2007年02月22日

◆納豆で総白痴化防止

 <当メルマガの不具合のため、「頂門の一針」716号(2月20日)に掲載された同主宰の渡部亮次郎氏と石岡荘十氏の原稿の転載が遅れました。お詫びします>

                     
                      渡部亮次郎

<発掘!あるある大事典(はっくつ!あるあるだいじてん、通称:あるあ
る)は、関西テレビ東京支社が制作し、FNS(フジテレビ系列)で1996年10月27日から2007年1月14日まで日曜日の21:00〜21:54(JST)に放送されていた生活情報バラエティ番組である。

2007年1月7日の納豆を取り上げた第140回『食べてヤセる!!!食材Xの新事実』において、実際には血液検査を行っていないにもかかわらず虚偽のデータを放映したと、2007年1月20日に制作の関西テレビが発表し、千草宗一郎社長らが謝罪した。

1月7日の放送直後に納豆の売り上げが急増し、小売店では納豆が品切れ
となる状況が続いていた。捏造報道を受けて、一部の納豆メーカーは、
逆に納豆の売り上げが低下するのではないかと悪影響を懸念した。

茨城県ではスーパーから大量に発注された納豆が突然キャンセルされ、
廃棄処分がでかねない状況となった。

また、捏造問題の広がりを受けて、過去の放送内容を書籍化したもの
(扶桑社から出版、全6巻)の出荷が取りやめられ、多くの書店で店頭からも撤去されている。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』

この事実を知ると、1936年生まれの私は、「テレビは国民全部(1億)を
白痴にする」と喝破した評論家大宅壮一(故人)の予言が見事に的中したと納得せざるを得ない。

1億総白痴化(いちおくそうはくちか)とは、社会評論家の大宅壮一が
生み出した流行語である。「テレビというメディアは非常に低俗な物で
あり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてし
まう」という意味合いが強い。

元々は、1957年2月2日号の「週刊東京」における、以下の詞が広まった
物である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ず
らりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関に
よって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」

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2007年02月21日

◆必死で逃げる菅直人



            渡部亮次郎

民主党の菅直人代表代行は先に東京都知事選で浅野史郎・前宮城県知事が同党の立候補打診を断ったことについて「民主党としていろいろなことは考えないといけない。同時に無党派、市民の方が自発的に動いている」と希望的観測を述べていた。

その上で「政党は政党としての役割はあるが、それを超えた多くの都民、市民の皆さんの動きも始まっている」と述べていた。

浅野氏に立候補を求める市民集会が16日に開かれたことを受け、世論の動向と浅野氏の対応を十分見極めるべきだとの考えを示したものだ。大津市内で記者団に語った。Asahi Com 2007年02月17日22時20分。

今のところ、石原慎太郎知事の3選を阻む自信が全くないものだから、逃げまくっているようにしか見えなかった。多分、浅野氏を何とか説き伏せるべく、裏で工作していることが感じられた。そういう言い回しでは無いか。

一方、小沢代表は17日、津市での記者会見で「浅野さんはたぶん出馬の意思はないだろう」と語った。菅氏については「(私と鳩山氏との)3人の役割分担がうまく機能してきたので、今後もそういうことでやっていきたい」と、都知事選には擁立しない考えを重ねて示した。Asahi Com 2007年02月17日22時20分

しかし、このままでは石原慎太郎都知事に戦わずして3選を許す危惧も出てきたため、民主党東京都連は遂に21日、「最強の候補」として菅氏に出馬再考を申し入れた。菅氏は当然、即答を避けた。必死の逃亡である。

民主党は幼稚すぎる。これまで断られた著名人は浅野史郎・前宮城県知事(慶応大学教授)を筆頭に放送キャスターの筑紫哲也、久米宏、鳥越俊太郎、安藤優子の各氏ら。その経緯が次々に暴露されてきた。したがって誰だって「あいつが断ったお下がりを私が食えるわけ無いだろう」となる。実に稚拙なのである。

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◆茶・ちぃ・しゃ



             渡部亮次郎

先輩古澤襄さん(元共同通信社常務理事)から「茶」の話を教えられたので、ロシアでも「ちぃ」、アラビア語でも「しゃ」みたいだった事を思い出していた。

外交交渉でお茶の出ることはない。ビンに詰まった水が普通である。毒入りと気を廻されるのを避けるためだろう。よほど親しくならないとお茶もコーヒーも出ない。

今はともかく、昔は見ず知らずが出合うわけだから、毒を盛られない保証はない。それだから女房を人質に連れて行った。いまはそれを物見遊山代わりに連れて行ったと誤解する人が多い。
 
