2020年09月20日

◆ 肝臓の血液検査

片山 和宏(医師)


 
〜血液検査って、一体何がわかるのでしょうか?〜

血液は人間の体の隅々まで行き来し、栄養や要らなくなったものをあちらこちらに運んでいるわけですから、血液は体のいろんな部分の情報をもっているわけです。

血液検査をすることで、非常に多くのことがわかるようになってきました。ただし、これも体の部分によって、また病気によって血液に結果が出やすい場合と、とても出にくい、いやほとんど血液検査ではわからない病気もたくさんあります。

たとえば、体の動脈硬化の状態は血液検査ではほとんどわかりませんし、また胃や大腸に癌などのできものができているかどうかも、ほとんど分からないのが現状です(但し癌によっては腫瘍マーカーという血液検査で一部わかることがありますが、あくまで参考データと考えた方がいいくらいです)。

ですから、人間ドックや健康診断では血液検査とともに、血液でわかりにくい部分は胃のレントゲンなどの検査を組み合わせていくことが大事になるわけです。

肝臓はというと、血液にのせて体のあちこちに栄養分を送りつける中心的な存在ですので、肝臓の状態は血液検査でわかりやすいという特徴があります。

ただ、肝臓は働き者でとても多くの仕事をこなしていますから、肝臓の状態を表している血液検査も非常にたくさんあり、ひとつだけをみて状態を考えることはできません。
 
そこで私は、患者に肝臓の血液検査の説明をするときには、肝臓を緑の多い、川のきれいな山に例え、肝臓の病気を山火事に例えて説明しています。

アルブミンや血液凝固機能:緑(木々)の多さ、ビリルビン:川の透明度、GOT / GPT:山火事の火の大きさ、ヒアルロン酸:緑が無くなってみえてきた地肌の大きさ。アルブミン、凝固機能、ビリルビンという血液検査の組み合わせは、医師が肝臓の働きを評価するときによく使う組み合わせですし、ヒアルロン酸はどのくらい肝硬変に近付いているかを判断する指標です。

肝機能検査として有名なGOT / GPTは、実は肝臓の機能を表しているのでは無く、肝臓の病気の勢いを表しているということが分かっていただけるかと思います。
火の大きい(GPTの高い)山火事は、早く火の勢いを小さくしないといけませんが、その時点での肝臓の元気さ(働き)はまた、別なのです。

このことを踏まえて、一度血液検査を眺めていただけると視野が拡がるのでは?

             大阪厚生年金病院  (再掲)

2020年09月16日

◆リハビリって、再び生きること

向市 眞知(ソーシャルワーカー)


「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。

療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

2020年09月15日

◆治療前にまず予防

                  向市 眞知
 

医療が「治療」をおこなうだけでなく、「治療」の前に「予防」を、そしてそのあとに「社会復帰」という概念を位置づけるようになってだいぶ経ちました。 そのため医療は、在宅生活にも意識を向けるようになりました。

今では入院患者に対して「退院に向けて心配なことはありませんか?」と、医療の側から患者の療養生活にまで援助を行なう時代になりました。

 定年後奥さんと2人暮らしをしておられた人が、脳梗塞で倒れ入院してこられた時の例です。この患者は、集中治療室で管理をうけて意識も回復し、幸い10日後一般病棟に移ることができました。ですが、「一命をとりとめた」とホッとしたその瞬間、「これからどうなるのだろうか?」という今後の心配に奥さんはとらわれたのです。

「どこまで回復できるのだろうか?」「家に連れて帰れるのだろうか?」「このままでは私ひとりでは介護できない」「入院費はどのくらいかかるのだろうか?」と不安なことが次々と表れてきます。

 病院では、医師や看護師、ソーシャルワーカーが、「退院後のくらしについて心配はありますか?」と、家族にたずねて、退院計画を一緒に立てるシステムをとっています。 「右半身マヒは残りますが、杖歩行ができるようリハビリを頑張ってください」と担当医が回復のゴールについて説明します。

