2016年02月29日

◆生魚を食い尽くすか中国

渡部 亮次郎



中国人は肝臓ジストマ(肝吸虫)を恐れて生魚を絶対食べなかったが、最近は海の魚には、それがいないと知り、太平洋のマグロを日本と競り合っている。

肝臓ジストマ病は淡水魚に寄生している肝吸虫によって起こされる症状で、胆管炎、黄疸、下痢、肝腫大などを起こし、重症となれば生命にかかわるから、淡水魚を生で食べてはいけない。

それなのに晩年の毛沢東は好んで淡水魚を生で食べたそうだ。四人組に連なった悪妻江青が早死にを企んでそう仕向けたのかどうかまでは知らない。

九州で有名だった医者が肝臓ジストマにやられ、国会進出を断念した事件があった。川魚の生なんて食べたことが無いのに、というのだが、調べたら、熊の肉を生で食べたことがあった。熊が山の水溜りで沢ガ二を食った。沢ガニにジストマが寄生していたのである。

肝吸虫は人間に入ると、血管の中を泳ぎ回って成長し、やがて心臓を襲うのだ。だから中国人は揚子江(長江)や黄河で捕れる魚を生では食べなかった。

ところが、国交正常化後、日本にやってくる中国幹部。政府がもてなす料亭で、メイン・デッシュたる刺身を拒否するわけにはいかない。外相黄華氏が中トロ1切れを必死の形相で呑みこむのを見たことがある。1970年代、中国人はまだ刺身を恐れていたのだ。

中国残留孤児の親探し。1回目の一団が訪れたとき、”事件”が起きた。厚生省(当時)の担当者たちが気を利かしたつもりで、昼食に寿司をだしたところ、一行は顔を真っ赤に染めて中国へ直ちに帰ると騒ぎだした。

中国人は冷たい飯と生魚は絶対に食べないことを知らなかったのだ。日本人なのだから寿司は懐かしいだろうと軽く考えたのだ。知らないとは恐ろしいことなのだ。

余談。彼らは飯を電気で炊くことを知らなかった。それを知らない日本側が電気釜を銘々にプレゼントしたところ、宿舎で火事騒ぎをおこした。ガス台に電気釜を載せて点火してしまったのである。私は当時、大臣園田直の秘書官だったから、これがマスコミに漏れないように務めた。
2011・10・08


2016年02月28日

◆日中国交正常化備忘

渡部 亮次郎



1972(昭和47)年9月20日田中角栄首相らを乗せた全日空特別機は、北京を目指して羽田を飛び立った。同乗して同行するNHK代表の私にとっては、沖縄(本土復帰前)に次ぐ2度目の海外取材だった。

数年後、私が猛烈な高所恐怖症であることを自ら発見するが、今も飛行機に乗るのは平気である。故迫水久常経済企画庁長官は、当時の池田勇人首相に訪米同行を命じられ、恐怖の為一睡もできず、ワシントンまで下を向いたままだったと私に回想したことがある。

わが田中首相は畿内で数十分眠った。大平正芳外相と二階堂官房長官は眠らなかった。特に外相は中国側との会談の手順を考えたら眠るどころの話ではなかったらしい。

空港から北京市内まで、並木の根本から地上1mぐらいの高さまで白い石灰のようなもので消毒してあるのが珍しかったが、バスの中では尋ねる人とて無い。

割り当てられホテルは人民大会堂に近い確か民族飯店460号室だったが、洋服箪笥の背が高く往生した。シャワーも同様。後で調べたら建国直後に招いたソビエト技術者が自分たちの背丈で設計したものだった。

日中の国交正常化とは世界情勢上、どう位置するかとか、国益にとってのプラス、マイナスなど考えたことも無い。中国へ来たいなどと思ったことも無い。私は海外取材ならまず、アメリカへ行きたかった。(アメリカ初訪問はNHK退職後の1973年だった)。

当然、中国語は全く知らない。それでも部屋を出たり入ったりするので部屋番号だけは係りに聞いた。「スールーリン」。あれから40年近く。いまだに「トウフーリャンツラン渡部亮次郎」とともに覚えている。韓国では「ドーブー」になる。

話は前に戻る。出発に先立って外務省報道課から注意があった。「新中国の人々はチップを受け取りませんから絶対出さないように」。ところがバスを降りて運転手に西日本新聞の記者が金貼りのライターを差し出した。

運転手きょろきょろ周りを見たあと奪い取りようにしてポケットにしまった。約2万円の損害である。いまさら冗談だった、返せと言えないからである。日本外務省の「取材」の浅さは今も昔も変わっていない。

かの人民大会堂。3000人は収容可能という大宴会場。周恩来首相の招待だ。出てきたメインデッシュが「海鼠の醤油煮」うまれて初めて食した。演奏される歌に角さんの郷里新潟にちなんで「佐渡おけさ」が出る事は、政府の会議を裏取材して知っていたが海鼠の出る事は知らなかった。あまり歓迎しない客への料理らしい。

役人は主人が出す者は文句を言わずに口にするものという日本式に解釈して問題視しなかったのではなかろうか。2月に来たニクソンは断った代物だった。中国に舐められたのだ。

到着2日目に各社から1人が選ばれて、田中首相の宿舎「迎賓館」に招かれて入った。小学校しか出ていない角さん、よせばいいのに漢詩を色紙にかいていた。あとで専門家から大いに貶された。

日中首脳会談の中身について二階堂官房長官の発表は連日、「発表できる事はありません」。支那事変と満洲事変で日本が中国に与えた被害について「迷惑をかけた」と言っ。

周恩来が怒って「それは道路で撒いていた水が女性のスカートに掛かって謝った程度の意」と抗議して大平がその夜はメシも喉を通らなかったことなどは北京にいるうちは丸秘だっのだ。

それに対して角栄首相が「気にしなさんナ、対策は明日考えればいいことと慰めた。だからインテリは使い物にならんのだ」と嘆いたことは帰国後分かったに過ぎない。

交渉はほぼ詰まったらしく、角さんらが万里の長城へ登ることになった。朝起きが早すぎたので460のベッドにひっくり返ったら眠ったらしい。慌てて下へ降りたらバスは出発済み。タクシーたって当時は1台も走っていない時代。怪しげなフランス語で交渉したら共産党の指示でガタガタの車が迎えに来た。

どんなに急ごうとしても時速40キロしか出ない。北京郊外を出ようとしたら下肥を担いだ男に逢った、日本人一行が行きすぎたと思って安心してでてきたら、まだ日本人がいたというわけ。中国農業のレベルを知らされた。

万里の長城にはなんとか間に合った。NHKには各首脳に半径2mまで近づける「近距離記者」はわたししかいないのだからあわておってきたわけさ。

一体、中国共産党にとって党員以外はすべて敵である。遠距離記者は首脳らに20m以上は近づいてはならず、日本のカメラマンたちが携行した望遠レンズにはすべて仕込み銃が仕込んである如く1本1本を手にとって検査した。呆れた。

そうかと思うと、NHKの持ち込んだTV中継者の夜間の管理をさせず中国側が管理した。案の定、夜間に中継者を分解し、ノウハウを盗んだのである。ネジが見つからずNHKの技術者たちは嘆いていた。嘘と盗みの民族?

