2006年10月07日

◆得手勝手



             渡部亮次郎

得手勝手。他人のことはかまわず、自分の都合だけで考えること。また
そのように振舞うこと。(岩波書店刊「四字熟語辞典」2002・03)

1991年のソ連崩壊に伴う冷戦終結後は、唯一の『超大国』、『覇権国家』
となり、「世界の警察」を自任した。その後も日本や韓国、サウジアラ
ビアやドイツなど国外に多くの基地を持ち続け、パナマ侵攻や湾岸戦争
など、各国の紛争や戦争に積極的に派兵した。アメリカのことだ。

特に中東地域においては露骨にイスラエル寄りの姿勢を保つため、中東
のアラブ系、イスラム系国家の国民から多くの反発を買うことになった。

それなのに民主主義体制で我々は成功したのだから、地球上すべてが民
主主義で行くべきだとでも言ってるように振舞っているのがアメリカ合
衆国ではないか。得手勝手という四文字熟語が頭に浮かぶ所以(ゆえん)
である。

殆どの国民が移民もしくは奴隷として外国から来た人とその子孫であり、
世界史的に見て比較的新しい国の1つで、その母体になった国々や、その
他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わ
せ持っている。

今の大統領の父ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George
Herbert Walker Bush, 1924年6月12日 - )もアメリカ合衆国の第43代副大統領および第41代大統領(1989年-1993年)という名門。そのブッシュ家は、女系で辿っていくとイギリス王室の子孫だとはいえ、移民は移民である。(喰い詰め者)。

何カ国、どれだけの民族の交じり合ったのがアメリカ合衆国だろうか。
どれだけの得手勝手が集まったことだったろうか。しかし、ぶつかり合
う得手勝手の中から発明したのが民主主義という制度だった。

最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意
見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当
とする点で異なると主張される。日本では反体制思想と決め付けられ、
研究さえまま成らない思想だった。

それが昭和20(1945)年8月15日の敗戦と共にやって来た戦勝連合軍(事実
上はアメリカ)のマッカーサー元帥(げんすい)によって押し付けられ、
教え込まれ、「真実」と思い込まされたのがミンシュシュギだった。

この第2次世界大戦の終結後、アメリカは戦勝国となった上に国土に殆ど
被害を受けなかったこともあり、1950年代にかけて未曾有の好景気を享
受することとなった。

とはいうものの同じく戦勝国だったソビエトは共産主義国として対立す
ることとなり、いわゆる冷戦による共産主義への脅威を受けた。そのためア
メリカは一時、ジョセフ・マッカーシー上院議員らによってヒステリッ
ク的に赤狩り旋風が巻き起きた他、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事
件が起こるなど政治的な混乱も続いた。

冷戦においては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する資
本主義陣営の盟主として、自由、民主主義の保護の名の下、朝鮮戦争や
ベトナム戦争など世界各地の紛争に積極的に介入する。これを私はアメ
リカの得手勝手第2弾だったと思っている。

だからベトナム戦争への介入は世界的に大きな非難を呼び、国内世論の
分裂を招いたのは当然だったが、アメリカは分らなかったらしく、無視
した。

単に「反共産主義的」であるという理由だけで、アジアや南アメリカ諸国
をはじめとする世界各国の軍事独裁政府を支援し、その結果、それらの
国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。

また、長引く冷戦時代を通して軍部と経済界が結びつき軍産複合体を形
成しアメリカの政治・経済・軍事政策に深く関わる構図も生まれた。こ
うしたアメリカの戦争を止められない性質を揶揄して「戦争中毒」と呼
ぶ「左翼」も存在する。

また、「自由と民主主義の橋頭堡」を自称するものの、第2次世界大戦
後に至っても法の上での白人種による人種差別が認められていたようだ。
私は1973年まで行った事がないから知らなかった。

1960年代にはこの様な状態に抗議するアフリカ系アメリカ人を中心に、
法の上での差別撤廃を訴える公民権運動が行なわれ、1964年7月に、リン
ドン・ジョンソン大統領の下で公民権法(人種・宗教・性・出身国によ
る差別禁止)が制定された。

だが、その後も現在に至るまで先住民や非白人系移民とその子孫(アフ
リカ系アメリカ人、ヒスパニック、日系アメリカ人など)などの少数民
族に対する人種差別問題は解決されておらず、大きな社会問題として残
っている。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件後は第3の得手勝手ではないだろうか。「テロ支援国家」としてイラン、イラク、北朝鮮を名指しで非難しアフガニスタン侵攻、イラク戦争へとつながったが、イラク戦争には「石油を狙った侵略行為」であると批判する声があがるのを留める方法はない。

上記テロ事件を境として、アメリカを取り巻く環境ないしはアメリカの
世界への対応は劇的に変化し、国際情勢や各国間の関係にも大きな変化
がおこっている。

現在もアメリカは「アメリカの死活的利益擁護のためには武力行使を含
むあらゆる手段を選択」と宣言しているが、同時多発テロ後のアメリカの
やり方に対して「全体主義の傾向が強まりつつある」と言われている。

2005年以降、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき具体的
な法令的根拠・令状なしに、国内で盗聴・検閲等の監視活動を行ってい
ることについては批判の声が上がるのは当然だ。

イラク戦争の強引な姿勢は世界中で反米感情を引き起こし、アメリカの
国際的な影響力の低下を招い手いるのではないだろうか。砂漠の砂嵐の
中で民主主義をやっていたのでは、投票中にみんなが吹き飛ばされて死
んでしまうと思うのだが、アメリカ人には判れない。世界的な得手勝手。

私は決して反米主義者ではない。ただ他民族社会なるが故に単細胞的な
政治制度を採って来たアメリカが、地球の中華を目指す中国と2020年ご
ろ本格的に対峙する事態を迎えた時、きちんと対抗できるか、極めて心
配なのだ。

