2008年02月11日

◆「の」に賭けた初入閣

渡部亮次郎

建国記念「の」日が初めて施行された昭和42(1967)年2月11日。その時園田直(すなお、故人)は衆院議員当選既に9回なのに未入閣で衆院副議長のまま。しかも4日後に副議長に再選と言う椿事。

だが佐藤栄作首相は、園田の異能ぶりに感服していた。忘れずにこの年の11月25日に行った第2次内閣の第1次改造で厚生大臣に抜擢した。園田は53歳の初入閣だった。

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節という祝日であった。

紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に基づき、紀元の始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)に制定された。

この紀元節は、1948年(昭和23年)(連合国による占領下)に制定された「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

しかし独立を果たす1951(昭和26)年頃になると紀元節復活の動きが見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆院議員らによる議員立法として、「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

とはいえ、当時野党第1党の日本社会党が、この「建国記念日」の制定を「戦前回帰、保守反動の最たるもの」と非難・反対したため成立しなかった。

1957年8月2日、神社本庁、生長の家、郷友会、不二歌道会、修養団、新日本協議会などの右翼団体は紀元節奉祝会(会長:木村篤太郎)を結成して推進を画策した。

しかし、その後9回、法案提出と廃案を繰り返しただけだった。これに目を付けたのが1965(昭和40)年12月20日、第45代衆院副議長に選出された熊本県天草選出の園田直だった。

社会党国対委員長石橋政嗣(まさし=長崎選出}と密かに手を組み、建国記念「の」日にして「2月11日」を国会ではなく政令で定めるなら反対しないと言う妥協案を創り上げた。

名称に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることで、“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるように修正したのである。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第二条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない」と定めた。

建国記念日審議会は、「粋人」菅原通済を会長に学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が同年12月9日に提出された。

同日、「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を公布、即日施行した。当に「の」が自民、社会両党の妥協を成立させた。

また佐藤内閣にとっては実兄の岸信介内閣以来、歴代内閣の成しえなかった事実上の紀元節復活を成し遂げたのであった。この「の」という奇策への「回答」が園田の初入閣だったのである。

私はこうした経緯を当時NHK政治記者としてつぶさに取材。園田の頭の良さにつくづく惚れた。彼が特攻隊生き残りである事も知って尊敬した。そうした事が後に私を外務大臣園田直の秘書官にした理由である。2008・2・10

2008年02月10日

◆江沢民は敬虔な仏教徒

                 渡部亮次郎

2008年1月30日から連載が再開された産経新聞中国総局長伊藤正氏による『ケ(とう)小平秘録』は2月8日付で、毛沢東時代「自力更生」のモデルとされた大寨(だいさい)のその後を報じ、関連して「江沢民(こうたくみん)前国家主席夫妻も敬虔な仏教徒だといわれている」と書いた。

<超有名人の郭鳳蓮(かくほうれん)氏は豊富な人脈を活用して内外から資金を集め、大寨ブランドの酒造工場、セメント工場など企業を次々に設立、炭鉱経営にも手を伸ばした。

化学肥料工場などを経営する郭氏の長男、賈小軍(かしょうぐん)氏は昨年、話題を呼んだ。3000万元{4億5000万円9を投じ、かつて「共産主義の桃源郷」と呼ばれた大寨に敷地約1万平方メートルの仏教寺院「普楽寺」を建立したためだ。

賈氏は敬虔(けいけん)な仏教徒で、解放後すべて破壊された寺の再建が夢だったという。これに対し「毛主席にわびろ」といった非難がネット上で浴びせられた。毛沢東は宗教を「精神の麻薬」として徹底的に弾圧した。

しかし、拝金主義を生んだ改革・開放が進み、豊かさが実現するにつれ、各種の宗教が全国で広まった。江沢民(こうたくみん)前国家主席夫妻も敬虔な仏教徒だといわれている。

大寨でも1991年以降、20人余の村民が仏門に帰依したという(中国誌「中国新聞週刊」)。

文革批判が起こった70年代末、「毛沢東」が地に落ち、信仰の危機が訪れた。今はどうか。改革・開放で豊かになったものの、共産党も、党が唱える社会主義も信仰の対象ではなく、人びとは精神のよりどころを失った。

大寨の土産店では観音菩薩(ぼさつ)の絵とともに毛沢東の肖像画が売られていた。それは、中国人の現在の心象を象徴しているように見えた>(伊藤正、矢板明夫)

クレア海外通信(海外事務所だより)北京事務所 「中国の宗教事情」によれば、1954年の憲法でも、公民は宗教信仰の自由を持つと規定されていたが、毛沢東死(1976年)後の1982年の第5期全国人民代表大会第5回会議で憲法が全面的に改正され、次のように「信教の自由を有する」と規定されている。

「(第36条)中華人民共和国の国民は、信教の自由を有する。
いかなる国家機関・社会団体または個人も、国民に宗教の信仰または宗教の不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する国民と宗教を信仰しない国民を差別してはならない。

国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、国民の身体・健康を損ない、国家の教育制度を妨害するなどの活動を行うことはできない。 宗教団体と宗教事務は、外国の勢力による支配を受けない」

共産主義者は、自らの宗教を唯一絶対の真の宗教とみなすがゆえに、他のいかなる精神世界も決定的に否定する。国民を信者と非信者に分け、異端を破門にしたり極刑に処する。伝道者として、レーニン、スターリン、毛沢東、ポルポト、チャウセスク他がいる。

田中角栄首相による日中国交正常化(1972年)当時は毛沢東が存命、トウ小平は失脚中だったから宗教はタブー、麻雀すら禁止だった。

しかし1980年代以降になると、トウ小平による改革開放に伴い、民衆の宗教信仰心が抑圧された過去に反発する形で甦った。それに政府の宗教保護政策もこれらを支えているため、現在、中国の宗教信仰政策は種々の問題を抱えている。

最近の例では、1999年7月、新興気功集団「法輪功」に対し、中国政府は「迷信や邪説を流布して民衆をだまし、騒ぎを起こして社会の安定を破壊した」と断定、違法組織と認定し、一切の活動を事実上禁止した。

