2008年11月18日

◆きりたんぽ鍋怖い

渡部亮次郎

冬になると「鍋料理、鍋料理は秋田、秋田はきりたんぽ鍋」となるらしく、関係ないはずの秋田県南のみやげ物店からの案内状に「きりたんぽ鍋材料一式」が入ってくる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が<きりたんぽ(切蒲英)は、秋田県の郷土料理>と書くからだ。きりたんぽ発祥の地は、戊辰戦争以前は南部藩だった北部の「鹿角(かづの)」である。

私の生まれ育った旧八郎潟周辺(県中央部)では、「だまこもち」だ。きりたんぽは、つぶした粳米のご飯を杉の棒に竹輪のように巻き付けて焼き、棒から外して、食べやすく切った物をいう。鶏がらのだし汁に入れて煮込んだり、味噌を付けて焼いて食べたりする。秋田県内では、冬場に学校給食のメニューとなる。

これに対して「だまこもち」は同じく潰したご飯(新米)をピンポン玉ぐらいの大きさに丸め、きりたんぽと同じく鶏だしの鍋で煮込んで食べる。左党はもちを食べるより、鍋の具を肴に酒を呑む方が主だから、もちは翌朝に、味がよくしみた奴を串刺しにして囲炉裏で焼いたのが却って美味いといったものだ。

最近では全国で食べられているきりたんぽときりたんぽ鍋。たんぽを切る前の段階でのきりたんぽのことを指し、ほとんどの人がこれを「きりたんぽ」と思い込むが、切っていないのは只の「たんぽ」。

「たんぽ」とは本来、稽古用の槍につける綿を丸めて布で包んだものを指し、杉(秋田杉)の棒に、半殺し(半分潰すという意味)のご飯を巻き付けたところがたんぽをつけた槍(たんぽ槍)に似ていることからその名が付いた。

秋田県北部(現在の鹿角市周辺)に住むマタギ(猟師)の料理が起源とされる。マタギが山から帰った際、残した飯を潰して棒につけ焼き、獲物のヤマドリや山菜、キノコとともに煮たり、味噌をつけて食べたりしたとされている。

家庭料理であることから、鍋に入れる鶏肉に決まりはなかったが、比内地鶏が有名になったことをきっかけに、比内地鶏の産地である、大館市でセットで売り出すことに成功し本場の地位を確立し、その後秋田県の郷土料理として広く親しまれるようになった。

この時大館市が発祥の地として売り出そうとしたため、発祥の地を自負する鹿角市と発祥争いとなったが、現在では鹿角市が発祥、大館市が本場を呼称することで落ち着いた。

22歳から23歳にかけて大館市に記者として駐在した。年末の忘年会はどこも会場は北秋クラブ、料理はきりたんぽ鍋。飽きた。爾来、きりたんぽ怖い、鶏怖い、だ。「だまこもち」も食べたくない。

一方で県北部が起源であるため、由利本荘市、大仙市、横手市、湯沢市周辺の県南部では「きりたんぽ」は北部ほどのなじみはない。

きりたんぽ鍋の作り方。
鶏(比内地鶏)のガラでとっただし汁をベースに、こいくち醤油、酒と砂糖(または味醂)で醤油ベースのスープを作る。煮え難い順に、ゴボウ、(しらたき)、(サトイモ)、(卵巣を含む鷄モツ)、マイタケ(金茸、銀茸)、比内地鶏、(つみれ)を並べ中火で煮立てる。きりたんぽとネギを入れ、味が染みる直前でセリを投入する。セリに火が通ったら完成。(カッコ内はオプションとして好まれるもの)

比内地鶏が品種開発される以前は比内鶏のものを用いていた。比内地鶏が手に入らない場合はブロイラーのトリガラ、もも肉、鳥皮、ネクタイ(首の肉)で代用すると良い味が出る。

基本的に鷄ベースのキリっとした醤油スープ。具材については邪道とされるものがいくつかあり、甘味と水分が多く出る白菜、風味が変わってしまう魚肉(竹輪などの練りもの)、匂いが変わるニンジン、風味が変わるシイタケは入れない。基本はゴボウ、鷄肉、マイタケ、ネギ、たんぽ、セリの6種である。

みそつけたんぽ
焼いたたんぽに味噌を塗って食べるもの。みそたんぽとも呼ばれる。
出典:『ウィキペディア』2008・11・11

2008年11月17日

◆任期満了までの政権か

渡部亮次郎

麻生首相は1度は衆議院解散を決意したが、秘密世論調査で「惨敗」と出たので、公明党への前言をあっさり翻して解散を断念した。その断念、謝罪金がバラマキ金2兆円だ。景気対策の一環とされているが、違う。無駄な事は9年前、すでに証明済みだが、公明党の面子を糊塗するにはゼニしかない。

政府、自民党としては定額給付金を含む2008年度第2次補正予算案などを早期に成立させる必要があるものの、その時期を来年1月召集の通常国会冒頭にするという線が濃厚になってきたとあっては、少なくとも衆議院の「年度内」解散は遠のいたと見るべきだろう。

<衆院解散、年度内は困難に

政府・与党は13日、今月30日に会期末を迎える今国会の会期を延長しない方針を固めた。

定額給付金を盛り込んだ2008年度第2次補正予算案と関連する特別会計法改正案は、来年1月召集の通常国会冒頭で処理したい考えだ。

給付金の支給開始は来年3月かそれ以降となる可能性もあるため、与党内では、それ以前の衆院解散は難しくなり、解散・総選挙は当面、遠のいたとの見方が広がっている。

自民党の古賀選挙対策委員長は13日の古賀派総会で「一時期、解散風は暴風ったが、穏やかな風になっている。12月は選挙区も大事だが、東京での(税制改正や予算編成などの)活動に力を入れてほしい」と語った。

政府・与党が今国会を延長せず第2次補正予算案を通常国会で処理する方針を固めたのは、民主党など野党が定額給付金への反対姿勢を強めていることから、12月は国会を閉じて予算編成や外交課題に専念した方が得策だと判断したためだ。

与党は、補正予算などの早期成立を図るため、通常国会を1月上旬に召集することを検討している。1月下旬召集が通例で、前倒しとなる。

与党は、今国会の重要法案と位置付けた新テロ対策特別措置法改正案と
金融機能強化法改正案が月内に成立するメドが立ったと見ており、延長
必要なしの判断につながった。仮に、民主党が金融法案の審議を引き延
ばした場合、会期の小幅延長も視野に入れている。>
11月14日3時7分配信 読売新聞

一方「ディプスロート」の情報によると、麻生首相周辺では、2009年度予算が成立した後の4月以降も選挙での勝算が確保できない公算が強い以上、来年9月の衆院議員の任期満了を待つのが得策、との進言が次第に幅を効かすようになっている。

勿論、政治は生き物である。いつ、如何なる不慮の事態が起きないとも限らない。同じ事は優勢を伝えられている民主党にも同様だ。したがて今は断定した物言いはできないが、少なくとも「解散」について麻生首相が極めて消極的になっているのは事実だ。

政治記者に仕立てられ始めた頃、時の池田勇人首相は、ライバル佐藤栄作を抑えて自民党総裁に3選。内閣改造を終えて、高度経済成長の新時代を展開すると、エンジンを全開にした。昭和39(1964)年7月だった。それを祝うかのように、東洋で初めての東京オリンピックの開会を10月に控え、東海道新幹線、東名高速自動車道の開通が花を添えていた。

