2012年07月06日

◆福島原発事故は「人災」

渡部 亮次郎


若き中曽根康弘と老獪 正力松太郎が組んではじめたわが国の原子力発電。

資源というものの無いわが国にとっては太陽にも替わる存在だった。友人がこの世界のPRに関係しているので、誘われて原発の現場を視察して「安全神話」を叩き込まれてきた。

しかし神話はウソだった。津波の無い国で設計したものを、津波に素っ裸にさらした福島原発。東京電力も経済産業省も「危険」はとっくに承知していたはず。それなのに彼らは国民をだましていたのだ。

ばれてみれば馬鹿げた話では無いか。福島原発の敷地はもともと海抜50mの高台だった。だから今度の津波でも絶対、大丈夫のはずだった。それなのに津波に呑まれたのは、高台をわざわざ削り取って低くしていたからである。

建設工事の資材を海から荷揚げするのに不都合だと、簡単に削り取ってしまったのである。ここまでだけでも「人災」は明らかである。

<福島原発事故は「人災」=官邸介入で被害拡大―国会事故調が報告書

東京電力福島第1原発事故を検証してきた国会の事故調査委員会(委員長=黒川清・元日本学術会議会長)は5日、「事故の根源的要因は『人災』で、政府、規制当局、東京電力は人々の命と社会を守るという責任感が欠如していた」とする報告書を公表した。

報告書は約640ページ。事故の背景として、「これまで何度も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局と東電経営陣が先送りしてきた」とした上で、「今回の事故は自然災害ではなく、明らかに『人災』だ」と断定した。

また、事故直後の対応について、経済産業省原子力安全・保安院の機能不全や東電本社の情報不足に不信を募らせた首相官邸が、現場に過剰に介入したと指摘。「重要な時間を無駄にしただけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大した」と批判し、「事故の進展を止められず、被害を最小化できなかった最大の要因」と述べた。> . 時事通信 7月5日(木)14時23分配信

2012年07月03日

◆石原氏や維新に嫌われる小沢新党

渡部 亮次郎


何処からも祝われないまま、小沢一郎氏がまた新党を立ち上げる。彼が新党を立ち上げるのはこれで何度目か。数え切れない。民主党に入り込んで政権を手にしたら、もう嫌気がして、また新党なのだ。

しかし、読売新聞が2012年7月1日12時56分に報ずるところによれば、彼が新党の提携相手に考えている石原都知事や橋下大阪市長の維新は否定的だという。

<民主党の小沢一郎元代表が結成を目指す新党は、50人超の規模となる見通しだ。

小沢氏が狙っているのは、次期衆院選で「小沢新党」と他の地域政党などが緩やかに連携する「オリーブの木」による政権獲得だが、展望は開けていない。

小沢氏は、次期衆院選について「オリーブの木みたいな形でやればいい」と周辺に語っている。

連携相手は当面、「新党大地・真民主」(鈴木宗男代表)や、地域政党である愛知県の「減税日本」(代表・河村たかし名古屋市長)、「日本一愛知の会」(会長・大村秀章知事)とみられる。

さらに、石原慎太郎東京都知事を担ぎ出す「石原新党」や、関西圏を中心に国民的関心が高く、民主・自民2大政党と対抗する「第3極」の中核になる可能性がある「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)との連携にも、熱い期待を寄せている。

小沢氏は28日にグループ議員を集めた会合で、「自分の皮膚感覚では、反増税で選挙をやれば国民の共感を得られる」と語ったという。原子力発電所へのエネルギー依存の是非も争点に据えれば、「反増税・反原発」の政治勢力を結集できる、という読みも働いているようだ。

しかし、維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は、小沢氏との連携に「政策など異なる点が多く、一緒になれない」と否定的だ。

石原都知事も、28日収録のラジオ「ニッポン放送」の番組で、「小沢氏の作る新党には誰も期待しない。(連携は)死んでも厭だ」と語った。

30日には訪問先のシンガポールで、尖閣諸島購入計画を「やりかけた仕事だ」とし、石原氏は当面の新党結成を否定した。>

2012年07月01日

◆民主分裂へ…小沢氏ら2日離党

渡部 亮次郎


輿石が民主党の分裂に恐れおののいているのは、分裂すれば民主党は参議院で第1勢力から脱落する結果、己の「参議院議長」の夢が絶たれるからであることが暴露された。

その夢を絶たれないよう、小沢と2日も会談する予定らしいが、すでに小沢自身、知恵の無いことを暴露しているから会談を何度やっても問題は先に進まない。

それを見てとったかのように野田首相は30日、小沢ら造反者の処分に敢えて触れ2日には厳正処分の方針を明らかにすると表明した。これで輿石も道を断たれ、小沢は離党せざるを得なくなった。

<民主党が、2日に分裂することが確実となった。

野田首相は30日、社会保障・税一体改革関連法案に関する26日の衆院本会議採決で反対票を投じた小沢一郎元代表ら造反議員に対する処分問題で、2日に党役員会を招集して処分を発議する意向を表明した。