日本の安全保障をこんな単純性脳膜炎におんぶしていて大丈夫なのか、と。

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2006・10・06

2006年10月06日

◆青年は地方を目指さない



         渡部亮次郎

「青年は荒野を目指す」という小説だか唄だかがあったが、あれをもじって言えば「青年は地方を目指さない」という冷厳な実態に突き当たる。

以下、朝日新聞の報道である。

<新人弁護士、東京一極集中 合格者増した効果出ず

今秋、司法修習を終えて弁護士登録した1144人の半数が東京に集中していることが、日本弁護士連合会(日弁連)のまとめで分かった。

一方で山梨、函館、釧路、鳥取の弁護士会への登録はゼロだった。

身近に相談できる弁護士がいない「司法過疎」を解消しようと、政府は司法試験合格者数を大幅に増やしてきたが、東京一点集中は進む一方で、日弁連は地方で働くよさを知ってもらう計画に初めて取り組む。

新たに弁護士登録したのは04年の司法試験合格者で、今月、司法研修所を修了した1386人の一部。その他は裁判官、検事の道に進む。

全国50の地裁所在地別にみると、新人の登録は東京が579人。大阪128人、愛知55人、横浜48人が続く。

一方、ゼロの4カ所のほか岩手、秋田、徳島、高知には1人、栃木、福井、富山、山形、旭川には2人しか新人は来なかった。

すでに全国に約2万人の弁護士がいるが、5割弱は東京に集中。司法改革で、政府は司法試験合格者を90年の500人規模から増やし続け、昨年は約1500人が合格した。

しかし勤務地を選ぶのは本人の自由。高給と言われる渉外事務所や企業関連の仕事が多い東京の新人登録率は03年以降昨年まで57%、53%、56%で推移し、人気は根強い。

来年には新司法試験の合格者も加わり、修習修了者の数は今年より約1000人増える見通し。「大都市だけでは就職難は必至」という危機感から、日弁連は各地の弁護士会の情報提供などを通して、地方の弁護士を増やす活動を進める。

地方の司法の活性化などを目指し、今年6月にできた日弁連弁護士業務総合推進センター副本部長の秋山清人弁護士は「1人でもできるのが弁護士の仕事の魅力だが、最近の若手は大都市・大規模事務所志向が強い。地方で活動するやりがい、生活の充実度を知ってもらえば状況は変わると思う」と話している。Asahi Com 2006年10月05日14時14分)

「日弁連は地方で働く良さを知ってもらう計画に初めて取り組む」というが、地方で働く良さを知っても行かないのが真実ではないだろうか。

私は東北地方の個人病院の後継院長探しを依頼されて数年頑張ったが、遂に捜せなかった。

その原因は待遇とか生活条件とかではなかった。「地方にはいい学校が少ないから、子供の進学がブレーキになる。最新の医療技術もみがけない。いい病院が無いから、健康維持に問題が起きる」というのが真実だった。弁護士も同じではないだろうか。

「最近の若手は大都市・大規模事務所志向が強い」と今年6月にできた日弁連弁護士業務総合推進センター副本部長の秋山清人弁護士は仰るが、それは若者の罪でも我がままでもない。人生を効率良く生きようとしているからだ。

61年前、史上初めて敗戦するまでの日本は、親の面倒を長男が見るのは当然とされていた。だから長男は親はもちろん兄弟からも一目置かれていた。

ところが敗戦と共にマッカーサーが押し付けた文化は「効率的」
「合理的」だった。憲法も民法もその方向に変えられ、早い話が日本社会は崩壊した。

その上に経済の高度成長路線と高学歴社会を構築したために、人口の都市集中、というよりも東京圏への過度な集中となった。社会を効率的、合理的に運用すれば、当然の帰結である。

外に出て手を上げただけでタクシーが来る。劇場は近い、音楽会もしょっちゅう開かれる。買い物も便利、飲み屋も近い。有名大学も集中し手居る。子供の進学を考えれば、地方で暮らそうと言う親は、ちょっと変わり者と言われるわけである。

1970年代の田中ブルドーザー内閣以来、地方を守るためにいわゆる公共事業を通じて国家予算をばら撒いてきたが、とうとう息切れ。国家財政は悲劇的な状態になっている。

そこで小泉内閣がようやく大鉈を振るい、公共事業を減らして政治の「効率化」と「合理化」を断行した。その結果が、地方都市メインストリートの連続シャッター街となって現れたわけで、これも当然の帰結なのである。

若者はそうした地方を逃れて都会生活を満喫した。しかも大変な努力を合理的、効率的に展開した結果、司法試験合格という滅多にないエリトコースを獲得した。それなのに、また悪条件の待っている不合理で非効率的な地方へ行く、という決断ができないのは当然である。

「地方で活動するやりがい、生活の充実度を知ってもらえば状況は変わると思う」という日弁連の見通しは法律の3段論法に反している。只の苦し紛れの見解ではなかろうか。少なくとも戦後80年の日本歴史の流れには逆らった見解である。

司法試験合格者を90年の500人規模から増やし続ける政府の司法改革なるものがそもそも地方を馬鹿にしている。「増やせば溢れて地方に落ち延びる奴も出てくる!」。こういう馬鹿なことを考える奴を『試験に強い馬鹿』という。

地方には医者も足りない、弁護士は来ない。都会では今に弁護士だらけ。アメリカのように弁護士は終いに訴訟を起こすよう奨めに歩くようなことにならないか。都会では既にそうだが。

「分ったようなことを言うな」と叱られそうだが、我々が味わっているのは、「国家100年の計」ならぬ80年ぶり「敗戦の悲しみ」なのではなかろうか。しかし、困ったなぁ。2006・10・05

2006年10月04日

◆中川を失った節介屋



            渡部亮次郎

安倍政権に対して、元総理大臣にして森派会長の森 喜朗は相当な影響力を保持していると見ていたが、最早それは相当に古い話だそうだ。幹事長になった中川秀直にはとっくの昔に去られたようだ。現場からの通報である。