でもこれだけの話だけではこれからの生活をイメージすることはできません。
「お風呂は入れるのかしら?」
「トイレは1人で行けるかしら?」
「食事は1人で食べられるのかしら?」
「階段は登れるのかしら?」など、わからないことだらけです。考えれば考えるほど、家族はパニックになってしまい「こんな状態では連れて帰れない」と逃げ出したくなってしまいます。

そこで退院調整担当者が、患者や家族と相談することになります。時々、「早く退院させようとしているのではないか」と、家族の方から勘違いされることがありますが、全くそんなことはありません。

自宅のお風呂の構造、トイレまでの距離、玄関段差などを聞き、リハビリテーションの計画に取り入れますし、手すりをつけたり段差解消をしたり、住宅改修も考えてゆけば、身体にマヒがあっても自立した生活が可能になるからです。

もちろん、家族の体調や希望も無視できないことです。たとえば奥さんが腰痛の場合や、息子さんと同居していても仕事があり、昼間は「独居」ということもあるからです。
 
家族から得た情報も含め、病院の関係者でカンファレンスを開きます。そして、リハビリテーション計画と看護計画を立てることになります。早期の計画・立案は入院治療の有効活用の第一歩です。

お風呂の入り方、衣服の着脱練習、食事の工夫、介助方法の工夫が、訓練士、看護師、栄養士により実施されることになります。スタッフがバラバラにかかわるのではなく、目標をきめて、その目標に向けて協同でかかわることが有効です。

かなり早い時期から、退院に向けてのお話をすすめて行くことになりますが、退院計画は早期に立てる必要があることを理解していただけたと思います。また、退院計画は一方的に病院側が決めるものではありません。患者の希望の「どこでどのように暮らしたいか」を基本に、病院側が「療養プラン」をアレンジしていくことになります。

退院計画は病院側と患者側との協同で立案するものです。その意味で病院に話しても仕方ないとか、病院では聞いてもらえないと早合点せずに、ご自宅の生活の様子やご希望を病院にお話し下さることが適切な計画を立てる一助となると思います。病院にある相談室やソーシャルワーカーをご利用されるのが一番話しやすい方法です。    (完) 再掲                      大阪厚生年金病院 前ソーシャルワーカー

2020年09月12日

◆人工呼吸器と医師



 エデンの園で暮していたアダムとイブは蛇にそそのかされて、神様との約束をやぶり禁断の木の実を食べてしまいました。そのため楽園を追放され、永遠に苦悩を背負い生きていくことになります。この禁断の木の実は「智恵(・・)の(・)木(・)」の実でこれを口にしたことで「恥」を知ることになり、アダムとイブは裸を恥らいその恥部をイチジクの葉でかくしたのです。智恵は恥じらいを生むということなのでしょうか。

 実はエデンの園にはもう一本の禁断の木がありました。それは「生命(・・)の(・)木(・)」といわれる木です。最近の人工呼吸器をはずした事件や臓器移植、人工授精、クローン誕生の話題になると、私は21世紀の人類はエデンの園のもう一本の禁断の木の実「生命の木」の実を食べてしまったと思えてなりません。生命の木の実を食べてしまったので、さらに楽園を追放され人類はあらたな苦悩を背負ったように思われてなりません。人工呼吸器があらたな苦悩をつくり出しました。そしてこの苦悩から逃れることはむずかしいと思います。

