2007年09月21日

◆麻生を阻んだ一言

渡部亮次郎

自治大臣・国家公安委員会委員長、自民党幹事長代理、内閣官房長官、自民党幹事長などを歴任した野中廣務氏は2003年10月政界を引退した。しかし今回2007年9月のポスト安倍の政局を仕切ったのは野中氏であった。

引退後も各種メディアを利用しての反小泉の活動を行っていたものの、このところマスコミに身を曝す事はなかったのに、今回の麻生攻略で作、演出、総監督を務めた。

一説では今度の政変劇の裏では宏池会(旧池田派)の権力闘争があった。策士・古賀誠氏に麻生氏はしてやられたドラマだったという解説は正鵠を射ている。

そもそもポスト安倍は麻生と喧伝された裏では、麻生殺しのシナリオがひそかに練られていた。多分、古賀氏がシナリオ作りをしたといわれたが、その実、裏にいた軍師野中広務氏が作並びに演出、総監督だったはずだ。

2000年秋、森内閣に対する与党からの不信任案をめぐる「加藤の乱」では、野中幹事長は加藤派の古賀誠(国会対策委員長)らと連携し、加藤派の多くを切り崩した。乱は無事終結したが野中氏は幹事長を辞任した。

その時が野中氏の真骨頂だった。堂々と後任に森総理をして無名に近かった古賀誠氏を充てさせたからである。誰にも有無を言わせぬ凄さが野中氏にはあるのだ。

野中氏は、かねて自身が被差別部落出身者であることを公言しており、その人生は徹底した差別との闘いでもあったと本人は語っている。

1925(大正14)年10月20日、京都府船井郡園部町(現南丹市園部町)生まれの野中氏だが、旧制中学卒業後、当時の国鉄で叩き上げ、地元の町議、府会議員の後が凄い。

共産党の蜷川知事に対抗馬を立てて勝利するや、自らが副知事となって京都府政を牛耳ったのだ。私はその頃、厚生大臣秘書官としてある案件をめぐって役人を介して野中副知事と交渉し、その凄さを知った。

中央政界への進出がそれだけ遅くなったが、世襲議員が要職の多数を占める自民党内で叩き上げの野中氏は特別な存在となり、あっという間に政局を動かし始めたのだった。

その野中氏に派閥を超えて親炙する古賀氏は加藤紘一氏の側近とも見られていたが、「加藤の乱」に際しては、当時幹事長職にあった野中氏の意向に沿って反加藤として動き、加藤氏と訣別して堀内派の結成に奔走した。

その派閥がいまや古賀派となったのだから野中氏の分析能力には舌を巻く。。

その野中氏が強烈な反麻生太郎になる事件があった。「麻生太郎による部落差別発言」事件である。

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2007年09月20日

◆古賀幹事長でいいのか

                      渡部亮次郎

福田総裁の下の自民党幹事長は元幹事長古賀誠さんだと夕刊フジが9月20日付で報じた。ことの行きがかり上、妥当な線だとは思うが、中国のために靖国を見限るという靖国神社総代・日本遺族会会長を先頭に自民党はどこへ向かうのだろうか。

2歳の時に父がフィリピン・レイテ島で戦死。女手一つで苦労する母親の姿を見て、政治家を志す。鬼丸勝之参議院議員の秘書を経て、1980年に衆議院議員に初当選。以来、連続9回当選。

私は鬼丸勝行さんは知っているが、当時から秘書だったという古賀さんとは面識がない。

古賀さんは野中広務さんとは派閥は違うが師弟関係にあるそうで、2000年には野中さんの「指名」で自民党幹事長に就任。本来、幹事長は総裁指名だが、当時、野中さんはそれだけの力があったということだ。総裁森喜朗氏は野中さんに頭が挙がらない事情があった。

ところで、野中さんかねてはご自身が被差別部落出身者であることを公言しており、野中さんの人生は徹底した差別との闘いでもあったと本人は語っている。

世襲議員が要職の多数を占める自民党内で野中さんは特殊な存在で、政治的には部落解放同盟との折衝や似非同和行為を取り締まる上で自身の出自を武器として利用した。

古賀さんは加藤紘一氏の側近とも見られていたが、「加藤の乱」に際しては、当時幹事長職にあった野中さんの意向に沿って反加藤として動き、加藤と訣別して堀内派の結成に奔走した。

