2006年11月26日

◆角栄のマスコミ買収

                   渡部亮次郎

世間では田中が総辞職したのは立花隆の「田中角栄研究」と思われていますが、違います。あの時の文芸春秋に同じく載った「淋しき越山会の女王」と言う記事だったのです。後に田中が私に言いました。「とにかく真紀子にあのことで連日ワーワー言われて、それで参ったのだよ」と。

角栄に神楽坂の芸者だった辻なる女性に男の子2人のいることは側近なら皆、知っていることだったそうだが、越山会なる角栄後援会の会計責任者、佐藤昭の娘・敦子が角栄との不倫の子であると喝破したのは、この原稿の筆者・児玉隆也が初めてだった。

児玉があの原稿を書いた後、私を訪ねてきて「政治家が自分に不利な記事を差止めるため800万円を差し出すことはありますか」と訊かれた。半端な数字だから「それは無いだろう、半端すぎる」と答えた。

児玉によれば光文社の「週刊女性」誌デスク在任中、田中の(まだ幹事長)女関係を記事にしようとしたら、著名な作詞家が800万円を差し出して「止めてくれ」といった。断ったが、社内では「児玉は田中からカネを取って記事を差し止めた」との噂が流され、とうとう社を辞める破目になったのです、と言う話だった。

退社して何年もしないで児玉は文春に「淋しき・・・」を書き憂さを晴らした。ただし児玉はガンに冒され、それからいくばくも無く、40前に死んだ。片方の立花は有名になったが児玉は死んで、マスコミに乗る機会が途絶えたまま忘れ去られてしまった。そのことを塩田潮は『田中角栄失脚』という本(文春新書)紹介している。戦後政治史の裏面が単行本で暴かれたのは初めてである。

私の身分にも異変があった。記者(NHK)として田中首相の哲学の無さをブラウン管で攻撃するものだから、角栄側近(竹下)から来た抗議の電話に唯々諾々と従ったNHK首脳によって大阪に飛ばされた。飛ばす担当者(政治部長、故人)が告白したのだから間違いあるまい。昭和48(1973)年のことである。問題はその後だ。

こんなNHKにいたって将来はないとみた私は自民党代議士・園田直の招きで彼の外務大臣秘書官になった。福田内閣である。この内閣は三木憎しで固まる田中の支持で出来た政権である。その関係で、かつては仲の良くなかった角栄やその側近とも付き合うようになった。

そのため「あの時、児玉対策にどれほど使ったのか」をマスコミ担当秘書に質すチャンスが来た。そしたら「3000万円を作詞家らに渡したが記事は止まらず、カネも返って来なかった」との答えを得たと言うわけであった。

それにしても3000万円がなぜ800万円にしかならなかったのか。おそらく作詞家と相棒の政治評論家(元読売政治記者)が山分けで猫糞しちまった残りが800万円だったのだろう。

「田中角栄失脚」を読めば作詞家と政治評論家は誰であるか、すぐ推測がつきます。こうしたカネを角栄氏はどうせ阿漕な悪事で稼いだんだからいいじゃないか、というのが一般的かもしれないが、あなたは、この話を聞かされて、何を思われますか。

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2006年11月23日

◆冒涜と悪趣味について


           渡部亮次郎(頂門の一針・主宰)

<東京・渋谷のホテルセルリアンタワー東急ホテルの教会で開かれるサロン・オーケストラ・ジャパンのコンサートが9日夜、3ヶ月ぶりに開かれた。

今回は嘗ての歌謡スター霧島昇・松原操夫妻(いずれも故人)の三女でオペラ歌手(ソプラノ)大滝てる子さんが両親の持ち歌を敢えて歌うというプログラムがはさまれていた。

「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」のほか森山良子作曲の「涙(なだ)そうそう」も。オペラ風に歌われる歌謡曲には戸惑いを感じた。更に欧州帰りのオペラ歌手古川精一さんとのデュエットデ歌われた「旅の夜風」には悪趣味を感じた。

オペラはオペラ、歌謡曲は歌謡曲なりの歌い方があって、ファンを納得させている。融合は不可能である。花も嵐も踏み越えて、をオペラ風に歌うとご両親を懐かしむより冒涜しているように感じた。

次回は「セルリアン・ニューイヤーコンサート」として、1月11日(木)
午後2時半と午後7時だそうです。4000円。>(「頂門の一針」11月10日 625号 身辺雑記)

これに対して「頂門の一針」を転載した上海発のメルマガに当の大滝てる子さんから9日後に以下のような文が寄せられていると伝えてきて、直ちに私のところへ転送されてきた。

<文中の霧島昇・松原操、両親の歌を「冒涜」というお言葉本当に悲しく思いました。両親の歌を歌うようになるまでにはいろいろな深い思いそして経緯がございます。

融合は不可能もという言葉も、本当に残念に思います。安易な、そして顔の見えない批判を私自身も慎みたく思います。主催の方にお尋ねになって是非一度お手紙を下さいませ。お話が出来ますのを楽しみにしております。(2006/11/19 04:15:04 PM)>

「両親の歌を『冒涜』というお言葉」はおかしい。ご両親の歌をオペラ風な歌い方で歌われるのは、あの歌に対する冒涜と言っているのであって、私は歌手を冒涜したのではない。企画が悪趣味だといっているのだ。

例は悪いが、逆に演歌歌手がオペラを歌ったら、オペラ界は「融合」
「成功」といいますか。お父上とお母上のデュエットには独特の息継ぎとか情感の込め方とかが存在し、いわば独特の世界を形成して今日に至っている。

それをオペラ調で歌われると、音吐朗々ではあるが、途端に歌謡曲でも演歌でもなくなる。霧島もミス・コロムビアも消される。だから子が親を消してしまうのだから冒涜と敢えて言ったのである。

子が親を思う事は美しい。しかし、それを演歌でもない、ォペラでもない、わけの分らないものにしてカネを取るというのは、少なくとも企画は悪趣味を反省すべきだ。

大滝さんが演歌を演歌なりに歌えるなら許そう。ドイツだかベルカントだかの唱法でしか歌えないのに、親の歌を子供が歌ってどこが悪いと開き直るのは悪趣味だ。人格的に問題がある。親の歌は親のもの、子供は自分の歌を歌うべきだ。

音楽の発声法には疎いがドイツ唱法とかベルカント唱法とかで演歌を歌われると気持が悪い。以前、霧島昇・ミスコロムビアご夫妻のご長男で東京音楽大学教授の坂本紀男さんがラジオ番組で父上の名作「胸の振り子」を歌われて、やはり違和感を覚えた。クラシックの歌い方だったからである。

お兄さんの坂本さんも大滝さんも演歌を歌っているようで演歌ではない。ファンは懐かしくて1度は聴くが、似て非なる歌だから2度は聴きたくない。それを「受けた」と感じるのは勘違いだ。兄妹ともに勘違いしている。