だが、池田首相のガラガラ声は末期の喉頭癌と判明してショック。10月24日オリンピック閉会を見届けて25日辞意表明。3ヶ月前、敗戦に泣いた佐藤栄作が11月9日には後継首相に選出された。

このとき、嘗ての河野一郎だけが依然、ライバルとして閣内に残留していたが、翌年の七夕の突然倒れ、翌8日夜、解離性大動脈瘤破裂のため逝去。佐藤は以後、ライバルなき道を坦々と歩み、1 974年12月 ノーベル平和賞受賞。

だが1975年5月 築地の料亭「新喜楽」で倒れそこで昏睡状態となる。6月3日意識不明のまま死去 享年74 従一位・大勲位菊花章頸飾追贈の後、国民葬。1977年5月遺骨は山口県田布施町国木の佐藤家墓地に埋葬

政治家の運命はことほど左様に一寸先が解らない。同様に、斯様に政局が政治家の体力によって変遷する以上、政治記者はすぐれて医学知識の通じていなければならないと決意した事だった。総理官邸番も野党担当記者も同様である。
2008・11・15

2008年11月15日

◆閣議決定は覆せるか

渡部亮次郎

結論から先に言えば、可能である。「村山談話」も覆せるが簡単ではない。中,韓両国の「反応」の厳しさを考えれば,当分、不可能と言ったほうが早いだろう。

村山首相談話とは、1995年8月15日の戦後50周年記念式典において、第81代内閣総理大臣村山富市が「閣議決定に基づき」発表した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明。一般に『村山談話』として知られる。

日本が戦中・戦前に行った「侵略」や「植民地支配」について公式に謝罪した談話であり、以後の政権にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解としてしばしば引かれる。

ところで、閣議(かくぎ)とは、内閣の職権行使に際して、内閣総理大臣が主宰し、その意思を決定するため開く国務大臣の会議のことである。

閣議は内閣法4条で規定されたものだが、会議の手続きについては定めがなく、慣行によっている。閣議には毎週火曜日と金曜日の午前中に開かれる定例閣議と、必要に応じて開く臨時閣議があり、原則として全閣僚が総理大臣官邸閣議室(国会期間中は国会内の閣議室)に集まって行われる。

閣議の意思決定には閣議決定、閣議了解の2つがある。内閣としての意思決定を閣議決定。本来は主務大臣の管轄事項だが、その重要性から閣議に付された案件に対する同意としての意思決定を閣議了解。


いずれにしろ行政府の長たる内閣が決定した「内閣の方針」であるから、国家公務員は「閣議決定」を遵守(じゅんしゅ)する義務を負う。自衛隊員も国家公務員だから当然である。

その閣議決定が、明らかな誤謬であっても遵守しなければならない。国家公務員は政府の雇われ人だから当然である。反対の意思表示をして実行行為の及べば、それはクーデターであり、処罰される。

したがって国家公務員は国会や内閣の方針に不満ならば、然るべき意見具申の方法は用意されるも、最終的には雇用関係を解消する以外に方法は無い。辞めるしかない。

今回、田母神空幕長の意見発表は「意見具申」と解釈する向きもあるが、違う。雑誌の懸賞論文への応募は、雑誌の読者たる「不特定多数」者に対する意見の「開陳」に過ぎずどう斟酌しても、内閣に対する意見具申ではない。

また田母神氏は閣僚ではなかったのだから閣議への意見具申の有資格者でもなかった。甘えさせる意見は控えるべきだろう。

<自衛隊は、高度な部隊行動能力を身につけて初めて任務を遂行できる組織体である。隊員は規律厳守の義務〔法令(憲法、法律、政令、各種規則、極秘のマニュアルなどを含む)を順守し、命令に服従する〕を負わされている。

日本国憲法は、特別裁判所の設置を認めていない(第76条第2項)。このため、防衛省・自衛隊は、隊員(文官を含む)に任命するとき、「宣誓書」に署名する契約を結ぶことによって規律を保持することにしている。規律違反に対する罰則は、他の公務員等より重いものとなっているが、旧軍刑法や諸外国の例には及ばない。処遇は一般公務員に準じている。

緊急事態において、一致団結、規律を厳守し、任務を遂行できるように指揮・指導・訓練するのが、各段階における部隊の指揮官・部隊長、これを補佐する幕僚の責務である。>(元防衛施設庁長官宝珠山 昇氏。「頂門の一針」1379号)

しかし、閣議決定は最終的なものではない。その後国民の理解を得て世論が変われば、閣議決定といえども絶対的なものとはいえなくなる。

先輩に聞かされた話だと、いまNHKが建っている場所は、元々は代々木練兵場、敗戦後は米軍家族のアパート群が置かれた「ワシントン・ハイツ」だったが、わが国の独立に伴う返還後は「閣議決定」により「如何なる建造物をおかず、公園とする」とされた。

ところが、それまで新橋駅近くの内幸町のあったNHKがTV放送開始に伴う狭隘化のための都内移転を計画、代々木公園内を候補地とし、内閣に打診を始めた。

池田勇人総理大臣への打診を任されたのは当時、自民党池田派担当記者だった島 桂次(のちにNHK会長)。池田の返事は(閣内でNo.2だった)「河野一郎大臣さえ決定変更に同意するならOKだ」った。

そこで当時、河野派担当記者だった飯島博(故人)が河野を打診の結果、OK。かくてNHK放送センターは現在地にある。この間、NHK以外の新聞、放送各社は知ってか知らずか「沈黙」を決め込んだ。だからと言うわけでもなかろうが、新聞各社の国有地払い下げに各社は「沈黙」する。

したがって「閣議決定」と言う「重し」の付いた「村山談話」でも、世論の変化を盾として「決定変更」を図る事は可能である。だが、これに対する韓国と中国の「反応」を考慮すると、安倍内閣でも唯々諾々と「踏襲」、麻生内閣も踏襲したように、政治的には相当大きな決断を要する問題である。

今回、田母神空幕長論文問題で、村山談話に立ち返ることなく、さっさと同氏更迭で問題を処理した理由はここにある。しかも、これに踏み切る強力な内閣の出現をいまは予想できない。国民は自分たち以上レベルの政府を持つことができないのだとすれば、内閣と国民は同罪である。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・11・14


2008年11月14日

◆●●党への慰労金2兆円

渡部 亮次郎

<判断丸投げに反発=給付金の所得制限−市町村

「無責任」「誤った政策だ」「いいかげんな制度」「言語道断」−。定額給付金に所得制限を設けるかどうかを個々の市町村に委ねると政府・与党が12日決定したことに対し、判断を丸投げされた格好の市町村は一斉に反発した。

佐賀県多久市の横尾俊彦市長は「国は発案者としての責任ある主体性を発揮すべきだ」、浜松市の鈴木康友市長も「再考していただきたい」と憤慨。高知県安芸市の松本憲治市長は「地方の市町村でそんなに所得がある人はそういない」と、所得制限を設けない意向を示した。札幌市の上田文雄市長も「混乱や市民間の感情的な対立を引き起こす可能性がある」と、同様の考えだ。

人口が多い大都市は給付事務の混乱を懸念し、東京都杉並区の山田宏区長は「自治体として当惑している」とコメント。別の区の課長も「きちんと所得制限をするのは事務的に極めて難しい。本人の自己申告に頼ることになるだろう」と、実際には機能しないことを逆説的に説明した。> 11月12日16時49分配信 時事通信