<森と中川秀直の距離はかなり開いている。秀直が森を裏切ったりして、とうの昔に森から見限られてもいいはずなんだが、そこがヘンに義理に厚い森の欠点。いまだに中川を憎みきれないでいる。

森はおそらくいまだに中川に意見しているはずだが、膨張肥大した中川はほとんど聞き入れていないのではないか。そういう中川の姿勢は総裁選の前にはっきりとしていたため、森は町村を使った。

今回の安倍訪中については、むしろ秀直の功名心が大きいのではないか。谷内外務事務次官もおそらく歴代次官経験者に「こんなにこじれた外交をした責任はお前だと後世いわれ続けるぞ」などと脅されたのかもしれない。

外交に私心は禁物なのに、「国益=私心」と勘違いした輩がいるせいで日本はいつまでたっても「主張する外交」なんてできっこなさそうだ。>(政治記者) 

<「酒と女の自民党執行部」ですが、中川秀直さんのあの時のスキャンダルというのは、『FOCUS』のバックナンバーを読み返すにつれてもひどいですね。愛人や右翼とのつながりなんて、国会議員の中にはいくらでもいるでしょうが、最大の問題はその愛人に薬物を巡る警察情報を漏らしていることだ。

で、改めて秀直さんが官房長官を務めていた第2次森内閣の名簿を見て驚いた。国家公安委員長が伊吹文明さん(現文部科学大臣)じゃないですか。

警察情報を得ていたのは、官房長官になる前で、その時の国家公安委員長は違いますが、警察とのズブズブということで考えれば、この人事はなかなかイミシンである。

しかも、愛人に捜査の手は及ばなかったんだから。そして、今回人事権を握る幹事長になった秀直さんが、伊吹さんに閣僚のイスを与えた。どうも厭な感じですねえ。

官邸には比較的まっとうな人材を集めたことを見ると、安倍さんはどうも人事権を古い自民党にとられている感じがする。つぎつぎと爆弾が破裂し続けるんじゃないかな。>元文芸春秋記者勝谷誠彦の「日本補完計画」より転載。

<中川 秀直(なかがわ ひでなお、1944(昭和19)年2月2日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(広島県)。現自民党幹事長。東京都新宿区出身。本籍地は広島県東広島市豊栄町。

岳父の中川俊思(河野一郎派)も衆議院議員を務めた。学歴は慶應義塾大学法学部卒業。学位は法学士(慶應義塾大学)。

1962年:東京都立井草高等学校卒業

1966年:慶応大学法学部卒業

966年:日本経済新聞社入社。政治部記者となる

1976年:義父の地盤を継ぎ、旧広島2区から新自由クラブ公認で衆議院議員総選挙に立候補し初当選(31歳)

1979年:落選を機に新自由クラブを離党

1980年:トップ当選で復帰し、自民党へ入党。国土政務次官、通産政務次官を歴任する

1990年:再び落選

1993年:再度トップ当選で復帰。

1994年:村山内閣の首相補佐として社会党出身総理と自民党との連絡役を務める

1996年:第1次橋本内閣で科学技術庁長官として初入閣(52歳)

2000年7月:第2次森内閣で内閣官房長官兼沖縄開発庁長官として総理の女房役を務める (56歳)

2000年10月:愛人通いや右翼との会食などスキャンダルが報道され、実力を発揮できないまま就任3ヶ月で辞任に追い込まれる。この辞任劇が支持率低下に悩んでいた森内閣に追い討ちをかけ、同年末の加藤の乱発生に少なからず影響を与えた

2002年10月:自民党国会対策委員長に就任して復帰。小泉純一郎総理の信任も厚く側近中の側近として知られる。その政治手腕も買われて異例の長期留任となり、2005年7月に国対委員長在職期間最長記録(村岡兼造前衆議院議員の1023日)を更新する

2005年10月:自民党政調会長に転ずる

2006年9月:自民党幹事長に就任

自民党新聞販売懇話会会長代行であり、新聞の再販制度維持を主張し特殊指定見直しに反対している。日本新聞販売協会の顧問でもあった。その分身でもある日販協政治連盟から多額の献金を受けている。事実上新聞族のドンである。

新聞記者出身らしく、自らのホームページのコラム連載を一日も欠かしたことがない。各紙社説や論説記事を叩き台に、自らの所見を展開するスタイルが多い。

古賀誠、二階俊博らとともに、人権擁護法案(ネット上でその問題点が厳しく指摘されている)の積極推進派としても知られている。

2006年4月、次男中川俊直が東広島市長選に立候補する。国政選挙並みの選挙戦を繰り広げるも落選。

2000年衆議院議員選挙において、自由民主党総裁(内閣総理大臣)森喜朗の指示を受け、中川が塩川正十郎に引退を要請しに行き、塩川に灰皿を投げつけられ「帰れ!」と叱責された。>

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

10月4日発売(東京)の「週刊新潮」10月12日号は、トップで特集を組み「黒い幹事長 中川秀直の正体」を5ページに亘って暴いている。私は岳父(故人)のことしか知らないから、口出ししない。

「週刊新潮」は
<党三役と組閣で登用されたのは、脛に傷持つ灰色議員の面々だった。その筆頭が幹事長に出世した中川秀直代議士(62)。未だ愛人スキャンダルの火種が燻り、数々の疑惑を抱える・・・≫と冒頭に謳っている。

それにしてもなんやら怪しいね。安倍さん、大丈夫かいな。それにしてもこの中川と縁を切れない森という人は分からない。だから総理が1年しか勤まらなかったのかもしれない。安倍さんから毎日、電話を貰わなければ神通力は間もなく無くなる。(文中敬称略)2006・10・04

2006年10月03日

◆ヒトゲノム



           渡部亮次郎

不摂生な食事や運動不足の生活をしていても糖尿病荷ならない人もいる。同じ場所で同時に横綱に昇進した大鵬と柏戸。共に巨漢だったが、大鵬は脳卒中に悩まされ、柏戸は糖尿病に取りつかれた。