 実は私自身、3年前に「母の人工呼吸器をはずして下さい」と医師にお願いをした経験をもちます。
 母はくも膜下出血で倒れ、意識のもどらぬまま3週間目に脳浮腫が出現し、つよい点滴を使うことになりました。そのため「人工呼吸器を装着する」と医師から告げられました。私は人工呼吸器装着というコトバに過剰反応してしまいました。人工呼吸器は装着したらはずせないし、その状態で先の読めない精神的ストレスがいつまで続くかわからない苦悩を知っていたからです。病院からは退院を迫られるでしょうし、療養先もそう簡単には見つからない。さらに果てしない入院代の負担と家族へのしわ寄せは必至です。
 私が大急ぎで病院にかけつけた時には、人工呼吸器がすでに母にセットされており、意識のない母は人工呼吸器によって規則正しい呼吸をしていました。見舞う父は「やすらかに眠っている」と言い安心していました。母は自分で呼吸ができないから人工呼吸器をつけているのに、素人の父の眼にはほんとうにそのように見えたのでしょう。
 
しかし、人工呼吸器をつけて一週間が経った頃、医師から脳死状態にあると言われました。ベッドに横たわる母と私のあいだにこの脳死というコトバは何の意味ももたないコトバでした。私の母はここにいるという理解しか私にはできませんでした。そしてこの頃から母の顔が日に日に色あせてきました。母の顔が母ではないように見えてきました。私はそんな母の顔を父に見せたくないと思いました。父や私の思い出のなかにある母の顔のままで、母を残しておきたいと思いました。だから医師に「人工呼吸器をはずして欲しい」とおねがいしました。「それはできない」と先生からは即答がありました。瞳孔が開いている脳死状態でも人工呼吸器は外せないのです。
 
今思えば、確かに母自身「延命治療を希望しない」という意思表示はしていませんから、私の意向で決められるものではないでしょう。
残念ながらその翌朝、母の心臓は止まってしまいました。先生に「人工呼吸器をはずして欲しい」とたのんだ私に絶望して、きっと母は「もういいよ」と言って死んだのだと思います。
 私が到着するまで、人工呼吸器をつけておいて下さいましたが、人工呼吸器をはずした途端、母の肉体はスーッと冷たくなりました。看護師さんと一緒に身体をふいてやりましたが、そのあとガンで死んだ父のほうがもう少し身体があたたかかったように思います。母の身体の冷たさから、母はやはり人工呼吸器にのっかっていただけで、死んでいたのだと私はその時理解していました。
 
しかし葬儀のあと、ビックリする話を母の友人のSさんから聞きました。母が死んだその朝に、Sさんの夢に私の母があらわれて「Sさん先に行くからね」と告げて消えたというのです。「しまった」と思いました。母は死んではいなかった。脳死といっても母は生きていて、私が医師に「人工呼吸器をはずして欲しい」と頼むのをきっと聞いていたのだと思います。
 
あの時、母は生きていたのか死んでいたのか、いまだに私は悩んでいます。母が生きていたのに「人工呼吸器をはずして欲しい」と言ってしまったのではないか、いまだに母に対して犯した私の罪を背負っています。
「人工呼吸器をはずして欲しい」と医師にたのんだ私ですが、母の死後はどんな形であれ、意識がもどらなくても人工呼吸器がついていても、やっぱり母には生きていてほしかったとも思っています。これほど気持ちはゆれ動いています。

 母がムダな延命治療を希望しないと一筆しるしていたとしても、またそれに従い人工呼吸器をはずしたとしても、果たしてそれが母の尊厳死になったのでしょうか。「はずしてよかった」と思いたいと同時に、「はずしてよかったのだろうか」という罪障感も必ず生じます。こんなことにわずらわされないで「神様に召された」と表現される死に方がしたいとも思います。しかしエデンの園の禁断の「生命の木」の実を食べたがゆえに、楽園を追放された人類の、私達の苦悩は続くはずです。

 「延命治療の中止に関するガイドライン」づくりが厚生労働省ですすんでいるようですが、医師が罪に問われないようにするためだけのガイドラインでは片手落ちになると思います。
 
今回、外科医による人工呼吸器外しがニュースになったために、今まで以上に医師は人工呼吸器に臆病にならざるを得ないと思います。救命のために装着された人工呼吸器が、いつの時点からかムダな延命治療という行為に変質してしまいます。救命と延命はコインのウラとオモテの関係であり切り離せないものであり、また命に「ムダな」という形容詞をつけるべきではないと思います。
 
