2009年06月27日

◆カネのくすねられ方



        渡部亮次郎

総理を目指した田中角栄が身辺の女性問題を女性週刊誌に書かれたくなくて高名な政治評論家に工作費として3000万円を渡した。
それがライターに示された金額は700万円。

ライターは拒否。記事は出た。カネは1銭も田中のもとには還ってこなかった。しかし、田中は評論家に何も言わなかった。だれがどうくすねたのか。以下、大方、推理ではある。

まず評論家が2000万円をくすねた。実はカネをライターに渡す役は高名な小説家兼作詞家だった。相談づくなら半額ずつ分けるところだが、相談はしなかった。

それなら実行役の作詞家に2000万円を渡すか。渡さない。カネを預かったのはオレだものと政治評論家。自分も「彼女」がいてカネに苦労していた。だから、まず自分が2000万円をくすね、残りを作詞家に渡した。

作詞家も評論家の普段を知り尽くしている。あいつがくすねたんだろうからワシもと300万円をくすね、ライターに700万円を提示。
ライターは元々堅物だったので怒って拒否。

ところがライターの所属出版社で労働争議。ライターはデスクで使用者側。何処からとも無く噂。「デスクは田中からカネを貰ってあのネタを潰したんだ」。

あのネタの潰れたのは争議が起きたためだったが、弁明もおかしいので、デスクは気まずくなって退社。フリーのライター(早い話、無職)になった。

1972年2月に同社を退社してフリーとなる。この年の7月に田中は総理大臣になった。フリーの「もの書き」は苦しい。必死にテーマを探し、旅費を自腹で切り、現地取材。アパートにこもって執筆。

運がよければ雑誌に載せてもらえる。少しは名が売れてくれば注文も来るが、必ず来るとは限らない。そうやって次のような原稿を方々の雑誌に掲載して貰った。

「極限の中で、兵は天皇を想ったか」(1972年2月 潮出版社「潮」)

「週刊誌を泣かせる朝日新聞広告部」(1972年7月 噂「噂」)

「角栄、天下平定後の武将地図」(1972年8月 講談社「現代」)

「あるアイヌ青年の二十四年」(1972年11月 いんなあとりっぷ社「いんなあとりっぷ」)

「巣立ち、稼ぎ、ひとり立ち」(1973年2月 東海大学出版会「望星」)

「津軽の白鳥艦隊司令長官」(1973年3月 いんなあとりっぷ社「いんなあとりっぷ」)

このころ有名な出版社の有名総合雑誌『文藝春秋』から注文が来た。必死に取材し、書いた。

「『若き哲学徒』はなぜ救命ボートを拒んだのか」(1973年6月 文藝春秋「文藝春秋」)。

これををきっかけに「児玉隆也」は名を売り、文芸春秋の常連ライターとなった。

「チッソだけがなぜ?」(1973年10月 文藝春秋「文藝春秋」)

「学徒出陣、三十年目の群像」(1973年12月 文藝春秋「文藝春秋」)
「元祖"ふるさとと人間"宮田輝」(1974年8月 文藝春秋「文藝春秋」)

1974年「文藝春秋」編集長の田中健五に起用された。11月特別号の田中角栄に関する大特集のうち、「田中角栄研究−その金脈と人脈」(立花隆)とともに掲載された「淋しき越山会の女王」を執筆し、一躍有名となった。

このテーマこそ田中が3000万円で阻止にかかったネタだった。派閥「越山会」の金庫番たる女性は田中の愛人の一人であり、間に不義密通の娘がいることを暴露するものだった。

この記事がきっかけで「田中金脈事件が」勃発し、最終的に田中は政権を投げ出した。のちに生前の田中に直にきいたところ、「金脈なんて堪えなかったが女王は堪えた。妊娠している真紀子が『止めないと飛び降りる』と目白の2階のベランダに突っ立つんだもの』と述懐した。

児玉はこの記事で嘗ての同僚らから受けた「疑惑」を雪いだ。だが
その頃すでに肺癌に侵されており、翌1975年5月に死去。僅か39歳だった。

児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日―1975年5月22日)兵庫県芦屋市生まれ。

9歳のときに画家だった父を失い、母に育てられる。芦屋市立芦屋高等学校を卒業後、早稲田大学第2政経学部に入学。21歳のときに岩波書店の月刊総合誌「世界」の懸賞原稿に入選する。

卒業する1年前から光文社の女性週刊誌「女性自身」の編集部でアルバイトをはじめ、卒業後入社。引き続き同誌編集部に籍を置く。

1972年2月に同社を退社してフリーとなる。

遺した単行本

「市のある町の旅−人情と風土にふれる朝市行脚」(1973年5月 産経新聞)
「淋しき越山会の女王 他六編」岩波現代文庫で再刊 2001年
「一銭五厘たちの横丁」 写真・桑原甲子雄 岩波現代文庫 2000年
「この三十年の日本人」 新潮文庫で再刊 1983年
「ガン病棟の九十九日」 新潮文庫で再刊 1980年 他数冊
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2009・06・26

2009年06月26日

◆ふるさとは遠きにありて



                      渡部亮次郎

この言葉で始まる室生犀星(むろお さいせい)の詩は「・・・想うもの そして悲しくうたうもの よしやうらぶれて異土(いど=外国)の傍居(かたい=こじき)となるとても 帰るところにあるまじや」と結ばれていたと思う。今から58年前の高校のときに習った。

つまりこの詩は「ふるさとは帰るところではない」の意味なのに、今の人たちは「遠くにありて、懐かしさのあまり」呟く詩だと思っているようだ。

NHKラジオ第1放送「歌の日曜散歩」で声の綺麗な女性キャスター坪郷さんが「便り」を読み上げて、そのように伝えていた。つまり便りを寄せた聴取者が詩の解釈を間違えたまま投書したのに、坪郷さんがそのまま放送していたのである。

室生犀星は複雑な家庭に生まれた。だから早くに郷里を飛び出したが、都会も田舎者には冷たかった。だからたまにはふるさとを思い出して帰ってみた。だけど郷里は犀星を蔑み、冷遇した。

そこで「悲しく詠うだけの土地。どんなに貧乏して、外国で乞食に落ちぶれたとしても、俺は死んでもあの故郷には帰るまい」と決意したのである。

「ふるさと」を懐かしむあまり軽々しく犀星の詩などを持ち出すとこうして無慈悲な欄に取り上げられ、教養の無さを散々むしられる事になる。それとも50年後の今は高校でも犀星は教えないのかも知れないね。

高校生のころは敗戦から6年しか経っていなかった。まだすきっ腹の日々だった。娯楽といえばラジオしかなったから、やたら歌謡曲、今流にいえば演歌を聞いた。リンゴの歌。あの映画が秋田県増田町で野外撮影された、と知る人はかなりのマニアだが、あの歌の歌詞「あの娘(こ)可
愛いや・・・軽いくしゃみも飛んで出る」というサトー・ハチロウの作詞の意味が大人になるまで分からなかった。

