2007年03月27日

◆「巴里だより」 お茶とテーブルマナー 

  岩本宏紀(在仏)

ぼくの友だちに食事のしかたがとても美しい女性がいる。
年に数回同じテーブルを囲む機会があるのだが、見ていて実に気持ちがいい。決してナイフやフォークで音を立てることはなく、スープを前にしても背中が湾曲することはない。和食のときには右手でまず箸をとりあげ、左手を下に添えたうえで改めて右手でもつ。

優雅である。
彼女にそう言うと
「長女だったせいか、子どもの頃から箸の上げ下げを厳しく言われましたよ。でもね、妹は何をやっても怒られなかったの」と彼女は答えた。

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2007年03月23日

◆巴里だより 読者からの声


<07.3.12に掲載の「かけがえのない家族」へ読者から寄せられた反響です−編集部>

                      岩本宏紀(在仏)

◆「もう一人の家族にありがとう。」 京都の女性
バロンちゃんを亡くされた時のお母様のお気持ちを思うと胸が痛くなってまいります。
我が家でもいつか、必ず別れの時が来ると思うと、辛いとか悲しいとかいった言葉では言い表せない気持ちになりますもの。本当に大切な、大切な家族の一員なんですね。

動物の虐待とか、捨てられたとか、置き去りにされたとかいう事を聞くと、いたたまれない気持ちになってきますが、今回読ませて頂いたご家族のお話にはあったか〜い、幸せな気持ちにさせて頂きました。ありがとうございました。

(岩本:お宅のワンちゃんがいかに重要な家族か、よくわかりました。幸せ者ですね、彼は。昨年話題になった、広島県の犬の公園(経営不振で犬たちが栄養失調になっていた件)はぼくの実家の近くです。年末、大学の友人がくるまでぼくを送ってくれたときに、その近くを通り、
彼がそう教えてくれました。あれは悲惨な話でしたね。)

◆チムの死から立ち直らせてくれた本 。。。。元ロンドン、今は巴里の男性

ぼくと家内が見守る中、眠る様に息を引き取りました。全く苦しみもせず、痛がりもせず、手も掛からず、ほんとうに静かに迎えた最後でした。13歳半の生涯でした。あまりに潔いと言うか、なんら苦しまず逝った為涙も忘れるほどのみごとな大往生ぶりに、チムちゃん天晴れ!と思わず洩らすほどでした。

ただそれからが大変で、ぼくのこころになにか大きい穴が開いた様で、なにもヤル気が起こらず、だれかがワンちゃんと一緒に居るのを見ると無性に淋しくなり、これがいわゆるペットロス症候群と言うのでしょうか、とんでもないブラックホールへ落込んだ状態となってしまいました。

自分でも、「こんな状態では立派に亡くなったチムちゃんに申訳ない。あの子もきっと喜ばない。」と思うのですが、どうしても淋しくて、悲しくてたまらない。チムちゃんのことを思うと、涙が溢れてくる。そしてまた落込む。この繰り返し。

そんな時、ある人からペットロス症候群に陥った欧米の人々が捜し求め読む本があるとの話で
「ペットたちは死後も生きている 原題Animals in the Spirit world」ハロルド・シャープ著を
紹介され貪る様に読みました。

そこに書かれてあったのは、動物達の生命は不死である。彼らの死とは、肉体という「抜け殻」からの旅立ちにすぎない。亡くなったペットたちは、姿は見えなくても飼い主のもとをつねに訪れている。

ペットと長年連れ添った人々は、死後において愛するペットと再会出来る。病気や事故で死んだ動物たちも、「新しい世界」ではみんな健康に、幸せに暮らしている。 愛は死によって破壊されない。ペットたちは、あなたが地上界で幸せにしてあげられるより以上に幸せなのである」

何回も読み返すうちに、「チムちゃんもむこうの世界で楽しく生活している」と分かって来て、抜け道の見えない悲しみの世界からふっと抜け出すことが出来ました。 奇しくもこの考えは、昨年NHK「紅白」で歌われ、日本中が涙したと言われるいのちの詩「千の風になって」に通じるものです。

喪失の悲しみを癒し、生きる勇気と希望を与えてくれる「死者からのメッセージ」と本の帯にも記されていますが、人とペットの違いはあるものの、まさしく同様のメッセージが綴られた本でした。