輿石幹事長による小沢氏への慰留工作を事実上打ち切る考えを示したものだ。小沢氏も党内にとどまることは不可能と判断、離党届を同日提出して新党結成に動き出す方針で、離党者の規模は衆参合わせて50人超にのぼる見通しだ。

首相は、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で講演し、小沢氏らの処分について「役員会で発議をし、常任幹事会で承認・決定し、倫理委員会に諮る。来週早々にも役員会を開く」と述べた。

「党のルールにのっとって厳正に対処する。私も役員会に出て方向性を出す」として、自ら処分を主導する考えを表明した。>
読売新聞 7月1日(日)3時21分配信

しかし、離党、新党結成でも小沢に展望は無い。「連合」の支持を失っ無党派層」の支持に期待をかけているようだが、各種世論調査では小沢支持は10%台にすぎない。その政治力に国民は一致して疑問を持ち出している。それなのにそれに気づこうともしないその無神経さにあきれているのだ。

「消費税を上げる前になすべきことがある」と言うのが野田首相への反対理由だが、自身、鳩山政権の幹事長時代「政府の無駄を絞れば16・8兆円ぐらいすぐ出てくるといいながら出せなかったではないか。
                        (文中敬称略)

◆造反に「厳正対処」と野田首相

渡部 亮次郎


輿石が民主党の分裂に恐れおののいているのは、分裂すれば民主党は参議院で第1勢力から脱落する結果、己の「参議院議長」の夢が絶たれるからであることが暴露された。

その夢を絶たれないよう、小沢と2日も会談する予定らしいが、すでに小沢自身、知恵の無いことを暴露しているから会談を何度やっても問題は先に進まない。

それを見てとったかのように野田首相は30日、小沢ら造反者の処分に敢えて触れ2日には厳正処分の方針を明らかにすると表明した。これで輿石も道を断たれ、小沢は離党せざるを得なくなった。

<野田佳彦首相は30日昼、都内で開かれた読売国際経済懇話会で講演し、消費増税関連法案の衆院採決で造反した民主党議員の処分に関し、「党のルールにのっとって厳正に対処するのが基本的な方針だ。来週早々にも役員会を開き、私も出席するつもりだ。そこで方向性を出す」と述べ、7月2日の役員会で処分案を示す考えを表明した。

民主、自民、公明3党による修正合意を見直す可能性について、首相は「あり得ない。できるはずもない」と明確に否定。

民主党の輿石東幹事長が小沢一郎元代表との会談で見直しに言及したとの一部報道に関しては「(3党合意を)修正するかのような話は(輿石氏からは)全くしていない。処分の軽い、重いの取り引きもしていない」と説明した。

首相は、消費増税に反対する小沢氏らを念頭に「先送りをすればするほど将来世代に負担を残す」と強調。「(小沢グループの)『増税の前にやるべきことがある』との言葉は響きのいい言葉だが、そう言い続けて今まで来たのではないか」とも語った>。【時事通信】 2012/06/30-13:58〔情報収録 − 坂元 誠〕

しかし、離党、新党結成でも小沢に展望は無い。「連合」の支持を失った後を「無党派層」の支持に期待をかけているようだが、各種世論調査では小沢支持は10%台にすぎない。その政治力に国民は一致して疑問を持ち出している。それなのにそれに気づこうともしないその無神経さにあきれているのだ。

「消費税を上げる前になすべきことがある」と言うのが野田首相への反対理由だが、自身、鳩山政権の幹事長時代「政府の無駄を絞れば16・8兆円ぐらいすぐ出てくる」といいながら出せなかったではないか。
                        (文中敬称略)

2012年06月30日

◆輿石氏、憂鬱のワケ…「参院議長」の夢

渡部 亮次郎


粘り「過ぎる」輿石幹事長、と考えていたが、その理由は全く別のところつまりは「参議院議長」になるという、私利私欲にあった。それを6月30日の産経が暴いている。

これを小沢氏はしりながら、時間稼ぎの間、己の権勢を何とか広げようとずるい考えをしているわけだ。野田総理は二人に虚仮にされているわけだ。

<【民主分裂】輿石氏、憂鬱のワケ…「参院議長」見果てぬ夢 6人離脱で民主−公明ラインも「水の泡」

小沢一郎元代表との会談を終えた輿石東幹事長は記者団に、結論を週明けに持ち越したことを明かした「輿石さんから『月曜日まで待ってくれ』と言われたんだけど中身がないんだよな」

29日夕、民主党の輿石東幹事長と約40分間の会談を終えた小沢一郎元代表は、衆院議員会館の自らの事務所に戻ると側近議員にこう明かした。

3度目の会談でも輿石氏は「とにかく党を割りたくない」の一点張り。かといって小沢氏が求める消費税増税法案撤回はさすがにのめない。

ある党幹部は「もう歩み寄る余地はないな」とこぼした。確かにこれ以上小沢氏らを慰留しても野田佳彦首相に得はない。にもかかわらず輿石氏が恥も外聞も捨て小沢氏にすがりつく理由は別にある。

