舛添さんの足が地に着いていない。インターフェロンにしか肝炎治療が頼れないとしても、近親者のやっていた事を見たところでは、「インターフェロン治療によりC型は5〜9割、B型は3〜4割が治るとされている」という話は信じてはいけない。
<肝炎治療「年10万人に」 舛添厚労相、助成に前向き
舛添厚生労働相は27日、治療費の公費負担を柱とするウイルス性肝炎患者の支援策を来年度から始めて、「インターフェロン治療」を受ける人を「年間約10万人に倍増させたい」との考えを明らかにした。
与党は、B型・C型肝炎患者の自己負担額の上限を所得に応じて月1万〜3万円程度とし、残りを公費助成する方向で調整している。来年度当初予算では、少なくとも200億円程度の財源が確保できる見通しだ。
ウイルス性肝炎患者(肝硬変や肝癌を含む)はB型・C型合わせて約60万人。自覚症状のない感染者は300万人程度と推定されている。この中には血液製剤フィブリノゲンによる薬害患者・感染者約1万人が含まれる。
インターフェロン治療によりC型は5〜9割、B型は3〜4割が治るとされているが、治療費が月7万円程度と高額で、現在は年間約5万人しか治療を受けていない。
自覚症状がなく、感染に気づいていない人も多いことから、政府や自治体はこれまでウイルス検査の呼びかけや検査費の補助を行ってきたが、治療費支援は一部の自治体にとどまっていた。
ただ肝炎は、放置すると一定の確率で肝硬変や肝がんに進行する。インターフェロン治療を早期に受ける人が増えれば将来的にがん患者が減り、医療費抑制にもつながるとの判断で、来年度から治療費助成を始める。>Asahi Com 2007年10月27日12時00分
義兄本間俊二(家人の次姉の夫)は自覚の全くないうちにC型肝炎と診断され、約30年後に肝臓癌のため2007年1月22日、死去した。73歳の誕生日の前日だった。
本間は若い時から洋酒の輸入商をしており、フランス、イギリス、イタリア等との取引で忙しい毎日を送っていたが、その一方でC型肝炎対策にも忙しかった。大阪が本拠地だったから、いろいろと呼び声の高い病院を訪れたといっていた。
その中で出てきた治療法の1つがインターフェロンの注射だった。「高価でもありますが、効かない場合もあります」といわれながら投与を受けた。受けた患者何十人が会を結成して励ましあったが、効いたのは本間はじめほんの一握りだった。大多数の患者には効かなかった。
2006年12月初頭、千葉県浦安市のホテルに招かれた。「私は40台で死ぬと思っていました。それがこうして72まで生きてこられたのは全くインターフェロンのお蔭です。だけど私は成功した数少ない1人なのですよ」と語った。
その半月後、本間と会ったら黄疸が酷くなっていた。それでも宇都宮での孫たちとの年末年始の団欒を楽しみに12月27日、運転して出かけた。
だが健康状態は悪化。2007年1月3日に帰京する時には運転を娘に代わってもらってきて、翌4日にはかかりつけの都内の病院に緊急入院。その18日後に死亡した。
間違い無しの肝臓癌だった。C型肝炎の終着駅であった。
厚生労働省の役人は「インターフェロン治療によりC型は5〜9割、B型は3〜4割が治るとされている」と舛添大臣に説明し、大臣も鵜呑みのまま記者団に語った。記者団も又それを鵜呑みにして記事として流した。
しかし、インターフェロンはそれほど頼りにならない。その実態はウィキペディアにもかかれていない。壮大な無駄を厚労省がやろうとしているように思えてならない。 2007・10・27