2022年06月12日

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン                 頂門の一針 6166号

 わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン
               頂門の一針 6166号
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   2022(令和4年)年 6月12日(日)

     
  ロシアはプーチンに引導を渡せ:“シーチン”修一

      自衛隊に「共食い」させるな:阿比留瑠比
 
             プーチン絶体絶命:内田誠

     豪の大型訪問団がインドネシアへ:宮崎正弘 
                 

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ロシアはプーチンに引導を渡せ
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     “シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」52/通算484 2022/6/8/水】先週末にカミサンが鹿
児島で一人暮らしの89歳の叔母さん(亡母の妹)を見舞いに行った。叔母
さんの子供は男2人で、長男は関西で、次男は鹿児島でそれぞれ所帯を
持っている。次男は足腰の弱っている叔母さんを時々訪ねて、家の掃除や
補修、買い物をしているが、奥さんが病弱で介護しなければならないの
で、結局、叔母さんは歩くのもやっとという不自由な体で炊事洗濯ゴミ出
しをしているという。

戦争に負け、家制度を破壊された結果がこの有様である。こんな老後なら
結婚も出産も育児もしなくなる。日本民族はやがて絶滅危惧種になりそう
だが、災い転じて福となす、日本人は目覚めていくと信じたい。

子供を産み育てる、これは天による初期設定で、人も動物も同じだ。雀を
5年間観察しているが、子供が自立できるまでに育つと、親鳥は使命を終
えて墓場、多分、多摩丘陵の森の中に消えて行く。動物は皆そうだろう。
子供の頃「神聖な象の墓場」とかいう絵本を読んだが「静かに去る」とい
う感じ。

人間は幸か不幸か、子供が大人になっても年金生活の隠居とか老人として
長生きする。定年退職は戦前は50歳だったが、55歳、60歳、今は65歳で、
看護婦のカミサンは70歳になる今秋にリタイアするという。「呆けるから
週に1日、2日とかでも続けたら」と提案したが、「十分やったし、薬を間
違えたりとかのミスが怖いから」と言う。天命を果たした、後は余生、と
いうことだ。「ご苦労さまでした」とパーティを開こう。

長生きはそれ自体は意味がない。パワーが残っているなら、いわゆる「第
2の人生」に何を成すかが大事ではないか。そう言えば産経2022/6/7「朝
晴れエッセー 99歳の現役職人」にはびっくりした。

<わが工場には99歳の現役職人がいる。わが社は昭和14年からヤスリを作
り続けている小さな町工場だ。彼女はこの工場でヤスリの目を刻む目立て
職人を60年続けてきた。小学生のときは健康優良児だったと聞く。ドッジ
ボールの代表選手として隣町の小学校まで歩いて試合に行ったスポーツ
ウーマンで、生来丈夫な体の持ち主だ。

性格は真面目で負けず嫌い。昔、他の職人が今日は500本、目立てをした
と聞けば、翌朝が来るのももどかしく、誰よりも早く出勤して600本仕上
げてみせたと誇らしげに話してくれた。90歳のときには新商品の開発にも
携わった。評判となりローカルテレビで紹介された。翌日は会社の電話が
鳴りやまず一躍時の人となった・・・

そんな彼女の口からとうとう「引退」の言葉が出たのは99歳の誕生日の前
だった。60年やり尽くして彼女が出した決断であったから慰留はしなかっ
た。代わりに新人が技術を覚えるまで週1日でいいから指導に来てほしい
と提案したところ「私はそんな中途半端な仕事、嫌いです。最後の日まで
今まで通り毎日来ます」。大正生まれの、ちょっと頑固だけれど筋金入り
の職人魂、あっぱれとしか言いようがない>

人間はこうありたいが、なかなかできるものではない。「奇跡の人」は無
理としても最後まで中露北などアカの絶滅を「天命」として努めたいもの
だ。世界の動きを知り、咀嚼し、的確に勝つための方策を練る、これは生
き甲斐でもあり、毎日の勉強は欠かせない。まあ、勝手な思い込みかも知
れないが、古人曰く「嫌な予感はよく当たる」。油断大敵だ。

情報収集のため海外メディアでは英国「BBC」を以前からチェックしてい
たが、プーチン・ロシアのウクライナ侵略以降、Web版「ニューズウィー
ク日本版」(NW、米)もチェックするようになった。それまでNWはリベラ
ル≒アカモドキ臭くて好きになれなかったが、戦争になると米国人は俄
然、戦意高揚するのだろう、小生好みの記事が増えてきた。NWについてほ
とんど知らなかったので、同社サイトの自己紹介を覗いてみると――

<国際ニュース週刊誌『Newsweek』は1933年に米国で創刊。日本版は1986
年に創刊されて以来、世界のニュースを独自の切り口で伝えることで、良
質な情報と洞察力ある視点とを提供するメディアとして一目置かれてきま
した。

 近年は日本版オリジナルの記事を大幅に増やし、本国版以上に国際色あ
ふ れる誌面に。また、中国や韓国などのアジア情勢の分析の深さや鋭さ
は、 第一線で活躍するビジネスパーソンや論壇、政府関係者など政財界
の要人 から高く評価されています。

国内外のメディアが伝える「日本」とは一線を画す独自の視点、そして日
本と世界の関係を冷静に見つめる報道姿勢もまた、論壇などで信頼を得て
います。テレビや新聞、ネットでは得られない深い追求、多角的な視点。
それが、ニューズウィーク日本版のバリューです。発行:株式会社CCCメ
ディアハウス>

メディアハウス?・・・小生が編プロ(編集プロダクション)「メイル
ボックス」を起業した1984年頃、日本一の編プロと言われていたのが確か
「メディアハウス」だったが、今はCCC=カルチュア・コンビニエンス・ク
ラブの傘下に入ったのだろう。CCCはレンタル事業の「TSUTAYA」、書店の
「蔦屋書店」で知られているそうで、「ライフスタイルに革命を起こすよ
うな仕組み、カルチュアを創り、編集し、提案する」のが理念だという。

小生は起業の際に「理念」を掲げなかった。カッコイイ理念を掲げたとこ
ろで3年後に生き残っているのは3割しかないし、理念で仕事が来るはずも
ない。良い仕事をしていれば自ずと仕事は来ると思っていたが、確かにそ
うなった。ところが入金されるのは納品してから2〜3か月後、手形払いだ
と5か月後で、起業から半年間は金欠病できつかった。知らぬが仏で、ど
うにか耐えたが、知っていたら起業しなかったかもしれない。結婚、主
産、育児もそうか?

「知らぬが仏」・・・知らないから人間は突き進む、進めば明るい明日が
あると信じている、大方は努力すればそれなりに報われるが、残念ながら
地獄への道だったということも・・・うーん、考えてみればそれは珍しく
ないパターンかもしれない。

登山家の野口健氏が「引き返す勇気」、つまり、運を天に任せるのではな
く、状況をしっかり見て、リスクが高い時は「下山を選ぶ勇気」が必要だ
と説いている。山岳登山の場合は失敗はイコール「死」が多く、再チャレ
ンジはできない。痛恨のミスになりやすい。

狡猾なはずの独裁者プーチンが戦略、戦術を誤ってウクライナ侵略を始め
てしまった。側近の中には「今はまずい」という異論もあったが、聞く耳
持たずどころか「臆病者め!」と罵倒し、その場面をニュースで流し、
「力強く頼もしいプーチン大統領」をアピールして見せた。

こうなると最早「引き返す勇気」の出番はないし、それなりの「戦果」を
得られなければ停戦も休戦もできなくなった。引くに引けずの八方ふさが
り、泥沼にはまったような・・・マスコミが「長期戦になる」と言うのは
そういうことだろう。

「ニューズウィーク日本版」2022/6/4、ウィリアム・アーキン(ジャーナ
リスト、元陸軍情報分析官)氏の「プーチンは4月に進行がん治療、3月に
暗殺未遂 米機密情報のリーク内容」から。

<プーチンは病んでいるようだ──そんな最新の分析結果が5月末に情報機
関から上がってきて、バイデン米大統領とその政権内部では、ロシア大統
領の健康状態が大いに話題になっているらしい。

もちろん機密扱いの情報だが、プーチンは既に進行癌で、4月に治療を受
け、どうにか持ち直したようだという。米情報機関の幹部3人が本誌だけ
に明らかにした。去る3月にプーチン暗殺の試みがあったことも、この報
告で確認されたという。

本誌への情報源は、国家情報長官室(ODNI)と国防総省情報局(DIA)の
幹部、そして空軍の元幹部。いずれも匿名を条件に、本誌の取材に応え
た。3人とも、プーチンが権力への妄執を強め、ウクライナ戦争の先行き
が読みにくくなったことを懸念しつつも、ロシアが核兵器の使用に踏み切
るリスクは減ったとみている。

「プーチンの支配力は強いが、もはや絶対的ではない。プーチンが実権を
握って以来、これほど主導権争いが激しくなったことはない。みんな、終
わりが近いと感じている」と情報源の1人は述べた。

ただし3人とも、今はプーチンがほとんど姿を見せないため、彼の立場や
健康状態を正確に把握するのは難しいと指摘した。「氷山があるのは確か
だが、あいにく霧に包まれている」と、ODNIの幹部は電子メールで伝えて
きた。

プーチンが他国の誰かと接触すれば、それが「ベストな情報源の1つ」に
なるが、「ウクライナ戦争のせいで、そういう機会がほとんど干上がって
しまった」と言ったのはDIAの幹部。対面でしか得られない貴重な情報
が、現状では不足していると指摘した。

そもそも「こちらの願望に基づく臆測は危ない」と言ったのは空軍の元幹
部だ。「ウサマ・ビンラディンやサダム・フセインのときも、私たちは恣
意的な臆測で痛い目に遭った。その教訓を果たして私たちが学んだかどうか」

【マッチョな男が今では】上半身裸で馬に乗ったりして、プーチンは男ら
しさを誇示してきた。それはロシア政府が綿密に作り上げたペルソナ(人
格)であり、西側の大統領とは違うぞというメッセージを世界にばらまく
のに役立った。しかし、今はどうだ。外国の首脳と会ったときの、あの異
様に長いテーブルは何だったのか。どう見てもウイルス感染と身体的接触
への異様な恐怖心の反映ではないか。

ウクライナ侵攻に先立つ2月7日、フランスのマクロン大統領と会談したと
きも、この長テーブルが使われた。その様子から、諜報のプロはプーチン
の衰えを読み取った。「握手もしない。抱擁も交わさない。なぜだ、と私
たちは思った」。ODNIの幹部はそう言う。

そして4月21日、プーチンは国防相のセルゲイ・ショイグと会ったが、こ
のときのテーブルは狭かった。外国メディアは、長らく表舞台から遠ざ
かっていたショイグに注目したが、実はプーチンも4月にはほとんど姿を
見せていなかった。この日のプーチンは体調が悪そうでだらしなく足を投
げ出し右手でテーブルの端をしっかりつかんでいた。

プーチンはパーキンソン病か、という説が流れた。いや、あれはKGB(旧
ソ連の諜報機関)時代の訓練で染み付いた姿勢だとする見方もあった。妙
にしっかりした姿勢や歩き方、そして右腕の位置は、上着の内側に隠した
銃をいつでも取り出せるようにするためのものだと。

アメリカの情報機関はこの映像を精査した。遠隔診断のプロも、精神医学
の専門家も加わった。そして大統領府に上がってきた結論は、どうやら
プーチンは深刻な病気で、おそらく死にかけているというものだった。

プーチンはずっと、巧みにマッチョな自分を装ってきた。しかし実は、新
型コロナウイルスの感染予防を口実に長期にわたって姿を見せなかった間
に、深刻な病が進行していたことが疑われるのだ。

次にプーチンが姿を現したのは5月9日の「戦勝記念日」。顔はむくみ、前
かがみに座っていた。プーチンの健康状態とウクライナでの戦況は同時進
行で悪化していた。米情報機関は、プーチンの健康状態が従来の推測より
も深刻であり、ロシアという国も同じくらい疲弊していると判断した。

その3日後、ウクライナの情報機関を率いるキーロ・ブダノフ少将がイギ
リスのテレビで、プーチンは「心理的にも肉体的にも非常に悪い状態で、
病状は重い」と述べ、政権内にはプーチンを引きずり降ろす計画もあると
語った。

「プーチンは病気か? もちろんだ」とも元空軍幹部は言った。「しか
し、だからと言って早まった行動を起こしてはいけない。プーチン後の権
力の空白は、この世界にとって非常に危険だ」

【病状の深刻度を覆す新たな報告】そして5月末、バイデン大統領の下に
情報機関からの最新の報告が届いた。その内容は、プーチンの病状は深刻
だとする2週間前の報告を覆すものだった。実際、5月25日にはプーチンが
モスクワの軍病院を視察する映像が流れた。翌26日にはイタリアのドラギ
首相と電話会談し、国内の実業界の会議にもビデオで姿を見せた。

30日にはトルコのエルドアン大統領と電話で会談し、ウクライナのゼレン
スキー大統領と対面で協議する可能性にも言及した。つまり当座の健康
には自信ありということだ

ロシアの外相ラブロフも、5月末にフランスのテレビでプーチンの重病説
を一蹴した。最近の精力的な活動を引き合いに出し、「分別のある人な
ら、彼に何らかの病気の兆候を見いだすことは不可能だろう」と述べた。

だがDIAの幹部に言わせると、「何も問題はないというラブロフの主張は
客観的な診断ではなく、単にプーチンへの忠誠を誓う発言にすぎない」。
ならば今も、プーチンは肉体的にも政治的にも難しい状態にあるのだろうか。

プーチンはクレムリン内部の政敵を排除し、自分の配下にある情報機関さ
え信用していないのか。彼は本当に死にかけているのか。そうだとして、
プーチン後には何が起き、誰が台頭するのか。バイデン政権は、表向きは
プーチン重病説を「単なる噂」と一蹴しつつ、実際にはこれらの問題を精
査している。

「仮に、その情報は信頼できると判断したとしても彼の賞味期限がいつ切
れるかは分からない」と、ODNI幹部は言う。「プーチンなきロシアに(早
まって)支持のサインを送るわけにもいかない」

【口を滑らせたバイデン】ちなみにバイデン大統領とオースティン国防長
官は口を滑らせ、ロシアつぶしの意図をほのめかしてしまったが、2人と
もその後に慌てて撤回している。「プーチンが元気だろうと病気だろう
と、失脚しようとしまいと、ロシアが核武装している事実に変わりはな
い。こちらがロシアをつぶす気でいるなどと、向こうに思わせるような挑
発はしないこと。戦略的安定の維持にはそれが不可欠だ」とこのODNI幹部
は付け加えた。