そういえば田中訪中の直後、コマツへブルドーザー3台の発注があってコマツを歓喜させた。ところが注文はそれっきり。3台を分解して真似たブルを大量生産したのである。

共同声明の調印が成り、一行は周恩来首相に案内されて上海を訪問した。上海派の顔を立てなければならなかったらしい。帳春橋が市長と称して迎えに出た。間もなく「4人組」の一人として逮捕されたあの人物。作家らしく実に軟らかい手であった。似たような軟らかい手はソヴィエトのコスイギン首相のそれだった。

街を歩いてみたが、市民にとってみれば戦後はじめてみるにっくき日本人である。道端に並び、鋭い目で私を睨みつける。怖くなってきてホテルに早々、逃げ帰った。

国慶節の前日に帰国した。羽田に帰着して分かったが、別れ際、周恩来は田中首相に「天皇陛下によろしく」といったという。そんなこともあってか、日本では日中友好ガブームとなりつづいた。わたしは苦々しく耳目をふさいでいた。まさか6年後、こんどは外相秘書官として訪中することになるとは夢にも思わなかった。

文中敬称略  2011・9・19 (再掲)

2016年02月26日

◆脳卒中予防のために

渡部 亮次郎



脳梗塞や心筋梗塞は血栓(血の塊)が動脈に詰まって、血液が必要な場所に行けなくなることから起きる。しかし、現在の医学はかなり進歩して、新薬もできている。

それなのに街や公園では卒中による半身不随患者を沢山見かける。先日電車で見かけた20歳代の男性は「若いオレが脳梗塞になるとは思えないから病院に掛かるのが遅れちゃった」と残念がっていた。

脳卒中は、昭和26(1951)年から昭和55年までの30年間、日本人の死亡原因の1位を占めていた。現在でも富山県では死因の第2位であり、全国的にも昭和40年代後半から死亡率は減少しているが、その内訳をみると、この40年間で脳卒中の主流は脳内出血から脳梗塞へと変化してきている。

死亡率が減少している反面、患者数はむしろ増加していることから、今後、発症予防や発症した後のリハビリテーションの推進がますます重要になる。

脳卒中の種類(この場合の「脳卒中」は、国際疾病傷害死因分類における「脳血管疾患」にあたる。)

脳内出血
脳の血管が破れて出血をおこすもので、多くの場合深い昏睡とともに半身のマヒが起こる。誘因として疲労、精神不安、寒冷刺激などが多く、また活動中にも起こることが多い。鳩山一郎、石橋湛山氏ら。

くも膜下出血
脳は、くも膜という膜でおおわれているが、くも膜と脳の表面との間にある小さな動脈にこぶ(動脈瘤)があると、血圧が上がった時などに破れて出血(脳動脈瘤破裂)し、くも膜下出血になる。

頭痛がひどく悪心、嘔吐があり意識が混濁するが、四肢のマヒは通 常おこらない 。

脳梗塞
動脈硬化などのために動脈が狭くなったり、あるいは動脈や心臓内に出来た血の固まりが脳の動脈に流れ込み、詰まってしまうために起こるもの。長嶋茂雄氏など。私も軽い症状を体験した。

その血管によって栄養を受けている部分の脳組織に、血液がいかなくなり破壊されて、脳の軟化を起す。田中角栄氏など

突然、発症するもの、段階的に増悪するものなど、病型により様々だが、多くの場合、前駆症状としてめまい、頭痛、舌のもつれ、手足のしびれ、半身マヒや昏睡などになる。

一過性虚血
脳の血液循環が一時的に悪くなり、めまい、失神、発作などをひき起こします。少し横になっていれば治りますが、脳梗塞の前駆症状と考えられており、高齢者では十分な注意が必要。数年前に私が体験、入院・加療した。

73歳の朝、起きて暫くしても、左手小指の先の痺れが治らない。心臓手術がきっかけで医療に詳しくなったNHKの同僚 石岡荘十さんに電話で相談。「脳梗塞かもしれないよ」という。

そこでかかりつけの病院に行って申し出たら「脳梗塞患者が歩いてこれるわけが無い」と取り合ってくれなかったが、「念の為」と言って撮ったCTで右の頚動脈の詰まっているのが判って即入院。1週間加療した。

後に石岡さんの助言に従ってかかった東京女子医大神経内科の内山真一郎教授によると、このときに念を入れて加療してもらったのが大変よかったそうだ。

なぜならこれを脳梗塞の前兆と見ないで放っておくと、直後に本格的に脳梗塞を起こしてしまうからとのことだった。爾来、内山教授の患者になっている。

高血圧性脳症
高血圧がかなりひどくなると、脳の内部にむくみが起こる。このため、頭痛、嘔吐、手足のけいれんなどが見られ、目が見えなくなることもある。

これらに共通するものは、コレステロールに拠る動脈硬化。理屈からすれば、血管内にこびりついたコレステをそぎ落とせばいいようなものだが、今のところ医学界にそういう薬は存在しない。

いまのところ世界が束になって取り組んでいるのが、血液をさらさらにして詰まりにくくする方法であり、そのための薬が「ワーファリン」である。

2011年になって新薬「プラザキサ」が許可になった。2012年4月から処方期間が延びたのでこれに替えた。納豆を食えるようになった。

それでも卒中になったらどうするか。私の場合はプラザキサを服用中のため使用禁止だが、そうでない患者が発症3時間以内に担ぎこまれたら助かる薬がある。「tPA」だ。

血管を塞いだ血栓を溶かす薬だ。長嶋さんは、発見された時、すでに3時間を過ぎていたからtPAを注射しても無駄だった。右手と言葉に後遺症が残ってしまった。

とにかく脳卒中の症状が出たらどこの病院に担ぎこんでもらうかを予め決めておけば、死ぬことは勿論、後遺症すら残らない時代に既になっている。私の場合は石岡荘十さんの助言に従って決めた。

私の場合はかかりつけの東京女子医大病院か近くの都立墨東病院に決めている。
2012・7・19執筆


2016年02月21日

◆私の「身辺雑記」(315)

平井 修一



■2月18日(木)、朝6:45は室温11度、快晴だがかなり冷えている、ハーフ散歩。

中姉から電話、大姉の夫、つまり義兄が夕べ亡くなったという。入院しているとは聞いていたが・・・斎場が混んでおり葬儀の日程は後日知らせるとのこと。永らく心臓病を患っていたから、その関連かもしれない。

父が創業した食料品店は義兄が継いだ。しかしスーパー全盛時代になり、小さな食料品店ではどうにもならなくなり、義兄は惣菜店に業態を変えてなんとかやっていたが、繁盛しているようには見えなかった。

小生はビルを建て、コンビニを誘致する交渉を進める中で、大姉から「コンビニがそばにできたら生きていけない!」と猛抗議された。

「それなら一緒にコンビニ経営をしよう、資金の半分は俺が出すよ」ということになったのだが、大姉は座間市の平井家(小生の生地)の土地を担保に資金を得ることができ、自分たちで経営したいというので、「それならどうぞ」と小生はコンビニ経営からは手を引いた。

当時は編集プロダクション(趣味=天職)を立ち上げていたからとても忙しく、コンビニ経営にまで手が回る状態ではなかったし、そもそもコンビニ経営(商売=金儲け)にさほど(というか全然)興味はなかった。

義兄夫婦は水を得た魚のように必死で頑張り、駅前の有利な立地もあって、わが街で最初のコンビニは大成功、当時日販30〜50万円が「いい線」と言われていたが70万円にもなった。