ぼくには愛する犬は消滅したのではない。いつか天国の玄関を通過した瞬間に、クロちゃんも、トリチェリーちゃんも、チムちゃんも一目散に駆け寄って来てくれる、この確信がぼくに元気を蘇らしてくれたものと思えます。そうした思いに至れたことでようやく、もう一度大好きなワンちゃんを飼おうかと思えるようになりました。

(岩本:谷川俊太郎の戯曲に「愛しているなんて言葉を、よくそう簡単に言えるね。」という台詞がありました。チムの場合、「好き」のレベルを通り越して、正に「愛している」という状態ですね。いいお話をありがとうございました。)

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2007年03月12日

◆巴里便りー「かけがえのない家族」


             岩本宏紀(在仏)

・話し相手はポメラニアン
姪はポメラニアンを内緒で飼っていたが大家に知れたため、田舎のおふくろが預かることになった。一日中一緒に暮らすうち、この子犬、バロンはおふくろの広島弁がすべて理解できるようになったと言う。

「バロン、偉(えら)さんは? ほら行け、ほら行け。」というと、風呂場に敷いてある紙おむつのところに行き、何回も回ったあとその上で用を足した。
(偉さんとはえらい子、いい子という意味) 
逆におやじは動物にはまったく興味を示さない男で、「バロンばっかり可愛がる」とか「来た人にすぐバロンの自慢をする」とおふくろに文句を言っていた。

撫でることさえしなかったが、がんに冒されて自宅療養していたときは、膝の上に乗せたままうたたねをすることもあった。

発病後半年でおやじは死に、あとにバロンと母が残った。口喧嘩の相手を失ったおふくろにとって、バロンはいい話し相手だった。元気な頃のおやじの言葉を思い出す。

「誰もおらんはずなのに、ばあさんの話声が聞こえる。ついに頭がおかしゅうなったんかとそおっと覗いてみたら、バロンと話しとるんじゃ。」

そのバロンは昨年頚の骨を折って死んでしまった。「犬のお守りを7年もさせてもらって、しあわせでした。」とおふくろは述懐する。

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2007年02月24日

◆<巴里便り>


              岩本宏紀(在仏)
<岩本さんの「宮島の大鳥居」に寄せられた読者の声> 

◆ぼくのいとこ、広島の男性
補足があります。1県に2つの世界遺産があるのは、現在では、広島県のほか奈良県もです。1998年(原爆ドームと厳島神社が同時に指定された2年後)、奈良の文化財が指定され、先に指定されていた法隆寺地区の文化財とあわせて2つになっています。(知らんかった!!)

広島港では、2つの世界遺産、それも全く性格の異なった文化遺産が1日で見れるということで全国でも屈指の外国クルーズ客船の寄港がありますが、神戸港と大阪港は姫路城、京都、奈良、斑鳩(いかるが)という世界遺産エリアを背景に、どちらがその玄関かという激しい港間競争を行っています。

広島港では(というより私的には)、瀬戸内海と世界遺産をめぐる寄港地観光をPRしてこようと思っていますが、その資料を作っていて、先の事実に気がついた次第です。

(岩本: 奈良県にもふたつですか。これは妥当でしょうね。ぼくの大好きな、中宮寺の弥勒菩薩も含まれるのでしょうか。「世界遺産をめぐる瀬戸内海クルーズ」 いいアイデアですね。尾道、今治のしらなみ街道を走ってみて、瀬戸内海の素晴らしさを実感したのは、
2004年でした。きっと受けますよ。)

◆有機農園を営む、巴里の男性
種の仕入れ等で3週間ばかり、日本に行って1昨日こちらに戻ってきました。宮島には行ったことがありませんが、日本滞在中に、生まれて初めて靖国神社に行ってきました。
 
私の知っている限りの身内で戦死した人は1人も居ないのですが、中国、韓国が神経質になっている神社は実はどんな所か、実際に行って自分の体で感じてみようと思い、短時間ながら、足を運んでみました。
 
まず驚いたのが雲を憑(つ)くが如く聳(そび)え立つ大鳥居です。鳥居の真下、ど真ん中を通り奥の拝殿社まで左右を眺めながら、歩を進め、神道の作法に則って、お参りをしました。
 
この神社の空気は他のどの神社とも違い、国を守るために自らを犠牲にした多くの魂のオーラが満ち満ちているのです。宮島はどんなオーラで包まれているのでしょうか?
 