人に他所で噂をされるとくしゃみが出る、というのは東京へ出てくるまで知らなかった。そんなことも知らずに歌っていたのだから訳がわからない。

のど自慢に出て歌ったチャペルの鐘のチャペルが何だかも知らなかった。チャペというのは秋田の田舎では猫のことなので、その何かだろうぐらいに思っていた。

小畑実が秋田県生まれというのも嘘だった。本当は朝鮮半島の人。戦後間もなくは朝鮮人が戦中の虐待の仕返しというのか、全国各地とくに東京・銀座で大暴れして評判が悪かった。それなのに囁くように歌う小畑実が朝鮮人では印象が悪くなるとだれが思ったか、下宿のオバサンの出
身地を名乗ったのが真実。これは40ぐらいの時に知った。

小畑実が「旅のお人とうらまでおくれ」と歌った。「恨まないでおくれ」なのだが知らないから、送るのはどこの「浦」までだろうか、と思っていたものだ。そういえば「唱歌」は文部省(当時)が定めて歌わせたもので、やたら文語が多かった。

「ふるさと」という歌を子供が歌うと「兎おいしい」となる。そこで文部省唱歌に反逆する詩人や作曲者たちが結託して口語で作ったのが「童謡」である。唱歌と童謡は厳然と区別して使わないと怒られる。

しかし日本語の底に流れている文化こそは漢字であるから、漢語=中国語の一種である。そこで敗戦後15年ぐらいまでは高校でも「漢文」を教えていたように思う。間違っているかもしれないが、とにかく今は教えていないようだ。

未曾有(みぞう)の地震といっても判らない人が多い。いまだかつて起こったことが無い事、未曾有の未は「まだ」と「あらず」と2回読む。曾は「かつて」=過去。麻生さんは別。

同様に未成年は従って簡単に「いまだ成年にあらず」と判るはず。そこで「みせいねん」の意味がわかっていれば「まだ未成年だ」とは使えない、未成年は成年にいまだあらず、だから「まだ」をつけることは教養が邪魔をして使えなくなるだろう。

かつてイチローが国民栄誉賞の辞退理由を「まだ未成熟ですから」といったのは彼に漢語の素養が無かった事を裏付けた。バッターに漢語は不要だけれども、あってもおかしくは無い。

先日西條八十(さいじょう やそ)という詩人の評伝を読んだ。演歌「とんこ節」「ゲイシャ・ワルツ」の作詞者であり、早稲田大学でフランス文学の教授であり、詩人ランボウの研究者としても名を極めた人である。そんな人がなぜ演歌の作詞をするのかと問われて答えた。

「関東大震災の夜、避難先の上野の山でハーモニカを吹く少年がいた。何故か人々はあの一曲に力づけられた。人を慰め、力を与える物ならば、演歌でも何でもいいじゃないか」まさにそのとおりだ。

西條の詩は文語が多用されている。それに反して最近の演歌には説明はあっても詩は無い。日本語は継承されていない。演歌の廃れる原因の一つである。(了)



2009年06月24日

◆馬は人間を差別する



      渡部亮次郎

秋田の農村で、子どものころ、近所で火事があり、焼け跡から飼い馬の焼死体が発見された。その時の大人たちの会話が記憶の底に残っている。

火事の時、牛は一目散に逃げるが、馬は火を見ると竦んでしまうから焼け死ぬのだ、と。実家は当時は農家だったが、父は馬を飼う事に消極的だった。伝染病に弱く、死に易いからというのだった。

果たして馬が火に弱いか否か。知りたいと思って「ウィキペディア」を散策して見たが、そういう記述に逢う事はできなかった。むしろ
馬を川に入れ、高い土手から跨ろうとしたところ、馬が急に岸から離れたので、私は川に落ちてしまった。あの理由が解明できたのが拾いものだった。

馬は古くから中央アジア、中東、北アフリカなどで家畜として飼われ、主に乗用や運搬、農耕などの使役用に用いられた。食用にもされ、日本では馬肉を「桜肉」と称する。

その昔、重宗雄三参議院議長に反発する議員たちがグループを作って「櫻会」と名乗ったところ、重宗氏が「馬肉が俺にどうしろといういうんだい」と呟いたことを今思い出した。

一般に、立ったまま寝る事でも知られるが、厩(うまや)など本当に安全な場所であれば、横になって休むこともある。
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寿命は約25年、稀に40年を超えることもある。繁殖可能な年齢は3-15/18歳。繁殖期は春で、妊娠期間は335日。単子であることが多い。

後年、盛岡放送局で県庁担当記者になり、それまで有名な馬産県としての種畜牧場でタネツケを見学する機会があった。可哀想な当て馬が垣根を隔てた牝馬の性器を盛んに舐めながら、歯をむき出しにして笑ったような表情をする。

あれは笑っているのかと聞いたところ関畜産課長曰く「

あれを「フレーメン」といい、馬だけでなく様々な哺乳類に見られる。これによって鼻腔の内側にあるヤコプソン器官(鋤鼻器)と呼ばれるフェロモンを感じる嗅覚器官を空気にさらすことで、発情した牝(メス)馬のフェロモンをよく嗅ぎ取れるようにしているのです。

発情した牝馬の生殖器の臭いをかがせるとこの現象を容易に起こせるため、ウマのフレーメンに関する歴史的エピソードがいくつかある。また、ウマはレモンなどのきつい匂いをかいだり、初めて嗅いだにおいを嗅いだときにもフレーメンをし、牝馬もフレーメンをすることがある」。

牝が十分発情している事が確認できたので牝馬は交尾の現場へ。当て馬は棒杭の如く硬くなったもののやり場とて無く腹を叩くばかり。血統が分からなくても妻を得られる人間に生まれた事に感謝した。さっきの牝に跨ったのは専門の種馬。飽きたような表情をしていた。

馬の知能は家畜の中ではかなり高い。脳の発達度を示す指標の一つである脳化指数は犬猫に次ぎ、少なくとも長期記憶は非常に高いことが知られている。

乗り手(騎手)が初心者或いは下手な者であれば、乗り手を馬鹿にした様にからかったり、ワザと落馬させようとしたりする行動をとる事もある。

逆に常日頃から愛情を込めて身の回りの世話をしてくれる人物に対しては、絶大の信頼をよせ従順な態度をとる。大切にしてくれたり何時も可愛がってくれる人間の顔を生涯忘れないといわれる。