DIAの幹部も、プーチンが病気で死にかけているとすれば、それは「世界
にとって好ましい」ことだと言いつつ、「ロシアの未来やウクライナ戦争
の終結につながるだけでなく、あの狂人が核兵器に手を出す脅威が減るか
らだ」と説明した。「弱くなったプーチン、つまり盛りを過ぎて下り坂の
指導者は、自分の補佐官や部下を思いどおりに動かせない。例えば、核兵
器の使用を命じた場合とかに」

確かに、全盛期のプーチンなら閣僚や軍部の反対を押し切って思いどおり
の決断を下せただろう。しかし傷ついたプーチンは「もはや組織を完全に
牛耳ってはいない」ようだから、そう好きなようにはできないという。

「プーチンが病気なのは間違いない・・・が、死期が近いかどうかは臆測
の域を出ない」。このDIA幹部はそうも言った。「まだ確証はない。こち
らの希望的観測を追認するような情報ばかり信じて、自分の疑問に自分で
答えを出すのは禁物だ。今もプーチンは危険な男であり、もしも彼が死ね
ば混乱は必至だ。私たちはそこにフォーカスしている。君も、備えは怠る
な」>(以上)

独裁者はナンバー2を育てない。いつの日か自分を駆逐する敵になるかも
知れないからだ。家康の後継者はすべて徳川家の血筋である。男系男子の
子孫を大量に生み育てるのが大事だから、11代将軍家斉は「種まく人」、
正室、側室、“お手付”合わせて40人以上の畑にタネを蒔き、53人(男子26
人、女子27人)の子を成した。当時は子どもの死亡率が高かったこともあ
るが、それでも無事に成年になったのは28人だという。

プーチンは表向きはロシア正教会の信者であり一夫一婦が原則だから、あ
ちこちにタネを蒔くわけにはいかないし、世襲制もない。自分が死ぬまで
独裁を続けなければ後任から何をされるか分かったものではない。

日々、病気は進行するし、カリスマ性は低下するし、求心力は衰えていく
し、貯め込んだユーロとドルは封印されているし、国際社会から孤立を深
めていくし、短期決戦のはずだったウクライナ戦線は泥沼化しつつあ
る・・・上記のODNIの幹部は「かつては無敵に見えた男が、今は未来、と
りわけ自分の未来と格闘しているようだ」と評したという。

小生ならこの重圧には耐えきれず、「裸にて 生まれてきたに 何不足」、
病気を理由にさっさと引退するが・・・歴史に名君として名を刻みたい妄
執の人、プーチンはそれができない。ロシア人がプーチンに引導を渡す勇
気がなければ、ロシアが三流国に堕ちることは間違いない。ロシアは岐路
にある。



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自衛隊に「共食い」させるな
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【阿比留瑠比の極言御免】 

 政府は7日に閣議決定した予算編成の土台ともなる経済財政運営の指
針「骨太の方針」で、防衛力を5年以内に抜本的に強化すると目標年限を
明記した。同時に、北大西洋条約機構(NATO)が対国内総生産
(GDP)比で2%以上の防衛予算を目標としていることも本文に書き込
んだ。

この方針について、「軍事国家そのものだ」(共産党の小池晃書記局長、
東京新聞のインタビュー)と批判する向きもあるが、的外れもいいところ
である。単に今までの防衛予算が非合理的なまでに低く抑えられてきただ
けだろう。

[中身が空の戦闘機]

 5月26日の衆院予算委員会では、小野寺五典元防衛相が中身がすかすか
の骨組みとなった航空自衛隊のF2戦闘機の写真を示し、自衛隊の窮状を
訴えていた。

 「何でこんな姿をしているのか。部品どり、隊員は共食いと言ってい
る。部品が足りないから、1つの戦闘機を犠牲にして部品を取り出し、他
の戦闘機につけて飛ばす。また部品が壊れたら、犠牲の戦闘機をもう1機
増やし、他につける」

 「新しい装備を買うために、部品や整備する予算にしわ寄せがいく。防
衛予算が(長年横ばいで)減らないからいいじゃない。自衛隊に国を守れ
というなら、それにふさわしい防衛費を持たせたい」

 共食いに関しては、1日発売の月刊『正論』7月号で、岡部俊哉・元陸
上幕僚長もこう実情を明かす。

 「部隊では『共食い』」をやっている。動かなくなった装備品から部品
を外して、動くものを作っていく」

 村川豊・元海上幕僚長もこんな事例を語っている。

 「海賊対処行動のような実任務につく護衛艦の艦橋の窓ガラスが取り付
けられるが、任務を終えて帰国すると外して次に行く艦艇に取り付けられる」

 以前から指摘されてきたこととはいえ、お寒い現状である。本来、少々
防衛費を増額した程度で解消できる問題ではないだろう。

[弾薬「もって数日」も]

 ロシアによるウクライナ侵略以前は、こうした自衛隊の厳しい運用状況
に多くの国民の目は向かなかったかもしれないが、現在では違うはずであ
る。そして深刻なのは、共食いや使い回しだけではない。

 安倍晋三元首相は5月20日のインターネット番組「言論テレビ」で、そ
もそも弾薬備蓄が不十分だと言及した。

 「機関銃の弾からミサイル防衛の(イージス艦搭載型迎撃ミサイルの)
『SM3』に至るまで十分とはいえない。継戦能力がない」

 例えば南西諸島における自衛隊の継戦能力は「もって数日間」だとされ
る。日本は島国であるため、ウクライナに比べ他所からの補給も難しい。

 ジャーナリストの西村幸祐氏の新著『九条という病 憲法改正のみが日
本を救う』によると、西村氏が取材した陸上自衛隊の小隊長は「弾がなく
なった」悪夢でうなされると告白したのだという。

 防衛予算の増額に対しては、自民党内からも「自衛隊は必要最小限度で
なければならない」とか「金額目標を掲げるのはおかしい」などの奇妙な
意見が出るが、実際には必要最小限度の武器弾薬も足りないのが実情である。

予算が足りないというのなら、いわゆる「防衛国債」を発行すればいい無
利子でも買いたい国民はたくさんいよう。

 自衛隊に対し、不自由しないだけの装備・弾薬も与えず、憲法に存在を
明記することもせずに、いざとなったら戦えというのは、あまりにも筋が
通らない。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  松本市 久保田 康文 
 mobilkubota@po.mcci.or.jp;
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


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プーチン絶体絶命
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       内田誠

紛争さなかに飛び込んできたロシア関連の衝撃ニュース

 時として目を背けたくなるような映像とともに、刻一刻と伝えられるウ
クライナ紛争の戦況。そんな中、今後の展開を大きく変えうるニュースが
世界を駆け巡りました。今回その出来事を取り上げているのは、ジャーナ
リストの内田誠さん。内田さんは自身メルマガ『uttiiジャーナル』で、
ロシア国債がデフォルト認定されたという衝撃的な事実を紹介するととも
に、それが意味することを解説した上で、この先ロシアを襲うと思われ
る、彼らにとって好ましからざる未来を予測しています。


大変な勢いで変化しているウクライナの状況:「デモくらジオ」(6月3
日)から
雷どころではなく、ウクライナの状況が大変な勢いで変化をしているよう
ですね。今日あたりから少し伝えられ方が変わってきているように思うの
ですが、きょうの午前中くらいまで伝えられていたことは何だったかとい
うと、ほとんど、東部、ウクライナ東部の激戦地の様子で、特にロシア軍
が激しい攻勢に出ていて、ウクライナ軍はかなり追い詰められている状
況。で、どうもお互いの精鋭がぶつかっているようでして、ウクライナ軍
はうまく撤退しないと部隊が壊滅させられてしまうという、大変厳しい状
況に立ち至っているという報道でした。

これは、キーウ方面の、首都を陥れることに失敗したロシア軍が再編成を
して、東部2州の掌握を目指してフル稼働してきている状況なわけです
ね。当然ですけど、そこにはウクライナ軍のかなり鞏固(きょうこ)な陣
地が築かれていて、そう簡単に落ちるわけはないという状況だったのです
が、ロシア軍はなんとしても落とさなければいけないということだったの
でしょう、相当ヤバい兵器を使っていますね。核は使っていないですけれ
ど、おそらくこの件に関心のある方はテレビなどでも繰り返し報道されて
いましたので、ちょっと遠目のドローンから撮った映像で、5、6発の爆弾
が衝撃波を放ちながら爆発している様子、ご覧になったのではないかと思
います。

ちょっと前に、レバノンのベイルートで、硝酸系の薬品か何かが大量に積
まれているところが一気に爆発したときの…そのおかげでレバノンは今大
変なことになっているわけですが…映像をご記憶かと思うのですが、衝撃
波が出ますよね。ぶわーっと、空気が歪むというか。その状況を見て、こ
れは普通の爆弾ではないと。どーんと音がして火が出る、煙がもわもわっ
と上がるというふうな爆弾ではなくて、もっと激しい爆発。おそらく気化
爆弾という奴だと思うんですね。これ。

いわゆる核保有国からすると、なんとか使える核を作れないか、小さな
核、限定的な核、戦術核、そういうものの開発を進める方法と同時に、核
ではないけれども、さながら核兵器のような大きな効果を生む巨大な爆
弾。こういう方向の開発もあるわけですね。

で、これ、何度か申し上げたことかもしれませんが、湾岸戦争で、イラク
のフセイン大統領が「この戦争はすべての戦争の母である」と。つまりこ
こからアラブ対西側世界の激しい戦いが始まるのだという予告のようなこ
と、そういう発言をした。それをからかうように(アメリカが)「すべて
の戦争の母」ではなくて、「すべての爆弾の母」と名付けた兵器があった
んですね。当時は使われることはありませんでした。馬鹿でかい爆弾で、
これが1発爆発すると、半径500メートルくらいの範囲内で、いや、もっと
1キロくらいじゃないかと思いますが、非常に広い範囲で酸欠が起きて、
中にいる生きとし生けるものが命を奪われるというような大変な爆弾な訳
ですね。後に、アフガニスタンで米軍が何度か使ったようです。地下壕を
掘って迷路のようになったタリバンの陣地を攻撃するのに使ったようです
が、その効果がどうだったかという話はとんと聞かないので分かりません
が、今回、それに近いものをロシアが使ったのではないかと思います。そ
れが大変な衝撃波を生じていく。これで陣地を守っているウクライナ兵を
殺害するということが目的だったのではないか。
          

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豪の大型訪問団がインドネシアへ
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
     令和四年(2022)6月7日(火曜日)
        通巻第7360号
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜豪の大型
訪問団がインドネシアへ「中国の脅威」が共通認識アルバニージー新政
権、11月のAPECバリ島を重視
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 アルバジーニー新首相以下、外相、財務、国防など主要閣僚にインドネ
シア財界を代表する経営者等からなる大型のインドネシア訪問団が6月6
日、首都のジャカルタへ到着した。

 アルバニージー首相はすぐさまジョコ・ウィドド大統領と会見し、中国
の脅威(とくに直近おきた豪偵察機RAAPへの中国戦闘機の妨害行
為)、貿易ならびに留学生のヴィザ条件緩和などに関して、「現在20万人
もいる豪へのインドネシア留学生へのヴィザ条件緩和」は喫緊の問題だと
した。
 また豪勢府はインドネシアへ4・7億ドルの援助を表明した。アルバジー
ニー首相とウィドド大統領はインドネシア製の自転車で大統領官邸の周囲
をまわる等のパフォーマンスを見せ、両国の親密度をアピールした。

 豪とインドネシアは「隣国」である。ジャカルタから豪北部ダーウィン
まで2000キロ、シドニーへ5493キロ、歴代豪政権のアボット、ターンブ
ル、モリソンは新政権発足後、すぐにジャカルタ訪問が定石となっている。

 豪が国際政治において「大国」のイメージがあるが、実態は逆で、人口
比で豪の2600万人にたいしてインドネシアは2億7000万人。GDP比較は
豪1・4兆ドルに対してインドネシアは1・1兆ドルと見劣りがするものの
面積は豪が日本の20倍、インドネシアは五倍。兵力は豪6万、インドネシ
ア40万である。

 秘めた狙いは何かと言えばAPECが11月にバリ島で開催され、プー
チンが出席を表明、またゼレンスキー大統領も出席の意向を示しているこ
とだ。

 モリソン前政権はプーチン出席に反対を表明していたが、アルバジー
ニーは「何事も話し合いからが第一歩」と反対をしていない。またゼレン
スキーはオンラインによるオブザーバー参加というスタイルになりそうだ。

 豪訪問団は、ジャカルタの予定をすませるとスラワジ島のマカッサルへ
足を伸ばす。マカッサルは戦前、日本人が1万人以上住んでいた原油、ガ
スの戦略拠点で、現在、日本は領事館を置いているが、町は華僑が集中す
る商業区がある。
 マカッサル重視の豪訪問団に注目があつまる。
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☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆☆◇◆◇☆◆◇◆☆◇◆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『借
金の罠』の最悪例がスリランカ
ラジャパクサ一族への反感、ゴダバヤ大統領はどうする?
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 ゴダバヤ、マヒンダ、バジル三兄弟と一族が政権を独占し、腐敗した利
権争奪が中国のBRIプロジェクトだった。ハンバントタ港は、中国の軍
港に化けた。スリランカは負債返済が出来ず五月にとうとうデフォルトと
なった。

 食料不足、燃料切れ、停電の頻発。。。。日本は緊急援助に踏み切り、
医療、食料などの無償援助が300万ドル。インドは食料を緊急に輸送し
た。スリランカは人口2200万人、面積は北海道の80%程度で、国民の七割
が仏教信者のため、日本の仏教界との交流は深い。