百科事典によると「ちゃ」も「ティ」も中国語。「ちゃ」が広東語、
「ティ」が福建語だそうで、「ちゃ」は日本語、ポルトガル語、ヒン
ディー語、ペルシャ語、アラビア語、トルコ語に流れた。

「ティ」はロシア語、オランダ語、ドイツ語,英語、フランス語に反映したが、17世紀の中ごろ以前にはなかったそうであるから中国から茶が入ってからの言葉だと推測される。
 
モスクワの郊外に迎賓館が5棟建っている。その1号迎賓館は2階建てで、中にステンレスのだるまストーブみたいなのが鎮座してたが煙突はなかった。

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2007年02月20日

◆民主党が取り逃がす人


                渡部亮次郎
<民主党の小沢一郎代表、鳩山由紀夫幹事長、菅直人代表代行は16日、党本部で会談し、東京都知事選の候補者として菅氏を推さないことを確認した。28日の党都連のパーティーまでに候補者を確定することを目指すとし、菅氏は「浅野史郎・前宮城県知事を中心にできるだけ努力したい」と述べたという。

鳩山氏によると、小沢氏は「菅さんは国政の政権取りに欠かすことので
きない人材だ。どういう状況でも国政のど真ん中で政権取りにがんばっ
てほしい」と述べた。ただ、浅野氏の擁立については「菅氏の話を黙っ
て聞いていた」(鳩山氏)という。> (Sankei Web 2007/02/16 19:31)

これに先立って
<民主党の菅直人代表代行は15日の記者会見で、4月の東京都知事選で
同党が立候補を打診した浅野史郎・前宮城県知事について「(宮城県知
事時代に)情報公開、特に警察の報償費問題で、多くの知事の中で浅野
さんが最もしっかりした勇気ある行動をとられた。私は浅野さんを個人
として評価している」と述べ、浅野氏の立候補に期待をにじませた。>
(Asahi Com 2007年02月15日18時54分)

「個人として云々」と言ったのは、浅野氏が無所属で立候補しても民主
党は支持するとのサインだった。しかし浅野氏は16日、横浜市で記者団
に「(民主党からの立候補要請に)今日(16日)受けないと言うことを伝
えた」と明らかにした。

テレビのキャスターやタレントに次々に断られた民主党にとって浅野氏
は最後に縋った綱だった。しかし断られた。とうとう、東京を地盤とす
る菅代表代行を差し出すしかないか、と党内に声が出たので、小沢氏は
冒頭の決断を下したものだ。

民主党としては28日の東京都連パーティーまでに候補者を確定させたい
としているが、これから手を上げる奴は相当の際物だろう。何しろ石原
慎太郎の鼻を明かす大事業だから、小沢代表自身が立っても不可能であ
る。

有名人は選挙情勢を考慮してか、収入を考慮してか、先の苦労を考慮し
てか、いずれにせよ民主党の要請を拒否した、民主党から逃げたのであ
る。或いは民主党の思惑に反して民主党を見限って捨てた。

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2007年02月19日

◆薩摩揚に思い出す



         渡部亮次郎

先輩から恒例の薩摩揚げが薩摩から届けられた。令夫人のご郷里が薩摩・鹿児島だからである。戦前、戦中に貧しい家庭に育った私に、少年時代、薩摩揚げ、蒲鉾、はんぺんを食した記憶はない。

ごく幼い頃、鮭の缶詰とかバナナを食べた記憶はあり、大東亜戦争の敗戦後、何年もしてから食べたが、魚肉のすり身を成型して作ると言う薩摩揚げ、蒲鉾、はんぺんの類は敗戦後9年の春、上京して初めて食べた。

それよりも薩摩揚げが沖縄で異常に高値で、それは琉球王朝が隣の薩摩藩の無法な支配を受けたことの遺恨からであると説明され、改めて驚いたものだ。

このときの用事は琉球における主席(知事にかわる)をアメリカ政府の認知により初めて住民の選挙(公選)によって行われので、それを取材、報道するためだった。

アメリカ軍に占領された沖縄は当時まだアメリカの施政権下にあり、高等弁務官が島のすべてを握っていた。折からベトナム戦争が激化し、嘉手納空港はB52爆撃機の発着が慌しかった。

言葉も良く通じないまま島中を駈けずり周り「4万の差で屋良朝苗(やらちょうびょう)氏が当選するはず、と東京に連絡した。

翌日、軍政部の係官が「NHKがそのように放送していた」という。NHKが選挙の予測を放送するわけがないから,私の電話を盗聴していたと告白したようなものだった。

何しろ朝から晩まで、いや、飲み屋でもバーでも尾行されていた。なんで筑紫哲也(朝日新聞)でなく俺を尾行するのだ、と追及したら、朝日新聞は配達前に空港で没収できるが、ミスターワラナベの電波は没収できないから、都合悪い取材を妨害しなければならない」との返答。震えが来た。