それを物語るつぎのような逸話がある。日中戦争中、農耕馬を軍馬として徴用された日本の農民が、自身も兵士として徴兵され中国大陸に送られた。

数年後、戦地で偶然かつての愛馬に遭遇し、馬の方が自分を覚えて懐いてきた姿を見て涙し、周囲の兵士達もその姿を見て感動した話が残っている。

馬は抽象的な思考能力はないが、微妙な人間の表情を読み取る認識能力は備えている。

終戦直後の昭和25年(1950年)に飼育されていたウマは農用馬だけで100万頭を超したがが、耕運機、コンバインなど農作業の機械化により昭和40年代初頭には30万頭に、昭和50年(1975年)には僅か42000頭まで減った。平成13年(2001年)の統計では、国内で生産されるウマは約10万頭で、そのうち約6万頭が競走馬で、農用馬は18000頭にすぎない。

平成17年(2005年)現在では日本在来馬は8種、約2000頭のみとなった。

なお、道路交通法上、馬が引く及び人の騎乗した馬は軽車両に分類される。

昔から馬を大切にしていた地方では現代でも、馬は「蹴飛ばす」=「厄を蹴飛ばす縁起物」などと重宝しているところもある。

馬に関する熟語や慣用句は実に多い。このことは有史以来馬と人間が密接に生活を共にしてきた事を物語るものである。

寝牛起馬 南船北馬 駑馬十駕 意馬心猿 馬首人身 寸馬豆人 馬子にも衣装 馬車馬のよう 馬の背を分ける  馬が合う 馬を牛に乗り換える伊達藩 馬乗りになる 馬には乗ってみよ、人には添うてみよ 

馬耳東風 馬を水辺に連れて行くことは出来るが水を飲ませることは出来ない じゃじゃ馬(駻馬) 名馬に癖(難)あり 天高く馬肥ゆ老馬の智用うべし  鞍掛け馬の稽古 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ

人を射るには先に馬を射よ 肥馬の塵を望む 焉馬の誤まり 癖ある馬に乗りあり 人間万事塞翁が馬 尻馬に乗る 生き馬の目を抜く 犬馬の労 牛は牛づれ馬は馬づれ

老いたる馬は路を忘れず  鹿を指して馬となす(馬鹿) 痩せ馬の先走り(道急ぎ) 瓢箪から駒(駒=子馬) 千里の駒 隙過ぐる駒 馬並み 馬脚を現す馬の耳に念仏 馬に経文 馬の耳に風
2009・06・21 出典:『ウィキペディア』

2009年06月23日

◆前立腺癌に効くかトマト



                   渡部亮次郎

トマトを1日に1個は必ず食べる。前立腺癌を予防するためではなく癖になっているだけ。幼時は対米戦争中、砂糖は全く輸入されず、「おやつ」といえば裏の畠に生っているトマトかきゅうりをもぎ、塩か味噌を付けて食べるしか無かったのである。

他の野菜類と同様に、トマトはビタミンCを多く含む。また、リコピンは1995年に癌予防の効果が指摘されて以来、注目を集めるようになったが、有効性に関しては「有効性あり」とするデータと「有効性なし」とする両方のデータがあり、科学的なデータの蓄積が必要である。

これはハーバード大学のGiovannucci らの研究チームが4万5000人以上の医療関係者を対象に6年間の調査を行った結果から引き出したもの。

さまざまな形態のビタミンAを含む食品の中でもイチゴと並んでトマト関連食品3種(トマト、ピザ、トマトソース)が前立腺癌の罹患率の低さと相関しているとしたもの。その後、さまざまな関連研究の引き金ともなった。

米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物がトマトである。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavr Savrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。

しかし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格を設定したため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。

植物学において、近年トマトはナス科のモデル植物として注目されている。Micro Tomは矮性で実験室でも育成が可能な系統として利用されている。

1985年に開かれた国際科学技術博覧会(つくば’85)では、地上ではトマトの実がなり、地下ではジャガイモの根茎が出来る「ポマト」という植物が出展された。

また、ジャガイモの茎にトマトを接ぎ木したものも育てられ、「ジャガトマ」と呼称される。

世界では、8000種を越える品種があるとされ、日本では農林水産省の品種登録情報ページによれば、120種を超えるトマトが登録されている(2008年5月現在)。

これは、野菜類の登録品種数の中でも、目立って多い。一方で一代雑種のF1品種は登録されないことが多く、桃太郎などの有名な品種の登録はない。

ヨーロッパへは、1519年にメキシコに上陸したエルナン・コルテスがその種を持帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは毒であると信じる人も多かったが、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。

1793年の話。当時、アメリカは輸入の際、果物には関税がかからず、野菜には課せられていた。このため、トマトの輸入業者はトマトを「果物」と主張。農務省の役人は「野菜」だと言い張った。両者は一歩も譲らず、さらに果物派に植物学者も加わり、論争はエスカレート。

とうとう最高裁判所の判決を仰ぐことになってしまった。判決は「野菜」。裁判長はずいぶん悩んだと思われ、判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれた。

日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎に伝わったのが最初とされる。青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていた。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚に合った品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからである。

そういえば幼い頃のトマトは青臭かったが、最近はそれが無くなったばかりか、甘くなって果物に近くなった品種が多い。

トマトを用いた料理にはサラダや焼きトマトなど、そのままを味わう料理が数多くある。

手を加えた料理でよく知られているものにメキシコ料理のサルサ、イタリア料理の各種ピザ、パスタ用ソース、インドのカレーの一部、ヨーロッパのシチューの一部などがある。

中華料理でもトマトと卵のスープにしたり、中央アジアのラグマンなどに利用されている。また、日本でトマトラーメンを出す店も増えている。

このように各国で広く利用されていることの理由としては、グルタミン酸の濃度が非常に高いため「うま味」があること、「酸味」があること、などが挙げられる。

韓国ではトマトは果物の一種と考えられることも多く、輪切りにしたものに砂糖をまぶして食べるのが最も普通の食べ方である。中国ても砂糖をまぶす場合がある。

トルコの民間療法ではやけどにスライスしたトマトを塗りつけている。

総務省の平成12年(2000年) 家計調査によれば日本の1世帯当たりの年間購入量(重量)では、トマトは生鮮野菜類中5位に位置する。(平成13年野菜生産出荷統計)

また、野菜の主要品目が10年前と比べて軒並み減少または横ばい傾向にある中、トマトはネギと並んで目立った増加を見せている数少ない野菜である。2009・06・09

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2009年06月20日

◆フランスでも犬食った



         渡部亮次郎

犬食文化(けんしょくぶんか)は、中国や朝鮮半島のような古くからの農耕社会、或いはアジアやオセアニア島嶼域の様な農村的社会が支配的な地域に認められる。

一方、犬食が忌まれる地域は、牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域(ヨーロッパ)と食用動物に関する宗教上の禁忌が存在する西アジア地域がある。