末端の役場職員は不満たらたらだ。
<定額給付金の所得制限を市町村の判断に任せる、という報道がありました。

「地域振興券」のときには給付条件を確認するために「地域振興券」の印刷や受付、問い合わせ対応で役場職員総出で準備をし、窓口がかなり混乱したことを思い出しました。

一律1万円給付、という発想はそういう混乱を避けようとしたのだ、ということでは「定額給付金」そのものの是非とは別に現場は前よりやりやすい、ということでは評価していました。

しかし、今回の「定額給付金を市町村の判断に任せる」という報道にはびっくりしました。

このままでは、国の為政者は地方分権の名の下に、地方の行政に対して段々と無責任になっていくのではないか?とさえ思えます。

むしろ、「定額給付金の所得制限を市町村の判断に任せる」くらいなら、「人口割りで地方交付税に加算」したほうがましです。

人口1万人程度の町で、ここ数年(小泉改革のお陰)で地方交付税は6億円くらい減収になっています。

50億円程度の予算規模で約6億円の減収は通常の改革努力を超えています。

1億円交付税が増えれば一息つけます。

いずれにしろ「地域信仰券」は筋が悪い発想です。>(青森県内役場職員)

ある読者は怒り心頭だ。
<今度の定額給付金騒ぎ、最終結論は地方へ丸投げとなった。

テレビに出てくる顔ぶれの面々、公明党の代表たちは「してやったり」と余裕の戦勝ぶりを誇っている。自民党の政府関係者たちは、右往左往で、まるで彼らのシモベとも見える迷走振りである。

過去にも公明党の言いなりになってやった地域振興券が何の効果もないバラマキであったにも拘わらず、またもや言いなりになって同じ愚を犯す迷走振り、懲りない面々とはこうした人たちを言うのだろう。

ある人たちが言っていたが、そんなカネがあるんだったら介護の現場、救急医療の現場に回して、キチンと対応できる体制にした方が余程まともな政治になるとのこと。

自分たちの評価を下げる愚作に血道を上げるより、さすがは「麻生内閣」だと言われる政策に頑張ることだ。邪魔なものは排除しても、それを実行すれば選挙も大勝利です。最初から人に頼ろうとするから、碌な事がないのです。>(なみお)

「なみお」氏も気づいたように、これは公●党から創●学会へのお歳暮であり、●明党へは自民党からの「謝罪金」。いうなれば自民党から●価学会への「慰労金」でなくて何であろう。

●価学会は、2009年夏の都議会選挙に全精力を注ぐよう「上部」から圧力がかかっているため、組織内の「体力回復」を考慮して、衆院の解散・総選挙を年内に済ますことが大命題だった。●明党が早期解散を執拗に迫ったのは、そのためである。

これに対して自民党は「11月30日投票」を一旦は約束しながら「反故」にしてしまった。秘密調査で「敗戦)間違いなしとでたことが理由だが、いつの間にか世界的金融危機を理由に摩り替えた。

そこを●明党から厳しく追究されたものだから、景気対策に名を借りた●価学会員のための「撒き餌」たるバラマキ給付金に唯々諾々と応じざるを得なかった。低所得層たる「●会員」への支給額を厚くしようと、●党側が高額所得者への制限にしつこく拘ったことを見れば真相は歴然である。

これは定額給付金でもなんでもない。●たちに対する自民党の「みかじめ料」である。みんな懐にしまってしまうから肝腎、景気対策にならぬ事、前回と同様である。役場職員(自治労)の恨みを町長(自公)が買うだけ自公は損する。

私は某社の初代●党担当記者にして初代●学会担当記者だった。いまは各社とも●ガ怖いから真相を記事にできない。この記事を読まない人は永遠に解らない。
2008・11・13

2008年11月13日

◆宝珠山元長官の正論

渡部亮次郎

田母神空幕長が投じた論文が麻生政権の方針に反するとして更迭された問題について私は異論がなかったので発言しないできたが、自衛隊に言論の自由があるべきだという論が出てきたので黙っていられなくなった。

自衛隊は日本国憲法に保証されていない。昔流に揶揄すれば「妾の子」である。また憲法は第9条で武力行使を禁じているから、自衛隊は戦意なき軍隊。戦うことの無い軍隊。インポテンツである。

戦意、戦場なき軍隊は戦死することもないはず。そのように遊びの集団だったら言論の自由が許されてもいいだろう。田母神氏も、そんな雰囲気の中で、つい、政府に対して行なった入隊時の「宣誓」を忘れてしまったらしい。

この点について防衛省で官房長、防衛施設庁長官などを歴任した宝珠山昇(ほうしゅやま・のぼる)氏の所信(花岡信昭メールマガジン 08・1112号)は田母神氏を厳しく批判している。宝珠山氏自身、「談話」を出した「総理が阿呆だから」が失言となり退職に追い込まれた人である。その人が今度の処分を支持しているのだ。

防衛省、自衛隊の幹部としての基本的姿勢のあり方を説いたものだ。「田母神問題」をめぐる主宰者の立場と同様、その真摯なお考えは傾聴に値する。

<「法令順守」は自衛隊の生命

【要旨】法令順守即ち規律の順守と命令に対する服従は自衛隊の生命である。田母神氏は自衛隊の最高指導者群に列しながらこれに違う行為をした。これを慫慂するが如き論議は国益を著しく損なう。

自衛隊は、高度な部隊行動能力を身につけて初めて任務を遂行できる組織体である。隊員は規律厳守の義務〔法令(憲法、法律、政令、各種規則、極秘のマニュアルなどを含む)を順守し、命令に服従する〕を負わされている。旧日本軍は、重い刑罰を科すことができる軍事特別裁判所を運用し、厳しい教育訓練、厚い処遇などによって、高い規律を確保していた。

日本国憲法は、特別裁判所の設置を認めていない(第76条第2項)。このため、防衛省・自衛隊は、隊員(文官を含む)に任命するとき、「宣誓書」(後記参照)に署名する契約を結ぶことによって規律を保持することにしている。規律違反に対する罰則は、他の公務員等より重いものとなっているが、旧軍刑法や諸外国の例には及ばない。処遇は一般公務員に準じている。

緊急事態において、一致団結、規律を厳守し、任務を遂行できるように指揮・指導・訓練するのが、各段階における部隊の指揮官・部隊長、これを補佐する幕僚の責務である。

自衛隊員の宣誓「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。」(根拠法令:自衛隊法第52条及び53条及び自衛隊法施行規則第39条)

田母神氏は、これを率先垂範すべき最高指導者群に列しながら、自衛官に任官するとき署名した「宣誓」、即ち、国との契約に反した行動を取るという大きな誤りを犯したのである。

その1つは、自衛隊員が職務に関連する意見などを公表するときには文書をもって承認を得ることとされている内部規律を、周辺の諫言をも無視して、守らなかったことである。

これは、それがいかに軽度なものであれ、最高指導者としては「脇が甘かった」、「手続きミス」等では済ませられない、重大な失態、自覚不足といわざるを得ない。仮にこれが下部組織に蔓延すれば、自衛隊は任務を達成できなくなるのみならず、旧帝国軍と同じ道に進む危険性をも孕むものである。

2つ目の反則は、反政府言動とも解される恐れのある主張を公表したことである。これは悪意に解すれば反体制行動を扇動するものともなるもの。

その影響は、意図するにしろしないにしろ、階級社会であればあるほど、発言者の地位が上がれば上がるほど、閉鎖社会であればあるほど、大きくなるものである。彼は国の武力集団の指導者としての自覚・自制を欠いていたことになる。