尾行されながらの昼食。1ドル360円時代に「おでん茶飯」が4ドルぐらいで法外に高かった。高い理由が福岡からの薩摩揚げの空輸。その理由が嘗ての薩摩による琉球支配への反発だった。450年以上前の怨恨が脈々と受け継がれているのである。

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2007年02月18日

◆ケチ(吝嗇)だから金持ち



             渡部亮次郎

「金持ちが金にこだわらないと考えるのは貧乏人の考えることだ」と諭(さと)したのは故田中角栄である。その大した遺産を相続した金持ちが真紀子なのだから、真紀子はケチで当然である、と角栄は教えているようなものだ。

昔から世間は人間は得意技で失敗すると教えてきた。得意技にその人間は慢心するから、つい油断と隙ができるのである。貧乏から出発して巨万の富を築いた角栄も得意技のカネ造りを立花隆に暴かれて、首相の椅子を投げ出した。それから云ったのが貧乏人の考え云々の科白である。

「なぜなら金持ちはカネを放さない、ケチだから金持ちになるんだ。金持ちはカネが好きだ。いくらあっても足りない。だから金持ちほどカネにこだわり、カネを欲しがる者はない。

それを金持ちはカネに鷹揚だろうと考えるのは貧乏人の考えることだ。お前のように手にしたカネをすぐ使ってしまうような人は絶対カネ持ちにはなれないよ」。 直話である。

角栄が貧乏に育ったとは周りがいっていることで、本人は如何に貧しかったかなど説明したことはない。父は馬1頭を売って大学にやらしてくれたと宗男はいったが、角栄にその種の逸話はない。

しかし上京後、どうやってカネを作ったかは、時々語った。とくに金脈が「文芸春秋」に暴かれての記者会見で「たとえば他人の土地の隣に土地を買い、石油缶を終日叩けば、隣の人はにげだしてその土地が安く手に入る」と明かした。もう辞めざるを得ないとはいえ、総理大臣たるものの語ることではなかった。しかし真実だった事は間違いない。

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2007年02月16日

◆諸国日本食事情

                   渡部亮次郎

昔は、アメリカのニューヨークへ行くにもヨーロッパ各国へ飛ぶにもア
ラスカのアンカレッジで給油した。客はロビーで足をようやく伸ばして、
うどんをすすったり、カレーライスをかっ込んだりした。特に帰りのア
ンカレッジでは、なぜか私はカレーを食べずにはいられなかった。

アメリカでカレーを食することは、今でも殆ど不可能だからである。ニ
ューヨークでカレーを作ったらアパートの理事会の査問にかけられ、追
い出されたという友人の実例があるくらい、アメリカの人たちはカレー
の匂いが嫌いだ。

それがヨーロッパに渡り、ベルギーの首都ブリュッセルで昼になると、
街中にカレーの匂いが立ち込める。あ、カレーライスが食べたいな、と
なるのだが、既にお気づきのようにあれはコーヒーの香りなのである。
ブリュッセルのコーヒーだけがなぜカレーの匂いに似るのかは尋ねる人
も機会もないままだ。

イギリスの食事はあまり美味くない、と言ったら、イギリス生活の長か
った人も同感だと言って、あそこじゃ朝食を3度食べたらいいのにと冗
談みたいに教えられた。

なるほど、空港近くのホテルで食べた午前6時ごろの朝食には魚の塩漬
けが付いて来て、一瞬、コメのメシが欲しいなと思ったものだ。

しかし、今はともかく昔のロンドンでご飯を所望しても、どこにもなか
った。1980年ごろのことである。当時、ロンドン市内では、かの大屋政
子さん(故人)の経営になる寿司店が1軒だけあったが、試してみた穴
子は硬すぎて、シャリがどうだったかの記憶が無い。多分、まずかった
のだろう。

余談だが、政子さんは時折、拙宅を訪問してくれるのはいいのだが、い
つも午前2時ごろで、それも予告なしなので、驚かされた。帝人の経営
者の夫人。亡くなった父上は九州・天草出身の政治家だったとか。とに
かくケタはずれの怪女だったが、ロンドンの鮨はいただけなかった。