今回の日本滞在の成果は、以前から欲しかったプロ用のカラオケの機材を入手出来たことです。ワインセラーをリフォームして、カラオケルームを作りますので、出来上がったらお知らせいたしますので、お越し下さい。

(岩本: 年末、靖国神社の近くにある「しょうけい館」を見学しました。傷痍軍人の遺品が展示してある小さな建物です。南太平洋で左腕を失ったぼくのおじさんの義手、診断書があると聞いたからです。

「むごいことですよ。」というおじさんの一言に集約される、実に悲惨な現実でした。今の我々日本人の生活は、死んでいった、あるいは身体の一部を失ったひとたちのおかげなんだと強く感じました。

次の一時帰国では靖国神社を見てきます。宮島の大鳥居には横綱の力強さを、厳島神社には優雅さを感じました。プロ用カラオケセット、楽しみです。「少年時代」を熱唱しますよ。)

◆巴里の女性 
海外に来たことが契機になって、自分の故郷を再発見するって素晴らしいですよね。

(岩:巴里のように世界に誇る建築物があちらこちらに
見られる街にいると、日本人としても対抗意識が芽生えてきます。
「日本にも、広島にもこれに負けないなにかがあるはずだ。」という
気持ちです。)

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2007年02月21日

◆<巴里だより>

「パリから想う宮島の大鳥居」

                     岩本宏紀(在仏)  

広島県にはユネスコが指定した世界遺産がふたつある。原爆ドームと宮島だ。県庁に勤めるいとこによると、日本では広島だけだそうだ。

ぼくの実家はその宮島の北、20Km。幼稚園のころから何度も行ったが、不思議と感動した記憶がない。

2006年末パリから帰省した時、雑誌「和楽」(わらく)の記事を読んではっとした。それは、厳島神社から大鳥居を眺めたときに、その向うに見える対岸の景色が、この神社の庭の一部になるよう設計されているのではないか、という解説だ。

ご存知のように、宮島という小さな島は本土から連絡線で15分くらいの距離にある。

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2007年02月03日

◆巴里だより・「水のある風景」

 
              岩本宏紀 (在仏) 

巴里人はあまりスポーツ熱心ではないが、散歩する人はよく見かける。歩いても退屈しない街だからだろうか。

久しぶりに晴れた日曜日、アパルトマンの外壁(がいへき)に描(か)かれた絵を探すために街に出た。窓の絵が多く、ほんものだと勘違いしてしまうほどうまく描かれているものがある。それを写真に撮ろうと思ったのだ。これまでにいろんな所で見たことがある。しかしおかしなもので、いざそれを探すとなるとなかなか見つからない。記憶の頼りなさにがっかりした。

頭を切換えて散歩することにした。巴里で一番古い「ボージュ広場」では室内楽の野外演奏を聴くことができた。また初めて行った丘の上の「公園、ビュット・ドゥ・ショモン」は穴場だった。日曜日のせいか記念撮影をする新婚さんが3組もいた。池あり坂あり、頂上の東屋(あずまや)からは西陽(にしび)があたるモンマルトルの「サクレクール寺院」が正面に見える。

坂を下ると「サンマルタン運河」に出る。小学校の社会の時間、パナマ運河の説明で大笑いになった閘門(こうもん)式運河。サンマルタンがそれである。

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2007年01月16日

◆巴里だより・「初詣と高あがり」

 
岩本宏紀

正月に巴里にいるなら、ぼくの初詣は教会だ。
今年はご利益のあるメダルで有名な、7区の教会へ行った。

学校の教室をひとまわり大きくしたほどの、こじんまりした建物で、
祭壇にはキリストではなくマリア像が立っている。地味だがとても
清々しい雰囲気に包まれている空間だ。

椅子は3分の2程度埋まり、祭壇の前は跪いて花束を捧げて祈る人たちで一杯。

巴里の運転マナーはひどいし、列に割り込むひとが多いし、スリも多い。
犬の糞を片付けない飼い主が大半だ。

ところが元旦の昼下がり、こうして多くのひとが祈りを捧げている。
その姿は崇高だ。キリスト教徒ではないぼくも、見ていたら胸が熱くなった。

合掌して祈りを捧げたあと、ぼくは教会を出てモンパルナスタワーへ登った。
56階から眺める巴里は、地上から見るのとは違った趣がある。
雲間から冬の陽が射すと、アンバリッドの金色のドームが光り、
影を抱いた建物が急に立体感を増した。

「一番高いレストランで食事をすれば、そこがどんな町か大体わかる。」という上司がいた。馬鹿の高あがりと笑われるかも知れないが、一番高い建物に登るのも町を知るヒントになると、ぼくは思っている。(2007年1月15日)

