2006年09月25日

「総・幹分離」の慣例

Asahi Com 2006年09月25日13時18分によると、安倍自民党総裁は幹事長に中川秀直を起用し、幹事長に総裁派閥以外から起用するという「総・幹分離」の慣例を破った、という。03年9月に同じ森派の安倍氏を幹事長に起用した小泉首相の手法を踏襲した形だとも。

幹事長に総裁派閥以外から起用するという「総・幹分離」の慣例とは、なんのことはない、森派の源流福田赳夫派がライバルの大平派に無理やり呑ませた「拳骨」である。それを小泉が破り、今度また安倍が破るという。政治とは「自分勝手」なものだと、つくづく思う。

<党務を仕切る幹事長は総裁の派閥とは異なる派閥から選任して、党内の派閥の調整を図る原則。1974年に椎名悦三郎が裁定によって三木総裁を選出する際に総幹分離を提唱し、三木総裁以降は総幹分離を慣例としている。(党議決定ではない)。

以降、総幹分離の原則が破られたのは、大平総裁による斎藤邦吉の幹事長起用、小泉総裁による安倍晋三の幹事長起用、今回の安倍総裁による中川秀直の幹事長起用の3例である。>(「ウィキペディア」)

これで逆に分るように「幹事長は自派から」こそが自由党、自民党の慣例だった。吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、各総裁はみな自派から幹事長を連れてきた。ただ、三木武夫のときは他派から採った。

次の福田総裁は、椎名裁定とは無関係。嘗て総裁選挙で敗れた田中角栄にヒザを屈して、任期2年、幹事長にライバル大平正芳を据えることを条件にした「密約内閣」だったから、仕方無しに「総・幹分離」となったものだ。

秘密の約束でも、約束は守らなければならない。約束を守らないものは武士ではない、男ではないと昔から教えられて育った。ところが福田は平然と約束を破り、総裁再選出馬を宣言した。昭和53(1978)
11月のことだ。福田は敗れた。

勝った大平はあまり仲はよくなかったが、自派であり、背後の強力支持者田中角栄と通じている鈴木善幸を幹事長に据えようとしたところ、福田が「総・幹分離の原則」という言いがかりをつけ妨害した。28年前、福田が言い出した「総・幹分離」。それを旧福田派が続けて2回、破っただけのことなのだ。

政治とは話し合いでなんかない。権力闘争である以上、戦争に違いない。権謀術数と談合の世界だ。中川一郎のように自殺に追い込まれた人も居る。福田が苛めた大平は心筋梗塞で急死し、小渕恵三は小沢一郎との緊張関係が脳梗塞を招いたといわれる。

殿は侍大将を腹心とした。政治は幹事長を腹心乃至はそれに近い者から選抜するのが当然である。三木を総裁にするとき、椎名が総・幹分離を条件に付けたのは、もともと非保守の過去を持つ三木の独走を牽制しただけのことだった。

以後それが守られたように見えるのは、以後の総理・総裁に「総・幹一致」を言い出す実力が無かったまでのこと。それを小泉が元に戻し、安倍が踏襲したわけ。安倍は祖父岸信介に還った。

算数をやれば,否これは小沢の術中だが、参院選に負ければ安倍政権は短命に終わるという。マスコミは早くも小沢の術中に嵌って声を揃えている。

そういうなら安倍は死に物狂いで参院選挙対策をしなくてはならない。気心の知れた中川を幹事長に起用するのは当然のことである。選挙対策に幻想や夢想は禁物だからだ。

それにしても、地方で民主党が絶対勝つと言う保証なんか何処にもない。少なくとも自民党が小沢の術中には絶対に嵌ってはいけない。民主党の土俵で相撲を取ってはいけないのだ。

1974年の椎名裁定という。32年も前のこと。裁定はもはや消滅したと見るべきだろう。それが証拠に、今度もこれで安倍に刃向かう奴なんて何処にも居ないではないか。

特に第2派閥を自任する津島派(旧田中角栄派)が3役から脱落したのに、泣き言しかいえない状態。これが赳夫さんだったら黙っていなかったろうな、と回想する。いや、津島派なんて派閥とはいえない。津島なんて角栄が認知してないもの。