参院(定数242)は衆参ねじれにより野党が過半数を占めるが、最大会派はなお「民主党・新緑風会」(104議席)だ。ところが、19人以上が小沢氏に同調して離脱すれば、第2会派「自民党・たちあがれ日本」(86議席)を下回り、参院のパワーバランスは大きく崩れるからだ。

そうなると、議長は第1会派から選出するのが慣例であり、輿石氏の悲願である議長就任は一気に遠のく。来年夏の参院選で民主党が第1党に返り咲くことも期待できないだけに「輿石議長」は見果てぬ夢となる。

それだけでは済まない。

民主党と国民新党(3議席)に公明党(19議席)を合わせると126議席で過半数を上回る。実はこれが水面下で公明党に協力を呼びかけるテコになってきた。

衆院選挙制度改革で公明党は比例代表への連用制導入を熱望するが、自民党の反対で宙に浮いたまま。そこで輿石氏は民主、公明で成立させる密約を結び、協力を取り付ける青写真を描いていたのだ。

人事院を廃止し、公務員に労働協約締結権を付与する公務員制度改革関連法案の存在も大きい。民主党の集票マシンである連合は今国会での成立を厳命するが、自民党の協力は期待できない。これも国会終盤で民主−公明ラインで押し切る算段だった。

ところが、民主党から6人が離脱するだけでこの構想はご破算となる。そうなれば、公明党は、自民党と手を組み一気に倒閣に舵(かじ)を切る公算が大きい。

ある意味では、55人以上が離党しない限り、与党過半数を維持できる衆院よりも事態は深刻だといえる。

言うまでもなく「参院のドン」を気取っていた輿石氏の権威も地に落ちる。輿石氏が首相の意向を踏みにじっても「党内融和」を唱え続けた理由が透けてみえる。

もちろん小沢氏もそのへんの事情を熟知している。すでに参院民主党13人分の会派離脱届は手中に収めた。「ゴネればゴネるほど譲歩を引き出せる」。そう思ったからこそ輿石氏の会談要請に何度も応じているのだろう。

29日の会談前も小沢氏はご機嫌だった。側近が「地元の反応はいいです」と報告すると「そうか、よかったな!」と満面の笑みを浮かべ、日に日に憔(しょう)悴(すい)する輿石氏をこう気づかってみせた。 「輿石さんをあんまり責めるのも気の毒だからなあ…」

(坂井広志)「産経ニュース」 2012.6.30 00:02


2012年06月29日

◆ロマンに満ちた鰻の生態

渡部 亮次郎


ウナギは淡水魚として知られているが、海で産卵・孵化を行い、淡水にさかのぼってくる「降河回遊(こうかかいゆう)」という生活形態をとる。

従来、ウナギの産卵場所はフィリピン海溝付近の海域とされたが、外洋域の深海ということもあり長年にわたる謎であった。

少年の頃、作家火野葦平がそれをテーマにした小説を毎日新聞に連載し、熱心に読みふけったものだった。しかし、今となっては題名すら思い出せない。ネットで捜したが分からなかった。

火野は53歳で急死したが、のちに服毒自殺と公表された。

鰻の話である。

2006年2月、東京大学海洋研究所の教授・塚本勝巳をはじめとする研究チームが、ニホンウナギの産卵場所がグアム島やマリアナ諸島の西側沖のマリアナ海嶺のスルガ海山付近であることを、ほぼ突き止めた。


これは孵化後2日目の仔魚を多数採集することに成功し、その遺伝子を調べニホンウナギであることが確認された。。冬に産卵するという従来の説は誤りとされ、現在は6-7月の新月の日に一斉に産卵するという説が有力である。

2008年6月および8月には、水産庁と水産総合研究センターによる調査チームが、同じくマリアナ諸島沖の水深200-350 mの範囲で、成熟したニホンウナギおよびオオウナギの捕獲に世界で初めて成功した。

雄には成熟した精巣が、雌には産卵後と推定される収縮した卵巣が認められた。また、水深100-150 mの範囲で、孵化後2-3日経過したと思われる仔魚(プレレプトケファルス)26匹も採集された。

さらに、プレレプトケファルスが生息する層の水温が、摂氏26.5-28度であることを初めて確認した。この結果から、比較的浅いスルガ海山の山頂付近ではなく、もう少し深い中層を遊泳しながら産卵をしているという推定を得ることができた[。

この推定を基に、塚本らの研究チームが周辺海域をさらに調査したところ、2009年5月22日未明、マリアナ海嶺の南端近くの水深約160メートル、水温が摂氏約26度の海域で、直径約1.6 mmの受精卵とみられるものを発見。

遺伝子解析の結果、天然卵31個を確認した。天然卵の採集は世界初である。同時に、卵は水深約200 mで産まれ、約30時間かけてこの深さまで上がりながら孵化することも判明した。