演歌は演歌、オペラはオペラでいいと思うのである。演歌には小節が不可欠だが、ドイツ唱法とかベルカント唱法で歌われると、全く似て非なるものになってしまう。

主催者は99%の人が喜んで帰ったといってきた。他人はどうであれ、私は気持が悪かったからあのように書いたのである。音楽もまた感性の芸術である以上、賛否のある事は当然であって、多数だから正しいというものではないだろう。

松原操(ミスコロムビア)に関する『ウィキペディア』を見ると「霧島・松原夫妻の忘れ形見である長男の坂本紀男と三女の大滝てる子は、現在も父母のヒット曲を歌い継いでいる」とある。二人して両親を歌い継いでいると思いながら両親を否定していることに気付かないだけなのだ。

特に大滝さんはご両親の歌を歌うことを仕事にされているようだから、私のような素人からの批判には厳しい抵抗をして当然である。

そうですか。なるべく聞きたくないものだ。それにしても見ず知らずの者に手紙を寄越せとは大滝さん、思い上がりだろう。2006.11.22 


2006年11月21日

◆小沢の投げやり屋


                渡部亮次郎
<強硬路線を指示してきた民主党の小沢一郎代表は20日夕、鳩山由紀夫幹事長や菅直人代表代行と会談し、「衆参協力して一致して行動してくれればいい。(国会対応の)中身は任せる」と述べ、今後の与党との折衝などを鳩山氏らに一任した。>(Sankei Web 11/20 22:55)

要するに小沢一郎は沖縄選挙に敗れてやけっぱち。敵前逃亡というか、いつものように面倒くさいとばかりに戦いを棄てたのだ。投げやり屋といわずして何と呼ぼうか。

<国会は教育基本法改正案をめぐり野党4党が審議拒否を続けていたが、沖縄県知事選で野党統一候補が敗北したことを受け、22日にも正常化する見通しとなった。>(同)
この意味が分らない。教育基本法の審議を沖縄県知事選挙と結びつける大将小沢の頭の中が分らない。国会を混乱させれば沖縄の知事選挙に勝てるというのが分らない。妄想狂になったのと違うか。

根本の指示が間違っていたから民主、共産、社民、国民新の野党4党が20日、国対委員長が会談し、自民党が打診してきた21日の与野党国対委員長会談に応じることを決めた、といわれても理由が今度は分らない。無いからである。

民主党は恰好がつかないから与党に対し、審議復帰の条件として、いじめや必修科目の未履修問題、タウンミーティングでの「やらせ質問」問題に関する集中審議を予算委員会で行うよう要求していたが、予算委に限らず何らかの形で集中審議が行われれば、審議復帰に応じることも検討しているということになる。ざまあないね。

以下のような報道もあって、もともと小沢民主党の戦略が見違っていたことを証明した。
<19日に投開票された沖縄県知事選では、与党が推して当選した仲井真弘多氏が、県内41市町村のうち31市町村で野党統一候補の糸数慶子氏の得票を上回った。

この中には、普天間飛行場のある宜野湾市や、嘉手納飛行場を抱える嘉手納町など、米軍基地の負担が大きい市町村も含まれている。

糸数氏が参院議員に当選した2004年の参院選では、こうした市町村のほとんどで糸数氏の得票は自民党候補を上回っていた。

この結果について、民主党の保守系議員は、糸数氏が「普天間の即時閉鎖・国外移設」を唱えたことを踏まえ、「基地問題で実現可能性の低い公約を掲げても投票してくれない。革新勢力が根強い沖縄でも、旧来型の『反基地』の主張は否定されるようになってきた」と指摘した。

普天間飛行場の移設先となる名護市も仲井真氏が制しており、仲井真氏が掲げた「経済振興」が、糸数氏の主張より有権者を引きつけたことがうかがえる。>(2006年11月20日22時1分 読売新聞)

沖縄は激しく変わる。糸数氏が「普天間の即時閉鎖・国外移設」を叫んでも、県民にはそれが理想論、建前論であって、実現不可能と分っているから、何言ってんのと反発する人が多くなっている。そこを小沢は読み違えた。

本土復帰前の昭和43(1968)年11月の琉球主席公選をパスポートもちで取材した経験なんか役には立たないが、沖縄は住んで見なければ理解できない。自民党対社会大衆党的な戦いが沖縄であり、民主党が糸数氏におんぶしてお化けになってしまった。

しかも片方で小沢は変な動きをしたとの噂が立っている。

<民主党が年内にまとめる基本政策の安全保障分野の原案が18日、明らかになった。
原案によると、焦点の集団的自衛権の行使について「我が国が直接、急迫不正の侵害を受けた場合には、個別的、集団的という概念の議論に拘泥せず、憲法にのっとって自衛権を行使する」とした。

これは小沢一郎代表が10月31日の政権政策委員会で「日本が侵害を受けて、同盟国である米軍が来援に来て他国に攻められた時、わが国が一緒になって守るのは当然だ」とした主張を踏襲したものだ。

集団的自衛権の行使は憲法上禁じられているとする政府の見解とは一線を画し、集団的自衛権の行使を事実上一部容認するものとは言える。
この原案は、政権政策委員会(委員長・赤松広隆副代表=旧社会党出身)がまとめたもので、小沢代表が9月の代表選で発表した基本政策(小沢ビジョン)をほぼ踏襲した。>(2006年11月19日3時2分 読売新聞)。

事実このように纏まるなら大ニュースだから他社の追いかけるはずが何処も追いかけない。小沢の左寄り路線に対する党内の批判を抑えるために、小沢が赤松広隆副代表=旧社会党出身にやらせた「やらせ」という噂が流れているからだ。

かくのごとく小沢は与党との戦いをするために党内と戦わねばならぬというジレンマに陥っている。これはそもそも小沢の民主党入りが大いなる誤謬だったことを物語っていないか。

日本の政治に求められている新しい理念は共産党を含めた野党共闘の結成ではない。むしろ集団的自衛権の行使にしても教育基本法の改正にしても、宗教団体を背負って訳の分らない公明党と組んだ自民党よりも、いわば右の線ではないのか。

この際、民主党保守派が自民党に移り新党を結成することを望む。小沢がどうしても自尊心が許さず自民党復帰を拒むなら公明党と組むか、それも不可能なら引退して健康を守ったほうが日本のためだ。(文中敬称略)2006.11.21

2006年11月19日

◆ナベに欠かせぬもの

渡部亮次郎

葱(ねぎ)が塩水に強く、海水を散布すると、白い部分が太くなり、軟らかくて甘くなる、という話が新聞に載っていた(読売新聞2006・11・19)。九十九里・海っ子ねぎ」の商品名で20日から東京・大田市場に出荷される。

2002年10月の台風21号。千葉県九十九里海岸沿いの畑はすっかり海水を被り、野菜は皆枯れたが、葱だけは変色も少なく順調に育った不思議。食べた人たちからは「例年より味が良かった。葱と海水はいいのではないか」となって、JA(農協)が海水を使った栽培を始めた。

05年春からは千葉県山武農林振興センターと協力、3度の試験栽培を経て、栽培期間(6ヶ月)の最後の2ヶ月間に、一定濃度に薄めた海水を散布すると、冒頭のようなことが分った。普通の葱よりも鉄分が4倍、ベータカロチンが2倍。海水のミネラルのせいだろうと言う。

災い転じて福となす。消費者に認められれば、年内にも商標登録して生産量を増やしたい、と関係者は言っている。

ところで、ナベに欠かせないものが葱(ねぎ)である。関東と関西では好みの部位が違うし、同じ関東にも品種が色々ある。群馬県南西部・下仁田(しもにた)町は、特産の太い葱があり「下仁田葱」として名が通っている。鮨屋の主人が若い衆に買い物を言いつけたら、若い衆「下ネタ葱はないの」。八百屋怒って「ねえよっ」嘘のような東京・銀座での話。

ネギ Welsh onion‖Allium fistulosum L.