言うまでもなく、「自虐史観」、「東京裁判史観」、「村山談話」等への批判を展開し、日本の独立度の向上を図ることは自由であり、小生も歓迎している者の一人である。

しかし、これが武力集団の構成員である自衛官を宣誓や規律違反も恐れない行動に誘導・扇動することとなれば、著しく国益を害する。論者がこの点に関しても配慮されることを希望・期待する。(2008.11.11:宝珠山 昇 記)>

麻生太郎首相は2008年10月2日の衆院本会議で、日本の過去に対する反省と謝罪を明確にした平成7年の村山富市首相談話への認識を問われ、「いわゆる村山談話と平成17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」と述べた。

社民党の重野安正幹事長が「『村山談話』を受け継ぐか」と質問したのに答えた。
政府が3年前に閣議決定し、小泉首相(当時)が戦後60年を迎えるに当たり出した「小泉談話」は、村山談話の内容を踏襲しつつ、「国策を誤り」「国民を存亡の危機に陥れ」との表現を避け、アジアとの「未来志向の協力関係」に力点を置いていた。

村山談話は、「村山」と個人名を冠して呼称されることが多いが、閣議決定を経た談話であり、村山個人の私的な見解ではなく、当時の政府公式見解である。

政権の主が日本社会党党首であったにしろ、自民党とのれっきとした連立であったのだから、自民党も責任を負うべき談話である。当時、日本を取り巻くアジア情勢が如何なる状況であったにしろ、綸言汗の如し。総理が一度口にした言葉は取り消しが利かないのである。

したがって田母神発言を支持する人たちが非難すべきは村山談話ではあっても防衛省の問題処理方法であってはならない。これら大方の論は感情に流れ「法令遵守」「宣誓」「契約遵守」と言った問題の「ハード」部分を無視した誤謬である。

1995年8月15日の戦後50周年記念式典において、村山首相(当時)は「閣議決定」に基づき、日本が戦前、戦中に行ったとされる「侵略」や「植民地支配」について公式に謝罪した。この『戦後50周年の終戦記念日にあたって』と題する談話(「村山談話」)は日本国政府の公式歴史見解として扱われており、歴代政権に引き継がれている。

小泉内閣においては、2005年8月15日に小泉純一郎が村山談話を踏襲した「小泉談話」を発表した。安倍内閣においても、2006年10月5日に安倍晋三が「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」「国として示した通りであると、私は考えている」と語り、政府として個人として村山談話を受け継いで行く姿勢を見せている。

これ以後も保守系議員などにより村山談話とは見解を異にする内容のコメントが発せられ、その度に中国、韓国の政府から反発が起きた。

「日本は戦後、戦時中におこなったとされる侵略行為については当事国に公式に謝罪し補償も済ませているのでこれ以上の謝罪論は不要である」との批判がある一方、逆に「この談話は結局のところ『戦争に日本政府は巻き込まれた。悪いとは思うが仕方がなかった』という立場を表すに過ぎない」との批判もある。

なお、村山談話の中では、日本は「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」とされている。この表現に対し、村山は「戦争が終わった時点で国内的にも国際的にも(昭和)天皇の責任は問われていない。

談話の『国策を誤った』ということをもって(先帝)陛下の責任を云々するつもりはない」と述べており、村山談話は昭和天皇の戦争責任を追及するものではないと明確に示している。

さらに、具体的にどの内閣の誰が「国策を誤」ったのかについては、「どの時期かについて断言的に言うのは適当ではない」と述べており、どの内閣に責任があるのかについても明示はされていない。参考『ウィキペディア』2008・11・12


2008年11月12日

◆風邪とインフルエンザ

     
渡部 亮次郎

2008年10月、東京ではインフルエンザの流行が始まり、学校の学級閉鎖のニュースが聞かれるようになった。

日本などの温帯では冬期に毎年のように流行する。通常、11月下旬から12月上旬頃に最初の発生、12月下旬に小ピーク。学校が冬休みの間は小康状態で、翌年の1―3月頃にその数が増加しピークを迎えて4―5月には流行は収まるパターンである。

区役所の奨めで2008年も10月中旬に近所の医院でインフルエンザの予防接種を受けた。ここ20年で、風邪は1度しか引いたことはないが、インフルエンザは風邪とは別物らしいから奨めに応じた。

インフルエンザは風邪(普通感冒)とは異なる。インフルエンザ(Influenza)はイン「フルエンザウイルス」による急性感染症の一種で流行性感冒(りゅうこうせいかんぼう)、略称・流感(りゅうかん)ともいう。

発病すると、高熱、筋肉痛などを伴う風邪の様な症状があらわれる。症状は似ているが黴菌の種類が違う。いずれ、合併症としての肺炎とインフルエンザ脳症があり、ごく稀に急性脳症や2次感染により死亡することもあるというから老人にとっては只事ではない。最近は略して「イン
フル」と言うらしい。

インフルエンザウイルスにはA・B・Cの3型があり、このうちA型とB型がヒトのインフルエンザの原因になる。

予防の一般的な方法として最も効果が高いのはワクチンを使用した予防接種である。A型インフルエンザはとりわけ感染力が強く、症状も重篤になる傾向がある。 稀にA型、B型の両方を併発する場合もある。

現行の皮下接種(注射)ワクチンは感染予防より重症化の防止に重点が置かれた予防法であり、健康な成人でも感染防御レベルの免疫を獲得できる割合は70%弱(同時期に2度接種した場合は90%程度までUP)である。

感染経路は咳・くしゃみなどによる飛沫感染が主であり、口・鼻から呼吸器系に感染する。ただし、飛沫核感染(空気感染)や接触感染など違った形式によるものもある。

予防にはマスクが大変有用であり飛沫感染に対しては特に効果的であるが、形状や機能性などによっては完全に防げない場合もある。マスクだけでは接触感染を防ぐことができないため、手洗いなどの対策も必要である。

潜伏期間は1―2日が通常であるが、最大7日までである。 感染者が他人へウイルスを伝播させる時期は発症の前日から症状が軽快してのちおよそ2日後までである。症状が軽快してから2日ほど経つまでは通勤や通学は控えた方がよい。

インフルエンザと人類との関わりは古く、古代エジプトにはすでにインフルエンザと見られる病気の記録が残っている。最も重大な転機は1918(大正7)年から翌」1919年にかけて発生したスペインインフルエンザの世界的な大流行(パンデミック)である。

古老はこれを「スペイン風邪」というからインフルエンザでは無いと思っていたが、正確には「スペインインフルエンザ」だったのである。感染者数6億人、死亡者数4000―5000万人(さらに多いという説もある)にのぼり、第1次世界大戦終結の遠因ともいわれる。

このスペインインフルエンザ以降も、インフルエンザは毎年継続して感染流行を起こしている。また、さらに数年から数十年ごとに新型のヒトインフルエンザの出現とその新型ウイルスのパンデミックが起こっており、毒性の強い場合は多数の死者が出る。

近年は新型ヒトインフルエンザのパンデミックが数十年起こっていないこと、死亡率の減少などから「インフルエンザは風邪の一種、恐れる病気にあらず」と捉える人が多くなったが、これは誤解である。

インフルエンザの症状はいわゆる風邪と呼ばれる症状の中でも別格と言えるほど重く、区別して扱う事も多い。また、パンデミック化したインフルエンザは人類にとって危険なウイルスである。