さらに同チームでは、2011年6月29日学術研究船白鳳丸に搭載したプランクトンネットを用いて、産卵直後から2日程度経過した147個の受精卵の採取に成功した。

新月の2-4日程度前の日没から23時の間、水深150-180 mで産卵されたと推定される。卵から2-3日で孵化した仔魚はレプトケファルス(葉形幼生、Leptocephalu s)と呼ばれ、成魚とは異なり柳の葉のような形をしてい
る。

この体型はまだ遊泳力のない仔魚が、海流に乗って移動するための浮遊適応であると考えられている。レプトケファルスは成長して稚魚になる段階で変態を行い、扁平な体から円筒形の体へと形を変え「シラスウナギ」となる。

シラスウナギは体型こそ成魚に近くなっているが体はほぼ透明で、全長もまだ5 cmほどしかない。シラスウナギは黒潮に乗って生息域の東南アジア沿岸にたどり着き、川をさかのぼる。

流れの激しいところは川岸に上陸し、水際を這ってさかのぼる。川で小動物を捕食して成長し、5年から十数年ほどかけて成熟する。その後ウナギは川を下り、産卵場へと向かうが、その経路に関してはまだよく分かっていない。

海に注ぐ河口付近に棲息するものは、淡水・汽水・海水に常時適応できるため、自由に行き来して生活するが、琵琶湖や猪苗代湖等の大型湖沼では、産卵期に降海するまで棲息湖沼と周辺の河川の淡水域のみで生活することが多い。

また、近年の琵琶湖等、いくつかの湖沼では外洋へ注ぐ河川に堰が造られたり、大規模な河川改修によって外洋とを往来できなくなり、湖内のウナギが激減したため、稚魚の放流が行われている。(「ウィキペディア」)
                     

2012年06月26日

◆わが兄 81歳の死

渡部 亮次郎


我が兄、渡部誠一郎が2012年6月24日、入院先の秋田市中通病院で肺炎の為、12時05分に息を引き取った。81歳だった。自分では「夢枕に立った親父がお前は87まで生きるよといっていたよ」と言っていたのに6年も早く死んでしまった。痛恨の極みだ。

6月5日が81の誕生日だった。祝いの心算でかけた電話に出たのは嫂の玲子だった。「実は肝臓膿腫で入院しています」というので驚いた。5月27日からだという。

嫂の説明では肝臓に膿のたまる病気だそうで、針で吸いとる気長な治療を受けているということだった。しかし、昔の人流に言えば、夢見が悪いので気にしていたが、当日12時15分頃、弟からの携帯電話で12時05分誤嚥下による肺炎のため死亡したと知らせてきた。

昭和6年6月5日早朝、父慶太郎 母鈴江の第2子、長男として誕生した。どういうわけか学校の成績が抜群に良く、両親は渋ったが、県立秋田中学に合格した。

また陸上競技部に入り、長距離ランナーとして活躍。夕方、帰宅してからも走りこんでいた姿が瞼の裏に残っている。

学校はその後、学制改革により秋田高校となったが、卒業までの3年間通して学年首席で通した。しかし家が貧しく、兄弟も多かったので、東大医学部に行き医者になるという夢はあきらめるしかなかった。

仕方なく近くの五城目中学校で代用教員をつとめていたが、間もなく地元紙「秋田魁(魁)新報」の取材記者に採用されてジャーナリスト生活を始めた。

彼の高校卒業から4年後、間違って私も秋田高校に合格したが、そこで出合った五城目中学出身者は皆、兄の教え子で成績優秀だったので、なんとなく嬉しかった。

そういえば中学時代、私は中学で野球の選手になった。ある日、五城目中学と対戦したら兄があちらの監督だった。私はたしか三塁打を叩きつけたように思う。兄は後で「あの時は参ったぜ」といっていた。

兄はその後論説委員長、常務取締役を歴任。次は専務かとおもったが、先に交通事故に遭って左目を失明していたこともあって奨めをことわって退職してしまった。

趣味とてなく、退職後は退屈だったとおもうが、よく、入院はした。肝内結石で手術2度。結石は胆嚢が融けてなくなったため行き場を喪った胆石が肝臓に入り込んだものだった。

1か月入院して石は除去したが、退院前の念入りの撮影をしたところ、肝臓の中にもう1個石が有るとわかって再手術。私なら医者をなぐるところ。短気な兄はよく我慢した。

このときの手術で胃癌が発見されて全部摘出、更に頭蓋骨を2度開けている。くも膜下出血予防の為だったが、初めの手術が失敗したためのやり直し手術をした。

私よりさきに糖尿病を発症。今年にはいってから「低血糖」で緊急入院したようだ。

それが良くなって退院したと思ったらこんどは肝臓が痛くなって再入院しらべたら肝のう胞だった。

私はじめ多すぎるほどの兄弟姉妹に足を引っ張られたために出世できなかった兄。良く頑張った。ありがとう。静かに眠って下さい。

2012年06月25日

◆巴里だより ジョギングする人が増えた

岩本宏紀(在仏)