食い物の恨みは怖いというが、実感したことがある。

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2007年02月13日

◆NHK毛虱物語

               渡部亮次郎

NHKは41歳の冬まで19年間を記者として過ごした職場だが、最近は不祥事続きで料金を払わない視聴者が増えたそうで、組織としては落ち目である。

学生たちの就職希望ランキングから滑り落ちることおびただしいものがあるそうだ。なんでこんな事にと思い巡らすうちに仲間が毛虱(けじらみ)と呼ぶ人物に思い当たり、あの男こそが真犯人だと気付いた。

30年近くも前に途中退職した身だから、彼に面識は無い。私の目から見て実に全うな人物と思う後輩は彼のことを「毛虱(けじらみ)」と言って軽蔑し、一切、交際しないそうだ。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
<毛虱は吸血昆虫で成虫の大きさは1mm〜2mmで肉眼的には、陰毛の毛根にしがみついている時は「シミ」に、陰毛を移動中には「フケ」にしか見えないため、発見には苦労する。

成虫は陰毛の毛根にフック状の鈎爪で身体を固定して皮膚から吸血する。卵は陰毛に粘着している>。
なるほど云い得て妙である。社内の出世頭の陰部に寄生し、栄養を蓄え、主の力をひけらかして己も出世して行く。出世が始まると虎の威を借る狐宜しく威張り散らして頂上を目指す。

≪虎が狐をとらえて食おうとしたところ、狐が「自分は天帝の使いだから、喰うと天帝に背くことになる。その証拠に自分の後についてきて御覧なさい」という。

一緒に行くと百獣が自分を怖れて逃げるのを知らず、愚かにも狐の言葉通りだと思ったと言う。「戦国策--楚策」にある寓話による≫

彼が何故「狐」でなく「毛虱」かと聞いたところ、出典はその昔のシマゲジ騒動にあった。

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2007年02月12日

◆秋田と岩手の違い

                    渡部亮次郎

太平洋戦争の末期、昭和20年の夏、岩手県の釜石港がアメリカ海軍の艦砲射撃でめちゃめちゃにやられた。その時、私は国民(小)学校4年生。地響きが背中合わせの秋田県側に伝わって来た。

岩手とか釜石とか盛岡とかを生まれて初めて名前を聞いて、意識したことの初めであった。それにしても太平洋はすぐ、そこ。日本は狭いと初めて思ったのもその時である。

偶然にも、20代の中ごろから5年間、盛岡に勤務した。冬が来て萎れた。布団の襟が凍っているのだ。氷点下10度なんていうのは良い方だった。自分の息で布団が凍るのだ。

その代り、夜が素晴らしかった。浩々と月が出て、銭湯帰りのタオルが凍ってすぐ棒になった。間もなく正月。朝から日が昇る。驚きだった。何しろ小学校1年の時「はつひので」と教わって「元日に出るお日様のこと」というから「先生というのは人に嘘を教えてはいけない」と文句をつけて、親父が校長に呼ばれたそうだ。

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2007年02月11日

◆禁煙はサッチャーのお蔭

                渡部亮次郎

毎日新聞によるとフランスは公共の場では、08年から全面禁煙にするそうだ。

フランスは伝統的に喫煙に寛容で、91年の分煙法制定後もカフェやレストランでの分煙はあいまいだった。しかしアイルランド、スコットランド、北アイルランド、イタリアが相次いで公共施設を禁煙とする法律を施行したため、欧州の流れに沿うことになったもの。

<【パリ福井聡】「紫煙とカフェ」の文化で知られるフランスで1日、職場、学校、病院、店舗など公共の施設での喫煙が禁止となった。カフェ、バー、レストランなどは「喫煙大国」への配慮から11カ月の猶予期間が与えられ、全面禁煙は08年1月1日からとなる。

AP通信によると、違反者には罰金68ユーロ(約1万円)、施設の責任者には同135ユーロ(同2万円)が科せられる。「密閉された喫煙室」を設ける店舗では喫煙できるが、設置可能な店舗は全体の3%に過ぎないとみられる。

ベルトラン保健相は、「1日以降はたばこの副流煙を吸う間接喫煙がなくなる。これを機に、現在は年間70万人が禁煙しているのを倍増させたい」と訴えた。

南部マルセイユでレストランを経営するパンデリさんは「心構えは出来ており、客足も減っていない」と話す。しかし、たばこ愛好家連盟のモンレドン事務局長は「法で断罪され路上に放り出された気分だ」と反発し店主に店内を禁煙にするか喫煙を認めるかの選択権を与えるよう訴えた。>毎日新聞 2007年2月1日 18時08分> 

