常にクラシック音楽のヒットチャートの上位にいる名曲「四季」を作曲したのはヴィヴァルディだが、かの大バッハもヴィヴァルディの音楽を研究したという。
ところが、これほど有名な作曲家だったのに、死んだ時には一文無しだった。
生前のヴィヴァルディは名声を欲しいままにしていた。
ヴェネツィアのヴァイオリニスト兼床屋の長男として1678年に生まれたヴィヴァルディは、出世の糸口としてはじめは僧侶になるつもりで教会付属学校に入り、15年後にはめでたくカトリックの司祭になった。
ところがわずか半年で、彼はミサを上げることを辞めてしまった。
酷い喘息持ちであった。神妙にお祈りしている最中に、げほげほ咳き込んでムードを台無しにするような------しかも教会の中は日本のタイル張りの風呂の中のように、わんわんと反響するのであり------、そんな司祭は使い物にならない。
時を同じくしてヴェネツィアのピエタ慈善院付属女子音楽院の先生になったヴィヴァルディは、目を見張る勢いで音楽の才能を伸ばして行った。
作品の最初の出版は早くも1705年に行われ、1711年にはオランダでも出版されたから、その時までには彼の名声はイタリアだけでなく、ヨーロッパ中に鳴り響いていたに違いない。
とくにドイツではあのバッハが協奏曲集「調和の霊感」から何曲かを勉強のためにオルガン独奏用に編曲したし、ヴェルサイユ宮殿ではフランス国王ルイ15世が1730年頃、突然 「わしゃ『四季』(1725)の中の『春』が聴きたいんじゃ!」 と言い出し、取り巻きが大慌てでミュージシャンたちを集めて演奏した、という騒ぎもあった。
ところで、この「赤毛の僧侶」(ヴィヴァルディは当時こう呼ばれていた)は、作曲でどのくらい儲けたのであろうか?
相当なものだった。
例えば、1740年3〜4月にヴェネツィアを訪問したザクセン選帝侯フリートリヒ・クリスチャン公爵のための歓迎コンサート用に、協奏曲3曲、シンフォニア1曲の合計4曲を書いた。
その報酬としてヴィヴァルディが受け取ったのは15ドゥカーツ13リラだが、これは当時としては目玉の飛び出る額だったそうだ。
続く5月には20曲の協奏曲集を書き、70ドゥカーツ23リラをもらっている。これらの例から考えると、1曲4ドゥカーツ弱というのがヴィヴァルディに対する新作委嘱の相場だったようだ。
当時のあるヴェネツィア人は「“赤毛の僧侶”ヴィヴァルディは、一時は推定5万ドゥカーツも稼いだ」と記録している。
このように超人気作曲家だったヴィヴァルディは、何とも不思議なことに、今述べた1740年5月の協奏曲集を仕上げたあと、ぷっつりと行方をくらましてしまった。
研究によると、1740年の秋にオーストリア南部のグラーツに行ったらしいのだが、その翌年の1741年7月末、ヴィヴァルディは同じオーストリアの首都ウィーンで死んでいるのだ。
ウィーンの聖シュテファン教会の記録によると、「僧侶アントニオ・ヴィヴァルディ」の遺体は、7月28日に市民病院の共同墓地に埋葬されている。
死ぬ直前のヴィヴァルディは、なぜかすっからかんになっていたようだ。なぜなら、彼が埋葬された共同墓地というのは貧民用の公共墓地であり、また、ヴィヴァルディの葬式にかけられた費用も、最低に近いランクだったからである。
もっとも、ヴィヴァルディが贅沢三昧、放蕩を尽くした挙句、文無しになって野垂れ死んだかのように考えるのは、正しくない。 埋葬されたのが貧民墓地だったのは、彼がウィーンの地では身寄りのない外人だったからだ。
それに、貧民墓地と言うと聞こえが悪いが、そこは実際には市立病院の付属墓地だった。
また、亡くなるその日まで泊まっていた屋敷は、ウィーンの劇場が作曲家たちのために準備した立派な館。異郷で客死した旅人としては、決してぞんざいな扱いを受けたわけではない。
とは言え、ヴィヴァルディが最後には無一文同様になり、付き人もなく、ひっそりと息を引き取ったのは事実である。
あれほど稼いだお金はどこに行ってしまったのか? この「赤毛の僧侶」の、生涯最後の1年間に、一体何が起こったというのだろうか。
ヴィヴァルディは最晩年に、自分の大ファンであるオーストリア皇帝カール6世の住むウィーンで一旗上げようと考え、相当な準備とお金をかけてウィーンにやって来た。
ところがその矢先、カール6世がぽっくり死んでしまった。ヴィヴァルディには大打撃であった。パトロンと目 (もく) していた人物がいなくなっただけでなく、ウィーン中の劇場が喪に服し、1年間も閉鎖されてしまったからだ。
オペラの上演が出来ず、収入がないのに経費だけはかさみ、持ち金がどんどん流れ出していく毎日…… 最後には手持ちの楽譜を叩き売るるほどに落ちぶれ、有り金全部使い果たした挙句、健康を害して・…ということのようである。
以上のことはヴィヴァルディ専門サイト「赤毛の司祭」の管理人:カーザヴェーチャさんが、同サイトの「ヴィヴァルディ資料館」中の「Q & A」で明らかにされている。出典『音楽ミステリー探偵事務所』 http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/PoorViv_fr.htm