「加藤の乱」とは2000年11月に第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)打倒を目指して与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした一連の政治行動のこと。別名は加藤政変・YK革命。

党幹事長の野中広務氏による党内引き締めにより、加藤氏の意図は失敗したが、翌年春の自民党総裁選での小泉当選への布石となった。

古賀さんは小泉純一郎政権下では道路公団民営化反対派の中核となるなど、野中、亀井静香氏らと並んで「抵抗勢力」側の代表的な政治家の1人とみなされるようになる。

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2007年09月17日

◆三段論法の2人だが

                        渡部亮次郎

三段論法(さんだんろんぽう ギリシア語 syllogismos)は、「大前提」「小前提」「結論」の三つの命題から成る推論規則である。アリストテレスによって整備された。

「大前提」に法則的に導き出される一般的な原理を置き、「小前提」に目前の具体的な事実を置き、「結論」を導き出す。

以下に三段論法の例を示す。

大前提:すべての人間は死すべきものである。

小前提:ソクラテスは人間である。

結論: ゆえにソクラテスは死すべきものである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

田中角栄と話していると、彼は「一段論法者」だったと今思う。「余は正義也」。己の信ずるところがすべて正しいのである。それを通すためにあらゆる小技を使ったが、小技を全く使わずに一段論法を通そうとするのが娘真紀子である。

ついでに言えば真紀子の子供たちは三段論法の信奉者らしいので、みんな真紀子の言う事は聞かない。田中ファミリーはアリストテレスによってバラバラになった。

三段論法。これこそは西欧である。明治の元勲はそろって三段論法を学ぼうとした。それこそが「先進国」の哲学と信じたからである。

東京大学はそれを教える場所として作られたものであり、そこで育成された官僚は国に起きるすべての事象を三段論法で処理した。

麻生太郎は学習院大学 ロンドン大学大学院(中退)、福田康夫は早稲田大学政治経済学部経済学科卒の経済学士だが、教えられた事は三段論法がベースになっていた。

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2007年09月15日

◆額賀福志郎の立場

渡部亮次郎

<出馬表明をしていた額賀福志郎財務相(63)=津島派=は14日、福田
氏と会い、出馬断念を伝えた。

額賀氏は所属する津島派の総会で出馬表明していたが、派閥実力者の青
木幹雄前参院議員会長は同日、額賀氏に出馬を思いとどまるよう電話で
説得していた。

(各派は14日の総会などで、福田氏支持になだれを打っている)。

町村派(80人)をはじめ、
古賀派(46人)
山崎派(38人)
伊吹派(25人)
谷垣派(15人)
二階派(15人)

額賀氏が所属する津島派(67人)も参院側の20人が、福田氏を支持する
立場の青木氏に対応を一任した。>9月14日11時48分配信 毎日新聞

又も不出馬に追い込まれた額賀氏。田中角栄氏はともかく竹下登元首相
に死なれてから政治的不幸に見舞われている。私は日米安全保障問題を
通じて知り合い、訪米も2回、一緒にした仲。周囲に細かい気遣いの出来
る、能力豊かな好漢である。捲土重来を期待する。

昭和53年(1978年)2月1日付けで産経新聞を退職し、同年12月、郷里の
茨城県議会議員選挙に行方郡選挙区から当選する。

選挙に先立ち地元の有力代議士であった橋本登美三郎に会い支援を得た。
当選後は、橋本の系列県議として活躍する。

昭和55年(1980年)の第36回衆議院議員総選挙で落選した橋本登美三郎
の後継者をNHKの海老沢勝ニ氏と争ったが、海老沢氏は実家が倒産という
悪条件のため断念。

昭和58年(1983年)第37回衆議院議員総選挙に旧茨城1区から立候補する。
自民党公認は得られなかったが、茨城県連推薦を得て、4位で当選する。
以後、当選8回。

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2007年09月14日

◆福田圧勝の悲劇

                          渡部亮次郎

以下の世論調査は、我々日本国民の政治レベルの低さを表しており、自民党内がこの「世論」に従うとなれば総裁選挙は福田康夫氏の圧勝であり、それはとりもなおさず「悲劇」である。