今日は出張で巴里に来ている。
メトロに乗るためにチュイルリー公園のそばに来ると、
少なくとも5,6人のジョギングする男女。

初めて巴里に来たのは1980年、今から32年前。
その頃はまだジョギングという言葉も知らなかった。
もちろん巴里で走っている人は一人も見なかった。

初めて住んだのは1992年。西郊外サン・クルー。
大きな公園やセーヌ、さらにブローニュの森から遠くない町だが、
ジョギングする人はまれだった。
フランス人に言わせると、走るのはアメリカ人で、フランス人は走らないよ、とのこと。

ここ数年走る人が本当に増えた。
それに連れてシューズ、ウェアの店が多くなったのに驚く。

写真は1年前のゆめ。
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2012年06月24日

◆海千山千を知らないと

渡部 亮次郎


外務大臣の秘書官だったとき、英語の通訳が「うみせん やません」の意味を知らなくて往生したことがある。この通訳はいわゆるキャリアでなった外交官だったが、「手練手管 てれんてくだ」も知らなかった。

こういう官僚が局長、官房長、大使になるのが日本外務省である。

なるほど灘高や東大はこんな言葉を知らない方が良いかもしれないが、外交の現場では困る。アメリカの外交官は何回も会っているうちに「うみせん やません」「てれん てくだ」を日本語で覚えてしまった。

「海千山千」とは蛇が山に千年、海に千年住むと龍になるというもの。そこから『広辞苑』の説明は「世知辛い世の中の裏も表も知っていて、老獪な人」「――海千山千の事業家」と説明している。

通り一遍の説明をしないで有名な金田一京助まで遡る三省堂の国語辞典『新明解』は「あらゆる経験を積み、社会の表裏に通じていて悪賢い人」となっている。

また「手練手管」について『新明解』は「うまいことを言って人を丸め込む方法」とあり、いずれにせよ褒め言葉ではない。だが政界の寝業師から外務大臣になった園田直氏は褒め言葉と思っていたらしく、言われて怒らなかった。

蛇が千年山で住むと海に降りて蛸になるという話は各地にあり、実際にヘビがタコに変身するところを見た、という目撃談も数多くあるらしい。

この蛇が変身した蛸は足が8本ではなく7本しか無いと言われており、そのため、タコを捕まえて足が7本しかなかった場合、海に帰すという習慣が、かなりの地域に分布しているとか。

海千山千と似たものとしては「古狐」「古狸」の言葉もある。妖怪の類と見られることも多いが、年を経た狐はお稲荷様のお使いになるという説もあり、狐には蛇と同様の神聖な面も見られていたのでしょう。

英語にもold fox という言葉があるが、いい意味はあまりない。古狸については古狐以上に良くないイメージがあるが、日本では年を経た狸が、病気で動けない和尚に代ってお寺の勧進をして回ったという話もあり、狸の持つ親しみやすいイメージから、そういう方向も出てきたのかも知れない

http://www.ffortune.net/symbol/12si/s06/mi02.htm

日本の政界では川島正次郎、大野伴睦、三木武吉といったような人たちはみな「海千山千」で「手練手管」に優れ「歴戦の勇士」といわれ、喜んでいた。

彼らから一時代遅れた田中角栄、保利茂、鈴木善幸、園田直といった人たちは、後から同じように言われて嬉しかったのだろう。実に官僚派に対抗して地位を固めるには海千山千と手練手管で行くしかなかっただろう。それが多少、ずるくても、軽蔑されても官僚を使いこなした。角栄は甘やかしたが。

今の政界には2世、3世は腐るほどいても、官僚を使いこなせる海千山千は与野党のどこにもいない。舐められっぱなしだ。文中敬称略 

2012年06月22日

◆大丈夫なのか鮪(まぐろ)

渡部 亮次郎


私が鮪(まぐろ)を寿司や刺身で食べられるようになったのは、実は60歳近くになってからである。それまでは中国人のように「淡水魚には肝臓ジストマがいて毒だ」といわれて食べないでいるうちに、すべての魚をナマでは食べられなくなっていたのである。淡水魚の秋田県八郎潟沿岸で生まれ育ったからである。

長じて政治家に新橋、赤坂などで日本料理をご馳走になっても、刺身は残して芸者に不思議がられて恥ずかしかった。

それが或る時、60近くになった時、友人に都内の飲み屋に引っ張られて入ったところ、料理は刺身は刺身しか無いといわれて鮪の赤身をたべてみたら抜群に美味かった。以後、刺身好きになり、誘われれば寿司屋にも喜んでゆくようになっている。

余談だが、毛沢東は生魚は食べなかったが、なぜか晩年は好んで生魚をたべたという。悪妻江青の策謀に乗せられたのではないか、肝臓ジストマにかかる前に死んだからばれなかったという説もあるが、江青も死んだ今となっては永遠の謎だ。