<ご感想は hiroki.iwamoto@wanadoo.fr にお願いいたします。
みなさんのご健康を心より祈りながら。
正月15日暖冬の巴里よりー 岩本宏紀 >


2007年01月03日

◆ 巴里だより・「スケート」


<あけましておめでとうございます。
今年も暇を見つけて「巴里だより」に目を通していただければ幸いです。
みなさんにご健康とお幸せを祈っています。
2007年元旦 摂氏11度の巴里より 岩本宏紀>

ぼくの大好きな写真家ロベール・ドワノーの写真展が巴里市庁舎で開かれているので観に行った。すばらしい内容だった。しかも無料。こういうことに税金を使うのだな、巴里市は。

満たされた気分で外に出ると、市庁舎前の広場にスケートリンクが造られていた。

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2006年12月15日

◆巴里だより「早起きのススメ」

   
岩本宏紀(在仏)

50歳になってから目覚めるのが早くなった。目覚まし時計をセットしなくても6時半には一度目が覚める。けれども睡眠を増やすことを今年の目標にしているので、トイレに行ったあと再びベッドにもぐりこむ。因(ちな)みに最近の目標はお酒を減らすこと。これは実現できた。

休みの日には目覚めたらそのまま起きだすことがある。自転車で近くを走ったり、ぶらぶら散歩したり。行き先が決まっていないときには、普段見逃していたものに気付くことが多い。

ぼくが住んでいるLa(ラ) Garenne(ギャレンヌ) Colombes(コロンブ) は、老人と子どもの多い町だが、ディスコを発見したし、小さな地鶏(じどり)専門レストランも見つけた。

珍しく霧の深い秋の朝、セーヌの橋の上からデファンス地区の高層ビルと川岸の柳を写真に撮っていたら、日の出とともに霧はかなりの速さで薄れていく。かねてから写真におさめたいと思っていた場所へ急いで移動した。

岸の上から見るのと水面の高さから見るのとでは、川の風景はまったく異なる。係留(けいりゅう)されている船がいつもよりずっと大きい。川面(かわも)からはまだもやが立ち昇っている。そのなかを水鳥が泳いでいる。早くも釣り糸を垂れているおじいさんがいた。

セーヌの釣り人は自分の手で竿(さお)をもたない。支柱に立てかけておき、ビクが動いたときに初めて竿に手を伸ばすのだ。だから一人で3,4本も竿を立てている人もよく見かける。

クルマさえ走らない静寂のなかで足音が聞こえた。対岸を見ると人の男性がジョギングしている。ぼくは素早くシャッターを切った。いい写真が撮れた。早起きは三文の得とはよく言ったものである。(了)

2006年11月24日

◆巴里だより

ライトアップ      岩本宏紀(在仏)

10月最後の日曜日、夏時間が終わり、冬時間が始まる。午前3時に時計の針を一時間遅らせ、午前2時に合わせるのだ。11月に入ると日の出は8時、日の入りは5時。10時頃まで明るかった夏の夕方が嘘のように、会社を出るときには街はすっかり暗くなっている。

夜のとばりが下りると、巴里のあちこちが昼間とはまったく違う顔を現す。
これまでベージュの石造りに溶け込んでいた彫刻や、くすんだ色の建造物が
ライトアップされて闇のなかに浮き上がり、その存在感を誇らしげに示すのだ。

オレンジの光で壁のレリーフが浮き上がるルーブル美術館、蒼白い光で清潔さを
感じさせる市庁舎の壁面の細かい彫刻。マリー・アントワネットが幽閉されていた建物、コンシエルジュリの照明はいつも押さえ気味で、暗い過去を想起させる。

アンバリッドの金色のドーム(円蓋)は太陽の下とは異なった味わいを見せる。凱旋門はオレンジ色に、デファンスの新凱旋門は一層白くなり、両者の対比が際立つ。

昼間は錆びたようなこげ茶色というか、ココアの粉末のような色のエッフェル塔は、外だけでなく塔の内側からもオレンジの光を当てられ、空洞の建造物であることを主張する。そして一時間ごとにめまいがするほど強烈なハロゲンランプのような光を、塔全体で点滅させる。