借金の罠にはまって、中国から借りた金は返せない。
ちなみに中国の条件は金利3・3%、18年。日本はちなみに金利0・7%で34
年の返済期間を設けている。

 暴動が連続し、まずバジル財務相が辞任、ついでマヒンダ首相が辞任に
追い込まれ、ベテラン政治家のウィクラマシンハと交代した。
 国民は政権にまだ居座るゴダバヤ大統領の辞任をもとめて連日連夜、抗
議デモを開催している。
「こまったときに日本は助けてくれた。中国は借金のカタに港を取り上げ
た」。
中国は南アジアのドバイ、国際金融センターにしようとスリランカに持ち
かけ、コロンボ沖合を埋め立てた人工島が完成した。ビルはまだ一件も建
設されていない。
この島は、そのまま廃置されるだろう
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
★読者の声 どくしゃのこえ READERS‘OPINIONS 読者之声★
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   ♪
(読者の声1)貴誌が予想した通りの展開です。マスクはツィッター買収
取りやめに動き出しています。下記は時事通信配信の記事です。
 (引用開始)「米ツイッター買収をめぐり、偽アカウントや個人情報を
盗み取るスパム(迷惑)アカウントに関する必要な情報をツイッターが提
供しなければ、買収破棄もあり得るとの考えを表明した。同社宛ての書簡
で明らかにした。書簡は、マスク氏が求めている情報が得られていないと
して「ツイッターが買収契約の義務順守を明らかに拒否している」と批
判。「(マスク氏には)買収契約を破棄する全ての権利がある」と強調し
た』(引用とめ)(DD生、岐阜)

(宮崎正弘のコメント)アナウンス効果だけでも、ツィッターが極左とい
う実態がわかって、これから流れが変わると思います。

(読者の声2)自動車のエンジン対EV論争、なにか意味があるのだろうか。
 100年前に馬車が自動車に変わったのは革命的だったがエンジン対電気
モーターの違いなどPCやスマホのOSの違い程度でしかない。そもそも火力
発電の電気を使っているEVなどCO2の発生源を路上から発電所に移しただ
けでなんの意味もない。ネットワーク化やソフトウェアによるアップデー
トなどパソコン関連機器を使っていれば日常のことで自動車もやっと追い
ついてきたかという程度。
テスラについていえば国策なのだろうが、レベル2程度の自動運転技術
を誇大広告し、ドライバーはソフトウェアのベータ版のテスターである。
こういった点では中国が圧倒的に有利で、いずれ中国企業が自動運転技術
のトップになるのかもしれない。
 事故死しても使い方が悪かったで済んでしまうアメリカや中国、数々の
日本企業叩きを思えばアメリカのジャイアニズムには勝てないのだろう。
だがEVに必須のバッテリー生産技術は日本や韓国・中国が抑えている。
 TOYOTAのトヨタイムズにこんな記事があった。
【エンジンで脱炭素!?EVだけじゃないもう一つの選択肢】
https://toyotatimes.jp/report/hpe_challenge_2022/005.html
 この記事ではエンジン車の脱炭素にはいろんな道筋があり、バイオエタ
ノールなどの合成燃料を取り上げている。2017年のIEA(国際エネルギー機
関)の見通しとして電気自動車(バッテリーEV)と燃料電池車をゼロ・エ
ミッション車(ZEV)としているが、その割合は2030年で9%、2040年でも
16%である。
 パソコンが生まれて40年以上、IBMのPCからDOSが生まれアップルとの2
大勢力となった。DOSはマイクロソフトのWindowsとなりアップルの i-OS
のシェアは15%程度。PCの絶対強者だったマイクロソフトも携帯端末では
まったく振るわずスマホOSではグーグル対アップルが8:2とも7:3ともいわ
れる。先進国ではアップルが強いから電気自動車でも同じような構図にな
るのかもしれない。
 IEAによるゼロ・エミッション車比率の2040年予測がちょうどパソコン
のアップルのシェアと同じ。EVのシェアなどいくら頑張ってもそんなもの
だろう。現行プリウスのバッテリー重量は約40kgだが燃費はどんなに下手
に運転してもリッター20km、少し講習をすれば30kmはあたりまえ。プリウ
スの10倍も重いバッテリーを積んだEVなど資源のムダ使いかもしれない。
(PB生、千葉)


(読者の声3)貴誌前々号(桑港老亀)氏による嘆願書の件。小生、米国
シアトルの領事館には偶に行きましたが、「。。。使館に用事で訪ねる
と、、、外務省の事務官が、日本を喰い詰めて来た百姓どもめと言う態
度」は、現在も改まっておらず、商社の社員などはお客様として扱うが、
移民、留学生などには、あたかも武士が百姓に対する態度であからさまに
言葉遣いも違う。友人などからも同様な評価を側聞した。 官尊民卑の伝
統文化。
 領事は高台の高級住宅街の広大な官邸に住み、住み込みの料理人、運転
手、使用人などを抱え、少なくとも資産100億円ほど無ければ維持できな
い程の優雅な生活をし、2−3年で何処かへ消えて、また新人が移ってくる。
いわば長期の外地別荘生活の様だが、心は常に東京の本家に向いているの
だろう。支那やロシアの大使館、領事館は諜報機関として活躍している
が、そんな様子は見えないどころか外務省は日本国益よりも相手国・お得
意様の代弁者、擁護者として機能しているように見える。
 敵は時々、どうでもいい「貴重な機密情報」を餌として与えると、これ
を本部に努力の「成果」として報告する。そんな「餌付け」によって飼い
慣らされ、関係を維持し、とても敵に不都合な事実、秘密など、仮に得ら
れても報告しない。もちろん、金や女などが絡む。特に永遠に出世の可能
性の無い者は妬み、嫉み、復讐心から敵に与する。
 (桑港老亀)氏による嘆願書には、果たしてどんな反応があったのだろ
うか。書面で返答すれば記録になり、誰かの汚点、責任問題になる。故に
何もしない、無視するのが役人の正しい対応。
(在米のKM生)

2022年06月11日

cyoumon no ixtusin watanaberoujirou

武力を振るうロシア・中国の現実に適応せよ
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            加瀬英明
 

 ウクライナのプチン戦争が始まってから、3ヶ月目に入ったが、高齢
者、女性、児童の虐殺が続いている。

 私は全世界が21世紀にあると思うと、誤っていると説いてきた。2022年
の常識は通用しない。

 ロシアは15世紀にイワン3世(在位1440〜1505年)が周辺を 蚕食(さん
しょく)して、ツァーリ(皇帝)、全ロシアの君主であるゴスダリを名
乗ってから変わっていない。イワン3世は、「イワン大帝」と呼ばれる。

 中国も体質が秦の始皇帝が紀元前221年に、はじめて武力によって中
国全土を統一して中華帝国が生まれてから、まったく変わっていない。

 プチン大統領はかつてのロシア帝国の再興をはかっており、習近平主席
もことあるごとに国家目標として「5000年の偉大な中華文明の復興」を呼
号している。

 プチン大統領も、習近平主席も、平和を唱えるものの、「ロシアの平
和」「中国の平和」であって、武力しか理解できない。

 プチン大統領は2008年に隣国で、関取栃ノ心の母国であるジョージ ア
に侵攻して5日間で奪うことに成功し、2014年に4日間でウクライナからク
リミ ア半島を捥(も)ぎ取ることができたために、今回も電撃戦によって
ウクライナの首都 キーウを数日で占領して、傀儡政権を樹立することが
できると誤算した。そのために、 ウクライナ東部と南部を削り取ること
を目標としている。

 プチン大統領のウクライナ戦争は、日本の憲法改正の動きにとって強い
追い風となった。それでも護憲派の人々は、なぜか、目を覚まさない。

 『月刊日本』という勝(すぐ)れ者(もの)の雑誌がある。右から左までの
論客が登場するので、よい勉強となる。発行人は南丘喜八郎主幹で好漢
だ。私が30代 でラジオ日本のトーク番組を持っていた時の担当者だった。

 同誌の5月号に、神戸女学院大学名誉教授のU氏が寄稿している。

 「憲法の理想にあわせて現実を作り変えよ」という見出しがあって、ロ
シアが「力は正義だ」と振舞っているのに対して、「自民党周辺で憲法改
正や核共有の 議論が勢いづいています。(中略)ウクライナが激しく抵
抗すると、(注・自民党周辺 が)『武力より愛国心が大切だ』と言い立
てた。現実が変わるごとにころころと態度を 変える。(中略)」

 「しかし、真のリアリストは現実に適応することよりも、現実を作り変
えることを重んじる人です。(中略)その理想はすでに日本国憲法に書か
れていると思 います(後略)」

 きっとU氏はプチン大統領や、習主席を説得して、日本国憲法の信者に
改宗させることができると信じておられるのだろう。

 しかし羆(ひぐま)が町に現われた時に、日本国憲法を護符のように翳
(かざ)してみても、羆には文字が読めまい

 昭和天皇は占領下で何回もアメリカ大使館に行幸されて、マッカーサー
元帥と会談されておられる。

 新憲法が公布された後に、天皇は憲法が日本に軍を保有することを禁じ
ているのについて、「アメリカはずっと日本を守ってくれるか」と御下問
になられた。 マッカーサー元帥は「そうさせていただきます」と奉答した。

 アメリカは日本に防衛力を強めることを求めている。現実に適応すべき
ではないのか。
     


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【変見自在】日系大統領
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        高山 正之 


 退職金を貰えなかった警官が、怒って銃を手に走行中の観光バスを乗っ
取った。
 一昔前、マニラ市街で実際にあった騒ぎだ。

 警官隊が包囲し、香港からのツアー客のうち女子供らを解き放てと交渉
して10時間、バスの中に男の乗客15人だけになったところで、警官隊が
突っ込んで犯人を射殺した。

 ただ人質も大方が被弾して8人が死亡、3人が重傷を負った。状況から
警官隊が犯人もろとも銃弾を浴びせたのは明らかだった。

 フィリピンでは阿漕に稼いででかい顔をする支那人は嫌われていた。

 香港政庁は「人質は香港人で支那人じゃない」と説得したが、フィリピ
ン人の野次馬も警官隊もその違いはあまり気にしなかった。

 だから犯人と一緒に撃ち殺した、では明らかなヘイトクライムだ。

 それをどう言い訳するか。難しい判断を迫られたのが時の大統領ベニグ
ノ・アキノ3世だった。

アキノ家は名門で、曾祖父はフィリピンを奪いにきた米国と戦い続けたア
ギナルド将軍の右腕を務めた人物だった。

 祖父のベニグノ・アキノ1世も民族派で、日本軍が米軍を追い出したあ
とにつくられた民族派政権では国会議長を務めた。

 因みに純粋の民族派大統領は少なく、米統治時代の大統領ケソンは正真
正銘のスペイン人だった。

 戦後、マッカーサーに指名されたキリノは生粋の支那人。就任式の祝い
にモンテンルパに繋がれた日本人戦犯3人を吊るした。

 彼はまた日本に法外な賠償を要求し、断られると14人の戦犯を一晩で吊
るして日本を脅した。

 いかにも支那人で、民にも尊大に当たり、それでしばしば華人街が焼き
討ちに遭った。

 支那人への悪評はアキノ家にも影を落とした。

なぜならベニグノ2世が娶ったコラソンはこの国の経済を牛耳る許寰哥
(コファンコ)ファミリーの娘だったからだ。

 2世はそのカネで独裁者マルコスに挑むつもりだったが、米国から戻っ
てきたマニラ空港であっさり暗殺されてしまった。

 マルコスが仕組んだというにはあまりにあけすけな暗殺だった。

 それでも素直なフィリピン人はアキノ家に同情し、マルコスは国を追わ
れ、代わって支那人コラソンがすんなり大統領に就いた。

 コファンコならやりかねない華僑的国盗り物語に見えなくもない。

 実際、彼女が就任するや支那人の流入が増え、今や「300万人を超え
る」(樋泉克夫・愛知県立大名誉教授)勢いにある。

 加えて北京の思惑に合うようにクラーク・フィールド、スービック・ベ
イの米軍基地を閉鎖した。

 基地経済は消滅し、民の貧困は進み、支那人だけが太っていった。

 それから10年、コラソンの息子ベニグノ3世が大統領に就いてすぐ香港
人の観光バスで不幸が起きた。民の思いは実に素直だ。

 で、3世はどうしたか。南沙での北京の横暴を国際法廷に訴え、支那人
の脱税に目を光らせ、名門アキノ家の面目を復活させた。

 その後のデュテルテは北京に接近し、むしろ米国と距離をとった。

 なぜなら彼は生粋の地元民で、出身はレイテ島。アギナルドの時代に米
軍に抵抗した廉で全島民が皆殺しにされた。デュテルテ家は数少ない生き
残り組で、反米も理解できる。

 そして今回は独裁者マルコスの忘れ形見と華僑系のレニー・ロブレドが
大統領の座を争い、マルコスJr.が競り勝った。

 日本の新聞は何で独裁者の息子がと首を捻る。

 考えても思い浮かぶのはイメルダの3000足の靴しかない。華僑との
確執も知らない。

 この地はスペイン人、米国人、支那人がきては踏み荒らしていった。で
も民はちゃんと学んで、今は最も支那人を嫌う。

 今度の選択も実は大統領の血筋にあるという。

 検索すると彼の父は「日系」とある。許寰哥(コファンコ)より遥かにま
しに見える。

〈新潮社編集部より〉

高山正之氏の本紙連載が、文庫になりました。

『変見自在 バイデンは赤い』(定価1650円)絶賛発売中。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 松本市 久保田 康文 
週刊新潮採録



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国家の国民に対する責任放棄
━━━━━━━━━━━━━━

         三橋貴明


結局のところ、「小さな政府路線」とは、国家が国民を守らない、という
発想です。少なくとも、方向性としてはそうなります。政府は緊縮財政、
財政均衡主義。政府が支出するにしても、最低限の財・サービスにしか支
出しない。
(いわゆる「夜警国家」ですね)

それまでの公共サービスは、民営化。「投資」「出資」可能な民間のビ
ジネスと化す。特に、日本で限界が見えてきたのが、電力サービスの自由
化です。

2001年9月1日の東日本大震災、福島第一原発事故以降の、「原発停止」
「FIT導入」「発送電分離」
「小売り自由化」などは、全て、「政府が電力サービスに対するコミット
を放棄し、民間(のビジネス)丸投げとする」という発想で、電力自由化
が推進され、結果的に我が国は送配電会社(大手電力10社)が、国民の電
気に対する需要を満たせない状況に至りました。

それはまあ、送配電会社は発電所を持っておらず、発電について「市
場」に任せた以上、必然的にそうなります
そもそも、電気代は日本の場合は「鉱物性燃料」の価格で決まります。主
流のLNG(液化天然ガス)の価格が「外国の事情」で上昇すれば、どう
にもならない。
http://mtdata.jp/data_79.html#denki

大震災と原発事故で日本の「電力改革」が本格化した。
「競争を激化させれば、電気代が下がる」というお題目で推進されたわけ
ですが、結果はどうでした?