ところが今の中国人は日本人の長命の理由は生魚にあると見たのか、盛んに鮪を生でたべるようになって。われわれ日本人の胃袋を脅かすようになった。

以下「ウィキペディア」を引用する。

中国都市部で日本食ブームが起きている。それもマグロ需要が急増し、日本の漁獲減少の隙を突いて、中国漁船による活動が拡大し、競争が激化している。

また、乱獲防止と資源保護のため漁獲量が2割減が決まりさらに高騰するといわれる。そのために近年では世界中でマグロの代替品が増えている。

過去、米国およびオセアニアでは、脂身であるトロは商品的価値・需要が低かったので、日本の商社はトロを安価で購入することが出来た。ところが、近年の日本食・「sushi」ブームの影響で欧米でもトロに対する需要が起こり、かつてのような値段では購入出来ない状況にある。

また、1990年代後半には台湾で、2000年代に入ってからは中国で、日本食を中心とした海産物の人気が高まり、中国向けの漁獲が急増しているため、競争はますます熾烈になっている。

前述のように相対的な個体数が少ない上に需要増加・価格高騰が拍車をかける形で世界中でマグロが乱獲され、国際的な資源保護が叫ばれている。絶滅が危惧される生物を記載したIUCNレッドリストには、マグロ8種のうち5種が記載されている。

過激な保護運動を行う環境団体には、クジラ並みにマグロ漁禁止を求める強硬派もいる。こういった国際的な動きに対して、日本は2001年から02年にかけて、水産業界を中心に不利な規制が多数決で押し通される恐れがあると「中西部太平洋マグロ類条約」の準備会合をボイコットした。

だが、結局2004年に日本抜きで発効され、翌年に日本が加盟することになった。食糧農業機関(FAO)水産局長の林司宣(早大教授)は日本は世界中の海でマグロを取りまくっていながら、規制強化には後ろ向きだ、という悪いイメージを与えたとしている。

その後、2010年3月、ドーハでのワシントン条約締結国会議において21世紀初頭の個体数が1970年代と比較して90%減少したタイセイヨウクロマグロの附属書Iへの掲載の是非について審議が行われたが、18日の採決では大差で否決された。

マグロ価格高騰と天然物の漁獲量低下の追い風もあり、蓄養による養殖の出荷量は増加している。低コスト化・安全性向上の他、トロの割合を多くし価値を高める研究も行われている。

クロマグロの蓄養は、幼魚が黒潮に乗って回遊してくる西日本各地で行われている。蓄養マグロの出荷量は、1位の鹿児島県が2位の長崎県以下を大きく引き離している。完全養殖による生産は始まったばかりであり、現在流通している養殖のマグロはほぼ蓄養によるものである。

これに対し稚魚の乱獲になるという批判もある。

2002年に近畿大学水産研究所が30年余かけて、商業化に向けて研究を続け世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功、2004年には市場へと出荷が開始された(近大マグロ)。

近畿大学は和歌山県串本町の大島実験場と奄美大島の奄美実験場を拠点に技術開発を進め、稚魚の生産が増えたことと稚魚の輸送技術が確立された事などから、2007年12月から自身の完全養殖稚魚(人工孵化の第三世代)を他の蓄養業者に出荷する事業を開始。

2009年には約4万匹の稚魚を育成、内約3万匹を養殖業者へ出荷している(4万は日本の海で漁獲されている幼魚の10分の1の量)。今後は、2010年現在3から5パーセントの稚魚の生存率を10から20パーセント程度に向上させるのが目標となっている。

また、マルハニチロは2015年に約1万匹出荷を目指して完全養殖に取り組んでいる。東京海洋大学では、移植によってサバにマグロの精子を作らせることより、マグロを量産する方法の研究を進めている。

日本人は古くからマグロを食用とし、縄文時代の貝塚からマグロの骨が出土している。古事記や万葉集にもシビの名で記述されているが、江戸の世相を記した随筆「慶長見聞集」ではこれを「シビと呼ぷ声の死日と聞えて不吉なり」とするなど、その扱いはいいものとはいえず、腐敗しやすいことも相まってむしろ下魚とするのが普通であった。「大魚(お
ふを)よし」は、「鮪」の枕詞。

江戸時代の豊漁の際、腐敗を遅らせるためにマグロの身を醤油づけにした「ヅケ」が握り寿司のネタとして使われ出したのが普及のはしりとい
う説がある。

近代以降も戦前までは大衆魚で、主として赤身の部分が生食されていた。北大路魯山人は「マグロそのものが下手物であって、一流の食通を満足させるものではない」と評していた。

脂身の部分である「トロ」は特に腐敗しやすいことから猫もまたいで通る「猫またぎ」とも揶揄されるほどの不人気で、もっぱら加工用だったが、冷凍保存技術の進歩と生活の洋風化に伴う味覚の濃厚化で、1960年代以降は生食用に珍重される部位となった。

なお、マグロの品質が低下しない冷凍温度帯は-30℃以下であり、実際の流通上では-50℃の超低温冷蔵庫に保管する。なお、一度解凍したマグロを再凍結すると組織が破壊され、非常に質が劣化する。