ユリ科の多年草なのだそうだ。別名をネブカ、ヒトモジなどともいう。池波正太郎は「必殺仕掛け人」梅安さんの大好物に「ねぶか汁」を良く作らせている。

原産は不明であるが、中国の西部であろうとされている。栽培は2000年以上前から始められ、中国では漢民族が原始時代から栽培していたといわれている。

西欧では16世紀の文献記載が最初と考えられ、アメリカには19世紀になってから紹介されている。耐寒性が強く、酷寒の中国東北部やシベリア地方でも越冬する。秋田では雪の下から葱を掘り起こし、葱味噌を作って食べた。風邪の予防だとかいって

また、暑さや乾燥にも強いので、熱帯でも栽培される。日本では重要野菜として北海道から九州まで1年中栽培されている。

日本のネギの品種は冬季の休眠性により分類される。冬季に葉が枯れて休眠する加賀系の夏ネギ型,冬季にも休眠せずに生育を続ける九条系の冬ネギ型、さらにやや地上部が枯死はするが、完全には休眠しない中間型の東京・千住系などがある。秋田のはこれか。

また、土寄せによって行う軟白には寒冷な気候が適するため、葉比部を長く白く仕上げる根深ネギは関東、東北、北陸、北海道などで多く生産される。子供の頃は青いところしか食べられなかった。

関西では軟白をあまり重要視しないので、冬眠性がなく、葉身部が発達し緑色の強い葉ネギ(九条系)が栽培されている。

ネギには地方的に特徴のある品種が多い。

(1)ヤグラネギ(楼葱) 花房がつかないので種はできないが、花茎の先端に子球を生じるので、これを分離して苗として繁殖する。そのようすがやぐらを組んだような形をしているところから、この名があり、ネギの1変種として別扱いされることもある。北陸から東北地方で葉ネギとして栽培される。

(2)下仁田(しもにた) 群馬県の原産で、草丈は低く、分げつはしない。葉は濃緑色で太く、葉比部は短く太いが、根深ネギとして品質がよい。

(3)岩槻(いわつき) 埼玉県の原産で、草丈はやや短く、よく分げつする。葉比部は短く、葉身はやや細く濃緑色である。軟らかくて品質がよく、葉ネギとして利用される。

(4)千住(せんじゅ) 関東地方の代表的な根深ネギで、分げつ性は少ない。草丈は高く、葉色は濃緑色から淡黄緑色などがある。葉比部がとくに長くなる。黒柄(くろがら)、合柄(あいがら)、赤柄などの系統がある。

(5)九条 京都の原産で葉ネギの代表的な品種。関西から九州にかけて多く作られる。

(6)越津(こしづ) 愛知県の原産で、葉ネギとして利用され、品質もよい。栽培は春まきと秋まきとがあり、周年栽培して利用される。特有なにおいと辛みをもち、古来強壮剤と考えられてきた。

ビタミン A、B、C の含量も多く、日本料理には欠かせない重要野菜。すき焼,なべ物,薬味などに使われる。

[料理]  日本では古く〈き〉といった。ネギは根を食べる〈き〉の意という。《日本書紀》仁賢紀に名が見え《延喜式》には宮廷用のネギの栽培規定が出ている。みそ汁の実やなべ物の具のほか、刻んでそば、うどんや納豆の薬味にする。

ネギそのものを味わうものとしては、刻んでみそと合わせるネギみそ、適宜の長さに切り、みりん、しょうゆ同量ほどを合わせたつけ汁をつけて焼く焼きネギなどが酒のさかなとされ、マグロのぶつ切りとともに煮ながら食べる〈ねぎまなべ〉は手軽で美味ななべ料理である。池波正太郎の「仕掛け人」シリーズにはこれもよく登場する。上等の鮪じゃないと駄目と言うので作ったら旨かったが、高すぎた。

ネギは油脂や肉類とよく合うので、中国料理でもいため物その他に多用される。西洋料理ではポロネギ、西洋ネギとも呼ばれるポアロー(リーキ)が使われる。

これは日本のものに比べてずんぐりと太く、葉が扁平で甘みが強い。ゆでたり、いためて付合せにしたり、グラタン、クリーム煮、ブイヤベースなどに用いる。   

参照:世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサービス)2006・11・19

2006年11月18日

◆宮崎県知事も立件へ

渡部亮次郎

宮崎県知事の立件検討 官製談合、県警

と新聞が報じた。(福井新聞 11月18日午後02時19分)。多分、共同通信の記事。ここで宮崎県警が安藤忠恕知事(65)を立件することになれば。福島、和歌山県に次ぐ第3の知事汚職と言うことになる。

私は事件記者をやった事はないので詳しい事は分らないが、福島、和歌山の事件は東京と大阪の地方検察庁特捜部の摘発だったのに対して宮崎のこれは初めて県警察本部の摘発である。全国の警察官を奮い立たせることになるだろう。

先に宮崎県警捜査2課に逮捕された設計会社社長二本木由文容疑者(56)が同県の安藤忠恕知事(65)に業務が受注できるよう要求する一方、知事の依頼で元国会議員秘書に資金提供していたと供述していることが18日分かった、という。逮捕からあっという間の自白である。

そこで勢いづいた宮崎県警は、これでは第三者供賄に当たる可能性もあると判断したわけ。談合で上層部の関与を示す証言をしている県幹部もおり、同課は知事立件の検討を始めたものだ。宮崎地検とも協議し、今後、知事からの事情聴取も行う。

私の勘だが、事件の主役は「元国会議員秘書」ではないか。元国会議員秘書で不動産会社社長の石川鎮雄容疑者(68)。どなたの秘書だったかは存知上げないが、地元に帰って不動産会社をやっていたものの、本業は談合屋だったのではないか。

東京・江東区の設計会社社長二本木由文容疑者(56)から2004年から05年にかけて約1年間にわたり、月80万円を顧問料名目で受け取っていた。受け取った額の合計は約1000万円に上り、捜査2課は現金の趣旨について追及していた。

その結果、二本木容疑者は知事からの依頼で現金を振り込んでいたと供述したという。

恐らく石川元秘書は、東京で知り合った二本木容疑者と既に似たようなヤマをいくつも踏んでいたのではないか。また、安藤知事とは以前から深い仲であり、知事選でも辣腕を発揮したのだろう。