犬肉料理としては、韓国料理のポシンタン等が有名だが、犬食の歴史は古く、中国大陸をはじめとする広い地域で犬を食用とする習慣があった。

習慣は日本を含めた東アジア、東南アジア及びハワイ、ポリネシア、ミクロネシア、オセアニアなどの島嶼に於いて多く存在した。

欧州では牧畜が盛んであった為、犬との共存生活が長く、家族同然の扱いをおこなっており、食用にはして来なかった。近年はアジア圏でも、生活習慣の変化に伴い、愛犬家や若者を中心に犬食を忌む傾向も生じている。

古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢の高祖に仕えた武将がかつて犬の屠殺を業としていたことからも窺える。

しかし、狩猟や遊牧を主たる生業とする北方民族は、犬を狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。

農業生産性の低かったヨーロッパでは伝統的に牧畜が重要な生業であり、犬食いに対する嫌悪感には、北方民族と同じ源があると見られる。

広西狗肉料理古代よりの伝承では、黄(赤)、黒、花(斑模様)、白の順に美味いとされている。一般に、中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬によく消費される。

広西チワン族自治区玉林市では、夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が行われている。夏に犬肉を食べるとのぼせるが、身体を冷やすレイシ(果物)と合わせて食べると問題ないとされる。

韓国では犬肉を「ケゴギ」、北朝鮮では「タンゴギ」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。

朝鮮半島では狗肉は新石器時代から食用とされている。滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。黒犬には時別効能があるとされる。

日本の捕鯨が、鯨食文化のない地域から問題視されるのと同様、しばしば、犬肉料理文化を持たない国から問題視されることがあり、韓国では、1988年のソウルオリンピック開催に際して、欧米諸国の批判をかわす為、犬食に対する取締りが行われたが、犬肉料理を愛好する人も少なくない為に大通りから遠ざけられて黙認された。

2002年のFIFAワールドカップの際には、FIFA(本部イギリス)が「犬肉を追放してほしい」と韓国政府に要請してきたが、FIFAの副会長でもあるチョン・モンジュン氏は拒否した。

2008年4月にはソウル市当局が正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行った。これに対し韓国国内の動物愛護団体が反発を強めている。

韓国における犬食は、今なおきわめて盛んである。2006年、韓国国務調整室が行なった調査によると年間200万頭の犬が食べられている。

2008年の調査によると、ソウル市内だけで530店の食堂が犬食を扱っている。違法のため、当局による衛生管理が行なわれておらず社会問題化している。

北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。

なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される。

明治維新以降、文明開化により西洋の肉食文化が持ち込まれ、日本は肉食タブーから解放されたが、同時に西欧の「愛玩動物」の概念も持ち込まれ、愛玩動物に該当する動物を食べる行為は嫌悪の対象となった。昭和時代に入ると、忠犬ハチ公の物語が多くの人々の感動を誘い、全国で犬を愛玩する風潮が高まった。

現在の日本国内では食用を目的とした犬の屠殺は皆無に等しいが、食用犬の犬肉は現在でも輸入されており、2006年の動物検疫による輸入畜産物食肉検疫数量によると中華人民共和国から31トン輸入されている。

東京・大久保のコリア・タウンでは、犬肉料理を食べることが出来る。

スイスの山間部では、犬肉を食べる風習が存在している。スイス国内での犬肉の流通は禁止されているが、消費する事自体は黙認されている。

ドイツにもかつては犬肉屋が存在したが、1986年以降は流通が全面禁止になっている。それまでは食用から医薬用まで、様々な用途で利用されていた。

フランスでは、パリで1910年頃に犬肉精肉店が開店したことや、横断幕で開店を示している例などが見受けられる。また数十種類に及ぶ犬肉料理本が販売されていたり、通信記事では牛肉のように美味しく色もピンクで歯触りもやわらかい、という記述などがある。

このことからも、飢饉で仕方なく食べたのではないことを示し、犬料理が特別なものではなく禁忌としての対象でもないことが明らかである。

この他20世紀初頭にパリ市郊外で発達したガンゲット(ダンスホールを兼ねる安食堂)において、ウサギ肉と称して実際は蚤の市に出入りする屑屋が拾い集めてきた犬や猫の肉を出す、という都市伝説も広まった。

こうした犬食文化がヨーロッパ大陸部に広く見られるのに対し、イギリス人の多くは、交通や狩猟等の高速移動手段として重用された馬と共に、犬が他文化で食用にされている事に嫌悪感を抱く。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009・06・15

2009年06月19日

◆増え続ける犬肉輸入



         渡部亮次郎

畏友宮崎正弘さんのメールマガジン「国際ニュース早見」で最近
「犬肉食い」論争が起きている。発端はオランダ在住の日本人
Hanaと名乗る女性が、日本農林水産省の貿易統計をとらえ、中国からの犬肉輸入が増え続けている、日本人はいつから野蛮人になったのか、と非難したのに始まる。

これに対して、どんな動物を食うかは「食文化」なんだから、朝鮮半島や中国で犬を食うからと言って非難する資格は誰にも無い、との反応が有力だ。豚、牛、鹿などをたべている欧米人が日本人の鯨食いを非難するのもおかしいという反論もありそうだ。

江戸時代には日本でも薩摩藩では犬食い習慣はあったらしいが、明治にってからは牛肉を天皇陛下が食べて見せてから、わざわざ犬を食う日本人は姿を消したと思っていた。

と言ってもゲテもの食いはいるでもどこかにある。それが証拠に私の住まいに近い両国橋のたもとには「ももんじや」という猪鍋屋があり、私も記者時代、参議院議長にご馳走になったことがある。さして美味いものではなかった。

因みに「ももんじ」とは本来は獣という意味だそうだ。

愛犬家のHanaさんは非難を止めない。とくに東京都内の特定地域に居住する在日韓国・朝鮮人や中国人が主として食べるために輸入しているのであって、それを日本人が面白半分につまむ事はある程度だ、という認識は無いようだ。

しかし、私の認識は甘すぎるようだ。2008年12月の「夕刊フジ」
は<「犬料理」日本人もマジィ?「マグロみたい」と注文増> と
報じている。

<元厚生次官ら連続殺傷事件で、小泉毅容疑者(46)は「34年前に愛犬『チロ』が保健所に処分されたあだ討ち」が犯行動機だと供述している。一方で最近、東京都内の一部料理店では犬鍋や犬皿、犬スープなど「犬料理を注文する日本人客が増えている」(料理店関係者)という。

韓国料理店が軒を連ねる東京・新大久保では、数店が扱う。中国延辺朝鮮族自治州と取引のある貿易関係者は「主に中国東北部の朝鮮族料理店で、メニューに『狗肉』と表記されている。韓国語や中国語のフリーペーパーに広告を出しているが、10年前に比べればかなり増えた」と語る。