これが始まった2000年の元旦から、この照明をどう表現すべきか考えているのだが、いまだに「ビカビカ」という言葉しか思い浮かばない。

毎年寒くなってくるとぼくは三脚とカメラをもって巴里の夜を徘徊する。気に入ったライトアップを写真に撮ってそれをクリスマスカードにするためだ。生まれて初めて全力疾走する馬を見て感激した今年は、グラン・パレの屋根にある馬の彫刻を狙っている。
        2006・11・23
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添付画像:夜のエッフェル塔では、このアングルが一番好きだ。
Bir-Hakeim(ビル・ハッケン)橋の中ほどにある馬の彫刻のうしろから「ビカビカ」のエッフェル塔を望む。カメラはNikomat。


2006年11月23日

◆ 巴里だより

 
昔ばなしと「ギュー、チュッ」
              岩本宏紀(在仏)
昔ばなしの絵本
男一人女一人で登場人物すべてを演じるテレビ番組「まんが日本昔ばなし」は
今でも続いているだろうか? のほほんとした絵は大人が見てもほのぼのする、
いいアニメだった。子どもがまだ小さい頃、我が家には寝る前に昔ばなしの絵本を読んでやる習慣があった。主に母親だったが、ときどきぼくも読んだ。そのとき
「まんが日本昔ばなし」がいい手本になった。

受けがよかったのは「だんご」という物語。
おじいさんが友達の家でたいそう旨いものをごちそうになった。是非とも同じものをおばあさんに作ってもらおうと思い、名前を尋ねた。それが「だんご」である。忘れてはいけないと、「だんご、だんご」とつぶやきながら歩いていたが、道の真ん中に水溜り。「どっこいしょ。」と飛び越えた。
それ以後ずっと「どっこいしょ、どっこいしょ」になってしまう。
家に着くやいなやおばあさんに
「どっこいしょを作っておくれ。」と言うと、
「何をばかなことを言っているんだい。」とおばあさんは相手にしない。
頭に来たおじいさんはけんかを売る。両者譲らず激しい取っ組み合いなり、
ふと見るとおばあさんのおでこに、だんごのような瘤が出来ている。おじいさんは
「どっこいしょが出来た。」と喜ぶ。
おばあさんはその時、「どっこいしょ」が「だんご」のことだとわかる。
「それならお安いご用。」と言って台所に消え、しばらくすると山盛りのだんごを持って現れ、二人は旨い、旨いと言いながら仲良くそれを食べる。めでたし、めでたし。こんな筋書きだった。
ぼくにはどうということのない話だったが、子どもたちによくせがまれた。

知っているひとを主人公に
しかし毎回同じ人物、同じストーリーでは読むほうが飽きてくる。不真面目なぼくは、そのうちに絵本を見せずに、自分で少しずつ内容を変えるようになった。まずは登場人物を変えた。
「昔々あるところに、へいじろうじいさんとやえばあさんが住んでおりました。」
娘たちの本当の曽祖父、曾祖母が登場するので、「えー! それでそれで。」と反応は上々。就寝前なのにふたりの目はぱっちり冴えてくる。名前はぼくの気分次第でどんどん変わる。あるときは彼女たちの祖父、祖母、あるときは近所のご夫婦と何でもありだ。

けんかの場面はプロレスの技や、なんとかライダーのなになにキックを登場させて、臨場感のある展開を心掛けた。おばあさんの一撃でおじいさんがダウンすると、二人は拍手をして喜んだ。

「ギュー、チュッ」でおやすみ
寝かせつけるのが目的なのに興奮されては困るのだが、この後には「ギュー、チュッ」が待っているから大丈夫だ。 「めでたし、めでたし。」の声を合図に妻が子供部屋にやって来て、ベッドに入っている娘たちを順番にギューと抱きしめた後、「それではおやすみ。」
と言って頬にチュっとキスするのだ。これで安心し、じいさん、ばあさんの取っ組み合いの興奮もおさまるらしい。 灯りを消してドアを閉めれば、あとは静かな子ども部屋になる。
ぼくもせがまれてときどきやっていた。ちょっと照れくさかったが、今思えばとてもいい習慣だ。生まれ変わってまた父親になれたら、毎晩でも「ギュー、チュ」をしたいと思う。
2006年11月19日
なおご感想は hiroki.iwamoto@wanadoo.fr へお願いいたします。


2006年10月25日

◆「ギュー、チュ」でおやすみ 

            岩本宏紀(在仏)