26日の組閣に期待をかけているのだろうが、安倍は竹下にしてやられた父晋太郎を偲びながらの人事をするかもしれないよ。(文中敬称略)

スカートにかかった水

9月29日は日中国交正常化がなった記念の日である。これを卜して第5回9・29反中共デー東京大会が開かれることをご存知か。

<昭和47年9月29日、我が国は中共との国交を樹立しました。その日から30年以上の年月が過ぎましたが、我が国と中共との関係が正常かつ友好的であった事はありません。

靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯…、さらに東シナ海における海底資源の盗掘、我が国の領土である沖ノ鳥島の存在の否定、支那各地における反日侮日暴動…など、我が国に対する中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されています。

さらに中共は、我が国からのODAや円借款など多額の経済援助によって、軍備を増強し、我が国をはじめ周辺諸国に軍事的脅威を与えています。「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国です。我が国は現在、中共による侵略の重大な危機に直面しています。

我々は草莽の有志として、祖国の危機を坐視する事は、断じて出来ません。平成14年9月29日、所謂「日中国交正常化」30年の秋、我々は中共との国交断絶を勝ち取る為、第1回9・29反中共デーを開催いたしました。

第5回の今年は東京をはじめ、神奈川(横浜)、中部(名古屋)、関西(大阪)、九州(福岡)と各地において大会を開催いたします。
これは「中央での共闘」から「全国での連帯」の拡大であり、統合から連合への発展といえます。

「9・29反中共デー」の旗の下、「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を声高らかに叫び、勝利を目指して、同志同憂各位が共に起ち上がり、共に闘う事を熱望いたします。

☆日時 9月29日(金)雨天決行
午前11時〜集会開始
正午〜デモ出発

☆会場 三河台公園 東京都港区六本木4の2の27
(六本木通り/俳優座の横)

☆合意事項
超党派の運動のため、次の行為はご遠慮下さい。
1)会旗の掲揚
2)車輛での参加
3)隊服の着用

☆主催
9・29反中共デー東京大会共闘委員会
事務局03-3918-9524(三澤浩一)>

<過去数十年にわたって,日中関係は遺憾ながら,不幸な経過を辿って参りました。この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて,私はあらためて深い反省の念を表明するものであります。第2次大戦後においても,なお不正常かつ不自然な状態が続いたことは,歴史的事実としてこれを率直に認めざるをえません。>
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2006年09月24日

自分で潰した社党内閣

            渡辺亮次郎

昭和22(1947)年4月25日、私は小学校6年生になったばかりだった。この日、第23回、敗戦後としては2回目の衆議院議員総選挙が行われ、あろうことか、日本社会党が第1党となり、労働者と農民の党が政権を握った。片山哲内閣の成立である(6月1日)。

5月3日には新憲法、「日本国憲法」が施行されたから、新憲法下初の政権を握ったという輝かしい歴史を持つ社会党だったが、時流の然(しか)らしむるところ、現在は落ちぶれて社会民主党である。

社会党143、自由党131、民主党124、国民協同党29というのが獲得議席。ちなみに前年4月の総選挙で史上初めて登場した婦人議員39人はこの選挙で15人に減少した。歴史年表では、4月25日から小学校でローマ字教育開始とあるが、田舎では教えられる先生が居なかった。

私は「新憲法」なるものに興味を持ち、何処から手に入れたか記憶がないが、猛烈、勉強した。以後、2度目に憲法を読んだのは政治記者の成り立て直後、衆議院担当になったときだけである。是非、死ぬまでに改正憲法を読みたいものだ。
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2006年09月22日

三越天皇「なぜだ!」

          渡部亮次郎

デパートといえば、東京では三越が代表していた。戦前から「今日は帝劇、明日は三越」(その逆だったかもしれない)が金持ちを象徴するキャッチ・フレーズだった。確かに高島屋とか松坂屋とかもあったが、「一流」は三越だった。

それが三越の天皇といわれた社長岡田茂のために、三越はその地位を失い、あれから24年も経つのに、三越はその地位を高島屋に奪われたままである。事件の起きたのが1982(昭和57)年9月22日だった。