<毎日世論調査 安倍政権「評価しない」が74%

毎日新聞が7〜9日に実施した全国世論調査(面接方式)で、過去1年間の安倍政権を「評価しない」と答えた人は74%に上り、「評価する」は22%にとどまった。

首相のやったことのうち、間違っていたと思うものは「政治とカネ問題や閣僚の失言への対応」が44%で最も多く、次いで「参院選後の続投」の20%。内閣支持率が30%台に低迷していることに加え、政権の実績への評価が低い点も早期辞任を促したとみられる。>9月13日17時15分配信 毎日新聞

これを見る限り、安倍後継レースでは福田元官房長官の圧勝間違いなしだ。

毎日新聞の世論調査を詳しく見てみよう。

<「評価しない」と回答した人を支持政党別に見ると、野党支持層は民主91%、共産92%、社民88%などと高率で、「支持政党なし」と答えた無党派層も80%。

一方、与党支持層でも自民が51%、公明が59%に上った。

年代別では20代が80%で最も高く、30〜50代はいずれも78%、60代が69%、70代以上が61%で、若中年層で厳しい評価が目立つ。男女別では男性76%、女性71%だった。

首相のやったことについては「良かったと思うもの」「間違っていたと思うもの」をそれぞれ5つの選択肢を用意して質問。

「良かった」は
(1)「天下り規制など公務員制度改革」24%

(2)「年金記録漏れ問題への対応」23%

(3)「教育基本法改正など教育再生の取り組み」15%

(4)「中国、韓国との関係改善」13%−−の順。首相は憲法改正を政権の目玉に掲げたが、「改正手続きを定めた国民投票法制定」は7%にとどまった。

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◆機能性胃腸障害

渡部亮次郎

<安倍首相胃腸障害で最低3〜4日の入院必要…慶大病院
辞任表明した安倍晋三首相を検査した慶応大学病院(東京都新宿区)は13日午後、記者会見した。

主治医の日比紀文内科学教授は「首相は全身が衰弱している。体重も数カ月で約5キロ減った。機能性胃腸障害で、ひどくなると日常生活に支障をきたす」と説明し、「少なくとも3、4日の入院、安静加療が必要だ」と述べた。

首相は同日午前、同病院で検査を受けていた。首相は同日午後の自民党両院議員総会に出席したい意向を伝えたが、医師団が無理と判断したため、取りやめた。> 9月13日14時36分配信 毎日新聞

「機能性胃腸症」は新しい言葉だ。

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2007年09月13日

◆安倍辞任の真相

                         渡部亮次郎

<安倍晋三首相は12日、辞任する意向を固めた。参院選で惨敗したものの、内閣改造を断行することによって政権浮揚を図ったが、失敗したことが原因とみられる。これに関連し、麻生太郎幹事長は首相の辞意について「ずっと前から聞いていた。自分には求心力がないと言っていた」ことを明らかにした。

同日午後1時から首相の所信表明演説に対する各党代表質問が予定されていたが、自民党幹部は民主党幹部に対し「わたしは代表質問に出るわけにはいかない。健康上の理由だと首相が言っている」と伝えた。>9月12日13時33分配信 時事通信


<自民党の総裁選挙 19日に。

政府・自民党関係者によりますと、自民党は、安倍総理大臣の後継を選ぶ総裁選挙を今月14日に告示し、19日に両院議員総会を開いて、国会議員と自民党の地方組織の代表による総裁選挙を行う方向で調整することになりました。>NHKニュース9月12日 16時20分

真相は追々明らかになってくるだろうが、決定的な事は肉体的にも精神的にも限界点に達していた、という事ではないか。半生、精神力を鍛錬する「苦境」に立った事があったとは考えられない。

「参院選で負けても辞めない」は小泉全総理に刷り込まれた事であって、実際の重圧を予想し、自ら決意した事ではなかったはずだ。

私が総理辞意表明の前夜、財界筋から得た情報では、安倍さんの痩せ方が尋常では無い。最盛期より10Kgも痩せた、とのことだった。真相は不明だが、痩せて生気を失っていた事は事実である。

安倍周辺に通じている人の話によると、原因は腸が普通より短い事にある。すぐに消化不良と下痢を繰り返すため、ストレスが溜まるとたちまち痩せることになる。加えて精神力は元々無い。

麻生以外に相談した政治家は無いはずだ。あったとすれば小泉前首相だが、すれば「辞めるな」といわれるに違いないから相談しない。派閥を牛耳る森元首相や青木幹雄元参院自民党議員会長は参院選敗戦直後に辞任を勧めて断られた仲だから、今回は無関係。

