渡部 亮次郎
韓国の人たちはニンニクをよく食べる。観光地慶州で私を担当した観光案内人は「だから韓国人は虫歯が少ないです」と自慢した。ホントかどうかは知らない。
そんなことを言っても郷里・秋田にいた子供時代は食べたことがなかった。明治生まれの母は利用する料理も知らなかったようだし、風邪に薬用ありと聞いても一家で誰も食べなかった。
例によって東京へ出てきて初めて出合ったようなもの。韓国では強精剤だからと、7個つながりを輪切りにした醤油付けを食べたら、夜中に胃痛を起こし、強精どころの話ではなかった。
調べてみるとニンニクには確かに滋養強壮の効果があり、栄養ドリンクや健康食品、一部の薬品にも使われる。生のニンニクの強烈な香りと辛味は、刺激が強過ぎて胃壁などを痛める場合があるが、この症状も主成分アリインの影響といわれる。
栄養主成分のアリイン、クレアチンなどは元来は無臭である。ところが刻んだ際に細胞膜が破れ中からアリナーゼなどの分解酵素が出て栄養成分を分解しアリシン・アリルスルフェン酸といった成分に変化する。これらが独特な臭いのモトである。
古代ギリシア人の間でも,ニンニクを口にしたものは神殿に入ることを許されなかった。一方,古代ローマ人も強臭を嫌ったが,強精な成分があるとして,兵士や奴隷には食べさせたといわれている。
原産地は中央アジアと推定されるが、すでに紀元前3200年頃には古代エジプトなどで栽培・利用されていた。日本には中国を経て8世紀頃には伝わっていたと見られる。
現在の栽培は近東方面から地中海地方,インド,アフリカ,中国,韓国に多く,アメリカにも広がっている。
日本では《本草和名》以後に記載がみられるところから,導入,栽培されたのは10世紀以前からのことといわれる。
中国や韓国から渡ってきたとみられ,品種には早晩性があり,〈遠州極早生〉〈壱州早生〉〈6片種〉〈佐賀大ニンニク〉〈香港〉などがある。繁殖は種球(鱗片か珠芽)で行う。9月に種球を植え付けて翌年5月に収穫する。
ニンニクは、僧侶が荒行に耐えうる体力を養うために食したとされ、その語源はあらゆる困難に耐え忍ぶという意味の仏教用語の「忍辱」とされる。「葷酒山門に入るを許さず」のクンシュの中には入るのじゃないのか。
日本の古代医術ではニンニクは風湿や水病を除き,山間の邪気であるところの瘴気(しようき)を去り,少しずつ長期にわたって食べれば血液を浄化し,白髪を黒くするほか,生で食べれば虫蛇を殺す効能があるが,一度にたくさん食べると目を損なうとされていた。
ニンニクには強烈な異臭にまつわる俗信が多い。ヘビ,サソリ,疫病を駆逐する強力な薬草として古くから各地で用いられた。ハローウィーン(万聖節の宵祭)にはこれを戸口につるして厄を払い,ペスト流行時には死体を清めるのに用いられた。
吸血鬼よけの効能も,B. ストーカーの《ドラキュラ》などの作品でおなじみである。さらに大プリニウスは《博物誌》において,天然磁石をニンニクで擦れば磁力がうせると述べ,ディオスコリデスは《薬物誌》で,ヘビや狂犬による咬傷(こうしよう)や歯痛の特効薬としている。花言葉は〈勇気と力〉。
日本では江戸時代、その臭気により公家・武士階級では食べる事を禁止されていた。ニンニクが広く食べられる様になったのは明治以降である。
しかし、徳川家康は、茶屋四郎次郎に招かれ鯛の天ぷらにニンニクのすりおろしをつけたものが、たいへん美味かったので食べ過ぎて食中毒を起こし、死につながったとも言われる。
ニンニクは油脂によくなじみ、肉類のうまみを引き立てるので,日本でもスープ,いため物,煮込み物その他の肉料理などに多用され,洋風料理,中国風料理などの普及にともなって身近な食品になった。第2次大戦後のことである。
よく行く東京・向島の洋食屋ではメニューに「ニンニク揚げ」がある。必ずと言っていいくらいに頼む。加熱すると匂いが全くしなくなるから安心。しかし家で鰹の刺身に副えるニンニクは生でなくては効き目がない。
食べた後の匂いを防ぐためには、食後に緑茶を飲むと良いとされる。これは、緑茶の成分であるカテキンの殺菌、消臭効果による。また、牛乳やコーヒーを飲むのもよい。
水を飲むだけでも一定の効果があると言われている。なお、近年エジプト産のニンニクをもとにして、品種改良の結果、無臭ニンニクも流通している。
日本の主な生産地。青森県で70%を占める。田子町、十和田市などが多い。青森県内には特に高級品として知られるブランドがある。次いで香川県など。参考資料:平凡社「世界大百科事典」「ウィキペディア」
2007・06・25