だから知事後援会が石川容疑者に5000万円の資金を渡していたことも既に判明。カネは返還されたと言うが、安藤知事は何らかの事情で石川容疑者に利益提供する必要に迫られていたとみられている。

この点に関して知事は「コンサル料」といったり「手切金の意味」といったりしていた。知事周辺に対して威張って嫌われていたといわれており、安藤知事としては将来の危険を考えて縁切りをしたかったのだろう。

月80万円の顧問料が2005年で終わっているのも何かを物語っている。

いずれヤマト設計は04年度と05年度に県の発注事業で受注実績を増やしており、捜査2課は知事からの「天の声」で受注が決まった可能性もあるとみているという。

一方、談合容疑で逮捕された県土木部次長柴岡博明容疑者(58)が「上層部の意向で落札業者が決まっていると聞いた」と供述。しかし土木部長の藤本坦容疑者(59)は知事ら上層部からの指示を認めていない模様だが、入札の経緯についてさらに慎重に捜査すると県警本部。

安藤知事は談合事件の発覚後「私はまったく関与していません。誠に残念」などと話している。

安藤知事の経歴を見ると県庁職員をこつこつと務めた人である。それが商工労働部長という地味なポストから知事選に出て落選。4年後にやっと当選という珍しい経歴。だから石川容疑者に縋ったのだろう。

1回目の選挙では落選、2度目も自民、公明両党からの推薦は受けられないながらの当選。票の取り纏めもさることながら選挙資金の準備には相当な苦労をしたことだろう。事件の根は相当深いと思う。

<安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年3月9日 - )は2003年より宮崎県知事。2005年10月より副知事に元体操選手の坂佳代子を起用。宮崎県西都市出身。

1964年3月 宮崎大学学芸学部(現教育文化学部)卒業
1964年4月 宮崎県庁入庁(上級法律職)
1982年4月 総務部財政課財政主幹

1983年4月 福祉生活部障害援護課課長補佐
1984年4月 土木部管理課課長補佐
1986年4月 環境保健部環境保全課長

1988年4月 総務部人事課長
1990年4月 企画調整部リゾート・シルバー・振興拠点推進局長
1992年4月 企画調整部次長

1993年4月 人事委員会事務局長
1995年4月 商工労働部長
1998年3月 県庁を退職

1999年8月 宮崎県知事選挙に出馬し落選。
2003年8月 宮崎県知事選挙に出馬。元県出納長の牧野俊雄候補らを破り初当選 >

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

<安藤忠恕氏の後援会、自民などに推薦願提出 /宮崎

来年夏に予定される知事選で、現職の安藤忠恕氏(65)の後援会県連合会は15日、自民党県連など政党や労働団体に推薦願を提出したことを明らかにした。福島恵三・同連合会事務局長は「1期目の実績を評価してもらい、多くの支援をいただきたい」と述べた。

推薦願は他に社民、民主、公明、連合宮崎に提出した。内容は「県勢発展と県民福祉の向上に取り組んでいますが、引き続き県政を担当したい」としている。

自民県連では22日の役員会で取り扱いを協議する予定。安藤氏が2期目の公約を示していないことや、後援会が支援者に5000万円を提供した問題発覚の影響もあり、結論まで時間がかかる見込み。

前回知事選は自民、公明は自主投票。社民、民主、連合は落選した元出納長(牧野俊雄)を推薦した。>毎日新聞 2006年11月16日
2006.11.18

2006年11月16日

◆県知事の辞職マップ


渡部亮次郎

<「命懸けて県政執行」/佐藤雄平知事が初登庁

前知事の辞任に伴う福島知事選で初当選した佐藤雄平知事は15日、初登庁し、一連の談合事件で混乱した県政の立て直しと信頼回復に向けスタートを切った。

(渡部註:佐藤新知事は会津訛の黄門様・渡部恒三代議士の甥。長く恒三氏の秘書をしてから参院議員を経て今回知事に当選した)。

佐藤知事は午前10時に公用車で県庁に到着。・・・女性職員から花束を受けると満面の笑みを浮かべた。

知事室に入り、いすに座った佐藤知事は「知事の責任の重みをあらためて感じる。命を懸けて県政に当たっていかなければならない」とコメントした。

引き続き行った初訓示では、参事以上の幹部職員に「(一連の談合事件で)厳しい状況は続くが、1日も早く明るくさわやかな県政を確立したい」と決意を述べた。>(福島民報 16日)

「命がけで県政を推進」とは威勢がいい。結構だ。しかし、1回に何千万とか何億とか噂される4年後の選挙資金はどうやって集めるのか。資金パーティーを開いても田舎ではさっぱり集まらない。現実は命を賭けても集まらないものは集まらないのだ。

まさか知事の報酬を貯めて選挙資金にするといっても限度がある。先代の佐藤知事だって好きで談合をやらせていたわけじゃない。あれをやる以外に資金確保の方法がみつからなかっただけだ。だから「よみうり寸評」(16日夕刊)はこうだ。

〈県知事の辞職マップが出る予感〉――時事川柳はとうにこう皮肉っていた。福島に続いて和歌山でも県知事が辞職表明から逮捕という事態になった

◆どちらも県政トップが官製談合にかかわり背景に選挙があった。談合の摘発は果てしなく続く感がある。自治体と建設業者の癒着構造は根が深い

◆冒頭の川柳は〈自治体の談合マップが出る予感〉としてもいい。福島、和歌山両県の不祥事は「よその県の話」ですませる事ではないのではないか。自らの県や市に談合の事実や体質がないか厳重に点検の必要がありそうだ

◆和歌山県では出納長がすでに逮捕されていた。知事は辞職表明後、公舎に引きこもり状態だった。これで県政三役の二人が不在。全くさまにならない

◆福島も和歌山も初当選はクリーンが売り物だった。二人とも地方分権を主張する改革派の旗手といわれた。が、結果は地方分権を妨げるようなもの。権力が堕落するのに時間はいらないことも思わせる

◆和歌山県知事公舎の捜索で出たいくつもの高級腕時計……。身ぎれいでないしるしにも見える。>(2006年11月16日13時55分読売新聞)

衆院選挙が小選挙区に細分化されて以来、選挙区での同党候補同士の監視体制が消滅した。第一、知事に対する圧力も何分の一に弱ってしまった。いうなれば国会の先生は知事にとっては怖いものではなくなってしまった。

そこでゼネコン(General Construction 総合・大手土木建設会社)も地元の中小業者も国会議員を越えて知事と直接取引をして公共工事の談合を仕組むようになったのである。これはまさに小選挙区論者たちの思惑の至らぬ点だった。

しかし、知事の方も彼らからカネを直に受領するのは逮捕の危険に繋がるから「代役」を立てることになる。福島では知事の実弟、和歌山では出納長らが役を担った。

要するに知事をめぐる事件は次期選挙の選挙資金確保のための、いわば知事の「必要悪」みたいなもので、構造的な事件とみるべきなのだ。だから県知事の辞職マップ(分布図)が出る予感という川柳が出て、事件を有権者の方が予測しているのだ。もう出てきた。