儲かればやる気満々、元気百倍、やがて銀行が撤収した駅前ど真ん中のビルを買い取り移転した。義兄はBMWを駆って街の名士とともにゴルフに行くようになり、我が世の春、絶頂期、メデタシメデタシ。

ただ、仕事が楽しかったかどうかは別だ。義兄はこう言っていた。

「好きなものを仕入れて、値をつけて、売る。当たればうれしい。これが小売業の醍醐味だよ。コンビニは本部の言うままに発注して売るだけ。儲かるけれど面白くもなんともない」

そういう鬱屈もあったのだろうか、義兄は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはならず、人をバカにするような横柄な態度を見せるようになって顰蹙も買ったが・・・

絶頂期は長くは続かない。好事魔多し、満つれば欠ける、2号店は撤収を余儀なくされ、近くに競合コンビニはできるは、心労もあったのだろう、心臓病にはなるは・・・人生は思うようにはいかないが、長男が跡を継いでいるから心配はないだろう。

まあ「人にドラマあり」だが、10勝5敗、2桁の白星だからいい人生だったろう。仏壇に線香をともし、父母に「義兄が間もなく天国へ行くから仲良くやってください、いろいろありましたでしょうが“恩讐の彼方に”ということでどうぞ」とお願いした。

夕刻、葬儀の予定が決まって、カミサンとの相談で10万円の香典ということになり、「義兄は10勝5敗でいい人生だったんじゃないか、俺は7勝7敗1引き分けだけれどさあ」と言ったら、化粧落とし中のカミサンは「何言ってんのよ、アンタは好き勝手にやって、13勝2敗でしょ」、ゴシゴシ。

「いや、俺はお前に拾ってもらってホントに感謝してるよ、3人も子供を産んでくれたし」、「まったくもー、アンタはホントに不細工な女に手を出して・・・私よりきれいな娘(こ)はいなかったわ」、ゴシゴシ。

髪染めのアンモニアの臭いもすごい、今度はブラシで頭をゴシゴシ、ゴシゴシ・・・「アンタ、怜子ちゃんが一番好きだったでしょ」ゴシゴシ、ゴシゴシ・・・全部バレバレ。

2敗?・・・カミサンには体固めで完敗し、怜子ちゃんにはすっかり逃げられたから2敗か。

この辺が奄美娘、愛加那の血なのだろう、島では夕刻になると年頃の男女は蛇皮線をもって海辺で戯れるのだ。やがてお腹が膨らんできた娘さんは「誰の子か?」と問われると「修一さん・・・」。男は拒否権がないから受け入れるのだ。

カミサンはそういう社会で育ってきたから、男があっちこっちでつまみ食いするのは、「まあ、そんなもの」と心得ているのだろう。通い婚?的な感じがあり、義父は(皇太子殿下・妃殿下が来島するまでは陸路が整備されていなかったので)海運業で稼いでいたから自宅にはたまにしか帰らなかった。

当然、あちこちの港に“いい人”はいたろう。それをあーだこーだ言う文化はない。“男の甲斐性”で皆納得していたろう。

それが女にも伝染しているのは「ちょっとなあ」という感じはある。熱帯の開放的な島ということもあって情熱的なカルメンが多いようだ。

(義父は義母にやたらとレコードを買ってきたそうだ、留守中は寂しいだろうからと。で、カミサンは“昭和演歌の女王”になった。知らない歌がない! 孫に伝染してみんな「ゆれーてゆれーて、ゆれてあなたのうーでのなーかー」とか、先日は「ちゅーおーフリーウェー」なんて合唱していた)

「男は稼いでナンボ」という価値観なのだろう。

奄美は恋にはいいところだが、男は責任を取らざるを得ない。恋の権利と扶養の義務。チンポ条約の片務的責任はすこぶる重い。

■2月19日(金)、朝6:30は室温12度、快晴、寒くはない、1年ぶりに多摩川河川敷を2時間ほどのんびり散歩。野鳥天国になっていた。

鴨、カモメ、オシドリ、シラサギ、圧巻は200羽ほどの川鵜の群が飛んできて目の前で着水。すごい迫力、ナショジオの世界だ。「せせらぎ館」で多摩川の魚を観察、「川」をテーマにした写真展を見物。とても面白かった。

日本戦略研究フォーラム政策提言委員/拓殖大学海外事情研究所教授・澁谷司氏の論考「李克強首相の孫悟空“如意棒”発言」も面白かった。

氏はユーモアのセンスが光る。ユーモアというオブラートに包んで「苦い」話をする。教授にしておくには実に惜しい人材だ。以下紹介。

<今年の春節明け、2月15日、李克強総理は国務院常務会議で「中国には依然、巨大な潜在力がある。・・・今年、世界の経済情勢は非常に複雑だが、(孫悟空の)“如意棒”を振り回して対応し、チャレンジしよう」と檄を飛ばしている。

早速、日本の一部マスコミは、その「如意棒」という言葉に飛びついた。昨年2月、やはり李克強首相は重要会議で、政治改革に関して「如意棒」云々と述べている。したがって、今回初めて使用した言葉ではない。李首相が毎年「如意棒」を出してくるのは、余程それがお気に入りなのだろう。

それとも、穿った見方をすれば、李首相は「如意棒」のようなモノで“マジック”を行わない限り、政治改革・経済改革などはできないと暗に示唆しているのだろうか。(平井:上手いなあ、座布団5枚!)

実際、今回の李発言には、具体的な中身がほとんど見当たらないのである。だから、マスコミが「如意棒」に飛びついたのは、ある意味、仕方ないのかもしれない。(中略)

結局、習近平政権は「新常態」(ニュー・ノーマル)と称してお茶を濁し、ずるずると景気を悪化させた。中国版“公定歩合”を見ればわかる通り、1990年以降、現在、最も景気が悪い。

来月(3月)開催される全国人民代表大会で、今度は「爆買い禁止令」(正確には「爆買い制限令」。1人1年間につき、10万元=約180万円まで海外への持ち出し可能)が制定されるという噂が流れている。

一般に、中国人は自国で生産されたモノを信じない。訪日中国人が日本で買物をする際、ブランド品でも「メイド・イン・チャイナ」であれば、それを避ける傾向にある。つまり、アッパー・ミドル(中流上位)の中国人らの海外での“爆買い”原因は、中国製品への不信感による。

しかし、アッパー・ミドルが海外で“爆買い”し、中国国内で売却すれば、個人輸入転売と同じ原理になるはずである。“爆買い”が国内消費を刺激する材料にならないだろうか。

だとしたら「爆買い禁止令」は“愚策”かもしれない>(以上)

爆買いする支那のお客様は「これは2ダース、あれは3ダース」と根こそぎ買うが、これには訳がある。

まず「お土産・贈答品」。コネの国だから親戚友人知人上司部下同僚同業者地縁血縁宗族ネットワークがすさまじく広い。常にプレゼントの在庫を用意しておかなくてはならないが、Made in Japan とか「一流」でないと誰も喜ばない。

次に「転売」。資生堂の“純正”和製化粧品が5000円なら支那では8000円で転売できる。高級品はもとより、ミルク、マスク、オムツまで Made inJapan とか「一流品」ならなんでも転売でき、そこそこの利益が得られる。