(注)気功は、古来から心身両面の養生法とされ、改革開放政策が進んだ1980年代以降、国がスポーツとして奨励したこともあり、都市の中高年層を中心に広まった。

「法輪功」は、仏教的要素を取り入れた新興気功集団で、創始者の李氏が1992年から活動を始め、日本など約20か国に組織がある。会員数は数千万と称しているが、中国政府は200万人と発表している。

中国は多宗教国家で、仏教、道教、イスラム教、キリスト教の4教を主要宗教とし、宗教信者は1億人余り、宗教活動場所85,000か所、宗教団体3,000余りである。

民族的には全国の55の少数民族が中国全体の信徒の大半を占めており、その居住地域の面積は全国の半分を占めている。

その主な信仰宗教は、仏教(朝鮮族)、ラマ教(チベット族、モンゴル族)、南仏教(タイ族)、道教(ヤオ族)、キリスト教(苗族、朝鮮族)、回教(回族、ウイグル族、カザフ族)、シャーマン(満州族、ホチョ族)である。

宗教の長期の存在を認め、社会主義と宗教の協調を探りつつ、宗教を効果的に現代化の建設に貢献させようとする点は、今後の宗教政策の大きな課題である。

特に法輪功は弾圧の強化に比例するように拡大化していると共に共産党員の脱党運動を展開し、2008年2月8日現在の脱党者数を32,007,044と発表している。今後大きな障害になるだろう。2008・02・08

参考:クレア海外通信(海外事務所だより)|北京事務所 |中国の宗教事情
http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/123PEKIN/INDEX.HTM#top

2008年02月09日

◆真鱈のざっぱ汁

渡部亮次郎

真鱈マダラ Pacific Cod は、タラ目・タラ科に分類される魚の一種。北
太平洋に広く分布する大型のタラで、重要な漁業資源となっている。日
本では他にタラ、ホンダラなどとも呼ばれる。

成魚は全長1mを超える大型魚である。体色は褐色で、背中側にまだら模
様がある。スケトウダラやコマイと同様、下顎には1本のひげがあり、背
びれが3つ、尻びれが2つに分かれる。

マダラは日本に分布するタラ類3種の中では最大種である。上顎が下顎よ
り前に出ていて、体側にまだら模様がある。また、頭身が小さく、腹部
が大きく膨らむ。

我々秋田県人は真鱈の身は食べない。頭と内臓だけを塩味の鍋にして食
べる。丸太から四角い柱をとった残りを秋田弁ではざっぱ、津軽弁では
じゃっぱというので、この鍋料理を秋田弁ではざっぱ汁、津軽弁ではじ
ゃっぱ汁と言って珍重する。冬、最高の楽しみである。

煮えたぎった大き目の鍋に荒塩を入れ、そこへ真鱈の頭と内臓を小分けし
てぶち込む。葱、豆腐、白菜を加えてお終い。生姜を利かせたほうが生
臭みを消して美味となる。

いうなれば秋田では下層階級の冬の馳走だが、裕福な家庭に育った友人
たちも「身は要らない」とざっぱをしゃぶる事に専念する。大きな椀で
お代わりを6杯もした人もいる。

今年は都合で2月初めになったが、故郷にいる友人が祝いに「鉈漬け」
を送ってくれる。大根を切れの良くない鉈で削って塩と麹で漬け込む秋
田漬。東京で漬けても気温が高くて酸っぱくなるだけ。秋田で無いと美
味くない。お陰で6人で日本酒を4升も呑んだ。

ところで真鱈は黄海、日本海、東北地方以北の太平洋岸、北はベーリン
グ海、東はカリフォルニア州まで北太平洋に広く分布する。

沿岸から大陸棚斜面の底近くに生息する。夏は深場に移り、水深800mく
らいの深海にも生息するが、冬は浅場に移動して来る。食性は肉食性で、
貝類、頭足類、甲殻類、小魚などいろいろな小動物を捕食する。産卵期
には十分脂が載っているから美味い。

秋田、津軽や北海道周辺海域での産卵期は12月〜3月で、分離沈性卵を産
卵する。産卵前は雄雌共に脂が乗っている。1匹のメスの産卵数は数十万
〜数百万個に及び、これは魚類の中でも多い部類に入るが、成長できる
のはごくわずかである。

稚魚は1年で全長20cmほどに成長するが、この頃までは沿岸の浅場で生活
し、以後体が大きくなるにつれて深場へ移動する。

旬は冬で、底引き網、定置網、延縄、釣りなどで漁獲される。20世紀後
半頃からは輸入ものが多く流通している。

身は柔らかく脂肪の多い白身で、ソテーやムニエル、フライなどの他、
汁物や鍋料理にもよく使用される。身を干物にした「棒鱈」(ぼうだら)
も様々な料理に使われる。生のものを料理する際は傷みが早いことと身
が柔らかいことに注意する必要がある。

また、白子(しらこ)と呼ばれる精巣もこってりとした味で珍重され、
流通する際はメスよりオスの方に高い値がつく。白子は「キク」「キク
コ」などとも呼ばれるが、これは房状になった外見がキクの花に似るた
めである。秋田では「だだみ」と称して高値を呼ぶ。

北海道では「タチ」(マダラは真ダチ、スケソウダラは助ダチ)とも呼
ばれ、新鮮なものが寿司ねたなどで生食されている。

マダラのたらこ(卵巣)はスケトウダラよりも硬いが、未熟なものは柔
らかくスケトウダラよりも大型でボリュームがあるため、煮付けや焼き
物にすると美味である。北陸地方では「真子(まこ)」と呼ばれ良く食
される。

他にも肝臓から取り出した脂肪は肝油に用いられる。

チャンジャマダラやスケトウダラの胃を唐辛子などの香辛料、砂糖、塩
などに漬け込んだものをチャンジャといい、コリコリとした食感を楽し
む。もとは韓国の食材だが日本でも売られるようになった。

真鱈の 陸揚げ漁港(2002年度)
第1位 - 石巻漁港(宮城県)
第2位 - 歯舞漁港(北海道)
第3位 - 羅臼漁港(北海道)
第4位 - 八戸漁港(青森県)
第5位 - 女川漁港(宮城県)