<この日の取締役会。5つの議案の審議が終わった後、岡田の腹心中の腹心だった専務・杉田忠義に議長を交代した。ところが、岡田に渡された議案には書かれていない第6号議案、岡田解任決議が杉田から発議され16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。

このとき岡田が発した「なぜだ!」はこの年の流行語となった。後任には岡田によって飛ばされた名古屋三越社長の市原晃が就任し、信頼回復に全力を尽くした。>
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参院選、小沢役立たず

           渡部亮次郎

「参院選は民主党が敗北します」というメイルが2006年9月22日に届いた。それを友人に伝えたら、折り返しのメイル。

<自民が出す政策に、民主がより良い対案を出して競い、結果として、私たち国民が「民主党政権の方が幸せになれる」と実感した時、民主党は初めて政権が獲れる。

それなのに、自民党にすべて反対という小沢路線の誤りは、何でも反対だった社会党没落の歴史で実証されています。

来年の参院選で「小沢の豪腕」をマスコミが囃したてるほど、小沢民主党は強くないと見ています>。友人は素人ではない、専門家だ。

そもそも発端のメイルをまず見よう。
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2006年09月18日

大蒜(にんにく)揚げ

                渡部亮次郎

焼酎によく合うハンバーグを出してくれるので、東京の隅田川沿いにある小さな洋食屋に毎週1回は通う。そこではスパイスの効いた鶏の唐揚げも頼むが、欠かさないのがきゅうり、茄子、茗荷の「お新香」と大蒜のフライである。

大蒜は「くさい」ので、秋田にいる子供のころは一切、近付いたこともなかった。父親も辛いものはカレーですら食べなかったから、東京に出る18歳まで大蒜を知らなかった。

1973年6月、日本担当相に招かれて韓国を初訪問し、朴政権の5閣僚によるキーセン・パーティーなるものに招待され、右脇に侍る、日本の芸者に似たキーセンに大蒜の醤油付けを盛んに奨められた。

キーセンは左脇にも座るが、その人に声をかけては礼を失することになる。なぜならそのキーセンは更に左に座する客の担当だからである。日本と違って自分担当以外のキーセンに色目を使ったら軽蔑される。格式が高いのである。
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顔色で見通す政局

       渡部亮次郎

昔、NHK政治部で一緒だった大谷英彦さんが、安倍晋三さんの顔色の悪さを指摘して「安倍政権、発足後、意外な展開になるかも知れない」と言ってきたので、なるほど鋭い読みだと敬服した。

<問題は、安倍晋三の顔のくすみです。(2006年9月17日の)フジとテレ朝は3人がスタジオに同席していましたから、多分事前のVTR収録でしょう。想像ですが、収録も昼間だったと思います。

NHKは安倍だけ外からの中継参加でした。朝9時からのナマ番組ですから、多分、安倍さんは早起きしたのでしょう。

途中、3人を顔のドアップがありました。安倍さんの目の下の皮膚の色は他の2人と格段に違っていました。テレビは残酷です。

先にテポドン発射の朝、官邸に駆けつけた安倍官房長官は目の下に隈ができていた、と週刊誌が健康不安を書いていましたが、それを目の当たりにした思いです。

安倍政権発足後、この爆弾がどうなるか。意外な政局の焦点になりそうです。>
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2006年09月16日

満蒙開拓って?

            渡部亮次郎

私の少年の頃(1940年代)、まだアメリカとの戦争が始まってない時代に、大人たちの会話に満蒙開拓(まんもうかいたく)という言葉が盛んに出てきた。行くか、行かないかの論議だった。

それは具体的には満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)のことだった。1930年代に日本政府の国策によって推進された、大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人の移民の総称である。中国残留孤児出現の原因でもある。

日本の政府は人口増対策として、戦前、北米アメリカ、南米ブラジルや南米諸国への移民の入植移民を進めていたが、段階的制限が加えられるようになっていた。

また、昭和恐慌による当時の地方の農村地域は疲弊と困窮をきわめており、窮乏生活を送らざるを得ない農業従事者らの強い移民志向もあった。
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痛まずに死ねたら