ガイドラインが策定されたからと言って、医師の肩の荷がおりるはずもなく、家族の罪障感が消えるものでもありません。この重圧から逃げようとせず、しっかりと見つめる姿勢と、目の前の語らぬ患者と、家族と、医療者が三様に対話を重ねることが、家族をそして医療者を成長させることにつながると思います。

ガイドラインは医療者が最低限守らなければならないものですが、でもそこに逃げ込まないで欲しい、ガイドラインを口実にしないでほしいと思います。私達がのぞんでいるのは、尊厳死(・)ではなくむしろ尊厳生(・)と呼ぶべきものかも知れません。「ご臨終です」といわれる最後の瞬間までの生命が、昨日までの生きざまと意思に合致したものになっていることに期待を寄せているのです。そして生きざま、死にざまに前例はなく、その都度ごとにそれぞれに悩まなければ意味がありません。絶対に「生か死か」、「人工呼吸器を装着するか、はずすか」という選択問題で片付けてしまわないようにしなければならないと思います。
 
このような重圧が日常的である医療者は逃げ出したくなります。安易な道に逃げこみたくなる医療者を支え、励ましあえる環境も作らなければなりません。
   (大阪厚生年金病院 ソーシャルワーカー) 

2020年09月08日

◆納豆と相性の悪いくすり

大阪厚生年金病院 薬剤部


〜ワルファリンカリウムという血栓予防薬を服用中の方へ〜

地震や津波、洪水など突然襲ってくる甚大な自然災害は、水道やガス、電気などのライフラインを寸断し人々の生活を麻痺させてしまいますが、人の健康もある日突然血管が詰まると健康維持に必要な栄養や酸素などのライフラインが寸断されその先の機能が止まってしまいます。

 突然意識を失いその場に倒れてしまった経験のある方で、医師から「脳梗塞」と診断された方もおられるかと思います。脳の血管を血液の塊(かたまり)が塞いでしまってその先に血液が流れなくなってしまったのです。

 これを予防し血液をサラサラにするくすりのひとつに「ワルファリンカリウム」という薬があります。服用されている方も多いかと思います。

 もともと人間の身体は怪我や手術などで出血したとき、血液を固めて出血を止める仕組みがありますが、その仕組みの一つに「ビタミンK」が関与する部分があります。
 
ワルファリンカリウムはこの「ビタミンK」が関与する部分を阻害することによって血液が固まるのを予防します。

 さてここで納豆の登場です。

納豆の納豆菌は腸の中で「ビタミンK」を作り出します。「ビタミンK」は血液を固まらせる時に必要なビタミンですから多く生産されると、ワルファリンカリウムの効果を弱めてしまいます。

そのため、くすりの説明書には「納豆はワルファリンカリウムの作用を減弱するので避けることが望ましい」と書かれているのです。

 納豆は栄養もあって健康に良い食品ですが、飲んでいるくすりによっては食べないほうが良いこともあります。好きなものを我慢するのは“なっと〜くできない”向きもあるかと思いますが、ワルファリンカリウムを服用中の方にとって納豆は危険因子ですのでご注意ください。

 納豆のほかにも、ビタミンKの多い「クロレラ食品」や「青汁」などもひかえましょう。

追記: ワルファリンカリウムのくすりには「ワーファリン錠」や「ワルファリンカリウム            錠」他があります。(了)

2020年09月07日

◆「リハビリって何?」

向市 眞知



「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとても曲者なのです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利にしかも安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリに望みをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。

リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。

医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練を指すだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者、家族の方はリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは、何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたからといって、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。

マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとの木阿弥です。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者に訓練は意味を為しません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように、心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者の協同作業なのです。

療法士さんの訓練の20分が終われば、患者自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さん任せにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。

診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が、疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなれば、リハビリを打ち切らざるをえません。