資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年02月02日

◆捕鯨反対を操る者

 渡部亮次郎

またまた米大統領選挙に一石を投じそうなラルフ・ネーダー氏。私は彼の名に触れると、捕鯨反対運動の不純さを思い起こしてしまう。いわゆる刷り込みになっている。外相秘書官時代、アメリアで刷り込まれたものだ。

ラルフ・ネーダー(Ralph Nader 1934年2月27日― )は、大企業の持つ力に批判的なアメリカの社会運動家、弁護士であり、長年環境問題、消費者の権利保護問題や民主化問題に携わる人物である。

ネーダーは、近年のアメリカの対外政策は帝国主義的で、大企業への利益誘導を行っており、民主主義の根本と人道に反しているとして批判をしている。

彼は独立系の大統領候補として有名であり、1996年と2000年には緑の党から立候補した。しかし、2004年の選挙では緑の党から公認を得られず、無所属候補として出馬し幾つかの州で改革党などから公認を得て選挙戦を戦った。2008年も立候補を検討中と伝えられている。

ところで、1965年、彼は『どんなスピードでも自動車は危険だ:アメリカの自動車に仕組まれた危険』Unsafe at Any Speed:The Designed-In Dangers of the American Automobileという乗用車の欠陥を指摘する本を出版し全米に衝撃を与えた。

アメリカの自動車産業がシートベルトなど安全装置の導入に抵抗し、安全性向上のための投資を渋っていると述べ、特にジェネラルモーターズ(GM)製「シボレー・コルベア」に欠陥が多いと告発した。(もっとも、その最大の欠陥であるサスペンションの設計ミスは1964年製からは修正されていたのであったが)。

GMはこの本を徹底的に無視する一方、彼を貶める為に探偵をも雇って粗探しをしたが失敗し、逆にプライバシーの侵害であるとしてネーダーに訴えられて賠償金を支払うことになった。

GMはまた1966年には上院の自動車安全問題分科会への出席を余儀なくされ、ネーダーに一連の妨害を謝罪することとなり、その後コルベアは生産中止に追い込まれた。(「ウイキペディア」)

アメリカから始まった捕鯨反対運動はラルフ・ネーダーのこの動きと軌を一にするのだ。わが国外務省高官(故人)が捕鯨委員会の会議で生卵をぶつけられると言う屈辱的な出来事の起こったのもこの頃である。

その頃(1977-81)、外相秘書官としてワシントンDCをしばしば訪れていたが、米政府高官が解説する捕鯨反対運動への資金提供者はGM以外の何者でもなかった。

GMは消費者の反対運動の勢いを他に向けたい。顧問弁護士らが頭をひねった末、捕鯨反対運動と思い定めたGMは他のメーカーとかたって莫大な資金を消費者団体に渡しながら捕鯨反対運動推進をそそのかした。消費者団体の主なメンバーはまっしぐらに捕鯨反対運動に走った、と言うものだった。

捕鯨反対派の中には、クジラの巨大な脳容積や、音波によって同族間の緊密なコミュニケーションをとっているらしいこと、ヒトと同起源の哺乳類である事を挙げて、「知能が高い動物を食べるのは残酷である」と食のタブー的主張する者もいて運動を盛り上げた。

昔は鯨油のために鯨を追って日本近海まで航海し、挙句の果てに鯨漁基地確保のために日本に開国を迫ったアメリカなのに、言うなればアメリカのお陰で日本は食文化の一端を失おうとまでしている。私はもはや捕鯨は諦めざるを得ないと思っている。

捕鯨推進派は、芸をするブタなどを例に挙げ、「ブタも高度な知能を持っているが、なぜ食べることが許されるのか。クジラが駄目でブタが良いというのは、単なる文化的差異に過ぎない」と反論している。

しかし、ここまで来ると宗教・政治の問題になるので、国際捕鯨委員会(IWC)等公式の場で捕鯨反対運動が否定される事態はまず期待できない。

いずれにしろ風桶屋論で言って、捕鯨反対論を世界的にしたのは米自動車メーカーGMだとすれば、GMはラルフ・ネーダーさえ居なければ運動は起こす必要が無かった、と逃げるだろう。

それより前に運動にカネは出してなかった、と開き直るのが先だろう。しかし人間、刷り込みを消すにもカネと時間がかかるものだ。2008・02・01


2008年02月01日

◆安物中国餃子で命失う

                   渡部亮次郎

昔から「安物買いの銭失い」と言いならされてきたが、中国に関する限
り、安さに釣られて冷凍餃子(ギョウザ)を買えば、下手をすると命を
失いかねない事になった。

いくら安くても、よく見て中国製と分かったら、少なくとも食品は絶対
買わないという人が出てきて当然だ。餃子になぜ殺虫剤が混入したのか、
まだ報道されていないが、分かるも出には相当、時間がかかるだろう。
責任者は雲隠れしたりするのが普通だから。

<「餃子で被害」17都道府県85人に さらに拡大へ

中国製ギョーザ中毒事件で、厚生労働省は31日、全都道府県に同様の事
例の報告を指示するとともに、製造元の中国・河北省の「天洋食品」か
らギョーザ以外の食品を輸入していた計19社の社名と品名を公表、自治
体を通じて各社に販売中止を要請した。

各自治体で被害の訴えなどを集計しているが、北海道、福島県、埼玉県、
東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、大阪府、沖縄県などで新たに「中
国製ギョーザなどを食べて体調が悪くなった」との届け出があることが
産経新聞の調べで分かった。

これまでの不調の訴えは、17都道府県85人に上っている。いずれも31日
昼までの途中集計であることから、届け出はさらに増えそうだ。

厚労省が社名を公表した19社には含まれていないが、マルハと日本ハム、
日本食研も同日、天洋食品の工場から原料を調達していたとして、商品
を自主回収すると発表した。

舛添要一厚労相は「冷蔵庫を見て、(回収対象の商品は)絶対に口にし
ないでほしい」と国民に呼び掛けている。

各地の保健所には、問題が発覚した30日夕以降、同様の被害情報が複数
寄せられており、厚労省は各都道府県の担当課に電子メールで情報提供
を要請。同じ冷凍ギョーザが原因とみられるケースが含まれていないか
どうか確認を急ぐ。>1月31日16時6分配信 産経新聞