なんだかんだで15〜20万円かけて訪日しても半分くらいは元を取れるのではないか。実質10万円で、安くておいしくて安全安心な料理も楽しめるし、空気はいいし、緊張感ゼロ、のんびりできるし、ウォシュレットは当たり前、お風呂は銭湯/公衆浴場でもきれいだし。

(余計な話だが、シンシアリー氏によると韓国の銭湯は濁っているとか。汚れた体を洗うのだから風呂も汚れていて当然、という思考なのだという。風呂場のそばにあるトイレも同様だそうで、臭いそうだ)

「爆買い禁止令」で、爆買い(仕入/輸入)≒転売(小売/個人消費)にブレーキがかかったりすれば経済にとってマイナスだろうし、さらに転売して稼いだ金が再び「爆買い≒転売」になれば国内産品はちっとも売れないことになる。

いずれにしても「爆買い禁止令」(江戸時代の「奢侈禁止令」=質素倹約→不景気)は悪手、愚策、邪道になりそうな気配だ。今の中共のダッチロール経済なんて、とてもコントロールできない相談なのだから、この際「市場経済」に委ねるしかないだろう。中共独裁はオシマイになるしかないけれど。

■2月20日(土)、朝7:00は室温14.5度、曇、寒くはない、ハーフ散歩。

好きなものがあるのは生き甲斐になるからいいとは思うが、漢族のカネへの執着、これはもうほとんど病気のレベルだ。世界日報2/18「ウィーン発コンフィデンシャル:国連機関のトップに4人の中国人」から。

<西アフリカのシェラレオネ出身のユムケラー氏が2期8年間(2005〜13年)を満了し、国連工業開発機関(UNIDO)から潘基文国連事務総長が新設した「全ての人のための持続可能なエネルギー」(SE4ALL)機関の事務総長特別代表に就任した時、「悪評が絶えなかったUNIDOも、夜明けを迎えるかもしれない」と楽観的な声が職員の一部から聞こえた。

欧米主要国、米、英、加、豪、仏、乳などはUNIDOの腐敗と運営の非効率性に嫌気がさして次々と脱退していった。ユムケラー時代は最悪の状況だった。

ユムケラー氏の後任に中国の李勇財政部副部長が2013年6月、選出された後、UNIDO内でも中国人の登場に期待の声があった。しかし、李事務局長がトップに就任した後も加盟国の脱退は続いた。ベルギーが脱退し、ギリシャ、デンマーク両国は今年末までには脱退する、といった具合だ。

李氏はここにきて事務局の機構改革に乗り出している。「昨年の国連総会で気候変動への対処など17の目標が設定された。UNIDOはその目標を担う重要な課題を担っている」と述べ、国連の新目標設定を契機にUNIDOの浮上を目論んでいる。

ここまでは良かったが、「李事務局長が前任者の不法行為への調査を止めさせた」という内部告発文書が明らかになったのだ。

それによると、ユムケラー氏がSE4ALL事務総長特別代表に就任後もUNIDOのコンピューター、携帯電話などを使用し、月平均1万ユーロの経費をUNIDO予算から捻出させていたというのだ。

内部監視局が調査に乗り出そうとしたが、李事務局長がそれをストップさせたのだ。同内容が伝わると、「なぜ李事務局長は前任者の腐敗を隠蔽するのか」といった声が出てきたわけだ。

国連外交筋は、「前任者のユムケラー氏と李事務局長の間でなんらかの取り決めがあったからだろう」と受け取っている。換言すれば、中国人のトップ選出を支援する代わりに、何らかの経済的援助を実施する、といった一種の闇取引だ。

興味深い点は、国連機関で前任者がアフリカ人事務局長の場合、後任に中国人が選出されるケースが増えていることだ。ジュネーブに本部を置く国際電気通信連合(ITU)の事務局長はマリ出身のトゥーレ氏から(代わって)中国人の趙厚麟事務局長が今年1月1日に就任したばかりだ。

その他、カナダのモントリオールに本部を置く国際民間航空機関(ICAO)は中国の柳芳氏が昨年8月から事務局長を務め、世界保健機関(WHO)の陳馮富珍事務局長を含めれば、国連機関の事務局長に4人の中国人が就任している。

中国はアフリカ51か国で2650余りの開発プロジェクト(総額940億ドルと推定)を進めている。中国は巨額な開発支援をアフリカに投入する一方、その引き換えにアフリカ諸国から国際機関のトップ選出で支援を受けるなど、強かな外交を展開させているわけだ。

蛇足だが、ウィーンの国連関係者は、「日本はUNIDOでは中国の李事務局長の願い通りに資金を提供している。それも何の引換えも要求せずにだ。日中両国は歴史問題などを抱えて政治的には険悪な関係だが、UNIDOでは日本は中国の忠実な資金提供者となっている」と指摘する。

先の国連外交筋は、「日本外務省の窓口ともなっているUNIDOのナンバー2、西川泰藏事務局次長と李事務局長との関係は不思議なほど良好だ」と述べ、中国側の得意の“裏外交”の成果と示唆した>(以上)

西川泰藏氏は経済産業省出身。昨年初めから「日本もUNIDO脱退か」という観測が流れていたが、どうも立ち消えになったのは“毒月餅”の効果なのだろうか。

サーチナ2/17「中国で『ステルス賄賂・ステルス接待』が多発 当局の粛正に対応して『進化する腐敗』」から。

<習近平が綱紀粛正の「八項規定」を2012年12月の党中央政治局会議で発表してから3年間以上が経過した。13年6月には、形式主義、官僚主義、享楽主義、奢侈を「四風(4つの悪風習)」として、改めて根絶の対象とした。

しかし現在も「四風」は、「ステルス賄賂・ステルス接待」として「手を変え品を変える」など“進化”しつつあるという。

京華時報によると、2015年に調査の対象となった「四風」や「腐敗」案件は約8万件で、9万人が処罰/処分された。

地位のある者などに、不正に便宜を図ってもらう際、金品を堂々を渡す例は減少したが、「ステルス賄賂・ステルス接待」の手口が、しばしばもちいられる。

これまでは、職場の執務室に「プレゼント」を持って行ったり、人目を避けたい場合でも「夜中にこっそりと自宅に行く」程度だった。しかし現在は、自動車で人通りの少ない場所に行き、「窓越しに渡して、各自がそれぞれの方向に自動車を運転して去る」など“スパイ大作戦”もどきの方法が用いられているという。

また、従来ならば「贈賄側が収賄側に足を運ぶ」ことが常識だったが、現在は金品を受け取る側が、渡す側の家に「代理人」を派遣する場合がある。「普通の客」として世間話などをして、折を見て金品を受け取って退去するという。

さらに接待でも、高級レストランや高級ホテルは利用しない。個人所有や貸し切りの部屋を用いて「たらふく飲み食いさせる」ことが増えたという。

中国では、春節(旧正月)の際や何かの折に、「紅包(ホンバオ)」と称して、金銭をやりとりすることがある。日本の「お年玉」と同じ意味合いだが、大人の場合にも一種の「御祝儀」として授受をすることがある。最近では、公務員の「紅包」は禁止される地方が増えた。

雲南省昆明市の共産党委員会も指導幹部の「紅包」の授受を禁止した。しかし調査の結果、60人以上が「紅包」のやりとりをしていたことが分かった。うち1件は「自腹」ではなく公金80万9000元(約1420万円)を「紅包」に流用していたという。