<引退後の柏戸は過去10人の柏戸は全員が伊勢ノ海部屋を継承した伝統に反して年寄鏡山として独立、自身の現役時代の戦場蔵前国技館最後の本場所となる昭和59年9月場所で優勝の多賀竜などを育てた。

平成8年12月8日58歳で亡くなると鏡山部屋は元多賀竜の勝ノ浦が継承した。腎臓病の悪化は深刻で亡くなる数年前には人工透析を受け続けた副作用で骨が弱くなり「おい、見てくれよ、脚こんなになっちゃったよ」と言っていたという。

これを見たかつての好敵手大鵬は少しでもよくなるようにと考えてカルシウム剤を渡したという。>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

腎臓病の悪化。その原因が糖尿病だった。わが師園田直とおんなじだ。糖尿病でまず盲目になり、腎臓機能不全を補うため人工透析開始したが、すぐ尽きた。享年70。

産経新聞によると、徳島大学の板倉光夫教授(ゲノム機能学)は日本人2000人以上の比較から「SOCS2」や「MYL9」と呼ばれる遺伝子の微妙な差が、糖尿病になりやすい体質に関係することを突き止めた。(2006年10月2日付)

この結果、板倉教授は、将来(5-10年後)は、自分が糖尿病になりやすい体質かどうか、子供の時に分るようになる可能性がある、と言っている。

恐ろしいことになっているのだ。人間は死ぬのがいつか分らないから漫然と生きていられる、といってきたのに、科学が進歩した結果、何の病気で死ぬのかが分るようになるというのだ。

従って結婚の相手を選ぶのは、容貌や出自よりも遺伝子を調べることが先というロマンのないことになるかもしれない。

<ヒトゲノムはヒトのゲノムである。 ヒトゲノムは核ゲノムとミトコンドリアゲノムからなる。

ヒトゲノムの塩基配列の解読を目的とするヒトゲノム計画は1984年に最初に提案され、1991年から始まり、2000年6月26日にドラフト配列の解読を終了、2003年4月14日に全作業を終了した。

ヒトの遺伝子数は3万〜4万個あると考えられている。

核ゲノムは30億塩基対あり、24種の線状DNAに分かれて染色体を形成しており、最も大きいものが2億5千万塩基対で、最も小さいものが5500万塩基対である。 染色体は22種類の常染色体とXとYの2種類の性染色体に分類される。

核を持たない赤血球をのぞく体細胞は2倍体であり、同じ種類の常染色体を2本ずつ、性染色体を2本(女性はXとX、男性はXとY)の合計46本の染色体を持っている。 生殖細胞は1倍体であり、常染色体を1本ずつ、性染色体を1本の合計23本の染色体を持っている。

ミトコンドリアゲノムは16569塩基対の環状DNAでミトコンドリアの中に多数存在している。 体細胞も生殖細胞も約8000個ずつ持っている。>(同)

ヒトゲノム計画の成果と問題点

<すでにほぼ完成している染色体地図をもとに遺伝学的手法を使って、いくつかの病気に関係する遺伝子が発見されている。

嚢胞(のうほう)性線維症や筋ジストロフィー、ハンチントン舞踏病(→ 舞踏病)などの遺伝性疾患に関与する遺伝子も同定(@同一であることを見極めることA生物の分類上の所属を決定すること)されてきている。

日本の研究機関も、大腸癌(がん)抑制遺伝子、急性骨髄性白血病遺伝子などを明らかにするという成果をあげている。これらは遺伝性疾患を治療するために、よりよい遺伝子スクリーニングや新薬、遺伝子治療を開発するための第1歩である。

ヒト遺伝子に存在する致命的な欠陥が修正できるようになれば、疾患に対する取り組みは激変する可能性がある。

しかし、遺伝子変異が発見されても治療法がないことも多く、患者への告知などが課題となっている。

また一方で、ヒトゲノムに関する情報が増加するにつれて、倫理的、社会的、法的な面から多くの論議が出ている(→ バイオエシックス:応用倫理学)。

すでにヒトゲノム計画の初期の発見をめぐって、塩基配列の特許を認めることが適切かどうか、保険会社やその従業員が遺伝子情報を入手できるようにするのは妥当なのか、悪用や乱用の規制はどうするのか、本来なら子孫に伝えられるはずの遺伝的な欠陥を修正してもいいのか、といった問題が世界中ではげしく議論されている。>

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◆訪中訪韓摩訶不思議

         渡部亮次郎

マスコミを見ていると、安倍総理が10月8,9日に中国、韓国首脳を訪れて会談する事は確実のようだ。しかし、何しに行き、何の成果があるのか、私にはさっぱり分からない。

今度、幹事長になった中川秀直氏が早くから工作していたと言う。という事は森元総理の指示と言うこと。という事は例によって「筋」のある話ではない。単なる辻褄あわせ以外の何物でもない。

言われてみれば、中国では胡錦濤総書記が、仲のよく無い前総書記江沢民の上海派粛清に乗り出している。言うなれば、中国の潮の流れを変えようとしているから、就任早々の安倍訪中は良き頃合と言う分析。

まず、胡政権が上海派粛清の着手をわが方に事前通告して来るはずがない。もしも安倍訪中を中川さんが画策していたとすれば、胡政権の変化が出てくる前からであったはずだ。

何年も首脳会談が行われていない日中関係。小泉では駄目だった、だけど安倍になったら可能になった、さすが中川秀直たいしたものよ、との向こう受けを狙ったとしたら間違いだ。

胡錦濤が政権基盤を固めつつあると言うが、だから反革命でも起こすと言うのか。中華思想をやめられると言うのか、アジアの盟主になることをやめるのか、反日教育を止めてなお国を束ねていけるというのか。日本の国連常任理事国入りを認めると言うのか。

そんな事は絶対にない。そんなことをしたら中華人民共和国は消滅してしまう。それなのに突如、無条件で首脳会談をしようというのは多分、アメリカに言われて「恰好づけ」をしようということに違いない。