信用や面子を重んずる国と思ったが、口がざらつくと自分だけの都合で
処構わず唾を吐く習慣からすると、どうも信用や面子は外国人には通用
せず、売り物は自分の手を離れれば「後は野となれ山となれ」が中国の
哲学のように思えてくる。

餃子(ギョウザ、ギョーザ)とは小麦粉に水を加えて薄くのばして作っ
た皮で肉やエビなどで作った具を包み、茹でたり焼いたり蒸したりした
食べ物である。中国では煮て食べる水餃子が主流。

昭和29(1954)年3月、東京に出てきて初めてお目にかかった食べ物だった。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、日本には戦
後満州からの引揚者がレシピを持込んだ。

日本人は惣菜として食べるから薄目の皮を使い焼いて食べる焼き餃子が
主流である。具にニラやニンニクを用い、また白菜の代わりにキャベツ
を用いることがある。水餃子が主流の中華圏ではニンニクは入れない。

中国では豚肉、白菜、ニラなどを使った一般的なものの他に牛肉 羊肉
ロバ肉 サワラ エビ フカヒレ 豆腐 を入れる。

餃子の歴史は古く、中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からはすで
に食べられていた痕跡が見つかっている。敦煌の唐代の墳墓では、副葬
品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されている。

もともとは華北の料理で、北京語の発音では「ジャオズ」といい、華南
では点心(食事代わりの軽い食品)として食る蒸し餃子がある。

華北の餃子が皮は厚めにして湯に入れて茹でる食べ方が主流なのは主食
を兼ねたものが多いからであ。

餃子はその発音が交子(子を授かる)と同じであることや、清代の銀子
の形に似ていることにより縁起の良い食べ物としても珍重される。

また「交」には「続く、末永し」という意味もあり、春節には長寿を願
い食される。また皇帝も王朝と社稷の永続を祈願し春節のときだけ餃子
を食したという。

日本では大衆的な中華料理店やラーメン店などのメニュー、家庭の手軽
な惣菜として定着しているが、北京や上海では餃子にお目にかかったこ
とは無い。日本で初めて餃子を食べた人物は徳川光圀とされている。亡
命していた朱舜水から教わったという。

一方朝鮮半島から流入してきた餃子もあり、これは白菜の代わりに大根
を用いる、と言うが未だ食べた事は無い。2008・01・31

 
       ★

2008年01月29日

◆顔色で見通す政局

渡部亮次郎


<安倍前首相:「戦う政治家として再び全力を尽くす」 

安倍晋三前首相が26日、地元・下関市の豊浦町と長門市で新春の集いを
開いた。前首相は多くの後援会員を前に「再び戦う政治家として、この
地選出の政治家として新たな思いで全力を尽くす」とあいさつした。

豊浦町の川棚グランドホテルお多福では、山口選出の林芳正、岸信夫両
参院議員のほか、後援会員約600人が出席した。

前首相は開会中の通常国会に触れ「国民生活を守るという観点から与野
党が協力することも必要」と主張。

また、祖父の岸信介元首相の故事を引き「(戦犯として収容されていた)
60年前、刑務所を釈放されて政治活動を再開したのがネズミ年だった。
今年は同じえと。私も政治家として新たな歩みを始める」と述べた。>1
月27日16時0分配信 毎日新聞〔下関版〕


ところで以下はは一昨年秋に掲載したものの再掲だが安陪さんについて
『頂門の一針』は総理就任前から政治家の顔色を見て健康不安を指摘、
短期政権を予測していた。

政局を見通す記者が以前は居たからである。しかし今の政治記者は顔色
を見ても判断できないから,見ることさえしない、と言う話。

昔、NHK政治部で一緒だった大谷英彦さんが、安倍晋三さんの顔色の悪さ
を指摘して「安倍政権、発足後、意外な展開になるかも知れない」と言
ってきたので、なるほど鋭い読みだと敬服した。

<問題は、安倍晋三の顔のくすみです。(2006年9月17日の)フジとテレ朝
は3人がスタジオに同席していましたから、多分事前のVTR収録でしょ
う。想像ですが、収録も昼間だったと思います。

NHKは安倍だけ外からの中継参加でした。朝9時からのナマ番組です
から、多分、安倍さんは早起きしたのでしょう。

途中、3人を顔のドアップがありました。安倍さんの目の下の皮膚の色
は他の2人と格段に違っていました。テレビは残酷です。

先にテポドン発射の朝、官邸に駆けつけた安倍官房長官は目の下に隈が
できていた、と週刊誌が健康不安を書いていましたが、それを目の当た
りにした思いです。

安倍政権発足後、この爆弾がどうなるか。意外な政局の焦点になりそう
です。>(これが見事に的中した!)

今の政治記者は、政治家をわっと取り囲み、発言を一言も聞き逃すまい
と懸命だが、顔色を読み取ろうとしている記者をTVで見たことがない。
TV記者は映像と声を採取すれば終わりと、散ってゆくが、新聞や通信の
記者もそれ以上はやらない。

昔はTVが無かったから、我々も政治家に群がったけれども、決して其処
で真相は吐露されているとは考えられないから、どこかで単独取材の機
会を狙って再度、取材を心がけたものだ。

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2008年01月26日

◆薩摩揚に思い出す

渡部亮次郎

先輩から恒例の薩摩揚げが薩摩から届けられた。令夫人のご郷里が薩摩・
鹿児島だからである。戦前、戦中に貧しい家庭に育った私に、少年時代、
薩摩揚げ、蒲鉾、はんぺんを食した記憶はない。

ごく幼い頃、鮭の缶詰とかバナナを食べた記憶はあり、大東亜戦争の敗
戦後、何年もしてから食べたが、魚肉のすり身を成型して作ると言う薩
摩揚げ、蒲鉾、はんぺんの類は敗戦後9年の春、上京して初めて食べた。