1995年の統計では、世界のマグロ漁獲量191万tに対し、日本の消費量は71万t。そのうち60万tを刺身・寿司等の生食で消費している。加工品では「ツナ」もしくは「シーチキン」(商標名)と呼ばれるサラダオイル漬けの缶詰が多い。

日本の各県庁所在地での家計調査によると、一世帯当たりのマグロの購入量は年々減少している。消費率はマグロ水揚げ日本一の静岡県および隣接する山梨県、関東地方が上位を占める。

一方で西日本の数値は軒並み低く、食文化の相違がみられる。 2012年1月6日、築地市場で青森県大間産のクロマグロ(269キロ)が5649千万円の史上最高値で落札された 。

近年の史上最高値更新は、2001年に青森県大間産2020万円(202キロ)、2011年に北海道戸井産に3249万円(342キロ)となっていた。

2012年06月19日

◆戦争を知る人知らぬ人

渡部 亮次郎


取材陣が来て「今の政治家と昔の政治家はどこが違うか」と聞かれた。一瞬考えて「戦争を知ると知らぬ、の違いでしょう」と答えた。

消費税率の引き上げに野田総理は命を賭けるというが、命がけとはどういうことか知っての発言だろうか。命をかけているとは思えない。

命がけとは文字通り命を賭けることであり、失敗すれば死ぬことを約束することである。政治家を辞めることとは違うのである。野田は余りにも簡単に「命」を使う。

私が見た昭和時代の政治家は戦争体験を持っていた。しかし平成の政治家は幸福にも戦争を知らない。知っているのは平和だけである。

戦争を知る最後の総理大臣は宇野宗佑だった。彼はシベリヤ抑留も体験し、戦場には慰安婦はいたが、あれは国家が運営するものではなかったと体験を交えながら語っていた。

それ以後の総理大臣は戦争体験は無い。

陸軍航空隊の隊員で、特攻隊生き残りだった故園田直によると、戦争を体験するとは命を敵に晒すこと。だから「俺は大砲の弾が炸裂したら、その穴の中に飛び込んで助かった」と良く言っていた。「どんな名手だって砲弾を同じところには続けて着弾させる事は不可能だもの」とさらりと言ってのけた。

隊長として士官学校出の若者が戦場へ着任する。学校で鉄砲の撃ち方は習ってきたが、撃たれるのは生まれて初めて。(あの砲音は)
「敵か、味方のか」と五月蝿い。

弱気だと見破られないか、とやたら危険に身を晒したがる。「其処じゃ危険であります」と言っても下がらない。園田が「其処では敵情が見えません、こちらへどうぞ」と岩陰に案内するとほっと溜息をついていた。インテリの弱さか。

昭和50年ごろまで、国会議員の大半はこうした戦場体験をもっていて「命」とは何かを知っていた。

そうした議員は決して利己主義者ではなかった。戦争の苦難のなかで利害得失を仲間と分かつべきことを哲学としていた。小沢佐重喜は安保改訂に身を投げたが、息子の一郎はカネを懐にするのに忙しいのはこの差を物語るものではないか。

昨今の政治家は徹底的な利己主義に陥っている。小選挙区制になった所為もあって、「競争相手より立派に見える」工夫はするが、それ以外の事は絶対しない。

もっと言えば選挙民の幸福などは考えたこともない。選挙民の幸福を「考えているように振舞う」ことを知っているだけだ。鳩山や菅はその典型だと思う。

だから政治評論は憂鬱な作業だ。(敬称略)。2012・6・18

2012年06月18日

◆特ダネにタイミングは無い

渡部 亮次郎


私のメルマガ「頂門の一針」に対する読者からの「反響」である。

<タイミングが良過ぎるのでは:

週刊文春6月21日号の見出しです。その内容までをここで云々する必要はないでしょう(小沢一郎夫人が選挙区有力者たちに「離婚しました」という手紙を昨年11月に出していた。

私が感心したのは、この記事が登場したタイミングの良さというか何というか、6月14日だったことです。17日朝のTBSで野中広務は「党に復帰したばかりなのだから、あのような行動は党を離れてせよ」と厳しい口調で非難していました。

そういう時期に、既に終わったという説もある小澤一郎という存在に、その終わりの念を押すような記事が出てきたのには感心しております。あの記事には消費税増税の後押しをする勢力が関係しているのでしょうか。そう思わせてくれる「公人の私的な弱みを衝いた」ニュースだったと思わずにはいられませんでした。>

私は若い頃、マスコミの世界にいた(文芸春秋社にも縁があった)ので、この投書には驚いた。この読者は大学を出てアメリカの会社でビジネスマンも経験した、いわば常識豊かな後期高齢者である。

という事は、この投書は案外、私の読者の「常識」になっているかの知れないのだ。マスコミというものを知らない人がマスコミの読者だとすれば、却ってマスコミも注意してかからなければならないのだ。