この記事を読んで読者の一人が異論らしきものを唱えて来た。

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2007年02月10日

◆タンゴの源流に立つ



         渡部亮次郎

兄がタンゴ狂なものだから、子供の頃から聞かされた。あまり上品じゃないと嫌う人もいる。そんなこととは無関係に、私はあのリズムに息が苦しくなってくる。散歩の時もタンゴは聴かない。

ミロンガなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレス近辺で生まれたとされる。

日本では、タンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴ(コンチネンタル=大陸の=ヨーロッパの)ないし「ヨーロッパ・タンゴ」と呼び、それに対して元来のものをアルゼンチン・タンゴと呼んで区別することがある。

タンゴは、今から約130年前に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まった。スペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として酒場で、日頃の不満を歌にし、単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊ったのがタンゴの始まりと言われる。その後、娼婦を相手に踊られるようになり、男女で踊る形式が確立されたといわれる。

首都ヴェノスアイレスのボカ地区は、古くから港があった地域で、ヨーロッパから来た移民たちは、こ の地で、新しい第1歩を踏みしめた。19世紀終わりごろのラ・ボカは、イタリア、スペイン系を中心とした、ヨーロッパからの移民や、アフリカ系の人々など様々な人種の人々であふれていた。

タンゴは、そういった環境の中、様々な文化の混合によりブエノスアイレス南部(ラ・ボカ、サンテルモ地区)で生また。

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2007年02月09日

◆オイカサラマサ予算

                   渡部亮次郎

自民党の国会対策(国対)委員長は興奮して「ガッポウテキテダン」を連発した。はじめはなんのことやら判らなかったが、発言の前後を考えて「合法的手段」と判断できた。他社の連中も笑うと失礼だからひたすら下を向いて堪(こら)えていた。

打ち続く野党の審議引き延ばし作戦に業を煮やして伝家の宝刀宜しく、採決強行(強行採決)を断行するぞと予告をしているのであった。記事やニュースには出なかったが、記者クラブでは以後しばらくガッポウテキが流行語となった。それからしばらくして委員長はなんと入閣した。佐藤首相はそれをガッポウテキと判断したのだろう。

日本のみならずどこの国でも、国民に選ばれたからといって、学識と教養がそれに比例するとは限らないこと当然である。むしろ学識と教養が邪魔して国会議員にならないか、なれない人の方が多い。

どこか大国の大統領ですら、最近、発言中に用語の使い方や文法がおかしいと批判されている人がいるくらいだ。

それにしても合法的をガッポウテキといい、手段をテダンと教えたのはどの学校の誰先生だろうかと考えるに、おそらく小学校卒業後の独学だろうと推測した。

昔の新聞には漢字すべてに仮名を振ってあったのに、覚える時に間違えてしまえば、中年過ぎには注意してくれる人は無いから、出世して恥をかいた。

昔のある代議士は衆議院本会議で「オイカサラマサヨサン」とやって満堂の度肝を抜いた。お気づきだろうか、追加更正予算のことである。今の世は更正の語を使わないから、オイカサラマサと言われて判る人は少なかろう。

いずれにしろ議場は大爆笑に包まれたか否か。そういえば、演説の途中に突然「ここで水を飲む」と音吐朗々(おんとろうろう)やった兵(つわもの)がいたそうだ。

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2007年02月07日

◆高慢ちきの哀れ



                      渡部亮次郎

友人に聞いた話である。

「俺がエリートだ。お前らは定年になって社会貢献が出来なくなったけど、俺を支援すれば社会貢献できる。だから俺を支援するのが筋というものだ」。元大使閣下が高校の同期会に来て高言したのだと言う。

また大手商社で役員になれなかった東大出は同期会に出てきて言ったそうだ。「定年で最早、社会的に何の力も無くなったお前らがこうやって集まって何の意味があるのだ」と。

そんなら来なけりゃいいのに、悪口が気になるのか、毎回、遅れてしかも泥酔して来るのだそうだ。同期会なんて、意味を求めるのが可笑しいだろう。懐かしいといういわばくだらないことの詰め合わせ。無意味に意味があるだろう、と友人は嘆いていた。

同じ東大出でも農学部で役所の長官にまでなった男は、同期会に欠かさず来て、受付を手伝い、威張るところが一つもないそうだ。なんでこんなに違うのだろう、育ちかな、性格かなと友人。私は「勘違いだろう」と断じた。

世の中、東大を出て官吏や商社マンになることだけがエリートではない。厭な仕事でも買って出て、他人の面倒をよく見ることがエリートなのだ。米国人で、日本文学研究者のサイデン・ステッカー氏は嘗て私に「威張る人は馬鹿なのです」と教えて下さった。

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