それよりも薩摩揚げが沖縄で異常に高値で、それは琉球王朝が隣の薩摩
藩の無法な支配を受けたことの遺恨からであると説明され、改めて驚い
たものだ。

このときの用事は琉球における主席(知事にかわる)をアメリカ政府の
認知により初めて住民の選挙(公選)によって行われので、それを取材、
報道するためだった。

アメリカ軍に占領された沖縄は当時まだアメリカの施政権下にあり、高
等弁務官が島のすべてを握っていた。折からベトナム戦争が激化し、嘉
手納空港はB52爆撃機の発着が慌しかった。

言葉も良く通じないまま島中を駈けずり周り「4万の差で屋良朝苗(やら
ちょうびょう)氏が当選するはず、と東京に連絡した。

翌日、軍政部の係官が「NHKがそのように放送していた」という。NHKが
選挙の予測を放送するわけがないから,私の電話を盗聴していたと告白し
たようなものだった。

何しろ朝から晩まで、いや、飲み屋でもバーでも尾行されていた。なん
で筑紫哲也(朝日新聞)でなく俺を尾行するのだ、と追及したら、朝日
新聞は配達前に空港で没収できるが、ミスターワラナベの電波は没収で
きないから、都合悪い取材を妨害しなければならないとの返答。震えが
来た。

尾行されながらの昼食。1ドル360円時代に「おでん茶飯」が4ドルぐら
いで法外に高かった。高い理由が福岡からの薩摩揚げの空輸。その理由
が嘗ての薩摩による琉球支配への反発だった。450年以上前の怨恨が脈々
と受け継がれているのである。

豊臣秀吉の時代、朝鮮に於ける戦いで秀吉が薩摩藩に命じて琉球王尚寧
に対し7000人分の食料10ヶ月分を翌年2月末迄に坊津港まで搬入するよ
う指示したところ、財政窮乏を理由に割り当ての半分を送って来なかっ
た。

しかも尚王その一方の宗主国たる明の朝鮮に対する思いを配慮したこと
などに、秀吉、琉球の間で命を受けた薩摩藩主島津義久の立場は深刻で
あった。

ややあって秀吉が亡くなり徳川家康の時代となった後も尚王の手落ちが
重なり、結局薩摩藩は樺山権左衛門久高を総大将として1609年(慶長14
年)3000名の兵を出して首里城を攻略してしまうこととなってしまった。
450年以上前の怨恨が脈々と受け継がれているのである。

琉球諸島は、廃藩置県により明治12年沖縄県となる。第2次世界大戦後
アメリカはその統治の間再び琉球を公称した。面積2388平方キロ、神奈
川県よりやや広い。1945年4月からの米軍の艦砲射撃で徹底的に破壊され
た後占領。自治権を失った。

爾来、米軍基地の島とされ、今日に至っているが、施政権は佐藤栄作首
相による対米交渉により1972年5月15日に返還された。

題は沖縄では無い、薩摩揚げだった。由来については諸説があるが、島
津藩(通称薩摩藩)による琉球侵攻のさいに、琉球料理のチキアギー
(チギアギ)を持ち帰ったものが転じて「薩摩揚げ」になったとされて
いる。鹿児島県でいう「つけ揚げ」は、「チキアギー」が訛ったもので
ある。

今度頂戴した薩摩揚げの原料は南ダラ、エソ、タイカジキのすり身とあ
る。こうした魚肉のすり身に塩・砂糖などで味付けし、形を整えて油で
揚げる。 厚さ1-2cmほどの丸形・小判形あるいは角形をしていることが
多い。ほかに、ゴボウ、イカ、ゆで卵などの素材を包み込んだものもあ
り、異なった形状をしている。

鹿児島県産が特に有名なことから、東日本では「薩摩揚げ」と呼ばれる
が、西日本では「天ぷら」と呼ぶ人もあり、鹿児島県では「つけ揚げ」
と呼ばれる。「揚げ半(ぺん)」など、その他の異称も多い。

そのまま、あるいは軽く焼いてしょうが醤油やからし醤油で食べる。お
でんだね、うどんの具、皿うどんの具、煮物の材料にも用いられる。(再
掲)

参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2007.02.16


2008年01月25日

◆政局を見る色眼鏡

                   渡部亮次郎

「政局には常にフィルター(色眼鏡)を掛けて見なけりゃ駄目だ」。これは故島桂次(元NHK会長)に繰り返し教えられた事だ。とんでも無い、想像もできないことが展開されているのでは無いか、常に疑惑の目で政局を見ろ、と言う教えだった。

<フィルター(フィルタ、filter)とは、与えられた物の特定成分を取り除く(あるいは弱める)作用をする機能をもつものである。ある成分以外の全成分を弱めることにより、その成分だけを強調する効果を得る場合もある。さらに、各成分に対し何らかの処理を施す場合もある。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若い頃、青空に浮かんだ雲を、白さを強調して撮影するにはレンズに黄色いフィルターを嵌めて撮影した。すると青空と雲の白さのコントラストが強調してプリントできた。

そこで島論を現在の政局に当てはめてフィルターを用意するとなると、如何なる事が想像できるだろうか。順不同で考えてみる。

@ 自民党内に福田内閣打倒の動き。この不人気じゃ、とてもじゃないが選挙にならない。人気を取れそうな麻生太郎を担ごう、という動きは無いか。

A「たかり」に終始する公明党を排除するために自民・民主「大連立」を復活させる動きは無いか。

B社会党復活への動きは無いか。

C参院廃止を、憲法改正と関係なく実現する研究が進んでいないか。

D小泉カムバック作戦は無いか。

E小沢引退作戦は無いか。

F共産党解党はあり得ないか。

G考えれば切りがない。

しかし、若い政治記者と話してみると、目先の現象を追うばかりで、こうしたフィルターを1個も持ち合わせていない。だから渡邉恒雄構想に基づく「大連立」の動きを知る由も無かったわけだ。

先輩記者{共同通信社}の古澤襄さんは@の動きをとても注目している。1月21日の夜、不倶戴天で不仲と見られている福岡県選出の代議士麻生太郎、古賀誠両氏が、高村外相(高村派会長)、久間章生(津島派幹部)両氏を交えたとはいえ会談した事は、少なくとも麻生政権阻止を掲げてきた野中、古賀両氏に何らかの「決心の変更」があったのでは無いかというわけだ。

