、排泄を相手に見せるということにも通ずると考える。

私(73歳)が育つ時、親や教師からは「歩きながら物を食べてはいけません」と教えられた。それがそうでなくなったのは1945年の敗戦の弊害である。

進駐してきた、主としてアメリカのド田舎出身の育ちの悪い兵隊どもが、歩きながら飲み食いして、日本の青少年を毒した。アメリカを「恰好いい」と思い込んでいる少年少女は、すぐ、これを真似た。

プロ野球は、ガムを噛みながらプレイすることが格好良く、当然の事だと勘違いして、最低のマナーを「定番」にしてしまった。

これを嗜めるべき大人は、敗戦の責任を感じて萎縮していたのか、縮こまってしまって、注意しなかった。それが、排泄や性交を公開するのに等しく、恥ずべき行為なのだと教えなかった。

しかし、今やそうした少年少女が、すでに親となり、老人になったのが21世紀の日本である。東京都江東区にある都立猿江恩賜公園では、老婆がパンを齧りながら散歩している体たらくである。

飲食を超して、電車で化粧する女性たち。化粧とは文字通り、化けること。それを人前で化けたのでは、種明かしをしてから手品をするようなもの。いくらやっても化けの皮がはじめから剥がれている。

こんな「馬鹿」に人々の目覚める事は、無いのだろうか。つまり、ゲーツ長官に会食を拒絶されても、その意味を理解できなかった鳩山政権は電車で化粧して恥じない、茄子や南瓜と変わることがないということだ。2009・10・31

2009年10月28日

◆アメリカを怒らせた鳩山政権

渡部亮次郎

10月20日から日本を訪れたオバマ政権のロバート・ゲーツ国防長官が日本側の防衛省首脳との会食を辞退し、自衛隊の歓迎の栄誉礼をも辞退した。

このことをワシントンでは日米関係政策コミュニティーが重大な出来事として論議の対象となっている、と産経新聞ワシントン駐在特別委員の古森義久氏は警鐘を鳴らしている。しかし、鳩山政権は少々、ボケていて、大事とは受け取っていないようで、困ったものだ。

古森氏も言うように、ことは、もうちょっと真剣な関心を向ける必要がある。『外交』に慣れていないから、意味が判らないのかもしれない。政府を担うことにおいては全くのアマチュアだから、仕様が無いといえば仕様がない。しかし、大失態である事は確かだ。

少なくともオバマ大統領初訪日の先触れだったゲーツ長官。その賓客に自衛隊の歓迎の栄誉礼を捧げ、宴席を設ける事は外交儀礼として、最低限の儀礼である。それを断られたことは、長官の意思ではなく、オバマ政権の意思と受け取るべきなのだ。

それなのに、長官がこれをいずれも拒否したという事は、握手を拒否されたも同然である。いうなれば鳩山新政権の対米姿勢に対し、オバマ政権は全く妥協的用意のないことを敢然と宣言したものである。

だから古森氏は言う。「ゲーツ長官は明らかに鳩山新政権への不満のために、あえて会食も栄誉礼歓迎式もボイコットしたのです。こんなことは日米安保関係の長い歴史でもまず例がありません。アメリカ側はそれだけ現状を重大だと認識し、不満や抗議の念を強めているのでしょう。

オバマ政権がこのように強硬に、しかも臆するところなく不満を表明するという現実は、日本の安全保障にとっても深刻です。米側の硬化は今回は夕食と歓迎式の辞退、あるいは拒否だけに留まったようですが、安全保障でのこうした負の変化は必ず経済面にまで波及します。

その論議の背後にあるのは「日米同盟は危機を迎えつつあるのか?」という疑問です」(「頂門の一針」10月2日付)

私は外交の全くの素人。30年前、外務大臣の政務秘書官を僅か3年務めただけだが、こういう失態を見聞したことはない。記者としては、全学連の抵抗に負けて岸信介首相がアイゼンハワー大統領の訪日を断って以来の失態である。これでは、アメリカが鳩山政権に全く、信用を置いて無いという事になる。

しかも新聞やテレビも未だに気付いていないということは、防衛省はもちろん、内閣全体が事態の深刻さに気付いていないということだ。

こんなことでは、オバマ大統領に対する歓迎体勢にも首脳会談にも成功の保証はできない。09・10・27