<宮崎知事側、指南役に5千万円 談合容疑で関係先捜索

宮崎県の安藤忠恕(ただひろ)知事(65)側が03年7月の知事選直後の9月、知事自身が「政治の指南役」と呼ぶ元国会議員秘書(68)に対し、現金5000万円を渡していたことが分かった。

元秘書は「受け取れない」と知事本人に返却。知事は約2カ月間、公舎に現金を保管した後、後援会に預けたという。宮崎地検と同県警は、原資と授受の趣旨に重大な関心を示しており、全容解明を目指すとともに、授受に関与した関係者らが絡む県発注工事についても捜査を進める方針で、16日、関係先の強制捜査に着手した。 (以下省略可)

宮崎県警捜査員らは同日午前、県発注工事で談合があった疑いが強まったとして競売入札妨害容疑で、知事と関係が深い東京都江東区のヤマト設計本社や同県新富町の同社宮崎支店、宮崎市の社団法人宮崎県測量設計業協会などに家宅捜索に入った。ヤマト設計は橋梁(きょうりょう)やコンクリート工事が専門の設計会社で、社長(56)ら関係者数人への任意聴取もしている模様だ。

関係者によると、社長は元秘書とも懇意で、5000万円問題では、知事らとともに関与し、現金を元秘書に手渡す役回りをしたとされる。

関係者の話を総合すると、安藤知事が03年7月の知事選で初当選した後の9月、知事の後援会側から知事が「政治の指南役」と呼ぶ元秘書に現金5000万円が届けられた。元秘書は選挙直後に後援会の事務所に短期間出入りし、事務局長を名乗ることもあった。

安藤知事はこの現金の授受が発覚した今年9月、「後援会長が個人的に銀行から借りて渡した」などと釈明。しかし、知事によると、その後、元秘書は「受け取れない」として知事に500万円を返却。

知事は2カ月も知事公舎に現金を保管した後、後援会に預けたという。5000万円の趣旨については「コンサルタント料」などとしている。

当初、知事はこの現金の授受について、後援会の政治資金収支報告書への記載の必要はないと強弁していたが、その後、収支報告書への記載漏れを認め、03年分の収支報告書の収入欄に「5000万円」を後援会長からの借入金として計上。支出欄に5000万円と利息を後援会長に支払った旨を記載し、訂正した。

知事は元秘書との関係について「政治に詳しい方。後援会組織の作り方を指導してもらったり、支持者の広げ方、演説の指導を受けたりした」としている。

また、5000万円の趣旨については「(元秘書の)後援会事務所入りには猛反発があった。正式決定がないまま、事務局長の名刺を勝手に持ち回り、困っていた。後援会に『こちらで処理する』と言われ、その後、『無事に処理が済んだ』と報告を受けた」とも述べ、「手切れ金」だったことを暗に認めている。

しかし、安藤知事は一連の経緯について記者会見などで「後ろめたいことはしていない。私が責任を問われない自信はある」と言っている。 (Asahi Com 2006年11月16日15時19分)
2006.11.16

2006年11月15日

◆悲喜交々各位殿

渡部亮次郎

昭和35(1960)年前後にNHK仙台で記者生活を送った仲間が14日夕、九段会館の地下レストランに集まり、懐旧談義に時を忘れた。中華7品にアルコール呑み放題。会費5000円を集めたが、終わってから500円のお釣を返却。珍しいことだ、お前、永久幹事だと大笑いした。

丁度南米のチリ沖で起きた津波が三陸海岸を襲って死者119人を出した「チリ地震津波」の取材の思い出で話は始まったが、あの時、名文を評価された先輩が「俺は著名な国文学者から直接、電話を貰って用語の誤りを指摘されたことがある」と敢えて恥を披露した。

それは大学入試の合否発表のニュース。合格を小躍りして喜ぶ顔、がっかりする顔、悲喜交々(ひきこもごも)でした、と放送したところ、直後に電話がかかって来たのだと言う。

「悲喜交々とは、一人の顔に喜びと悲しみが交互に表れることであって、あのような場面に使う言葉ではありません」と教え、窘められたというのである。

岩波の四字熟語辞典でも「悲しみと喜びが入混じること」とあり「悲喜交交至る」の略。交交は、入混じり、あるいは代る代る訪れる意とある。名文家にも間違って覚えた若輩時代があったのだ。名文家はスペイン語の名手でもあって南米特派員を経て外信部長になった。

NHKには今はどうか知らないが昔は研修所があって、何年かごと、1週間ぐらい泊まりこみで、文章の錆を落とされた。いい大人に言葉を教える事は世間では憚られるだろう、とそっと教えてくれるのである。

各位のあとに様や殿を付けてはいけない。各位というのは、皆様がた、皆様と言う意味で既に様が含まれているのだ、と。皮切りとは包茎と関係があるから使ってはいけない。本腰を入れるもいけない。性行為と関係があるからだ、といった具合。各位殿は至る所で見る。

しかし、最近は新聞が自由に使っている。まだ未熟も出てくる。未熟とは未(いまだ)熟さずの意味だから「まだ」は不要。これらは高校で漢文を不履修する時代だからだろう。

漢字そのものを漢の国(中国)に拠っているのに漢文を履修しないとあっては漢字の使用方法を習わないに等しいから、こういうことが起きる。そのうちに馬から落馬なども読まされるかも知れない、ちょと覚悟が要る。

偉い政治家でも、若い頃に間違って覚えた言葉は世間が直してくれないから、陰で笑われることになる。

芝居や映画の立ち回りを殺陣(たて)というが「さつじん」と読んだり、旗幟鮮明(きしせんめい)を「きしょくせんめい」と読む。偉い人だから聴いている人はまさか注意も出来ず、心の中で馬鹿にしている。

この人は憎悪(ぞうお)を「ぞうあ」と国連で演説した。幸い通訳は予め演説原文を持っていたからhatredと訳したから、本人は笑われずに済んだ。消え入りたい思いをしたのは日本語原文を草した人であった。2006.11.15

2006年11月13日

◆高慢ちきの哀れ





       渡部亮次郎

友人に聞いた話である。
「俺がエリートだ。お前らは定年になって社会貢献が出来なくなったけど、俺を支援すれば社会貢献できる。だから俺を支援するのが筋というものだ」。元大使閣下が高校の同期会に来て高言したのだと言う。

また大手商社で役員になれなかった東大出は言ったそうだ。
「定年で最早、社会的に何の力も無くなったお前らがこうやって集まって何の意味があるのだ」と。

そんなら来なけりゃいいのに、悪口が気になるのか、毎回、遅れてしかも泥酔して来るのだそうだ。同期会なんて、意味を求めるのが可笑しいだろう。懐かしいといういわばくだらないことの詰め合わせ。無意味に意味があるだろう、と友人は嘆いていた。