古賀氏が自民党の中核に歩を進め得たのは野中廣務氏の推薦によって幹事長のポストに座ったことがきっかけである。だから古賀氏が「中」宏池会の親分になれても彼の「親分」は依然として野中氏なのである。

元共同通信記者のノンフィクション作家魚住昭『野中広務 差別と権力』によると、

<麻生太郎は過去に野中に対する差別発言をしたとして、2003年9月11日の麻生も同席する自由民主党総務会において、野中に以下のとおり批判された。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなぁ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の3人のメンバーに確認しました。

君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんて出来よう筈がないんだ。私は絶対に許さん!」

野中の激しい言葉に麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだったと同書には記されている。>(「ウイキペディア」)

先に安陪晋三氏が総辞職を決意した際、後継に麻生の浮上する事に危機感を持った野中氏は政界を引退した身であるにも拘らず郷里京都から急遽、上京し、大車輪で麻生政権の芽を摘んだ。

それが半年も経たずして子分古賀氏に麻生氏との会談を許した事は野中氏に心境の変化をもたらす何事かがあったと推測したくなるのである。

21日夜の4者会談は、古澤氏によれば「洞爺湖サミット前の衆院解散はさせない」ことで一致した。しかし勘繰ればサミット後は福田首相に何も「保障」はしないことで一致したとも取れる。

或いはサミットを花道にして福田を引退させ、後継は麻生と言う事で阿吽の呼吸、と言う事も勘繰れる。しかし、新聞、TVには「フィルター」のかかった観測記事は1行も出ていない。   2008・01・24



2008年01月23日

◆秋山氏が朝日を提訴

                 渡部亮次郎

防衛省事務次官不祥事に関連して、「山田洋行から1億円を受け取った」などと報じられた社団法人日米平和・文化交流協会の専務理事秋山直紀氏は1月17日付で、先ずこのことを最初に報道した朝日新聞社を相手取り、名誉毀損で社団法人と共に東京地裁に提訴した。

訴状によると朝日新聞社が平成19年11月30日から12月1日にかけて報じた秋山氏と社団法人日米平和・文化交流協会に関する記事はすべて事実無根であるため、著しく名誉を毀損されたので、団体(会長瓦力氏)と秋山氏に各5500万円を払い、朝日新聞とそのホームページに謝罪訂正記事の掲載を求めている。

これにより公判は2月中にも開始されるものと見られているが、司法関係者は「朝日のみならず読売や毎日の報道どおりなら秋山氏はとっくに逮捕、起訴されてなければ辻褄が合わない。マスコミは山田洋行側に踊らされたのではないか」と指摘している。

また別の事情通は「秋山氏は単なる民間人であって、仮に受領していてもなんら犯罪を構成しない。新聞もTVも山田洋行側だけの指摘で、秋山氏の立場になんら配慮しないで一方的に報道した。秋山氏の訴えは当然だ」と指摘している。

問題の記事は、
(1) 平成19年11月30日付朝刊。「山田洋行/防衛族団体側に1億円か/毒ガス弾処理受注/協力費支出の文書」

(2) 同日付夕刊
  山田洋行/協力費1億円裏金から/米の子会社が支出

(3) 12月1日付朝刊
  山田洋行1億円 防衛職員を参考人聴取 東京地検 ガス弾処理めぐり

これらの記事に就いて訴状は次のように訴えている。

(1)の記事こそ疑問形になっているが、朝刊1面トップでセンセーショナルに取り上げている。(2)と(3)に就いては断定的で誤解と名誉毀損となる。

とくに山田洋行から国防族議員に対し、国発注事業の受注のために多額の利益提供を行った事、しかも秋山氏がこれに関与している事を示唆し、読者にその旨印象付けるものとなっている。

しかし安全保障研究所の米国の関連団体などというものはそもそも存在しておらず、したがって90万ドル(約1億円)を受け取りようが無い上、安全保障研究所も原告らも、この金を受け取った事実は無い。この記事は事実無根である。

特に原告秋山が授受に事実を強く否定しているにも拘わらず、支払いを受けた関連団体の特定すら出来ないままの報道。極めて杜撰な取材に基づく「中傷」記事である。

これについて日米平和・文化交流協会は朝日新聞社に対し、平成19年12月4日付で、名誉毀損を指摘した上で、謝罪と謝罪訂正記事の掲載を求めたが、適切な対応は無かった。

そこで原告らはそれぞれ5500万円の損害賠償を求めると共に謝罪訂正記事の掲載を要求する、としている。

秋山氏はまたテレビ朝日が12月9日に放送した「サンデープロジェクトでの司会者田原総一朗氏の発言は、秋山氏がさも山田洋行から1億円を受け取ったかのように取れるもので事実に反する、訂正を申し入れた(1月17日付)。                 2008・01・22


2008年01月22日

◆牛の刺身は命がけ

                  渡部亮次郎

死亡率70%という超強力菌「ボツリヌス」が日本の飼育牛にも集団発生していることが分かった。場合に依ってはステーキのレアは勿論、牛の刺身を食べることは命懸けということになりかねない。

<牛350頭が「ボツリヌス症」に、04年以降8県で

牛のボツリヌス症の集団発生が国内で2004年以降相次ぎ、8県で350頭を超す牛が死亡または廃用となったことが小崎俊司・大阪府立大教授(獣医感染症学)の調査でわかった。

1994年に北海道で52頭が初めて報告され、99年に神奈川県で28頭が報告されて以後、途絶えていた。

しかし04年、神奈川県で17頭の発症を確認。05年は兵庫県で127頭のほか秋田、愛知、三重、鳥取の4県でも発生し、06年は鹿児島、岩手県、07年も愛知県で感染が確認された。突然倒れたりした後、1日から1週間で死ぬ例が多く、致死率は極めて高い。

豪州やブラジルでは肉や牛乳の汚染を懸念し、牛へのワクチン接種などの対策が進んでいるが、日本では検査薬やワクチンも市販されていない。

ボツリヌス毒素は、いくつかの型があり、今回の牛の集団発生の型と人の食中毒の型は異なるが、動物実験では同様の毒性を持つことが確認されている。>(2008年1月19日09時06分 読売新聞)

