3月26日は楽聖忌として知られるが、これはベートーヴェンの命日だからである。40過ぎの頃、ボンの生家を訪ねたことがあるが、休日で入館できなかった。以下「ウィキペディア」で「勉強」する。
《楽聖》は他にもバッハやモーツァルト、ショパン、エルマン(ヴァイオリニスト)などにも冠される称号であるが、単に《楽聖》とだけ言った場合はベートーヴェンを指すことが殆どである。日本では《楽聖》といえばベートーヴェンが定着している。
ところが、容姿は小太りで身長も低く、黒い顔は天然痘の痕で酷く荒れていたという。表情は有名な肖像画の数々や、デスマスクや生前ライフマスクを作っていたこともあり判明している。生涯独身。
若い頃は結構着るものに気を遣っていたが、歳を取ってからは一向に構わなくなり、「汚れ熊」が彼のあだ名となった。そうした風体のため、弟子のチェルニーは少年時代に初めて会った時、ロビ
ンソン・クルーソーを思わせる、という感想を抱いた。
浮浪者と間違われて逮捕される事も何度も有った。ただ身なりには無頓着だったが手だけは念入りに洗うのが常であった。
性格は、ゲーテに「その才能には驚くほかないが、残念なことに傍若無人な人柄だ」と評されるように、傲慢不遜であったとされる。頑固さは作品にも反映されている。ゲーテには絶交された。
このように非常に厳しかった反面、実は冗談・語呂合わせを好んだ。諧謔性が発揮された作品も幾つも残っている。また自分も必ずしも楽譜通りに演奏しないのに、楽譜通りに弾かない演奏家には激しい非難を浴びせたという。
日本では、クラシック界の作曲家は「バッハ」、「モーツァルト」のように原語の発音で表記されることも多いが、ベートーヴェンの場合だけなぜか英語読みが一般的になっている。
ドイツ語では“Beethoven”は「ベートホーフェン」、一般的には「ベートーフェン」と読まれる。だから日本でも明治時代の書物の中には「ベートホーフェン(ビートホーフェン)」と記したものが若干ある。
しかしなぜか程なく「ベートーヴェン」が浸透した(唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である)。
中国では外来語のvをfまたはwの異音と見なすので、「貝多芬
(Beiduofen)」となる。
ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、は1770年12月16日ごろ寒村ボンで生まれ
1827年に死去した。60歳に満たなかった。
父ヨハン、母マリアの次男。ヨハンは宮廷歌手であったが、アルコール依存のために喉を患っており、収入はほとんどなかった。
だから一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であった祖父の支援により生計を立てていた。この祖父が亡くなると一層生活が苦しくなった。
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