犬肉は朝鮮半島から中国にかけ、伝統的な食文化として今に伝わる。韓国では「補身湯(ポシンタン)」といい、野菜と一緒に煮込む料理が有名。夏バテ予防として食べられるが、最近の若い世代は口にしたこともない人も多いという。

北朝鮮では「甘肉(タンコギ)」と呼ばれ、平壌には複数の専門店が存在。観光地として知られる金剛山(クムガンサン)の外国人用レストランには「犬1匹(200米ドル)」というメニューが。中国東北地方でも一般的な料理で、市場に食用犬がつるされている光景も珍しくはない。

都内では池袋、新大久保、新宿歌舞伎町、上野などの朝鮮族料理店で、主に故郷を懐かしむ中国人向けに出されていた。メニューも中国語表記の店が多いが、新大久保には「犬肉大皿」「犬肉スープ」と、日本語のメニュー表記の店もある。

「日本人グループもよく注文しますよ。サラリーマン風の人が多い。『マグロの味に似ている』と、注文が次々にくる日もある」と朝鮮族料理店関係者。

「保健所から仕入れているわけじゃないよ」と冗談交じりに話すが、実際、みだりに犬を殺せば器物損壊罪に問われかねない。各店では、中国からの輸入精肉を使用するという。農林水産省の畜産物輸入検疫統計によると、1998年に9トンだった犬肉の輸入量は2007年には約8・5倍の77トンに増加。市場は着実に拡大しているようだ。>ZAKZAK(夕刊フジ)2008/12/06

オランダにいるHanaさんによれば中国からの輸入量は、平成17(2005)年の82トンが最高。なぜか犬肉輸入高は、1年おきに大きく増減がある。

移住中国人の多いカナダへの輸出は、農林省の動物検疫所からの連絡によると、2005年に500キロ未満、2008年度に、これはまだ統計の途中で、20キロとのこと。

日本における外国人登録者数は、平成19年で過去最高の2,152,973人。中国人が1位で606,889人。次いで韓国朝鮮の593,489人。日本総人口の1・69%。2009年1月の不法在留者は韓国24,198人。中国18,385人だそうだが、少なすぎると感じる。密入国者は含まれていない。

池袋周辺は、今や住民の1・1%が中国人だそうだ。それらにつられて日本人も四つ脚鮪を食う?悪貨は良貨を駆逐するのか。
2009・06・15

2009年06月18日

◆「未熟」政治家麻生



         渡部亮次郎

<「手紙公表おかしい」=首相が鳩山氏批判>(時事通信)。日本郵政の社長人事をめぐり、クビを斬った鳩山前総務相に2月に出した私信をバラされて、自らのブレ振りを暴露された麻生首相。「私信を公開する鳩山はおかしい」と非紳士振りを批判したものだ。

世間はどう受け取るか分からないが、かねてから人事案を書き物にして「証拠」としてしまった麻生首相の手口は政治家としてはあり得ない粗末さだと思っていた私は、首相の批判発言はいわば悪あがきだと思う。

<麻生太郎首相は16日夜、日本郵政の西川善文社長の後継候補リストが同封された手紙を首相から受領したと、鳩山邦夫前総務相が公表したことについて「個人との間に出された手紙や文書が安易に外に出される方がおかしい」と批判した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

鳩山氏更迭に至った経緯の説明が不足しているとの指摘が政府・与党内からも出ていることに関し、首相は「人事や民間会社に関する経緯がどうあったかを説明するというのは聞こえがいいが、内容を全部見せるということが果たして正しいことか」と反論した。>
(6月16日20時32分配信 時事通信)

昨日の友は今日の敵が常識の政治の世界。まして利害が極端に絡む人事案件だ。事態がどう展開するか見通しが立つものじゃない。それなのに日本郵政の社長人事について早くも今年の2月の時点で西川社長更迭の線で纏めるよう鳩山大臣に指示していた。

しかも後任者について何人か具体的にメモを書いて鳩山に手紙にして渡していたというから驚いたのだ。少なくとも祖父吉田茂や鳩山一郎の時代にはあり得なかった「未熟さ」である。「調教不足」と言う点では麻生は鳩山に劣らない。

日本郵政の問題点を全く理解していない。西川社長は当時、小泉首相が三顧の礼を尽くして据えた人事。問題とされたカンポの宿払い下げ問題も、冷静に考えれば鳩山の無理解に端を発したもの。

日本郵政がかんぽの宿を安く売ったという指摘を、前総務相は常にしていたが、これが誤解なのだ。オリックスへは「事業譲渡」である。

事業譲渡とは、旅館業だから土地建物設備と従業員と経営システムとを引き継いで、引き続き旅館業を継続してくれる条件で入札することになる。

だから、土地建物設備がどれだけの価値があるかではなく、事業がどれだけの利益をだせるものかが譲渡入札の価格となる。赤字込みの資産を従業員込みで引き受けるのだから、不動産の価格だけで比較することはできないのだ。

それを知ってか知らずか鳩山は、不動産の価格だけで比較して「西川は国民を愚弄」しているように世論を間違った方向に誘導したのである。クビにして当然だった。

しかし、その理由を明確にすれば、当然世論は「それなら首相は今までなんでもたついていたのか」と非難する。それを恐れて経緯を明らかにしないままクビを斬った。だから鳩山善人、麻生悪役に反転し世論調査の支持率奈落、となった。

問題の本質を正しく理解していれば日本郵政の社長人事はきわめて流動的で微妙であり、見通しの立てにくい問題である事は自明の理だった。それなのに後任者の名前までメモにして渡すとは全く政治家として未熟である。ブレとかの問題以前。政治家として未熟なのである。

私が秘書官として仕えた園田直外務大臣は、日程までシュレッダーで破棄しろと指示していたものだった。(文中敬称略)2009・06・17



2009年06月16日

◆飛行機停めるカレー粉



               渡部亮次郎

昔と言っても30年ぐらい前の話。アメリカ、ニューヨークの真ん中マンハッタンのアパートでカレー・ライスを作ったら、管理組合の理事会で査問された末に「退去」させられた。実話だった。

教えてくれたのは著名なジャーナリスト。当時ニューヨーク特派員として滞在していて、私にカレー・ライスを馳走してくれながらの話だった。カレーの匂いをアメリカ人はそれほど嫌うのだということだった。

それから何年かして英会話の個人教授を受けたアメリカ人女性(ユダヤ系)が言う事には「私は、何処と言って、インドだけは2度と行かない」その理由がインドは人糞とカレーの混じった匂いが充満しているから、とのことだった。

なぜ、こんな事を思い出したか、というと、6月15日のインターネット上で、<インド航空機、「カレーの匂い」で火災警報、引き返し>というニュースに接したからである。(6月15日10時18分配信 サーチナ)