ボツリヌス菌。典型的な毒素型食中毒の代表原因菌。もともと芽胞(細菌胞子)の形で存在する土壌細菌で、自然界に広く分布する。

ボツリヌスとはラテン語でソーセージの意味で、この菌に汚染されたハムやソーセージ、缶詰、飯ずし(ハタハタ鮓など)などを摂取すると、菌の混入によって食品中に排出されていたタンパク質性の毒素が、腸管から吸収されて食中毒がおこる。

<飯寿司(いずし)とは、ご飯と魚・野菜・麹を混ぜて桶に入れ、重石をのせて漬け込み、乳酸発酵させて作る「なれずし」の一種。飯鮨とも書く。

飯寿司は、主に北海道から東北地方で、冬季に作られる郷土料理である。一般に漬け込まれる魚には、ハタハタ、鮭、ニシンなどが、野菜には、キャベツ、大根、ニンジン、ショウガなどが使われる。サンマ、ホッケ、カレイや、きゅうり、タマネギ、サンショウが使われることもある。他のなれずしに比べると漬ける期間は短く、匂いは穏やか。米の甘さと乳酸の酸っぱさのバランスが良い。

すしの分類として、「イズシ」または「イズシ系」と分類名に使うこともある。この場合は、「飯+魚+野菜+塩+麹」で構成されるなれずし全般を示し、石川県のかぶらずしなどもこの系統とされる。

北陸以北の日本海側と北海道の寒い地域に集中した明確な分布圏がみられる。>この項出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ボツリヌス菌の作る毒素は、免疫学上の違いから、A〜Gの7型に分けられる。このうちヒトに中毒をおこすのは、A、B、E、Fの4つ。

腸管内で吸収されると24〜72時間で症状が顕れ、末梢神経(まっしょうしんけい)の筋肉への神経接合部がおかされて筋肉麻痺を起こし、呼吸困難から死亡することが多い。毒素が神経に結合した後の治療はむずかしく、70%の死亡率を示す食中毒もおこる。

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2008年01月20日

◆空しい日本政治の評論

                 渡部亮次郎

国会のみならず日本全体、政治がつまらない。いくら論評しても姿勢を正す能力の無い連中と分かったから興味がすっかり薄れてしまった。

第一に福田康夫である。引退寸前だった彼を総理にしたのは小泉純一郎によって引退に追い込まれた野中広務である。安倍辞任を先駆けて聞きつけ、京都の奥から駆けつけ、森喜朗や青木幹雄を説得して福田の萎えていた野心を呼び戻すのに成功した。

しかし目的に前向きなものは何一つ無い。小泉への怨念だけである。また福田本人にも抱負・経綸があるわけじゃない。用意された座布団に座ってみたもののタネ一つ持たない噺家のようなもの。民心は日々離れて行くのが自明の理である。

19日の施政方針演説にしたところで高い理想はどこにも無い。世論の反発、野党の反撃を食らわない事ばかりを並べ挙げて見せただけ。これだけ下手に出られれば、世間とは、却って馬鹿にして反発するものである。支持率が上がる訳は無かろう。

他方の民主党小沢一郎。自民党を脱党してから既に15年の歳月が流れた。途中、細川内閣を成立せしめた事もあったが、概ね野党生活を続けている。弟子と言いながらやって来た事は反角栄ばかりだ。

2007年夏の参院選挙で参院第1党となり、勢いに乗って衆院でも第1党になれば晴れて政権交代を実現できるわけだから、衆院の早期解散を目的にした国会運営を展開している。少なくとも幹部たちの路線に乗った振りをしている。

これは至極当然のように思えるが、私は裏目に出ると思う。山岡国対委員長の戦術の低劣さから、政府与党に対する「反対」がすべて「妨害」と映り、戦う「勇者」ではなく、正義に抵抗する「悪者」になりかかっている。

先の参院選の結果を民主党は「民主党の勝利」と言うが、これは違う。安倍チョンボ内閣による「自民党・公明党の敗北」に過ぎない。安倍に少しの精神力と大いなる体力があれば負けなかった選挙だった。

このことを一番気に病んでいるのが小沢であり、気付いていない風を装っているのが鳩山、全く気付いていないのが菅直人。先日会って驚いたが参院議長江田五月は恐るべき現実主義者。小沢に似ている。

小沢にしてみれば、参院が本当の勝利でなかったからこそ「大連立」で自民党に「トロイの木馬」として乗り込み、庇から母屋を盗ろうとしたのに、幹部を名乗る素人、ガキども。この亀裂、何時顕在化するか。

国民が、先に支持した小泉路線。これを継続して行くには自民党にとって安陪内閣ではあまりにも弱すぎた。地方への配慮を忘れて戦後レジュームの解消ばかりを訴えると言う単純性脳膜炎が敗北しただけで、民主党の勝利では絶対、無い。

野中広務の企図した福田康夫内閣は参院をめぐる野党対策に苦慮しながらも「3分の2」の壁に守られて、しかし思い切った事は何もできないまま、のんべんだらりと任期満了まで待つだろう。

その時、自民党がすっかり国民の支持を失っている可能性のほうが大きいが、憲政の「妨害者・民主党」の印象をもたれている危険性も大いにあるのだ。

日本の政治にとって最も恐しい事は「判官贔屓」。弱いものの味方。自民党と民主党。判官贔屓を受けられる方はいずれなのか、何時なのか。嵩にかかると民主党は衆院総選挙で惨敗する。

いずれにしろ小泉改革の継続者と見た安陪晋三が隠花植物に似て智恵不足は勿論だが力の全く無い、ただの優男だった事のショック
から立ち直れないまま越年だけした。文中敬称略。2008・01・19




2008年01月19日

◆深川で草食う真鴨

                渡部亮次郎

シベリアからの渡り鳥「マガモ(真鴨)」は干拓前の八郎潟(秋田県)には大群が秋の終わりごろから飛来し、これを狙い撃つ散弾銃の銃声が冬の間中響いていたものだ。

当時の農村に肉屋やスーパーは存在しないから、馳走といえば飼っている鶏を潰すぐらい。滅多に無かったが、近所の鉄砲撃ちが獲った八郎潟の鴨を呉れて、鶏とは比べものにならない美味に驚いたものだ。