患者も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院してからも自宅でリハビリを続けていく意気込みが大切です。
                                  (ソーシャルワーカー)

2020年09月04日

◆健康百話 「認知症」には「散歩」が効果

 向市 眞知


以前、住友病院神経内科の宇高不可思先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、次の11の質問がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった
6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあと思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

認知症というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップしてその印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も認知症の症状です。

認知症高齢者のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして認知症高齢者の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」とはばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間にご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
認知症があってもくりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。認知症の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。認知症には散歩の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。

医療ソーシャルワーカー
(おおさかシニアネットより転載許諾)

2020年08月23日

 ◆健康百話 「感染症の簡単な予防法」

  大阪厚生年金病院 薬剤部



Q.近頃、感染に関係するニュースをよく耳にしますが、簡単な予防法を教えてください。

A.まず、 「消毒」ということについて考えましょう。
「消毒」とは、人の体に害を与える細菌などの微生物の数を十分に減らすか、それらがまったく生きていけない状態をつくることを言います。

消毒には、熱を加えてやっつけてしまう方法や、消毒薬などの薬を使ってやっつけてしまう方法があります。

どちらにしても、細菌などの微生物の数を十分に減らす事を一番の目的としています。
細菌などが原因で病気になってしまう(感染する)のは、体の中に入り込んだ細菌などの数が増えすぎて、ある量を超えてしまった時です。

つまり、細菌の数を減らしてさえしまえば感染を防ぐことができるということです。
風邪の予防に手洗いやうがいが効果的と言われるのは、流水によってウィルスや細菌を洗い流し、体の中に入ってくるそれらの量を減らしているからなのです。

同じように、すり傷などの軽いけがをしてしまったら、消毒薬による消毒も必要なのですが、まず流水を使ってこまめに傷を洗ってあげることが大切です。

この流水で傷を洗ってあげるということは、傷の中にいる細菌を水で流し出して菌の数を減らすことで、もっとも身近で簡単な感染を防ぐ方法なのです。(再掲)   

2020年08月19日

◆リハビリって、再び生きること

          向市 眞知


「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

大阪厚生年金病院・ソーシャルワーカー

2020年08月16日

◆「認知症」には「散歩」が効果

向市 眞知


以前、住友病院神経内科の宇高不可思先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、次の11の質問がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった
6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあと思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

認知症というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップしてその印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も認知症の症状です。

認知症高齢者のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして認知症高齢者の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」とはばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間にご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
認知症があってもくりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。認知症の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。認知症には散歩の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。

                  医療ソーシャルワーカー

2020年08月10日

◆納豆と相性の悪いくすり

大阪厚生年金病院 薬剤部


〜ワルファリンカリウムという血栓予防薬を服用中の方へ〜

地震や津波、洪水など突然襲ってくる甚大な自然災害は、水道やガス、電気などのライフラインを寸断し人々の生活を麻痺させてしまいますが、人の健康もある日突然血管が詰まると健康維持に必要な栄養や酸素などのライフラインが寸断されその先の機能が止まってしまいます。

 突然意識を失いその場に倒れてしまった経験のある方で、医師から「脳梗塞」と診断された方もおられるかと思います。脳の血管を血液の塊(かたまり)が塞いでしまってその先に血液が流れなくなってしまったのです。

 これを予防し血液をサラサラにするくすりのひとつに「ワルファリンカリウム」という薬があります。服用されている方も多いかと思います。

 もともと人間の身体は怪我や手術などで出血したとき、血液を固めて出血を止める仕組みがありますが、その仕組みの一つに「ビタミンK」が関与する部分があります。
 
ワルファリンカリウムはこの「ビタミンK」が関与する部分を阻害することによって血液が固まるのを予防します。

 さてここで納豆の登場です。

納豆の納豆菌は腸の中で「ビタミンK」を作り出します。「ビタミンK」は血液を固まらせる時に必要なビタミンですから多く生産されると、ワルファリンカリウムの効果を弱めてしまいます。