恰好とは「アジアの安定的前進」である。アメリカはいま中東で多忙のためアジアに構っている暇が無い。だからしばらくはアジアの大国にじっとしていてもらいたい、それだけだ。

それだけなのに安倍総理が就任早々、中韓を訪れるのは愚かな「世論」なるものに応えなければ、民主党に乗じられて、来年の参院選挙に負けるかも知れないとの危惧を抱いているからである。

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2006年10月02日

◆虎の威、借るか刈るか


    
            渡部亮次郎

虎の威を借る狐、と習った。それを虎の威を借りる狐、と覚えている方
もいらっしゃる。パソコンは古語軽視だから「刈る」と出て物議を醸す。

「故事 俗信 ことわざ大辞典」【小学館 昭和60年1月21日 第1版 
第11刷発行】を引いて見た。

≪虎が狐をとらえて食おうとしたところ、狐が「自分は天帝の使いだか
ら、喰うと天帝に背くことになる。その証拠に自分の後についてきて御
覧なさい」という。

一緒に行くと百獣が自分を怖れて逃げるのを知らず、愚かにも狐の言葉
通りだと思ったと言う。「戦国策--楚策」にある寓話による≫

他の権勢に頼って威張る小人物のたとえ。「虎の威を借る狐とは、きょ
ろつく顔に現れたり」{浄瑠璃・壇浦兜軍記?3}

出典:「嘗不知鼠憑社貴 狐藉虎威」(沈約?恩倖伝論)

「借る」は「借りる」の古語でしょう。

岩波書店が2000年10月18日に1945年生まれ、早稲田大学文学部卒業の
「ことわざ研究会会員」時田昌瑞著「岩波ことわざ辞典」を刊行した。
それは上記を参考にしたかどうかは知らないが、現代語訳の文章で詳し
く説明している。

!)狐、虎の威を借る !)虎の威を借りる狐 弱者が強いものの権
威をかさに着て、威張ることのたとえ。「借」は「仮」とも当てる。中
国・漢代の『戦国策』(楚策)にある寓話に基づく。

狐が虎に食われようとした時、狐が虎に言う。自分は天の神に百獣の長
になるように命ぜられている。自分の後についてくれば分るはずだ、と。

虎が狐に従って行くと、他の動物は虎を見て逃げ出してしまう。それを
見た虎は、なるほど狐の言う通りだと納得したというもの。

この話は、北方の国が楚の将軍を怖れているようだが、という楚王の問
いに対して、北方の国は、虎である王の軍隊を怖れるのであって、将軍
は、その威を借りた狐に過ぎないと臣下が説明するのに引き合いに出し
たものであった。

日本でも平安後期(説話『注好選』)・鎌倉時代から盛んに用いられた
が、古くは異表現!)のように狐が先にくる形のものが多かった。

引用した以上を読むと、馬鹿は虎だ。百獣が逃げたのは、虎を見たから
なのに、狐を怖れたとの誤解。どこかの国の大統領が狐、虎は中●じゃ
ないか。2006・10・01


2006年09月30日

◆阿比留瑠比さんに謝罪

         渡部亮次郎

1)
>ふーん。ふむふむ、原口氏はそういう考えか…。えっ、「異議」。何度 か読み返してみましたが、これは「意義」でしょう。まあ、単純ミスで はあるのでしょうが、読売さんがナベツネ氏の肝いりで新聞協会賞まで狙った連載の単行本にしては、なんだかなぁ、という感想を覚えました 。これが9月22日。

広辞苑第5版「異議」:他人と違った議論や意見。「――なし」「−−を 唱える」

「意義」:意味。わけ。言語学では、特に「意味」と区別して「一つの語が文脈を離れてもさして得る内容」の意に使うこともある。!)物事が他との関連において持つ価値・重要さ。「参加することにーーがある」とある。

誤植はどっちだね。<


原口氏の文脈を読むと、「意義」が正解かと。学問として論じる価値はあるけれども、政治家としては言うべきではないと述べているのでしょう。      2006年 9月30日 伴 尚志

2)
文では、「A級戦犯史観を学者として論じるなら私は賛同しかねます。しかし、そこに立ち返って何かを発言することは国益にならないし、政治家として言うべきではない」

ここで、後半の「政治家として言うべきではない」と前半を「賛同しかねる(異議)」と捕らえると、逆説の接続詞「しかし」が意味を成しません。

また、「しかし」を除いて考えても、学者としての史観と政治家として
の史観の違いを原口さんは語られてると思うので、政治としての史観と学者としての史観が共にそこに立ち返って発言する価値が無い、という文脈になると思います。

よって、ここは阿比留記者の訂正のように異議は意義であるべきだと小生は感じますが、どうでしょう?

その後の「虎の威を刈る」は単にキーボードによる変換ミスだと思われますが、いかがでしょう。

よろしければ、原口さんの文章を「異議」として解釈を伺いたいのですが、よろしくお願いします。粟野 智之

2006年09月29日

ものは言い様(よう)

            渡辺亮次郎

「奴は仕事はよく出来るが大酒呑みだ」と「奴は大酒呑みだが仕事はよくできる」、あんたが人事課長だったら、どっちを採用するかね、と問われたら、どうしますか。

○仕事はよく出来る
○大酒呑みである

要素はこの2つ。どちらを最初に言うかだけである。当然、後者、つまり、大酒呑みだけど仕事はよくする、といわれた方を採用するに決まっている。そう、ものは言いようなのだ。

秘書官として仕えた外務大臣園田直(そのだ すなお)さん(故人)が出張先のホテルで諭してくれた話である。彼は特攻隊「天雷特別攻撃隊」の隊長(パイロット)として死ぬはずが、突然、敗戦になって「死に損なった」という人。

それまで陸軍落下傘部隊第1期生、パイロットなどとして、1935年から野戦に11年いた猛者である。しかし士官学校を出ているわけじゃないから、戦争の最先端では相当、苦労したようだ。