干拓八郎潟の残存湖の沿岸で鴨肉を1羽1万円で販売しているところがあると言うので取り寄せて見たが大失敗。雑穀の匂いがきつくて、幼い頃食べた美味しさはまるでなくて、1度で懲りた。渡って来たマガモをそのまま大きなカゴに囲い、雑穀で飼育した奴だったのだ。

そのマガモが東京湾に極く近いとはいえ、林野庁貯木池跡地の猿江恩賜公園に数十羽、飛来し、草を食っているのを見て奇異な感覚に襲われた。湖や沼で小魚を食っているのじゃなかったのか、と。

そうじゃなかった。世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービスによれば、ここ深川のマガモたちは公園の片隅に貯木池の記念として作られた池(1600平方M)に飛来したものらしい。

それにしてもこの人工池には虫はもちろん小魚1匹居るわけでは無い。何を目的に飛来したのであろう。群の脇では東京湾の鴎の群も居る。これらも何を目的に真水の池に来ているのだろうか。観察不足、いまだ不明である。

マガモ(真鴨)はカモ目カモ科の鳥。北半球の中緯度地方以北で繁殖し、寒冷地のものが冬季に日本など南へ渡る。分布が広く、個体数の多いカモの一つ。

日本では冬鳥として多数渡来し、波静かな海、河口、湖沼、河川などに生息する。また北海道や本州で繁殖するものがある。

繁殖期以外は植物食で、草の葉、根、実や穀類などを食べる。全長約59cm。雄は頭部が金属光沢のある緑色で、このため俗にアオクビと呼ばれる

分布が広く、飼育も容易であったことから古くから家禽(かきん)化され,アヒルがつくり出されたそうだ。

古来、カモの肉は美味なので、日本人は古くからこれを愛好した。貝塚から出た鳥骨もカモ類のものが多い。

《播磨国風土記》にはカモを羹(あつもの=熱い吸い物)にした記事が見え、偶然ではあるが、これが文献に記載された日本最古の料理ということになる。

しかし、それ以後貴族や武家の支配階級はキジ(雉)を最高の美饌(びせん)として尊び、カモはやや軽視されていた。

近世に入ると、武家は鶴を珍重したが、カモは庶民層によってこよない美味とされるようになり、カモやカモの味の語は、無上のご馳走や快楽、あるいは獲物、幸運などを意味するようにもなった。
野卑なたとえで「○○は鴨の味」とよく聞いたものだ。

井原西鶴の作品にはカモ料理の名が多く見られ、とくに《日本永代蔵》には「鴨鱠(かもなます)、杉焼のいたり料理」という語があって注目される。

「いたり料理」とは手のこんだ贅沢な料理の意味である。脂皮を除いて細切りにした鴨肉を温めた酒で洗ってワサビ酢をかける鴨鱠、杉箱の底に塩をぬりつけて火にかけ、その中でみそを溶かしてカモ、タイ、豆腐、ネギ、クワイ、ヤマノイモなどを煮て食べる杉焼といったものが代表的な贅沢料理だったというわけである。

なお、「アイガモ」はマガモとアヒルの雑種である。

四つ足を食べなかった時代の日本人にとって鴨肉はそれほど珍重されたのだ。1970年代後半の福田赳夫内閣時代、宮内庁の鴨場で各国大使や閣僚らを招いて催される伝統の「鴨猟」が残酷だと批判されたことがあった。

その後、どうなったか知らないが、少なくともそれまで「伝統行事」だったという事は「鴨の味」が伝統として伝わっていたと言う事でもあろう。2008・01・18

2008年01月18日

◆泥鰌あれこれ

                 渡部亮次郎

「江戸浅草寺の南方、駒形堂付近の地区名。今、駒形1〜2丁目(東京都台東区)・駒形橋などの名称が残る。こまがた」と広辞苑が説明する駒形名物は「どぜう」と旧仮名?の看板を掲げる泥鰌(どじょう)料理店である。

観光バスも停まるらしいから東京都民ならずとも客が全国から来るわけだが、関西出身の友人によると昔から食糧の豊富だった関西では泥鰌を食べる習慣が無かったそうだ。そういえば大阪に泥鰌料理店は無かった。今は知らないが。

東京では多くの泥鰌料理店などでは「どぜう」と看板に書いているが、歴史的仮名遣では「どぢやう」が正しいとされている。(大槻文彦によれば高田与清の松屋日記に「泥鰌、泥津魚の義なるべし」とあるから、「どぢょう」としたという)。

しかし、江戸時代の商人が、「どぢやう」が四文字で縁起が悪いとして、同音に読める「どぜう」と看板に書くようになったのが始まりといわれている。

ウイキペディアによると泥鰌は東京近辺で好まれるため、産地も
利根川水系で取れたものが大部分を占めていたが、韓国や中国などからの輸入が増えつつあるそうだ。

泥鰌は農民の動物性食品として重要なものであった。泥鰌を捕るには、夜間灯火を点じて水面を照らし水中に静止しているものをすくい取り,または鋭い針を植えた棒などで突いてとった。

郷里の秋田では水田の泥鰌を竹を細く割って編んだ筌(うけ)(田舎では「どう」といった)を小流に据えて捕る漁法が普通で、夕方、据えて早朝引き揚げるのだったが、上手な兄を真似ても私のには1匹も入らなかった。止めた。

泥鰌は以前は「田螺(たにし)と共に各地の水田などから多量に生産、漁獲されたが、第2次大戦後に農薬の使用が盛んになるにつれ、1957(昭和32)年から63(昭和38)年ごろまで天然産泥鰌の産額が著しく減少した。

そこで各地で農家の副業を兼ねて泥鰌の養殖が試みられた。一方、稲田などに低毒性の農薬を使用するようになって、天然泥鰌の生産はやや回復した。しかし、現在では生産が消費に追いつかず活魚で輸入している。

大ぶりのものは開いて(さき)頭と内臓を取り、小さいものはそのまま(まる)で、ネギ、ゴボウとともに割下で煮て卵で閉じた柳川鍋とされることが多い。卵で閉じないものはどぜう鍋と呼ばれる。

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