国家の電力サービスに対する関与を強めなければなりません。他に、日
本のエネルギー安全保障を強化する方法はない。当然、原発は再稼働です。

いい加減に理解しましょう。「小さな政府路線」の電力サービス(電力
だけではないですが)とは、単に「国家の国民に対する責任放棄」に過ぎ
ないし、過ぎなかったのですよ。

2022年06月10日

watanabe ryoujirou hiyakuiesoumei

日本がより大きな責任を担う時
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       櫻井よしこ

日本ルネッサンス 第1001回

バイデン米大統領の韓国及び日本訪問の最大の意味は、中国の脅威に断固
対処するとの米国の国家意志を明確にしたことだろう。ロシアの侵略戦争
と中国の脅威への両睨みの中で、バイデン氏は台湾有事の際、軍事介入す
るかと問われ「イエス。それが我々の誓約だ」と言い切った。

右の発言は5月23日午後、岸田文雄首相と共に開いた記者会見でなされ、
以下のように続いた。「我々はひとつの中国政策を認めている。しかし軍
事力で強制的に取り込んでいくことは許されない」

重要発言だったが、質問も答えも厳格に詰める形ではなかったために、こ
れをバイデン氏らしい失言だと見る向きもある。だが、バイデン氏は昨年
8月19日にも10月21日にも同じことを言った。今回は三度目だ。米大統領
の三度にわたる発言の意味を正しく受けとめたい。

台湾に対する米国の年来の「曖昧戦略」は「明確戦略」に転換すると見る
のが正しいだろう。日本の戦略はその考えに基づいて構築すべきだ。地理
的に見れば台湾有事は日本有事に他ならない。

中国の海洋戦略の専門家、トシ・ヨシハラ氏は、長射程・超音速ミサイル
を大量に使う現代の海戦に、日本の海上自衛隊は勝てないと中国は確信し
ていると指摘する。のみならず、中国は有事の際、在日米軍基地を攻撃す
ることで、西太平洋における米軍基地を全滅させ得ると侮っている、とも
言う。まさに、台湾有事は日米同盟の有事だ米国の軍事介入を大前提とし
て米国と共に台湾を守る戦略を具体的に論じ、備えなければならないゆえ
んである。

だが台湾の現状は生易しくはない。この戦域で中国は、軍用機、艦艇双方
で日米台の総合力を圧倒的に上回る。中国側には中距離ミサイルも約1250
基ある。米国は今、中距離ミサイルを猛スピードで作っているが、現時点
ではゼロだ。中距離ミサイルに積む戦術核も、中国は「山のように、少な
くとも数百発は持っている」と、防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄
氏は語る。

米国も戦術核は数百発の規模で保有していると高橋氏は言うが、それは戦
闘機に巡航ミサイルを積み、そこから発射するもので、機動性において中
国に劣る。

核を使う危険性

このような状況の下で、日本はこれまで考えたことのない多くの事柄につ
いて考えなければならない。まず、ロシアがウクライナ侵略戦争で核を使
う危険性が懸念されていることだ。小野寺五典元防衛大臣は5月の連休中
に訪米し、米国要人らとの意見交換でこう言われたそうだ。

「ウクライナ戦で劣勢に陥ったロシアが核を使って形勢逆転をはかったと
仮定して、米国はどうすべきか。ウクライナよ、武器などを支援し続ける
から頑張れと言って済むのか。米国は核で報復すべきではないのか。仮に
報復する場合、我々は単独では決定しない。日本を含む同盟国や当事国に
相談する」

小野寺氏は米国で実際に核兵器を戦場で使うか否か、どのように使うかの
議論がなされているのに驚いたという。日本の元防衛大臣に対する米国の
問いについて、安倍晋三元首相が5月20日の「言論テレビ」で語った。

「米国側の発言、問いの意味をよく考えなければならないと思います。戦
術核、小型核であっても瞬時に数千人、場合によっては万を超える人たち
を殺害するわけです。その責任を分かち合えと言っているわけです。アメ
リカがやったのだから、ではないということです。日本に対して拡大抑
止、核の傘を貸しているのはそういうことだ、現実から目をそらすなとい
うことでもあると思います」

米国側の問いに、日本は答え得るのか。国防の専門家達が語った。

「日本は何も言えないでしょう。言う力もない」(岩田清文元陸上幕僚長)

「相談されたらうろたえるだけでしょう。日本には戦略的思考も核抑止の
理論もありませんから」(織田邦男元空将・麗澤大学特別教授)

「その時の総理大臣次第」(高橋杉雄氏)

現在の総理は岸田文雄氏だ。岸田総理は「非核三原則」は絶対にゆるがせ
にしないと述べる。広島出身の政治家として、「核なき世界を目指し続け
る」と強調し、来年、日本が開催国となる先進七か国首脳会議(G7)も
広島で開くと発表した。

首相の掲げる理想に反対する人はいないだろう。しかし問題が二つある。
まず、「現実を見ること」である。核廃絶を求めるのなら、言葉で言うだ
けでなく、具体策を示さなければならない。もう一つは、核廃絶までの
間、如何にして日本国民と日本を守るのか、これまた具体策で示す責任が
ある。防衛予算の積み上げは国民・国土を守る手立てのひとつにすぎな
い。軍事的脅威を受けた場合、自衛隊はどう動くのか、国民はどう行動す
るのか。全て戦後の日本ではおよそ考えもしなかった事柄だが、政府が先
頭に立って皆で考え、守り通す力を築き上げなければならない。

独立した国として…

なぜなら、専制独裁者、中国の習近平国家主席が台湾侵略を諦めることは
ないからだ。この日本の危機に対処する基本は、日本が普通の国のよう
に、国を守るためのあらゆる形の戦いに全力を尽くせるようにすること
だ。その第一歩は憲法改正しかない。核についても非核三原則を超えて、
二原則、或いは一原則にすることも皆で話し合うべきだ。

だが、バイデン氏は米国の核による拡大抑止の強固さを強調し、日本で語
られ始めた核の共有や保有についての主張は受け入れないという姿勢を示
した。

2006年に北朝鮮が初めて核実験をした際に、中川昭一氏が日本も核につい
て議論しようと言っただけで、米国務長官コンドリーザ・ライス氏が急遽
来日し、有無を言わさず日本での核の議論を潰した。現在、同じことが起
きている。

この不安定な国際情勢の下で、国民と国を守り通す手立ては何か、独立し
た国として何を成し得るのかと模索するのは当然だ。日本の安全の土台を
米国の拡大抑止と非核三原則で担保し、それ以上踏み込むなというのは、
日本は究極の事態を考えなくてよいということだ。反対に、先述した核使
用の可能性については責任を分担せよという姿勢は、日本も究極まで考え
よということだ。米国は矛盾している。迷ってもいる。国防についてよう
やく考え始めようとしている日本側から、独立国としての資質を備えるた
めに問題提起し、米国にも考えてもらう時だ。

米国はよき同盟相手、また協力者としての日本を必要としているはずだ。
同盟を支え日本を守り抜くために、日本はより強い国になり、より大きな
責任を果たすのがよい。核を含めてタブーなき国防論を戦わせる時だ。
     


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日本の公共放送だけ改革進まず
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            原彰宏


儲けすぎのNHKはいつまで受信料を取り続けるのか。英・仏が「強制徴
収」廃止も日本の公共放送だけ改革進まず

NHKが“お手本”としてきた英国BBCが、受信料徴収制度を見直す方針を打ち
出しました。一律徴収制度を「終了する」というのです。フランスもマク
ロン大統領の公約によって受信料徴収をやめる決定をしています。さあ
NHKさん、この世界の流れを受けて、デジタル化の波を受けて、どのよう
に改革をしていくのでしょう。(『らぽーる・マガジン』原彰宏)

受信料「強制徴収」で嫌われるNHK
「NHKをぶっ壊す」……強烈なインパクトで世間の注目を集めた「NHKから国
民を守る党(N国党)」の決まり文句ですが、最大唯一の公約は「NHKのス
クランブル放送化の実現」となっています。

NHKの受信料未払いに罰則規定があることを問題視したN国党は、強制徴収
制度を廃止させ、NHKを見たい人だけお金を払ってみれば良いというシス
テムにしようというのです

それがスクランブル放送、「限定受信システム」と呼ばれるものです。

ケーブルチャンネルがこのシステムで、WOWWOWと同じと言えばおわかりい
ただけるでしょうか。「お金を払えば番組を視聴できる」ということです。

受信料で成り立っているNHKにとっては、その公共性を維持するために
「受信料徴収は必要」と、スクランブル放送化には否定的です。

でも、どうやらそういうことばかり言っていられない状況になってきたよ
うです。

英も仏も、公共放送受信料徴収制度「廃止」の方向へ
NHKが“お手本”としてきた英国BBCが、受信料徴収制度を見直す方針を打ち
出しました。一律徴収制度を「終了する」というのです。

現在、世界の公共放送でも受信料を徴収しています。

英国では受信料として、世帯当たり年159ポンド(約2万5,000円)の支払
いが義務付けられていて、違反者には罰金刑を科されることもあります。
受信料を決める権利を持つ英政府とBBCの取り決めで、現行制度は2027年
12月末まで存続が保証されています。

NHKの受信料徴収制度は、この英国公共放送BBCのシステムを真似たものです。

そのBBCが、先月、受信料制度などを含む放送に関する白書を公表しまし
た。それは、BBCの一律徴収制度が2027年にも終了する可能性があるとい
うものです。

近年のインターネット動画配信サービスの普及により、BBCなどの視聴者
が減少し、不公平感が高まっていることなどが主な理由と報じています。

ジョンソン政権は2028年以降、視聴者からの徴収をやめ、課金制度に移行
させる方針とみられます。

実は、英国だけではなく、フランスでも国営放送局が受信料を徴収する制
度を“やめる”動きが出ています。仏フィガロ紙によれば、5月11日の閣議
評議会において2022年から公共放送の受信料を廃止することになったよう
です。
     

━━━━━━━━━━━━━━━
「累積順次戦略」特別価格は、
━━━━━━━━━━━━━━━

         和田憲治

奥山先生が翻訳した「フォースターニング」ですが、
ますます、その本で警鐘を鳴らす、そのまんまの時代になってきました。
冬の時代です。嵐の冬の時代です。

トランプ大統領からのアメリカの分断。米中の冷戦とグローバル化の終
焉。新型コロナ・ウィルスの世界的流行。
ロシア、ウクライナ戦争。石油高、資源高によるインフレ
値上げの嵐です。この数日だと、世界で大洪水や氷が降ったりの異常気象
です。

どうしたもんでしょうかね?生活やビジネスにおいて大いに混乱と破綻が
でているようです。今年冬には「停電も!なんて話もあります。しかし、
こんな混乱事象はさらに続くし、拡大化すると思っていたほうがいいと考
えてます

私は、前掲の「フォースターニング」を読んでいるため、
あらゆるパターンや極端化を予想してきました。資源高のインフレや戦
争、冷戦によるグローバル化の終焉など放送でも伝えてきました。事象の
的中よりも、それくらいのことは起こり得る…態度で準備してきたため、
現状では、
ビジネスでも投資でもディフェンスできました。

なぜかというと、奥山先生から戦略を学んできたからです。戦略はそもそ
も論であり、前提を変えてみたり、
前提をひっくり返す訓練になるからです。

戦略とは残酷だったりするし、現状認識の甘さを捨てなきゃいけないの
で、辛かったりします。でも、選択を未来に引き伸ばすと準備が遅れ、大
きなツケがやってきます。
とにかく、自分の戦略を立てることが重要です。

私は、学生時代に、ドリンクバーだけで粘るような
人生はもうやめたい。と思いました。どんな人生にするか?は、どんな戦
略を生きるかです。戦略は使う人によって大きく変わります。私のほうが
ビジネスやっているので
奥山先生より振り幅は大きいです。

私ごときが使うより、もっと大きなフィールドで戦っている人が使えば、
その得る果実は大きく、守れるものも同じく大きいでしょう。責任ある人
はもっと戦略を知らねばなりません。人生をより良く変えようと思う人も
同様です。

ぜひ、一人でも多くの人に戦略的なって
頂きたいと思っています。

2022年06月09日

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン 頂門の一針 6163号 2022(令和4年)年 6月9日(木)

日本独立の好機到来
━━━━━━━━━

 “シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」51/通算483 2022/6/6/月】2年半も世界の人間を
不安にさせているコロナ禍が終息へ向かっているらしい。ここ4、5日ほど
のチャリ散歩で観察するとノーマスクの人、特に男が少しずつ増えてきた。

日本人は子供の頃からマスクに慣れているから、「マスク着用を」と言
われれば「まあ、しゃーない」とほとんど抵抗、反発しないし、人出の少
ない屋外ならノーマスクでもいいよと言われても「まあ様子見でしばらく
はアゴマスクでいくか」なんて感じである。

弥生時代以降の農耕民族化で、村の取り決めたルールは守りましょうと
いう遵法意識が強いのかも知れない。従わなければ「村八分」という制裁
もあった。聖徳太子の十七条憲法の第一条は「和を以て貴しとなす」で、
これは儒教、仏教の教えでもある。我が民族は個性よりも「和」「団結」
「遵法」が大好きなよう、「付和雷同」という面もあるけれど。

聖徳太子(574年生)の時代は、支那を300年ぶりに再統一した「隋」
(581〜618年)の時代だ。日本民族が小異を捨てて大同(和)につかなけ
れば隋に併呑されてしまうという危機感があったろう。聖徳太子は「日出
づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」とい
う天皇国書を隋の煬帝に送っている。「教えて!goo」によると――

<589年、大陸では隋が天下統一を果たした。満州地区にあった高句麗
は強大な隋と隣接することになった。593年、日本では推古天皇が即位。
厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子になり、同時に摂政に就任。天皇から国政
の多くを委任された。大臣には蘇我馬子が留任した。

蘇我馬子の配下には渡来系の氏族が多く、日本の朝廷はその人脈を利用
して高句麗政府に対して仏僧の派遣を要請した。

高句麗王は、隋帝の朝貢要求に応じなかったため、二国の関係が険悪に
なっていた。

高句麗王は、この際、日本に近づき同盟関係を結ぶ方が隋への牽制にもな
り有利であると考え、595年、政治にも仏典にも強い僧、慧慈を派遣し
た。蘇我馬子は慧慈を朝廷の外交顧問に就かせると同時に、皇太子の家庭
教師をも務めさせた。

600年、日本は隋の動きを偵察するため遣隋使を派遣した。日本の朝廷
では、慧慈ら高句麗関係の人脈を通じて得られる大陸の政治情報や、遣隋
使の帰国報告をもとに対隋外交政策を練った。

