渡部 亮次郎
「チャタレイ夫人の恋人」に関する夢を20日明け方に見た。夜が明けて新聞を開いたら、矢張り猥褻裁判で知られた「面白半分」の発行者だった佐藤嘉尚(よしなお)さんが19日肺がんのため死去、と出ていたのである種の符合に驚いた。私より7つも若い68。
『チャタレイ夫人の恋人』(チャタレイふじんのこいびと、LadyChatterley's Lover)は、イギリスの小説家、D・H・ローレンスの作品の一つ。1928(昭和3)年に発表された。ただし当初は検閲により一部の描写が削除され、無修正版の刊行は1960(昭和35)年となった。
それに先立つ1937(昭和12)年、日本海軍の重巡洋艦「足柄」がジョージ6世のイギリス王戴冠に伴うジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した。
この時「足柄」に取材のため乗艦していた海軍省担当の新聞記者が、彼らはロンドン滞在中にイギリスで本著の原書を購入すると、軍艦のため税関のチェックを受けることなく日本に密輸し、海軍省の記者クラブに持ち込んだ。
記者から事情を聞いた山本五十六海軍次官は「勿体ない話じゃないか!」と笑っていたという。このとき私は生まれたばかり。それでも高校2年のときには、伊藤整訳本をこっそり読んだ。
大胆な性の問題を露骨に扱った作品で、内外で激しい論議の的となり、日本では翻訳の出版も、最高裁までの裁判となった(チャタレー事件)。猥褻性が大きく取り沙汰される作品だが、作者の階級社会への否定的な見解が強く出された、ロレンス最晩年の作品でもある。
炭坑の村を領地に持つ男爵の妻となったコンスタンス・チャタレイ(コニー)だったが、蜜月もわずかなままに、夫のクリフォード・チャタレイ男爵は、大戦により出征した。
クリフォードは帰還したが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
1990年代以降の翻訳 。
永峰勝男訳 彩流社 1999年
武藤浩史訳 ちくま文庫 2004年
チャタレー事件は、イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、版元の小山書店社長小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件。わいせつと表現の自由の関係が問われた。
伊藤と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、刑法第175条違反で起訴された。
第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長小山久二郎を罰金25万円に処する有罪判決、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では両被告人小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決。両名は上告。
当時、被告人側の弁護人には、正木ひろし、後に最高裁判所裁判官となる環昌一らが付き、さらに特別弁護人として中島健蔵、福田恆存らが出廷して論点についての無罪を主張した。
論点 わいせつ文書に対する規制(刑法175条)は、日本国憲法第21条で保障する表現の自由に反しないか。
表現の自由は、公共の福祉によって制限できるか、だった。
最高裁判所昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「わいせつの三要素」を示しつつ、「公共の福祉」の論を用いて上告を棄却した。
わいせつの三要素
(1)徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
(2)且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
(3)善良な性的道義観念に反するものをいう
(なお、これは最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決の提示した要件を踏襲したものである)
わいせつの判断 わいせつの判断は事実認定の問題ではなく、法解釈の問題である。したがって、「この著作が一般読者に与える興奮、刺戟や読者のいだく羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。
裁判所がこのような判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。
この社会通念は、「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。
かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。」
公共の福祉 「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である」。
事件の意義 わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。
公共の福祉論について 公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。
この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に伏字を用いて1964年に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこにアスタリスクマークを用いて削除の意を表した。
伊藤整は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた(初版筑摩書房、現在は晶文社で上下巻、解説伊藤礼)。伊藤礼は整の次男で、新潮文庫(ISBN 4-10-207012-5)で、1996年に削除された部分を補った完訳本を出版し、現在は訳文そのままに読む事が可能になった。
1960年にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は陪審員の満場一致で無罪。2006年には訴訟の様子がノンフィクションとしてドラマ化された。
2007年に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、彩流社で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は集大成の形で、2005年に同社より『D・H・ローレンスの作品と時代背景』を刊行している。
悪徳の栄え事件は、1969年に日本で翻訳出版された書物がわいせつの文書に当たるとして翻訳者・出版者が刑法175条により起訴され、有罪とされた刑事事件である。
被告人澁澤龍雄(筆名・澁澤龍彦)ならびに現代思潮社社長石井恭二は、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳し、出版した。しかし、同書には性描写が含まれており、これがわいせつの罪に問われた。
第一審はチャタレー事件の審査基準を引用し、3要件のうち1点が該当しないとして無罪を言い渡した。検察側が控訴したところ、第2審では逆転して、石井を罰金10万円に、澁澤を罰金7万円に処する有罪判決となった。これに被告人たちが上告。
最高裁判所判決 [編集]最高裁判所昭和44年10月15日大法廷判決は以下の趣旨により、被告人の上告を棄却した。
「…芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、
右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮にいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言19条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
四畳半襖の下張事件(よじょうはんふすまのしたばりじけん)は、性的描写のある文学作品を雑誌に掲載したことによりわいせつ文書販売の罪が問われた刑事事件。わいせつの概念が問題となった。
月刊誌『面白半分』の編集長をしていた作家野坂昭如は、永井荷風の作とされる戯作『四畳半襖の下張』を同誌1972年7月号に掲載した。
これについて、刑法175条のわいせつ文書販売の罪に当たるとされ、野坂と同誌の社長・佐藤嘉尚が起訴された。被告人側は丸谷才一を特別弁護人に選任し、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、有吉佐和子ら著名作家を次々と証人申請して争った。
マスコミの話題を集めたが、第一審、第二審とも有罪(野坂に罰金10万円、社長に罰金15万円)としたため、被告人側が上告した。
しかしやはり最高裁判決 は上告棄却。昭和55(1980)年11月28日第二小法廷判決は、チャタレー事件判決を踏襲する形で、そのわいせつ性の判断について下記のように判示した。
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー
事件判決〕参照)といえるか否かを決すべきである。」
判例の意義 本判決は、チャタレー事件、悪徳の栄え事件以来続いてきたわいせつの判断を、大法廷に回付することなく従来の枠組みの中で再構築したものである。
わいせつの条件として、チャタレー事件判決は、
1.徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
2.且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
3.善良な性的道義観念に反するものをいう
という3条件を示した。それに加え、本判決では、
1.当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法
2.右描写叙述の文書全体に占める比重
3.文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性
4.文書の構成や展開
5.芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、
6.これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かを総合して決めるべきであるとした。そして、結論としては今回の件はわいせつ文書に当たるとしたのである。
現実社会ではインターネットの普及もあり、これまでのわいせつ基準の再構成を求める声もある。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2011・11・20