日本では江戸時代に長崎から持ち込まれたインフルエンザウイルスが幾度か全国的に流行し、「お七かぜ」「谷風」「琉球風」「お駒風」など当時の世相を反映した名称で呼ばれた。

古くから風邪、風疫とされるとおり、悪い風が吹いて人々を病気にするという認識があった。幕末にはインフルエンザの名称が蘭学者より持ち込まれ、流行性感冒と訳された。

「インフルエンザ」の語は16世紀のイタリアで名付けられた、「影響」を意味するラテン語:influentia(英語でいうinfluence)にちなんでこの流行性の感冒をインフルエンザと名付けた。この語が18世紀にイギリスで流行した際に英語に持ち込まれ、世界的に使用されるようになった。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・11・08

2008年11月11日

◆米国の天皇陛下「GM」

渡部亮次郎

アメリカをよく知る知人たちは落ち目の三度笠GM(ゼネラルモーターズ)こそがアメリカの象徴だという。マッカーサーの作った日本国憲法では日本の象徴は天皇陛下である。するとGMはEmperorなのか。米国のEmperorが薨去遊ばすというのでは大変だ。

ケチな個人感情を言えば大気汚染、地球温暖化、捕鯨反対の影の主役こそGMだった。そのくせ、小回りの利く日本を軽く見て、馬鹿でかいガソリン撒布車ばかりを作り続けて、遂にといおうか、やっとといおうかアゴを出した。『驕れる者 久しからず』と言う諺はアメリカの経営者哲学には存在しない。

2007年の自動車販売台数は、トヨタ自動車グループと僅差で世界一であったが、ガソリン価格の高騰、サブプライムローン問題の顕在化の影響で、北米での売上が大きく落ち込んだ。

その結果、2007年度決算で3兆円という途方もない額の赤字を生むこととなった。また、2008年上半期では販売台数世界一の座も明け渡している。

巨額の年金・退職者医療の債務を抱え2008年現在6兆円を超える債務超過に陥っている。株主配当も停止されており、金融市場から債券発行による資金調達も困難な状態になっている。環境対応車開発を名目にアメリカ政府に低利融資を求めている。

しかし、2008年11月2日のニューヨークタイムズは、「財務省がクライスラーとの合併に必要なリストラ費用100億ドルを2008年金融安定化法から支出することを10月31日に拒否した」と報じた。

2008年10月のGMの新車販売台数が前年同月比45%減になる状況での決定である。他はフォード30%、トヨタ23%、本田25%、日産33%、クライスラー35%減であった。

2008年9月末7―9月期の売上高は前年同期比13%減の379.41億ドル、債務超過額は599億ドルで、6月末の570億ドルよりさらに拡大した。手元資金は6月末の210億ドルから9月末に約160億ドルに減少し、09年上半期には事業継続が難しくなるだろうと見られる。クライスラーとの合併協議を中断した。

格付け会社S&PはB-からCCC+に格下げし、見通しもネガティブとした。

私に強く印象に残るのはオーストリア生まれの経営学者・社会学者ピーター・ドラッカーがGMを研究した好意的な著書「会社という概念」(1946)で書かれた「戦後期には組織・事業・目標を見直す必要がある」という穏健な記述に対してGM内部が憤激で応じたことである。

「GMは世界一なのだから、批判はもってのほか」という理屈。だがドラッガーはGMの最上層部(「14階」)には自動車産業運営の知識と経験と能力がないとも書いている。

また、著名なジャーナリストのデビッド・ハルバースタムは『覇者の驕り―自動車・男たちの産業史』(原著1986年)で、GMをはじめとするビッグスリーが驕り高ぶり、その結果として日本車の攻勢に徐々に敗れていく姿と、それでも改革を拒む姿勢をいきいきと描いている。

学者や識者と言った人たちは企業や経営を長い目で見ているのに、アメリカの経理者は四半期(3ヶ月)でしか判断しないのである。だから学者は将来の倒産が予測できて対策も助言できるが、経営者は目先の利益しか見えないから言う事を聞かない。

残る提携関係の現状
トヨタ自動車―カリフォルニア州での合弁事業(NUMMI)、燃料電池車の開発など。
BMW、ダイムラー ハイブリッドシステム「2モードハイブリッド」の3社共同開発など。

既に手を切った関連企業
富士重工業→資本提携解消。保有株式の一部をトヨタ自動車へ売却。
フィアット(イタリア)→資本提携解消
いすゞ自動車→資本提携解消(のち保有株式の一部を伊藤忠と三菱商事が取得)。ただし業務提携関係は維持。

出典;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・11・09




2008年11月09日

◆ハンカチーフの日

               渡部 亮次郎

そんな日があろうとは思いもよらなかったが、文化の日の11月3日だそうである。何でも、様々な形だったハンカチーフを、夫のルイ16世をせっついて「正方形にすべし」との法令を出させたマリー・アントワネットの誕生日(11月2日)に近い祝日を、日本ハンカチーフ連合会が1983年に制定した。

ハンカチ (handkerchief) とは、主に身だしなみとして日常的に用いられる、通常は四辺を一にする正方形の布のことだが、育ちのよくない私は大学生になるまで持たなかった。

歌謡曲「高原列車は行く」で作詞家の丘灯至夫(おか・としを)は歌手の岡本敦郎(おかもと・あつを)に「汽車の窓からハンケチ振れば」と唄わせているところを見ると、戦前は「ハンケチ」と呼ばれていたらしい。「ウィキペディア」でも「ハンカチーフの省略形であり、ハンケチと称されることもある」と説明している。

芥川龍之介の『手巾』。手巾はハンケチと読む。

ハンカチの起源は遥かに遡り、紀元前3000年頃のエジプト文明の頃には存在していたとされる。飾りの施された麻製と思われる布の発掘が認められ、ハンカチがこの時代の身分の高い人物の持ち物であったことが推測された。

ルイ16世王妃マリー・アントワネット以前のハンカチの形態は円形や長方形など様々であり、貴族たちが刺繍や豪華な飾りで贅を競う持ち物のひとつでもあった。なぜ正方形に統一させたかの理由は調べても判らなかった。

日本におけるハンカチの普及は洋装が導入された明治時代以降。しかしわが師・政治家の園田直(そのだ すなお)は如何なる時でもハンカチで顔を拭く事は絶対しなかった。「新聞に写真を撮られて、泣いたと誤まった説明を付けられる」と言った。

彼は変わっていて、絹のポケット・チーフを上着の胸ポケットに入れるのだが、端に付けられた印をわざと見えるようにした。細かい事に頓着しない人との印象を与えるため、と言った。少々呆れた。それだけ頓着する「小心」「細心」な人物だった。

ハンカチの素材は綿、絹及び麻(リネン)など吸水性に優れた織物素材が主に用いられる。近年の清潔志向を反映し抗菌加工を施した素材もある。

徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』で、プラットホームで別れる場面で振られるハンカチは忘れがたい。

映画『幸福の黄色いハンカチ』は主演 高倉健、倍賞千恵子。倍賞の父上は秋田県花輪の人。

歌『水色のワルツ』(藤浦洸作詞、高木東六作曲)では、水色のハンカチが重要な位置を占める。歌唱二葉あき子。高木東六の数少ない歌謡曲作品。」高木は演歌と古関裕而を死ぬまで嫌った。古関が軍歌の作曲を多くしたからである。