これによると、15日付中国新聞社電で、12日にインド・ムンバイを出発したインド航空機(エア・インディア機)が、離陸約30分後に貨物室の火災発生を知らせる警報が出たため、引き返した。

貨物室を調べたが出火した形跡はなく、検査員は濃厚に漂っていたスパイスの香りに火災探知機が反応したとみている、というのである。アメリカ人だけじゃなく飛行機もカレーが苦手と分かったわけ。

同機はドイツ・フランクフルト行きのボーイング747型機。火災警報器が反応した際、操縦士は出火場所や煙を確認できなかったが、ムンバイへの引き返しを決めた。

着陸後に空港で調べたところ、貨物室は強いスパイスの香りが充満しており、積んでいたミックススパイスの粉、いわゆるカレー粉から出たものと分かった。

専門家によると、これまでも航空機の火災警報器が積み荷の匂いに反応したことがある。2004年には、ムンバイ発ロンドン行きの航空機が飛行中に火災警報機が貨物室内のマンゴーの匂いに反応し、ルーマニアのブカレスト空港に緊急着陸した。

また、強烈な匂いで知られる果物のドリアンに、火災警報器が反応したこともある。ドリアンの匂いは当に人糞の匂いだ。とすると
飛行機の火災報知機とは匂い感知器なんだね。

私の古い友人のアメリカ人は大の日本料理好きで、蕎麦も納豆も食べるがおでんだけは食べない。「炉辺焼き」に行きたがるがおでんは匂いが好きじゃないと言う。こちとら、納豆の方が匂いがきついと思うのだが。

そういえば彼もカレーライスは食べたいと言った事が無い。

日本のカレー料理の片方は海軍を通じてイギリスから入ってきたのだから、イギリス人も多分、拒否しないだろう。アメリカ人と火災報知機はなんでカレーが嫌いなんだろうか。そのうちに聞いてみよう。2009・06・15

2009年06月15日

◆鳩山邦夫は調教不足馬



                 渡部亮次郎

<日本郵政社長人事の混乱を巡り総務相を更迭された鳩山邦夫氏=衆院福岡6区=は13日午前、自民党離党の可能性について「すぐには考えていない。(新党結成は)視野にない。政局とは一切関係ない」と述べ、否定した。地元・福岡市の福岡空港で記者団の質問に答えた。

鳩山氏は今回の自らの対応について「後悔はない。自分が決断したことだから。責任を取ることだ」と話した。さらに「スタンドプレーをしているかのように言われるが、私は不器用で一本勝負しかできない。兄(鳩山由紀夫・民主党代表)のような遊泳はできない」と語った。>【毎日新聞6月13日12時56分配信】

ところで読売の報ずるところによれば、首相、当初は「西川交代」だったのを竹中・小泉コンビが封じ込め、ということだそうだ。鳩山は麻生を信じたが、小泉らに荒された畑に嫌気がさして麻生変心。鳩山は梯子を外された。最後は辞めるしかなかった。

こういう場面を見ていると、その昔、鳩山の爺さんを遂に総理の座に押し上げた実力者河野一郎なら「邦夫、競馬でいえば調教不足ダネ」と言ったはずだ。

総理が西川社長を交代させるハラだと打ち明けられたとき、担当の閣僚として打つべき手はいろいろあろうが、鳩山が選んだ手法は
「世論工作」だった。

まず東京駅前の中央郵便局の庁舎の一部を文化財として残すべきものを「朱鷺を焼き鳥にするのか」と噛み付いた。庶民受けする一言だった。世論受けした。だがこれは西川が確りしていたので失敗。西川の尽くした法的な手続きに誤りは無かったのだ。

続いて「カンポの宿」払い下げ問題を晒した。西川は国民の貴重な財産をまるで捨て値で投売りしている。世論は単純だから鳩山の期待するとおりに反応したが、財界が承知しなかった。あれは不良資産を処分する際の常道だった、正しい遣り方だったからである。

鳩山に焦りが出たのは5月に入っても「西川辞めろ」のヒュプレヒコールが上がらなかったからである。振り返ると、

<今年2月、首相官邸の執務室。首相は鳩山邦夫総務相と会い、日本郵政の6月の株主総会で西川社長を含む取締役を一新するよう指示した。

「ポスト西川」の候補として、NTTの和田紀夫会長、生田正治・元日本郵政公社総裁、西室泰三・東京証券取引所会長らの名を記したリストも手渡し、水面下の調整をゆだねた。

首相の意を受けた鳩山氏は5月に入り、日本郵政の取締役人事を決める指名委員会の一部委員に「首相は西川氏を代えるつもりだ」と伝え、「西川辞任」に向けた多数派工作を始めた。

((西川を辞めさせるべきという自分の信念を展開して説得せず「総理の意向なんだから呑むべきだ」とやってはやり込められて当然だ)。

しかし、直後から巻き返しに遭う。(鳩山の読みが間違ったのだ)。

指名委員会は、委員長を務める牛尾治朗・ウシオ電機会長を始め、郵政民営化など、小泉元首相が進めた構造改革に積極的な財界人が名を連ねる。

そうした委員を通じて鳩山氏の動きを察知したのは、構造改革の旗振り役だった竹中平蔵・元総務相だった。

竹中氏は小泉氏に相談した。小泉氏は2005年、竹中氏を通じて西川氏と知り合い、社長就任を要請した経緯がある。すぐに指名委の委員を「西川続投」で説得して回り、首相や鳩山氏の動きを封じ込めた。

結局、指名委は5月18日、西川氏を続投させる方針を決めた。>
(読売新聞 6月13日1時49分配信)

こうなってしまっては、首相たる麻生といえども自民党内大多数と財界を敵に回す余裕のあろう筈もない。鳩山を斬り捨てて虎口を脱する以外になかったのだ。

鳩山は閣僚としては勿論、盟友でありながら麻生に裏切られたことになる。当たり前なら後ろ足で砂を掛けるようにして脱党するか新党結成に走るのが常道だから、福岡空港での記者団の質問になったのだ。

馬に譬えて調教不足のタマとわかってしまったから仲間がどっとよってくるわけもない。東大法学部を優秀な成績で卒業したから学生としては」秀才だったが、世の中に掛けては秀才とは決して言えない。

自ら言うように「不器用で一本勝負しかできない」のであれば乱世には通用しない駄馬だ。(文中敬称略)2009・06・14


2009年06月13日

◆どちらが阿呆か



                渡部亮次郎

鳩山邦夫総務大臣が辞任し、私の許には辞任させた麻生首相を非難する書き込みが殺到したが、これは真相を知らず、コトを利権取引と勘違いしたものだ。真相は官僚の手に乗せられた鳩山氏の失策そのものである。