同じ東大出でも農学部で役所の長官にまでなった男は、同期会に欠かさず来て、受付を手伝い、威張るところが一つもないそうだ。なんでこんなに違うのだろう、育ちかな、性格かなと友人。私は「勘違いだろう」と断じた。

世の中、東大を出て官吏や商社マンになることだけがエリートではない。厭な仕事でも買って出て、他人の面倒をよく見ることがエリートなのだ。米国人で、日本文学研究者のサイデン・ステッカー氏は嘗て私に「威張る人は馬鹿なのです」と教えて下さった。

なるほど、馬鹿じゃないと威張れないわけでもある、と考えた。友情に損得があるわけがない。それこそ同期という何の理由もなしのグループに損得や意義を求めるのは馬鹿なのだ。

そう思って話を忘れていたら、友人はまた言ってきた。「商社マンに来年の同期会で挨拶させてやろう、という人が出てきて困っているんだ」と。

言い出したのは商社マンになぜか頭の上がらぬ私大出の元技術者だそうで、どうしたもんだろうという相談だった。そんなこと簡単じゃないの。「お前らがこうやって集まって何の意味があるの」との発言をばらせばみんなが反対と叫ぶでしょう。或いはスジが通らないと来年は特に欠席するという人も出かねないね。

幾日かしたら、予想通り沙汰やみになったと聞いた。当然だろう。意味のない会合にわざわざ出てきて、かつ挨拶とは矛盾しているから当然の帰結である。

学校の成績だけじゃ生きて行けないのが世の中というものだ。
加えて独りで生きてもいけないのが人生だ。そのことを如実に物語ったのが友人の周りで起きた同期会挨拶事件だったのではないか。

学校で、役所で、会社で成績を競い、勝者になる。しかしそれが人生の勝利と思ったら大間違い。結婚に失敗、子育てに失敗したら人生の勝利者とはいえない。まして同期会で陰で馬鹿と陰口を利かれるようなら大失敗と言うべきだろう。

そうしたことを考え合わせると、人生の勝者とは常に他人を思いやっている奴と分る。

人生とは不定のゴール即ち死に向かって懸命に走るレースである。だから生きることとは死ぬことなり。有限の生命を無限に生きる事は出来ないのか。出来る。幅広く友人を得ることである。

縦が経験とすれば、友人は横幅。命の長さが長さという立方体が人生。縦と長さに限りはあっても、友情と言う幅に限りはない。他人を思い遣ることを無限にすれば、人生の楽しみは無限となる。2006,11.13

2006年11月11日

◆ヒラリー・クリントン

渡部亮次郎
予て次期米大統領候補の呼び声の高いヒラリー・クリントン氏が今回の上院議員選挙で、ニューヨーク州から軽々と再選されたが、政治資金を選挙区以外にも多額を投入し、大統領選出馬への意欲を見せた。2年後に向けて如何なる展開を見せるのか。

ヒラリー・ダイアン・ローダム(Hillary Diane Rodham)・・・1947(昭
和22)年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。日本で言えば団塊の世代だ。一家はメソジスト宗派であり、彼女はイリノイ州パークリッジで成長する。

父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ヒラリーには2人の兄弟、ヒューとトニーがいる。

彼女は幼少時からスポーツに興味を持ち、テニスやスケート、バレーなどを楽しんだ。メイン西高校を卒業後1965年にマサチューセッツ州の名門校であるウェルズリー大学に入学。

同校を優秀な成績で卒業し、1969年にイェール大学ロースクールに進んだ。ロースクール時代に知り合ったビル・クリントンと結婚。夫婦揃って弁護士として活躍した。(ウイキベデイア参照)

アーカンソー州知事だったビル・クリントンが大統領になって、ヒラリー・クリントンは米国のファーストレディーとして一躍、脚光を浴びた。

ビルは大統領を任期満了で6年前に退任したがヒラリーはその2年後、上院議員選にニューヨーク州から立候補して当選、政界入りを果たした。その時からアメリカ初の女性大統領との呼び声が高まった。

かくて今回の再選となったわけだが、もし大統領に当選すれば上院議員の任期途中ということになるため、今回は「話題にしてくれるのはありがたいが、まだ決めていない」と明言を避けた。当然であろう。

しかし産経新聞ニューヨークの長戸雅子記者がNYタイムズの報道として伝えたところによれば(9日)、ヒラリー氏が今回の選挙につぎ込んだ選挙資金は約2950万ドルの多額に上った。

この金額は接戦だった各選挙区候補の2倍以上で、しかも支払先がネバダやコロラド州に及んでいるところから、将来の大統領選での全米向けキャンペーンを視野に入れているとの見方を裏付けていると言う。

彼女の資金問題については『週刊文春』11月16号が国際ジャーナリストの話として報ずるところによれば、10月26日にNY郊外で開いた59歳の誕生日パーティーで約2億円を集めたと言う。

夫のビルも10月27日から3日間に亘ってNYで開いた還暦パーティーで目標とした2億ドル(240億円)を軽く突破する資金を集めたと言う。この方はクリントン財団の運営資金となるそうだが、ヒラリーにとって夫は頼りになる後ろ盾と言うところだろう。

特に来年中に必要とされる選挙資金5000万ドルはおろか、1億ドルは集められると見られ、資金の心配は全くない。だが。

民主党内ではケニア人の父とアメリカ人を母とするイリノイ州選出の上院議員バラク・オバマ氏(45)がライバルとして急浮上している。

読売新聞ワシントンの五十嵐文記者によれば「ジョン・F・ケネディー大統領のようなカリスマ性」と中道、超党派の姿勢が評価され、最近出した著書はNYタイムズのノンフィクション部門1位のベストセラーだという。

また11月7日の民間世論調査ではヒラリー氏31%に対し19%で2位に浮上した。

こうした状況の中、ヒラリー氏は大統領夫人時代のリベラルすぎる印象が祟っており、今度の中間選挙では、テネシー州など保守的な地域では応援演説に行けなかった。また大統領選の際カギとなるオハイオ州などにも入れなかった。

これに共和党はどう出るか。先輩の古澤襄さん(元共同通信社常務理事)は先ごろ、御自分のブログ『杜父魚文庫ブログ』(10月25日)で予想している。 http://blog.kajika.net/

「ヒラリー・クリントンに対抗できる共和党の大統領候補は誰か? 2年後の予測は難しいが私はコンドリーザ・ライスしかいないような気がする。これも米政治史上、初の女性対決になるのだが、コンドリーザ・ライスが右派だけでなく黒人層やヒスパニック層などの支持を集めれば、共和党にも勝機が十分にある。

そのためにはブッシュ政権がイラク政策を大胆に転換する必要があるのだが、2年後までもたくつことがあれば、コンドリーザ・ライスでも勝てない。

北朝鮮の核実験をめぐって世界を駈けめぐったライス国務長官を見ながらブッシュ政権はライス国務長官の露出度を高める戦略をとるとみた」。2006.11.11

2006年11月09日

◆国防長官の更迭

                   渡部亮次郎

2006年11月9日の午前3時過ぎ、アメリカから大きなニュースが入ってきた。予想されたとはいえ、ブッシュ大統領がラムズフェルド国防長官を更迭したのだ。中間選挙での敗北をうけ、イラク政策の軌道修正に取り掛かることを具体的に示したものだ。