マスコミは握った特ダネは可及的迅速かに手放さなければならないという鉄則がある。何時あい方にすっぱ抜かれないとも限らないからだ。従って、特ダネをにぎったら、寝かしておく事は不可能なのだ。

今回、週刊文春は小沢夫人が離婚の事実を地元の後援会幹部らに手紙で知らせたらしいという噂は早い段階でつかんでいたようだ。だが、夫人自身が雑誌のインタビューを受けない以上、ネタとして掲載するには、手紙の実物を入手することが、不可欠だった。しかし、筆者が誌上で明らかにしているように、手紙の実物を提供する人物はなかなか現れなかった。

実物を入手できた以上は、可及的速やかに報じた、それが消費増税問題を巡って小沢本人が格別注目されている時期とタイミングが合ったのが真実ではないか。タイミングが合いすぎたので、雑誌側がタイミングを合わせたのではないかと疑う向きが出てきた、仕方の無いことだろう。

重ねていうが、特ダネにタイミングは無い。タイミングを狙って取れるものではない。掴んだらすぐ報道(放す)しないことには、何時、敵(ライバル)にすっぱ抜かれないとも限らないからである。

マスコミと他の業種との違いはこの点にあるかも知れない。2012・6・17

2012年06月17日

◆中国は気骨者を尊敬

渡部 亮次郎


産経新聞の特別記者待遇でワシントンに駐在する古森義久氏は、以前は北京で中国総局長を務めていた。その古森さんが自らのブログで6月15日、「首相靖国参拝は日中関係に影響ない」とは小泉純一郎氏の金言です」と次のように書いた。

<もう9か月前の発言ですが、いまになってその意味が輝いてきます。首相が靖国神社に参拝すると、中国が態度を硬化させ、日中関係が悪くなる。これはお経の文句のように繰り返された言葉ですね。  

でも首相の靖国参拝がなくても、中国の態度は硬化しています。日中関係は険悪になっています。  今一度、吟味したい小泉語録です。>

<「靖国参拝せずとも尖閣摩擦」 小泉氏 産経新聞 東京朝刊 総合・内政面 2011年09月19日

小泉純一郎元首相は18日、川崎市内で講演し、日中関係について、「『靖国神社に参拝しなければ中国とうまくいく』なんていうのは関係ない。参拝しようがしまいがいまだに沖縄・尖閣諸島で摩擦が起こっている」と述べ、民主党政権の対応を批判した。

野田佳彦首相は首相在任中、閣僚を含め内閣として靖国神社に公式参拝しない方針を表明している。

小泉氏は講演で、首相在任中の平成16年11月、チリで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、日中首脳会談の設定をめぐり、強硬姿勢に出ても会談が実現したエピソードを紹介した。

胡錦濤国家主席との2国間会談をめぐり、中国側から「来年、靖国神社を参拝しないなら受ける」と打診されたのに対し、外務省を通じ「必ず参拝します。それで会談を拒否するならかまわない」と返答したという。これに対して中国は最終的に、小泉氏が参拝を明言しないことを条件に、会談を受け入れたという。>

私が大臣秘書官として仕えた故・園田直(そのだ すなお)さんは福田赳夫内閣で官房長官のあと外務大臣、続く大平内閣でも外務大臣、鈴木善幸内閣で厚生大臣と外務大臣を務めた。それらの秘書官を務めたのが私だった。

特に福田内閣の外務大臣としては田中角栄、三木武夫両政権で達成できなかった日中平和友好条約の締結交渉に尽力し、遂に1978年8月12日、北京で締結調印した。

園田氏は元々将校として野戦に11年間在任し、特に中国工作の長かった人であった。工作員として活動中、敵に拘束されそうになった時、路上に落ちていた牛の糞を口にいれ、狂人を装って難を逃れたことがあったと言っていた。

その園田氏が口癖のように語っていたのが「中国人は自分たちの言いなりになる相手を馬鹿にする。理不尽な要求にガンとして反撃し、抵抗する気骨ある人間を尊敬する」だった。「だから政治家が儲け噺を持ち出したりしたら徹底的に軽蔑される」とも話していた。

小泉氏が明らかにした総理大臣在任中のエピソードは当に園田さんの口癖を裏付けるような話。

嘗てNHK記者として日中国交正常化交渉に田中角栄首相に同行した際、笑えわれの目の触れないところで行なわれた毛沢東の「引見」で、後で聞けば毛沢東が田中首相に放った第一声は「喧嘩は済みましたか」であった。交渉は「喧嘩」のような激しさでやってこそ、そのあとで「友好親善」が生まれることを毛沢東がいみじくも言い当てているようなものだ。

これらを考えると、中国に対してもみ手ばかり、ゴマばかり摺ってよしとしている今の駐中国日本大使の丹羽氏は陰で徹底的に馬鹿にされているだろう事はあきらかである。そんな人間を大使に起用した首相は頭がおかしい。東大を出ただけの鳩山である。2012/・6・16

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