隋と高句麗は国境で数度、武力衝突したが、いずれも高句麗側の優勢で
終わっている。「今ならば、日本は隋に対して強い態度で臨んでも、隋が
日本を武力で攻めることはあり得ない」と判断した。だから「日出づる処
の天子、書を日没する処の天子に致す・・」と事実上の「独立宣言」をし
たのである。

607年、小野妹子を団長とする訪中団を送り込み、前記の天皇親書(国
書)を持たせたのだが、果たして日本側の読みは当たった。隋の煬帝は、
日本の天皇親書には腹が立つけれども、ここで対日関係を悪化させるのは
まずい、高句麗だけでも手ごわいのに、高句麗−日本連合軍と戦うわけに
はいかない、ここは我慢して、答礼使節を日本へ派遣し、日本の天皇のご
機嫌をとろう、と小野妹子の帰国に合わせて訪日団を送ってきた。

日本の朝廷は国際社会の情勢を的確に読んで、チャンスをうまく利用し
た。見事な駆け引きだった>(hinode11さん)

それから1400年経っても支那は日本にとって気を許せない危険な大国で
ある。中共建国の父、毛沢東曰く――

<戦争。人類が互いに殺し合うこの怪物は、終局的には人類社会の発展
がこれを消滅するし、それは遠くない将来だろう。だが、その方法は一つ
しかない。

戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対し、民
族革命戦争をもって民族反革命戦争に反対し、階級的革命戦争をもって階
級的反革命戦争に反対することである。

歴史上の戦争には、正義のものと不正義のものとの二種類しかない。す
べての革命戦争は正義である。我々は正義の戦争を支持する。我々の戦争
は正義であり、人類を救い、中国を救う光栄ある事業であり、全世界の歴
史を新しい時代に移す架け橋である。

革命の中心任務と最高の形態は、武力による政治権力の奪取、戦争によ
る問題の解決である。このマルクス・レーニン主義の革命原則は普遍的に
正しい。武装闘争なしには今日の共産党もあり得ない。共産党員の一人ひ
とりが「鉄砲から政権が生まれる」という真理を理解すべきである。血を
もってあがなわれたこの経験を全党の同志は忘れてはならない>

毛沢東は、演説は朴訥かつ苦手だったようだが、文字によるアジテー
ターとしては超一流だ。熱狂させて垂らし込む、カリスマ性のある指導者
だ。中学校の先生をしていたインテリであり、詩人でもあった。演説や会
話が朴訥で短くても相手のハートをつかむのが上手かったのは詩人だった
からだ。一言一句が練りに練られていて、それは「誠実で驕らない指導
者」と受け取られた。

習近平の演説とは雲泥の差で、教養学問のなさ、人徳のなさ、やたらと
長いだけで居眠りしたくなるような演説とは大違いだ。共産党員はそれを
暗記しないと出世できないらしい。「私の提案は、習近平主席が先の視察
で訓示した○○に基づいている。反対するのは習近平主席への裏切りではな
いか」などと“虎の威を借りる狐”も多そうだ。ブレーキがない独裁統
治・・・危険極まりない。

習近平の妄想的「夢」は、支那を赤化統一した建国の父、毛沢東に並
び、さらに毛沢東を超えてアジア全域を赤化統一することだろう。しか
し、最近では習近平の教条主義的なコロナ禍対策が経済に大ダメージを与
えていることで李克強派が存在感を復活させつつあり、同時に習の健康不
安説も聞かれ、求心力はずいぶん弱まっているようだ。

キツネとタヌキの騙し合い? 習の盟友プーチンはソ連帝国復活の夢を
見ている。建国の父レーニンは病気のデパートになってボロボロ、凄まじ
い最期だったが、プーチンも年内もつかどうか、かなり怪しい感じがする。

毛沢東は1972年あたりにはALS(筋萎縮性側索硬化症)やパーキンソン
病だったようで、同年に訪中したニクソン米大統領はこう回顧している。

「毛の病状は見るも無残だった。部屋に入った私を迎えて立つのさえ、
秘書の手を借りなければならなかった。『上手く話せないので』と謝り、
周恩来が後で気管支炎だと説明したが、明らかに卒中の後遺症だった。し
わはないが薄い黄色した肌は、まるで蝋のように見えた。表情は穏やかな
ものの、動きはなく・・・」(小長谷正明著「ヒトラーの震え 毛沢東の
摺り足」)

ニクソンの電撃訪中は丁度50年前の1972年2月21日、世界を驚かせて
「ニクソン・ショック」と呼ばれた。今から思えば米国がモンスターを育
ててしまったわけだ。自称リベラルは共産主義への認識が甘く、よせばい
いのにパンダを装ったヒグマを餌付けして大きく育て、今や咬みつかれる
か食われるかになってしまった。

里に下りてきたヒグマは速攻で駆除すべし、さもなければ世界も日本も
餌食になる、そのイロハが全然分かっていないのは共産主義についてほと
んど無知だから。

共産主義は「アカの、アカによる、アカのための独裁統治」であり、党
員とシンパだけが美味しい思いをし、庶民はまるで奴隷扱い。どれだけ多
くの人が殺されたり悲惨な目に遭ってきたか・・・

ウクライナは「もう二度と共産主義には屈服しない」と今戦っている。
リベラルを装うアカどもはプーチンの侵略を容認し「手打ちせよ」と被害
者のウクライナに迫っている。そういう連中、適性国民は“この世の天国”
中露北に行って、日本国籍を離脱すればいいのに、そんな殊勝な奴は一人
としていない。

人間は弱い存在であり、強者から脅かされれば己の命、家族のために屈
服しやすい。だからこそ一度たりとも共産主義者に政権を取らせてはいけ
ない。自由民主人権法治が機能している間に共産主義者を自滅、根絶させ
なければならない、ということ。日本共産党、立憲民主党、その支持者
は、日本を弱体化させ、習近平の侵略を呼び込み、日本を中華人民共和国
倭人自治区にしたいのだから

古森義久先生の「プーチンを見習う習近平、台湾侵攻では最初から『核
威嚇』か 米国も欧州諸国も委縮させたロシアの“脅し”」JBプレス2022/6
/1から。

<中国は、ロシアによるウクライナ侵略での核兵器使用の脅しが効果を
あげたことを教訓として、台湾侵攻に際しては初期段階から米国や日本へ
の核の威嚇へと走るだろう――ワシントンの中国や核戦略の専門家の間で、
こうした見解が具体的に表明されるようになった。

ウクライナではプーチン大統領の核威嚇に対して、米国のバイデン政権
が対決を恐れて消極的な姿勢のままとなった。習近平国家主席はその姿勢
を見て、核の威嚇が台湾有事への米国の介入阻止の有効策になると判断し
たからだという。

【見事に成功したプーチン大統領の核威嚇】中国の台湾攻略での核兵器
使用の威嚇を予測したのは、ワシントンの大手研究機関「戦略予算評価セ
ンター(CSBA)」の上級研究員のヨシハラ氏と、同研究部長のモンゴメ
リー氏である。2人はこのほど「ウクライナ後の台湾への危機」という論
文を軍事戦略専門誌に共同で発表した。ヨシハラ氏は中国の戦略動向に関
する研究では全米有数の権威とされる。モンゴメリー氏は核戦略研究の専
門家である。

ウクライナ戦争では、プーチンは侵略を開始した2月24日の3日後の27日
に、ロシア軍の核抑止部隊に「特別な臨戦態勢」の発動を命令した。同時
にプーチンはウクライナでの戦闘に米国などが介入すれば、「即時にこれ
まで誰もみたことのない激烈な結果を招く」とも述べ、核攻撃を示唆した。

プーチンのこうした核威嚇の基礎には、ロシア軍の「戦術核兵器の限定
使用」という基本戦略が存在する。小規模な地域戦争において、敵が非核
であっても、「エスカレーションを防ぐための戦術核兵器使用」という選
択肢があることが「ロシア連邦の核抑止分野での国家政策の基本的原則」
で明記されているのだ。

プーチンのこの核威嚇に対してバイデン政権はとくに対抗や報復の核抑
止策には触れず、3月上旬に予定していた新型大陸間弾道ミサイル
(ICBM)の発射実験を中止した。ロシアを刺激しないための中止とされ
る。さらにバイデン政権は、その時点で検討していたウクライナ上空の航
空機飛行禁止令を出すことも、ロシア側の反発への懸念から抑制した。

バイデン政権高官たちは、ロシアとの全面対決による第3次世界大戦の
勃発だけは避けねばならないという趣旨の発言を重ねた。この米国側の反
応は、ロシアの核威嚇が効果をあげ、バイデン政権がさらなる消極姿勢を
とることになる証しと解釈された。

北大西洋条約機構(NATO)加盟の西欧諸国も同様に、ロシアの核威嚇に
衝撃を受けた様相をみせた。その意味ではプーチンの絶壁際での核威嚇は
見事に成功したといえる。

【日本にも向けられる中国の「核の恫喝」】ヨシハラ氏らは前記の論文
で、習近平は確実にこのロシアの成功を教訓にするだろうと明言してい
た。ヨシハラ氏はさらに中国の台湾攻略時の核恫喝は日本にも向けられる
と警告する。それでなくても中国では、台湾有事に日本の自衛隊が参加す
れば日本本土に核攻撃をかけるという軍事動画が全土に流れたことがある
のだ。

台湾有事をめぐる長年の論議では、これまで核兵器という要素が語られ
ることはまずなかった。だがウクライナ戦争が期せずして「中国→台湾→核
威嚇→米国」という新たな戦略的連鎖の思考を生んだわけだ。その連鎖の
発端はプーチンのロシア軍の核抑止部隊への特別臨戦態勢命令だったわけ
である。

ヨシハラ氏らの同論文はさらに以下の趣旨を述べていた。

▼プーチンの核威嚇はバイデン政権をたじろがせた。核戦略態勢を主導
する米国は、本来なら示すべき核抑止の明確な反応を示さなかった。西欧
諸国も怯えた形となりウクライナへの軍事介入にはより慎重になった。

▼中国にとって、ロシアの限定的な戦術核兵器の使用の威嚇に米国が正
面から抑止の反応をみせなかったことは意味が大きい。台湾侵攻の際に、
中国は核使用の示唆によって米軍や日本、オーストラリアなどの軍事介入
を阻止できるかもしれないという核オプション(選択肢)を得たといえる。

▼中国は台湾攻撃にあたって、作戦の冒頭で核兵器使用の脅しを表明す
る見通しが強くなった。その際に中国は年来の核先制不使用の方針を崩す
こととなるが、核の恫喝によって作戦の始めから米軍の介入や日本の軍事
的な支援、参加を防げるという効果は巨大となる。

要するに、ロシアがウクライナで核兵器使用の可能性を示唆したことに
対し、バイデン政権が対抗の言動をとらなかったことに中国は勇気づけら
れ、同じ作戦を台湾攻撃でも採用するだろう、という考察なのである。

となると台湾有事にも核の脅威が現実に浮上することになる。日本がそ
の脅しの標的となる危険性も当然ある、というわけだ。そんな重大な警告
なのである>

「革命のためなら親でも殺す」・・・真っ赤に染まっていた19歳の小生
がこう言うと、義兄から「バカか、お前は・・・何を言ってるのか!」と
怒鳴られた。小生はその場の勢いでそう言ったのだろうが、さすがに「言
い過ぎた」と恥ずかしくなった。完全にイカレポンチ。

アカに洗脳されると人間としての良識がなくなるのだ。中核派弁護団事
務局の中にもカンパをくすねて会うたびに服装が高級化している奴がい
た。ブント(共産主義者同盟)では高級車を乗り回す幹部もいたという。
労組の専従みたいに利権に群がる人々・・・日本学術会議も一緒か? 共
産主義は人間を堕落させる。

プーチンも習近平も含めて独裁者は蓄財畜妾美酒美食に走りやすいよ
う。「俺は正義だ、俺は神だ」という独裁者にはブレーキがないから欲望
のアクセルを踏みっぱなしになる。今は国際包囲網を喰らって下り坂だ
が、彼らは共産主義者だから「一点突破、全面展開」へ確実に向かう。

プーチン&習近平の“ダーティペア”は国力がまだある年内にも世界制覇
を目指し、世界を破壊する「世界革命戦争」を起こすだろう。「座して死
を待つ」より世界を革命せよというのがマルクスの教えである。「共産党
宣言」(1848年)に曰く――

「共産主義者は、その主義主張を隠すことを恥とする。我々は公然と宣
言する。我々の目的は、これまでのすべての社会組織を強力的に転覆する
ことによってのみ達せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せ
しめよ。プロレタリアは鎖よりほかに失うべき何ものもない。そして彼ら
は、勝ち取るべき全世界を持っている。万国のプロレタリア団結せよ!」

170年も経つとマルクスもビックリ! 2大共産主義国が最悪の個人独裁
国家になっているのだから・・・ダーティペアが目指すのは己の命と財
産、独裁者としての地位である。内戦を防ぐために外戦=侵略戦争を起こ
すのは独裁者の常套手段だ。

これを阻止するために自由世界がすべきは、包囲網の強化、核兵器など
による軍事力の強化に加えて、露中の体制変換を目指す民主主義革命を武
器、資金面で支援することだ。内戦を支援する・・・これはダーティペア
が一番嫌うことだろう。東部、極東で日本ができる露中への圧力は、ユー
ラシア西部およびアジア太平洋での民主派の戦いを有利にするだろう。
「一点突破、全面展開」、日本が独立を取り戻す好機でもある。


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また判明した韓国のウソ
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          黄文雄

慰安婦合意で文在寅政権が隠していた真実
2015年に締結されるもその後韓国側の一方的な主張で破棄された日韓慰安
婦合意を巡り、日本の正当性を証明する内部文書を公表した尹錫悦(ユ
ン・ソンニョル)政権。日韓関係の改善に前向きの姿勢を見せる尹大統領
との間に、慰安婦問題の解決を見ることはできるのでしょうか。今回のメ
ルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』
では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、尹政権がこのタイミングで文書を
出してきた理由を考察するとともに、韓国市民の反応を紹介。さらに慰安
婦問題の収束に関して懐疑的な見方を示し、その理由を述べています。

プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学
院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、
評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国
人韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