おそらく「神のお告げがあったから安心してほっぽり投げられた」と周辺は言う。神とは母親にして祖父の一人娘洋子のことである。
晋太郎亡き後、晋三を総理にする事だけを夢見てきた人。

精神的苦悩で日に日に痩せて行く息子を見るに忍びなく、ついやさしい声をかけたのではないか。おそらく昭恵夫人も同様だったのではないか。

そこで2日前の10日に麻生幹事長とサシで会って、健康上の理由で辞意を匂わせていたようだ。当日の行動記録を読むと夕方5時26分から20分以上も会談している(院内大臣室)。

その一方で小沢民主党代表との党首会談に一縷の望みを託していたのだから、やはりお坊ちゃんというしかない。

こうして「政局」に突如なったわけだが、自民党の領袖たちの中で古賀誠はツンボ桟敷だった。この古賀はおそらく福田康夫に擁立を働きかけると見る向きは多い。これに対して旧経世会(津島派)がどう動くか。

森本首相と青木も福田擁立で動くだろう。だが福田が立たなければ、空振り。

麻生以外は立たない可能性もあり、と事情通。安倍の腹には麻生後継しかないが、後継を指名できる力は残っていない。文中敬称略。2007・09・12

 
<◆渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第930号>
       平成19(2007)年09月13日(木)
目次
・安倍辞任の真相:渡部亮次郎
・なんとも無念だ・・・:花岡信昭
・中国に撤去を要求:宮崎正弘
・待ったなし中国の汚水処理:平井修一

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(第930号)    発行周期 不定期(原則日曜日発行)
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    http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


2007年09月12日

◆安倍首相、突然の辞意表明

                        渡部亮次郎

<安倍晋三首相は12日、首相官邸で自民党の大島理森国対委員長と会談し、「首相を辞めるので、代表質問はできない」と述べ、首相を辞任する考えを明らかにした。
大島氏は民主党の山岡賢次国対委員長に電話で、首相の辞意を説明した。>Sankei Web (2007/09/12 13:00)

<首相は7月の参院選で自民党が惨敗した後も続投した。9日には訪問先のシドニーでの記者会見で、11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動の継続について「国際的な公約となった以上、私には大きな責任がある。職を賭して取り組む」との強い決意を表明。
活動が継続できなければ退陣する意向を示していた。>Asahi Com  2007年09月12日13時07分
<【安倍の自爆テロ】
テロ対策特別措置法に基づいたアフガニスタンにおける海上給油活動は「国際公約」であり、それを継続するために「局面を変えなければならない」と安倍総理は辞任を表明した。
自爆テロのようなもので、これで局面を変えたい、国際テロへの戦いを継続したいという思いだろう。吉と出るか凶と出るか。次期総理は麻生だろうか。>(平井修一)

<安倍さんがかなり痩せられた、という情報を11日夜、日本プレスセンターで聞いた。育ちが良くて正直な人は政治家には向かない。祖父の岸信介に比べれば父親の安倍晋太郎はお人よしといわれた。

いつの世も政治家はあくどい位の個性的が望ましい。しかし戦後教育
(アメリカの陰謀)は悪どい人材を輩出しないようになっているから本当の政治家よ出よといっても果て無き夢だ。>メイルマガジン「頂門の一針」9月12日号「身辺雑記」渡部亮次郎。

<安倍首相辞意:「週刊現代」が「脱税疑惑」追及で取材
突然辞意を表明した安倍首相については、「週刊現代」が首相自身の政治団体を利用した「脱税疑惑」を追及する取材を進めていた。
 同編集部によると、安倍首相は父晋太郎氏の死亡に伴い、相続した財産を政治団体に寄付。相続税を免れた疑いがあるという。晋太郎氏は91年5月に死亡し、遺産総額は25億円に上るとされていた。編集部は安倍首相サイドに質問状を送付し、12日午後2時が回答期限としており、15日発売号で掲載する予定だったという。> 毎日新聞 2007年9月12日 15時00分

< 宮沢喜一元首相の<知性>をそのまま受け継いだような長女啓子は、ざっくばらんに父親を批評した。
 「父は昔よく私に、『知の上に徳がある』って言ってくれていたんですが、『知』ということではとても勉強家で知的だとは思います。でも、大きな意味での『徳』っていうとどうかなあなんて。