◆解説:中国において「飲食の接待」は、相手に「肉体的にいい思い」をさせるだけでなく「相手の面子(メンツ)を尊重」していることを示す行為とされる。それだけに、根絶しづらい問題との見方もある。

逆に、接待される側も、「自分が接待を受けることは、接待する相手の面子を立てること」との感覚が強い。

不正といった、昨今では特に「ステルス性」が求められる行為では、相手との信頼関係の構築はなおさら重要であり、そのためにも「きちんと接待を受け、接待する側の面子を立てておく」ことが大切になる。

いずれにしろ、根絶はかなり困難ということになる。(編集担当:如月隼人)>(以上)

贈収賄は支那人の伝統文化、儀礼、経済潤滑油。上に政策あれば下に対策ありで、遂には最高難度のアクセルジャンプ級「ステルス作戦」に進化したようだ。

オカネ大好き、オサケ大好き、オ○コ大好き(出世のため上司や取引先に奥さんをプレゼント。奥さんも納得ずく。日常茶飯事のようで、何清漣氏が「支那人のモラル低下ここに極まった」と嘆いていた)、病膏肓。

上手くいくのも運次第、ばれたらばれたで、これまた運次第。「没法子」(メーファーズ)、しかたがない、しょうがない、運がなかった、諦めが肝心。人間万事塞翁が馬、天命次第でなるようになる。羞恥、反省、遵法、道徳なんてまったくない。いやはやスゴイ民族だ。(2016/2/20)

2016年02月19日

◆見透かした中国の強硬戦術

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016) 2月18日(木曜日) 通算第4819号 > 

 〜オバマのレイムダック入りを見透かした中国の強硬戦術
          結局、米アセアン首脳会議は失敗ではなかったのか?〜

「航行の自由」だけが「米アセアン首脳会議」の「共同文書」に銘記さ

れ、アセアンの中国批判の合唱はなかった。

「国際法に基づいた主権や領土、政治的独立性の尊重」とかの曖昧な文言が添えられているものの中国を名指ししているわけでもない。

「中国の代理人」とでも言えるカンボジア、ラオスがベトナム、フィリピンの中国批判に耳を貸さず、またタイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアが微温的態度を取った。ブルネイ、ミャンマーも同じ。 アセアンはEUと異なって、団結する求心力が弱い。

そのうえフィリピンは大統領選挙が始まっているためアキノ大統領の指導力が陰り、ベトナムでは親中派のトップが続投することになったため、一時の気勢がそがれていた。

とくにチャイナマネーが流入するラオス、カンボジアは最近、完全に中国よりである。ほかに決まったことはと言えば、「米アセアン首脳会議を毎年開催する」というコミュニケーションの緊密化くらいなものだ。とどのつまり「共同声明」はならず、オバマが意図した会議の成果はなかった。

2月15日、16日の2日間カリフォルニア州サニーランドで、米国の呼びかけによって急遽開催された「米アセアン首脳会議」では南シナ海の中国の野放図な軍事行動を非難する共同声明が成立せず、これを見越して中国はパラセル(西沙諸島)の永興島にレーダーサイトと地対空ミサイルを配備した。

中国はオバマ政権のレイムダック入りを見透かしており、他方、中東でもロシアが主導権を握りつつある現状を踏まえ、しばし強攻策を持続させるように見える。

中国が恐れるシナリオはトランプ大統領の出現だろう。

2016年02月13日

◆[建国「の」に賭けた初入閣

渡部 亮次郎
  


建国記念「の」日が初めて施行された昭和42(1967)年2月11日。その時園田直(すなお、故人)は衆院議員当選既に9回なのに未入閣で衆院副議長のまま。しかも4日後に副議長に再選と言う椿事。

だが佐藤栄作首相は、園田の異能ぶりに感服していた。忘れずにこの年の11月25日に行った第2次内閣の第1次改造で厚生大臣に抜擢した。園田は53歳の初入閣だった。

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節という祝日であった。

紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に基づき、紀元の始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)に制定された。

この紀元節は、1948年(昭和23年)(連合国による占領下)に制定された「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

しかし独立を果たす1951(昭和26)年頃になると紀元節復活の動きが見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆院議員らによる議員立法として、「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

とはいえ、当時野党第1党の日本社会党が、この「建国記念日」の制定を「戦前回帰、保守反動の最たるもの」と非難・反対したため成立しなかった。

1957年8月2日、神社本庁、生長の家、郷友会、不二歌道会、修養団、新日本協議会などの右翼団体は紀元節奉祝会(会長:木村篤太郎)を結成して推進を画策した。

しかし、その後9回、法案提出と廃案を繰り返しただけだった。これに目を付けたのが1965(昭和40)年12月20日、第45代衆院副議長に選出された熊本県天草選出の園田直だった。

社会党国対委員長石橋政嗣(まさし=長崎選出}と密かに手を組み、建国記念「の」日にして「2月11日」を国会ではなく政令で定めるなら反対しないと言う妥協案を創り上げた。

名称に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることで、“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるように修正したのである。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第二条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない」と定めた。

建国記念日審議会は、「粋人」菅原通済を会長に学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が同年12月9日に提出された。

同日、「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を公布、即日施行した。当に「の」が自民、社会両党の妥協を成立させた。

また佐藤内閣にとっては実兄の岸信介内閣以来、歴代内閣の成しえなかった事実上の紀元節復活を成し遂げたのであった。この「の」という奇策への「回答」が園田の初入閣だったのである。

私はこうした経緯を当時NHK政治記者としてつぶさに取材。園田の頭の良さにつくづく惚れた。彼が特攻隊生き残りである事も知って尊敬した。そうした事が後に私を外務大臣園田直の秘書官にした理由である。(文中敬称略)

(秋田県出身 元NHK政治記者 元外相・厚相秘書官)2015年2月11日

2016年02月11日

◆飲めない水道水

渡部 亮次郎



日本に住んでいる限り,飲めない上水というものは無い。しかし中華人民共和国ではホテルでも水道の水を飲んではいけない。田中角栄首相に従いて日中国交正常化交渉の取材に行ったとき(1972年9月)に知った。水には飲めない硬水と飲める軟水のあることを。

硬水(こうすい)は、硬度の高い水。北京の水は石灰分が多く、日本人が飲むと猛烈な下痢を起こす。1度沸かして冷ましたものを飲む。

ヨーロッパ大陸の水ははカルシウムイオンやマグネシウムイオンが多量に含まれている。

逆のものは軟水という。語源については、欧米の hard water がそのまま和訳されたというもの、物を硬くする成分を含んでいるため硬水といわれる。

『豆を煮ると豆が固くなる水』、『絹を精錬するとき絹が固くなる水』というものなのだ。

硬水は含有するイオンによって一時硬水と永久硬水の2種類に分けることができる。前者は石灰岩地形を流れる河川水、地下水などで、炭酸水素カルシウムを多く含み、煮沸することにより軟化することができる。煮沸すると炭酸カルシウムを沈降させるからである。

永久硬水はカルシウムやマグネシウムの硫酸塩・塩化物が溶け込んでいるもので、煮沸しても軟化されない。以前は飲用できない水であったが、現在はイオン交換樹脂で容易に軟化できる。

このように硬水は一般に、飲料水に適さないほか、洗濯、染色や工業等にも適さない。

然らば硬水を飲むとなぜ下痢をするのか。それは、水分子と強く結合(水和)するマグネシウムイオンは体内に吸収されにくく、これを摂取すると、大腸に長時間留まり、水の吸収を妨害する。

