地続きの韓国や北朝鮮には地震が無いが中国には結構、地震があり、非公式には死者80万人の唐山地震(とうざんじしん 1976年)を隠したのが共産国・中華人民共和国である。
当時中国は文化大革命のさなかであり、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を拒否した。このことが犠牲者の拡大をもたらした一因だといわれている。2008・05・12に四川省でM7・8の大地震が起きた。今回はどうか。
何しろ、災害が起きて国力の低下が報じられれば外敵が攻めてくる。故に被害の公表は禁止という共産国。900人が学んでいた小学校が倒壊したが死者は「4人」と発表するようではあまり変わりない。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、1976(昭和51)年7月28日3時42分(現地時間、UTC+8)に、中国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュード7・8の直下型地震が起きた。今回も同じMである。
市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、激震によって中国有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。
この地震による死者は公式記録によれば242,419人、非公式には60万から80万人とも言われ、20世紀最大の被害である。日本人も火力発電所建設のために派遣されていた日立製作所の社員3人が犠牲になった。
中国では1975年2月4日に起きた海城地震の直前に予報を出して被害を大幅に減らす事に成功しており唐山付近で地震が起きる可能性が高い事もわかっていたが、今回は予報を出せず地震予知の難しさを知らしめた。
地震予報を出す仕事をしていた専門家もホテルの部屋で圧死していた。科学のレベルもさることながら、文革のさなかの事。予報がはずれでもしたら、係りの命はやはり無かったろウ。出せなかった。
地震直後、中央政府は治安の混乱を恐れ、地震の5時間ほど後には対策本部を設置し、10万人の人民開放軍兵士を投入し、2万人以上の医療人員を派遣した。現地の混乱は、地震後2日目にはおさまったといわれる。
唐山市ではこの地震によって公式には14万8000人が亡くなり重傷者は8万人以上と被害は市民の21.2%に達し、住宅の全壊率は94%だった。これによって再建がほぼ一段落するまでの約10年間、外国人の立ち入りが制限されていた。
現在は抗震記念館が設けられて到壊した建物や断層の一部が地震遺跡として保存されている。2006年7月28日、中国共産党は唐山市で30周年記念大会を開催、およそ700人が出席して「唐山抗震記念碑」に献花などを行ったと発表した。
<大地震の前の動物の異常行動を列挙すると以下のようなものがあげられる。
ラバの大逃走、動物の絶食、恐ろしい声で犬は吠え、猫は叫ぶ、兎と羊が狂う、水生動物の恐怖行動反応、金魚の夜のダンス、スッポンの悲鳴、青蛙の没黙の集合、鳥と昆虫の奇怪な行動反応、
鸚鵡に驚かされた夜、昆虫の集会、コウモリが白日のもとで飛び回る、鴿は落ちつかない、穴居動物の避難行動、イタチの引っ越し、ネズミは災難を予知、まだら蛇は「警報」、サソリとムカデとアリの大逃去。>(尾池和夫) 2008・05・12