 ものを頭で解決するのが好きな人ですから、ハートで情で、となると、とても嫌がります。私なんかが、『娘が頼むのよ』なんて言い方すると一番嫌がりますから」
 啓子はさらに辛らつである。> 「プライベートでは保守的でなく、非常にラジカルで進歩的ですね。それを政治のほうにも出していったら面白いのにと思っていたのですが、保守本流ということで、父の政治姿勢はつまらないくらい保守的です。

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2007年09月11日

◆多数者革命って何

                         渡部亮次郎

少数が多数を制するから革命であって、世の中の多数を選挙で制すれば、それは民主主義の結果であって革命とは関係がない。それなのに日本共産党は「革命」という2文字を棄てられないらしい。悲しい性(さが)やねん。

NHK政治部では日本共産党も含む野党を1年だけ担当したことがあるが、マルクス・レーニン主義の空しさを大学時代にたっぷり経験していたから、共産党について正面から書いた記事は1本も無い。

当時既に上田兄弟(弟は不破哲三=ペンネームを名乗る)が次世代指導者として浮上していたが、何せ宮本顕治が主導権にしがみついて離さず、彼らはやきもきしていた。

NHKを辞めて外務・厚生の大臣秘書官を務めたりしたが、1982年には永田町と完全訣別、共産党も視野から消えた。その後、宮本が殺したリンチ査問事件の犠牲者は郷里秋田県の出身者である事、その縁で北朝鮮人歌手が小畑実を名乗った事などを知った。

その宮本が2007年7月18日、98歳、老衰で死に、評論家立花隆が文藝春秋9月号に「日共のドン 宮本顕治の闇」を執筆した。彼は田中角栄研究で論壇にデビューしたが、傍ら日本共産党の研究では立派な著書で実績を挙げている。

立花の今回の論文によると、例のリンチ査問事件は宮本による傷害致死事件と断定した1976年1月号の文藝春秋「日本共産党の研究」を発表した時、共産党は反証をかき集めるために、特別チームを編成した。

しかし、出てきた証拠は宮本の犯行を裏付けるものばかり。京都大学の法医学関係者は「当時よりもっと簡単明瞭に傷害致死だと鑑定できる」と断言した。とうとう反証を断念した。

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2007年09月10日

◆死体永久曝しの毛沢東

                        渡部亮次郎

9月9日は毛沢東逝去の記念日だった。1976年9月9日午前0時10分に、北京で側近と主治医に見守られるなか毛沢東は82歳で逝去した。

遺体は現在、北京市内の天安門広場にある毛主席紀念堂内に安置され、永久保存、一般公開されている

毛沢東の死の直後に腹心の張春橋、江青、姚文元、王洪文の四人組は逮捕・投獄され、文化大革命が完全に終了した。
私は1972年9月の田中角栄総理による日中国交回復交渉にNHK記者として同行したが、毛沢東は記者団の前には姿を見せず、間もなく死亡した。

毛沢東が世界に注目された最後の事件は、1972年2月18日北京における毛沢東・ニクソン会談である。

この日、すでに椅子から立つのにも苦労するほど健康状態が悪化していた。それにもかかわらず、毛沢東はニクソン大統領と握手し、同盟各国の頭越しに米中国交正常化を成し遂げた。全世界の驚愕を呼び起こしたのだった。

1972年アメリカの同盟国である日本は中華人民共和国との国交を正常化させたが、米中国交正常化はニクソン訪中では現実のものとはならず、成ったのは日本に遅れること7年後の1979年1月1日だった。アメリカは日本と違って中中華民国(台湾)との関係に余裕を残せた。

毛沢東はニクソンの会見後に筋萎縮性側索硬化症に罹患していることが発見された。医師らが懸命の治療を行ったが、長年の喫煙による慢性的な気管支炎等が毛沢東の体力を奪っていった。

私は周恩来総理に続いて毛沢東も死んだ後の1973年の8月8日、懸案の日中平和友好条約を締結するため、外務大臣園田直に随行して北京を訪れた。

その時、街の声を拾ったが、会う人のすべてが悪口を言うのが毛沢東であり、おしなべて評価するのが周恩来であった。市内の公園にひそひそ話をすると、湾曲した向うに声が伝わるという装置があり、声に驚いて相手を確認しようとすると既に相手は立ち去った後、という装置で彼らの本心を知ったのだった。