この結果、腸内に水分が溜まり、下痢を起こすこととなる。このような理由で、硫酸マグネシウムを多く含む硬水を飲むと下痢をしやすくなる。

しかし硬水の中でも飲用に適しているものも存在し、水に含まれているミネラルを栄養として利用するために、飲料として販売されているものもいくつか存在する。(例:コントレックスなど)

石鹸は脂肪酸とナトリウムの塩(えん)であるから、硬水のマグネシウムイオンと出会うと不溶性の塩(石鹸かす)を生じるため汚れが落ちにくい。

また、衣類にその塩(えん)が付着するので色のくすみが生じ、衣料の保存中にそれが分解して脂肪酸になり異臭を発したりする。染色ではカルシウムイオンが染料と反応し、不溶性の色素が生じ、それが繊維と結びつくため、色ムラが生じる。

硬水が蒸発すると、含まれていた塩類が析出する。したがって自動車の洗浄に用いた場合などはすぐに拭き取らないと白い斑点が生じる。

硬水を自動車のエンジンの冷却水として使用するとオーバヒート・水漏れなどの問題が生じる場合がある。また工業用ボイラーにおいては、加熱によってスケール(缶石、水垢)が生じるため、熱効率を著しく低下させる。

蒸気機関車が鉄道の主力であった時代、ヨーロッパ大陸では軟水の確保は深刻な問題であり、砂漠の中の機関車給水設備には必ず軟水化のための施設が付属していた。

生じる炭酸水素ナトリウムをボイラー中で炭酸ナトリウムに変え、て定期的に排水されて低濃度に保たれるようにしていた。

このように日本は飲み水の美味しい国として昔から有名だった。特に海外から立ち寄る船は日本での水補給に期待した。特に神戸の水は「神戸ウオーター」として有名だった。

私は北京での「教育」を後年、上海で忘れたので死の寸前まで行った。ホテルの部屋でウィスキーを呑んだ。連れの友人に聞くと「ボクは平気です」というから水割りにした。

そうしたら大変な下痢。以後何を食べても下痢。そこへ血糖値降下剤を飲んでいたから堪らない。栄養が体内に蓄積されないのに血糖値が下がる。

下がりすぎて低血糖症。3度も意識不明に陥った。幸い友人が側に居て糖分を補給してくれたから今生きている。

30年前、東南アジアの某国に出張した。アセアン外相会議。随行した若い外交官。猛烈な下痢のため,現地残留止む無しとなった。

夜、自室で水割りウィスキーを飲んだ。水は日本から携帯したものを使ったのに、氷はホテルの冷蔵庫のものを使ったのだ。あれは硬水ではなく汚水だったらしい。幸い助かって後年、大使になった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2016年01月31日

◆矛盾体制が招く「構造汚職」

渡部 亮次郎

経済は完全に「資本主義」なのに政治は自由の無い「共産主義」のままだから起きる「構造汚職」である。それを判ってか分かたないでか中国は総書記がいくら「汚職殲滅」を叫んでも汚職はなくならず国がいずれ滅ぶ。

<習総書記「腐れば虫が湧く」=腐敗で国滅ぶと危機感―中国

【北京時事】2012・11・19日付の中国共産党機関紙・人民日報によると、習近平総書記は17日、15日の就任後初めて政治局集団学習会に臨み、講話を行った。深刻化する幹部の腐敗に触れて「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べ、腐敗問題がより深刻化すると「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにした。

習総書記は就任後、幹部の腐敗撲滅を強調し、最重要課題の一つに挙げている。17日の講話では続けて「近年来、ある国では長期的に累積した矛盾で民衆の怒りが世間に満ちあふれ、社会が混乱し政権は崩壊した」と指摘。

長期独裁政権が倒れたチュニジアやエジプト、リビアなどを念頭に「大量の事実がわれわれに教えてくれている」と語り、国を滅ぼす腐敗に対して緊張感を高めるよう求めた。>時事通信2012・ 11月19日(月)16時19分配信

なぜ汚職が起きるか。経済を統制している「政治」が「経済」に自由を与えないからである。資本主義は際限の無い「自由」を欲しているのに「政治」はそれを絶対に与えない。

与えれば資本主義経済にとって共産党が邪魔以外の何者でもないことを暴露することになり共産党が潰れることがはっきりしているからである。

それでも資本主義経済は前進しなければならないから「政治」の「懐柔」に取り掛かる。これが経済界からの「贈賄」であり受け取った共産党幹部の「汚職」なのである。つまり汚職は経済と政治の体制が矛盾しているから起きる「構造的産物」なのである。

資本主義(改革・解放)を独裁の「共産主義」が支配する限り「矛盾」は決して無くならないから、産物としての腐敗・汚職も絶対になくならない。むしろ経済の発展に伴って増大するはずである。

習近平は「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べ、腐敗問題がより深刻化すると「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにしたそうだが、共産党が居座るかぎり中国の腐敗は続き、世の物笑いは続くだろう。  
  2012・11・20執筆


     

2016年01月30日

◆矛盾体制が招く「構造汚職」

渡部 亮次郎



経済は完全に「資本主義」なのに政治は自由の無い「共産主義」のままだから起きる「構造汚職」である。それを判ってか分かたないでか中国は総書記がいくら「汚職殲滅」を叫んでも汚職はなくならず国がいずれ滅ぶ。

<習総書記「腐れば虫が湧く」=腐敗で国滅ぶと危機感―中国

【北京時事】2012・11・19日付の中国共産党機関紙・人民日報によると、習近平総書記は17日、15日の就任後初めて政治局集団学習会に臨み、講話を行った。深刻化する幹部の腐敗に触れて「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べ、腐敗問題がより深刻化すると「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにした。

習総書記は就任後、幹部の腐敗撲滅を強調し、最重要課題の一つに挙げている。17日の講話では続けて「近年来、ある国では長期的に累積した矛盾で民衆の怒りが世間に満ちあふれ、社会が混乱し政権は崩壊した」と指摘。

長期独裁政権が倒れたチュニジアやエジプト、リビアなどを念頭に「大量の事実がわれわれに教えてくれている」と語り、国を滅ぼす腐敗に対して緊張感を高めるよう求めた。>時事通信2012・ 11月19日(月)16時19分配信

なぜ汚職が起きるか。経済を統制している「政治」が「経済」に自由を与えないからである。資本主義は際限の無い「自由」を欲しているのに「政治」はそれを絶対に与えない。

与えれば資本主義経済にとって共産党が邪魔以外の何者でもないことを暴露することになり共産党が潰れることがはっきりしているからである。

それでも資本主義経済は前進しなければならないから「政治」の「懐柔」に取り掛かる。これが経済界からの「贈賄」であり受け取った共産党幹部の「汚職」なのである。つまり汚職は経済と政治の体制が矛盾しているから起きる「構造的産物」なのである。

資本主義(改革・解放)を独裁の「共産主義」が支配する限り「矛盾」は決して無くならないから、産物としての腐敗・汚職も絶対になくならない。むしろ経済の発展に伴って増大するはずである。

習近平は「物が腐れば、後に虫が湧く」と述べ、腐敗問題がより深刻化すると「最終的には必ず党と国が滅ぶ」と危機感をあらわにしたそうだが、共産党が居座るかぎり中国の腐敗は続き、世の物笑いは続くだろう。    2012・11・20執筆