それだけに、人間研究が進み、世間を渡る智恵が集積された。冒頭の話も、戦場での体験に基づくものだった。問題にする要素は2つしかないが、どれを先にいうか、後にするかで運命は暗転するというのだ。

別のところでも書いたのだが、戦場では士官学校を出た若者が隊長として着任する。いきなり戦闘に巻き込まれ、若者は興奮する。飛んでくる敵弾に身を曝そうとする。士官学校ではそう教えられて来たからだ。

しかし、弾の撃ち方ぐらいは習っただろうが、撃たれ方は習ってない、当然だ。それが着任早々、撃たれかかって舞い上がる。古参兵たちにしてみると、隊長戦死とは不名誉なことだから「隊長殿、其処では危のう御座います」と叫ぶ。隊長、名誉に拘わると思うものだから、逆に更に危険な地点に出ようとする。困った。

そこで園田さんが出て行って言った。「隊長殿、其処では敵情がよく見えません、どうぞこちらへ」と叫んで岩陰に案内したら、隊長殿、ふっと息を吐いた。

記者時代から12年の付き合いを経て秘書官になった。記者時代は政治家といえども対等な付き合いをした。私は生意気な記者ではなかったが、実力者の河野一郎さんが、毎日曜の昼ごろ、リンカーンでアパートに来て、下から「亮次郎、競馬行こう」と叫んだものだ。

園田さんはその河野派の一員だから、私のほうが威張っていたかも知れない。だが秘書官となれば従者だから、立場は逆転。ところが外国へ出張すると、夜は大臣は孤独になって私が勝つ。

外務省の役人は皆、夜の巷に出かけるから、残りは私と2人だけ。私は酒呑みだが、大臣は下戸。そこで夜は立場が逆転し、大臣が私の水割りを作り、昔話を聞かせる、という場面になるわけだ。

ドアの外には警視庁から附いてきてくれた警護官が立っているが、大臣は気を利かせて、彼をも招き入れて、警察用語で言うところの「教養」の時間となる、という風だった。

園田さんは実は痛がりで小心な少年時代だったそうだ。そこで剣道に励み7段という高段者だった。加えて代議士になってから合気道もやり8段だった。これに居合道8段、空手(名誉)も加えると二十数段という武道家だった。

しかも武道の呼吸を政治に生かしていた。自民党では国会対策委員長を2度も務めて名を高めた。その功績の理由は合気道にあった。野党がいきり立っている時は説得しても無駄。相手が落ち着いた頃を見計らって説得して初めて効き目がある、これは合気道だ、というのだ。

上がる手を無理に抑えようとすれば相手は抵抗するが、手は何時までも挙げたままで居られるわけがない。やがて下がってきた時にこちらの手を添えて下げてやれば相手はつんのめって転ぶよ。タイミングを間違えたら転ぶ相手が転ばずに、こちらも怪我をする。

こんな話を色々と山ほど聞いた。どれだけ実になっているか全く自信はないが。

「若者並み頑張るのだから立派だわね、おじいちゃんなのに」と後輩の女性に言われて立腹した。生まれて初めておじいちゃんと言われたからだ。

「よく頑張るわね、現役がかなわないわね」と言って欲しかった。それを思って冒頭の話を思い出したのだ。ものは言いよう。間違うと命がかかる。

2006年09月28日

無残!発見34年ぶりとは

            渡辺亮次郎

34年前の今日(9月29日)は北京の人民大会堂で日中共同声明が発せられ、日中の国交が回復した記念の日である。私は当時、NHK政治部記者であり、派遣されて田中角栄総理の特別機に同乗を許されて、「現場」をつぶさに目撃した。

しかし、当時(1972年)9月25日に到着して以来4わたった日間に亘った田中総理と中国の周恩来総理による日中首脳会談で何がどう話されたかについては、会談に同席した二階堂進官房長官が「一切発表できません」と説明を拒否。

ただ最後に共同声明がいきなり発表されただけだった。最近になってパ
ソコンの中を遊弋していたら,<データベース『世界と日本』 戦後日本政治・国際関係データベース東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室>

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/
に突き当たった。

[文書名] 田中総理・周恩来総理会談記録を発見して初めて全文を読む
ことが出来た。

[場所] 北京
[年月日] 1972年9月25日〜28日 極秘無期限となっている。一定の期限が過ぎたので 公開されたのであろう。

私自身は共同声明の6年後、今度は外務大臣園田直の秘書官に発令(福田赳夫総理大臣辞令)され、共同声明に謳われながら、6年間も締結のできなかった日中平和友好条約の締結プロジェクトに携わった。

しかし田中・周恩来による日中首脳会談の記録については時間的余裕が
無かったし、見せてくれとも言わなかった。「極秘無期限」では外部か
ら来た秘書官風情に外務官僚が拒否するに決まっていると知っていたか
らでもある。

秘書官を退官した後、わずか3年で園田は腎不全により70歳で逝去した。私も別の仕事に就き、今回、ようやく「極秘無期限文書」に会うこととなった。その時すでに34年の歳月が流れていた。無念、無残也。

記録は厖大である。特に興味のある向きは下記のHPで当ってほしい。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/

以下、概略を抜き出す。
・・続きのページへ・・

2006年09月26日

天晴れ!産経新聞

            渡辺亮次郎

安倍政権の出発に当って幹事長と官房長官の予測を完全に的中させたのは弱小わが産経新聞だけであった。天晴れ(あっぱれ)だった。

経営が楽でないためか夕刊を止めて久しい。別に『夕刊フジ』があるといえばあるが、あった夕刊をやめてしまった事は事実である。月ぎめから1000円の値引きをしたので、当時の社長が読売のドンから苛められたという話を聞いた。読売は200円しか引かない。

そこで政治部はスタッフの数も他社に劣るに違いない。それなのに読売、朝日、毎日、日経がやれない特種を25,26と連日に亘って放った。余程優秀な記者が居なければこういう快挙は打ち立てられるものではない。