            渡部亮次郎

終末医療のあり方について厚労省が初の指針原案を2006年9月14日纏めた。癌などで回復の見込みがない終末期の患者に対する治療を中止する際のガイドライン(指針)となるもので、いままで無かったのがおかしい。

私は10年前、同居していた義母を胃癌で失ったが、近隣の病院は、治癒見込みがないと断定しているにもかかわらず、延命措置をするばかりで腹が立った。

80歳の母は腹を抱え、エビのように曲がって痛さに堪え唸っている。それなのに医者はバカの一つ覚えのように延命措置だけを講じる。地獄のような患者の苦しみを、只々延長している。患者の苦しみを断ってこそ医療だろうに、これでは傷害犯だ。
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2006年09月15日

味噌で命拾い

           渡部亮次郎

お袋は98まで生きて、私は顔はお袋似と人に言われる。顎の短いところなどそっくりだなと、最近、鏡を見ながら思う。2年前の1月半ば、老人ホームの自室でトイレに座ったまま、多分、心筋梗塞で一瞬のうちに死んだ。

死ぬまでボケなかった。東京の私の電話番号は暗誦していた。実家にいる時は同居する妹が諳んじていないのを非難するものだから、実の親子ながら不仲だった。

そのおふくろは私が生きたのは味噌のお陰と信じて、私の料理のすべてが味噌仕立てだった。すべてが鍋料理で、味噌仕立てだったのである。八郎潟(干拓前)から掬ってくる鮒やなまずを長ネギ、豆腐と一緒に味噌で煮てくれるのが定番だった。兄のは醤油煮。
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2006年09月14日

洋深層水話題の海

           渡部亮次郎

「海洋深層水」とは、その名前の通り、深海を循環している水だ。

験しに現物を取り寄せてみたが、数年前は塩味が少し残っていた。2005年ごろからは真水と変わらなくなった。必須微量元素や、さまざまなミネラル成分がバランス良く約60種類含まれているとのことだが、舌でわかるものではない。

ところで「深海」とは、大陸棚外縁より沖合で、植物が光合成することもほとんどできない、ごくわずかな太陽光線しか届かないところを指す。

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2006年09月13日

遠ざかる毛沢東

         渡部亮次郎

2006年9月9日は中華人民共和国を建国した毛沢東が死去して丁度30年目の日だったが、共産党の『方針』により毛崇敬行事は抑制された。

当日の読売北京の杉山記者によると、毛個人の功罪、明暗を本格的に議論する機運も見られない、という。

しかし本当は「共産党は国民党(蒋介石)より酷い。いま毛沢東がいたら革命は成功する」と北京市民が語るという。それは格差が広がり続け、権力の腐敗(汚職)が蔓延する中国社会では、弱者層を中心に毛時代の革命、階級闘争、平等への共感がじわりと広がっているのだという。

<毛 沢東(もう たくとう、Mao Zed?ng マオ・ツォートン。1893年12月26日(光緒19年11月19日) - 1976年9月9日)は、中国の政治家・思想家。中国共産党の創立メンバーの一人で中華人民共和国建国の父であり、死に至るまで最高実力者の地位を保った。>(ウィキペディア)
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2006年09月09日

転失気総理森喜朗

           渡部亮次郎

「転失気」は「てんしき」と読み「おなら」のことだそうだ。ある有名ブログの2006年9月5日版に「知らないのに知ったかぶりをする政治家を嗤う」小道具として使われていた。

高名な政治家のところに呼ばれた医者が最後に尋ねる「先生、処で、てんしきはありますか」。政治家はてんしきなんて知らないが、知らないと応えるのには面子が許さないから、あいまいに答える。

その後、話は落語みたいに展開する。てんしきを借りに行ったり、買いに行ったり、売り切れたり。てんしきとは「転失気」。おならとは知らぬまま、知ったかぶりを重ねる今時の政治家を嗤う材料としては恰好だ。

そういって嗤っていたら政党機関紙政治部の記者から知らされた情報で森喜朗元総理の「てんしき」ぶりを知った。「論座」という月刊雑誌の2006年10月号でのインタビュー。

知らない事は応えなければいいのに、仮にも元総理大臣。「知らない」とは言えないからつい「てんしき」ぶりを発揮している。
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