歌『赤いハンカチ』(歌:石原裕次郎)1962年のヒット曲。「アカシヤの花の下で」で始まるので札幌からヒットした。

歌『木綿のハンカチーフ』(松本隆作詞、筒美京平作曲、歌:太田裕美)1976年のヒット曲 。32年前だ。

絹製のハンカチ(シルクと呼ばれる)は奇術の小道具として用いられる。昔、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎が岸内閣の外相として入閣し、政界入りしたとき、評論家の大宅壮一は「絹のハンカチを雑巾にした」と言って喝采を浴びた。

アマチュアレスリングでは、競技に際して選手は必ず白色のハンカチを携行しなければならないルールがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
                        2008・10・31


2008年11月07日

◆自由民主党の耐用年数

渡部亮次郎(全国版メルマガ・「頂門の一針」主宰)

私は日本社会党支持者の両親から生まれたが、学校や記者生活を通じて,いわゆる革新政党所属政治家のいやらしさを徹底的に見せ付けられたので、両親とは反対の政治行動をとってきた。自民党内閣(福田赳夫)の外相や厚相の秘書官を勤めた事もある。

自由民主党は私が大学在学中の昭和30(1955)年11月15日、当時の自由党と日本民主党が合併して成立した。戦前の2大政党の1つである「立憲政友会」の流れを汲んでいる。

民主党を率いていた革新官僚上がりの岸信介は初めからマッカーサー憲法の改正を主張。それまで吉田茂に率いられていた自由党は経済優先主義の立場からそれには積極的ではなかった。

それでも戦後の一時期を除いて自民党は結党以来ほぼ一貫して議会で多数を占め、与党の立場にある。しかし2008年で既に結党以来53年。対米追従型の親米保守政党は耐用年数がきたのか、いずれも離党して行った小沢一郎や初代総裁の孫鳩山由紀夫から政権交代を迫られている。

これに対し、総裁・総理大臣に就任したばかりの麻生太郎は、毎日新聞に依れば10月13日夜、帝国ホテルの会員制バー。極秘に公明党の太田代表を呼び出して「総選挙は11月30日投票でお願いしたい」と告げていた。民主党の押せ押せムードをはね返して勝てると思い込んだのである。

しかし、9月下旬に続いて自民党が実施した追加の選挙情勢調査で「自民党198議席」という衝撃的な予測が届いた。公明党と合算しても衆院の過半数には届かない、と出たので、結局、衆院解散は先送り。納まらない民主党は国会で硬直した態度で対決するようである。

かつては、地方の建設業界(ゼネコン)に対して一定の公共事業を発注するなど特定利権があるものの富の再分配政策(リベラル)を行い、地方の経済を回していくことを重視し、「一億総中流」を唱えるなど平等を重視する経済左派の「保守本流派」が主流であった。

農山漁村や小都市など地方を基盤にしており、新住民層が多い大都市やそのベッドタウンでは日本社会党(社会党)や日本共産党(共産党)と票の奪い合いが続いていた。自民党が頼っていた専業農家は絶無。公務員か会社員の「兼業農家」なのだ。

平成期に入ると経済不況でそれらの諸政策も行き詰まり国と地方も莫大な財政赤字を抱えるようになって建設族の「保守本流派」は人材を野党に流失(最近では郵政民営化問題で大量離党)して影響力を失い始めた。

近年の自民党(1990年代後半以降、特に小泉政権以後)は東京大都市圏を中心とする大銀行・大企業・外資系企業の利益を特に重視する金融族のネオコン型新自由主義派が圧倒的に主流となっているとされる。

また、旧来の地方の組織的動員よりも、東京のマスメディアを利用した大都市圏における候補者個人の大衆的人気に依存している面が大きくなってきている。

2000年代になると自民党は2005年衆議院の小泉郵政改革選挙でこそ大勝したものの、2007年には参議院選挙では民主党に惨敗した。小泉の構造改革路線により疲弊した地方の自民党離れによるものだった。

更に、公明党とその支持母体である宗教法人創価学会の選挙協力による組織的動員なしには選挙戦を戦えない不安定な状態になっているのが自民党の現状である。創価学会嫌いのため自民党支持を止めた人も多い。

自民党内部では早くから危機感が漂い、その都度、党改革の動きがあった。だが本格的なものはその都度、不発に終わっている。『ぬるま湯』に漬かりすぎ、出るに出られぬ『煮え切らなさ』がもはや体質と化しているのだ。

結党から21年経った1976年 6月25日 河野洋平ら6名[が離党、新自由クラブ結成。(だが、なんの発展的動きをしめせないまま10年後の1986年8月15日解党して終わった)。

この動きは自民党にとっては「綻び」に過ぎなかったが、決定的な傷は1993年6月23日、竹下派の小沢一郎ら44人の離党だった。その2ヵ月後、細川内閣が発足する核となった。自民党は初めて野党の悲哀を味わうが、村山党首を担ぐ事によって『自社』政権と言うあられもない姿で政権に復帰した。

長いこと「落ち目の三度笠」を続けてきた自民党。2007年 7月29日の第21回参議院議員通常選挙で、野党第1党である民主党に大敗。結党以来初めて参議院で第1党から転落、安倍、福田政権が政権を放棄して今日に至ったわけである。

とは言いながら、民主党の最大の弱点は党首に小沢を担がざるを得ない求心力の弱さである。小沢は自民党内から最初に離脱した新自由クラブが離脱の最大理由とした田中角栄体質そのものを特質としている。民主党は旧田中角栄党であり、さらに旧社会党と言う鵺みたいな政党である。だから小沢自身「民主党に政権担当能力は無い」と高言したではないか。

従って仮に政権を奪取してもすぐに対米姿勢など路線や感情の対立が始まる事は必定。野党に回った自民党からの仕掛けもあって政権発足後、すぐに政党再編成に逃げ込む事だろう。

国際情勢の急変は日本のそうした政変の連続を許しておく筈は無い。割を食うのは有権者という名の国民である。いずれにしても自民党の耐用年数は過ぎている。年金チョンボ、患者放置、親殺し,子殺し、等々がその証拠。だが、民主党はアテにならない。投票する政党が無い。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(文中敬称略)2008・11・03


2008年11月06日

◆オバマが勝ったから

渡部亮次郎({頂門の一針」主宰)

米大統領選挙は民主党の黒人候補オバマが4日(日本時間5日)、大勝利した。2008年3月初めには私のところにも、もともとヒラリーを降せないから「オバマは大統領にはなれない」とのアメリカ情報が届いていた。だからオバマの勝利は全く以って突如として起きた経済危機の所為である。

「それでもオバマが勝てない理由」と言いふらしていたのは、アメリカの黒人保守論客シェルビー・スティールであった。「A Bound Man: Why We Are Excited About Obama andWhy He Can’t Win」の著者。

スタンフォード大学のシンクタンク・フーバー研究所の研究員で、オバマの支持者なのだが、メデイアがオバマ優勢を言う中で冷静な分析をしていた。ヒラリーの反撃を早くから予見して、最終的には民主党大会でオバマは劇的な僅差敗北を喫すると断言していた。

しかし、オバマはヒラリーを降して民主党候補に躍り出た。対抗馬は共和党の古参上院議員マケイン。ベトナム戦争で捕虜となりながら虐待に耐えた「英雄」。国家安全保障問題のベテラン、とされ、オバマは「未経験者」扱いされた。

スティールが指摘しているのは、アメリカで成功する黒人は「挑戦型」か「取り引き型」の2つのパターンだという。オバマは「取り引き型」、芸能人やスポーツ選手として白人社会に受け入れられている黒人の大半がこれに当てはまる。政治家としてはコリン・パウエル元国務長官を挙げている。パウエルは暗殺を恐れて大統領選挙への出馬を拒否した。