まず2006年9月26日(当然、朝刊)「幹事長 中川秀直氏 きょう3役決定 麻生外相は留任」と打った。確定的に打った。最大発行部数を誇示する読売新聞は、なんと沈黙。「二階氏 選対責任者に」とあさってのことを言って逃げた。

産経の先輩はメルマガで「麻生幹事長説」を流していた。他社も似たりよったり。ところが26日に至り産経は「官房長官 塩崎氏 副長官に元官僚・的場氏」とやった。特に的場氏には仰天した。

これまた「読売」はちゃらんぽらん。官房長官が「拉致」を担当すると大書(ゴチック)しているが、「だれが官房長官になるのか」は当日の未明になっても確定的な情報をつかめなかったらしく、1行もない。

其処へ行くと産経は「塩崎」と断定した上で官房副長官の事務担当が、これまでの旧内務省関省の事務次官をもってくることにケリをつけ、旧大蔵省出身で、しかも10年も前に霞ヶ関を去った72歳を民間から持ってくるとすっぱ抜いたのである。

旧内務省関係省とは厚生労働省、総務省、警察庁、国土交通省、環境省である。これだけの役人が戦前は「内務省」として君臨していた。知事もここから「派遣」され、任期が来れば本省の課長に栄転したものだ。だから進駐してきたマッカーサーは内務省を封建日本の象徴と決めて「解体」に取り掛かった。

中曽根康弘総理、後藤田正晴官房長官、みな内務官僚出身なのである。

だが、さすがに内務官僚、徹底的に抵抗した。死んだ草柳大蔵さんか誰かがその経緯を本に纏めたものだ。それぐらい内務官僚は力があり団結力が強かった。

その中で厚生省は戦前に独立していたが、内務省意識が最も色濃く残った官庁で、戦後も歴代内閣官房事務次官(現副長官)は殆ど厚生省から出ていた。内閣参事官も厚生省からだった。記憶では大蔵省(現財務省)に渡ったことは1度もない。

それが今回、安倍内閣ではじめて「元」とはいえ旧大蔵省に官房副長官が渡ったのである。安倍氏の政策の柱のひとつである「再チャレンジ推進」の核になってきた的場順三氏は大蔵省から転じて元国土庁事務次官をつとめた。これは亡くなった晋三氏の父・晋太郎氏の人脈そのもの。それを潰さずに引き継いだのが、いかにも安倍氏らしい。

的場氏は京都大学出身。大蔵省では傍流を歩かされ、熊本県副知事もやらされた。最終的には省外に出されて官僚を終えた。それが72にもなって官房副長官になって還ってきたのだから財務官僚は内心複雑なものがあるだろう。

特種を連発した産経新聞政治部は、以上のような昔を知ってか知らずか、26日の特種を次のように結んでいる。

「安倍氏は今年1月に発覚した上海総領事館職員の自殺事件への対応などをめぐり、二橋正弘官房副長官に不信感を持っていたとされる(知っていて安倍長官に報告しなかった=渡部註)。

皇室典範改正や男女共同参画法案などを推し進めてきた旧厚生省出身の古川貞二郎氏につながる官僚人脈を断ち切りたいとの思惑もあるようだ」。産経のそれこそぶっちぎり完全勝利である。おめでとう。

ニュース・ソウスの秘匿は報道従事者の権利であり義務である。特種をなぜ連発できたかは、小生の履歴に照らして聞くだけ野暮というものだ。

それなのに産経を取らないのは折込広告が朝日より少ないからだと東京・杉並の主婦。私は川向・江東区在住に誇りを持つ。

2006年09月25日

我、初めて中国の土を踏む

            渡辺亮次郎

「9月25日」がその日である。いまから34年前(1972=昭和47年)のことである。

その前に政府発表があった。放送の記者だった私には、新聞記者のような自分のスクラップ・ブックがなく、永らく不便をかこったが、PC時代の今は、外部に簡単に求められる。

[文書名] 田中内閣総理大臣訪中に関する二階堂内閣官房長官談話
[年月日] 1972年9月21日
[出典] 外交青書17号,537頁.
[全文]

 1. 田中総理訪中の最も重要な目的は,中華人民共和国政府首脳と会談することによつて,長い間,不自然な状態にあつた日中関係を正常化するためである。

政府としては日中間に善き隣人としての平和で友好的な関係を樹立したいと念願しているが,そのためにはまず,日中間の国交を正常化しなければならないと考えている。

日中両国はともに,アジアひいては世界の平和に大きな責任を有している。田中総理の訪中と日中首脳会談の結果,日中両国間に善隣友好関係を樹立する基盤が確立されることとなれば,アジアの緊張緩和,ひいては世界の平和にも役立つと考える。

 2. 日中国交正常化は,一衣帯水の間にあり,かつ歴史的にも深い関係にあるわが国と中華人民共和国との関係を通常の国と国との間の自然な関係にするための,いわば当然なすべき措置である。

政府としては,日中国交正常化を進めるに当つては,わが国と友好関係にある諸国との関係に十分配慮する考えである。

 3. 田中総理には,大平外務大臣,二階堂内閣官房長官のほか,49名が随行する。

田中総理は9月25日から29日まで北京に滞在し,29日北京から上海に向い,29日夜上海に1泊,30日上海発帰国する。

出典:データベース『世界と日本』戦後日本政治・国際関係データベー
ス東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
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「総・幹分離」の慣例

Asahi Com 2006年09月25日13時18分によると、安倍自民党総裁は幹事長に中川秀直を起用し、幹事長に総裁派閥以外から起用するという「総・幹分離」の慣例を破った、という。03年9月に同じ森派の安倍氏を幹事長に起用した小泉首相の手法を踏襲した形だとも。

幹事長に総裁派閥以外から起用するという「総・幹分離」の慣例とは、なんのことはない、森派の源流福田赳夫派がライバルの大平派に無理やり呑ませた「拳骨」である。それを小泉が破り、今度また安倍が破るという。政治とは「自分勝手」なものだと、つくづく思う。