<【ワシントン=山本秀也】ブッシュ米大統領は8日午後(日本時間9日未明)、ホワイトハウスで記者会見し、ラムズフェルド国防長官(74)が辞任したと発表した。

イラク政策が争点となった中間選挙での共和党が敗北し、民主党からの批判が強まることを踏まえた事実上の更迭だ。後任にはブッシュ前政権で中央情報局(CIA)長官を務めたロバート・ゲーツ氏(63)が指名された。

ブッシュ大統領は、選挙戦の争点だったイラク政策について「素早く、うまくいってはいない」と認めた。イラクを含むテロとの戦いで、米軍最高指揮官としての職責を果たすため、国防総省の首脳人事を決断したと語った。

ゲーツ氏の新長官就任は、上院公聴会の同意を得て発効する。根回しのため、大統領は同日、上下両院の民主、共和両党首脳に同氏の指名を伝えた。

イラク政策で批判の高まるラムズフェルド氏について、大統領は今月1日、ロイター通信などに対し、政権2期目が終わる2009年1月まで留任させると語っていた。この報道を受け、民主党からは同氏への更迭要求がさらに強まっていた。

記者会見での説明によると、大統領は選挙戦終盤の5日にテキサス州でゲーツ氏と会談。さらに7日にラムズフェルド氏と会い、今回の人事で合意していた。

大統領執務室での指名会見で、ゲーツ氏はテロとの戦いで米国の安全を確保する使命を強調し、「公務復帰に関する大統領の要請受諾をためらわなかった」と語った。

ラムズフェルド氏はフォード政権で国防長官を経験し、現政権の発足で再び同じポストに就いていた。ゲーツ氏はCIA要員として情報畑を歩み、大統領の父の政権で1991年から93年までCIA長官を務めた。>(Sankei Web 11/09 03:50)

今回の共和党敗北は予想されていたことであった。いや、イラク戦争云々だけではなく、いわば「恒例」でもあるからである。この点を、信頼すべき古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在記者)は9日の朝刊で次のように指摘している。

「再選された大統領(ブッシュ)の2期目の中間選挙(今回)は与党(共和党)の後退が激しいと言うサイクル的な軌跡がある。保守の強さを発揮したレーガン大統領の時代でさえ2期目の中間選挙では民主党に上下両院の過半数を奪われた。>

日本のTVや新聞を見ていると、いよいよ民主党の時代か、と思わされるが、そうではない。大統領はそのまま、つまり政権交代ではないし、議会では日本と違って法案に対する党議拘束は殆どないから、ブッシュ政権としては、今後議会工作に手間がかかるけれども、何もかにも行き詰まりと言うわけではない。

日本で社会党党首村山氏を首班にした政権ができた時、欧米のメディアはそろって「日本に社会主義政権誕生」と報じた。「しかしこれは自民党に支配された政権だから社会主義政権の誕生なんかではない」と私はニューヨーク・タイムズに投書して掲載されたものだ。

同様に日本人特派員はワシントンで、日本の政界を見るような目でアメリカ政界を見る癖が抜けない。ある記者は「米外交、袋小路の危機」と打ってきたが、ブッシュが大胆な戦略転換をすれば袋小路云々は空文化する。日本と違って新しい国だから転換が出来るのだ。

中国への通商政策の変化に注目する必要はあるが、日本として慌てるべき事は何も起こってはいない。

読売新聞の貞広貴志ワシントン特派員も指摘している。

「レーガン大統領は1986年の中間選挙で上院の過半数を失いながら"悪の帝国"視したソ連に圧力を掛けながら交渉に臨み、冷戦を終結に導いた」。ブッシュはあと2年で何をやるか。民主党は2年後の大統領選挙を目指して纏まれるか、だ。

変化はある。しかしやってくるのは緩やかに、という受け止め方をしておいたらよかろうと思う。2006.11.09

2006年11月08日

◆駝鳥になれということか

 
          渡部亮次郎

自民党の中川昭一政調会長が提起し麻生外相が「論議まで止めるのは言論封殺と言われる」と支持した核論議について、産経新聞に遅れること1日ながらも読売新聞が社説で「支持」した。当然である。朝日、毎日はいつ取り上げるのだろうか。

<北朝鮮の核実験に直面して、「核を持たずに北朝鮮に、どんな対抗措置が取れるのか」と問題提起するのは、責任ある政治の誠実な態度ではないか。

民主党はじめ野党は、核論議を厳しく批判し、外相罷免を求める声もある。だが、小渕政権下の1999年、西村真悟防衛政務次官が「核武装」発言で更迭された際、当時、民主党代表だった鳩山幹事長は、こう語っていた。

「核武装をしてもいいかどうか、と言った瞬間にクビを切られるとなると、国会の中で議論ができなくなる。議題に乗せることすらいけないという発想もいかがなものか」鳩山氏も、自らの発言を思い起こすべきではないか。>(8日付読売社説)

ワシントンからの報道によれば、米議会調査局は11月6日までに、北朝鮮の核実験に関する報告書をまとめ、(1)日本が保有するプルトニウムを使って核兵器を製造する事はすぐできる。(2)韓国や台湾は時間がかかる。(3)しかし日本国民の大多数が核兵器保有への抵抗感が強いため、日本が急激に核兵器開発に走ることはない。

結局「日本が、中国や韓国に北朝鮮問題で圧力をかけるため、核論議を意図的に行っている」との見方を伝えた。(8日付産経新聞)。要するに議論をしていることで一種の抑止力を十分に発揮していることが裏付けられた。

実際に日本にとって核を保有すると結論付けても、国際的規制を考慮すれば、核保有は実際にはまず、不可能だ。だからこそ議論して、中国、北朝鮮、韓国を抑止できるだけ抑止し、せめて非核3原則の修正ぐらいに着地、というのが現実的ではないか。

かつて外務省で大臣秘書官をしたとき、パリで開かれた国際原子力機関(IAEA)の会議に政府代表団の一員として出席したことがある。この組織に関する追加議定書なるものを、わが国は批准しているからだ。

従ってわが国は核拡散防止条約(NPT)の加盟国として、あらゆる原子力関連施設に関してIAEAの厳重な査察を受けている。原子力発電所などあらゆる原子力関連施設にはIAEAの監視カメラが設置され、査察官が定期的に出入りしている。

わが国は1956(昭和31年1月施行(鳩山内閣)の原子力基本法により原子力の研究、開発と利用は平和の目的に限るとし、核兵器の製造や保有を禁じた。また11年後の1967年2月には佐藤栄作総理が非核3原則を打ち出して歴代内閣がこれを踏襲。

衆院も1971(昭和46)年11月には非核3原則の遵守を求める決議を行っている。こうした時代には私も担当記者(NHK)だったのでよく、当時の気を記憶している。沖縄の核抜き本土並み返還という佐藤総理の悲願達成の担保としてのものだった。これが佐藤氏のノーベル平和賞受賞に繋がる。