日韓関係が進展しそうなときこそ警戒を怠るな
● 慰安婦合意、支援団体と事前協議 韓国外務省の内部文書で判明

日韓関係を最悪にした文在寅政権の嘘がまたひとつ暴かれました。2015年
の日韓慰安婦合意後、当時はまだ野党だった文在寅氏は、「被害者の意見
が反映されていない」と主張し、大統領就任後には「重大な欠陥が確認さ
れた」などという理由で合意を事実上無効化し、日韓合意により設立され
た「和解・癒やし財団を解散しました。

ところが、韓国外務省は5月26日、2015年の日韓合意に際して、慰安婦支
援団体代表と4回にわたり協議し、合意内容もきちんと伝えていたことを
記した面談記録文書を公開しました。

2015年の合意時点では、合意撤回派は「慰安婦やその支援団体にも知らさ
れていなかった」と主張していましたが、2020年、慰安婦支援団体の韓国
挺身隊問題対策協議会=挺対協(現在は正義連に改称)のトップである尹
美香氏には事前に知らされていたことが判明します。

尹美香氏は、この日韓慰安婦合意時に、「被害者や支援団体は何も知らさ
れていない」と主張し、合意破棄を訴えて名を売り、2020年には国会議員
にも当選します。しかし同年、実際には合意内容が事前に知らされていた
ことが判明します。

尹美香氏はこれに対して、「意見徴収ではなく、あくまで一方的な通告
だった」と反論していたわけですが、今回の外務省の発表で、合意内容に
ついても協議しており、「何も聞かれなかった、一方的な通告だった」と
いう証言は嘘だったことが判明したのです。

尹美香氏はこの他にも、ソウル市からの支援金の不正請求や、不正会計、
寄付金などのピンハネなどさまざまな疑惑を慰安婦からも告発されていま
す。また、尹美香氏は北朝鮮を何度も訪問して対北事業を行うなど、親北
ぶりが知られています。

さすがに韓国国内でも、疑惑まみれの尹美香氏に対して、「偽善の偽りは
これだけなのか」と批判の声が上がっています。

● 韓日慰安婦合意の内容を知っていたのに伏せた尹美香、偽善の飾りはこ
れだけなのか

そもそも、このようなやりとりの記録を、文在寅前政権がまったく把握し
ていなかったはずはありません。真実を知っていた上で、日韓慰安婦合意
の事実上の破棄に持ち込んだと考えるのが普通でしょう。親北派である文
在寅と慰安婦支援団体の「親しい関係」が透けて見えます。
          


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「人民の本当の幸福の姿」
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        伊勢雅臣

 米国初代領事ハリスが賛嘆した「人民の本当の幸福の姿」を実現したの
は、高度な自治と助け合いの村落共同体だった。
■1.米国初代領事ハリスのみた農民の暮らし

 渡辺京二氏の名著『逝きし世の面影』を読むと、幕末から明治初年のか
けて来日した欧米人たちが、我々の先人たちの暮らしを見て驚いている様
に、我々がかえって驚かされてしまいます。たとえば幕末、米国の初代駐
日領事として伊豆下田に領事館を構えたタウンゼント・ハリスは、その地
の住民が貧しく、生活するだけで精一杯だと述べた後、こう記しています。
__________
それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っ
てはいない。それに家屋は清潔で、日当りもよくて気持がよい。世界のい
かなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を
送っているところはあるまい。[渡辺京、p96]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ハリスは貿易商としてインド、東南アジア、中国を6年も渡り歩いて来
た人物ですから、「世界のいかなる地方においても」という比較は、実際
の見聞に基づいた信頼できる証言でしょう。

■2.土地は村のもの

 ハリスがこの幸福な光景がどのように生み出されたのかを知ったら、
もっと驚いたはずです。その背景には、高度な自治で助け合いを実現して
いた村落共同体があったのです。

 日本近世史専攻の渡辺尚志(たかし)一橋大学教授の著書『百姓の力 江
戸時代から見える日本』では、江戸時代の村落がどのように高度な自治を
行っていたのかを活写しています。

 まず江戸時代後期の平均的な村は人口およそ400人規模でした。この
ぐらいの規模ですと、お互いに顔も名前も素性も知り合っていたことで
しょう。広い田畑と豊かな財産を持った豪農から、限られた田畑を耕す小
農、さらには他人の田畑を耕す小作人と、貧富の差はありましたが、興味
深いのは 田畑は完全に個人の所有ではなく最終的には村の共同財産とい
う考えがあったことです。

 渡辺教授は、こんな興味深い事例を紹介しています。上総国(かずさの
くに、今の千葉県中央部)のある村で、長左衛門という農民が、村を離れ
て江戸に移住することになりました。その際、彼はもっていた屋敷地や山
を、庄屋や村人たちに返して村を去っていったのです。
__________
 ここからも、当時の村人にとって、その所持地は現代的な意味での私有
地ではなく、一面では村の土地という性格をもっており、利用しなくなっ
たら村へ返すべきものだと考えられていたことがわかります。[渡辺尚、p61]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 現代流に言えば、各農民は田畑の使用権は持っているが、所有権は村に
帰属するという原則があったようです。土地は本来、大自然が生み出した
ものなのに、早い者勝ちで所有を宣言したり、先住民を駆逐して自分の専
有物とする、という近代的な土地所有権の考え方よりも、こちらのほうが
よほど合理的かつ公正に見えます。

■3.土地利用も村の自治

 また土地に関しては「割地」という仕組みがありました。これは何年か
に一度、くじ引きなどによって、村人たちが所持地を交換するのです。
__________
同じ面積の耕地でも、川沿いの耕地のほうが洪水に遭う危険度が高く、そ
れだけ相対的に負担も重くなります。こうした不公平をなくすために、割
地によって所持する耕地の場所を取り替えたのです。村人たちが考え出し
た、危険負担均等化のための知恵(リスクマネージメント)といえるで
しょう。[渡辺尚、p57]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 また、ある農家が困窮して、現代なら土地を売却するような時にも、土
地を質入れする、すなわち、土地を形(かた)に金を借りることが行われて
いました。その場合でも、自村の土地は自村の者が所有すべきだという原
則が、次のような方法で守られていました。
__________
(1)村議定(村の自主的な取り決め)で、村人が村の土地を他村の者に質
入れ・売却・譲渡することを禁止する。
(2)村が、土地を質入れしたい村人に取引相手の斡旋を行ない、どうして
も村内で取引相手が見つからないときには、村が金を出して土地を質に取
る。[渡辺尚、p60]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 このようなことが行われていた根底には、土地は村のものという大原則
があったからでしょう。

 田畑の外側に広がる山野は材木や薪、木の実や山菜、堆肥としての枝葉
を得る必要不可欠の土地でしたが、ここは入会地(いりあいち)として共同
利用されていました。他村との境界にある山野は複数の村で共同利用する
「村々入会」として、入山期間、使用する道具の種類、採取する枝葉の量
などを細かくとり決めていました。

■4.手厚い困窮者救済の仕組み

 村は、村人たちがお互いに生活を支え合う組織でもありました。
__________
村は、老人・病人・孤児・寡婦など、社会的弱者・困窮者に対する保護・
救済機能をもっていました。疾病・傷害・老齢などにより村人の生活が困
窮したときは、まず家族・親族が扶養します。しかし経済的理由などか
ら、それだけでは扶養が困難という場合もあるでしょう。そのときは、同
族団や五人組、さらには村が援助の手をさしのべました。[渡辺尚、p106]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「五人組」とは近隣の5戸前後で作られた地縁集団です。このような地縁
集団と、家族・親族・同族という血縁集団で重層的な相互扶助を実現して
いたのです。

 また、貧窮困窮者救済のために無尽(むじん)や頼母子講(たのもしこう)
が作られることもありました。参加者は定期的に一定額の掛け金を積み立
てておき、困窮者がそのお金を受け取る、という相互金融組織です。

 また城下町に住む領主も、百姓の生活が成り立つよう保障する役割を果
たしていました。
__________
 ・・・年貢を徴収する前提として、領主には一定の責務が求められまし
た。大河川の治水工事など農業基盤の整備に努めたり、不作のときには困
窮百姓に米や金を支給して助けたりしました(「お救い」)。もちろん、
武力を背景に平和を維持することも領主の責務です。
領主は百姓に「仁政」を施し、「百姓成立(なりたち)」を支えるべき責任
を負っていたのです。財政難などにより「仁政」を施せなくなった領主
は、百姓から厳しく批判されました。[渡辺尚、p91]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 領主に収める年貢は「百姓成立」「お救い」の対価であり、その額は領
主と村との合意が必要とされていました。それに不満があれば、百姓側は
「一揆」という集団交渉で、異議申し立てを行うことができたのです。そ
して決められた年貢は村として責任をもって納め、村内部での各戸への負
担配分は村の中の話し合いで決められていました。[JOG(1214)]

■5.子供は「家の子」だけでなく「村の子」

 子供たちも村で力を合わせて育てていました。
__________
子供は村の未来を担う宝であり、その成長には村も責任を負っていまし
た。子供は「家の子」として育てられると同時に、「村の子」としても育
てられるべき存在だったのです。村による産育・教育の基本目的は、子供
が無事に育つことと、一人前の村人として必要な、生活のルールや知識を
身につけることでした。[渡辺尚、p101]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 お七夜(子供が生まれて七日目の祝い)、宮参り(はじめての産土神
(うぶすながみ)参詣)、食い初(ぞ)め、初節句、誕生祝い、七五三などは
両親や祖父母だけでなく、多くの村人も集まって共に祝われました。家の
行事であるとともに村の行事でもあったのです。

 また寺子屋の支援も村が行いました。適当な師匠がいない場合は、村で
費用をもって外部から招く、ということが行われていました。

_________ 七歳を過ぎた子供たちは「子供組」という集団を組
み、大人の指導下に さまざまな行事を行ないました。たとえば天神講を
つくって学問の神様・ 菅原道真を祀り、学問の上達を祈るとともに、共
同飲食して楽しむ、など の慣習は、多くの村で見られます。

 子供は一五歳になれば、一人前の村人と認められました。そこで男は
「若者組(若者仲間)」、女は「娘組」に属し、それぞれに仲間の交流を
深め、また集団の規律を学びました。[渡辺尚、p102]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 村の神社の祭礼も、若者組が中心となって行いました。さらに若者組は
村の消防や警察、あるいは、台風や大雨による河川氾濫防止のための土嚢
積みなど防災の中心でした。現在でも全国の市町村に本業を別に持つ希望
者からなる消防団が設置されて、地域の消火防災の中心となっています
が、こうした組織も若者組の伝統を基盤としているのでしょう。

 このように幼い頃からの集団教育が、村人としての社会性を育む重要な
仕組みでした。現代の教育制度が個人としての知識や能力を偏重している
のに比べれば、はるかに本質的な全人教育がなされていたのです。

 物質的にはそれほど豊かではなくとも、ハリスが観察した村人たちの幸
せぶりは、このように村として互いに助け合う共同体精神の賜でしょう。

■6.全国的な商業・観光のネットワーク

 このように各村は、緊密に助け合う村落共同体として維持運営されてい
ましたが、江戸時代後期には、全国的な商品流通経済の発達によって、各
村は経済的ネットワークで結ばれるようになりました。

 各地域の地形・気候・文化を活用した特産品が生まれ、全国的な流通網
によって交易がなされました。例えば、上総の東部地方では丈夫な綿布が
作られ、「上総木綿」として、江戸でも重宝されました。出羽国村山郡
(山形県の村山地方)の紅花、河内国(大阪府)の木綿、阿波国(徳島
県)の藍などが全国的なブランドを確立していました。

 このような商業的農業の発達、農作物の多様化、林業や水産業の兼業な
どによって、百姓たちの生活水準は大きく向上し、遠地への観光旅行も普
及しました。上総の国からも多くの人々が伊勢神宮や出羽三山、富士山な
どへ出かけていきました。東海道53次などの浮世絵が流行したのも、旅行
ガイドブックとしての需要があったからです。
__________
こうした旅の盛行にともない、地域にある神社仏閣や霊山を名所化して広
く宣伝し、全国各地から旅行者を呼びこむことによって、地域の活性化を
図ったところもありました。[渡辺尚、p170]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 我が国土の特徴は、地域ごとに地形・気候・歴史・文化が多様性に富ん
でいるということです。 それによって、さまざまな特産物を他地域に売
り込んだり、観光客の呼び込みをしたり、というのは、国土の特徴を生か
した経済的発展の姿です。

2022年01月01日

◆元旦の東京湾岸は快晴。

渡部亮次郎わたなべりょうじろう 85歳。

元NHK政治部記者。当時「文芸春秋」に「赤坂太郎」で
政治評論を書いた。1字10円だった。

仙台、盛岡局勤務の後、東京の政治部へ。河野一郎を
担当。河野先生は酒 を一滴も飲めなかった。毎夜、赤坂の料亭に立ち
寄っていたが、お膳を前にお茶を飲んでいたとは。呑み助の私には想像も
できない。
外務大臣秘書官。その後、社団法人の理事長を18年間。
現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者。
 
秋田県生まれ1936年1月13日。どこといって故障個所は無いから100位まで
は生きるだろう。このメルマガの届かなくなった日が私の死亡日です。

兄は81で、姉は91で死んだ。遺伝の話をすれば、 父親は60台に死んだが
母親は98まで生きた。

渡部 亮次郎

2021年07月20日

◆20日の東京湾岸は晴天。爽快。

渡部亮次郎 わたなべりょうじろう。

大学卒業後、記者としてNHK入り、仙台、盛岡局勤務の後東京の政治部
へ。河野一郎を担当。河野先生は酒を一滴も飲めなかった。大酒飲みの私
は大阪でデスクをしたのち退職、外務大臣秘書官。その後、社団法人の理
事長18年,現在は年金生活者。メルマガ「頂門の一針」主宰者
 
秋田県生まれ1936年1月13日85歳、どこといって故障個所は無いから100位
までは生きるだろう。

兄は81で、姉は91で、死んだ。私の手相は長生きを示している。遺伝的
にも母親は98まで生きたし。

渡部 亮次郎

2021年06月28日

◆NYのカレーライス

渡部 亮次郎


アメリカへ行くと、どういうわけか焼き魚とカレーライスが食べたくなっ たものだ。ところがアメリカ人はおしなべてカレーの匂いが大嫌いだそう で、どのレストランでもメニューには無い。

また魚を焼くにおいは人間を焼く匂いだといって厭がる。ロスアンジェル スでは、なんとか、ボイルで勘弁してくれないかといわれた。あれから何 十年、事情は変わったろうか。

先ごろ金沢市のレストランがNYのど真ん中マンハッタンにカレーライス の食堂を進出させたというニュースがあったが、大丈夫だろうかと思って しまう。客は日本人と何国人だろう。匂いが厭だと周囲から文句を付けら れないか。