オランダに赴任したとき、娘二人はまだ6歳と3歳。
寝る前に母親が一人ずつ抱きしめてやるのが習慣だった。

ベッドに入っている子どもを「ギュー」といって
力一杯抱きしめ、「チュッ」とキスするのである。
すると安心して眠りにつく。

ずいぶん大きくなるまでやっていたと思う。
父親嫌悪症が始まるまでは、ぼくも参加していた。
今思うと、とてもいい習慣だった。

大人になってからも、ふと誰かに抱きしめてもらいたいと
思うことがある。特に外国でがんばっている一人暮らしの
女性はそうではないだろうか。

意味もなく突然泣き始めた女性を、どうしてよいかわからず
ただ肩を抱いていたことがある。しばらく涙を流すと、
それですっきりしたらしかった。

25年前、3週間に及ぶ忙しいフランス出張で、ぼくも泣いたことがある。
ずっと一緒だった上司二人をシャルルドゴール空港に見送り、ホテルに
戻ってベッドに仰向けになった途端に、突然涙がこみ上げてきたのだ。
悲しかった訳でもない。辛かった訳でもない。ただ泣けてきたのだ。

脱力感で身体を動かすこともできず、肩を抱いてくれるひともおらず、
はらはらとただ涙を流し続けた。
                 2006年10月24日

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<添付画像>:転んで泣き出した末っ子を優しくあやす母親。それを見守る長女。

2002年7月28日(日)の昼下がり。フォンテーヌブローの南、アヴォンにて。

後ろの河はセーヌ。Olympusのデジタルカメラ Camedia C-700.


2006年10月21日

◆「般若心経」


                      岩本宏紀(在仏)

20年のヨーロッパ生活で、盗難に遭ったのは3回だ。一番悔しかったのは、14年前のアムステルダムでの盗難だった。風邪で2、3日寝込んでいたので頭がぼーっとしていたが、駅に向かった。電車でジュネーブに行き、そこに住んでいる友達とスイスアルプスでのスキーを楽しむという魂胆だったからだ。

電車はアムステルダムが始発。自分の席を見つけてほっと一息。ウェストバッグをはずして背中と座席のあいだに置き、足元のリュックサックから本を取り出そうと、ひょっと前かがみになった。その瞬間、男がウェストバッグをかっさらった。泥棒はみんなそうだろうが、逃げ足の速い男だった。追いかけたが、その男は通路を駆抜け、あっという間にプラットフォームの人混みに消えていった。

ウェストバッグのなかにはパスポートも入っていたので、外国であるスイスへは行けなくなってしまった。鍵も一緒だったので自分のアパートにも入れない。警察に紹介してもらった鍵屋に来てもらい、高い金を払って30分がかりで、やっとアパートのドアを開けた。

しかしそれ以上に辛かったのは、このアムステルダム事件の2カ月前に起きた盗難事件だ。財布に入れていた「般若心経」が、財布ごと何者かに盗まれたのだ。
ぼくの海外赴任が決まったとき、父と母が実家の広島からわざわざ大阪まで会いに来てくれた。
そのときの父の言葉。
「親がどうとかこうとか考えることはないけえのぉ。やりたいように思う存分やったらええんじゃ」。
母の言葉は覚えていないが、ふたつプレゼントをくれた。それが着物と般若(はんにゃ)心経(しんぎょう)の写経(しゃきょう)だった。山奥の高等小学校しか出ていない母が、写経をしたとは驚きだった。
再び父の言葉。
「普通の時間に書いてもご利益(りやく)はないんじゃそうな。家のもんがみな寝静まった夜中に心を込めて書いたんが、これじゃ」。

以来、ぼくはそれをお守り代わりに、ずっと財布に入れていた。在る時、ぼくの親と同じくらいの歳の大学教授夫妻と食事をした折、なにかの拍子でこの「般若心経」をお見せした。すでに6年を経た和紙は折り目のところで破れており、広げても一枚の紙にはならなかったが、墨の色はまったく衰えておらず、どの文字も鮮明だった。

それを見た教授の奥さんの言葉を、今でもはっきり覚えている。
「これを書いて息子さんに持たせたおかあさんも偉いけれど、それを大切に持ち続けている息子さんも偉いと思うわ。そんなものいらないよ、って言う子だって珍しくないもの」。

さきに触れたが、アムステルダムの盗難はこの2ヵ月後だった。ものにも別れる時期というものがあるのだろうか。教授の奥さんの言葉で、母の気持ちがはっきり見えたとき、ものとしての「般若心経」はもはや必要なくなったのかも知れない。