<鳩山総務相が辞任 日本郵政社長人事で 後任に佐藤国家公安委員長

鳩山邦夫総務相は12日午後、首相官邸で麻生太郎首相に会い、日本郵政の西川善文社長の続投に反対している問題にけじめをつける形で辞表を提出し、首相はこれを受理した。事実上の首相による更迭だ。後任は佐藤勉国家公安委員長が兼務する。

麻生内閣での閣僚の辞任は、首相の盟友で知られる中川昭一財務・金融担当相に次いで3人目。鳩山氏は、首相を支える国会議員による「太郎会」の会長を務め、過去3回の総裁選で首相を支持する中心人物の1人だった。

鳩山氏は記者団に「世の中、正しいことが通らない時があるんだな、今はそういう思いです。今の政治は正しいことを言っても認められないこともある。潔さが大事」と語った。>6月12日14時8分配信 産経新聞

問題の「カンポの宿」はいわば不良資産となっており、1軒ごとにバラ売りに出しても引き受け手のあるはずがない。だから西川社長は(マイナス付き資産だから格安でも仕方がない)と判断して、オリックスに払い下げようと決断したものである。

これを単細胞の連中(マスコミ)が曲解した。「国民の財産を不当に処分しようとした」「利権がらみの裏取引は許せない」と煽り立てた。単細胞の頭脳だとそうなる。世間の大方は倒産を経験したことが無いから、こうした資産処理の常道を知らない。

意地の悪い分析をすれば、お坊ちゃん育ちで、政治家の道をあの田中角栄の許で始めた鳩山は、すべての「取引」を「利権がらみ」と見る癖がついている。だから今回、特にそう思ったに違いない。

だが今回は世論の方が単細胞で、間違っている事に最後まで気付かなかったのは残念だ。

頭が良くてズル賢い総務官僚(元の郵政省幹部)がこれに乗った。
「この際、大臣を世論に乗せて西川のクビを取り、後任社長の椅子を我が物にしよう」。

西川社長の遣り方は、不良資産整理の際の正当な手段。このことを会社経営者のキャリアを持つ麻生首相はよく理解していたが、お坊ちゃん育ちの鳩山は理解できない。「真剣に取り組めばもっと高く売れたはず。利権がらみ、裏取引だ」と理解して騒いだ。

鳩山が「誤解」「不勉強」を「信念」だの「正義」だのといいはじめたとき、つまり問題が表面化したときから麻生首相は鳩山のクビ
を取る以外に方法は無いとのハラヲ括っていたはずだ。

もっと早く真相を明らかにして鳩山を切れば、問題はなかった。それをしなかったのは党内基盤の弱さから来る「迷い」がこうさせた。
だから麻生の政治生命も長くはない。(文中敬称略)2009・06・12

2009年06月10日

◆記念日でない日はない



                   渡部亮次郎

6月10日は時の記念日(ときのきねんび)。同時に路面電車の日、商工会の日、歩行者天国の日、ミルクキャラメルの日でもある。

皇太子ご夫妻の結婚記念日の翌日だからではない。なんだか私は強烈に記憶しているのは、記憶力の良い子どもの頃、国民学校(今の小学校)で教えられたからだろう。

1920(大正9)年に東京天文台と生活改善同盟会によって制定された。日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。

記念日ではあるが国民の祝日ではない。制定の翌年1921年より外地の台湾も実施されたが、戦後は自然消滅。

『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条(西暦671年6月10日(旧暦4月25日))に、

「置漏尅於新臺。始打候時動鍾鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也(註1)云々。」(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。

此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。(訳:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系68 日本書紀 下』 岩波書店)

とあり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることからこの日となった。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」とは水時計のことである。

(註1)
『日本書紀』斉明天皇六年五月是月条(西暦660年)に「又皇太子初造漏尅。使民知時。」とある。

大正時代、台湾内に貼られたポスターには「オ互イ 時間ハ 正確ニ守リマセウ」とある。旧仮名。リヤウジラウの類である。

それにしても、人間(日本)は「記念日」が好きだ。年がら年中、記念日だらけ。6月だけでもこれだけある。大半が語呂合わせ。

6月
1日―気象記念日、電波の日、景観の日、写真の日、麦茶の日、梅の日、チューインガムの日、氷の日、真珠の日、バッジの日、ねじの日、人権擁護委員の日、TUBEの日
2日―路地の日、裏切りの日
3日―測量の日、ムーミンの日
4日―虫の日、天安門事件の日
5日―環境の日、熱気球記念日
6日―補聴器の日、邦楽の日、楽器の日、かえるの日、兄の日
7日―母親大会記念日
8日―バイキングの日
9日―ロックの日、ネッシーの日
10日―時の記念日、路面電車の日、商工会の日、歩行者天国の日、ミルクキャラメルの日
11日―国立銀行設立の日、雨漏り点検の日
12日―恋人の日、日記の日、バザー記念日、宮城県防災の日
13日―鉄人の日、FMの日、小さな親切の日
14日―フラッグデー
15日―信用金庫の日、暑中見舞いの日
16日―和菓子の日、麦とろの日、ケーブルテレビの日、無重力の日
17日―おまわりさんの日、薩摩の日
18日―海外移住の日
19日―元号の日、朗読の日、ベースボール記念日
20日― 難民の日、ペパーミントデー
21日―スナックの日
22日―かにの日、ボウリングの日、沖縄アマチュア無線の日
23日―オリンピックデー、沖縄慰霊の日
24日―UFO記念日、ドレミの日
25日―住宅デー
26日―露天風呂の日、オリエンテーリングの日、国民憲章調印記念日、国際麻薬乱用撲滅デー
27日―演説の日、日照権の日、女性雑誌の日、ちらし寿司の日
28日―貿易記念日、パフェの日
29日―ビートルズ記念日、佃煮の日
30日―トランジスタの日、集団疎開の日
第3日曜日―父の日

365日、何とかの日の付かない日は1日も無い。あろうことか、4年に1回しか回って来ない2月29日は5つもの記念日である。ニンニクの日、跳躍の日、富士急の日、閏肉の日、キン肉マンの日。開いた口を閉めなさい。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009・06・09

2009年06月09日

◆親指のように太い蕨

渡部亮次郎

同じ秋田県生まれとはいえ、私は山育ちでは無いから春を告げる山菜には全く弱い。ちなみに千昌夫歌う「北国の春」(1977年)で「季節が都会ではわからないだろうと、届いたおふくろの小さな包み」の中身は山菜である(作詞者:いで はく)。

私が生まれ育ったところは、いまでは干拓(埋め立てではなく、水を抜いて干し上げ、耕地にする)で姿を「大潟村」に変えた八郎潟。その沿岸の田圃の真ん中。春になって山菜の採れる山までは何キロもあった。