1970年代の終わりごろからニューヨークでNHK特派員をしていた堀 徹 男君は元はといえば政治部の同僚だった。NYではメイン・ストリートの 五番街に程近いアパートで奥さんと2人暮らしだった。

この奥さんは10年くらい前、東京で急死されたが、早くにNHKを退職し た私だからネット・ワークが及ばず、とうとう葬儀に参列する事はできな かった。それが未だに気がかりであるぐらい、堀夫人には世話になったの である。

何を隠そう、NYでカレーライスを作って戴いたのである。下手をする と、アパートの管理組合に呼び出され、退去を命じられる危険を冒しての 「冒険」を強いたのである。

カレーソースを手軽に作るため、日本では市販の即席カレールーが使われ ている。製品としての粉末の即席カレールーはハウス食品が1926年に(商 品名・「ホームカレー粉」)、固形の即席カレールーは、エスビー食品が 1954年にそれぞれ日本で最初に製造した。

2004年度のカレールー(家庭用即席カレー)国内出荷額は676億円とさ れ、各社のシェアはハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約 10%と推計される(日本経済新聞社)寡占市場である。

しかしNYでは当時、そんな物はどこにも売っていない。堀夫人はどこを どう捜して私にカレーライスを作って下さったのだろうか。今では謎である。

いずれ話はワルドーフ・アストリア・ホテルに滞在中だった園田外務大臣 にばれた。「ナベしゃん、ワシも食いたかったとバイ」とこぼされた。

カレーライス 肉や野菜を、さまざまな香辛料をブレンドしてつくられた カレー粉で調味したカレーソースで煮こみ、米飯にかけて食べる料理。ラ イスカレーともいう。

カレーの語源は、ソースを意味するタミル語のカリだといわれている。も ともとはインド料理であるが、日本へは1859年(安政6)の開港以降イギリ スから伝えられたとされている。国産のカレー粉は1923年(大正12)山崎峯 次郎によりつくられ、発売された。

本場インドのカレーは粘り気がなく、また、ヨーロッパでは米飯は副えも のであるのに対し、日本では米飯が主で、かけるソースもとろみがある (小麦粉=ビタミンB1が多い)という日本独特のものとして発達した。

薬味に福神漬けやラッキョウを副えるのも日本特有である。固形の即席カ レーが1954年(昭和29)ヱスビー食品から初めて売り出されて以来、さまざ まな味の即席カレーが各社から発売され、カレーライスは家庭料理だけで なく、レストランなどのメニューでも定番となっている。

カレーソースに用いる主材料によって、ビーフカレー、ポークカレー、チ キンカレー、野菜カレーなどがある。関西と関東の食肉文化の違いから一 般的にカレーといえば関西では牛肉を使用したビーフカレーが、関東では 豚肉を使用したポークカレーが定番とされている

またカレーライスにカツをそえたカツカレーや、うどんにカレーソースを かけたカレーうどんといったものもある。

カレーライスが全国に広まることとなった経緯として「戦前、普段米を食 べることが少ない農家出身の兵士たちに白米を食べさせることになった海 軍だったが、当初カレーには英国式にパンを供していた。

しかし、これは概して不評だったため白米にカレーを載せたところ好評と なり、調理が手早く出来て肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事と してカレーライスを兵員食に採用した。

その後、除隊した兵士がこのカレーライスを広めたため、全国に知られる ことになった」という説がある。日本の海軍は英国から習得したものだか らである

ただし、陸軍が普及に貢献したとする説もある。いずれにせよ、日本にお いては軍隊がカレーの普及に大きな役割を果たしたとみられる。

日本以外の国のカレーライス

日本のカレーライスの原型となった料理は、世界中に文化的影響圏を広げ たイギリスの食文化のため、現在は世界中の多くの地域で見られる食文化 である。その国でカレーライスの食文化が定着した理由として、「イギリ スの影響」「戦前の日本の影響」「戦後の日本の影響」。

イギリス

日本にカレーライスを伝えた国とされるイギリスには、見た目や味が日本 のカレーライスと酷似した料理「curry and rice」が存在する。パブや学 生食堂で安い値段で気軽に食べられる点でも日本でのカレーライスと共通 する。

イギリスには多くのインド料理店が存在するが、それらの本格的なインド 料理とは別物の大衆料理として親しまれている。

香港

イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レスト ランにカレーライスを揃えている店が少なくない。日本のものと比べる と、若干スープカレーに近い、さらっとしたものが多い。

ハワイ

明治初期から日本人移民の多かったハワイにおいてもカレーは日常食とし て普及しており、日本料理店のみならず大衆的なレストランや伝統的なハ ワイ料理を扱う店のメニューにもカレーライスの名前を見ることができる。

以前は日本人にとっては懐かしい昔ながらのライスカレーを供する店が大 半であったが、近年はタイやベトナムなど東南アジア系移民の増加や、日 本のチェーン店であるCoCo壱番屋の進出などによりさまざまなスタイルの カレーライスが食べられるようになってきた。

台湾

日本統治時代に日本人がカレーライス食べる習慣を持ち込んだとされてい る。そのため台湾では一般的なカレーライスをごく気軽に屋台や食堂など で昔から食べてきた。

「古典的なこれは薄口の黄色いスープに片栗粉などでとろみを付けてお り、日本の昭和24年頃から50年代にかけて食べられていた即席カレーの趣 を残している。

近年では本格的な日本風のカレーライスを提供するレストランも増加して おり、片栗粉でとろみを付けた「古典的な日式」は衰退している。

韓国

日本統治時代からの伝統として軍隊食などとして食されている。家庭で 作ったり大衆食堂で出されるカレーは、台湾の場合と同じく薄口の黄色が 強いカレーが多い。

キムパプ(酢を使わないご飯を用いた韓国風海苔巻き)にカレーをかけて 食べるなど日本では考えられないようなアレンジも存在する。

中国

洋食のひとつとして、ホテルなどでカレーを食べることができたが、一般 の中国人にはあまりなじみのない料理であった。

しかし最近は上海に日本資本のカレーショップも開店し、日本風のカレー ライスの人気も出て来ている。中国語では「珈竰」などと表記される。


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2021年06月27日

◆アジサイは葉に毒

渡部 亮次郎


各地で紫陽花が咲き始めたが、これが鈴蘭と並ぶ「毒の花」と知る人は少なく飲食店などが料理に使用してしまい、経口摂取した客が中毒する事故が発生している。

毒部位は蕾、葉、根 (花には無いようだ)。毒症状 めまい、嘔吐、痙攣、昏睡、呼吸麻痺

ウシ、ヤギ、人などが摂食すると中毒を起こす。症状は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もある。

日本では、アジサイには青酸配糖体(グリコシド)が含まれており、それが中毒の原因であると考えられている。

ただし、農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所によると、原因物質は青酸配糖体ではなく、別の物質の可能性があるとしている。

毒成分 アミグダリン(amygdalin)、アントシアニン(anthocyanin)、ヒドラゲノシドA、グリコシド

アジサイ(紫陽花、英名・学名:Hydrangea)とはアジサイ科アジサイ属の植物の総称である。学名は「水の容器」という意味で、そのまま「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」ということもある。

いわゆる最も一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイであり、日本原産のガクアジサイ(Hydrangea macrophylla)を改良した品種である。

6―7月に紫(赤紫から青紫)の花を咲かせる。一般に花と言われている部分は装飾花で、本来の花は中心部で小さく目立たない。花びらに見えるものは萼(がく)である。セイヨウアジサイではすべてが装飾花に変化している。

花の色は、アントシアニンのほか、その発色に影響する補助色素(助色素)や、土壌のpH(酸性度)、アルミニウムイオン量、さらには開花からの日数によって様々に変化する。そのため、「七変化」とも呼ばれる。

一般に「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」と言われているが、土壌のpH(酸性度)は花色を決定する要因の一つに過ぎない。

花弁(正確には装飾花)に含まれる補助色素によっては青になり得ない・なり難いものがあるほか、pHは地中のアルミニウムがイオン化する量を左右する要因に過ぎないため、仮に酸性土壌であっても地中のアルミニウムの量が少なければ花が青色になることはない。また、初めは青かった花も、咲き終わりに近づくにつれて赤みがかかっていく。

「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われる。

また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックか)に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  

2021年06月26日

◆100万円は100g

渡部 亮次郎


こんな事をご存知ですか。1000万円は1000gつまり1Kgである。だから1億円は10Kg。とても持ちきれない。車で運ぶしかない。

金大中拉致事件を田中角栄政権が「政治的に」解決した時、「お礼」として、当時の「日本担当閣僚」が目白の田中邸に買い物袋2つに現金を詰めて運んだ。この閣僚とは」私も食事を共にしたことがある。

買い物袋に入る重さの限度はどのくらいだろう?5Kg=5000万円が限界じゃないか。閣僚は袋を両手に下げて「1つは奥様へ」といったら角さんは「そうか大平君(外務大臣)だね」と答えたという。

この話は閣僚を案内した田中後援会の幹部がのちに月刊誌「文芸春秋」で暴露して私を驚かせたが、世の中にはあまり評判にならずに終わった。角さんが「色紙を書こうか」と言った。領収書代わりである。

だが閣僚は不要と答えた。大平外相に渡ったかどうかは知る由も無いが、角さんが猫糞するような人ではなかったことは確かである。

ところで紙幣を重さで量る話は田舎の県会議員なんかを相手にした地方の記者時代は出るわけもない。やはり中央の政界である。私に教えたのは政界の、それも実力者と言われる人物だった。

政界と言うところは人にカネを掴ませる時は確実に現金を掴ませる。小切手なんかではない。それも新聞紙にくるんだり、買い物袋に入れて渡すのが普通だ。相手がかしこまらないよう、気を遣うわけだ。

石橋湛山政権の出来るときが現金買収のはじめと言われているが、昭和30年代前半のあの頃は精々100万単位だった。それを10倍にしたのが角福戦争といわれた田中角栄対福田赳夫による昭和47年の自民党総裁選挙だった。

しかし、福田は現金は全く使わず、使ったのは専ら角さんといわれた。1000万円はサントリーだるまの空き箱に納まるといわれた。

現在の政界ではこうした話は無縁。ただ1人知っているのは小沢一郎であ
る。目方で量る話も知っているはず。角栄、金丸信の教育である。文中敬
称略  

2021年06月25日

◆A面あってのB面

渡部 亮次郎


昔の話。昭和15(1940)年のある日、女優で流行歌手の高峰三枝子の自宅に、当時既に手に入らなくなっていた高級洋服地がどっさり送られてきた。送り主はデビュー間もない伊藤久男。人気の高峰に対する「御礼」のしるしだった。

昭和13年、古賀政男がテイチクを退社。同年、映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」が霧島昇とミス・コロムビアのデュエットによりヒットした。

次第に流行歌の世界にも軍国調の歌が多くなって来るのも、この頃からであった。軍国調でなくとも、大陸を舞台にした作品も激増して来る。

昭和15年には、戦地からの逆輸入のヒットとして、霧島昇の「誰か故郷を想わざる」がヒット。また、高峰三枝子の「湖畔の宿」もヒットした。

1940年5月、コロムビア・レコードは人気高まる高峰に「湖畔の宿」を歌わせた(佐藤惣之助作詞、服部良一作曲)。さてB面はどうするかとなって作詞:関沢潤一と作曲に新人の八洲秀章(やしまひであき)を起用して「高原の旅愁」。歌手はデビュー後7年になるのにヒットの無い伊藤久男に決定。

榛名湖を舞台にした「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調や歌詞が時局に不適合と発売中止となるも、それまでに大ヒット。当然B面の伊藤久男もいきなりスターになった。

これを伊藤はA面高峰のお蔭と感謝したわけだ。もともと「高原の旅愁」自体、優れていたとの評価もあるが、伊藤久男の人柄の良さが表れていて心洗われるエピソードである。Aが立派だからこそBも光るのだ。心すべき事である。

高峰三枝子(1918-1990)
東京の高輪出身。筑前琵琶の宗家であった高峰筑風の娘。東洋英和女学校卒業後、父の急死もあり、昭和11年に松竹大船の女優になる。「母を尋ねて」でデビューし、12年には「荒城の月」で主役に。

13年に歌手デビューし、「宵待草」を吹き込む。14年には映画「純情二重奏」「暖流」で人気を博す。

15年の榛名湖を舞台にした「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調や歌詞が時局に不適合とプレス中止となる。しかし曲中の台詞が、死地へ赴く兵士の心情とあいまって、特攻隊、前線兵士の間では歌われ続けた。

さらにビルマのバーモ長官が高峰のファンで、来日時に東条首相など政府
首脳の前で高峰が「湖畔の宿」を歌うといった事もあった。放送自粛といっても後世に想像するような厳格なものでもなかったのである。

17年に「南の花嫁さん」でヒットを飛ばし、21年には松竹を退社、英文雑
誌社長と結婚して「百万円の結婚式」と話題になったが29年に離婚。

27、28年には持ち馬のスウヰイスーが、競馬の安田記念を2回、桜花賞、オークスで優勝している。

この間も「懐かしのブルース」などでヒットを飛ばしたが、31年に突然、声が出なくなり歌手活動を引退。しかし40年には再びステージに復帰。

56年からの上原謙との国鉄フルムーンのテレビCMでも話題を呼んだ。60年には紫綬褒章、平成2年には勲四等宝冠章を受章。晩年までテレビ出演で活躍した。昭和天皇の園遊会の席上、感極まって泣いてしまった話は有名。

岐阜県明智町の日本大正村の初代村長もしていた。平成2年3月にはインド旅行に行くなどしていたが、4/18に倒れ、5/24には容態が急変、5/27午後5時30分、世田谷区の日産厚生会玉川病院で死去。上原謙は高峰に取りすがって泣いたという。本名は鈴木三枝子。住まいは大田区田園調布3丁目だった。
 
昭和14年   純情二重奏(霧島昇)
昭和15年   湖畔の宿
昭和17年   南の花嫁さん
昭和23年   懐かしのブルース
昭和24年   別れのタンゴ(引用:同じ)

伊藤久男(1910-1983)
福島の本宮町出身。本名は四三男(しさお)だが、訛りから芸名を久男と
する。

昭和4年に東京農大に入るが、豪農だった親の反対を押しきり6年に帝国音楽学校声楽科に入学しピアノを学ぶが、仕送りの停止から生活苦になり、やむなく8年、コロムビアの「旅に泣く」を吹き込んだのをきっかけに宮本一夫として歌手デビュー。