2016年01月14日

◆患者自己注射物語

渡部 亮次郎



痛い物、と誤解して糖尿病患者がインスリン注射から逃げていると命を10年ちぢめる。

日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見から既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射から逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1週間ほど緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とした。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余計な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工透析を途中で拒否したため、腎不全のため70歳で死亡した。昭和59(1984)年4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖尿病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病というから業病(ごうびょう)ではないか。絶望的になった。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)が有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満が契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから30年近く、私は毎朝、ペン型をしたインスリン注射を繰り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全く無い。普通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありません」と褒められている。お陰で園田の年を超えた。1月13日で満80。園田よりもう10年も長生きしたのである。

糖尿病患者がインスリン注射から逃げていると、命を10年もちぢめる、と言われているが、園田さんより私が既に10年も長生きしたことがそれの証明ではないか。

これの大きな理由は注射針が極細(0・18mm)になって殆ど痛みを感じなくなったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡単に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メーカーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注射で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値があるというものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日本医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。

「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題するもので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html



東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのインタビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」より抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本では60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんでした。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省からは、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年(厚生大臣 園田)、各種の努力によりインスリンの自己注射が公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだということが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受けることで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、という言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2週間は効いている形にした>。


1986年、研究のスタートから10年目、
血糖自己測定が健保適用に  (2003年9月)
 血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976年〜)、今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医師法に違反するという非合法のもとで行なわれていた。日本医事新報(1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性について、当時の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わりに経口血糖降下剤
の使用があるではないか」と回答している。

これが1970年代の実態だったのである。このような状況に対して、当時の「日本糖尿病協会」は、インスリン発見50年を迎えて、なおインスリン自己注射が認められない現状を打破すべく10万人の署名を集めた。そして厚生大臣をはじめ関係各方面に、インスリン自己注射の公認と健保給付を陳情したが全く受け入れられなかった。

正当化されたインスリンの自己注射(1981年) このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳月を要した。そして結果が出たのは1981年(昭和56年)。この年ようやくインスリン自己注射の正当性の認知とこれの健保適用が得られた。その内容は当時行なわれていた慢性疾患指導料200点に、もう200点加算するというものであった。これはその後の医療のあり方に大きな影響をもたらし、血糖自己測定も含め、患者を中心にした医療の実践の必要性と有用性の実証へと繋げられていった。


<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後)

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究をスタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定の健保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形で設定された。

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血糖測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコール綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が日本の歴史を変えたといってもいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、元秘書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)2007・05・24

2016年01月10日

◆自民に諌言  A

〜 野党統一候補を侮(あなど)らない方がいい!〜

浅野 勝人 (安保政策研究会理事長)



共産党委員長の志位和夫が、小沢一郎と会って、安倍政権に対抗する政治勢力を結集するにはどうすればいいか教えを乞うたという報道には、共産党の「やる気度」が透けて見えます。

政党アレルギーの強い共産党委員長が、政治的影響力を失った個人的アレルギーの強い保守政治家と会ったところで、成果は期待できないと切り捨てるのは早過ぎます。志位は、おそらく、自民党への対抗軸を模索し続けて成功、失敗を繰り返してきた政界再編のプロに率直な助言を求めたのだと思います。

半世紀、政局の表裏を知り尽くしている小沢は、共産党が死守してきた綱領を踏み越える政策と政治姿勢の転換を指摘しているに違いありません。

ですから、今回の野党統一候補の擁立をめざす政治動向の主役は共産党です。
自公両党は、嫌われ者の共産党が主役なら、野党間の選挙協力をめぐる話し合いがまとまるはずがないから心配無用と判断しがちですが、断定しない方がいい。流れによっては、共産党が民主党と同等ないしは民主党以上に、自公批判票の受け皿となる可能性を否定できないからです。

去年(2015年)10月の宮城県議選で共産党が倍増したのは記憶に新しい。安保関連法案の扱いが無縁とは考えにくいでしょう。

その傾向が顕著になってくると、民主党内の圧倒的な共産党アレルギーが薄れて、票をくれるのなら「シロアリ」でも歓迎と変化します。

共産党の参院比例区、最高得票は819万票(1998年、14.6%)。
当面の参議院選挙1人区はゼロの上、当選の見込みはありませんから、もともと失うものがありません。共産党の票は要らないと言われても、黙って野党統一候補に集中します。

一昨年(2014年)暮れの総選挙、比例区は606万票(11.3%)。選挙区、比例区合わせて21議席。この比例区の票を300選挙区ごとに得票実態に従って振り分けますと、2万〜9万票になります。与野党接戦の選挙区の野党統一候補には、なんとも魅力的な数字です。

確かに、これは単純な足し算です。多くの民主党議員の懸念は、もらう共産党の票以上に、穏健な民主党支持票が離れるから、結果はマイナスという予測です。

共産党が発表した「国民連合政府」構想によれば、党綱領に掲げている日米安保条約の廃棄は、「凍結」するだけで「廃棄を放棄」しません。天皇制や自衛隊の解消についても一時的に「棚上げ」するだけです。彼らのいう戦争法案(安保関連法案)を撤回させるためだけの「一点限定共闘」です。

国民の目には、有権者を安心させて選挙の票集めに役立てるための当たり障(さわ)りのない提案と映っています。

ですから、この限りにおいては、「オリーブの木」(イタリア共産党がリベラルな社会民主主義政党になって、中道および左派政党との連合を実現し、右派連合の政権与党に勝利した1996年の選挙の例)にはなり得ません。

多くの民主党議員の指摘は当たっていますし、与党が懸念するには及びません。

流れがホンモノになって与党の脅威になるかどうかは、共産党が日米安保条約の廃棄を「廃棄」して存続を確認し、天皇制を認め、自衛隊の存在を必要とする綱領に変更すること。よし、国民連合政府が成立しても、今回は閣僚を送らない閣外協力に止めると明言することです。

つまり、共産党が市民運動を背景にホントに捨て身になって、国家・国民のためにひたすら尽くす決意をした姿を有権者が実感した時は怖い。

私は重大な関心をもって、この2点のゆくえを注視しています。

自民党が夏に勝つための政治工作としては、衆参ダブル選挙です。野党共闘は複雑に錯綜して統一候補の取りまとめは一段と困難になって、擁立の歩留まりは激減します。

短期の政策課題としては、世界同時株安とはいえ、新年早々「安倍相場、終焉」と駅売り夕刊紙の見出しになるようではダメです。アベノミックスの評価は、株価が基準になり易い。

年金基金の運用を市場の下値の支え役と勘違いしているのではないか。だから、毎回、海外投資機関に美味しいところを浚(さら)われる役割しか果たしていません。下落した相場の後始末しかしていない現状の改善を急ぐことが肝要です。

もうひとつ、中長期の政治課題は、衆議院の選挙区制度の抜本的改正です。端的に申せば、定員3人の全国100選挙区、総数300人の中選挙区の実現です。

日本人の情感に合った制度ですし、政党間の共闘は成り立ちません。選挙結果によって、政治を安定させるために連立政権を組むのは時々の実情に応じて自由です。

憲法改正は、国会の発議を受けて、いずれ国民が決める課題です。
長期安定政権維持のために、今の自民党が取り組むべき最優先課題は、今の陣容なら出来る選挙制度の改正です。
(2015/1月7日、元内閣官房副長官)