そのため、くすりの説明書には「納豆はワルファリンカリウムの作用を減弱するので避けることが望ましい」と書かれているのです。

 納豆は栄養もあって健康に良い食品ですが、飲んでいるくすりによっては食べないほうが良いこともあります。好きなものを我慢するのは“なっと〜くできない”向きもあるかと思いますが、ワルファリンカリウムを服用中の方にとって納豆は危険因子ですのでご注意ください。

 納豆のほかにも、ビタミンKの多い「クロレラ食品」や「青汁」などもひかえましょう。

追記: ワルファリンカリウムのくすりには「ワーファリン錠」や「ワルファリンカリウム            錠」他があります。(了)

2020年08月08日

◆健康百話・治療前にまず予防

                 向市 眞知 


医療が「治療」をおこなうだけでなく、「治療」の前に「予防」を、そしてそのあとに「社会復帰」という概念を位置づけるようになってだいぶ経ちました。 そのため医療は、在宅生活にも意識を向けるようになりました。

今では入院患者に対して「退院に向けて心配なことはありませんか?」と、医療の側から患者の療養生活にまで援助を行なう時代になりました。

 定年後奥さんと2人暮らしをしておられた人が、脳梗塞で倒れ入院してこられた時の例です。この患者は、集中治療室で管理をうけて意識も回復し、幸い10日後一般病棟に移ることができました。ですが、「一命をとりとめた」とホッとしたその瞬間、「これからどうなるのだろうか?」という今後の心配に奥さんはとらわれたのです。

「どこまで回復できるのだろうか?」「家に連れて帰れるのだろうか?」「このままでは私ひとりでは介護できない」「入院費はどのくらいかかるのだろうか?」と不安なことが次々と表れてきます。

 病院では、医師や看護師、ソーシャルワーカーが、「退院後のくらしについて心配はありますか?」と、家族にたずねて、退院計画を一緒に立てるシステムをとっています。 「右半身マヒは残りますが、杖歩行ができるようリハビリを頑張ってください」と担当医が回復のゴールについて説明します。

でもこれだけの話だけではこれからの生活をイメージすることはできません。
「お風呂は入れるのかしら?」
「トイレは1人で行けるかしら?」
「食事は1人で食べられるのかしら?」
「階段は登れるのかしら?」など、わからないことだらけです。考えれば考えるほど、家族はパニックになってしまい「こんな状態では連れて帰れない」と逃げ出したくなってしまいます。

そこで退院調整担当者が、患者や家族と相談することになります。時々、「早く退院させようとしているのではないか」と、家族の方から勘違いされることがありますが、全くそんなことはありません。

自宅のお風呂の構造、トイレまでの距離、玄関段差などを聞き、リハビリテーションの計画に取り入れますし、手すりをつけたり段差解消をしたり、住宅改修も考えてゆけば、身体にマヒがあっても自立した生活が可能になるからです。

もちろん、家族の体調や希望も無視できないことです。たとえば奥さんが腰痛の場合や、息子さんと同居していても仕事があり、昼間は「独居」ということもあるからです。
 
家族から得た情報も含め、病院の関係者でカンファレンスを開きます。そして、リハビリテーション計画と看護計画を立てることになります。早期の計画・立案は入院治療の有効活用の第一歩です。

お風呂の入り方、衣服の着脱練習、食事の工夫、介助方法の工夫が、訓練士、看護師、栄養士により実施されることになります。スタッフがバラバラにかかわるのではなく、目標をきめて、その目標に向けて協同でかかわることが有効です。

かなり早い時期から、退院に向けてのお話をすすめて行くことになりますが、退院計画は早期に立てる必要があることを理解していただけたと思います。また、退院計画は一方的に病院側が決めるものではありません。患者の希望の「どこでどのように暮らしたいか」を基本に、病院側が「療養プラン」をアレンジしていくことになります。