大躍進政策の失敗や文化大革命などで数千万人の犠牲者を出すなど、国を破滅の一歩手前に追い込んだ失策も数多いものの、「中華人民共和国を建国した貢献は大きい」として市場経済化が進む現在も国父として崇拝されている。しかしそれは表向きだけだある。

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2007年09月08日

◆父子2代「2年首相」

                         渡部亮次郎

福田康夫を担ぎ上げて安倍を斬ってしまおうという"陰謀“は消滅していない。だが、肝腎の康夫が「迷惑千万!」といったっきり頑として「聞く耳持たない」そうだ。

先輩の古澤襄さん(元共同通信社常務理事)によると、よく分かる。

<与党の関係者と話をすると福田康夫元官房長官の待望論が根強い。その裏には安倍首相では小沢攻勢を凌ぎ切れないという危機感がある。あと2年間は福田政権で繋ぎ、その後は思い切った布陣で総選挙を戦うのだという。

だが安倍首相で凌ぎ切れないものが、福田首相で凌げるものだろうか。仮に凌いだとしても、総選挙は誰を担いで戦うのであろうか。極めてプリミテイブな疑問だが、誰も答えてくれない。

こんなことでは、当の福田氏が「迷惑千万!」と言って一笑に付すのではないか。2年間のリリーフ投手なんて軽く見られたものだと不快感を持つに違いない。もともとが誇高き男である>。

康夫は私と同じ歳。既に71歳。父親赳夫の総理就任と同じ歳になった。あの時康夫は、しばらくしておっとり刀で丸善石油の課長を棄てて総理首席秘書官になった。既にNHK国際局副部長から園田直外務大臣の秘書官になっていた私は初めて彼と顔を合わせた。

おかしな出合だった。赳夫が田中角栄と総裁のポストを争った「角福戦争」の1971−72年ごろ、私は赳夫番記者だったが、1度も康夫の顔は見ていない。政界に入る事は無いと思っていた。

赳夫の面倒を見ていたのは横手家へ養子に出た次男征夫(いくを)であり、彼が親父の後継者だろうと周囲は見ていた。それが、実際、親父が総理大臣になったら、突然、康夫が首席秘書官として割り込んできたからみんな驚いた。

実際のところ、弟の横手征夫は慨嘆したと聞いた。それでは赳夫の跡継ぎは康夫、征夫は参院議員を務めている叔父さんの後継者か、と噂しているうちに征夫は癌で急死してしまった。

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◆共産党万歳の瀬島龍三

                            渡部亮次郎

<日本財団より会長笹川陽平ブログです。
戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の「参謀」として隠然とした
影響力を持った伊藤忠商事元会長の瀬島龍三さんが4日死去されました。

本日は、瀬島さんのことについて書いております。題名は「瀬島龍三氏 死去」です。

お忙しいとは存知ますが、お時間のある時にでもブログをちょっと覗いていただければ幸いです。
http://blog.canpan.info/sasakawa >

瀬島龍三氏が逝去された。享年95歳。

以下はウィキペディアからの引用である。

『陸軍大学校を首席で卒業。昭和天皇より恩賜の軍刀をたまわる。関東軍参謀。東京裁判でソ連側証人として出廷。シベリア抑留から帰還後、伊藤忠商事に入社。最終職歴は伊藤忠特別顧問。

勲一等瑞宝章・受章。中曽根元首相のブレーンとして、土光臨調(第二次臨時行政調査会)委員などを務め、政治の世界でも活躍した。』

更に『ソ連との停戦交渉時、瀬島が同行した日本側とソ連側との間で、捕虜抑留についての密約が結ばれたとの疑惑については、保阪正康氏の主張に対して、本人も半藤一利氏も否定している。』とある。

ウィキペディアで興味を引くのは、『1979年、昭和天皇の孫・優子(東久邇宮盛厚の娘)の結婚の媒酌の役を務めており、ご臨席された昭和天皇より「瀬島は戦前戦後と大変御苦労であった。これからも体に気をつけて国家社会のために尽くすように。

それから、今度世話になる東久邇の優子は私の孫である。小さい時に母と別れ、大変かわいそうな孫である。自分はこういう立場にいるので十分面倒をみられず、長く心にかかっていた。