辿りつくところは五城目町(ごじょうのめまち)の朝市。この町は歌手小柳ルミ子の母親の出身地として知られる。町外れの道路端で朝市が開かれ、おふくろは春には山菜を買ってきたが「蕨(わらび)」は無かった。アク抜きが面倒だったからだろう。いつもあるのは「みず」だった。

そういうわけで秋田で蕨を食べたのは仙北市がまだ角館町と田沢湖町だった頃、田沢湖町の温泉宿でだった。生まれて初めて食べた。

「大昔、冷害で米の収穫が皆無だった時、山の農家では蕨の根を掘って叩き、澱粉を取り出して食べたものだ」と読んだことがあったので、噛むと幽かな粘りが出たのは澱粉の所為だろうと思った。

意外にも東京・向島(むこうじま)育ちの家人が俄然、蕨に病みつきになった。それで田沢湖の小林清二さんが、毎年、季節になると立派な蕨をどっさり送ってきてくださる。これが届かないと我々には春が来ない。

なぜかと言うと、小林さんの蕨はオーバーに言えば親指ぐらいの太さなのだ。田沢湖の周辺を車で走ると5月か6月にはそこらに蕨が沢山自生している。だが太さは割り箸の片方ぐらい、粘りなんて感じられない。東京のデパートで売っているのも、こんなものだ。

蕨は太くて軟らかいのに限る。特に太ければ太いほど、ヴォリューム感が堪らない。だから小林さんのは日本一の蕨である。

小林さんのは深山に入った秘密の箇所に毎年生えてくるそうだ。秘密は親友にも家族にもまだ教えてない。毎年、そこへ行ってあの太い蕨を採り、東京へ送ってくださるのだそうで、今年も5月下旬に秋田の春を東京で堪能した。家人は鰹節をたっぷりまぶすが、私はただ醤油をかけた方が田舎の味がする。

ここまで書いて来たら突然、若い頃居た盛岡市玉山区の民謡「外山(そとやま)節」が突然、口を突いて出た。

「わたしゃ外山の 日蔭のわらび
(ハイハイ)
誰も折らぬで ほだとなる
コラサーノサンサ
コラサーノサンサ

わしと行かねか あの山蔭さ
駒コ育てる 萩刈りに

わたしゃ外山の 野に咲く桔梗(ききょう)
折らば折らんせ 今のうち

外山育ちでも 駒コに劣る
駒コ千両で 買われゆく

外山街道に 笠松名所
名所越えれば 行在所

日の戸越えれば からかさ松よ
外山牧場の お関所よ

わらび折り〜 貯めたる銭コ
駒コ買うとて 皆つかった

あねこ行かねか あの山越えて
わしと二人で わらびとり」

言い伝えによれば、明治時代に盛岡市外山につくられた御料牧場の作業員たちが唄った「草刈唄」がその起源。牧場の閉鎖とともに一時忘れ去られたが、昭和初期に2種類の元唄が発掘され全国に広がった。

レコードで「現代版外山節」が普及したため、「正調」はあまり知られていない。

田沢湖の蕨の話が盛岡に飛んで終わった。人間の頭とは可笑しな動き方をするものだ。2009・06・08

2009年06月07日

◆「葱」知らずで不合格



                      渡部 亮次郎

葱知らずで不合格は石原慎太郎の息子良純。家人のかじりついている民放のクイズ番組で勝ち抜き、最終、「ネギ」を漢字で書けと言われて書けなくて海外旅行をのがした。

そういいえば、まだ子供のころ笠置シズ子の歌う「買い物ブギ」(作詞、作曲服部良一)で「東京ねぎ」というフレーズがあって、ねぎに品種?がいろいろあることを知らないものだから不思議に思っていた。

長じて大阪に左遷されたら関西では葱の白いところじゃ無しに青いところしか食べない。だから白い部分の長い葱は東京葱、と知った。

ネギ(葱)の英名はScallion。植物分類体系ではネギ科ネギ属。原産地は中国西部・中央アジアとする植物。日本では食用などに栽培される。

ネギは「シボル」とも呼ばれ、古名は「き」という。別名の「ひともじぐさ」は「き」の一文字で表されるからとも、枝分れした形が「人」の字に似ているからとも言う。

ネギの花は坊主頭を連想させるため「葱坊主」(ねぎぼうず)と呼ばれる。萌葱色(もえぎいろ)は葱の若芽のような黄色を帯びた緑色のことである。

日本では古くから味噌汁、冷奴、蕎麦、うどんなどの薬味として用いられる他、鍋料理に欠かせない食材のひとつ。硫化アリルを成分とする特有の辛味と匂いを持つ。

料理の脇役として扱われる事が一般的だが、青ネギはねぎ焼きなど、白ネギはスープなどで主食材としても扱われる。ネギの茎は下にある根から上1cmまでで、そこから上全部は葉である。だから食材に用いられる白い部分も青い部分も全て葉である。

関西では陽に当てて作った若く細い青ネギ(葉葱)が好まれる。一方、関東以北では成長とともに土を盛上げ陽に当てないようにして作った、風味が強く太い白ネギ(長葱・根深葱)が好まれる。また秋田など東北地方では「曲がりねぎ」という栽培法もある。

関東と同様に土を盛上げながらある程度育てたら、一度抜いて横向きに植え直し、植物の光に向かって伸びる性質を利用して曲げる。これは、地下水位が高い土地で効率よく白葱をつくる方法だと言われる。ただし、栽培に手間がかかるため、作付面積は減少している。

欧米ではチャイブ、リーキなどが栽培されている。

古くから薬効成分が含まれている植物と知られていた。痰や鼻水を押さえる作用があるようで、風邪をひいた時に、ネギをくるんだ手拭やガーゼなどを首に巻くというものは有名な民間療法である。 お尻に刺しても効果があると言われるが効果の程は不明である。

病虫害の予防効果を狙って、しばしばユウガオ、トマト、ナス、ホウレンソウなどの畑に混植される(→ コンパニオンプランツ)。

ネギの種類
<青葱>
九条葱(京野菜) 万能葱  谷田部ネギ  観音ネギ
ワケネギ(わけねぎ) 株分れ(分けつ)しながら成長する葉ねぎ

<白葱>
深谷ねぎ(埼玉県) 下仁田ネギ(太く短い)
ポロねぎ 地中海料理などで普通に使われるネギ。
曲がりねぎ(白葱)
一関曲がりねぎ(岩手県一関市)
仙台曲がりねぎ(宮城県仙台市)
横沢曲がりねぎ(秋田県大仙市)
阿久津曲りねぎ(福島県郡山市)
その他

越津ネギ 愛知県発祥。日本の東西の中間だけあり、根の部分も葉の部分も丁度同じぐらいの長さで、白葱と青葱の中間にあたる。

徳田ねぎ 岐阜県特産。白葱と青葱の両方の特徴を持つ。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2009・05・29