<党務を仕切る幹事長は総裁の派閥とは異なる派閥から選任して、党内の派閥の調整を図る原則。1974年に椎名悦三郎が裁定によって三木総裁を選出する際に総幹分離を提唱し、三木総裁以降は総幹分離を慣例としている。(党議決定ではない)。

以降、総幹分離の原則が破られたのは、大平総裁による斎藤邦吉の幹事長起用、小泉総裁による安倍晋三の幹事長起用、今回の安倍総裁による中川秀直の幹事長起用の3例である。>(「ウィキペディア」)

これで逆に分るように「幹事長は自派から」こそが自由党、自民党の慣例だった。吉田茂、鳩山一郎、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、各総裁はみな自派から幹事長を連れてきた。ただ、三木武夫のときは他派から採った。

次の福田総裁は、椎名裁定とは無関係。嘗て総裁選挙で敗れた田中角栄にヒザを屈して、任期2年、幹事長にライバル大平正芳を据えることを条件にした「密約内閣」だったから、仕方無しに「総・幹分離」となったものだ。

秘密の約束でも、約束は守らなければならない。約束を守らないものは武士ではない、男ではないと昔から教えられて育った。ところが福田は平然と約束を破り、総裁再選出馬を宣言した。昭和53(1978)
11月のことだ。福田は敗れた。

勝った大平はあまり仲はよくなかったが、自派であり、背後の強力支持者田中角栄と通じている鈴木善幸を幹事長に据えようとしたところ、福田が「総・幹分離の原則」という言いがかりをつけ妨害した。28年前、福田が言い出した「総・幹分離」。それを旧福田派が続けて2回、破っただけのことなのだ。

政治とは話し合いでなんかない。権力闘争である以上、戦争に違いない。権謀術数と談合の世界だ。中川一郎のように自殺に追い込まれた人も居る。福田が苛めた大平は心筋梗塞で急死し、小渕恵三は小沢一郎との緊張関係が脳梗塞を招いたといわれる。

殿は侍大将を腹心とした。政治は幹事長を腹心乃至はそれに近い者から選抜するのが当然である。三木を総裁にするとき、椎名が総・幹分離を条件に付けたのは、もともと非保守の過去を持つ三木の独走を牽制しただけのことだった。

以後それが守られたように見えるのは、以後の総理・総裁に「総・幹一致」を言い出す実力が無かったまでのこと。それを小泉が元に戻し、安倍が踏襲したわけ。安倍は祖父岸信介に還った。

算数をやれば,否これは小沢の術中だが、参院選に負ければ安倍政権は短命に終わるという。マスコミは早くも小沢の術中に嵌って声を揃えている。

そういうなら安倍は死に物狂いで参院選挙対策をしなくてはならない。気心の知れた中川を幹事長に起用するのは当然のことである。選挙対策に幻想や夢想は禁物だからだ。

それにしても、地方で民主党が絶対勝つと言う保証なんか何処にもない。少なくとも自民党が小沢の術中には絶対に嵌ってはいけない。民主党の土俵で相撲を取ってはいけないのだ。

1974年の椎名裁定という。32年も前のこと。裁定はもはや消滅したと見るべきだろう。それが証拠に、今度もこれで安倍に刃向かう奴なんて何処にも居ないではないか。

特に第2派閥を自任する津島派(旧田中角栄派)が3役から脱落したのに、泣き言しかいえない状態。これが赳夫さんだったら黙っていなかったろうな、と回想する。いや、津島派なんて派閥とはいえない。津島なんて角栄が認知してないもの。

26日の組閣に期待をかけているのだろうが、安倍は竹下にしてやられた父晋太郎を偲びながらの人事をするかもしれないよ。(文中敬称略)

スカートにかかった水

9月29日は日中国交正常化がなった記念の日である。これを卜して第5回9・29反中共デー東京大会が開かれることをご存知か。

<昭和47年9月29日、我が国は中共との国交を樹立しました。その日から30年以上の年月が過ぎましたが、我が国と中共との関係が正常かつ友好的であった事はありません。

靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯…、さらに東シナ海における海底資源の盗掘、我が国の領土である沖ノ鳥島の存在の否定、支那各地における反日侮日暴動…など、我が国に対する中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されています。

さらに中共は、我が国からのODAや円借款など多額の経済援助によって、軍備を増強し、我が国をはじめ周辺諸国に軍事的脅威を与えています。「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明確かつ危険な敵国です。我が国は現在、中共による侵略の重大な危機に直面しています。

我々は草莽の有志として、祖国の危機を坐視する事は、断じて出来ません。平成14年9月29日、所謂「日中国交正常化」30年の秋、我々は中共との国交断絶を勝ち取る為、第1回9・29反中共デーを開催いたしました。

第5回の今年は東京をはじめ、神奈川(横浜)、中部(名古屋)、関西(大阪)、九州(福岡)と各地において大会を開催いたします。
これは「中央での共闘」から「全国での連帯」の拡大であり、統合から連合への発展といえます。

「9・29反中共デー」の旗の下、「打倒中国共産党」「日中国交断絶」「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を声高らかに叫び、勝利を目指して、同志同憂各位が共に起ち上がり、共に闘う事を熱望いたします。

☆日時 9月29日(金)雨天決行
午前11時〜集会開始
正午〜デモ出発

☆会場 三河台公園 東京都港区六本木4の2の27
(六本木通り/俳優座の横)

☆合意事項
超党派の運動のため、次の行為はご遠慮下さい。
1)会旗の掲揚
2)車輛での参加
3)隊服の着用

☆主催
9・29反中共デー東京大会共闘委員会
事務局03-3918-9524(三澤浩一)>

<過去数十年にわたって,日中関係は遺憾ながら,不幸な経過を辿って参りました。この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて,私はあらためて深い反省の念を表明するものであります。第2次大戦後においても,なお不正常かつ不自然な状態が続いたことは,歴史的事実としてこれを率直に認めざるをえません。>
・・続きのページへ・・

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