2016年01月09日

◆脳卒中予防のために

渡部 亮次郎



脳梗塞や心筋梗塞は血栓(血の塊)が動脈に詰まって、血液が必要な場所に行けなくなることから起きる。しかし、現在の医学はかなり進歩して、新薬もできている。

それなのに街や公園では卒中による半身不随患者を沢山見かける。先日電車で見かけた20歳代の男性は「若いオレが脳梗塞になるとは思えないから病院に掛かるのが遅れちゃった」と残念がっていた。

脳卒中は、昭和26(1951)年から昭和55年までの30年間、日本の死亡原因の1位を占めていた。現在でも富山県では死因の第2位であり、全国的にも昭和40年代後半から死亡率は減少しているが、その内訳をみると、この40年間で脳卒中の主流は脳内出血から脳梗塞へと変化してきている。

死亡率が減少している反面、患者数はむしろ増加していることから、今後、発症予防や発症した後のリハビリテーションの推進がますます重要になる。

脳卒中の種類(この場合の「脳卒中」は、国際疾病傷害死因分類における「脳血管疾患」にあたる。)

脳内出血
脳の血管が破れて出血をおこすもので、多くの場合深い昏睡とともに半身のマヒが起こる。誘因として疲労、精神不安、寒冷刺激などが多く、また活動中にも起こることが多い。鳩山一郎、石橋湛山氏ら。

くも膜下出血

脳は、くも膜という膜でおおわれてるが、くも膜と脳の表面との間にある小さな動脈にこぶ(動脈瘤)があると、血圧が上がった時などに破れて出血(脳動脈瘤破裂)し、くも膜下出血になる。

頭痛がひどく悪心、嘔吐があり意識が混濁するが、四肢のマヒは通 常おこらない 。

脳梗塞

動脈硬化などのために動脈が狭くなったり、あるいは動脈や心臓内に出来た血の固まりが脳の動脈に流れ込み、詰まってしまうために起こるもの。長嶋茂雄氏など。

その血管によって栄養を受けている部分の脳組織に、血液がいかなくなり破壊されて、脳の軟化を起す。田中角栄氏など突然、発症するもの、段階的に増悪するものなど、病型により様々だが、多くの場合、前駆症状としてめまい、頭痛、舌のもつれ、手足のしびれ、半身マヒや昏睡などになる。

一過性虚血

脳の血液循環が一時的に悪くなり、めまい、失神、発作などをひき起こします。少し横になっていれば治りますが、脳梗塞の前駆症状と考えられており、高齢者では十分な注意が必要。数年前に私が体験、入院・加療した。

73歳の朝、起きて暫くしても、左手小指の先の痺れが治らない。心臓手術がきっかけで医療に詳しくなったNHKの同僚 石岡荘十さんに電話で相談。「脳梗塞かもしれないよ」という。

そこでかかりつけの病院に行って申し出たら「脳梗塞患者が歩いてこれるわけが無い」と取り合ってくれなかったが、「念の為」と言って撮ったCTで右の頚動脈の詰まっているのが判って即入院。1週間加療した。

後に石岡さんの助言に従ってかかった東京女子医大神経内科の内山真一郎教授によると、このときに念を入れて加療してもらったのが大変よかったそうだ。

なぜならこれを脳梗塞の前兆と見ないで放っておくと、直後に本格的に脳梗塞を起こしてしまうからとのことだった。爾来、内山教授の患者になっている。

高血圧性脳症

高血圧がかなりひどくなると、脳の内部にむくみが起こる。このため、頭痛、嘔吐、手足のけいれんなどが見られ、目が見えなくなることもある。

これらに共通するものは、コレステロールに拠る動脈硬化。理屈からすれば、血管内にこびりついたコレステをそぎ落とせばいいようなものだが、今のところ医学界にそういう薬は存在しない。

いまのところ世界が束になって取り組んでいるのが、血液をさらさらにして詰まりにくくする方法であり、そのための薬が「ワーファリン」である。

2011年になって新薬「プラザキサ」が許可になった。2012年4月から処方期間が延びたのでこれに替えた。納豆を食えるようになった。

それでも卒中になったらどうするか。私の場合はプラザキサを服用中のため使用禁止だが、そうでない患者が発症3時間以内に担ぎこまれたら助かる薬がある。「tPA」だ。

血管を塞いだ血栓を溶かす薬だ。長嶋さんは、発見された時、すでに3時間を過ぎていたからtPAを注射しても無駄だった。右手と言葉に後遺症が残ってしまった。

とにかく脳卒中の症状が出たらどこの病院に担ぎこんでもらうかを予め決めておけば、死ぬことは勿論、後遺症すら残らない時代に既になっている。私の場合は石岡荘十さんの助言に従って決めた。

私の場合はかかりつけの東京女子医大病院か近くの都立墨東病院に決めている。

2016年01月03日

◆のど自慢に出場したのだ

渡部 亮次郎



1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHKが制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関だった。

今でも平均12倍を超える人気長寿番組とか。1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで東京)「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHKが制定しました。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関でした。

私も高校生のころ、秋田市での大会に出場、合格した。受験ムードに反発したもの。歌ったのは「チャペルの鐘」

   作詩:和田隆夫
   作曲:八州秀章
1)なつかしの アカシアの小径は
 白いチャペルに つづく径
 若き愁い 胸に秘めて
 アベ・マリア 夕陽に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

2)嫁ぎゆく あのひとと眺めた
 白いチャペルの 丘の雲
 あわき想い 風に流れ
 アベ・マリア しずかに歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

3)忘られぬ 思い出の小径よ
 白いチャペルに つづく径
 若きなやみ 星に告げて
 アベ・マリア 涙に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

この歌を聞くと、なぜか札幌の時計台を思い出す。理由は分からない。でもあれは時計台であってチャペルではない・・・。では「チャペル」とは何ぞや? Wikipediaによると、
「チャペル (Chapel) は、本来クリスチャンが礼拝する場所であるが、日本では私邸、ホテル、学校、兵舎、客船、空港、病院などに設けられる、教会の所有ではない礼拝堂を指している。」とある。どうも教会の礼拝堂はチャペルとは言わないらしい。結婚式場がチャペルだ

でもこの歌詞は、何とも淡い恋でいいな〜。(オジサンには縁が無いが・・・)白いチャペルか・・・フト、2年前の今頃、オーストリアに行って教会を見た事を思い出した。

ヨーロッパはどこに行っても教会だ。2年前は2週間掛けてオーストリアを一周したが、オーストリアでも、どこに行っても尖塔の教会があった。中でも有名で「これどこかで見た事がある・・」と思った教会が二つあった。ハイリゲンブルートの教会とハルシュタットの教会である。この歌とはあまり関係ないが、“絵になる”教会の写真を見ながら、岡本敦郎の歌を聞くもの一興か?

大学を出てNHKで記者になった。

政治部所属に成ってある夜、新宿のスナックでうたっていたら、見知らぬ男に声をかけられてびっくりした。「うちへ入りませんか」という。名刺には「ダニー飯田とパラダイスキング」とあった。「政治記者から歌手へ転身」というのがおもしろいというのだ。

記者の仕事が面白くてたまらない時期だったこともあって断った。あれから50年。まったく歌う機会が無いままにすごしたから今では歌は聴くものと心得ている。