このたび立派に結婚することができ、自分も皇后も大変喜んでいる』と、天皇のお言葉が引用されている。誠に恐縮だが、一瞬、まさかとの思いがわいた。

私は確認したわけではないが、瀬島氏は、東京裁判にソ連側検事証人として出廷し『天皇有罪論』を述べたともいわれている。その後瀬島氏は、その天皇から勲1等瑞宝章を親授された。

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2007年09月07日

◆安倍退陣は無いのか

                         渡部亮次郎

改造後の安倍さんの顔が冴えない。多分、眠れないし、腸の具合も良くないのだろう。下痢が激しいのではないかと推測している。

改造の時は事務の官房副長官と首席秘書官を差し替えないとまたまた次に酷い目に遭いますよ、と「夕刊フジ」で忠告したのに聞いてくれなかった。

案の定、遠藤農林水産大臣の「身体検査」の不徹底がわかり、安倍首相は取り返しのつかない失態を演じる事になった。身体検査は官房副長官と首席秘書官の責任なのである。

官房副長官は旧内務省系官庁を抑えていなければならないが的場氏は旧大蔵小出身でありながら、旧大蔵省の推薦ではなく財務省の反感を買っている。首席秘書官は旧国鉄OBで官界にもマスコミ界にも人脈が皆無。身体検査には手も足も出ない。

かくして果たせるかな自民、公明両与党内から、農相人事の直後「ひょっとして安倍退陣」という情報が流れた。もはやこの弱体内閣を頼っていたのでは、「我々に明日は無い」と実力者たちが「首相とりかえ」を考えたのである。

だから安倍さんの顔が冴えない。党内のざわめきを感じ取って眠れないのである。

前々から言われていた幻の福田康夫首相で当面を繋ぎ、麻生太郎首相に持っていく動きが出ていた。安倍首相の人事の不手際は限界にきていたからである。

さりとて解散・総選挙をするわけにはいかない。今やれば大惨敗。実力者といえども落選の危機に曝されるからである。そこで、党・内閣人事は安倍改造人事をそのまま受け継ぎ、農相には派閥領袖の1人を当てるという構想も検討された。

東京オリンピックのあった1964年、喉頭癌に倒れた池田内閣から佐藤内閣にバトン・タッチした時に用いられたのと同じ手法である。

思い出せば池田政権の幹事長三木武夫氏も、そのまま佐藤政権の幹事長として留任している。あれから既に43年。当時を知る政治家は残っていないが、危機となれば考える事は同じだ。

「安倍退陣説」には安倍さんも側近も抵抗している。また反安倍勢力が頼みとする福田康夫氏は火中の栗を拾うつもりはないというから、この構想がそのまま実現するとは思わないが、突然表面化する可能性は否定できない。

農相の後任は決まったが、問題は民主党が参院で、安倍首相の任命責任を問い、問責決議案を出す可能性があることである。参院の問責決議そのものは、衆院の内閣不信任案と違って法的な拘束力を持たないが、問責された総理が参院本会議や各委員会に出席すれば審議拒否の根拠を与えてしまう。

戦後政治では想定していなかった事態が起こりそうである。これを凌ぐには安倍首相の退陣しかないという見方が与党内で生まれているのは不可避であろう。安倍首相が、この急場を乗り切ることが
出来るか、耐えられるか見ものである。

(1)貫禄が無いから言説に力が無い。力の無い言説は説得力に欠ける。人生を50年ちょっとしかやっておらず、失敗の経験に欠けるから、政治の先見性に決定的に欠ける。

(2)悪事をなす必要のない人生(御坊ちゃん)だったから政治家の裏を洞察する能力が元々欠けている。この点は森喜朗氏は格別にあるが、森には別のものが全く欠けているが。

 (3)回転が悪い。記者に突っ込まれた事を咄嗟に理解できない。当然。咄嗟の切返しが全く出来ない。これを「ぶら下がり」で毎日2回も見せられるだけで国民の方がイラつく。これだけは森と全く同レベル。

宮澤喜一氏は類稀な切れ者といわれたが、政治家としては只者だったから「自民党の徳川慶徳」と揶揄されたが、ご本人は理解を拒否した。己の賢しいことが政治家としては欠点だったと理解できなかった。

安倍さんは己の学識の無さが与党内のみならず国民から嘲られている事に気付いていない。自分では岸信介のDNAを唯一のアイデンテフィと主張するが、DNAなんて目には誰にも見えないのだ。
文中敬称略  2007・09・05