これに対して「挑戦型」はジェシー・ジャクソンやアル・シャープトンといった市民権運動指導者であり、政治家としてはシンシア・マッキニー、キャロル・モーズリー・ブラウンら。

オバマの弱点は「取り引き型」なるが故に、白人社会に受け入れられ人気を得るための代償として政治的な意見を言うことがタブーになり、あたりさわりのない発言しかできなくなることにある。”変革”をいうが、内容がないにはそのためだという。

選挙期間が長い米大統領選では、オバマの雄弁だけで支持者を引っ張り続けるには限界がある、とも言われた。具体的な政策・理念が欠けるというわけだった。

スティールの論評とは別だが、オバマ旋風を見ているとジミー・カーターの再来という批評もあった。ジョージア州知事だったカーターは草の根運動で支持を集め、現職のフォードを破って大統領となった。

ワシントン政治の経験がない全く無名の候補が熱狂的な支持を集めた背景には、
ウォーターゲート事件による深刻な政治不信があった。対するカーターは素人故に「在韓米軍の撤退」など、出来もしないから約束を平気で言えた。就任後あっさり撤回した。

今回、米国民はイラク介入で失敗したブッシュを見て、その失望の深さが裏返しとしての熱狂となり「最も経験のない」オバマ期待を高めているという。

秋口ごろにオバマの弁舌は冴えを欠きそうになっていた。スティールの論評が当たりそうだった。

ところが、そこへ突然明らかになったのが経済危機。「経済」が主題となればマケインとオバマに差はなくなる。経済に無為無策だったブッシュ=マケインの図式はわかりやすかった。選挙戦の終盤になって、金融危機に対するオバマ氏のリーダーシップや提案が有権者から評価され、支持率が上昇した。

ロイター電によれば、出口調査では、有権者の6割が最優先課題として経済問題を挙げた。とすれば、マケインは「お呼びでなかった?」だった。

しかし、オバマへの支持は政策ではない。ただ未知であることへの期待である。だからカーターに似ている。そのカーターは大統領として有能ではなかった。イラン革命に対応できず、政治経験のなさをさらけ出して1期で共和党に政権を明け渡した。

政治記者の先輩・古澤襄さん(元共同通信社常務理事)に教えられたことだが、「国民の熱狂というのはその程度である。だから国民が全てを決める直接民主主義は危険だと昔から考えられている」。オバマとカーターの比較論は面白い。

北米担当のわが外務官僚は「対日姿勢に大変化なし」とのコメントを首相の揚げているだろう。本当のことを言うと、中国にいびられるから言わないのだが、
オバマのアジア外交は中国に重点があり、日本にはお座なりな付き合い士かしない筈である。だから「大変化」が来る。

それでも国民を安心(油断)させるべく「大変化なし」と発表するのが「外交」。それを信ずるのが馬鹿、信じないのが国民。2008・11・05
 

2008年11月05日

◆麻生首相は変心したのだ

渡部 亮次郎

毎日新聞(11月2日2時30分配信 )が「2晩にわたった秘密裏の自公党首会談は、麻生太郎首相がいったんは公明党に年内選挙を約束しながら、後に心変わりしたことに伴う亀裂の弥縫(びほう)場面だった」と暴いてみせた。

「解散時期は決めていない」と繰り返していた首相だが、実は違った。10月13日夜、帝国ホテルの会員制バー。極秘に公明党の太田代表を呼び出した首相は「総選挙は11月30日投票でお願いしたい」と告げていた。尤もこの記事全体が公明党首脳の暴露に基づいている事を明らかにしている

麻生太郎首相が太田代表に「11月30日衆院選」と明言した10月13日の夜、時間を置いて自民党の古賀誠選対委員長が首相の待つ帝国ホテルのバーに姿を現した。

首相が「10月末に解散し、11月30日投票でやろうと思う。選挙準備はできてるかな」と胸の内を明かすと、古賀氏は「大丈夫です」と答えた。首相はその日昼、自民党本部で選挙用CMの撮影をすませていた。

太田氏は翌14日、大阪市内で街頭演説し、雨にぬれながら「激しい衆院選が間近のようでございます。雨が降ろうとどうなろうと、私たちはひるまない」と声を張り上げた。自民党の細田博之幹事長や大島理森国対委員長には10日ごろに首相の意向が伝わっていた。

首相の考えを承諾した古賀氏だったが、9月下旬に続いて自民党が実施した追加の選挙情勢調査で「自民党198議席」という衝撃的な予測が届いた。公明党と合算しても衆院の過半数には届かない。古賀氏は「今選挙をやったら負ける」と確信し、首相に近い菅義偉選対副委員長に「総理に選挙を先送りするよう進言してほしい」と要請した。

後に潮目を変えたと評される10月16日、08年度補正予算が成立したその日の夜、首相は東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテルで腹心の中川昭一財務・金融担当相、甘利明行革担当相、さらに菅氏とひそかに会談した。

甘利氏は「いつやるのが一番いいか、あらゆるデータを分析して冷静に決めてほしい」と慎重な判断を求めた。中川、菅両氏は「政治空白を作るより、景気対策を求める国民が圧倒的に多い。在任期間2カ月半の首相になりますよ」と詰め寄った。首相は「うーん」とうなるだけだった。

翌17日、首相は党本部で選対職員らと各種世論調査の数字をさらに精査した。数字の厳しさを実感した首相は先送りを決断した。「解散先送り」の瞬間だった。

「我々の支持母体(創価学会)は簡単に選挙日程を変えるわけにはいかないんです。日程が頻繁に変わるのは困る。選挙協力をやる上でもよく考えていただきたい」

10月26日夜、グランドプリンスホテル赤坂の一室。公明党の太田昭宏代表は、北側一雄幹事長とともに首相に再考を迫ったが、首相は「国民の多くは今、選挙より景気対策を望んでいると思う」と繰り返し、論議は平行線をたどった。

28日夜の再会談を求めたのは太田氏だった。「金融サミットに行って日中印3カ国でアジア版ニューディール政策を打ち上げたら格好の選挙対策になる」と食い下がる太田氏に、首相は「やはりこの時期に政治空白は作れない。理解していただきたい」。

首相は自民党の細田、大島両氏に「早期に解散があるという言い方を変えるな」と指示した。

首相の意を受け、細田氏は18日夜、埼玉県川島町での講演で「麻生さんは解散して民意を問うて、勝利を収めて次の政策、景気対策を打ち出していくことが最も望ましいという考えを今のところ持っておられる」と発言。

大島氏も同日、青森県八戸市での記者会見で「首相が非常に強い思いを持つ追加経済対策が27日からの週に出る。その時点で明確に方針を示していただけるのではないか」と早期解散を強くにじませた。

解散について口をぬぐう首相、解散風をあおる幹事長という役割分担は、
この時期から定着し始めた。10月27日夜、首相は河村建夫官房長官、細田氏、大島氏、松本氏とホテルオークラの日本料理店で、先送り表明後の国会対策を協議した。大島氏は机の上に紙を広げ、総選挙の時期について「年末年始」「4月、5月」「任期満了」の3パターンを提示した。