さて我々は平成17年末現在で原子力発電用としてプルトニウムを国内に5・9トン、英仏の再処理施設に37・9トン計43・8トンを保有している。これらは8キロで原子爆弾1個が作れるのだから驚く勿れ740発を作れるはずだ。

しかしIAEAの監視下とあって「能力はあれど製造研究も不可能」と言うのが実態だ。仮に製造に踏み切るとなればNPT(核拡散防止条約)を脱退してからでなくてはならず、北朝鮮と同じ国際環境におかれることになる。耐える胆力を日本人は有していまい。

更に、当然のことながらNPTを脱退すれば、日米原子力協定に従って日本の核燃料サイクルは停止させられる。原子力発電が停止する。また現実に核兵器を自前で保有し管理するための面積と資金、要因を考えれば、今の日本では核兵器の保有は殆ど不可能である。

これについて畏友の元外交官岡本行夫氏は11月8日、産経新聞におこなった寄稿の中で「冷厳な国際環境の中で行う核兵器導入議論は通常の独立国なら至極当然。それすら行ってはならないというのは、砂に頭を突っ込み周囲を見ない駝鳥になれというに等しい」と嗤っている。

「あれも言うな、これも言うな。発言を控えるだけで日本の安全が保障されるのであれば、こんなラクな事はない。必要な議論なら一時的な対内・対外摩擦があっても、封印せずに尽くすことが、次の世代に対する我々の責務だろう」と。

議論の結果、現状のままと言うことになったとしても、中国、北朝鮮、韓国への気遣いや、国会運営の都合だけでいま、議論は封印すべきでは断じてない。2006.11.08

2006年11月07日

◆本質を見抜けぬ人々

                     渡部亮次郎

50・8対43・2。「右」と言われる産経・フジの世論調査でさえこれである。「日本の政治家は核保有について議論すべきですか」と言う問いに対し「はい」が50・8%、「いいえ」が43・2%にも達したのである。

朝日新聞や読売新聞がしたらどうなるだろう。読売新聞は11月限りで購読を断った。主筆渡邉氏の対中国姿勢の転換が気に入らないからである。

それはそうとして、日本が核を持つことが良いか悪いかを論議するだけで中国が震え上がり、北朝鮮も動揺したと言うのに、読者は43.2%もの人がその仕掛けに気づかない。なんと言うことだろうか。

それでも「はい50・8%で安心」という意見もある。7日付の「産経抄」である。

< 日曜日のNHK討論番組での、自民党の二階俊博国対委員長の発言には仰天した。中川昭一政調会長や麻生太郎外相が提起した核論議に対して、「任命権者の責任を問われる事態になりかねない」と、安倍晋三首相まで持ち出して“封殺”するかまえだ。

 ▼北朝鮮の核の脅威が現実のものとなり、海外では、日本の核武装の可能性が取りざたされているのに、国内では論議さえ許されない。このギャップはどこからくるのか。比較文化論が専門だった鯖田豊之さんは、かねて欧米諸国と日本の「平和観、戦争観のくいちがい」を指摘していた。

 ▼鯖田さんは、鎖国を例にとって説明する。徳川幕府は、イスパニア船やポルトガル船の来航を禁止すると同時に、国内で大船の建造を禁止した。本来なら海軍力を増強して、これらの船に備えなければならないはずなのに。

 ▼「相手がどうでるか考えないで、一方的宣言だけでことがかたづくとするこのような発想は、欧米諸国にはとうていみられないのではあるまいか」(『日本人の戦争観はなぜ「特異」なのか』主婦の友社)。なるほど「非核三原則」は、その最たるものだ。

 ▼日本の「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の政策を、いか核保有国が見習ってくれる。こんな幻想を持つ国は、確かに国際社会では、「特異」に違いない。夕刊フジの4コマ漫画「ヘナチョコおやじ」で、作者のしりあがり寿さんは先週、「核を論議しない」を加えて、もはや「非核4原則」だと風刺していた。

 ▼笑い事ではないが、幸いにも、きのうの小紙に載っていた世論調査によれば、「政治家は議論すべきか」の問いに50・8%が「はい」答えている。国民の多くは、現実的な安全保障論議を求めているのだ。平成18(2006)年11月7日[火]>

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2006年11月06日

◆言語道断は野党の方


         渡部亮次郎

先輩は20代後半、独身だったが、呑み屋の超美人かあさんの、今で言えばセフレ。真昼間からかあさんの部屋に蚊帳を吊って展開。先輩のものは通常兵器ではあったが連発が利いた。

なんと蚊帳の周りをおとうさんが唸り声を上げながらぐるぐる回っている。唸ってはいるが蚊帳の中へ襲ってはこれない。おとうさんはチャタレイだったのである。

自民党の中川昭一政調会長が核保有議論の必要性を重ねて発言していることについて自民党の二階俊博国会対策委員長は5日のNHKの番組で「非核三原則を歴代内閣が言い続け、ようやく日本は好戦的な国ではないと理解された。これは大変な積み重ねだ」と強調した。(Asahi Com 2006年11月02日21時51分)

憲法第9条で戦争放棄を謳い、非核3原則を国是などと言う訳の分らない文句で縛っているうちに、自分自身が分らなくなったのか、これでは日本と言う国家がもはや「不能おとうさん」になっていると宣言しているようなものだ。

嘗て夏目雅子が映画で「舐めるんじゃねえぜ」とのたまわったように、日本だって常にそういってなければ、冒頭のおとうさんのようになってしまう。日本は温和しいが、不能ではない、一旦ことがあれば剥く牙はあるんだ、舐めるんじゃねえぜ、と常に見せておかなければならない。科白の背後には匕首という武力があったから吐けた。

酔っ払いの中川さんだが頭脳は素晴らしくいい。何も核武装を決議しようというのじゃない、持つことがいいか、無理か、不都合か、議論をすることが即ち周囲に対する抑止力になる。1銭もかからない核抑止力。近来これほど鋭い頭脳を知らない。

只の酔っ払いではなかった。親父を超えた政治家第2号だ。だからさすがの石原慎太郎都知事も産経新聞の連載コラム「日本よ」で中川発言を高く評価した。

「さらに強盗国家の北朝鮮までが核兵器の開発を提言着手している現実に、日本が自力で何処までどう対処すべきかを論じることそのものを非難すると言う神経は亡国的売国的とすらいえるだろう」

「中川の発言は当然のこととして、中国の北朝鮮の核保有に関しての姿勢を大きく規制した、今後も深い影響を与えるだろう」

「発言は平和と言う1つの現実を形成していくために、現に強いインパクト(衝撃)をもたらしているということを、平和を願う者たちこそ知るべきなのだ」(11月6日付)。

私から見ると、以下のようなざわめきは、実に情けない阿呆の呟きにしか聞こえない。北朝鮮よ、中国よ、韓国よ、日本を舐めてくださいと土下座しているようなものだ。

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