退院計画は病院側と患者側との協同で立案するものです。その意味で病院に話しても仕方ないとか、病院では聞いてもらえないと早合点せずに、ご自宅の生活の様子やご希望を病院にお話し下さることが適切な計画を立てる一助となると思います。病院にある相談室やソーシャルワーカーをご利用されるのが一番話しやすい方法です。    (完)                      大阪厚生年金病院 前ソーシャルワーカー

2020年08月02日

◆「認知症」には「散歩」が効果

向市 眞知


以前、住友病院神経内科の宇高不可思先生の「認知症」の講演を聴きに行きました。その時、「こんな症状があったら要注意!」という話から始まり、次の11の質問がありました。

1、同じことを何度も言ったり聞いたりする
2、ものの名前が出てこない
3、置き忘れやしまい忘れが目立つ
4、時間、日付、場所の感覚が不確かになった
5、病院からもらった薬の管理ができなくなった
6、以前はあった関心や興味が失われた
7、水道の蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ
8、財布を盗まれたといって騒ぐ
9、複雑なテレビドラマの内容が理解できない
10、計算のまちがいが多くなった
11、ささいなことで怒りっぽくなった

「これらがいくつかあったり、半年以上続いている時は専門病院へ行きましょう」といわれました。

私自身、同じことを言ったり、物の名前が出てこなかったり、置き忘れやささいな事で怒りっぽくなったなあと思い当たるフシがいくつもありました。専門診療の対象といわれてしまうと本当にショックです。

認知症というと周りの人に迷惑をかけてしまう問題行動がクローズアップしてその印象が強いのですが、新しいことが覚えられない記憶障害もそうです。また、やる気がおこらない意欲の低下もそうですし、ものごとを考える思考力や判断する力、そして手順よくし処理する実行力の低下も認知症の症状です。

認知症高齢者のかた自身の不安は、時間や場所がわからなくなったり、体験そのものを忘れていく中で暮らしているのですから、自分以外の外界のすべてが不安要因になってしまうのです。

ご本人は真剣に外界を理解しようとしているのですが、家族は「ボケ」「痴呆」ということばの印象から「認知症だからわからないだろう、理解できないだろう」と思い込んでいる例が多くみられます。
 
診察室でなんとご本人を目の前にして認知症高齢者の失態を平気でドクターに訴えたり、「母さんがボケてしまって」とはばかりもなく言ってしまったりします。

その瞬間にご本人はその家族に対してまた不安をつのらせてしまいます。また話を向けられたドクターも、ご本人を前にしてウンウンとうなづくべきか、ほんとうは困っているのです。うなづけば家族は安心しますが、ご本人はドクターへの信頼感をなくしてしまいます。

よく「まだらボケ」とか言いますが、「正気の時もあるからやっかいだ」と表現されるご家族もあります。しかしそれは逆で、やっかいと考えるのではなく正気の部分があるのならその正気の部分を生かして日常生活を維持するようにしむけてみませんか。
 
認知症があってもくりかえし続けている一定の日常生活はできるはずです。老年期以前の過去の生活を思い出させてあげると、高齢者は自分の価値を再発見し、意欲も湧いてくるとききました。

高齢者にとって脳機能の低下だけではなく、視覚や聴覚、味覚や嗅覚などの感覚もおとろえてきていることを理解してあげてください。すべてを「認知症」の一言でかたづけてしまわないで下さい。見えやすくする、聞こえやすくするというような場面の工夫で問題行動が小さくなることもあります。
 
「認知症だからわからないだろう」と思い込むのは大まちがいです。「言ってもしかたない」と決めつけるのは悪循環です。認知症の方の感じる外界への不安を考えると、情報が遮断されると余計に不安が大きくなります。

どしどし情報を与えることが不安の軽減につながります。そのために外出しましょう。認知症には散歩の効果があります。外界の空気は聴覚、視覚、嗅覚への刺激になり、脳の活性化につながります。

                  医療ソーシャルワーカー