河村氏は29日夜、党内各派閥の領袖に電話を入れ、30日の首相会見について「2次補正予算を提出するかどうかは言わない。解散についても何も言わない」と説明した。

「これだけ選挙の日程がくるくる変わった経験は初めてだ」と衆院事務局のベテラン職員が振り返る先送り政局は、こうして幕を閉じた。

麻生首相はやはり人間だった。揺れて迷っていたのである。これからもそうだろう。最大の誤算は自らの人気がさっぱり上がらないことだった。上がってくれれば解散をすぐやる心算だった。この先、上がるとも思えない。2008・11・03

2008年10月31日

◆麻生「したたか」

渡部亮次郎

今の総理官邸キャップは各社とも感度が鈍い。「解散」にはやるマスコミ各社の力みを逆手にとって「3年後に消費税引き上げ」を言明したのに、揃いもそろって各社の官邸キャップは質問一つしなかった。麻生に呑まれたのである。

<麻生首相は30日、首相官邸で記者会見して追加経済対策を発表し、「経済状況を見た上で、3年後に消費税引き上げをお願いしたい。大胆な行政改革を行い、政府の無駄をなくすことが前提だ」と述べ、消費税率引き上げを言明した。

衆院解散・総選挙の時期については「しかるべき時期に私が判断させていただく」と述べる一方、「国民の生活不安に応えるのが、優先順位としては一番だ」と述べた。>10月30日18時19分配信 読売新聞

こう速報した読売だけが気が付いたようである。情けない。麻生は「したたか」。小泉より余程、度胸が良い。麻生が逸材である事に気付かなかった私の不明を愧じる。

<引き上げ幅には言及しなかったものの、与謝野経済財政相は30日の記者会見で「一挙に5から10%のレベルにはなかなかいけない。10%になったら生活必需品は低い税率で据え置くべきだというのも有力な説だ」として、10%程度を目指し、複数の税率を設定する可能性に言及した。>Asahi Com 2008年 10月30日21時29分

マスコミの中でも特に朝日新聞は、麻生首相の意向を悉く無視して衆議院解散について無責任なデマを掲載するなどして、早期解散要求の民主党へのゴマすりに専念してきた。

流石に世界的な経済危機が始まってからは多少納まってきたが、30日の会見でも、各社は首相の口から解散日程を吐き出させようと浮き足立っていた。

これに対して麻生首相は、各社の躍起振りをかねてから見据え、経済対策について十分な説明をなし終える中で、消費税引き上げをさらりと言明し、もはや引き揚げを既成事実化することに成功したのである。

やんぬるかな、朝日新聞までが,与謝野大臣の言葉まで引用して、上げ幅10%とまで解説してみせる「サービス」。政府にとっては願ったり叶ったりの首相記者会見であった。

麻生・与謝野の呼吸は綿密に計算された合わせ方である。閣内を統率し、公明党を押さえ、自民党内を思い通りに引っ張ってゆく辣腕ぶりは大したものだ。父の多賀吉を超えたばかりか、政局運営の手腕は祖父の吉田茂をも超えているかも知れない。文中敬称略2008・10・30




2008年10月29日

◆時期を失した政治休戦

渡部亮次郎

<11月中旬には金融サミットも予定されている。世界経済に大きな責任を持つ日本が国内事情だけで総選挙をやるというのでは、国際社会に悪いメッセージを与えることになってしまう。

「100年に1度」あるかないかといわれる世界経済危機だ。民主党が政権担当能力を示す最もいい方法は、政治休戦に出て、自民党とこの金融危機に協調して対処することではないか。>(花岡信昭メールマガジン★★639号[2008・10・28])

さすが。産経新聞政治部長経験者だけあって、高所からの警告である。満腔の同意を表明するが、果たして民主党にこれだけの読みが出来る策士ありや、小沢に度胸ありや。無かった。

もたもたしていたわけじゃない。はじめから申し入れる意思も度胸もなかった。ただただ「解散しろ」と叫ぶだけで、「策」がなかった。麻生の作戦勝ちで納まりそうな雲行きだ。

<麻生首相 衆院選、年内は見送る方針固める

麻生太郎首相は次期衆院選の時期について、年内は見送る方針を固めた。世界的な金融危機が株価急落や実体経済に影響を及ぼしていることを踏まえ、解散により政治空白を作ることは好ましくないと判断した。

首相は30日にも追加経済対策を記者会見して発表する予定で、年内見送りをその際表明する。

与党の公明党が強く早期解散を求めていたが、首相は26日、同党の太田昭宏代表と会談した際、「国際金融情勢が大事な折、政治空白は作れない」と先送りを伝えた。

公明党の支持母体の創価学会は先送りを容認する方向になっている。>(10月28日2時30分配信 毎日新聞)

民主党に厳しいことを言うが、世界的規模の経済危機になぜ鈍感なのか。それとも経済危機の責任は政府、与党が被るべきで、野党たる民主党とは全く無関係な事なのか。

責任が無いなら経済危機に全く関心を払わないでいいというのか.そうでは無いだろう。

<最新の世論調査(日経)によれば、「解散よりも景気対策を」という声が63%に達したという。内閣支持率は48%、不支持率43%。政党支持率は自民41%、民主31%だ。

民主党の小沢代表は「国民の信頼を得た政権が経済対策をやるべきだ」などと、早期解散の必要性を強調しているが、どうやら、追い込まれているのは民主党のほうだ。>(花岡信昭メールマガジン★★639号[2008・10・28])

「解散よりも景気対策を」という声が63%にも達していたことに民主党が鈍感だった。経済を解る人がいない政党=民主党という図柄が浮き出てしまった。輿石日教組には無理としても小沢、菅、鳩山にそろって経済的知識が無かったとは、政権担当能力を云々されても文句が言えないだろう。

明らかに波目が変わっていた。それを小沢政局士が読めなかったと言う事だろう。まず日本でも株価の暴落が始まった日に民主党のほうから「政治休戦」を政府・与党に申し出ていれば、ここへ来ての政党支持率で自民党に10ポイントも離される理由はなかった。

それなのに、民主党危機存亡の時、小沢氏は顔中にマスクをかけて風邪を引いたの、入院だのと「明後日」の動きに終始し、民主党が理屈の政党で現実の政党でない、つまり政権担当能力の無い政党だということを露呈してしまった。

あのとき仮に小沢氏が麻生首相に会談を求め「麻生さん、経済がこの惨状だ。我々の衆院解散要求の正当性は降ろさないが、緊急事態に際し、この際、政治休戦を申し入れる」とやったらどうなったろう。

「さすが小沢だ。麻生の上を行く大政治家だ」と経済の仕組みが詳しくわからぬ人でも「敵に塩を贈った」と小沢に喝采した事だろう。外国ではいざ知らず、わが国においては歴史が変わるとき、人々を感動させるドラマが必ずあった。江戸城無血開城のドラマにも似た感激を民主党は国民に与えたであろう。

本当は小沢とて、この程度のことは考えたに違いない。だが、あのときのことが頭をよぎったので止めた。「大連立」に関する党内の未熟さである。菅も理数科、鳩も理数科。人間心理の絡む世論の方程式は殆ど1次しか読めない。また党内が揉めて混乱するだけだ。

<首相は、来年度予算編成の作業終了後に改めて解散のタイミングを探ることになる。

ただ、解散を先送りすることで、民主党が対決路線に転換し、インド洋給油活動を延長する新テロ対策特別措置法改正案など重要法案の審議に影響が出るのは必至。「ねじれ国会」に翻弄(ほんろう)され、麻生政権はレームダック化するとの指摘もある。>(毎日)
(文中敬称略)2008・10・28