男性的な歌唱は当時の時局にぴったりで、古関裕而が満洲から帰国、神戸から東京までの汽車の中で作曲した「露営の歌」や「父よあなたは強かった」「暁に祈る」など数多くの軍歌を吹き込んだ。

「暁に祈る」の「ああ、あの顔で」の出だしは、陸軍省の「ああでもない、こうでもない」のうるさい注文に難渋した作詞者の野村俊夫の愚痴を聞いた、作曲者の古関裕而が、それを使うように薦めたのがきっかけ。

この間の13年には赤坂百太郎と再婚、4人の子供を設ける。戦火が激しくなった18年暮れには伊藤は福島に帰郷し、レコード吹き込みの度に上京した。

戦後は主にラジオ歌謡で活躍、「イヨマンテの夜」はのど自慢で大人気を誇るヒットとなった。他にも「あざみの歌」「山のけむり」などの叙情的な歌のヒットがある。

私生活では宝塚の桃園みかと同棲し、妻であった赤坂百太郎から「生活費を入れない」と25年、家庭裁判所に訴訟を起こされ、後に離婚している。

53年に紫綬褒章、58年に勲四等旭日小綬章を受章。持病のぜんそくに加え晩年は糖尿病で、浅草の国際劇場のステージでは、痙攣からマイクにすがりつきながら鬼気迫る歌唱をみせたという。

55年頃より糖尿病が悪化してステージに立てなくなり、56年秋より入院、そのまま事実上、歌手活動を引退。57年春には関係者の間では危篤とされていた。

涙もろく、「酒を飲まない奴は信用できない」が口癖だった。その反面で、極度の潔癖症でもあり、楽屋なども絶対に他の歌手と同室しなかったという。

服装には無頓着で、10年以上前の体に合わなくなった背広でステージに上る事もしばしばであった。レパートリーは何でもこなしたが、本人は抒情歌を好んでいたという。

また1年間を通じて10月から3ヶ月だけ禁酒をするという、独特な健康術を毎年行っていた。58年4/25午後11時40分、糖尿性肺水腫で中野区の沼袋病院で死去。

住まいは中野区沼袋だった。その死に際して霧島昇は「同郷人でよく一緒に飲んで喧嘩した」と思い出を語った。福島県本宮町の石雲寺に眠る。
 
昭和12年   露営の歌(松平晃、中野忠晴、霧島昇、佐々木章)
昭和14年   父よあなたは強かった(二葉あき子、霧島昇、松原操)
       白蘭の歌(二葉あき子)
昭和15年   暁に祈る
       高原の旅愁
       お島千太郎旅唄(二葉あき子)
       熱砂の誓い
昭和23年   シベリヤ・エレジー
昭和25年   イヨマンテの夜
昭和26年   あざみの歌
昭和27年   山のけむり
昭和28年   君いとしき人よ

引用:『日本流行歌通史』
http://www.geocities.jp/showahistory/music/history.html

2021年06月24日

◆「夜と朝の間に」

渡部亮次郎

このタイトルの歌を唄ったのは女装で有名になったピーターである。作詞のなかにし礼は男なのか女なのか判然としないピーターを
夜と朝の境目の判然としない時間に譬えて作詞した。

「夜と朝の間に」

唄 ピーター
作詞 なかにし礼
作曲 村井邦彦

<夜と朝の間に ひとりの私 天使の歌を聴いている死人のように
夜と朝の間に ひとりの私 指を折っては繰り返す 数はつきない

遠くこだまをひいている 鎖につながれた むく犬よ
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ

夜と朝の間に ひとりの私 散るのを忘れた一枚の花びらみたい
夜と朝の間に ひとりの私 星が流れて消えても 祈りはしない

夜の寒さに耐えかねて 夜明けを待ちわびる小鳥たち
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ>

ピーター 本名:池畑 慎之介 いけはた しんのすけ
1952年8月8日(57歳) 大阪府堺市西区 生まれ。
血液型 A型 俳優、タレント、歌手

慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝 の長男として生まれた。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚。母・池畑清子と暮らすことを選択、鹿児島市で少年時代を過ごした。慎之介が母方の池畑姓を名乗るのはこれ以降である。

池畑の性的指向は長らく公表されていなかったが、最近になってバイセクシュアルであることを明言し、男女共に恋愛経験があることを公にした。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そう言えば私はラジオとテレビの記者として育ったので、「きょう」とか「きのう」「おととい」「今月」「先月」「今年」「去年」というテンスの原稿を書き続けた。だが、これは新聞や雑誌では通用しない言葉であった。

たとえば、きょうに「きょう」とラジオやテレビで放送するのはとうぜんだが、新聞で「今日」と書いても、配達されるのは「あす」だから、きょうは昨日になってしまっている。だから日付を書くしかない。

TVの記者の古手になったら、盛んに雑誌から原稿を依頼されるようになって、このことを厳しく実感した。原稿は例えば、2月に「今月」と書いても発売される頃は「先月」になってしまっているから
原稿はもともと「今月」ではなく「2月」と書かなくてはならない。

このことはインターネットの世界でも同様である。今日はすぐ明日になってしまい、4,5日経ったらいつの今日かわからなくなってしまうではないか。

投稿してくる人はTVを見ながら「今夜の番組で」と打ち込んでくるが、明後日になってメルマガやブログに掲載しようとしても、「今夜」とはいつの今夜か分からなくて困る。今夜とか昨夜ではなくて初めから日付で語っていただかないと、主宰者泣かせの原稿になっている。

これきりのことを書くのに、ピーターのことから書きはじめた。
「夜と朝の間に」と言えばピーターだから、こうなった。私はNHKで政治記者を約20年やったが、正式なNHK教育を受けていない。

非正式職員に採用されて、大舘市駐在の記者(単身)になり、放送用(耳から聞かせる)文章を独りで考えて送った。1年後、試験に合格して正式記者に採用されたが、もはや教えるところは無いのか研修所(東京・砧)へは入れられず仙台の現場に突っ込まれた。ネタや文章がNHK的でないのは、その所為だろう。2010・2・27


2021年06月22日

◆64%「中国人に生まれたくない」

渡部 亮次郎


(再掲)【産経新聞2006年09月25日北京=野口東秀】「生まれ変わっても中国人になりたい?」--中国の大手ニュースサイト「網易」がこんなアンケ−ト調査をしたところ、約3人に2人が「なりたくない」と答えた。中国共産党支配と政策に対する人民の不満を浮き彫りにする結果だった。

このサイトはネット上でアンケートを実施、約11,000人が参加した。

その結果、「中国人に生まれ変わりたくない」という答えが約64%に達した。「生まれ変わりたくない」理由は、「中国人として尊厳が持てない」が約38%、「マイホームを持てないため、幸福感がない」が約18%だった。

中には「私は中国を愛しているが、中国が私を愛してくれない」という回答もあった。生まれ変わりたい理由には悠久の歴史や文化などがあった。

「生まれ変わりたくない」人のうち、「今度は香港人になりたい」と答えた人は、「中国には人権がない。独裁があるだけで、言論が抑圧されている」と指摘していた。

このほか、「親を養い、子供を育て、家のローンを払う。収入は悪くないはずなのに生活は良くならない」「乱れた社会、人が希望を持てない社会。100回生まれ変わっても中国人にはなりたくない」という声も聞かれた。

香港紙●果日報などによると、今月16日、サイトの編集者2人が突然解雇されたという。愛国教育を推し進める党中央宣伝部など当局の意向に沿わなかったためと見られる。
2006・09・25


2021年06月21日

◆大丈夫なのか鮪(まぐろ)

渡部 亮次郎


私が鮪(まぐろ)を寿司や刺身で食べられるようになったのは、実は60歳近くになってからである。それまでは中国人のように「淡水魚には肝臓ジストマがいて毒だ」といわれて食べないでいるうちに、すべての魚をナマでは食べられなくなっていたのである。淡水魚の秋田県八郎潟沿岸で生まれ育ったからである。

長じて政治家に新橋、赤坂などで日本料理をご馳走になっても、刺身は残して芸者に不思議がられて恥ずかしかった。

それが或る時、60近くになった時、友人に都内の飲み屋に引っ張られて入ったところ、料理は刺身は刺身しか無いといわれて鮪の赤身をたべてみたら抜群に美味かった。以後、刺身好きになり、誘われれば寿司屋にも喜んでゆくようになっている。

余談だが、毛沢東は生魚は食べなかったが、なぜか晩年は好んで生魚をたべたという。悪妻江青の策謀に乗せられたのではないか、肝臓ジストマにかかる前に死んだからばれなかったという説もあるが、江青も死んだ今となっては永遠の謎だ。

ところが今の中国人は日本人の長命の理由は生魚にあると見たのか、盛んに鮪を生でたべるようになって。われわれ日本人の胃袋を脅かすようになった。

以下「ウィキペディア」を引用する。

中国都市部で日本食ブームが起きている。それもマグロ需要が急増し、日本の漁獲減少の隙を突いて、中国漁船による活動が拡大し、競争が激化している。

また、乱獲防止と資源保護のため漁獲量が2割減が決まりさらに高騰するといわれる。そのために近年では世界中でマグロの代替品が増えている。

過去、米国およびオセアニアでは、脂身であるトロは商品的価値・需要が低かったので、日本の商社はトロを安価で購入することが出来た。ところが、近年の日本食・「sushi」ブームの影響で欧米でもトロに対する需要が起こり、かつてのような値段では購入出来ない状況にある。

また、1990年代後半には台湾で、2000年代に入ってからは中国で、日本食を中心とした海産物の人気が高まり、中国向けの漁獲が急増しているため、競争はますます熾烈になっている。

前述のように相対的な個体数が少ない上に需要増加・価格高騰が拍車をかける形で世界中でマグロが乱獲され、国際的な資源保護が叫ばれている。絶滅が危惧される生物を記載したIUCNレッドリストには、マグロ8種のうち5種が記載されている。

過激な保護運動を行う環境団体には、クジラ並みにマグロ漁禁止を求める強硬派もいる。こういった国際的な動きに対して、日本は2001年から02年にかけて、水産業界を中心に不利な規制が多数決で押し通される恐れがあると「中西部太平洋マグロ類条約」の準備会合をボイコットした。

だが、結局2004年に日本抜きで発効され、翌年に日本が加盟することになった。食糧農業機関(FAO)水産局長の林司宣(早大教授)は日本は世界中の海でマグロを取りまくっていながら、規制強化には後ろ向きだ、という悪いイメージを与えたとしている。

その後、2010年3月、ドーハでのワシントン条約締結国会議において21世紀初頭の個体数が1970年代と比較して90%減少したタイセイヨウクロマグロの附属書Iへの掲載の是非について審議が行われたが、18日の採決では大差で否決された。

マグロ価格高騰と天然物の漁獲量低下の追い風もあり、蓄養による養殖の出荷量は増加している。低コスト化・安全性向上の他、トロの割合を多くし価値を高める研究も行われている。

クロマグロの蓄養は、幼魚が黒潮に乗って回遊してくる西日本各地で行われている。蓄養マグロの出荷量は、1位の鹿児島県が2位の長崎県以下を大きく引き離している。完全養殖による生産は始まったばかりであり、現在流通している養殖のマグロはほぼ蓄養によるものである。

これに対し稚魚の乱獲になるという批判もある。

2002年に近畿大学水産研究所が30年余かけて、商業化に向けて研究を続け世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功、2004年には市場へと出荷が開始された(近大マグロ)。

近畿大学は和歌山県串本町の大島実験場と奄美大島の奄美実験場を拠点に技術開発を進め、稚魚の生産が増えたことと稚魚の輸送技術が確立された事などから、2007年12月から自身の完全養殖稚魚(人工孵化の第三世代)を他の蓄養業者に出荷する事業を開始。

2009年には約4万匹の稚魚を育成、内約3万匹を養殖業者へ出荷している(4万は日本の海で漁獲されている幼魚の10分の1の量)。今後は、2010年現在3から5パーセントの稚魚の生存率を10から20パーセント程度に向上させるのが目標となっている。

また、マルハニチロは2015年に約1万匹出荷を目指して完全養殖に取り組んでいる。東京海洋大学では、移植によってサバにマグロの精子を作らせることより、マグロを量産する方法の研究を進めている。

日本人は古くからマグロを食用とし、縄文時代の貝塚からマグロの骨が出土している。古事記や万葉集にもシビの名で記述されているが、江戸の世相を記した随筆「慶長見聞集」ではこれを「シビと呼ぷ声の死日と聞えて不吉なり」とするなど、その扱いはいいものとはいえず、腐敗しやすいことも相まってむしろ下魚とするのが普通であった。「大魚(お
ふを)よし」は、「鮪」の枕詞。

江戸時代の豊漁の際、腐敗を遅らせるためにマグロの身を醤油づけにした「ヅケ」が握り寿司のネタとして使われ出したのが普及のはしりとい
う説がある。

近代以降も戦前までは大衆魚で、主として赤身の部分が生食されていた。北大路魯山人は「マグロそのものが下手物であって、一流の食通を満足させるものではない」と評していた。

脂身の部分である「トロ」は特に腐敗しやすいことから猫もまたいで通る「猫またぎ」とも揶揄されるほどの不人気で、もっぱら加工用だったが、冷凍保存技術の進歩と生活の洋風化に伴う味覚の濃厚化で、1960年代以降は生食用に珍重される部位となった。

なお、マグロの品質が低下しない冷凍温度帯は-30℃以下であり、実際の流通上では-50℃の超低温冷蔵庫に保管する。なお、一度解凍したマグロを再凍結すると組織が破壊され、非常に質が劣化する。

1995年の統計では、世界のマグロ漁獲量191万tに対し、日本の消費量は71万t。そのうち60万tを刺身・寿司等の生食で消費している。加工品では「ツナ」もしくは「シーチキン」(商標名)と呼ばれるサラダオイル漬けの缶詰が多い。

日本の各県庁所在地での家計調査によると、一世帯当たりのマグロの購入量は年々減少している。消費率はマグロ水揚げ日本一の静岡県および隣接する山梨県、関東地方が上位を占める。

一方で西日本の数値は軒並み低く、食文化の相違がみられる。 2012年1月6日、築地市場で青森県大間産のクロマグロ(269キロ)が5649千万円の史上最高値で落札された 。

近年の史上最高値更新は、2001年に青森県大間産2020万円(202キロ)、2011年に北海道戸井産に3249万円(342キロ)となっていた。

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